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平成21己丑(2009)年 9月の記録(新しい日付けの順)


平成21年9月30日(水)

 雨模様の一日だった、時々強く降ることもあった。改めてこの雨、祭が終わってからで良かったと胸を撫で下ろす。

 当番が回ってきて、みどりの爺様出場。ここの登校班、いつも寄り道が多く、特に昨日は登校時に寄り道をして、危うく遅行しそうなったか遅刻したかで、親や先生にこっぴどく叱られたらしい、今朝は、わき目もふらずに登校を急いだので、学校で一二番の早さの登校だったようだ。連中、お灸の効果がいつまで続くか見ものである。今日から今週いっぱい6年生がインフルエンザで学級閉鎖のため、登校班の班長は5年生以下が務めて下級生を引率していた。

 祭の後始末、支払関係で走り回る、ほぼ、支払完了。

 8月に受診した市の健康診断の結果通知が届いた。やはり肝臓が少しフォアグラ化しているようだが、特に治療は必要なし、要観察とのこと、また腹周りは基準オーバーだったが、他の項目が基準以内だったとみえて、メタボではありません、とのこと。とにかく、また昔のスーツのズボンが入らなくなりつつあり、これはイカンと思っている。それ以外は全く問題なし。

 婆様、喘息の方はもう治っていて、退院をしても構わないそうだが、足のしびれ、神経痛がひどいようなので、整形外科の先生と相談してもう少し様子をみましょうかということになって、まあ、今週内には退院できるのではと思っている。


平成21年9月29日(火)

 曇りのち久しぶりにまとまった雨。はるか南方洋上に熱帯低気圧が二つあって、こんどのやつは、進行方向といいカーブの具合といい丁度良く?イヤな予感がしているが、そのうちの一つが台風17号になって西に向かって動き始めた。

やれやれ、やっと終わった。午前10時過ぎから、馬場八幡宮の秋季大祭翌日祭が斎行され今回の祭事、総て滞りなく終わった。今日は神事と神社主催の奉納グラウンドゴルフ大会が行われて、地元のお年寄りたちの元気なプレーで境内が賑わった。今年の優勝は第一分団だった(昨年は雨で中止、一昨年は第三分団)。(写真1写真2写真3

 正に天佑神助神とでも言おうか、グラウンドゴルフ大会のあと、表彰式が終わるのを待ってたかのように、突然強い雨が降り始めた、少しでもスケジュールが狂うと困ったことになるところだった。昨日の神幸行列も雨にならなかった、メデタシメデタシである。

 坂梨小学校もとうとう新型インフルエンザが発症して、6年生が明日から三日間学級閉鎖となった、学級と言っても6年生は20名ちょっとだから一クラスのみ、つまり学年閉鎖か。低学年よりも高学年の方が行動半径が広いから、その分、感染の確立が高いのだろうか。娘も、下校後、いつも以上に熱心に手洗いとウガイをしていた。


平成21年9月28日(月)

 馬場八幡宮秋季大祭。予報で昼ころから雨、遅くとも夕方には雨になると言っていたが、10時の神事開始と並行して行われる保育園の鼓笛隊の演奏や小学生の郷土伝統芸能の虎舞奉納を始めようとするころからそれまで良かった空から雨が落ち始めて、雨具の用意をしていなかった子供たちは慌ててブルーシートを被って雨宿りを始めたので、これはマズイなと思ったが、幸いに通り雨程度で済んで無事に祭を行うことが出来た。

 娘は、昨年までは、保育園で参加をしていたが、今年は初めて分団の子供神輿に参加することになって、借りものであるがいっちょうまえに、祭ばんてんを着て、ねじりハチマキをして、神幸行列に加わって坂梨を一巡した。

 小生は、祭の裏方で、走り回ってへとへとになった。でも、その合間合間に抜け出しては写真を撮って回ったが、全部を通して記録を取ることが出来なかったので飛び飛びの記録になった。

 神幸行列の先頭を務める白装束の随兵の小学校の子供たち、予定していた人数のうち、五名ほどが風邪で休んだと言って、急きょ代役探しで右往左往したが、もしかしたら、坂梨にもインフルエンザが入ってきたかもしれない。

 今日は神幸行列が無事に神社に戻ってきてから、「後の遷座祭」を斎行、神官の警蹕のもと、ご神体を神殿にお戻しして、午後4時頃滞りなく当日祭は終了した。

 今回、神幸行列では、居合わせた外国人の観光客が、通りの皆さんが厄除けで神輿に賽銭を投げいれたり、神輿の下をくぐったりするのを見て飛び入りで参加して、見よう見まねでお賽銭を投げいれ、下を潜って、柏手を打って、異教徒でありながら、異国の珍しい風習を興味深げにそして、大らかに楽しんでいた、When in Rome do as the Romans do、これが本来の人の姿だろう、駕輿丁たち、開闢以来だよ、と驚いていた。

 明日も、また翌日祭という神事が残っている。

平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (1/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (2/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (3/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (4/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (5/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (6/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (7/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (8/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (9/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (10/11|)(全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮 秋季例大祭 当日祭 (11/11|)(全10枚)


平成21年9月27日(日)

 晴れ、少し下り坂、夕方ちょっとパラパラ来たそうだ。

 馬場八幡宮の秋季例大祭の前日祭。午後から総代の皆さんと馬場集落の皆さんで境内を清め、神事の準備をして、午後4時から、前日祭を斎行した。この神事の内容は、明日の神幸行列神輿の巡航で、普段は神殿に御座す御神体を神輿にお移しする、遷座祭である。前の遷座祭という(明日、巡行が終わってまた神殿にお戻りになる時は後の遷座祭と言う)。普段、神輿を見るときに、そういうことはあまり考えないが、ちゃんと遷座されて、祭の期間は神様は神輿の中においでになるのである。遷座に際しては、神官が息がかからないように紙のマスクをして、警蹕の声を立てながら神殿の扉を開いて折敷に御神体をお乗せして神輿の中に納めるのであるが、その間、我々は下を向いているので、ご神体が何なのか全然わからない。この警蹕の声が静かな空間を圧するように響くとき思わず背筋が伸びる気になる、なかなか神秘的な神事である。ネットで探したところ、警蹕の動画があったので、参考に引用する。http://video.fc2.com/content/20090502M3JE5YzP

 神事が終わって日が暮れるころになると、町内の山車などが神社に集まってお参りをしたり、踊りを奉納したりする。そういった神事とは別に、坂梨公民館広場で坂梨青年会が主催する前夜祭が行われて、模擬店が出たり、舞台でカラオケなどがあって、普段なかなか一堂に会する機会が無い町の人たちが、老若男女、思い思いに楽しそうに飲み食らい且つ時間を忘れて語りあっていた。

 明日はいよいよ当日祭である、天気がちょっと心配である。

平成21年度 馬場八幡宮秋季例大祭 前日祭・前夜祭 連続写真 (1/3) (全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮秋季例大祭 前日祭・前夜祭 連続写真 (2/3) (全10枚)
平成21年度 馬場八幡宮秋季例大祭 前日祭・前夜祭 連続写真 (3/3) (全10枚)
平成21年9月26日(土)

晴れ。夏に逆戻りしたような暑い日だった。

 最近雨が降らずに乾燥状態が続いていたこともあるのだろう、昼ころ外輪の兜岩下斜面で山林火災が起きて、熊本、大分両県の消防防災ヘリの散水で夕方になってようやく鎮火したようである、輪地切りの飛び火らしい。外輪高く煙が遠望できた

 (また、外出中で後で知ったが、役犬原にある火焚き神事で有名な霜神社の火焚き殿が全焼したそうである、現在、火焚き神事が行われていて、その火が燃え移ったのではと言われている(9/27新聞より)、火事としてはこちらのほうがオオゴトだったかもしれない。)

 今日から、「第二回 坂梨懐かしの写真展」が坂梨公民館で始まった。今日は日ごろの無沙汰の罪滅ぼしにほぼ終日受付をした。(写真1写真2写真3

 T木京子さんの父上が亡くなられて、坊中にある斎場に家族でお通夜に伺った。

 婆様、週末で病院が休みになって病院の活動は休止なのでおとなしく週明けを待って本を読んでいた、まあ、ここまできたら、慌てることもないだろう。



平成21年9月25日(金)

 晴れ。今日も慌ただしく一日が過ぎた。

 以前は無かったと思うが、最近我が家の入り口付近に彼岸花が咲いている、多年草だそうだから、これから毎年少しずつ増えていくだろう、楽しみである。

 隣家の山椒の実が赤くなっている。山椒の塩漬け、大好物であるが、実がまだ緑色のころに漬けるそうである。手でも潰すと非常に良い匂いがする。山椒は雌雄別株だそうで、我が家に自生する山椒は実がならないが雄か、まだ小さいからだろうか。

 娘が、絶対に忘れないでね、と何度も念を押しながら、録ってもらいたい子供番組を小生が録り忘れないように、PCのディスプレーや居間のテレビなど小生の目に留まるところに、メモを貼り付けて登校して行った、生返事をしていたが、これは忘れると大変なことになると、まずビデオデッキのタイマー予約をセットすることから、小生の一日の仕事が始まった。

 週末で、明日は公的機関の窓口も休みになるので、馬場八幡の秋季大祭に関する、傷害保険の付保やその他の手続きを今日中に済ませるためいささか走り回る。

 その合間に、阿蘇神社の農耕祭事「田の実祭」の流鏑馬奉納を見物する。春の火振りの神事と夏の御田まつりと秋の田の実祭、稲の成長に合わせて行われる祭事である。組内のW辺貴之さんも毎年、馬に乗っている。今日も一番手で馬を駈って矢を射て好成績を収めていた。いつも感じることだが、もっとPRをすれば大勢の人が来るだろうに。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 夕方、K朝春さんがコンバインを運んできた。実はK朝春さんの稲刈りが済んだら最後に、我がミニ田の米を脱穀して欲しいと前々から頼んであったのだが、今日ようやく総ての稲刈りが終わったそうで、帰る途中にわざわざ寄り道をしてくれたのだ。

 今年は、昨年までコスモスが植わっていたところにミニ田を作ったので、畦に、コスモスが生えてきて、色気をだして、コスモスも稲もと欲張って、コスモスをそのままにしておいたところ、コスモスの成長が早くて、ただでさえ日照が少なかったのに、コスモスで日を遮り、その上に、全く肥料を入れなかったので、あまり出来は良くなかった。コンバインを通すと、それこそ、アッと言う間に終わってしまう、それほどの量である。どのくらい採れただろうか、良いところ二升くらいだろう。毎年、来年こそはちゃんと気持ちを込めて作ろうと思って、その時になるといい加減になってしまう。来年はもう少し広くミニ田を作ってみようか。本当であれば、そんなことをせずに我が家の田を自分でちゃんとやれば良いのだが・・・・
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 NHKの金曜8時から時々「テツ旅」と言ったと思うが、九州のローカル線の旅番組をやっている、これは九州全域でやっているのだろうか、熊本だけだろうか、今晩は吉都線をやっていた、小生はこんな線があるとは知らなかった。

 婆様、どうもまだ直ぐには退院できそうもなさそうである、当初、数日の予定が、そろそろ一月になる。


平成21年9月24日(木)

 晴れ。

 そろそろ秋祭りの準備の大詰め、あちらこちら走り回る。

 今日は、午前中、e-kamo氏の、午後、DIomの来訪あり、e-kamo氏はホームペー作成の件で、DIomは庭の木を切ったのでと、一日分相当の薪材を届けてくださる。忙中閑あり。

 婆様、今日は退院のお許しは出なかった。


平成21年9月23日(水)秋分の日(秋季皇霊祭)

 曇り。降りそうで、結局降らなかった。

 昨夜のうちに、阿蘇山ライブカメラに使っているPCが壊れた。このPCはその前に使っていたライブカメラ用PCが壊れたので、代替で使っていたPCだ、まだ前のPCを修理をしないうちに、また壊れてしまった。最近はどうも意欲が無くなって修理をする気が起きないでいる、また別のPCを間に合わせで使ってしばらくごまかすか、ヤレヤレ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とあきらめかけたところ、なんとか復旧できた、また今までに経験をしたことがない新手なトラブルだった。

 今日は秋色濃くなりつつある外輪の草原を縫って小国郷までウナギを食いに行った。前々から話に聞いていたので、連休最終日、家族サービスで昼飯を食いに行ったのだ。近江屋といって120年くらい続いている店だそうだ。いかにも歴史を感じさせる店構えで、結構遠方からの車が何台も停まっていて、それだけ名の通った店なのだろう。川べりに建つこの建物、今流行りの古民家風でなくて、まさに正真正銘の古民家、板の間が少し傾いていて、廊下も隙間だらけ、応対も料理も、どちらかと言えば決して洗練されてはいないが気取っておらず、誠実さがにじみ出て、まさに味わい深い鄙びた山あいの昔からのウナギ屋である。ここの蒲焼は、関東風の蒸した蒲焼と違って、コンガリと焼いた少し歯ごたえのある関西風のウナギで、タレがものすごく濃いと思ったが、これが意外とあっさりしていて、香ばしい風味がとても良かった、好みはあるかもしれないが、関東風とはまた一味も二味も違ったウマイ蒲焼だった、ボリュームも満点、大いに満足して帰ってきた。

 今NHKの連続朝ドラでやっている「つばさ」(もう今週で最終回だが)、川越のコミュニティFM局が舞台だが、ここ小国にも、そのコミュニティFM局があって、通り一面にウナギの香ばしい匂いが流れる中、うなぎ屋のすぐ前にあるスタジオで放送をやっていた。なかなかユニークな町である、こういった仕組みをインターネットでやっていみたいとかねがね思っている前期高齢者である。

 婆様、明日は退院許可が下りるかと待っている。



平成21年9月22日(火)

 晴れ、少し曇りがち。前線が九州北部付近で東西に横たわっていて、このあたりでも少し雨が予報されていたが夕方まではなんとか降らずにもった。もった方が良かったのか、もたなかった方が良かったのか・・・・

 少し前から、モズの高啼きは耳にしていたが、まだ雰囲気的には少し早いと思っていたが、そろそろ、季節に相応しい風景になってきた。今日も縄張りを主張して枯れた竹のてっぺんで啼いていた。モズと枯れ木はセットである

 今日は、家族サービスで、その辺を少し走り回ってウマイものでも食べようかと思ったが、結局皆で畑の草切りなどで過ごす(カミさんまで刈り払い機を使っていた)、健全、健全。

 朝夕婆様の様子を見に行く、休み明けも、退院、ダメなんじゃないか、と少し弱気になっていた。

 ところで、大型連休が続いている、世の中、休日が増えることは、特に勤め人にとっては結構なことだが、だからといって、暦通りに休んで良いものとそうでないものがある、たとえば、警察や消防が良い例である。危機管理に関しては24時間、365日休みなしである。そこまで行かないにしても、公的機関が暦に合わせて延々と休業が続くのはどうかとかねがね思っている。

 犯罪や火事に限らず、危機管理にかかる業務は、これすべて「お役所」の仕事である。つまり、このお役所が民間の会社と同じにように休むことがオカシイと思うのである、たとえ民間企業では休んでも、ちゃんと需給の調整はして、どこかで、その民間企業の休んでいる部分は他で補うシステムが出来ている(製造部門は休んでも、小売システムは、ちゃんと機能しているなど)、公務員が休んで悪いというのでは決してない、機関としてそのような時でも機能するシステムを作ってほしいと思うのである。今回のインフルエンザ騒ぎ、インターネットで検索をすると、県では健康危機管理課なる部門があって、そのなかで、「新型インフルエンザの流行宣言」を行ったとある。宣言とは、するだけのものか?宣言したのであればそれに対応した態勢をとるべきであろう。こんなときでも保健所の「インフルエンザ発熱相談センター」の受付時間は、午前9時から午後5時30分まで(土日、祝日等を除く)である。多分、全お役所のそういった機能は「休み」であろう。この間に発熱したらどうせよと言うのか。新しいワクチンが広く出回るまでは、今、市民にできることといえば、如何に罹らないように注意するか、しかない。それまでは自分が住んでいる地域の感染状況を少しでも詳細に知りたいというのが人情である。市の防災無線で、インフルエンザが流行っているので、ウガイ、手洗いを励行しろと繰り返して放送している、繰り返して放送することで予防の習慣づけの効果もあるが、一方で、徒に不安を煽ることにつながっている、どうして不安なのか、それは、具体的にどの程度の蔓延状況かわからないことからくる。ウガイ、手洗い、そんなことはもう子供でも知っている、そんなこと分かっているから、どの程度流行っているか淡々と教えてほしいのだ。ワクチンが普通に準備できたら、過度の不安は収まる、せめて、それまでの期間は、そういった部門は臨戦態勢で応対してほしいと願うものである、民間企業では繁忙期には三直をやる。それに公的機関とは言わないかもしれないが、医療機関、これが暦に合わせて、一般の企業の就業時間に合わせて休むこと自体がオカシイのである、病気は暦に合わせてくれない。当番で専門外の医院が休日診療をやってはいるが、外科の専門医に内科の病気を診きれるか、もうすこし休日診療体制の整備をやってほしいものである。こんなこと今さらである、皆分かっている、小生のガス抜きである。http://www.pref.kumamoto.jp/site/influenzasub/


}平成21年9月21日(月) 敬老の日

 晴れ、少し下り坂か。

 村では従来、夏(7/14)と秋(9/14)の年に二回、天神祭を行っていたが、いわゆる諸般の事情により、二三年前から、神事を行うのは夏だけということになり、秋には社殿周りの草切りだけをすることになっていた、その草切りを、神事が無いのでうかっかり当番の班の皆が忘れていて、今朝、集まって草切りをした。

 敬老の日の長寿をお祝いして、村の集会所に、村内のお年寄りを招いて昼食会が催され、我々村人全員が出席して長寿のお祝いをした。婆様は、この敬老の日を、病院のベッドのなかで迎えた、まあ、長い人生、こんな日もあるだろう。デイケアサービスセンターでは、通所者の長寿番付を作って貼りだしてあるが、婆様は、前頭筆頭あたりだったと思うが名前が挙がっていた、横綱は確か105歳だったか。


平成21年9月20日(日)

 今日も良い天気だった、この良い天気を、毎日少しづつでも表現を変えようかと思うが、こう続くと、もうタネ切れになる。

 昨日、刈り取った村の共有田の米、乾燥が終わって朝のうちにもう届いた。我が家では、今年の消費見込みが少し狂って、まだ一袋(30キロ)以上残っているので、新米にありつけるのはもう少し先になる、娘が保育園の弁当持参(御飯だけ持参、オカズは保育園で作ってくれる)から小学校に入って完全給食になったからだろうか、でも娘、そんなには食べないだろう。いつだったか、ある生産農家では保有米が沢山あるので、新米を食べるのは毎年、暮れから正月になってからだよと言っていた。

 久しぶりに畑の草切りをした。そろそろ夏の後始末と、高菜を植える準備をしなければならいので、天気が続くうちに刈り取って乾燥させて燃やしてしまおうと思っている。

 そして、今年は、つまり来春にはある仕掛けをしようと思って、そろそろその準備をしようと思っている。

 雑草にうずもれてスイカがいくつか見つかった、小玉スイカだから、小さくてもそれでもう熟れているのだが、草に隠れていたので、刈り払い機で3つばかりズタズタにしてしまった

 婆様は休み明けの退院を期待しながら、毎日鬼平を読んでいる。


 以下は18日の日記に対して、じっちゃいのブログの記事をそっくり「パクリ」ました。

「 牛のトイレットペーパーはいいネーミングと感心しました。子供しかできない発想ですね。専門ではないので、詳しくはないのですが、あのロールはベイルと言いますね。トラクターで引いている機械のことをベイラーといいます。小型ですが、四角のベイルもあります。こっちはたしかキューブベイルとかいいます。

 牧草を刈って乾燥させてギリギリ巻きにして圧縮してフィルムで巻きますね。昔牛舎にはサイロがありましたが、あれは中に牧草を詰め込んで圧縮してるので、考え方は同じと思います。いずれ牛に食べさせるので何もギリギリ巻きにしなくてもいいと思いますが、圧縮してフィルムで巻くと酸素を遮断できるからです。そうすると乳酸菌がふえて醗酵しやすくなります。乳酸菌は通性嫌気性菌ですのでできれば空気が無い方が増えるのに都合がいいということです。ビタミン類も豊富になるそうです。ヨーグルトを食べるとおなかにいいといいますが、牛も同じようです。昔サイロでやっていたことを、フィルムを利用してやっているということになります。

 牛の胃袋は4つありますが、第1胃から第3胃は食道が変化したもので、人間の胃と同じ働きをするのは第4胃です。特に第1胃は培養タンクになっていて、ここにたくさんの微生物を住まわせてその微生物から牛は栄養を得ています。ですのでその微生物を繁殖させるために乳酸菌がいい働きをするということなのでしょう。と漠としたことで申し訳ないです。

 それと、冬場は夏のように草が成長しないので、冬用の飼料を夏に確保して保存するという現実的なニーズもありますね。

 小生はキューブベイルの方に興味があって、アメリカ開拓時代にこれで家を作っていたそうです。がっちり固めてあるので断熱効果に優れていて、エネルギー効率がいいそうです。これで壁を作るのだそうですが、欠点は牛に食われてしまうことだそうです。ストローベイルハウスといって、ご存知かもしれませんが阿蘇でも実験的な取り組みがされているようですね。 http://kbf.sub.jp/project/cascade/360house/post_27.html 」


平成21年9月19日(土)

 今日も秋空が続く、こう毎日続く穏やかな空を見ていると、荒れ狂う天気もあるということを忘れてしまいそうである。

 いつのまにか、秋にも大型連休ができていた、何時の頃からだろう、今年がたまたま休みがつながったのだろうか、サンデー毎日組にとっては関心が薄いが、とにかく、今年は好天続きで行楽客には非常に良い連休になりそうだ。

 村の共有田の稲刈りをやっていた、今年の稲作りはK朝春さんたちの班で、秋空の下、気持ち良く作業が進んでいた(写真1写真2)。そんななかJR主催のウォーキングが開催中で、多分、宮地駅まで列車で来たのだろう、坂梨宿場街道(写真1写真2)や馬場などの田園地帯を大勢の人が歩いていた。

 婆様の様子を見に行く、ちょうど主治医にお会いしたので、状況をお尋ねしたところ、今日あたり退院OKをしようと思ったのですが、まだちょっと喘鳴が聞こえるので、ちょうど連休になることもあり(つまり外来の休みが続くので)、このまま病院にいたほうが良いでしょうということで、退院は連休明けになりそうである、婆様のためにはそのほうが良いと思う。

 坂梨地区の小学校や保育園はインフルエンザが発症しないままで、連休に入ったのでしばらくは気が休まる。新型と言っても毒性は従来型のインフルエンザ程度で、ただワクチンが無いということだけだろうから、それほど心配しなくても良いのだろうが、時々持病の無い人でも重症化して死亡したと言ったニュースが流れるので、気管支が弱い娘などを抱えているとやはり心配である、早くワクチンが潤沢に出回るようになれば良いが、多分、これから寒さが厳しくなって猖獗を極める時期には間に合わないだろう。一方、新型ばかり気にしているが、従来型のワクチンの接種はどうなっているのだろうか。先シーズン、娘がインフルエンザに罹ったのはいつだったろう、何型だったろうと思って日記を遡ってみたところ、つい今年の3/19だった、まだほんのちょっと前だったのだ、B型だったと書いているので、今年はワクチンを打たなくてもB型には免疫があるのだろうか。新型と、従来型と同時に感染することもあるのだろうか、片方が流行っているときには、もう片方は流行らないのだろうか。


平成21年9月18日(金)

 晴れ。まだ9月も半ばを過ぎたばかり、下界では残暑が厳しいころだろう。阿蘇では朝晩は寒ささえ覚えるような気温になり、稲刈りもかなり進んで、刈り終わったところでは、稲わらをロールに巻いて冬の牛の飼料作りに忙しい。今年は天気が続いているので雨が降らないで困っている部分もあるが、こういった作業は順調なようだ。(写真1写真2

 この藁のロール、このまま藁の状態で巻いたままの物と白いビニールで巻いてある物とあるが、娘はもっと幼い時に、牛のトイレットペーパーだと言っていた。このロールは冬場の牛のエサになるわけであるが、ただ巻いてあるだけでなくて、この状態で置いておくと、醗酵するらしくて、その醗酵が大事だということを以前じっちゃいに教えてもらったことがあるが、どこにその資料あったろう、また折をみて解説してくれると有難いが。

 婆様、明日土曜日なので、明日退院許可が下りなければ、その後、連休に入るので、そうなると、退院が延びるね、と話していた、ところが、そもそも入院の理由となった喘息はもう治っているらしいが、ここにきて坐骨神経痛がひどくて、今週の退院は無くなったようである。


 秋季大祭の神幸行列・神輿・山車巡行にかかる道路使用の許可が下りる。


平成21年9月17日(木)

 日射しも強くなく、風も吹かず、暑からず寒からず、丁度良い気候の穏やかな秋空が広がる、稲刈りも最盛期を迎えつつある。

 最近、夕方になると、喉が少し痛むような気がして、いよいよインフルエンザに罹ったかなと思ってちょっと心配するが、一晩寝ると元に戻る、少し、神経質になっているようだ。娘の報告によると、今日も、坂梨小学校のインフルエンザ発症は無しとのこと、宮地地区でかなり流行っているようで、宮地小学校は休校が一日延びたそうだ(伝聞)、坂梨と宮地はその昔は地域文化圏を異にしていたので、まだその時代の名残が脈々と生き続けていて人の交流もなんとなく少ないのだろうか、まあ、通学区域が違うことは確かだが。

 婆様、熱は下がったそうだが、昨夜は神経痛が非常に痛かったので、病院に申告して、痛み止めの注射を打ってもらったそうだ、そうだよ、そういうときは遠慮しないで頼めばいいんだからね、と言ったところ、そうだね、だからそうしたんだよ、とのこと、少しは学習したようだ。入院が長引いていて婆様少し腐っていた、もうすこしだと思うのだが。


平成21年9月16日(水)

 秋空広がる。本日の最低気温、阿蘇乙姫 8.0℃(05:39)、とうとう10℃を割った。

 とうとう坂梨小学校に本物のオーケストラがやってきた(東京ニューシティ管弦楽団)最初のチューニングの音を聴いてザワザワと鳥肌が立ち始めて、最初の楽曲が始まり、オーケストラの音がワッと全身を包んだ途端に、自分でも全く予想をしていなかったが、思わず涙がこみ上げてきて、周囲に気取られないかと我ながらうろたえてしまった、なんでこんなに涙もろくなったのか、歳のせいか。今まで何度か、大きなホールでオーケストラの演奏を聴いたことがあるがこのようなことは無かった、放送やCDでも勿論このようなことは無い、今日のこれは一体何だったのだろう、小生、音楽は好きだが、それほどの感性は持ち合わせていない、すぐ目の前のホンモノが生み出す演奏が直接空気を震わせる力だろうか、考えてみたら、これほど贅沢な音楽鑑賞は無いだろう、約60名のフルオーケストラに近い編成に対して、聴衆は児童教職員保護者など合わせても精々150人くらいだろう、S席どころではない、まるで自分のために演奏してくれているようなものだ。過去のホールでの鑑賞と決定的に違うのは、オーケストラとの距離感なんだろう、スゴイ、とにかく凄かった。子供たちも、まだよく分からないだろうが、とてつもない経験をしたのである。全国の子供たちのうちで、いや大人も含めて、一生のうちで、どれだけの者がこういった経験をする機会があるだろう。よくまあこんな田舎までおいでくだされた、そして呼んでくだされたものである。

 最後に、味な演出、坂梨小学校の校歌をフルオーケストラの伴奏で全員で歌って、最後の最後に、聴衆の手拍子と一緒にウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでお馴染みのラディツキー行進曲を演奏して演奏会は終わった。

 せっかくのチャンス、もっと沢山の人が聴けたら良かったのに、そして今回の機会を逃した人は随分と勿体ないことをしたものだと思う、これ正に千載一遇のチャンスと言う、万難を排してでも聴いた方が良かった、もっと広くPRする方法もあったのではと思った、小生のホームページを見てTOMUさんご夫妻が見えていた(小生のホームページはその程度の影響力だ)、尤も、あんまりPRが過ぎると、学校教育という第一の目的を外れる恐れもあるのだろう。

東京ニューシティ管弦楽団 連続写真(1/2) (全12枚)
東京ニューシティ管弦楽団 連続写真(2/2) (全12枚)


 馬場八幡秋季大祭の神幸行列、山車巡行に係る道路使用願い申請書を警察に提出してきた。

 入院患者の中には、ワガママとしか言えないような次々に要求をだす患者もいれば、うちの婆様のように、当然頼んで良いことであり、頼めば済むことでも我慢や遠慮して言わない患者もいる、今朝も、寒いから湯たんぽを入れてほしいのだけど、と言って震えている。婆様は必要以上に寒がりで普通の人はなんともないのだから、そんなことはちらから言わないと係りの人は分からんでしょう、黙っていてもやってもらえると思ったら大間違いだぞ、過ぎたる遠慮は美徳でも何でもない、かえって周囲に迷惑を及ぼすぞ、と説教してやった。先日など、歯が痛くてオカズが噛めないから、家から梅干しを持ってこい、と携帯が入った(この歳で、婆様は携帯を持っていて、掛けることが出来るのだ)、また、腰が痛いから家にある湿布薬を持ってきてくれ、眠れないから睡眠剤を持ってきてくれ、そんなことこそ、病院に頼め、と言ったやったが、一事が万事こうである、全くバカタレ婆さんである。


民主党、鳩山新内閣成立


平成21年9月15日(火)

 うす曇り、朝少し細かな雨が降る。

 婆様、少し熱が出たそうで、退院はしばらくお預けになりそうな気配である、風邪でも引いたか。入れ歯が痛んで飯が食えないというので、某歯科から病室まで出張治療に来てくれたそうで、具合が良くなったと喜んでいた。某歯科としたのは、聞くところによると、出張訪問治療は脳梗塞で寝たきりだとか、出張治療をして良い場合と該当しない場合とがあるということを聞いて、今回は、来院治療というかたちで、多分出張交通費などは医院持ちでやっていただいたのだろうと思うが、迷惑がかかるといけないので医院名は伏せた。


平成21年9月14日(月)

 曇り。台風14号がはるか南方洋上にあって日本に向けて進んでいるが、今の季節、日本に近づくと偏西風で急に東に逸れることになっているので、多分大丈夫だろう(と期待を込めて)。

 昨日の運動会で、娘は振替休日、勤め人の保護者は関係なく、ボヤいて出勤、年金生活者は年中休み。

 法定点検を兼ねて修理に出してあったパジェロ、夕方に、直って帰ってくる。整備をする、しない、でこんなにも調子が違うものか、中古であるほどその違いが顕著である。

 婆様、退院許可を今日か明日かと待っていたが、今日の血液検査で、もう二三日ですね、と言われたそうで、腐っていた。今の時期、無理に退院してインフルエンザにでも罹ると大変なので、こちらとしては入院してくれていた方が安心なのだが、本人は出たいだろうな。

 宮地小学校はとうとうインフルエンザで全校が休校になったそうだ(伝聞)


平成21年9月13日(日)

 昨日の雨が今日のためにわざわざ露払いをしてくれたかのように、今朝は正に運動会びよりの清々しい秋空になった。いつもの登校班、体操着姿で、稲刈りの終わったばかりの田沿いの道を元気よく登校していった。

 今日は坂梨小学校の運動会、娘にとって初めての運動会である。もちろん保護者の我々にとってもである。こどもたちも親たちも知った顔ばかり、こどもの数に比べると勿体ないくらい広い運動場で秋の一日を楽しく和気あいあいと楽しんだ。

 児童数、約100名、最近、統廃合の話もチラホラ出ていて、都会のマンモス校から見ると如何にもこじんまりとした児童数かもしれないが、こどもたちの教育にとって、本当はこのくらいの数が良いのだろうなと感じた。

 小生も、老骨に鞭打って、土嚢を20キロと10キロに振り分けた天秤棒を担いで走る分団対抗の技巧走(女性は総量15キロ)に参加、ようやく治りかけた腰を再びやってしまったようだ。手不足でやむなく参加したが老兵は消えゆくのみで、来年からは応援に徹するようにしたい、そのせいでは決してないが、今年の分団対抗はぶっちぎりで最下位だったので、皆、捲土重来を誓っていた、幸いに来年は分団に若い力が二人ほど加わるそうだから、大いに期待をしたい。

 例によって写真を撮りまわっていたが、途中からふと撮影をやめて競技に見入ってしまい、かなりの種目の撮影をしなかった、やはり撮るよりは見る方が楽しいのだ。さらに、紅白組等しく撮影すべきだったが、娘が赤組(彼らは赤団と称している)なので、娘の成長記録ということが主眼目でもあるので、決して親バカということでは無いがどうしても紅組に偏ってしまった嫌いがある。

 いつものように、撮った写真、選別するよりズボラな方法であるが、取捨選択が面倒なので全部載せてしまう、文章にするよりはるかに楽なのである、言ってみれば手抜きなのだ。

 運動会連続写真(1/7) (全10枚)
 運動会連続写真(2/7) (全10枚)
 運動会連続写真(3/7) (全10枚)
 運動会連続写真(4/7) (全10枚)
 運動会連続写真(5/7) (全10枚)
 運動会連続写真(6/7) (全10枚)
 運動会連続写真(7/7) (全 9枚)

 運動会の後、馬場八幡で、第4分団、即ち、馬場・豆札集落の打ち上げをやる、詳細は百聞は一見になんとやらで、これもまとめて写真を載せる。

運動会第四分団打上げ(1/2)(全10枚)
運動会第四分団打上げ(2/2)(全 9枚)

 夕方、ちょっと婆様の様子を見に行く、先生に、週明けは退院ですね、と言われたと言うので、ナースステーションで確認したところ、明日ということではないとのこと、本人は、明日は月曜日で週明けのなので、すっかりその気になっていたの大いにがっかりしていた。それでももう時間の問題だろう。


平成21年9月12日(土)

 午前4時ころだったか、天窓を打つ雨音に目が覚めた、あるいは、目が覚めていたから聞こえたか、そんなタイミングで久しぶりに雨が降った。その後も、時々パラパラと来た程度で、乾ききった大地にはほとんど効果が無かったようだな、と思っていたら、午後に入ってから、一時間くらいだったろうか、強い風を伴ってかなりまとまった雨が降った。今日は宮地小学校の運動会だったはずだが、インフルエンザで少しプログラムを少なくして実施するようなことを聞いていたが、どうだったろうか、予定通りプログラムを消化することが出来ただろうか。

 午後三時ころには強い雨域を伴った前線も熊本地方を通過して南下して雨は上がったが、それでも夕方になっても阿蘇山に重い雲が垂れこめていた。明日は坂梨小学校の運動会だ、明日は天候が回復するようなことを言っていたが。

 朝と午後、婆様の様子を見に行く。

 最近パジェロの調子が悪いので、坂梨の石田さんのところに法定点検を兼ねて修理に出す。


21年9月11日(金)

 晴れ。ほんの少しだが天気が下り坂気味である。

 午後から、阿蘇郷土史研究会の9月例会に出席する。今回は、昔は各集落から牛を引いて近道で外輪に通じる道が無数にあったようで、久しく使われなくなって草に埋もれてしまったそれらを復元しようと活動している阿蘇北外輪山トレッキング協議会の主宰者の阿南さんをはじめ会員の皆さんが、2年ほどかけて伐り開いた30数余本の草の道について話があった。

 夕方から、明後日に予定されている小学校の運動会の準備で、保護者の皆さんとテント張りをやる。明日は少し天気が崩れそうだが、日曜日は大丈夫のようだ。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今朝から、S賀昭久さんが我が家の周囲の稲刈りを始め、夕方、帰ってみると、一日であらかた終わっていた。我が家の田んぼの稲刈り(写真1写真2)も終わった。

 阿蘇全地域を網羅するかなり大きな立体地図を I 入さんから頂戴した、惜しむらくはその地図の性格上、阿蘇地域にしか地名や彩色が施されていないことであるが、このくらいのサイズの立体地図が一般に出回ると良いのになあといつも思う(問題は無いとは思うが念のために出所は明かさない)。


平成21年9月10日(木)

 抜けるような青空が広がった。じっちゃいのメールで知ったが、今朝の最低気温、阿蘇乙姫で 10.6℃(05:36)。ニュースで言っていた、この秋最低だそうだ。道理でボンの散歩の時、Tシャツ一枚でヒンヤリするなと感じたわけだ。いよいよ10℃を割り込む季節がやってきた。屋内に居る限りは火が恋しいとは感じなかったが、家屋本体がまだ冷えていないからだろう。ストーブの出番近し、である。だが、煙突の掃除が終わっていない、機密性を保つためのストーブの扉回りのガスケットも貼り替えていない。今日の気圧配置は、いわゆる西高東低の冬型だったようだが、明日にはいつもの気温に戻るようだ。

 我が家の周辺の稲刈りが始まった、今年は倒伏している稲も少なくて、気持ち良くコンバインが動くことが出来るだろう。
写真1写真2写真3

 午前中、庭先を少し草を切る。

 朝夕、婆様の所に寄る、順調だ。


平成21年9月9日(水)

 晴れ。そのなかで、少しずつ最高気温が下がってきている。

 いよいよ稲刈り間近だ、我が家の前の田んぼもコンバインがスタンバイした。今年も台風が無くて、見渡す限り黄金の海だ(このあたりでは田のことを浜と言う、といったようなことを聞いたが、ずっと続く稲田を海原にでも喩えたのだろうか)、少し前の作柄予想は「やや不良」ということだったと記憶しているが、その後、日照不足は回復しただろうか。そういえば昨年の稲刈りの頃は雨が続いて、稲が乾かずになかなか稲刈りのタイミングを掴めずに皆さん苦労していた。今年は逆に雨が降らずに、これからもしばらくは雨が降りそうもない。雨が降らないため、すでに収穫期にある稲(たぶんコシヒカリ)は問題無いが、品種によって、まだ収穫期に達していない田に害虫が発生して、阿蘇では通常は農薬は撒かないのだが、緊急対策として農薬散布に関して注意事項を伝える放送が流れていた。さらに、県南では貯水池の水不足が深刻になっているそうだ、熊本特産のミカンもちょうど美味くなる時期にこの水不足、これも深刻な問題になっているという、降っても困るし降らなくても困る、自然は本当に気まぐれである。

 そういえば、以前は、コメが実るころになると、雀を追っ払う爆音機のドッカン、ドッカンという爆発音が賑やかだった。それがいつの頃からか聞こえなくなった。娘が生まれたころには、直ぐ家の近くでドッカンとやるものだから、驚いて泣きはしまいかと少し心配したこともあったが、今年あたり、ほぼ100%、その音が聞こえなかった。スズメも馬鹿じゃないから、最初は驚くけど、すぐに慣れて驚かなくなる、爆音機など効果が無いということになったのだろう。あれはプロパンガスを一定間隔でタイマーで点火して音を出す仕組みだと思うが、コメの値段は上がらず、ガス代は上がる、でソロバンが合わなくなったのかもしれない、静かな秋になった。

 今日、秋ミョウガというものがあることを初めて知った。掲示板で「抜け作」の話をしたところ、瓢箪から駒が出たというやつで、偶然にバジリコさんからそのことを教えてもらった。早速、雑草を掻き分けて、茗荷が群生しているところに行って、葉の下を覗きこんだら、あった、あった。ミョウガは夏の一時期だけのものだと思い込んでいて、いままで、近寄りもしなかった、そばを通ることがあっても葉の下など覗くことなど全くなかったのだ、丸8年、わずか数メートルの距離、知らずに損をした、そしてなんだか得をした気持ちになった。

 食べ物の話のついでに。最近、ずっとオサンドン業を続けている、ほぼ専業のようになっている。スーパーで刺身用のクジラが出ていた。非常に安かったので、赤身だが何十年ぶりかで買ってみた、懐かしい味だった、戦後間もなくの小生が子供の頃は食糧難で、鶏肉や豚肉や牛肉が高かったこともあって、その代替としても、日常的に大いに食べたものである。尾の身は霜降りでちょっと高かった。クジラというと刺身だけでなくて、塩のカタマリかと思うほど漬け込んだ塩漬けクジラがあってそれを焼いて食べた。皮の少し下の部分の白いところ、晒しクジラ、地域によって呼び方は違うが、小生が育った北九州ではオバイケと言った記憶がある、それは酢味噌で食べた。そして、ベーコン。ベーコンとは豚肉で作ったものだということはずっと後年になって知ったことだ、ベーコンはクジラなのだ。そのクジラのベーコン、以前、デパート食料品売場で見たところ目ん玉が飛び出すような高い値段で売っていた、笑ってしまった。クジラは食糧難時代に限らず、日本人にとって貴重なたんぱく源だった、それだけではなく、古くから続く日本の食文化であり文化でもあった。その食文化をよその国が勝手に侵すなよ、自分たちの価値観を押しつけるなよ、クジラは可哀相で、牛は可哀相じゃないのか、クジラは知的動物で、牛はそうじゃないってか、それは、あんたたちの得意とする「差別だ!」じゃないのかい。

 宮地小学校で新型インフルエンザが出て、続いて宮地保育園でも発生したという。娘にでたか?と問うたところ、坂梨小学校ではまだ出ていないとのこと、さて、いつまで踏ん張れるか。市内でどのような感染分布をしているのだろう、冷静に対応するために口コミだけでなく、ちゃんとしたところを知りたいが、行政にその気が無いのか知る術がない。

 朝晩、婆様のところに寄る、もうあと少しだな。

 秋祭りの招待状の発送を終わる。


平成21年9月8日(火)

 「拝啓、残暑厳しき折」、が連日続いている、ただ、午後に入ってずっと夕方まで、高岳に黒い雲が垂れ込めて、いかにもにわか雨が降っている風だったがレーダーには映らない種類の雲のようで、ここでは降らず、どういった雲だったのだろう。

 昨日、アタマニキタ宅配便で届いたモノは火災報知機である。罰則規定というものは無いようだが個人住宅でも新築の場合は最初から、既設の住宅は、何時までだったか期限を決めて設置義務が出来たようだ。

 火災報知機には煙感知式と熱感知式があり、不思議と別々に分かれていて兼用というのは見たところ無さそうだ。最近は各部屋の機密性が高まったので、一か所で鳴ってもほかの部屋で聞こえない場合があるそうなので、独立式に比べたらちょっと高価目だが、連動式のやつを買った。これは一か所で(煙式なので)煙を関知したら、他の装置にも無線で伝わって、一斉に警報がなるようになっている。我が家ではとりあえず、キッチン寝室婆様の部屋に取り付けた。本当はタコ足配線の小生のシャックにも取り付けたいところだが、連動式は高いので、そのうちに独立式でも着けることにする。

 早速、線香の煙でテストをしてみた。煙を直接感知した装置は「火事です、火事です」とアナウンスが流れ、別の部屋に取り付けた装置からは「別の部屋で火事です、別の部屋で火事です」とアナウンスが流れる、結構大きな音声である。線香を遠ざけると暫くしてアナウンスが止まる。リチウム電池が入っていて、10年間は何もしなくて良いらしい。実際の時にどう反応するか非常に興味があるが、車のエアバックとこの火災報知機、いずれも使われることが無いことが前提になっているので、果たしてその時がくるかどうかわからないが、その時になってみないと分からない、さあ、これで安心して火を出せるぞ、とはならないのである。我が家は、前・後期高齢者と、少し抜けたカミさんと娘は・・・今のところまだ火を使わないが、そういった家族構成なので、いつ何時火を出すかもしれない、安心料である。

 久しぶりに床屋に行く。

 朝晩、婆様の様子を見に行く、先生から「早く出たいでしょう」と聞かれたので、「ハイ」と答えたところ、「そうですね、あと四日くらいかな」とのことだったそうだ。夕方、娘を連れて病院に行ったところ、従兄のT兄とY姉夫妻が婆様の見舞いに寄ってくれたそうで、エレベータを出たところでバッタリ、時間がないとのことで立ち話だけで別れた。


平成21年9月7日(月)

 昨日までと違って今日は少しヒンヤリして夜が明けたようだったが、日中、珍しく30℃を超えた、昨日、30℃を超えることは無いと書いたばかりだったのに。

 朝、二学期に入って初めての「みどりの爺様」出場、こどもたちの登校の安全を見守る。今朝は、「リコーダーを忘れたっ!」と慌てて取りに戻る子供が二人、その子供が再び登校して行くまで見送ってから帰る。夏休み明け、初めてのリコーダーの持参日だったようだ。

 皆出掛けて久しぶりに完全に独り、馬場八幡の決算行事も終わり、いよいよ秋祭りの準備にかかることになるが、その間、暫しの空白時間、ノンビリ、ノンビリ。明日の予定など全く気にすることなく、朝起きて、さて、今日は何をするか、という気ままな田舎暮らしに憧れるが、まだまだ本来必要が無いはずのスケジュール表が欠かせない生活が続く。

 二三日前、隣の馬場地区でも、チラホラ稲刈りが始まったようである、我が家から眺める範囲ではまだその気配は無い。

 婆様、先日、下血したので便を調べたところ、便の外側でなくて便の中にも血が混じっているので、大腸を検査します、もしポリープが発見されれば切除するので、手術承諾書を書いて下さいと、言われていたが、今日、その検査があって、大丈夫でしょうということだった。まあ、仮にポリープがあったところで、燻製のように高齢なので、新陳代謝も盛んではないだろから、慌てることもないだろうと勝手に思っていたが、まあ、とりあえず安心した、ゼーゼーがまだ取れないようだのでまだしばらくは病院暮らしだろう。

 通販で買ったものがS濃運輸で届いた。今回の商品、ネット追跡で調べたら、一昨日の夕方に熊本市の営業所には届いている。そこからここまで40キロくらいの距離か、しかし、昨日は全く配達がなかった。そして、今日、夕方間近なのにまだ配達がない。しびれを切らして、電話照会したところ、日祝日には配達しないという。そんな馬鹿な、と思って、会社のサイトを調べたら、日祝日には配達しないとは書いていないが、「日祝日お届け指定」というオプションがあって、その指定があれば届けるとある、これはちょっとオカシイのではないか、この指定は、出す方向けであって、一般的には受け取る方が決められないだろう。受け取る方は早い方が良いに決まっているではないか、この宅配便は、日祝日が普通休業の企業相手のシステムなのか、そうならそうと書いておけ、ちゃんと個人客も対象の商品になっているのだろう。「毎日配達」が原則で、指定があった時のみ、特定の曜日の配達はしない、が順序だろう。どうもこの会社、連休が続く場合も同じ原則らしい。今時、官公庁並みのエライ民間企業があるものだと思って呆れた、「ナマケモノ便」にでも商品名を変えたらどうだ。(多分、その分、他社に比べて運賃が安価なのかもしれないが、そんなこと受け取る方には関係がない)。


 この宅配便については、都市〜都市間では数社のそういった会社は競争も激しくて、配達時間にそれほどの変わりはなくて、どの会社を使っても同じだろう、しかし、田舎に来ると、会社の力の差が歴然としてくる。S川社も朝、朝配達に出ても大体夕方にしか届かない、これに対してヤマト運輸はさすがにシッカリしている、朝、営業所を出た、と追跡サービスで表示されると、時を措かず納得のゆく時間で届く、これは田舎に居なくては分からない話である。まあ、そんなこと承知で田舎暮らしをしているわけではあるが久しぶりにアタマニキタ。



平成21年9月6日(日)

 晴れ、暑い暑いと言いながらも不思議と30℃まではいかない、今日も積乱雲が発生していた

 運動会に備えて、小学校の保護者児童による清掃作業が朝7時から行われた。大人たちは、分団ごとに受け持ち区域を定めて草刈りをして、子供たちは、イモ畑の雑草抜きをやた。晴天続きで、乾燥し切ったグランドに放水訓練を兼ねてか、消防団が打ち水?をして9時前に終了した。

清掃作業連続写真(全11枚)

 ひき続いて、10時から、馬場八幡宮で年次総会と秋祭りに備えて清掃作業があり、昼過ぎに終わった。実は、今日は朝から、もうひとつ区役の草刈りがあったが、これは勘弁してもらった。

 朝夕、婆様の様子を見に行く。ちょっと小耳にはさんだところ、ここでも外来で新型インフルエンザの患者が出たそうである、いよいよマスクをする必要がありそうだ。

 今日の小学校の草刈りで、サッカーのゴールポストを動かす時に、年甲斐も無く力を入れすぎて、腰がギクッとなった、ギリギリ踏み堪えたが、ちょっと怪しい、ある姿勢をとるとピリッとくる。多分、筋を違えたというやつだろう、婆様の湿布を一枚失敬して貼っておいた。もともとその気は無いので、多分このまま大事は至らないとは思うが、ここのところ周囲で腰痛の話題が続いている、今回は体験学習程度にしておいて、彼ら、その道のプロ集団の仲間入りはご免蒙りたいところである。

 この部分、後から書き足し、カミさんの誕生日だった、ほぼ100%忘れていた。

平成21年9月5日(土)

 晴れ。今日も昨日と同じように一時の日照不足の穴埋めでもするかのような暑い日だった。

 朝晩、婆様の様子を見に行く

 明日は、朝早くから、運動会に備えて小学校の草切りがあり、続いて馬場八幡の境内清掃と総会がある、一方、農水環の区役の草切りもあり、作業が重なる、区役の方はご勘弁願おう。明日の神社の総会に備えて資料作りをする。

 これが幻のハチミツ



平成21年9月4日(金)

 晴れ。真夏のような天気である、気温も30℃近く上がって久しぶりに遠く積乱雲が湧いていた、それでもそこここに触れる風景はもう秋である。

 朝夕、婆様の様子を見に行く。入院したての頃は少し萎びた風だったが、ここのところ顔つきも、受け答えもしっかりしている。文庫本の時代小説(今は鬼平)を読んでいる。下血も、やはり、肛門裂傷だったのだろう、すでに止まっていて、病院から特に説明もないので、それだけのことだったのだろう。持って行った菓子類を結構食べている、本当は持ち込み禁止なのに。ただ、ヒューヒューがなかなか収まらないので、毎日点滴とネブライザーを続けているそうである。このヒューヒューが収まらない限り退院はできないが、巷ではインフルエンザが散発的に発生しているので、病院に居る方が安全かもしれない。

 工芸滝室の前を通ったら、扉が開いていたので、車をUターンさせて覗いてみたら、修行を終えて戻ってきた陶工二代目が忙しそうに工房再開の準備をしていた、これから楽しみである。

 今夕、馬場八幡の会計監査を受け、無事に終了した。

 今日、たまたま知る機会があった、最近、仙酔峡ロープウェイのホームページが出来たそうである。以前から、仙酔峡の自然遺産の素晴らしさがあまり知られていない、これは偏にPR不足だと思っていて、お節介ながら、いっちょうPRの肩入れをしようかとさえ思っていた。このホームページ、これから行こうという人に対する情報提供には十分だが、「行ってみたいな」という新たな訪問者を掘り起こすにはもうひと工夫ほしいところである。


平成21年9月3日(木)

 晴れ。

 朝晩婆様の様子を見に行く。本人はしっかりしているし、特に心配なことも無いと思うが、がどうも二三日では退院できそうもない感じだ。

 今日も神社の決算業務で暮れる。



平成21年9月2日(水)

 晴れ。今日もなんだか夏に戻ったような暑い日だった。9月に入ったばかり、まだ十分に夏なので、今の時期の表現としてはちょっとオカシイか。阿蘇市の山田地区で稲刈りが始まった、とニュースで報じていた、距離的には数キロしか離れていないと思うが、この辺りはもう少し先だろう。日照不足だとのことなので、心なしか、稲の黄金色化が少し足りないような気がして、稲穂は十分に垂れているが、少し緑が勝ちすぎている気がする。

 朝夕、婆様の様子を見に行く、便秘が続いていて今朝無理に捻り出して、(本にいわく)肛門裂傷でも起こしたそうで、下血していた。本人は前回の入院の際の憩室炎ではないと言っている、腹具合から分かるのだろう、今、検査中だそうだが、場合によっては退院が延びるかもしれない。

 今日も神社の事務作業をする。


平成21年9月1日(火)

 晴れ。暑さがもう気にならなくなった。

 神社の決算や総会、そして月末近くの秋の例大祭の準備作業をする。これからひと月ばかり忙しくなる。

 午後、E鴨氏がPCを抱えてやってくる。氏は、PCを如何に効率よくマスターするか、彼なりに知恵を絞ってやってくるのだが、やはり、基本的な部分は自分で努力して、少しは苦労しなければ身につきませんよ、あまり他力本願は駄目ですよと話した。

 朝夕、婆様の様子を見に行く、夕方は、娘を連れて行ったが、娘、数日ぶりなので、妙に照れていた。もう点滴は無くて、ネブライザーだけなので、退院許可を明日か明日かと待ち遠しそうだ。



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