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平成20戊子(2008)年8月の記録(新しい日付けの順)

平成20年 8月31(日)

  曇り。今朝、モズの高鳴き聞いたような気がするが・・・いくらなんでも少し早すぎるか。

 ちょうど昼にかかるころ、娘を畜協跡地で開催の「阿蘇市モーモーフェスタ」(62回阿蘇地域畜産共進会)に連れて行く。この催し、毎年、牛馬の品評会をやったり、動物を題材に子どもの絵のコンテストをやったり、児童による郷土芸能の演舞があったり、農産物などの即売があったり、小動物との触れ合いコーナーがあったり、バーベキューがあったりと結構な賑わいとなる。我が家も、毎年、ここでバーベキューを食べてしばらく遊んで帰ってくるのだが、今年は娘が病み上がりなので自重して30分ほどで飯も食わずに帰ってきた。それでも娘、牛に触ったり、馬車に乗ったりと満足していたようだ。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6


平成20年 8月30(土)

 午前中、昨夜からの雨が残っていたが昼頃には上がった。ここのところ日本列島に沿って前線が横たわっていて列島の各地に大雨を降らせた。昼からは晴れて、もう「秋日和」だ。

 娘がようやく元気になった。

 昼頃、tomuさん、少し萎びたような風体で現れた、もともと細身の上にここしばらく満足に栄養価の高い食べていないのでやむを得ないところか、まあ、これから栄養をつけることである。今日は古閑医院の帰りで、そもそもの今回の入院騒ぎ?のスタートが古閑医院だったので退院の報告に行ったそうである。

 我が家のスイカが丁度食べごろになった(割ってみたわけではないので中身は分からないが)、品種的に大きな丸いスイカではなくて少しラグビーボール状をしている、今年は最初のうちこそこまめに雑草を抜いていたが、そのうちに雑草に埋もれてしまって、カラスも見つけきれなかったようで、放置しておいたら二個だけしっかり出来た。

 Google Earthにストリート・ビューというオプションがあるが、ちょっとした通りのほとんどの位置から、実際にその場に立って見ているがごとく風景画像を見ることができる(リアルタイム画像ではないが)、恐るべしGoogle Earthである。ただ現在のところ全国ではない、必ずしも大都会ということでもなさそうだ、名古屋には無い、函館はある、九州でも博多などもない、思わず知った人がドアを開けて出てきそうだ


平成20年 8月29(金)

  曇り、ここは少し降ったか?東海地方や関東では前線の停滞で昨夜から局地的な集中豪雨で大きな被害が出ている模様である。今回の前線は九州地方でもここは影響が無かった。今年は台風が来ていないので、今のところ米の作況状況は「やや良」だそうだが、こんなこと久しぶりではないだろうか。

 本日も娘、休む、大分元気がも出て来たようだ。今日は婆様の歯科行きがあったので、車に娘を乗せて行って、歯科の駐車場で婆様の診療が終わるのを二人で待った。

 今日も決算業務、大体終わった、ワードにエクセルの表を上手く貼り付けるのに往生した。ここのところサラリーマンに戻ったような毎日である(給料は出ないが)。


平成20年 8月28(木)

 終日、今にも降り出しそうな曇り空、あまり注意をしていなかったのでもしかしたら降ったかもしれない。ニュースに接しなければ世の中何が起きているか全く分からず、東海地方や関東地方で相当の雨が降ったのも夜になって知った。

 婆様デイケア。

 案の定、娘がまた本格的に風邪を引き保育園を休ませて古閑医院に連れてゆく。久しぶりにネブライザーの世話になった (写真の鼻の詰め物は、たまたま鼻血と重なったもので、ネブライザーとは関係ない)が、今回はあまり効果が無くて、終日キツそうだった。それでも、夜になって少し元気がでてきたか。

 小生は、今日も机に向って決算書作りに励む。


平成20年 8月27(水)

 終日ハッキリしない天気で、降ったりやんだり、気温も前夜から上がるでもなく下がるでもなくずっとほぼ20℃くらいで推移した。

 神社の決算業務で一日机に向かい多忙を極める。

 娘が休むほどではないが、少し調子を落としているようだ。


平成20年 8月26(火)

 晴れ。今朝も15℃台まで気温が下がった、今までは、やれ真夏日になった、30℃を越えた、と高い方の気温ばかりが話題になってきたが、これからしばらくは、今朝の最低気温は、という風になっていくのだろう。

 ようやく一月遅れの梅干し作りが終わった、今まではシソを入れなかったが、今回初めてシソを一緒につけこんだ。ただ、梅が小さいので、なんだか皮と種ばかりで果肉が極めて少ない梅干しになってしまったようだ。

 U村さんから連絡をもらって、宮地のM行寺で木を切るとのことだったので、軽トラックで二往復して薪材を貰ってきた、これからこういった薪集めが増えることになる。

 昼過ぎ、市包括支援センターのK佐さんが月次の婆様の面談に見えた。

 今日も帳簿整理で過ごす。


平成20年 8月25(月)

 晴れ。朝晩はめっきりと涼しくなった、というよりは肌寒ささえ覚えるようになってきた、日が落ちてからは家じゅうの窓を閉めてしまうくらいだ。それに昼間も、暑いなあと感じても、今日あたりは精々27℃どまりだ、それと随分と日が短くなってきた、すべては秋へ、である。

 婆様デイケア、夕方帰って来て聞いたら、胸の痛み、かなり和らいだそうだ、もしかしたらヒビでなくて、筋でも違えたか?

 そろそろ、神社の期末だ、溜まった伝票類の整理など、決算事務に取り掛かる。


平成20年 8月24(日)

 なんだか随分久しぶりのような気がする、気持のよい朝を迎えた

 ちょうど昼頃だったか、従兄のK兄が婆様の顔を見に寄ってくれる、昨夜は学会で阿蘇のホテル泊まりだったそうだ。

 坂梨から宮地に入ってすぐのSさんのお宅にリカバリーが済んだPCを届けて、ついでにもう一台のPCのメンテナンスをしてきた。これにもウイルスが入っていた。


平成20年 8月23(土)

 終日、断続的に強い雨が降っていた。降らない時は全く降らず、そして思い出したように強い雨が降り、雷が鳴った。大丈夫だとは思ったが、念のために結構長時間システムを止めた。

 婆様、今度は胸が痛いという、聞いてみると、昨夜寝た状態で枕もとの物を取ろうとして体を捻った時に痛みが走ったという。肋骨なんてものは体を捻ったくらいでもヒビが入ることがあるというこを聞いていたので、これは肋骨だろうと、午前中、かかりつけの病院に連れて行った。レントゲンには映らなかったが、見えないくらい小さなヒビが入っているかもしれないと、痛み止めの注射と胸を締めて固定するベルトをしてもらって帰ってきた、2週間くらでくっつくでしょうとのこと、結構痛むらしい、まあ、次から次に病気を作りだす婆様ではある。


 夜、ひごたい工房の主、I原孝弘さんの友人たちのアマチュアバンA-Rigattoのベンチャーズなど70年代のエレキ演奏とバーベキューの夕べがひごたい工房であった(70年代というと、50、60年代のいわゆるオールディーズより少しあとになるのか、小生はオールディーズ世代だが)。参加者はI原さんの坂梨小時代の同級生や坂梨宿場會のメンバーや地域ボランティアグループの仲間たちなど約30名くらいいただろうか、予報が外れて時折激しく降る雨もものかは、主催者が一生懸命張ってくれたテントの下で賑やかに楽しく、飲み、食い、且つ歌い、語らった。今までには無かったまた新たな交流がまた生まれた。

ひごたい工房コンサート 連続写真 1/2 (全10枚)
ひごたい工房コンサート 連続写真 2/2 (全10枚)
動画少し(aviファイル)

 娘は夕方から母親に連れられて、特別養護老人ホーム「あそん里」の納涼祭に保育園から参加して、鼓笛演奏などを披露したそうである。

 午後、従兄のT兄が立ち寄る。


平成20年 8月22日(金)

 曇り、朝、ちょっと降る、夕方近くになってまとまった雨になる、今夜から明日にかけて大いに降るらしい。

 今日から、娘、保育園復帰。

 久しぶりにノンビリ出来て、預かりもののPCのメンテナンスなどをする。ここのところ、時間が空いた時などに、自分のや、預かっているPCなど複数台のメンテナンスをやっているので、どれがどのような症状なのか混乱する。今日作業したSさんのPCはリカバリー用のデータがHDに入っていることが分かって、問題なく購入時の状態に戻すことができた、リカバリー前のHDは沢山のウイルスに汚染されていた、だからブルースクリーンのまま起動しなくなったのだろう。初めのうちはリカバリーCDが無いと復旧できないよ、と再度家探ししてもらったりしたが、ネットで調べてその必要がないことが分かった。

 あれー?じっちゃいのPCはどうだったろう、光学ドライブを交換したのは覚えているが、OSはどうだったろうか、OSのCDを預かったかなあ、あっ、そうだそうだ布製のバックに本体が入っていたなあ、あのバック何処に行っただろう、来客続きでどこかに紛れ込んでしまった・・・・ああ、あった、あった、これはリカバリーCD付きだった、てな調子である。

 婆様が歯の具合が悪いから歯医者に連れて行けと言うので、予約をして午後3時前から約一時間、U治歯科に連れてゆく、歯茎が炎症を起こしているうえ、虫歯も少しあるから、しばらく治療しましょうということになった。帰ってくるのと前後して雨になる。予報では明日にかけて相当まとまって降るらしいが、大雨の予報はここのところよく外れるからなあ・・・・



平成20年 8月21日(木)

 今朝、起きたら気温が16度を割ってひんやりしていた、この夏一番の冷え込み(という表現が良いのか)だろう。滞在客もさすがに明け方寒くて毛布を掛けたそうだ、今日あたり下界の気温はどうだったのだろう。

 今日でD一家は帰ってゆく、我が家の今日のスケジュールは皆バラバラなので先ず婆様のデイケアを皆で送った、婆様とはこの時点で別れである。

 カミサンは村の催事、お大師様の座(前)なので、朝のうちに集会所に料理作りに出かけた、出発の時点で集会所に寄って別れを告げた、娘は今日まで保育園を休ませた。

 午後5時前発の飛行機まで、皆、のんびりと我が家で最後の休日を過ごしていた。そして午後3時ころ、南阿蘇俵山経由で空港まで送って行った。(写真1写真2写真3

 昨日、K太郎君の助言に基づいて仕掛けたエサに見事に、今朝一発でミヤマクワガタが取り付いていたそうである。恐れ入りましたK太郎クン。Dもこんなところで本当に捕れるのかなあと半信半疑だったそうである。なんでも一番このクワガタが欲しかったそうで、T路は虫籠に沢山のカブトムシとミヤマクワガタを入れて大事そうに抱えて帰って行った。我が家での夏休み、一家の皆んな、楽しんでもらえただろうか。

 我が家のマクワ瓜がちょうど食べころになった、tomuさんが苗を植えるタイミングを逸して残念がっていたので、収穫したウリを届けようと思ったが、なんとそのtomuさん緊急入院だそうだ。胃潰瘍の様子なので結局今年のウリはナシになった。

 連中を空港に送った足でtumさんの様子伺いに入院先の熊本C病院に寄ってみた。つい二〜三週間前に胃カメラを呑んだ際にはなんともなかったのだから、多分数日前から胃から出血していたようなので、状況から小生が見立てたところ、急性の胃潰瘍だと思っている、胃なんてものはたった一日でも穴が開くらしい。こういう場合は仕方がないことだが、本人は悪い方へ悪い方へ解釈しているようで、、貧血気味もあってなんとも意気消沈していた。今時あの程度の病気は何と言うことはないと元気付けてきたが・・・・

 ところで、ここの病院は進んでいて、携帯電話はICUだとか検査部門の付近などは駄目ですが、入院病棟であれどこであれ一定のルールを守れば原則自由ですとあった、tomuさんは一生懸命携帯メールをやっているようでした。


平成20年 8月20日(水)

 晴れ。ただし、視界が悪くてほとんど山の姿が見えないほどだった、これは何だろう、煙霧だろうか。

 今日も、スケジュールめじろ押し。

 本日の活動開始は、川遊びから。動物好きのDは率先して近くの豆札川に。護岸壁があるので子供たちは上から見物。Dがサンショウウオがいたと捕ってきた、まさかサンショウウオなんてと思って調べたら確かにサンショウウオの幼生だった、こんなところで捕れるなんて、大サンショウウオは別格として、結構ポピュラーな生き物なのだろう。

 午前中、隣家の主、Wさんのトマトハウスにカブトムシを貰いにゆく、沢山のカブトムシをもらって子供たちは大喜び、これが都会ならひと財産、と不純な大人はすぐ考える。さらにT路はミヤマクワガタが欲しいと言うので、父親のDは靴下にバナナに焼酎を揉み込んだ餌を入れて、K太郎君の情報による木の下に仕掛けに行った、はたして採れるのかどうか、K太郎君の情報は正しいのか。そして馬場のY一さんの牛舎で牛見物

 昼頃、国造神社脇の養魚場にマスを釣りにゆく、練り餌が直ぐにバラけてちょっと難しかったが、十分の釣果を得て、そこで焼いてもらって食べた、子供たちもウマいウマいの連発だった(写真1写真2写真3)。国造神社ではトンボが指先にとまるのに大喜び、いままで怖がってトンボに触ることができなかったのに触れるようになった、手野の大杉に感嘆

 今日は娘の6回目の誕生日で、我が家に滞在中のM越Dん一家も一緒に誕生を祝ってくれた。Dんの長男坊主のT路クンはアトピーで乳製品や小麦粉が駄目なので、普通のバースデーケーキは一緒に食べられないから、今回は 菓心なかむら のH美さんにお願いして、それらを抜いてバースデーケーキを作ってもらった。洋菓子に小麦粉や乳製品を除いて果たしてケーキが出来るのかとちょっとの不安と大いなる期待をもって待っていたが、さすがプロである、素晴らしいケーキを作ってくれた。カステラ部分は多分コメ粉が原料なのだろう、小生には鹿児島のカルカンのような食感だった、T路の母親もこんなに美味しいケーキは初めてだと感激してケーキの生地部分の作り方、是非教えていただきたいと言っていた。(写真1写真2写真3

 それから、娘が、プレゼントには、フラフープが欲しいと言っていたので、お安い御用だ、ホームセンターに行けば買えるだろうと、高を括くって今日まで用意しなかった。ところが今日になって買いに行ったところ、無いのである、それから阿蘇市内の思いつく店を何軒か回っても売っていない、ようやく一軒で見つけることが出来たが、出来たら2本買いたかったのにたった1本しか在庫がない、今晩にしろ、またT路が帰った後でも、村の仲間たちと貸せの貸さないののケンカになるに違いない、またこんなものは同時に複数でやった方が楽しいだろうと思ったのである。困ってしまって、大分県まで探しに出かけて夕方になってようやく2本揃えることができた。大分県と言っても竹田市ですぐ隣、30分も走れば行けるところだが。D一家からもプレゼントをもらっていた。じっちゃいからひらがなメールで祝誕生日のメッセージをちょうだいした。プレゼント沢山だった

 夜は、昨日雨で行くのをやめた内牧の夏祭りに皆で出かけて夜店を覗いて歩いた、今日も一日中動き回ってくたびれた。(写真1写真2写真3写真4写真5


平成20年 8月19日(火)

 朝のうち、曇り。午前中、大雨警報が出されるほどの大雨が降る。その後一旦雨は上がるが夕方近くから長雨に変わる。

 江戸時代に熊本藩が参勤交代に使った豊後街道を、昔ながらに徒歩で踏破する「参勤交代・九州横断徒歩の旅」という催しがあって、毎年、小中学生約200名が道中笠姿で、途中、学校の体育館などに寝泊まりしながら、大分県鶴崎から熊本城までの約125キロを一週間かけて歩く。難所の滝室坂を下ってすぐのここ坂梨もその通過点で、毎年、坂梨宿場会で麦茶などの接待をしている。

 今年も会員がその準備をして坂梨関所で一行の到着を待っていたが、ちょうど彼らが滝室坂を下っている最中に、天気が急変して滝のような大雨になって、その中を何班かは、ずぶぬれになりながらも次々にたどり着いた。急きょ、公民館の大広間を開放してそこで雨宿りをしてもらったが、後続の班は足元を濁流が流れ下るような悪コンディションになって坂の途中で立ち往生を余儀なくされたそうである。また別の班はひごたい工房のビニールハウスを開放してもらってそこで雨宿りをしたそうである。幸い、全員事故もなく坂梨公民館に到着して、しばらく休憩をとった後、天気の回復を待って、隊列を組みなおして予定より一時間ほど遅れで、今日の宿営地(内牧)に向かって元気に発って行った。

 D一家と娘の仲間のK太郎君も一緒に「徒歩の旅」の通過を見物に坂梨公民館まで連れて行ったが、Dの奥さんH佳とうちの娘は雨で濡れた体などを拭くタオルなどを皆に手渡す俄か救護班?になって甲斐甲斐しく手伝いをしていた。

 ちょうど彼らが滝室坂をくだっている頃、大雨警報が出され、彼らが坂を下り終わったころ、警報解除になったそうである、ちょうど運の悪い時にぶつかったと言うことである。

参勤交代・九州横断徒歩の旅 連続写真 1/2 (全10枚)
参勤交代・九州横断徒歩の旅 連続写真 2/2全10枚

 午後から、皆を、プールに連れて行った。娘も同年代のT路クンという仲間が一緒で楽しそうであった。実は小生、今日、T路クンをダシにして初めてウォーター・スライダーを滑った、初体験である、そのスピードの速いのにはビックリした。(写真1写真2
 皆を引率してプールに行ったのでそのドサクサで小銭入れをアゼリアで失くした、落としたか置き忘れたか、夕方、拾得物の届はないか尋ねて行ったら、フロントで預かっておいてくれた、実は小銭入れの隙間に、非常用に大枚を隠してあったので、もし出てこなければ数百円の損害だけでは済まなかったのだが、先日のK賀氏の忘れものの顛末もあり、100%出てくると信じていたので、特に焦りはなかった。

 夜は、内牧の夏祭りに皆で出かけるつもりだったが、雨が降り続いているので中止した。 


平成20年 8月18日(月)

 晴れ。昨日までの天気もようやく回復して今日は良い天気になった、ただ、夕方近く一時にわか雨があった。

 婆様、デイケア。

 甥のD一家が愛知県からやってきて数日間滞在する、娘も同年代のT路クンと色々と遊ぶ計画があって楽しみにしている。弟のH路は一歳とちょっとくらい、全く無防備無警戒に這いまわってはあちらこちらに頭をぶつけてワーンワーン、母親がちゃんと見ているのでこちらが気にしなくても良いのだが、ついつい見ていてハラハラしてどっと疲れる。

 夜は、地元の食材をふんだんに使った 本職のDのイタメシに皆舌鼓を打つ、オリーブオイルと塩、それにカボスを使って今まで我が家に無い味を楽しませてもらった。(写真1

 昨夜、予定されていた一の宮町の夏祭り、雨で中止になったが、打ち上げ花火だけ今夜、我が家からすぐ近くの遊水地で行われて、思わぬかぶりつきからの花火見物にT路クンたち大喜びだった。今年は今までよりも盛大な花火だったような気がする。
写真1写真2写真3写真4

 きょうは村の妙見さんだったが、ちょうどD一家の出迎えなどとぶつかったので、ご無礼させていただいた。


平成20年 8月17日(日)

 午前中、曇り時々雨、午後に入って大雨警報、夕方には早くも解除、警報が出た時には太陽が燦々、そのあとあまり降ることもなく、解除された時点で篠突く雨が降り出した、タイムラグか?

 そして、夕方解除された警報がまた直後再び出された、誰がどういう基準で出すのだろうか、ちょっとイージーすぎると思わないでもないが、阿蘇も広いからな。

 午前中、カミサンは娘を連れて運転免許証の更新のために菊陽町の運転免許センターに出かける。

 丁度カミサンたちが外出中、小学校の保護者会による廃品回収があり、村の子供たちが新聞紙などを集めに来る。

 午後から娘を連れてプールへ。こんな混雑は初めてというほどの人出で、げた箱に履物が入りきらずに上や下や脱いだ履物で溢れていた。駐車場も下の方にある予備駐車場まで満杯、今日は合宿が入っていたわけではないが、お盆休みも大体今日までというところが多いからか、日曜と重なったからか、とにかく多かった。ただ不思議なことにプールはその人出ほどの混雑ではなかった。

 娘は幼児用の浅いプールで心おきなく泳いでいた AVIファイル(底に手を付いているのは見ないふりをしていた)。


平成20年 8月16日(土)
 今日の天気は、朝から曇りがちで、その後、雷を伴って時々雨が降るハッキリしない天気が続いた、九州も北部では相当の雨が降っていたようで、ここはギリギリ外れているかなと思っていたが、その雨域が少しずつ南下して、1605分に阿蘇地方に大雨洪水警報が発令された(19時50分解除された)。

 今晩は一の宮町の夏祭りが予定されていたが、雨で中止になった。

 13、14、15日のお盆期間中のご先祖様の送り迎えについて毎年悩むというか迷うことがある。

 ここではお迎え火は焚かないようだが、焚く風習のある土地では、焚くからには暗くなってからだろうから夕方だろう、その場合、13日の夕方だろうか、そうであるならば、13日ももうほとんど終わりかけである、ということは、前日12日の夕方だろうか、向こうにいたときはどうだったろう、13日の夕方だったような気がする。ここでは(というよりは我が家ではであるが)、13日の朝、墓地に直接ご先祖様を迎えに行く。

 同じようなことが、今度は送る場合にも言える。送り火だから15日の夕方だろうか、まあ、これなら15日はほぼ一日経っているので納得できる。我が家では翌16日の朝、墓地までお送りする。ところが、寺さんは16日の夕方だそうだ。つまり我が家では3泊4日の早立ちで、寺さんのところは3泊4日の遅立ちということになる。

 こんなもの理屈ではないのでどうでも良いことながら、他に悩むことがないのでこんなことで悩んでいるのである。

 というわけで、前振りが長くなったが、朝、まだ早いうちに娘を伴って、山を登ってご先祖様をお送りしてきた

 今日は、カミサンが休みなので、昼過ぎ、娘はカミサンに連れられてプールに出かけて行った。


 「人類が生んだ史上最強の毒物」と言われるダイオキシンが詳細は省くが実は全くそうでないらしい、地球温暖化の二酸化炭素犯人説と言い、一体我々は何を信じたら良いのだろうと唖然とする。

 ダイオキシンは人類が作り出したものでもなんでもなく、大昔から地球にあって我々人類は焚き火の煙を吸い、囲炉裏の煙を吸って生きてきたのだ、端的な話をすると、焼き鳥屋のオヤジは一番ダイオキシンが発生しやすい条件下で何十年もその煙を吸って商売をしてきてなんともないのだ、つまりダイオキシンが原因で死んだ人は一人もいないというのである。ベトナム戦争時のあの枯れ葉剤とベトちゃんドクちゃんは関係ないそうだ。カネミ油症事件のPCBはダイオキシンとは別物だそうだ。かって日本の水田に撒かれた農薬に含まれるダイオキシンの量はベトナムに撒かれたダイオキシンの8倍にもなるそうである、その米を食って死んだ人間は一人もいなそうである。オイオイ、ダイオキシン対策で一体どれだけの無駄金が費やされているのか、今でもお役所からは焚き火をするなと言っている。煙草を吸ったってダイオキシンは発生するがそんな危険なもの禁止すれば良さそうなものなのに分煙はさせても禁止はしない、これは税金が入るからだろうか。ひところ環境ホルモン、環境ホルモンと大騒ぎした、今は誰も問題にしなくなった、これも根拠のない話だったようだ。肉のコゲには発がん性がある、これもウソであるが、今でもそれが頭の片隅にある。これら偏にマスコミの大罪である。どこかの国のように報道の自由の無い国も困りものだが、報道の自由のはき違いも大いに困る。


平成20年 8月15日(金)

 今年もまた8月15日が巡ってきた。

 晴れ。今日は日本各地で猛暑を記録したようだが、ここ阿蘇はそろそろ秋の気配がする。

 かなり遅い梅干しの土用干しを始めた、三日三晩、天日と夜露に晒すことになっているが、梅雨明け当初は連日かんかん照りの暑さで雨も全く降らなかったのに、ここにきてにわか雨が頻繁にあったりでうかうかできない。

 今日も午前中は娘の相手でプールに行った。うまいぐあいに合宿が入っていない時間帯で全コースが自由に使えたので、思いのほかゆっくりすることができた。もう娘をコースの途中に独り置き去りにしてプールサイドまでカメラを取りに行って、写真を撮ってまた戻るくらいの余裕が出来るほど水に慣れてきている。置き去りと言っても、当たり前のことだが、一旦緩急あればすぐに飛び込んで助けに行けるように目を後ろの方にも付けながらではあったが。つい最近まで洗面器に顔を浸けることすら出来なかったのだから驚きである。
写真1写真2


平成20年 8月14日(木)

 晴れのち曇り。朝、短時間ではあるが阿蘇谷は深い霧に包まれた、朝晩の気温差が大きくなっているのでそろそろ雲海の季節(WEBTV-アソより)だ。雷鳴をともなって夕立があった。

 午前中、娘をプールへ。夏休みの期間中、なかでも特にお盆休み中は、プールは合宿などの団体にほとんどが貸し出されていて、一般客が使えるのは2コースくらいである、小生などとても泳ぐ雰囲気ではないのでしばらくの間は専ら娘サービスである。

 午後、初盆参りでT沢家へ。阿蘇では今年初盆を迎えられるお宅にお参りに伺う風習が他の地域(というか、小生が今まで住んできたところに)比べて盛んなようである。お付き合いの広い人はこのお盆期間中に沢山のお宅に伺うことになる、小生は今年はお一人だけだった。

 J姐のお宅にPCメンテに寄る。普段は家を離れている子供たちがお盆休みで帰って来て久しぶりの親子水入らずの団らん中だった。


平成20年 8月13日(水)

 午前中晴れ、午後から曇り時々雨、雷鳴も伴う、日が落ちてからかなり勢いのある雨が降っていた。。

 今日からお盆である、盆にはやはり「お」を付けた方が納まりが良い。幹線道路に出ないので、混雑状況が分からないが、多分帰省客の車が一杯で、阿蘇の人口が一時的に一番増える時期だろう。

 カミサンは仕事。朝、娘に、お墓にご先祖様を迎えに行くけど一緒に来るかと問うたところ、行くと言う。娘は、今週は自主お盆休みを取らせて昨日より休みに入っている。

 かなりの上り坂なので大丈夫かなと心配したが、フウフウ良いながらもついてきた。ただまだ日が昇り切っていないのでちょっと薄暗くて怖いねと言っていた。

 考えてみたら娘は先祖の血を引く一番新しい代になるのである。花と線香を手向けて小生が般若心経を唱えて二人で拝んできた。お盆の風習も土地土地で違うようで、ここではどうも迎え火を焚くのを見たことがない、おがら(幹・苧殻)も売っているのを見かけたことがない、ただ、墓地にはお参りに行くようだが、ハッキリしたことは分からない、向こうでは迎え火を焚いていたがこちらでは、その代わりとして、多分、婆様が昔、父からしきたりを学んだのだろう、我が家風の阿蘇流のお盆をする。(写真1写真2

 午後一番で、円通寺のご住職にお経をあげていただいた

 そのあとで、今日も娘をプールに連れて行った。今日は両腕に小さな浮輪(アームフロートと言うのか)を着けてビート板無しで、ほとんど自力で都合3往復(300m)した、長足の進歩である。

 娘の年齢で、「おとこのひとのおふろには入らん」と言う、もうそういうことを言う年齢か、最近では保育園でもプールの脱衣は別々だとか、少し早いと思うが、近年の傾向なのだろうか。そうは言っていたものの、プール内付属の温泉だけでは寒かったと見えて、お風呂に入ろう?といって結局父親と一緒に温泉に浸かって帰ってきた。


平成20年 8月12日(火)

 晴れ。

 K賀氏、10時過ぎの列車で帰省地の福岡に帰って行った、宮地駅で見送った、阿蘇の休日を楽しんでもらえただろうか。あの男は昔と全然変わっていない(良い意味でである)(写真1写真2写真3)。

 K賀氏を送ってから、随分と久しぶりに家族でプールに行った、今日は娘サービスデーで小生の泳ぎのほうは休みである。夏休みで混雑かと思っていたら以外と空いていた。娘、最近少しばかり水に浮くことが出来るようになってプールに行きたくてしょうがなかったのである。水を何度も飲みながらも母親に助けられてビート板につかまりながら50mプールを一往復してご満悦だった(写真1写真2)。

K賀氏来熊連続写真本人撮影分 1/6 (全10枚) 8/10、8/11両日分一括
K賀氏来熊連続写真本人撮影分 2/6 (全10枚) 8/10、8/11両日分一括
K賀氏来熊連続写真本人撮影分 3/6 (全10枚) 8/10、8/11両日分一括
K賀氏来熊連続写真本人撮影分 4/6 (全10枚) 8/10、8/11両日分一括
K賀氏来熊連続写真本人撮影分 5/6 (全10枚) 8/10、8/11両日分一括
K賀氏来熊連続写真本人撮影分 6/6 (全 7枚) 8/10、8/11両日分一括


平成20年 8月11日(月)

 晴れ。

 婆様デイケア。

 今日はK賀氏を一日かけて阿蘇を案内した。まず手始めは、我が家の真正面になる仙酔峡、阿蘇中岳の中腹にある絶景のポイントである。残念ながら雲がかかっていて頂上を望むことはできなかかったが空気が澄んでいて遠くまで広がる下界の景色を堪能することができた。途中、tomuさんのお宅に伺ってコーヒーをご馳走になった

 今日の順路で、まず仙酔峡を選んだのには訳がある。仙酔峡への途中にあるアゼリアに一番先に行きたかったからである。アゼリアは小生がいつも行くプールがあり温泉がある施設で、昨夕も、K賀氏を温泉に案内した。そこで彼は温泉の脱衣籠に腕時計を忘れてきたのだ。昨夜のうちに電話をして拾得物の届がなかったか尋ねたがその時点ではなかったので改めて探してくれることになっていたが、本人がどうしても自分で行きたいというので、朝一で出かけた次第である。フロントに届けのあった拾得物の中には生憎と彼の時計は無かった、そこで脱衣場まで行って、ちょうど掃除をしていた係の人にかくかくしかじかと事情を説明した所、ちょっとお待ちくださいと言って奥の方から時計を持ってきて、これですかと、ちょうど見つけところで、これからフロントに持っていこうとしていたところでしたということだった。実は昨夜は日曜日で、帰省客や観光客も加わって大混雑していた、高価な時計でもあり、あれだけの人だから多分出てこないだろうとあきらめ半分であったが、無事に出てきたのだ、もし出てこなければ後味の悪い思いをするところだったが、阿蘇の人は良い人たちばかりだと感謝する彼を見て小生も本当に良かったと思ったのである。
 
 閑話休題。

 仙酔峡から火口見物に向かった、火口までの道のり、今、緑が深くて美しい、澄み切った空気のなか、夏の光を浴びてキラキラ光っている。阿蘇は一年で一番混雑する時期にかかり、草千里も山頂も大混雑、往時の賑わいは多分こんなだったろうと思わせるような人出だった、もっとも当時はバスの客ばかりで、自家用車は少なかったろうが。

 火口は見物には適した風向きでエメラルドグリーンの湯だまりがよく見えたが風が強かった。

 火口からファームランドに寄って昼食を摂ってから阿蘇大橋を経由して南郷谷に向かった。途中、圓林寺を表敬訪問してから白水にある白川の水源・白川吉見神社と高森の湧水トンネル公園を訪れてから箱石峠経由で帰ってきた。

 夜は、娘がお客さんが見えたらするんだと言って楽しみにしてたバーベキューと花火をして楽しんだ。K賀氏は娘の相手を根気良く努めてくれてありがたかった。我が家の客と言えば小生や婆様の関係で年配年寄りが多くて屋外でバーベキューをなどという楽しみ方は似合わずに日ごろなかなかその機会が無かたが、今晩は世間ではともかく、我が家では若手に属するK賀氏が訪ねてくれて娘にとってバーべキューのチャンスが生まれたというわけである。

K賀氏来熊記録連続写真 (全14枚)


平成20年 8月10日(日)

 晴れ(写真1写真2)。阿蘇市内は30℃直前で踏みとどまったようだが、熊本市内は猛暑日だった。

 今日は職場の夏休みで福岡に帰省中のK賀氏が阿蘇を訪ねてくれた。朝、熊本駅で出迎えて熊本城をじっくりと案内して、夕方、ミルクロード経由で外輪を下り阿蘇神社に縁結びの願をかけてから我が家に到着した。彼はナントカ貴族だから立派な一眼レフを持っていて盛んにシャッターを押していた。

 K賀氏は小生の元職場の後輩になり小生とはちょうど一回り違う。小生が会社を辞めてからだから6年ぶりくらいだろうか、懐かしい男との再会になる。そもそもは、彼が、今を去ること30年くらい前、会社に入って来て最初に配属された時にその部署に小生が先輩面をしていたという浅からぬ因縁があるのである。

K賀氏来熊記録連続写真 (全13枚)


平成20年 8月 9日(土)

 今朝は路面が濡れていたので昨夜のうちに一雨あったようだが。本日は晴れ、雲が比較的多かった、今日も真夏日気温には達しなかった、そして、夕焼け雲が美しかった

 娘は二三年前から趣味として(だろうと思うが)母親と一緒にピアノを習っている、そして今日はその発表会とやらで、熊本市の県立劇場まで出かけて行った、小生は彼女たちの道楽には全くノータッチなのでそれ以上は詳しく分からないが、もしかしたら後日母親が今日のことを写真つきでここに書くかもしれない(書かないかもしれない)。

 今、我が家のミョウガが旬である。このミョウガは自生しており、草切りの時にバッサバッサと遠慮なく刈りこんでいるが雑草の如く繁殖している、タケノコにしろミョウガにしろ、勝手に生えるものはドンドン採れて、一応丹精を込めて作るものはなかなかうまく育たない、皮肉なものである。ミョウガはぬか漬けや味噌汁の具、冷奴、ソーメンの薬味に良い。ミョウガをたくさん食べると物忘れがひどくなるというようなことを昔聞いたことがある。

 我が家の周囲は田んぼなので夏には沢山の虫が灯りを求めて飛んでくる。玄関の常夜灯にも沢山の虫が群れて、またそれを蜘蛛が狙って巣を張って汚れに汚れている。昨日ホームセンターで安価な誘蛾灯が売っていたので、常夜灯の代わりに一晩中灯しておいたがびっくりするほど誘蛾灯の電撃にあって死んでいた。

 明日は元職場の後輩、K賀氏が福岡への帰省のついでにはるばる訪ねてくる。熊本駅に出迎えて熊本城などを案内をする予定である。


平成20年 8月 8日(金)

 曇り。時々小雨が降り、午後には雷も鳴り、阿蘇山もほぼ一日中、中腹まで雲がかかって、山の頂上付近を見ることはできなかった。

 午前中、敷地の通りに面した側の草切りをした、これで一通り草刈が終わった、どうせまたすぐに生えるが。

 午後から月一回の阿蘇郷土史誌研究会の例会があった。今日のテーマは、阿蘇の石仏についてだった。

 今晩、オリンピックの開会式をやっているが、小生は観ない。


平成20年 8月 7日(木)立秋

 晴れ、ただし曇りがち、時折パラつく、夜には一雨ある、こういう時は晴れとは言わないか。昨日が大暑だと思ったらいきなり今日はもう立秋なのかと思ったら、大暑という期間はしばらく続いて、その大暑が終わると立秋になるようだ。昨日はその大暑の最終日だったということになる。今日熊本市では38℃だったかの猛暑が予報されていたが、はるか35℃にも達しなかったようで、ここ阿蘇も27℃台の比較的涼しい一日だった。

 婆様デイケア。

 小生は、皆がまだ寝ている間に草切りをやって、午前中、大津まで所用で出かけて、戻ってからまた昼から婆様がデイケアから帰ってくるまで草切りをやった。

 ヒゴタイが咲いた、スイカが大分大きくなってきた、まくわ瓜もだんだん「らしく」なりつつある。トマトが一部枯れてきた、水が足りなかったのだろうか、今年のトマト作りも満足のいくものではなかった、ただ、遅れて二株植えたのが今後どう育つだろうか。スイカやまくわ瓜はビジュアル的に面白い、来年はもっとたくさん植えてみようか。

 草切りの時にうっかりして刈払機で雨量計のデータロガー用コードを切断してしまった、修理できるかどうか開いてみることにする。

 夜、プールへ、2000m、67.0。


平成20年 8月 6日(水)大暑

 晴れ。今日もちょっとだけ真夏日気温に達したようだ。

 午前中、昨日の続き、墓の草刈りに登る、我が家のすぐ上にあるM士さんも墓掃除に登っておいでだった。

 今日も夜8時頃からプールへ。2000m、67.2。


例の毒入り餃子、かの国でも同じ時期に中毒事件が発生していて、日本はそのことを知っていながら公表を控えていたそうである、オイオイ惻隠の情か?大人の対応か?相手も大人じゃあないと意味ないぞ、日本政府はどうしてモノが言えないのか、万事そんな調子だから島を盗られるようなことになるんだよ、そのうちに日本から潜入して毒を仕込んだと言われるゾ、明日のチョウニチ新聞どう書くか。


平成20年 8月 5日(火)

 晴れ。今日はギリギリ真夏日に到達したようだ、昼ごろ少し雲行きが怪しくなってゴロゴロ鳴っていたが、それ以上にはならなかった。

 午前中、墓地の草切りに山を登る、途中の山道は隣り合って墓があるM士さんに既に刈り払っていただいたようで綺麗になっており、今日は我が家の墓所部分だけの草刈りをするだけでよかった。それでも、今日だけでは完全には終わらずに、明日にでももう一度登る必要がある。

 じっちゃいのライブカメラがようやく本格始動だ、やはりライブカメラは人を惹きつけるようだ、ウエブサイトというものは常に新しい情報を送るということが大切なのだ。

 娘が朝、あまりワガママを言うので、「じゃあお父さんはおばあちゃんを床屋に連れて行くけん、保育園に行かんでいいけん家に独りで居れ」。今までだと、たとえ短時間でも独りになるのは論外で、すぐに白旗を揚げたものだが、今朝は意外やケロッとして、「ウンいいよ」と言って何かしら手慰みを続けている、そこで本当に娘を独り置いて(母親は仕事に出た後である)婆様を床屋に送り届けて帰ってみると平然としている。「じゃあお父さんはこの後、おばあちゃんを連れて外出するから夕方まで独りで居れ」、「え〜?夕方まで?」、「ああ、お昼お腹がすいたら、何か見つけて食っとけ」、「ウンじゃあこれを食べとくね」と弁当を指差す、どうも勝手が違う、内心、こちらの方が少々焦り出す、「夜になって暗くなったらどうする?誰か知らない人が入ってきたらどうする?」と言いながら戸じまりの振りをしたりして盛んに敵の不安感を煽る、さすがに少し気になってはいるようだが、それでも「いいよ」と来る、こちらとしてはもう手駒がないので、困ったなあと思って、「本当に独りでいいんだな」と念を押すと、「イヤ」と言う、内心ほっとして、「じゃあ保育園の支度をしろ」というと、「ウン」と言ってその準備の早いこと、敵もどこで折り合いをつけるか探していたのだろう、(保育園の先生には事前に電話をして、しかじかこういうわけで少し遅れますと電話をしておいたが)婆様を床屋に迎えに行きがてら保育園に送り届けたが、今回の火花を散らすような駆引き、どうも父親、試合に勝って勝負に負けた感がある。今晩は小生が賄い担当なので、娘が一番の好物、カレーを作っておいた。

 夏休み中はプールは芋の子を洗うが如き状況を呈するので、プール通いは暫くやめていたが、夜も8時を過ぎるころになるとガラガラになるという情報を得て今晩出かけてみた。確かに小生が普段行くときほどではないが今の時期にしては十分の混み具合、というより空き具合である。ただ温泉が9時20分までしか受け付けないので、2000m泳ぐのが精いっぱいだった。夕飯を食った直後でもあり、一日体を動かした後でもありで、更にしばらくブランクがあったこともあって結構くたびれた。2000m、67。

そんな一日だった。


平成20年 8月 4日(月)

 晴れ。一時の猛暑も落ち着いたようで、今日も真夏日にはならなかったようだ。

 婆様デイケア。娘保育園復帰、土日と休みなので風邪で保育園を休んだのは実質金曜日だけになる。

 市主催の健康診断に行く。市主催ということは対象者が国保の被保険者と言うことである。地区ごとに細かく診断日程が決められていて、小生は坂梨公民館の今日の実施日だった。

 婆様をデイケアに送り出してから、午前9時ころ出かけた。ここでの居住歴が長くなるにつれて人とのつながりが増えて、昨年以上に沢山の顔見知りにお会いして、やあ、やあ、やあ、ってなもんである。

 例年、脂肪肝と言われているが、今日の超音波で、検査を受けながら、検査技師とのやりとりで、週に3〜4回3000mノンストップで泳いでいる話をしたが、やはり体が馴れると長距離泳いでも楽に泳げるようになりその分負荷が減ってエネルギーの消費につながりにくくなるそうで、ゆっくり泳ぐ有酸素運動に少しハードは運動も入れた方がいいですよとのこと、日ごろの健康管理努力を汲んでくれて、今日はギリギリセーフにしておきましょうとのことであったが、腹周りが84くらいあるのでメタボの診断が下りるかもしれない、血圧は120台と70台なので問題は無いと思う、そのほか血液検査でコレステロール値などがどうなるかである。メタボの診断が降りると市の健康センターに出頭しなければならないらしい、出来れば御免蒙りたいものである。


平成20年 8月 3日(日)

 晴れ。炎天下は暑くて、木陰は爽やかで涼しい、これぞ本来の阿蘇の夏だ、という夏らしい一日だった、今日は真夏日にはならなかったようだ。

 宿場会恒例の天神橋清掃が昼から行われた、久しぶりに多くの仲間たちが集まった。そして清掃後、これも恒例の暑気払いが豆腐屋の駐車場を借りて行われた。

 とにかく今日はヘトヘトになるほどハードな作業だった、明日は定期健康診断で午前中はバリウムを飲んだり血を採ったりがある、暑気払いでビールを飲んで肉などをタラフク喰ったのでどういう影響があるだろう。

天神橋清掃と暑気払い連続写真 1/3 (全10枚)
天神橋清掃と暑気払い連続写真 2/3 (全10枚)
天神橋清掃と暑気払い連続写真 3/3 (全10枚)


平成20年 8月 2日(土)

 晴れ。今日はギリギリ真夏日にはならなかったようである、ほんの少しの差だが過ごしやすさがずいぶん違う。

 ホームページの作成。初心に帰って、というより初心のままでずっとごまかしてきたので、ある企てのために、もういちどちゃんと勉強しなおそうと、ホームページの作成のノウハウ本とHTMLの入門書を買ってきた。


平成20年 8月 1日(金)

 晴れ。今日も阿蘇は真夏日。ただ、暑い中にも朝夕には阿蘇高原になんとなく既に秋の気配が感じられるような気がしないでもない。今日は夕立ちも雷もなかく穏やかに日が暮れた。

 娘、風邪で保育園を休む、今回の風邪は大したことがないようで、あまり薬に頼ることもなく終日本を読んだり絵を描いたりして自分の時間を過ごして、ほとんど手がかかることもなくなった。小生も、娘に付き合って随分と久しぶりに昼寝をしたが、もともと昼寝をすると時間が勿体ないという気がしてほとんどしない、だからといって時間を有効に使っているわけでは全くないのだがこれは性分である。

 ボンの鎖が擦り減って切れているのに気がついた、逃げることもなく逆に家の方に寄ってきていた、訪問者がなくて幸いだった(こういうシチュエーションで外来者にどう対応するか分からないが)。早速新しい鎖を買ってきて取り替えた。

 う〜ん、「古気候学」なんて言葉、インターネットでもやらなければお目にかかることもなかった言葉だ、世の中、色々な学問分野があるものである・・・・・・・知らないことが多すぎる。

今夕、福田改造内閣が発足した。
桐生一高の甲子園出場許可?なんともご都合主義な(認めるなと言っているのではない)。高野連?そんなに大層なものか。




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