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平成20戊子(2008)年6月の記録(新しい日付けの順)

平成20年 6月30日(月)

 晴れ。雲が多かったが穏やかな一日だった。今年の6月の降雨量は記録的であったようで、その分、日照時間も短くて今年は稲の育ちが遅いことが小生が見ても分かるくらいだ。6月最終日の日没にまだ間があるこの時間僅かながら空が茜色に染まっていた (今の時期は8時近くまでまだ明るさが残っている)。

 今日は何をやろうかと思いつつ結局何もしなかった。

 婆様が、デイケアの終了後、薬が無くなるので定期受診をしたいというので、午後4時ころデイケアに迎えに行って、そのまま同じ建物内の病院区域に連れて云った。

 今日は阿蘇神社で、「夏越しの大祓い」の茅の輪くぐりがあるので、是非お参りと見物をしたかったが、婆様の病院の付き合いが午後6時過ぎまでかかったので、後から行ってみたが、もう神事は終わっていて人影もなくなっていた。独りでくぐってお参りをしてきた。(関連記述6/21日記)
写真1写真2写真3

 洗濯機が故障して、出張修理をするより新しく買った方がという結論で、今日新しい洗濯機が入った、電気器具はひとつ壊れだすと不思議と次々に故障するが・・・・


平成20年 6月29日(日)

 時々雨のち上がる。予報では強い雨が降ることになっていたが、例によって九州北部に降った雨域もこの辺りにはそれほどかからずに近畿地方に移動していった。

 予定通り第二工区の農・水・環の草刈が行われた。午前中は時々雨に降られたが、昼からは雨具は全く必要が無かった。

 我が家には時々大きなムカデや蜘蛛が出没する、ムカデは刺すので捕まえて水洗に流す。小生はヘビは平気だが昔から蜘蛛が苦手で、見つけ次第殺していたが、最近は慣れてきて触るところまではしないが、比較的平常心で観察できるようになってきた。最近居ついている蜘蛛はかなりでかくて、すばしこくて、以前なら間違いなく殺していたところだが、なるべく殺生はすまいという思っていることもあってそのままにしてある。

 豆札の某所に秘境がある、水深10mくらいあるそうで、水がこんこんと湧いていて魚も時々飛び跳ねている、素晴らしい風景である、どこだかは言えない。


平成20年 6月28日(土)

 曇り、時々雨。思ったほどは降らなかった。レーダーを見ると九州北部がかなり降っているようだった。

 ある計画に使うために、このPCを引っぱり出して動くようにすることになった。このPCはファンレスサーバーという謳い文句で、数年前に世に出て、もうすでに生産中止されているPCである。大分前にオークションで手に入れてあった。ファンが無いので静かで、省電力で、サーバーにもってこいのPCだ。同じPCが既に二台動いている。今回のモデルにはこの小さな筐体にRAIDボードとUPSも内蔵されてるというが、ドライバー類が全くない。既に稼働中の一台にもRAIDボードが入っているが、当時確かにRAID環境を作ったはずだ綺麗さっぱり忘れている。少し前まではメーカーのサイトにサポートの窓口があったが、そのサイトも今は無い。しかしこの手のPCのサポートはしっかりしているので、ドライバーなどの情報を問い合わせるメールを今日出しておいた、先は長い。

そして数時間後・・・

 ふと、以前、現在稼働中のPCでRAID環境を作った時に確かどこかにドライバがあったはずだと、ファイル管理の極めて悪いPCの中を探し回って、ようやく見つけ出した。そしてFDにドライバを落としたが、今度は外付けでFDドライブが必要になる、これも思い出した、天井裏からこの機種で(ベアフット状態で)動くFDドライブを見つけてきて、つないでから、再度、試みる。そしてXPのシステムCDのインストールの途中で、特別に他のデバイスを使う場合はF6を押せといったようなメッセージが下の方に短時間表示されるので、そこでEnterキーを押すと、このような画面になり(写真1写真2)、無事にパーティションの領域確保へ進んで通常のXPのインストールの手順に進むことが確認できた、ようやくのことでなんとなく思い出した。今日使ったXPのシステムディスクは既に他のPCで使用済みなので、手順が分かった時点で、新しいシステムディスクを入手するまで作業は休止する。

 こういった経過は今後も必要になるだろうと、以前同じことをやった時に日記に書いた記憶があるような無いような、結局、一からやり直す破目になった。

 32GB以上の領域はFAT32でフォーマットできなかったかな、フリーソフトを使わずに、なにか裏ワザのようなものがあった気がするが・・・WIN98でフォーマットする手もあるが、そんなことをしなくても無かったかなあ・・・・・

 明日はまた農・水・環だ・・・・・

平成20年 6月27日(金)

 晴れ。気温もかなり上がる、明日からまた雨になるそうだから貴重な晴れ間である。

 午前中、家周りの草刈りを少しやる、長雨で放って置くてとすぐにこういう状態になる、雨後のタケノコである。これから秋まで草どもと根競べであるが大体負けることになる。

 夕方から保育園の美化作業に出かける、保護者のボランティア活動である。
(写真1写真2写真3

 ぬか床を作った(左の青い容器がそうだ)。ぬか漬けは全国どこでもごく当たり前にある漬けものだと思っていたが、どうもそうでもないようだ。特にカミサンは実家にそういう食文化が無いのか、カミサンだけがそうなのか知らないが、ぬか漬けには全く興味を示さない、ゼネレーションギャップだと思うのでなるべく言わないようにいしきたが、あまり馬鹿にするので、カミサンは今年は自分で漬けるとぬか床を買ってきた、娘も、私もお、というので、娘専用のぬか床まで出来た。二人ともどうせ直ぐに飽きてしまうのは分かっているので、小生は小生で自分専用のぬか床を作ったのである。

 最近テレビなどで知ったが、ぬか漬けの文化は北九州地方が盛んなようで、博多でもよく食べる。熊本にはあまりないようだ。小生は博多でも北九州でも育ったので当たり前だと思っていた。先日、ためしてガッテンでやっていたが、ぬか床のなかには、乳酸菌、酸幕酵母菌、酪酸菌など色々な菌がいて、それらをそれぞれ適した場所にうまく置いてやることでうまいぬか漬けが出来るそうである、なかなか奥が深い。

 今、ある秘密プロジェクト進行中。秘密、というのはウソだが、まあそれでも日の目を見るまでは公表は控える(この企画、日の目を見ずに没になることも十分に考えられるので)、その準備に少しずつ取りかかり始めた。じゃあ書かなきゃいいじゃないか、であるが、そこが人間である、それと、書いた以上は引くに引けなくなるということもあるし。


平成20年 6月26日(木)

 曇り。

 婆様デイケア。

 先日インストールした地震情報ソフト、PCに常駐していて地震があるたびにこのような地図が出る、この国では日に何度も地震があることがよくわかる。

 3000m、66.2。この距離をノンストップで泳ぐのはやはりかなり疲れる、夜なんか9時前に娘よりさっさと沈没してしまうありさまだ。


平成20年 6月25日(水)

 昨夜はまたかなりまとまった雨となり、午前三時過ぎに出された大雨警報を夢うつつで聞いていた、それも夜明けとともに解除されたが、今日もほぼ一日降ったりやんだりの典型的な梅雨空だった。

 雨の合間、この時期、普段は少ない古閑の滝も水がタップリ、豆札からでも優雅な瀑布が遠望できる。

 今日は保育園の草刈りもあるので、コメリでチップソーの直径25.5cm、排気量26ccの刈払機を購入する、19800円也、これで能率が上がるであろう、我が家の刈払機は全部で3台になった、物持ちである。肝心の草刈は雨のために延期になった。

 先日一部が崩壊した妙法寺の石垣、雨が続く中、いつの間にか修復を終えていた、元のピース通りではないと思うがまあまあ綺麗にはまっている。

 3000m、66.7。


平成20年 6月24日(火)

 娘は一日で復調したので元気に保育園復帰。

 好天は予報通り昨日一日だけ、今朝から細かい雨が降り始めていた。おーさんは今日の午後の便で帰ることになっておいでだが、今日は小生、カミサンの付き添いのような用件でほぼ終日熊本行きとなり、お相手が出来ず、朝一で電話をして、熊本城築城400年記念事業で立派な本丸御殿が出来ているので勧めておいたが、どうされただろう。

 人に勧めておきながら、自分が見ていないのもなんだから(もしかしたらおーさんとバッタリということもあるかな)と、カミサンの用件が終わるのを待つ間に、熊本城に行ってみた。

 熊本城の入場料は500円也、ところが年間パスポートというのがあって、これだと熊本城と旧細川刑部邸の見学が年間無制限で1000円也、旧細川刑部邸の入場料が160円なので、660円一回限りと年間無制限で1000円とでは地元にいる限り答えは明白、早速パスポートを作ってもらった、名刺大の大きさである、片面がこれ反対側がこれ。,


 熊本城、まぎれもなく天下屈指の名城である、本丸は明治10年の役(西南戦争)で焼けてしまって戦後復元されたが、宇土櫓(うとやぐら)は往時のままの姿で残っていて今でも中に入られる。

 この戦後とは西南戦争ではなくて、今次大戦である。因みに、京都の人が「この前の戦争」と言うときは、何かで読んだことがあるが「応仁の乱」を指すらしい、京都の町は今次大戦はおろか、応仁の乱以降大きな戦禍に合っていないそうである。

 閑話休題
 宇土櫓、本丸に比べたら小ぶりだが三層五階の立派な櫓である。中学生のころだったか一度だけ入ったことがある、100年ちょっと前まで実際に細川家の武士が歩いていた重厚な板の間や階段の手すりが、歩いたり触ったりで長い間かけて丸く滑らかに擦り減っているのである、もともと防御が目的の櫓、開口部が少ない、そこからのわずかな明かりが織りなす光と影のモノトーンの世界、この櫓は宇土の小西行長の城を移築したと言われてる、加藤清正が、小西行長が歩いた空間を今同じように歩く、「時の重み」を感じないわけにはいかなかった。横須賀にある戦艦「三笠」内に立ち入った時と同じような感動を覚えた。歴史を味わうには宇土櫓に、殿様の気分を味わうなら本丸に、と言ったところか。

 それから、今年完成した本丸御殿、当時の資料に基づいて出来るだけ忠実に復元された大建造物、その大きさと、惜しげもなく太くて厚い木材を使ったその造り、これまた素晴らしいの一言に尽きる。天守閣もそうであるが、今と違って大した重機が無い時代によくこれだけのものをとその技術の高さに驚かされるばかりである。

 それら新旧の建物が城造りの名手と言われた加藤清正の普請になる壮大な石垣が囲む、文句無しの熊本の象徴である、以前、小生の周囲に今回の復元計画を指してつまらないことをやっていると言っていた人がいたが、今でもそう思っているだろうか。

 パスポートをつくったので今度改めてじっくり写真でも撮ってこようと今日はほとんど撮らず仕舞いだった。
 
 台風6号、なんじゃこりゃ、である、亜熱帯低気圧へ、とうとう息切れか、こうなるとあまり早い予報というのも考え物だ、TOMUさんが、まだずっと先の台風であたふたするのは笑止と言っていたが全くそのとおりである。


平成20年 6月23日(月)

 久しぶりに阿蘇山が朝日に輝いた。雲が多かったものの強い太陽が降り注ぎ暑くなった。

 絶好の作業日和、しかし、婆様デイケアの日だが、体調不良を訴えるので休ませる、この場合は放っておいても構わないのだが、もう一人、娘、お泊まり保育から帰って来てから少しヒューヒュー言っていたが、昨日苦しいというので吸入スプレーを吸わせ、今日になってもヒューヒューが残っていて熱も7度3分ほどあったので、これも保育園を休ませて古閑医院に連れて行き薬をもらってきた、大したことは無いがこれは放りっぱなしというわけに行かず、結局貴重な晴れ間、作業は中止となった。

 おーさんが夕方、千葉からやってきた、間もなく北海道に移住することになっているが、その前にもう一度ということで訪ねてくれた。氏はTOMUさんと小生の共通の友人で、今夜はかんぽの宿泊まりということなので、夜、そこからすぐのところにあるTOMU邸に集まった。しかも今晩はひとつおーさんを盛大に送ろうと、NAKA.Mさんが、そしてU夫人まで集まってくださって皆さんの汲めども尽きぬ豊富な話題に大いに賑やかな夜となった。

 我々三人はインターネットが縁で知り合って、それまでは全くの接点は無かった。TOMUさんは幸い阿蘇の住人になったが、おーさんは北海道に家を建てて移り住むことになった。

 氏も阿蘇に非常に魅力を感じていて、一度は阿蘇も終の棲家としての大きな候補になって調査に来たこともあったが、ネットで仕事をする氏にとって、阿蘇のなかでも彼が候補とあげていた場所のネット環境が極めて劣悪で改善の見込みも無いと言うことで、結局諦めざるを得なかったという経緯ある。以前にも日記に書いたが、田舎ほどネット環境が重要であるにも拘わらず、そこを販売しているデベロッパーは全くそういった面の意識が低いのに失望した次第である(その後、少しは事情は変わっただろうか、恐らく変わってはいないだろう)。

 台風6号、今度は西寄りか、まだ先のこと、今から一喜一憂はやめることだ、来る時は来る、だ・・・・・



平成20年 6月22日(日)

 何度も大雨警報が出された天気もようやく峠を越したようで、今朝からほとんど雨が降らなかった。そして第一工区と呼ばれる地域(基盤整備時の呼び方だろうか)の農・水・環の草刈り作業が豆札、馬場、福原の皆さん参加して予定通り行われた。時折弱い雨は降ったが、夏場の酷暑の下での草刈よりは気温も低くてうんと楽だった。

農・水・環の草刈り連続写真

 日ごろ真正面から見る阿蘇山は、特に天気が良いとノッペリしていて平面的だが、今日のように雲が湧き、その雲の間に見える峰々に薄日が射したりすると惚れ惚れするくらい素晴らしく生き生きとして見える。今日の草刈り作業の仲間の福原のU村さんも(TOMUさんと同じく)クライマーで、昔、高岳で岩場をザイルを使って何度も登ったそうで雲の切れ間から覗く峰々を愛おしそうに眺めておいでだった。小生、鷲ケ峰、虎ケ峰は知っていたが、今日眺めた高岳の鷲が峰の稜線の下の峰を龍ケ峰だということを初めて知った。そして、仙酔尾根の脇のところ(だったか)にある岩場を「かんすのつる」(鑵子の弦と書くのか)というそうだ。
(写真1写真2写真3写真4写真5

 高岳東斜面に、先日、十数年ぶりで行われた日の尾牧野の野焼の跡が周囲の緑のなか際立って見えていた。


 ところで、小生の刈払機の刃(チップソー)は直径23pで皆さんの刃の直径は25.5pが一般的である。更にエンジンの排気量も違う、小生のはホームセンターで目玉商品で時折売られる一番安い機械である、それでもここに来てすぐに買ったものだが今でも故障一つしないで動いてくれている。しかし如何にも非力である、家の草刈程度なら十分だが今日のような作業では能率の悪いことこの上ない。直径23pと直径25.5pとでは、円周の長さで約8p近く違う、この8pの差が非常に大きい(エンジンの排気量の差もあるのだろうが、そして何より腕の差か)、同時にスタートしても2倍も3倍もスピードが違う、だから法面の長い土手を上部と中間部と下部と3人で少しずれて刈っていく場合、小生が入るとリズムが崩れてしまう。こうなったら皆さんと同じ25.5pの刃が使える刈払機を買う必要があると痛切に感じる、今度の日曜日にも農・水・環の草刈りの予定が入っているのだ。

 台風6号の進路予想、なんだ!これでは熊本直撃ではないか。でもあくまで予想なので、このままブレないことなどありえまい、そこまで現在の予報技術は高くないハズである。


平成20年 6月21日(土)夏至

 またまた阿蘇地方に大雨洪水警報発令された(6月21日9時50分)。ただ降る時はすごい勢いで降るが、それほど長時間は降り続かない。今日は夏至で一番太陽が北に寄る日だがこの天気で日没時の写真を撮ることができなかった。夜に入って雨量が相当増えてきた。

 そんななか、昼前、「お泊まり保育」から娘たち年長組総勢13名(だったかな)が元気に帰ってきた。昨日は、(物騒な世の中なので)日記のなかにあえて行き先を明示しなかったが、「国立阿蘇青少年交流の家」という立派な施設が阿蘇山麓にあるが、そこに出かけたのである(写真を見れば、送迎バスに施設名が書いてあるので分かることは分かるのだが)。娘に聞いてみると誰もホームシックにかからなかったし、オネショもしなかったそうである、ケロッとして帰ってきて、よほど楽しかったのだろう、皆んなたった一泊だったのが不満のようであった。引率する方としては多分、夜中にオシッコに起こしたりで寝る暇が無くて睡眠不足、一泊で「もうたくさん」というところだろう、お世話になりました。

お泊まり保育(帰り)連続写真 (全8枚)

 連日の雨でかなり水はけが悪くなっているようで、いつも車を停める場所が水浸しなので、軽トラックを思い切って畑の方に突っ込んだところスタックして身動きがとれなくなった、4駆にしてもまったく駄目、いつも耕したてのフカフカした畑に乗り入れても全く問題が無いのに、これだけ水を含むともう駄目である。思わずここに初めて来た時のことを思い出した(H13.8.10)、それでも今回はパジェロで引っ張ったら簡単に抜け出ることができた。
(写真1写真2

 小生、阿蘇神社の崇敬講社の、はて、役員と言うのか、違うな、講社というからには社員か、これも違うだろう。まあ小生の住まいする集落の各戸に神札を配ったりする連絡係のようなもので、馬場八幡の集落氏子総代になると自動的に阿蘇神社のそういった係になってしまうのである。崇敬講社とは下世話な言い方をすれば、サッカーで言うサポーター会のようなもので、阿蘇神社の応援組織で小生はそのパシリだと解釈している、ことほど左様に宗教心が薄くていい加減なのであるが、まあ、そういった立場にあるので、今日、村の皆さんからお預かりした「大祓え人形」を阿蘇神社に納めてきた。

 大祓えは除災の行事で6月と12月の晦日に執り行われる。12月だけかと思っていたら6月にも行われ、その際には「茅の輪くぐり」という神事がある、今月の30日の午後5時からの神事のあとで一般参拝者もその輪をくぐってお祓いを受けられるそうである(翌7月1日夕刻まで茅の輪くぐりができるとのこと)、時間が許せば見物方々行ってみようと思っている。「大祓え人形」とは人の形をした紙に家族の名前と年齢を書いて・・・えい、説明が面倒だ、ここを見ていただくことにする。(後になって気がついた、神社からの書類には「委員殿」とあった、そうか小生は委員ということになる。)

 昨日は、台風のヤツと書いたが、今日になって香港辺りに上陸して大陸方面に進む進路が予想されていたので、どうやら台風様とでも言い改めなければならないかと思いつつ、夕方になって改めて進路予報図を見てみると、オイ、オイ

明日日曜日、その次の日曜日、二週続けて農・水・環の草切りがある・・・・・・
平成20年 6月20日(金)

 雨。今日の雨は九州の中部を中心に降っていたようである。また昼過ぎに阿蘇地方に大雨洪水警報が出された。今まで九州南部の雨域はちょうどこの辺りで切れて、北部九州の雨域も南端はちょうどこの辺りで切れて、最近の大雨は此処ではあまり影響が無かった、この調子でいくと今年はひどい台風も来ないような予感がすると言ったら寺さんが鼻で笑っていた、そうは問屋が卸さなかったようで今日はたっぷり降っていた。それでもその警報も14時過ぎには注意報に切り替わったが、ちょっと警報を乱発しすぎるのではと思う、基準があるのだろうが、注意報程度で良いと思うものでもすぐに警報を出す、安全策だといってもオオカミ少年になりかねない。

 そんな天気の中、娘、保育園の「お泊まり保育」で今晩は外泊である。娘にとって親元を離れての初めての経験なので、数日前から「楽しみだけど緊張する」と言っていた、昨夜などは、「心臓がドキドキ、バクバクする」と言って、寝つきが悪かった。午後三時半ころ、通常の園生活を終わってから元気に迎えのバスに乗って今晩の宿営地に発って行った。

 考えてみたら、娘も初めてなら、子供不在の大人三人だけというのも初めてで静かすぎてかえって落ち着かない気分だった。

 それにしても娘の荷物の大きいこと、これはカミサンの血筋である(娘が選んだわけではないので血筋とは言わないか)。カミサンは一泊旅行でも海外旅行をするが如き荷造りをする、小生の場合は二三日下着を替えなくても平気なのできわめてシンプルである。カミサン曰く「小さなバッグに入れると無理に詰め込んでかえって出し入れが大変だろうから、中身は指定されたものだけでそんなに多いわけじゃないけど余裕をもって大きめなリュックにした」、深謀遠慮だそうである。
お泊まり保育連続写真(全10枚)

 ここ数日、宮崎のじっちゃいのライブカメラ立ち上げのサポートで毎晩少しづつSkypeを使って作業を続けていたが、ようやくほぼ準備が完了した、あとは正式発信を待つばかりである。それにしてもSkpyeは便利な通信手段である、遠隔地間のコミュニケーションの能率が驚異的に向上する。

 ウーン、台風のやつ・・・・・

 「正義」のためなら盗みでも何でもしていいのか、そんなことをして手に入れたものなんか「証拠能力」無いだろう、バカな弁護士が居たものである。ああ、クジラ食いたい。


平成20年 6月19日(木)

 雨のち夕方には上がる。朝のうちに大雨洪水警報がだされて、日中は警報が出されたのも納得がいくような強い雨が降っていたが、それも昼過ぎには解除されて、夕方前には雨も上がって薄日さえ射し始めた。雨量も心配したほどの量ではなかったようだ。我が私設観測所の雨量計が最近調子が悪くて、多分正しくは計量していないとおもうが、気象庁の阿蘇乙姫観測点でも24時間で100mmには達しなかったと思われる。ここ数日来の雨、九州南部に降る時は、ここはその雨域の北端ぎりぎりで引っかからず、逆に今日のように北部九州に大雨が降っているときには、その雨域の南端ぎりぎりで大雨を逃れるような雲の動きであった。

 婆様、デイケア、雨が強いということで、いつもより早めに切り上げて帰ってきた。

 午前中から昼食時間を除いて午後にかけてK春さんがパソコンをもって教習にやってきた。今日はSkypeのカメラ設定が目的だったが、あまりうまくは行かなかった、何が原因なのだろう。今日の教習でも、つくづくPCの技術習得の必要性を感じたようで、心ひそかに、借り物のPCでなく、自分のPCを買う決意を固めたようである(鉄は熱いうちに打ってほしい)。

 テロ支援国家指定解除へ?そら見たことか、ブッシュはイランの大統領と並んで国際社会の信頼度は20%台と極めて低いそうで、二人より低い評価はパキスタン大統領だけだそうだ、宜なるかな、この節操の無さ、こんなに簡単に変節できるものなのか、日本は何も言えないのか、そこまで盲従しなければならない力関係なのか。
一、至誠に悖るなかりしか
一、言行に恥ずるなかりしか
一、気力に欠くるなかりしか
一、努力に憾みなかりしか
一、不精に亘るなかりしか



平成20年 6月18日(水)

 曇り。今日も雨はなかった。

 もう大分前になる、妙法寺の石垣が崩れて雨の季節を迎えて大丈夫かなと気になっていたが今日から復旧工事が始まった、二三日の工事だろう、早く終わると良いが。(写真1写真2

 娘が二三日前から虫に刺されたといって足首や手首を大きく腫らしている。最初は普通の蚊に刺された程度の赤味だったが、そのうちに毒虫にでも刺されたように腫れてきて痒いので掻きむしってそこから液体が滲み出るありさまである。どう見ても蚊の刺しあとで、毒虫に刺される状況ではないので、ネットで調べたてみたところ、蚊による虫さされのアレルギーがあって、場合によっては死に至る場合もあるとある、昨年まではそういうことは無かったのに体質でも変わったのだろうか、これから蚊のシーズンを迎えて頭が痛いことである。

 3000m、65.8。


平成20年 6月17日(火)

 曇り時々晴れ、太陽が顔を出すとカッと照りつけるような暑さだった、そして思い出したようにザっと降る。また予報が外れたようだ、でも夜は分からない、と昨夜も書いたが、昨夜はあまり降らなかった。
(写真1写真2

 午前中、市から介護保険の定期認定の調査のために調査員のT橋さんが見える、現在は要支援2だが、今ではもう歩くのがかなり不自由で果たしてどういう認定がされるだろうか。

 午後、耕運機の修理に熊本市内から坂田機械さんが見える、数年前に中古で買ったやつだ、何人かで出張修理を担当されておいでのようだが、購入時納品の時、前回の修理、そして今回の修理とずっと社長さんが見えている。 スターターのロープを引っ張るとガソリンが噴き出して始動せず、これは大修理かなと思ったが、簡単に直った、これでまた使える。


平成20年 6月16日(月)

 今日は終日雨が相当まとまって降ることになっていた、オマケに雷注意報まで出されていたが、ほとんど曇り空で終始してなんだか肩すかしを喰らったようだ(少し気温が低めだった)、前線の北上が予想されたほどなかったのだろう(九州南部はかなり降っている)、でも今晩はわからない。

 婆様デイケア。

 今日は村のK春さんが友人と見えて午前中ずっと(と午後も)PC(主にExcel)の操作方法の教習をした。集落営農でPCで処理しなければならない業務が出てくるので一生懸命勉強中だそうである。大いに結構なことで、小生で役に立つことであれば応援は厭わないところである。実務から離れて数年、しかし腕はまだまだ腐っていなかった(すこしカビは生え気味ではあるが)。もっとたくさんの人が実務で普通にPCを使いこなせるようになると良いと思うのだが、朝早くから田畑に出て仕事をするので夜は疲れてなかなか時間がとれなくて・・・・とのことであった、然(さ)もありなんである。


平成20年 6月15日(日)

 終日雨、訪れる人もなく静かな日曜日だった。

 今週の終りに娘のお泊まり保育がある、初めて親元を離れて泊まりにゆくわけで、今からもう「嬉しいけどちょっと緊張する」と言いながらも母親と早々と荷造りをしていた。

 父の日


平成20年 6月14日(土)

 曇りがちの穏やかな日だった。

 朝一から、Skypeを使って宮崎のじっちゃいのPCにXPをインストールする作業の手伝いをする。実際に話しながら、同時に作業中の画面を映してもらってそれを見ながら的確なアドバイスができる、本当にSkypeは便利な道具である。遠隔治療とはこういったものだろうか。

 娘、昨年まで怖がって尻込みをしていたが、今年はオタマジャクシを掌に載せることができるようになって、今日金魚の水槽にオタマジャクシを数匹放してやった。

 その娘、午前中は、N樹クンの家に遊びに行ったのだろうか、我が家の庭先は静かだったが、午後から母親と熊本市に出かけて行った。


 今朝、東北地方で大きな地震(岩手・宮城内陸地震)があった、山が一つ無くなるくらいの激しい地震だった。

 再調査を約束?誘拐した当人が一体何を調査するというのだ、また騙されるのか。(我が方としてはテロ支援国家指定を解除したいけど日本がウルサイので一応ポーズだけでも見せてやってくれよ、こんなところだろう)。


平成20年 6月13日(金)

 晴れ。早速梅雨の中休み、暑かった、でも吹く風は気持ちが良かった。

 カミサンが買ってきて娘がそれにメッセージを書いて二階に担ぎあげてきた、牛乳である。乳である、チチである、父である。少し早目の父の日のプレゼントだそうだ、そうか小生は父だった。娘が写真を撮ってくれた

 夜、宿場會の例会があった。

 3000m、66.2。


平成20年 6月12日(木)

 小雨のち晴れ。昨日からの雨、夜半には峠を越えたようで警報も夜中のうちに解除されていた。今回は300oちかく降ったようで、6月の降雨量としては記録的だとか。でもここではなんとなく優しい降り方に感じられて特に周辺で土砂の災害も起きていないようである。

 婆様デイケア。

 今日ボンを散歩させていて、そうだフィラリアの予防薬を呑ませなくてはと思いだして、プールの帰りに、内牧のM動物病院によって薬を出してもらった。我が家の犬は15キロくらいの体重なので、今月から10月まで、10キロ用の大きい薬と5キロ用の小さな薬を合わせて飲ませることになる。

 本日、3000m、66.2。


平成20年 6月11日(水)

 梅雨入りした途端に降るわ、降るわ、昨日からもう200oは降っている、風が無いのと、雷注意報がでているが幸いに雷が鳴らないのでそれほど心が騒がない、ただ屋根を打つ雨音だけが聞こえている。夕方に入って阿蘇地方にも大雨警報が出されている。

 昼からかんぽの宿で神社庁熊本県阿蘇支部の神職・総代合同研修会があり馬場八幡総代としてM副会長と出席した。

 伊勢神宮と氏神神社に対して遙拝してから君が代を斉唱してそのあと敬神生活綱領を唱和するという今時の人がその場に居たらひっくり返るような次第を経て研修会が始まった、そして講演では、皇室と教育勅語と神社の深い関係について話があり、久しぶりに背筋ピンと伸びる気分になった。小生はやはり赤子である(これは「あかご」とは読まない)。引き続いて懇親会があったが、小生は都合で失礼した。


平成20年 6月10日(火

 熊本県を含む北部九州、ようやく梅雨入りしたようだ、それでも昨年より3日遅いそうだ。

 午前中は晴れていて、延び延びになっていた娘の保育園のプール開きが今日あったそうだ、午後になっても弱い雨が降る程度だった、今晩から明日にかけてまとまった雨になるようで雷注意報も出ている。当分の間、雨読の日々が続きそうだ。

 夕方、またスズメが落ちてきた、今日はスムースに外に出してやることができた、これで3羽目である。

 3000m、66.0。


平成20年 6月9日(月)

 晴れ。暑い日だった。

 婆様デイケア。

 昨日の山岳救助の件、その後、フォロー情報がないので、気になって今朝になって消防に問い合わせたところ、昨日出動後まもなく接触が出来て、当事者は自力で下山したそうである、こういったことはちゃんと最後まで情報を流してほしいものである。ところで、60歳、年寄りだなあと思ったら小生よりも若かった、どうも小生、自覚が足りない。

 今日の足場組み立て作業、最上端にブラケットを三つ取り付けるだけで終わった。だんだん上に行くにしたがってピッチが落ちる、K2登頂と一緒だ。それにその日によって高い場所、腰が引け気味なる時とそうでない時がある、今日はそうでもなかったが、少し疲労がたまっている感じである。上ったり下りたり緊張しながらやるので知らず知らずのうちに結構疲れているようだ。昼頃、「足場作業主任者」有資格者のGYRがやってきて、ダメだしをして帰って行った。安全対策不十分、つまり手すりなどが無いということである、それは分かっているが予算がないので全部に手摺をつけるのは省いている、どこでもまず犠牲になるのは安全対策費のようである。その分堅牢さに力を入れ、案全帯でしっかり安全を確保してやるつもりである。

 今日のアイガモ、成長が早いのに驚く。


平成20年 6月8日(日)

 昼近くから弱い雨。山は一日中霧の中、以下の事故発生、19時現在続報なし。

ASO安心安全情報
題名 : 山岳救助について
15:13分 仙酔峡尾根ルートで 60歳の夫婦が下山できなくなって 救助出場中です。阿蘇消防本部

 先日、Y部棟梁からわいてもらったクスノキを今日搬入してもらった。あまり雨があたらない軒下に置いてトタンでも被せて養生することにしたが改めてその大きさに少々閉口気味である。
(写真1写真2写真3写真4

 今日は雨なので、足場は一本だけ取り付けて終わった。

 秋葉原で凄惨な通り魔事件が起きた。
平成20年 6月7日(土

 曇り。

 高岳と根子岳の間にほとんど人の往来のない日ノ尾峠というところがある、その辺り一帯の牧野はもう長い間(多分十年以上だと思う)野焼きが行われておらず、荒れに荒れていたところ、阿蘇の草原を守るために今年は野焼きをやるというようなニュースが以前流れていたが、その野焼きが今日あった、草が既に青々と生い茂っているこの季節に果たして野焼きをやって燃えるのだろうかと思うのだが、山の斜面広い範囲にわたって煙が上がっていた、天気があまり良くなかったので見通しが悪かったせいもあって春先の野焼のような盛大な炎は見られなかったがそれでも一日中煙が立ちのぼっていた。
写真1写真2 遠くの煙を際立たせるために手前の風景が暗くなっているが実際は明るい)

 作業小屋、サンルーム、デッキの完成お披露目兼、祝阿蘇移住7ケ月などなどを名目にTOMUさんからお招きをいただいて、家族を引き連れて昼食パーティに伺った。NAKAさんご夫妻と御隣家のU野夫人と、Y崎さんご夫妻もご一緒で、素晴らしい料理を用意していただいて楽しい時間を持つことができた、U野さんとY崎さんは初対面でまた新しいつながりができた、TOMUさんには大散財をお掛けしてしまった。
(写真1写真2写真3写真4写真5

 NAKAさんに青と赤のシソの苗を頂戴したので早速定植した。

 TOMU邸から帰ってからまた足場組み作業をやった。これで中央部の足場は一応組みあがったことになるが、最上部に道板(足場板)を置くブラケットを取り付けると、まったく手すりも何もない状態で塗装作業をしなければならなくなるので、これはちょっとコワイ、何か方法を考える必要がありそうだ。それにしても前期高齢者が一人で組み上げたのだ、それに完璧に近いフォルム、我ながら惚れ惚れする、足場組士の資格十分である(勿論そんな資格はない)。
写真1写真2


平成20年 6月6日(金)

 曇りのち晴れ。保育園のプール開きが予定されていたが、曇り空と風が冷たかったのでまたの機会と言うことになったらしい。

 婆様を神経痛の痛み止め注射を打ってもらうために整形外科に連れてゆく、ついでにまた尿路感染の気がすると言うので内科で尿を調べてもらうが、これは異常なし、そうだろうとは思っていたが・・・・

 今日も、足場の組み立て作業をする、だんだん高所になってくるので、安全帯およびヘルメットを装着するなど慎重に作業を進める。単管の4mと3mをつないでも軒の最上部までは届かない、もっとも小生の身長を加味すれば最上端まで足場が必要と言うことではないが、それにしても高い、最上部の道板をどうするかまだ考えていない。

 ほとんど目測でやったにしては、狂いもなく完璧に近い作業である。足場はあくまでも手段だが、あたかも目的のようになっている。普段使わない筋肉を使うので体の節々が痛む。
写真1写真2

 放鳥二日目、アイガモは元気に田面を泳ぎまわっていた。



平成20年 6月5日(木)

 晴れ。結構風が強かった。

 婆様デイケア。

 馬場のG藤さん父子が今年もアイガモを田に放った。初めて田に入ったアイガモどもは慣れていないので、活着したばかりの稲を無秩序に踏み荒らしていたが、しばらくすると慣れて畝の間を並んで泳ぎながら餌を啄むようになる。
(写真1写真2写真3写真4

 家が建ってから6年になるので、とっくに外壁の塗装をしなければならない時期になっているが、外注すると高くなるので、昨年あたりからDIYでやろうと思っていながらも、軒が高くて段取りが大変なので、ついつい躊躇して今日まできてしまったが、ようやく重い腰を上げて、足場組に着手した。

 単管を組んで足場を作ることにしたが、相当量の単管やクランプが必要になりそうだ、在庫分が足りなくて、コメリで追加購入した。足場の完成はまだずっと先になる。この単管は組み合わせて色々なものが出来るので面白い、今回足場に使った単管はまた薪小屋や下屋などの製作に使うつもりである。
(写真1写真2


平成20年 6月4日(水)

 終日曇り。週末にかけて二日ほど晴れる日があって、そのあと一気に雨が続く予報が出されているので、それを待って梅雨入宣言をするつもりだろうが、もう十分に梅雨に入っている雰囲気である。

 今日も、野菜の苗を買ってきて、定植した。あぜり庵からキャベツ5株、白菜5株、まくわ瓜2株。メロンはやたらと甘すぎる、それはそれで良いのだが、子供のころに食べたあのあっさりしたまくわ瓜が懐かしい。

 3000m、66.6。


平成20年 6月3日(火)

 昨日の雨、昼頃には上がったが、その後もハッキリしない空模様が続いていた。それにここにきて肌寒い日が続いている、衣更えをした途端に娘は長袖のシャツを着て登園している。なんでも関東甲信地方は昨日梅雨入りしたそうだ、九州南部はもうとっくに梅雨入りしている、九州を南北に分けると、ここは(いつもピンとこないが)北部九州になるが梅雨入りはまだである、取り残された感がある。既にいくつか日本を掠めている台風もすべて最初から九州は無関係のコースをとっている、異常気象か、梅雨はないと困るが、台風はその調子でずっと来ないでくれ。

 婆様が、髪結いにつれて行けと言うので、坂梨の松岡理容室に連れて行った、小生が先日散髪に行った時に、丁度先客のご近所のおばあちゃんが散髪をしてもらっていたので、そうか女だからと言ってなにも美容院でなくてもいいんだなあと思ったのである。Buy Sakanashi、なるべく地元でやってもらおうと、小生、今回からここで散髪をしているので、婆様もここにお願いすることにした。婆様の行きつけの美容院が廃業して、次の店が決まらずにフラフラしていたので丁度よかった。散髪終わって婆様もこの店に満足していた。

 そこの女将さんから、店の前の木に咲いている白い花の名前が分かるかと訊ねられたので、帰ってからネットで調べたが、多分ヤマボウシというミズキ科の花で間違いなかろう。

 青い田に春播きのソバの真っ白な花

 3000m、66.7。
平成20年 6月2日(月)

 終日静かに雨が降り続いていた。気温は低めだったが娘が衣更えして夏用の園児服を着て登園した(写真の露出が不適で夏服の様子がよく分からい)。まだ梅雨入りではない。

 婆様デイケア、今朝は布団の中から息も絶え絶えにキツイから出来ることなら休みたいという、どうもそういう雰囲気なので、じゃあ休んだら、断わりの電話をしておくからと言ったところ、しばらくして、やはり出かけるという、このまま寝たきりにならないように体に鞭打って出かけたのだろう。そして、今日は夕方から整形外科で診てもらうことになっていたので、デイケアの終了時間を見計らって迎えに行ったところ、いつもより顔がしゃんとしている。調子良さそうだねと言うと、分かるかと言う。その通りで、確かに今日は調子良かったと言っていた、好不調の波はなかなか分からないものである、気分の良さそうな姿を見るとホッとする。

 先年(*)の台風で我が家の入口のクスノキが倒れて、以来道路脇に横倒しにしたまま風雨に晒されたままになっていた。隣村の福原の棟梁Y部さんが、二三日前に行き合わせた際にどうするのだと言う。我が家の歴史の木だから、何かの形にして残しておきたいが、どこでわいてもらったものかと考えながらズルズル今日まで来てしまったと言ったところ、じゃあ、わいてやると今朝早速息子さんと取りに見えた、Y部さんの家には製材設備があるのである、灯台もと暗しであった。

 しばらくして電話があって、立派な板が取れそうだが、どうわくかとのこと、厚板にして保管しておいて追々使い道を考えたいと漠然と答えたところ、重いぞとのこと、現物を見てみようと思って行ってみると、いやあ、路端にあった時にはそう感じなかったが、デカくて重い、とても家の中には置けない、一番厚い板は100キロは優にありそうである、結局、軒先に雨の当たらないように風通しを良くして養生保管する場所を確保するまで二三日預かってもらうことにした。
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 ところで、この辺りの人は製材することを「わく」と言う。広辞苑にはない、ネット検索して、どうも「わく挽き」から来たようだが、その「わく」に漢字が当ててない、「割る」の転化ともとれるが「枠」ともとれるが、とにかく製材することのようだ。

(*)H16.9.7台風18号日記、H18.7.17関連日記



平成20年 6月1日(日)

 晴れ。少し天気が下り坂か、それでも気持のよい一日だった。

 珍しく早く目を覚ました娘を連れて犬の散歩に出かけた、我が家のネコは犬のように飼い主にくっついて回る、今朝も結局全行程を犬と一緒に歩いてしまった。

 今日は不思議と子供たちの往来が無かった、娘の方に何か他にスケジュールがあったのか、仲間たちの方が都合が悪かったのか、とにかく静かであった。

 切り倒したままになっていたたかなや、薪材を貰いに行ったついでに積んできた枝類を間もなく雨の季節になるので、その前に片付けようと思って、今日燃やした。たかなはこれまでの雨で下の方が乾いておらず、少し燃え残った。

 今日も、トラクターで一番端っこの方を耕しておいた。カボチャは土手かぼちゃと言うように畔近くに植えておた方が、とにかく繁茂して邪魔なのでここに植えようと思う。

 キュウリの株の一つが、根元から完全に切り取られたように無くなっていた。カミサンは夜盗虫じゃないかという、ネットで調べると、ネキリムシという害虫もいるらしい。追加で苗を買ってきて植えなおしておいた。今日植えたキュウリは漬物専用とあったが、ヌカ漬けに使おうか。

 ここのところ、また畑仕事に結構精が出ている、畑仕事より優先順位が高いものが今のところ一段落しているので、畑に関わることができる、もともと嫌いじゃないので、一日終わって充足感がある。ひとつには、何人かの知り合いの菜園が皆見事に手が行き届いているのを見て、やはり畑は良いなと再認識したこともある。

 先日豆腐屋で揚げたてのガンモドキを食べさせてもらった、手が足りないので普通は店に置いていなくて、注文があった時に作る場合があるそうで、たまたまその時に居合わせて得をした、揚げたてはやはりウマい。ネットでがんもどきを調べると作り方は色々あるようだ、今度ひとつ挑戦してみよう。









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