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平成20戊子(2008)年4月の記録(新しい日付けの順)

平成20年 4月30日(水)

 晴れ。朝のうち霧が立つ、日中の気温は阿蘇乙姫で26℃を超えて夏日になったらしい。らしいというのは、小生は日中はずっと熊本市にいた。熊本市と阿蘇をと比較した場合、いつも大体3度から4℃違うが、今日は精々1℃くらいしか高くなかったようだ。

 従兄のT兄が熊本城内にある県立美術館別館写真展をやっているから、と案内をくれたので連休中だと渋滞して往復が大変なので今日出かけた。

 T兄は20代は写真に凝っていたそうで、最近また再開したそうでグループ展に出品したということだった、写真をやっていたことは今回初めて知った。

 肝心の御本尊は会場に居なかったが、名帳に書いた住所をみてある人から話しかけられた。内牧の人だそうで、いろいろ話しているうちにどうも親戚関係にあるらしいということがわかった。今回時間がなくてゆっくり話が聞けなかったが、また新しいつながりが出来たような感じがする、S原さんとおっしゃる、是非またお会いしたいものである。

 今日の熊本市まで出かけた用件、もう一つある、実はこちらの方が主のつもりだった。眼鏡を買いに行ったのである。最近、老眼が進んで、100円眼鏡を数個買いこんではあちらこちらにおいて使っていたが、いつも掛けているメインの近視の眼鏡のノーズ・パット(要は鼻にあたる部分)の片方が欠けてしまって急いで作り直さなければならなくなった。

 小生、何度も書いているが、メガネの高価さにはいつも腹を立てている。ものみな価格競争で値段が下がっているのに、メガネだけは決して安くならない、絶対にヤミカルテルを結んでいると信じているのだが、最近「眼鏡市場」というメガネ屋が全国展開している。残念なことに阿蘇にはない、熊本市まで行くと何軒かある、そのうちの一番阿蘇に近い眼鏡市場に行って眼鏡を新調してきたのだ。イチキュッパでなくて18,900円なのである、遠近両用で乱視が入っていて、薄いレンズで、フレーム込みで一切の追加料金がなく正真正銘の18,900円なのである、今まで、折込広告などで、ポッキリの値段で売っていても、その値段であったためしがなかったので思わず本当かと尋ねて笑われた。レンズもHOYAのれっきとしたものだ、今までのメガネ屋の値段で3本は作られる勘定である。今までのメガネ屋、思い知ったかという気分である。

 熊本市内から帰ってから、夕方の方がすいているだろうと、定期通院で婆様を大阿蘇病院に連れていった、連休の狭間だからか結構時間がかかってしまい、娘も、保育園に迎えに行って病院で一緒に待っていたが、終わりそうもないのでカミサンに仕事の帰りに寄ってもらって娘を連れて帰ってもらった。

 婆様、排尿の時に痛むそうで、つまり、ドレンが痛むそうなので、尿を調べてもらったところ、軽いが、また尿路感染を起こしているのでと抗生剤を貰ってきた。

 最近、夜はオムツをして寝ているが、時々気になってどうしても出ずに一晩我慢してしまうのでそれが原因かと思っていたと言っているが、やはり一晩で交換するとはいえオムツだと一晩に二三回排尿をするので清潔を保つのは難しいのかもしれない、自動採尿機の購入を急ぐ必要がありそうだ。

 昨夜、娘がお風呂で潜れたバイと自慢そうに言っていて、今晩はお父さんと一緒に入ろう?潜って見せてやるけんと、付き合わされたが、踏ん切りの悪いバンジージャンプのように、1・2・3で潜るけんね、と威勢だけは良いのだが、何度やっても直前で踏み切れない、そのうち1・2・3は長すぎるけん、1・2で潜るけん。それでも駄目、とうとう今晩は中止なそうな、付き合わされた父親、裸で待機させられたうえにヌルイ風呂に入る羽目になって危うく風邪を引くところであった。

 今日も忙しい一日だった。

 我が家の周囲の田にもいよいよ水が入りだした、明日あたりだろうか我が家の直近の田は。

  ガソリンの暫定税率が明日からまた復活することが決まり、我が家でも二台ともタイミングよく今日中に満タンに出来た。テレビで今日中に給油しようと100メートルも200メートル並んで待っている図が流れていたが、確かに再値上げは痛いには違いないが、並んで待っている車は果たしてどのくらいの量を給油しようとしているのか、待っている時間のコストと見合うのだろうか、それだけの時間があれば、浮いた金額以上の事が出来るのではと考えるが。
平成20年 4月29日(火)昭和の日

 晴れ。穏やかに晴れて、日中ずっと24℃近い気温が続いた。

 例によって、子供たちが集まって一日中賑やかだったようだ。ようだというのは、小生は朝食前から宿場通りのライブカメラのメンテナンスに出かけて、昼食を摂りに帰ってまたすぐに取って返すような行動をとっていたので、子供たちの一日の様子はつぶさには、分からないが、小生がちょっと戻って来たときはいつも居たので多分そうだろうと想像するのである。子供たちはどんなところでも遊び場にしてしまう。

 そういうわけで、今日も家周りの環境整備は出来なかった。ただ、間もなく田に水が入るので、それまでに田に接したところの竹を少し間引いておかないと、水が入ってからだと田の方に倒せなくなるので、夕方とりあえず最低限の竹を伐り倒した。ニュースでも早いところでは今日から阿蘇で田植えが始まったことを伝えていた。

 いつの間にか筍があちこちで生えて、もうかなり丈が伸びている。分かっていたが、なるべく目を逸らして見ないようにしていた。見なければ生えないということなど決してないのは分かっているが、見なければ生えていることを知らずに済むなと思って意識して知らないふりをしていたのだ。一二本抜いて食べるくらいは風雅であるが、ニョキニョキ生えてくるともう雑草と同じで、放っておくと雑草よりも手に負えなくなるので、タケノコの季節は決して嬉しくないのである。この時期いつも竹がマツタケならなあと思うのである。

 宿場通りのライブカメラのパフォーマンス、プラスアルファを考えているのだが、初めはうまくいったのだが、その後どうしてもうまくいかず、ドツボに嵌った状態で、それにとっかかり切りになってしまっている。


平成20年 4月28日(月)

 晴れ。

 婆様デイケア。

 今日も環境整備作業はやらなかった、今日でなくて良いものは無理して今日やらなくても、今日やらなければならないものも出来れば明日に回そう、スローライフ、スローライフ、そして、最後に尻に火がつくことになる。

 午後から宿場通りのライブカメラのメンテナンスをしたが、結局半日かかっても完全な解決は見られなかった。

 婆様用の手すりを数個買ってきた、だんだん伝い歩きも怪しくなってきたが、それでも自分で歩ける間は出来る限り歩けるようにと今まで手すりが無くても済んだ箇所に取り付けることにした。


平成20年 4月27日(日)

 晴れ。穏やかに晴れる。

 今日も子供たちの元気な声が響いていた。

 小生、終日のんびり。周囲は田起こし、畦切りなど田植えに備えて急ピッチで整備されているのに、我が家だけいつの間にか草ぼうぼう、ああ、青い芽がでてきて春が来たなあと感慨にふけっている間にあっという間にジャングルと化しつつある、のんびりしている暇はないのだが。

 午後、ちょっと、GYRのところにメンテ。


平成20年 4月26日(土)

 晴れ。朝、真っ白に霜が降りていた、まだ朝晩はストーブが必要だ。日中、風が非常に強くて、そのうえ空が霞んで視界が悪かった。黄砂だろうかと思って調べたら、不思議なことに熊本県内極めて狭い範囲に一直線に大陸から黄砂が阿蘇に向かって観測されていた、どういうことだろう、小生がいつも悪口をいうからか。

 もっと先かと思っていたら、ジャガイモの芽がとっくに出ていたようで、あわててマルチに穴を開けてやる。たかなの花も背丈以上に伸びてカメラを塞ぐようになってきた、シャクナゲもいつの間にか満開になっていて、グミもたくさん花をつけている。すごい勢いで春である。

 今日から大型連休が始まったそうで、阿蘇が賑やかになる、小生は意識的にも完全に大型連休などということとは無縁になって、心が騒ぐことも全くなくなった、そもそもカレンダーもしみじみ見ないので今回の連休の休日の続き具合も今日記を書いている段階になってもまだ知らない。カミサンと娘は用があるとかで車で出掛けて行ったが、道中の渋滞はどうだったのだろうと帰ってから聞いてみたら今日はまだ大したことなかったそうでだ。

 タラの芽はよく知っているが、タラの芽に負けず劣らずの「コシアブラ」という山菜があるそうであるが、小生は知らなかった、掲示板にそのことを書いたら、おまえコシアブラ知らないのかとバジリコさんがわざわざ実物を送ってくださった(もちろんそんな乱暴な口の利き方はされないが)。葉の開いた方は天ぷらに、小さな芽の方は炒めて醤油味でとの添え書きがあったので、カミサンたちが晩飯の支度に間に合わないだろうから小生が早速その通りに料理した、香りに特徴がある山菜で初めての味である(この場所を借りてご報告です、ありがとうございました)。この辺りにはコシアブラはあるのだろうか。

 午後、山口市からN村さんご夫妻が訪ねてこられた、初対面である。N村さん、阿蘇が大好きだそうで、過去、何度もおいでになっていて、ついでに小生のホームページもよくご覧頂いているとかで、以前、小生の留守中にお訪ねいただいたことがあったそうである。

 今回も、阿蘇方面に行くので寄って良いかと事前にメールを頂戴してあったので、今回は在宅してお会いすることができた。小生と同年齢だそうだが、まだまだバリバリの現役、なかなか辞めさせてもらえなくて、とリタイア後のノンビリ暮しを楽しみしておいでだそうだ。小生のホームページに登場するTOMUさん、じっちゃい、おーさん、KK5さんなど皆さんのことも知っておいでだった。



平成20年 4月25日(金)

 晴れ。

 午後、突然じっちゃいから電話が入る。今、木村豆腐店に居ると言う。話を聞いてみると、昨日熊本の病院に泊まって新しい療法を受けて、場合によっては数日間入院しなければならないところ、その必要もないということがわかったので宮崎に帰るところだとのこと、すぐに我が家に寄ってもらって、旧交を(というほど前回からの時間は経っていないが)あたためる。更に、ネット上の交誼から地上での交誼に発展させるべくTOMUさんの所にも二人で伺った


平成20年 4月24日(木)

 晴れ。昨日の天気と打って変わって気持ちよく晴れた、気温が少し低めだった。

 妹たち、昼過ぎの便で帰るので、小生が空港まで送った、今回は婆様の世話のために来た形になってしまった。でも母と娘、それも良しだったろう。娘も姪の子と一緒に遊ぶのが楽しそうであった


平成20年 4月23日(水)

 旅の二日目、予報通り、曇りが昼前から雨になる。宿の近くで篤姫展(写真1写真2写真3写真4)を開催しており、そこを見学してから、篤姫の実家である今和泉島津家があったJR薩摩今和泉駅に立ち寄ってから、坊津(ぼうのつ)に向かう。

 この坊津、天平時代に鑑真和上が数度の遭難を経て初めて日本の地を踏んだ地で、遣唐使船が何度も出入りをした古い港である。もうだいぶん昔になるが、東山魁夷が唐招提寺の障壁画を描い際に、坊津をモデルに描いた「濤声」だったかの作品があるが、唐招提寺に収められる前に三越であったか高島屋であったかで展示があった際に鑑賞して非常に印象に残っていた。そういうこともあって、以前から一度、坊津に行ってみたいと思っていたが、向こうに居たころには遠すぎてそれが叶わなかったが、阿蘇の住むようになって実現した。

 坊津は薩摩半島の最西南端、険しい山塊が直接海に落ちるリアス式海岸の入り江を天然の港にしたところで、深い入り江がいくつもあって、その海岸縁の山をくねくねと細い道が続いている。今でも大変な道だが、1000年以上もの大昔から大陸にむけて開いていたとは驚きである。今日も、雨に煙るなか静かに深い色をした入り江が眼下に広がっていた。

 ここ鑑真記念館があって、あまり人が多く往来する時期でもなく、また平日で雨も降っていたこともありひっそりと建っていた。そこの展示・掲示物で鑑真の足跡をたどり、お茶を御馳走になって、近くで昼食ができるところを受付嬢から教えていただいて退出しよとしたところに、外から入ってこられた(実際は帰ってこられた)男性から声を掛けられて、二言三言言葉を交わしているうちに、これから向かおうとしている食事処に電話を掛けておきましょうと言っていただいた(この男性、実はこちらの館長さんだのである)。

 このあたりでは多分一軒だけの食事処、民宿がんじん荘で新鮮な刺身定食を食べて、さてさて出かけようかとしたところに、さきほどの館長さんが偶然顔を出されて、これもご縁でしょうと、ここだけで出されている焼酎「鑒真」まで頂戴して、一緒に写真に納まっていただいた

 坊津、今回は時間があまりなかったので、改めてもう一度ゆっくりと来てみたいと思うような所である。

 今日の予定には、知覧も入っていたが、結局、坊津で終わりとなり、ここで近道を教えていただいて、帰路について、夜8時前に無事に今回を旅を終わることができた、良い旅であった。


平成20年 4月22日(火)

 晴れ。

 滞在中の妹たちに母の世話を頼んで、親子三人で鹿児島方面に一泊旅行に出かける。家族で泊まりがけの旅行をするのは初めてである。今までは、子供が小さすぎて泊まりがけの旅行に耐える体力がなかった。ようやく子供が旅行ができるようになった頃には母がもう動けなくなっていた。婆様も一緒に日帰りで出かけることは何度もあったが、とうとう泊まりがけの旅行は適わなかったことになる(過去形で書くのは少しまだ早いかもしれないが)。

 今回は、娘のリクエストで鹿児島水族館の見物を旅の主目的にした。熊本から鹿児島までは220キロくらいある。昼を挟んで水族館で過ごしたが(写真1写真2)、はるか見上げるほど巨大な水槽には大きなジンベイザメやエイなどたくさんの魚たちが遊弋していて、根が臆病な娘は水槽に近付けずに尻込みをするくらいの迫力だった(フラッシュ撮影禁止のために写真撮らず)。昔のガラス張りと違って最近ではアクリルだろうか透明で強い板を作る技術があるので、何処の水族館でもびっくりするくらい大きな水槽がある。ここの大きな水槽をみると、改めてさらに大きな沖縄の水族館に行ってみたくなる。

 水族館は桜島フェリーの発着所と隣接した海っぺりの桜島を真正面に見る場所にあ(写真)り、そこからバスで二停留所くらいで鹿児島の繁華街の天文館がある。そこまでバスで出て、鹿児島と言えば黒豚、ということでトンカツを食べて、歩いて港まで戻って、一休みしてから今夜の宿のある指宿に向かった。

 指宿は、鹿児島市内から50キロくらい南にいったところだが、とりあえず自動車道はあるが、山間を走る一般道に毛が生えた程度の道で、景色は良いが結構時間がかかる。日本はほとんどが山地で、人はその隙間のわずかな平地に住んでいるということが、旅をするたびに感じることだが、薩摩半島もほとんど山ばかりで、その尾根伝いを指宿スカイラインは走っている。

 途中、喜入という町の上を通る、山の上から見下ろすと、海岸に石油基地が見える。この石油基地、小生が数年前まで禄を食んでいた会社が建設に参画した石油基地である。退職してから初めて見る会社の製品になるが、やはり一種の感慨がある。

 指宿に近づくにつれて、開聞岳が優美な姿を現す、明日は雨だろうから、もしかしたら全容が見えるのは今日だけかもしれない。

 6時ころ、指宿の白水館という旅館に到着する。小生の旅のスタイル、足の向くまま気の向くまま、行き当たりばったり、行った先で日が暮れてから旅館を探す、無ければ野宿する、ずっとこれでやってきた。ところがカミサンは事前に予約を取っておかなれば落ち着かないようで、結局今回も旅の途中で我慢できなくなって、予約するという。そしてカミサンが予約した旅館だが、後から聞いたところ一流の旅館のようで、またその巨大なことに小生たちのような一行には少々分が過ぎたかなと戸惑いを感じたが、そうそうあることではないのでまあ、タマには良いかと、自らを納得させた(カミサンはどうも最初からここに泊まりたかったようだ)。

 娘は、とにかく何もかも初めてづくしなので、大はしゃぎ、食事も豪華で、もうそれだけで気分的に腹いっぱいになってしまったようだ、それは小生も同じだった。


平成20年 4月21日(月)

 晴れ。

 小生の妹と姪と姪の子の三人が婆様の顔を見に昼前の便で愛知県からやってきた。我が家に向かう前に、彼女たちのリクエストでファームランドの焼酎売り場に寄ったが、焼酎の銘柄の多さに驚いた、九州地区だけで、たぶん、何百種類もあるのだろう、普段呑まないので全く知らなかった。また地盤沈下が激しい地方の、そして阿蘇の商業だが、ファームランドは全く別で元気だ、園内の施設などもどんどん拡張している、また扱い商品、土産物、特に菓子類の銘柄の多さに驚いた、これが同じ阿蘇か、ということは市の観光に携わる者、行政はもっと真剣に考える点がありそうだ。
写真1写真2写真3

 娘がやってくるというので、婆様、デイケアを休む。

 妹たちの滞在を利用して、つまり彼女たちに婆様の世話を頼んで、一泊で家族旅行をすることにした、婆様が動ける頃には娘が小さすぎて旅行など無理だったが、娘が成長した今、今度は婆様が動けなくなってしまったので、やむなく婆様には留守番をしてもうらうことにした。とにかく家族旅行は初めてのことで、娘が鹿児島水族館に行きたいと常々言っているので、鹿児島方面に向かって走ってみようと考えている。それ以外は、少なくとも小生の頭の中には全く案は無い、行き当たりばったりである。


平成20年 4月20日(日)

 晴れ。空気が少し冷たかったが気持のよい一日だった。

 昨夜、もう10時頃には吠えていたと思うが、ボンがずっと吠え続けていた、よく近くのネコが我が家のネコの餌を掠めにきてボンに吠えられているが、それとはちょっと様子が違った。それでもウルサイなあと思いつつ床に就いたが、深夜になっても一向に鳴きやまない。午前2時ころだろうか、ご近所迷惑になると思って、懐中電灯を持って外に出て周囲を照らしてみたが、特に異状がない。ボンの様子を見ていると、どうもベランダの下の方に向かって吠えている。やはりネコかと思って懐中電灯を床下に向けたところ、奥のほうで猫よりかなり大きい動物が動いている、一瞬ヒヤリとして、なんだか分からないので飛びかかってこないように、片手に懐中電灯、片手に棒を握って床下を突いてみたら、それはタヌキだった。野生動物なので攻撃性があって向かってくるかとヘッピリ腰で棒で闇雲に床下をかき回したところ、間隙を縫って床下から草むらに逃げて行った。我が家の竹林にタヌキがいるらしいということは以前から分かっていたが、昨日子供たちが床下から材木などを引っ張り出して遊んでいたが、もしかしたら床下にタヌキが住んでいたのかもしれない。片手に懐中電灯、片手に棒、その上にカメラまで構えていたので、あまりうまく撮れなかったが、それでもバッチリ狸の姿を捉えることができた。どのような危機下にあろうともカメラを手放さない、ピューリッツァ賞ものだろう。

 先日来、手掛けていたネットショップをホームページに擬似開店してみた。フリーのネットショップのソフトをcgiやperlなどを一夜漬けで齧って、ちょっと手直ししてみたのだ。これでその気になればいつでも開店できそうだが、肝心の「その気」の方が・・・・しばらくこのままにして、そのうちに自然消滅か・・・・・・

 このネットショップ、実は小生個人ではなくて、出来れば、地域の活動として、サイト「豊後街道 坂梨宿」でやれたら良いと思っているのである、そしてこのサイトの主宰者も大いに意欲的なのであるが、なかなか忙しそうで実現性のハードルが高そうなので、そのうち出来る環境が整ったらすぐに開店できるように、小生が密かに?研鑽を積むことにしたのである。

 今日も、朝から、笑ったり、泣いたり、泣かされたり、子供たちで一日中賑やかだった


平成20年 4月19日(土)

 晴れ。気温は17℃前後しか上がらず、風も少しあったが、子供たちは元気で、仲間たちのTシャツ姿を見て、娘も半袖を出してくれと母親にリクエストをしていた。仲間同士で遊ぶ楽しさを覚えたばかりで、この週末も朝食を終わるやいなや、友達はまだ来ないかと何度も庭先に出て待っていた。そして一日中遊びまわっていたようだ。5時になったので、解散!と号令をかけたら皆不承不承帰って行った。それにしても、日が伸びたものだ、7時を回ってもまだ空が薄明るい。

 昼から、GYRの所で、ホームページ作成のバリエーションをレクチャーしていたらU村さんから、今、古城のやまなみ道路の坂に入ってすぐの杉林で間伐していて端材がでるけど取りに来るかと電話が入ったので、ひと通りレクチャーが終わってからちょっと寄って軽トラに積んで帰ってきた。今シーズン、もう薪は殆ど要らないので、これからは次の冬に向けてまた少しずつ機会を作っては備蓄していくことになる。

 婆様の頭はしっかりしているが最近の体力の衰えは急で、現在は、夜間はベッド脇にポータブル便器を置いて小用を足しているが、その小用すら出来なくなりつつある。夜中に二三度排尿するようだが、尿意を催して目覚めて、起き上がってベッドから降りて寝間着・下着をおろして便座に座るまでがもう間に合わなくなって、度々寝間着類をビショビショに濡らしてしまったり、床に敷いてある畳にジャージャー漏らしてしまう。小生がすぐ隣で寝ていて気がつけば手助けをするがいつも気がつくとは限らず知らないで寝ていることも多い。ならば一層のこと、夜だけ紙オムツをして寝て、尿意を催したら、もう起きないで、そのまま出してみたら、最近の技術は進んでいるので多分気持ち悪くないと思うよと、勧めて昨夜実行してもらった。

 今朝、昨夜の首尾を聞いてみたところ、一度目はやはり緊張して出なくてポータブル便器を使ったが、二度目はうまく出て、全くベトベト感やジメジメ感は無くて違和感はなかったそうである。とりあえず夜はオムツをして寝ることで落ち着いたようである。

 シビンという手もあるが、これは骨折などして歩けないだけで他は全く正常な体をしているような人向けの器具であって、結構扱いが難しくて排尿時の姿勢やかなりの手や腕の運動能力が必要である。そこで最近では「自動採尿器」という装置が売られているようで、これだと排尿の時にレシーバーをあてがってセンサーが尿を感知するとモーターが作動して管につながったタンクに吸引してくれて、こぼす恐れもないそうである。この方法だと自尊心を傷つける度合いも少なくて済みそうだし家族の介護の負担も減少するのだが、これが結構な値段するらしい。介護認定のどのくらいのクラスだと保険の適用があるかわからないが、少なくとも婆様の現在の等級では多分まだ駄目だろう。

 楽しいことばかり日記に書けると良いが、こういう現実からも目を逸らすことなくしっかりと記録をしなければならないのだろう。


平成20年 4月18日(金)

 小雨のち曇りのち晴れ。昼から気持ちよく晴れる。

 色々やったような気がするが、特に記録するほどのことは無かったようだ。MicrosoftのOfficeのフリーソフト版のOpen Officeをインストールしてみたが、これがフリーかというほど素晴らしいソフトで、Microsoftの独占に相当に敵愾心がある勢力が作ったソフトなのだろう、ちょっと触っただけだが、特に意識しないでMicrosoftのOffice操作方法の通りにやって全く違和感がなかった、自宅に数台PCがある場合は、一台だけはMicrosoftのOfficeを入れるにしても、そのほかのPCはこのOpen Officeで十分すぎる感じがする。

 午後、市の包括支援センターのK佐さんが先月退職されたM垣さんの後任として今日初めておいでになったが、事前に連絡を頂戴していなかったので、小生、生憎出掛けていて婆様だけでお相手した。とにかく散らかり放題の所に上がっていただいたので大変恐縮している。


平成20年 4月17日(木)

 終日雨が降ったり止んだり。今年も柿の葉が芽吹き、柔らかな緑が雨に濡れていた。昼間は気がつかないが、夜になると、越冬した蛙が朗々と鳴き声を夜空に響かせている。

 婆様デイケア。

 午前中、久しぶりにGYRのところに顔を出した際に、高岳の動画配信をやるか、ということになって、昼から改めて設定作業に出かけて、夕方近くまでかかって無事完了する。トラブルもなく思ったより早く終わった。晴れて雲ひとつない天気だと動くものが他にないので動画も面白くないが、雲が湧いたり、霧が立ったりする天候だと面白いライブになると思う。

 猫、一泊二日で去勢手術を受けてきた。猫はカミサンと娘の担当なので昨日二人で内牧の動物病院に入院させて、今日引き取りに行ってきた。生まれて8ヶ月くらいだろうか、最近は結構出歩いているようなので、不埒な行為に及ぶ前に手を打ったのである(少し遅かったかもしれない)。

 たかなにどんどん花が咲きだした。我が家ではここのところ毎日たかなのオヒタシを食べている。ホーレンソーより少し長めに茹でるが、折る時にホクホク折れる茎は太くても柔らかくて甘くてアスパラのような食感である、炒めても美味い。


平成20年 4月16日(水)

 明け方近く、屋根を打つ雨音で、降りだしたなということがわかった。そして量は大したことはなかったがほぼ終日降り続いていた。なんでも、早々と台風1号が発生したそうな。

 今日は、午後から、市役所に出張ってきた日赤の献血カーで献血をした。血圧を測る医師が昨年の血液分析データを見て、健康そのものですねと言っていた、そう、健康優良児なのである(そう言えば最近、プールさぼってるなあ)。

 今日は大威張りでPCの前に座っていた、自宅サーバでネットショップの真似事でもやってみようかと、すこし準備作業などをした。


平成20年 4月15日(火)

 晴れ、気温も21℃を超えてもう暑いくらいだった。

 昨日の薪貰い、今日も昼を挟んで三回往復した。純然たる薪材は一回だけで後の二回は枝葉を運んできた。普通のお宅で、薪だけ頂戴してハイさようならというわけにも行かない気がして、枝葉も全部運んできたのだ、そのうち焚き火にでもすることにした。

 今日は忙しかった、薪運びを終えて引き続いて午後三時から、婆様を宇治歯科に連れてゆく、入れ歯が合わなくなって物が噛めないというので、その調整である、一応今日の調整だけで終わったが多分まだ完全でないかもしれない。

 先日ネットで注文してあった、「飛び出し注意」の標識が留守中に届いていたので、早速セットした。片面が男の子のイラストで反対側が女の子のイラストである。我が家の入口と、少しずれて反対方向から下ってくる露地との両方の道に効果がある場所に置いた(写真1写真2)。これで安全が買えるのなら安いものだが・・・・・

 村の中の小高い山肌に見事な山桜が咲いている、一心行の大桜の向こうを張って、今朝春桜として売り出すから写真を載せろと持主がセカラシイので載せた。が、一心行には少し・・・・というところか、まあ、村内で静かに鑑賞したほうが良さそうである。


平成20年 4月14日(月)

 晴れ、気温も20度近くまで上がり温かい一日だった、今日は全く薪を焚かなかったところ、さっそく雀が煙突からストーブの中に落ちてきてバタバタしていた、今年第一号である。

 婆さまデイケア。

 昼から、予てよりDI局から誘われていた豊後大野市にある無線博物館に二人して出かけた。

 豊後大野市とは阿蘇の隣、大分県竹田市の次に位置するところで、坂梨からはすぐの所にある。

 無線博物館と言ってもHAMのJA6DDO小代隆徳氏が趣味で運営されている私設の博物館である。

 この博物館には真空管時代のOMたちにとっては懐かしい無線機などが所狭してと陳列してある。並べてあるだけでなく、なるべく動く博物館でありたいとのことで、可能な限り展示品を修理して動くように努力されている、今日も実際に基板から回路を書き出しておいでの最中だった。

 DI局も真空管時代のOMなので二人で熱心に蘊蓄を傾けあっておいでだったが、小生はアプレ(完全に死語)で真空管時代のことは知らないので、当時の思い出を共有することは出来なかったが、それでも楽しい時間を過ごすことができた。

無線博物館についてサイトを検索してみたら以下のものが見つかった。
http://homepage2.nifty.com/yama-kai/yama-ml-mail-syoukai/DDO-hakubutukan/ja6ddo-musen-hakubutukan.htm

http://www.coara.or.jp/~mieko/990704musen/990704musenj.htm

http://www1.bbiq.jp/ja6lpw/hp-lpw/newpage10.htm

そう言えば、クラニシが廃業、北辰産業が経営破綻だとかのニュースが流れているが、無線関連の産業がどんどん無くなっている。
写真1写真2写真3写真4

 豊後大野からの帰途、U村義継さんから、いま旧M見内科の庭の桜などの樹を切っているので取りに来いと携帯が入ったので、そのまま直行してとりあえず軽トラ一台分の薪材を積んでから帰ってきた。残りは明日取りに行くことにする。

 GYRの作業小屋の工事が始まった、ちょうど氏のライブカメラの直前での作業なので様子がよくわかる、M工務店の仕事で、工事責任者のI原K治さんはよく知っている人である。
写真1写真2


 婆様に年金振込通知書が送られてきて、後期高齢者医療保険料がしっかり源泉徴収されていた。
 今、後期高齢者医療保険制度が声高に論じられているが、自分のすぐ傍で、しょっちゅう医療機関の手厚いサービスを受けている側にとっては、医療制度を持続的に支えるために受益者が相応の負担をしなければならないのは仕方がないことだと思う、保険料はナシ、あるいは安いに越したことはない、しかしそうすればその不足分は他で誰かが負担することになるのだろう。今回のことは全くの説明不足であることは否めないと思う、そして保険料が極めて無駄なことに使われていたること本当に腹立たしい限りである、が、かと言って野党のいうことには今回の医療制度だけでなくていつも何か胡散臭さを感じる、そういうのは朝三暮四と言うのだろう、そういうのはポピュリズム政治と言うのだろう、とにかく政党の選択肢があまりにもなさすぎる、政治にかかわる連中の質があまりにも低すぎる。

 OfficePersonal 2007のアップグレード版を買った。現在特別優待パッケージ版というやつが出ていて、9,980円ということで売られているが、実際にはそれより更に安く買えた。今まではたとえアップグレード版でも年金生活者にとっては高価すぎて、ずっとOffice 2000のままでやってきたが、どうしてこんなに安くなるのだろうか、思ったより売れないからだろうか。
 あるいは、OpenOffice <http://ja.openoffice.org/> というMicrosoftのOfficeと高い互換性を持つフリーのソフトの存在が影響しているのだろうか。何が適正価格だか分らない。


平成20年 4月13日(日)

 曇りのち小雨降り続く。

 朝、犬の散歩のときに雲雀の声を聞いた、既に鳴いていて気がつかなかったのか、今朝から鳴きだしたのか、中天でのあの鳴き声、ピーチク、パーチクとはよく言ったものである、あの鳴き声にピーチクパーチクと充てた先人のセンスに感心する。

 今日は浄土寺牧で坂梨小学校と坂梨保育園の合同遠足、「お見知り遠足」と言われていてる新入学児童の歓迎の遠足があった。今年は桜が遅れていたのでちょうど桜の見ごろを迎えていた。この遠足、もう何十年もの歴史がある坂梨の伝統行事である。

 伝統行事なので昨年も一昨年も変わらずにあった、ということで内容は同じなので概略は、昨年の日記をそっくり引用することでお茶を濁すことにする。

 「古くは明治末期、大正時代くらいまで遡る坂梨地区の伝統行事で、昔は坂梨全域を挙げての一大イベントであったそうだ。つまり、坂梨地域のほとんど全部の住民が坂梨小学校の卒業生なので、町を挙げてということになる、そういった人たちが浄土寺牧に集まって、子供たちの運動会を応援しながら、子供が居ようがお構いなしで飲めや歌えの大宴会となり、それだけでは終わらずに、浄土寺牧から下る途中の家々には酒席が設けてあり、大人たちはあちらこちらに引っかかっては酒を酌み交わし、山下りてくるのは日が暮れてからだったそうである。最近ではさすがに教育的見地から、運動会で酒盛りはまずかろうとのことで、そのような盛大な酒盛りは無くなったようだが、それでも坂梨地区の春の主要な行事となっている。

お見知り遠足 連続写真 (1/6)全10枚
お見知り遠足 連続写真 (2/6)全10枚
お見知り遠足 連続写真 (3/6)全10枚
お見知り遠足 連続写真 (4/6)全10枚
お見知り遠足 連続写真 (5/6)全10枚
お見知り遠足 連続写真 (6/6)全10枚

 今日は生憎と昼前になってポツポツと雨粒が落ちだしたので、予定を少し変更して午前中で全プログラムを終えて、流れ解散的に昼食タイムとなった。小雨降るなか、テントに入って昼食をとる家族も多かったが、我が家では、一旦帰って、妙法寺で花見を兼ねて昼食をすることにして、留守番をしていた婆様を連れ出して、妙法寺の桜の下での車内花見となった、娘がこの花見を楽しみにしているので中止するわけには行かなかったのだ。
写真1写真2

 夜、宿場會の4月例会、年度総会が坂梨公民館であり役員改選や年度計画について審議した。役員全員留任と決した。


平成20年 4月12日(土)

 晴れ。予報ではもう少し悪くなっているはずだが天気の崩れが少し遅れているか。風もなく気温も20℃を超えて阿蘇は今春爛漫。おそらく南阿蘇の一心行の桜見物の車が渋滞を避けて高森経由で坂梨の交差点に回ってきたと見えて、57号線に出る信号のところで結構つながっていた。

 子供は先週に引き続いて、休みになるのを待ちかねたように村内の仲間たちと一緒に遊ぶために出たり入ったり。子供たちが自転車で道路に飛び出さないよう、ホームセンターから一旦停止用のバーとコーンを買ってくる。更に、ネットでドライバーに事前に注意を喚起するように「子供の飛び出し注意」の看板を注文した。しばらくは落ち着かない日々が続くことになる。
写真1写真2


平成20年 4月11日(金)

 晴れ。今日は暖かくて気温も19℃を超えて桜も概ね満開になったようだ、この週末は絶好の花見日和になると思ったら、どうやらまた天気が下り坂のようだ。

 ライブカメラのメンテナンス、DVDの焼付けなどをして過ごす。

 下を通りかかったら、AJYが先日建てたタワーに登って何やら作業をしていた、大分先行しているな。

ASO安心安全ネットワークで以下のメールが入った。
「題名 : 光化学スモッグ注意報の発令について(訓練)
これは、伝達訓練です。
本日、午後2時15分に熊本県下全域に光化学スモッグ注意報が発令されました。
住民の皆様は、屋外になるべく出ないようにし、目やのど等に刺激を感じた場合は、洗眼やうがいをするとともに、症状が良くならない場合は医療機関で診察を受けてください。阿蘇市役所 市民環境課 生活環境係」

まさかここでこのような言葉を聞くことになろうとは・・・・あの国のせいだろう。


平成20年 4月10日(木)

 昨日の雨を引き継いで今日も終日細かい雨が降っていた。

 婆様デイケア。

 おさんどんを済ませてから、昼までかかって宿場通りのライブカメラのメンテナンスをする、少しグレードアップをしたいと思っておりその準備である。

 昨日が小学校の入学式で、今日が新一年生の初登校日である。待ち受けていると小雨降る中、我が村の精鋭たちの元気な声が聞こえてきたので、我が家の前で記念写真をした。そして新一年生、H君は真新しいランドセルを自慢げに背負って前後を新三年生と新二年生に守るように挟まれながら元気に登校して行った。来年はこの仲間にうちの娘と、N君が加わって村から5人の子供たちが小学校に通う予定である。


平成20年 4月 9日(水)

 予報どおり昼近くから雨になり、ずっと強い雨が降り続いている、明日まで降り続くようである。結構強い風も吹いているが桜はまだ満開に至っていないから乱舞するほどの散りようではない。今日は小学校の入学式だったが、ギリギリ式が終わる頃までは天気が持ったようで良かった。

 午前中、婆様を髪結いに連れてい行く、いつもなかなか連れて行かないので、首筋の髪が伸びすぎて気持ちが悪いし見苦しい、と恨み言を言われているが、病気なら最優先で連れてゆくが、髪の毛が伸びたくらいでは死ぬこともあるまいとついつい後回しになってしまうのである。

 シイタケが次から次に山ほど生って、何度か干しシイタケを作ったことがあるが、消費しきれないほど出来るので、面倒なのでそのままにしていたところ、先日、菜の花さんが見えた時に勿体無いから干すようにと勧められたのを思い出して、今日干しシイタケを作るべく摘み取った。先日頂戴した山菜おこわがことのほか美味で、お聞きしたらシイタケの戻し汁が使ってあるとのことだったので、ウマいものには目がない小生、いくらあっても良いかと、さっそく重い腰を上げたという次第である。

 午後から、半日、神社の帳簿整理などをして過ごす、合間合間に道楽のPC作業、本当のところ、どちらが合間か少し疑問であるが。


平成20年 4月 8日(火)お釈迦様の誕生日

 晴れ、穏やかな日和だった(東日本では低気圧で大荒れだったようだが)。体が少し重いがこれ以上ひどくはならないだろう。

 午後から婆様の病院行きのハシゴに付き合う。温泉病院に末梢神経障害の受診。これは薬を貰うのが主目的、顔面の、本人が言うザワザワ感は一応治まっているので今の治療法を続けることになった。

 その前に、小野医院で目を診てもらう、逆さ睫毛で炎症がおきているので、抜いてもらって目薬を貰って帰ってくる。以上で夕方まで掛かる。

 午前中、食材の買出しついでにふと立ち寄った本屋で、「ネットショップ作り」について書かれたハウツー本を買ってきた。

 ホームページを開設するようになってからインターネットの持つ影響力やインターネットの持つ可能性について色々と感じるところがあり、一方で、地元の農産物などの流通のネックなどについても少し感じるところがあって、それらが相俟ってネットショップについて少し研究してみようという気になったのである。

 これはあくまで「少し研究」であって、すぐにネットショップを開店しようというのではない。そして今日買ってきた本以外にその本屋にはネットショップ開店について書かれたものが無かったので差し当たってこの本を買っただけで、この本が自分の目的に合っているかどうかは分からない。

 小生が考えているのは、せっかく自宅サーバーでホームページを運営しているのだから、どうせやるなら自宅サーバーをベースにしてリスクを限りなくゼロに近づけてやる方法がないだろうかと考えるのである。

 リスクゼロというのは、あくまでも日常のインターネット活動のプラスアルファ部分でやろうというのであって、それを事業にしようというのではない、それで大いに稼ごうというのでもない(出来れば少しは稼げたら良いが)、あくまでプラスアルファなので、売れたら、それは良かった、売れなければ売れなくても良い、売れなければ今のままだからそれで特に損はしないというスタンスである。そうして近隣の余剰農産物、季節農産物の橋渡しができないだろうかと考えるのである、それを自宅サーバー運営の固定費の範囲でやろうと言うのである。

 どんなスタイルでやるにしても、法的にクリアしないとならないことがありそうなので、ネットショップに関しての法令関係についてまず基礎知識を入れておこうというのがこの本を買ったまず第一の目的である。

 そうしながら実際にネットビジネスというものがどういうものかということを体験して学んでいきたいと思うのである。


 以下はこれまでの話とは関係ないハナシであるが、妙に首肯したくなる文章なので載せる。

 ---ある過疎化の進んでいる町、本来、こういった地方こそ過疎化対策、地域活性化のためにインターネットの活用というものに真剣に取り組まなければならないと思うのだが、この町ではあまりにもその意識が低すぎる。

 「ひとつ我がほうでも今流行のホームページとやらを作らないといかんな、時代に乗り遅れるぞ」、「はい、では、業者に注文して作らせましょう」、「お待たせしました、立派なホームページが出来上がりました」、「おう、これは綺麗だねえ、立派だねえ、良かった良かった」で終わっているところが大部分だ。

 本当に大事なのはそれから先なのであるがそれが全く分かっていない、作成を命じられた部下は言われたことだけはやる、つまり業者にホームページを作らせるまではである。それ以上の指示は無いからやらない(まあ、取り締まられ役としてはやむを得ぬところか)。

 その後のフォローについては、大いに上に立つ者、指導的立場にある人間の資質にかかわってくる。そういった立場の人間でインターネットを積極的に活用している人間がまだ少ない、だから作りっ放しでその後の情報が更新されていないホームページがどういう印象を与えるか、どういった効果を生むか(正確に言うとどういう逆効果を生むかであるが)すら分からない。インターネットは使い方で素晴らしい武器になる(しかも金をかけないで)、ということは逆を言うと非常な怖い結果を招くことになる(同じくこれも金をかけないで)ということが分かっていない。下手にホームページを作ったがために、わざわざ地域の停滞具合、不活性化を天下に晒すことになりかねないのである。上に立つ者、指導的立場にある者のインターネットに関する本来の仕事は、ホームページを作らせることではなく、作ったホームページを適正に管理運営させることにあるのである。このような新しい時代に対応出来る世代が指導的な立場に就くにはあと何年かかるだろうか、5年だろうか、10年だろうか。------


平成20年 4月 7日(月)

 明け方あたりから降りだした雨も昼前には上がる。この雨で草花の成長も一気に進むことであろう、そして雑草も。

 婆様、デイケア。施設側でやりくりしてくれて今日から少し遅い「迎え」になったので今日からまた小生の「送り届け」は無くなった。

 午前中、給湯器の清掃をする。ほぼ天然水なのでその分落ち葉などの細かいゴミも多いようでフィルターが直ぐ詰まる。

 今日は一日デスクワークをして過ごす、デスクワークとはPC作業である。ちょっと風邪がぶり返したかな、中途半端な気温というのが気が緩んで良くない・・・・・


平成20年 4月 6日(日)

 晴れ。予定では今日は雨になるはずであったが、予報が外れて暖かい一日になった。外にいてもシャツ一枚で汗ばむほどであった。

 この暖かさで、我が家の入口にある桜がやっと開花した

 今日も、昨日に引き続いて、一日中、子供たちの出入りが頻繁で賑やかな声が響いていた。ただ、夕方になったら解散だぞと約束をさせて、娘の仲間たちは約束を守って帰っていったが、娘が新しい生活スタイルが楽しくてしょうがないようで、なかなか約束を守ろうとしなかったのできつく叱ったところ、延々と大声で泣き続けていた、なかなかの頑固者で、果たして誰に似たのであろうか。

 今日は午前中、種コマを打ったホダ木を裏の竹やぶに運んで立てかけた。ものの本によると、仮伏せ、本伏せといった手順があるようであるが、面倒なので今回立てかけて、「以上終わり」である。現在盛んに生っている椎茸もそうやって育てたので多分大丈夫だろう。二夏を過ごした秋になると収穫できるそうだから、来年の秋になる。

 何時も道楽をする際には、何かしら先にやらなければならないことがありながら、一旦こちらに置いておいて、という風に後回しにして道楽に耽ることが多いが、今日は、ジャガイモは植えたし、椎茸菌も打ち終わったし、で、珍しく直ぐにやらなければならない喫緊の事項が無いので心からノンビリ出来た気がする。


平成20年 4月 5日(土)

 晴れのち曇り。

 午前中、保育園の進級式があり、母子で出席する。

 小生は昨日に続いて椎茸のホダ木作りをする。休み休みで夕方までかかって、都合400個の種駒を打った。
写真1写真2写真3

 午前中、出水の菜の花さん母子がたかな折りに見える、いつもネットで我が家の事を気に掛けて下さっている。以前一度だけ一陣の風のように現れて玄関先で帰って行かれたことがあった。たかな折り、こちらから強要した感もある、今日も爽やかに登場されて爽やかに去っていかれた。肩の凝らないお付き合いが出来そうである。たかなの生育状況は今日あたりがベストな状態だったようだ。ちょっとしたご事情であまり顔をお出しになりたくないということなので残念ながらこの写真にした(この程度でよろしいでしょうか)。

 娘は、保育園から帰ると、いままでは隣家といってもかなり距離があることもあり、家の中で一人で遊んでいたが、今日の進級式が引き金になったかのように(あるいは約束でもしたのか)、突然、村内の同じクラスのN樹君が遊びに誘いに来て、それがきっかけとなって我が家の庭先に村内の5人組が全員集まった(最近は6人組になったが、6人目はまだ一人で遊べない)。敷地内で自転車に乗ったり追いかけっこをしたり、縄跳びをしたり、ボール投げをしたり縦横無尽に走り回って、小生にとって全く新しい経験で、屋外で作業をしていて気になって仕事が手に付かない。今までは材木を積んだり、農機具を適当に置いたりしていても、それに娘が近づく心配もなく、イイ加減で良かったが、娘の活動範囲が広がってさらには近所の子供たちが遊びにやって来るようになると、改めて安全面の注意をしなくてはならなくなる。また勢いよく道路に飛び出すようにもなる、手加減というものをしないので見ていて本当にハラハラする。それ以上に、ようやく娘一人の親としては慣れて来たが、集団の子供たちを扱うことには全く慣れていないのでドッと疲れた、これから益々こういった機会が増えることになるのだろう、いやはや。

 一方、娘は娘で、いままでは家の中で遊びに関しては自分が中心だったが、集団の中にはいるとそうは行かずに服従や協調や譲り合いなど友達関係の中で学んでいかなければならず、今日も結構戸惑ったりむくれたりしていた、これからどんどん錬われることになるのだろう。保育園でそういったことは既に学んでいるかと思ったが、先生の保護下での集団生活と、遠慮会釈の無い力関係が幅を利かす仲間たちとの間では随分と勝手が違うようである。とにかく女はうちの娘だけだから、これから大変だ、どうせなら卑弥呼になれよ。
写真1写真2写真3写真4写真5

 阿蘇山、火口の赤熱現象の表面温度が(いつからかは聞かなかったが)一番高くなっていて、孤立型微動も増えているそうである、近いうちに何か起きるのだろうか。


平成20年 4月 4日(金)

 晴れ。昨日より気温が高く過ごしやすかった、風邪もなんとか引かずに済んだようだ。

 昼から、クヌギに椎茸菌を打ち込んだ、今日はホダ木を5本作ったところで婆様の病院行きの時間になったので明日また続きをする予定である。今年作ったホダ木には来年の秋以降椎茸が生えてくる、一年半先のことになる。 

 婆様、定期通院、夕方出かける。朝より午後からの方がすいていると思ったが、今日はいやに混んでいた。GYRと病院でばったり、薬だけ欲しいのに待ち時間が長くてとこぼしていた。

 e-TAXでやった確定申告の還付金が振り込まれる、自分の金とは言え、まとまった金額が入るのは有り難い。e-TAX、システムの完成度は極めて低いが、証明書の添付などがいらないので慣れると便利だ。


平成20年 4月 3日(木)

 概ね晴れ。

 婆様デイケア。

 今朝は3時前に目が覚めて、そのまま起きてしまった。10時頃には寝ているので5時間近くは寝ている計算になり決して睡眠不足ではない。

 本日の最高気温は15℃近くあったようだが、風邪引きと健康体との境界あたりをウロウロしている感じで寝込むほどではないが体調がイマイチ、厚着をしていてもなんとなくゾクゾクする風であった。

 そんななか、昼から昨日のやり残しのジャガイモの植え付けをする、土の状態が今日もまだ良くなかったのに加えて、体調が体調なので能率が上がらずにようやくやり終えたと言うところである。

 本日は、メイクイーンを二畝、都合60株を植えつける。


平成20年 4月 2日(水)

 曇り。寒い一日だったなあ。日中の気温は10℃くらいで、決して寒いという気温ではなかったが、今の時期はもっと暖かくても良い頃で、今日は風が少しあるところに薄着で畑仕事をしたので特に寒く感じた、おかげで鼻水が出て困った、もしかしたら風邪引いたかもしれない。

 今日の畑仕事、ちょっと遅れているだろうか、あるいはまだそんなでも無いだろうか、ジャガイモの植え付けをした。しかし、まだ土が水分を多く含みすぎていて、耕しても土が団子状になって、キメが細かくならず、培土器で畝を作ろうとしても抵抗が大きすぎて機械が思うように動かずで、男爵だけ植えて今日の作業は終わった。一畝に31株で二畝で都合62株植えた、メイクイーンは明日だ。草取りなどの後の作業をやり易くするために意識的に畝の間隔を広く取った

 今日気がついたが、ツバメが飛んでいる、何時来たのだろうか。我が家にツバメが巣を作ってくれないかなと家族で毎年話しているが、ツバメも昔からある日本家屋の方を好むだろう、なかなか作ってくれそうにも無い。


平成20年4月1日(火)

 カラリというわけには行かなかったが、穏やかに晴れる。

 殆んどの分野で新年度である。

 仏壇の水換えは昔から婆様の仕事になっていたが、最近体が思うように動かずにママならない状態が続いていたが、寺さんが仏壇と神棚の水換えを毎日欠かさずにやっていることを彼の日記で知ってから、そうか、これは当主の務めだなと自覚して最近では、小生が仏壇と神棚の水換えを毎日やっている(時々忘れる)。一日と十五日には神棚のお神酒を換えるそうだから、小生も今朝はお神酒を換えた。我が家の神棚のお神酒徳利は対で二本あって結構入るので十五日置きに換えるのは勿体無いねと言ったところ、寺さんは少しだけ供えるそうで、あとは生き神様が呑むそうである、我が家はその生き神様がいないが、やはり勿体無いので、徳利に三分の一くらい注いで勘弁願っている。

 新年度、娘は今日から年長さんだ、やはり自覚があると見えて、張り切って登園していった。そして今まで年長さんが使っていた教室に嬉しそうに入っていった。
写真1写真2(何かパフォーマンスをやりたい年頃らしい・・・犬まで尻を向けていやがる。)

 今日から国民健康保健の被保険者証が今までの大きな様式からカード式になって個人ごとに交付されるようになった。婆様は後期高齢者医療制度に基づきそれ用の保険証が交付されている。小生や娘は退職者医療制度に基づいた保険証で、カミサンは職域で健康保険に入っているのでまた別の保険制度の適用を受けている。政府管掌の健康保険は以前からカード式になっているようだが、我が市の国民健康保険がカード式になったのは今回からである。また退職医療制度が廃止されたそうで、小生の場合は誕生月の来月5月いっぱいでまた普通の国民健康保険の被保険証に変わることになっているようである、退職者医療制度と普通の国民健康保険との間にどのような差異があったか知らないまま過ごしてきた、複雑である。

 厚生労働省は1日、この日にスタートしたばかりの75歳以上を対象とする「後期高齢者医療制度」の名称を「長寿医療制度」に変更すると発表した、そうな。

 「75歳以上を後期高齢者と呼ぶのは失礼」なという世論の批判に大慌てで変えたらしいが、多分、本質からかけ離れたそういった議論が起きるだろうと予想していたところ、案の定、如何にも日本である。


 これはハッキリ言って小生に関しては無駄遣いである、レーダー探知機を買った、車に取り付けてネズミ捕りなどを事前にキャッチするやつである。小生は運転暦ウン十年、一度として捕まった事が無い、決して法定速度を守って走ってきたわけではなく、(大きな声ではいえないが)飛ばすときは飛ばす、ウン十年間たまたま運が良かっただけだろうが、そんなわけでレーダーも今まで必要も無く、取り付けたこともなく、全く知らなかったが、最近、周囲でレーダーの話が出たりして、どんなものだろうと興味を持った、3K程度の安価なものだから話の種として買った次第である。電波に関するものでもありもともと嫌いじゃないし、というわけである。

 早速取り付けてホームセンターまで買い物に出かけたが、警察署の前の道路に警察官が一人棒を持って立っていたが、そのあたりでアラームが鳴った、取り締まりに関するアラームなのか、近くの商店の自動ドアの漏洩電波か分からなかったが、とにかく鳴った。更に滝室坂を登ったところにあるオービスが反応するかどうか、わざわざ試しに行った、これは鳴らなかったが、休止中だったのかどうか分からない、いずれにしてもわざわざ行くなんてバカだねえ。

 夜、保育園の新任の園長先生の挨拶が引継ぎを兼ねた保護者会の新旧役員会であった、F澤園長は波野地区の保育園から来られたそうである。


 ガソリンの暫定税率が期限切れで、このあたりではJA系のスタンドだけが25円ほど値下げして売っていたそうである。



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