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平成21己丑(2009)年11月の記録(新しい日付けの順)


平成21年11月30日(月)

 曇り。

 登校班のK太郎君とN樹君のおじいちゃんとおばあちゃんが(お母さんのご両親)、普段は遥々新潟から風の便りのライブカメラを通して孫の登校の様子をご覧だそうだが、旅行でおいでになったそうで今朝は現地に立って、孫たちの登校を見送っておいでだった。どうも小生の感覚でおじいちゃん、おばあちゃんと言うと自分を基準にしてイメージするので、自分よりはるかに年配の方を想像するが、おじいちゃん、特におばあちゃんとお呼びするのは失礼なくらいお若い。

 昼ころ、豊田市から妹が婆様の顔を見にやってきた、数日逗留の予定。婆様は娘に合わせてデイケアを休む。

 寺さんがハワイからスカイプをしてきた、発つ直前に仕入れたPCを持って行ったせいか使い方に慣れていないようで、音声の設定が上手く行っていないのか、はるか宇宙の彼方から声が届いているようだった、それにしても便利な世の中になったものだ。

 久しぶりに郵便局(本局)に行った、今日は外は寒いでしょと熱いお茶のサービスがあった、以前から郵便局の対応には特に不満はなかったが、民営化されてからも一層サービスが良くなっただけでなく、官営の時のような堅苦しさ、四角四面な応対が無くなり、小生としては民営化は良かったと感じていたが、民営化されて悪くなった悪くなったと言っている亀井クンそれは本当なのか、定量的にそのあたりの説明をしてほしいものである。ようやく軌道に乗ってきた(と思うが)民営化を意趣返しで引っ掻きまわすのだったら迷惑千万である。


平成21年11月29日(日)

 曇り。

 娘とカミさんのところへ、見舞いと言うか、身の回り品を届ける。小生は、風邪の症状が顕著につき、病院内に立ち入ることを遠慮して、外の駐車場の車の中で娘が戻る間の一時間余り時間をつぶす。

 帰る途中、この辺より大きな大型スーパーに立ち寄ったところ、食品売り場で試食コーナーがいくつかあって、娘が、たまたまその一つを貰って食べたところ、おいしかったと見えて、図々しくも時間差で同じブースに四度ほど並んで食べていた、それはサイコロステーキで、ただステーキ用の肉を小さく切って焼いただけのものだった、それに普段焼肉にする時と同じ塩とコショーで味付けしただけのものだ、焼肉だったら確か昨日だか一昨日食べたばかりではないか、小さく切って焼くというのが彼女にとって新鮮だったのだろう、食い逃げするわけにもいかず、結局その肉を買って今晩の夕食となった、まあ、今晩は何にするか頭を悩ませていたので丁度良かったわけだが。

 その他にも次々に二か所から、貰って食べてていた、初めての経験だったのだろう。最後のブースでは、スパゲティを入れて作るグラタンを試食したかったようで、作り始めたばかりで、ちょっと待っていてね、5分くらいだからね、とのことだったので、そんなに早くは出来ないだろうと思いつつも、娘をそこにおいて、他に買い物をしていたが、結局20分くらいずっと、マネキンさんの前に立って出来あがるのを待って、出来たてを貰っておいしそうに頬張っていた、なんとなく将来恐るべしである。


平成21年11月28日(土)

 晴れ。

 昨夜は、母親がいないので、久しぶりに娘と床を並べて寝てやったが、驚くほど身長が伸びていて、寝相が悪いのは承知していたので、一応用心のためにバリケードを張っておいたがそれを飛び越して足が侵入して危うく蹴殺されそうになった、アブナイアブナイ。
 その娘、七五三が終わったからだろう、ようやく髪を切る気になったらしくて、母親と切りに行くつもりだったようだが、折悪く居ないので、小生がM保美容で連れて行って置いてきた。30分ほどして迎えに行ったが、もっと短く、もっと梳いてもらったほうが良かったかなとも思ったが、そのへんのことは良く分からない。(写真1写真2

 午後、従兄の滉兄が大津までの所用のついでに足を延ばして、婆様の顔を見に寄ってくれた。

 軽トラックの12か月法定点検を石田オートに出す、費用はディーラーの三分の一くらいだったろうか。

 どうも風邪をひいてしまったようで、少々の咳とノド痛とがある、熱はない(と思う)し、キツさも取り立ててない、インフルだろうか、多分、違うと思うが・・・・インフルエンザにも人によって症状が軽い場合と重くなる場合とがあるのだろうか、今倒れるわけにはいかない。

 五郎次事蹟のページに掲示板annexを作った。


平成21年11月27日(金)

 今朝も霧が出た、毎朝である。ということは今日の天気は良かったということだろうが、バタバタして空模様を気にするヒマが無かった。

 軟弱者のカミさんがまた体調不良で入院したので、その搬送などで多忙を極める。軟弱者という言葉は普通は男に対して使う言葉のようだが、適当な言葉を思いつかない、一週間程度らしい。

 今日は、夕方から婆様の歯医者通いも入っていたので、カミさんの入院先から取って返して、ギリギリ間に合ったが、おかげで昼飯を食いそびれた。


平成21年11月26日(木)

 今朝も少し霧が出て、穏やかな天気になる。

 婆様デイケア。

 カミさんが少し御不例につき、午前中、温泉病院送迎に付き合わされる、午後から、薪作りをする。

 娘、学校で植えたカライモの収穫をしたと言って、カライモの入った袋を持ち帰る。アルミホイルでくるんでストーブの上に置いておくと丁度程良く焼き芋が出来る、カライモは女子供の食いものだ、小生は食わない。


平成21年11月25日(水)

 今朝も結構長時間霧が出ていた、日中の気温は高めだったのだろう、いつものようにストーブを焚いていて暑くてしょうがなかった。

 今年の坂梨小学校の「ホンモノ」、「一流」に触れて学ぶ、9/16のオーケストラ演奏、11/6の錣山部屋の相撲教室に引き続いて、最後は、今日、インフルエンザで延期になっていた「能楽」、狩野e鵬師率いる喜多流喜秀会の一座の皆さんによる能楽の体験教室が開かれた。

 最初に、二番(壇ノ浦ともう一曲は聞きもらした)、仕舞の演舞があり、その後に実際に子供たちの代表が能面を付けてもらったり、能衣装を着せてもらったりと、なかなか貴重な体験をさせてもらっていた。最後に装束なしで、船弁慶の終わり部分を舞ってもらったが、さすが、650年の歴史(と言ったかな)、日本の伝統芸能である、凛とした演者の舞姿、体育館に響き渡る謡曲、能楽音痴の小生でも、しばし幽玄の世界に陶然となった。残念ながら、さすがに能楽師の演舞の際の撮影は出来なかった。

  本日実際に目にした面の数々・・・小面、翁、猩猩、童子、顰(しかみ)般若。
  今日知った言葉・・・仕手柱、目付柱、脇柱、笛柱、橋懸り、一の松、二の松、三の松、唐折着流し、などなど。

ほんものの「能楽」に触れて学ぶ 連続写真(全13枚)


平成21年11月24日(火)

 降りみ降らずみというやつか、気温は低くなかったと思うが、一日中、重い雲が垂れこめて陰鬱な日だった。

 午前中、小国に出掛ける。実は、一月ほど前に、家族で小国に鰻を食いに行ったことがあるが、その時、鰻屋の数軒先に、農機具屋があって、冷やかしで店内を覗いたところ、ハスクバーナが創立50周年記念キャンペーンだったかで、期間限定と称して、驚くほど安価でチェンソーを売っていたので、思わず注文してしまって、商品が入荷したと言うので、その引き取りに今日出掛けたのである。一度目は約束の日に入荷しておらず、二度目に行った時は定休日で、と二度ほど空振りをしてしまって、今日ようやく入手した次第である。新しいチェンソーは、その前に持っていたものととほとんど一緒でモデルナンバーも一番違いである、多分、もう生産終了モデルだと思うが、前のが期待はずれだったので、今度のはちゃんと動いてくれと願っている。いつも一番使っているチェンソーはここに来た時に買ったやつで、これは国産だが、いまだに故障なく動いているが、ちょっと小さすぎて、欅などの硬くて太い幹を切るときには往生するので、今度のチェンソーの働きが楽しみである。

 小国に出掛けるときは、いつも、往きはやまなみ道路、瀬の本高原、黒川温泉経由で、帰りは212号線を真っすぐ南に下るルートをとる、瀬の本高原の秋、賑やかな紅葉の時期が過ぎて、落ち着いた煙るような茶色一色の雑木林が美しかった。

 以前、asobowzzどのから頂戴したプリンターがとうとう故障して、いよいよ新規設備投資かなと思ったが、もう一台、誰かから、故障したのでやるというので貰って来たプリンターがあったので、試しにつないでみたところ、これが立派に動く、確か、一緒に確認した時は動かなかったのにと、嬉しい誤算である、このプリンター、結構高機能のなので、もうしばらくは新規投資の心配をせずに済みそうだ。

 ちょっと、ノドが痛いなあ・・・


平成21年11月23日(月)勤労感謝の日(新嘗祭)

 今朝、放射冷却現象で深い霧が出た、霧が出るときは天気が良くて風が無い。娘も珍しく散歩に付き合う。今朝は見事な雲海が出たそうだ、実に気持ちのいい朝で、その良い天気が一日続いた。

 婆様、今日は元気にデイケアに出掛ける。

 馬場八幡宮の新嘗祭。午前中、境内の清掃作業をして、午後二時頃から、祭祀が斎行される。また同時に神宮大麻の頒布式が行われる、いよいよ年末の御神札配りの時期がやって来た、年の瀬間近だという気分になる。あと年内残る神事は12月末の大祓のみである。

 夕方、神社から戻ると、娘が一生懸命に台所で何やらやっている、何だと問うたところ、クッキーを作っていると言う、果たしてどんな出来だろう。


平成21年11月22日(日)

 曇り、時々細かい雨が降る、気分的に寒い一日。

 午前中、所用にて小国まで出掛けるが、今日も目的を達せなかった、別に大したことではないがこうカラ振りが続くと少々嫌になってくる。そういえば、ここの宮原両神社(みやのはるりょうじんじゃ)は沢山の杉の大木に囲まれている、なかでも、楼門脇のこの三神杉、非常に珍しい、正に連理である。(写真1写真2


 asobowzzどののブログで本日「阿蘇山一周市町村対抗駅伝大会」(似たような名前の駅伝がいくつかあるので混乱するが、正式には多分「阿蘇郡市町村対抗駅伝大会」というのだろう)が高森町をスタートで行われると言うことが書いてあった、それ以上の情報はリンクが貼って無いので分からない、そういえば、小生もどこかでその予告を見た記憶があったので、詳しく知ろうと、ネットで検索を掛けたが何処にもない、阿蘇の市や町の公式サイトにはあるだろうと思って探してみたところ、見事に何処にもない(少なくとも小生は目につかなかった)、阿蘇市のホームページには、12月開催予定の市民地域対抗駅伝の広報は載っているが、今日の駅伝は完全無視である、主催者ではないということだろうか。スタート地点になっている高森町に至っては、イベントカレンダーすら、もう何年も空白のままである(サイトを立ち上げた当初から空白のままなのかもしれない、どこかの○工会と同じように)。asobowzzどのの情報が間違っているのかと不安になったが、ようやく、西原村のホームページに、項目だけ見つけた(詳細については無い)、一体、何処で主催した駅伝なのだろう。昨年は32回大会ということで確かにやっているので、今年もやったことは間違いはないだろう、名称ほどのメジャーなビッグレースではないかもしれないが、阿蘇の各自治体は、やれ過疎だ、観光客が少ないと嘆く前にもっと応援するなり、PRするなり、やることがあるだろう、このことに限らす近辺の公的機関の無気力さにいつもながら腹が立つ、今回のことに限らず、地方の空洞化、過疎化は自らが招いている部分が大きいことに気が付けよ。最近では、何かイベントなり事件・事故なりが起きたら、若者たちに限らず誰でもすぐにインターネットを見る時代なんだよ、どうして情報発信にもっと積極的にならないのか、インターネットは都会のファッションや芸能ニュースや、音楽情報を受け取るだけに使うものではないんですよ、インターネットの情報発信に関しては都会も田舎も無いんだよ、そういう点では五分と五分なんだよ、田舎、地方は、自らがもっと情報の発信に目覚めろよ、もっと積極的にインターネットを活用しろよ、これほど安価で効果的、つまりコストパフォーマンス、費用対効果に優れたメディアは他に無いだろう。こんな状態で将来光化しても蜘蛛の巣が張るばかりだよ、といつものように発作が起きて憤るのだ。

 (後から、関係者に確認をとったところ、この駅伝は、阿蘇郡市陸上競技協会主催で、スタート、ゴールは毎年、阿蘇市と高森町とが交替で行っており、今年は阿蘇市スタートだったとのことである。)


平成21年11月21日(土)

 曇り。

 午前中、婆様の歯医者通いに付き合う、入れ歯を作り直しているようだ。

 昼過ぎ、じっちゃい、熊本での定期治療を終えて、宮崎に戻る途中、寄ってくれる
氏のハチウトから採集した蜜蝋を使って、娘さんが作ったというハンドクリーム(フェースクリームだったかな、後でフォローしてください)を持ってきてくれた。全部天然の植物油だけを使用しているから安全ですよ、と成分のキャリアオイルと精油に使ったオイルの名前が書かれたメモまで添えてあった。

 明日はどうも雨のようだから、昼から、日没ころまで今日も薪作りをする、娘も、何かやらせろというので細い枝をノコで切らせたが、一生懸命切った枝をまとめて、私も大いに薪作りに貢献したとばかりに満足げであった。そういえば、最近、娘、一人称に自分の名前を使わずに、時々「わたし」、「わたし」と言っている、多分学校で友達どうしで使っているのだろう、可笑しくてもからかわないことにしている。


平成21年11月20日(金)

 曇り。

 今日もほぼ一日薪作りをする、腰がいてえ、パンパンに張っている。

 昼、プールへ、@1,000m×1。70.8。


平成21年11月19日(木)

 晴れ。穏やかな一日だった。

 婆様、今日はキツイからデイサービスは休みたいというので、断りの電話を入れる。

 昼間のプール行きを挟んで、今日は午前、午後、薪作りに励む、腰が痛い。

 プール、@1,000m×1。70.4。

 昨日の日記に、市のホームページの初冠雪に関して書いたが、その初冠雪の記事が今朝の熊日に載っていた、初冠雪の説明、市のホームページとちょっと違うぞ、まあ、初冠雪観測なんていい加減なものなんだ。と思って、夕方、改めて、市のホームページを見てみたら、初冠雪の説明が昨日載ったものといつの間にか変わっていた、小生のようなウルサイ市民が指摘をしたか、あるいは今朝の新聞を読んで、市のホームページ担当者が訂正したのか。こそこそ差し替えたのでなければ、変更の経緯をちゃんと掲載したほうが良いですよ。(当初のページ)、(差し替え後のページ

そういった折も折、NHKニュースで、
「気象庁は、全国のアメダスの観測点のうち、74か所を経費削減などのため20日までに廃止することになりました。専門家からは「気象観測の重要性が高まるなかで時代に逆行する」と指摘する声も出ています。

気象庁によりますと、廃止が決まったのは、全国1300か所余りのアメダスの観測点のうち、山岳地域に設置されている74か所で、このうち44か所は今月2日に、残りの30か所も20日で廃止されます。多くは30年以上にわたって雨量を観測していた地点で、昭和57年に一日の雨量として国内最多の844ミリを記録した奈良県の「大台ヶ原」や、ことし7月の豪雨で1時間に100ミリ余りの猛烈な雨を観測した福岡県の「篠栗町」などが含まれています。廃止の理由について、気象庁は74か所の維持管理に年間700万円余りの費用がかかることや、気象レーダーなど、ほかの観測データが充実してきたことなどをあげています。気象庁の櫻井邦雄長官は、19日の記者会見で「限られた予算の中で最適な観測網を考えた見直しであり、防災上、大きな問題はない」と述べました。一方、気象庁の「異常気象分析検討会」の会長で東京大学の木本昌秀教授は「アメダスは長年、雨量を直接観測し、貴重なデータを提供している。地球温暖化などで気象観測の重要性が高まるなかで、観測点の廃止は時代に逆行する行為だ」と指摘しています。」以上

(気象庁のホームページを探したけど、このことの説明は見つけることが出来なかった)


平成21年11月18日(水)

 晴れ。今朝は僅かだが氷点下になった模様、久しぶりの阿蘇の山々、頂上付近が白くなっていた(写真1写真2写真3写真4写真5)、九重連山も白くなっていた、これは昨日垣間見たときは確か白くなっていなかったと思うので、昨夜のうちに降ったのだろう。

 昨夜は、「はるのーと」によると、しし座流星群極大とのことだったので、深夜と明け方、外に出て空を見上げてみたが、残念ながら雲がかかっていて星が見えなかった。

 ところで、しし座流星群を獅子座流星群とはどこのサイトを見ても書いていない、しし座は獅子座だろうに、どうして獅子座と書かないのか、当用漢字だか常用漢字だかの制限にかかるからか、日本よ、もっと堂々と漢字を使えよ、日本は表意文字の国だから、表音文字ばかり使っているとどこかの国みたいに苦労するぞ。昔の新聞などは、難しい漢字でもどんどんルビをふって使って、それで、母親の世代の子供たちは字を覚えたということだ、当時は活版でそれをやっていたのだからスゴイ、現在の技術だったら簡単だろうに。

 高祖父・五郎次及び登母祖用水路の資料収集のために「風の便り」に新たに項目を設けることにして、本日、最初の一ページを記す。

 最近、外が寒くて屋内が暖かいので、カメムシのやろうがやたらと家の中を飛び回り、捕まえては(これも上手く捕まえないと臭くてたまらないが)、火刑に処しているが、うっかりどこかで潰れたのか、家のそこここでクサイ臭いが立ち込めていて閉口している。

 午を挟んでプールへ、@1,000m×1。70.3。

 市のホームページで、今日の雪が初冠雪だと言っている、11月3日の雪は何だったのだろうか、下から見てもちゃんと積っていたぞ、更に、阿蘇山測候所が廃止されて阿蘇山での初冠雪は観測できなくなったと新聞に載っていたが、そのことと今日の発表はどう整合性をとるのだろうか。


平成21年11月17日(火)

 昨夜からかなりまとまった雨が降った。寒々とした一日で、昨日の予報では、もしかしたら阿蘇地方は雪になるかもしれないとのことであったが、雪にはならなかった。山も終日雲に隠れていたが、夕方近く、束の間の雲の切れ目、やはり山にも雪は見えなかった

 子供たち、久しぶりに、今日から全員そろって登校できることになったが、少し雨風が強かったので、それぞれの家で車で送って行った。

 昼前、久しぶりにプールへ、@1,000m×1。70.4。

 夕方、娘を新型インフルエンザのワクチン接種のため古閑医院に連れてゆく。今日、娘が学校でそのことを話したようで、娘の話だから全くあてにはならないが、基礎疾患持ちのワクチン接種はどうやらうちの娘が全校で第一号らしい。接種費用は公的補助あるそうで、非常に低料金だった。接種後に接種証明書を出してくれた。今回のワクチンは(財)阪大微生物病研究会(ビケン)製造だと書いてある、ここ熊本には、(財)化学及血清療法研究所(化血研)があって、同じようにワクチンを作っている、ともかく国産ワクチンだった。これでひと安心である。慢性健康優良爺にはいつになったら打ってもらえるのだろう。


平成21年11月16日(月)

 晴れ、少し冷え込む。
 
 インフルエンザ休校が終わって、久々の登校班、しかし四年坊主A唯君一人インフルエンザで休み、彼を除いて揃ったところで、まだ罹っていないの手を挙げろと言ったら、三年生のK太郎君と一年生のS龍君の二人が手を挙げた。

 子供たちに付き合って、休んでいいた(休まされていた)カミさんも婆様も、それぞれ職場、デイケアに出掛けて行った。

 もう二週間以上も前に村の誰かが置いて行った野菜の苗、誰からだろうと思っている間に忙しさに問いまぎれて、水は遣ってはいたがポットのままで放置したままだった。それを今日畝を作ってマルチを張って10株余り定植する。夜になって、多分そうだろうと、村の野菜作り名人のS子さんに電話をして確かめたところ、正解だった。野菜はキャベツだそうだ。

 小生が、新潟に行っている間に、古閑医院から、娘の新型インフルエンザの接種について電話が入ったが、もう罹ったのでキャンセルしたとカミさんが話していたが、今日、再度電話があって、今回罹ったインフルエンザは、多分、新型だと思うが、簡易検査なので、絶対そうだとは言いきれない、万一のことを考えて、打っておいた方が良いですよと、ご親切に連絡を頂いたので、改めてお願いをしておいた。インフルエンザが日本に入ってきた当初は、PCR検査だったか、遺伝子レベルの検査をしていたが、全国的に流行り出してからはもう精密な検査はしておらず、簡易検査で、多分新型だろうということで、タミフルなどの投与を受けているのだ。娘が治ったとたんに、なんだか自分たちももう罹らないという錯覚を起こしてちょっと緊張感が薄れている、これから大変な時期を迎えるというのに。

 事故とは直接関係が無いが、国を挙げて反日教育をする国に、いくら旅行費用が安いからと言ってどうして行くのだろうか、今回の火災事故のニュースを見ならがら思った、小生はたとえ招待されたって行きたくはないのに。

平成21年11月15日(日)

 前夜は、長岡駅前のホテルに投宿、葬斎場に忘れ物を取りに戻って、朝8時過ぎの上越新幹線で、東京へ。新潟は昨日から余り天気が良くない、三国峠を越えて(トンネルを通過しての意)太平洋側に出たとたん、抜けるような空の青、典型的な西高東低型の冬空かと思って、東京に着いてから聞いてみたら、そうでもなくて、今日が久々の良い天気になっただけだそうで、ここのところあまり天気は良くなかったそうだ。

 10時過ぎに、東京着、その足で、西東京市保谷のM藤肇の家を急襲する。マスクをした男が突然庭先に現れたので奥さんちょっと顔が引きつっていた。久しぶりに見るやっこさん少し太っていた。最近、リタイア後の仕事も辞めて家にいるそうだが、知らず知らずのうちに動いて歩いて運動になっていたのが、動かなくなってどうも運動不足だと言っていた。

 30分もいなかっただろう、そこから東京駅に戻って、東海道線で茅ヶ崎へ、電車内で駅で買ったサンドイッチを急いで頬張る、この電車、何十年と朝晩通勤で乗っていた電車だ。この電車、昔はボックス席で車内での飲み食いも、旅行気分がでて平気だったが、いつの間にかベンチ式シートになって、車内での飲み食いがし難くなった。それでも、現役時代、家に着くまでの間に晩酌を済まそうというのだろう、混み合ったベンチシートでつまみを片手に缶ビールを器用に飲んでいたお父さんたちが結構いたのを思い出した。

 ついでに、東京メトロ。いつの間にか、営団地下鉄が東京メトロに変わっていた。営団とはお役所で、だから民営化されて東京メトロになったのだろうか、それにしても変な名前だ、どうしてメトロなんだ。驚いたのは、丸ノ内線(他の線は知らない)、ワンマン運転だと車内放送していた、本当かと思って下りてから、出ていく地下鉄を見送ったところ確かに車掌が居なかった。国労がハバを利かせていたころの時代からは想像もできないシーンだ。あんなに沢山の人を運ぶ地下鉄がワンマンだとは。だから、ホームから人が落ちないように車両の出入り口付近だけ開閉する垣根がホームに出来ていたのか。

 寺さんが新車プリウスで迎えに出てくれていた、運転席のディスプレーで、今、電気で動いているかエンジンで動いているかが分かるようになっていた、寺さんのお宅でこれも30分くらいか、気が付いたら、もう羽田からのフライトの時間まで1時間半を切っている。シマッタ!!!!これは絶対に間に合わないだろう、とあきらめたが、とにかく行くだけ行ってみよう。

 これからが、奇跡と言うか、僥倖の連続。まず、茅ヶ崎駅に駆けつけると、既に東海道線の電車がホームに入っていて発車寸前、あわててそれに飛び乗って、横浜まで。横浜駅で京浜急行のホームに駆け上ると、そこでも丁度普通でなくて準急の発車ベルが鳴っている。飛び乗って、京浜蒲田駅へ、空港方面のホームに行くと、またまた、扉が閉まりかけの電車、まるで安物のドラマのような筋立て。

 しかし、それだけの綱渡りをしても絶対に間に合わない。京浜急行は空港のターミナルビルの地下に着くが、そこから、出発ロビーまでがまたやたらと遠い、長いエスカレータのいくつかを息を切らせながら走って駆け上り、ようやく出発ロビーがあるフロアにたどり着いたところ、なんと、そこから格安航空路線のカウンターは、見渡す限りの遠くの一番奥も奥、はるか数百メートル先である。ここで死んでなるものかと、目も半ば霞みながら大勢の人を掻き分けて走って、走って、ようやく搭乗手続きをするカウンターに辿り着いたが、既に時は離陸の5分前。

 さすがにもう駄目だろうと思って、駄目ですかアアアアアと縋るような気持ちでカウンターのお姉さんに聞いたら、冷やかに、もう過ぎていますが、ちょっとお待ちくださいと奥の方で何やら相談の結果、じゃあ、とにかく急いでくださいとチケットを出してくれた。

 ところが、小生の苦行はそこでは終わらない、まだまだ続く、そこからセキュリティチェックゲートがまた離れていて、そこもようやく通過したら、こういった格安路線の会社(SNAである)の搭乗口は、カウンターと同じように冷遇されていてまた一番はずれにある、もう体力の限界を超えていたが、金属探知機除けに外したベルトを着け直す間もなく、見つかって逃げる間男のように小脇に抱えて、みっともない格好でとにかく走って、ようやく搭乗口まで倒れこむようにして辿り着いた、小生のせいで出発の時間が遅れ、乗客の白い目が集中するなか、機内に入らなければならないかと思ったら、そこでまた最後の奇跡が起こっていた。

 この便の到着が20分ほど遅れて、その分折り返しの出発時間が20分遅れていて、ちょうど、妊婦など優先者の搭乗が始まったところに息も絶え絶えに、ゴールインしたのだ。まるで、水をかぶったように体中から汗が滝のように流れ落ちて、周囲に変な眼で見られる始末。遅れているからなんとか大丈夫ですよ、とカウンターお姉さん一言、言ってくれれば良かったのに、と恨めしく思った。

 かくして一泊二日のなんだか走ってばかりの旅が終わって、無事我が家にたどり着けた。乗り継ぎ電車が一本でも、乗り遅れたら、そして、定刻どおりに飛行機が飛んでいれば、今夜は家に帰られなかったかもしれない。何キロ走ったろう、前期高齢者にはなんとも過酷な旅だった、ああ、小生の旅はなんでいつもこうなんだ、もっとゆったりとした旅をしたい・・・・・


 帰ってからルートをトレースしてみた、日本の鉄道ダイヤの正確さに助けられた、そしてそれ以上の「運」に助けられた。
11/14(土)
ANA 526便  熊本13:05 〜 伊丹14:05
JAC 02247便 伊丹15:55 〜 新潟17:00
ときMAX344号 新潟18:13 〜 長岡18:36 上越新幹線

11/15(日)
とき308号 長岡08:07 〜 東京10:04 上越新幹線

丸ノ内線・西武池袋線 東京〜保谷〜東京

東京13:03〜茅ヶ崎13:59  東海道線下り

茅ヶ崎14:51〜横浜15:17  東海道線上り
横浜 15:20〜京浜蒲田15:30 京浜急行
京浜蒲田15:31〜羽田空港15:41 京浜急行

SNA 017便 羽田15:55(実際は16:15) 〜 熊本17:45(18:00)


平成21年11月14日(土)

 jf1jtqから絵葉書が届いた、えっ?5月のシルクロードの旅の絵葉書が今頃届いたのか?と思ったら、またまたあちらの方に行ったようだ。でもこの絵葉書、読んでみると、差し出したのは一か月も前だ、結局、あのあたりの郵便事情、シルクロードは遠いということなのだ。(写真1写真2

 午前中、従姉のF川弘子姉から新潟県長岡市の従兄の訃報が飛び込んできた。Y田一雄兄、親等的には小生の従兄にあたるが、小生より二十年以上年長で、小生というよりは、婆様とのつながりが深い。婆様より三歳程度年少になるが、共に多感な青春時代を同じ地で過ごしている。遠隔地であり、婆様の介護もあるので、葬儀参列は失礼すると一旦決めたが、カミさんが留守は大丈夫だからと言うので、じゃあ、婆様の代参ということで急きょ参列することにした。ただ、この日は、ちょうど婆様の歯の治療の介添えで出掛けなければならず、時間が無いので、カミさんにネットで航空券を探してもらった。しかし、羽田行きの便に空席が無く、どうしたものかと、思案してたところ、カミさんが、大阪伊丹空港まで飛んで、そこから新潟空港までの便があるけど、と歯医者に電話してきた。カミさんはこういう飛行機がらみのことが好きなので俄然張り切る。他にルートが無いなら割高だけど取ってくれと頼んで、婆様の歯の治療が終わって帰ってきたら、もうフライトまで1時間を切っている。取るものもとりあえず、空港まで車をブッ飛ばして、ANA便にギリギリで搭乗することが出来た。

伊丹空港、初めてである。羽田に比べたら小さいが、熊本の地方空港から比べたらドデカイ空港だ。ターミナルビルも、二つに分かれていて、羽田のように、ANAとJALが住み分けている。ここから新潟までは、プロペラ機だった、同じJALでもこの便の会社はJACだったかな、エアコミューターと言うらしい。一度乗ってみたかった。ジェットに比べてプロペラ機の方が安全と聞く。ジェット機はエンジンが止まると落ちるが、プロペラ機はエンジンが止まっても、滑空できるらしい。しかしさすがにスピードは遅い、見ていて分かる、その代わり、高度が約半分くらいだろう、地上の地形などが良く分かって面白い。ちょうど仁徳天皇陵が良く見えて、京都琵琶湖を斜め上から眺めながら新潟に向かった。

 ということで、新潟駅から新幹線で長岡まで約30分、夜7時からの通夜の10分前に滑り込んで、ギリギリ通夜法要に間に合うことができた。

 通夜には、横浜から、従姉のF川弘子姉、U田道子姉も顔を見せていた。それに、従兄のK子征二兄も居た、会うのは5〜60年ぶりだろうか。葬儀とは、このように普段会う機会が無い人間同士の会う機会を作ってくれるのだ。喪主のK知さんやご家族とももう随分と久しぶりである。

 弘子姉、道子姉は明日どうしても外せない用があるとのことで、通夜が終わると直ぐに帰って行ったが、征二兄と小生、お斎の席に加わって皆さんと個人を偲んで歓談(とは言わないか)した。

 葬儀と言えば宗派によって違いがあるかもしれないが、導師の法話がよくある。この法話、しみじみとして実にためになる話が多い、例えば、今回も、自分がこの世にあるのは両親が居たからで、その両親にもそれぞれ両親が居て、その両親の両親にも、と、たどっていくと30代くらい遡ると、延べ5億を超えることになる。もし仮に、そのどこかのたった一人でも欠けたら、今の自分はいないのだ、だから命は大切にしなさい。こういった話を小さなころから子供たちに日常的に聞かせていれば、今のような嘆かわしい世にならないで済むだろうにと思うが、こういった話は、何故か葬式の時にしかでない、だから葬式仏教と言われるのだろう、もっと常日頃子供たちがお寺さんに親しむ機会が増えると良いのにと思う。
写真1写真2写真3写真4写真5


平成21年11月13日(金)

 いつの間にか雨になっていた。

 午前中、T木義臣氏の訪問を受ける。小生が先祖の事跡をホームページ上で記録に残そうと計画していて、その中のひとつに、同窓会によって昭和49年に編された「坂梨校百年誌」という叢誌がある、この百年誌、改めて目を通して見ると、他に坂梨の歴史記録が少ない中にあって、単なる同窓会誌と言うには勿体ないほど坂梨の歴史が詰まった貴重な資料である。

 その資料を氏は総て独力でデジタルデータ化して持っておいでで、それをご提供いただけるというので、今日お持ちいただいたのだ。氏と小生とは先祖を通じて共通の歴史を持っていて色々な話題で話が尽きない。ほかにも阿蘇や坂梨に関してデジタルデータ化した資料をお持ちである。できるだけ多くの眼にふれた方が資料として意義があるというご意見で、もしかしたら著作権に触れる部分もあるかもしれないが、その時はその時、坂梨の記録や記憶がどんどん薄れて消えていっている今、公開する方に意味があると思われるので、出来る限り公開していきたいと思っている。

 午後から、I入桂子さんの訪問を受ける。こちらは、小生、阿蘇郷土史愛好会という会に参加して郷土の歴史を勉強というか、隅の方でひっそりと皆さんの発表を聞かせてもらっているが、気が付いたら年会報の編集作業チームに組み込まれていて、今日はいくつか集まったその原稿を持っておいでになったのだ。小生は編集などといった能力はゼロなので、手書き原稿をテキストファイルで打つお手伝いをすることでご勘弁ねがうことにした、いささかブラインドタッチで打てるので在宅でも少しは役に立てそうだからだ。

 そのほか、E鴨氏が一生懸命ホームページの勉強に励んでいて、そのサポートにはskypeが必須アイテムだから、まずそれが使えるようにと先日来伝えてあったので、昨日ようやくskypeが開通して、今日早速、FTP転送の仕組みを講義したが、いやいや喉が嗄れてしまった。


平成21年11月12日(木)

 曇り。今日もボンの散歩以外は外に出なかった。家族は全く外に出ずに一日中家に籠ってそれぞれの時間を過ごしていた。

 娘、咳がなかなか治まらないようだ。

 小生、貯め込んでいたDVD映画を三本続けて観た、そのなかの「クライマーズ・ハイ」、原作も良かったが、映画も良かった。


平成21年11月11日(水)

 昨夜から雨がかなり降っていたようだが、睡眠不足が続いていたので、ぐっすり寝込んで夢うつつに雨音を聞いていたような気がする。明け方に雷を聞いたような気もする。夜が明けて今日一日曇り空だったと思うが、朝の散歩以外は全く外に出なかったので記憶が薄い。

 今日は家族全員ほとんど終日ゴロゴロしてひそやかに過ごす。

 今回のインフルエンザは、我が家に限らず、新型だと皆信じているが、多分間違いないだろうが、簡易検査で、遺伝子レベルでの検査ではないので、もしかしたら違うかもしれないということがありうるかも。最初のうちは家じゅうで結構神経質にマスクをしていたが、なんとなく、罹らないのではと、ちょっと全員油断気味で、マスクをしなくなった、こういう時が危ないのだろうが。

 日記のネタが無いので、娘の今回の体温推移をグラフにしてみた

 これが、最近の熊本県の新型インフルエンザの発生状況であるが、実にそっけないデータである。年齢別散布などのデータくらい公表してほしいものである。自治体によっては、もっときめ細かい情報提供サービスをしているところもある。こんなもの自動処理でできるのだから簡単だろうに、ヤル気の問題だろう(そうか、データ入力は手作業ということか・・・・)。



平成21年11月10日(火)

 曇りのち、雨。あまり外の天気など気にする余裕が、というより、昨日今日とあまり屋外に注意を向けることもなかったので、気がつかなかったが、朝、ボンの散歩の時は曇っていたと思うが、いつの間にか雨になっていた、それも、けっこう長時間降り続いているようである。静かな雨のせいかもしれない、気がつかなかった。

 娘、昨日、家で自家用のネブライザーをかけたが、あまり長時間効果が続かなくて苦しい苦しいと訴えるので、夕方、母親が再度古閑医院に連れて行って、ネブライザーと座薬を入れてもらった、その甲斐あってか、夜になって少し熱が下がり始めた、ようやく回復の兆しが見え始めた。喘息の持病を抱えて高熱が続くと、インフルエンザ脳症などと、ついつい悪い想像ばかりしてしまい不安だったが、まあまあ良かった。

 今日一日、ベッドで本などを読んでいたが、体温が37.5℃あたりを行ったり来たりしていて、ずっと下がりきれない状態が続いていたが、夕方になってようやく37℃台を切ってきた。

 ところでこれだけ、インフルエンザが流行っているのに、子供の看病をする母親など家族が同時に発症するというシーンを周囲ではあまり見かけない。一度に家族全員が倒れたらその家の面倒はだれが見るのだろうと思うが、不思議とそういうことがない、兄弟間で感染しても、子供たちとまともに向き合うお母さん方はピンピンしている。タイムラグだろうかと思うがそうでもなさそうだ、やはり若年層が罹りやすいのだろうか、母親は強し、だろうか、加えて我が家ではお父さんも強しだが、油断禁物。

 それから、インフルエンザは無事に本復すれば、これからはもう怖いものなしだ、ウガイ?手洗い?そんなもんもう要らん!それに対して、罹っていない者は、まだまだ当分戦々恐々の期間が続くのだ。何事も無ければ早いモン勝ちということだが・・・・・


平成21年11月9日(月)

 晴れ。

 予定通り、十日間の滞在を終えて、義父母、朝、娘の病院行きなどでバタバタしていてゆっくり見送ることもできないなか、タクシーを呼んであたふたと発って行った、申し訳ないことをした。

 昨宵の口までずっと、37度前後だったので、もしかしたら、コイツ、このまま乗り切れるかもしれない、と思って、小生、早々と寝入ったところ、午前一時過ぎに、カミさんが起こしに来て、さっき測ったら39.9度あったという。それ以来、一時間おきに検温したところ、40度近くまで上がったり少し下がったり、それでも。昨夜は、心配していた喘息もです、本人の受け答えもしっかりしていて、夜中に病院を探して運び込むことも無くて済んだ。夜が明けるのを待って一番で古閑医院に連れていった。

 検査キットで調べてもらったが、まだ発症から12時間くらいしか経っていなかったせいか、陽性反応出ず。いろいろな状況からインフルエンザでしょうと、タミフルを出してもらう、ついでにネブライザーを掛けてもらって帰ってくる。

 今日は開院一番乗りだったが、娘を診ていただくときに、先生、まだ用意が整って無かったようで、マスクをしておいででない。先生、マスク、マスク、と小生が、ご注意申し上げると、ああ、そうですね、とさして慌てる風でも無い、そして「私はワクチン打っていますしね、それよりも、今回のインフルエンザ、50歳以上の人、発症していないんですよ」、と余裕の様子、それを聞いて、小生、なんだかほっとして肩の力が抜ける思いがした、絶対そうだとは言い切れないだろうが、是非ともそうであって欲しい。しかし、我が家でもし小生が倒れたら文字通り、我が家は機能マヒに陥る陥ので、今回も、タミフルの予防投与を受けた。

 娘、やはり喘息が出て、家でのネブライザーも直ぐに効果が無くなり、夕方、母親が古閑医院に連れて行って、ネブライザーと座薬を入れてもらった。夜になって少しその効果が出てきたかなという程度で、まだまだ高熱が続いている、今夜一晩で熱が引いてくれたらいいが。.

 今日は病院デーである。婆様が、歯が痛いからと言うので、簡単に済むだろうと、宇治歯科にほぼ飛び込みのように、連れて行ったところ、麻酔をかけたり、神経を抜いたりと大工事になってしまった。更に、一旦、帰ってから、大阿蘇病院に定期的い薬をもらいに連れていった、ついでに婆様の予防投与のタミフルも出してもらった。

 結局、インフルエンザ、坂梨校全体に広まって、とうとう今週いっぱい全校休校になってしまった、今まで頑張ってきたのに、無菌状態の所に一気に入ってきたような感がある。

 長くて、「超」多忙の一日だった、また今夜も半徹夜だ。


平成21年11月8日(日)

 晴れ。

 阿蘇世界文化遺産シンポジウムに参加する。阿蘇を地質・火山学的、考古学的、文学的などなど、その道の専門家のパネリストたちが阿蘇の魅力を多方面から掘り下げた興味深い発言・発表があり、非常に面白いシンポジウムだった

 阿蘇には中通りの古墳群のほかに、学術的にも貴重な遺跡がたくさんあること、漱石の「二百十日」と阿蘇一揆とが密接な関係にあるという話、有史以来千年続いている(そして地球的には一万年もの長きにわたる)人の手が入った阿蘇草原の重要性、そしてそれがもたらす「恵み」についての話など、なかなか興味が尽きなかった。会場では大勢の顔見知りにお会いした。パンフレット1パンフレット2

 次々と発熱情報が入ってくる、娘も、朝から少しコホンコホンと軽い咳をしはじめて、夕方になってヒューヒューが始まりつつある、午後6時現在、熱はまだないが、彼女はいつも休診日に発病する。今夜はどうやら忙しい夜になりそうだ。


平成21年11月7日(土)

 穏やかに夜が明ける、晴れ。霧が出る。子供たちの登校を見送って戻る時に、まだ霧が残る垣根のあたりからクチナシのような甘い匂いが漂ってくるので、ふと目をとめると、ヒイラギが白くて小さな花を沢山咲かせていて、そこからの匂いだった。毎年のことであろうが、今まで気がつかなかった、こんな時間にこの場所にいることは、登校を見送る今年からであり、またタイミング良くちょうど霧が出ていたのでそれに乗って匂いが流れてきたのだろう、気分のいい朝だった。

 今朝は、一人がインフルエンザ、その兄貴もついでに出席停止、従って、今日は四人で登校して行った(その中の二人もなんだか怪しそうである)。今日は、土曜日で休みのはずであるが、学習発表会とやらがあって登校日にあたっているのだ。

 小生、所用で小国にでかけたので、その学習発表会は母親と義父義母が行ってくれた。午後から、夕方近くまで体育館で各学年の発表会があったそうだが、全員、マスク着用が義務付けられて、持参しなかった者には学校から支給され、全員が薬剤で手を消毒したそうだ、考えたら随分と異様な光景であったろう。一年生は演劇様の発表だったらしい、娘は、病欠者が出たために急に一部配役が変わったそうだが、無事に演じ終えたそうだ、どうしても代役が利かない児童の分は先生が代わって演じたそうだから、大変な学習発表会だったようである。

 かくして、娘のクラスはとうとう四名(N君、M君、Aちゃん、Rちゃん)の発症が確認されて水曜日まで学級閉鎖になった、不思議と娘はまだ大丈夫だ、なんとか中旬予定のインフルエンザワクチン接種まで頑張ってほしい。これだけ蔓延しだすと、もうウガイだ手洗いだと言っても気休めだろう、衣服や持ち物にウイルスが付いてしまっているので、外出から戻るたびに衣服を全部改めて頭から全身を洗うなどできないからである、まあ、あとは運を天に任せるしかないだろう。こうなると、疑心暗鬼、なんだかこちらまで、頭が痛いような熱があるような気分になってしまう。N樹君はその後、大丈夫だろうか、兄貴や家族にうつっていないだろうか。

 セルは回るのにパジェロのエンジンがかからずに、連中、タクシーを呼んで出掛けて行ったが、小生が三時過ぎに戻って掛けたところ、一発でかかった。オートセンター石田さんに持ち込んで一晩様子を見てもらうことにして、代車を借りてきた。こういう場合、ホームドクター的存在の修理屋さんは有難い。

 今日の小国行きは、先方の都合で目的を達することが出来ずに改めて出直すことにした。小国には「両神社(りょうじんじゃ)」という古くて立派な社がある。「神の杉」という地酒があって、その昔、太邑が命名したそうだが、この神社の古い杉を貰い受けて酒樽を作って仕込んだ酒だからだと命名の由来を何かで読んだことがある、内牧にあったその大津酒造も先年店を畳んでしまって、今はもう無い。

 帰る途中、久しぶりに、南小国の押戸の石(おしとのいし)がある丘に寄ってみたが、数年前よりさらに荒れ果てていて普通の車ではとても行けそうにない、第一、地理に詳しくないと絶対に行けないような場所になってしまった。シュメール文字が刻まれた巨石群があり、風景が美しくて立派な観光資源だろうに、町として財政的に手が回らないのだろう、残念である。


平成21年11月6日(金)

 曇り、昼ころ少しパラつく。

 市の図書館に調べ物をしに行く、あまり郷土史の品揃えは多くない。

 今日は、義父が、チェンソーをやりたいというので、義父が薪作り、小生が、竹やぶ整理に回る。

 阿蘇は昔から、相撲が盛んなところで、小学校にも立派な土俵がある。その土俵が今回改修されたのを記念して(だと思ったが)、今九州場所に備えて、九州に来ている錣山部屋から親方はじめ力士が来て土俵開きなどをする催しが今日あった、小生は都合でいけなかったので詳しくは分からない。

  いきなり至近弾、とうとう我が登校班からインフルエンザが出てしまった、今朝、N樹君の姿が見えないので、どうしたの?と同じ班の3年生の兄貴に問うたところ、熱が出たけん休み、でもインフルエンザじゃないと思う、とのことだったが、後からインフルエンザだと判明して、兄貴も下校扱いになった、お母さんも出勤停止だそうである、N樹君のおばあちゃんが新潟に居ていつも登校シーンをライブカメラで眺めていて、今朝は一人足りないね、と思っていたら、N樹だったのか、と驚いておいでだったそうだ、お母さんにこのこと日記に書いて良いかとお尋ねしたら、イイですよ、とのことだったので、書いた。こういったことは事実は事実として冷静に受け止めて対処すればいいのだから、なにより正確な情報が第一である。娘情報によるとクラスのM君もだそうだが、これは確認は取れていない。さあ、娘、防御しきれるか・・・・・

 休止中の宿場通りのライブカメラ、場所の確保が困難になったために本日付で完全に廃止した。


平成21年11月5日(木)

 晴れ。少し雲があった。今朝は気温が緩む。緩む、というよりは、ここのところ続いた低温が今の時期にしては異常だったわけで、ようやくもとに戻ったと言うべきか。

 今日は薪の準備が出来た居なかったので慌てて薪作りをしたが、そういうわけで、あまり慌てなくてもいい気温に戻ったというわけだ。

 義父は、昨日の竹やぶの整理を今日も続いてやってくれた。そして竹やぶのシイタケを見つけて、今晩はレモン醤油だなと言って摘み取っていた。

 阿蘇郡神社総代連合会総会と神宮大麻の頒布式があり、午前中、阿蘇神社に出かける。拝殿で頒布にかかる神事が斎行された、いよいよ年末のご神札を配る季節がやってきた。

 婆様、今日も無事にデイケアを務めあげてきた。という言い方が相応しいほど必死で出掛けている。

 三日に降った雪、阿蘇山測候所が廃止されたことにより、測候所職員による「初冠雪」という判定が出来なくなったため、今年から阿蘇山の初冠雪記録は公式記録として無くなったそうである、へえ、そんなものか。

平成21年11月4日(水)

 晴れ。今朝は今季最低の気温を記録した、阿蘇乙姫 -1.9℃(06:53)、庭先の寒暖計もしっかり氷点下を示していた。 薄氷が張り、車のウインドウはガチガチ、集合した登校班も今朝は寒そうだった。カミさんのオヤジさんが氷が張って珍しいと手に持って登校班の子供たちの所に持ってきたが、そんなもの珍しくもないと鼻で笑われていた。田畑も真っ白に霜が降りて、そのなかを子供たちは元気に登校していった。日中は穏やかで気持ちのいい日だった。

 今日は、カミさんのオヤジさんが、一日中、中断していた裏の竹藪の整理をしてくれた。

 昨年、20年4月5日に打ったシイタケ菌、この秋になって採れだした。シイタケ菌を打って、二夏を過ぎた秋から採れだすのだが、確かに計算は合っている。


平成21年11月3日(火) 文化の日(明治節)

 晴れ。朝は少し冷え込んだが気持ちの良い朝だった、そして日中も10℃を少し超えたくらいのあまり高い気温ではなかったが、それでも風が無くて暖かな小春日和の休日になった。今日は日本列島、軒並み今シーズン最低の気温を記録して震えあがったようだ。

 昨日の小生のカンでは、山は雪にはならないだろうと踏んでいたが、ほんのわずかながら、高岳頂上付近がうっすらと白くなっていたように見受けられた。地方紙がネット配信でニュースを流しているが、記事になっているかと思ったが、すでに新聞に載っている記事の二番煎じばかりだ、祭日でネット担当者が休みとでもいうのか、新聞発行と次の新聞発行の間のブランクを埋めるのも新聞のネット配信の重要な役目だろう、地域密着が地方紙の存在意義だろうに。早晩、新聞不要の時代がやってくるだろう。夕方のテレビのニュースで、今日の阿蘇山の雪は初雪だったそうだ、初雪が初冠雪になったということか。(写真1写真2

 一日に予定していた七五三の宮参り、天気が悪かったので今日に延ばしたが大正解だった。娘、なんだか朝早くから母親と美容室にでかけて、髪を結ってもらって着物を着せてもらって化粧をして戻ってきた。小生は日本の伝統文化、行事は非常に大事にするほうだが、七五三に関してだけは、小生の子供の頃は戦後の混乱期で、そういった行事などはしなかったせいか、しかも一生で二三度しか経験しない行事だからか、更には、小生が七五三の子の親としては歳を食い過ぎているからか(案外それが一番の原因かもしれない)、不思議と七五三にはあまり関心が無い、対してカミさんは(そしてカミさん一族も)とにかく七五三への思い入れは強い。

 ようやく出掛ける準備が整ったので、我が婆様も車イス持参で阿蘇神社にお祓いを受けに出掛けた。今の時期の休日は、七五三のお参りで、阿蘇神社も何組ものオメカシした子供と両親と、付添のじいちゃんばちゃんたちで賑わっていた。拝殿でお祓いを受け、各家族ごとに玉串奉奠をしたが、娘が三歳の時に、拝殿でお祓いを受けたのは記憶にあるが、玉串奉奠をしたかどうか記憶にない。今日は一緒にお祓いを受けていた三歳の女の子が神官の重々しい祝詞奏上に怯えていたが、娘にもそんな頃があったなあとほほ笑ましく思えた。確か、昔風の言い方だと、七歳の時の儀式を「帯解き」と言ったかな、こういった伝統行事は数え歳でやるのが本来の形なのだろうか、かくして、我が家の一大イベントは滞りなく無事終了した、各々方、いやあ、お疲れでござった。(写真1写真2



平成21年11月2日(月)

 急に寒くなった、気温はそんなに低くはなかったのだろうがとにかく北風が強かった、体が慣れていないので震えあがる。慌てて薪の在庫状況をチェックした。乾燥した薪材は十分にあるが、まだあまり切っていなかった、暖かい日が続いていたので油断していた。今晩あたりもしかしたら山には雪が降るかもしれないそうだが、小生の感では、そこまではいかないだろう。

 婆様、久しぶりのデーケア、二か月ぶりか、ちょうど入院が始まる直前の8月の終わりころに行って以来だ。退院後も、もうデイケアに行く体力が無いと言って寝てばかりいるから、そんなことをしていたらまともな体でも駄目になるからと、嫌がる婆様の尻を叩くようにして行かせた。普段、キツイキツイと言って寝てばかりいるが、病院などに行った場合、半日以上かけて帰ってきても、かえってシャンとしているので、多分、大丈夫だろうと判断したのだ。もし、途中でキツかったら、遠慮なくギブアップしろよ、迎えに行くから、と言ってあったが、ほぼフルコースこなして無事に帰ってきた、まあ、そんなものだろう。

 今日は月曜だが、娘の学校は休みだそうだ、どうして休みなんだ?、振り替え休日!、何の振り替え休日?、学習発表会の!、それって何時やったの?、まだ、今度の土曜日!。えっ?振り替えは、何かをやった後に、疲れ休みの意味であるんじゃないの?そんなこと知らない! インフルエンザの流行を少しでも抑えようと、どこか、この町ではない遠くの学校で、飛び石連休の間の今日を休みにするようなことをニュースで言っていたが、そういう意味なのだろうか、振替休日は本来、労働時間の帳尻合わせのためにあるようなものだから、ちょっと違和感を覚える。聖職者である前に労働者だというやつではないだろうが。

 その振り替え休日を利用して一泊二日でおじいちゃんおばあちゃんと鹿児島方面に遊びに行っていた娘、目いっぱい遊んで日が落ちてから帰ってきた、疲れ休みでなくて、疲れるための休みにならなければいいが。

SL人吉&鹿児島連続写真(10枚)

 夕方近く、JR6IESがローテータの中古を誰かから貰ったからと言って届けてくれた。クリエート・デザインのRC5、見たところ、まだ真新しい中古である、少々大きなアンテナが回せそうだ。

 Windows 7、Vistaで苦労している人はインストールしたほうが良いらしいが、XPのユーザーは、完全にクリーンインストールをしなければならないようだし、その前にバックアップの手間がかかるので、そうまでしてやるメリットはないそうだ、あくまでもOSなんだし、それで動かなくなるアプリケーションが沢山あるそうだから、小生には関係がなさそうだ。つまるところ、Vistaのアップデート用のソフトなのだろう。


平成21年11月1日(日)

 雨、午前中から、昼過ぎにかけてしばらくまとまった雨になる、この二日ほど、不安定な天気が続くらしい。

 昨夜、カミさんの両親が鹿児島に行ったこと無いということから、急きょ、じゃあ、明日、一泊どまりで行ってくれば、ということになり、両親とカミさんと娘が、今朝慌ただしく宮地駅を発っていった。以前、阿蘇路を走っていたSLが今は熊本〜人吉間を走っているので、どうせならそれに乗れば?と宮地駅で切符を買う際に、多分いっぱいで駄目だろうと思ったが、端末を叩いて調べてもらったところ、席が5人分だけ余っていて、そのうちの4人分が一緒の座席であるという運の良さで、人吉経由で鹿児島に向かっていった。

 カミさんは仕事があるから、日帰りだけど、おまえはどうする?と娘に問うたところ、おじいちゃんたちと旅館に泊るというので、大丈夫か?と覚悟の程を確かめたが、ヘイキヘイキだと言て出掛けて行ったが、大丈夫だったようで、カミさんだけ帰ってくると連絡が入ったが午前様だろう、列車はあるのだろうか。今まで、婆様だけが居ない夜、というのは数え切れないほどある、カミさんだけ不在の夜も何度かある、ハテ、娘だけが居ない夜というは、あっただろうか、多分、今回が初めてだろう。いや、あった、保育園時代にお泊まり保育というのがあったことを思い出した、それ以来だろう。

 最近NHKでビデオオンデマンドというサービスがある。見落とした番組などをインターネットでリクエストして観ることができるというシステムらしいが、有料である。一方で、こんなの無料で流していいのか、というサイトもあり、テレビドラマなどがどんどん好きなだけ見られる。これは、著作権なんかに引っかからないのだろうか、堂々とやっている。新聞の番組表などで、時々、見てみたいドラマなどがあるが、朝のうちに、今晩見ようかと思っても、テレビに執着が無いので、ほとんどの場合忘れてしまって見忘れる、後で思い出して、ちょっと残念だなあと思う時があるが、そんなときに、この無料オンデマンド、有難い。今日は雨で、加えてうるさい連中が居ないので、ドラマを少し観た、便利な世の中になったものだ。



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