平成21己丑(2009)年 8月の記録(新しい日付けの順)
平成21年8月31日(月)
晴れ。台風11号は房総半島をかすめるようにして北上しているようだ、被害は宵の口現在、あまり大したことなさそうだ。
朝夕、婆様の様子を見に行く、もうゼーゼーは収まった(自覚症状としてだが)ので早く出たいと言っている。同じように寝て本を読んで、飯を食うにしても、やはり病院のベッドと家のベッドでは違うらしい。
新型インフルエンザが県内のあちらこちらで発生しているが、ここから数キロ西方に位置する県立阿蘇高校でも新型インフルエンザの集団感染が発生して、県下初の全校休校になったとニュースが伝えていた。(全くの想像だが)スポーツの対外試合の遠征先ででも感染したか。小学校でも今日その話が出たそうで、娘が帰ってくるなり報告していた。ある時、あるルートで飛び火的に発生すると、その地域に広がるのはもう時間の問題だろう。ウイルスは見えないだけに不気味である。
衆議院議員選挙、自由民主党の壊滅的敗北と民主党の圧勝で終わった、これが小選挙区制度の面白いところでもあり、怖いところでもある。これを機会に二大政党制が健全に育っていってほしいと願うが、とまるで政治評論家のような当たり障りのない感想である。
平成21年8月30日(日)
雲が少し多かったような気がする、今日も蒸した。
朝と夕方、婆様の様子を見に行く、ネブライザーと点滴をしたそうである。
衆議院議員選挙投票日、朝のうちに投票を済ませる。
今月末が馬場八幡宮の決算日である、決算書類の作成に時間を費やす。
平成21年8月29日(土)
晴れ、今日は少し蒸す。台風11号、昨日の予想からかなり軌道修正、日本列島の手前まできて急旋回してくれそうだ。今回は九州に来ないことだけはハッキリしている、実に心穏やかでいられる。
婆様、朝、入院する。早速主治医の先生に診ていただいたところ、かなりゼーゼーが聞こえますね、やはり入院しておいて良かったと思います、三〜四日点滴とネブライザーをやれば治ると思いますよ、とのこと、こちらとしては入ってくれていた方が何かと安心である。
先日、時間つぶしに熊本の献血センターで献血をした際のデータが送られてきた。ここ数年、ほとんど一定である。薬要らずの医者要らずの「健康優良ジ」である、優良爺である、どうだ、寺さん参ったか!である。
苦節何年?じっちゃいの動画配信がようやく成功したようである、重畳重畳。
平成21年8月28日(金)
晴れ。
娘、第二学期始業式、全員欠けることなく(朝寝坊でもしたか、一人だけ離れて後ろの方から追いかけていた)隊列を組んで夏休みの宿題を手に登校していった。入学の時はまだ田植え前の田起こしの頃だった、今は、稲穂も大分黄色く実って頭を垂れ始めていた。この数カ月で、稲もそして、こどもたちも逞しく成長した。(写真1・写真2)
婆様、昨夜も喘鳴が聞こえていたので、病院に連れて行ったところ、点滴とネブライザーをしても改善が見られないので、明日から休日休診になることもあって、入院して点滴を続けなさいということで、明日、入院することになった、多分、短期間だろう。
夜、13日に予定されている小学校の運動会の分団の保護者の打ち合わせが豆札公民館であった。我々は第四分団だそうで、これは消防の分団とはまた違って、校区の区分けらしい(小生、いまだに良く分かっていない)。第四分団は豆札と隣の馬場の集落のようだ。分団別競技種目の出場者を決めたり、テントなどの設営や、草刈りの打ち合わせなどをする。普段、豆札集落の公民館は、今日集まった皆さんのひとつ前の世代がその家を代表して集まることが多いので、今日のような若い親たちが集まるのを見て新鮮さを感じた、小生は、前の世代にも後の世代にも顔を出すヘンな存在なのである。小生も負荷の軽い競技に出させていただくことになった。
(写真1・写真2)
台風11号が発生した、この二つの予想進路図、微妙に違う、足して二で割ると・・・・(写真1・写真2)
JTQの四国八十八か所遍路(本28日受信分)
「本日88番大窪寺をお参りして結願となりました。明日1番霊山寺にお礼参りに行きます。以後、高野山にお参りして帰宅予定です。ヾ(^▽^)ノ 大窪寺からは町のコミュニティーバスを利用させてもらいました。1時間以上も乗って200円でした。このメールはJR(徳島行)の列車の中からの発信です。87番長尾寺
(追伸)杖の写真ですが、短いのが私の物で、38日間使用して随分短くなりました。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(JTQがとうとうゴールした、1300キロ、38日間の足跡、今のこの達成感、何物にも代えがたいものがあるだろう、もう明日から歩かなくてもいい、という気持ちと、ああ、もう終わってしまったかという残念に思う気持ちとない交ぜだろうか。ありきたりの言葉しか浮かばないが、オメデトウである。一緒に旅をした愛着のある杖など、確か、最後のお寺に納めるものだと思ったが、記念に持ち帰りたいところだろう。高野山へのお礼参り、その予定があるか昨日訊ねようかと思っていたら、訊ねるまでもなくやはり行くそうである。高野山には三度行った、あそこは何か特別な霊気が宿る場所である。後日、落ち着いたら、歩く前の気持ちと歩ききった後の心境など改めて聞いてみたいものである。)
平成21年8月27日(木)
晴れ。
婆様デイケア。帰りは病院に回って、腰痛の注射と、風邪の薬を貰ったため、帰りは迎えに行く、まだ風邪っ気が少し残っているようだ。
夏休み期間中、小学校のプールが解放されて、その監視に保護者が交替で当たる。今日はプール開放の最終日で小生がその最終日の当番になった。監視は三人で一チーム、他にM理子さんと I 下さん。開放時間は午後一時半から三時半まで。娘は風邪気味だったりで、夏休み期間中、一度も学校のプールに行く機会がなかったので、一緒に最初で最後の学校のプールに出かけた。
今日は昨日よりは気温が高かったものの、風があって、それよりも、プールの水は地下水を使っているのでかなり低い、阿蘇の子供たちは普段、こんな屋外プールに入っているのだ。いつも温水プールに入っている小生にはとても入れないだろう。それでも、きれいな水を見ていると監視だけでなくて泳ぎたくなった。
今日の利用者は二十数名、みんな顔見知りの子供たちばかりだ、25分泳いでは5分休憩、休憩時間以外にもプールサイドの太陽に熱せられたコンクリートに寝そべって暖をとる子が多かった。監視用具には自動体外式除細動器(AED)が備えられていた。
というわけで、子供の夏休み、今日が最終日、明日から二学期である。一応寒冷地なので、二学期の始まりが少し早い、その分、冬休みが長いのだろうか。
IES局が時々写真を送ってくれる、今日は阿蘇の風景。
JTQの四国八十八か所遍路(本27日受信分)
「今日は友人と夜会うので早朝出発し、87番長尾寺まで行って、その後電車で瓦町まで戻るつもりでいた。ところが、84番屋島寺と85番八栗寺の上り下りで時間が掛かり、約束の時刻の都合上86番志度寺までとなった。屋島東側では源平合戦の壇ノ浦が一望出来た。今日は昨日、一昨日と違ってとても蒸し暑かった。万歩計 46374」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(今日は一休みして、明日、残りをまとめて全部回るのかと思っていたが、結願寺の88番だけを残して、87番まで今日中に回ってしまう予定だったようだが、一つ残ったようだ、明日二つ回って目出度くゴールというわけか。屋島寺には小生も二度行ったことがある。壇ノ浦が眼下に眺められる風光明媚の地だ。)
平成21年8月26日(水)
晴れ。高く澄み渡った空は完全に秋のそれで、照りつける太陽にももう一時の勢いは無い、炎天下の作業も、汗は出るものの空気が冷たくてそれほど苦痛では無くなった。
午前中、久しぶりに草を切って、午後から、うわはるのN村さんの畑にクヌギを倒しに行く。せっかくのご好意によるお申し出だが、当分の間、ちょっと我が家全般の管理業務が多すぎてとても木を倒す余裕も時間も取れそうにない。今日は一本だけ倒して帰ってきたがこれは辞退せねばならないだろう。
娘、暫く母親から離れていたので、昨日から母親にベッタリ、母親不在の間は、小生に頼り切っていたのに現金なものである。
JTQの四国八十八か所遍路(本26日受信分)
「今日は予讃線丸亀駅前からの出発である。昨日同様早起きした。78番郷照寺、79番高照院(天皇寺)、80番国分寺、80番国分寺、81番白峰寺、82番根香寺、83番一宮寺を参拝した。白峰寺から根香寺への遍路で旧日本軍の軍用地石柱を見つけ出し。最後の83番一宮寺には1730に到着。納経時間を30分も過ぎていた。納経所は閉まっていたが、灯りが点いていたので、「お願い申す」の一言で御朱印を頂くことが出来た。(^o^) 万歩計65726 約46km」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(8時を過ぎてもメールが届かないなあと思っていたら、今日は46キロも歩いている。83番まで歩いている。いよいよ明日が感動のゴールだろう。)
明日がゴールかな、とメールを送ったら、折り返し、
「88番大窪寺は明後日の予定です。明晩は高松市在住の友人と夜一杯やることになりました。(^-^)v」の由、明日は前夜祭だ、ほどほどにネ。
平成21年8月25日(火)
晴れ。いよいよ秋空だ。
朝一番で娘を連れてカミさんを迎えに行く。無理をすれば昨日中に退院できたのだが、婆様のケアや娘の面倒見で、時間的にタイトだったので、一晩泊らせた。10時前に着いたが、結局、病院を出たのは昼ころになってしまった。
そんなわけで、今回の騒動、ようやく終息した。
JTQの四国八十八か所遍路(本25日受信分)
「今日は0500に起床して歩き出した。今週に入って朝晩気温が下がり、凌ぎやすくなった。空も高くなって秋がそこまで来ている。日中もとても楽になった。今日は68番神恵院から77番道隆寺まで10箇所をお参りした。早起きのせいもあるが、万歩計70517 約45km 本当に良く歩いた。(^o^)」70番本山寺、71番弥谷寺、73番出釈迦寺、74甲山寺、76金倉寺
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
「なんと45キロ、いよいよ快調、(^o^)マークが気持ちをよく表わしている。77番というと、あと11札所を余すのみ。写真はなかったが、75番善通寺は弘法大師誕生の寺である、小生は確か三度お参りしている。」
平成21年8月24日(月)
朝、窓を開けて冷気に思わず窓を閉めたほどだ。湿度も低くて爽やかな青空が広がる。
娘が時々、オーバーフローを起こすので、夜中に一度、トイレに連れていくようにしている、小生もそのころ浅い眠り期にあると見えてアラームに頼ることなく自然に目が開く、そのせいで、昨夜は、二時半過ぎに目が覚めて寝そびれてそのまま起きてしまった。普段であれば9時ころには寝てしまうので睡眠は一応足りているが、ここのところオサンドンで10時11時になるので、少々睡眠不足気味である。
婆様、デイケアの日だが、用心のために今日も休ませる(ほとんどズル休みに近い)。
娘は一年生だけの夏休みの登校日で、一年生だけ三人の登校班で出掛けて行った。午前中で終わったので、学校前で拾ってカミさんの病院へ。明日の退院が決まった。
本来、入院して、退院だと喜ばしいのが普通だが、今回は事情が事情なのでいささか複雑な心境である。まあ捲土重来だな。ギネス記録の更新と言うのは何事につけても難しいものである。
JTQの四国八十八か所遍路(本24日受信分)
「今日は3県にまたがって参拝した。65番三角寺(愛媛)、66番雲辺寺(徳島)、67番大興寺(香川)である。三角寺への登坂路で振り返ると、伊予三島の町並みが良く見えた。三角寺は標高480m、ここから国道まで一度下り、今度は標高910mの雲辺寺まで一気に上るのである。今日は辛かった。雲辺寺では元気な学生さんの歩き遍路に出会った。万歩計57954」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(34日目、標高480mというと、ちょうど阿蘇谷くらいだ、その高さを登って下りて、また今度はその倍の高さに挑む、まるで回峰行のようだ。いよいよ涅槃の道場、讃岐に入った。標準で50日位だと聞いたが、このペースだとかなり早くゴールインするのではないだろうか、何日を目標に置いているのだろうか。途中、袖擦り合わせた何人かの遍路さん、時々此処に写真をお載せしているが、いつの日か彼らの目に留まる日が来るであろうか。)
平成21年8月23日(日)
下界は連日暑い日が続いているようだが、ここは、昼間は暑くても朝晩などはもう完全に秋モード、肌寒いくらいだ、今年は夏らしい夏が無かったような気がする。
午後一番で、従兄の滉兄が婆様の顔を見に寄ってくれる。阿蘇の旧プリンスホテル(新しい名前がどうしても覚えきれない)で、研修会があったそうである。
夕方近く、阿蘇町のN島純一さんから、インターネットの接続応援要請があり出掛ける。
そのほかには特に無し。
JTQの四国八十八か所遍路(本23日受信分)
「今日は明日の65番三角寺へのアプローチである。西条から三島まで国道11号またはその旧道をひたすら歩いた。全てアスファルトで地獄だった。万歩計51925 宿は伊予三島駅前のビジネスホテル」写真1・写真2
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
平成21年8月22日(土)
晴れ、昼ころから曇る。レーダーを見ると、ところどころに雨雲の発生を見るが降るまでには至らなかった。
小学校の廃品回収があった。アルミ缶やビール瓶、新聞雑誌などを回収して、小学校のクラブ活動の備品などを買うそうで、昨年までは、供出側として皆さんの回収作業を見物をしていたが、今年から、実行側になって、朝から軽トラックで村内を回ってこどもたちと廃品を回収してまわり、集積場所のテラサワでビン類を降ろし、新聞やアルミ缶を小学校の体育館前に運んだ。(写真1・写真2・写真3・写真4)
JTQの四国八十八か所遍路(本22日受信分)
「標高745mの横峯寺へは針葉樹林帯の中を急激に 登っていく。途中沢沿いの道で虻の集中砲火を受ける。タオルで追い払うが口の中にも突入してきた。61番香園寺への途中ではずいぶん古い道しるべに助けられた。今夜の宿はJR予讃線の伊予西条駅前のビジネスホテルにした。万歩計42209」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(レポートには無いが、添付写真によると、すでに64番前神寺まで達している。本日より、小生のある願い事の代参をお願いしてある。)
平成21年8月21日(金)
晴れ。ここにきてようやく安定した天気が続いている、今日も暑かった。
阿蘇郷土史研究会の今月例会は、「くらはら館」訪問であった。旧57号線、旧阿蘇町の西町筋にある蔵原家は江戸末期からの一大資産家で、政治、文学、芸術など各方面に異能の人たちを輩出した旧家で、現在の当主殿が、ご先祖の事績を大事に整理保存して一般公開をされている。(写真1・写真2・写真3)
蔵原惟昶(これてる)という人物が、徳富蘇峰と親交があり、蘇峰が夫妻で阿蘇登山をした時の話が、徳富蘇峰の旅行記をまとめた「烟霞勝遊記」に載っており、阿蘇でのホスト役をその蔵原氏が務められた。この阿蘇での滞在記に小生の曾祖父・太邑や高木第四郎のことが写真入りで登場していることを(先月の例会の発表で)中村仁美さんから教えてもらって、今日を楽しみにしていたのである。(高木第四郎は、高木義臣夫人の御祖父にあたられる。)
因みに、この「烟霞勝遊記」、ネット古書店で探したところ、完全本が5Kであったので、さっそく入手しておいた。阿蘇にどういうルートで行き、どのルートを登ったか、どのような交通手段を使ったかなど非常に面白く読ませてくれる。
「烟霞勝遊記」抜粋 連続写真
上記PDFファイル版 (こちらの方が鮮明で、掲載範囲が広い、高木義臣さん提供。義臣夫人の直子さんが8歳の時の蘇峰とのスナップ写真(蘇峰と左端の第四郎の間に立つ少女・・昭和27年)
我が家には当時の家屋敷は勿論、資料などが全く存在しておらず、蔵原家のように子孫が大事に先祖の偉業を残すことが出来ずに残念である。
ここのところ、立て続けに村の行事があるが、今日はお大師さんの日で、併せて薬師さん、地蔵さんもお祀りする。今日のお祀りは、村の人が一堂に会するのでなくて、自分の都合のいい時間に集会所に今日だけお移しして安置してある大師像にお参りをして、お赤飯やお煮しめなどを頂戴して帰ってくるのである。それに先だって、村の女性たちは妙法寺の安寿さんと一緒に薬師堂や地蔵さんを巡ってお参りをすることになっている。我が家はカミさん不在のために、集会所のお大師さんにだけお参りをしてから、食事を頂戴してきた。
私事/坂梨ギネス記録樹立、まだ望みがつながっているようである、少し早トチリだったようだ。
JTQの四国八十八か所遍路(本21日受信分)
「昨日泊まった仙遊寺の宿坊はとても良かった。お風呂は温泉だし、窓からの眺めも最高だし、食事は完全な精進料理でとても美味しかった。今朝は本堂で昨日のこぼんさん達と一緒にお勤めをした。今日は59番国分寺を廻って横峯寺の手前まで が 予定である。仙遊寺からの下りは孟宗竹の茂った小径を下っていく。明日は標高745mの60番横峯寺を目指します。万歩計43129 約29km」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(今日で、多分、歩き始めてから31日目だと思う。ヤジウマからすると、もう31日か、だが、歩いている本人はどうだろう。大分残り少なくなってきたと感じるか、まだまだ、あるなあと感じるか。明日は一番の難所と言われている札所だ。)
平成21年8月20日(木)
晴れ。
婆様、風邪気味につきデイケアを休む、本人はもともと行きたくないので大喜び。
田舎では、公共交通機関の利用環境が極めて悪くて、移動はいつも車ばかり、鉄道を利用することもほとんど無い。熊本まで鉄道を利用したのは、こちらに来てから3〜4度くらいだろうか、たまにはノンビリと、というわけで、今日はJRで娘を連れてカミさんの病院に行く。
昼前に病院に着いて、娘は前回同様母親と一緒に時間を過ごすというので、小生は、一人で、今日は、加藤清正の菩提寺、本妙寺までJTQの遍路の気分を少しだけでも味わおうと猛暑日の炎天下を徒歩で参拝した。もっとあったかなと感じたが、帰ってから地図でトレースしたが精々4キロくらいの距離だった。噴き出す汗に時々あたるそよ風、気分は爽快だったが、これを一日に20キロも30キロも、それも何十日も続けるわけだから、いい加減な覚悟では出来ない遍路だと思った。帰りは時間の関係で途中から市電を利用した。
本日、娘、満七歳の誕生日なり。お母さんが帰って来てから改めてお祝いをするね、という約束で、とりあえずバースデーケーキを用意して、ささやかにお祝いをする。本人は、やったあ、2回お祝いをしてもらえると、喜んでいた。(写真1・写真2)
私事ではあるが、どうも坂梨のギネス記録樹立、残念ながら叶わなかったようである。
JTQの四国八十八か所遍路(本20日受信分)
「昨日泊まったyouth hostelでは自転車遍路の青年、それと四国一人旅行の女性と同宿となった。青年(30才位)は派遣切りで失業中、女性(35才位)は四国は命の洗濯と言っていた。 今日は54番延命寺、55番南光寺、56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺まで廻り、宿坊に泊まることにした。宿坊では岡山の子ども達の合宿と一緒になった。本堂てお経を唱和したり、お行儀修行でもあるらしい。この子たちを見ていると明日の日本も大丈夫だなと安心した。宿坊の風呂から今治市内が遠望出来る。万歩計52010 今日もよく歩いたなー」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(JTQ、非常に良い旅してますね。)
平成21年8月19日(水)
晴れ。
久しぶりにラジオ体操に子供たちが全員そろった。
市主催の健康診断を受けた。勤め人は会社で健康診断をするが、小生のように年金生活者や自営業者はこういった健診をうけることになる。地域ごとに細かいスケジュールが決められていて、我が豆札は馬場や坂梨の一部地区の人たちと今日の受診となっていた。
朝、7時半からの受付だというので、少し早かったが15分頃会場の坂梨公民館に行ったところ、もうすでに早々と開始されていて、小生は14番目だった。
何台もの健診車が来ており、一時間余りの間に、採血や胸部レントゲン、超音波、バリウムを飲んでの胃のレントゲン撮影などを済ませる。去年に比べて、確実に腹周りが大きくなっており、メタボ診断間違いなしというところだろう。脂肪肝にもなっているだろう、いよいよ水泳再開だ。
健康診断が終わってから、婆様を大阿蘇病院に連れてゆく。前回入院した時と同じような咳き込みをしているので、ひどくならないうちにと連れて行った。診断の結果、軽い風邪のようで、咳止めと抗生剤を貰って帰ってきた、ここでまた婆様に入院されたら大変だと思っていたので一先ずホッとした。
今日は「参勤交代・九州横断徒歩の旅」のこどもたちの一行が滝室坂を下って坂梨宿を通過する日にあたっており、宿場会で麦茶などの接待などをする日である。小生は今年は休会中のため、参加をしていないが、ちょうど健康診断の会場の前を今夜の宿営地・内牧に向けて通過していった。
ようやく梅干しが出来上がった。今年は良い梅を使ったので立派な梅干しが出来た。10キロ漬けたが、目減りして半分になっていた、カミさんの母親の好物なのでさっそく発送した。
JTQの四国八十八か所遍路(本19日掲示板投稿分)
「 今日はパソコンから 投稿者:JF1JTQ 投稿日:2009年 8月19日(水)20時25分24秒
今日は宿のパソコンからアップしています。松山市内の7つの札所を回りました。約38km歩きました。くたびれました。」
47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(さすが松山市内、宿にインターネット環境があるようだ。松山市内の七つの札所とあるから、ネットで検索してみたところ、47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺、52番太山寺、53番円明寺の七寺だろうか。石手寺は道後温泉に近いこともあるからだろうか、非常に有名な寺で小生も、2004(H16)6/19に宿場会の連中と内子に旅した時に、翌日、お参りをしている。)
平成21年8月18日(火)
晴れ。久しぶりに一日中安定した天気だったような気がする。
村の行事、「妙見さん」があり、午後三時から集まりに参加する。この妙見さんの縁起が分からない、多分村の人たちも知っている人は少ないのではないかと思う、それでいて、毎年、謹んでお参りをしてから、神事なら直会になり、いつものように宴席になる。しかし、お線香が立ててあったので、神事ではない、仏事か、ことほど左様に、なんのお祀りかは知らないで、村の習俗になっているのだ、それでいいのだ。
JTQの四国八十八か所遍路(本18日受信分)
「今日は国道33号から分岐し、45番岩屋寺をうち戻り(往復22km)。それから46番浄瑠璃寺へ向かう。今日からは納経すべく持参した写経が足りなくなった。88枚持参したのだが、一カ所の霊場で本堂と大師堂で納経した為、昨日で品切れとなった。これは誤算であった。今日からは納め札のみとなる。(^^ゞ 明日は札所間の距離が短いので忙しくなる。万歩計57684 約40km この所調子良く歩けている。足にマメもできない。(^-^)」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(般若心経は短いお経で、全部で260数文字しかない、それでも一枚写経するのにかなりの時間と神経を使う。それを事前に88枚用意してあったのだから、それだけでも大変な作業である。今日の写真は、45番だろうか、46番だろうか、タイムスタンプから想像すると46番だろう。)
平成21年8月17日(月)
晴れ。
カミさんの着替えなどを届けに、娘を連れて出掛ける。娘が直ぐに帰りたがらないので、二時間ほど向こうに居ることにして、娘は母親の枕頭で一緒に昼食をとるというので、小生はマッピラなので、御免蒙るとばかりにとっとと一人で時間ツブシに街に出る。
最近眼鏡のレンズが傷ついて見にくいので、買い替えようと思っていたところ、下通りの街筋に「眼鏡市場」を見つけたので、また新しい眼鏡を誂えた。かねがね、メガネ屋の高いのには腹が立っていたので、「眼鏡市場」が出来て本当に助かっている。今までのメガネ屋、メガネがあんなに高価いのにはどうしても納得がいかず、闇カルテルでも結んでいるのではないかといつも思っていた。従来の眼鏡屋には金輪際行かないぞ、思い知ったか、というところである。ただ、あそこの広告塔になっている、俳優が気に入らないが。
その後、近くにある献血ルームに寄って、400ml献血をする。時間つぶしに献血である、ワザワザ街に出て他にやること無いのか、と後からカミさんに笑われた。小生は今まで献血移動車でしか献血したことがなかったので、一度献血ルームなるところを見ておきたかったのである。献血フリークというか、マニアというか、献血を趣味にしている人たちがいると聞くが、いろいろな飲み物が用意してあって、下手な喫茶店よりも居心地が良さそうなところである。十数台の綺麗な献血装置が並んでいてなかなか壮観な眺めだった。
そして、飯を食ってから戻ると、2時少し前、まだ居たがる娘を急きたてて帰ってくる。
今日は婆様のデイケア、また帰りに整形外科に寄っていたので、拾って一緒に帰ってきた。
JTQの四国八十八か所遍路(本17日受信分)
「今日は44番大宝寺をお参りして 久万高原町の国道33号沿いの宿に投宿。今日も良く歩いた。万歩計55347 約37km」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(なんだか随分と早いピッチなのではないだろうか、もうすぐ道後温泉だ(尤も、温泉に入りに行くわけではないだろうが)、これら次ぎ次ぎに札所が続いていて、歩いていて変化があって気分が良いのではないだろうか。)
平成21年8月16日(日)
晴れ。雲が多かったが晴れであろう。
朝一番で、ご先祖様を送りに娘を伴って山を登る。
昼から、娘のプールに付き合う。室内プールのアゼリアは、ありきたりの修辞をすれば、行く夏を惜しむかのように、沢山の子供たちで賑わっていた。
娘がパチャパチャやっている隙を縫って、ちょっと泳いでみたが、先日も感じたが、ずっとプールを休んでいる間に、体力が驚くほど落ちている。50mを泳いでフウフウである、それに体重が随分増えている。9月に入って、学校が始まってプールが静かになったら、心新たにまた泳ごうと決心した。
JTQの四国八十八か所遍路(本16日受信分)
「昨日43番明石寺の手前3kmの民宿に泊まったので、今日は明石寺に7時頃到着するように宿を出た。次の44番大宝寺迄は約70kmもある。途中一泊する事になる。鳥坂峠へ向かう街道は田園地帯の中をゆく。旧街道で古い道しるべを見つけた。昔の遍路道が偲ばれる。予讃線の内子駅の近くに宿を決めた。そこで遭った若い遍路さん。彼は30才、休暇がそれ程長くないので1日50km以上歩くと言う。夜も歩くという。全て野宿だそうである。たまげた。(@_@) 内子の街は昔和ろうそくで栄えた街だそうである。古い街並みが残っている。万歩計53508」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(内子と言えば、2004(H16)6/19に、宿場会の連中と、旅をしたことがある、古い家並みが懐かしい。)
平成21年8月15日(土)
今朝も天気がすぐれずに雨が降っていたが、時間を追って回復してきた、ただ、今年の阿蘇の夏の天気、良くない、日照時間が非常に短い、明日もまた同じような天気のようである。
大したことは無いのだが、カミさんが一週間ほどの予定で入院をしてしまったので、娘を連れて下着などの入院用品を届けに行く。国道57号線、Uターンラッシュで大渋滞かと心配していたが、道路は連続進行で流れていて大したことは無かった。逆に、熊本中心部はお盆休み、いつもより交通量が少なくてスムースだった。
カミさんの買い物、昔なら絶対に出来なかっただろう、女性特有の買い物でも平気で買うし、基本的に分からないので店員に訊ねもする、子供を連れているから平気なのだろう、これが小生一人で行くと、白い目で見られるだろうな。年の功とでも言うか、ちょっと違うか、それと、最近、やはり時々、「歳」を感じて、疲れたなあと思う、そうだよなあ、一日中、走り回っているからなあ。
JTQの四国八十八か所遍路(本15日受信分)
「今日は41番龍光寺、42番仏木寺を廻って近くの民宿に宿をと決めていた。もちろん予約もしておいた。ところがその民宿に1400に到着。宿の主に「まだ日が高いからもっと先に行きなさい」と言われ、もう7kmも余計に歩いた。万歩計53618 約36km くたびれた。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(「もう7kmも余計に歩いた」とあるが、次の43番明石寺まで歩いたということか、41番から44番までは地図で見ると比較的に固まって在るように見える。送ってもらった写真は42番だろうか、43番だろうか、時々ピンボケが届く、お疲れか。その先がまた長丁場のようだが。)
平成21年8月14日(金)
晴れ。朝のうちは風が吹くとちょっと肌寒さを覚えるほどであったが、日中は暑かった、と言っても、阿蘇は30℃にはなっていないようだ。
いつもは、この豆札集落だけでやっているラジオ体操、お盆期間中は休みであるが、今日は坂梨公民館で坂梨全域を対象にしたラジオ体操大会が開かれて、娘を連れて参加した。ラジオ体操の後で、風船にメッセージを書いて、飛ばすイベントも行われ、参加ご褒美に花火を貰って帰ってきた。主催者のお一人、N川公民館長は、昔はもっとたくさんの子供がいたんですけどねえ、と今の少子化を嘆いておいでだった。
ラジオ体操大会連続写真 (1/2) 全10枚
ラジオ体操大会連続写真 (2/2) 全10枚
カミさんが急きょ熊本に出掛ける用事が発生して、娘を連れて出掛けた。お盆休みで国道が渋滞するだろうから、鉄道で行かせたが、昼ころ電話があって、カミさん、出先で泊ることになって、小生が車で、娘を迎えに行ったが、走っている車の半分以上は県外車だった。阿蘇は観光が大きな産業なので、まあ、大いにウエルカムと言うべきだろう。道路はビッシリ詰まっていたが、スムースに流れていて思ったほどの遅れは無かった。
JTQの四国八十八か所遍路(本14日受信分)
「昨日泊まった民宿のお孫さんが、朝出かけるときに私の似顔絵(写真1・写真2)をプレゼントしてくれた。小学五年生の女児でなかなか可愛い。また、出発する時に玄関に忘れてきたペットボトルを自転車で500mも追いかけて届けてくれた。今日は海を右に眺めながらR56をしばらく行く。途中宇和島に向かう古道柏峠を目指しR56から右に別れて山道に入る。樹林帯の中をゆっくりと登る。標高差460m、木陰と爽やかな風が心地よい。いつまでも歩いていたい気がした。行程の都合上津島と云う所で宿を取ることにした。万歩計34873 約25km」
(昨日、小生からの、般若心経が暗誦できるようになったかという問い合わせに対しての追伸)
「暑いです。納経目的で写経88枚しましたので何とか口から出てきます。(^-^) 73 de JF1JTQ」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(こどもの、こういった励ましが一番力づけられるのだろうな)
平成21年8月13日(木)
お盆である。起きぬけの、雨が落ちていない時分を見計らって、ご先祖様を迎えに山に登る。山から下りてくると同時に突風を伴って強い雨が降り出す。今日も不安定な天気だ。
その雨も朝が過ぎるにつれて上がって、今朝もまた虹が見えた、明日辺りから夏空が広がるだろう。
お盆につき、婆様のデイケアは休みだそうだ。
昼前、円通寺ご住職にお経をあげていただく。
午後から、故・坂本義己棟梁の初盆のお参りに娘も連れて伺う。沢山の人が次々にお参りに集まりで、一時の悲しみの時は過ぎて、皆さん、故人を懐かしんで和やかに語らっておいでだった、うん、これで良いんだな。(前々から気になっていたので、ついでにお尋ねしたところ、やはり、「義己」と書くが、「よしみ」と読ませるとのことであった。)(写真1・写真2・写真3)
JTQの四国八十八か所遍路(本13日受信分)
「宿毛市街地と松尾峠の標高差は約300m。夏草の生い茂った細い道を上り下りしながら高度を上げて行く。全く人の気配は無い。途中宿毛湾を展望出来る箇所が一カ所あった。松尾峠は土佐伊予の国境、かっての支配地を示す石柱が立っていた。今夜の宿は(40番)観自在寺を2kmほど過ごした辺の民宿に決めた。万歩計44434 約28km」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(いよいよいよじだ、写真に明るく映る夏空が眩しい感じだ。ところで、JTQは札所札所で般若心経は唱えているのだろうか、もう諳んじることが出来るであろうか。小生は今朝、ご先祖様を迎えに行って、唱えてきた、昔から、般若心経と教育勅語は暗誦できる。般若心経をワープロで打つと、易しい漢字だが、二文字だけ第二水準までの漢字に無い文字があり苦労するのだ)
平成21年8月12日(水)
曇り、時々、思い出したように降る、大陸で台風8号から熱帯低気圧になったやつが、日本列島のほうに移動してきて雨を降らせているらしい。
うっかりしてボンのフィラリアの予防薬投与を忘れていた、朝一番で松野動物病院に行って薬を貰ってくる。スタートが遅れたので8,9,10月の三カ月投与になる。お座敷犬じゃないから大丈夫だろう。
昼からT男さんのお宅にパソコンのサポートに。二台目のPCの無線LANの設定依頼だ。最近はセキュリティ設定のための仕組みが複雑で、アクセスポイントとカードのメーカーが同一なら自動でやってくれるのだろうが、メーカーが違うと面倒で、というより、小生の無線LAN設定の経験が乏しいので戸惑ってしまって、思ったよりも時間がかかってしまった。
JTQの四国八十八か所遍路(本12日受信分)
「今日は歩き始めて22日目だ。今日の歩き始めの15kmは自販機も何も無いので宿の近くのコンビニでアンパン、スポーツ飲料1リットルを調達。県道21号を延光寺に向けて出発。この県道三原村までは車にもめったに出合わなかった。延光寺の近くで自転車で四国を廻っている学生二人に出会った。1日80km位走るらしい。野宿も時々するらしい。若い人は元気だ。万歩計47321 約31km」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
とうとう高知県最後の札所、39番延光寺に到達、いよいよ明日からは伊予の国だ、測り方はいろいろあるだろうが、一つの目安、1番札所から39番札所まで、総延長約630キロだ。東名〜名神〜山陽道の赤穂くらいの距離になる。若い人は勿論元気だけれど、いやいやこの年寄りも元気だ)
平成21年8月11日(火)
昨夜の大雨洪水警報、午後11時過ぎに解除された、このあたり、特に被害は無かったようである。今日も、小雨交じりのどんよりした朝を迎えた。しかし時間が経つにつれて天気が回復して夏空が広がった。
ラジオ体操、K君とN君が旅行中で不在だが、夏休みのお父さんや保育園児などが参加して賑わっている。
朝5時のNHKの台風9号関連のニュースを見ていたときに、突然、緊急地震情報が流されて、間もなく強い地震が来ますと言ってアナウンサー場身構えた数秒後、スタジオが今揺れていますと地震発生をリアルタイムで伝えていた。緊急地震情報の実際に初めて接した。静岡地方各地で震度6弱を観測した。ところで、緊急地震情報は何処其処に発生しました、と場所を特定して伝えただろうか、どうだったろうか、発生場所が我が方と離れていたから、単なる観客として、画面に現れるその次のシーンを見守っていたのだろうか。もし、発生場所が明らかでないのであれば、当然、自分が見ている場所に強い地震が来るかもしれないのだから、安全な場所に避難するとか、火を消すとかの行動に移らなければならなかったのに、全く、そのような行動をとらなかった、その時の記憶が曖昧であるが、今のシステムでは震源情報までその時点では流されないのではなかっただろうか、そして、なによりブラウン管(古い)の向こうで起きていることで、全く現実感が無かった、そういう訓練も出来ていないのだ。今朝の地震、そうではないと言っているが、起るべき所で起きたような気がしてなんとも不気味である。それにしても、台風の接近と地震、弱り目に祟り目というのか、駿河湾沿岸地方は大変である。
今年はカッと照る日差しが続かなくて、梅干しの土用干しがなかなかできないでいた。今日、しびれを切らせて、屋外で干し始めた。夜露にあてながら三日三晩干すことになっているが、今年の天気では、常に空模様を気にしながら雨が来たら直ぐに取り込まなくてはいけない。明日から二日ほど天気が崩れるとか、もう少しに延ばせばよかったかな。
娘を連れて、円通寺にお盆のお経のお願いに行ってきた。我が家は正式には檀家になっていない。先祖代々我が家は浄土真宗の大谷派の浄行寺さんであるが、いろいろな事情で疎遠になっていたところにもってきて、向こうに居た時に、父の葬儀を曹洞宗でお願いしたこともあり、また、それ以上に、静之さんと我が家の関係もあって、こちらに来てからは、お経はいつも曹洞宗の円通寺さんでお願いしている。我が家はどちらのお寺さんの檀家にもなっておらす、どっちつかず状態のまま今日に至っているのだ。
午後から娘をプールに連れてゆく。ちょっと風邪ぎみだったり、ピアノの発表会などで自重したりで、この夏初めてのプール、学校のプールに行きたいというので出掛けたところ、プールの水が抜いてあった。確か、お盆のあたりはプールは休みになるようなことをカミさんが言っていたので、多分、お盆の週ということだろう。そういうこともあろかと、小生も水着を持っていっていたので、アゼリアに変更した。小生、アゼリア、もう10カ月近く行っていないのではないだろうか、娘の監視の合間に、ちょっと泳いでみたが、体が重くて思ったように進まない、やはり、3000mだとか5000mだとか言っていたころは知らない間に体力がついていたのが良く分かった。
JTQの四国八十八か所遍路(本11日受信分)
「今日の足摺岬は空と海の境界がはっきり。良い天気になりそうだ。下ノ加江まで23km戻ることになる。今日の民宿は安宿にした。念のため書き添えるが、安宿はアンシュクと読む。(^^ゞ・・・民宿の屋号である。明日は土佐最後の39番延光寺を目指すことになる。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(レーダーを見る限り、四国にはもう雨雲がない、メールを読んで、地図で、下ノ加江を確かめて39番への道のりを想像する。一日骨休みをしたので、体力回復で快調に次の札所に向かうだろう)
平成21年8月10日(月)
阿蘇地方、朝のうち晴れ、夜になって、大雨洪水警報が発令(20時37分)、昼間については、熊本市に居たので、阿蘇地方の天気は不明。
昨日の熱帯低気圧、昨夜日記を書いた後に、台風9号になった、大雨で兵庫県などに大きな被害が出ているそうだ。
カミさんの用事に付き合って、婆様をデイケアに送り出して、娘を連れて熊本市へ。カミさんの用件が終わるのを待つ間、かねてより娘と約束していた映画鑑賞。演目は「BOLT」、アニメである。ただのアニメではない。飛び出すアニメである。もう何十年も前に赤と青の眼鏡をかけて観る立体映画というものを見たことがあるが、キワモノに近かった、とても鑑賞に耐えうるものではなかった、その後の立体映画の変遷は知らないが、今回の立体アニメは、メガネを掛けて観るのは同じだが、完全にカラー映像で、その技術には大いに驚かされた。今後の映画の一つの方向性を示すものになるのではないかと思わせるほどの技術の進歩であった。夏休み期間中の映画、子供向けばかりの中で、大人が観ても十分に楽める作品だった。
映画が終わってカミさんを拾って、午後5時すぎに、阿蘇谷に戻ってきたところ、空が真っ黒になっていて、道路にも結構水たまりがあり、かなり降った形跡があった、今日も、デイケアの後、整形外科と内科に回った婆様を迎えに寄って家族全員が一緒に帰宅する。
夜になってまた激しい雨と雷で、サーバのシステムを落とす状況だった。停電も一度あった。台風8号と9号に挟撃されて大気の状態がおかしくなっているのだろう。四国地方も大変なようで、JTQは今日の巡礼を見合わせたようである。
JTQの四国八十八か所遍路(本10日受信分)
「おはようございます。激しく雨が降っています。風も吹いています。昨日の経験からすると、古道はもちろん通れませんが、県道も降雨で川のようになっている箇所が想像されます。(昨日は深さ15cm位の川になっていた)歩けない事もないかと思いますが、事故って笑い者になるのも辛いし、ここは大事をとって今日はここに連泊し休養する事にしました。チョット残念。(/_;) 明日の青空を期待して。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
平成21年8月9日(日)
昨日から天気がはっきりしない。昼過ぎころまで細かい雨が降ったりやんだり、少し肌寒さ覚えたほどだった。
四国沖の熱帯低気圧が台風に変わる可能性があると昼の天気予報で告げていたが、米軍の予報では、早々と台風と決めたようだ。こんなに日本で近いところで台風が生まれることもあるのだ。この台風、最初から九州は関係がないようでホッとしている、ただ四国地方は大荒れだったそうだ。お遍路さん大丈夫だろうかと心配したが、なんとか無事だったようだ。
午後8時少し前、関東から東北地方にかけて結構大きな地震があり、テレビの画面に延々と震度4の揺れを記録した都市名のテロップが流れていた。なんとなく不気味な地震である。
今度は、阿蘇山ライブカメラのサーバーが壊れた。HDを交換しなければならない。2006年5月に交換した奴だ。24時間運転し続けだった、よく持った方だろう。最近次から次に故障をする、間に合わせで他のPCで運転しているが、最近、どうも、ヤル気が無くなっているので、すぐ交換しようという気にならない、これが歳のせいと言うやつか、あるいはマンネリからくるものだろうか、最近PCのお守に飽きがきているのは確かだ。
JTQの四国八十八か所遍路(本9日受信分)
「今日は大雨、雷、突風に悩まされた。足摺岬に向かう遍路古道では沢が増水で渡れなかった。何とか渡れそうな気もしたが、滑って落ちたら向こう側に渡れないどころか、もっと西の方に行ってしまいそうなので、止めて県道に戻った。再度古道に入ってみても、もう道その物が滝のようになっていてとても歩けなかった。前進を諦め近くの国民宿舎が空いていたのでお寺まで迎えに来てもらった。ここはコインランドリが 無く、これから洗濯。靴を乾かすのが大変そう。今日は空と海の境目が判らなかった。明日は今日来た道を23kmうち戻り、明後日延光寺へ向かう。今日は歩けなかった。 約17kmだけ。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(ニュースなどで四国地方に大雨が降っているようだなと心配していたが、本日のメールで、それほど激しい暴風雨だったのかと驚いた、お遍路ではいろいろな天候に出くわすだろうが、後になって、思い出深い経験として心に残る一日になったことは確かだろう。文中の”もっと西の方”とは西方浄土のことだろう、留守を預かる御家族はさぞかしご心配だったであろう、とにかく無事でよかった)
平成21年8月8日(土)
晴れ、今日は山を降りたが、下界は暑かった、阿蘇も昨日と同じような暑さだったようだ。夕方、熊本から阿蘇まで断続的に弱い雨に遭う。
午前中、末梢神経症の薬を貰いに、婆様を3か月ぶりに内牧の阿蘇温泉病院に連れてゆく。
その後、昼前に今度は熊本市の南隣りに位置する城南町まで娘とカミさんを乗せてゆく。ピアノを習っている娘の(内輪)の発表会なる催しがあって、いつもは、娘とカミさんの道楽なので、小生は全く関知せず、そのような送り迎えなど金輪際しないのだが、事情があって今回は不本意ながら送り迎えをした。
帰りまでの待ち時間があったので、近くにあるショッピングモールで映画でもと思って行ったところ、夏休み期間中なので、演し物も子供向けの映画ばかり、そんななかで、たまたま待ち時間内で見られる映画が一本だけあったので、選択の余地がなく、その映画(GIジョー)を観て時間を過ごして、行事の終わった二人を乗せて帰ってきた、帰着午後7時過ぎ、結局一日仕事になってしまった。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本8日受信分)
「今日は四万十川を通過。国道321号の長い隧道(約1600m)を例の反射布のチョッキを着て無事通過。チョッキを頂いたり時のやり取りは風さんご想像の通りです。今日はもっと先まで行きたかったが、宿がなかなか決まらず足摺岬まで17km地点となった。万歩計43192 明日は足摺岬です。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(18日目、今日も、38番札所を目指しての途中。長い隧道、タイミング良く、安全チョッキが入手できてよかった。高知県を通過まであともう少しだ。)
平成21年8月7日(金)
昨夜、寝ている間に一雨あったようで、地面が濡れていた、そして、朝、ほんの短い時間だったが虹が立った。
本格的な夏空、いきなり猛暑、阿蘇乙姫30.3℃、熊本34.8℃、九州北部で39℃近くまで上がったところもあったらしい。
午前中、この暑さの中、墓の草切りに山を登る。墓にかぶさるように、杉が倒れ掛かって別の木ひっかかりにかろうじて止まっている、どう処理したものか。墓までの道がすでに早々と草が刈ってあった、多分、隣接して墓所のあるM士さんがやってくださったのだろう、随分と楽だった。年に一度の墓掃除終わる。
娘は、学校の飼育当番とかで、午前中、登校班の皆とニワトリとウサギの餌をやりに登校していった。
北坂梨のN村政司さんが父君と、畑の周囲に植えてあるクヌギを全部、薪にどうだと、訪ねてこられた。夕方、うわはる(地名)の畑にご案内いただいて現地検分。全部で数十本植わっている(100本以上あるかもしれない)。一度には無理であるし、枝の処理も考えなければならないので、果たして全部、我が方で処分できるかどうか自信がないが、とりあず20本くらい、近日中に伐り倒しに伺うことにした。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本7日受信分)
「今日は山道、里、海岸と色々歩いた。土佐くろしお鉄道の伊与喜駅の近くに車も人もほとんど通わない隧道が有った。熊井隧道といって明治初期に掘られたと立て札にあった。1930年代までは重要な交通路として使われていたという。側壁は天然石、アーチ部分はレンガで出来ていた。コンクリートの隧道と違って趣がある。四万十町影野あたりだったと思うが、道路工事の現場監督の若い青年から夜間使用する安全チョッキを頂いた。大歓声(^o^)。そのほか、お婆さんから大福を頂いたり、いろいろ有った。万歩計52649 35km 良く歩いた。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(17日目、38番札所を目指しての途中。どういうやり取りがあったのだろうか、「そのチョッキ良いですね、歩いていて危ないので私も欲しいのですが、どこで売ってますか」とでも言ったのだろうか、大福にしても、徒歩巡礼ならではのエピソードだ。今晩はどこ泊りだろうか)
平成21年8月6日(木)
予報では、今日の最高気温、熊本市で34℃、阿蘇市で28℃、その差実に6℃、普通は精々3〜4℃の差だが、実際はどうだったろうか、さすが高原阿蘇である。しかし、遠い台風の影響だろうか、カッと照りつけるかと思ったら時々思い出したように雨が降る不安定な一日だった。
婆様デイケア、帰りに整形外科に寄って、痛み止め注射。 たまたま、娘の歯の治療の最終日、歯磨指導と時間が合ったので、迎えに行って一緒に帰る。
墓掃除を予定していたが、天候不順のために延期した。
関合正明画伯が昔、装幀された小説と、挿絵が載った児童文学書を見つけた(写真1・写真2)、同名異人ということは無いだろう、まさに先生の筆致である。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本6日受信分)
「今日の雨は予想されていたので、昨日少し頑張って歩いた。よって本日の37番岩本寺迄の距離は約23kmと短い。雨中6時間歩いて到着。国道56号の標識に松山までの距離が出てきた。明日からは足摺岬の38番金剛福寺を目指して歩くことになる。85kmか・・・途中2泊だな。風さん、ホームセンターなんて見つかりません。(/_;)」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(昨日、ホームセンターで安全ベストを買ったらとメールで送ったが、考えてみたら、遍路道筋にホームセンターなんかあるかなと危惧したところ、やはり無いと返ってきた。しかも、遍路道は必ず中心市街地を通るとは限らないので、インターネットで、これからの道中にあるホームセンターをいくつかピックアップして送っておいた。)
平成21年8月5日(水)
曇り。雲が厚く、気温は26度どまりだったが、湿度が高かったのだろう蒸し暑かった。
娘の虫歯(乳歯)治療、今日で治療は終わって、あと一回、歯磨き指導で最後の予定。この歯磨き指導、大人でも必ずやられる。やり方を知らないのではなくて、知っているけど面倒でやらないだけなのに、必ず歯磨き指導がある。小生も、歯石を取りに行きたいのだが、これがあるので、ずっと躊躇している。
電子レンジが故障して、今日出張修理に来てもらう。
今日もオサンドンで忙しかった。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本5日受信分)
「今日は終日アスファルトの上を歩いた。歩道の無い隧道はとても怖い。大型トラックが連なって来たときなどは生きた心地がしない。(x_x;) 100円ショップで手に入れたLEDの点滅灯に気がついてよけてくれる車もいたが、どうも効果は今一である。今夜の宿は中土佐町と云う所。JR土讃線の土佐久礼の近く。万歩計49865 良く歩いた。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(7/22のスタート以来、今日で15日目の計算になる。今日は37番を目指しての歩け歩けだと思う。四万十川までもう少しのところまで来ている様子である。他のところと違って四国は沢山のお遍路が利用するのだからトンネルの中にも歩道は、それもガードレール付きが絶対に必要だと思う。LED1個だけでは心もとない気がする、自衛のために、道路工事人や警察官が着るような蛍光塗料を塗った強力な反射シールを貼った上着が是非必要だと思う。)
平成21年8月4日(火)
気象庁は今日ようやく、熊本県を含む九州北部、中国、北陸の各地方が梅雨明けしたとみられると発表した。九州北部と中国地方は統計を取り始めた1951年以降、最も遅いそうである。
今日は一気に暑くなった、ここ阿蘇でも真夏日を記録した。しかし雲があってカラリという風にはいかなかった。
屋外作業、一気に暑くなって、まだ体が暑さに慣れていないので今日は休んだ(とまた、サボってしまった、サボる理由ならいくらでも見つかる)。
午後、E鴨氏がPCを抱えて訪ねてくる、今トマトハウス、収穫、出荷で忙しい時期であるが、その合間を縫っての来訪である。とりとめのない息抜き話で時を過ごす。
ここのところ、諸般の事情で、益々オサンドン業のウエイトが高まる、オレは高齢者だぞ。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本4日受信分)
「土佐市に入って仁淀川の右岸を少しさかのぼる。35番清滝寺をうち戻り、今日の最後36番青龍寺へ。次の37番岩本寺迄は59kmある。明日は何処まで行けるかな? 予定では横波ハイウェイを行くつもりだったが、宿の人の話しを聞いて、36番打ち戻りコースを行くことにした。万歩計38127」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(「打戻り」 とは?
基本的に四国巡礼は、一筆書きのように同じ道を戻ることなく、ぐるっと四国を一周するようになっている。しかし巡礼が始まった昔は、厳しい地形に阻まれ、どうしても道を造れず元の道を戻るしかない所ができてしまった。そのルートが「打戻り」と呼ばれている。36番青龍寺から37番岩本寺までのコースや38番足摺岬の金剛福寺までのコースが代表的である。ただし現在では、道もできて打ち戻らなくても、次のお寺に行けるようになった。とはいえ、もともとの遍路道にこだわり、打ち戻る人も多い。http://henroad.exblog.jp/3604744/ より転載)
地方紙には地元住民の訃報が載る。ただ、これが中途半端で、役所が休みの時、つまり、土、日の不幸事は、日、月曜日の新聞には載らない。だが、埋葬許可は役所の休業日にかかわらず出るのではないだろうか、そうであるなら、新聞休刊日以外であれば、役所の休日とは関係なく載せることができそうなものだが、いろいろ規則でもあってできないのだろう。最近やたらと休日が増えて、役所の休業日が昔に比べて多い、速報性が求められる訃報がたびたび遅れるのでは意味がないような気がする。というのは、馬場の柚上搆ゥさん(87歳)がこの1日に亡くなられたそうだが、知らずにご弔問に伺えなかった。
平成21年8月3日(月)
晴れていたところ、午後から突然、土砂降りと雷鳴、不安定な天気が続く。
毎日、娘のラジオ体操に付き合っている、枯れ木も山である。今日からK太郎君、N樹君兄弟が田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに旅行のため、ここでの体操は暫くの間、休み、従って、いつもよりも少ない参加者でラジオ体操をした。訂正である。普通、おじいちゃんおばあちゃんのところと言うと、「田舎の」という言葉とセットだが、お母さんの実家はここに比べたらはるかに大都会だから、「田舎の」という言葉は全く中っていない。昔から、お父さん、お母さんの実家は「田舎」だと相場が決まっているというのは、都会中心の考え方であった。この場合の「田舎」は親の故郷という意味になるか。
婆様、デイケア、ここのところ、腰、尻部の神経痛がひどくて、今日も整形外科に回ったために、迎えに行く、坐骨神経痛だろうか。
畑のマクワウリが大きくなっていた、まだ割ってみてはいないが、なかなか出来が良さそうである。
先日来、テレビのアンテナの調子が悪くて、受信ブースターを交換したが、あまり効果が無いので、アンテナの交換をした。昼から、作業を開始したところ、一天にわかにかき曇り、雷と強い雨が降り出した。結構近くに直撃雷がいくつか落ちたので、サーバーの電源を落としたりと、大わらわ。アンテナも外したままで、作業が出来なくなったので、今日はノーテレビ・デーだぞ、と娘に言ったら、ウン、良いよ。我が家は強いてテレビが無くても良さそうである。
雨も夕方には上がったので、残りの作業を終わらせて、アンテナの設置は終わった。かなり受信状況は改善はされたが、我が家から数キロ先の米塚に中継局のアンテナがあって、障害物は何もないのに、どうも映りが良くない。なんなんだろう。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本3日受信分)
「先日GMMから「女難の相有り」とメールがあった。即、打ち消しのメールを入れておいたが、・・・もしかしてそれを背負って歩いていたのかな・・・例の鶴林寺の観音様、彼女からプレゼントされた道中白衣、あれ大事にリュックにしまってある。最近リュックが重いなーと思っていた。今朝この白衣とゴアテックの雨具、替ズボンを宅配便で自宅に送り返した。ずいぶん荷が軽くなった。(^-^) 桂浜近くの浦戸湾は渡し船で渡る予定であったが、船がドッグに入っていて、仕方なく浦戸大橋を歩いて渡る羽目になった。随分遠回り(>_<) 万歩計41986 34番種間寺まで。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html 31番竹林寺、32番禅師峰寺、33番雪蹊寺、34番種間寺。)
(浦戸湾は高知市街地のほぼ中央にまで大きく入り込んでおり、種崎・長浜両地区への移動手段として、浦戸大橋(1480m)を利用するか県営渡船を利用することで、高知市内を大きく迂回しなくて済む。32番札所から33番札所に向かう途上である。
鶴林寺の観音様からプレゼント?聞いてないなあ)
平成21年8月2日(日)
オマケして晴れというところか、やはり雲多し。屋外作業では汗ばむも、過ごしやすい一日だった。
午前中、草刈りをして、午後からまた草刈りをする。竹林の境目に、ミョウガの子、あれは何と言うのだろう、芽だろうか、沢山生えていた、これがヌカ漬けにいいのだ、さっそく漬け込む。明朝は、ミョウガと茄子の味噌汁だな。
昼前、K閑医院にtomu氏を見舞う。長閑な町の長閑な休診日の医院、長閑な入院病棟に長閑に静養していた。
JTQの四国八十八か所遍路旅(本2日受信分)
「今日は28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺を参拝。古い道しるべが嬉しい。国分寺辺りの田はもう直ぐ稲刈りが始まりそう。大日寺と云う名の寺は今日で三カ所目である。ここのご本尊は大日如来で国の重要文化財だそうである。高知市内の公共の宿に泊まることにした。自転車を借りて靴下を買いに行った。万歩計39398」
(参考サイト)
http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(1400キロの道のり、靴下は何足、履きつぶすのだろう、靴は結願まで大丈夫だろうか。ワラジで旅するのも面白いだろうな)
平成21年8月1日(土)
曇り、時々にわか雨。
ようやく畑の草切りに取り掛かるも、体が鈍っていて、午前中、少しやっただけで今日は終わる。
カミさん、所用にて娘を連れて熊本まで出掛ける。
JTQの四国八十八ケ所遍路旅(本1日受信分)
「アスファルトの国道は難行苦行である。安芸市にはいってから、暑さを避けるべく砂浜をしばらく歩いた。速度は1/3になるが潮風が気持ちよい。昔の遍路はきっとここを通ったのだろう。」
(参考サイト)http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
(昨日は27番神峰寺までだったから、今日は28番大日寺に向けて歩いていのだろうか、40キロあるらしいから、今日は途中で一泊かな。昨日の神峰寺までが1番札所から約325キロになる、歩いたものである。)
このページ先頭へ 日々の記録目次へ ホームページへ