平成21己丑(2009)年 7月の記録(新しい日付けの順)
平成21年7月31日(金)
曇り。であっても、もう大雨の心配は無いと思っているので気分は壮快。
じっちゃいが、熊本での定期健診を無事クリアして、いつものように阿蘇に寄る。今回は孫1号に加えて2号も一緒だった。じっちゃいのブログを読んで、2号クンには一度是非会ってみたいと思っていたが、期待違わぬ大物ぶりを発揮、想像どおりで嬉しくなった。
娘も同学年の孫1号のAちゃんの来蘇を楽しみにしていた。おやじ同士(いや、片や、じい様だった)パソコンやインターネットなどの話に花を咲かせている間、外で自転車に乗ったりして旧交を温めていたようだ。
その娘、昨朝、起きた時に、瞼やオデコ、手や足を虫に食われて真っ赤に腫れ上がらせていた。娘、猫アレルギーに加えて、虫刺されにもアレルギーがある。蚊だと思うが、腫れるときと腫れない時があるようだ、蚊で無いかもしれないが他の虫が思いつかない。昨日、早速、殺虫剤で部屋を燻蒸しておいたが、片方の目がお岩さんみたいになって、また刺されたところが腫れて痒いのと痛いので辛そうだったので、古閑医院につれて行って、薬を貰ってきた。
tomuさん、無事に阿蘇に転院したそうで、あとはのんびり静養するだけだろう。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本31日受信分)
「今日は長丁場なので5時起床。室戸市、奈半利町、田野町、安田町を通過。唐浜の民宿に荷物を預けて神峯寺を往復。万歩計52747 足はマメだらけ。」
(四国は今日、梅雨明けをしたそうだ、それでもしばらくは天気が不安定だそうだ、マメだらけだそうだから、これからつらい旅になるのだろうか)
平成21年7月30日(木)
雲が多かったが晴れ。太平洋高気圧が弱くて、当分すっきりとはいかないようだが、もう梅雨明けで良いだろう、まだか?
婆様デイケア。
さあ、天気になった、草伐りや竹林整理や下屋作りなど始めようかと思ったが、長梅雨で怠け癖がついて、体が鈍っていて、行動に移れなかった。草が胸辺りくらい伸びている、えい、明日からにしよう・・・・・
下界では各地で猛暑だったらしいが、ここは26℃台だったろうか、まだ暑くて・・・ということはない、夜なんか、窓を閉めて布団をかぶって寝ているくらいだ。
いつの間にか、周囲の稲の穂が出そろっていた。我が家のミニたはまだその気配もない、少し遅く田植えをしたこともあるが、肥料も全くやらず、管理の差だろう。天草で稲刈りが始まったそうだ、ニュースで言っていた。じっちゃいのブログによると、宮崎ではもう稲刈りが終わったところもあるそうだ、いろいろである。毎年、稲の穂が出たことを書くときに、「出穂」を「しゅっすい」と読むことに新鮮な驚きを感じる。
娘、虫歯(乳歯)治療の続き、昼、宇治歯科に連れてゆく、まだ治療は続くそうだ。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本30日受信分)
「天気晴れ。歩き遍路2人に追い越された。室戸岬の24番最御崎寺、25番津照寺、26番金剛頂寺を廻った。 ※民宿の位置は室戸市元甲190-4」(写真)
(八十八か所の札所めぐり、深い悩みを抱えて歩く人、楽しみで歩く人、スポーツ感覚で歩く人、さまざまで良いと思うが、どこかに書いてあったが、総距離は1300キロとも1400キロとも、日数で50日くらいかかるそうである。これはとんでもない旅である。決して面白半分で、日記ネタにしているわけではないが、何か無理なリクエストをしているような気がしてきた。まだ歩き始めたばかりだからそういうことはないだろうが、JTQにとってこのレポート送信、励みになるなら良いのだが、逆に負担になるようでは本意ではない、本人に、毎日でなくて気が向いた時で良いですよ、とメールを書き送った。)
(参考サイト)
http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
平成21年7月29日(水)
晴れ間多く、ようやく梅雨明けも秒読みの感、今年ほど梅雨明けが待ち遠しい年も珍しい。
組内の T 男さんのPCサポート以外、 今日は娘と、ダラダラして過ごす、婆様は体が思うようにならないのでいつもながらダラダラ。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本29日受信分)
「今日は雨の心配をしなくてもよい1日だった。R55も高知県に入った。御崎辺りでは2時間歩いても人になかなか遭えない。自転車で四国を旅している学生二人に追い越されただけ。ヒマなので室戸方面に向かう車の数を数えてみたら (笑) 一時間にたった29台。 歩数計41110 ※パケ・ホーダイになっているようです。お気遣いどうも。携帯でメール打つの結構大変(^^;)」(写真1・写真2)
(23番札所薬王寺から24番札所最御崎寺まで80キロだそうだ、二泊がかりだそうだから、今日はただひたすら歩く旅だったということだ、80キロという距離、小生には、東京から神奈川県小田原間の距離に置き換えると実によく分かる。小生は、ここに来る前、その間に位置する茅ヶ崎に数十年住んでいた、東京から60キロの距離だった、その距離を毎日通勤していた。歌舞伎の外郎売りの台詞にも「拙者親方と申すは、お立合の中に、御存じのお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて・・・・」とある。20里即ち80キロだ。因みに、坂梨宿には13里木という道標跡がある、一里塚と同じであるが、豊後街道の始点(熊本城)から13里、52キロである。
※パケ・ホーダイになっているようです・・・の下りは、我々の年代、携帯などあまり使い慣れていないので、従量制にでもなっていれば、遍路旅で高解像度の写真とメールを毎日送ると破産するぞと脅かしたことに対する返信である。)
平成21年7月28日(火)
強くはなかったものの、ほとんど雨の一日だった。
阿蘇神社の農耕祭事のひとつ、おんだ祭り(御田植神幸式)が斎行された。神様が稲の生育状況をご覧になる神幸行事である。この祭りの目玉は、神饌を(神様の弁当を)頭の上に掲げて行列する宇奈利と呼ばれる白装束の女性たちの行列である。風にそよぐ稲田の緑と、しずしずと進む宇奈利の装束の白とのコントラストが素晴らしくて、毎年沢山のアマチュアカメラマンがシャッターチャンスを狙って集まる。昨年は、阿蘇神社のおんだ祭りに先だって行われる、阿蘇神社の北に位置する国造神社のおんだ祭りを見物したが、今年は娘を連れて阿蘇神社に見物に行った。神事が行われている頃は弱い雨が降り続いていたが、神幸行列が始まるころには雨も上がって濡れることもなく行列が進んだ。今年は娘をつれていることもあって行動が制約されて、田の中を進むシーンを撮影する時間がとれなかった。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
余談である。いつも神事を観ていて感じるのは、日本の神様の行事は、「神様の食事」に非常に重点を置いていることである。神様に食事を供することが神事のメインとさえ感じるくらいである。神事の次第の神官の厳かな言葉を気を付けて聞いていると、「けんせんの儀」、「てっせんの儀」という言葉が聞こえてくる。これは「献饌の儀」「撤饌の儀」である、神様にどうぞお召し上がりください、お食事が終わったので下げさせていただきます、なのである。これは全く、自己勝手解釈であるが、日本の民衆に根差した神様が、歴史的に五穀豊穣を願うことから発しているのではないだろうか。そして、神事の後に神様のお下がりを直会といって皆で頂戴して五穀豊穣を願う。今日の宇奈利の行列で弁当を運んで、途中の神様の休憩所(御仮屋という)で、昼食を摂られるというのも、まさに食事に重点を置いている証ではないだろうか。馬場八幡の仕事や村の行事で、阿蘇神社の何人かの神官さんと少し面識があるが、オマエそれは違うよ、と言われるかもしれない。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本28日受信分)
「次の霊場最御崎寺までは80km以上。途中二泊する予定。今日は国道55号をひたすら室戸岬に向かって歩く。一時間歩いても誰にも遭わない。」(写真)
(80キロ、途中二泊かあ・・・・・・札所間で最長距離なのだろうか、もっと遠い札所もあるのだろうか。最御崎寺は24番札所で、土佐に入っての最初の札所である。「ほつみさきじ」と読む)
平成21年7月27日(月)
久しぶりに晴れる。
婆様デイケア。
家庭訪問、午前9時に担任の I 下先生見える。小生の家庭訪問の記憶といえば、はるか半世紀以上の昔、小生が子供の時で、訪問の相手は我が親だというシチュエーションでしか経験がない。この歳で小生が親として、娘の学校の先生の訪問を受けるというのは初体験である。娘も同席してしまったが、同席して良かったのかどうか、まあ、特に問題もないそうなので、和やかな面談?歓談?で終始し、ホッとする。
そのあとで、娘を伴って、熊本市内KC病院にtomuさんの様子を見に行く。順調な回復ぶりで、退院もそう先ではなさそうである。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本27日受信分)
「今日も朝から雨。これより先20km行かないと宿がないので今日は23番薬王寺まで。万歩計32162」(写真1・写真2)
(20キロか、ハーフマラソンの距離だ、今日夕方には、梅雨前線が太平洋上に南下しているが、明日はどうだろう。たまには本人の遍路姿の写真でも送れとリクエストしたら、さっそく送ってきた、誰かにシャッターをお願いしたのだろう)。
上記メールで、今日は早めに宿に入ったようなので、
「今日は梅雨前線南の方に下がっています、梅雨明けもそう遠くないと思います。いつまで、という期限がない旅だと思います、雨の日はのんびり、ゆっくり休みながら旅をしてください。早めに宿に入った時は、巡礼記をすこし沢山書いてください。同じように徒歩で巡っている人はほかにいますか、ペースが同じだと思うので、馴染みになったりすることはありませんか、妙齢のご婦人なんかいませんか、おっと、罰アタリでした、色即是空、色即是空。-風-」
というメールを出したところ、さっそく追伸が届いた。
「この時期、歩いている人は何故か余りいません。宿坊に泊まっても二人だけだったり、民宿では私ひとりだったりです。余り話題は有りませんが、最初の日だったと記憶していますが、異国人としばらくの間一緒に歩きました。ドイツ人で共通言語は英語。私の乏しい語学力で意思疎通は大変。しかしそこは昔三国同盟を結んだ仲、楽しく同行する事が出来た。 20番鶴林寺の女性執師。すごい美人でご朱印をもらう間見とれていた。いかんいかん、短期出家ものにならず。〓」
(最後の〓は携帯用の特殊文字で、PCでは判読不明、はたして、いかなる記号だったのだろうか。この写真のメッチェンがそのドイツ人だろうか、イイなあ、オレも巡礼したいなあ。執師という言葉は初めて聞いた。JTQのXさんが、この記事を見ていても当局は一切関知しない。)
平成21年7月26日(日)
雨のち曇りに向かいつつあり、ようやく今回の雨も峠を越したようだ。今日も福岡など九州北部は激しい雨が降ったが、ここは幸いに雲の切れ間にあたり、大した雨にはならなかった。
大雨洪水警報などが出されている時のアクセス数は普段の時よりも多くなる。それだけ、故郷のことを心配されている人が多いということだろうか、だから、本当であれば、こんな時にこそ故郷の情報がリアルタイムに伝わらなければならないが、雷用心などで肝心のシステムの休止を余儀なくされるのは心苦しいところである、この際、機材が落雷でやられるくらいの覚悟で情報の発信が必要か、と気負うほどのことでも無いだろうが、出来るだけ情報は発信し続けるのが好ましいだろうと記録を眺めながら思ったところである。
JTQの四国八十八ケ所遍路旅(7/25受信分)
「今日は終日雨でした。18番恩山寺、19番立江寺を巡拝。万歩計は51892」
(スケジュールなどの理由で、順不同で巡礼をする場合があるが、JTQは1番寺から順番通り歩いているそうである。万歩計の歩数は、この日、一日の歩数だそうだ。今回の写真はピンボケだった。)
(本日7/26受信分)
「今日は20番鶴林寺、21番太龍寺、22番平等寺。万歩計39738。」
(今日は四国地方もかなりの雨が降ったはずだ。写真のタイムスタンプをみると、札所間が近い寺と、離れている寺があることが分かる。)
平成21年7月25日(土)
雨。昨夜、阿蘇地方にまたまた大雨洪水警報が出されて、それが今日になっても断続的に降り続いて、梅雨前線が九州を中心に停滞したまま、上ったり下ったりしているようである。雷も鳴って、昼間、立て続けに三度停電した。UPSを買って以来初めての停電で、さっそく威力を発揮したので、今日はバカヤローとは言わなかった。警報がいつ出されていつ解除になったのかもよく分からなくなった。幸いに、今のところ、この辺りは大したことがないようであるが。日が落ちてからも断続的に雨と雷が暴れている。
今日は先日のシャック(小生の遊び部屋)の掃除、模様替えの続きを一日中やっていたが、なかなかうまくモノが収まらない。
数日前に、宿場通りのライブカメラの防水カバーが劣化によりまた破れているに気がついて、そのままにしていたが、この雨で、さすがに気になって、今日取り外しに行った。ついでながら、当分の間、運用休止となる。理由は、カメラを置かせてもらっている豆腐屋が店舗の一部を改装することになって、近々サーバーを移動しなければならくなっていたので、どうせなら、このまま撤去してしまおうということで、装置一式を今日取り外して持ち帰ってきた。順調にいっても一〜二ケ月はかかるだろう。
また、我が家の気象観測装置も老朽化によりうまく機能していないので、サーバー類の配置換えのついでに観測を中止した。一番活躍する時期なのに残念である。後継機はもうだいぶん前から用意してあるのだが、なかなか時間がなくて屋根裏に置いたままである。この機械はオモシロイので早く設置したいと思ってはいるのだが・・・・・
JF1JTQがシルクロードの旅のあと、いよいよ四国八十八ケ所同行二人のお遍路旅を開始した。やるからには、全コースを徒歩で踏破すると以前言っていたが、一度に歩き通すのか、何度かに分けるのか分からないが、のんびり安全に歩いてほしい。
持って歩くほど小さなPCは持っていないので携帯で、途中途中の様子を送ってくれるそうだが、下記の最初に届いたメールだと良く分からないので、携帯で文章を打つのは大変だろうが、どことどこにお参りしたかが分かるように、メールを送ってくれるように注文をつけておいた。
以下は24日に届いたメールである。
「四国の梅雨明けが何時になるのか判らないので、徳島にやってきました。7/22から歩き始めて3日目です。写真は吉野川の潜水橋。17番井戸寺まできました。」
(1番 霊山寺、2番 極楽寺、3番 金泉寺、4番 大日寺、5番 地蔵寺、6番 安楽寺、7番 十楽寺、8番 熊谷寺、9番 法輪寺、10番 切幡寺、11番 藤井寺、12番 焼山寺、13番 大日寺、14番 常楽寺、15番 国分寺、16番 観音寺、17番 井戸寺)
平成21年7月24日(金)
曇り、時々雨(夕方時点)。
婆さま、三週間ごとの定期通院、薬を貰うためである。
天気が良かったのは昨日一日で、また梅雨前線が九州北部に南下してきた。土砂災害で大きな被害を出した山口県や九州北部にまた大雨が予想されている。午後5時現在、北部九州から山口県にかけて、レーダー、強い雨を示す不気味な真っ赤な色で染まっている、それに雷が凄い、この雨雲がこれから少しずつ南下してくるのだろう。
巌木静之和尚の密葬が午後一時から静かに雨が降る中、しめやかに執り行われ多くの人がお見送りをした。静之さんは、農業が好きなので、坊主になるより、百姓をやりたかったとよくおっしゃっておいでだった、そして、事実、住職の傍ら、農産物の改良や普及に非常に貢献されて、自らもたくさんの農産物を作っておいでだった。昔、坂梨で栄えた朝鮮ニンジンを復活させようと、朝鮮半島まで調査に渡った話をされていたことがある、また地中にパイプを埋めて行う山芋の栽培も嚆矢だとういうようなことを伺った事もある。ご長命だった静之さんはそれだけ阿蘇、かんずく坂梨における存在が大きく、静之さんの遷化で一つの時代が終わったということは確実に言える様な気がする。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
我が家の地鎮祭を静之さんにお願いしたことを思い出した、平成13年8月17日だった。日記に懐かしい写真が残っている。
高僧の葬儀等に際して、ご縁のある各寺から、墨染の衣に柿渋色というのか木蘭というのか、渋い黄色系の袈裟をまとった大勢の僧侶が集まって式が営まれるシーンを最近何度か目にするが、これらの色は、いわゆる壊色と言われ、美しくない色ということで仏門にある者が敢えて使う色だそうだが、これらの色と配色が非常に洒落て見えるのは寺院という舞台を背景にするからだろうか。たくさんの色が氾濫する、今の世の中、かえって新鮮に感じるのは小生だけだろうか。
今日の葬儀、こういう言葉は穏当でないかもしれないが、清々しい葬儀だった。
平成21年7月23日(木)
晴れ。久しぶりに気持ちのいい一日になった、気温もかなり上がったようだ。
婆様デイケア。
JA1GQVが今熊本に帰ってきていて、時間が取れたからと、昼過ぎに、阿蘇まで足を延ばしてくれた。目的の一つは、阿蘇での移動運用である。1エリアではあまり体験できないパイルに会ってみたいとうこともあったのだろう。21はそこそこ開けていて、1時間ほどで20局くらいQSO出来たようだ、7が全然開けていなかった。
今日の来訪に備えて、足の踏み場もなかったシャックを大車輪で片づけて、久しぶりになんとか格好がついた(と思っていたら、写真を見ると、例によってコードだらけだ、それでも見違えるほど美しくなった)。
氏にはもっとゆっくりしていただきたかったが、娘の歯の治療の予約があったので、午後4時過ぎに駅まで送って別れた。
娘は、学校の健診で乳歯の二本に虫歯があるから治療するようにという連絡が来ていたので、今日、宇治歯科に連れて行った。午後4時半の予約だったが、治療に思った以上に時間がかかって、娘が治療中に、デイケアから整形外科の神経痛注射に回った婆様を迎えに行ったが、それでもまだ終わりそうにないので、仕事から帰るカミさんと交替して、ひと足先に婆様を連れて帰ってきて、午後6時からの円通寺の巌木静之師の通夜に参列した。暮れなずむ卯の鼻にヒグラシの声が読経に合わせるかのように木霊していた。(写真1・写真2・写真3)
今日の通夜の帰り道で、御茶屋の御縁者の方と偶然ご挨拶をする機会があった、また新たなつながりができた。そして、今日は、秒刻みのスケジュールで動き回っていささか疲れた。
平成21年7月22日(水)
雨ようやく上がる。いやあ、降った降った。昨日で一応終わったかと思ったら、とんでもない、大雨警報、洪水警報が出されて、一晩中、間断なく降っていたようだ。
今日は、日本で46年ぶりの皆既日食が、奄美諸島で見られ、ここ熊本でも、90%以上欠ける「部分蝕」が見られるということで、小学校で観測会が開かれた。
明け方までの強い雨で、夜が明けても、厚い雲に覆われて、時々ポツリポツリ。小学校に集合はしたものの、蝕の始まりのころは雲に隠れて全くその気配もなし、これは駄目だろうと、とりあえず講堂で、国立阿蘇青少年交流の家の講師によるのスライド説明を受けたあと(写真1・写真2)、半分あきらめ気分で、空を見上げていたら、ちょうど、最大蝕の時間の頃に、奇跡的に雲間から三日月様に欠けた太陽が顔を出した。
ワッと一斉に歓声が上がって皆空を見上げた(写真1・写真2)。雲が遮光グラスの役割をしてくれて、肉眼で無理なく観測することが出来た。最大蝕の時にはもっとうす暗くなると思っていたが、想像したほど、というより、ほとんど明るさに変化がなかった。雲によって太陽光が乱反射して晴天ならもっと暗くなるところを、そうならなかったのだろうか。
最大蝕と満ち始めも両方とも見ることが出来て運が良かった。皆既食を見るために高い費用を払って悪石島まで出掛けたひとたちは、悪天候で見ることが出来なかったようだ、これが自然だ、なんとも皮肉な話である。
今回の日蝕騒ぎで、遮光グラスが売り切れだとか言っていたが、今回、子供たちだけでなく、付添の者まで立派な遮光グラスを頂戴した。主催者が用意したグラスだけあって立派なグラスで、一度だけで終わらせるには勿体ないほどの出来である。
子供の頃はガラス板にローソクの煤を付けて見たものであるが、今は、それは駄目だそうである。昔それで見てどうということがなかったのに、それで事故があったとい言う話は聞かなかったのに、なかなか面倒な時代である。
今日もらった遮光グラスを見て、そうか、溶接の時にかぶるお面で良いんだということに気がついた。つまり日蝕の遮光グラスは溶接のお面と同じ素材を使っているのだ(ろうと思う)
。
熊本での
蝕の始まり午前9時37分50秒
蝕の最大午前10時57分04秒
蝕の終わり午後12時19分32秒
最大蝕分0.922
円通寺の前住職になる巌木静之老師が、今朝、静かに眠るように亡くなられたそうだ、95歳になられると思う。老師は小生の叔父と学年が一緒で子供のころよく一緒に馬に乗ったという話を折々伺ったことがある。老師は、小生の曾祖父の太邑のこともよくご存じで、子供の頃曾祖父と交わした会話についてもよく話していただいたことがある、我が家では父が子供の頃はやばやと阿蘇を離れたために、我が家の阿蘇における歴史があまり父を通して小生に伝わっておらず、その欠けた部分を随分と老師から教えていただいた。何十年も放棄状態にあった土地に今、無事に我々が住むことがきるのも老師のおかげだと思っている。皆既日蝕の日の入寂、いつまでも記憶に残る日になる。合掌。
平成21年7月21日(火)
深夜、午前2時ころ、激しく屋根をたたく雨音と雷鳴に目が覚めた、レーダーを見てみると、強い雨雲が阿蘇地方にどっかりと腰を落ち着けて、動こうとしない、2時間余りしてようやく東の方に移動していったが、面倒なのでそのまま起きてしまった。
これで今回の雨、峠を越したかと思っていたら、明けて、午後13:50、阿蘇地方にまた大雨洪水警報が発令され、突風混じりの相当強い雨と雷が鳴り響き、これも2時間くらいして東の方に抜けて行った。警報に値するほどの雨だったかどうか、場所にもよるだろうが、ここのところの総雨量、結構な量になっているだろう。これが峠か、午後6時現在、思い出したように降っている、波状的にまたやってくるのだろうか。
娘、学校の、ウサギとニワトリの餌やり当番だとかで、ここの登校班全員が雨の中、送ってもらって登校していった、ラジオ体操は、雨で、各自自宅でやるように連絡が入り、母親とラジオに合わせて体操をしていた。
婆様の定期介護認定、「要介護3」から、「要支援2」に下がった。介護までの必要はないであろう、「支援」程度で大丈夫だろうという「要支援」である。一番軽度の「要支援1」、その次に「要支援2」とあって、その上に「要介護1」「・・2」と続いて、一番重い「要介護5」まである。婆様の場合、三階級降格というか特進というか、93歳で骨折して、骨折前の「要支援2」にまで回復したのだから驚異的だと言えるだろう。もっとも、実質は、「要介護1」くらいだと思うが、面接調査の際に、あれもこれも、「ハイ一人で出来ます」、「ハイそれも一人で出来ます」と答えていたので、ちょっと張り切りすぎだと思わないでもなかったが、本人が受けているサービスは「要支援2」でも受けられるサービスなので、多分相当、度数は下がるであろうとは想像できたが、敢えて異議を唱えなかったのだ。
「要支援2」までは、市の包括支援センターの所管になり、それより重いクラスは、民間の介護施設のケアマネージャーの管轄になる。というわけで、その管轄引き継ぎが、今日あった。来月から、「要介護3」担当の I 原さんから、「要支援2」担当の市包括支援センターのK佐さんに引き継がれる。K佐さんは骨折するまで、お世話になっていたケアマネージャーなので気心が知れていてこれからも引き続き安心してお任せできる。
衆議院解散、来月18日公示、30日投開票由。
平成21年7月20日(月) 海の日
雨。祭日だが、婆様は関係なくデイケア。
今日から、子供たちのラジオ体操が豆札公民館前で始まった。隣の馬場集落などでは毎年夏休みにラジオ体操が行われているが、ここ豆札では、十数年前までは、やっていたようだが、適齢の子供たちがいなくなって久しく絶えていた。それが今年からこどもの頭数がそろったので復活したのである。午前6時半、初めての経験でこどもたちは照れながらも嬉しそうに体操をしていた。週末とお盆休みの期間を除いて毎日あるそうだ。(写真1・写真2)
12時58分阿蘇地方に大雨洪水警報が発令された。といっても、阿蘇は広いので、時折強い雨が降ったものの、ここでは警報というほどの雨ではなかったようだ、そして午後6時33分には解除された。
南隣りの福原集落の山部衛門さんが一昨日亡くなられた。今日、告別式が営まれ降りしきる雨の中、謹んで参列した。以前、お宅のそばを車で通りかかった時に、よく犬を連れた衛門さんとすれ違うことがあり、その際にニコニコと相好を崩されて会釈を返していただいたことが懐かしく思い出される、享年84。合掌。
平成21年7月19日(日)
思い出したように雨が降る一日だった。
夏休みに入ったが、天気が悪くて、娘、手持無沙汰の様子だった。
今日は、休日で、家族全員安息日。
カミさん、組内のF井渡家総領どのの結婚のお茶入れでお祝いに出掛ける。
平成21年7月18日(土)
晴れ、夏空広がる。
馬場八幡宮夏祭り。午前11時に総代衆社務所集合、清掃など準備作業をして、午後一時より神事斎行。そのあと、馬場、福原地区の氏子さんたちと一緒に直会に参加。
夜、保育園の納涼祭があり、小学校一年生はOBということでご招待があり、娘、母親と一緒に出掛ける。
結局、テレビの受信ブースターを交換した。まだ完ぺきではない、アンテナも交換する必要がありそうである。
平成21年7月17日(金)
総じて曇り空。時々、カッと照るかと思ったら、昼ころ、突然強い雨が降りだしたりと不安定な一日だった。夕方に向かうにつれて、空模様も安定してきて穏やかな夕暮れを迎えた。
娘の小学校の終業式である。午前中で学校が終わって帰ってきた。明日から8月27日までの夏休みの始まりである。初めて通信簿をもらってきた。これから、十数年もの間、通信簿で一喜一憂することになる。今は、通信簿はソフトな言い方をして、坂梨小学校では「あゆみ」という名で呼ばれている、多分、市内皆同じだろう、その他の地域ではなんという名称なのだろうか。
夏休みの間、婆様に加えて、娘の昼飯の心配をしなくてはならない、そのほか、娘の休み中の行動、安全に気を配らなくてはならない、小生の仕事が増える、あまり嬉しくない。
以前取り外したHDを見つけ出して、メールアドレスと住所録、そのほかのデータのかなりの部分が回復できた。
明日は、馬場八幡の夏祭りである。祭りといっても神官を迎えて神事があるだけで、いわゆる「催し」があるわけではないが、準備や斎行でほぼ一日神社に詰めることになる。
平成21年7月16日(木)
曇り、時々、にわか雨。やはり梅雨空である。
婆様デイケア、帰りに、整形外科に寄ったので、迎えに行く。
いつの間にか、畑の草が、膝が埋まるくらい伸びてしまった。スイカやまくわ瓜の弦が草むらに隠れてしまって、草伐りの際に切ってしまいそうなので、釜でスイカ周りの草を取り除いた。草伐りは改めとということだ。
平成21年7月15日(水)
早朝、今年初めてヒグラシの音を聞いた。寝床の中で、ボンヤリと外から聞こえてくる音を聞くとはなしに聞いていて、ふと、いつもと何か違うなと思ったら、ヒグラシの音だった。ここでは毎年、セミは朝のヒグラシから始まる。
日本の各地で、猛暑だったらしい、ここはそういったこととは無縁だった(ような気がする)。
朝鮮半島付近の梅雨前線が南下して、昼過ぎに強い雨になった。ちょうど食材の買い出しに出たところだったので、もしやと思って学校に寄ってみると、町から離れた保護者の皆さんの子供たちを迎えの車が集まっていた。学校付近に住んでいる登校班は、少々の雨風でも歩いて帰るが、我々の集落のある場所は田んぼの中の何も遮るものがない長い農道を歩いて帰るので、過保護かもしれないが、用心のために強風雨や雷からの危険回避のために車で送迎する場合が時々ある。
長雨になるかとおもったが、短時間でやんで、まあ、夕立のようなものなので、もう梅雨明けでも良いだろうと言いたくなる。
平成21年7月14日(火)
晴れ。完全に真夏だ、もう梅雨明けだろうと思っていたところ、九州北部地方の梅雨明けを飛ばして、関東甲信越の梅雨明けが宣言された。ものごとには順番があるだろうと思ったが、気圧配置の関係で、ここはまだだそうだ、事実、明日からまた少し天気が崩れるらしい、気象とは難しいものである。
今日は、村の天神祭。十数年に一度、座元が回ってくるが、今年は我が家がその座元である。神事とそのあとの直会の仕切りの総元締めである。といっても、不慣れな我々夫婦を座の皆さんに助けていただいて、名目だけの座元のようなものであった、それでも料理のほうの責任者のカミさんは、数日前から結構準備に神経を使っていたようである。
ここ豆札の直会の献立は、非常に豪華で美味である、他の集落の同じような催しはもっと簡単だと聞く、料理担当の女性の皆さんにはいつも感謝している。
小生の役目は、神社の清掃である。朝8時から作業開始になっていたので、立場上、15分ほど前に行ったところ、なんと座の皆さん、すでに草伐りを終わらせていた。ここには「肥後時間」という言葉があって、何事も開始が遅れがちだというが、わが村に関しては全くそのようなことはない、宿場会においてもである、馬場八幡の集まりでも皆さん早い、どうも、坂梨では、肥後時間というのは無いようである。
午前中、草伐りやしめ縄作りをして、午後3時から阿蘇神社の神官により神事が始まって、そのあと、集会所で、直会があり、夕方まで、和気あいあいの時間を過ごした。
天神祭連続写真 (全12枚)
平成21年7月13日(月)
曇が多かったものの、晴れ、気温も30度近くまで上がった、もう梅雨明けだろう、まだか、朝、短い時間だったが阿蘇山に美しい虹がかかった。
婆様、デイケア。皆、出掛けて心置きなく一人を楽しむ。
小生の携帯電話はmovaという一世代か二世代前の規格のものである、その携帯の裏カバーが無くなって電池が剥き出しになったまま使っていたのに今朝気がついた、いつから無くなっていたのだろう、気がつかなかった、今や満身創痍である。サイドのゴム製のコネクターカバーはとっくに無くなっている。movaのサービスも近々終了するようなことを言ってきている。そろそろfomaという今の規格の携帯に買い替え時だとは思っているが、基本的に電話しか使わないので、最近の多機能の携帯には今一つ触手が動かないでいる。でも現実的に、買い替えるとなると、使わなくても、あの機能もこの機能も欲しいという欲が出てくる。小生は、携帯にPDAの機能が是非欲しい、併せてPCのofficeアプリケーションとのシンクロである。となると、windows mobile 搭載ということになる、それに加えて、ワンセグとGPS機能は欲しい。どうもこの3条件を備えた携帯は無いようだ。高解像度のカメラ機能は強いて要らない、あの携帯の、被写体に向けて構える姿が好きでない。結局使いもしない機能なのに、ああでもない、こうでもない、と考えて、ずっと買い替えずにいる。
頼もしき農業後継者、市原豪さんの新聞記事転載(版元に無断転載のため支障あるやも)
明日は、村の行事、天神祭だ、我が家が座元で、忙しい一日になるだろう。
平成21年7月12日(日)
くもり。
曇っていたが、時々青空が見えて、清々しい日だった。九州南部は今日梅雨明けしたものと思われると夜のニュースが伝えていた、九州を南北に分ける場合は、熊本は北部になる、この分け方、いつも違和感を覚えるが、地図で見ると確かに北部にある、それでも気分はもう、梅雨明けである。
先日、リュウキンが死んで、今朝また、残っていた金魚が二匹とも死んでいた。最近は水は綺麗にしていたつもりだが、体が少し白っぽくなっていたので、何かカビのような病気に感染したのだろうか。娘が休みで家にいたので、情操教育、庭の隅に穴を掘って埋葬してやった。飼い始めた時には小指ほどの大きさだったが、25センチほどになっていた。これで我が家の水槽には何もいなくなった。(気分的な)喪が明けたら、そのうちにメダカでも飼いたいと思っている。
DVDの映画を観たり、本を読んだりして過ごす。
平成21年7月11日(土)
昨夜から梅雨前線が九州の真ん中あたりに停滞して、昼ころをピークに相当まとまった雨が降ったが、熊本も、南の方の鹿児島寄りの球磨地方あたりが雨がひどくて、ここは雨域からすこし外れていて、落雷の分布も雨域と一緒で南で展開して、ほとんど雷鳴も聞こえなかった。雨も夕方近くには上がって、前線も北東方向に上がりつつあって、どうやら梅雨明けが近いことを窺わせている。もっとも、今夜あたり、もうひと雨あるとの予報が出ているが。
組内のM士さんのお孫さん誕生のお祝いのお茶入れでカミさんは村のご婦人がたと一緒にお祝いの席にお招きを受ける。
村内で、その家の長男が結婚すると、お茶入れと言って、村内のご婦人がたを招いて結婚式の披露宴とはまた日を改めて、披露宴のような席が設けられる。結婚の場合だけかと思っていたら、その家に初めて子供が生まれた時にも「お茶入れ」と言って、子供を披露する席が設けられる。つらつら考えてみたら、我が家に娘が誕生した時に、今から考えると、そういう意味とは知らずうに「お茶入れ」を行った。今、ようやく、その意味が分かった、そういう習慣があるということを知らずに、ご近所のアドバイスで行ったのだ、平成14年10月26日のことだった。ついでに言うと、その時に、皆さんからのお祝いを取りまとめて、先方にお届けする役は、前回、お茶入れを行った家の婦人が担当する。ということで、今回はウチのカミさんがその役を仰せつかった。ちなみに、平成14年10月16日、我が家にY子さんがお祝いを届けてくださったが、ということは我が家の前は、K太郎君が生まれた時ということで、それ以来のお茶入れという計算になるのではないだろうか、我が家がここに移り住む前のことで、Kちゃんはもう三年生である。
平成21年7月10日(金)
曇り、時々、強い雨が降る。
午後1時半より、阿蘇郷土史研究会の例会に出席。今回は中村仁美さんが講師で、「くらはら館から学ぶ蘇峰・伸二郎」というテーマで、蔵原家が輩出した先哲とその交友関係などについての研究発表があった。
平成21年7月9日(木)
曇り。風が強かった。
婆様デイケア。
数日前に「四季菜」で買って、追熟させていた梅を漬け込んだ、10キロある。昨年は思い立つのが遅くて、結局東北地方からネットで買って漬けたがあまり良い梅ではなかった。今年も漬ける時期としてはギリギリだったが、地元の大きな梅が手に入ったので、良い梅干しが出来そうである。塩梅18%。
先日から、テレビの受信状況の改善のために何度かポールの上に登っているが、今日、ブースターの同軸を留めているネジの頭を締めすぎて欠いてしまった。この頭のとれたネジを外すのが大騒動で、上方向には外せないし、裏には保護のカバーがしっかりとハンダ付けされていて下方向にも外せない。結局、ハンダを溶かしてカバーを外して、ネジを入れ替えたが、いずれにしてもブースターを交換することになるだろう。
平成21年7月8日(水)
曇り、時々ぱらつく、気温は少し低めか、半袖シャツで居ると少し肌寒さを覚えた。
静かな一日で特に記述するようなことも無かった。
平成21年7月7日(火)
晴れ。
娘の授業参観に参加。午後1時半から一時間。結局は小生が昔人間だということなのだろう、現在の「教室」、小生が想像していたものと、小生が経験してきたことと、あまりにもギャップがありすぎて、短時間ながら大きな疲労感を覚えた。こどもたちと毎日付き合っている先生のストレスは如何ばかりかかと、同情する。我々の子供のころは、親が参観に来ると思うと、それなりの緊張感をもって授業に臨んだと記憶するが、今の子たちは全く違う、良く言えば自由奔放とうのか、この学年特有の現象か、今時一般の現象か、昔なら言って聞かなければゴツンだったが今はそれが出来ないのだろう、気が短い小生にはとても先生稼業は務まらないところだ。我が家のように親と子の年齢があまりにも離れているのも考えものだ。授業参観のシーン、写真を撮ろうかと思ったが、小学校といえども学問の府(とは言わないか)、決して駄目だとは言われたわけではないが、自主規制、なんとなく憚られたのでやめた、基本的に、小生自身が、「学校」という場所が落ち着かないのである。。
授業参観のあと、体育館で夏休みを前にして消防署員により、保護者対象の心肺蘇生などの救急の簡単な講習があった。AEDの実物を初めて見て、そのコンパクトさに驚いた、そしてその操作方法の簡単さも実際に目にして、非常に参考になった。今回の説明で、自動体外式除細動器の「除細動」の意味がようやくわかった、今まで、電気ショックの道具にどうして除細動という語が使われていたのかと不思議でならなかった、心停止では使えない装置なのだ。最近では、個人で買うこともできるようである、200kくらいからあるそうである。
最近テレビの映りがあまりよくないので、ブースターを交換しなければいけないかなと、恐る恐る梯子をかけてポールの上に登って、ブースターを開けたところ、少し同軸が緩んでいたので、締め直したら元に戻った、買わずに済んだ。
平成21年7月6日(月)
爽やかに晴れる。
婆様デイケア。神経痛の痛みが治まらず、今日もデイの帰りに整形外科に回ったので迎えに行く。
浄化槽法定検査があった。下水道が完備しているところでは関係がない話だが、我が家では、隔月で市内の民間業者による浄化槽の保守点検が行われているが、さらに年に一回、県による、その保守点検が適正に行われているかを検査する法定検査というものがある。隔月の業者の点検だけで良さそうなものなのに、この検査でも水を汲みとって、持ち帰ってから水質検査をする。勿論これにも手数料が発生する。浄化槽法という法律があるそうで、その11条に基づく検査だそうだ。県の浄化槽協会というところの所管になるそうだが、どうも天下りのためのシステムのような気がしてならない。
ジャガイモを掘り終わる。メークインは出来が良かったが、男爵は悪かった。メークインは放っておいてそこそこ出来るようだが、男爵のほうはもっと手を掛けてやらなければならない品種なのだろうか。後はこのイモをどうするかである、気が向き次第か。
新疆ウイグル自治区で大規模な暴動、多数死者、JTQが先日行ったばかりの地だ、「漢字の国」、言葉は正しく使え、「侵略」は「解放」ではない、チベットまた然り。日本のマスコミはどこの出先機関か。
平成21年7月5日(日)
曇り、ときどき小雨降る。
娘とカミさんは昼前に、子供会のキャンプから帰ってくる。キャンプといっても、バンガローやテントでなくて、ファームビレッジ産山には30人くらいが宿泊できる立派なロッジもあるそうで、子供たちと保護者たち大勢がひとつ屋に宿泊したそうである(○○ヨメはカメラを持っていかなかったようで、記録写真は無しである)。
平成21年7月4日(土)
今日は気温も上がり、さわやかな一日になった。
娘は母親と村の子供会のイベントで出かけて行った。当初の予定では、昼間は、小国の遊水峡で遊んで、夜は産山のファームビレッジで泊ることになっていたが、先日の雨で、まだ少し水かさが多そうだとのことで、遊水峡遊びは中止になって、昼から、産山ファームビレッジに出かけて行った。
先日、メインのPCが壊れて、大事なデータがかなり消失してしまった。今日は残っているデータを、遅まきながらCDに焼く作業をして過ごしたが、年賀状などの住所録が全部パー。記録写真も何年か分は消えてしまった。前々からCDに焼こう焼こうと思っていながら、下手にディスクに余裕があると、まだ大丈夫だなと、先延ばし先延ばしした揚句がこのザマである。神社関係の経理帳簿の基本部分は残ったが、コツコツと作った付属書類は全部消えてしまった。まあ、基本データが残っているので面倒だが、作り直すことはできるが、参った参ったである。
写真などは、消えた当初はがっかりしたが、考えてみたら、バックアップを取った過去の写真なんか見ることもない、無ければ無いで一向に構わないのだ、そう考えたら、気が楽になる、世の中、絶対に残さなければ、というものなんてそうそう無いのである。
平成21年7月3日(金)
曇り、天気の回復が遅れており、夕方になってときどき小雨がふっていた。
婆様、定期通院、三週間ごとの薬をもらうため。つでに待合室にある血圧計で己の血圧を測ってみた。ストレスも何もない生活、血圧の上がりようもない、まだまだ医者いらずである。
先日、竹を伐り倒して、雨で、その竹の処理が中断している間に、「雨後のタケノコ」、あっというまに、また竹が伸びている。
平成21年7月2日(木)
曇りだったが、久しぶりに穏やかな一日だった。今回の雨で、故郷の様子を心配してか、普段の日よりもサイトのアクセス数が多かった。
婆様デイケア、帰りは整形外科に回って、腰の痛みどめ注射を打ってもらって帰る、ここのところ、神経痛が痛むらしい。
平成21年7月1日(水)
朝、阿蘇地方にも大雨洪水警報が出され、昼頃、北の方から南下してきた雨域が阿蘇地方に掛かってきて強い雨のピークを迎えた。ただ、不思議とこれと時を同じくするように、あれだけ吹いていた強い風が弱まった。そして、夕方には、ようやく雨域が東方に去って行った。どうにか今回の雨の峠は越したようだが、雨もさることながら、とにかく強い風が連日吹き荒れたのには閉口した、気分的には何日も吹き荒れた気分で、ゴーゴーという風の音に何をしても落ち着かず、特に何をしたわけでもないのにドッと疲れてしまった。今回の雨は北部九州が特にひどかったようで、日田地方や、阿蘇も北部の小国郷あたりの雨が多かった、このあたりの雨量はそれほどでもなかったのではないだろうか。久しぶりに静かな夜を迎えられそうだ。
いつも、簡単に警報を出しているのに、一方で、今日の警報、大雨に関しては午後8時を過ぎているのにまだ解除されていない、まだ降りそうなのか。