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平成20戊子(2008)年11月の記録(新しい日付けの順)


平成20年11月30日(日)

 晴れ、雲多し(だったかな?)、 今日も家でゴロゴロしていたので屋外の天気、あまり記憶がない。

 喉が痛い程度で、熱は測っていないのでわからないが多分無いだろう、あっても平熱より幾分高い程度だろうと思う。置き薬を飲んでごまかす。まあ、こんなものだろう。

 朝は小生が、夕方はカミサンが娘を連れて婆様の様子を見に行く。小生が朝行った時には独りでベッドから降りたのか、少し手伝ってもらったのか、ポータブルトイレに座っていた、用を足し終わってから独りで何とかベッドにもぐり込んでいた、そこまで動けるようになったのだ。夕方の様子を聞いたらやはり元気だったそうだ。考えてみたら、先月の31日入院したのでちょうど丸一か月ということになる、ボケないでよく頑張っている、見たところ入院前と全く精神状態は変わっていない、果たしてあと何日で退院できるだろうか。


平成20年11月29日(土)

 曇り。

 ひたすら静養に努める。

 朝は小生が(マスクをして)、夕方はカミサンが娘を伴って婆様の様子を見に行く


平成20年11月28日(金)

  昨夜の雨は頂上付近では雪だったようだ、先日の初冠雪が融けて消えていた五岳がまた白くなっていた

 どうも風邪をひいたらしい、喉が痛くて、関節が少し痛む。いつ引いたのだろう、いつも家族が風邪をひくと健康管理がなっていないだとか、軟弱だとかボロクソに言っているのでちょっとカッコが悪い。意地でもこのまま治して見せよう、精神力、精神力。

 今日も賄い方を引き受ける、手を抜こうかと思ったが娘が小生の料理を楽しみにしているので気を入れて作った。牛肉と野菜をたっぷり10種類くらい使った甘酢あんかけ風のオフクロの味である。子供のころから好物だったので、レシピを残して死んでくれと昔から言っていたが、まあ、教えてもらったわけではないが、味から解析?して作るようになった。白菜、絹さや、シイタケ、ニンジン、玉ねぎ、もやし、えのき、ナス、タケノコ、ピーマン、今日はちょうど10種類だった。

 昇降機の主要材料をN島純一の会社経由で取り寄せていただくことになった。ホイストはまだだが大体目処は立っている。問題は、婆様を座らせる、吊り具である。スリングシートと言ったり、介護用の吊り具と言ったり、言い方は色々だが、健康福祉器具は、補助金が貰えることが前提になっているせいか、どれもこれも皆高価である。補助金を出す側、つまりお役所が鷹揚だから、こんなに値が張るようになるのだろうか。今回はそういった高額介護福祉器具に対抗して、こんなに低価格できるぞということを示したいこともあるので、この部分に高いものは使いたくない。何かまた良いアイデアでもでないかと、いろいろとネット検索中である。これだけ高齢化が進んで、介護用品が巷にあふれているのに不思議とリサイクル市場があまり整備されていない。こういったスリングシートの中古、リサイクル品を扱っていないか、とある業者に問い合わせたら、ないことはないが、再利用する際の安全基準が厳しくてなかなか出せないという。まあ商売で売る以上は仕方のないことか。

 日課である、朝と夕、婆様の様子を見に行く。


平成20年11月27日(木)

 晴れのち雨。朝は晴れて、気温は氷点下、霜も降りていたが、昼頃から雨になった。今日は最高気温が6℃に達することがなく肌寒い一日だった。

 今日は賄い方を頼まれた、雨で屋外作業が出来ないのでちょっと時間をかけて、小アジの南蛮漬けとイカと里芋とダイコンの煮物の二品を作る。

 朝夕、婆様の様子を見に行く。じっと寝ているしかないので気分が良い時はひたすら読書、「磐音」の八巻目にかかっていた。


平成20年11月26日(水)

 今朝は、少し冷え込んで霜が降りて、霧が発生した、その分、昼間は良い天気になった。

 どこの図書館でも既に実施済みだと思うが、ここでも最近、図書館のシステムが電子化されて以前に比べて借りやすくなった。ネットで予約をしておくと、貸出されてあった本が返却されるとメールで連絡が入る、今回初めて利用した。ただ、個人情報がどうのこうので、返却された後は、その人の貸出記録は削除されるらしくて一切記録が残らないという、ふ〜ん、そんなものかねえ。

 今日も一日あれやこれや家の用事をして過ぎた。例の昇降機については、やっつけ仕事は出来ないので、慎重に計画を進めている。今日は、吹き抜け部分の母屋材にレールを取り付ける際には簡単な足場を組む必要があるので、その場所の確認や、足場板の用意をした。我が家には4mの足場板があるが、それだと長すぎて入らないので、3mものを買ってきた。またレールを取り付ける際には、相手が木材なので、単なるビス止めでは弱いだろう、鬼目ナットを埋め込めば大丈夫だろうか、やはり、通しボルトで留めた方が確実だろう、穴を開ける場所に障害となるものはないか、などなど、一つ一つ具体的に確認を取っている。目よりも上の方を横に走っている4寸厚の材木に8mmのボルトを通す穴をまっすぐに開けるのは結構大変だと思う、ネットで調べて、ドリルガイドなる垂直にドリルを立てる道具があることを知って今ネットで注文を出している。肝心の主要材料の注文先はまだ決まっていない。全部お膳立てが出来たら一気にやってしまうつもりでいる。

 午後から、薪つくりをする。明日はまた天気が崩れそうである。

 朝夕、病院に婆様の様子を見に行く、そうそう目に見えて変化があるわけではないが、そろそろ一ケ月になろうとしている。



平成20年11月25日(火)

 曇り。

 今日はわざわざ日記に残すようなことはなかったが、それでもあっという間に一日が終わった、時間が経つのが早すぎる。

 カミサンが職場の健康診断で引っかかって、今日蒼い顔をして熊本市内の病院に再検査に出かけて行った。白か黒かのどちらかで、ちょっと「ヤバイ」状態かなと憂慮した。古閑先生の紹介で事前予約抜きで診てもらえたそうで、早速組織を採って調べてもらった結果、日を置かずに即日結果が出たそうで、夕方、安心した様子で帰ってきた。どうやらセーフだったらしい。以前にも他の科で同じように引っかかって再検査を受けたことがある。カミサンくらいの若さで、そもそも再検査になること自体おかしい、日常の己が健康管理がなっていなからである、天がイエローカードを出して注意をしてくれていると思って爾今よくよく心すべし。


平成20年11月24日(月)振替休日

 夜のうち、かなりの雨音で目が覚める、その雨も昼前後には一旦上がったので、このまま回復するかと思ったらまた雨が降り出し、結局弱いながら一日中降ったりやんだりであった、そして、今日は気温は低くなかったものの、ことのほか風が強くて昼前には一時10mくらいの突風が吹いていた。

 今日、早々とランドセルが届いた。早々と書いたが、周辺ではもう皆さん準備が終わっているとも聞く。子供たちが小学校入学を楽しみにしていて自然に気持ちが逸って、それにつれて準備も早くなるのだろう。早いといってもそう先でもないのか。ランドセルの手配については父親はまったく無関心、ノータッチ、どういう方法で用意したのかも全く知らない。

 そういえば学習机を作ってやる約束をしている。入学用品は親の弱みに付け込んで必要以上に高価なので、お父さんが作ってやろうかといったところ、子供は金額の多寡は分からないので、ウン作って、と言っているが、考えたら時間的にはそれほど余裕があるとは言えなくなっている、大人なら中古でも構わないが、せっかくの学問の門出だから新しいほうがいいのだろうな、買った方が早いかな。

 娘、千葉のおばあちゃんから、送られてきた着物を嬉しそうに、照れくさそうに着ていた

 大分県ウオーキング協会 が主催する、「肥後街道歴史ロマンウオーク」の一行が今日午後2時過ぎに坂梨宿を通過して行った。豊後街道を大分側から見ると肥後街道となるらしい。加藤清正が参勤交代や軍事目的で開いた街道を、参勤交代と同じ日数をかけて踏破する催しで、毎年、子供たちが夏休みに「参勤交代徒歩の旅」と称して歩いている街道を、今回は主催は別であるが、一般を対象にして行われ、総勢約60名の老壮男女(中には少女も交じっていた)が雨交じりの天気の中、今日のゴール地点の宮地駅に向けて発って行った。坂梨宿場会では今回もお茶の接待をした。我々も坂梨宿場会を名乗る以上は、一度、全コースを踏破してみたいものだと仲間同士で話しているが、実現できたら良いと思うものの相当の体力が要求されるだろう。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 朝夕、婆様の様子を見に行く、今日は入院後二回目の入浴があったそうで、サッパリしたと言っていた。


平成20年11月23日(日)勤労感謝の日(新嘗祭)

 曇り。

 馬場八幡の新嘗祭。午前10時に各総代集合して境内を清掃して、午後二時から神事が斎行された、年間の主要行事はこの後、12/30の大祓と1/1の元旦祭がある。

 朝夕、婆様の様子を見に行く。今日は喉が痛いと電話で言っていた、風邪か、あるいは空気が乾燥していての喉痛か、家でよく使っているフリスクを持ってこい、というので届けるが、大したことなさそうであった。骨折の方が徐々に気にならなくなってくるのに併せてどうでもよいことが気になりだすと言うと怒るが。

 夜、SさんのところにPCのサポートに行く。
平成20年11月22日(土)

 文句なしの快晴、小春日和。朝は氷点下3℃、日中の最高気温も13℃どまりだったが、風も全くなくそういった数字以上の温かさを感じさせるような気持のいい一日だった。日中はシャツ一枚で十分だった。夕方には明日もまた良い天気を想像させるような素晴らしい夕焼けが広がっていた。

 そんな良い天気の中、今日は一日中屋外で過ごした。娘が、5月に保育園で植えた時に一緒に貰ってきて我が家でも植えたカライモを今日掘り出した、大きくなりすぎていた。

 今日もノンビリと薪つくりに精を出した、娘も空の一輪車を押して手伝ってくれた。世間では今日から三連休のところも多いのだろう、せっかくの行楽地に住んでいるのだからと我が家でも急きょ昼は庭先でバーベキューをした

 朝夕、婆様の様子を見に行く、今日は休みで特に治療は無かったようである。


平成20年11月21日(金)

 晴れ、のち、午後に入って少し降る。気温はそんなに低くはなかった、氷点下になったのだろうか。

 朝、娘が朝ぐずぐず言うので勝手にしろと放っておいて、結果的にまた朝飯ヌキになってしまった。

 午後から、薪つくりを始めたが三時前に細かな雨が降り出したので、早めに切り上げる。

 朝夕、婆様のところに寄る。一つには朝、新聞を届けて、夕方、回収するのである。



平成20年11月20日(木)

 晴れ。予報ほどには気温は下がらなかったが、それでもグンと冷え込んだ。阿蘇乙姫 -4.0℃(04:49)、今季最低、たかな畑も霜で真っ白になっていた。

 今日は忙しくてしみじみ風景を楽しむ余裕がなかったので気がつかなかった、夕方、古閑の滝が少し凍結しているのに気がついた。いよいよ今年も古閑の滝のシーズンがやってきた。と言ってもこの凍結は直ぐに融けるだろう。

 娘が今日から保育園に復帰して、ようやく羽が伸ばせた。早速、菊陽町のハンズマンに、昇降装置の材料探しに出かけた。同等品はあったが、目指すメーカーの部品は無かった。近所のF木商店に寄ってみたら少し型番が違うが欲しいメーカーのものがすぐに取り寄せられるそうである、どうしようか。

 午後から、ストーブの部品の取替え作業と、ついでに煙突掃除をした。ストーブの構造には色々あって、我が家のストーブの構造はシンプルである。燃焼室の上部に燃焼効率を上げるバッフルというプレートがあって、そのバッフルの上に断熱材になるのだろうか、グラスウールを敷くようになっている。数年使っているとかなり重量のある鋳物製のバッフルが熱で驚くほど変形してしまう。グラスウールボロボロになる。ストーブの総代理店に工事屋さん経由で注文したところ消耗品にも関わらず、しかもシーズンに入ろうとしている時期にも関わらず、在庫がなくて生産国の北欧から取り寄せになるということで、ひと月ほど待たされた、バカヤローである。

 婆様、入院以来今日初めて風呂に入ったそうで、サッパリしたと喜んでいた。



平成20年11月19日(水)

 朝、予報通り雪景色に変わっていた。ボンの散歩コースに沿って雪景色を撮る(写真1写真2写真3写真4写真5写真6)。平地(といっても標高500mはあるが)ではこれが初雪である。気温も深夜に−3.7℃を記録したがそれ以降は緩んでいった。しかし、日中でも精々6℃くらいまでしか上がらず寒い一日になった。山もいよいよ冬景色(写真1写真2写真3)、九州では阿蘇山に最初に雪が降るのだろうか。娘が「雪だア、わースゴイ」と喜んでいた。

 その娘、ほぼ平熱に戻るが、用心のため今日も保育園を休ませる。今回は一度も喘鳴が無かったが、成長するにつれて喘息は軽くなるそうだがそのためだろうか。ああ、一日の長いこと、長いこと。

 朝と夕、婆様の様子を見に行く、調子は悪くはなさそうである。

 今夜は空が冴えわたって星がきらめいている、明日は氷点下6℃の予報が出ているが・・・・


平成20年11月18日(火)

 どんよりと重い雲に覆われて夜が明ける。通常は明け方が一番冷え込むが、阿蘇乙姫では深夜(01:40)3.2℃の最低を記録して、そのあとに雲が出たために朝には5〜6℃に上がっていた。一方、阿蘇山でも、同じく深夜(01:56)に 0.8℃を記録して、これが今日の最低かと思ったら、夕方になって気温がどんどん下がり始めて、阿蘇乙姫では18:58には-1.5℃、阿蘇山頂では19:00には-4.5℃まで下がっている、この後も暦が替わるまでもっと下がると思われる。

 その阿蘇山、午後から少し日が射して、姿を現した頂上が少し白くなっていた。初冠雪(これが初雪になるのだろうか、山頂では何日か前に少し降ったような気もするが)である。そして、今夜から明日の朝にかけて、まだ11月だが真冬並みの寒さになるらしい、どうやらここでも雪を見るようである。

 娘、今日も元気だが熱が下がらずに保育園を休む、従って小生も一歩も動けず。パソコンをやらせろとうるさいので、余っているパソコンを使わせてやったら、ローマ字入力で50音を打てるようになったと喜んでいたが、カミサンが熱があるのにそんなことをさせるから熱が下がらないのよと怒っていた。「あAいIうUえEおO」は直ぐにおぼえて、かきくけこは、「か」は「かーア」だろう、「き」は「きーイ」だろう、だからKにアAをつければ「か」になるし、KにイIをつけたら「き」になるだろうと教えたら、大体分かったようである、尤も直ぐに忘れるだろうが。何故ローマ字入力かというと、キーボードのカタカナを見て50音で入力しようとしていたので、どうせならローマ字入力のほうが、後々覚えるのに二度手間なならなくて良いかなと思ったわけであるが、少し早すぎたかなと思わないでもないが、強制したわけではなく、本人がやりたいと言うのだからまあ良いだろう、嫌ならやらないであろうし。ピアノだって、訳もわからず弾けるようになっているのだから同じことだろうと考えた次第である。

 婆様を朝と夕方様子を見に行く。今日、抜糸をしたそうである。本人は抜糸が済んだのでもう直ぐ退院できると思っていたようだが、まだまだ一月くらい掛かりますよ、と先生に言われてガッカリだそうだ。


平成20年11月17日(月)

 曇り、気温高め。ただし、
「ASO安心安全情報 配信
 題名:気象情報について
 11月17日11時30分の熊本地方気象台発表の気象情報によりますと、熊本県では18日から強い寒気が南下し、冬型の気圧配置が数日間(21日頃まで)続く見込みです。気温が下がり、山地などを中心に降雪も予想されます。農作物の被害や交通障害の恐れがありますので、ご注意ください。(阿蘇市総務課)」の由。明日から寒くなりそうである。

 娘、朝、元気がないので、熱を測ったところ38℃近くあったので、保育園を休ませる。今回は喘鳴もないようなので、医者には連れて行かなかった、夕方には38℃を超えていた。結局、小生一日動けずである。

 午前中、娘を留守番させてちょっと婆様の様子を見にいったが、今日は調子がよさそうで、本人もそのように言っていた。夕方カミさんが帰ってきてから娘のケアを引き継いで、再度行ってみたが、食事中でしっかり動作をしていた。

 夜、T男さんのお宅にインターネットの設定に伺う。


平成20年11月16日(日)

 曇り。昨夜は結構まとまって降ったようで、その雨、今日まで持ち越すかと心配したが、朝には上がってくれてホッとした。

 今日は二年ぶりの蕎麦切り隊出場の日だ。今回は豊後街道の参勤交代道を入ったところにあるI原孝弘さんのひごたい工房<http://sf.kcn-tv.ne.jp/users/taka-higotai/>をお借りして一日だけの出店となった。今回も小生は竈前を担当、一日中蕎麦を茹で続けて気心の知れた仲間たちと時間を共有することができて心地よい疲労感を覚えた。蕎麦切り隊は商売ではなくてあくまでも我々の「遊び」である、M岡夫妻などはわざわざ東京から毎年皿洗いのためだけに飛行機でやってきてくれる、大いなる、そして贅沢な遊びである。詳細はサイト坂梨宿で報告があると思う。小生は竈の前から離れることができず、記録写真も撮る時間がない中で、tomuさんご夫妻や、婆様の病状を気遣って様子を見に来てくれた従兄のK兄や、そのほかツーカーの坂梨の人たち(写真1写真2)、あるいは友達の友人たちをカメラに収めることができた。

 店じまい後、病院に娘と婆様の様子を見に行ったところ、ちょうど夕食時間で、食堂に集まっていた。今日は見たところ調子は悪くなさそうであった。

 娘は今日、N樹君のお母さんからN樹君たちと一緒に図書館に連れて行ったもらったそうである。



平成20年11月15日(土)

 晴れ(曇っていたかな)のち夕方近くから弱い雨になる、数日続いて乾燥注意報が出されていた天気も秋雨に変わる。

 リカバリーを頼まれていた村内のT男さんのPC、朝のうちに出来あがって届ける。

 昼前、tomuさん来訪、小生のホイストのアイデア、説明だけだとよく分からないと実地検分、氏も機械屋さんで、この道にかけては一家言ある人である。我が家の構造、間取りから、今回の小生の計画、概ね合格点をもらえたようだ。

 明日は一昨年以来の蕎麦切り隊の出場で、今日はその準備、午後から、今年の会場としてお借りした、ひごたい工房で準備作業をする。

 朝夕と婆様を見舞う、今日もあまり調子が良くなかったようだ。

 夜10時頃、防災無線で中通で火災発生の報、遠く雨で煙る夜空が赤く染まっていた。


平成20年11月14日(金)

 本日も快晴、日中は気温も高くて、もう数日間、いい天気が続いている。阿蘇乙姫の最低気温は 3.9℃(07:33)、阿蘇山では 5.8℃(06:43)、時間が少し違うが逆転現象のようだった、今朝、阿蘇谷はずいぶん長い間深い霧に包まれた。

 午後から郷土史研究会の例会に出席する。

 婆様のところに朝昼夕と三度顔をだす、夕方にはちょうど夕食で食堂に行くために車いすに座っているところだった。娘、保育園で七五三の飴を貰って、おばあちゃんにひとつあげていた。


平成20年11月13日(木)

 今朝は熊本市を含めて県下、今季最低のところが多かったようだ、阿蘇山頂も 1.3℃(07:01)で今季最低。阿蘇乙姫では2.1℃(06:44)、ここは今季最低ではなかった、朝日に、畑から盛んに水蒸気が立ち上っていた。阿蘇市も広いから連日霜注意報が出ていてもこのあたりではなかなか霜を見ない、外輪上の阿蘇市域ではどうなのだろうか。

 今日も終日気持ち良く晴れて、日中は暑いくらいだった、山の上も風がないと見えて普段風向きの関係であまり見えない中岳の噴煙がまっすぐ上がっていた

 今日も、薪割りをする。

 娘、入学前の健康診断やら、ちょっとした面接のようなものがあって、母親に連れられて昼から保育園の隣にある小学校に出かけて行った。考えてみたら、もう半年もしないうちに小学校に上がるのである、光陰矢のごとしである。

 そう言えば、小生も、その昔、今日と同じように小学校に上がる前に、知能テスト(と当時言っていたと思う)を受けたことを覚えている、それは、一問一答のスタイルで、先生からいろいろなことを質問をされて、それに答える形式だった。質問されたことがなんであったかは全く覚えていないが、とにかく全部答えられたことは覚えている、ただ、最後の一問だけが答えられなくて、その答えられなかった問題だけは60年近く経った今でもはっきり覚えている。それは、先生がまだ削ってない新しい鉛筆を取り出して、「この鉛筆はどちらから削りますか」だった、判らなかった。それで面接は終わったが、答えはとうとう聞かずじまいで今日まで来ている。多分、答えは、「鉛筆のメーカー名やHBなどが印刷されていない方から」だったのではないかと思う。良い問題だったのかどうだか分からないが答えられなかった。昭和25年(だったかな)福岡市立筥松小学校。

 婆様、朝はそうでもなかったが、夕方、娘と見舞ったときは、あまり調子が良くないといって寝ていた。

 夜、坂梨宿場会例会。


平成20年11月12日(水)

 晴れ。今朝も霜注意報が出されていたが、霜が降るほどには気温が下がらなかった(5.4℃)。そして一日中穏やかに爽やかに晴天が続き、屋外で作業をしているとシャツ一枚でも汗ばむほどだった。明日も間違いなく晴天だ、今日も山が夕日に美しく映えていた

 朝と夕方、婆様を見舞う、今日は少しは良いようだ

 今日は薪を作りをする、晴天下での作業は気持ちが良い。

 夕方、娘と二人で古閑医院にインフルエンザの予防注射に行った、早くも阿蘇市内でインフルエンザが発症しているやに聞いている。小生が娘を撮り、娘が小生を撮った。娘はちゃんと半押しをしてピントが合ってからシャッターを押す術を知っている、カミサンよりしっかり撮る。


平成20年11月11日(火)

 阿蘇乙姫 5.4℃(05:05)、霜は降りなかった 、阿蘇山頂は 2.7℃(05:55)で今季最低だったそうだ。もっといい天気になるかと思ったがそれほどでもなかった。

 ご近所から頂戴したキャベツの苗を定植した。少し前、同じように白菜の苗を頂戴して定植したが、何株かうまく根がつかなかったところがあったので、その部分にキャベツを植えた。

 婆様を朝夕二度見舞う。夕方には娘を保育園に迎えに行ってその足で二人で病院に顔を出したところ、いねむり磐音を読んでいた。秋山小兵衛を読んでいたが、すぐにベッドから落としてしまうので、借り物だからと、強制的に磐音に取り換えた。既に、全部読んでいるが、すぐに忘れるので、また最初から読んでいるが、面白いと言って読んでいた。認知症ではないが、映画も見てはすぐに忘れるので、二度三度と楽しめるので安上がりだねといつも言っている。「磐音」、宮崎方面に行く予定だったが、少しお待ち願うことになった。

 ここ数日、頭を悩ませていることがある。婆様が退院してきた際に、たとえリハビリをやってきたとしも、多分長期間入院をした結果、自力ではもう歩けないのでないだろうかと考える、それはまあ車椅子でカバーできる。問題は二階と一階の移動である。

 入院前ですら、上り下りが大変だったので、退院後は間違いなく自力では上り下りは出来なくなるだろう。我が家では二階の方が、特に冬の場合は居住性が良いので、婆様の居室は今まで通り二階にするとしたら、食事時や入浴時は階下に降りなければならない。背負って上り下りの手もないではないが、婆様は一般的な年寄りにしては重い、40キロ台ならなんとかなるが、50キロ以上あるのでないかと思う。その昔、何かの折に(確か病院に連れて行こうとしたと思う)婆様を背負うとして、重すぎて立てなかったことがある、「たはむれに母を背負ひてそのあまり重きに泣きて三歩あゆまず」である、もう10年も以上も前のことである、その時からあまり体重は変わっていないだろう、一方、今や小生は前期高齢者になって昔に比べて体力が落ちている。老老介護である。従って、どうしても機械力に頼らざるを得ない。

 ネットでいろいろ検索して、機械化の方法を随分と考えた、思いつくだけの沢山の検索用語を駆使して方法を探した。介護用器具、避難器具、登山用具、ウインチ、クレーンなどなど。資金さえあれば「家庭用のエレベータ」であるが、それは論外である。そして、結論として、幸いに我が家は一部吹き抜けになっているので、「椅子に座ったような姿勢でホイストクレーンで吊り上げて一階と二階の間を荷物の様に上げ下げする」ことにした。

 「ホイストクレーン」を使うことは結構スンナリと自分の中では決まったが、問題はそのホイストクレーンをどういう風に使うかである、これで何日も考えている。

 要は二階で婆様を乗せて、その場で引き上げて、吹き抜け部分に移動させて、真っ直ぐ下に降ろす、そしてその逆をやる。この移動のさせ方が難しい。ネットで調べたら、単管を支柱にしてそれにブームを付けて、90度旋回せて空中に移動する方法があり、そのための部材が売っている。これだとブームを750mm伸ばした場合、300kgの重さに耐え、1100mm伸ばした場合には、100kgの重さに耐えるとある、しかも価格が馬鹿安い(中国製というのが何よりも不安である)。単管の取り付け方法もある程度目処がついた、そこでこれだなと思って取り寄せた、ダメなら屋外で使う手があるからである。

 そこで、少し問題が生じた。二階から吹き抜けの空間まで移動させるに際して、そのままスッと横に振りだせない、手すりが邪魔なのである。つまり、二階で吊って、一旦手摺りよりも高く揚げてから、空間に移動させる必要がある。そうなると、ブームを可能な限り高く取り付けても、補強用の斜めの部材が邪魔をするので、ブームを天井すれすれまで上部に持ってこれないので、そのブームにホイストをぶら下げて、それに更に婆様を吊るすとなると、やってやれないこともないが、手摺を越えることがちょっと苦しいのである。

 この方法が駄目となると、一般的にホイストを使う場合の方法、つまりH型鋼のレールを走らせるか。丁度良い具合にすぐ上に120mm*300mmの母屋(もや)が通っているので、木造であっても取り付けられないことはないかもしれない、ただ、たかが安全を見ても100kgくらいのものを吊るのにH型鋼は大げさだろう、それに取り付けが結構大掛かりになりそうである。

 そこでまた考えた。そんなことをしていたので今日も屋外作業が疎かになってしまった。そして、とうとう、これだという方法が見つかった、これなら絶対に大丈夫だ、費用も掛からずに出来る。トロリーも要らない、150kgまで大丈夫そうで、しかも日本製である。この方法をもう少し研究することにした、まだ日はある。

 後はホイストの選択である。これがまたピンからキリまである。荷物は人間である、費用と安全と天秤に掛けながら選ばなければならない、それと、このアイデア、結構高く吊りあげるので、果たして婆様が承知するだろうか。


平成20年11月10日(月)

 新聞休刊日だった。だからどうだということではない。

 曇り。終日重く雲が垂れこめていた。屋外作業が出来ない天気でなかったが、差し当たっては薪作りしかないが、それには木が湿りすぎていて不適のため、室内で神社の事務処理や読書やらで過ごす。

 婆様、骨折時の猛烈な痛みから手術によって解放された時には、ホッとして穏やかな状態だったが、もう10日も寝たっきりでほとんど動くことがないので、大分気分が良くないようで、今日も目まいがすると言っていた、そして眩いからとタオルを目に当てて寝ていたので、100円ショップでアイマスクを買ってきて渡したが、そうだな、10日もじっと寝ているばかりだと確かに気が滅入るだろう。もう少し回復して体が動かせるようになると大分違うのだろうが、今が一番苦しいかもしれない。
日に二三度は顔を出すようにしているが、その程度のことではあまり助けにはなっていないのだろう。

 明日は霜注意報が出されているが・・・・
平成20年11月 9日(日)

 雨模様、気温は決して低くはないが、それでもこんな天気だから肌寒い。山の頂上部に雲がかかっていて、もしかしたら初冠雪でもあるかなと思ったが、雲が切れて頂上部が姿を現したが、まだそこまでは気温は下がっていないようだ。空模様、快方に向かっているようだ、雨があがった山肌、紅葉が美しい

 坂梨宿場會で今年二回目の滝室坂の草刈りが、小雨交じりのなか行われた。この天気だから参加者が少ないかなと心配していたが皆さん意気軒昂で、たくさんの会員が集まって、今の時期、もう草の勢いもなく、気温も暑くなくで、快調に作業を終えることができた。(写真1写真2写真3

 婆様、異状なーし、ヨーソロー。

 娘とカミさん、熊本までピアノだか何だかを聴きにゆくとか言って昼から出かけていった、どこでなんという演奏会があるのか全く関心なし。

 寺さんが今日の午後ハワイにゴルフをしに出かけた、小生も、10年はまだ経っていないと思うが、たった一度だけ行ったことがある。

 最近、時々気まぐれに少しLinuxというOSに首を突っ込んでいる。Linuxを使うには、Windowsマシンとは別にLinux専用のPCを用意するか、同じPCにWindowsとLinuxを入れて起動の段階で切り替えて使う方法がある、その他に、CDやUSBメモリから直接起動するLive Linuxというのもある。これはPC本体がWindows環境であっても、そのPCのCDドライブなどから直接LinuxをWindows環境下のPCに影響を与えること無く起動して、そのPCのハードディスクには全く変化を与えないでLinuxを使うことができる。だからLinuxが入ったCDやUSBメモリを持っていけば、他人のPCをちょっと借りて、CDドライブなどから起動することによってそのPCに何ら痕跡を残さずにLinuxを使うことができるのである。さらに、これがスゴイ、Windowsが動いているPC上に、Windowsのアプリケーションで、バーチャルなPCを作って、そのPCにLinuxをインストールする方法がある。これが、Windowsがメインだけどちょっと簡単にLinuxも動かしてみたいという向きにはぴったりである。この仮想のPCを作るソフトウエアがVMwareというもので、無料で提供されている。このVMwareをWindowsマシンにインストールして、このソフトで出来た、仮想のもう一台のPCにLinuxをインストールして、キーの切り替えで双方を起動したまま、WindowsとLinuxの間をワンタッチで行き来できるのである。LinuxというOSは、WindowsというOSが基本的には一種類しかないのに対して、何百種類とあって(メジャーなものでも何種類もある)、しかも世界中で頻繁に改良が加えられているので次々に新しいバージョンがでて、どのLinux(ディストリビューション)を使えばいいのか、今だに迷っていて、定まらない。今回VMwareで動かしてみたLinuxはVine Linuxというやつである。


平成20年11月 8日(土)

 昨夜はかなりまとまった雨が降ったようだ、明けても終日はっきりしない天気が続いた。気温はそれほど低くなかったと思うが、ついストーブを焚いてしまったので屋外の温度はあまりよく分からなかった。全国的にはおしなべて気温が低かったようで、特に北海道では低気圧で相当荒れて雪がかなり降ったようである。

 今日は病院へ三度ほど足を運ぶ以外はずっと屋内で雨読して過ごす。明日は滝室坂の草切り予定だが雨は大丈夫だろうか。


平成20年11月 7日(金)

 暦の上では本日立冬だとか。秋色いよいよ深まり、ここ数日で杉林が多い我が家の周辺も、外輪も一気に紅葉が進んだ。気温は高めで終日小雨が降ったり上がったりの繰り返し、雲が重く垂れこめていた

 tomuさんが婆様を見舞ってくださった、懸命にお気遣い無くと申し上げてあったが、昼過ぎ頃か、婆様の電話によると、小生が来るな来るなと言っていたので、と婆様の体調を気遣ってくださって、遠慮がちにさっとおいでになってさっとお帰りになったそうである、申し訳ないことをした。

 日を追って、回復しているように見受けられる。今日は、下のリハビリルームまで遠征してリハビリを受けたそうで、朝食だったか、昼食だったか食堂で皆さんと一緒に食べたそうである。なまじ携帯があるから、下らん用事で頻繁に電話が入る、ワガママ婆さんである。

 久しぶりにプールにゆく、1000m、68.1。


平成20年11月 6日(木)

 うす曇りで明ける、気温は高め。予報より半日ほど早めに昼過ぎ頃から雨が降り出す。夕方には雨が上がる、たぶん、夜にはまた降るのだろう。

 朝と夕方様子を見にゆく、婆様、異状なし、昨日より気分が楽そうである、今日から新聞を届ける、読む気になったらしい。

 早くもたかなの芽が出始めた

 娘、昨日、隣り合わせにある小学校のカライモ掘りに保育園からも参加、今日はその畑の隣にある保育園のイモ畑でカライモ掘り、連チャンである。そういえば、保育園の芋苗植えの際に貰ってきた芋が我が家でも収穫期を迎えている。小生、カライモはどうもなあ。イモ、タコ、ナンキン、カボチャも苦手である、タコは嫌いではない。

 先日受けたアドバイスに従って、浄化槽の縁に生えている竹を切る。その時の話によると、どこかの公共施設の浄化槽が竹に打ち破られて、何千万円かで造り直したそうである、竹の根の力、バカにならない。

 我が家の駐車スペースに使っている一角の端の方が少し狭くて二台駐車しにくいから角の方を少し広げてくれ、と我が家の下手糞が言うので、茶の木を少し切って隅の方を広げた。都会の駐車事情を考えてみろと言ったが、都会は都会、田舎は田舎だそうだ。

  昨日だったか、オバマが第44代のアメリカ大統領に決まった。「アメリカの」である。「世界の」でもなければ、ましてや「日本の」でもない、まるで救世主が現れたかのように日本ではマスコミを先頭に大騒ぎであるが、彼はアメリカの国益を一番に考えるのである、救世主だとすれば「アメリカの」である、日本では町を挙げて大騒ぎをしているところもあるが大丈夫かい?なにかあるといつも日本のマスコミが一番たくさん集まる、どうしてこうも軽薄なのか。


平成20年11月 5日(水)

 阿蘇乙姫 1.6℃(04:54)、もちろん今季最低。散歩のときには4℃台だったが、(これはいつも書くことだが)冷え込んだ時はさほど寒さを感じない、天気が良くて、風がないからである。それでもさすがに軍手の指先が冷たく、耳も少し痛かった。心配していた霜もおりていなかったようだ、霜がおりる、おりないは、一概に気温だけで決まるのでは無いと見える。

 婆様、朝、様子を見に行ったら、昨日に比べたらずっと楽になったそうで、朝食も全部食べたと言って、本を読む気力も出てきたようだ、今日、さっそくリハビリが始まったそうだ。と言っても、寝たままで足のマッサージだけだったそうだが、考えてみたら、昨日の今日である、まずは足先の血行促進からだろう。

 昨深夜、突然、枕もとの携帯が鳴りだしたので、すわ、病院からか、と飛び起きたところ、送信者に婆様の名前が表示されている。何事かと思ったら、「ちょっと体を起こしてくれ」、と言う。どうしたんだ、そんなことは、看護婦さんに頼めと言ったら、エッ?。家で、よく身動きできなくなって、小生を呼びつける時など、携帯を使うことがある。それだったのだろう、眠り薬か鎮痛薬かで朦朧としていて病院にいることを忘れて、自宅に居て、階下の小生に連絡をしたつもりだったらしい。婆様は携帯を持っている、でも朦朧とした状態でよくメモリーを呼び出して電話を掛けられたものである、そして、今朝になってそのことを聞いたら全く覚えていないと言う。オイオイである、認知症でもないだろうが変な心持である。


平成20年11月 4日(火)

 どんよりとした曇り空で明ける、気温は低くはなかったが、このような天気の時は火が恋しくなり朝のうちだけ、ストーブを焚く。その天気もどんどん回復して気持のよい秋空が広がり、夕方には雲ひとつなく夕映えが美しかった。 明日の朝は冷え込みそうだ。北海道では各地で初雪が降ったらしい、おーさんの当別でも降ったことだろう。

 婆様の手術、午前中に心臓の検査があり、午後1時半頃から4時頃まで、実質2時間くらいだったろうか、無事に終了する。エックス線写真を見せてもらったが、しっかりとボルトが打ち込んであった。腰椎麻酔というのだろうか、手術室から帰ってくる途中、意識がはっきりして良く話していたので、高齢なのにシッカリしたお母さんですねと看護婦さんたちに感心されていた。病室に帰ってから、血圧や脈などを測る機器につながれて、これも一応決まりだからと酸素マスクをかぶせられて、結構物々しい雰囲気なので、娘が驚いていた。明日にでもリハビリが始まると思うので、寝たきりにはならないと思うがそれでも一か月以上は入院しなければならないだろう(と思う)。消灯前に皆で様子を見に行ったが、麻酔が切れて、イタイと言っていた、そう頻繁に痛み止めを使うことはできないので我慢の一夜になるだろう。 (写真1写真2

 保育園の文化祭が今日から始まった。(写真1写真2写真3

 年に一回の合併浄化槽の清掃があった。浄化槽に接するように孟宗が生えていて、清掃会社の担当からそのままにしておいたら浄化槽を突き破るから切った方がいいですよと注意を受けた、近々切らねばなるまい。


平成20年11月 3日(月) 文化の日(明治節)

 昨夜降ったらしい、朝になっても少し雨が残っていた、そして終日陰鬱な空模様が続いた。

 婆様、今朝様子を見に行ったところ、本を読んでいた、ようやく読書をする意欲が出てきたそうで、朝食も全部食べたそうである、顔色も生気が戻っていた。二三年前の入院時に髪を切ってもらった看護師さんのことを覚えていて、その時の礼を言っていた、骨折などで入院したのが引き金になって認知症になることがよくあるそうだが、まだボケてはいないようだ。夕方、また様子を見にいったが、元気だった。

 我が家の周囲にはたくさんの野良ネコがいて、コラの餌を分捕りに来て、時には怪我を負わす、野良ネコは自分で生きていかなければならないので逞しくてコラは全く歯が立たない。最近は野良猫が来ると、さっさとボンの小屋の上に避難をするようになった、さすがの野良ネコもボンのところには近づかない、コラもなかなかの知恵ものである。餌を横取りに来た時に気がつけば追っ払うがいつも見張っているわけにはいかないので餌を犬小屋の上に置いてやることにした、これで一安心である。

 S棟梁夫人からデジカメの画像取り込み方法のサポート要請があったので工場にサポートに伺う、カードリーダーが無いそうなので、小生の手持ちのカードリーダーを持って行ってPCにデーターをコピーしようとした際に、PCとの接続具合が問題だったのか、何かメモリカードに電気ノイズが入ったのか。数百メがのデータが全部壊れて全く読み出し不能になってしまった。このカードには現在棟梁が製作中の仕事の大事な記録が入っていて、それをプリントする必要があったのだ。まあ、壊れたものは仕方がないと快く潔く納得してはもらったが、不可抗力とは言え、なんだか責任を感じてしまって、壊れたメモリカードを持って帰って、ネット検索をして復旧を試みて、僥倖に恵まれたというか、運よく全部のデータを復旧することができた。改めて、出直して、画像処理のレクチャーを済ませることができホッとした。


平成20年11月 2日(日)

 曇り。コジュケイが鳴いていた、この鳥は今の季節に里に降りてくるのだろうか、渡ってくるのだろうか。

 午前中、婆様を見舞う、骨折している方の足を牽引してもらって痛みが和らいだそうである、痛み止めを飲みすぎたせいか、胃が痛いそうである、また少し熱があるとも言っていた。

 今日も娘の相手をして竹馬を作ってやったり、鉄棒の相手をしてやったり、そして薪を作ったり、のんびりと一日を過ごす。小生も昔取った杵柄、半世紀以上ぶりに自分用に作ってみた。昔はもっと高いやつに乗った記憶があるが、小さい頃のことだからそんなに高くなかったかもしれないが、今日は1メートルの高さのものを作って乗ってみた、モチロン難なく乗りこなせたが、降りる時に地面に飛び降りたら、予想していた以上の高さに思わず足をくじきそうになった、これが歳である、ここにきて小生まで骨折したら大変なことになるところであった。



平成20年11月 1日(土)
 穏やかに晴れる。ことしもまたジョウビタキがやってきた。

 病院に手術承諾書を提出する、本人は相変わらず痛そうである。何事もなければ、火曜日の午後の手術となる。婆様にしても、娘にしても、もっとカレンダーと相談して病気をしてくれると助かるのだが、決まっていつも週末に悪くなる、重要人物ということでもあれば緊急手術ということもあるだろうが、そうそう病院のスケジュールを変えられるものではないようで、連休明けまで我慢するしかないのだろう。

 遅れに遅れていた、たかなの種まき、娘が手伝ってくれてようやく終わる(写真1写真2)。この後の天気次第だが、芽が出る頃に霜が降りる日が続くとたぶん駄目になるだろう。ここに来た最初の年は11月4日に種をまいて、そのあと確か寒い日が続いてほとんど全滅状態だった記憶がある。

 バジリコさんがダンボール箱を使って堆肥を作ることが流行っているという情報を寄せてくれたのでネットで調べたら、全国的に結構話題になっているようだ。コスト的には軽トラで堆肥を買いに行く方がはるかに安価だが、好奇心旺盛な小生、何事も経験とばかりに早速ダンボールコンポストのセットを取り寄せた。ひとつひとつ材料を集めたらもっと安価にできると思うが、ダンボール箱にモスピートと燻炭、温度計、虫よけの布製の袋、堆肥の解説書まで入っているのでオールインワンのセットを取り寄せたのである。ダンボールでやるところが面白そうである。




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