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平成22庚寅(2010)年11月の記録(新しい日付けの順)


平成22年11月30日(火)

 晴れのち曇り(というほどの曇りではなかった)。気温も昨日ほどは低くは無かったがちゃんと氷点下になって、昼間も風も無く、日ざしが心地よかった。

 今日は、細すぎて切り残された竹をノコで引いて倒したり、枯れ草燃やしたり、日当たりを妨げる裏手の杉の枝打ちをやったりと、終日屋外で過ごす。

 冬になってまたシイタケが沢山生えてきだした。コマ打ちの時だけちょっと大変だが、後は放っておいても数年間採れるので小生のような不精者には持って来いの農産物である。

 裏の竹が無くなったおかげで、城山展望所が見えるようになった、また家の北東部が開けて村の通りや北坂梨方面の眺望も開けた、三野あたりまで見えそうだ、こちら方面に向けてライブカメラを付けようかとまたちょっとムシが騒ぎ始めている。

 一日中ノコを引いていたので、右肩が上がらなくなるほど痛くなった、今晩は婆様の使い残しの湿布を貼って寝ることにする。モーラスなんとかと言ったなあ、確か紫外線に当ててはいけないと書いてあった、まだあるだろう。


平成22年11月29日(月)

 今朝は我家近辺は今季最低気温だった(坂梨豆札 -4.3℃(07:43))因みに、阿蘇乙姫 -3.3℃(07:53)、阿蘇山  -0.8℃(06:15)。(写真1写真2写真3) (写真1の霧氷は足元の野草を低姿勢で撮ったもの)

 午前中はさすがに屋外作業は出来なかったが、午後から気温も上がり、と言っても、12℃をちょっと上回る程度だったが、日ざしがあると体感的にはもっと暖かく感じる。それはミツバチとて同じで、日が当たるところは20℃くらいになるので、昨日は動きが無かったが今日は非常に活発に動いていた。さすがに最近はスズメバチは姿を見せなくなった。(ライブカメラの画面に寒暖計を置いておくと気温情報が送れるなあ、極めてアナログ的ではあるが、これが一番簡単かも)

 午後から薪作りをして、竹林の伐採に合わせて我家周りの下草を刈り取った。我家ができて初めて北東側、北坂梨方面のお隣さんが見えるようになった。整理が進めばもっと見通しが良くなるだろう。今までは敷地内、どこで立ちションベンをしても周囲を気にする必要が無かったが、これで、少しキョロキョロしなくてはならなくなる。

 圃場整備も終わって水が引かれたので、今の時期には珍しい逆さ阿蘇が見られた、明日も天気が良さそうである。(屋根直下の足場より撮影、絶景なり)


平成22年11月28日(日)

 曇り。今日は日中も気温が上がらず、7℃台を推移、風が少しあったので体感温度は5℃台で肌寒い一日になった。

 娘の図書館行きに付きあった以外は外に出ずに本を読んで過ごした。


平成22年11月27日(土)

 今季一番の冷え込み、阿蘇乙姫 -4.4℃(06:48)、阿蘇山 -4.4℃(03:35)。

 そして坂梨豆札-3.9℃(07:23)(写真1写真2)。氷点下もこのくらいまで下がると、目の前でまるで雪が舞うように木の葉がハラハラと一気に散って、見てる間に道路が落ち葉だらけになる。

 子供たちは、今日は学習発表会という行事で全員いつもの時間に登校、そして、カミさんがその発表会の参観に出かけ、小生は家で息の子守。

 発表会の様子はカミさんが写真を撮ってきた。
学習発表会連続写真 1/2 (14枚)
学習発表会連続写真 2/2 (14枚)

 テレビを見ていると、近々エコポイントが半減するとかで、この週末、家電量販店が駆け込み需要で大混雑だとか。小生、エコポイントが何かも正確には知らない、我家では今のところ地デジは買わないつもりでいるのでそんな騒ぎは別に関心が無い。決して無理をしているわけではないが、もし買うことになったとしても、アナログ放送が終わってしばらくしてやはり不便だなあと思ってからだろうから、その時は騒ぎが去った後なのでかえって安く買えるかも知れない。どうしても理解に苦しむこと、普段は己の義務を果たさずして権利権利と声高に叫ぶ国民が今回のことに関してばかりは特に疑義もはさまず、唯々諾々と地デジテレビを買いに走るのか、オカシイとは思わないのだろうか。それは分かっている、いつもなら、率先して煽るテレビや新聞が今回は何も言わないからだ。国民が如何に一人ひとり自分で考えることをしないかということがよくわかる。


平成22年11月26日(金)

 曇り、気温はここのところ同じような推移である。日が射さないと、同じような気温でも寒々する。

 昼から、三種混合ワクチン接種で、中央病院までカミさんと息を送迎する。三種混合が何か知らない、娘の時も確か、そう書いた記憶があるが、いまだに知らない。

 ネットオークションで火災報知機の子機2台を破格の低価格で落として追加設置した。これで、キッチンの親機と子機が4台になった。今回はゲストルーム(と普段言っている部屋)と小生のシャック用である。ゲストルームは普段使わないので、付けていなかったが、最近は小生がそこで寝る事も多いこともあり今回設置した。何よりも重要ポイントは小生のシャックである。恐らくここが我が家で一番出火の確率の高い場所であろう、無線機、パソコンタが何台もタコ足配線されていて、しかも綿埃の山である。我家の警報機は連動式というやつで、一台で感知すると全室の警報機が鳴るので、別の部屋で出火した場合、扉を閉めて寝ていても必ず聞こえるようになっている、割高であるが、命には代えられない。

 竹林の伐採が進んで、ちょっと離れて我家を眺めると背景の竹が少なくなって向う側が透けて見えるようになっていて、ちょうど床屋に行ったばかりで頭の後ろがスースーするような気分に似ている。


平成22年11月25日(木)

 朝、また霧が出た、外輪にあるライブカメラでは雲海に浮かぶ涅槃像を映していた。少しタイムラグはあるが、その時の我家からの阿蘇山、それから裏の川、そして子供たちの通学、午前中は天気が良かったが、午後から曇ってきて寒々としてきた。

 竹林がかなり伐採されて、竹に埋もれて見えなかった柿の木が姿を現した、今まで太陽が届かずに、かろうじて生きていたが、これからは太陽をいっぱいに浴びて、実を付けるだろう。伐採された竹は束にされて、田の暗渠排水に使われる。

 遠い縁戚にあたる内牧の甲斐博さんの訃報が今朝の新聞に載った、直前までお元気だったそうだ、86歳。甲斐家と我家とは祖母の出自でつながっている。午後1時より坊中の斎場でしめやかに告別式が営まれ、謹んでご焼香に伺った。

 内牧も坂梨も御斎(おとき)の献立は全く同じである。阿蘇のどの範囲までが同じ御斎の風習なのだろう、ただ、今日は、葬儀が終わって斎場を出る時に、出口のところで搗きたての小さなモチが粉がついたままお盆に載せて差し出された、小生、先頭近かったので皆さんがどうするか分からなかったので、その一つ摘まんで口に入れたがそれで良かったのか、このあたりが坂梨とちょっと違うのかもしれない。

 無線局免許状の更新手続き、電子申請にて完了、手数料も電子納付(ペイジー)にて完了、非常に便利な世の中になったものである、ただし、免許状の送付は切手を貼った返信用封筒を送れとのこと、おお、このデジタルとアナログの大いなるギャップ。

 紅白の出場者が決まったのだそうで、ニュースで「トイレの神様」という言葉が聞こえてきた、初めて聞いた言葉だ、そして、この日記を書いている今でもまだ分かっていない。曲名には違いないだろうがヘンな名前である、トレイの花子さんという言葉は知っているが、そんなものかと娘に訊ねたら、違う!と言う、どう違うかまでは説明してくれなかった、どっちみち紅白は見ないのでどうでも良がそのうちに自然と、どういうものか耳に入ってくるだろう。



平成22年11月24日(水)

 総じて晴れ、気温も低からず、高からず、と言ったところか。

 みどりの爺様出場す、年内にもう一回くらい回ってくるか。

 「喪中に付き・・・」の葉書の文面印刷をしたが、プリンターの調子が悪くて、結局一日がかりになってしまった、まだ宛名が残っている、二台続けて他人様から貰った中古だったが、随分と役立ってきた、そろそろ新調せよ、ということかもしれない。

 学校の退け時に迎えに行って、娘をインフルエンザワクチンの二回目の接種に連れて行く、娘の年齢だと二回打った方が良いそうである、幸いにしてこの辺りではまだインフルエンザは発生していないようだが、一旦発生すると、燎原の火のごとく、というやつで、あっという間に広がることだろう。

 阿蘇坊主殿のブログに「おとりこし」という言葉が出てくる、「縁なき衆生」ゆえ意味が分からず調べてみた、そして、「取り越し苦労」という言葉もここから出ている事を知った。

 「浄土真宗の宗祖、親鸞の忌日は11月28日だが、それを取り越して、その前に法要を行う事を「御取り越し(報恩講とも書く)」と言うそうである。親鸞の忌日の11月28日には本山で法要(御正忌報恩講)が行われ、全国から門徒や真宗末寺の人たちが本山に集まるが、法要は全国の真宗末寺でも行われるので11月28日に法要を行うと本山に行けないので、末寺では取り越して(日を繰り上げて)法要を行う。場所によっては地域や家庭でも行うそうで、そこで「御取り越し」という言葉が生まれたそうである。それが転じて先の事を考えるのを「取り越し」といい、それを無駄な苦労として「取り越し苦労」というようになったと言うことである。」またひとつ利口になった。


平成22年11月23日(火) 勤労感謝の日(新嘗祭)

 今日は少し風が冷たくて快適な日とは言い難かったが、それでも風がやむと日射しは汗ばむほどだった。

 日頃の勤労を感謝して今日はゆっくり休養をとる日(とは謳っていないが)、とばかりに、朝からノンビリしていたが、急に思いたって二階の手摺の塗り残しを塗った。大して時間はかからいだろうからサッとやってしまおうと午後から始めたところ、壁などは一面だけを塗ればいいが、手摺はぐるりと四面を塗らなければならず、また細かい作業になるので思いのほか手間取ってしまって、結局夕方までかかってしまった。

この一連の塗装作業、表側は足場を組むための取っ掛かりが沢山あるので比較的に楽であるが、裏側の妻壁や破風の塗装、どう足場を組んだらいいかサッパリ分からない、それと、ドーマーという、屋根をくり抜いて部屋を作った一角(東西に2.5か所ある)、ここも足場の組みようが無い、ロッククライミング風にやるかなあ。

 塗装作業を終わってPCの前に座ったところ、北朝鮮が韓国に砲撃を加え、交戦があったとネットのニュース速報が流れていた。今、ちょうど麻生幾の「瀕死のライオン」を読んでいるので思わずエッと思った。

 今日の息



平成22年11月22日(月)

 久しぶりの雨である、ほぼ一日中静かに降っていた。今日は「小雪」だそうだが、まるで「穀雨」のようなやわらかな雨だった、精々10ミリ足らずの雨量、夕方には空が焼けて赤く染まっていた。

 村の一連の工事は雨で全部休みになり、重機の音も無く静かな一日だった。

 娘は、今週の土曜日の学校行事の振り替えで本日休みだった。

 アマチュア無線局の固定局の5年ごとの免許更新(再免許)を電子申請で済ませる。総務省の電子申請はもともと非常に煩雑であるが、このアマチュア無線局の申請に関してはかなり簡略化されていて実質数分で終わる。といっても久しぶりなので、ちょっと戸惑いはあった。


平成22年11月21日(日)

 毎日のように冷え込んだ朝を迎えて、そして、絶好の小春日和。今日は屋外で作業をしていると汗ばむほどの暖かさだった、坂梨豆札18.9℃(13:22)。

(最低気温)
阿蘇乙姫 -0.7℃(06:39)
坂梨豆札 -0.7℃(07:37)
阿蘇山 5.6℃(02:01)

 朝7時頃、山の裾野に霧がたなびいているなと思ったら、30分後、散歩に出るころには深い霧に包まれて、それも、20分程度の散歩の間に晴れてしまった。ここは外輪の東の端にあるので、朝日が一番遅く射す。ちょうど散歩中に霧の中に外輪から太陽が上がってきた。霧が立つのとここの最低気温とが大体同じ時間なので、なんとなく納得がいった。

 今日は下屋のもう一方の側壁を作って、昼から薪作りをした、体の慣らし運転である。

 昨日倒れた木柱、ちょうど柱に合わせてコンクリートの枠が土中に残っていたので、腐ったところを切り取って一応差し込んでおいた、ちょっと寸足らずだが、転がしておくよりはいいだろう。

掲示板より転載
飲み会

 投稿者:JG1GMM  投稿日:2010年11月21日(日)09時07分49秒
  昨日、茅ヶ崎駅ローカルで飲み会がありました。
久しぶりに面白かったですよ。
約束ですので写真を2枚添付します。
各局の了解は頂いています。
 
    (風) 
 懐かしの面々ですね、皆さん歳を取った。
 GMM,UMQ,XEO,FHY,KJG,BUO、それから横溝さん(LNP?)、あとのお二人は小生はお会いしたことあるかなあ。
 皆さん局免は更新していますか、exじゃあないでしょうね。

 掲示板はやがて消えるから、日記の方に転載しておきます。
 


平成22年11月20日(土)

 今朝も昨日と同じくらいに冷え込んで、そして、素晴らしい晴天になった。

 娘は、来週の土曜日に学校行事があるために、その振り替えで、今度の月曜日が休みだそうで、今日から四連休だと言って喜んでいる。

 豊後街道坂梨宿が栄えた時代には多くの旅人が通過していったはずであるが、そのなかで記録がはっきりしている歴史上の人物として、このたび、高山彦九郎、伊能忠敬、勝海舟と坂本龍馬の顕彰碑が、坂梨宿場會によって建立され、本日午前十時からその除幕式があった。(写真1写真2写真3写真4写真5

 じっちゃいが熊本での治療の帰りに、重箱式のハチウトを作って届けてくれた。今までのように杉の丸太をくりぬいて作ったハチウトとはまた少し趣が違うウトでこれで都合三基になった、来春が楽しみである。ついでに、現在営巣中のハチウトをひっくり返してみた、巣がかなり下の方まで成長していたがスムシが少し湧いていた。

 入口付近にある「太邑生誕地」の木柱が根元が腐って倒れていた。市は予算不足なので建て替えは無理だろう、教育委員会の管理下にある、下の方に新しい木を継いで、修復出来るだろうか、然るべく断らなくても良いだろうか。

 息・太郎、ようやく首が座りかけで、腹這いになって、そろそろ首をあげる事が出来そうだが、ちょっとやっては、もうダメだあと音をあげている。


平成22年11月19日(金)

今日も朝は冷え込んで、日中は穏やかに過ぎて行った
 阿蘇乙姫 -2.0℃(06:51)
 阿蘇山   2.4℃(06:36)
 坂梨豆札 -0.3℃(07:12)

 下屋は周囲をしっかりと壁で囲い、窓やドアを付けるつもりだが、それは道楽の範疇にはいるので、優先度はまだずっとずっと後になるが、雨の横からの降り込みを防ぐ壁は必要なので、簡単に仮設で付けようと思って始めたが、半ば本格的になってしまったが、もともと手順を踏んで作ったものでないので、壁をはめ込むことに苦労して、結局、一日かかってしまった。

 竹の伐採が進んでいる

 大分前から気になっているのだが、最終目標は30,000だったはずだが、どう計算しても5,000にしかならないと思うけど、見方が違っているのだろうか、途中の目標なのだろうか、最終目標を変更したのだろうか。誰か言っていくだろうと思って見ているけど誰も言わないようだ、関係者も誰も見とらんということか。市役所と商工会と観光協会、その地域をPR・紹介するホームページの三本柱だよ。官と公よ、もっと命がけでやれ。
    <後日記>掲示板より転載

ようやく

 投稿者:おーさん  投稿日:2010年11月20日(土)20時00分42秒
  ようやく「そのページ」にたどり着きました。
10月18日に最低でも5000人に目標を変更したそうです。
http://www.asocity-kanko.jp/topics/ryouma/love/letter.html

龍馬伝は見ていないのですが、結構盛り上がっているのでしょうか?
 
    (風)  ああ、ありましたね、一生懸命探したつもりでしたが、タイトルのインパクトが強すぎてその記述に気がつきませんでした。こちらの新聞にも集まりが低調だと報道されていました、娘も学校から貰ってきて書いていましたけど・・・・

 龍馬伝は面白いと思いますが、小生も見ていません。

平成22年11月18日(木)

 本日最低気温、阿蘇乙姫 -2.3℃(06:09)今季最低、因みに、阿蘇山 0.2℃(03:08)、風師庵 -0.8℃(06:15)。ここでは申し訳け程度に氷が張った

 今日は、破風の右側を塗装すべく、梯子を架ける足場を組んでから、塗装にかかった。標準的なスタイル(写真1写真2)とイレギュラーなスタイル(写真1写真2)。今日で、表側の破風の塗装は完了

 水田だからいつも水があるのは構わないと思っていたが、排水が悪い田は良くないそうで、阿蘇は湧水が豊富で、豊富すぎて、場所によって田に水が湧くところもあって、そういった田には製材で出来る半端な木材である背板を田を掘って埋め込んで暗渠排水をする。その背板は腐りやすいそうで、最近、実験的に背板の代わりに竹を埋め込んで、排水の実験をしているそうである。K朝春さんの知り合いのT岡さんが、その実験で竹を欲しいとのことなので、我家の竹を提供することになった。ほんの僅かを残して基本的に全伐するつもりである。この竹林が全部無くなった時の風景はどんなものだろうか、気分的にスースーして落ち着かないかもしれない、今まで見えなかった風景が見られるかもしれない。どっちみち、根こそぎではないので、また春になると、タケノコが沢山出てくることだろう。カミさんは根ごと全部抜いて、その後にクヌギ類を植えたがっているが、全面は張った竹の根を掘り起こすのは大工事になるのを知らない。

 今日から重機も入っていよいよ伐採が始まった。今、豆札は、村中の道路拡幅工事と、S賀昭久さんの圃場の整備工事と、竹林の伐採と、それに忘れてはいけない、独りゼネコンの我家メンテナンス工事と、大賑わいである。


平成22年11月17日(水)

 晴れのち曇る。昨日同様、午前中は穏やかに日が射していたが、午後から曇ってきた、ただ、寒くは無かった。

 娘、今日から元気に登校した。

 今日はまだ体の節々が痛いので、あまり動かなかった、生コンの型枠の整理やパイプの片づけなどをして過ごした。

 近々、今度はボンの小屋を新しくしてやれなければならなくなりそうである。前々から、あの○○は(ああ、ここは伏字でなくてバカでいいんだ)天に唾するがごとく、自分の小屋の下を盛んに掘って、小屋が不等沈下を起こし、放っておくと首を突っ込んでいる最中に小屋が落下しかねないので、太い材木などを突っ込んでおいたが、いよいよ小屋自体が歪み始めたので、あまり猶予もなさそうである。仕事を作ってくれるな。

 そのボンの首輪の鎖をつなぐ部分の革ベルトがもう大分前になるが切れたので、経費節減で、直接、リングを首輪に通して鎖をつないでいたが、そのリングが首にあたって、毛が抜けて一部赤裸になっていたので、新しい首輪をナフコで買ってきて付け替えてやった



平成22年11月16日(火)

 本日の最低気温、放射冷却現象により、阿蘇山頂( -1.4℃(04:07))よりも、平野部の阿蘇乙姫((-1.8℃(07:03))のほうが気温が低かった、おなじ阿蘇谷でも、ここは「山付き」になるので、乙姫よりは下がらなかった(-0.2℃(06:10))、それでも周囲は霜で真っ白になっていた(写真1写真2)、娘、無理をすれば登校出来たかもしれないないが、用心のために今日も休ませた。午前中は抜けるような青空が広がり、風も無く柔らかな日差しに、庭に椅子を出してしばらくノンビリとした、午後に入ってからは曇り空になり、気温は景色ほどは低くはなかったが陰鬱な空が広がった。

 今朝、下屋を覆ったシートをはずしてみた、どうやらコラは命拾いをしたようである。そのコラのやつ、今度はまたこちらに興味を持ったようで、しばらく、出入りを見ていたが、やがて興味を失ったのかそのうちに離れて行った。熊だと蜜を取るために行動を起こすだろうが、ミツバチとネットで複合検索しても、ネコが悪さをするような記事は見当たらないので心配ななさそうである。
 
 生コンはまだ完全に乾いていないのでもう少しこのままにしておく。仕上がり具合、夜目遠目笠の内である

 とにかく、今日は体の節々が痛くて何もできない、と言いながらも、午前中、薪作りを少しだけした。

秋景数題 写真1写真2写真3写真4写真5
平成22年11月15日(月)

 曇り、気温はどうだったろう、仕事に集中していてどうだったか記憶が無い、着ぶくれると動きにくいので厚着はしていなかったが寒さは感じなかったから寒くなかったのかもしれない。

 娘、結局、風邪で休む。昨夜、ゼーゼーがはじまったらしくて、母親からネブライザーをやってもらったらしい、小生は全く知らずに寝ていた。熱は大したことが無い、古閑医院でいつものようにネブライザーと薬の投与を受ける。

 独りゼネコン、今日は足場屋も塗装屋も休みで、生コン打ちでヘトヘト、腕も上がらないくらい疲れた。

 午後一時に、ミキサー車がやってきた。スランプ15で1立米、15K。今日は撮影班が「不例」のため、小生の生コンの打設作業の記録写真があまりない。

 目算では、ミキサー車の生コンが出てくる樋状のもの(シュートと言うらしい)が下屋の奥の方まで届く長さだと思っていたので、奥の方にザーッ、真ん中へんにザーッと分けて落としてもれえば楽だなあと思っていたが、意外と短く、ほとんど、一番手前くらいの場所に落ちるので、手鍬で一生懸命奥の方に掻き寄せるところから始まった。生コンを運んできた青年も一緒になって手伝ってくれた。打設作業で転圧が必要だよとT雄さんからアドバイスがあったので、こういうものを作っておいて、大いに役立った。結局、午後1時から始めて、終わったのは午後5時、最後の方になるともう気力体力が無くなってきて、少しへこんでいるなあと思っても、まあ、いいか、で、作業終了。1立米でピシャリだった。とにかく疲れた。

 コラのヤツが生コンを打ち終わった場所に入ろうと虎視眈眈、追い立てても追いたてても近寄ってくる、危ないので拉致してその間にブルーシートで下屋を覆ったが、檻から出してやると、また興味深げに、シートの周りをうろうろしている。本気で入ろうと思えば、入れない事はないが、明日の朝、どうなっているだろう、もし、足跡を付けていたら、オマエ三味線の皮だからな。

 一昨日の日記で
>料金プランでちょっと気になる部分がある、週明けにでも、問い合わせてみようと思うが、もしかしたら・・・・・・
と書いた、そして、今日、市役所にその点を確認した。

 料金プランのスタンダードプランが5台以下の接続となっている。もし各加入者に割り当てられるIPがグローバルIPであれば、基本的にはそういった制限は無いはずである。事実、NTTのBフレッツでも、一契約で5台以下の接続制限が設けられているようであるが、これは、NTTの場合は、グローバルIPなので、実際に繋ごうと思えばいくらでもつなげるが、皆が快適に使うにはそのくらいが望ましいだろうと言うことで設定してあるのであって、物理的につながらないと言うことではないらしい。しかし、市で計画中の光ネットの場合は、料金設定がちょっと引っかかったので問い合わせてみたのである。

 結論的には、市が各加入者に割り振るのは、プライベートIPだということである。だから、物理的に、5台までしかつなげない。もっと大事なことは、プライベートIPではサーバーを立てる事ができないということである。サーバーにもいろいろあって、自宅サーバーは勿論駄目であるが、例えば、サーバー機能を内蔵したネットワークカメラを使って外出先から自宅の様子を動画で見ようとしても、それも出来ないと言うことになる。双方向のオンラインゲームも出来ないのではないだろうか、市としては一般的にインターネットが見られればそれで良いだろうと思って、そのあたりの説明がされていないのだと思うが、自宅サーバーは別としても、ネットワークカメラなどは極めて誰でも簡単に使う時代になているのだから、そういった事前説明が無いのは後で問題になりかねない、その点を市の担当者には話しておいたが、これでは小生の場合、全く使い道が無い。なんのことやらチンプンカンプンの人も多いだろうが、じっちゃいはこの部分は苦労して卒業しているから、フムフムと思って読んでいるだろう。

 そのじっちいが、 じっちゃいの日記(11/14付)で、今度は重箱式のハチウトを作ってくれたそうだ、これは如何にも立派すぎる、こちらで使うには勿体ない気がする、まるで殿様の道楽のようで面倒なことは全部他人任せ、全く以て申し訳ない。(写真1写真2写真3

 先日、光用に建てた支柱が短すぎたと言って今日また建てなおしていた

 佐賀直次君が亡くなったそうだ、何十年も会っていないが、お互いに毎年年賀状で元気な事を確認し合っていたのに、62歳、早すぎる。この時期になると毎年このように年末年始の年賀欠礼の葉書が届く、そういえば、我家もそろそろ準備をせねば・・・・


平成22年11月14日(日)

 晴れ、気温が上がって20℃を超えた。屋外作業をしていると汗ばむほどであった。間もなく日が沈もうとしている夕時でも、ハチウトの中の気温が高いとみえて、ミツバチが並んで盛んに風を巣の中に送っていた。真夏の方が当然太陽は強いが、太陽が真上近くを通るので木陰になってあまりハチウトに直射日光が当たることはないが、今の季節の方が斜めから日が射して、直接ハチウトを温めるので、かえって気温が高くなるのかもしれない。

 今日も塗装作業をした。塗装作業よりも足場作業の方が圧倒的に仕事量が多い。先ず、午前中は、家屋の破風の左下の方塗るために、4mもののパイプを一本追加したが、脚立の上に乗って短い方を持って、釣竿のように向う側を持ち上げるのであるが、単管も4mものになると非常に重くて悲鳴を上げるほどであった。このように記録を残しておいても、小生の代にはもう「次回」は無いと思うが、あの時はどうやってあの場所を塗ったかなど、とりあえず、記録する。

 この場所は、下が薪小屋になっていて、脆弱な屋根があるので、乗るわけにもいかず、中間に支柱などを立てるわけにもいかず足場板も余っておらず、大いに苦労した。結局、二本のパイプのうち上のパイプを足で挟むようにして、下のパイプに足を乗せて、トビも顔負けというちょっと危険な方法で、塗装をした。(写真1写真2

 塗装する範囲など極めて狭いところだが、あくまで安全第一で(上で危険な方法でと書いておきながら矛盾するが)、破風の右側の中間から右下方向も、パイプを組んで、そこに梯子をかけて塗ることにして、そのパイプ組みをしているうちに、日没サスペンデッドとなった。

 娘がまたちょっと風邪を引いたようだ、いつどこで、どんな状況の時に風邪を引くのか分からない、家に居る時ではないと思うが・・・

平成22年11月13日(土)

 曇り、それほど気温は高くなかったが風も無く寒さは感じなかった。

 生コンを沢山使わなくても良いように下屋の少し深い場所にバラスを入れて、底上げをした

 今日は二階から上の部分の手摺を除いて、チョコレート色の塗装がほぼ終わった。前の色と比べてちょっと濃い色のような気もするが、これで一向に構わない。終わったと言っても、二度塗りだともう一度塗らなければならないが、どうしたものか、新しく塗るのと違って、前の塗装が残っているので良いような気もするが。一度でも良いようにかなりたっぷりと塗りこんではおいたが。娘に写真を撮ってくれと頼んだが、自分でさっさとズーム調整してちゃんと撮るから大したものである、カミさんより余程上手い。(写真1写真2

 昨日に引き続いて、今日も光の工事をやっていた。昨日の螺旋状の線の中を軽快に線が引っ張られてくるので、こんどこそ、ファイバーケーブルだろうと思って訊いたら、いや違うと言う。ズルっである。ファイバーを引っ張るガイドラインだと言う。そして、そのガイドラインにつながってようやくファイバーケーブルが引かれた。工事の人たちに、毎日毎日うるさいジジイだと思われている事だろう。

 小生は当分、光でインターネットは使わないつもりだが、料金プランでちょっと気になる部分がある、週明けにでも、問い合わせてみようと思うが、もしかしたら・・・・・・


平成22年11月12日(金)

 昨夜は強い風の音で、午前0時頃、目が覚めてしまった(勿論その後でまた寝たが)。最高で12mくらいだったが、夜の風は周囲が見えないだけに必要以上に不安感を煽る。昨夜用心のために寝かせた状態で立てかけてあった梯子が風で倒れていた、結局音だけで被害は無かった。明け方にも強い雨が降っていて、娘は今日が遠足だったので、朝起きて、年に一度の遠足なのに・・・・と恨めしそうだったが、それでも、出掛ける時には雨も上がっていて、回復方向に向かっていたので、元気に出発して行った。今日は一二年生だけの遠足で、ファームランドにでかけていった。日中は穏やかな天気になったが、中国大陸からの黄砂で山が霞んでみえないくらいだった、毎年中国の黄砂には腹が立つが今年は一層腹が立つ。

 家の前で光の工事をやっていた。以前引っ張ったガイド用の線に螺旋状の線を巻いているので、これがファイバーですかと問うと、いや違うと言う。じゃあ、ファイバーはどうするのだと重ねて問うと、この螺旋状の線の中を通すのだと言う。螺旋状の線自体が中空になっていて、その中をファイバーを通すのかと更に問うと、そうじゃなくて、螺旋状に巻いた状態で出来る渦の中をファイバーを通すそうで、その工事はまた別なのだそうだ。つまり最初に引いたガイド用の線と同じラインで通るらしい、へえ、である。

 久しぶりに、阿蘇郷土史愛好会の例会に出席。今日の講演は、阿蘇火山博物館学術顧問・須藤靖明氏の阿蘇火山と文学について」。非常に面白かった。今日は圧倒的に時間が足りなかった気がする。内容は、阿蘇の噴火を描写した古今の文学作品のいくつかを紹介しながら、その記述から阿蘇の噴火について、それは実際にいつ噴火したもので、どの火口からの噴火でどのくらいの規模であったかを読み解くものである。

 阿蘇の火口は第一火口から第四火口まであって、現在は第一火口だけが活動をしていて、第二から第四はすでに荒涼たる火口跡しか残っていない。小生なんか、てっきり、それらは大昔に噴火したものだと思っていたが、昭和初年のころ、第四火口が一番活発に噴火をしていたこともあったということを知った。第一火口から第四火口まで連続して噴煙を上げている迫力ある写真もあった。そんな「最近」まで、第一火口だけでなく他の火口も噴火していたのである。

 氏の著書「漱石・白秋・清張と阿蘇火山」に詳しく書いてあるそうであるが、最早絶版になっているとのことだったので、早速古書をネットで探した、もっとも、近々電子出版では出されるようであるが、これは例のiPadで読むやつだろう。

 漱石の「二百十日」にしても、そういった観点で読むと当時の阿蘇山の活動の様子が良く分かる。昔の文学を読むと、盛んに噴火している最中に皆火口の傍まで平気で行って、噴石が飛ぶのを見たりしている。今のように、風向きでちょっとガスが向かってきたくらいですぐに入山禁止になるのとは大違い、その点を、氏に質問したところ、ガスは当時の方がひどかったと思いますよ、それでガス事故が起きなかったのは、今のように猫も杓子も(というのは小生の表現であるが)車で簡単に行けるようになったのと違って、その当時は徒歩で山に登ったので、それだけの体力がある人だけが火口に近付けたから、そういった人は気管も強かったのでしょうとのことだった。

 この歴史愛好会に我家の親戚筋にあたる山口ますこさんという米寿の矍鑠とした女性がいる。今までにも幾つか我家の先祖の事を教えてもらっている。今日、彼女から、偶然、赤松館の話が出て、「昔、覚えているけど、赤松館の間取り、豆札の家とよく似ていますね、豆札の家も立派でしたよ」ということを初めて聞いた。豆札の家とは小生が今住んでいる場所で、その昔、立派な木造家屋があったということは聞いたことがあるが、小生が子供の頃には屋敷は既に無く、離れの茶室に祖母が住んでいた事くらいしか記憶が無い。赤松館は太邑が設計したということになっているが、もしかしたら、ここにあった屋敷の間取りが気に入っていて赤松館に持って行ったのかもしれない、そんな気がする。そうか、昔、そんな屋敷があったのか・・・・

 夕方、カミさんが、風呂の栓をひねっても水しか出ない、キッチンも同じだという。昨日の風で何か線が抜けたのではないかという。「その線とは一体なんだ、風が吹いたら抜ける線がるのか!非科学的な事を言うな!」と言って、裏の給湯器の所に行ってみると、タンクの下の方から水が流れて地面が水浸しになっている。思いあたる節があるのでタンクの上の方に登ってみると、普段は「入り」と「出」との量が同じなので閉まっているオーバーフロー用の栓があって、イレギュラーに掃除などで水を抜く際などに給水栓を閉じるので、その栓を開放することによってタンクの水が無くなって真空状態になって大気圧でタンクがペチャンコにならに用になっている、その栓をコラ(シマ)のやつが、体を動かしたはずみで偶然開けてしまったのだ。だから普段は湯を使うと使った分だけタンクに水が入るのであるが、解放状態にしたので湯が流れ続けて、減った湯の分だけ水が入り続けて最後には水だけになてしまったということである。コラは寒くなると、その上に登って暖をとるのを知っていたが、こんなことは初めてである。おかげで貯湯タンクのお湯は全部流れてしまった、エライ損害だ、今晩は風呂無しだ、と言ったら、母娘して一の宮温泉センターに出掛けていった、アゼリアは整備休館中だ。


平成22年11月11日(木)

 明け方少し降ったようで、地面が濡れていた。穏やかで寒さを感じない一日だった。継続中の屋外作業は、諸々乾くのを待って午前中は見合わせ。その間、今シーズン初めてチェンソーを使って薪を作った。整備もしないで数か月放り込んであったので、なかなかチェンソーが始動せず苦労した。

 午後から、昨日やり残した足場をひとつ架設した。ただ、苦労した割には、この足場で塗ることができる範囲はそれほど広くない、さらにその斜め下の方を塗る算段をしなければならない。斜め方向に走る足場でもあれば一度で済むものを、こういった構造物の塗装は非効率である。

 それから、下屋の生コンの木枠を補強した、表側、下がアスファルト地で杭が打てないので、単管を外から当てがって枠が膨らまないようにした、これでもう大丈夫だろう。(写真1写真2

 今日の作業量は大した事なかったが、なんだか非常に疲れた、ここのところ急に働きだしたので、且つ、緊張を伴う作業なので疲労が蓄積してきたか。


平成22年11月10日(水)

 晴れ。気温は13℃くらいまでしか上がらなかったが風も無く穏やかな日だった。ミツバチも気温がそれほど高くないのに、元気に活動してたが、やはり日射しが巣箱にあたっているかどうかが結構ポイントのような気がする。

 下屋の生コン打ちで、水は低きに流れ水平に落ち着く、従って、ドロドロの生コンも液体のようなものだから、一か所だけのレベルを決めておけば、後は自然に水平に落ち着くだろうと思ったが、念のために、T雄さんに確認したところ、平らにはならないから枠の周囲に線を引いておかないとデコボコになると言う、実際に経験をして、プロの指導を仰いだ事があると言う。そうかなあ、とまだ完全に納得できず、そして、内心、出来れば楽をしたいので、基本はそうだけれども、まあ、そうしなくても落ち着くところに落ち着くよ、と誰かに言ってもらいたくて、セカンドオピニオンではないが、今、村中の道路工事の施工会社のS専務に聞いてみたところ、やはり、ちゃんとレベルを出して、線を引かないと駄目ですよと言われてしまった。うーん。しかたなく、レベルを出し始めたが、気が入らず、あす以降に延期した。

 足場を組んでから足かけ三年、いよいよ本格的な家屋の塗装に取りかかった。一番高くて危険な場所から塗ることにして、破風のてっぺんから塗り始めた。そのまま屋根の傾斜に沿って下がって行こうとしたが、片足は足場板が無いパイプの上に乗っているために、手で何かを掴んで体を保持できる頭頂部の塗装は楽に出来たが、この写真の赤丸部分には、足掛かりも手がかりも無く、落ちると痛そうなので、今日は一旦やめて、もう一枚外側に足場板をさし渡して、更に背中部分に手摺を付けることにした。どうせなら、ビクビクしてやるよりは、楽しくやりたいので、これで多分大丈夫だろう、あと半分、左側にも足場板を置かないと、あると思って踏み外すと、これまた痛いだろうから、明日、そこにも、足場板を置いて、改めて、作業を再開することにして、今日は作業は終わった。この最上部の足場板からの眺めがとてもいい、これから先、塗装が終わって足場を全部撤去することになっても、、この部分は屋上テラス的に工夫して残したいものである。

 高い場所は、何かの拍子でコワいと思うと、足がすくんで駄目であるが、気にならない時は全く高いことが気にならないから不思議だ。気にならない条件として、安全帯は絶対に必要である。安全帯をパイプに繋いでいるだけで、こうも気分が違うかと思うくらい、全く怖くなくなる。

 それにしても、今までぐうたらぐうたらしていたのに、この働き様、ヨワイ67歳にして、大工をやったりトビをやったり塗装屋をやったり、ついでにITをやったり、イヤイヤお父さん若い若い。と言いながらも、やはり最近は老いを自覚するようになって、朝起きた時には腰が曲がって伸びるのにしばらく時間が掛かる。

 娘が、学校から帰ってきてカミさん引率で髪切りに行った。我々は短い方が可愛いから短くしろといつも言っているが、本人は長くしたいらしくて少し延ばしていたが、水泳を始めたいと言うので、そうなら髪を短くしないと駄目だよと言ったところ、それで決心がついたようだ。子供の水泳教室があって、仲間の何人かが通っているのでそれに入りたいらしい。それで気管支関係が丈夫になると良いのだが。

 「坂梨校百年誌」が「豊後街道 坂梨宿」で本日から公開の運びとなった。発刊当時は興味が無かった人も今では非常に興味深いのではないだろうか。


平成22年11月9日(火)

 放射冷却でとことん冷え込んだ日は、それほど寒さを感じないが、中途半端な気温で太陽が出ずに、風があると、本当に寒く感じる。今日は風が強くて、時折10m以上の風が吹いていた、そんな時、外気温が10℃くらいだと、体感温度は半分近くまで下がる。屋外で作業をしていると、体が芯まで冷えてしまう気がする。

 今日は気温が10℃くらいまでしか上がらがなかったからか、ミツバチの姿がほとんど無かった。昨日スズメバチを捕えて透明のケースに入れてカメラに映るように巣のそばに置いておいたせいで皆逃げ出したかと思ったが、昨日はケース越しのスズメバチにミツバチは全く気にもかけていなかったので、姿を見なかったのは寒さのせいだろう。そう言えば、以前の観察で、14℃くらいにならないと動かなかった、ただ、日射しがあると、かなり気温が低くても巣から出てくる、重要なのは太陽なのだろうか、風が苦手のような気もする。

 午前中、下屋の生コン用の木枠を作ったが、寒くてあまり楽しい作業では無かった。ちょっと前までは暑過ぎて駄目だったが、あっという間に寒くなって、これまた屋外作業に適さなくなる、ここは秋が本当に短い。

 隣りの田んぼの改良工事、急ピッチで進められている。

 息の三四カ月健診があり、市役所に併設されている健康センターまで母子の送迎をする。(写真1写真2

 10月19日の娘の小学校の豆札探検の際に、ニホンミツバチの巣の見学に寄ってくれた二年生一同から、お礼のメッセージが届いた。全員顔見知りなので、みんなの顔を思い浮かべながら一つひとつ読んだ、みんなありがとう。


平成22年11月8日(月)

 終日曇り、気温は温暖だが、風が結構あった。

 毎朝、新聞を取りに出ると、いつもはコラが餌を欲しがってドアの向こう側で待機しているが、今朝はドアを開けるといきなりボンがヌッと顔を出した。首輪のクサリ止めが切れて自由行動状態になっていたのだ、ここを当然自分の家だと思っているので、別に他所に行くわけでもないから、出来れば放し飼いが一番いいのだが、訓練ができていないので、よそ様に迷惑をかけることになるからやはり繋がなければならない。

 今日は取りたてて書くことも無い、下屋の生コン打ちに備えてちょっと地ならしをしたり、間口の間隔が開きすぎている感じがするところに支柱パイプを追加して打ちこんだり。

 日記ネタが無いときに書こうかと思っていたことがある。北欧にシュールストレミングという世界一臭い缶詰があるそうで、話のタネに以前から機会があればを食べてみたいと思っていた。

 缶詰と書いたが正確には缶詰ではない。缶詰とは「食品を缶に詰めて密封したのち、加熱殺菌し、常温下で長期保存できるようにしたもの」だそうだが、このシュールストレミング、加熱殺菌をしていないので、缶詰の定義から外れているので「缶入り」ではあっても、「缶詰」ではないそうである。しかも常温下では缶の中で発酵が進み、缶が発酵ガスで膨張して、時として大げさでなく爆発もするらしい。

 以前、ネットで買おうと思って、探したが、すでに、その年に入荷した分は売り切れて買うことができなかった。そして、先日たまたま、思い出したので、ネットで調べたら、今年分が入荷しました、とあったので、買おうと思えば買えた。

 しかし、結局踏みとどまってしまった。買う前にシュールストレミングをyoutubeで検索してみたら、あるある、そして、例外なく、その臭さに、思わず笑ってしまうくらい右往左往して大騒ぎしている、やはりやめておいた方が無難のようである。

 琵琶湖の鮒ずしなんかも臭いので有名だが、発酵食品なので小生は臭いとは思わないし、美味いと思うが、このシュールストレミング、そんな生易しいものではなさそうである。


平成22年11月7日(日)

 今日は晴れのはずだったが、朝起きた時に細かな雨が降っていた、その雨もやがて上がったが今日は総じて曇り空だった、ただ、気温が昨日と言い、今日と言い、今の季節ではバカ陽気とでもいえそうなくらい高く、20℃を超えていた。室内の温度コントロールが大変である。

 今朝もまた午前二時に目が覚めて、そのまま起きてしまった。勤め人では無いので無理に寝なければということもないので自然体で行くことにしているが、朝が早い分、どうしても寝る時間が早くなって、娘よりも早く床に入ってしまうことが多々ある。最近はほとんど全くテレビを観ないので、夕食後はゆっくり寝ながら本でも読もうとするが、横になるとすぐに睡魔が襲ってくる、まさに老化現象であろう。

 我家ではここのところテレビ離れが著しい。別に地デジ化に抵抗しているわけではないが、精々夕食時に合わせて7時台のニュースとそれに続く8時くらいまでの番組を見てあとは消す。娘もそういう環境に居るので、自然に別に観たいとも云わない。何かの流れで観ていた番組を消すと、観たいと言うが、そうでもなければ娘も全く無理をしているわけではない、娘はどんな番組をやっているか自体知らないので観たいと言う気も起きないのだろう。そもそも夕食が終わるともうそろそろ就寝の時間だから観ている暇は無いことになる。それでも親が見ていると、そのまま観るだろうが、幸いなことに観たい番組が最近では全く無いので、テレビが無いことの苦痛は全然ない。娘は時々テレビの話題で友達同士の会話に乗れないことがあるようで、親としてこの点はちょっと考えるが、それで不平を言うことは全くない。もしかしたら、アナログテレビが終了したら、そのままテレビと決別できるかもしれないくらいだ。「龍馬伝」、あれは面白くて当初毎週欠かさず見ていたが、婆様のことがあって、何回か観損なっているうちに、そのドラマさえ、特に観ようとも思わなくなってしまった。観れば面白のだが観なければ観なくても済むのだということが分かった。「てっぱん」は、あれは毎日楽しみに観ている。それから年末の「坂の上の雲」、あれは是非観たいと思っているが、観なければ観ないで済むのかもしれない。

 この暖かい陽気に誘われてかミツバチが非常に活発で、巣箱の前にこぼれ落ちんばかりに密集していたので、その直前に来ていたスズメバチのせいかと思ったが、退治したあとも一日中、巣箱の前に群れていた。集団脱走の準備でもしているのかと思ったが、そうでもなさそうである。今日もスズメバチを二匹退治したが、いつも監視しているわけでもないのに、スズメバチを目にするところをみると、普段でも結構頻繁にやってきているのだろう、金網で結界を張ってあるので、何匹かはやられていても、歩留まりの範囲内なのだろう。

 我家に隣接するS賀昭久さんが、農作業の効率化を図るために現在段違いになっている田を均して一枚にするのだそうで、その作業が週明けあたりから始まるようである、今日は四方祓とでも言うのかお寺さんのお祓いや測量など事前の準備で賑わっていた。工事と言えば、村中の道路拡幅に伴う、石垣の移動工事、色々な事情があったのだろうと想像するが、結果的に、復元することはなくなったそうで、現代風の石垣にとって代わってしまった、当事者ではないのでただ残念である、としか言いようが無い。


平成22年11月6日(土)

 晴れ。

 最近、阿蘇山の仙酔峡ロープウェイが廃止される方向に動いているが、それに関連して、昔、阿蘇山の東西ロープウェイを結ぶマウントカーというバスが走っていたという話を聞くが画像情報がトンと無い。周囲の人に聞いても、乗ったことはあるが写真は無いと言う。そうなるとどうしても見たくなるのは人情で、ネットで探したところ、ある人のブログにその一枚だけ写真を見つけたが、そのブログも無くなったか、改めて探し当てられないかで、見る事が出来ない。そこで、周囲に事あるごとに、マウントカーの写真を持っていないか尋ねたところ、JH6KVFが知り合いから借りてきてくれた。残念ながらバス自体を大きく撮った写真は無いが、まるで月面を走るがごとき風景の写真が二枚、提供者の意思に反した使われ方がされないように、とりあえずスカシを薄く入れておくことにした。(写真1写真2

 じっちゃいが、熊本の帰りに来年用のハチウトを作って持ってきてくれた。全く思ってもみなかったことなので大いに嬉しい。今年はもう入らないが、少し風雨にさらした方が良いとのことで、早速、今のウトのすぐ隣に設置しておいた。来年分蜂する際に、そうそう上手くこちらに入ってくれることにはならないようだが、それでも運が良ければ入ってくれるそうである。(写真1写真2


 今日はアブラムシが雪のように舞って口を開けていられないほどであった、この虫がなんなのかを平成18年11月1日(水)の日記に書いてあるが(10月26日,27日にも関連記事)、アブラムシだそうだ。その年の気候によって大量発生することがあるようで、ここ何年かは見られなかったが、今年は久しぶりの大発生になったようだ。

 坂梨小、及び、坂梨の貴重な歴史資料、「坂梨校百年誌」を大分前に高木義臣さんがデジタル化してくれていたが、今日思い立って、当時編集責任者だった故・渡辺文吉氏のお宅をお訪ねして奥様にネット掲載の了解をいただいてきた、近いうちに掲載しようと思う。

 息・太郎の4ヶ月目の誕生日である、恒例の体重計測と定点観測、それにオヤジによる洗髪シーン(オヤジは毎日これをやらされているのだ)。体重は8キロちょうどだった。娘はテレビでなにか見たいアニメがあるとかで不参加だった。

 風が無いのか、夕焼け空に中岳の噴煙が良く見えた、明日も天気が良さそうである。


平成22年11月5日(金)

 晴れ、昨日ほどでは無かったが今朝も冷え込む、そして、朝のうち濃くは無かったが霧が出た

 カミさんの健康診断で、ほぼ一日、息の子守で動けず。小生は国保なので、市が主催する健康診断を受けるが、カミさんは健康保険の任意継続中なので、組合健保だか、協会健保の健康診断を受けることになっていて、国保より丁寧に診てくれるのかどうか知らないが、長時間家を空けた。そういえば政府管掌の健康保険というのがいつの間にか無くなって協会健保という名称になっていた。実社会を離れて10年近くなるので、制度の色々が変わっている。

 夕方、下屋の鼻かくしを取り付けてから、塗装をしてみたが、この塗料、家の破風や鼻かくし用に買ったものだが、今日塗ってみて、家のそれらの色と随分違う、また買い直さなければならないかも。

 最近、阿蘇市の「webTVアソ」がほとんど連日のようにコンテンツの更新を続けている、なかなか結構なことである。


 我が国の尖閣諸島での領海侵犯暴力事件、今朝のニュースで、オリジナル画像が流出してネットで公開されていると伝えていた。一旦世に出てしまった以上、公序良俗に反するものでもないので、この国でまさか削除されることは無いだろうと思っていたが、見事に削除されてしまった。

この映像を見ると、明らかに国内での犯罪行為ではないか、それをみすみす何もしないでお帰りいただいたのだから、国民に対して映像を公開するわけにはいかなかったのは当然だろう、中国に対して慮ったのではなくて、国民の生命財産を守る覚悟も何もない政府の自己保身のために国民の目から隠したかったのだろう、これでは命を張って最前線で国を守っている人たちはたまったものではない、天網恢恢疎にして漏らさず、義憤に感じて正義の味方月光仮面(とテレビで上手いことを言っていた)が情報を流したのだろうが、それにしても、公安のデータ流出事件など、我が国の情報管理、危機管理態勢はどうなっているのか、もう完全に政府の体をなしていない。先日、まるで特権でもあるかのように、得意になって非公開映像を見ていた国会議員連中、今になってみれば滑稽そのものである。

 そういうこともあるだろうと、早朝、削除される前にダウンロードはしておいたが、夕方インターネットをみてみるとコピーが氾濫していた、削除までの時間が掛かり過ぎるのだよ、(国から小さな自治体に至るまで)ネット社会に対するこのあたりのセンス笑ってしまう、中国の爪の垢でも煎じて飲めばいい。一体どういう手続きで削除されたのだろう、一体誰の判断なのだろうか。


平成22年11月4日(木)

 我家では今季初の氷点下(-0.6℃(6:45))になったので、起きぬけにハチウトのところに様子を見に行ったところ門前で数匹死んでいるのか動かないで転がっていた。そもそも前日、日が落ちると巣の中に入ってしまったうチがどうして、外に居るのだろうか、外気温を偵察に出て、その寒さに凍死してしまったのだろうか。もしかしたら忙しくて見ていなかった間に昨日スズメバチにやられたのを気がつかなかったのだろうか。そう言えば、ホイホイが古くなって、粘着力が弱くなっていると思われるので、新しいホイホイをセットしておいたが、日が昇って他のハチが活発に動き始めるころ、ころがっていたハチがモソモソ動き始めた。今回は完全に死んでいるとばかり思ったのだが、ハチの生態、不思議なことばかりである。

 今日の氷点下で薄く氷が張ったが、あまりに薄すぎて、少し動かしただけで一瞬のうちに儚くも周辺だけ残して水に融けてしまった、その程度の氷点下だった。そして、今日も天気が良かった

 下屋の波板張り、ようやく終わった、後は鼻かくしをつけたり、雨どいを付けたりで、屋根部分は完成する、ノンビリやることにする。

 ようやく娘のインフルエンザワクチンの接種ができた。風邪を引いて、直ったと思ったらまたグスグス言わせたりで、なかなか接種のタイミングが掴めなかった。娘の年齢だとあと二三週間後にもう一回打つことになる。


平成22年11月3日(水)  文化の日(明治節)

 本日最低気温、阿蘇乙姫 -0.5℃(06:41)、 風師庵0.3℃(6:26)。

 起きぬけに、外気温を調べてみた、異常に下がっていた、何かの間違いではと思ったが、確かに下がっている。今朝は気温が下がりそうだということで、昨夜のうちに太めの薪を放り込んで寝たので、室温が下がらずに寒さを感じなかったので、そこまで下がるとは思わなかったのだ。ここまで下がったのであれば、中途半端にやめずに、あとコンマ数℃下がって、どうせなら氷点下まで行ってしまえば、と記録計を眺めていたが、ここではそこまでは下がらなかった、それにしても一気の低温である。

 アメダスのある乙姫は阿蘇谷の平野部なので、山付きのここよりも放射冷却が強かったのだろう、氷点下まで下がったようだ。坂梨でも、薄氷が張ったそうだが、我家では気がつかなかった、その代わり、霜が真っ白に降りていて、車のウインドウはガチガチに凍っていた。

 朝冷え込んだ分、素晴らしい夜明けで(写真1写真2写真3)、昼間も穏やかで温かく、日向ぼっこ、そして、散歩日和になった。屋外作業では暑いくらいでモモヒキやセーターを脱いでシャツ一枚で作業をした。

 今日は、下屋制作の一番の難工事だった。家の軒と下屋の屋根との隙間が狭いので、釘が打てないので、屋根全体を一旦、軒から外に出して、釘打ちや波板を貼ってから、元通りに納めようと思い、多分、重量的に数十キロになるはずだから、一度でも下におろすと絶対に一人では上げられないと思ったので、下屋の屋根勾配の延長上に単管を継いで、その上をスライドさせて、軒に隠れている部分を外に出してから、加工してから改めて奥に戻すことにした。

 スライドさせて、屋根全体を露出することは計算通り上手く行った、そして、波板貼りも予定通りだった。しかし、元に戻すことが、これが大誤算、大変な作業になって、最後には投げ出してしまいたくなったくらいだ。

 重い屋根を上り勾配でスライドさせるだけでなくて、垂木クランプが沢山ついているので、それがら障害になって、どうしても、動かない。頭蓋骨や肩をジャッキ代わりに屋根を持ち上げようとするがビクともしない、その上に、軒との隙間が狭いので自由度が無い、考えられる手立てを全部使って、日没前にようやく、納まるべき場所に納める事ができた。今日の8割方の作業が屋根部分の収納に費やした。あとは低い方の波板貼りが残っているが、これはもう楽勝だろう。


 今日も道路拡幅工事は進められていた、写真は朝のうち、工事が始まる前の様子である。(写真1写真2写真3写真4写真5)。石垣を後退させて道が広くなってカーブは緩やかになるので、村の入口からずっと奥まで見通せるようになった。


平成22年11月2日(火)

 風師庵の今朝の最低気温4.1℃(4:07)、アメダス阿蘇乙姫 3.9℃(06:11)、勿論今季最低気温だった。朝、また地面が濡れていたので少し降ったのだろう、そのせいか霜は降りていなかったようだ。久しぶりにストーブを焚く。

 みどりの爺様出場日で、いつもの辻に立つ。

 午前中、横桟(母屋)にする材木を買ってきて、作業を始めたころだったか、車が一台入ってきた。大阪ナンバーだったので、ああHさんだなとすぐに分かった(構わないとおっしゃるだろうが、実名報道?の了解を得ていないのでイニシアルにする)。Hさんは一昨日の宵に、電話で話をしたあのHさんである。もう熊本を発たれたかなと思っていたが、まだ御滞在中だった。

 一昨日の日記での小生の想像では、広永OM経由で小生のことをお知りになったとばかり思っていたが、お聞きすると後者の方であった。何年か前に阿蘇という言葉と、もう一つ別のキーワードでインターネットを複合検索していて、たまたま小生のホームページにぶつかって、阿蘇ご出身ということもあって、それ以来、ずっと読んでくださっていたそうである。そして、たまたま同窓会で、広永OMから阿蘇の(小生の)話が出て、おお、その男なら知ってるぞ、ということになったそうだ。いくつかの偶然が合わないと決して出来ないストーリーで、まさに事実は小説よりなんとやらである。

 今日おいでいただいて、色々話を伺っていると、これまた偶然にも氏の大学時代の恩師が、小生の父の従弟にあたる、阿蘇出身の英文学者の甲斐弦だそうで、我家にある何冊かの甲斐弦の著作を手にとって学生時代のことを心から懐かしそうに話をされていた。Hさんは(ご夫婦とも)阿蘇のご出身だということもあって、共通した話題も多く次から次に話がつながって、あっという間に時間が経ってしまい、お別れするのが大いに名残り惜しかった。これもインターネットが無ければ決して生まれる事のない人とのつながりである。これを機会に今後掲示板にご登場されるであろう。

 午後から、下屋の制作にとりかかったが、ちょっとペースが落ちてしまった。というのは制作に逡巡が入って、このまま今の方法で続けた方が良いだろうか、それとも今ならまだ引返せるだろうか、別の方法に変更するか、と迷いながら作業をしたからである。小生も、今回の制作に入りながら、せっかく野地板を貼るのだから、波板以外の方法で何か気の利いた方法はないだろうかとネットで調べて、これは面白そうだなあ、と相当興味が湧きながらも、そうなるとこのまま一気に、というわけにはいかないし、ある程度は下勉強も必要だろうし、やっぱり、今回は、最初の計画通り波板で行こうか、と思っていた矢先、まるで迷っている小生の心の隙を突くかのように、ミモザさんに「アスファルトシングルを貼ったら?」と悩ましくも誘惑されてしまって、グラッと来てしまったのである。そうなんだよなあ、これやってみたいと思っていたんだよなあ。そこで、手が止まってしまったのである。しかし、今回はポリカの波板を10枚以上、それと桟木も買ってきてしまったので、今さら、ここで止めるわけにはいかず、後ろ髪を引かれつつ、波板でいくことにして作業を進めたのである。というわけで、今日は、桟木を打ちつけるだけで終わってしまった。今回の下屋作りが最後ではなく、また別の場所に作ることになるだろうから、その時は是非アスファルトシングルに挑戦してみたいものである。



平成22年11月1日(月)

 曇りのち晴れ、の予報が、朝から細かい雨が降っていて、せっかく下屋の養生シートを外したのに、また濡れてしまっていた。その雨も朝のうちには上がったが、山の天気は予報通りにはいかないようである。

 今日は、垂木の間隔が広すぎるので、各垂木の間に新たに垂木を追加した。それから波板を買ってきて、さて打ちつけるとするかと並べてみたが、思わぬ計算違いで、作業が出来なかった。正確に言うと、もともと計算などしてないから、計算違いではなくて、目算違いというべきか。波板を野地板に打ちつけようとしたところ、波板用の釘が長くて、野地板を貫通してしまう、ということはコンパネ程度の厚さでは波板を打ちつけるには板厚が薄すぎるということなのだろう。結局横桟(母屋)を打つ必要があるということだ。とりあず用心の雨除けのために波板を並べて敷き詰めて、明日、仕切り直しをすることにした。たかが下屋である、もともと野地板なんか要らないのだから、もっと、簡単にやってしまえばいいものを、どうも作ること自体が目的のようになってきている。

 村中の道路拡幅工事で、お向かいの家の石垣を現在の位置から少し後退させる必要があり、今日その石垣の取り崩し作業をやっていた。昔からある見事な石垣で、後退させて元通りに復元するために、石のひとつひとつに番号を打って崩していたが、石垣にあまり縁のない現代の技術では、たとえ番号を打ってあっても、元通りに復元するノウハウがどうなんだろう、結構難しいのではないだろうか。(写真1写真2写真3
 
 年に一度の浄化槽汲み取りがあった。隔月の点検と年一回の汲み取りがセットになっている。





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