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平成20戊子(2008)年2月の記録(新しい日付けの順)

平成20年2月29日(金)

 曇り、夕方少し雨降る、気温は高めだったが風が冷たい一日だった。

 午後から薪作りをする、それほど深刻な状況ではないが自転車操業的な状況が続く。春が近づいているのがはっきり分かるが、ストーブはまだまだ主役である、計算すると一年の半分以上はストーブが稼動している。春の農作業の準備と冬の薪作りの作業が平行して続くのでかえって忙しい季節になる。

 TOMUさんのXさん、今日無事に退院されたそうで、明日からは通院で治療にあたられるそうである、ともかく良かった。。

 今日で閏年の二月が終わる、短いことで得をしたと思う人、損をしたと思う人、様々だろう。

平成20年2月28日(木)

 晴れ。今日は気温は低くなかったと思うが、風がちょっとあったので体感は寒く感じたような気がするがしみじみ外に居たわけではないのでその辺の記憶はあやふやである。ただ、風向きの関係で今日はやけに噴煙が昇っているのが良く見えた、寺さんがあれは雲か噴煙かと問うてきたくらいだ。

 婆様、デイケア。

 いよいよ野焼きシーズン到来である、回覧が回ってきた、今度の日曜日には阿蘇山麓一帯で、そして、3月9日には北外輪山一帯で一斉に行われる、従って小生が参加する馬場豆札牧場は3月9日になる、尤も天候不良で大体順延されることが多いが今年はどうなるかである、それにしても一年が経つのは本当に早い(昨年は白内障の手術で不参加だった・・・)。

 おさんどんであっという間に一日終わる。

 プールへ、2000m、63.4。


平成20年2月27日(水)

 朝のうち少し雪が降りうっすらと白くなる。その後晴れる、風が少し強かった気がする。

 年金生活者なので本はなるべく図書館で借りるようにしているが、ついつい買ってしまう。ここのところ立て続けに買った。

 熊本藩郡代中村恕斎日録の上下刊、これは以前、熊日の夕刊に連載されたが、我が家は夕刊不配達地域で読めなかったので、少々高価な本であるが無理をして買った。熊本藩の郡代を長く勤めた中村恕斎の日記で、江戸時代後期から幕末・維新に至るまでの熊本藩の状況を描いた力作であり、阿蘇のことも沢山載っている、日本史の一級資料である。

 それと佐賀藩の生んだ鬼才・佐野常民を描いた小説「火城」、これは何かの書評でちょっと惹かれた、やはり九州という共通項で買ってしまった。

 それから道楽のAPRS通信の本。

平成20年2月26日(火)

 気温は昨日までに比べたらはるかに高かったが、雨と風で体感はかなり寒くかんじた、阿蘇乙姫 2.9℃(04:20)。そして朝から降り始めた雨も夕方には上がった。

 婆様、大阿蘇病院定期通院、混雑を避けて夕方近くになってから連れてゆく。

 今日農協からジャガイモの種芋が届いた。例年通り男爵とメイクイーンが5キロずつである、昨年のジャガイモはまだ物置に入っていて、特にこれといった保存方法はとっていないが今でも十分に食べられて全く買う必要が無い。

 植え付けはもっと先で良いなと思いつつも、念のために昨年の日記を読んでみると、なんと3月中旬には植えている、その前に肥料を入れたりしないといけないのでそうノンビリもしていられない、もうそんな季節になったのかと驚くばかりである。それ以前に昨年の作物がまだ植わったままでマルチなど掛かったままだ、それを剥いで鋤くことから始めないとならない。サトイモがまだまだ地中に植わったままだ、普通だと掘り起こしてもっと深い場所に埋め込んで保存したりする、低温で腐ってしまうからだ、小生は面倒なのでそのままにして必要なときに掘って使っているが、一部腐っているものもあるが、概ねオーケーである。そしてもう芽が出ているサトイモもある。サツマイモも結局大部分掘らず仕舞いだが、もう腐っているだろうか、サツマイモはあまり料理のバリエーションが無いからなあ(知らないからなあ)。周囲の田でもそろそろ準備作業が始まっている。


平成20年2月25日(月)

 晴れ、最低気温、阿蘇乙姫 -5.1℃(06:20)、日常的に低温日が続くと慣れてしまって特に驚くことも無くなった。昼間は暖かかった。

 婆様、デイケア。

 先日、長陽村(今は合併して正式には南阿蘇村になる、カルデラ内のここが東端なら長陽は西の端という位置関係にある、因みに、カルデラの東西の距離は18キロと言われている)のM野さんのお宅に薪を貰いに行って先方が留守でお会いできずに手ぶらで帰ってきたが、その後ご丁寧に電話を頂戴して、改めて今日昼から頂戴に伺った、軽トラ一台分積んで少し積み残して帰ってきた。



平成20年2月24日(日)

 起きてみると家の外は真っ白になっていた、気温はそれほど低くは無かった、ただ、阿蘇山頂との温度差が珍しく大きかった、阿蘇乙姫 -2.8℃(06:40)、阿蘇山 -7.9℃(08:05)。その雪も午前中で融けてその後も時々ちらつく程度だったが北日本では低気圧で台風並みの荒れようだったようだ。

 魔の週末で、行動が制約されているので、小生の遊び場にドッカリ座りこんで現在の関心事、APRSの気象情報発信に関する予備知識の吸収、情報蒐集などで時間をつぶす。


平成20年2月23日(土)

 曇り。北日本は荒れる予報が出ていて、そのあおりでここも一日強い風が吹いていた。今日はかなり高めの気温で夜が明けたが夕方に近づくにつれて気温がどんどん下がってきた。

 サンデー毎日にとっては週末は魔の週末?だ、カミサンが居なくて娘が一日居る。「まのしゅうまつのマって何ね」、「悪魔のマで怖いとタイ」、「フーン・・・」、娘との遣り取りである。

 今週の月曜日に、TOMUさんのXさんが骨折で入院され手術をされたはずだが、OMさんが病院に付き添っておいでで、様子が分からず、手術が終わった頃を見計らって首尾を携帯メールでお聞きしたが、返事が無いので、悪いのかと思って電話を遠慮していた。その後も全く音信不通なので今朝思い切って再度携帯のメールをしたところ、折り返し電話があって、手術は無事に終わり、現在リハビリ中だということであった。よくよく着信履歴を確認したところあの日返信を頂戴してあったのを小生が見落としていただけだった。

 夕方、久しぶりに戻ったTOMUさんを訪ねる。

 今の時期、太陽はここからみると外輪が切れているあたりに沈む、冬至には米塚の左に沈むのに大分右に移って来た。
写真1写真2

 今APRSの気象情報発信に興味を持ち出して、本をひっくり返したり、ネット検索をしたりしている。


平成20年2月22日(金)

 晴れのち、午後に入ってから時々弱い雨がふる。今朝方の冷え込みも弱く氷点下になるかならない程度だったと思う(アメダスが故障か調整中かデータ無し)。朝のうち霧が出る。

 昼から急に思い立って金魚の水槽の清掃をする。全部水を捨てて底に敷いてある細かな砂利まで洗って、と全面的な清掃となった。大きな水槽なので160リットルくらいの水量になり作業が大変なので急な思いつきででもないとなかなか重い腰が上がらない、たまたま今日その重い腰が上がったのである。

 毎日家族に何を食わせるか頭が痛い。週末のことでもあり、米食にもパン食にも合い、野菜も肉も柔らかく食べられるので子供にも年寄りにも良いだろうと、ポトフを大量に作った。このあたりの野菜は何でもサイズが大きいが。珍しく小ぶりの蕪があったし、セロリの葉っぱも残っていた、蕪とタマネギを丸のまんま数個、ジャガイモと人参も沢山、キャベツ、ベーコンのブロックと豚の腿肉のブロクをぶっ込んでブイヨンで味付け、男の料理、ワイルドに作った、これで二三食メニューを考えなくて済む。



平成20年2月21日(木)

 日中、穏やかに晴れる。最低気温、阿蘇乙姫 -6.4℃(06:40)

 婆様デイケア。
 
プールへ、2000m、65.4。

 夜、保育園保護者会役員会、まもなく一年の任期が終わる。


平成20年2月20日(水)

 晴れ。阿蘇乙姫 -6.9℃(06:50)。

 日中は穏やかに晴れる。春霞と言うにはまだ少し早いような気がするが、終日霞がかかったようで視界が悪かった。連日氷点下が続いているがそれでもなんとなく春の訪れを感じる。

 ここのところずっと司厨専任にて家族の糧秣の調達や仕込みで屋外作業を休んでいるが、夕方になって急に思い立って、数年前からあまりに立派な伐採樹なのでそのうちに何かに使おうと思ってずっと放置してあった樹を薪に転用すべく玉切りした、結局薪となる運命であったか。
写真1写真2


平成20年2月19日(火)

 晴れ。阿蘇乙姫 -5.5℃(05:30)

 やりたいこと、やらなくてはならないことが沢山あるが、なんとなく今日は気分が乗らずに無気力に過ごす。


平成20年2月18日(月)

 風も無く穏やかに晴れる。ただ明け方は冷え込んだ、阿蘇乙姫 -8.3℃(07:00)この冬の最低気温の記録更新だろうか。
(写真

 婆様、デイケア。

 K春さんから飛び込んできた薪情報に従って長陽村まで出かけてみたが、先方不在で空振りに終わる。帰途は箱石峠経由で帰ってきたが、路肩には雪が融けずに凍り付いていた。
写真1写真2

平成20年2月17日(日)

 曇り、時々小雪舞う、寒し、夕方になって美しく晴れ上がる。

 先だって、カミサンが娘と図書館に行った際に、「こんな本があったわよ」といって、「こどものための阿蘇一の宮のおはなし」という本を借りてきた。子供向けの神話や郷土史をまとめた本である。著者は西数男(故人)という人物で、小中高の教職にあった傍ら郷土史などに造詣が深かった人で、20年ほど前に出版されたものである。

 曽祖父園田太邑も取り上げられているので、是非この本が手に入らないだろうかと、ネット検索などで古書を探したが、一時市場に出ていたこともあったが今は無くなっていた。

 この本の出版にあたっては、地元の有志に資金協力を仰いだことが後書きに記されており、宿場會の桐原主一さんも名前を連ねていたので、後日、氏に、もう余分が手許に残っていないかと尋ねたところ、もう残っていないけど、夫人が近所にご健在だからちょっとお聞きしてみようと、直ぐに電話を掛けて問い合わせてくださった。

 「探してみましょう」という先方の返事だったが、あまり期待はしてなかったところ、桐原さんから昨晩電話を頂戴して、少し残っていたそうで届けていただいたよ、とのこと、早速、今日午前中、桐原さんの案内でお礼のご挨拶に伺う

 今回頂いた本は、先に図書館で借りてきた本と、同じ著者の他の何冊かを一冊に合本して「阿蘇のおはなし」として改めて出版されたもので随分と分厚いものに生まれ変わっていた。こういった限定部数の本の性格上、もう普通には手に入らないだろうと諦めていたので、大変嬉しかった。

 持ち帰って開いてみたところ、園田太邑と、太邑の先代の園田五郎次季光の話が続いており、初めて聞く話も載っていたので、我が家の貴重な蔵書になった。

 本日も終日家庭保育、早く来い来い月曜日、サラリーマンと逆で平日が待ち遠しい。


平成20年2月16日(土)

 晴れ。風があって冷たかった。カミサン不在のため、娘の相手に明け暮れる。

 娘が、二三日前から新聞の折り込み広告の「ほっかほか亭」の写真入りのメニューを盛んに眺めてはボールペンでさかんにチェックを入れながら、ホカ弁が食べてみたいというので、昼食をホカ弁にすることにして、二人で買いに出かけた。チラシではこれがいいと言っていたものはやめて結局お子様ランチ弁当にしたが、いぇーいと言って喜んでいた。


平成20年2月15日(金)

 曇り。今朝は気温は氷点下になるかならないくらいだったが、一日中気温が上がらずに寒い一日だった。

 右手首が腱鞘炎を起こしたようで、ここ数日痛む。薪を作る際に、細目の木はいちいち下に置いて、腰をかがめてチェンソーを引くのが面倒なので、立ったままで、左手で木を持って、右手一本でチェンソーをちょうど包丁のように持って、空中で切ることが多い。その場合に使うチェンソーは小型であるが、やはり片手で抱えるのにはちょっと重過ぎる、それでも無理をしてその作業を続けていて結局手首に負担が掛かりすぎたのだろう、まあ、自業自得である、シップを貼って治そうと試みている。


 国木田独歩に「忘れえぬ人々」という文学作品がある、この作品に阿蘇の、しかもすぐ近辺の風景や青年が登場するので、郷土史家であり宿場會の重鎮のK悦先生の講話に、この作品が登場した、そこでT雄さんが宿場會の会報にその作品の全文を載せてくれた、この作品は既に著作権が無くなっており自由に転載することが出来る。インターネットの世界に「青空文庫」というサイトがあって、同じように著作権が無くなった多くの作家の作品が自由に読めるようになっている。

 ただ古い文学作品のために、旧漢字や今となっては珍しい表記方法がとられていて、作品を原作に忠実に再現することが、インターネットの世界では難しいことが多い。つまり今までのJIS第一水準、第二水準の文字数では使えない文字が多いのだ。

 たとえば、この作品の中に、「くすくすと」だとか「にこにこして」だとか「いよいよ」だとか「浮き浮き笑った」だとか、繰り返す言葉が随所に出てきて、原文では(当然縦書きであるが)ひらがなの「く」を立てに長く伸ばしたくり返し文字が使われている、これは「踊り字」だとか「くの字点」と言われるが、この文字がパソコンの日本語変換では(少なくと最近までは)出てこない、そこで苦肉の策として、逆方向の斜線を組み合わせて/\を「くの字点」として表記する約束事になっているようだ。

 しかしこの記号、どう見ても作品の雰囲気を壊すので、どうしても表現できないのかと思って色々調べてみたところ、Windows VistaのIMEではJIS第三水準や第四水準が使えることが分かった、だからVistaの環境下では表現できることになる。

 然らば、Windows XPでは駄目なのかと思って調べてみたら、Microsoftから「Windows XP ・・・ 向けJIS2004 対応 MS ゴシック & MS 明朝フォントパッケージ」なるものが提供されていてこのパッケージをインストールすると使えるようになることが分かった(いろいろ注意しなければならない点もある)。

 このパッケージを使うと、よく時代劇などに長屋の軒先に「仕立物いたしマス」のマスの部分に国構えに対角線を引いた「枡」の絵を描いた木札がぶら下がっているシーンがあるが、このマスもちゃんと出てくる。

 ただ自分のPCで表現できても、PCが同じように対応していないと他のPCでは表現できないので汎用性がなく、インターネットに載せる事は出来ない、しかしプリントする分には構わないことになる。

 とにかく漢字は種類が多くて、最近ではCJKと言って中国、日本、韓国の漢字を一つに統合した基準もあるようで、更にはこれにベトナムの漢字まで加わったCJKVというものまであるとか無いとか。以上のこと、自分で調べていてちょっと怪しい点もあり、また良く分からない点もあるが、大筋こんなところではないだろうか。
写真

 ついでに、般若心経の中に出てくる、「けい」や「た」なども、従来は表現できなかったが、出来るようになった。この「た」は、静岡県にある「薩た峠」の「た」であるが、今まではごく普通に使う日本の固有名詞が表現できなかったのであるから不便であった。(写真


平成20年2月14日(木)

 晴れ、風少し強し。今朝は大いに冷え込んだ、阿蘇乙姫 -8.1℃(06:10)、阿蘇山 -10.2℃(00:02)。バケツの氷もこんなに厚く張っていた。

 婆様デイケア。

 午前中、久しぶりにTOMUさんのお宅に伺ってライブカメラのサポートをする。X さんがデイケアで外出、昼食に男の手料理を馳走になるが、いつも作るのは慣れているものの、男に作ってもらって食べるのは慣れていないのでなんとも落ち着かなかった。

 今日はバレンタイン・デーである、当然のことながらそんなことはすっかり縁遠くなり忘れていたが、奇特な人?(モチロン女性である)がおいでで、思いもよらずバレンタインデーだといってわざわざチョコと酒を届けてくださった、そこは差し障りの無いようにちゃんと子供用のチョコだったが、何年ぶりだろう。



平成20年2月13日(水)

 雪のち曇り。

 今朝は冷え込む、阿蘇乙姫 -6.0℃(05:30)、 阿蘇山 -9.7℃(05:41)、雪の予報が出ていたので、ベランダに雪囲いをして寝たが、雪の量は少なかった、ただ気温が低かったので、所謂スノーパウダー状態だった。 明朝はもっと冷えるらしい。

 終日PCの前に座り、あることに熱中していた、あることと言っても決して怪しげなことではない、アカデミック?なことである、詳細はもう少し分かってから書くことにする。。

 今朝ほど、庭先が妙に騒々しいので、覗いてみたところ、ネコが何かと格闘している様子だった、モグラが掘り返した場所なので、おっモグラをとっ捕まえたかと思ってみてみると野鳥だった、自然界、獲ったり獲られたり、これも已む無しかと思ったがまだ生きているので少し可哀想になって助けようとしたが手遅れだった、庭によく野鳥がやってきては餌を啄ばんでいるが、それをネコがよく狙っていて、九割方失敗するが、時々成功する、ネコはやはり野生に近い生き物だということが良く分かる。この野鳥何という名だろう。

 最近活字が見えにくくなった、今までは近視のメガネを外せば、小さな活字でも読めたが、それがだんだん見づらくなってきた、今日所謂「百均」という店で、老眼鏡を買ってきた、チャイナフリーを標榜する小生としては業腹だが安さに負けて二個買った、食べ物ではなし、まあ物が歪んで見えたり赤く見えることも無いだろうと妙な理屈をつけて。

 おさんどんで、宿場會の例会を欠席する。
平成20年2月12日(火)

 曇り。

 午前中、市の包括支援センターのM垣さんが見える。

 我が家の入り口に井桁に組んで積み上げてあった角材をあらかた薪用に切断した。数年前に貰ってきたもので、しっかりした角材でそのうちに使い道があるだろうと、ずっと置いたままになっていて我が家の入り口のシンボル的な存在だったが、少し腐り始めており、そのうえに薪の備蓄がそろそろ心細くもなっているのこともあって今日思いきって切ってしまった、改めて書くほどのことでもないが、これも記録である。
写真1写真2


平成20年2月11日(月)建国記念の日(紀元節)皇紀2668年

 晴れ。

 婆様デイケア、祝祭日でもデイケアはある。

 娘は週末あたりから体調を崩して風邪かと思ったが、どうやら回復して明日からは通常通り保育園に行けそうである。

 小生は、一日ノンビリして過ごす。

 昨日のTさんの日記によると、奥さんが転んで怪我をされたようだったが、今日病院にいったところ、やはり上腕部を骨折されていたそうである、一日も早い回復を祈るばかりである。


平成20年2月10日(日)

 晴れ。昨日の天気とはうって変わって素晴らしい冬空が広がった。阿蘇山ばかりでなく、九重の山並みも白く光り輝いていた(TMUさんのホームページより))。

 今日は坂梨校区の新春駅伝大会の日だ。今年で31回を迎えるということだ。つまり30年以上続いていることになる。坂梨というところは住民の結束が本当に強いところだ、老若男女が自然体で一体となって生きている。同じ阿蘇市でも他の地域にはこのような例が無い、歴史であろう。

 阿蘇アマチュア無線クラブでは20年くらい前から駅伝の様子をアマチュアテレビという方法でテレビ中継してスタートゴール地点で放映してきた。小生もここに住むようになってずっと参加している。小生は毎年、古閑の滝の麓のF木さんのお宅の前の中継ポイントの担当である、今年もF木さんご夫妻には差し入れを頂戴したり、撤収の手伝いをしていただいたりとお世話になった。このテレビ中継は本格的に移動中継車まである。終了後、AJY局のお宅で昼食をとりながら総括やら反省やらをして散会した。

 大会の様子を逐一記録に取りたいが、担当持ち場があるので、肝心の開会式の様子やレース展開を写真に撮る事が出来ず、いつも中途半端な記録になってしまう。

坂梨校区新春駅伝大会 1/2 全11枚
坂梨校区新春駅伝大会 2/2 全11枚
平成20年2月9日(土)

 朝起きると窓の外は真っ白になっていた、しかし雪の量は少なくて降る端から融けてゆき、田畑などを除いては積もることはなかった(関西地方は稀に見る大雪だったそうだ)。

 今日は終日PCの前に座って、PCのメンテナンスや今まで殆んど未体験の作業に没頭した。小生はあまり動画に興味がなくてDVDなどの焼付け作業なども殆んどしたことがない。今日は詳しく書くとどうも法に触れることになるらしいある作業に挑戦したが、慣れない作業で時間ばかり食ってしまった。


平成20年2月8日(金)

 晴れ。今朝もかなり冷え込む、その分、日中は風も無く良い天気になって陽だまりは暖かかった。

 午前中、婆様の髪結いに付き合う。

 昼から、夕食の材料の買出しと仕込みを済ませてて、DI局とATVのテスト送信をして、日没頃までひたすら薪作りをする。今日は太い木ばかりを相手にしたのでさすがに腰がパンパンに張っている。

 夕方、TOMUさんのサイトを覗いてみたら、九重連山のライブ画像が映っていた、とうとう始めたか、敵もなかなかやるなあ。



平成20年2月7日(木) 旧暦の元日である

 晴れ。明け方冷え込む、阿蘇乙姫 -6.7℃(07:00)。

 婆様デイケア。

 昨夜、午後11時半前、世間様ではまだ宵の口だろうが小生にとっては深夜、深い眠りの中、防災無線から最大音量で火災を知らせるサイレンが鳴り響いて叩き起こされた。

 防災無線は町の辻々のタワーに設置してあるものと、各家ごとに設置してあるものとがあって、普段は市のお知らせなどが流れるようになっている。音量も好みの音量に調整できるようになっているが、家によっては煩わしいので音量を絞ってあるところも多い。ところがそんな場合でも火災のような緊急時には、自動的に最大音量で流れるようになっている。おまけに火災の発生場所が北坂梨(我が家前から少し北に行ったところ)だったので、我が家の前を次々に消防団の車がサイレンを鳴らして通過して行った、更には阿蘇広域消防署のプロの消防車までが我が家前を通っていった。

 おかげですっかり目が覚めてしまったので、この時間、TOMUさんも普段なら宵の口だろうと思ってSkypeで話をしようと思ったら珍しくも落城していてPCのスイッチが入っていなかった。

 ASO安心安全情報(携帯メールなどに受信するシステムである)
「題名 : 火災情報
火災通報がありました。
覚知:23時15分
阿蘇市北坂梨 岩下ツヅク氏所有の空家が火災です。」

 阿蘇では一度火災があるとその後にすぐどこかでまた火災があるという、「阿蘇の夫婦(めおと)火事」というが、先日坂梨で火災があったばかりだ。

 久しぶりにプールへ。2000m、65.9。帰途、TOMUさんのお宅に立ち寄る。

 夕方近く、屋根のてっぺんに登った。目的は二つ。一つ目は煙突の汚れ具合のチェック。そしてもう一つは先日取り付けたアンテナ用のブラケットが屋根に腹ばいになって手が届くかのチェック。これは届かないことは無いが、少し重量があるアンテナを取り付けるには体の支えが利かず、ちょっと無理なようである、R一さんに頼むしかなさそうである。屋根に登ったところをTOMUさんにキャプチャーしてもらいメールで画像を送ってもらったが、ライブカメラの解像度が低すぎて判別しにくい

 最近では真空管が手に入りにくくなているが、量産は無理として少量なら手作りで出来ないものかと、何かの機会にOM諸兄に問うたところ無理だろうという答えが大勢であった。ところが、アマチュア無線家で手作りで球を作る人が居るそうで、映像が見つかった、すごい人が居るものである。


平成20年2月6日(水)

 曇り。時々薄日、また時折雪がちらつく。

 午前中、薪作りのために薪材の横持ちをしているうちに昼になり、雪もちらついてきたので作業を終わる。

 午後、AJY局が顔を出す。


平成20年2月5日(火)

 晴れ。風も無く穏やかで素晴らしい青空が広がり、阿蘇五岳や九重連山が白く輝いていた。

 昼前から昼過ぎにかけてTOMUさん夫妻と一緒に産山村のファームビレッジに薪の調達に行く。落葉樹系の乾いた太い樹が沢山あって、TOMUさんが独自ルートで確保された薪であるが小生も軽トラ一台分頂戴できた。

 産山村から帰ってから少し薪を作って、そのあと婆様を定期通院で大阿蘇病院に連れて行った。

 なんだか慌しい一日だった。


平成20年2月4日(月) 立春

 春は名のみ。うす曇。残り雪が場所によっては凍ってガチガチになっていた。保育園の園庭もツルツルになっていて、子供たちもにわかスケートリンクに大ハシャギ、靴をスケート靴代わりにしてすべって喜んでいた。

 婆様、デイケア。

 婆様をデイケアに送った足でTOMUさんのお宅に。ちょうどナカさんご夫妻も見えて昼になるまで四方山話に花が咲く。

 午後、今度の日曜日に予定されている坂梨校区駅伝のATV中継機材の点検をする。


平成20年2月3日(日)

 曇り、時々、雨、霙。

 昨夜阿蘇地方に大雪注意報が出されていたが結局降らなかったようで、昨日の積雪が残って夜が明けた。

 妙法寺で節分会があるというご案内を頂いたので、昼頃、娘を連れて出かけた。天気のせいもあって、善男善女約20名程度のこじんまりとした豆まきになったが、その分皆さんの袋は一杯になったようだ。豆まきの後で、別室で、皆さんとお斎を頂戴して帰ってきた。
(写真1写真2写真3写真4写真5

 今日は阿蘇神社でも、節分祭がある、阿蘇神社では豆でなくて護摩木を撒く、雪の後で足場が悪そうなので寒いこともあり節分のハシゴはやめることにした。


 夜は夜で、我が家の豆まきをした。
(写真1写真2写真3

 
平成20年2月2日(土)

 雪。朝から終日雪、気温がそれほど低くないので間断なく降っていたにもかかわらず道路の雪は降る端から融けて積もることはなかったが、それでもさすがに畑はかなり積もっていた。この雪今晩もずっと降り続くようで、明日の朝には相当積もるのではないだろうか。

 今日TOMUさんの応援で産山村まで一緒に薪の調達に行く予定だったが、この雪で延期、手持ち無沙汰で昼前茶飲み話をしにお邪魔する。


平成20年2月1日(金)

 キリリと晴れあがった気持ちの良い朝を迎えた。明け方はかなり冷え込んだようだが、阿蘇乙姫のデータが無い(観測機器の点検だそうだ)、阿蘇山では -7.3℃(02:38)が記録されている。終日風も無く、穏やかに晴れ渡り陽だまりは暖かかった。

 道楽の工作物、軒先に取り付け完了する。ただこの先端に、更に二三メートルのポールを継いで、UV波の八木アンテナをつけるつもりだがどうやって取り付けようかと悩む。地上から10メートル近くあり、下からハシゴは届かない、屋根に腹ばいになって腕を伸ばして取り付けるしかないと思うが、屋根から結構距離があるので、どうしたものか、仙酔峡のロッククライマーにでも頼むか。  






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