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平成20戊子(2008)年5月の記録(新しい日付けの順)

平成20年 5月31日(土)

 予報では、もう少し降るかなと思っていたが、朝には地面が濡れる程度で上がっていた。暑からず、寒からず(というのも変だが)、実に気持のよい一日で、農作業には打ってつけの気候だった。

 娘は待ちに待った週末で、いつもの仲間たちと遊んでいたが今日は主に仲間たちの家の方に遠征して、夕方帰って来て満足そうに水筒の水を飲んでいた。

 カミサンが珍しく刈払機で草刈りをやっていたので、小生も急に思い立って、畝を一つ作った、そしてホームセンターで、トウモロコシ、レタス、キャベツ、オクラ、ミニトマトの苗を少しずつ買ってきた。我が国の食料自給率を少し上げようという気分になっている(というわけでもないが)。

 その畝を作る培土器のエンジンがかからなくなって止むを得ず手作業でやったが 畑仕事を始めたころは、畝を作ってマルチを張るのが非常に重労働に感じていたのに、最近は慣れたせいか、苦もなく出来るようになった。

 今日は能率が上がって、畔切りまでやった、田植えが終わったばかりで、畔切りした草が田に落ちるので、まだ完全に活着していない稲に悪い影響を及ぼすのでは、と気になって草刈りを控えていたが、S賀さんが畔切りをやっておいでだったので、大丈夫なのだなと思って小生も我が家の縁の畔切りをしたのだ。

 今、足元の草むらにヘビイチゴがたくさん生っている、このヘビイチゴは(不味くて)食べられないが、同じくそばに草いちごもたくさん生っている、葉の形も実の大きさも違うので別種だと分かるが、この草いちごは甘くて美味しい、こんなに沢山あるとは今まで気がつかなかった。


平成20年 5月30日(金)

 晴れ。ゴミゼロの日だったろうか、妙に覚えている。

 毎年トマトの芽掻きを習うがどうも覚えきれなくていつもいい加減になってしまう、今朝、たまたま本職のS司さんが立ち寄られたので、しっかり聞いて、今度こそようやく分かった、今年は立派なトマトをつくる

 トマトの畝に少しまだ余裕があるので、苗を一株買ってきて定植した、ついでに娘の畑用にスイカとカボチャの苗を一株ずつ買ってくる。

 昨年の掘り残した里芋から固まって芽が出ているので、今日株分けして移植した、マルチを張っていないの雑草取りが大変になる。

 グミが色づいてきたじゃがいもが順調に育っている。

本日、3000m、66.3。

平成20年 5月29日(木)

 昨夜はかなりまとまった雨になったようだが、前期高齢者はとっとと寝てしまったので、雨音には気がつかなかった、ただ、真夜中に防災無線から大雨警報が出された旨の放送が流されているのを夢うつつに覚えている、真夜中だと思ったが世間ではまだ宵の口だったようだ。

ASO安心安全情報
題名 : 気象通報
22時55分に大雨洪水警報、雷注意報が発令されました。

題名 : 気象情報
4時10分に大雨洪水警報が解除されました。
なお、現在、大雨、洪水、雷注意報が発令されています。

 そして朝には上がって暑い一日になった。

 今日は午前中、阿蘇を下って菊陽町まで軽トラックの法定点検に出かけた、今まではディーラーの近くにはパチンコ屋しかなくて、残念ながらパチンコの素養の全く無い小生にとって、待っている間は時間を持て余し気味だったが、最近、道路(R57)を挟んで真向かいにホームセンターが出来たので大いに助かる。

 昼少し前に帰ってくると、デイケアセンターから電話があり、婆様が体調不良を訴えるので、デイを中止して同じ建物内の病院の方の診療に切り替えましたからとのこと、昼飯もそこそこに病院に行って、息苦しい、頭が痛いなどと言うので、胸のX線を撮ったり、血液検査をしたり、点滴をしたりで結局夕方まで付き合うことになった。結果は、特に悪いところは無いと思いますが、気持ちを楽にする薬を出しましょうということで、チャンチャンである。傍から見ていると多分そうだろうとは思っていたが、本人にとっては深刻なのだろう、結構我儘にもなるし、「しっかりしろよ」と思わず声を荒立ててしまいがちになる。子どもにとって最大の庇護者であり、慎ましくて、そして何者にも立ち向かう強い存在だった幼い頃の母親の思い出がこの歳になっても残っていて、こんな弱い母親じゃなかった、というじれったさが心のどこかにあるのだろう(反省反省)。


平成20年 5月28日(水)

 大陸方面から大きな雨域が近付いているようで、午後に入って雨になり、夜になって大雨になっている、この雨は明日までかなりまとまって降るらしい。このまま梅雨入りしそうな勢いである。

 今日も雀が落ちてきて、追い出すのにちょっとばかり梃摺(てこず)った。

 プール3000m、67.1。

 夜おさんどんで、豆腐屋のブログにあった、豆腐トンカツを作った。婆様は昔からトンカツは大好きだったが最近は歯が駄目で食べられないので、豆腐トンカツなら食べられるだろうと思ったのだ、豆腐に薄い豚肉を巻いて揚げるので、まあダイエットにもなる。婆様にも娘にも好評だった、この味ならお客様に出せるねえと婆様。初めての料理で見栄えが悪いので写真は撮らず。


平成20年 5月27日(火)

 晴れ。会う人ごとに、暑くなりましたねえ、という挨拶が交わされるような、そんな一日だった。

 婆様、温泉病院、定期通院。最近、お陰様で、長年苦しんでいた顔面の末梢神経障害による不快感は無くなったようだが、依然として眼瞼下垂(がんけんかすい)症状が取れないと訴えているが、手術という手もないわけではないようだが、婆様の場合、本を熱心に本を読んだりする場合はそういう症状も現れず、他の所見からも、多分に神経的なものだと思うので、もうこれ以上薬を増やすのはやめて、のんびり気持ちをさせるように努めてくださいということで、いつもの薬を貰って帰ってくる、小生も全くの素人ながら同意見である。92歳にもなって眼鏡も掛けずに次から次に文庫本を読破していること自体驚異的なのだから。

 保育園の帰り道、古閑医院に寄って麻疹と風疹の混合ワクチンを打ってもらう、本来は一度で良いということだが、近年の流行で二度打つことができるらしくて、小生はよく分からないが、カミサンが連れて行けというので、ハイと言って今日連れて行ったのだ。娘、赤ん坊の時から不思議と注射で泣いたことはない。今日も、看護婦さんの介添え無しに自分で腕を出して打ってもらっていた(小生は、看護師さんとは言わずに看護婦さんと言いたいのだ)。
写真1写真2

 65歳になって前期高齢者になったが、健康保険のほうも、退所者医療制度の廃止により、4月に新しい被保険者証が送られてきたばかりなのに、65歳を機に普通の国民健康保険の被保険者証が送られてきた(娘の分と二枚)、我が国の医療制度は本当に複雑である。


平成20年 5月26日(月)

 晴れ。開け放した窓から気持の良い風が吹きわたっていた。熊本市内などでは真夏日になったところもあったようだ。

 前期高齢者は早起きなので、皆がまだ寝ている間に起きて二階に上がってきたところ、昨日のスズメが姿を現してバタバタしていた。昨日の昼頃から今朝まで家財の隅っこで息を殺していたのだろうか、疲労が回復したのだろうか、とにかく生きていた、すぐに窓を開放してやったら元気に飛び出していった、気になっていたのでホッとした。

 婆様、デイケア。

 馬場八幡で狂犬病の巡回予防注射があった。毎年、ボンはなかなか大人しくしてくれず全身全力で抵抗する、注射を打ってもらうのもひと騒動である。とにかく今年も何とか打つことができた。
写真1写真2写真3写真4

 昼頃、久しぶりにGYRが顔を出した、財政力が裏付けとなる自治体の住民に対する福祉サービス格差が今まで住んでいた所と比べて思った以上にあって、特に常時ケアを必要とする夫人がいるのでそのことを強く感じるとイカっていた。いわゆる地域間格差というやつで、熊本県は全国レベルではどうなのだろう、高負担高福祉、低負担低福祉ならまだ分かるが、高負担低福祉なのは納得いかない。

 夕方5時前、瀬戸の中根さんから突然電話があって、今、近くまで来ている、これから黒川温泉に行くが、ちょっと寄って良いかとのこと、中根さんはインターネットがご縁でお付き合いが始まった愛知県瀬戸市の方である(中根さんとのそもそもはここに書いてある)。

 今回は、鉄道を利用して中根さん、兄上と姉上との三人旅だそうで、更に昔の同級生が個人タクシーをやっておいでだとのことで、熊本からその方の車で今回の阿蘇旅行をされているとのことであった、そう言えば、中根さんは阿蘇町のご出身だった、ということは三兄姉妹皆さん阿蘇のご出身ということか、ゆっくり話をしたかったが、時間が無いからと、庭先だけでの立ち話ですぐに発たれた。


平成20年 5月25日(日)

 気持ちよく晴れる、薫風の五月というところか、数年前に工芸滝室から移植したあやめ(か、カキツバタか)の花が盛りを迎えている。

 早速子供たちが元気よく騒いでいた。

 開祖、日達上人の二十四回目の追孝報恩会が我が豆札の日本山妙法寺で厳かに執り行われ、小生も真の信者ではないが、村輩出の偉人に敬意を表するためお参りをした。
(写真1写真2写真3

 先日、GYRの煙突にスズメが落ちたばかりだが、今朝は我が家の煙突にもスズメが落ちてストーブのなかでバタバタしていたので、捕まえて写真を撮ろうとしたところ、掴み方が弱くて何度も手のひらから逃げ出して、そのたびに家の中を飛び回っているうちに、色々な物が積んである家財の隅の方に逃げ込んで、とうとうそのまま出てくることがなかった、疲れ果てて動けなくなったのだろうか、気の毒な事をした。あちらこちらの窓を開けておいたので、知らない間に飛び出したかもしれない。天井の一番高い所にとまったところを写真に撮ったが、ストーブの煙突のそばの簡単に手が届かないところなので、ゴミだらけになっていることが図らずも分かってしまった。


平成20年 5月24日(土)

 弱い雨が、午後に入ってまとまった雨になった、梅雨のはしりというやつだろうか。。

 今日は雨なので、子供たちの行き来もなく、静かな週末だった。娘は、母親を手伝って拭き掃除などをしていたが、ふと見るといつの間にかもう幼児から少女になりかかっている。

 小生も読書三昧などで過ごす。


平成20年 5月23日(金)

 うす曇り、雨に向かいつつある。昨日だったか、沖縄地方が梅雨入りしたそうだ。

 今日は、小生にしては少々睡眠不足も重なってちょっと疲労気味である。

 本日3000m、66.7。


平成20年 5月22日(木)

 晴れ。

 田植えが終盤を迎えつつある、それでも遅いところは徹底して遅い、同じ阿蘇のこの地域でも田植えが早いところと遅いところではひと月くらいのずれがある、まだ水の入っていない田もある、トマトだとか畜産だとかの他の家業の都合だろうか。

 阿蘇谷を取り巻く山も見るからに笑う季節から滴る季節にと変わってきており緑が非常に濃く深くなってきた。そして阿蘇では今、茶摘みも始まっている、我が家にも少し茶の木があるが、ここに来たての頃、面白くて茶摘みをして近くの製茶工場に持ち込んで茶にしてもらったこともあったが大した量にもならず、今では垣根代わりになっている。

 福原(もしかしたら下町だろうか、昔の地名を後から出来た国道が分断しているのでちょっと自信がない、多分福原で間違いないだろう)のU村さんが、皆さんでご自宅の菜園で茶摘みをされているところを通りかかったので写真を撮らせていただいた。後でそのなかのお一人が話しかけてこられて、伺ってみると、H19.10.30の日記に書いてあるが、青森県六ケ所村の「ミニ地球」からメールを頂戴したエコノートのAさんの母上で、さらにU村さんの御親戚だということだった、いやあ世間は狭いなあと改めて感じだ次第である。

 余談だが、前の方で、阿蘇谷を取り巻く「山」と書いたが、本当は山ではない。我々が住まいする阿蘇谷から周囲を見渡すとグルリと「山」に囲まれている、それを一般的には外輪山と言う。しかし山だと言う以上はこちらから登れば頂上の向こうはまた下っているはずであるが、外輪山は下っていない。山と見えるのは実は壁である、だからこちらから「山」に向かって登り切るとその向こうには広大な平野が広がっているのである。外輪山を単に外輪と呼ぶ人がいるが、その方が正しいのかもしれない。

 今日は3000m、昨日5000m泳いだので3000mという距離が全く苦にならず、楽に泳げた、水にも楽に乗れた、3000mを85分かけて泳いでいたが、今日は80分だったので、楽だったことが数字にもなって顕われている。66.2。


 あぜり庵(プール施設の敷地内の野菜などの物産販売所)で地キュウリの苗を二株買ってきて定植した。地キュウリの「地」は地元の地だと勝手に解釈している。一般的なキュウリの何倍も太くて、まるでウリのようなキュウリである。ここに来たてのころは、ぬか漬けには全く向かず、この辺りの人は変なキュウリを食べるのだなあと不思議に思って、我が家では敬遠していた。そもそもこの辺りではぬか漬けの食文化が無いのではと思っている、これも勝手解釈である。ナスにしても、子供用のバットくらい太くて長い、とてもぬか漬けには出来ない、苗屋さんに売っているナスの苗も全部が全部と言ってよいくらい長ナスの苗である。

 しかしその地キュウリは肉厚なのでキュウリモミなどにすると非常に美味しい、またこのキュウリにドレッシングをかけて食べると山ほど食える、ドレッシングのカロリーを計算に入れても低カロリー食である(と思っている)、というわけで、今年は普通のキュウリに並べて地キュウリも植えることにしたのである。(確か、大きいナスやキュウリの話は以前、日記に書いたことがあり、それに対して阿蘇坊主殿から太いナスなどのぬか漬けの方法についてコメントをもらったような気がするが・・・・・・)。

 カミサンのノートの無線Lanの設定、ようやく解決する。小生の全くの勘違いだった。我が家の無線ルーターは電波が家屋内(広く見ても敷地内)しか届かないことが分かっているので全く規制をかけずに使っているとばかり思っていたので、ルーターのセキュリティ設定を調べることをせずに、ノートパソコンの方の設定ばかり調べていた。そして何気なくルーターの設定を見てみたところMACアドレスを指定して繋がるようにしてあった、道理でつながらなかった訳である。


平成20年 5月21日(水)

 快晴。

 我レ本日ヨリ前期高齢者トナレリ。

 最近「後期高齢者」という言葉をよく耳にする。「後期」と言うからには、「前期」と呼ばれる高齢者があるのかと思って調べたところ、ちゃんとあった。65歳から74歳までを「前期高齢者」と言うらしい。とうとうその前期高齢者になってしまった。

 60歳になった時には、「これが世にいう還暦だなあ」「これで年金がもらえるなあ」「 映画をシニア割引で観られるなあ」などと一つの節目に感じたが、61歳、62歳、63歳・・・それ以降は単に一歳づつ加齢したに過ぎないと特に何も感じなかった、そして65歳も本人自身としては、今流行りの言葉としては、自分的には同じ流れのつもりであった。ところが、今月に入ってすぐに市から封書が届き、そのなかに「介護保険被保険者証」が入っており、婆様の保険証の切り替えかと思って見てみると、小生の名前が記されていた、これにはドキッとした、思わずうろたえた。そうか高齢者なのか。なんだか無理やり年寄りにされてしまったようで正直あまりいい気持はしなかった。今まで後期高齢者という呼ばれ方はケシカランというお年寄りたちがいると聞いて、75歳にもなればもう後期だろう、文句言うほどのことかと思っていたが、なんとなくそういった人たちの気持ちが分かるような気がする。現実と自覚とのギャップが大きすぎるのである、この被保険者証は抽斗の中行きだ、当分出番は無いぞ。

 というわけで、今日は意地で5000m泳いだ、実は、昨日のうちに、今日は4000mを泳いで、どうだ!と言うつもりだった。そして泳ぎながら考えた、4000mはどうもキリが悪い、どうせなら5000m泳いでみようか、いやいや5000m泳ぐのなら65歳にかけて6500mにしようか、そのほうが形になるな。結局5000mが限界だった、最後の1000mはもうヘロヘロ、息継ぎは全然苦しくないのだが手足が動かない、ようやくのことで5000mを泳ぎ切った、まさしく「年寄りの冷や水」である。65.3。

小生の誕生日と武藤の母上の命日が一緒だ、もう丸8年になるか。

 今晩はカミサンがシャッターを押した



平成20年 5月20日(火)

 気持ちよく晴れあがる。阿蘇は五月晴れだった、片やメイストーム、首都圏が大荒れだったようだ。台風四号はまだずっと南のはずなのに、いかにも東京偏重、ちょっと雨風が強いくらいで全国ニュースで流しおって、そんなニュースなんか首都圏ニュースで流せよ、と思って見ていると、これが結構な嵐のようで、台風四号も絡んで気圧配置の関係で大荒れになったようである、台風だとはっきり分かっていれば皆警戒して、それなりの準備もするだろうが、そういった覚悟がなくて嵐に合ったとういう感じで通勤通学客が右往左往している様子が画面に流れていた、こんなこともあるのだ。

 本日も3000m泳ぐ、66.4。

 今日はネタが無いので、どうでも良いことを書く(尤も、いつもどうで良いことばかりではあるが)。今晩はカミサンの都合でおさんどんをする。今の季節はグリンピースを売場でよく見かけるので、小生がおさんどんの時は何度か豆ご飯を炊いている、それと大体カツオのタタキがセットの場合が多い。カツオのタタキはすでに表面を炙って刺身になって売っているやつを小生風にアレンジする。ニンニクとショウガをすりおろしてポン酢をたっぷりかけて、おおばやニラをみじんにして振りかけて、二〜三時間置く。娘も大好きである、飲兵衛でなくてもウマいのだ。今日は売り場に刺身用カツオ一尾が900円で売っていたが、一尾買ってきて自分で下ろして、バーナーで炙ってタタキを作ろうかと思ったが小人数なのでやめた。味噌汁は里芋と大根が具である。里芋は宮崎産の新物とあったが、本当だろうか、もう新物が出る季節か。


平成20年 5月19日(月)

 弱いながら予報通り雨になった、昨日のうちに畑仕事を一通り済ませておいてタイミングが良かった。

 婆様、体調不良とのことでデイケアを休む、だんだんこういうことが増えていくのだろうか。

 カミサンのPCのメンテナンスを一日中やっていたが、どうして無線Lanがつながらないのだろうか、さっぱりワカラン。

 以前、じっちゃいが豚の軟骨の煮込みを作って持って来てくれたのが美味かったので、レシピを所望したところ、「教材」まで添えてレシピを送ってくれていた、もう三月ほど前のことだ。なかなか機会がなくて延び延びになっていたが、今日、時間が取れたので挑戦した。男の料理なので、何事もアバウト、アバウトであるが、おかげさまで立派に出来上がった、あんな太い骨がゼラチンのように柔らかくなるので婆様も喜んで食べられる。下ごしらえの段階で一時間ほど圧力なべで煮て、その煮汁は全部捨てるので、悪い脂分は全部出尽くすのではないだろうか。
写真1写真2


 ここでも地デジの試験放送が始まったらしい、そして来月から本放送になるらしい。我が家には関係ないから「らしい」である。技術には非常に興味があるが、いくら技術が素晴らしくても、流す番組がそれに伴わず相変わらずのバカ番組ばかりでは強いて欲しいとは思わない。

久しぶりの娘語録
 今日、保育園で「いっぽぷものがたり」のテレビば見たバイ。どんな話ね、オオカミとキツネが出てくる話しタイ。(たぶんイソップ物語だろう)。

 「昨日、ふれあい動物公園で、ビンボ大会があったつバッテン、景品が当たらんカッタア、Uチャンと、ビンボ大会より、リンゴ大会と言った方が面白かケン、リンゴ大会と言うとバイ。(これはビンゴ大会のことである)。


平成20年 5月18日(日)

 晴れ。

 今「阿蘇の花の祭典」と銘打って、つつじ祭りを始めとして色々なイベントが催されている。今日も、「ふれあい動物ランド」が阿蘇神社わきで開かれて、娘はカミサンに連れられて出かけて行った。

 小生は、娘と約束してあった、娘専用の畑を作ったりがあったので出かけなかった。

 午後三時から、宿場會で以前植樹した桜やモミジなどの植栽の殺虫剤散布と肥料やりが有志が参加して行われた。殺虫剤散布組と施肥組と二班に分かれて坂梨各所の植栽を回った。我が家の入口にも桜が植わっているが、柿の木にもそろそろヘタ虫が発生する頃なのでついでに殺虫剤を散布してもらった。
(写真1写真2写真3

 強い日差しが無くなってから、カミサンと娘が昨日作った畑に、トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、ニガウリの苗を定植した。娘も先日保育園からもらってきて仮植えしてあったカライモの苗を自分の畑に定植していた。
写真1写真2

 ここのところ矢継ぎ早に台風が発生している、この時期に日本にはやって来ないだろうと思っていたら、4号がまっすぐに日本列島に向かっている、ただあちらこちらの台風情報を見ても、今回はどう転んでも九州にはやって来そうにはないようで、安心している、多分、日本列島を掠めて行くと思うが、また嫌な季節がやって来ていることに間違いはない。

平成20年 5月17日(土)

 晴れ。夏日までにはならなかったが、それでも屋外作業にはこたえる暑さだった。

 今日は、朝食前に、通りに面した路肩の草刈りをした。そしてゆっくりのペースだったが、一日かけて、短い畝を四列つくり、マルチを張って、キュウリ類のネットを設営した。このネット、昨年使ったネットをたまたま分解せずに放置しておいたので、今年も少し補強して、そのまま使うことにした、一から組み立てるとなると、ネットをピンと張るのが意外と面倒なのである。四列の畝の一本はトマトハウスの中に作った、小さなハウスなので、今年は一列だけにした、昨年は欲張ってハウス内に二列、畝を作ったので最後の方は繁茂しすぎて手に負えなくなった。

 昼過ぎ、宮崎のじっちゃいが熊本での泊まりがけの治療が終わって帰る途中にちょっと寄ってくれた。

 娘は、例によって村の仲間たちと一日中飛び回っていた、今日は日差しが強かったので、鼻の頭を真っ赤にしていた。N樹のお母さんに図書館にも連れていってもらったようだ。


平成20年 5月16日(金)

 晴れ。ようやく気温が戻ってきたようだ。

 午後、福祉器具販売のA屋のY亀さんが注文してあった 自動採尿器を届けてくれた。

 この自動採尿器、説明に「尿意はありながら、トイレへの移動に時間のかかる人や介助者の援助が必要な人が、おむつに頼らずに、より自立した形で排尿を行なえるよう支援する。排泄は人間にとって羞恥心やプライバシーにかかわるデリケートな問題。自立度の高い排泄を行なうことは、尊厳と自信を回復し、自立の促進につながる。」とある、まさに婆様の場合これに該当する。

 最近はトイレが間に合わず、さらにポータブルトイレさえ間に合わないことが多くて、夜など紙おむつをして寝ているが、どうしても紙おむつに馴染まないようで、悩んでいた。

 そして、小生が気がつかずに読み飛ばしていた週刊誌の広告を覚えていて、これは使えないだろうかと言う。調べてみると結構高価なものなので、要支援2程度では駄目だろうと思っていたところ、小生の日記を読んだある人が、介護保険の「特定福祉用具」として、個人が1割負担(ということは保険で9割見てくれる)で買える有難い制度があることを教えてくださったのだ。

 今日の納品には包括支援センターのK佐さんも立ち会われ、自動採尿器の利用実績が管内でまだあまりないようなので、興味を示され今後のケアの参考にしたいと、婆様の使用感を報告する約束をする、これは責任重大である。

 後刻、尿意を催して早速使用に及んだが、緊張していて駄目で、最初の一回目は断念、そのまま我慢をしていて、どうしても我慢できなくなって、小生の立会いのもと、再挑戦、ようやく成功した。この装置の優れた所は、尿を感知すると自動的に吸引が始まり、排尿し終わると自然に止まる、ただの水だとセンサーはスイッチが自動的には入らずに、尿の場合は自動的に尿だと判断するらしい。シビンと違ってこぼれないのが好い、あとは如何にレシーバをスムースに「ドレン」部分に宛(あてが)えられるかであろう。

 本日、ずいぶん久しぶりに3000m泳ぐ。プラス1000mの違いは大きい、かなり泳いだなという疲労感があったので、やはり2000mでは効果がないのだろうか。そのせいかどうか67.0、マイナス0.7が1000m分のエネルギー消費量か(まあ、そんなこともあるまいが)。


平成20年 5月15日(木)

 晴れ。今朝、阿蘇谷は深い霧に包まれた。

 婆様、デイケア。

 なかなかタイミングが掴めずにようやく今日、竜一さんの所に持って行って軽トラックのスタッドレスタイヤを普通のタイヤに履き替えた。

 固定資産税、国民健康保険税、軽自動車税、自動車税を納める、年度替わりをしたばかりの先月は何もなかったが今月になって一度にどっと税金がやってきた、懐に応える。

 昼、プールへ、2000m、ようやく楽に泳げるようになった、67.7。


平成20年 5月14日(水)

 晴れ。本当に肌寒い日が続く。

 今日は2000mをノンストップで泳ぐが、まだやっとのことで泳いでいる、67.7。

 宿場度通りの動画がやっと安定して動き続けているようだ。今日は娘を保育園に迎えに行って、その帰り道に豆腐屋に軽トラックを停めて、カメラの前で「しんみせ」の主と話をしているところを、タイマーを使って撮ってみた、その際にしんみせから出てきた軽トラックは馬場のN川T男さんである、午後5時過ぎの映像であるが、単なる試し撮りで、ファイル数が大きいので、わざわざ見るほどのものではない(意味もあまり理解しないまま、24Mを8Mに圧縮した)。
街道風景録画


平成20年 5月13日(火)

 曇り、一時雨、のち、晴れる。今年は気温が低い日が続いている、今日も防災無線で、低温に関する田植えの注意放送が流れていた。

 久しぶりに、本当に久しぶりにプールへ行く、行かない癖がついていると、だんだん敷居が高くなって行きにくくなるものである。

 かなりのブランクがあるので、最初、500m泳いだだけで息が上がったが、500mを二本泳いだあとで1000m泳いでようやく調子が戻ってきた感じがした、しかし大分体力が落ちているのが分かった、普段チンタラチンタラ泳いでいてもそれなりに体が出来ていたのだ。体重が67.6キロになっていた、また元に戻すがのが大変である、明日から無理に時間を作ってでも通うことにする。

 夜、宿場會例会が坂梨公民館であった。


平成20年 5月12日(月)

 まあ、ようやく晴れたかな、という程度の晴れだった。

 婆様、デイケア。

 朝一番で、稲の苗が届く。と言っても小生が田植えをするということではなくて、我が家の横手の田(手前の広い水面ではなくて、その上の田植え機が停まっているあたりである)に苗を運び込むのに、庭先を突っ切って運び込んだ方が近道だから毎年、軽トラックでS賀さんが苗を運び込まれるのである。だから昨日のうちにあわてて軽トラックが通るだけの幅、草を刈っておいた。そして我が家のこのくらいの田も今日田植えが終わった

 小生は、畑つくりをした。例によって畜協でバケット一杯の堆肥を買って、堆肥を鋤きこんだ

 娘が、昨日、自分にも畑を作ってくれと言う。隅っこの方に小さなやつを作ってやると言うと、お父さんはズルイ、お父さんはあんなに広い畑があるのに自分のはこんなに小さいのか、と心から不公平であるとばかりに抗議するのである。あたかも菓子の分配のように思っている。

 そうじゃないよ、お父さんは出来ればもっと少しで良いのだけれど仕方がなくやっているんだよ、オマエが全部欲しければやるよ、というとウン全部自分がやる。そう願いたいところだがそんなことできるわけがなく、とにかく今度の週末、綺麗に作ってマルチを張って「夏子の畑」とカンバンを建ててやるけん、と言ってどうにか納得させたが、だんだん難しい歳ごろになっていく。

 そんなわけで、今度の週末は畝を立ててマルチを張って一気に残っている植え付けを終わらせるつもりである。

 保育園で、先生方と役員さん方がカライモの畑作りをしていた、天気次第だが明日子供たちのイモ苗植えがある。昨年を思い出す。
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平成20年 5月11日(日)

 曇り。思ったより天気の回復が遅かった、終日、阿蘇の山が頂上を見せることはなかった、仙酔峡のミヤマキリシマ、天気が良ければ大賑わいの頃なのだが。(日没間近になってようやく晴れてきた ・高岳動画記録(サイト「阿蘇・仙酔峡から」より拝借)。

 朝の散歩のとき、近くを流れる豆札川でアイガモが餌を啄んでいた、ここに来たてのころ、カモかと思っていたが、今ではアイガモ農法で逃げ出したアイガモが野生化したものだと理解している、それにしてもこれから雛が孵る時期に、このアイガモは昨年から一年を越して生きながらえているのだろう。

 我が家の家周り、そろそろジャングル化してきており、たかなも背が伸びすぎてカメラの視界を遮るので、そして、田植えの苗床を田んぼ際まで運びこむ都合もあり、で、今日は今年初めて(になるだろう)の草刈りをやった、本当に久しぶりである。

 竹も伸び放題、そろそろ伐るべき竹は切らないとあとが大変である。軒すれすれに生えてきた竹もあるが、これは間違いなく伐られる運命にある。

 昨日は保育参観があり、雨も降っていたので、娘は村の仲間たちと遊べなかったが、今日こそはと、色々と彼女なりに遊ぶスケジュールを立てて、仲間たちが誘いに来るのを今や遅しと待っていたが、結局昼近くになっても誘いがなかったので、とうとう布団にもぐりこんでフテ寝の振りをしているうちに本当に寝てしまった。病み上がりだから皆さん遠慮したのだよと言っても、そんな理屈は通らない、休日など昼寝をさせようとしてもなかなかしないのに、予定外の昼寝になってしまった。

 それでも昼からは機嫌を直して、母親とジャガイモの雑草取りをやっていたが、猫が盛んに娘の腕にジャレついて、嬉しそうでもあり、迷惑そうでもあった。

 夜になって、今日が母の日だったことを思い出して、娘にそのことを話したら、そうだよ、だからお母さんの草取りを手伝ったんだよ、とのことであった。

 村のTさんとAさんが期せずして山菜を届けてくださった。ウドにワラビにダランメである。山ほど採れるそうだが、ネットショップのことがちょっと頭をよぎった、こんな時、金銭のことよりも自然の恵みを皆さんに届けられたらと思うのである。

 いよいよ家の周りで田植えが始まった、S賀さん、ご家族の皆さんで田植えに勤しんでおいでだった。 
写真1写真2写真3写真4

 小生、まだ畑作りがたくさん残っている、ナスとニガウリとピーマンの苗がポットに入ったままの状態で放置状態であり、トマトも植えなければならないし、里芋はちょっと間に合わなかったようだ。里芋は昨年の掘り残しが半分以上あってそこからまた芽が出てきているので、こうなれば二年もの(などというものは里芋には無いのだが)ということで、どう育つか、それ頼みにすることにした。どうもより好きなパソコン作業優先になってしまって、頼まれもしないのに動画配信に苦心惨憺の結果、畑をやる時間が無くなってこのザマである。



平成20年 5月10日(土)

 雨。今日は肌寒くて、もう要らないだろうと思っていたストーブにまた火が入り、結局一日中燃えていた。

 娘の保育園の保護者参観日でカミサンが出席した。

 小生は、雨なので、さてどうしようかと考えていた矢先、宅配便でJF1JTQからピンホールカメラが届いた。そういえば以前、最近道楽でピンホールカメラを作っているからそのうちに送るよ、と言っていたことを思い出した、忘れずに送ってくれたのだ。氏のピンホールカメラはジャンクのカメラを使ってレンズ部分をピンホール化して作るようだ。

 届いた荷物にはカメラと一緒に、コメントと実際にこのカメラで撮った写真が数葉記録されたメモリカードが同封されていた。レンズを全く使わずに極く小さな穴を通った風景が、レコードで言えばSP版的郷愁を誘う雰囲気で像を結んでいる、理屈は分かってはいるが感動する、近いうちに晴天下で阿蘇山を撮るのが楽しみである(コメント類の転載については本人の同意を得てある)。

 昼前、2mメインでJQ6TXUからコールがあった、聞いてみると箱石峠を高森方面に向けて走行中だそうで、昨日から熊本の病院に泊まり込んでの三回目の再発予防治療の帰り道だとのこと。これから出来ればポイントを探して渓流釣りをしながら宮崎まで帰るそうである。治療が上手くいっているようで良かった。

 GYRからNAKAさんご夫妻が見えているので来ないかという誘いがあったので出かけて久しぶりに四方山話に花を咲かせる。インターネットが縁でこの1〜2年で知り合った皆さん、いつの間にかもう長い付き合いのような気になる。

 昨日、NTTカスタマーセンターで調整してもらって以来、動画配信の方、あれだけ苦労したことがウソみたいにエラーが起きずに順調に稼働しているようである。その道の専門家に聞くと、ADSL契約プランに色々あるが、高速のそれは、データを早く(大量に)送ることができる反面、ノイズに弱いそうである。そこで、今回のようにリンクエラーが頻発する場合は、意図的に感度を低くしてやるとノイズに対してエラーが起きにくくなるそうで、センター側でやってくれたのは、契約プランより少し感度を落としてみたのだろうとのことである。そもそも高速で通信できる距離は局から近いところであって、局から離れているところではそんなに高速の契約をしても意味がなく、かえってデメリットの方が多いそうである。言われてみるとなるほどとうなずける、ということは、わざわざ高いプランでなくて安いプランで良いということになるのである。昨日、(何かを)切り替えてみましたから、と書いたが、チューニングと言うらしい。


平成20年 5月 9日(金)

 曇りのち雨。午後に入って予報通り細かい雨が降り出した、明日は一日雨マークだから、今晩本降りになっていくのだろうか。

 娘、今日から保育園に行ってくれた、まさに「くれた」という気分である、やれやれ。

 早速、先日作った眼鏡を受け取りに山を降りる。週末でもよかったのだが、多分、今週末はミヤマキリシマの花見客で57号線は大渋滞を来すだろうと思って今日にした。

 宿場通りの動画配信でリンク切れが頻繁に起きて、それをDiCEが追いかけきれないのか、あるいはルーターの能力を超えているのか、しょっちゅうリンクエラーが起きて、動画をアクセスすると固まる。色々調べてみると、NTTの保安器のなかには、電話が着信するとADSLのリンクが切れるタイプのものがあって、その保安器は6PTと言う型式らしい。豆腐屋の保安器を開いてみたところ、6Pとある。これは検索によると、ある記述に6PTの対策済みの保安器とある、それが事実なら保安器を交換しても駄目だということだ。取りあえず、NTTのカスタマーセンターに不調の具合を電話して尋ねてみた、そして向こうでいくつかチェックして、(何かを)切り替えてみたので、これでしばらく様子を見てくださいという、なんとなく良さそうな気がするが果たして・・・・



平成20年 5月 8日(木)

 晴れ。

 娘、今朝起きた時にはまだ調子が悪そうだったので、今日も保育園を休ませた。
 婆様は、文字通り、老骨に鞭打ってデイケアに出かけて行った。

 娘、朝の不調が嘘のように昼前には回復して、これだったら保育園にやるのだったと後悔したが後の祭り。最近は完全に一人遊びができるので、その点は楽になったが、かといって一人置いて外出することも出来ず、耳の端で娘の動静を観察しながら結局一日中PCの前に座って過ごす。

 Windows XP のServicePack3がリリースされたというので、早速インストールした。その場合、IE7が入っているとあとからIE7をアンイストールできないということなので、アンインストールすることもあるまいとは思ったが、一旦先にIE7をアンイストールしてからSP3をインストールして、改めてIE7を入れ直した。すべての作業に結構時間がかかり、その上ちょっと予期せぬ事態も生じて手こずった。

 隣接する田んぼでは、二回めの代掻きがあり、これで田植えの準備ができたことになる、数日中に我が家の田も田植えだろうか、代掻きが済んだ田にサギが下りていた

 早くも台風二号、戦々恐々の季節がやってくる、久しぶりにデスクトップの台風関係のアイコンを整理する。


平成20年 5月 7日(水)

 晴れ。

 連休明け、さあ、元気にそれぞれの持ち場へ、というところだが、娘がやはり風邪を引いて保育園を休んだ。

 婆様が、二三日前から歯茎が痛いというので、予約はしていなかったが診てもらえることになって出かけることになったので、娘を置いてゆくわけにいかず、それならついでに娘も医者に連れてゆくことにした。最近は体力がついてすぐに発作を起こすこともなくなったので様子を見て、場合によっては夕方にでも連れて行こうかと思っていたが、ものはついでである。婆様を宇治歯科に置いて、娘を古閑医院で診てもらって、婆様を拾って帰ってきた。


 パンダを貸し出す?そんなことがメインニュースなのか。えっ?レンタル料が一億円だって?馬鹿な、誰が金を出すのだ。意地や矜持は何処へ行った。


平成20年 5月 6日(火)振替休日

 現役時代であれば、火曜日まで振替休日になるという制度の変更があったことは知っていただろうが、何の振替か知らないまま、とにかく今日までが休日だった。さすがに連休の最終日、もう大方の観光客は阿蘇を去っていつもの静かな阿蘇に戻りつつあった。仙酔峡もつつじの満開に向かっているので大混雑かと仙酔峡通りのGYR家へ恐る恐るサポートに向かったが少なくとも麓の方までは渋滞が伸びていなかった。

 今日も穏やかに晴れて大部分の田に水が入り、田んぼでは代掻きが盛んで、もう田植えの始まったところもある。S司さんが村の共有田の田植えを始めていた、小生も今年は米作りの当番班の一員だが、小生が出来ることは殆どないので田の水の管理など、形ばかりの手伝いになるだろう。

 娘が、「シマがネズミを咥えとる」と叫んだ。もう都会では猫はネズミを捕らなくなったと聞いたことがあるが、このあたりのネコはまだしっかりと捕まえる。ただ、昔と違って食糧事情が良いので小鳥もそうだったが、食べることまではしないようだ、野生の本性はまだ失っていないようで転げまわってイタブっているように見えるが狩のつもりだろうか。

 寺さんからまた和洋硬軟取り混ぜて沢山の本が届いた、前回送ってもらってからまだそんなに経っていないと思うがその読書量におどろく。



平成20年 5月 5日(月)こどもの日

 朝のうち小雨、のち曇り。予報では午後から晴れることになっていたが、結局はっきりしない一日になって、山も隠れ気味だった。

 大型連休もあと一日、阿蘇の喧騒もそろそろ終わりかけている、経験から言うとサラリーマン諸氏も今日あたりから連休明けの仕事再開が頭をよぎり、なんとなく落ち着かなくなる頃だろう。

 婆様、今日はキツイというので、デイケアを休む。

 屋外作業にはちょっとグランドコンディションが良くなかったので、終日いろいろな本(おもにPC関係)を拾い読みして過ごした(VMwareが面白そうである)。

 娘、ちょっと風邪気味だったがまあ良いだろうと恒例の菖蒲湯の定点撮影をした。実は、一昨日、昨日と二日続けて娘はカミサンに連れられてプールに行った。娘、水に顔を浸けるのもダメなので今のうちに慣れさせようという母親の考えだったようだが、昨日は、連休を利用した水泳の合宿があって、温泉も合宿生でいっぱいで、浴槽に入るのにちっと待たされたとかで、それが原因かも知れないと、朝から鼻をぐすぐす言わせていたのだ。

 写真を撮るけんお父さんと一緒に風呂に入ろうと言うと、イヤお母さんと入る、とカミサンを選んだので、じゃあ、カミサンと並んでいるところを撮ろうと言ったら、(当然のことながら)カミサンがイヤだというので、急きょ、写真を撮る段になって、先に済ませた小生がカミサンと入れ替わってカメラに納まった。


平成20年 5月 4日(日)みどりの日

 昨日に比べて少し曇りがちだったが、それでも十分に好天だった。

 村のK子さんが例年通り共同購入のナスとピーマンと苦瓜の苗を届けてくださったのであわててトラクターで土をかき回したが、まだ肥料が入っていない。

 暦通りだとしてもさすが4連休なので57号線は県外車であふれていた。昼頃、坂梨の交差点を横切った時の光景だが、滝室坂の遥か上の方から熊本方面に向かってびっしり数珠つなぎで止っていた、たぶん、宮地駅から仙酔峡の交差点あたりまで続いていたのだろう、それが一旦解消されて、また赤水を過ぎて阿蘇大橋あたりから渋滞が始まるのだろう。最近は皆カーナビを使うので同じ答えしか返ってこずに、ちょっと道を外れたらガラガラなのを知らない。

 そんな中、カミサンと娘まで、光の森まで出かけて行った、なんでも水中メガネが壊れて、度付きのメガネは下まで降りないとないとのことらしい、カミサン、ド近眼らしくて度入りの水中メガネでないと娘が何処に居るか分らなくなるそうである、ご苦労さんである。

 ここ数日、とっかかりっきりだった豆腐屋のライブカメラのプラスアルファ部分、実は静止画と動画を同時に配信しようと思って苦心していた。普通なら問題なくつながるはずがどうしてもつながらない。一旦つながってもすぐにつながらなくなる。動的IPアドレスは停電や自らルーターのリセットをかけない限りそうそう変わるはずないのにすぐに変わる。Dynamic DNSをつかっているのだが、更新されない。考えられるところは全部チェックした。そしてようやく原因らしいところに行きついた、電話の保安器の種類によってIPアドレスはADSLのノイズ、具体的には電話が着信しただけで途切れて更新されることがあるということがわかった、これが頻繁にIPが更新される原因だったのだろう、実際に検証したわけではないが、たぶん間違いないだろう、そのことと、Dynamic DNSの設定のちっとした間違いが重なって、ずいぶんと苦労したが、これでもう大丈夫だと思う。どうしても駄目ならこうなれば意地だとばかりに、設備を入れ替えるつもりで、ネットでルーターを注文してしまったので勿体無いことをした。それでも貴重なノウハウを得ることができた。


平成20年 5月 3日(土)憲法記念日

 晴れ。気持の良い朝を迎え、昼間は直射日光はすでに真夏のそれだった、ただ空気がヒンヤリしていて乾燥していて申し分のない休日になった。道路は流石に県外車が多かった、そのなかに混じって従兄のK兄夫妻が婆様の顔を見にわざわざ寄ってくれた。丁度その頃小生、豆腐屋のカメラと格闘中、婆様の電話で飛んで帰った、娘は、母親と随分久し振りに、1年以上ぶりだろう、プールに出掛けて、そして夕食の支度を手伝ったりして、それぞれの休日を過ごした(因みにこれはハンバーグだそうだ)。


平成20年 5月 2日(金)

 晴れ、風が薫っている、緑が目にしみる、文句無しの五月晴れである。明日から大型連休の後半が始まり多くの人が阿蘇を訪れる、ずっと天気が良さそうで、他人事ならがら喜ばしい限りである、天気が良くなくては阿蘇に遊ぶ意味が全くないからである。

 午前中、包括支援センターのK佐さんが自動採尿器の購入手続きのために見える。

 小生、今日も一日何度も我が家と豆腐屋のカメラを往復する、説明がつかないエラーがどうしても治らない。

 今年も、我が家が完全に水に浮かんだ、空が広くなった。


平成20年 5月 1日(木)

 曇りのち夕方近くから弱い雨になる。

 婆様デイケア。

 いよいよ田植えシーズンの到来、と言ってもまだその準備段階で、少し前からビニールハウス内で苗床を皆さん作っていたが、ここに来て田んぼが急に賑やかになって、あちらこちらで田に水が入りだして、トラクターが水すまし(ほどは速くはないが)のように田表を動き回って代掻きが始まった。我が家を取り巻く田にも今日になって水が入りだして、S賀さんのトラクターが水面に逆さに映っている風景が新鮮だった。
写真1写真2写真3



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