平成21己丑(2009)年 6月の記録(新しい日付けの順)
平成21年6月30日(火)
夕方近くになって今回の大雨警報もようやく解除されてたが、相変わらず強い風が吹いている。ただ、一旦上がったこの雨も、また、明日には大雨になりそうだと予報は伝えている。梅雨の雨はシトシト降り続くものだと思っていたが、豪雨と強風、昔と様相が変わってきたような気がする。
大祓(おおはらえ)の神事が午後5時から阿蘇神社で齋行され、今日は5時まで学校があった娘を拾って行事に参加した。大祓の神事は6月と12月の晦日に行われ、それぞれ、夏越の祓(なごしのはらえ)、年越の祓(としこしのはらえ)と言われる。夏越の祓の際には、茅の輪(ちのわ)くぐりと言って、茅草で作られた大きな輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓う。この神事に先立って、人形(ひとがた)の白い紙に家族の名前と年齢を書いて、体(の悪いところ)になすりつけて息を吹きかけ、事前に神社に納めておくと、大祓の神事の際に除災をしてくれる。この村の人たちの人形も、神社の係である小生が事前に預かって神社に納めておいた。娘も神妙に列に混じって茅の輪をくぐっていた。日本古来の風習、大事にしたいものである。
茅の輪くぐり連続写真 (全15枚)
昨日から、プロバイダーのメールサーバーでメールの送受信ができなくなっていた。原因は何だったんだろう、直前に大きなファイルを添付したメールをいくつか受信していたが、「メールのコピーをサーバーに置く」と設定してあるので、サーバーの容量が不足して、後続のメールの送受信ができなくなったのだろうか。今日の午前中、自然に回復したが、別のPCでメール受信操作をしたところ、その設定は、メールのコピーをサーバーに保存しないとなっていたので、受信したあと全部サーバーがクリアになって、その後のメールの受信ができるようになったのだろうか、その前後関係がハッキリしない間に復旧したので正確には分からないが、まあ、良し、とする。ほぼ一日の間のメールが全く届いていないが、99.99%がスパムメールだからどうということはないだろう。
平成21年6月29日(月)
防風雨。夕方、阿蘇地方にも大雨洪水警報が出された。雨もさることながら、風が強くて落ち着かない一日だった、それに雷の注意報もだされていた。
夕方、娘の習い事の送りで、家を出たところ、屋敷内に植わっていた欅が強風に片側車線を塞ぐようにして道路側に倒れているのに思わずぶつかりそうになった。いつ倒れたのだろうか、まだ明るかったので、幸いにして、倒れた木にぶつかった車はなさそうであった。小生が出合う直前だったのだろうか、すぐに、道路側に飛び出している部分をノコで切り落として、事なきを得た。この欅は細くて、大分前から枯れているようだったので、今回の風で倒れたのだろう。
婆様、デイケア。
娘の下校時、強風と雨で、田圃の中を徒歩で帰ってくるはちょっと心配だったので、車で迎えに行って、豆札の登校班の1、2年生と別の登校班の1年生、A紗ちゃんH斗君の都合6人を乗せて、それぞれの自宅まで送り届けた。学校付近の住宅街と田圃道を帰ってくるこのあたりとは気象条件がかなり違って、学校付近では大した風が吹いていなくても、こちらでは台風並みの風が吹いていることがある。
明日も今日のような天気が続くらしい。
平成21年6月28日(日)
曇り。朝のうちに少し降ったので、このまま予報通りに今日は雨になって、区役の草切りも延期かなと思ったが、そのまま降ることもなく、少し薄日さえ射し始めたので、予定通り、豆札地区の草切りが行われた。
レーダーを見ると、今日の雨は鹿児島から宮崎をかすめるようにして強い雨が降り続いたようで、ここ熊本はその雨域から外れていた。ただ、今夜から梅雨前線が丁度、熊本あたりに横たわるようで、相当にまとまった雨と、雷が見込まれている。今晩はまた、システムを落として寝ることにしようと思っている。
平成21年6月27日(土)
晴れ、のち、夜に入って雨になる。
今朝も、涼しいうちにと少しジャガイモを掘る。葉が枯れると収穫期だが、あまり長く置いておくと腐ると思って、急いで掘らねば、と思いこんでいたが、しばらくならかえって糖度が増すから良いと、バジリコさんから情報が届いたので、じゃあ、ゆっくりやるかと、今日の作業は中止した。
先日の強風で、テレビのアンテナの傍に立つ杉の木が大きく揺れてアンテナに触れんばかりになっていたが、そろそろ台風のシーズンがやってくるので、今日、アンテナに一番近いそのうちの一本を倒した。この杉の一群は、こちらに来た時には苗が十本ほど植えてあって、背丈ほどしかなかったのに、いつの間にかアンテナを超える高さに成長してしまった。もっと早いうちに間引いておけば良かったが、これからだと、周囲の植栽などとの関係で、結構厄介な存在になる。
明日は大雨になるそうである、明日はまた先週に引き続いて区役の草切りが予定されているが、たぶん延期になるだろう。
平成21年6月26日(金)
晴れ。
朝、ジャガイモの試し掘りをやった。試し掘りというよりは、本格的に掘るつもりで始めたが、すこし掘って、そのまま続ける気がしなかったので、試し掘りということにしてごまかして終わったのだ。自然農法(手抜き農法)にしては、まあまあの出来だとおもう、尻に火が付いてから改めて掘ることにした。
今日は一日、溜まりに溜まった神社の帳簿の整理をした。
マイケルジャクソンというミュージシャンが死んだそうだ。もちろん名前や顔は知っている。「という」、とわざわざ付けたのは、彼の楽曲については全く知らないからである。彼は世界的ミュージシャンで、CDだかの売上は1億枚とか何とか、それほど世界中の多くの人達が知っているミュージシャンなのである。ところが、この歳になると、いくつかのスキャンダラスな話題だとかは耳に入ってくる、ムーンウォークだとか、ネバーランドだとかは知っているが、肝心の歌は聞いたことが無いのである、いや多分、そういった話題がテレビなどで流される時には、背景に彼の音楽が流れていたのだろうが、全く、心に残るようなことはなかった、他の小生くらいの世代の人間はどうなんだろう、小生に一番縁のない分野の音楽だからだろうか、小生が知らないだけだろうか。今朝からテレビのニュースショーでは上を下への大騒ぎ、司会者たちの慨嘆ぶりは異常とも思えるほどである。
平成21年6月25日(木)
晴れ。梅雨の中休み、穏やかな一日だった。
婆様、デイケア。
ちょっと見ぬ間に、畑の草の丈がずいぶん伸びていたので、午前中、草刈りをする、動くとやはり暑い。
今朝、水槽の琉金が死んだ。そろそろ水槽の掃除をしなければと思っていた矢先だった。いつもは、泳ぎ方で、直ぐに掃除をしないと、というサインが分かるのだが、今回はあっという間だった。かれこれ7年くらい経つだろうか、最初は指先ほどの小さな金魚だったが、20センチ近くになっていた。もう少し早く掃除をしてやればと、ちょっと胸が痛む。この大きさだとさすがに水葬は無理なので、庭先に穴を掘って埋葬した。あと二匹はコイかフナを赤くしたような普通の金魚だが、これらは丈夫である。こ奴らも大きくなって水槽では窮屈そうなので、近くの川に放流しようかと思わないでもない(生態系に影響ないだろうか)。
そろそろジャガイモを掘らなければならない・・・・
平成21年6月24日(水)
晴れ、時々曇り。気温が幾分低めに感じた。
婆様、腰が痛いというので、今日も整形外科で痛み止めの注射を打ってもらう。老化からくるもので、もう婆様の歳では根本治療は無理なので、対症療法で痛み止めの注射を打つしか方法が無いようである。婆様は自分の年齢の自覚が無いので、どうして治らないのだ、といささか不満げであった。
午後からケアマネージャーの I 市原さんが7月のケアプランを持って見える。
小生、屋外作業にはグランドコンディション不良のため、もっぱら読書やらなにやらして過ごす。
平成21年6月23日(火)
昨夜の風雨、今朝には上がる。昨夜は一晩中、強い雨が降り続いて、小生が現在寝ている場所が、実質屋根裏にあたる場所なので、大きな雨音が直に伝わってきて、何度も夜中に目が覚めた。一晩経って、散歩に出たところ、通常、暴風雨の後は道路上に吹き千切られた枝葉などが散乱しているものだが、今朝は全くそのような様子は見られなかった。客観的にはそれほどの風雨ではなかったのだろうか。少なくとも我が家の風力計は強風を記録していたし、窓の外を見ていても間違いなく強い風であったが、それも極めて部分的な強風だったのだろうか。確かに、このあたりは、風の通り道的なものがあって、普段でも、場所によって強い風が吹いているかと思えば、すぐ近くではほとんど風が吹いていないということもある。阿蘇市のアメダスの公式記録ポイントがある阿蘇乙姫という所は、ここから9キロ近く西に寄った阿蘇谷の平野部にあるので、そこでのデータと外輪下のこことではかなり違う場合がある。
日中は薄日が射す程度に回復したが、夕方近くにはまた降りだして、夜になって、雷を伴った大きな雨域が接近して、翌日未明まで大雨が降り続く予報が出ていたので用心のために自宅サーバー関係の電源を全部落としたが、9時頃には雨域も東方に通過して、雷も遠雷が聞こえた程度で終わったが、とにかくタコ足配線で、どれがどの線か分からないので、復旧せずにそのまま寝てしまった。(そして翌朝4時前に起き出して復旧作業をした。)
平成21年6月22日(月)
雨。いままでのツケを返すかのような、まとまった雨になった。その上に、台風並みの風、20mくらいの風が吹き荒れた(夜になっても吹き続いている)。先日作ったビニールハウス製の車庫が飛ぶのではないかと気が気でない。台風の方がサッと来てサッと通過するので良いが、こういった風はいつまでも吹き続けるので落ち着かない、明日まで続くようである。
普段は携帯電話を使うことが多く、またこちらから掛ける場合には問題がなかった(と思う)ので、いつのころからそうなのか分からないが、最近固定電話がつながらないという話を二三聞いていたので、電話局で調べてもらったところ、はやり電柱部分にある装置内の線がおかしかったようで、電話局が修理にやって来た。ADSLは使えていたので、音声部分の線の不良だろうが、一本の線に音声信号とデータ信号が重畳的に流れているはずなので断線ということではないのだろうが、どういうことだかよく分からない。
今年も糠床を作った。カミさんの育った環境にはそういう食文化が無いのか、あるいは年齢からくるものか、全くぬか漬けに興味を示さないので我が家では小生が好きで作っている。家庭によっては何十年ものと言った秘伝の糠床があるようだが、小生は、夏場だけあれば良いので、毎年、この時期にだけ作る。娘が先日孝亮さんから頂戴したぬか漬けのキュウリが美味しい美味しいといって食べていたので、少しは作りがいがありそうである。もう菜園のキュウリが大きくなっている。
平成21年6月21日(日)
夏至。曇りの一日で、時々、細かな雨が落ちてきたが、ほとんど地面は濡れず。太陽は顔を見せず、一年で一番北寄りの落日の写真は撮ることができなかった。そろそろ本格的な雨のシーズンが始まりそうである。
農・水・環の草切りがあった。朝8時に、豆札と福原地区の皆さんがいつものようにS司さんのハウスの前に集まって、今日の作業を開始した。馬場の人たちは、馬場八幡に集合しているのが軽トラの集合で確認できた。豆札地区と馬場地区は別々にそれぞれの割り当て地区の草切りをするが、豆札が割り当てられている地区は人員に対して非常に広い地域の草切りをするので、馬場地区の人たちが後から必ず応援に来てくれる。今日は日が射さなかったので、汗もそれほどかくこともなく比較的楽であった。連日の竹伐りと今日の草切り、歳を忘れて、我ながらタフだと思う。
今日は夏至であると同時に、父の日だそうだ、だからと言って特に何も無かったが、娘が、スーパーの募集に応募したのだろう、父親の肖像画が魚売り場の上の方に展示してあった。「おとうさん、えびすぱーな(スーパーの名前)に行って上の方を見てみて、必ず入ってね」と言っていたが、これだったのだ。
平成21年6月20日(土)
晴れ。今日も暑かった、そして湿度が高かったようで蒸した。その中で、今日も竹林の整理をした。間もなく本格的に雨の日が続きそうなので、その前に、出来るだけ燃やしておこうと思ったのだが、この暑さで、さっぱり能率が上がらなかった。
明日は区役で、草刈りがある,、ホタルが心配であるが、そういった昔からの村の生活サイクルのなかでホタルは生息しているのだから、大丈夫なのだろう。
平成21年6月19日(金)
晴れ。気象庁、梅雨入り宣言、多分早まったと思っているだろう、いずれ「梅雨入り日」の訂正があるだろう。朝から雀が二羽続けてストーブの煙突を落ちてくる、三羽目を阻止のためにストーブを弱く焚く。
婆様、腰の神経痛が痛いというので整形外科に連れて行って痛み止めの注射を打ってもらう。
今日も竹林の整理。足の踏み場も無いほど竹が散乱しているので、少しスペースを作って竹を燃やした。倒した竹の移動が大変なので、あまり広い場所が確保できず、乾燥注意報が出されているので周囲に燃え移らないように消火用のホースを準備して燃やす。熱い、暑い、熱い、暑い。
夜、我が家の裏の川から始まって、馬場、天神橋とホタル鑑賞をした。今年は川が流れているところはどこにでもホタルがいるようである。雨が少ないせいかもしれない。ホタルの数、天神橋(眼鏡橋)が一二を争う多さである。眼鏡橋という恰好の舞台装置を背景に乱舞するホタルを I 原孝弘さんご夫妻、 T 木義臣さんご夫妻、まりさんのお母さんなど沢山の人が楽しんでおいでだった。
平成21年6月18日(木)
晴れ。
婆様デイケア。
今日も竹伐りをする、暑い、暑い。
昼前、tomuさん夫妻がカブトエビを見学にやってくる。
午後、孝亮さんが、自分で漬けたヌカ漬けを持ってやってくる、氏の糠床はもう何年も経っているそうである。我が家では毎年夏のシーズンだけの糠床であるが、そろそろ菜園のキュウリも実をつけだしたので糠床の準備をする時期である。
発注したPCが届く、まだ通電していない、スイッチを入れたらそのまま起動すると思うが、自作派としては、マニュアルが不親切である。もう少し中身をじっくりと観てから、動かすことにする。
平成21年6月17日(水)
晴れ。本日の最高気温、阿蘇乙姫、30.5℃、真夏日を記録する、もちろん今年最高の気温だった。空気はヒンヤリしているが屋外作業はこたえた。
今日もこの暑さの中、黙々と竹を伐る、午前も午後も竹を伐る、竹を引くノコで腕の感覚が無くなるほどである。冬季にやれば、体は温まるし、焚き火も出来るのに、何を好き好んでこの時期にと、己の無計画さに呆れる。まだまだ終わらない。
平成21年6月16日(火)
晴れ。早々と昼頃にはもう夏日に達していた、雨が降らない、平年の1/3位だとか。
今朝6時過ぎ、田の見回りに出るK朝春さんについて、カブトエビを捕りに行った。瀬戸内地方の海だったかにいる大きなカブトガニは知っていたが、カブトエビ、小生は初めて見る生き物である。カミさんは子供のころ、科学雑誌の教材で卵から飼育したことがあったそうで識っていた。へえ、こんなものが身近にいたのかと驚きである。裏返してみるとエイリアンを彷彿させる奇っ怪な様相をしている。早速、持ち帰ってミニ田に放したが、カブトエビは寿命が一二か月くらいで、ワッと湧いてワッと死滅するらしい、その間にたくさんの卵を産んで、それが、土の中に残って翌年にまた湧くとのこと、今日捕ってきたカブトエビはもうすっかり大きくなっていて、すでに終わりかけのものかもしれない。カブトエビは農薬に弱いと聞く、自慢ではないが、阿蘇では除草剤は撒くが、害虫駆除の農薬は全く撒かない、阿蘇のコメは無農薬米なのである。だからカブトエビも自然に発生するのだろうか。あとちょっと気になるのは、こういった生物と生態系の問題である、この生物は外来種だろうか、日本固有の種もあるのだろうか、どんどん増やして移しても構わないだろうか。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
午前中、婆様、温泉病院へ、先日、耳の穴を傷つけて出血した予後観察である、概ね完治状態でもう来なくて良いとのことだった。
午後、市役所から、介護保険の定期認定調査のために係員の I 井上さんが訪問調査に見える。お上の財政難により、このたび介護認定をよりシビアにするような方向の法改正があったようで、介護クラスが今より相当軽くなるらしい。もっとも婆様は軽くなる方を望んでいる、何故なら、その分、デイケアに行く回数を減らせるからである。婆様にとってはデイケアは相当肉体的精神的負荷のかかるもののようである。しかし、傍から見ていると、デイのある日は、顔つきもシッカリして、シャキッとしているので、これは婆様にとって必要なことだと思えるが。ついでに小生にとっても必要なのである、自由時間が出来るからである。
午前中、竹の伐採の続きをする。
平成21年6月15日(月)
晴れ。家で長椅子に横たわってノンビリと読書でもしていると実に気持ちの良い風が入ってくるが、屋外で肉体作業をすると汗みどろになる。25度以上の夏日だった。
今日は、その汗みどろの方の一日だった。ふと思いついて、ここ、家の東側の草を刈りだしたが、途中まで刈ったところで、またふと気が変わり、その横手になる竹林の切り拓きを始めた。少し空地を作って、そこを何にをするかは、出来てから考えることにして、とにかく切り倒しを開始した。今日は先ずその手始めである。
今日、JTQがシルクロードから出してくれた絵ハガキが届いた。ん?彼はとっくに帰ってきてるぞ、航空便なのにこれだけの時間がかかるのは、彼の国だからか、それともシルクロードがそれだけ遠いところだということか、とまれ、はるばるタクラマカン砂漠を越えてきたハガキだ。
婆様、デイケア。帰りはそのまま内科に寄ったので迎えに行く。数日前から、頭がかなり痛いそうだ、頭の中ではなくて、表面らしい、触るとピリピリ痛むそうで、時々痛む場所が変わるらしい、これはクモ膜下出血ではないだろう、多分、神経痛の類だろうと素人判断して、様子を見ていたが、治らないので診てもらった。頭が痛いのではなくて、頭の表面、表皮部分が痛いと言えよ、と言ってあったのに、ただ頭が痛いと言ったらしくて、貰ってきた薬、ちょっと違うような気もするが、これで効けば良いが。
K朝春さんの田圃の一枚にカブトエビが大量に発生しているそうだ。カブトエビは草を食べて育つそうで、田の除草に非常に有効で、その田でとれるコメは美味しいそうだ。カブトエビ農法というのもあるそうだ。どうしてこの一枚だけなのかわからん、とK朝春さんは言っている。明日にでもそこから掬ってきて我がミニ田にも繁殖させようと思っている。
平成21年6月14日(日)
晴れ。吹く風が気持ちがいい。久しぶりに目的外自生植物を刈る、つまり雑草である。雑草も繰り返して刈っていると自然と生態系が変化してきて、同じ種類の優しい草が綺麗に生えてくるので上手く刈ってやると芝生のようになる、どうせ手入れが必要ならわざわざ芝生を植えるまでもないという気がする、怠け者の屁理屈である。
娘とカミさん、昨夜は「国立阿蘇青少年交流の家」にクラスの仲間たちと泊って、今日は竹原牧場に遠征して牛の乳しぼりやバター作りに挑戦したようである。午後に入ってから満足して帰ってきた。昨夜の当初のプログラムでは、星空観察の予定だったようだが、曇っていて星が見えなかったので、来月の皆既日食の話があったようだ、ここ阿蘇でも「皆既」ではないが、結構太陽が細くなるらしい。
余談ながら、「国立阿蘇青少年交流の家」は、以前は「国立阿蘇青年の家」と称していたが、近年、名称を変えた。変更して名前がやたらと長くなってしまった。因みに「青年」とだけ冠するのは若い女性に対して不公平ではないかと言った御仁がおいでだったが、「青年」という言葉に性別は入っていない、広辞苑で引くと「青春期の男女」とある。かえって、今の「青少年」には青年と少年だから少女は含まれないので、問題にするならこちらの方であろう。もっとも広辞苑が万能とは限らないが、日本語はむつかしい。
例によって、取捨選択が面倒なので、撮った写真を全部掲載した(今回はカミさんも撮ったようだ)。
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(1/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(2/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(3/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(4/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(5/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(6/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(7/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(8/9)全10枚
ファミリー体験in阿蘇 連続写真(9/9)全 6枚
平成21年6月13日(土)
曇り。
早朝から、所用にて夫婦で熊本市内まででかけ、小生は昼前に戻り、カミさんは夕方戻ってきた。娘は、婆様と留守番をして、小生が戻った時には婆様は娘の相手でヘトヘトになっていた。
今日昼から、明日にかけて、泊まりがけで、阿蘇山麓にある「国立阿蘇青少年交流の家」で「ファミリーふれあい体験in阿蘇」という催しがあり、課外活動の一環で坂梨小学校の1年生が保護者と一緒に参加した。という説明で正しいかどうか、ちょっと自信が無い。というのは、この催しには、母親が娘と一緒に参加することになっていて、小生は、フンフンと聞き流していて詳細については理解していないところにもってきて、母親が今日の催しに参加できなくなって、急きょ小生が代役を務めることになり、娘をつれて参加したからだ。今回の催しは地元だけの募集ではないので、かなり広範囲から参加申込があったのではないだろか、総勢160人ほどが集まり大賑わいだった。今日の最初のメニューは、親子クッキングで、屋外にある厨房施設と大きな石窯でクッキーを焼くというものだった。
夕方には、母親の用件が済んだので、今夜から明日にかけての宿泊を伴う場面は母親にバトンタッチして山から下りてきた。親子クッキングまでは小生が写真を撮たが、その後については、母親にバトンタッチしてきたので、果たして記録を撮るかどうかわからない。
平成21年6月12日(金)
晴れ。今日も気持の良い空が広がる。
一夜明けて、娘、回復に向かうが、まだ少し喘鳴と咳が残っており、学校を休む。
本日、三回目の「みどりの爺さま」で、いつもの辻に立って旗を振り、子供たちの通学の安全を見守る。
婆様、退院後初めての定期通院。
夕方近く、E鴨氏がハチウトの現物の寸法取りに現れる。トマトの出荷が始まるまでまだ少し時間があるので、ハチウト作りに挑戦したいそうだ。E鴨氏はトマト農家である、上手い具合にカモがやってきたとばかりに我が家のハウスのトマトをちょっとチェックしてもらった。
夕方、オートセンター石田の石田孝臣さんが、先日修理に出したパジェロが直りましたといって届けてくれた。短時間の間に的確に不具合箇所を見つけて手当てをしてくれた、もっと時間がかかると覚悟していたが、迅速で細やかな応対に感謝する、改めて「ホームドクター」として今後のお付き合いをお願いした。
今日も一日中忙しく駆けずり回っていたような気がする。
平成21年6月11日(木)
晴れ。梅雨入りと同時に晴天が続く、有りがちなパターンである。
婆様、デイケア。
娘、少し風邪気味なので用心のために休ませる。
小生、所用のため、娘を独り留守番させて熊本市まで出かけたところ、留守番中に呼吸が苦しくなったと母親に電話をしたらしくて、母親が休みを取って古閑医院に連れて行き、いつものネブライザーをやってもらったそうだ。
夕方になった、また苦しいというので、今度は小生が再度連れて行ったが、その時には喘鳴は収まっていたので、先生に相談して、家庭用のネブライザーの薬液を出してもらって帰ってきた。
以前、熊本市の地域医療センターに夜間運び込んだことがあったので、その後、不時に備えて家庭用のネブライザーを買っておいたが、その後、そういったこともなくなって、このまま出番が無くて終わるかなと思っていたが、やはり必要な事態になったようだ。夜になって、またゼーゼーが激しくなったが、本人は大丈夫、ガマンするというので、荒い呼吸音をたてて眠る娘の顔を見ながら様子見である。初めてなので、ちょっと不安があるが、いつでも使えるように準備しておく。
暦の日付が替わったころ、とうとう苦しいと言い出したので、ネプライザーの初始動、二種類の薬液を吸い取る注射器やスポイトは付いているが、0.3mlだとか、2mlだとか少量の薬液の計量は、表面張力でメモリが読みにくく、かなりアバウトになってしまったが、まあ良いだろう、こんなものだろうと計量して吸入させた。さすがである、すぐに楽になったようで、すぐに寝た。
平成21年6月10日(水)
梅雨入りと同時に、終日ほぼ雨。強い雨と雷も予報されていたが、それほどではなかった。
婆様、床屋に行きたいというので、M岡さんに連れて行く。
その他には特に無し。
平成21年6月9日(火)
曇り。ここ九州地方、本州の各地と一緒にようやく梅雨入りした模様である。
IC-760PRO、電源故障、直って戻ってきた。前回修理から2か月ほどしか経っていなかったので費用は掛からなかった。
四駆、昨日また走行中にエンジンが止まった。A/T油圧警告ランプが点灯している。だましだましなんとか帰ってきたが、状況によっては大事故につながりかねないので本日修理に出した。「また止まった」と書いたが、最初のトラブル、日記に書いたかなと思ったら書いていなかったようだ。数日前、同じような症状が起きたが、ディーラーに電話したらどうも煮え切らない応対だったので、すぐに回復したこともあって、その後、様子見をしていたが、昨日また起きてしまったので、これは今後も起きるだろうと思って修理に出すことにした。
このことについて、一言。この車、いつも山を降りた大津町にある専門ディーラーに車検整備を頼んでいる。だから、今回も、連絡をとったところ、代車が無いという(代車が必要なければ修理をするよということだろう)。定期点検などあらかじめ(代車のやりくりを含めた)スケジュールを組んで整備工場を回していて、つまり、向こう側の都合で工場を運営していて、今回のような突発的なトラブルに対する対応については考慮されていないのではないか思わざるを得ない、こういう場合にこそ臨機応変に適切な応対と言うものが必要であろう。特に、田舎では車は、「足」なんだから、代車は絶対に必需品である。息のかかった系列の修理屋さんを何軒も持っているはずだ、そう言ったところと連携を取って代車を相互にやりくりするくらいの知恵を働かせても良いと思う、要はヤル気の問題だ、肝心の時に用を為さない整備工場なんてもう必要ないので、そことは今後縁を切ることにした。ハマーに引き続き、今後ここの車も買わない。客はちょっとしたことで逃げていくのだぞ。平成16年10月14日(木)にもこのディーラーについては書いている。
とうわけで、地元の石田孝臣さんがやっている整備工場http://sakanashi.ddo.jp/autoisida/autoisida.htmlがある、そこに今朝持って行って代車を借りてきた。この石田さんには、氏がまだ独立起業する前にいた職場時代に、小生の車の熊本ナンバーを取る時にお世話になっている(平成13年10月3日)。
婆様が、昨日、出先で、誰かから耳垢を取ってもらっている時に、耳かき(だろう)で、耳の穴の奥の方に傷をつけられたようで結構出血していた。帰ってきた時には血は止まっていたし、特に痛そうでもなかったので、放っておいたところ、夜中に枕が当たってまた出血して、耳の穴を塞ぐようにして血が固まったようで、不快で、耳が聞こえないというので、温泉病院に連れて行ったところ、やはり傷は大したことないということで、消毒と薬を塗ってもらって一週間後にもう一度経過を見せに行くことにして帰ってきた。
最近どうも、人間にしても機械にしても、我が家、故障続きだ。小生に関しては、ほぼ復調したと思っている、メシも、もう普通に食っている。
平成21年6月8日(月)
晴れ。今日も気温が上がる。
婆様、退院後初デイケア、夕方には、久しぶりだったので疲れた、と言って帰ってきた。
娘、昨日の授業参観の振替えで今日は休みだった。子供には振替休日があって、参観した親には振替休日は無いので不公平な気もする、先生はどうなのだろうか。
小生の腹具合、今朝になって、急速に復調に向かい、腹の存在を意識しなくなって、空腹感を覚えるようになった、ロクに食べておらずフラフラなので、軽く普通のメシを食ったが異常は無さそうである。どうやら医者に掛からなくても済んだようだ、気合いだ。
今日、インターネットでパソコンの発注をした。
平成21年6月7日(日)
晴れ。多分、数日後には梅雨入りしそうな予報が出ているが、今日は気持ちの良い風が吹きわたっていた。
腹具合相変わらず芳しからず。かと言って悪くはなっていない、強いて言えば、少しは快方に向かっているようにも感じる。ウイルス性でどうしても薬の力を借りなければ治らないのであれが仕方がないが、このまま自力で回復するのなら医者に行かないでおこうと思う、今日は休診日でもあるので敢えて休日診療の医者の門を叩くまでもないだろうと一日ゴロゴロして過ごすことにした。
娘、今日は授業参観日で、いつもの時間にいつものスタイルで登校して行った。ただ、今日は給食が無いそうなので弁当持参で出かけて行って校庭の芝生の上で皆と一緒に食べたそうだ。今日の参観は我が子の授業だけでなく学校中どのクラスでも参観できる方式のようで、母親が参観に出かけて行った。午後からは引き続き親子ドッジボール大会があったようだ。
平成21年6月6日(土)
雨のち曇りのち晴れ。ハッキリしない天気だがとりあえず午後になって日が射して、気温も上がってきた。
婆様、退院後、気温が低く目だったので、風呂を控えていたが、今日、随分久しぶりに入浴した。入院中は、体をふく程度だったそうだから、12日ぶりになるだろうか。
カミさんは午前中、準公務、午後から娘と熊本市内に出かけて行った。
小生、朝から腹をこわし冴えない一日になった。腹が下り少し熱っぽい、嘔吐しないので感染性腸炎ではないと思うが、今晩は早々に寝ることにする。
平成21年6月5日(金)
曇り。なんだかこのまま梅雨に入ってしまいそうな雰囲気の空模様だった。
いよいよPCがアブナイ、戰戰兢兢 如臨深淵 如履薄冰、あとボタンを一つクリックしさえすれば新しいPCを発注する準備が出来ているが、最後の踏ん切りが・・・・どうせならイイやつが欲しいし・・・・どうすべえか、う〜ん、ミサイルの発射ボタンを前にした将軍様の心境である(彼奴はそれほど悩むまいが)。
ケアマネジャーの I 原さんがケアプランの件で見える、5月来訪の予定が、婆様の緊急入院で延びていたもの。
平成21年6月4日(木)
曇り。
豊田組、昼過ぎに、宮地駅前から空港までバスに乗って帰って行った。婆様、まだまだ大丈夫だろう。
馬場のG藤U輔さん、今日アイガモを田に放った。ちょうど子供たちが帰る時刻だったので、見学させた。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
PC、どうも電源だけではなくて、HDが少しオカシイ、データがかなり消滅している。電源が不安定な状態で使っていたので、マザーボードやHDに悪い影響を与えたようだ、せっかくのRAIDが機能していなかった、いや、機能していたのに一台は完全にダメになって、もう一台の方がなんとか9割方データが残っているようだが、さてさて・・・・・・
平成21年6月3日(水)
終日雨が降っていた。
婆様が、今回も無事に退院出来た。病院は旅館とは違うので、またのお越しを、とは決して言わないが、当方から、いずれまた近いうちに、とご挨拶して戻ってきた。そして爆笑、気持ちの良い病院である。
ハマーは絶対に買わないことにした(言うだけはタダだ)、Lenovoを絶対に買わない理由と同じである。
平成21年6月2日(火)
晴れ。
婆様、明日放免が決まった。本人は朝一番で出たがっていたが、精算のこともあるので、朝飯くらいゆっくり食って出て来いよと、9時ころ迎えに行くことになった。
今日は娘の学校のプール開きだったそうだ、プールの水は阿蘇の湧き水で、外気温がまだ低いので、寒かっただろうと思うが、それでも娘の言うことには、プールに入ったそうである。
夕方、皆でバーベキューをする。
平成21年6月1日(月)
晴れ。
愛知県から婆様の娘R(小生の妹)とその娘Aとその子のS音(婆様の曾孫)、それに7年ぶりに甥(Rの長男)が空路やってきた。(写真1・写真2)
PCの電源交換が済んで、再度動き出したが、RAID機能がちょっとおかしくなっているので、再調整の要あり、また暗中模索が続く。