平成22庚寅(2010)年1月の記録(新しい日付けの順)
平成22年1月31(日)
曇り、時々細かな雨、比較的暖かな雨で、春のサメというやつだ。
昨日、カミさんの所に行ったが、洗濯物のローテーションの関係で、今日また出掛ける羽目になった。
カミさんの病院の駐車ビルが、手狭でいつも駐車待ちの車が並んでいたが、今度、隣りに新しい大きな駐車ビルが完成して、明日から供用開始とのことで、従来の古びた駐車ビルは今日が駐車納め、これが、鉄道や飛行機や有名デパートなんかだったら記念来場者で賑わうところだろうが、今日は、自動駐車遮断機などが撤去されて新しい駐車ビルの方へ移設になっていて無料で駐車が出来たくらいがいつもと違うところだ。それでも、後々になって、そういえば、古い駐車場の最後の日に行ったなあと思いだすこともあろうかとここに記した。
娘がカミさんと昼飯を一緒に食う時は小生は一人ブラリと熊本市内探訪に出掛けるが、いつも通るメインストリートを一本外れて歩くと色々と新しい発見をする。
また、娘が、車の中で聴きたいのでCDに焼いてくれと言うので、「YELL」を焼いてやって、それを行き帰りの車中で繰り返し聞くので、小生まで大体覚えてしまった。始めの頃は、エッ?こんな音の飛び方するの?となんともヘンに感じたメロディーも何度か聞いているうちに、良いねえ、なかなか良い曲だねえと思うようになった、小生もまだ若者の感性について行けそうである。でも、歌詞がちょっと違うねえ、と歌詞カードと比べて娘に言うと、お父さん!違っとらんバイ、この部分は、後ろの人(バックコーラスか)が唄っとるとバイ、となかなかウルサイ、結構難しい曲である、もう少し聴き込んで、いっちょうアカペラで唄えるようになるべえ。
焼いたCDにはそのほかに、「オラは死んじまっただあ〜」だとか、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」だとか、無秩序にブっ込んである。これらの曲は、小生が風呂の中でだったか、何かの折に唄ったことがあるが、それが彼女の琴線に触れたようで、この曲が好きだと言ってリクエストするのでネットから落とした、まあ、人によって一度聞いてピッと来る曲があるのであろう。
娘、昨日あたりから少し咳をしていて、ちょっと風邪っぽい、夕方、7度4分くらいあった、インフルエンザはやったので、多分、罹ったとすれば普通の風邪だろう、今晩一晩で治るだろうか。
平成22年1月30(土)
晴れ。氷点下を少し下回る。
3D映画「アバター」の、世界での観客動員数が驚異的な伸びを示していて、今までの世界記録「タイタニック」を短期間で抜いたそうである。我が家でもその記録に貢献したことになるが、最近ではNHKのニュースなどでも報じるものだから、婆様も興味を持ったらしい。
数日前に、観たかったら連れて行こうかと冗談半分に言ったところ、そうだねと、思わぬ反応。婆様は昔から洋画が好きで、家でも好んで洋画のテレビ放送やレンタルビデオを観ることを楽しみの一つにしていた。それが、最近はその意欲が無くなってきて、ほとんどテレビを観なくなっていた。そんな婆様が久しぶりにその気になったので、じゃあ、冥土の土産に3D映画なるものに連れて行こうかねと、本日、娘と小生はリピーターになるが、父娘三代の珍道中で菊陽町の光の森にあるシネコンにアバター鑑賞に出かけた。
チケットは、前もってネットでとっておいた。ネットでチケットを買うと、座席配置図を見ながら好きな座席が指定できるので便利である、今回は、婆様が車椅子なので、座席に移りやすいように、途中にある広い通路に面した最前列を指定した、万一途中で、出入りする事情が生じた場合でもこれだと隣に迷惑をかけずに済むからである。それに、ネットでチケットを購入すると、発券の際に並ばなくて済むのだ。
そうやって苦労して連れて行ったが、残念ながら、結果は、婆様は面白かったよとは言っていたが、あまり、好評ではなかったようだ。というのは、眼鏡の人には、3D眼鏡が非常に掛けにくいのだ、更に、前回、娘と観た時と、今日観た時とメガネの種類が明らかに違うのである、今日のは非常に重くて、なおかつメガネがサングラス風にかなり暗い色が付いていて、従って、画面がメガネを装着すると非常に暗くなる。前回娘と観た時は、メガネのレンズ部分はほとんど色が付いておらず、映画終了後も持ち帰りが自由であった。映画館によって映写機器の種類や方式が違うのであろうか。最初の感激を過ぎると、3D映画、このあたりに大いに改良の余地があると思うようになる。
そんなわけでうちの婆様には不評だったようで、自分のメガネと重ねて観るのにうまく重ならなかったようで、あまり3D効果を実感できなかったらしく、途中からメガネを外してみていた。この映画は何といっても3Dが命なので、そうなると映画に関しては、後は「好み」の問題になる。その「好み」に関して、婆様の好みにはちょっと合わなかったようだ、それが証拠に、途中、なんどか居眠りをしていた。
そうなると、小生も気になって、映画に没頭できなくて、娘も、おばあちゃん寝とるバイと、同じように気になる様子、そして、画面が暗かったねえと不満気味だった。それ以上に、何より、二度目というのは、感激が薄れるのであって、3D画面が当たり前、を前提に映画を観るようになるので、やはり映画は3Dだ、ということだけでは駄目で、内容が一番だということになるのかもしれない。
映画がハネた後、そこから、そんなに遠くないから、良かったらカミさんの所に行きたいけど、体力の方は良いかい?と婆様に尋ねたら、大丈夫だよと言うので、三人で、カミさんのところに顔を出した。カミさん、ここのところにきて、大分落ち着いてきたようで、なんとなく良い方向に進んでいるようだ、お守りを届けてきた。
今日一日、婆様にとってはかなりの強行軍だったようで結構こたえたようだった。
平成22年1月29(金)
夜になると忘れてしまう、確か、朝、霜は降りていたが、氷点下にはならなかった。
午後一時頃、じっちゃいが、熊本での定期健診を終えたその足で、ハチウトのメンテナンスに道具持参で寄ってくれた。今年こそ、春になってミツバチが飛んできてくれるようにと、ウトの外側に蜜蝋を塗ったり、ウトに巣くっていた何かの虫の幼虫を取り除いたりしてくれた。今回は日帰りだそうで我が家での滞在時間も短く宮崎に帰って行った、有難いことに、カミさんにと鵜戸神宮のお守りも頂戴した、大いに力づけられる。
午後、薪割りをする。
娘は大分前から風呂は一人で入るようになっているが、目を閉じてのシャワーの温度調整に自信が無いようで、洗髪の時は小生が呼ばれて手を貸す。洗髪自体はあまり好きで無さそうで、放っておくと何日も洗わない。そんな子が、何時になったら自発的にこまめに洗うようになるのだろう。多分、色気と関連するのだろう。そういえば、ひと頃、朝シャンという異常現象が流行した時代があったが、現在はどうなっているだろうか、あまり話は聞かないが、若者はいまでも朝シャンをしているのだろうか。
平成22年1月28(木)
結構な降りだったようだが、昨夜の雨、今朝には上がる、気温緩む。
婆様デイケア。
馬場八幡会計業務の引き継ぎのためデスクワークなどなど。
平成22年1月27(水)
晴れ。今朝の最低気温、阿蘇乙姫 -7.2℃(06:59)今季最低。
今日は、みどりの爺様出場日だということを、前日まで覚えていながらすっかり忘れていて、ボンの散歩の途中で思い出す。とっくに子どもたちは登校して行ったので、慌てて走って帰って、出場しようと思ったが、車が今朝の低温でガチガチに凍っていて、ウインドウの氷を溶かすスプレーをかけたが、ちょっと走ると直ぐにまた凍りつく、慌てていたので、素手でそれらの一連の作業をやったので、本当の寒さ、冷たさと言うものをこれでもかと言うほど実感した、いやあ、手が痛かった。そして、ようやく、旗振りポイント十メートルほど手前で子供たちに追いついて、まあ、一応の義務を果たしたが、ひどい目に合った。
今日も、ほぼ一日豆腐屋に詰めて、作業をして、ようやく、PCの注文作業を終えた。要は、代替機が非力でメモリーが少ないので、最近のインターネットの頁を読み込めず、モタモタしているうちに時間ばかりが経過して、結果的にエラーになる、その繰り返しだった。最後は小生のノートを持ち込んでようやく作業を終わった。
ここに住み始めた最初の、あれは、確か、晩秋だったと思うが、裏の柿の木に沢山のメジロが群れていたのに、驚いたことがあるが、最近、玄関先の植栽の蔭にまた十羽二十羽というメジロの群れを時々みかける。スズメよりは警戒心が無いようで、それよりも、メジロは勝手に捕獲してはならない野鳥の代表的な鳥で、そんなわけで、時々単独で見るくらいの希少な鳥かと思っていたら、これが沢山群れて移動しているので、それに改めて驚きを覚えた。今朝も、真っ白に霜が降りた犬小屋そばの植栽の蔭で餌を啄んでいた。
(写真1・写真2)
平成22年1月26(火)
近年、とみに記憶力が減退しているのが分かる。たとえば、朝、今日は気温が低くて、気持ちが良い朝だなあ、天気が良いなあ、日記にはそう書こうと思っていても、夜になって日記をつける段になって、ハテ、今朝の天気はどうだったろうと記憶が怪しくなることが度々である。そういうわけで、今朝の天気は記憶が新しいうちに書くように努めようと思う。
というわけで、今朝は真っ白に霜が降りて、昨日の雨の水たまりもしっかりと凍って、素晴らしい青空の朝を迎えた。そして、一日中穏やかな天気だった。ここまでは朝のうちに書いておいた。
今日は、飛び込みで、豆腐屋からSOSの電話、メインのPCが点かないという。確かに、電源は入っているようだが、ディスプレーには何も表示されない、ディスプレーを他のPCに繋いでみたら、正常である。ということは、本体である。BIOSも起ちあがらない、ということはHD以前のトラブルだろう、簡単にはいきそうにもないので、その診断は改めてすることにして、最近はPCの価格が非常にリーズナブルになってきているのでお店も儲かっているのだろうからと、この際、新しい機種の購入を勧めた。ただプリンターが使いたいというので、古いPCに繋いだが、ドライバーのインストールなど、どうしてもうまくいかない、結局一日仕事になってしまったが、解決せず、いくつか原因は想像できるが、今日は時間切れ、新規購入手続きも明日ということで帰ってきた、まだ、看板をあげておらずボランティア期間なので、稼ぎにはならなかった、種蒔き、種蒔き、アッハッハ。
娘が、カタカナの「ヲ」の書き順をしっているかと聞いてきた。そんなのこうに決まっているだろうと、カタカナの「フ」を書いて、上の横線の下に、横線を引いた。「残念でした、こうバイ」と、「二」のように横二本線を引いてから、「ノ」の字のように線を引く。そんな馬鹿な、と言ったところ、教科書を見せてくれた。なるほど、娘の言うとおりだった。子どもの頃の字の勉強は、筆順やハネなど非常に基本に忠実に習う、大人になったらいい加減だが、今日また一つ利口になった、人間死ぬまで勉強である。
平成22年1月25(月)
娘たちが登校する頃から雨が降り出した、その後の経過は、阿蘇を離れたので分からないが、昼過ぎに帰って来た時にはやんでいた。そして、夕方には傾いた太陽が山を照らしてていた。
婆様を朝、デイケアに送り出してから、健康保険の任意継続被保険者手続関連などで洗濯物を届けがてらカミさんの所へ行ってきた。最近では政府管掌の健康保険は、いつの間にかそういった名称ではなくなったようで、隠居暮らしを始めて以来、世の中が随分と変わったことに改めて驚く。
平成22年1月24(日)
今朝の最低気温、阿蘇乙姫 -4.7℃(07:09)、逆説的だが暖かい一日になった。
昼ころ、坂梨公民館長のN川さんが、太邑さんの墓に案内してくださいと、おいでになった。なんでも、近々、公民館に天草方面(だったと思うが)から坂梨へあるグループが来ることになっていて、その際に坂梨の案内と坂梨の史跡などの説明をしようと思っているので、墓所の写真を撮りたいとのことであった。
墓地は少し卯の鼻を登ったところにあり、盆の時に登る以外、普段なかなか登る機会が無いので、荒れているかなと思って少し心配だったが、冬場なので雑草も伸びていなくて良かった。
今日はノンビリと娘の遊びに付き合って庭先で薪をわったりして過ごした。
平成22年1月23(土)
くもり、阿蘇では時々雪が舞う、非常に(と言っても実際の気温はそうでもなかったと思うが)寒い一日だった、そして熊本市内も寒かった。
娘を連れて、カミさんの所に顔を出す。どうもすっきりしない、何時まで経っても安定しない。
平成22年1月22(金)
晴れ。ここ数日来続いた気温と比較したら低めかもしれないが、寒いというほどの気温ではなかった、もともと今の時期、こんなものなのだろう。
あそん里の裏手、古閑に向かう道から左に分かれて少し東に登ったあたり、あそこはもう神石集落に入るだろうか(あるいは古閑か)、ケヤキを切ったから取りにおいでと電話が入る。ここずっと忙しい日が続いていて、そんな時ならばとても無理だったが、少し手が空いてきたので、直ぐに取りに行き、軽トラックで2台分タップリ積んでくる、今シーズンは現在のストックで多分大丈夫だと思うが、この時期に有難い(Uコネクション)。
阿蘇山ライブカメラのサーバーの故障、本日、HDを換装して復旧する。
QSOパーティの寅年のステッカーが届く、残すところ後8年也。
平成22年1月21(木)
曇り、時々雨。
婆様デイケア。
そのほか特に記事なし。
平成22年1月20(水)
横浜の従兄姉の滞在中、あれほど良かった天気が、今日は、朝から曇り空、夕方近くになって雨になる、風も出ている。気温はかなり高めだったのだろうか、古閑医院から帰る途中、卯の鼻越しに見える古閑の滝も大分融けて落ちた様子が眺められた。今日は、大寒だそうだが、山を降りた際、車の窓を開けっ放しでずっと走ったが気持ちが良かった。
新型インフルエンザ、65歳以上のワクチン接種が今週から始まったそうで、小生も今日、古閑医院で打ってもらった。日本でワクチンを製造しているメーカーは確か、化学及血清療法研究所、北里研究所、阪大微生物病研究会、デンカ生研の四社だったか、そのうち化学及血清療法研究所(化血研)は熊本にあるが、だからと言ってそこで作ったワクチンが近場だからと言って回ってくるとは限らないようである。それにしても、あれほど騒いでいた新型インフルエンザ騒動、既に流行が終わったわけでもないのだろうが、今では誰もあまり気にしていない、そんななかこの時期の接種、いささか気が抜けた感じがしないでもない。今朝のワイドショーで言っていたが、ワクチンが余っていて、一部都府県では別に65歳未満の健康な大人でも打ってくれるようなことを言っていた。そして輸入ワクチンの約1億人分のほとんどが国内で需要が無いようなことも言っていた。流行初期での需要予測は本当に難しいということなのだろう。
娘を送り出してから、カミさんの所に洗濯物や本を届けに行って、とんぼ返りする。少し安定してきたように見受けられる(からといって、その先が保証されているわけではないのだろうが)。
婆様の介護認定、2月から、今までの要支援2から要介護2に上がった、それに伴って、市の包括支援センターの管轄から、介護事業者の管轄に移り、今日、ケアマネージャーの I 原さんがケアプランを持って見えた。
平成22年1月19(火)
典型的な放射冷却、阿蘇乙姫の最低気温が 17日に続いて-6.9℃(06:42)(今季最低気温)だったが、一方、阿蘇山の最低気温は 0.3℃(00:05)だった、 阿蘇乙姫と同時刻の阿蘇山では 3.0℃だった、氷点下の、ではなくてプラスの、である、実に10℃の逆転温度差である。そんなに差が出るものかと驚く。
今日は横浜からの客人たちを阿蘇山頂に案内した。この数日の快晴の仕上げでもするかのように、今日も素晴らしい青空と澄んだ空気と心地よい冷気、最高の阿蘇が眼前に広がっていた。
午後から少し薪作りをしたが、シャツ一枚で汗ばむほどだった、これから2月にかけてが一番寒い季節のはずなのに、なんとなくもう春が来ているかのような錯覚を覚えた。
そして、午後4時半、宮地駅前から空港行きバスに乗って横浜に帰って行った。婆様、今日は一日キツイと言ってずっと弱弱しく寝ていたこともあったからか、娘同様に可愛がっていた姪との別れで、珍しく涙ぐんでいたので、ははあ、今回の訪問が今生の別れだと言うことをんとなく悟ったのだろうかと、思って見ていたが、皆を送って帰ってきたら、腹が減った、腹が減るとどうも力が入らない、何か食べたい、早く晩飯にしようと言いだしたので、まあ食欲がある間はまだまだ大丈夫だなと少し安心した。
今日見慣れない郵便が届いた、「日本年金機構」とある、社会保険庁が名称を変えたものである、俗に言う換骨奪胎というやつか。今回の社会保険庁の顛末にしても、大阪府・市の不健全財政、JALの経営破綻にしても、そして古くは、国鉄が滅び去ったのも、みな共通していることがあると思う、それは・・・・
平成22年1月18(月)
今朝もしっかりと冷え込んだ、阿蘇乙姫 -6.7℃(07:36)、昨日とほぼ同じ。その分、日中は、これも昨日同様雲ひとつない快晴無風で本当に気持ちの良い一日だった。そして日没残照がこれまた素晴らしかった、明日もまた良い天気を予感させる。
婆様は、来客にかこつけてデイケアを休む。
その客人たちを今日は、長者原方面にちょっとドライブに誘う。天気が良いのが何よりのおもてなしである、素晴らしい景色があれば他に何も要らない。帰りは、小国に回って、近江屋でうなぎを食べて帰る。
今日は、婆様、満94歳の誕生日である、大正五年生まれである。今回のように客人を交えての誕生日は、どうだろう、記憶にある限り、初めてである、皆さんが心から祝福してくれた、婆様も、もうそろそろ息切れ状態にあるが、お迎えがくるまではしっかり生きて欲しいと願うばかりである。(写真1・写真2)
平成22年1月17(日)
晴れ。文句無しの快晴であった。昨夜空が澄み切って星がきれいだなと思っていたら、やはり放射冷却現象で、今朝、阿蘇乙姫 -6.9℃(07:41)、今季最低を記録した。
実に気持ちのいい朝だった。横浜組もこれだけの低温にもかかわらず、寒くないのに驚いていた。
朝食後、客人たちを古閑の滝に案内した。今年はずっと気温が低い日が続いているので、滝も融けることがあまりなくずっと凍っていて、今年は氷瀑の当たり年だ。今日も、駐車場がほぼいっぱいになるくらい沢山の見物客が押し掛けていた(これだけ沢山のお客さんをみすみす逃す手は無いと思うのだが・・・)。(写真1・写真2)
古閑の滝の帰り道、わかば子供会(西仲町、東仲町、上町)のどんどやを見物した。遠来の客は映像でしか見たことが無いので、実際のどんどやを目の当たりにして大喜びであった。そして我々部外者にまで子供会のお母さん方が作った豚汁の御馳走があり、冷えた体には嬉しい心遣いだった。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
午後から、薪作りをした。
今夜も星が美しい、明朝も冷え込むだろう。
平成22年1月16(土)
晴れ。数値を確認したわけではないが、今までがあまりに寒かったので、今日はまるで春のような陽気に感じた(後から調べてみたら、朝は氷点下4度以下だった、そして、日中もそれほど気温が上がったわけではないが、昨日までと比べて体の感じ方が違ったのだろう)。
夕方から来客が予定されているので、朝一番で(と言っても9時頃だが)、娘を連れてカミさんのところに洗濯物を届けに行って、とんぼ返りで(と言っても午後2時くらいになっていたか)戻ってきた。ちょうど今日は熊本大学でセンター試験をやっていた。カミさんの調子、今日はまあまあの様子だった。
夕方、横浜から、従姉兄のF川信昭・弘子夫妻とU田道子姉が熊本のT兄の車でやってきた。昨日熊本に着いて、熊本で一泊して、今日はT兄の車で八代方面を回ってから我が家に到着した。婆様が生きているうちに顔を見ておこうというのが今回の旅の目的だそうだ数日我が家に滞在する。皆で夕食を囲んで、T兄は明日、予定があるからと言って戻って行った。
平成22年1月15(金)
曇り、朝のうちは霙混じりの雪が降っていたが、その後、気温がゆるみ、時々細かな雨が降っていた。
温泉病院に婆様の末梢神経症の薬をもらいに行く、本人が行かなければならないかと思ったが、今回はその必要は無いとのことで、助かった。
今日ようやく新米を精米した。明日から新米になる。
また阿蘇山ライブカメラ用のPCのHDが壊れた。このカメラが風の便りのメインのライブカメラだが、大分前に専用サーバーが壊れて、今回、また間に合わせで補完機として使っていたPCのHDが壊れた。24時間運転なので壊れるのも早い。専用サーバーをまだ直していないうちに、また二台目が駄目になった、最近気力がなくなって、すぐに直そうと言う気が起きない、しばらく休止ということか。
最近、PC関連の意欲が減退しているところに持ってきて、カミさんが旧臘31日付けで退職したので、家計を維持するには、小生が今までボランティアでやっていたPC関連のサポートをいよいよ看板を掲げてこれをナリワイにして僅かながらも口に糊する必要性に迫られそうである。小生としてはボランティアで威張って教えていた方が気は楽だが、これから対価を申し受けるようなことにでもなれば、そうそう威張ってもいられない、かといって、ペコペコするのも潔しとしない、有料で且つ威張って教えられるお客さんは居ないものであろうか、それにプラスすることインターネットビジネスも本腰を入れて考える時期か。
平成22年1月14(木)
今日も寒い一日だった。昨日の雪が凍って路面がガチガチになっていた。今日は関東地方でも非常に気温が低くなったようで、成田で氷点下7度だったとか、驚いたことだろう。
娘の登校と婆様のデイケアを見送って、カミさんの所に洗濯物などを届ける。さっと行ってサッと帰ってくる予定が向うで少し手間取って、午後三時過ぎに戻ってきたが、娘がちょうど学校から帰る途中にようやく間に合った。もし、帰ってもお父さんがまだ戻っていなかったら、N樹君のお宅で待たせてもらいなさいと言ってあったがギリギリセーフだった。
婆様にも、もし、デイケアの帰る時間がいつもより早いようなことにでもなれば、帰っても、ストーブの火が落ちているし、二階に上がれないので、小生が迎えに行くから、施設で待たせて貰えよと言ってあったが、ウン、ワカッタ、と言っておきながら、これはすっかり忘れてしまって、案の定、今日は雪の後で、足元が悪いので、いつもより早く、デイが終わて、小生が、家に戻ってすぐに、送られて帰ってきた、危うくセーフだった。もう少し小生が遅かったら、凍えることになっていたんだぞ、と言ったが、アア、ソウカイだと。
カミさん、今日は調子が悪そうだった。
娘、学校で、先日に続いて、4本目だかの歯が抜けたそうだ。
結局、昨日のアクセス数、風の便りが370で、坂梨宿が415だった、いずれにしてもスゴイ数字だった。
平成22年1月13(水)
雪。久しぶりのまとまった雪になった。阿蘇はもともとそれほど雪は降らない。降ってもそんなには積らない。今朝も精々2〜3センチくらいだったろうか。逆に山を降りた平野部の熊本市で7センチの積雪があったそうだ。東シナ海からの雪雲が九州に到達して沿岸平野部に雪を降らせて、その残りが阿蘇までやってきて雪を降らすのだろう。たとえ少なくても一面の雪景色となると大人でもなんとなく気分が高揚する。子供たちも今日はいつも以上に張りきって雪の中を登校して行った。我が登校班は朝いつも早く学校に付き過ぎるということで、今日から出発時間を10分繰り下げた。
今回の雪だとか、夏の台風だとか、普段と違った気象現象が阿蘇を見舞うと、途端にホームページへのアクセス数が増える。明日正確な数字が出るだろうが、坂梨宿も午後9時過ぎで390近くに達している。風の便りもシビアなカウンターだが、それでも同じく9時過ぎ段階で350近くを数えている。これは何を意味するのであろうか。気象現象と言えば、最近、火山噴火のひとつの指標となる孤立型微動が結構増えているというようなことを先日のニュースが伝えていたが・・・・・
平成22年1月12(火)
曇り、いかにも雪になりそうな空模様だ。
先日お仕置きをしたノラ猫のワオ、懲りずに今朝もう顔を出した、しかし、警戒心著しく、小生の顔を見た途端にすっ飛んで逃げ去った、敵情視察にきたのだろうか。敵も、厳しい環境の下でノラ生活をして生き延びてきたつわものだからそうそう簡単には降参しないだろう。
娘、昨夕、排尿時にtintinが痛いといって時間をかけて少しずつ出していた、膀胱炎だろうか、尿道炎だろうか、カミさんの電話指示で何か外見的に変化でもあるだろうかと目視してみたが、もともと、その方面のメカニズムの知識に欠けているのでどうも良くワカラン、明日朝、お医者さんに行こうといって、寝かせた。一夜明けて、どうだと問うたところ、昨日よりは痛くないけど、それでもやっぱり痛いと言うので、こういった場合、どの科だろう、婦人科だろうか、泌尿器科だろうかと、迷ったが、まあ小児だから、小児科だろうと、古閑医院に連れて行った。先生に診てもらったところ、いわゆるドレン口付近が炎症だか外傷だかで少し赤くなっている。昨日よりは悪くなっていなのであれば大丈夫でしょう、軟膏でも塗って様子を見ましょうと言うことで、1時限か2時限遅れて登校して行った。そして、夕方には、もうほとんど排尿に困らなくなっていた。就寝前に軟膏を塗ってやったが、とにかく、まだ父親に対しては羞恥心が無いので、小生でも母親の代行できるが、もう少し成長するとこうはいかないだろう。こういった文章を書く場合、低学年の子供がヒヤカシで読んでからかうことのないように容易に理解しにくいように、婉曲的に表現したり、また漢字をなるべく使うなどして徒に娘が傷つかないようにと気を使う。
今日はまた、婆様の薬もらいの定期通院日だ、薬だけなら夕方の空いている時間に行けば待ち時間が少なくて済むが、今朝は、キツクて起きているのもつらいとのたまうので、午前の受付終了間際に連れて行った。ところが連休明けのせいだろうか、いままで見たことが無いような混み具合で、診察が終わり薬をもらわずに帰ってきたのが午後3時近くだった。薬は改めて取りに行ったが、キツイ原因は、特定できず、まあ本人も老衰だろうということで自覚をしているようである。
よくまあ、こう毎日、日記のネタが無くならないものだと感心する。
平成22年1月11(月) 成人の日
霧雨の後、曇り。
婆様デイケア。
豆札と馬場合同のどんどやが我が家の前の田で行われた。朝のうち細かな雨が降っていて開催が危ぶまれたが、その雨もいつの間にかやんで、風も無く、寒くも無く、飛び火の心配も無く、無事に開催された。
朝9時前から、皆さん、前日までに運び込んであった竹と我が家の竹とでやぐらを組んで、午前11時過ぎに点火した。濡れていたことや、竹の詰め込み方が少し足りなかったことなどもあって、最初のうちは燃えが悪かったが、そのうちに勢いよく燃え上がった。子どもたちは火を囲みながら、お母さん方が並行して豆札の公民館で仕込んでおいた心尽くしのお汁粉やのっぺい汁などに舌ヅツミを打って大はしゃぎだった。日本の古き良き風習がここにはまだ生きていて引き継がれていっている。隣接する地域のどんどやも、我々より少し遅れて火炎が遠望できた。
馬場豆札地区 どんどや 連続写真 1/4
馬場豆札地区 どんどや 連続写真 2/4
馬場豆札地区 どんどや 連続写真 3/4
馬場豆札地区 どんどや 連続写真 4/4
ところで、娘がうちのおばあちゃんクレーンで二階に上がるとバイとでも言ったとみえて、婆様がデイケアから戻ってきた時に、クレーンで上がる様を一目見ようと、デッキから窓越しに子どもたちが鈴なりになって婆様の様子を眺めながら、スゲエー、スゲエーと感嘆の声を挙げていた、婆様なんとも照れ臭そうだった。
平成22年1月10日(日)
曇り、気温は高め。
11時より村の「初寄り」開催。これは村の年次総会のようなものである。この時期、阿蘇の各地域では集落ごとにこの初寄りをして、役員選出や会計報告、会費などの徴収、村の年行事などの決めごとをして、その後、懇親会になる。地域によっては、大所帯な集落では懇親会をしないところもあるようである。
今日の初寄りで目出度く小生の宮総代を卒業させてもらい、新たに村の会計係を仰せつかった。
この村には沢山のノラ猫がいる、その中で二匹程が我が家に出没しているが、そのなかの一匹は猫相が良いので、娘がシマと仲良くすればいいねと一緒に餌をやったりしていたが、この猫は(娘はワオとなずけている)、シマを追いたてて餌を独り占めにするばかりか、縄張り宣言だろうか、餌箱に自分のションベンをひっかける始末、あまつさえ、この厳冬期に寒かろうと、ペット専用の電気マットを敷いて作ったシマの寝床まで分捕ってしまって、シマがオドオドして身の置き所が無い有様(我が家では猫は完全に屋外で飼っていて家には全く入れない)、やむを得ず、本日、罠を仕掛けて、とっ捕まえて成敗した。本来ならば、唐辛子スプレーと百叩きの刑に処すべき所、本日は罪一等を減じて水かけの刑のあと所払にした、付加刑として、ボンの吠え声をプラスしたがこれはあんまり効果が無かったようだ。這這の体 で遁走したが、今朝は気温も高くて凍るほどの寒さではなかったので果たして懲りたかどうか。またオマエは動物愛護精神に欠けるとある筋からお叱りを受けるだろうか。
ワナは、ミカン箱に枝で隙間を作って、餌を食べに入ったところ、遠くから紐を引っ張ってその枝を倒して、ミカン箱が猫に被さるという、子供の頃、よくやったスズメ捕りの方法そのものである、尤も、子供の頃は、スズメがすばしこくて一度もこれで捕まえたことは無かったが、今朝は一発で仕留めた。効果があったらしくて、きょうはその後一度も姿を見せていない。
夕方近く、薪作りをする。二抱え程あるクヌギを薪にしたが、これは結構な大仕事だった。
平成22年1月9日(土)
晴れ。今朝の最低気温、阿蘇乙姫 -5.6℃(04:03)。学校が休みなので、朝早くから外に出ることも無く、そんなに気温が下がったとは気がつかなかった。我が家では、気温がうんと低い時よりも、それほど低温でなくても風が強い時の方が寒さを感じる。 ログハウスの構造上、どうしてもどこかに隙間があってそこから冷たい風が侵入してきて室温を奪うのだろう。
今日は、特になにもしなくて、まあ、いわゆるゴロゴロしていたという一日だった。
明日は、村の初寄りがあり、明後日はドンドヤがある。
平成22年1月8日(金)
今朝はそこそこに冷え込んだ。そして、久しぶりに柔らかな陽が射して風も無く気持ちのいい朝を迎えた。
その青空のもと、自衛隊の初飛行だろうか、それにしてはちょっと機数が少なかったが、阿蘇上空をヘリコプターが編隊飛行をしていた。
子供たち、今日から第三学期、全員元気よく登校して行った。娘は入学したての頃は、毎日、学校に行くのが楽しみだったようだが、早くもブルーマンデーの気分を味わいだしたか、ああ明日から学校か、と前夜憂鬱そうに言っていた。これは、学校が嫌で言ったのではなくて、多分早起きをしなければならないからだと思う。今日は午前中で退けて、また明日から三連休だから、今日は体慣らしの登校日のようなものだろう。ブルーマンデー、普通だとこれから先、十年、二十年と続く気分だ、さあ、今日から新しい週が始まるぞと前向きに捉える人はどのくらい居るのだろうか、小生は後ろ向きに捉える方が多かったので、現役引退後、おかげさまでこの気分から解放されて日々大いに心穏やかで居られる、小生にとっては金曜日の夜も日曜日の夜も同じ重さだ。
午後から、阿蘇郷土史愛好会の例会に出席、今日は、「奥八女と阿蘇修験」という演題で、九州各地の修験道の実態についてはほぼその全貌が明らかになている中で、阿蘇修験道に限ってまだ分からないところが少なくなく、その研究をされている九州国立博物館のS氏の話を興味深く拝聴した。
平成22年1月7日(木)
婆様デイケア
娘の冬休みも今日まで、明日から第三学期が始まる。父親にとって、ふん、そうか、だけでは済まない一日だった。
娘はとっくの昔に冬休みの宿題は済ませているのに、保護者による採点、それから通信簿などへの保護者確認印及びコメント書き、また小さくなった上履きの買い替え(桐原商店で19センチを買ってきた)、給食当番白衣のアイロンかけ、髪床屋行き。どれをとっても、前もってやっておけばいいものを、どん詰まりになって慌ててやっている。父親がはるか昔にいつも宿題を最終日にまとめてやっていた習性がこんなとろに残っている。
娘の宿題の保護者による採点、どうして親がやるんだ?オカシイのじゃないか、と当初は思ったが、確かに、先生の負担を軽くする意味もあるだろうが、実際に、親が子供の宿題を採点をすることで、普段は適当に受け流して聞いている子供の学習内容が分かり、子供の能力や理解力、足りないところなどが良く分かる、また、採点をしながら子供とのコミュニケーションがとれる、これは非常に良い方法だと分かった。普段は母親がやっていることだが、こんな時でもないと、そういう機会にも恵まれなかったということである。幸いに給食は月曜日火曜日からのようなので、アイロンかけはこの週末にやることにする。
今日は、七草がゆである、普通、七草がゆは朝食で食うものだろうか、我が家では、だいたい夕食の場合が多い。今日のメニューはすんなり決まった。我が家では、いわゆる春の七草にこだわらずに、サトイモ、大根、そのほか、あり合わせの野菜をブっ込んでモチを入れて味噌仕立てでおじやをつくる、これがなかなかウマイ、今晩も大好評であった。
平成22年1月6日(水)
今日は、朝一で、娘を連れてカミさんの所へ行ったので、日中の気温は分からなかったが、気象庁の記録を見ると、阿蘇乙姫、終日、氷点下の寒い日だったようだ。
朝出かけるときに、ストーブに薪をいっぱい詰め込んで、燃え過ぎないよう、燃え足らなさ過ぎないよう(なんて言葉あるかな)コントロールをして出掛けるが、どうしても夕方になると燃え尽きてしまうので、婆様の部屋にヒーターを置いておいて寒かったらスイッチを入れろよと言って出掛けるが、二階は余熱があるから大丈夫だと言ってスイッチをなかなか入れようとしない、困った貧乏症である。
今日は病院に行く前に、予てより約束の映画に付き合ってやった。最近注目の3D映画である。以前、確か、夏休みだったか、アニメの3D映画を娘に付き合って見に行って、その素晴らしさに驚いて、実写版の3D映画が出来ないものだろかと思っていたら、今回、「アバター」というSFモノが観客動員数が一番で、大変面白いということだったので、娘の希望もさることながら、小生が見たくて連れて行ったようなものだ。映画は3D映像を効果的に見せるような筋立てで、迫力満点で息をもつかせぬストーリー展開で、従来型の立体映画と根本的に違って、まるで実際にその場に居るかのような錯覚を覚える映像が眼前に展開する、これは映画のエポックメーキング的な高い技術だと言って言い過ぎではないと思う。これは専用のメガネを掛けるだけでなくて、映写技術も関係しているようなので、映画館に出かけて見なくてはその効果が味わえないようだ、ただ、最近では3Dテレビが実際に売られ始めているとも聞いているが、やはり大画面のほうが面白いだろう。
映画が終わってから、病院に寄って、帰ってきた。
平成22年1月5日(火)
ん?ええ・・あれ?今日の天気はどうだったろう、朝は氷が張っていただろうか、空は晴れていただろうか、もう忘れている。
高齢者、つまり65歳以上の者に対する新型インフルエンザの申し込みが始まったそうなので、朝、早速古閑医院に予約の電話を入れた。18日以降の接種になるでしょうとのことであった。
夕方前、婆様を歯の治療に連れてゆく、今回は今日の治療で終了とのことである。
平成22年1月4日(月)
晴れのち夕方になって強風を伴って雨。
朝は阿蘇乙姫 -6.5℃(06:42)今季最低を記録したそうだが、日中は風が結構あったものの良い天気だった、風も冷たい風ではなくて、屋外で作業をしていていも寒さを感じることは無かった。その風が、日が落ちていつの間にか台風並みの強風になって家を揺さぶっている、多分20mはあるだろう、なんとも落ち着かない夜である。(午後6時現在)
自家用の気象観測装置の設置が遅れていてこのような時には実に不便であり、不安である、工事の優先順位を上げなければなるまい。
婆様、今年初めてのデイケアに通う。
午後から、娘と、強い風の中、薪作り、夕方近くになってパラパラ降り出したので、慌てて撤収して本日の作業終了。
平成22年1月3日(日)
午前中は雲が多かったと思うが、夕方には雲ひとつなく晴れあがった。気温も今日は低くなかった。
久しぶりにノンビリした。QSOパーティが今日限りなので、なんとしても無線機の前に座ろうと、ムリヤリ今日は安息日にした。幸いに娘はモチさえ食っていれば満足のようだから、雑煮、きな粉モチ、汁粉とモチづくしで済んだ。
その娘、前から抜けかかっていた三本目(だそうだが)の乳歯が抜けたといって、喜んでいるのかッカリしているのかちょっと複雑な表情をしていた。娘が言うには、お父さんが子供の歯(乳歯)が全部抜けたらそれで首飾りを作ってくれると言っていた、そうだが、そんなこと言ったか?アクリル樹脂標本でもつくってやろうかとは言ったかもしれないが、それじゃあまるで人食い人種じゃないか。
QSOパーティとはアマチュア無線で最短で12年かかる干支ステッカー集めのアワード、一度、十年近く前に完成して、その後、もうやっていなかったが、数年前に、ふと気が向いて、また始めようと、毎年二日の日には無線機の前に座っている。今年は、二日の日は外出したので、今日一日で完成させなければならない、まあ、そのこと自体は全く難しいことではないが、二日の日であれば、もし駄目でも明日があるという、気持ちの余裕があるが、今日だけだとなると、どんな突発的な用事が出来るかもしれない、それに、空のコンディションによって、使えるバンドが限られる、事実、今回も、2メータ―バンドのアクティビティが昔に比べ極端に低いので、2メータ―だけでは最低の20局交信は稼げない。21メガ帯は全くコンディションが悪い、結局7メガと2メータ―で午後4時ころまでかかって、とにかく今年の目標は達成できた。これで今年を入れて四枚の干支のステッカーが揃うので、この先、最短でもあと8年かかることになる、一回でも抜かすとその干支の穴を埋めるのに更に12年先になる、あと8年、先のことはまあ考えないようにする、駄目な時はそれまでである。
平成22年1月2日(土)
晴れ?曇り?どちらだったろう、今朝の最低気温、阿蘇乙姫 -6.0℃(05:31)、あまり実感が無かった。
娘を連れてカミさんの所に行く、年が改まって初めてである。Uターンラッシュを覚悟していたが、57号線、ほとんど渋滞なく走ることが出来た。
カミさん、まあ、とりあえずは落ち着いているかな、そうでもないかな、良く分からない。
今日は箱根駅伝がありQSOパーティがあったが、二日に家を空けたのは、記憶にある限り初めてだろう。両方とも明日もう一日あるので、明日楽しむことにする。
それより、今日、帰ってくるときに、阿蘇谷に入って、少し眠いなあと思いながら、運転していて、一瞬眠ったのだろう、危うくセンターラインを越えて対向車にぶつかりそうになった、今まで、眠たくなることは何度でもあるが、今回のようなことは初めてで、慌ててハンドルを戻して事なきを得たが、これほどゾッとしたことはかってなかった、あとコンマ一秒でも遅かったら・・・いっぺんで眠気が吹っ飛んで冷や汗が流れた。なるほど、居眠り運転とはこういうことかと、初めて分かった、簡単なことで起きるのだ、危うく娘を道連れにするところだった、恐らくこういう状況は普段でも、前後、反対車線、自分が走っている周辺で星の数ほど起きているはずである、たまたまそれが事故につながらないだけだろう、こんなことでぶつけられたのではたまったものではない、今回も対向車を居眠り運転の巻き添えにしなくて本当に良かった。
平成22年1月1日(金)
庚寅の年が始まった。しみじみ過ぎ去った一年を振り返り、来るべき新しい年の抱負などを述べる間もなく平成22年が始まってしまった。ジタバタ、ドタバタがそのまま繰り越しており、掲示板の皆さんの書き込みに対してご返事する余裕も無い、届いた年賀状もさっと目を通しただけで一枚一枚相手の顔を思い出しながらゆっくり読んでもいない、元日もアッというまい終わってしまった。
今朝は、8時に村の賀詞交歓会があり、村の公民館に全戸のご夫婦が集まり軽くお神酒を酌み交わして年賀の挨拶をした。10時から馬場八幡宮の元旦祭があり、その前の僅かな時間に婆様と娘と我が家の元日の祝い膳を囲む。
元旦祭も家事都合で早めに切り上げさせてもらっても、もう家族の昼食の面倒見が待っている、全く休む間もなくである。今朝も気温が下がって、風も加わって、神事の間の寒かったこと、感覚的には今年一番の寒さだった。そういえば去年の元旦祭も寒かった。
昼食後、例年なら二日か三日に詣でる阿蘇神社も今年はカミさん不在であるし、婆様も今年は出歩く元気が無いので、では、元日の初もうでにしよかと娘を連れて阿蘇神社に詣でる。例年、一番の人出が過ぎた頃の参拝だがさすが元日、今日は沢山の善男善女の参拝客で大賑わいだった。
何とかの節句働き、薪の在庫が怪しくなったので、天気が悪く悪くならないうちにと、夕方近くになってチェンソーをブン回す。元日そうそうご近所では驚かれたことだろう。
夕食に娘が年越し蕎麦を食いたかったというので、残っていた年越し蕎麦ならぬ、年を越した蕎麦を茹でてやったら、ウマイウマイと美味しそうに食っていた、娘は本当に蕎麦が好きである。考えてみたら、娘は生まれてこの方本当の蕎麦しか食ったことが無いのである。かくして、一年の最初の日が終わった、さて、ゆっくりと思っても、もう、体力が残っていない、眠たくて仕方がない、また、明日だ。
おっと、明日はまた熊本行きが待っている、明日も忙しそうだ、QSOパーティも出来そうもない。
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