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平成21己丑(2009)年 1月の記録(新しい日付けの順)


平成21年1月31日(土)

 雨模様の一日。低気圧の通過はこのあたりは特に変わったこともなかった。

 確か最終週の土曜日は休診のはずなので、今日は婆様のリハビリは確認しないで休みとした。

 のんびり過ごす。

 明日は坂梨校区の新春駅伝大会が予定されている。今回もアマチュアテレビ中継のため出動の予定である。


平成21年1月30日(金)

 昨夜、まとまった雨になるような予報だったが、雨雲は九州の東西の縁にそって北上したようで九州の中心部はほとんど雨が降らなかったようだ、今夜も強風注意報が出ているが・・・・

 婆様、昨日、階段の登り降りを曲がりなりにも独りで出来たのなら、なにも毎日リハビリに行く必要もないのでは、と勝手に判断して今日は休ませることにした。第一、昨日の件で今日は体中が悲鳴を上げていて動かないそうである。

 婆様のベッド脇の手摺を、これから、これに替えた。そうした方がより便利ではないかと判断したからであるが、どうだろうか。


平成21年1月29日(木)

 いつもなら、夜通し焚いているストーブもそろそろ燃え尽きて室温が下がり始める頃なのに今朝は妙に暖かかった、寒暖計を見ると夜明け前なのに外気温が9℃近くを指していた、南から暖かい風が吹きこんでいたのだろうか。そして昼頃から雨が降りだした。九州周辺で低気圧が発生したようで、これから明日にかけてかなりまとまった雨になるらしい。

 午前中、婆様、リハビリの後、阿蘇駅そばのF嶋眼科へハシゴ。先日、目ヤニを採って検査してもらた結果、目の炎症、やはり特別な?細菌が付いているそうで、今までの眼薬では限界があるとのことで新たに眼薬を貰ってくる。

 午後から、村うちのT男さんのお宅へPCのサポートに行く。先日壊れたPCに代わって最新型のPCが入っていた。

 サポートが終わり、家に帰ると、婆様がベッド脇の床にへたり込んで、椅子に座れないから座らせてくれと言う。どうしたんだと問うたところ、階下に降りて、上がってきて力尽きたのだそうだ。なんと小生がいない間に独りで階段を降りて、また一人で登ってきたと言うのだ。「一体何をしに行ったのだ!」、「米を研ぎに行ってきた」。いつもは小生が昼食後直ぐに研いでタイマーを仕掛けておくのだが、今日は夜は冷や飯が沢山あるのでチンご飯にするつもりで研いでいなかったのを、婆様それとは知らずに、夕食の時間が迫っているのに小生の帰りが遅いので気を利かして米を研ぎに降りたということである。今日はたまたま研いでなかったので、婆様にとってはごく自然に研いだことになるが、以前はやっていたので間違いないと自慢していた、最近の事情は知らないのにちゃんといつも小生が研ぐ量を研いでしかるべき時間にタイマーが仕掛けてあった。とにかくバランスがとれないのでちょっとのことで必ず転倒するのにイヤハヤである。


平成21年1月28日(水)

 晴れ。最低気温 阿蘇乙姫 -5.5℃(06:47)。この低い気温から日中は一気に15℃くらいまで気温が上昇した。

 年が明けて、ここのところの厳しい寒さの中にも、春に備えてじっと地中でエネルギーを蓄えていた草木などの生物が確実に少し蠢きはじめたような気配を感じていたが、今日なんかこのまま一気に春になってしまうのではと錯覚するほどの暖かくて穏やかな天気だった。

 今日も午前中、婆様をリハビリに連れて行って、午後は昨日の続きの薪作りをした、今日の薪つくりは、日向ぼっこ優先で、その合間にポチポチと薪を作った、実は昨日の薪作りで体の節々た痛いので、今日はクールダウンである。

 婆様、今日も小生が肩を貸してやって自分の足で二階まで階段を昇ったし、完全に自分でバギーを押してトイレに行った、危ないからよせ、と言っても大丈夫だと言ってきかない、何度言っても、その時には「分かった」、そして分かっていない。怒鳴りつけるように言って聞かせても効果なし、もう勝手にしろ、自己責任だそと言って好きなようにさせている。でも確実に少しずつ歩けるようになっているのは確かだ。それとは対照的に頭がちょっとオカシイ、昨日も書いたが、今日も、食事を運んでくるのが自分の母親で、孫を保育園に迎え行くのも自分の母親なのだそうだ、母親が免許を持っていることが不思議だと思ったそうだ。小生と母親がダブってしょうがないと言う。母親はいつ死んだのだと問うと、戦時中だという(そういえば母方の祖母のことは小生あまり聞いたことがないので、事実かどうかは知らないが)、どうも自分の幼児の時の母親ではないらしい。最近、自分の母親がよく登場するね、婆様もそろそろオシマイだね、というと、そうだねと言って苦笑いする。我が家では結構平気でキワドイ会話をする。でもよく話を聞いて見るとどうも夢の中での話のようで、昼間しょっちゅう寝ているので、現実か幻か区別がつかないようで、ああ(夢で)良かったと言っているところを見るとまだ大丈夫なようでもある。


平成21年1月27日(火)

 晴れ。久しぶりに気持のよい青空が広がる。最低気温 阿蘇乙姫 -4.5℃(07:29)。

 午前中、婆様、リハビリ。今日は病院から帰ってきた時と、夕食の後の二度。自力で(と言っても小生が介添えしてのことだが、)階段を上って自室に戻る。階段の利用は退院以来初めてである。それでも、最近はちょっとオカシイ。今日も、自分の母親と一緒に暮らしている気がする、と言って、ちょっとオカシイねと自覚はしているようである。先日もそうだったが自分の母親との思い出が脳裏に浮かぶようである、その場合の自分は幼児の時の自分なのだろうか。

 好天の下、薪作りをする。今日は杉ばかりを半割りにした。アックス(斧)は全く使わずに、矢と玄能(ハンマー)で割っていった。

 薪を割る傍らで、ゼネカバ受信機専用のアンテナをつないで、受信テストをする。というのは、GMMに古いアンテナがあるのでそのうちに送ると約束をしてあったので、庭に持ち出してつないでみたのだ。結果、どうも今一つピンとこない感じである、たかだか2〜3メートルの仮設の高さのうえ、受信対象があまり無いからである。Pチャンはもう無いし、消防も長閑な田舎でそうそう交信も無いからである。もう少しチェックして送るだけ送ってみるか。

 夕方、娘を迎えに行くと、こどもたち、「お迎え」までの時間を思い思いに楽しんでいた。

 今日も忙しい一日だった。
平成21年1月26日(月)

 曇り。今日は氷点下にはならなかったようだが、最高気温も5℃止まりだった。

 午前中、婆様リハビリ。阿蘇でもインフルエンザが流行りだしたようで、病院では来院者に無料でマスクを配っていた。インフルエンザが流行って、患者が増える方が病院としては商売になるのだろうがさすが病院である、予防措置も大きな社会的な使命なのだろう、有り難いサービスである。いずれ来るべき新型インフルエンザのパンデミックの予行演習にもなる、今のインフルエンザに感染するようでは、新型インフルエンザにはとても立ち向かえないことになる。

 午後、従兄のT兄夫妻とK兄夫人のN姉が、S兄の法要を利用してわざわざ婆様の見舞に阿蘇までで足を延ばしてくれた、婆様が思ったよりも元気だと驚いていた。



平成21年1月25日(日)

 雪で明けて終日くもり。朝起きると予報通り周囲は真っ白になっていたが、雪化粧と言っても、ふっと息を吹きかけたら地面が顔を出す程度の薄化粧だった。ただ気温は終日高くても1℃台、2℃を超えることはなく寒い一日だった。

 今日は休日なので婆様のリハビリは当然休み、家族の皆も出かけることもなく家の中で思い思いに自分の時間を過ごしていた。


平成21年1月24日(土)

 晴れ。大雪の予報、予想した通り見事に肩透かし、土俵に少し撒かれた塩程度にしか白くなっていなかった。最近の「注意報」、安易に連発しすぎる、レーダーを見ていても素人ながら降らないだろうと思っていたくらいだ、娘なんか朝起きてガッカリしていた。ただ、気温はかなり下がったようで、阿蘇乙姫 -5.9℃(07:22)、 阿蘇山は今季最低だったそうだ -11.4℃(07:57)。

 明日は雪だからリハビリは休むぞ、と昨夜言ってあったので、婆様すっかりその気になっていて、降らなかったから行くぞと言っても、「今日は休む」、まあ、仕方がないか。

 久しぶりにノンビリ、カミさんと娘、どこへ行ったやら鉄砲玉。

 性懲りもなく今夜も大雪注意報が出されている。
平成21年1月23日(金)

 曇り、風が少しあり、最高気温も上がらずに体感温度低し。

 昨日申請をお願いした福祉用具の浴場用の椅子の購入許可が下りた旨市包括支援センターのK佐さんから電話があった、打てば響くようなこの市の対応、素晴らしい。

 早速昼から婆様を風呂に入れる。前回の入浴から少し日が経ち過ぎたが、椅子が入ってからと考えていたので遅れてしまった。前回と違って新兵器、今日はしっかりと隠し処も自分で洗うことが出来て本人も満足そうであった

 今夜から強い寒波がやってきて明朝は真っ白になっているはずであるが、いつも肩すかしである、さてさて。


 昨夜の日記、早速訂正を戴いた、やはり小生の聞き違いだった。

イジリ?2  投稿者:じっちゃい  投稿日:2009年 1月22日(木)23時19分1秒
  当地でも じり焼き と言ってました。懐かしいです。

イジリ?  投稿者:asobowzz  投稿日:2009年 1月22日(木)23時11分34秒
   >  メリケン粉に砂糖(か何か)を入れて薄く延ばして焼く
 > 阿蘇地方の昔からある子供おやつですよと

じり焼き と呼んでいましたが・・・


平成21年1月22日(木)

 雨。今日も昨日同様、断続的に細かい雨の一日だった。年末ゴタゴタして行きそびれてずいぶん久しぶりに床屋に行く。

 午前中、婆様、リハビリ。今日は終日顔つきもしっかりしていて、夜も自分の意志でテレビドラマを見ていた。それでも最近は時々ドキッとするようなことを言うことがある。今朝も、小生の介護を自分の母親から介護を受けているような気がすると言ったり、娘に、小生のことを、オジサンさんは?と思わず言ってしまったわ、などと苦笑していた。

 先日、婆様を自宅で入浴させた際に、浴室用の介護椅子の必要性を感じたので、市の包括支援センターに相談したところ、今日、早速K佐さんが福祉用品のA屋のY亀さんと一緒に見えて、当方の希望するモデルの購入手続きしてもらうことになった。

 風呂場で使う椅子にも色々あるが、座ったままで、(一応)秘所?とドレン?を自分でなり、あるいは介護者なりが洗うことが出来る構造のものが欲しかったが、カタログにちょうど良いものがあったので、それに決めた。

 娘は保育園で親子クッキングという催しがあって、母親がクッキングの時間だけ参加して娘と一緒に何か作ったようだ。小生、夕方迎えに行った時に、何を作ったか娘に聞いたところ、「野菜入りイジリ」なるものだそうで、イジリ?何じゃそれ、お前の聞き違いだろうと言ったところ、傍で聞いていた先生が、イジリというのは、メリケン粉に砂糖(か何か)を入れて薄く延ばして焼く阿蘇地方の昔からある子供おやつですよと教えてくださった。今回は砂糖の代わりに野菜などを入れたそうで、言ってみればお好み焼きのようなものだろうか。(このくだり、記憶が曖昧でちょっと怪しい記述になっている、確かイジリと言ったと思うが、ネット検索したが出てこない)。

 正月のアマチュア無線のイベント、「QSOパーティ」のステッカーが送られてきた、今回で3年目、あと9年ある、絶対に完成させようという気はサラサラ無い、あくまでも成り行きだと思っているので極めて気が楽である。


平成21年1月21日(水)

 曇りのち、細かな雨。気温は低くはなかったが気分的に寒さを感じさせる雨だった。このあたりでもチラホラインフルエンザが流行り始めたようだ。

 婆様、リハビリ通院。リハビリの前に整形外科でレントゲンを撮ってもらう。左足の骨折部分が痛いというのだ。少し無理をさせてまた骨にヒビでも入ったかなと心配したが、骨はきれいにくっついていますよ、回復期はまだしばらく痛む場合がありますとのことで一安心寸する。

 それ以外は特にネタなし。


平成21年1月20日(火)

 曇り。今日も朝は一応は氷点下まで下がったようだが、およそ大寒には似つかわしくない暖かな一日で、風が少しあったが、その風も全然冷たくなくて、Tシャツに一枚羽織っただけの軽装で昼から薪割りをしたが、吹く風が気持ちが良かった。

 午前中、婆様をリハビリに連れてゆく。

 本日も座る暇もナシ。


平成21年1月19日(月)

 曇り。今日はここ阿蘇も穏やかな一日で、ストーブの火の管理をすっかり忘れて、夕方になって慌てて火を点けたほどだった。

 午前中、婆様をリハビリに連れてゆく。婆様、今日は終日覇気がなかった(ひと区切りして少しガックリきたかな)。今日は出足が早かったこととリハビリ以外に特に用がなかったので少し時間に余裕が出来た、昼から薪でも作ろうかと思ったが昨日の雨で薪材が濡れていて出来ず。久しぶりにシャックに座って無線機などをいじる。先日、GMMがゼネカバ受信機の古いのを引っ張り出してきて久しぶりに聞いたようなことが書いてあったので、小生も壁に穴があいたので、とりあえず、ブロードバンドアンテナではないがアンテナをつないで(同じモデルの受信機だと思うが)受信できるようにした。また、今、無線機が修理に出ているので、かれこれ2〜30年近く前のHFのリグを二台引っ張り出して、使えるかと思ったが、一台は完全にダメ、もう一台は受信は大丈夫だがキャリアーが出ない。修理ができるまで間に合わせに使おうかと思ったのと、もうひとつは、じっちゃいが3アマを取ったので、10W機だからHF入門用に進呈しようかと思ったのだが結局二台とも用を為さないことになってしまった。

平成21年1月18日(日)

 曇りのち小雨、今日は気温が緩み、いつの間にかいわゆる小糠雨、なんとなく春のサメのような雰囲気だった。で終わるかと思ったら、夕方になって、15mくらいの突風が吹いてそれに雨も加わってちょっとした台風並みの天気になってしまった、こういう予報が出ていたのだろうか、どうも気象現象は分からない。それも宵のうちに治まったようだ。

 婆様、退院後、初めて我が家の風呂に入れる。今まで某施設の風呂を利用させてもらっていたがいつまでも甘えるわけにはいかないので、我が家の風呂、広さは十分にあるので、後は段取りだ、ようし自宅の風呂に入れようということで、明るいうちに、浴室内を十分に暖めて、脱衣場には普段は全く使わないのでしまいこんであった電気ストーブを持ち出してから、滑らないように十分に注意して誘導した。婆様もこの歳になるととっくに「女」を卒業しているので、小生、パンツとシャツの三助になって体を洗ってやって、抱えるようにして湯船に沈めてやった、本人もやっぱり家の風呂の方が良いねえ、と言っていたので、今後このスタイルでいくことにするが、今後、浴槽の縁に脱着可能な手すりを取り付けたり、湯船の淵に取り付けて座ったままで洗い場と浴槽への向きを変えることができる回転式の腰掛けだとかの若干の入浴用の介護用品があったほうが良いので、介護保険が利用できるだろうか。

 その婆様、大正5年生まれ、今日が93回目の誕生日である、93、いやあ驚異的な数字である。夜、娘がカミさんとバースデーケーキを作ると言って始めたが、取りかかるのが遅かったので、婆様がそろそろ寝ようかという頃になって、なんとか滑り込みで完成した。見栄えはあまり良くないが味の方は十分に中村さんやたのやさんに対抗できそうだった。


平成21年1月17日(土)

 晴れ。最低気温 阿蘇乙姫 -4.0℃(07:44)。確かに朝は霜で真っ白になっていたが、昼間は穏やかに晴れて10℃近くまで上がったのではないだろうか。

 今日は休みなので、娘が婆様のリハビリについてきてかいがいしく介助をしていた。その婆様、今日は非常に体調が良いみたいで、午後からずっと起きて椅子に座って読書やテレビ観賞をしていた、顔つきがシッカリしていて、足の運びも随分と良くなった感じである。

 じっちゃい一家(じっちゃい夫妻と孫娘のAちゃん)が昨日、熊本での検診を無事クリアしていつものように阿蘇で一泊して昼過ぎに顔を見せに寄ってくれた。ちょうど古閑の滝の氷瀑が見ごろで、今日を逃すと次の機会は難しいだろうと誘った。

 小生も古閑の滝はずいぶんと久しぶりだ、連日の氷点下続きで滝が見事に凍りついていて、土曜日とあって沢山の見物客で賑わっていた。今日あたりから気温が緩み始めたので、時々融けた氷塊が大きな音をたてて落ちていた。写真で見るとどうしても滝の大きさが伝わりにくい、やはり現地に立つべきだと思った。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6

平成21年1月16日(金)

 今日は気温が緩んだようだ、ほとんど外界に目をやることが無かったのであまり印象がない、晴れだったろうか、曇りだったろうか、ただ、日没時の茜色が印象的だった

 午前中、婆様のリハビリ。それで今日は終わりかなと思ったら、眼医者に行きたい、最近目が開けていられなくて、ものが良く見えないとのたまう。確かに前々から、たぶん末梢神経症だろうとのことだが、日頃、目を中心として不快感を訴えていた、それが最近顕著なのと、目を気にして触るせいか、目ヤニが多く出て目周辺も炎症を起こしている。いつもは内牧の医院に連れて行っているが、今日は午後から阿蘇駅前のF嶋眼科に連れてゆく。検査の結果、「眼」はしっかりしてるが、ものを見るのは脳なので、入院で体力が落ちていることなどで、一時的にものが見えにくいこともあると思いますとのこと、しばらく様子を見ましょうということで、目薬と軟膏をもらって帰ってくる、ついでに目ヤニを採って検査にだしてもらう。

 などなどで、今日も一日「風師走」、カミサンがずっと残業続きなので今日もおさんどんである、時間が足りないもののそれでもまだまだ気持には余裕がある。

 娘の保育園、昼食後に昼寝の時間がある、うらやましい制度である。ところが年長組は、まもなく小学生になるので、その準備として昼寝のない生活に今から慣れておこうと今週あたりから昼寝が無くなった、娘は昼寝が嫌いだったので大喜びである。昼寝をしていた時間は、小学校入学に備えて文字の練習に充てるとか。今日は入園以来、定期的に洗濯しては持って通った思いで深い布団一式がお役御免となって戻された、もうこの布団で昼寝をすることもない。


平成21年1月15日(木)

 最低気温、阿蘇乙姫 -5.8℃(07:32)。因みに阿蘇山では -10.4℃(08:13)だったそうで、これは今季最低気温だった。昼間は穏やかで、やわらかい日差しが射していた。

 午前中、婆様、リハビリ。

 午後二時前、市より先日申請してあった介護保険の区分変更の面接調査で係官が見える。

 婆様、今日は気分が良かったようで、夜も階下で皆と一緒に夕食を摂ってテレビをしばらく見る。


平成21年1月14日(水)

 最低気温、阿蘇乙姫 -4.8℃(02:48) 曇り、時々思い出したように白いものがチラついていた。

 午前中、婆様リハビリ。

 HFの無線機の電源が入らなくなった。製造してからもう20年経過しているそうで、部品があったら修理しますとのことで、新店からメーカーの福岡の営業所あてに宅配便で発送する、今回で二度目の電源部の故障になる、部品があれば良いが。


平成21年1月13日(火)

 雪のち曇り。大雪注意報はやはり空振りに終わったが、それでも里は真っ白になっていた。それに風が強くて気温よりはうんと寒い一日だった。

 そんなかな、婆様、通院。リハビリだけなら休むところ、今日は退院後初めての内科受診日で、必ず来るようにと言われていたので、寒さに対して完全武装で連れて行ったが、体がほとんど不自由なので準備して出るまでが大変だった。結局今日は、リハビリと血液検査など内科受診と投薬を受けて帰ってきたのは午後2時を過ぎていた。憩室炎の予後は順調のようで一安心である。ただ筋力が完全に落ちていて、自動採尿機はやはりどうも使いにくいというので、結局またポータブルトイレに戻したが、そのポータブル便器に座ると立ち上がる力がないので、ポータブトイレを使っても、どうしても介助が必要になる。下着の上げ下げも寝たきりでは出来ないのでこれも介助が必要になる、足の筋力の重要さが初めて分かった。せめて便座から立ち上がる力は取り戻してほしいところである。

 今日は結局、通院と婆様のものの洗濯などおさんどんと、賄い方などなどで、全く一日コーヒー一杯飲む時間もなかったゼ。

 宿場会の例会は欠席する。
平成21年1月12日(月)成人の日

 曇り時々雪。最低気温、阿蘇乙姫 -2.3℃(09:20)風強く体感温度はかなり低かった。

 昨夜、阿蘇地方に大雪注意報が出されていたが、ほとんど降っていなかった、今日になって、時々烈風に交じって雪が横殴りに降っていた。

 そんななか、馬場・豆札地区のどんどやが行われた。その昔は、馬場と豆札は交替で主催していたそうだが、豆札では今の若い父親たちが子供のころやって以来、その後、適齢の子供がいなくなって大げさでなく三十年くらいずっと行われることなく、その間、毎年、馬場集落で行われてきた。ここにきて世代交代が進んで、豆札にも適齢の子供が増えてきたので、今年は豆札でやろうかということで、我が家のすぐ前のA久さんの田で子供会主催のどんどやが行われた。当初我が家の小さな田でやることになっていたが、風が強く、家屋に近いこともあり、用心のためその隣の田を借りることになった。ちょうど我が家の竹が密生していたので、どんどや用に伐り出してもらっておかげで随分とすっきりした。

 朝9時頃から豆札・馬場の子供会のお父さんたちが集まって竹を伐り出して櫓を組んでその中に、杉の葉や乾燥した竹などを積んでその周りに伐り出した青竹をどんどん組み込んで行った。考えてみたら小生も子供会の保護者であるが、もっぱら写真を撮ったりインターネットでの配信の準備をしたりであまり肉体労働はしなかった。昼食休みをはさんで、午後2時頃まで作業が続き、その間に、賄い方のお母さんたちは豆札の公民館でどんどやで振る舞う料理作りに奮闘していた。

 午後二時半前だったろうか、どんどやに火が入れられて、子供たちの歓声の中、盛大に大きな炎が立ち上った。子供たちにとってこのような伝統行事、いつまでも心に残る思い出となるだろう。時々顔を横殴りに雪が叩きつける中、次から次に遊びを思い立って皆で楽しそうに転げ廻っていた。

 婆様にも見せてやりたいと思ったが外は寒いので、では窓からと思ったが、ちょっと窓が高すぎて見えないので例の昇降機の出番、ちょっと吊りあげて、窓越しにどんどやを見物していた。

 夕方になって一応解散になっても、父親たちは投光器を点けて真っ暗な中いつまでもカッポ酒などを酌み交わして談笑していた。

 今夜も、阿蘇地方に大雪注意報が出された、また肩すかしであると良いが。

馬場・豆札どんどや連続写真 (1/5) 全10枚
馬場・豆札どんどや連続写真 (2/5) 全10枚
馬場・豆札どんどや連続写真 (3/5) 全10枚
馬場・豆札どんどや連続写真 (4/5) 全10枚
馬場・豆札どんどや連続写真 (5/5) 全10枚


平成21年1月11日(日)

 曇り。氷点を少し下回って夜が明けて、終日2℃台から上がることがなく風が強くて寒い一日だった。

 豆札の初寄りがあった。初寄りとは集落集落のその年最初の寄り合いで、村の役の選挙や色々な年会費の徴収やら、前年の会計報告やら、いわば定時総会のようなものである。今日はこの近辺の集落でも初寄りがあったと聞いている。当然、その後は、宴会となる。豆札は十数戸の昔から住民の出入りのない集落のなので和気あいあい、気心の知れた仲間の集まりとなる。

 明日は馬場・豆札地区のどんどやがある。最近はずっと馬場集落で行われてきたが、豆札も最近は子供が増えてきたこともあってのことだろう、今年は豆札でやろうかということになったようで、会場が我が家の裏の田圃に決まった。午前中から竹を伐り出して、積み上げる作業を始めて、午後3時頃に火を点ける予定だとか。ちょうど目と鼻の先にライブカメラが置いてあるところなので、カメラを少し振って、どんどやの様子をライブ画像で送ろうかと思っている。


平成21年1月10日(土)

 昨夜から雪。といってもここは表面が隠れる程度の積雪量で大したことはなかった、そして一日中風に煽られるように粉雪が舞っていた。その雪も夜にはやんで冴えわたった夜空に月明かりの白夜が広がっていた

 このような天気だったので、今日の婆様のリハビリは休む。

 昨日、雪の予報が出ていて、更に数日間、雪マークが続いていたので、夕方になって慌てて軽トラックのタイヤをスタッドレスに履き替えに行った。いつもなら隆一さんのところでお願いする所だが今回は急だったのでSタイヤさんに持って行った。

 昨日うちにアクセスカウンターが500,000を超えていた、しかし、500,000にそろそろ近づいたあたりから増え方が異常であった、どこかのバカ者がいたずらにリロードをかけてどんどん数をふやしたのだろう、一気に1,000件くらい増えていた、その労力や大変なものだたろう、ゴクロウさんである。

 夜、阿蘇町のH石さんに我が家でパソコン指南をする、とうとう小生のサービスエリアも隣町まで拡大した。



平成21年1月9日(金)

 曇り。明け方の最低気温は氷点下にならず、夕方になってから冷え込み始めた、関東地方は今日は雪模様の一日で、ここも今夜あたりから雪になる予報だ。

 午前中、通院リハビリ。昨日など退院後初めてテレビの一時間もののドラマを自ら観ていた、今日も時々テレビを観賞していた、大分、意欲が戻ってきている。運動能力はまだまだ回復の兆しはない。

 午後から、今日も夕方まで薪を作る。今夜あたりから一週間ほど雪空が続くらしい。


平成21年1月8日(木)

 晴れのち曇り。最低気温、阿蘇乙姫 -2.6℃(02:52)。

 婆様、通院リハビリ二日目である。婆様の介護のおかげで小生の運動量、とりわけ室内で動き回る距離が飛躍的に増えて無駄な蓄積エネルギーの消費に大いに貢献している。

 明日あたりから寒波がやってきて雪になりそうなので、午後から薪つくりをする。薪のストックが乏しくなっているので雪に備えて数日分のストック作りである。今年は薪材はたっぷりあるので、さしあたって必要な分だけその時に作るようにいしている、just in time 方式である。我が家のこの方式、どこかの、親会社だけが儲かる仕組み、カンバン方式と違って誰も困らない方式である、それに「カイゼン」、いやな言葉だねえ。

 今日は本当に忙しかった、犬の運動、猫の餌やりから始まって、夜も賄い方、ほとんど終日動きずめだった。


平成21年1月7日(水)

 うす曇り。最低気温 阿蘇乙姫 -0.6℃(00:25)。

 婆様の通院リハビリが始まった。整形外科でリハビリの処方箋を作ってもらってからリハビリの施設に移動。患部を温めた後、ストレッチなどをやってもらって、帰ってきた。朝起きて病医に行くために、着替えて飯を食って歯を磨いてトイレに行って玄関まで移動して、数段の階段を落ちるがごとく下りて車によじ登ってと、婆様にしてみたら、リハビリ以上のハードな運動をしているので、リハビリの必要もないようだが、家ではただ引きずるように移動するだけだから理にかなったプログラムで受けるリハビリは十分に意味があるだろうと考える。そしてリハビリへの往復が何よりのリハビリになるのかも。

 病院中の人、と言っても過言ではないくらい皆さん顔見知りで、皆さんに退院できて良かったねと声をかけてもらっていた。

 JA6DIがもう使わなくなったOMのお孫さんの一輪車を娘に届けてくださった、まだ直ぐには乗れないだろうが大喜びだった、保育園でも壁につかまって乗れるバイと言っていたが。


平成21年1月6日(火)

 晴れ、穏やかに晴れる。最低気温 阿蘇乙姫 -1.5℃(00:02)。

 朝、退院許可が下りる、ただし、毎日通院リハビリに通うこと、という条件がついた。婆様にそのことを告げると大喜びで、すぐにでも帰る素振りを見せたので、家での受け入れ態勢や退院手続きなどがあるので、今日のリハビリを受けて、昼飯を済ませてからにするように告げたところ、すぐじゃないのか、とガッカリしていた。ところが、準備のために一旦帰ってしばらくした後、婆様から電話がかかってきて、今主治医の先生が病室においでになって、退院できて良かったねと言われたとわざわざ言ってよこした。少しヘンな電話だなと思って、1時過ぎに病院に行って、今日退院することになって、朝、あんなに喜んでいたじゃないかと言ったところ、そう?、覚えていない、という。完全にボケている。ヤバイなと心配したが、帰宅後は全くそんなことが無い。正月の外泊時も同じような反応だったが、どういうことだろう。少しずつボケが入り始めたということだろうか。今日も帰宅後は全く正常である。一過性のものであって欲しいと願うばかりである。

 また、入院中であれば、リハビリを受けながら、入浴も当然あるが、通院リハビリとなると、入院に付随した入浴サービスはなくなる。通院リハビリになった場合、まだ自分の体のコントロールが利かない状態で、我が家で風呂に入れることができるか、それが大きな問題だったが、いろいろ知恵をお貸しいただいて、そのあたりのハードルをなんとかクリアできることになった。。

 かくして、10月31日に入院以来、二日の外泊を挟んで2か月とちょっと、ようやく退院することが出来た。しかし、これからがまた大変である。明日から早速、毎日通院リハビリが始まる。市役所で介護保険の区分変更申請をする。

 退院直後だけかどうか分からないが、今のところ、体の自由がほとんど利かないので、少しまたベッド回りの仕掛けを考えねばなるまい。

 今回の入院、途中で憩室からの下血という思わぬハプニングがあったので、小生は全く楽観的に考えていたが、本人は、今回はもう出られないと思っていたそうだ、そして、我が家のベッドは良いなあとシミジミ何度もつぶやいていた。


平成21年1月5日(月)

 晴れ、のち、曇る。最低気温、阿蘇乙姫 1.7℃(07:25)。

 ネコが今朝から姿を見せない。毎朝、小生が起きると、必ず網戸をガリガリ引っ掻いて餌を催促するが、今朝はそれがなかった、そして、日中も姿を見せなかった・・・どこかで事故に遭ったか、病死したか、前の二匹も突然いなくなった、そういうことかと思っていたら、夕方ひょっこり戻ってきた、どういう行動をしていたのだろうか。

 ようやく一日がかりで年賀状を書いて投函した、早々に頂戴した皆さん遅くなって申し訳なし。

 今朝、病院で婦長さんに退院の可能性について相談をしたところ、今日から病院が平常に復したので、リハビリの先生と主治医と相談して、通院リハビリが可能かどうか判断する予定です、ただそれにはご家族の協力が必要ですが、とのことだったので、そこは時間に拘束されない無職の強みで、介護については大丈夫ですと回答をしておいたが、市の包括支援センターのK佐さんにもご心配いただき、介護保険の通所リハビリと医療保険の通院リハビリとの関係や区分変更などについて電話を頂戴した。夕方、病院に寄ってみると、婆様、明日にでも出るつもりでいるので、オイオイホテルじゃないんだから自分の都合でチェックアウトは出来ないぞ、と釘を刺しておいた。

 今朝、S本棟梁製作の水車が沖縄に向けて荷造りされていた

 夕方、宮地のMさんご夫妻が訪ねてこられて、娘にオモチャを持ってきてくださった。この玩具、一般名詞では何と言うのだろう、ドールハウスとでも言うのだろうか。お客さんが帰られたあと出かけていた娘が帰ってきて包みを開けて正に狂喜乱舞、その喜びようたるや尋常でない、どうしてそこまで喜ぶのかと訝ったところ、カミサン曰く、暮れに実家に帰った時に、以前、お祖父ちゃんが買っておいてくれた、同じようなやつを、誰かにやってしまったらしくて、それも楽しみにして実家に行ったのに無かったので、相当ショックを受けてシクシク泣いていたらしい、カミさんが仕方がないから、買ってやるしかないかと思っていたところに、全く予期せぬ今回のプレゼント、これほどドンピシャリのお土産は無かったということである。


平成21年1月4日(日)

晴れ。最低気温 阿蘇乙姫 -6.4℃(07:21)。ちょうど犬の散歩の時が一番気温が低かったことになる。その後で急に霧が出て山が霞む。午後から、雨降るかもしれない予報が出ていたが少し曇った程度で穏やかな一日だった。

 午後から阿蘇神社に初詣に行く、今年は婆様抜きになった。三が日は過ぎたが大勢の参拝客で賑わっていた。どこで知ったのか、おみくじを引いて「こういう字があるといけんとバイ」と字の読み方は知らないが、「凶」という字を手のひらに書いていたが、大吉で、「一等賞バイ」と言ってやったら喜んでいた。初詣の帰りに婆様のところに娘の晴れ着姿を見せに行く。本日二度目の病院行である。二度目とわざわざ書いたのには、三度目があったのだ。(写真1写真2写真3写真4写真5

 初詣の帰りに病院に寄った際に、今日はもう来ないよと言ってあったが、夕方、電話をしてきて、ポツリと「帰りたい・・・・」と泣き言を言うので、ちょっと心配になって、様子を見に行った。少し精神的に参りつつあるようなので、看護婦さんにそのことを相談したところ、そうですね、明日から病院が平常に戻るので、先生に、今後の治療計画など相談しましょうということで帰ってきた。もう、毎日、入院してでなければ出来ない治療というものも無いようにも思えるので(と本人は思っている)、投薬とリハビリだけなら、通いで出来る余地はないだろうかなど相談しようと考える。もっともリハビリがある程度進まない状態で退院しても家での介護の際に、たとえ掴まり立ちででも自力でほとんど立てないのでは、本人が一番困るであろうし、家族の肉体的負担も増えることにもなるので、その辺の折り合いが難しいところである。


平成21年1月3日(土)

 概ね晴れ。今朝も氷点下4℃くらいまで下がった。

 いつもは三が日の間に阿蘇神社に初もうでに行くのだが、今年はタイミングを逸し、明日行くことにした、松の内であれば初詣だとか。

 今日は、専ら一日無線機の前に座り、QSOパーティの交信をして過ごした。7MHzがあまりコンディションが良くなくて、結局、7MHz帯と144MHz帯の二つのバンドで、自らCQを出さずにバンド内をワッチしながら相手を見つけて規定局数と交信することが出来た。144は八木で阿蘇山反射で飛ばしたおかげで、長崎まで100キロ以上59でつなぐことができた。

 昼過ぎと夜、婆様の様子を見に行く、落ち着いていた。


平成21年1月2日(金)

 晴れ。最低気温、阿蘇乙姫 -3.9℃。昨夜また雪が降ったようで、前日よりも積雪量は多かった、といっても数センチだろう。写真

 今日は日も射して、風もあまりなく、穏やかな一日だった。そんななか、昨日終わらなかったアンテナの架設を昼過ぎまでかけてやる。おかげで箱根駅伝の往路、とうとうほとんど見ず仕舞いだった。

 我が家の屋根のてっぺんから2メートル弱の高さに、144の3エレと430の6エレのシングルを、小さなローテータで回すように取り付けた。足もとが完全でないので結構ヒヤヒヤものだったが、安全ロープで足場パイプにつないであると、心理的に安心出来て踏み板も手摺も無くてもパイプに足を引っかけるだけで両手を離して平気で作業ができるから不思議なものである。娘が畑から写真を撮ってくれたが5度ほど傾いていた

 今日と明日、QSOパーティが始まっているが、とりあえず今日はワッチだけにして、明日20局を稼ぐつもりである。今まで聞こえてこなかった場所が聞こえるのは確かだが期待したほどではない感じである。この程度のエレメントでは駄目だろうか。もっとも昔と違ってハム人口が激減しているせいもあるだろう。それに、21はもとより、7も今日はコンディションが悪かったのだろうかあまり聞こえてこなかった。

 婆様の二泊の外泊が終わり、夕食を済ませて七時過ぎに病院に送って行った。頭の方は大丈夫で、元に戻ったが、体力的な衰えが著しくて、ほとんど寝ていた。病院でのリズムに慣れてかえって我が家では疲れたのではないかと聞いたところ、そりゃあやはり家のほうが良いよ、私は退院できるのだろうかねとまるで不治の病かのように弱音を吐いたので、要は、筋力がつくまでだと思うよと元気付けて帰ってきたが、今後リハビリでどれだけ回復するか分からないが、退院後の生活にもうひと工夫が必要なようである、また知恵を絞って新兵器を開発しようと思っている。

 コラが畑で鼠を捕まえて必死で逃げようとするのを咥えては空中にほうり上げていたぶっていた。さんざん遊んだあと、田舎のネズミでも食い足りていると見えて、捕らえたネズミを食べることまではしないようで、後からキャットフードを食べていた。

 娘が、我が家に餅つき機があるのを知って、作ろう作ろうと母親にねだって、正月早々餅つきをやっていた。つまりは、この餅つき機、娘が生まれた年に初めて登場して以来今回が二度目のお勤めではないだろうか(H14/12/28)。

 どうでも良いことだが、週末や、休日が続く今のような時期、スパムメールが激減する。バカ者共もサラリーマンなのだろうか。スパムメールの発信を業とする組織のサラリーマンか普通の会社のサラリーマンが上司の目を盗んでやっているか。



平成21年1月1日(木)元日

 量的には少なかったが、二年越しで降った雪がアイスバーン様に凍りついて新玉の年の朝を迎えた。そしてそれほど低くはなかったのだが、ほんの一時0℃を僅かばかり上回っただけでほぼ終日氷点下の寒い年明けとなった。

 村内での年賀の行き来の無駄を排する意味でいつの頃からか行われるようになったわが村の慣わし、新年の賀詞交換が朝一番で村の公民館であり、各戸夫婦が普段着で集まり、軽く御神酒を酌み交わした、その後で各家庭でそれぞれの正月の祝い膳を囲む。

 小生の場合は、ゆっくり家での正月行事をする間も無く、主催者側として慌ただしく馬場八幡の元旦祭に向かう。元旦祭には、地域の各界の知名人を来賓としてお招きして神事を齋行する。昨年も寒かったが、今年もまた寒かった、ちょうど西からの冷たくて強い風がまともに吹き込む位置に拝殿があるのである。

 先日の大祓いに引き続いて、介護老人がいるために、早退させてもらった。その介護老人、と言う言葉が大袈裟でないほど、体が言うことを利かなくなってる、自分の力ではまともに起き上がれなくなっている、ずっと寝たきりだったからで、またリハビリを再開したら今よりは動けるようになると良いのだが。認知症的症状はまだ心配するほどではないという気がするが、これも分からない。

 元旦の祝い膳で家族全員でなんとか席についたが、それ以外は全部ベッドでの食事である。一家団欒の写真をと思ったが、ちょっと撮る雰囲気ではないので、撮れなかった。

 明日からの無線のイベントに備えて、年内にアンテナを上げるつもりだったが、間に合わず、夕方近くになって、作業の邪魔になるので一部ライブカメラを休止して同軸を引きまわしたり、コネクターの半田付けをやったりで、なんとか明日に間に合わせたいと思ったが外は真っ暗でその上寒いので、屋根に上がるのは明日にするが、明日もまた雪が降りそうである。その場合は、仮設アンテナで間にわせることにする。

 新年も慌ただしくて、我が家では、全くと言っていいほどテレビが点かなかった、鳴り物、歌舞音曲が聞こえてこないので時間の感覚がおかしくなって、あっ、今日はまだ元日なんだ、もう何日も経ったような気分がする。




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