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平成20戊子(200810月の記録(新しい日付けの順)


平成20年10月31日(金)

 今日のお題は「やれやれ」である、後段で書く。

 阿蘇乙姫 4.2℃(03:33)今季最低で夜が明ける、昼頃から小雨が降り始める。起きた時には寒さを感じなかったが今季最低だったということを知って、そうか、ストーブを入れなきゃならんかと、体感でなくて情報でストーブを焚く。

 午前中、車検上がりの軽トラックを菊陽町にまで取りに行く。

 午後から、婆様の歯科通いの日だったが、腰が痛いので、その後で整形外科で痛み止めの注射を打ってもらうといって、最近少し不自由になった階段の登り降り、ようやく下まで降りたところで転倒。そのはずみで腰を打ったか何かで、イタイイタイと言い出す、どうも今までの痛さと違って、一歩も歩けない様子、やむなく歯科をキャンセルして、とにかく整形外科まで連れて行こうとしたが、もう歩けない、それでも行かないことには診てもらえないので、雨の中、二人とも濡れながら、イタイイタイと言うのを車まで何とか引きずるようにして連れて行ったが、車高が高くて座席まで乗せられない、仕方なく車の床に引きずるようにして横たえて、大阿蘇病院に連れて行った。玄関から車に乗せるまでの数メートルの距離の遠かったこと、よほど救急車を要請しようかと思ったが、最近のタクシー代わりに使う手合いと違って、ついつい遠慮してしまった。

 病院ではすぐにストレッチャーを用意してくれて、男手の援軍を頼んでくれてようやく車から降ろしてすぐにレントゲン室に(人が溺れているのを助けないで先ず写真を撮るような本末転倒の人間がいるが、この写真は、小生は手を出す余地がなかったから写真を撮ったのであって、決して本末転倒ではないのデス)。予想通り、左股関節がポッキリだった。自分は骨密度が高くて骨だけは自信がある、と常々自慢していたが、間もなく93歳、写真を見る限り、骨がずいぶんと黒くなっていて、こういう部分は骨粗鬆が進んでいるそうである。先生の話だと、股関節は実に簡単に折れるそうで、腰をひねったくらいでも折れるそうである。このままにしておくと寝たきりになり、肺炎なども併発するかもしれないので、切開してボルトで固定しましょう、そのほうが早く治るし、手術の翌日(だったかな)にはもうリハビリを始めますからとのことだった。内科的に全身麻酔に耐えうるかであるが、その点は頑丈だから大丈夫だと思うが。

 そんなわけで、一旦帰ってから、入院荷物を作って、家族で様子を見に行ったが、イタイイタイというので座薬を入れてもらったとのことだった。

 娘が、おばあちゃんにお見舞いの絵を描くといって早速一枚、モノにしていた

 週末なので手術は週明けになってからだろうが、まあ、次から次に病気を作る婆様ではある、やれやれ。


平成20年10月30日(木)

 穏やかに晴れる。朝からストーブも要らなかった。

 婆様デイケア。

 娘のリクエストで、鉄棒を作ってやる。昨日、車検で山を下りた時に、ハンズマンで鉄棒の握りに合った径の単管を買っておいた。27ミリだったと思う。それに48.6の径違いの単管を組み合わせることができる直交クランプが売っているので、お安い御用である。ちょうど足場用に組み立てた単管を利用することができた。もうひとつ宿題がある、竹馬をつくってやることになっている。これも材料には事欠かない。小生が子供のころは、友達と競い合って足の高い竹馬に乗ったものである、屋根の上から乗るような高い竹馬に乗って得意になっていた。今でも乗れると思うが、今の体重を支える竹馬を作るのが大変だろう。

 太い薪を割るのに使うハンマーを買ってきた。いままで、アックス(斧)の背中で矢(楔)を叩き込んでいたが、ビクともしない幹もあり、アックスが痛みそうなので、ハンマーを使うことにした。重い方が良いだろうと、4.5キロのものを買い求めたが、ちょっと重すぎたかなという気がしないでもない、3.5キロにすれば良かったかな、ダンベルを兼ねて、などというスケベ根性があったのだが、振り回すのに結構骨が折れる。

 午後から、今日も薪つくりをした。薪はたっぷりあるし、別に急かされているわけでもないので、穏やかな日差しの中で、とにかくのんびりと薪つくりをした。同じ頃、別の場所では、株価が上がっただの、下がっただのと神経をすり減らしている人たちもいるのだろう。一日中、粗起こしの昭久さんのトラクターのエンジン音がのどかに聞こえていた。ここだけなんだか時間がゆっくりと流れているような平穏な一日だった。



平成20年10月29日(水)

 晴れ。今日は気温が高めだったと思うが、昨夜の火が残っていたので、そのまままた薪をくべてしまった。

 軽トラックの車検のために、菊陽町まで持って行く、代車はまた新車だ、帰る途中、杉を一本伐ったけど、という電話がU村さんから入ったので、行き掛けの駄賃ならぬ、「帰り掛けの駄賃」で、現場に寄って、貰ってきた。浄土寺入り口の I 原憲治さんの畑の杉だとか。トラックと言え新車なので荷台を傷をつけないように腫れ物に触るようにして、積んできた。

 午後から、薪つくりをする。今まではもっぱら玉切りばかりだったが、今日は太い幹をアックス(斧)で割る仕事だった、太い幹でもパカッと気持ちよく割れる木もあれば、矢(楔)をいくら打ち込んでもピクリともしない幹もある、久しぶりの仕事で腰がパンパンである。


平成20年10月28日(火)

 晴れ。実に気持のよい朝を迎えた。阿蘇乙姫の最低気温は明け方に6.5℃。昨日の予報では、霜が降りるかもしれないと言っていたが、霜が降りることもなく、今季最低でもなかった。天気が良いので寒いなあという気分はなく、朝、ストーブも焚かずおこうかと思ったが、いざという時に、(そんなことはないと思うが)慌てなくて済むように、とりあえず一度焚いておこうかということになって、今季のストーブの使いぞめをした。しばらくブランクがあるので、点火される薪の方も、点火する方も、双方何となくぎこちない感じで、ストーブが稼働を始めた。やはり暖かい。これで低い気温に対抗するために無意識のうちにこわばらせていた筋肉がほぐれる。

 午前中、ボンがグッタリしているのに気がついた、大好きな餌を与えても寝そべったままで見向きもしない、呼んでも顔も上げない、何となく憔悴したような顔をしている、朝は元気に散歩した、帰ってきてから餌も普通どおり食べた、そのあと何があったのだろうか、人間だったら様子を聞くことができるが、こんな場合、獣医はどのように病状を判断するのだろうか、診せに連れていくべきか、このまま運命に従わせるかと、躊躇して決めかねているうちに、嘔吐しだした、未消化のドッグフード類が結構たくさん出てきた、食いすぎだろうか、犬に食いすぎなんかあるのだろうか、散歩の途中で何か悪いものでも口にしたのだろうか、出すものを出したらだんだん元気が戻ってきて、夕方には完全に元に戻って、盛んに吠えたり餌を欲しがって走り回っていた、絶食させた方が良いかと一切餌を与えなかったが、下痢をしているわけでもないので、まあ、良いかということで、夜になって餌を与えた。一体なんだったのだろう。

 昼前、市包括支援センターのK佐さんが婆様の月例のケアプランの件でおいでになる。

 tomuさん情報によると畜協での堆肥販売は在庫払底とかで来春まで無いようなことなので、馬場の江藤要一さんにお願いして堆肥を分けていただいた、どうしても代金を受け取ってくださらないので、ご好意に甘えてありがたく頂戴することにした。たかな畑に撒いて、夕方、トラクターで鋤きこんだ。

 たかなの種まき、もう少し遅いくらいだ、昨日、四季菜に種を買いに行ったところ、もう無いとのこと、シマッタ遅かったか、ご近所にお願いして頂戴するかと、今日、駄目元でアゼリアに行ったところ、まだあったのでホッとした。でもこんなに沢山は要らないなあ。

 午後、婆様を温泉病院に連れてゆく、末梢神経症の薬が無くなったのでもらいに行ったのだ。薬だけだから近くの病院に変えようかと思ったが、やはりずっと診てもらっているので、従来通りとした。

 娘、保育園から、古閑の滝の麓にある農園にキウイ狩りに行った、NHKや民放の夕方のニュースでその様子が流れていた。

 

平成20年10月27日(月)

 曇り。肌寒い、というよりは、うすら寒い、のほうがいいか。朝から夕方まで12℃から15℃くらいのフラットな気温で推移して、ずっと4〜5メートルの風が吹いていた。気温自体は低いとは言えないが、風があったので体感的にはそれよりもかなり低く感じられた。いよいよ「木枯らし」かと思ったら、ラジオによると気象用語では「北よりの風」でなくてはならないらしい、今日の風は南西の風だった。

 室内にいてもなんとなく火が恋しいが、ちょっと重ね着をすればどうということもない程度である。にもかかわらず、それをしない。ストーブが活躍しだすと薄着で過ごすので、その習慣が付いていて厚着をする発想がなかなか無くて寒いねと言い合っている。

 いつでも焚けるようにと、日が落ちてから急に思い立って薄暗い中、太い薪を細かく割って焚付けを作って、太い薪と一緒にストーブに入れておいた。今日はまだ焚かない、マダ、マダ。

 婆様デイケア。

 午前中、T雄さんと、借りていた写真展のパネルを返却しに行く。帰途、北坂梨に寄ってシオイサマの杉の木の積み残しを運んでくる(Uコネクション)。地元の人に教えてもらったが、耳からの情報なので文字は分からない、たぶん塩井様と書くのだろう、綺麗な水が湧いている小さなお社である。ただ塩井という字はここからもっと北に行った三野地区だから、はたしてそうなのか、あるいは小生の聞き違いかもしれない。


平成20年10月26日(日)

 曇り、小雨がち、肌寒し、ストーブを焚こうかという誘惑に少し駆られる。

 今年最後の第二工区の農・水・環の草刈りがある。今の時期、もう草の勢いもなく、作業をするのにちょうど良い気温で、作業が捗り順調に作業を終えた。

 「第一回坂梨懐かしの写真展」の最終日で、T雄さん、A星さんと写真やパネルの後片付けをして、午後5時をもって無事に写真展を終える。今回の写真展、思いのほか好評で、来年はもっとたくさんの、そして、バラエティーに富んだ写真が集まるものと確信した。

 仙酔峡の麓にある国立阿蘇青少年交流の家で施設開放事業として「第3回 交流の家はみんなの広場 in ASO」という催しがあり、保育園からも鼓笛隊が出演して、娘は母親に連れられて出演した(詳細はカミサンが写真を撮ってこないのでわからない)。


平成20年10月25日(土)

 晴れ、少し雲多し。二三日前に比べて確実に気温の変化が見られ、今まで気にならなかった気温が意識されるようになり、吹く風が、まもなくやってくる寒い季節をそこはかとなく予感させる。

 酸性化した畑の中和のために石灰を撒いた。石灰には生石灰、消石灰、苦土石灰などいろいろ種類があるが、今回は有機石灰を撒いた。効能の違いは知らない。このあとしばらく置いて堆肥を鋤きこんでから、たかなの種をまくことになる、これも阿蘇の秋の風景である。

 午後から、写真展の会場に行く。新聞で知った、と結構遠方からわざわざ写真展をお訪ねいただくお客さんもおいでで、熱心に鑑賞されていた。宮城県から送っていただいた八木さんの57号線バイパスが出来る前の昭和30年の坂梨の航空写真も大好評で皆さん一生懸命にルーペなどで覗き込んでいた。
写真1写真2写真3写真4

  写真展は明日が最終日だが、小生、明日はまた農・水・環の草刈りがある。



平成20年10月24日(金)

 昨日からの雨が少し残っていたようだが、朝には上がっており、どんどん回復に向かう。昨日までが暖かかったから、それほどではないのに午前中は気分的に少し肌寒さを覚えた。

 午前中、婆様を床屋に連れてゆく、そして午後から、歯科と定期通院のハシゴをして日が落ちる頃ようやく帰ってくる、さすがにくたびれたようで、階段を上ることが出来ないくらいだった、最近では脚力が著しく弱っている。


平成20年10月23日(木)

 晴れのち雨。

 婆様デイケア。

 午前中、薪材を薪にする作業を始めた。つまり長い木をチェンソーでストーブに入る長さ、50センチ前後に切っていくのである。その作業を昼近くまでやって、昼飯前に、トラクターで畑を耕した。そろそろ、というか、少し遅れ気味だが、たかなの種播きの時期なのである、今年は例年に比べていつまでたっても暖かい日が続いているが、そろそろ霜が降りる頃なので、あまり遅くなると霜に耐えられるくらい成長する前にやられてしまうので、そうそうノンビリもしていられない。

 昼から、雨になった。今日は降るだろうという予報だったので、まあ、予定通りということで、散髪に出かけた。小生の頭だと、30分もかからないくらいだと思うが、それでも天気がいい時には、なんだか時間が勿体ないという気がしてなかなか床屋に行く気になれない。それが、雨になると屋外作業ができないので、安心して床屋に行けるのである。それとは少し違うが、ここに住むようになってそういうことはないが、昔から、何が嫌いかといって、床屋で待つのが一番我慢ならなかった。それから、外で飯を食うのに待つことである。旨いかどうかしらないが、有名店の前で順番待ちで延々と列を作って待つなど小生からみると愚の骨頂だと思っている、もちろん偏見である。

 今朝、何度注意しても、娘が着替えをしながら手を休めて夢中でテレビを見入っているので、叱りつけてなんとなくギクシャクした状況になり、カミサンが出かけた後も、もう勝手にしろと、婆様のデイケア出発の準備などをしながら徹底的に黙殺したところ、さすがに自分が悪かったと分かったと見えて、その後はサッサと自分で弁当を包んで、ハンカチを入れて、「弁当良し、ハシ良し、ハンカチ良し、園児服良し」と小生の耳に届くように声を出して、本来、親が書く連絡帳まで、「お父さん今日は何日?何曜日?」と聞きながら自分で書いていた、その後どう出るか、腹が減ったと言うかなと、思って様子を見ていたが、言わなかったので、たまには飯抜きで行ってもそれも薬になるか、とそのまま登園させた。保育園で、家で叱られて飯ヌキで来た、と先生に報告したようで、先生から何かしら頂戴したようだ。決して体罰で飯ヌキをしたわけではないが、結果的にそうなってしまった、先生が心配されて、今日何があったのか帰ってから小生の日記を見る、と連絡帳に書いてあったので、顛末を記した。そう云う訳です、ご心配をおかけしました。今回の娘との勝負、父親の勝ち、保育園から帰ってからその素直なこと。


平成20年10月22日(水)

 晴れのち曇る。天気が少し下り坂か。

 午前中、古城に先日の I さんのお宅の積み残しの木をもらいにゆく、檜の枝など。(Wコネクション)

 午後から、上町のK川さんのお宅にT雄さんのお宅との境に植わっていた欅を伐ったということで頂戴に伺う。。K川さんは今度Yさんの跡に赤水から移ってこられる由、移転準備でご夫婦で来ておいでだった。(Uコネクション)。欅は重い

 俯瞰するとかなりの量の薪材が集まった、ちょうど軽トラのスペースの分だけ空間ができている、まだまだこの程度では足りないと思うが、今年は皆さんのおかげで実に順調に薪が集まっている。

 先日刈ってそのままにしてあった畑の草を、天気が怪しくなってきたので燃やした。二酸化炭素は地球温暖化とは関係がない、ダイオキシンは人間に有害ではない、だから罪悪感無く、気分よく燃やすことができる。政治家どもは相変わらず、排出権取引などという馬鹿なことをやっている。


平成20年10月21日(火)

 晴れ。

 所用で、カミサンと熊本市まで出かける。カミサンを待つ間、熊本城下のその昔、商人や職人たちが住んでいた街筋を歩きまわる、熊本は空襲で市街地がかなり焼けているが、このあたりは焼けなかったのだろうか、ところどころに戦前の古い建物が残っていてなかなか雰囲気がある。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7


平成20年10月20日(月)

 今日も一日良い天気だった。

 婆様デイケア。

 午前中、上町の亀形橋から数軒上った南側のTさんのお宅に薪材を頂戴に行く、杉と椿と梅の木を頂戴する(Uコネクション)。

 その作業の途中に、デイケア先から電話が入り、婆様が頭の痛みが激しいそうなので、デイを午前中で終わらせて病院の方に移しますとのこと、その際に一昨日のCTのフィルムがあった方がいいので借り出してくださいとのことだったので、家に帰って一旦材木を降ろしてから、温泉病院にフィルムを借りにゆき、その足で病院に届ける。診断の結果、やはり、脳内出血の兆候はなくて、三叉神経といった神経系の痛みでしょうとのことで、点滴をして、薬をもらって帰ってくる。点滴の結果痛みは無くなったそうであるが、点滴というのは不思議なものだといつも思う、すぐに症状が改善されるように見える。小生が子供のころは注射だったが、今は点滴なのだろうか、小生は病気をしないので点滴治療の経験が全くなくて、点滴の効能が分からない、点滴をぶら下げて病院内を歩いている患者さんをみていると不謹慎だが一度やってみたいとさえ思うくらいである(そういえば、胃カメラの時に最近点滴で麻酔をかけていたかな、ちょっと記憶が怪しい)。

 婆様が点滴を受けている間に、こんどは福原のU村さんのお宅に伺って、柿とサクラの木を貰ってくる(これもUコネクション)。今日もとにかく一日中休む間もなく動き回っていた。

 ここのところ連日の薪集め、砂防ダムからあとの薪集めは全部人力なのでさすがに足腰がパンパンに張っている。

 茅ヶ崎時代のハムクラブのOM諸兄が何年かぶりにボーリング大会をしたそうで写真を頂戴した。小生がここに来る前に住んでいた公団住宅の、皆さんOBで、もう何十年も前にその団地にハムクラブがあった、今ではもう誰もそこには住んでいないが、皆さん毎年、昔を懐かしんで新年会をしたり、今回のようにボーリングをしたりする、素晴らしい仲間たちである。(写真1写真2



平成20年10月19日(日)

 晴れ。

 午前中、市主催の健康ウォーキングが開催され、娘と二人で参加する。カミさんも参加予定であったが風邪気味だとかでエントリー中止をした。

 今年は古城地区の田園地帯を歩くコースだった。今回は一の宮温泉センターをスタートゴール地点として国造神社を折り返し点とする五キロコースに挑戦した

 娘は歩き始めてすぐに疲れたと言い出したので、これは無理かなと思ったが、そのうちに調子が出てきて、コスモスなどが咲き乱れるほとんど稲刈りが終わった田の中の道を友達とくんずほぐれつ、走ったり蛇行したりで、実質五キロをはるかに超える距離を元気に歩きとおして11時半ころ無事にゴールした。小生、万歩計を借りて歩いたが、8400歩を記録していた。もう何年も毎年参加しているが、秋空の下、毎回気持の良いひと時である。

健康ウオーキング連続写真 (全14枚)

 昼から、写真展の会場に出る。


平成20年10月18日(土)

 晴れ。ずっと晴天が続いてる、ちょっとした気圧配置の違いで、大荒れになったり、青空が広がったりと、理屈では分かっているが自然の驚異である。今日は少しガスっていて見通しがあまり良くなかった。

 昨日、稲藁をロールにしやすいように掻きまわしてE藤さん、今日はロール巻きに精を出しておいでだった。

 娘は、母親と熊本市内にディズニー・オン・アイスだとかに出かける(あいつら毎日出歩いていやがる)。

 小生は、W辺さんのトラックの後について軽トラックで、古城地区のIさんの生家に伺い、樹木の整理で出る木材を頂戴する。我が家はここからほぼ真南に位置する。今日は都合三往復して、杉、檜、柿などの木をたくさん頂戴してきた、ここのところ実にタイミングよく薪材が手に入り嬉しい限りである。(一回目二回目三回目

 今日は二回目の運搬が終わって、家に帰ってくると、婆様が昨日からずっと頭の右半分がかなり痛いという、今日は土曜日で、明日は日曜日、月曜まで待つというが、脳卒中は症状が体の右半分だとか左半分だとかに出るということを聞いていたので、もしかしたらクモ膜下出血だとヤバイと思って、土曜の午後もやっている温泉病院に連れて行った。早速CTを撮ってくれたが、特に顕著な症状は無いので、月曜日まで待って、かかりつけの病院に行ってくださいということで、薬が出ることもなく帰ってきた。考えてみたら、脳卒中の場合、麻痺などの症状が出るのは、体のどちらか半分かもしれないが、クモ膜下出血のような出血の場合は頭全体だろうから、右半分だとかいう痛みは違うのではと思い至ったが、触ると痛いというので神経痛だろうか、まあ大事に至らないようで一安心する。

 そんなことがあたので、三回目の薪積みは夕方近くになってしまった。今日は人力で積み下ろしをしたので腰がパンパンである、、手に余る太い幹はチェンブロックを持って行って積み込んだが、チェンブロックのセットがまた重くて大変である。

 木材などをトラックにローブで荷造りをする際に、一般的に使われる縛り方、以前何度も習っては、すぐに忘れていたが、さすがに最近は完全にマスターして重宝しているが、誰が何時のころから考えついた縛り方が知らないが、長いロープの一番先っぽをいちいち輪を作って通さなくても、簡単に固く締めることができ、逆に解くときは簡単にほどけて実にすばらしいロープの使いかたである、土地によって、ナンキン締めと言ったりチョーセン締めと言ったりするらしい。

 村内のW辺A子さんの実家の父上が亡くなられたそうで、カミサンがお通夜に出かける。



平成20年10月17日(金)

 晴れ。稲刈り後の稲藁が長雨で水に浸かってしまって、牧草には無理かなと心配だったが、晴天続きで、その心配も無かったようで、馬場のE藤さん、牛のエサ用にロールにする準備段階で、よく乾燥するように藁を掻きまわしていた。

 娘、保育園の遠足で、熊本の動植物園に出かける、母親が同伴して、帰りは母親所用のため独りで(と言っても皆が一緒のバスでではあるが、)帰ってくる。小生、運動公園までの送りと出迎えをする。(写真1写真2写真3写真4写真5

 今日も、砂防ダム工事現場に薪材をもらいに行き、二往復する。帰ってから、夕方まで、薪材の玉切りをする。まだ十分ではないが気分的に余裕ができた。砂防ダム現場は今日で終わりである、そして夕方、お向かいのW辺さんから、明日、古城の方に木を伐りにゆくから、後から軽トラでついておいで、と誘いがあったから、明日は早朝からまた薪材の積み込みに出かけることになった。

 某 I 損保の自動車保険の更新が近づいて代理店から連絡があったが、その代理店曰く、損保会社から、一か月以上前に契約更新手続及び保険料の払い込みを契約者にするように要請してくれ、それも出来たら口座振替でやってくれるように言ってくれとのこと、どうも自分たちの社内事情によるようだが、久しぶりにバカヤローである、よほど契約を破棄してやろうかと思ったが今までのシガラミ、は無いな、代理店との長年の付き合いから、今回は思いとどまったが、保険会社よ、お前らの眼はどっちに向いているのだ、保険会社とか金融機関だとかの独善には本当に腹が立つ。



平成20年10月16日(木)

 今日も抜けるような青空が広がる、最低気温、今朝もまた更新、阿蘇乙姫で5.6℃だった由。朝の散歩でTシャツでは少し肌寒さを覚える程度だったが、それでも、それほどでもなかった。

 おさんどんで昼近くになって、ようやくチェンソーで材木の玉切りを始めたが、このようないい天気の日には、泳いで、ただエネルギーを消費するような非生産的なことをやるよりは、薪作りで汗を流したほうがなんぼか利口だと思い立って、午後から薪つくりに精を出そうと決めたところに、U村さんから、今日は来んとか?と電話が掛ってきたので、急きょ予定を変更して根子岳山麓砂防ダムの工事現場へ。また木が出るのは二三日してからだと思っていたので慌てた。

 今回のような現場、重機が手伝ってくれるので本当に楽である、帰ってから降ろすだけで済むから助かる、このような現場ばかりだと、と贅沢なことを言っている。

 今日は二往復してたっぷりの収穫を得た。途中、離合が難しい山道を下って来る軽トラとやっとのことですれ違う、見ると、向こうの軽トラックにはtomuさん、氏も同じ現場から薪を積んで下るところだった。

 婆様、デイケア。デイケアが終わって同じ建物内の病院の方に移動して薬を貰って来る。二三日前から切れていた末梢神経障害の薬、婆様がかかっていた診療科、今までの病院がフルタイム診療から不定期診療に変更されたのを機に、この病気もいつも診てもらっている病院に変更することにして、今日その薬をもらってきたのだ、これで近くなって少し楽になった。


平成20年10月15日(水)

 日本晴れ。阿蘇乙姫で今季最低気温 6.9℃ を記録したらしい、この冷え込みで今朝も雲海が出た。

 tomuさんを電話で叩き起こして一度外輪から雲海を眺めたら、と勧めたが、せっかくいい気持で寝ているところをまた電話で起こしおってと怒っていたかもしれないが、とにかく城山に出かけたらしい、今日の雲海はすぐに消えたので、どうだっただろう、見えただろうか。

 婆様を昼前、歯医者に連れて行く、午後から、末梢神経症の薬をもらいに温泉病院に行こうと思ったら最近診療日が変更になって、今日はやっていないことがわかったので、日を改めることにした。

 今日は初めての経験をした。日の尾峠を高森側まで抜けて、また同じ道を帰ってきたのだ。というのは、U村さんから根子岳の麓で木を伐っているので取りに来いと連絡をもらったので、道順を尋ねたところどうも日の尾峠沿いだという感じがしたので、ロクに確かめもしないで、日の尾峠方面に向かった、しかし、どうも現場に行きあたらない、そこで、せっかく日の尾峠にとりついたのだから、一度日の尾峠越をやってみようと、一旦計画を変更して、峠越えに挑戦した。

 阿蘇谷のこちら側から南郷谷(今は南阿蘇という場合が多いが)に抜ける道に国道265号線がある、この国道は根子岳の東の裾野を走っている。日の尾峠は、その根子岳と高岳の間を一の宮町から高森町に抜けている、昔は往来が盛んだったのだろうが、今はほとんど誰も通らない道である。

 以前、舗装はしてあるが、離合ができないくらい狭い道だと聞いていたので、恐る恐る登って行ったが、確かに部分部分では狭いところもあるが、決して離合できないほど狭くはなくて、舗装も傷んでいなかった。ただ、ほとんど車が通らないとみえて、日蔭は朽ちた落ち葉で舗装が隠れていて、また別の場所ではドングリが道一面に散らばっていてどれも潰されていないままだった、相当期間車の通行が無かったのだろう、265号線があるので、特に日の尾峠を越えようという目的でもない限り通る道ではないのだ。

 高森側に着いてから携帯で場所を再確認したところ、どうも道を間違えたらしい、同じ道を逆に走って目的の現場に向かった。根子岳にはいくつか登坂ルートがあって、今回の現場は、釣井尾根に通じる道の途中から別れて、かなり高く分け入った場所にある砂防ダムの建設現場だった。ようやくのことでたどり着いて、材木をもらってきたが、工事会社の人には、忙しい中、作業を中断してわざわざ軽トラにユンボで材木を積んでもらって申し訳なかった。

 今日は薪材をもらった上に、別角度で阿蘇の峰々、平野を眺めることができて満足な一日だった。日の尾峠越え、これから紅葉が始まると見ごたえがあるルートである。

 日の尾峠越え&根子岳麓行連続写真 1/2(全11枚)
 日の尾峠越え&根子岳麓行連続写真 2/2(全11枚)

 今日は年金支給日でもあり、全国一斉に振り込め詐欺防止警戒態勢がとられるというニュースを見たので、野次馬根性で、銀行のATM出かけてみた。居た居た、警察の腕章をつけた係官が二人で警戒にあたっていた、阿蘇にはATMの数は少ないがそれでも手が足りないと見えて、たぶん事務職だとおもうが、そんな雰囲気の人たちだった、おばあちゃんたちには積極的に声を掛けて注意を促していたが、小生は全く無視された、冷やかしということがバレたか。


平成20年10月14日(火)

 明け方に降り出した雨も朝のうちに上がり今日も気持のよい秋空が広がった。

 昼前にずいぶん久しぶりにプールに行った、ちょうど年会費が切れるので、ついでに継続の手続きを済ませた。

 ブランクがあるので苦しいかなと思ったが、そういうこともなかったので、じゃあいつもの通り3000mにするかと泳いでいるうちに、苦しくはなかったが2000mを過ぎたころから疲れて手がだんだん上がらなくなってヨレヨレに近い状態で最後の1000mを泳いだ、それに体重がかなり増えていた、68.0。一番落ちた時には確か62キロ台まで落としたことがあったが、これからまたダイエットしないで6キロ落とすのは大変だ。泳いだ後の温泉が気持ちがいい季節になった。

 昨夜の、宿場会例会を欠席してしまった。今朝になって、会員ページを見るまで完全に忘れていた。前日までは覚えていたのに、一日中チェンソーの組み立てに没頭して過ごし、夕方になってようやく完成してホッとしてこれで今日の行事はすべて終わったと頭の中が空っぽになってしまったようだ、ボケじゃないぞ。

平成20年10月13日(月) 体育の日

 秋晴れ。6時前、起きた時の家の周りの霧の立ち込め方を見た時に今日はコンディションは良さそうだと思ったので、すぐに城山に登って見た、我が家から10分で着く。思ったとおり見事な雲海が広がっていた、幾組ものアマチュアカメラマンもカメラを構えていた。着込んでいったつもりだったが外輪上は寒くて、ダウンジャケットを着てくれば良かったと思ったくらいだ。(写真1写真2写真3

 婆様デイケア。カミサンは午後から所用で熊本まで出かけたので、今日は娘と二人だけだったので、娘もずっと小生の傍で遊んでいた。

 チェンソーのスターターの紐が先日から何度か切れて、騙し騙し使っていたが、今日、紐を交換することにした。簡単に済むつもりだったが、うっかり、紐を巻き取るバネをバラしてしまった。バネをバラしたら大変だということは経験的に知っていた、子供のころからオモチャなどを分解してはバネの組み立てで立ち往生して結局頓挫したことが何度もあったからだ。

 果たして、今日も、結局一日中バネの組み立てだけ、それだけの作業に明け暮れた。バネを組み立てようとしては弾けて何度も何度も失敗して、もうこれで最後にしようと自分に言い聞かせて組み立てたところ、午後4時過ぎにようやく組み立てることができた、専用工具があれば簡単なのだろうが、鋼の渦を巻いたバネを組み立てることは本当に大変だ。

 S賀昭久さんから我が家の米が届く。去年も言われたが、今日も、「来年は代掻きも田植えも手伝ってやるから自分でやんなっせ」と勧められた。S賀さんもだんだん体力的にきつくなっているそうだが、やってみたいという気持ちと、ちょっと自信が・・・という気持ちと半々である。


平成20年10月12日(日)

 秋晴れ。安定した天気が続いている。

 この三連休、絶好の行楽日和で県外からたくさんの観光客が阿蘇を訪れている。特に今の時期はツーリングに適しているのでオートバイのグループが気持ちよさそうに阿蘇路を駆けている。

 今日も、坂梨公民館で写真展の受付というか、仲間たちとノンビリと語らって過ごす、その合間を縫って豆腐屋のPCのメンテにゆく。

 我が家の入口に、このような札が下がった。万一の場合の子供の「駆け込み寺」の標識である。市内のあちらこちら、協力家庭の玄関先にぶら下がっている、幸いに、今のところこの標識を必要とする事態は発生していないと思うが、こんな片田舎までこのような心配をしなければならない時代になったのだろうか。


平成20年10月11日(土)

 昨夜は少し降ったようだが、明けて、今日は暑からず寒からず風もなく典型的な秋空が広がった。

 写真展の受付の手伝いでほぼ終日、坂梨公民館に詰める。その間に従兄のA山健兄と哲兄が訪ねてくれる。カミサンと娘、所用で熊本市に出かけたために、婆様が二人の接待役を務める、もっと健兄たちは小生より婆様の顔を見るのが目的だったから、それで良かったかもしれないが不在で失礼なことをした。

 夜、豆腐屋に出かけて、母子を前にPCの講座をする。


平成20年10月10日(金)

 曇り。今日は「晴れ」の特異日だそうだが、カラリというわけにはいかなかった。その昔(という言い方が不自然でないほど、もう昔になってしまったが)、1964年10月10日、東京オリンピック開会式の当日、小生、横浜でM藤と一緒に何事かやっていた記憶がある、大学3年だったと思う。

 午前中、豆腐屋のPCの環境設定に行く、別のPCに入っていたOfficeを新しいPCにインストールし直してオンラインで認証を求めたがすんなり通ってしまった、どういうことだろう。

 今、世界の株式市場が大騒動になっているらしい、小生は株なんていうものはもともとバクチだと思っているので一切やらない、基本的に博打の才が無いということもある。それに基本的にマネーゲームというものには好意を持っていない、だから今回のこと、株をやっている向きには大変申し訳ないが、それ見たことか、と思っている。が、回り回ってやがて年金生活者にその影響が来る、困ったことである。ところで株もゼロサムだと思うが、今回の混乱で大儲けをしたヤツもいるということか。小生、株はやらないが、ジャンボ宝くじだけは買う、あれはバクチではないからである。絶対当たらないものをバクチとは言わないのである。


平成20年10月 9日(木)

 晴れ。穏やかな秋晴れが続いている。

 妹等、午後の便で帰る、空港まで送る。(写真1写真2

 先日の薪材の積み残しを娘を保育園に迎えに行く前に積んで来ようとしたが、これが太くて重くてチェンブロックでようやく引き上げてヘトヘトになる。

 夜、豆腐屋の三男坊がパソコンを買ったので支援に行く。


平成20年10月 8日(水)

 晴れ。

 娘、熱、ほぼ平熱に近くまで下がったが、大事をとって今日も休ませる、どうも風邪でもなかったような気がするが。虫刺されは相変わらず赤く腫れているが昨日ほどではなく、本人も苦痛を訴えなくなった。

 先日来、ご近所から頂戴していたハクサイの苗、玄関先で大分元気がなくなってきたので、今日、一気に畝を立ててマルチを張って定植する。土つくりの時間がないので、苗の周囲にだけ買ってきた堆肥をやったがどんなものだろう。


平成20年10月 7日(火)

 曇り。

 娘、朝、8℃近く熱がある、昨日保育園から帰ってきて蚊に刺された、と手首を腫らしていて痒くて痛いと苦痛を訴えていた。いつもの風邪の症状は無いので、虫刺されからくる発熱かと思って、とりあえず保育園を休ませて、医者に連れてゆく。診てもらったところ、虫刺されでこんなに熱は出ないと思いますよ、喘息症状は無いけど、少し喉が赤いので風邪でしょうと、風邪薬をもらってくる、また、先日猫アレルギーの際にもらった呑み薬もあるのでそれを飲むことにした。以前にも蚊に刺されて腫れあがって大変なことがあったが、その後、蚊に食われても、そういう症状が起きなかったので、あれは蚊でなくて、ブヨか何かだったのだろう、そして今回もそういった類の虫だったのだろう、人によって虫刺されでも体質的に結構おおごとになるようである。一日経っても全く改善されていない

 娘につきあって、ゆっくりベットに寝っ転がって本を読んだり、昼寝をしたりして過ごす、婆様の世話は妹に任せる。

 夕方近く、U村さんから先日の木を伐る続きをやるからと連絡をもらったので、上町の亀形橋際の現場に行って、軽トラックに端材を貰ってくる。端材といっても一抱えもあるような材木ばかりである。(写真1写真2


平成20年10月 6日(月)

 うす曇り。ここのところ暖かい日が続いている(暖かいとはこの時期変な表現だが)。

 保育園の給食の保護者試食会があり、カミサンに代わって出席した。若いお母さん方に交じってヒゲ面の前期高齢者一名、写真がニヤついていて、見ようによっては山賊か海賊の頭目のようだが決してそのようなことはない、十分に顔見知りの皆さんなのでアットホームの気分だったのだ。今日のメニューはカレー。子供用だからといって手抜きはしてなくて、辛さは控えめだが、その分、シッカリ作ってあって実に旨かった、小生は男だから、と大盛りにしていただいた。

 勿論、食べるだけの集まりではなかった、各家庭での子供の食生活に関する話などを先生方を交えて皆さんで披露しあって、それぞれ我が子の食育の参考にされていたようだった。因みに昨年は8/17に試食会があり、その時も小生が参加している。

給食試食会 連続写真 1/2(全10枚)
給食試食会 連続写真 2/2(全10枚)

 午後からコイン精米所に行った、ようやく新米にありつける。先日、何かの集まりがあった時に、皆さん、自家用のコメが沢山残っているので、毎年新米になるのは年末だよと言っていたのを思い出す。「なごみの」の主も精米に来ていた、お店で出す米で、これは新米だそうだ。


平成20年10月 5日(日)

 曇りのち雨。

 午前中、写真展の会場に顔を出す、ちょうど福岡から戻っておいでのT木義臣さんご夫妻に久しぶりにお会いする。(写真1写真2

 午後の便で、豊田から妹が娘と孫を連れて婆様の様子うかがいにやってきた、先行きそう長くないとみた妹は最近ちょくちょく婆様の顔を見に来てくれる。

 娘と空港まで迎えに出たが、時間があったので空港のターミナルビルから滑走路を挟んだ向こう側に行ってみた。以前IES局に滑走路の向こう側に出る道順を教えてもらっていたのですぐにわかった。遮るものがなくてよく見通せて、飛行機好きにはたまらない場所だろう、娘も大喜びだった。(写真1写真2写真3

 夕方、滉兄夫妻が訪ねてくれた。妹と滉兄夫人H子さんとは北九州時代に小中学校の同級で家も近所同士だったので、妹が事前に連絡をしていたようで、ちょど他の用事もあったのでうまい具合に時間を作ってもらって、久しぶりに賑やかな食事になった。(写真1写真2


平成20年10月 4日(土)

 晴れ。朝、霧がかかっていたので、久しぶりに城山展望所に上って見た、今日の雲海、海の上のほうも霞んでいて墨を流したようでイマイチというところだったかもしれないが、これはこれでまた雰囲気があってよかった。

 ストーブの煙突掃除をする。煙突をはずして、上から重りをつけたブラシを下ろして二三回煙突の中を往復させてハイ一丁上がり、のつもりだった。ところが予定が大狂い。掻き落としたスラッジ様のものを煙突の下で受けるために煙突をストーブからちょっと外しておいてその出口に袋などをぶら下げる必要があるのだが、その煙突がどうしても外れない、普通だと煙突を抱えて上にスライドすればスッポと外れるハズである、もし外れなければ、ストーブと煙突の間にスラッジが詰まって、ニッチもサッチもいかなくなる。メンテ屋さんに電話で聞いたところ、上のほうのスライドする煙突部分がタールで固まってしまったのでしょうとのこと。やむを得ず、普通は開けないストーブの上蓋を外して、上から落ちてたまったスラッジを取り除いた。普段は開けるために作られていないので、狭い空間に工具を突っ込んで手探りでボルトを外したりで、結局昼過ぎまで掛ってしまった。スラッジを掻き落とした結果、煙突を外すことができたが、外れることが確実であればわざわざ上蓋を外すこともなかった。

 また、開いてみて、内部の部品が高熱でかなり変形していることがわかったので、そのうちに交換しなければならないだろう。

 昼から、坂梨懐かしの写真展の会場の受付の応援に出かける、入場の皆さん、懐かしそうに昔話に花を咲かせておいでだった。また、坂梨の宿場街道散策を含めて阿蘇地方へのハイキングでみえた熊本さわやかシニアくらぶ(だったと思うが)の皆さんで会場は時ならぬ賑わいを見せた。(写真1写真2写真3


平成20年10月 3日(金)

 少し雲があったが、晴れ!

 煙突の掃除をしなければならないが、その前に畑の整理。ご近所からハクサイの苗を頂戴したが、植える場所がない、しばらく放置している間に畑がジャングル化しているので、とにかく今日は草を刈って、次に耕す準備をしなければと、朝から草切りをする。ついでにトマトハウスの後始末をして、そこにトラクターを格納した。透明のハウスだとトラクターの塗装が太陽で直ぐにダメになるから、ハウスの上からブルーシートで覆いなさいと馬場の後藤Y輔さん父子から指導を受けてかれこれ一年近くなるのではないだろうか、たったブルーシートで覆って、その上からナイロンコードで押さえるだけのことに、こんなに時間がかかってしまった、要はズボラなのである、我が家の前を通りながら、アイツまだやってないなといつも思われていたことだろう。

 もうこれも一年以上になるだろう、トラクター用にビニールハウスと同じ構造の車庫専用のハウスが買ってあるが、どこに設置しようかでズルズル延び延びになって未だに作っていない。今のビニールハウスもトマトが立ち枯れ病にやられたので、別の場所に作り直さなければならないが、今のハウスはちょっと小さすぎるので、営農用のハウスと今のハウスの中間くらいのハウスを作らなければならないだろう。

 婆様、夕方、大阿蘇病院定期通院、内科のみ、今日は早かった。

 カミさんと娘、夜、女だけの宿場会?Y子さんのお誘いで、何だろう、飲み会かな、出かける。


平成20年10月 2日(木)

  晴れ。爽やかな秋空が広がる、遅れを取り戻そうとするかのようにあちらこちらの田で一斉にコンバインが動いていた。

  昨日が更衣だった、うっかりしてまた「六日のアヤメ十日の菊」になってしまった、娘の冬服、今朝保育園の門の前で写真を撮った、ついでにお友達も(写真1写真2)。

  午前中、車検が終わった車を取りに行った、今回は大きな修理は無かった。

 この地方独特の漬物、あかど漬け、今が旬である、今の時期のほんの短い間だけの漬物である。サトイモの種類だと思うが、あかど芋の茎を塩漬けにして乳酸発酵させて作る漬物で(芋自体は硬くて食用に適さないようだ)、甘酸っぱい味がする、ここに住むようになって知った。 


平成20年10月 1日(水)

 昨日が半期末であったことを今朝になって知った。今までは、9月30日という日は意識しなくても期末だと分かっていて、習い性となって何かやり残したことは無いかと落ち着かないこともあったが、今回は全く気がつきもしなかった、浮世離れが身に付いたということである。それでもまだ年度末については多分忘れることは無いと思う。

 台風15号、予想通り九州に上陸しないで日本から離れて行った、離れるというよりは、九州近くまでようやくたどり着いて息切れして雲散霧消した感がある。今年は下手糞のゴルファーのような台風ばかりで助かる。

 それにしても、今回の台風、台湾での猛威を映像で流して、いかにもこの大変な台風が日本に来るぞとばかりに不安を煽るような編集方針、勢力が衰えるのは明らかに分かっているのだから(すでに放映の段階では衰えていたのだから)、その点をまず強調すべきなのに相変わらずのマスコミのバカ報道姿勢である。

 今回のように遠くかすめても、一応は「台風一過」、抜けるような青空が広がり、降り注ぐ太陽はすでに夏のそれではなく、もう完全に秋のやわらかな日差しに変わっている。

 祭りの後始末の伝票整理などで日がな一日を過ごす。ふと思い立って、里芋とダイコンとイカの煮物を作る、昔からこれが好きだ。






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