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平成21己丑(2009)年 3月の記録(新しい日付けの順)


平成21年3月31日(火)

 晴れ。午前中は肌寒かったが、午後から急に暖かくなって着ているものを脱いだくらいだ。

 世間では年度末の所が多くて、気ぜわしい一日になっているのだろう。小生も出来れば年度内に済ませておきたかったことがあるが、時間が取れなかった、明日に延期だ。

 娘は、昨日も今日も、入学待ちのN樹クンとちょうど春休みのK太郎たちと一日中遊び回っていた。

 小生、遅れに遅れて、気になって気になって仕方がなかったジャガイモの植え付けをようやく終わった。連作障害を避けて今年はここにした。種イモからもうたくさんの芽が出ていた。ジャガイモが遅れたのでせめてサトイモは早めにと今日一緒に植えてしまった。小生にしては早々だがサトイモももう作付時期だと思う。例年収穫後のマルチの処理に困って、以前、一度だけ、生分解分解マルチを使ったことがあるが、その後、店頭に並ぶことがなくて、分解しないマルチを使ってきたが、今回一店舗、コメリでだけ、生分解マルチが売っていたので、今年はそれを使った。どうして生分解マルチは普及しないのだろうか。ちょっと割高かもしれないが、便利だと思うのだが。一番東側一列に里芋を25株。次の二列にメイクーン27×2株、西側の二列に男爵55株とちょっと余ったのでメイクイーン3株。ジャガイモの種イモは半分に切ればその倍の数を作付出来るが、作付も収穫も大変なので、一個を一株として植えたと、通りかかったS司さんに話したところ、畑が広いんだから半分に切って植えれば良いのにと言われた。小生は如何に少なめに植えるか、対して専業農家は如何に沢山植えるかの違いですねと笑い合った。

 今日も体の節々が痛い、やはり寄る年波というやつだらう。


平成21年3月30日(月)

 曇り。今朝また山が白くなっていた、昨夜の雨、山では雪になったのだ。

 婆様デイケア。今日から娘が家に居る。もう一人遊びが出来るし、近所に遊びにも行けるのでほぼほったらかしで大丈夫である。

 朝一、Uコネクションで、宮地の東一区(二区だったかな)にある年禰神社境内のイチョウの枝はらいをするからとの連絡をもらって今日は予定らしき予定は無いものの、予定変更して、急きょ薪の積み込みに出かけた。

 一の宮中学校のちかくで、細い道なので初めて入った道である。寡聞にして年禰神社という名前初めて聞く。「としねじんじゃ」と読むらしい。縁起をネット検索でもあまり出てこない。境内にいた御町内の長老の話によると、阿蘇神社と深い繋がりがあって、火振り神事の際の姫御前と深いかかわりがあるそうである。空を覆うばかりの大イチョウの枝をすべて切り落とし、幹も上の方をかなり切り落としたこれだけ切ってしまってもイチョウは強いのですぐにまた葉を茂らせるそうである。午前一回、午後から二回運んだ。ついでに今を盛りの桜の枝打ちもあって、そのままでは産廃行きになるので、暫しの命、なんとなく哀れを覚えて枝を貰ってきて居間に立てかけた。婆様のリフトの場所なので、婆様には三四日あるいは四五日、無理をして階段を上り下りしてもらうことになる。(第一回目第二回目第三回目)。



平成21年3月29日(日)

 曇り。週末の天気は雨が予想されたが、土、日と何とか降らずに済んだ。ここのところ気温が低めなので開いたばかりの桜もしばらくは散らずに眼を楽しませてくれそうである。そして、夜にはとうとう弱い雨が降りだした。

 馬場のY上さんのお孫さんの鯉のぼりの建立作業があった。あんな長い杉の柱を一体どうやって立てるのだろうと前々から興味があったので、今日は張り付いて見学した。ご近所の人曰く、Y上さんは棟梁なのでさすが基礎部分が丁寧な作り方だと。今年は馬場で鯉のぼりがもう一本揚がるそうである。

 因みに、棟梁の話によると、今回の杉柱は全長23mあるとのこと、樹齢は50年だそうだ。外見で同じような太さの若い木はいくらでもあるが、この木は細いけど樹齢は50年だそうで、随分昔からそのつもりで育ててきたので強風にも大きく撓むことがないと自慢そうだった。

 昼までにほぼ柱が建て終わったので現場見学を終えて、家族で車で二三分のところにある妙法寺に恒例の花見に出かけた。弁当を広げながら小高い境内から建ったばかりの柱を鯉が昇って行くのが見えた。妙法寺の花見、昨年はお見知り遠足の日(4/13)に出かけたので、桜の季節が今年はずいぶんと早いことになる。(写真1写真2写真3写真4

 午後から、天井裏にもぐり込んで、残っていた西半分の床張りを概ね完了した。後は少し天井裏を整頓して、今の我が領地を娘に割譲すべく、荷物を屋根裏に移動させなければならない。

Y上家鯉のぼり建立記録 (1/3)全10枚
Y上家鯉のぼり建立記録 (2/3)全10枚
Y上家鯉のぼり建立記録 (3/3)全9枚


平成21年3月28日(土)

 曇り、気温は少し低め。

 国旗を掲揚する。旗日?そうなのである、我が家の旗日なのである。今日は保育園の卒園式なので国旗を掲揚した、通りがかりの人たち、一体何事かと訝しく思ったことだろう。常日頃日本人は国旗を粗末にし過ぎる、小生は毎日でも国旗を揚げたいくらいである。

 今日、桜が満開のなか(実際は8分咲きくらいか)、15名の園児たちが無事に巣立って行った。娘はもう一人のSクンと二人、卒園児の最古参で6年保育だった。昨日も書いたがあっという間の6年だった。教育機関としての幼稚園と違って保育園という存在、特にこの地域の保育園だからだろうが、実に暖かい存在だった、人数が少ないこともあって家族のような付き合いだった。そんな保育園での卒園式、なかなか感動的な卒園式だった。

 娘が保育園に通った6年の間に、保育園の子供たちとはお互いに戦友のような付き合いをしてきたが、先輩の子たちが次々に卒園して小学校に入るようになると、たまに子供たちと道で会って、こちらは以前のように保育園時代のつもりで接しようとすると、これが妙なもので、子供たちの接し方がだんだん素っ気なくよそよそしくなってくる、成長の証なのだろうがちょと寂しいものがある。今日の卒園児たちも、男の子も女の子も朝晩の送迎時など飛びついて慕ってくれていたが、小学校に入ると、過ぎる時間の速さは今までと同じでも、早晩「親離れ」していくのだろうなと一人一人の顔を見ながら思った。

 夜にはかんぽの宿で謝恩会があって、娘は母親と一緒に出かけて行った、小生は留守番をした。

坂梨保育園 卒園式 1/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 2/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 3/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 4/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 5/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 6/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 7/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 8/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 9/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 10/11(全10枚)
坂梨保育園 卒園式 11/11(全7枚)
子供たち全員もれなく撮ったのですが、ピンボケがかなりありまして、少し偏ったかも知れません。


平成21年3月27日(金)

 曇り。

 娘の保育園、明日が卒園式が残っているが、レギュラーシーズンとしては今日が最後の日である。丁度T代さんが通りかかったので、シャッターをお願いした。平成15年9月1日、満一歳を迎えてすぐに保育園にお願いして5年と半年、過去を振り返るのは明日の卒園式に取っておくべきなのかもしれないが、過ぎて見ればあっという間だった。朝起きて顔を洗うように当たり前の日課のように毎日の送迎をしたので特に苦でも何でもなかったが、結構な日数送迎をしたことになるのだなあと改めて振り返ってみると、そんな感想がある、9割以上は小生が送迎しただろうか。

 今日も天井裏にもぐり込んで床張りをした、東側半分が終わった。屋根のすぐ裏側に化粧板を張ってその間に断熱材を入れたら、部屋に出来るかもしれない、とふと思った。将来の宿題にしておこう。

 今日来ました、来ました、定額給付金の申請用紙、いつ支給なのかパッと見ただけでは分からないが有り難く頂戴いたします。



平成21年3月26日(木)

 晴れ。今朝は氷点下3℃くらいまで気温が下がり真冬に逆戻り、氷がガッチリ張っていた。

 婆様、デイケア。

 まだまだストーブとは縁が切れない、今日も薪作りをした。

 先日買ったコンパネを屋根裏に引き上げた。コンパネは結構重量があり、一旦、一階から二階のベランダまで屋内の階段を使って一枚一枚担いで運んで、更に、屋根裏に運びあげた。屋根裏への入口が高所にあって、小さくて、入口の対角線がコンパネがギリギリ通るくらいの狭さで、その上にガラクタが所狭しと積み上げてあるので、その隙間を縫って運びあげるのが至難の技だった。普段使わない筋肉や筋をつかったので、体の節々が痛む。

 天井裏(屋根裏)には一部は床が貼ってあるが、張ってないところがある、そこに床を張ろうとしている、コンパネを最低7枚敷き詰めるのだが、屋根の勾配があるので、デッドスペースが多くてそれほど広いスペースは確保できない、その上に、屋根の直下なので、今の季節でも屋根裏で作業をしていると暑いので、隠れ家として使いたかったのだが、たとえスペースが確保できてもエアコンでも入れれば別だが部屋としてはとても使える環境ではない。

 今日は1枚だけ貼ってみた。ガラクタを移動させながらの作業である、床板を僅かばかり張るのにも段取りが大変で、板は大きくて結構重いので、これが家一軒を自力で建てるとなると気が遠くなりそうな時間と体力、忍耐力が必要になる、自分で家を建てる人もいるがとても小生には無理だと思った。


平成21年3月25日(水)

 晴れ。最近の暖かさに慣れた体には風も手伝って今日の気温は寒く感じた、それに山がまた白くなっていた、いつ降ったのだろうか、昨夜だろうか。

 婆様が歯医者に行きたいと言いだしたので、夕方、予約を取って連れて行く、入れ歯が少し壊れていて歯茎を傷つけていたらしい。そういえば、10月の末に、歯医者に行こうとして出かける直前に玄関先で転んでそれが骨折だった経緯がある。歯医者通いはそれ以来だ、その間に宇治歯科がすっかりリニューアルされてバリアフリーになっていた。


平成21年3月24日(火)

 晴れ。

 娘、元気に保育園復帰、保育園も今週いっぱいで終わりである。

 午前中、婆様をF嶋眼科に連れて行き眼薬を貰ってくる。

 昼前、畜協から堆肥を買ってきて、午後から鋤き込む。ジャガイモ、遅れに遅れているがまだ大丈夫だろう。

 トラクター運転中、村内のT男さんのトラックが通り過ぎるのを見て、そうだ、PCサポートの約束をしていたのだったと、慌ててサポートに伺う(T男さんのトラックだと思ったが実は別人のトラックだったのだが)。最近物忘れが多くなりつつある。

 屋根裏に床張りをしていない部分があるので、床を張るためにコンパネを7枚買ってきた。


 一言、「どうだ参ったか・・・・・・・(マウンドはお子様ランチじゃない)」


平成21年3月23日(月)

 曇り、暖かい朝を迎える。

 婆様、デイケア。娘はもう完全に治っているが、保菌状態を考えて今日もう一日休ませた。

 娘が小学校に入ると勉強机が必要になる、その置き場所が必要になる。結局小生の遊び場の一部を割譲することになった。ということは、その場所にある小生の持ち物を退かさなければならない。ということで、普段あまり使わない物を屋根裏に上げることにした。ところが屋根裏には何でも放り込んであるので先ず屋根裏の整理から始めなければならないということになる。今日は山ほどのダンボール箱を取り出して、解体した。現代は「ダンボール社会」と言って良いほど何でもダンボールで届いて、勿体ないのでちっと体裁のいい箱はついつい取っておくのでいつの間にかダンボールが山を成している。その他にはいつの間にか秋葉原のジャンク屋のように電気関係の部品などが山になっている。これも少し棄てる必要がありそうである、ここには秋葉原が無いのにどうしてこれだけ溜まったのだろうか。


平成21年3月22日(日)

 ほぼ終日雨、風強し、気温は高めだったが、気分的に寒々とした日だった。

 我が家の入口に植わっている桜、いつの間にか四分から五分咲きになって雨に濡れていた。頭の中で阿蘇ではもっと先だと思いこんでいたので注意していなかった。

 午前、午後、村うちのW辺さんの無線LAN環境整備のサポートに出かける、一部うまくいかなくて宿題を持って帰ってきた。


平成21年3月21日(土)

 晴れ

 北外輪山一帯の野焼きがようやく実施された。待った甲斐があったというべきか、暑からず寒からず、適度の風があって、これ以上は無いというほどのベストコンディションとなった。

 朝9時集合になっていたので、少しは遅くなるだろうとギリギリで牧野に到着すると、すでに各持ち場に向かって皆さん移動を開始しており、慌てて後を追いかけた。

 毎年のことだが、野焼きの時は、大自然の中で動き回られて幸せだなとしみじみ感じる、ああ、贅沢な暮しだなといつも今の環境に感謝する。

 今年は、ウサギと鹿が火に煽られて飛び出してきた。これも毎年のことながら、野焼きの飛び火で、消防署が大忙しの一日だった、12件の飛火による原野火災があったそうで、観光牧場の施設も燃えたそうだ。今日も歩いた、歩いた、くたびれた。

 野焼きの様子は百聞は一見になんとやら、写真で記す。

野焼き連続写真 (1/7)
野焼き連続写真 (2/7)
野焼き連続写真 (3/7)
野焼き連続写真 (4/7)
野焼き連続写真 (5/7)
野焼き連続写真 (6/7)
野焼き連続写真 (7/7)

 野焼きの後で、村の宗教行事、「鞍嶽さん」の集まりがあって、村の公民館で皆さんと楽しい食事会になった。毎年この日は子供たちも同席するがインフルエンザの影響などで、K太郎君とN樹君兄弟だけの出席だった。

 夜になって、20mくらいの風が吹いている、明日は雨のようである。



平成21年3月20日(金)春分の日

 曇りのち晴れ、明け方にわか雨。

 そのにわか雨のせいで、野焼きがまた延びた。大した降りではなかったが、直前の雨だったので草が乾くのが間に合わずに再々延期になった。明日の土曜日である。明日は大丈夫だろう。

 昨日は娘の発病で外出できずに、一日置いて、午前中に阿蘇ユースホステルの隣に薪材の積み込みにゆく。今日は昼までに二往復(一回目二回目)してすべての作業が終わった、ちょうど薪材を提供していただいたK本さんが様子を見に寄られた

 娘、順調に回復に向かっている。娘以外はインフルエンザの影響は出ていない。


平成21年3月19日(木)

 曇り。

 婆様、デイケア。

 娘もとうとうインフルエンザに罹ってしまった。集団生活、罹るなと言うほうが無理だろう。昨日から38℃前後の熱はあるが、それ以外は特に症状もなく、本人も割合に元気がいいので、まあ、念のために診てもらうかと、保育園に休みの届けを出してから、かかりつけの古閑医院に連れて行ったところ、今日は臨時の休診だった、初めてだが、駅そばの松見内科医院に連れて行った。喉が赤いですね、咽頭炎ですが、ワクチンを打っていると割と症状が軽いので、念のために調べてみましょうね、と鼻こうから分泌液を採ってインフルエンザの検査キットで調べてくれた、5分ほどで結果が出て、やはりインフルエンザです、B型です。

 クラスの中で半分近くの友達がインフルエンザに罹っていて、なんだか流行りものに置いて行かれたような気分だったので、おい!インフルエンザだそうだよ、と言うと、妙な話だが少し嬉しそうだった。インフルエンザ、ここにきて猖獗を極めており、娘が診てもらっている間に、顔見知りの小学生のMちゃんとYちゃんが今朝発症したようで、立て続けに保護者に連れられてきていた。

 タミフル(リレンザでも同じように)の予防投与という制度がある。高齢者など、一定の条件を満たすと、現在インフルエンザに罹っていなくてもタミフルを処方してもらえる。小生も歴とした高齢者である、今小生が倒れると我が家は立ち行かなくなる、そこで娘と一緒に小生もタミフルを出してもらった。婆様も、かかりつけの病院から出してもらうように手配した。カミさんが、良いなあ、私も欲しいな、と言ったので、オマエは駄目だよ、条件に合わないからと言ってやったら残念そうだった。関係はないが定額給付金に関してもカミさんだけが12,000円である。

 B型インフルエンザにタミフルは効かないという説と効くという説があるが、果たしてどうだろう。夕方現在、娘、インフルエンザはこんなに軽いのかと思わせるように元気であるが・・・

 往生岳、先日の火文字焼きの時に一緒にやる予定だったと思うが、草が濡れていた出来なかったのだろう、今夜、夜空を焦がして野焼きが行われていた。我々の野焼き、今夜の天気がちょっと怪しいが、たぶん明日行われるだろう。


平成21年3月18日(水)

 晴れ、今日も暖かかった、少し天気が下り坂だ。

 娘を保育園に送ってから、阿蘇登山道路にある阿蘇ユースホステルの隣に、薪材の積み込みに出かける。有り難いことに、丁度軽トラックに積める長さに切り揃えてくれてあった。ただその幹の太いこと、もちろんチェンブロックを持って行ったが、先ず初っ端から、幹と地べたとの間に隙間が無くて、幹を少し回転させようとしてもピクリともしない、どうしても吊りあげるベルト通すことが出来なくて、悪戦苦闘。ベルトを通すだけで一時間くらい掛かってしまった。結局、午前中に一回午後から一回しか運べなかった。あと最低二往復分の太い幹が残っている。たまたま近くを通りかかった人が(しかも二人が)、薪ですか、勿体ないですね、彫り物に使えるなあ。全くその通りである。体中がミシミシいうくらいくたびれた。

 夕方になって、何となく大儀そうなので気になって娘の熱を測ってみた、8.3℃ある、きついか?うううん、きくつくない。頭痛いか?痛くない。喉は痛いか?痛くない。咳は少し出ている、なんなんだろう、インフルエンザか?もう少し早ければ医者に連れて行けたのにちょっと遅かった、一晩様子見だ。


平成21年3月17日(火)

 晴れ。今日は一気に20℃くらいまで気温が上がった、そして黄砂もひどかった。

 朝、娘を送ってから、阿蘇市内某所、道路拡幅で太いクヌギを倒すけど要るか、とK本さんから連絡があって、現地検分に出かける。二抱えほどありそうな大きな木で、有り難く頂戴することにして帰ってきた、明日から少しずつ運ぶことになる、チェンブロックが絶対に必要である。

 平成14年は3月13日/平成15年は3月13日/平成16年は3月20日/平成17年は4月1日/平成18年は休む/平成19年は3月14日/そして平成20年は4月2日・・・・・・

 一体何かというと、過去にジャガイモを植えた日である。今年も遅くなったので過去を調べてみた、毎年だんだん遅くなっているのが面白い。今日ようやく耕したが、まだ肥料を入れていない、でも去年があんなに遅かったのだからまだまだ大丈夫だ、村の長老Kさんも散歩の途中に立ち寄って、うちもまだバイとのことなので安心する。

 今の時期、高菜を満載して漬物工場に向かう軽トラックが頻繁に行き来している、しかし、今年の我が家のたかな、種を播いたのが少し遅かったせいか、生育状況が芳しくない、そのうえ虫が沢山喰っている、今年は折るほど品質が良くないので、菜の花の鑑賞にとどめるか、いずみの菜の花さん、ご覧になっているだろうか。

 午後、ケアマネージャーの I 原さんが4月分のケアプランを持って見える。


平成21年3月16日(月)

 晴れ。風が強かった。山が霞んでいた、黄砂かと思って、気象庁のデーターを見たが、このあたりは黄砂の記録は無かったが、あれは絶対に黄砂だ。

 婆様、デイケア。

 インターネットによる所得税の確定申告書は数日前に作成済みで、あとはEnterキーを押すばかりになっていたので、期限の今日、送信しようと思って、昼前、キーを叩いたところ、なんと!電子認証の期限がこの1月の3日で切れており、更新せよというエラーメッセージが表示されて送信できず。確かに3年の期限が切れていた、もう住民基本台帳(住基カード)を作ってから3年も経っていたのである、確かに平成18年の1月4日の日記にその時のことを詳しく書いていた。市役所に照会すると窓口で更新出来るとのことなので、手続きに出かけた。窓口で住基カードを示すと、ハイ直ぐに出来ますが、身分を証明できる運転免許証をお持ちですか?、えっ?住基カードって運転免許証を持たない人でも身分を証明できるカードじゃないのかな、3年の期限が過ぎても、それは電子証明の期限であって住民基本台帳のカードとしては有効じゃないのかなあ、そのカードを示しているのに、更に免許証要るの?と聞こうかと思ったがまあ、やめておいた。

 さらに驚いたのは、今、更新手続きをしても、これは直ぐに有効にはならないと思います、どうしてでしょうか?どのくらい掛かるのでしょうか?そうですね、夕方くらいには大丈夫だと思います。おいおい、せっかく、電子処理をするのなら、すぐに使えるようにしてくださいよ。これは市の窓口のせいではなくて、このデータが行った先での検証作業で、時間がかかるようである。小生が手続きをしている横で、同じように、初めて、確定申告のために住基カードを作って、それに電子認証データーも入れてもらった人が、すぐに使えないと聞いて、わざわざ確定申告のために作って、今日、その確定申告の期限なのに、夕方まで使えないんじゃ意味無いじゃん、と憮然としていた。アナログだねえ。

 夕方ころだとのことだったが、午後も早い時間にダメ元と思って、ICカード(住基カード)をカードリーダーに入れて、手続きしたら、既に新しい電子認証が有効になっていて、ようやく確定申告が無事に終わった。

 ソメイヨシノの開花、昨日の福岡の一番乗りに続いて、今日、熊本や宮崎でも例年よりはるかに早く開花宣言があったそうだ。阿蘇ではもっと先になるが、保育園、娘のクラス、5人、インフルエンザで休んでいるそうである。4割くらいの発症率だ、小学校なら当然学級閉鎖だろう、保育園はその性格上、そういう仕組みはないようである。後は自衛しかない、いつもより、念入りに手洗いとウガイをさせているが・・・・・

 住基カードのことで、3年前の日記を読むと、娘が指に僅かばかりヒビが入ったことが書いてあった、そうか、3年前にはそんなことがあったのか。

平成21年3月15日(日)

 晴れ。朝は氷点下、日中も10℃を越えることはなかった、風も少しあったが、それでもキラキラ輝く気持ちの良い一日だった。阿蘇町から上がった熱気球が我が家のすぐ裏に降りてきた、午前中の風のない時を狙って、時々熱気球が飛んできて近くに降りる、風向きの関係でそうなるのだ。

 野焼きが20日の春分の日に延期になった、今日は素晴らしい天気になったが昨日までの雪などで枯れ草は燃える状況ではなかったのだろう、二度目の延期になった。

 天神橋際の竹林の整理作業があったので参加した。before  after

 先日、ハウスの解体で、土中に埋め込んだハウスのパイプが抜けないので、道具を借りようと思ってご近所に聞いたところ、道具を使わなくても抜けるぞとの返事だったので、改めて抜いたみたら、結構簡単に抜けた。たまたま抜けにくいパイプを最初に抜こうとして抜けなかったので、全部が抜けないものと思いこんでいたのだ。抜けないパイプも少しゴシゴシやると簡単に抜けた。その後で、ハウスのビニールを一定間隔で抑えるビニール紐を結える横方向に渡した単管パイプを取り付ける縦方向のパイプを、これは地中深く打ち込んであるので、チェンブロックで引き抜いて、綺麗にハウスを解体することができた、チェンブロックは本当に便利な道具である、娘が手伝うと言って、ひとりでパイプを抜いていた。その後で、トラクターで簡単に鋤いておいたが、今年の畑はかなり遅れている。



平成21年3月14日(土)

 雪、のち夕方になって青空がのぞく。朝、起きてみると、あたり一面真っ白になっていて、風が強くて冷たい一日だった。いわゆる忘れ雪というやつだろう。写真(撮影は昼頃)

 じっちゃい一家(夫妻と孫のAちゃん)が昨日の定期健診の後、南阿蘇で一泊して、午前中寄ってくれた。元気そうな顔を見ればすぐに分かることだが今回も体調のほうは問題なしとのことだった。朝、ホテルの窓から真っ白になった雪景色を見てビックリしたそうである、宮崎なので、この冬、雪に遭ったのは初めてだとか。昼前に、箱石峠を越えて帰って行った。写真(娘は何か面白くないことがあったと見えて顔を隠して写真に収まった)。

 夜は、阿蘇の火祭りのイベントの一つ、往生岳で火文字焼きが行われた、往生岳は阿蘇五岳の杵島岳の北側に位置する山で、6時半を過ぎたころ、まだ暮れきっていない山の斜面に点火されて、徐々に炎が「火」という形に広がって行くのが見えた、我が家からは側面から眺める位置になるが、真正面から見ると、麓の北塚(だったかな)という小高い丘陵で燃やすもう一つの「火」と重なって、「炎」という文字になる。今日は雪が降って、主催者の皆さん火を点ける作業が大変であったろう。

 明日予定されていた、北外輪山一帯及び赤水地区の野焼きは、明日を待たずに、20日の春分の日に再延期になったことを夜8時頃早々と防災無線が伝えていた、たとえ明日晴れたとしても、今日の雪では、とても燃やせる状況にないのだろう。8日に続いて二度目の延期である。


平成21年3月13日(金)

 雨で明け、ほぼ終日雨と少し強い風が吹く。

 今頃になって、このあたり急にインフルエンザが流行りだしたそうで、小学校でも学級閉鎖がでたそうである。その小学生の兄弟たちが通う保育園でもチラホラそういう話が伝わってきたので、風邪を引いているわけではないが、娘の体調、決して万全とは言い難い状態なので、週末ということもあり用心のために今日は休ませる。自主的学級閉鎖である、君子危うきに近寄らずである。

 その娘を一緒に乗せて、婆様の定期通院に行く。最近はほとんど酸素吸入器を使わないので、もう必要ないのではと相談したが、レントゲンを撮ってフィルムを見ながら、肺気腫は治ることはないが、最近喘息も起きないし、お母さんは元気なので、ウーン、しばらくやめてみますか、との先生の診断。決して積極的な話しっぷりではないので、こちらから、やはり用心のためにもうしばらく酸素発生機置いておきましょうと申し出たところ、にこやかに、その方がいいでしょうねとのこと。やはり先生もその方が良かったのだ。

 レントゲンを撮ったりで、結局昼までかかってしまったので、今日の郷土史の研究会は欠席をする。娘は、ずっと車の中で、ノートパソコンでアニメをDVDを見て過ごし、病院内には入れなかった、おかげで小生は待合室の婆様の所と車で待っている娘の所を何度も行ったり来たり、婆様と幼児の面倒を一度に見るのは疲れるものである、普通はどちらかだけだろう、この年齢で幼児の親をやっているのがおかしいのだ。

西木正明著「ウェルカムトゥパールハーバー」ようやく読み終えて図書館に返す。奥泉光「神器」が書棚に並んでいたので借りてくる。

平成21年3月12日(木)

 晴れ。

 婆様、デイケア。

 例によって全く無計画に今日は突然畑の整理を始めた。以前のダイポールアンテナの支柱を立てていた単管をチェンブロックで抜く。前々から少し邪魔だなとおもっていたが、なかなかきっかけが無くてずっとそのままになっていた。畑の整備、どうせやるならなるべく広い範囲を耕したいと思って、ようやく今日片付けた。更に、マルチの残骸を取り除こうとして、そういえばサトイモを収穫しないまま冬を越してしまったことを思いだした。たぶん全部寒さにやられて腐っているだろうと思ったが、結構立派に残っていた。わざわざ食用に植えた植物である、そのまま鋤き込んでしまうにはお天道様に申し訳が立たないと、マルチを剥ぎながら収穫をする。これが結構時間を食う。そして、ハウスの解体。連作障害があるので同じ場所でトマトを植えない方がいい。とりあえず今日は解体だけしておこうと思って始めたが、これも結構時間がかかる、結局、今日はここまでで仕事終了。トラクターの出動までは行かなかった、婆様がデイケアから帰ってきたのだ。

 ところで、ハウスのパイプ、土中に埋め込んである部分、これが結構深く打ち込んであるので引っ張ったくらいでは抜けない、一本一本チェンブロックで、という手もあるが、それでは時間がかかりすぎる。梃子の原理を利用した、パイプを抜く道具があるハズである、誰か持っているだろうか聞いてみよう。

 明日にはまた天気が崩れるらしい。


平成21年3月11日(水)

 穏やかに晴れる。

 娘の乳歯が抜けた。数日前から、下の前歯(正確には下顎中切歯と言うらしい)がグラグラしてきて、その後ろ側には永久歯が顔を出していた。今日か明日かとワクワク、ドキドキの娘だったが、昨夜就寝中に抜けたようで、普段なら一度寝入ってしまうと滅多なことでは目を覚まさない娘が、ガバッと起きて、歯が抜けたバイ、と母親に告げたらしい。こういう時には、眠り込んでいても何かの力が働いて覚醒させるのだろうか。

 乳歯は全部で20本くらいあるらしいが、これから全部が永久歯に入れ替わるまで頻繁にこういうことが起きるのだろうか、自分の子供の頃のことは覚えていないし、親としては初体験なので分からない。

 下の歯が抜けた時は屋根の上に、上の歯が抜けた時には縁の下に捨てると良いとかなんとか言われているが、せっかくの記念だ、クリスタルレジンでアクセサリーを作ってやるよ、と約束する(まあ、いつになるか分からないが)。

 昼からずいぶん久しぶりに薪を作った。天気が続かないのでなかなか薪を作ることができず、ストックもそろそろ怪しくなってきたので今日の晴れ間を利用してひと山作って小屋に積み上げた、こうしておけば雨になっても数日で使えるようになる。

 昼間、婆様が、「今日は寒いね」と言った。寒いねと言うことは実は暖かいということなのである。なまじ気温が高いとストーブの管理が疎かになって火が消えたままになりがちである、この時期さすがにストーブがないとそこわかとなく寒さを覚える。逆にうんと寒いとじゃんじゃん燃やす、従って寒いほど我が家では室内は暖かいのである。まだまだストーブの季節は終わらない、毎年5月の上旬くらいまでは使っている。


平成21年3月10日(火) そうか、3月10日か・・・・・・

 晴れ。朝のうちは窓外は霜で真っ白になっていたが、日が昇るにつれて急に気温が上がり始めて周囲の畑や屋根から湯気のように大量に水蒸気が立ち昇り、それに朝日が射して幻想的な雰囲気を醸しだしていた。

 そうか、まだまだだと構えていたが確定申告の締切は間もなくなんだ、周囲の確定申告話を他人事に聞いていて、小生もしなければならなかったんだと慌ててPCの前に座る。PCの前にはいつも座るが、このために改めて座る。

 昨年、電子申告(e-Tax)で納税したが(いや、還付を受けたが)、その後、PCのトラブルで、電子申請の環境設定を一からやり直さなければならなくなって、面倒だなあという気持ちがあって、それも延び延びになっていた主な理由である。

 寺さんが、簡単にやって、しかも自動計算してくれたよ、と言っていたのを思いしだして、調べたら、どうも電子申請の方式に二通りあるようで、e-Tax専用ソフトをインストールして申告書を作成する方式と、Web上で申告書を作成する方法があるようで、後者の方が遥かに簡単だということが分かった、それなら、なぜ、自動計算もやらないようなソフトを残しておくんだと少々腹を立てながら、Web上で申告書を作成した。今年も婆様の医療費控除が多くて、証憑書類が膨大な量になるので、結局天気の良い一日中、申告書作成作業の追われた。送信はまだせずに一旦保存して終了した。


平成21年3月9日(月)

 曇りのち、いつの間にか静かな雨になっていた。それも冷たい雨で、やまなみ道路の長者原あたりでは雪になったようで、チェン規制が出された。

 婆様が骨折以来、約3か月ぶりにデイケアに復帰、迎えの車に乗って出かけた。そして夕方、無事に帰ってきた。婆様、久しぶりのために昨夜は少し入れ込んでいたようだ。これから月曜日、木曜日と週二回のデイケアだ。

 小生は、やることが沢山あるにもかかわらず、久しぶりに出来た時間に戸惑って、一日放心状態、ボーっとして過ごした。


平成21年3月8日(日)

 くもり。

 朝の防災無線で本日予定されていた北外輪山一帯の野焼きが来週の日曜日に延期になったことを伝えていた。今日の天気予報ではもしかしたら雨になるかもしれないと言っていたが、それより、ここのところの雨の多い天気続きで草原の乾きが遅くて火を点けても燃えにくいことが延期の主な理由ではないだろうか。

 小生は、おそらく延期だろうと読んでいたので、火消し棒も作っておかなかった(出来れば延期してほしいという気持ちが強かった)。杉の枝を飛び火を叩き消す道具にするのだが、今日のために作っておいて万一延期になると、杉の葉が乾いてしまって今度やる時に火を消すつもりが逆に枝に燃え移ってもまずいなと思ったので朝の放送を聞いてから、庭先の杉の枝を切っても遅くはないと満を持していたのだ。今、カミさんが忙しいピークで、小生が野焼きに出ると、婆様と娘をどうしようかと思っていた。娘は無理を言ってカミさんの仕事場に連れて行てもらうとして、婆様には弁当を作っておいて独りで留守番をさせることになるが大丈夫だろうかと心配していたのだ、延期になって良かった。

 今日は延期になったが、それでも、うちの牧野はやるよ、というところがあったのだろうか、外輪のところどころで野焼きと思しき煙が上がっていた。

 今日は、スケジュールに上がっていたのだろうか、高岳山麓の小堀牧あたりだろうか家の窓からDI局のタワーの向こうに、野焼きの赤かい炎が見えていた。先日の阿蘇山麓の野焼きで燃え残った続きでもやっていたのだろうか。



平成21年3月7日(土)

 予報ほどには冷え込まず気持ちよく晴れた。明日は北外輪一帯の野焼きが予定されているが微妙な天気である。外輪一帯で一斉に実施されるので、一牧野だけで決められる問題ではないので主催者は悩ましいところだろう、小生も参加する。
 カミさんに代わって保育園の保護者総会と保育参観に出席。親子交通安全教室も開かれる。ダミー人形を使って交通事故の恐ろしさを知ってもらい、親子で横断歩道の渡り方などを学んだ。総会後のクラス懇談会では、まもなくの卒園を前にして早々と「ウルウル」するお母さん方もいた。
(写真1写真2写真3写真4写真5)

 婆様の入浴を介助する。


平成21年3月6日(金)

 雨のち曇り。昨夜は眠りが浅く、一晩中屋根を打つ雨音が聞こえていた。その雨も朝には上がり、時間が経つにつれて回復に向かった。

 午前中、婆様をリハビリに連れてゆく。来週の月曜日からデイケアが再開するので、通院リハビリは今日が最後になった。

 午後から、そのデイケアのプランの打ち合わせで、ケアマネージャのI原さんが計画書を持って見える。いよいよまたデイケアが始まる。骨折入院前と同じように月曜と木曜の週二回のデイケアである。

平成21年3月5日(木)

 啓蟄、この日に合わせたかのように、クモが今年初めて軒先に巣を張った

 曇り、やがて雨。

 午前中、婆様をリハビリに連れてゆく。

 時々、広告メールでインターネットを利用したレンタルビデオの案内が来ていた。ここ地元にはレンタルビデオ屋が一軒あるが、向こうに居た時はしょっちゅう利用していたが、こちらに来てからは一度も利用したことがない。厳密に比べたわけではないが、大した差ではないが、向こうで利用していた時よりも料金が割高な気がしたのと、ビデオを見る時間が無かったことなどが理由である。尤も、借りて見ると言っても、見るのは専ら婆様で、小生は借り役専門であった。その小生が借りなくなったので、必然的に婆様も見なくなってしまった。婆様自身が加齢に伴ってビデオに対する執着心が薄れてしまったこともある。婆様はとにかく洋画が大好きで、それも字幕で見るのが好きだった。好きだったと過去形で書くのも妙な話であるが、それほど、レンタルしなくなって年月が経ったということである。

 その間に、ビデオ、ビデオと言っていたものが、媒体がいつの間にかDVDの時代になってしまっている。そのDVD、どうしても見たい映画がある場合は、安価な場合は時々ネットで購入していたが、今回、ふと気が向いて、レンタルビデオ屋の広告メールを開いてみた。お試し期間として最初の一か月間、無料で8枚借りられるという。レンタル料が無料という謳い文句よりも、そのシステムに興味を引かれた。

 DVDを郵便で送ってきて、返す時にはポストに放り込むだけだという。田舎に住んでいて何が不便かといって、わざわざ遠くまで出かけなければならないということである。そして借りる時と返す時の必ず二度行かなければならいということである。それが自宅の郵便受けまで届いて、ポストに返せば済むというのだからこれは便利である。

 昔と違って、田舎暮らしにそれほど不便さを感じないのは、インターネットと宅配のシステムが上手く合わさって機能しているからである。買う物さえ決まっていれば、これほど便利なシステムは無い。それがレンタル・ビデオ(DVD)の世界にまで広がったのである。

 まだシステムが完全には理解できていないが、在庫リストの中から見たいタイトルを次々に選んでおくと、一度に二枚ずつ、ひと月に決められた枚数だけ順番に送られてくるようで、最初の二枚を見終わって返信用の封筒に入れてポストに投げ込んで返却すると、次の二枚が送られてくるようである。

 それが今日送られてきた、郵便料も月額契約料金に含まれていて別途払う必要もなく、返却に際しても送られてきた時の封筒にDVDを入れてただ封をすれば良いだけの工夫がされている、何かを書く必要も全く無い、徹底的に手がかからないようになっている。コスト的にも極めてリーズナブルである、別にこの会社の回し者ではないが感心する、そして少なくとも今月一か月の8枚は無料である。

 問題は、毎月数枚送られてくるDVDを見る暇があるかどうかである、自宅観賞用にコピーを取るのは違法だろうか、色々な解釈の仕方があるようだが多分違法だろう。違法でなければコピーを取って後からゆっくり楽しめば良いのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・(と、・・・・部分がやたらと長い)。

 インターネット。無限と言ってもいいほど可能性を秘めた道具である。この道具、ただ単に受け身で使うだけでは勿体ない、逆に使ってもらうような何かアイデアはないだろうか、都会でも田舎でも条件は五分と五分なのだ、田舎だからこそ出来る何かがあるんじゃないかと折りあるごとに考える。


平成21年3月4日(水)

 曇り。娘、元気に保育園復帰、朝のうちは小雨が降っていたので昨日に引き続いて婆様のリハビリは休む。昼から婆様の入浴の介助をする。

 夕方、娘を迎えに出ようとして、今年初めてウグイスの鳴き声を聞いた、もうちゃんとホーホケキョと鳴いていた。

 掘り出し物のカメラを入手。パン・チルト、ズームイン・アウトが遠隔操作できる、画質もなかなかである。ただ問題は、畑に置きたいが屋内仕様のために防水対策がされていない、また自作でハウジングを工夫する必要があるが、360℃回転体にどうハウジングを被せるかである。


平成21年3月3日(火)

 弱い雨が降ったり止んだり。朝、ほんの一瞬、雲が切れた間から白い五岳が垣間見えた。野焼きも済んで、もう雪とは縁遠い風景になっていたので、まるで初冠雪を見た時のような感動を覚えた。よし!後から写真を撮ってやろうと思ったが、山が見えたのはその時だけで、終日雲の中だった。

 娘、結局今日は保育園を休んだ。そして結局何事もなく復調してしまった、一体なんだったのだろうか。

 今年はカミさん忙しくて雛人形も飾る暇もなかったようで、夜、宅配の食材で小生が作ったちらし寿司だけが「ひな祭り」の雰囲気を演出しただけだった。


平成21年3月2日(月)

 今朝は真っ白に霜が降りていた、氷もしっかり張っていた、最低気温は氷点下3度くらいだったか。

 午前中、婆様をリハビリに連れてゆく。午後は特に何もせず、のんびりぼんやりと過ごす。

 娘、保育園でキツイと言って大好きなカレーの昼食を残し、おやつも食べなかったそうで、退園時に7℃ちょっと熱があったそうだ。喘鳴も無く、喉や頭も痛くないという、休日目いっぱい外で遊びまわった後、よく熱を出すが、今回はそのせいだろうか、今夜は8時前には寝てしまった。


平成21年3月1日(日)

 晴れ。気温は12℃台までしか上がらなかったようだが、穏やかで気持ちのいい一日だった。

 今日は、阿蘇山麓の野焼きが実施されて空が終日野焼きの煙で煙っていた。この煙りは阿蘇人にとっては大陸からの煙霧や黄砂と違って一向に構わないのである。

 昨日までの雨で草が乾ききっていないせいか、燃えの勢いが少し弱かったようだが、それでも夕方には山肌が黒く焼けていた。今日も飛び火があったようで消防が忙しそうに活動していた。

何の脈絡もなく
 電波法第五十九条
何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信を傍受してその存在若しくは内容を漏らし又はこれを窃用してはならない。(大部分の人が、なんのこっちゃい、と思われるでしょうが、このくだりは読み飛ばしてください、分かる人には分かるかな、とうい程度の楽屋ネタ的挿入文です)。


 今日は五岳の麓がメインの野焼きだったが、古閑の牧野でも野焼きがあり、妻子ケ鼻にも炎が上がっていて、それを見守る古閑牧野の皆さんの中に何人か知った顔があった。この牧野ではゼッケンを着けた人たちが大勢いたが、ボランティアで参加した人たちだ。最近は過疎化で人が足りずに阿蘇の牧野を守るために外部から応援を頼むところもある。

 朝、遅い朝食を摂っていると、牛乳配達を業としているF木さんから、パソコンの調子が悪いので見てくれと電話があり、F木さんがPCを置いているM本牧場に出かけて復旧してきた。顧客管理の伝票を打つために最近ではあまり見る機会が少なくなったドットプリンターが活躍していた。

 今日は天気が良かったので、村の子供たちが一堂に会し終日飛び回っていた、そういえば間もなく啓蟄だ、家に籠っていた子供たちも外で活動する季節になった。今日初めてヒバリがピーチクパーチク青空に舞いあがっているのを聞いた。
  

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