平成21己丑(2009)年12月の記録(新しい日付けの順)
平成21年12月31日(木)
冷たい風が吹き、時々雪が舞う非常に寒い一日だった。
家族が寝静まった後、ようやく今年の最後の家事を終えて、独りで静かに年越し蕎麦を手繰ってからPCの前に座り、コーヒー片手にテレビのスイッチを入れる、もうゆく年くる年が始まっていてあと数分もすれば年が改まる。今年は、(今年もだが)、心静かに蕎麦を打つ余裕など無く、已む無く十年近くぶりに饂飩のような蕎麦でも食うかと、諦めていたら、夕方、師匠が蕎麦を打ったよと連絡をくれたので、有難く頂戴に伺った。娘も今晩はゼッタイに12時まで起きている、そして蕎麦を食べると張りきっていたが、10時過ぎにはあえなく沈没。婆様は体力的に晩飯を食うのが精いっぱいで、食事の後すぐに床に就く。結局、年越し蕎麦は小生だけになった、久しぶりに「蕎麦」を食った。
いやあ、今日も目が回るほど忙しかった、娘も彼女なりに一生懸命に手伝ってくれた。元旦には、朝一番で村の賀詞交歓会があって、その後で、馬場八幡の元旦祭がある。その間隙を縫って、家族で元旦の祝い膳を囲まなくてはならないから、今日中にある程度の準備をしておかなければ間に合わない。カミさんが保存の利くお節料理のいくつかを頼んでいてくれたので、今日は娘とそれ以外の生ものの買い出しに出かけた。雑煮の準備は先ほど済ませた。あと、時間があったので、蕪の千枚漬け風のものを作っておいた。
昨年の今頃は婆様の骨折入院騒ぎがあり、今年は今年で今度はカミさんの入院、また年末年始はドタバタである。しみじみ一年を振り返る余裕など無かったが、自分自身では総じて良い年であったのではないだろうか、贅沢を言うと罰が当たるというやつだ。
カミさんは言うなれば冬山の単独登頂に挑戦中と言ったところか、極めて悪天候のなか、行く手随所に大雪崩の危険を孕み、今ころはそれを回避すべく三合目でビバーク中と言った按配だろうか。こればかりは自然が相手なのでどうにもならない。天候の回復を祈るばかりである。
平成21年12月30日(水)
ほぼ一日中冷たくて細かな雨が降っていた。
馬場八幡宮の大祓祭・除夜祭が斎行される。各総代さん午前十時に神社に集合して、新しい注連縄の交換や境内の清掃をして、午後二時過ぎから祭祀が斎行された、本年最後の神事である。そして、すぐ、元旦には元旦祭が斎行される。
今日も結局何もできなかった、明日一日で形ばかりの大掃除でもやって、雑煮の具の準備くらいはするか。
平成21年12月29日(火)
昨夜の予報では、今朝の最低気温は氷点下8℃となっていて、へえ、明日はそうかあ?と訝っていていたが、やはり氷点を少し下った程度の朝だった。生活実感からそんなに下がらないだろうと、こちらは予報でなくて、予感だったが、それが中ることもある。だから昨夜は慎重なストーブ管理もしなかった。
ようやく年賀状作成が終わって、午前中、娘と一緒に投函する。年の途中にPCをぶっ飛ばして年賀状の管理データが消えてしまったので、一部の方に失礼をすることになるかもしれない。
郵便局帰りに、S藤タイヤに寄って、軽トラックのスタッドレスタイヤ交換をしてもらった。最近はいつも荷台にタイヤを積んでいて、店の前を通る時に、もし空いていれば、頼もうかと思っていながら、いつも車が入っているので、延び延びになってしまっていた。
今日も、しめ縄を玄関先に飾って、少し片づけものをしただけで、一日が終わってしまった。後二日、明日は馬場八幡の大祓の神事があるので、実質残すところ、大晦日だけか、まあ、何もしなくても、新しい年はやってくる、で行くしかないか。
平成21年12月28日(月)
朝起きると、デッキの端っこが少し濡れている、雨が降ったんだと思って、山を見渡すと、薄っすらだが、麓まで白くなっていた、山では雪、里では雨だったのだろうか。
婆様、今年最後のデイケアに出掛けてゆく。
正月は何も準備をしないと言ってもやはり少しはする、我が家定番の松前漬けを作る。昔は婆様が作っていたが、婆様が台所仕事を引退してから、カミさんの食文化には無いようなので、小生が作っている。今年は娘に手伝わせた。一人工だといって乗せて、どんどん手伝わせている、本人もその気になって張りきって手伝う。
今日は二人で正月用品を少し買い出しに出た他は、年賀状作りに励んだ。例年、小生は、年賀状作りをやっつけ仕事という風に日記に書いているが、いくら機械頼みとはいえ、やはり心を込めて書かなければ(作らなければ)という気持ちで作業をした、ホント。
今晩は、ポトフにした、これはスンナリ決まった。
人間、ふとしたことで魔が差すことがある。
平成21年12月27日(日)
晴れ。今朝の気温、前もって予報を見ていなかったので驚いた、結構低かった。
阿蘇乙姫 -5.6℃(07:10)、阿蘇山が-0.9℃(02:59)だったので、完全に放射冷却だ。そのうえ、黄砂まで飛来したらしい。
昨夜の婆様の不調、昨夜のうちに常態に復し、一体何だったのだろう。とにかく、そういうことなので、婆様に留守を託し、娘を連れてカミさんに洗濯物などを届ける。今日は休日なので道路がすいていて、一時間ちょっとで到着した。そして、昼飯を食って、予てより約束のアイススケートに行くため、病院滞在を短めに切り上げて帰路についた。
リンクは、菊陽町にあって、夏はプールで、冬場はアイススケートリンクとして使っているのだと想像する、なぜなら、リンクの上の方に、ウォータースライダーの施設の一部が残っているからである。
娘は初めて、小生は約半世紀ぶり、昔は自前のスピード用のエッジの長い靴も持っていて、まあまあ滑っていたので、多分大丈夫だろうと思ったが、ほとんど忘れていた。一旦滑りだすと、蹴りや体重移動などは結構スムースに出来るが止まる時にどうして止まったか忘れていて、何度か止まるときにすってんころりと転んだ。昔は転ぶ時は、氷の面に斜め方向に転ぶので、あまり痛いと言う経験をした覚えはあまりないが、今日は、完全に体が氷の面に平行に浮き上がってそのまま垂直に叩きつけられること二度ほど、その痛いこと、一時軽い脳しんとうを起こすほどであった。骨粗鬆症の人であれば確実に骨折していたほどの衝撃だった。やはり歳を考えなければならないとしみじみ思った。
娘は最初は完全に手摺磨き状態だったが、小一時間後には、なんとか手摺から手を離して回ることが出来るようになっていた。さすが若いということは順応性があるということなのだ。小生、出来ればもう勘弁願いたいところだが、また付き合わされそうである。(写真1・写真2)
平成21年12月26日(土)
曇り(だったと思うが・・・)。
昼前、婆様を昨日抜歯をしたあとの消毒のために歯科に連れてゆく。婆様は脳梗塞の病歴があるのでずっと血液サラサラ薬を飲んでいるので、ちょっと抜歯の後、血が止まるのに時間がかかったが、麻酔が切れた後も痛みも無く順調に経過している。が、が、が、が、夕方になって、ちょっとキツイというので、熱を測ったところ、午後6時頃、37℃あった、これから更に熱が上がるのかどうか、どうして、こう、いつもタイミング悪く調子を崩すのか。救急車を呼ぶような段階でもなし、一晩様子をみて、明日、休日診療医の所に連れて行くことになるだろう。幸い、明日の当番医は総合病院なのでその点は安心できそうだ。風邪だろうか、インフルエンザだろうか、ワクチンを打っているのでどの程度効果があるだろうか。
また娘を母親の所に連れていってやれそうもない、まあ、事情が事情だから娘も納得しているようだが。
母親役、主婦役、亭主役(これは当たり前か)、ケアマネ役、いきものがかり、一人で何役?席の温まるヒマ無しである、今日も年賀状に手が付けられなかった。
平成21年12月25日(金)
曇り、昼ころから弱い雨になる。
午前中、婆様の歯科通院付添。
一昨日の「いきものがかり」、じっちゃいが意味を教えてくれた。小学校の「生き物の係」、つまり飼育当番のことらしい、音からだけでは、予備知識が無いと絶対に分からない言葉である。小生の生まれ育ってきた歴史にはそんな言葉は無かった、「がかり」は「神憑り」といった類の言葉かと思っていた、まさか生き物の係だったとは。どうして飼育係では駄目なのか、木に竹を接いだようで、どうもしっくり来ない言葉だが、今はどこでも、このような日本語を使うのだろうか。
我が娘の小学校は「飼育当番」である、今日から冬休みが始まったが、早速、その飼育当番で10時に野菜の切れっ端を持って出掛けて行った。飼育当番は、登校班ごとに組まれていて、出掛ける時も帰って来る時も一緒に、という配慮だろう。
今朝、娘が寝ているあいだに、二階のベランダのちょうど煙突が通っている際の小窓のところに、クリスマスプレゼントぶら下げておいた。そして、娘が起きて、ちょっと気がつかないようなので、どうもカメムシが飛んでいるなあ、上の方を見まわしていると、娘もつられて、上を見て、アッ!あれ何ね?と窓の外の物を指さす。さあ、何だろう、行ってみようかねと言って二人で二階のベランダに出てみると、クリスマスプレゼントがぶら下がっている。ヤッパリ来たんだねえ、と感に堪えないような声、ちゃんと足跡までついとるよ。よく見ると、小生が、袋を取り付けるときに濡れた床に付けた足跡だった。そこまでは計算していなかったが、効果満点であった。でも、後になって、お父さん、気がつかせるためにカメムシが、なんて言ったんじゃないとね、と怪しんでいる。案外、知っていて、親をガッカリさせないように知らない振りをしているのかもしれない(昨日同様、この日記を読んだ、娘の友達の保護者の方、内幕をお子さんの耳には入れないようにお願いしますよ)。
娘が欲しがっていたものは、実物大の猫の縫いぐるみである。この猫の縫いぐるみは、センサーが内蔵されていて、撫でたり手を振ったりすると泣いたり首を振ったり寝転がったりする仕掛けになっているもので、娘が猫アレルギーで、実際に猫に触れないので、テレビか何かでその存在を知って母親にねだっていたものである。だから、不在の穴埋めの意味もあり母親が買ってやって、それをサンタさんに託したという筋書きにしたのである。千葉のおじいちゃんおばあちゃんからもプレゼントが届いていたので、一緒にベランダに置いていおいた。
スーパーの陳列台が一斉におせち料理などの正月モードに変わってきている、もう、数日しかないが、全く何もしていない、まあ、改めてすることもないので、ノンビリとやることにする。
で、これで今日は終わりかと思っていたところ、婆様が、夕方になって、今日治療が終わった歯が痛くて物が噛めないという。已む無く、歯科に電話をして、飛び込みで駆け込む。今回の治療で、なんとかうまく収めたかったが、やはり、抜かないと駄目だなあと言う先生の判断で、急遽抜歯をした。
なんだか今日も結局慌ただしく一日が暮れていった。
平成21年12月24日(木)
曇り。
ここ二三日、胸が焼けると言っていた婆様、今朝になって胃が痛い、と言う。そのくらい我慢してデイケアに行けと言ったのだが、どうもつらそうなので、急きょ、断りの電話を入れる。そのまま様子を見て治らなければ、夕方にでも病院に連れて行こうかと思ったが、夕方、もし、要治療、要入院と言うことにでもなれば、今日はクリスマスイブ、娘の楽しみに影響が出るので、午前中の受付の終わり近くになって、大阿蘇病院に連れてゆく。以前にも急性の胃潰瘍になったので、年末ということもあり、念のために連れて行ったのだ。
、いつもより混雑していたので、婆様を病院に置いて、家に帰り、色々用を済ませてから、再度病院に行ってみると、内視鏡で検査をしてくれることになって、そのまま、また、病院に置いて一旦帰る。そうこうしているうちに娘の下校時間、今日は終業式だった。
娘が二学期の通知表をもらってきた。学習の指導など、特に小生など何もしていないが、健やかに育ってくれているようだ。
夕方、娘を連れてスーパーに買い出しに行ってその足で婆様の所に寄ったところ、内視鏡検査が終わったところで、先生に検査結果をお聞きしたら、少し荒れているけど、特に悪いところはありません、とのことであった。オイオイ一体何だったんだ、神経性のものだったのだろうか、うちの婆様、特に、お盆休みだとか、正月休みだとか、週末だとか、いつも病院が休みの時を狙ったように、病気になるので、年末年始は娘と二人きりかと心配したが、杞憂に終わった。
結局、一日バタバタして、腕の振るいどころがなくて、間に合わせのクリスマスディナーになってしまったが、それでも娘は、自分でツリーを作ったりして、まあまあのクリスマスイブになった。
今回は、カミさんが居ないので、娘は、サンタさんにプレゼントは要らないからお母さんを早く帰してと手紙を書いていたので(写真1・写真2)、娘のリクエストのプレゼントは代わりにカミさんが買ってやることになっていて、そのプレゼントをお母さんがサンタさんに持って行ってもらうからね、と話してあるので、プレゼントは、明日の朝、ストーブの煙突のあたりにぶら下がることになっている。娘は、8割くらい実際にサンタさんが居て、2割くらい、サンタさんはお父さんでしょうと疑っている(ともだちで、実は、と話す子がいるようだ、この日記を読んだ、娘の友達の保護者の方、今回の内幕をお子さんの耳には入れないようにお願いしますよ)。そのカミさんの病室にも今晩サンタさんがやってきたとメールが届いていた。
平成21年12月23日(水) 天皇誕生日
昨日までの低温も夜明けとともに終わって、暖かい日になった、午前中、細かな雨が時々降っていた。
天皇誕生日。娘も意味は分からないが、今日はなんで休みなんだ?と問うと、知っとる、ちょっと待って、と一生懸命記憶を呼び起こして、「てんのうへいか、たんじょうび」と言う、学校で教えてもらったのだろう。てんのうへいかってだれのこと?と聞かれるが、戦前なら、説明も割と簡単だったろうが、今は、小学一年生に天皇の説明をするのは難しい。下手に説明をすると、その説明のまた説明が必要になり、それは何ね?の連発になって説明の無限ループに陥るので、もう少し大きくなったらね、と逃げをうつことにした。
我々の年代はまだこの日に馴染めないでいる、まだ4月29日の方の印象の方が強い。今日熊本市まで往復したが、道路沿いの民家の国旗掲揚は皆無だった。保守色の強い土地柄でこの有様だ、市電には国旗が掲げられていた、熊本大学の正門の門柱両脇に二旒掲げられていたが、通り過ぎる時にチラッと眺めただけだから、天皇誕生日慶賀の国旗だったのか、別の催事のものだったかわハッキリしない。
今日、娘を連れてカミさんに洗濯物を届ける。娘が途中で買った弁当を母親と一緒に食べる間、小生は、街をブラついて、飯を食って、用をたす。
今日は、書店で国土地理院の高森近辺の地図を買う、1/50,000 1/25,000の二種であるが、高森辺りがちょうど、地図の角隅近くになって、本来であればそれぞれ一枚ずつですむところ、その周囲も買わなければならないので結構の枚数になってしまった。
娘が、アイススケートをやりたいと前から言っていたので、帰る途中、菊陽町にあるスケートリンクに下見に寄った。目を輝かせて見学をしていたので、近いうちに連れて行かなくてはなるまい。小生も昔はやったので、まあ、滑ることはできるだろう。
また、クレープなるものを食べたことが無いので是非食べたいと言うので、小生も名前は知っているが食った記憶が無いので、スケート場と同じ建物内にある店でクレープを注文して食べさせた、まあ、クレープという名前から来る妖しい響き程のウマイものでもないということがなんとなく分かったようである。
「いきものがかり、えーる」、このキーワード、小生の年代でどれだけ知っているだろう。娘が、最近、よく、「いきものがかり、えーる」と言って、何かメロディーを口ずさんでいる。真剣に耳を貸さないので、ずっとわからなかったが、ようやく「えーる」というのは、応援の「エール」のことだろう、ということは想像できた。ところが、「いきものがかり」がサッパリわからない、娘は、もっと小さな頃、耳から聞く言葉を間違って覚えることが多かった。例えば、「宅急便」を「たっとうびん」、「大阿蘇病院」を「おおがそびょういん」、「裏返し」を「うがらえし」などなど。「いきものがかり」もその類だろう、多分「生き物語」とでもいうのだろう、そのドラマか何かの中の歌だろうか、これでもあまり意味を成さない言葉だが、これなら、説明を聞けばわかるかもしれないと思っていたがが、改めて娘に尋ねて、ようやく、「いきものががり」というは正しくて、どうも音楽のグループ名だということが分かった。どうしてこんな名前なのかと理解に苦しむが調べることまではしていない、とにかく、「いきものがかり」というグループが歌う「YELL」という歌があるのだ、その歌を娘は一生懸命覚えて歌っている。インターネットで歌詞を打ち出してくれと言うのでYouTubeで実際の音楽を聞いて、歌詞をプリントしてやったが、結構難しい歌だ。この歌を今一年生のクラスの仲間でだかで覚えているそうだ。これは難しそうな歌だ。小生なんかまだ娘を通じて若者言葉に触れることが出来るが、寺さんなんかサッパリだろう。それでも「いきものがかり」?一体なんなんだ、とにかく小生の年代には違和感のあるネーミングが多すぎる、ようやく「EXILE」という言葉を知ったばかりなのに。
たまたまこの時間に開いた「じっちゃいのてげてげ日記」、冬至の翌日だが、へえ、じっちゃいの家では冬至の太陽はこちらの方角に沈むのかあ。
平成21年12月22日(火)
晴れ。今朝の気温、予報通りの低温だった、今朝は南国宮崎でも下がったところがあるようだ。実に気持ちのいい朝だった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
阿蘇乙姫 -6.3℃(05:34)今季最低
南小国 -6.7℃(05:13)今季最低
阿蘇山 -5.9℃ (01:20)
宮崎県 神門 -7.4℃(07:00)
そして、今日は冬至、一陽来福とも云う、しみじみと良い言葉である。
今年最後のみどりの爺様出場する。
柚子湯をたてた、縁起もの、日本の美しい風習なので、婆様も(専ら普段はデイケア先で入るが)特別に入浴介助する。
そしてカボチャも食卓に並べた。結局、今晩は、マグロとブリの刺身(婆様は硬いと食べられないので、どうしても柔らかい魚になる)と、サトイモと大根の千六本の味噌汁にした。
我が家では全員がこの具の味噌汁が好きなのである(実は、小生が一番好きなのであるが)。小生は丁寧に千六本にするが、カミさんは拍子木に切る、これは千六本じゃないと美味くないと言っても、聞かない、カミさんは千六本が出来ないのじゃないかと小生はひそかに疑っている。
市役所駐車場で献血をする。昔から、たまたま献血車に行きあたって、その時、特に急いでいなければ、自然に献血をしている、そして、今回、丁度30回目ということで、記念品をくれた。小生、別にマニアではない。わざわざ断るのは、献血のマニアがいるらしいからである。小生が献血を始めたのは20代だったろうから、ゆっくりのペースで30回になったということである。高齢者の年齢制限があるので、もうそう長くは出来ないだろう。昔は、誰かが、手術をして輸血をする必要が生じた時に、友人などにたのんで献血カード(と言っただろうか)を、輸血に必要な枚数集めなければ輸血をしてくれなかった(金銭で解決できたのかもしれないが)、それが献血の始まりだったような気がする。更にその昔は、血を売って金に換えることが出来た時代があった、仕事が無くて金が欲しい時には売血をするのだ、それが習慣になって採り過ぎて黄色い血しか出ないとか何とかいったことを聞いたこともある。
今日、貰った記念品は猪口にしては少し大きいが、まあ、洋風のぐい飲みといったところか、なかなか洒落たガラスの記念品である、、名のある造形作家の作品らしい。小生はほとんど飲まないから、さて、どうしよう。
平成21年12月21日(月)
雲が少しあったものの、久しぶりに青空が見え、いっぱいに陽が降り注ぎ、気持ちのいい朝を迎えた。
婆様、デイケア、その帰りに、内科に回って定期受診を済ませ、三週間分の薬を貰う、これで年内の病院通いは無いことになるが。
eeePCでも携帯端末がつながった、高速通信のために、要はつながる時とつながらない時があるようだが、まあ、メデタシメデタシである。
雲ひとつなく、三日月とそのすぐ横の星はなんだろう、宵の明星だろうか、陽が落ちて微かな残照に剃刀で切ったように阿蘇の峰々がシルエットになって浮かんでいる、これだけの風景で明日の朝の冷え込みが容易に想像できようというものだ。明日は氷点下6℃が予想されていて低温注意報が出されている、明日はなんとなく予報通りになりそうな、そんな気が今からしている。
平成21年12月20日(日)
朝起きると、昨夜また少し降ったようで、あたり一面が薄く真っ白になっていた。日中も、時々思い出したように、雪が舞っていたが、今回の雪ももう終わりだろう。大雪の注意報、注意報の連続だったが、結局、注意しただけで終わったようだ。
おさんどんに追われ、今日も平穏に一日が終わる、さて、明日は何を食わせるか。
平成21年12月19日(土)
昨夜はもう雪はほとんど降らなかったが、気温は結構下がったようだ、阿蘇乙姫 -4.5℃(05:34)、でも道路が渇いていたので、凍結はしていなかった。
今回の寒波に伴って(だろう)、不思議と「風の便り」のカウンターが今までの倍以上の数値を示して右肩上がりを続けている、寒波のピークもそろそろ終わりとのことだから、このグラフもそれに合わせて下降局面に移るだろうが、面白い現象だった。やはり、「即時性」、「リアルタイム」、これがインターネット情報発信の核心、キモだということだろう。
娘を連れて、一週間ぶりに、カミさんに洗濯物やそのほかリクエスト品を届ける。下界は雪とは無縁の世界だった。
最近、さすがに携帯電話がくたびれてきており、そろそろ買い替え時にきているが、いざ、機種を選ぼうとすると、使わないのは分かっていても、欲が出て、あの機能もこの機能も欲しい、しかし、帯に短し襷に長しというやつで、なかなか決めかねているとそのうちにまた新しい機種が出てくる、イタチごっこである。そうしてもし高機能の機種を選べば当然、値段も当然高くなる。
そうこうしているうちに、たまたま、PCに繋いでするデータ通信専用の端末が、従来の価格設定から大きく下がって出ていることが分かった。2年間継続使用が条件だが、通信費が月額最低1,000円、最高でも5,000円を切る費用でモバイルインターネットが使い放題だという。使わない月は1,000円という固定費が何より嬉しい。これで、高機能の携帯電話はほぼ必要無くなった。低価格の携帯を持つことでこの費用は十分にペイできる。
ということで、入手した。今まではPDAは持っていたが、自己完結が出来ずに、公衆無線LANがある所でしか用を足すことが出来なかった、この制約は田舎では致命的であった。これで、携帯のサービスエリアとほぼ同じになったから、基本的にはどこでも繋ぐことが出来ることになる、しかも携帯に比べたら大きな画面で使える、ベストエフォートではあるが、下りで7.2Mbps、上りで1.4Mbpsの高速通信が出来るというのだ。
こちらでは常時、車で移動なので、車内にPCを放り込んでおけば携行には困らない、願ったり叶ったりである。更に、いくら使っても月額5,000円内で収まるのであれば、有線のインターネット回線が来ていない場所ででもイベントの移動中継など色々可能性が広がりそうである。
と喜んでばかりはいられなかった。サービスエリアとして我が家は十分にその範囲に入っているが、窓際まで持ってこないと圏外マークが出る。まあ、自宅で使うためのものではないから、それはまあ良いとしても、この端末、非常に、気難しいシロモノで、ネット検索で調べてみても、色々レポートが出ていて、使うPCによって相性があるようだ。小生の場合も、一番使いたかった小型のノートPCでは今のところどうも接続が出来ない。別の少し大きめのノートだと問題なく使える、そして、このスピードが実に軽快なのである。携帯端末だと言うことが全く気にならない、もう少し使いこんで、観察を続けることにした。
平成21年12月18日(金)
朝の気温は昨日ほど低くはなかったが、昨日溶けた雪とさらに昨夜降った雪とで夜のうちにそれらが凍結して道路はツルツルになっていた。そんななか子供たち、足元に注意しながら元気に登校して行った、その列の向うに白く凍りついた古閑の滝が遠望できた。今日はずっと気温が低いままだったので、古閑の滝は日中でもどんどん成長を続けていたそうである。
午前中、婆様の歯医者通いに付き合ったが、その時には運よく風も弱く陽が射していたので気持ちが良かったが、終日、ほぼ0℃前後で推移して、風が強かったので総じて戸外はとにかく寒い一日だった。
昨夜のアクセス数が206、驚くばかりだ。
明日予定されていた小学校保護者会の廃品回収は低温とインフルエンザのために中止する旨の連絡が入った。
今夜も、熊本県全域に大雪注意報が出されている。が・・・・・・?
平成21年12月17日(木)
本日の最低気温、阿蘇乙姫 -4.9℃(06:52)、今季最低、予報の氷点下6℃までは行かなかったが、さすがに今朝は冷え込んだ。ツラの皮はやはり厚い、散歩に出ても風が無いので寒さが肌を刺すということはないが、手袋をした指先はジーンと痺れてくる。夜中にストーブの火が燃え尽きないように昨夜は念入りに薪を按配して、流れ込む空気量を調整をして寝たので朝まで十分に燃え続けていたが、庭先では厚い氷が張っていた。
日中もほとんど気温が上がらずに、寒い一日だった。この天気しばらく続くようで、午後2時ころから時々断続的に雪が舞いだした、今晩は阿蘇だけでなく熊本全県にわたって大雪の予報も出されている模様である、こんな日は十分な薪の準備をして家の中に籠るに限る。
婆様、デイケア。
台風や寒波襲来など、日常とちょっと違うと、サイトのアクセス数が急激に増える。このサイトのカウンターは一日について一人一回しかカウントしないが、それでも昨日は189となっている、これは通常の倍の数である。昨日からの強い冷え込みで、阿蘇を遠く離れている人が故郷を思いやってのことか、それとも阿蘇好きの連中が雪を戴いた五岳の風景を眺めるためだろうか。「坂梨宿」のカウンターも同様に大きく伸びている、こちらは古閑の滝の様子が気になりだした人たちだろうか、その古閑の滝、遠目だが、しっかりと凍っていた。
平成21年12月16日(水)
雪のち曇り。今朝はちょうど氷点くらいの気温だった。子供たちも一年ぶりの雪に大はしゃぎだった。
昨夜、今シーズン初めての雪らしい雪が降った。と言っても積雪量は大したことはなく路面など、朝起きた時には雨が降ったかのように濡れてるだけだった。それでも阿蘇の景色は久しぶりに白一色の世界になって山は真っ白、里も白く清浄な世界が広がっていた。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
明日の朝は、氷点下6度の予報が出ている。
11時過ぎ、娘の坂梨小学校で持久走記録会が開かれて、応援に出掛けたが、風があって体感的に非常に寒く感じた。当初の予定ではグラウンドで開会式や準備運動をすることになっていたのだろうが、コンディションが悪いことと寒さもあってか、体育館でウオーミングアップをしてから、最初に1、2年生合同の一キロ走。その後で3、4年生の2キロ走があった。5、6年生は、インフルエンザで休む子が何人か出たので全員が元気に揃うまで延期になった。冷たい風の中、前夜の雪で真白になった阿蘇の峰々をバックに皆元気に駆け抜けていった。うちの娘、長距離はどうも苦手のようである(写真)、まあオレの子だものなあ(カミさんだって早そうには見えないが確認していない)。
1〜4年生 持久走記録会 連続写真 (1/5)
1〜4年生 持久走記録会 連続写真 (2/5)
1〜4年生 持久走記録会 連続写真 (3/5)
1〜4年生 持久走記録会 連続写真 (4/5)
1〜4年生 持久走記録会 連続写真 (5/5)
平成21年12月15日(火)
くもり。昨夜から冷え込んで、と言っても、氷点下を少し下がった程度で、薄氷が張っていた。日中は、曇り空で気温は高め(だと感じたが、実際はそんなに高くはなかった模様)、シャツ姿で薪作りをしたが、全く寒さを感じなかった。
どうやら、予報によると、今夜あたりから雪になりそうな気配である、夕方現在、空は鈍色だが雪の降りそうな寒さは無い。
娘の学校からの連絡は普通は、子供が持って帰るプリントでされる。しかし、間に合わない時や緊急の時には、インターネットでの情報網があって、それによって情報が入る。そのe-mailによると先日延期されて明日行われる予定だった持久走の記録会、5,6年生について再度延期になったそうだ。上級生にインフルエンザが流行っていてそれが原因だと言う。6年生は一度学年閉鎖があったので、まだ罹っていない子が発症したか、5年生が発症したかであろうか、多分、5年生と6年生は一緒に走るので、両学年が揃わないから延期になったのだろうか。1年生から4年生は予定通り明日、走るそうだ。1、2年生は確か1キロだったとおもう。
平成21年12月14日(月)
曇りのち晴れ。穏やかな一日であった。
午前中薪作りをする、シャツ一枚で作業をしたが気持ちが良かった。
毎日家族に何を食わせるか献立を考えるのが大変である。
平成21年12月13日(日)
曇り。一日中どんよりとしていた。
村内の各家に神宮と崇敬神社と氏神様の御三体の神札を配って回った。
平成21年12月12日(土)
曇りのち晴れ、だったか、曇り時々晴れであったか。気温は随分と高かったような気がする。
朝の片づけものをしてから娘を連れて、カミさんの所に洗濯物などを届け、日が落ちてから帰ってくる、熊本往復は結構くたびれる。帰る途中、大津の道の駅の中の店に用があったので、半分寝ていた娘に、どうする?一緒に来るか?と問うたところ、車で寝て待っていると言うので、娘を車内に置いて鍵をかけて暫く車を離れたところ、少し時間がかかり過ぎたので、用を済ませてどうしているかなと思って車に戻ったところ、やったあ、帰ってきたあ、と馬鹿に喜んでいる。どうした?捨てられたかと思ったか?と尋ねたら、ウン本当に捨てられたかと思った、マジ心配したと言う。親子の信頼関係よりも心細さの方が勝ったということだろうか、あるいはもともと信頼されていないということかあ。じゃあ、もしお父さんが帰ってこなかったら、次にどういう行動をとるかと尋ねたら、う〜ん、ワカランと言う。そういう時には、近くのお店の人にお父さんが帰って来んけん、オマワリさんに探してもらってくださいと言え、と教えておいた。ウン、ワカッタと言っていたが、一年生のレベルはこんなものか。
平成 21年 12月11日(金)
昨夜からの雨、昼前に上がり、薄日射す。気温はかなり高めだった。
婆様、歯科。
娘の学校行事で、今日は持久走が予定されていたが、午前中に降っていた雨で、来週に延期になる。娘、「俊足」という銘柄の運動靴を買ってもらって、大事そうにランドセルの中に入れて登校して行ったが雨がやまず今日は空振りだった。
阿蘇郷土史愛好会の例会がある。今日は演題は種田山頭火だった。山頭火は内牧温泉に泊っている。ついでに小林一茶が阿蘇を読んだ句があり、阿蘇に来たのではないかという話が出たが、何処に泊ったか分からないと言う。句の紹介もあったが、うっかりメモをし損なった、一茶といえば信州、九州に来たということだけで新鮮な驚きを感じたが、ネットで調べたところ確かに九州に来ている、阿蘇に来たとしたら何処に泊ったのだろうか、つい坂梨宿にとまったのではと想像してしまう。
平成 21年 12月10日(木)
今日も雨の一日、気温は低くない。
婆様、デイケア。
馬場八幡宮の元旦祭の案内状作成で(それだけではないが)、一日が終わってしまった、もっと簡単に済ませる予定だったが思いのほか手間取ってしまった。
平成 21年 12月 9日(水)
雨。昼前ころから雨になったようで、雨量は多くないがそのまま一日降ったりやんだり。
娘は学校なので、小生一人、カミさんの衣類やコマゴマとしたものを買って届ける。そのほか、二三手続きなどで一日走り回る。クタビレタの言葉が最近は最後に必ず付く。おさんどん、全部終わってヤレヤレと布団に入って、さあ、これからがオレの時間だ、本でも読むか、と思うが一二頁で眠くなって沈没する。沈没といっても「轟沈」である。沈むのも早いが、朝も早い、今朝も娘のトイレを促すついでにそのまま起きてしまった、午前三時だった。
平成 21年 12月 8日(火)
晴れ。朝、昨日とほぼ同じくらい気温が低かった。畑が真っ白だった、しかし昼間は気持ちの良い小春日和、たかなも順調に伸びている、レンゲも霜に負けずに育っている。たかなは今年、タネが既に手に入らずに去年の残りを、しかも畝立てもせずにばら撒きで植えたが立派に育っている、これなら簡単だ。
今日は12月8日だ。えっ?なんで改めて今日は12月8日だなんて断るのかと思う人が圧倒的だろう。新聞にももう一言も触れていない、昔日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない世代が多い時代だ。
ボンがさかんに鼻を空に向けて何かを嗅いでは落ち着かない風に往ったり来たりしていた、何だろうと思ってふと窓の外を見てみると、みしぼらしく全身の毛が抜け落ちてこれはタヌキだろう、とすると、例の「交通遺児」かもしれない、親がいなくなってロクに食っていないのかも、あまり天気が良いので餌でもアサリに庭先に出てきたか、本当は全く責任はないのだが、いろいろ経緯があってなんとなく責任を感じて、餌を投げ与えたが、逃げてしまった、それはそうだろう。その餌を猫どもが寄ってきて攫って行った。
午前中の早い時間、市の介護保険の定期更新のための面談調査があった。
今日も目いっぱい日が沈むまで薪作りをした、薪材を積んであった一角、今日でほぼ総て切り終わった、腰がパンパンである、このパンパンは今日の分で、昨日の腰の疲れは今朝には治っていた、まだ捨てたものではない。
平成 21年 12月 7日(月)
晴れ。最低気温、阿蘇乙姫で -4.7℃(06:56)今季最低。いつも書いているが、うんと冷え込んだ時は風が無いので、短時間なら思ったほど寒さを感じない。(写真1・写真2)
落ち葉が散る様を、ハラハラと表現するが、これは擬態語だろうか、擬音語だろうか。今朝の低温に、庭の木の一本が耐えきれずに、一気に葉が落ちた、その音が結構大きくて、最初なんの音だろうと訝ったほどだ。サラサラという音をたてて、一気に散って行った、紅葉するヒマも無く青いままで散って行った。
婆様、デイケア。
明日までは天気が良いらしいがその後で雨が暫く続くようなことを言っていたので、今日は一日薪作りに没頭した、ああ、腰が痛い。以前はあまり腰が痛くなることもなかったが、ここのところ、必ず、ああ、腰が痛い、となる。考えてみたら、ここにきてもう8年だものなあ、最近はアラフォー、だとかアラカンだとかいう言葉がはやっているようだが、そういう言い方でなら、小生はもうアラコキだものなあ、こんな言葉あるかどうか知らないが。でも一晩寝たら治るからまだまだだろう。
平成21年12月6日(日)
曇り。気分的に寒々した日だった。
今日は、小生のルーツにも少しは関係がある、ご先祖探しで、内牧の甲斐家、宮地の岩永家をお訪ねする。甲斐さんは小生がここに越してきて直ぐだったと思うが、ご夫妻でお訪ねいただいて、その答礼も済まずに長い間御無沙汰していた。
今回の調査は、「坂梨宿」の掲示板に坂口健三さんとおっしゃる方のいわば「訪ね人」に関する書き込みからスタートしたもので、読んでみると小生の祖母方の縁にもつながるお人のようだったので、個人的にも興味があって引き受けた、結論的には、内牧の甲斐家の本家に関する系図は整理されていたが、そこから分家して新たに坂梨で甲斐家が生まれた部分については記録に無かった。掲示板に書かれた坂口健三氏の記憶に基づいて、甲斐家と岩永家でお聞きした話を突き合わせてようやく突きとめることが出来た。さらに、内牧の甲斐家や坂梨の甲斐家に関しては、「阿蘇魂」(昭和44年山本十郎)という本があってそれに結構詳細に語られてたのでより理解が早かった。結局記録があると、後から調べるのも非常に調べやすいということで、記録の大事さをまた改めて感じる一日だった。、
平成21年12月5日(土)
午前中、時々強い雨が降って、風も強くて不安定な天気だった、雷の予報も出ていたがどうだったろう。
昼前から、娘を伴って、カミさんの所に洗濯物などを届ける、熊本市までの往復は結局半日仕事になり、日暮れてから帰ってくる、帰る途中、熊本市のT屋百貨店に寄って用を済ませたが、小生の袖を引っ張って、娘が先週に引き続いて、今日は試食はナシ?というのでデパ地下に降りて四か所ほど試食をする、スーパーの試食コーナーと比べて、食べさせるモノはいい、すっかりハマってしまったようだ。カミさんが先週の日記を読んだそうで、笑ってしまったと言っていた。
平成21年12月4日(金)
朝方、昨日に比べて少し冷え込んだ。久しぶりに高岳頂上付近が白くなっていた
午後、娘の授業参観。婆様のワクチン接種と時間が少し重なって、参観のみ参加、懇談会などは御無礼する。入学後、半年余り、子供たちそれぞれ個性豊かに成長をしているのが分かる、いつもながら、小生の子供の頃とついつい比べてしまうが、現在の教育環境は終戦間もなくの何も無い頃と比べたら雲泥の差である、今の子供たちが羨ましい。
婆様の、基礎疾患持ちの新型インフルエンザワクチン優先接種の順番がようやく回ってきて、午後、婆様を大阿蘇病院に連れてゆく。これで、季節性インフルエンザワクチン、肺炎球菌ワクチン、新型インフルエンザワクチンとフル装備、もう怖いものなしである。
ところで、娘が新型インフルエンザを引き終わって以来、我が家では新型インフルエンザは既に終息した気分になっていて、あまり神経質にマスクの着用やウガイをしなくなった、決してそんなことはないのだろうが、どうももう家族には罹らないのでは、という気になっている。実際問題として、家族の一人に罹患者が出て、しばらくして他の家族に伝染らない場合、これをどう見るべきだろうか、なかには、一つ屋根に暮らしていて、伝染しないわけは無いのだから、伝染はしたが特に発症しないで終わってしまうのではないか、知らず知らずにそういうことで免疫が出来てしまうのでないかと言う人もいる、いちいちネットで検索をした訳ではないので分からないが、そのあたりはどうなんだろう。
熊本県下の蔓延状況をみると、当初、阿蘇地方は人口の割合からみて発症件数が多かったが、ここのところ阿蘇では、その勢いが落ちてきているのが分かる。阿蘇では既にピークを越したのだろうか、
平成21年12月3日(木)
曇り。ちょっと風が強かったと思う。
婆様、デイケア、娘滞在のため休む。
妹が昼過ぎに、福岡経由で帰って行った。今回はオサンドンを代わってくれて助かった。
昼、小生、床屋へ、夕方、婆様、歯科行き。(写真1・写真2)
平成21年12月2日(水)
晴れ。今朝も周囲は霜で真っ白になった(向こうは馬場集落)、夜など綺麗に晴れて星が美しいので、放射冷却現象でうんと冷え込むかなと思っているが、それほど気温が下がらずに天気が続いている。今日も気持ちのいい日で暮れた。
今朝、「みどりの爺様」の順番が回ってきて出場する。
平成13年の今日、ここ新天地阿蘇で家族の新しい生活が始まった、あの時はまだ娘は生まれていなかった、もう丸8年である、あっという間だった。
今日から阿蘇でもgoogleのストリートビューがサービスを開始した。
平成21年12月1日(火)
晴れ、穏やかな良い日だった。今朝も、短い時間だったが霧が出た。
12月に入ったとたんに、商店などではもう年末商戦、店頭には松飾りなどが早々と並んでいた。
婆様、午後から、薬もらい通院、今日は妹が付き添ってくれたので小生は送り迎えだけですんだ。
先日、登母祖用水路の出口にあたるという草部字横山という場所がどのあたりなのか今の地図からでは分からないと掲示板に書いたところ、聡雄さんが法務局の字図から草部字横山という場所を見つけ出してくれた、おかげ様でおおよその場所は見当がついたが、詳しくは、高森町役場に行って今の地図のどこにあたるか、教えてもらわなければならない。
先日従兄が、到来物だと言って、青い柑橘系の果物を置いて行ってくれた。見たところ、緑色をしていてゴツゴツしている、ああ、今の時期だからカボスだなあ、それにしても大きなカボスだなあ、・・・カボスなら我が家にもあるなあ・・・・、と礼を言ってとりあえず、台所に置いておいた。昨日、妹が料理にカボスを使いたいと言うので、じゃあ、それを使えよと言って、その到来物を切ったところ、どうも、カボスの雰囲気ではない。思いっきり酸っぱい味を覚悟してちょと嘗めてみたところ、これが実に上品な甘さなのだ。それはカボスではなかった。それで、インターネットで「熊本、緑、ミカン、甘い」と複合検索をかけてみたところ、「スイートスプリング」という珍しくて高価な蜜柑であることが分かった。温州ミカンと八朔をかけ合わせて出来たものらしい、熊本にはいろいろ珍しい柑橘類があるが、スイートスプリングはまだ流通が少なくて、幻のミカンと言われているそうだ、大きなカボスねえ、無知とは怖いものである。
平成13年の今日、阿蘇に向けて「メイフラワー号」の中だった・・・・・・・
このページ先頭へ 日々の記録目次へ ホームページへ