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平成22庚寅(2010)年2月の記録(新しい日付けの順)


平成22年2月28(日)

 朝から雲ひとつない文句なしの青空が広がる。それに空気がヒンヤリと気持ちが良い。普通、真冬に、ヒンヤリと気持ちが良いなどという言葉は使わない、つまり、そういう表現に違和感を感じないほど気候が良かったと言うことである。

 二月は今日で終わりだが、毎年、この日に考える、短いことで喜ぶ人とそうでない人がいるのだろうなあと、小生の場合は、どうだろうか。

 娘が昨日あたりからまた咳をしている、熱はまあ、許容範囲ではあるが、平熱よりは少し高い。いつも週末に具合が悪くなると言うのは、潜伏期間を考えると平日の生活のなかでなにか引き金になるような要因でもあるのだろうか。明日は登校できるだろうか、そうでなければ、困ることがちょっとあるが。

 夕方近く、Aさんが、軽トラックを田んぼに落としたから引き揚げを手伝ってほしいと訪ねてこられた。現場に行ってみると、知り合いの方が既にユニックで引き上げてくれていた。小生の車ではちょっと無理なくらいの高低差がある所で脱輪して落ちていたようだ、よく怪我をしなかったものだと驚く、そのあと、小生の車で牽引して自宅まで送ったが、最近良く事故を起こすので、そろそろ免許返上を考えなければとおっしゃっておいでだった、手遅れにならないような早めの決断が必要だと思う。

 ハンバーグ(リクエストしてくれると助かる)、豆腐とニラの味噌汁、なめこのおろし和え、茄子の味噌油炒め佃煮風、キウイ。、
平成22年2月27(土)

 曇り、気温は相変わらず高め。夜に入って、またシトシトと降り続けている。

 娘を連れて一週間ぶりにカミさんの所へ。そろそろ退院ができそうな雰囲気だが、またどうなるか分からない。

 今日は、一番の繁華街、下通り商店街の途中から、銀座通りを抜けて、城に向かい、二の丸駐車場を突っ切って、県立美術館、護国神社、藤崎台球場を歩いてみた。藤崎台球場を下った、もう町家に入ったところに、熊本城の里程元標跡がある、その昔、豊前・豊後・薩摩・日向街道の起点となったところである。カミさんの所に行くたびにあちらこちら歩き廻るので、結構、周辺の地理に詳しくなった。

 今日は、熊本市内のスーパーに入ったところ、なにか試食コーナーがあって、例によって娘が、行ってみようというので、覗いてみたところ、五目御飯の素の宣伝をやっていて、炊きたてのそれを試食した結果、娘もウマイというので、そのまま立ち去り難く、結局、今晩は五目御飯にすることにしたが、オカズは何にしようかと、阿蘇に帰ってきてスーパーに寄ったところ、今度は、マイタケの天ぷらの試食コーナーがあって、またまたそれに手を出してしまったので、そのまま素通りも出来ずに、じゃあ、今晩は天ぷらにするかと、天ぷらの材料をいくつか買って帰ってきた。

 寺さんがまた本を沢山送ってくれた。あの男も、忙しい忙しいと言いながらも本だけは感心するくらいよく読んでいる、お陰で、小生もその恩恵に浴している、小生以上に婆様の方がその割合は大きいかもしれない。


平成22年2月26(金)

 昨夜から今日にかけて荒れるという予報だったと思うが、寝ていたからわからないが、昨夜は大したことは無かったようだ、朝には雨は上がっていて、散歩をしても田畑にそんなに降った形跡も無い、北にあった前線も夜の間に南の方に下がっていて、雨域もちょうど熊本県を避けるように、九州北端と九州南部を通過して行ったようだ、この先も大したことは無さそうだが、どうだろうか。

 雨で、屋外作業はできないので、デスクワークで時間を過ごす。

 今晩は、店頭にグリンピースが出ていたので、マメご飯にした、それにブリの塩焼き、生シラスのおろし和え、出来合の卵豆腐、ホウレンソウの味噌汁、デザート。品数はちょっと多いがどれも手がかからないものばかりだ。味噌汁は知らない人が多いが、実はパンのスープとして非常によく合う。特にホウレンソウの味噌汁にバターを入れるとパンにぴったりである。週末は大体パン食にしているので、今晩余分に作っておくと明日の朝にはこれが使える。味噌は日本が世界に誇る発酵食品である、小生は必ず朝晩、味噌汁を作るようにしている(尤もどちらかが残り物の場合が多いが)、世代が違うカミさんなんか味噌汁なんかどうでもいいと思っているようだが、娘には味噌の味をしっかりと伝えなければと思っている。


平成22年2月25(木)

 朝から風が強かった、ただ、風向きが南南西の風だろうか、卯の鼻の反対側、つまり馬場方面では強い風が吹いてても、卯の鼻のこちら、豆札側は卯の鼻が風を遮っていてほとんど吹いていない、散歩のときに田の中を歩いていて、体が煽られるくらいの風の時に我が家方面を見渡すと、国旗はそよりとも動かず、煙突の煙も極端には横に流れていなかった。これは午前中の話だ。午後にはもっとひどくなるかと思ったら、夕方にはいつの間にか風も収まっていた(18時現在)、これから先、どうなるのだろうか、明日は天気が悪いらしい、もうひと荒れありそうだが。

 婆様、今日はキツイという自己申告によりデイケアを休む、少しくらい無理をしても行った方が良いと思うが、キツサは本人にしか分からないのでその意思を尊重した、考えてみたら94歳、生きている方が不思議なくらいなのだから。

 毎日、三食の献立を考えるのに往生する。朝と昼は適当だが、夕食はちゃっと摂らないと、摂らせないといけないから、頭をひねる。小生は、(たまには良いが)てんやものが嫌いだからどうしても自分で作る。前日辺りからすんなりとメニューが決まっていると楽だが、その日になって、何にしようかと考えるときは結構憂鬱になる。

 昨日はハイウオのムニエルにしたが、これはあまり評判が良くなかった。こちらでハイウオとは、調べてみるとカジキのことのようだ、魚の名前は地方によって色々呼び名があるようだが、ほかにも、こちらで良く聞く魚の名前にガラカブという名前の魚がある、これはカサゴのことである。そのほかに、シャクという、これは魚ではないがなかなか美味の面白い海生動物もいる。

 閑話休題、ハイウオはカジキだから丸太のように年輪のようになっていて、小生の料理方法が下手なこともあって、どうもパサパサして食べにくかったらしい。実は先日、アブラカレイでムニエルをしてやったところ、白身の魚で、非常に上品で二人とも美味しい、美味しいと、魚に対するイメージが変わるほど喜んだので、昨日も柳の下のドジョウを狙ったわけだが、見事失敗した。

 そして、今日、スーパーで、またアブラカレイが売っていたので雪辱戦となった。今晩はそのほかに、これは小生の得意とするところであるが、イカとサトイモと大根とニンジンの煮物、タップリ作って明日も使える。それと茄子とタマネギのみそ汁、デザートにプリンである、どうだ、家族ども文句あるか、である。


平成22年2月24(水)

 今日も穏やかに明ける、朝のうち深い霧、その中を散歩すると、天然の加湿器のなかにいるようなもので、湿り気を帯びた優しい空気が胸一杯に広がる。北外輪のライブカメラも見事な雲海を映し出していた

 そして、日中は気温がグングン上がり午後には20℃を超えた。そのなかで、午前午後と薪作りをした。直射日光が強くて、さすがに、薪作りが苦行になり億劫になってきた、喉元過ぎれば冷たさ忘れる、というやつだ。


平成22年2月23(火)

 晴れ。昨日以上に気温が上がり、このあたりでは18度を超えた。予報では、今日は天気が悪いことになっていたが、晴天となり、朝方、少し霧も出た。

 北坂梨のN村さんからご提供いただいた(あそこは古閑あたりになるのか)薪材のクヌギの引き取り、最後の便、結構な量、今日で総て運び終わった。いつも皆さんに声をかけていただいて有難いことである。

 午後から婆様の定期通院で大阿蘇病院へ。


平成22年2月22(月)

 晴れ、今日も穏やかに晴れて、気温が上がる、昨日以上の暖かさだった。

 婆様デイケア。

 周辺で嘔吐下痢症が流行っているようである、そういえば、宮崎・佐土原方面でもその話が出ていた、どういう症状になるのか経験したことが無いので分からないが、こんな寒い時期に、ということは、食中毒系でなくて、風邪からくるのだろうか。

 婆様の部屋の加湿器も壊れたので、先日と同じものを買った。先日壊れた加湿器も、日頃のメンテナンスが悪いにもかかわらず十分に働いたので、まあ、両方とも納得のいく故障だろう、このあたりは、火山なので、水に石灰分が多くて、加湿器のフィルターなどすぐに真っ白に固まる。

 午後から、薪材を取りに行く、あと軽く一台分が残っている、それで最後だ。


平成22年2月21(日)

 久しぶりに冷え込んだ、阿蘇乙姫 -5.4℃(05:45) 、そしてこんな時には、夜が明けて当然のごとく青空が広がり、風も無く暖かい一日になった、仙酔峡の下あたり、小堀牧だろうか、野焼きでもやっていたのか煙が立ち登っていた。

 朝9時過ぎ、古閑明さんの出棺を近親者、村の人たちで見送る。こちらでは、ほとんどの場合、告別式の前に荼毘にふす。その後、組内の人たちは、葬儀会場の一の宮斎場に移動、正士さんと小生は、今回は「池掘り」担当のため、墓地に向かう。

 この「池掘り」とは、まだ土葬が行われていた時代の言葉で、埋葬のための穴を掘ることを言ったそうである。現在は勿論、そのようなことはしないが、役回りだけは残っていて、穴を掘る代わりに墓地の清掃をする。

 正士さんは小生と同年齢であるが、土葬時代を経験していて、当時の話を聞かせてくれた。当時は、土葬なので延期をすることができないので雨が降っても雪が降っても、穴を掘ったそうで、人一人を埋葬するだけの深さを掘るのだから厳しい作業だったらしい。そのほかにも、池掘りの際の細かなしきたりがあったそうで、色々と話を聞かせてくれた。

 こういった風習なども、いずれ忘れ去られる運命にあるのだろう。葬式組の役割分担には色々あるが、こちらにきて初めての葬儀の際に、異文化に触れたように驚いたが、今はもう、当たり前のように、普通に役割を担っている。ここに住むようになってから、組内の葬儀は、確か四度目になると思う。

 この役割の中に、「煮炊き」という役があるが、おときの料理は全部女性たちが受け持って、男の出番なんてないのに、何故こんな役があるのかと思っていた、以前、味見などをすると聞いていたが、そんなもんかと思っていたが、今日、昔は料理を作るに際して、薪で火を熾していたので、薪が大量に必要なので、薪を運んだりくべたりが男の役だったと聞いた、こちらのほうが、納得のいく説明のような気がする。

 この「おとき」、今日ようやく写真を撮ることができた、百聞は一見に如かずである、小生が知る限り、この辺りの葬儀の際の「おとき」は何処に行っても、総て、この献立である。昔から営々と受け継がれてきた献立なのである、これが、ことのほかウマイのである。

 午後一時からの葬儀、一の宮斎場に大勢の人が参列されて、故人と最後のお別れをした。(写真1写真2



平成22年2月20(土)

 久しぶりに晴れて穏やかな日和になった。

 珍しく、7時頃まで布団の中に居たところ、お向かいから、入院中の古閑明さんが今朝亡くなられた、という知らせを受けた。病気治療で入院中だと伺っていたが、そんなに悪かったとは知らなかった、満89歳におなりだったそうだ、古武士然とした風貌の村の長老がまた一人逝ってしまわれた。

 早速村の皆さんでお悔みに伺って、続いて葬儀の役割分担を決めた。小生の今回の担当は「池掘り」である。そして直ぐに帰宅して、朝食を済ませ、留守番の婆様の昼飯を用意して、あたふたと、娘を連れて、カミさんの所へ洗濯物などを届けに行った。

 熊本往復は向こうでの滞在時間を含めると、急いでも夕方近くまでかかってしまう。帰って、通夜の手伝いに駆けつけた時には、準備万端、もう皆さん集まっておいでで、会葬者もチラホラ。

 先日の婆様の入院の際に、豆札から三人が入院中だということで、婆様が退院した日に、そのお一人の藤井汰さんが無くなり、そして、今朝、古閑明さんが亡くなられた。幸いに婆様は今の所大丈夫だが、色々と考えさせられる。

 午後6時からの通夜式、明さん始め、古閑家の皆さんはお付き合いが広いので、大勢の方がお見えになった。告別式は、農協そばの一の宮斎場で執り行われることになったそうだ。


平成22年2月19(金)

 今日は「雨水」だそうだが、今朝も、子供たちが登校する時間帯には、あたり一面が真っ白になるほど雪が降りしきっていた。その天気も日が昇るにつれて穏やかになって陽も射していた、気温はどうだっただろうか、多分少しは気温が上がったのではと思うが実際のところはどうだったのだろう。

 午後、ようやく、DoCoMoでmovaからFOMAへ機種変更した(どうしてmovaは小文字でFOMAは大文字なんだろう)。最近、何度か店に行ってみたが、いつも混雑していて、それほど乗り気でなかったこともあって嫌気がさして帰ってきていたが、今日はたまたま前を通りかかったら空いていたのでついフラフラと入ってしまった。なんのことはない、各種機能を比較すると、結局はハイスペックのモデルを選んでしまうこの意志薄弱、これが服飾のファッションなら絶対にこうはならないが、こと、PCや情報端末なんかになるともう駄目である。

 こんなに小さな物体に、よくもまあこんなに、というほど沢山の機能が詰まっている、技術の進歩に驚くばかりであるが、小生に関しては、まずその一割も使わないだろう。


平成22年2月18(木)

 朝から雪が舞い、風があり、寒々としたなかを子どもたちは登校して行った、日中もあまり日が射さず、体感的には寒い一日になったが、夕方近くになってその寒さも少し和らいだ。

 そんななか、今年小学校に上がる子どもたちの体験入学があり、学校での行事の後、新一年生のB君が、登校班の一員として先生や保護者や仲間たちに守られるようにして帰ってきた。ここの登校班は、現在6名であるが、この春から7名になるそうだ。(写真1写真2写真3写真4

 去年、娘の時には、体験入学はあったのだろうか、ちょっと覚えていないので日記を遡ってみたら、2月19日、確かにやっていた、カミさんが出席している、帰りもちゃんと登校班で帰ってきて、その時の写真も日記に載せているが、小生が撮ったのではないので、記憶に無かったのだ、あの日は雨だったとある、あれから(もうorまだ)一年か・・・・・

 婆様、デイケア。

 午前中、豆腐屋のPCのサポートのやり残しを済ませる、今回はまだ商売ではない。

 昼から、クヌギを積み込みに行く、有難いことに、あと二台分はありそうだ。


平成22年2月17(水)

 曇り、夕方近くになって青空が広がる。

 みどりの爺様出場、子供たちの無事の登校を見送る。

 豆腐屋のPCのセッティングに出向く。ネットで注文してあったPC、数日前に納品があったそうだが、小生が忙しいということを知っていて、遠慮して、そのことが言い出せずに、ずっと店の隅に置いたままにしてあったそうだ。小生、たまたま昨日顔を出してその事を知ったので、今日、午前中、無事セットを完了した。

 昼から、薪作りをする、薪材は十分だが、そろそろ、薪の在庫が怪しくなってきていて、しかも、天気が安定しないので、少しでも、作れる時に作っておかなければ。

 ところで、テレビはどこを回しても朝から晩までオリンピックだ、ニュースの時間までつぶしてやっている、生と録画が切れ目なくひっきりなしに流れている。小生はあまり興味が無いので、アナウンサーの絶叫ばかりが目立つ、それも絶叫するほどの成績ではないのに何故だか一生懸命に叫んでいる、そもそも小生は別にして、国民はそれほどオリンピックが好きなのだろうか。ニュースの時間にはオリンピック以外のニュースをやってくれよ。

 ふと、書いていて思った、チャンネルを「回す」ということば、チャンネルをカチャカチャ回す時代があったことを知らない今の若い人たち、違和感は感じないだろうか、それとも、別の表現方法をつかっているのだろうか。


平成22年2月16(火)

 曇り。ここのところ、ずっと雲に隠れていることが多かった阿蘇山、ふと雲が切れて姿を現す頂上付近が、またいつのまにか雪に覆われている。

 午後から、「宝の山」にクヌギの積み込みに出掛ける。一台積み終わる頃に、霰が降り始めたので、今日の作業は終わる。残りはこれだけだが、あと二台かな、三台は無いかな。


平成22年2月15(月)

 今日は一日細かな雨が降って気分的に寒々とした日だった。

 婆様デイケア。

 今年も農協からジャガイモの種イモが届いた、もうそんな時期だろうか、もっと先だと思うが・・・・・
と、昨年に遡ってみたところ、昨年は3月31日にようやく植え付けていた、遅れに遅れていたようだが、それでも、生ったので、今年もその頃までは大丈夫だと言うことである。


平成22年2月14(日)

 曇り。今朝、少し冷え込む(約−3℃)。

 最近、婆様の昇降機のモーターの巻き揚げ部分から、昇降の度にキリキリという異常音がするので、新品と交換した。婆様の入院中にと思っていたが、あっという間に退院してきたので、今日になった。分解してグリスアップでもすれば良いのだろうが、こと命にかかわる部分でもあるので、万一の場合を考えて買い替えた。そもそも、このホイストは中国製で、価格は10Kしないのである。あまりの安さと製造国とを考えた場合、全く信用出来ない代物なのである、だから、丁度一年使ったところで、使い捨てするつもりで買い替えた方が良いだろうと思ったのである。この価格で200キログラムを吊上げるそうだから、どうみても怪しいのである。国産のものならその何倍もするのである。それを人の揚げ下げにつかうのもどうかと思うが、二階の手摺が邪魔になって、どうしても、最短フック距離が短いものが必要で、そういうことから、著しく信頼性に欠けるが、この機種しか適当なものが他に無いのである。万一の場合、途中で動かなくなることはあるかもしれないが、ワイヤが切れて落ちる心配はまず無いと思っているから、まあ、勘弁してくれ。

 ただ、問題が一つある。それは、同じ型番だと思うのだが、コントローラー(ペンダント)のコードの長さが全く違うのである。前のやつは、数メートルあったので、一階ででも、二階ででも、操作ができた。ところが今度の奴は、取りつけてから気がついた、精々二メートルくらいだろうか、これでは二階でしか操作ができない、仕様変更になったのかもしれないが、これは不便である。折を見て、前の奴とケーブルを付け替える必要がありそうである。

 N村さんから連絡をいただいて、午後、娘を連れて、「宝の山」の下見に行く。有難いことに枝払いも総て終わっていて、後は軽トラの荷台の長さに切って積んでくるだけで良い。当方の都合の良い時で構いませんよ、とおっしゃってくださっているので、空模様と相談しながら、運ぶことにする。(写真1写真2


平成22年2月13(土)

 曇り時々晴れ。

 娘が朝起きて寝ている間に歯が抜けたと言って持ってきた、起きた時に口の中に飲み込まずに残っていたようだ、今回の乳歯で5本目だそうだ。

 娘を連れて、カミさんの所に洗濯物などを届ける。大分良いようだが退院はもう少し先になりそうである。

 加湿器の一台が故障した、ずっと点けっ放しの機械だから下手に分解して(分解したところで分からないだろうし)、後になって火事になっても困るので、例によって娘がカミさんと飯を食っている間、街に出たついでに買ってきた。最近は工賃が高いので、修理より買った方が良いだろうと判断した。

 我が家の前から村の中に入っていく道が拡幅されることになったようで、ここのところ、測量などをやっている。拡幅には角のお宅の石垣の一部を削るようであるが、この石垣は子どもの頃遊びに来て、当時の色々な記憶の中にはっきりと残っている石垣で、その頃は、我が家の前の道は、荷馬車が一台やっと通れるくらいの細い道で、後年、道を広げるときに、我が家の側の土地を削って広くしたので、この石垣もずっと生きながらえてきた、多分江戸末期か、明治初期の頃に築かれたものではないかと思う、城の石垣のように見事な石組である、当時の姿が今、変わろうとしている、どう崩して、どう組み直すのだろうか、今の技術では昔のように簡単には組めないのではと少し心配である。


平成22年2月12(金)

 晴れ、時々、曇り。

 カミさんの代理で、市役所に国民年金への切り替え手続き、職安で受給期間延長の手続きに回る。

 午後6時より、馬場八幡宮総代の新旧役員交替の寄り合いが荒木商店であり、滞りなく会計業務の引き継ぎを完了した。これでようやく肩の荷が下りた。

 引継書の作成などで時間が取れず、阿蘇郷土史愛好会例会欠席する。


平成22年2月11(木)  建国記念の日(紀元節)

 日中、台風並みの、あるいは肩すかしの台風以上の暴風雨が荒れ狂う。公式記録の最大瞬間風速は、阿蘇乙姫で25.3m 南西の風(13:03)となっているが、ここはそれ以上の風が吹いて家が揺すぶられほどであった。我が家の先の三差路の鉄製の標語塔が風で倒壊したほどであった(根元が腐っていたせいもあるが)。

 朝、婆様をデイケアに送り出した後、娘を留守番させて、葬儀の手伝いに出る。

 行きたくないとグズる婆様を、半ば強制的にデイケアに送り出す。生活にメリハリを効かせるために、怒鳴りつけてでも行かせるようにしている。行きたくないとベッドで寝てばかりいると、駄目になりそうだからである、死ぬまでは元気でいた方が良いだろうと言うと、それは分かっているようである、そして、出掛ける時よりもシャンとして帰ってくるから本人も納得していると思う。

 朝九時過ぎに藤井汰さんの出棺があり、皆さんで謹んでお送りした(写真1写真2写真3)。こちらでは、ほとんどの場合、告別式に先立って、朝のうちに荼毘にふす。その時には雨も上がっていたが、昼前になって予報通り大荒れになった。告別式も荒れ狂う天気のもとで執り行われた、雨だけ、あるいは風だけであればまだ対処方法もあっただろうが、両方が一緒に来たのでお手上げ状態だった、施主、会葬者、手伝いの人々、総ての人がずぶ濡れになった、長く記憶に残るであろう告別式になった。

 葬儀の手伝いで、小生は、日中ほとんど家を空けていたが、娘は独りで家を守ってくれた、それでも、時々怖くなって、今、二階の方でヘンな音がしたとか、ビニールハウスが風で飛びかけとるとか、心細さそうに電話をかけてくるので、何度か家に戻って安心をさせた。

 阿蘇地方の葬儀。通夜と告別式があるのは、何処でも同じだと思うが、小生が以前住んでいた首都圏では、会葬者の人数はどちらかと言えば、通夜の方が多く、また、変な言い方だが盛大に行わる。従って、通夜の後で会葬者に精進落としとして、寿司や酒肴が用意されて、そこで会葬順に故人を偲んでしばらく歓談をしては三々五々帰っていく。性質が全く違うし、例えが不適切だと思うが、あくまで本番はクリスマスの25日なのに、24日のイブの方が注目されるというと理解しやすいかもしれない。

 これに対して、阿蘇では、通夜よりも本来の告別式に重きがおかれる、ほとんどの場合、告別式は午後1時から始まり、その前に、御斎(おとき)と称して、会葬者全員に黒塗りの御膳が出される。この御斎は判で押したように何処の葬儀に行ってもほとんど同じ内容である。ご飯とみそ汁と、油揚げと大根と昆布とをじっくりと煮込んだ煮物と香の物やヒジキの煮物、とオカラの和え物である(百聞は一見に如かずという、いつも写真を撮ろうと思うのだが、雰囲気的になかなか撮る機会に恵まれないでいる)。シンプルであるがこれがとにかくウマイのである、100年以上は優に続いている歴史ある文化であり、代々受け継がれてきた味である。不謹慎ながら葬儀があると、この御斎が楽しみなのである、皆さんにお聞きしても同じように御斎は美味しいね、という答えが返ってくる。小生はいつもオカワリをする、これも供養である。

 この御斎は普通、葬儀が出た家のご近所の家を御斎所として借りて、そこで、葬式組の女性の皆さんが前日から料理を仕込んで、会葬者に供するのである。100人200人という大勢の会葬者が告別式開始前の僅かな時間に入れ替わり立ち替わり座敷でこの御斎を頂戴するわけであるが、どうしても昼食時に集中するので、そのお世話をする葬式組の特に女性の皆さんは大忙しとなる。我が集落では、先年、公民館を再建してから初めて、今日ここを御斎所に使った。阿蘇でも町の方ではだんだんと「共同体」意識が薄れてきており、この御斎の習慣が無くなってきているようだが、坂梨ではまだまだ健在である、これも善し悪しであろうか。

 また、小生の過去の経験では、通夜に参列する場合は、その時に香典をお持ちしていたが、こちらでは、通夜には「目覚料」を用意して、翌日の告別式の時に香典を用意する。この「目覚」は、もともとは酒を持っていったようだが、今では、酒だけでなく目覚料として金員を包む場合が多いようである。

 こちらに住み始めて直ぐに、葬儀に参列したことがあるが、このしきたりが分からずに、通夜の時に「香典」を持って行ったこと、翌日の御斎を知らずに、食べずに帰ってきたことなど思いだす(もちろん、都合で告別式に不参の場合は通夜の時に香典をお持ちする)。


平成22年2月10日(水)

 雨、時々雷鳴。今日も気温が高かった、九州北部に前線が横たわっていて、前線より北の福岡県では気温は低めだったが、前線の南側の熊本、鹿児島は南の暖かい風が吹き込んで暖かくなったそうだ。

 昨夜、村の最長老、藤井鉄男さんの父上、汰(そろい)さんが静かにその生を終えられたこと、午後10時頃だったと思う(小生はその時もう寝ていたが)、区長さんからの連絡で知った、母が退院した晩に、入院中の同じ病院で亡くなられたそうだ。時々病院内で姿をお見かけすることもあったが、急に悪くなられたのだろうか、確か、96歳か97歳くらいだったと思う、次々に人が旅立っていく、なんだか寂しい限りである。

 寝入りばなの訃報に妙に目が冴えて、そのまま起きてしまい、PCのスイッチを入れてホームページを開いたところ、深夜のその時間帯、風の便りの現在接続中が、13を指していた、そして、しばらくしてもう一度開いたところ、今度は16を示していた。3や4というのは時々見たことはあるが、同時に十数人ものひとが閲覧しているのを知って、なんだか緊張を覚えた。

 明けて、随分久しぶりに娘が登校して行った、病み上がりで雨も降っていたので、特別に車で送って行ったが、無事に学校生活を送って帰ってきた(帰りも迎えに行った)、同じように休んでいたM君も今日から復帰したそうである。

 日中、カミさんの所へ、とんぼ返りで洗濯物をとりに行く、こちらのほうも大分良いようだ。

 夜、汰さんのお通夜が降りしきる雨の中、しめやかに営まれた。我々村人は葬式組といって、総出で葬儀の受付や御斎(おとき)のお手伝いをする。(写真1写真2

 御斎については明日の日記に記録する。


平成22年2月9日(火)

 軟らかい雨、それと、驚くばかりの暖かさ。せっかく着始めたというのに、長袖の下着では気持ちが悪くなるほどの高い気温、一体何度くらいあったのだろう。

 娘、今日も、咳があって、もう菌は出ないのだが、本人も気にして、また周囲にも迷惑をかけそうなので休ませた、ここにきて一日二日急ぐことも無いだろう。

 婆様、結局、異常無しで、午後になって退院した。わずか三泊四日だったが、やはりシャバは良いなあ、だと、まあ、祝着祝着(あと数日入院してくれたらもっと祝着なんだけど・・・・・・)。


平成22年2月8日(月)

 晴れ。今日は暖かかった。

 娘、血液検査の結果がようやく出た。結果が直ぐに出るものと、時間がかかるものとがあるようだ。マイコプラズマは陽性だった。陽性にも度合いがあるようで、ギリギリ陽性だとかのようだった。今日は既に平熱に戻っているが、咳が、特に食事の時に激しく出ることがあり、先生は、もう学校に行っても良いと思いますが、咳が出ると、本人も周囲も気にするからなあ、と、咳止めの薬を追加してくれた。明日から登校しても良さそうだが、用心のために、もう一日休ませるか。

 婆様、今日午後、内視鏡の検査があった。結果、これが不思議なことに、出血の跡が無いとのこと、あの、下血は何だったんだろう、もう少し様子を見てみますが、退院の方向で考えていて下さいとのこと、キツネにつままれた感じである。娘の、マイコプラズマの話をして、一つ家で暮らしているので、婆様が発症しなくても保菌者の可能性があり、万一他の患者さんにうつることになるといけないのでと、病院に届けたところ、では用心のためにと、婆様は個室に移った。

 なんだか大山鳴動だったようだ、(小さな声で)せっかくだから、もうしばらく入っていてくれよ・・・・


平成22年2月7日(日)

 体感的に、そんなに、とは思っていなかったが、今朝は結構冷え込んだようだ、阿蘇乙姫 -6.4℃(05:52)。その分、日中は穏やかな天気だった。

 朝、冷え込んだからと言うわけではないが、十年二十年ぶりというオーダーの「久しぶり」になると思うが、長袖の下着を着てみた、そしてこんなに暖かいものだということを初めてかのように知った。ここに住むようになってからは勿論、向うに居た時も長袖の下着を着た記憶がほとんど無い、今朝、ふと箪笥の隅にあった、勿論手を通しておらず、ずっと昔から入りっぱなしだった新品の奴だ、ちょっと風邪気味なこともあって、無意識に、今小生が倒れたら我が家は全滅すると思ったのかも、何気なくその下着を着てみたのだ。

 普段、夏場はTシャツ一枚で、秋から冬にかけてそれを下着にして、その上にスポーツシャツを着て、更に冬場はセーターを着る、だから、一年を通してTシャツが時には上着になり、下着になっていた。長袖のシャツというものは単に半袖シャツの袖を少し長く手首近くまで持ってきたというだけのものではないことが分かった、半袖の何倍もの保温力があるのだ、この歳になって初めて知った気分である、もう手放せなくなるかもしれない、我が家には今日着た一枚だけだろうか、もっとあっただろうか。

 坂梨校区新春駅伝大会が開催された。毎年、アマチュア無線クラブのマラソンテレビ中継に中継班として参加しているが、我が家の今の状況ではちょっと出掛けるわけにはいかないので、今回は勘弁してもらって、我が家の前の中継地点(五区)で応援をした。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 朝と夕方、婆様の様子を見に行く。今日は休日なので、そして重篤な病状でもないのだろう、点滴だけで特に治療も無いようで大人しく寝ていた、その後、下血もないようだ、明日、改めて検査をしてから治療法を決めるのだろうが、多分、数日の点滴だけで治るのではと思うがどうだろう。

 娘は、熱はほぼ平熱に下がった、もう重症化の心配は無いだろう、でも、けっこう咳が頑固で、まだ時々コンコンと乾いた咳をしている。明日、診てもらって、いつから登校OKか尋ねてみよう。


平成22年2月6日(土)

 晴れ。今朝、少し氷点を割り込む、日中は気温はそれど上がらなかったが、風が無くて比較的暖かさを感じた。

 今日の「お題」は、「またかよお」である。

 今朝、婆様が二階で呼ぶので行ってみると、便器の中を指さしている。便器の中が真っ赤になっていた、下血だ。間違いなく憩室からまた出血したのだろう。これが初めてならうろたえるところだろうが、経験済みなので、ああ、憩室だなとすぐ得心した。と、同時に、腹が立った。どうしてこういつも週末にいろいろ事を起こすのだと。

 今日は生憎、土曜日で、一応は午前中はかかりつけの病院はやっているが、平日の診療体制ではない、今日の先生も婆様の既往歴については知らない。どうしたものか、このまま騙し騙し月曜日まで待つか、でもこの先、どう転ぶかわからないのでやはり病院に連れて行った方がいいだろうと思案して、結果、病院に連れて行った。

 どうしましょうかと看護婦さんに事情を話して相談をもちかけたところ、そこは、決して自慢にはならないが、年から年中お世話になっている言わば顔なじみ、「お得意様」である、早速、相談してくれて、即、入院の手続きをとってもらった。

 まあ、憩室炎だから、数日の入院で良いはずだが、一旦入るとどうなるか分からないところがあるので楽観はできないが、とにかく、入院出来て良かった、早速点滴などをやってくれていたが、これで婆様も安心であろう、そして、何よりも小生がケアの時間が無くなって少しは楽になるというものである。

 婆様の入院騒ぎの間、娘を車で待機させておいて、間隙を縫って、古閑医院に経過観察受診に行く。血液検査の結果はまだ出ないそうなだが、回復に向かっていると思われるので、咳止めシロップだけ追加してもらって帰ってくる。果たしてマイコプラズマ肺炎なのかどうかまだ分からないが、同じクラスの子は、酸素吸入までやっているようなことを聞いた、個人差があるのだろうか、どうも、未知の病気は不安である。

 結局元気なのはオレだけか、小生だって少し風邪気味で寝ていたいんだぞ。

 全くの余談だが、大阿蘇病院の待合室に、コンビニがオープンしていた、いままで、知らなければ行けないような、ずっと奥の方にあった売店が無くなって、新たにコンビニが入ったようだ、街中のコンビニに比べたら品揃えは少ないが、歴としたコンビニである、別に病院利用者でなくても、近所の人は下まで降りずに用が足せる部分が結構ありそうで重宝しそうである。、


平成22年2月5日(金)

 晴れ。今朝の最低気温、阿蘇乙姫 -4.2℃(03:44)、昨日同様、日中は日が射したが、風邪が冷たくて寒い一日だった。

 娘、今日も点滴を受けに行く、悪くはなっていないが熱が相変わらずあまり下がらない、元気はあるので、もうしばらく様子見となるか、血液検査の結果は二〜三日かかるそうで、今日はまだ分からなかった。夕方、担任の先生と保健担当の先生が様子を見に来てくださった。

 昼から寒風のなか薪を作る。


平成22年2月4日(木)

 立春。氷点下3℃強の冷え込み、日中は陽もさしたが、気温が低くて寒い一日だった。

 婆様デイケア。

 娘の熱が一向に下がらないので、古閑医院で診てもらった。マイコプラズマ肺炎の可能性もあるようなので、レントゲンを撮ってもらって、血液検査もしてもらった。レントゲン写真は、先生に確認しなかったがデジカメ式になっているようで、直ぐにPCにつないで画像を見せて下さった。

 ネットなどで調べてみると、マイコプラズマ肺炎の場合、咳だとか呼吸だとかがひどくなくても肺が真っ白になるそうだが、娘の肺は少し白い部分があるかなと言う程度で、点滴を受けて帰ってきた。母親と娘とが場所は違うが同じ時間帯に点滴を受けていることになる。明日も点滴に行くことになっている。クラスの友達は重症化して緊急入院中したが、娘は38℃〜39℃の熱でも元気があるので、心配はしていない。夕方になって、少し改善の兆しが見えてきたかなというところである。

 娘は注射は全然怖くないそうでいつも平気で針を刺されている。インフルエンザの判定で、鼻に細い棒をつっこんで粘膜から検体をとるのは、あれは嫌だなあと言っている。
 
 一言でいえば今回のこと、原因は「驕り」だろう、朝青龍のことではない、某メーカーのことだ。


平成22年2月3(水)

 晴れ。今朝、氷点下まで下がる。

 娘、本日も起きぬけ時には平熱だったが、その後、37℃台を目いっぱいウロウロ。本日も学校を休ませる。元気ではあり、少しずつではあるが、回復傾向にあるようではあるが、思ったほど顕著ではない。ただの風邪だと思うが、今、周囲でマイコプラズマ肺炎と言ったと思うが、またもや、聞きなれないおどろおどろしい名前の病気が発生しているようで、これとの関連性を気にかけているが、特に悪くなってはいないしどうしたものかと思案中である。明日になっても回復しなければ、もう一度医師に相談しようと思っている。

 夜、日本の伝統行事の豆まきをする。何年か前に、この日に、太巻きを咥えてある方向を向いて黙って食べると言う風習があると言うことを聞いて、それは知らなかったと、早速、それに倣って、食ったところ、後になって、海苔問屋だったかコンビニだったかが海苔の消費だったかを伸ばすために考えたイベントだったかで、そんなに古い風習ではないということを知って、なんだか腹が立ってそれ以来、金輪際、恵方巻きなって食わないことにしている。バレンタインデーのチョコレートなんてのもそういう類のものだとは知っているが、若い頃、これは不思議と腹は立たなかった。


平成22年2月2(火)

 曇りのち、なんとか晴れ。

 娘、昨夜は喘息も出ず、朝にはほぼ平熱になった。用心のために学校を休ませたが、昼ころ、また38℃くらいの熱がでた、休ませて正解だったようだ。元気なので心配はしていないが、小生の行動が制約される。


平成22年2月1(月)

 昨夜からの雨、今朝も静かにそして、時々強く降り続く。その雨も夕方近くになってようやく上がり山が姿を現す。

 娘、朝、平熱に戻り、咳が少しあるが、元気に登校していった(用心のために車で送る)。

 婆様も、通常通り、デイケアに出掛ける。今月から要介護2である。


 ところが、娘、学校から帰ってきて、今日は学校でも大丈夫だったよと言いながらも、少しだるそうだったので、熱を測ったところ、39度を超えていた。ちょうど、その頃、デイケアから病院の方へ定期の薬貰いに回った婆様から、終わったから迎えに来てほしいと言う電話が入ったので、娘に、しばらく横になっていなさいと言って一旦婆様を迎えに行ってから、改めて、娘を古閑医院に連れて行った。

 最近は新型が減ってきたと思っていたら、どうも季節性だと思うがまたインフルエンザが流行り出す傾向にあるとのことだったので、念のために、インフルエンザの検査をしてもらったが、考えてみたら、まだ発熱して時間が経っていないこともあったのか、陰性だった。

 いつものように、薬をもらって、早めに寝かせつけたが、今晩喘息が出なければ良いがと思っている。



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