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平成23辛卯(2011)年1月の記録(新しい日付けの順)


平成23年1月31日(月)

 曇りのち晴れ間。本日の最低気温は、深夜に -5.7℃、朝少し雪がちらつく。

 こんな寒い日は冬籠りに限ると、ボンの散歩以外は外に出ずに、デスクワークをしていて、ふとモニターに目をやると、外気温、8℃くらいなのにハチが結構出入りしている、その時には日が射しているからだろうかと思って、久しぶりなので写真を撮ったが、後から、そう言えば、あのハチども少し黒っぽかったなあ、と気になって、再度確認に行ったが気温が下がっていて巣の中に入ってしまっていてもう姿が見られなかった。ただ、一匹死んだハチが居たので、良く観ると確かに1胴が黒い。これはもしや、2010/10/22の師匠じっちゃいのブログにあったあれだろうか、黒いと言ってもどの程度の黒さがそうなのだろうかと心配になってきた、明日、巣の中を覗いてみようと思う。

 昨日実施の市議会議員選挙投票結果


平成23年1月30日(日)

今朝の最低気温 -5.3℃、新聞を取りに出ると、雪が一センチほど積もっていた。新聞配達のバイクの轍がついていなかったので、雪は配達後に降り始めたのだろう、そうすると4時頃からだろうか。

 日中も時々雪が風に舞って真冬日の寒い一日だった。

 午前中の早い時間に、市議会選挙の投票に出掛けた。そのあとで、先日預かったPC、リカバリーが済んだのでM永夫妻に届けて、昼まで指南をしてきた。


平成23年1月29日(土)

 曇り、午前中時々小雪舞う、最低気温-5.2℃、風もあり、寒々とした一日だった。

 カミさんが定期健診で熊本に出掛けた。いつもなら家族で出掛けてついでに昼飯でも食ってくるところだが、インフルエンザを避けて、カミさんだけが一人で出掛けて、我々は留守番をした。小生は息の子守で今日は全く外作業は無しだった、授乳一回、ウンチ処理一回。

 市議選の運動も今日限りで、寒空のなか、あちらこちらから選挙カーの声が風に乗って届いていた。明日の夜には市民の審判が下る。


平成23年1月28日(金)

 総じてうす曇りと言ったところか。

 朝、じっちゃいのブログをみて驚いた、ライブカメラが霧がかかったように白く霞んでいた。日記を読んで新燃岳噴火の降灰によるものだと知った。じっちゃいの家は宮崎の旧佐土原町だから、昨日の降灰のニュースで見た都城からかなり離れていると思ったが地図で確認すると、方向が少し違うだけで距離もそんなに大きく違わない、風向きでここまで飛んできたのだ.
<http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/STOCK/kouhai/Z__C_RJTD_20110127181000_EQV_CHT_JCIashfallf_JR551X_N1_image.pdf>

 阿蘇でも我々が移り住む前のそんなに昔ではない頃に中岳が噴火をして、降灰、こちらではヨナというが、ヨナの被害が大変だったそうだ、昼間でも夜のように暗くなって、雨が降りだすとワイパーが灰の重さで動かなくなったということを知人から聞いたことがある、農作物に対する被害が甚大になる、今はあまり言わなくなったようだが、阿蘇も同じ霧島火山帯に属するようだが、近年、桜島が頻繁にドカンドカンやっている時も阿蘇は静かなので今回の噴火が直接的に阿蘇山に影響があるとは思えないが、中岳火口から我が家まで直線で8キロ、昨日の新燃岳の噴火では8キロ地点まで噴石が飛んだと言っていた、その地点だともう霰くらいの大きさだろうが、それでも他人ごとではない感じがする。以前読んだ「死都日本」を思い出した。<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E9%83%BD%E6%97%A5%E6%9C%AC>

 kvfから、もう一年以上前になるが、柿の木を切ったので取りに来いと言われていたのを唐突に思い出して、午前中、貰いに行ってきた。さすがに時間が経って、樹木の表面は少し腐ったところもあるが、十分に乾燥していてすぐに燃やせそうだ。

 その柿の木を早速帰ってから割っていると、なかから、大きな昆虫の幼虫が次々に見つかった。この幼虫、じっちゃいがブログに載せていた玉虫の幼虫にそっくりである。

 「坂梨宿」に載った、坂梨出身力士の墓石がある地藏寺に確認のために行ってみた。確かに地藏寺があった、いままでアゼリアから帰る時などショートカットで何度か通ったことがあるが、全く知らなかった。10年も住んでいて、まだ知らない事が多い。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)


平成23年1月27日(木)

 晴れ。最低気温 -7.5℃、これでも十分に低温である、少し前までなら、オーッと言う気温であるが、一旦、マイナス10℃を経験してしまった以上、それほどの感慨は無い、日常と言う感覚である。

 午前中は雲もなく風もなく穏やかに晴れ渡って、絶好の竹燃やし日和だった、竹を燃やしていると、通りがかりに村の人が立ち寄っては、焚き火談義が始まる。選挙カーが停まっては、各候補者が挨拶に来る、一日のんびり燃やしていたいところだが、午後からはまた薪作りに切り替えて、一日みっちりと屋外で作業をしてへとへとになって終わる。今日もそんな健康的な一日だった。

 切ったばかりの樹には居ないと思うが、乾燥させるために長い間放置しておくと、主に落葉樹の幹と樹皮の間に、結構昆虫の幼虫が見つかる、それを狙ってジョウビタキがすぐそばまでやってきてはそれを啄む。チェンソーの音を聞きつけるといつの間にかどこからか飛んでくる。少し腐りかけの樹の皮を剥いで、そのなかに幼虫を見つけたら、樹の皮を皿代わりにしてそのうえに虫をおいてやると、待っていましたとばかりに啄んでいる、なかなか可愛いものである。


平成23年1月26日(水)

 曇り。気温も空模様もここのところずっと同じような天気が続いている。

 そして、小生の一日も、午前中は竹燃やし、午後は薪作りのルーチン。そんななかで夕方、ふと西の方を見やると、丁度日が沈む瞬間で、冬至の頃は米塚の左端に沈んでいた太陽が大分北の方に移動していた、そう言えば、いつの間にか日が少し長くなったようだ。
平成23年1月25日(火)

 曇りのち晴れ。今朝も寒さが緩んで(と言ってもしっかりと氷点下だったが)、一時の超低温はもう峠を越したようである。

 預り物のPCのリカバリーについて、メーカーに照会メールを出してあったが、丁寧な回答が返ってきた。驚くほどの安い費用でリカバリーCDを送ってくれるそうである、このメーカーはGATEWAYである。

 今読んでいるシリーズものの小説の次の巻が図書館の書棚に見当たらないので、備え付けの端末で検索をしたところ、旧阿蘇町の方の図書館にあると表示されたので、司書に借りられかと尋ねたら、夕方には取り寄せておきますとのことだったので手続きをしておいたところ、ちゃんと夕方には、本が届いてますとメールが入った。こういったネットワーク、わざわざ改めて向うの図書館まで行かなくて済むのはなかなか便利である。

 今日も少しだけ薪作りをした。

 娘のクラス、新たなインフルエンザ発症者は出ていないようだが、火曜日と金曜日に開かれている放課後こども教室が、本日中止になったようで定時で帰ってきた、多分、インフルエンザ拡大を考慮しての中止だろう。この放課後子供教室とは低学年を対象に行われている課外活動のようなもので、竹トンボなどの伝承工作やソロバン、書道などを習ってくる。高学年はクラブ活動があるので対象外のようである。
平成23年1月24日(月)

 曇り、朝のうち小雪。気温が非常に低くても寒くない日と、それほど低くなくても寒い日とがあるが、今日は後者で寒々しい一日になった。朝のうち、土俵に塩を撒いた程度に道路がうっすらと白くなっていたが、気温が低いためにいつまでもそのままで残っていた。

 今、メンテナンス中のPCを二台抱えていて、そのうちの一台は頼まれもので、起動しなくなったPCの復旧をしている、一日中取り組んだが、どうしても、最終的にリカバリーをしなければならないようで、その預け主は購入時にリカバリー用のCDを作らなければならないのに作っていなかったので、メーカーに入手方法について照会のメールを出した。

 もう一台は、自宅サーバー用のPCの整備である。現在の自宅サーバー、二つのサイトを収容している、ファイルが増え続けていて、最近どうも重くなってきたので、以前オークションで手に入れてあった、同じシリーズの能力がもうひとつ上のクラスのサーバーを動かすべく準備に取り掛かった。このサーバーはもう生産中止でサポートも10年を過ぎて終わっているが、省エネのファンレスサーバーなので動くようにしたい。

 ドライバーなども、手許に無いので、メーカーに提供依頼のメールをだしたところ、実に丁寧で気持ちのいい対応をしてくれて、容量が20MB以上ある大きなファイルを、色々相談した結果、メールボックスの容量制限がある関係で、ファイルをいくつかに分割してくれて、こちらと先方とでリアルタイムで送受信を繰り返して送ってもらった。NECパーソナルプロダクツのK田さんという担当の人だった、こういうサービスは本当に有難い。

 いよいよ娘の学校でもインフルエンザが猛威をふるいだしたようだ、複数の学年で発症があり、娘の二年のクラスでも今日インフルエンザで2名が休んで、他にも怪しいのが居るようである。娘、なんとか持ち込まないように踏みとどまって欲しい、息はまだ誕生一年未満なのでワクチンが打てないのだ。


平成23年1月23日(日)

 快晴。坂梨豆札の最低気温 -6.3℃(06:36)、最高気温 6.7℃(14:10)。

 娘を連れて古閑の滝に行った。例年、古閑の滝は凍ったと思ったらすぐに気温があがり融けてしまい、またしばらくすると凍るということを繰り返すことが多くて、じっくりと凍りつくことがあまりない。この冬は、連日氷点下が続いて、氷瀑もいつもの年に比べてその姿が一段と素晴らしいはずだ、こういう冬がこの先またいつ来るか分からないので、今年は氷瀑見学の絶好の年だと思って出掛けた。

 古閑の滝の素晴らしさが近年はテレビや情報誌などで広く伝えられるようになって、今日も駐車場は県外の車で満杯、滝への径や滝壺も驚くほどの多くの人で賑わっていた。

 予想通り見事な氷瀑だったが、この雄大さ、写真に撮るとどうしても表現できず、残念ながらやはり現地に立つしか無い。今年は滝から流れ出る渓流も完全に凍りついて、大人が乗ってもビクともしない、小生は例年の冬から体験的に、そこまで凍っているということが信じられずに氷の上には立たなかったが娘は面白がって乗っていた。

 古閑の滝観光組合のN村平八郎会長もお客さんの応対で忙しそうだった。U村良一さんが、薪を割っているのを何人もの観光客が珍しそうに、興味深げに、眺めていて、中には、割らせてくれと、申し出る観光客もいた。都会から来ると、こういったことに非常に興味があるようで、こういった田舎ならではの作業も観光事業のメニューの一つになりますねと会長との雑談で話した。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 本日、阿蘇市議会議員選挙の告示があり1/30の投票日に向けて選挙戦が始まった。今年は定員が4名減員になって22名、そして、前回までは旧町村ごとに選挙区が分かれていたが、今回から全市一区になったので、どのくらいの立候補があるかと思っていたら、23人の立候補だそうで、1名だけが落ちることになる、もっと激しい選挙戦になるのかと思ったが・・・・・

 今回は全市一区のために、今までは回ってこなかった他区の選挙カーも引きも切らずにやってきて一日中我家の前の道は賑やかだった。田舎の選挙と言うのはいろいろシガラミがあると聞く、小生はそういったものが全くないので、通る選挙カー全部に手を振る、応援するぞ、と言う意味では無くて、労いのYELLである、そして、小生はまだ完全な浮動票状態である。
 恒例の新年会があったそうで、写真が届いた。

「鶴が台ハムクラブ員各位

 昨日は、久し振りにお会いできて、皆様のお元気でご活躍のお話を聴けて何よりでした。DXのコンデイションは悪い状態ですが、スーパーローカルでは、コンデイション無関係なので、お空の上でもお会いするのを楽しみにしております。
 本年もよろしくお願いいたします。
 まだ、若さを保った写真を添付します。
  FB DX Y CU AGN DE JA1GQV   11-01-23 」
写真1写真2写真3

平成23年1月22日(土)

 晴れ。今日も、最低気温は-6.1℃(07:56)までさがり、まあまあの気温だった、そして、昼間は5℃台まで上がり、暖かい(というのもヘンだが)一日だった。

 娘はアゼリアの水泳教室主催の一日スケート教室で熊本のアクアドームに出掛けて行った。参加定員が30名くらいで、なかには同じ水泳のクラスの子も同じ小学校の子も居らず、完全に一人での参加のため、ちょっと心配だったが、楽しかったあ、と元気に帰ってきた。考えてみたら、彼女の生まれて初めての一人旅だった、娘は大人に対しては妙に人見知りするが、同年輩の子の集まりに対しては、平気で何処でも独りで入って行って何時の間にかその中に溶け込む妙な交際術を持っている。(写真1写真2

 今年は薪の在庫が少し心もとないところに、坂本棟梁が柿の木を切ったからとダンプで届けてくれた。

 ワオというノラ猫のボスが死んだ。我が家の先のヘアピンカーブでトラックに跳ねられたらしい。いつもシマの餌を横取りして、餌箱にションベンを引っかけたり、人に向かってフッーと威嚇するほどの強面のネコだった、一度はワナを仕掛けて捕えて水をかけたりボンに吠えつかせたりして懲らしめたが一向に懲りる事も無かった、どこか、憎めないところもあって、ワオキツネザルのような尾っぽの毛をしていたので、娘がワオと名付けて一目置いていた。たとえノラ猫でも、その死、なんともやるせない気持ちになるものである。

  じっちゃいのところ、ようやく口蹄疫が済んだと思ったら、今度は鶏インフルエンザ、慰めようもない。ここも似たような産業構造なので他人事ではない。


平成23年1月21日(金)

 曇り。

 息にHib(ヒブ)ワクチンを打つてもらうといってカミさんに運転を付き合わされた。カミさんが掛かりつけの医院に照会したところ、そこではまだ対応していないそうなので、ネットで調べて、同じ市内のたくもと小児科に連れて行った。小生はどんな病気だか知らず、いちいち心配していたらきりがないから放っておいても良いと思っていたが、カミさんが言うには最近のコワい病気の一つだそうで、安心のために打ってもらういたいと言うのだ。最近では自治体によっては公費で補助をするところもあるようだが、阿蘇ではまだである。

 今の時期、下手に病院なんかに連れて行って逆にインフルエンザにでも感染したら大変だと、院内に入らずに(医院でもそのように勧めていた)駐車場の車の中で待機して、順番が回ってきたら呼んでもらうことにしたが、結構大きな駐車場はほぼ満杯で、次から次に親に連れられて子どもがやってくる、全部が全部インフルエンザでは無いかもしれないが、ここにきて急にインフルエンザが流行り出したようだ。娘の学校でもチラホラ感染者が出てきたようだ。

インフルエンザ、最後まで罹らないで済むのなら一生懸命の予防も意味があるが、いずれ罹るのであれば早いうちに罹った方が良い気がする、早く罹ってしまえば、その後はもう戦々恐々として予防をする必要も無くなるのだから。

 本日は完全休養日にして、ゴロゴロして居眠りと読書で過ごした。


平成23年1月20日(木)

 曇り。ここしばらくは、寒さも緩み、といっても朝は氷点下であるが、同じような日が続いている。

 そして、小生の一日も、竹燃やしと、薪作りがルーチンワークになっており、夜は疲れて早々と布団に入って読書をしながらいつの間にか沈没する。それらの合間に時々イクメンになる。最近は風呂に入れるほかに、離乳食を食べさせて授乳も一日に一回は担当するようになった。離乳食もだんだん食べ慣れてきて、スプーンを口元にもっていくと口を開ける。粥ともう一種類、中身は知らないが、何かを摺りつぶしたものだ、離乳食を食べた後、ミルクを飲む。


平成23年1月19日(水)

 最低気温は氷点を少し下回った程度、日中は曇っていて日が射さず、2℃台で寒いと言うほどでは無かったが、さりとて暖かくも無い一日だった。

 今日はほぼ終日薪作りをしていた。


平成23年1月18日(火)

 今朝の、ここの最低気温は -6.6℃だったが、少し前なら、おお、下がったなあ、と驚くところだが、-10℃以下を経験すると、特に感じる事もなくなるからおかしなものである。でも連日の冷温で漬け物桶の水がしっかりと厚く凍っていた

 今日も、午前中は竹の焼却、午後は薪作りで過ごした。

 今日は一応、婆様の誕生日だったが、カミさんが覚えていてくれて仏壇に線香を上げてくれた。


平成23年1月17日(月)

 今までの氷点下7〜8℃くらいでは感じなかった指先の我慢できないほどの痛さ、帰ってからもしばらくその痛さが消えず、おかしいなあと思っていたが、記録を見て驚いた、正に丁度散歩の時間帯、我家の観測装置、氷点下10.2℃を記録していた。多分、ここに住むようになって初めての低温ではないだろうか。ストーブ脇の室内側のアルミサッシに着いた露が白く凍っていた。ガラスは二重になったペアガラスで断熱効果が高い構造になっているが、ガラスが入っている枠は金属製なので、どうしても、そこから熱を奪われる。サッシの高級品になると、枠が木製のものや、暖熱処理を施したものもあるようだが、我家のサッシはそうではない。

 経験的には、14℃くらい無ければ動かないハチ、今日、ふとモニターに目をやると、ハチウトに当たる直射日光の温度が10℃にも満たないそんな冷たい風のなか、「阿蘇・熊本空港」並みの少ない便数だが元気に離発着をしていた。出入口が雪に埋もれるなど、非常に寒くて、ここのところ全くハチの姿が見えなかった上に、昨日今日の極寒、果たして生きているだろうかと心配していたところだった、やはり直接に日が当たることが活動には重要なのだ、全く動きのない動画カメラ、冬場は休止しようかと思っていた矢先のことだっただけに元気な姿を見てなんだかホッとした。

 一方、じっちゃいのブログ、確かに南国では春の足音が聞こえてきそうだ。すぐ隣の県ながら、南国とはおかしい言い方だが、九州山地を挟んで熊本と宮崎では気象が大きく違う。それにしてもじっちゃいのウトの数、半端じゃない。

 午前と午後、「森の駅どんぐり」にサポートに行く。

 QSOパーティの卯年のシールが届いた、これで5年目、あと7年・・・・



平成23年1月16日(日)

 いやあ、今朝は冷え込んだ。先日、冷え込んだ朝、もうこれ以上の冷え込みな無いだろうと思っていたが、また記録更新した、これだけ下がると、ある種、感動すら覚える。結局騒いだ割りには雪の量は大したこと無かった。

 ここの最低気温は-8.4℃(07:13)、最高気温は-1.9℃(15:30)、ついでに、風のために感じる最低体感温度は-14.4℃だった。これだけ毎日低温が続くのは、ここに住み始めて10年になるが初めてである。

 阿蘇乙姫 -8.6℃(07:22)
 阿蘇山 -14.0℃(06:06)

 今月末あたりに市議会選挙が予定されているが、そろそろ、周囲に立候補に向けての動きがみられる。小生は、例えは悪いが、インターネットは、「貧者の核兵器」ではないが、過疎・貧乏自治体においては、戦闘・戦術・戦略、どの面を取っても絶対に必要且つ欠くべからざるものだと確信しているので、インターネットに無関心・無知な立候補者には絶対に投票しないつもりでいるが、ということは、誰もいないということになるか。


平成23年1月15日(土)

 雪景色が広がる。が、やはり昨日の予報は、少なくとも昨夜から今日にかけてはオオカミ少年だった。平野部もかなり積雪があるようなことを言っていたが、熊本市内も雪はなく、日が射すほどであった。夕方、一時横殴りで降っていたが、今夜はどうなるだろう。

 今朝、馬場の岩下繁雄さんが突然訪ねて来られた。何事かとお聞きすると、実は昨日、坂梨小学校の同窓(級)会があって・・・・、ああ、じゃあ八木紘輝さんと同級ですか、ハイそうです。ああ、そうだったのですか・・・ところで、本日の御用の向きは?

 実は、今回の同級会、昭和32年卒業以来、実に53年ぶりというか、初めての同窓会で、既に物故した者も数名いて、今回どれだけ集まるかなと心配だったにもかかわらず、14名も集まってくれて、また足が悪くて参加できずに残念だと言う者もいて、ついては、なんとか今日の集まりを記念に残したい、また今回参加できなかった者たちにも何らかの形で会の様子を伝えてやりたいので、小生のホームページに載せてもらえまいかという御要望だった。お安いご用ですよ、実は昨日の日記にそのことを書いたところでした、ということで、記念写真や宴席の写真データをお預かりした。

 その後しばらくして、家族で出かけようとしているところに、今度は、八木さんが宮城県に帰られる途中、突然訪ねてこられて、岩下さんが既においでになったことは御存じなくて、実は小学校1年生の時の写真を持ってきたので、もし岩下さんが昨日の写真を持ってきたら、この写真も併せて載せて欲しいとのことであった。

 八木さんには遠路遥々おいでいただいたのに、昨日も不在で失礼して、今日こそ上がっていただいてゆっくりお話でも、と思ったのだが、実は、娘の水泳教室が主催するアイススケートに行く計画があって、娘がこの計画参加に賭けていて、受付開始後すぐに定員になるので、もし参加希望なら早く申し込むようにと言われていた、そして今日がその受付日で、正にこれから申し込みに出かけようとする時だったので(更にはその足で、熊本の県立美術館に出掛ける用があったので)、大変申し訳なかったのだが、玄関先で失礼してしまった。

 坂梨校百年誌で確認したところ、昭和32年卒の子どもたちは39名とあった、あの時の子どもたちが、長じて、今、こうして、再会したのである。学年的には小生の一年後にあたる。小生は父親の転勤で幾つも転校しているので小学校の同級生の記憶がほとんどない、羨ましい限りである。

 (坂梨小学校 昭和32年卒業生同窓会連続写真は「その他」のページに別建てで掲載)

 今、熊本県立美術館別館で、「第8回くまもと・子どもの美術展」が開催されていて、スケジュール的には今日だろう、ということで、家族で出掛けた。

 実は、娘が授業で描いた絵が、どうしたはずみか(本人も多分キョトンとしているのではと思うが、というほど、クラスの他の子どもたちの絵と比べてそう際立って上手いというほどの出来ではないと思うが)、特選に選ばれて、それが展示されているのだ。熊本県下の小中学生の描画、版画、デザイン等の作品の中から千四百点余りが受賞して、普通イメージする特選というよりは、入選くらいの捉え方が妥当ではないだろうかと思われるが、それでも、坂梨小学校では娘の絵と一年生のU藤B太君の版画だけだったので、まあ、親としては、照れる事なく、ここは素直に大したものだと褒めてやるところだろうか。

 くまもと・子どもの美術展 連続写真(全9枚)

 帰途、昼飯に「おのみっちゃん」効果とでも言おうか、お好み焼きを食べて帰ってきた。実は、小生、生まれて初めてお好み焼き屋に入ったのだ、小生にとっては特筆すべき出来事である、娘も初めてで、やることがママゴトのようなものなので大喜びだった。


平成23年1月14日(金)

 晴れ。予報通り、そこそこに冷え込んだ、その分、日中は風もなく美しく晴れあがり、昨日までの気温に比べたら、それほど高くはないのに、まるで春のような暖かさだった。

 坂梨豆札 最低気温 -6.8℃(08:01)
        最高気温 6.9℃(14:02)

 あす未明から熊本県下が大雪に見舞われそうだとニュースなどでさかんに騒いでいるが、またオオカミが・・・ではないだろうか。明日はちょっと出掛けなければならないのだが。

 今年最初のみどりの爺様出場。(登校風景1登校風景2

 午前中、手野の「森の駅どんぐり」の菅さんのお宅にパソコン指導に伺う。

 坂梨の下町出身で、現在宮城県の亘理町にお住まいの八木紘輝さんが留守中に我家をお訪ねいただいたそうで、不在にしていて大変申し訳ないことをした。カミさんの話によると、坂梨校の同窓会のために帰省されたそうである、その話を裏付けするかのように、夕方、娘が下校の準備で校舎前に集合しているところに、おじさんが話しかけてきて、今日我が家においでになったことを話されたらしい(娘の顔はホームページで御存じだったか)、氏は同窓生と、二宮金次郎や「師恩の碑」(*)の前で記念写真を撮るために小学校に皆さんでおいでになったようである。同窓会の今日の記念写真を後日送っていただいたら、是非紹介したいところである。ここより、百年誌とも関係があるので、坂梨宿のサイトの方が良いかもしれない。

  (*)「豊後街道坂梨宿」の史跡案内に「師恩の碑」の説明があります。

 明日辺りから雪空がしばらく続きそうなので今日は竹焼却は休んで、薪作りに専念した。


平成23年1月13日(木)

 曇りというのか、晴れというのか、そんな天気だった。昨夜は低温注意報が出されていたが、ここは、-3.8℃だった、この程度は普通なので、注意を喚起したほどの下がり方ではなかった。最高は2.7℃、今日は終日竹を燃やしていたが、焚き火は火があたっている体の正面は暖かくても、背中は暖かくない、そんな最高気温だった。明日もまた、氷点下7℃の注意報が出ているが、どうせ・・・・だろう。

 毎日竹を燃やし続けていて、この竹の山を早く片づけたいと思って、山の向う側で午前中、午後から、山のこちら側から竹の山を崩して燃やし続けた、傍で見る限り結構、片づけたつもりだが、遠くから見てみると、ほとんど姿が変わっていない。竹の焼却以外にもやりたいことは色々あるのだが・・・・


平成23年1月12日(水)

 曇り。午前中は風強く時々横殴りに雪が舞ったが、午後から少し青空が見えていた。

 午後、ずっと竹を燃やし続けた、まだまだ。

 明日の朝はまたかなり冷え込むそうである。


平成23年1月11日(火)

 曇り、時々小雪ちらつく。最低−3.1℃、最高2.6℃。

 今日から娘たち、三学期だ、元気に登校して行った。最近、インフルエンザに流行季にはいったそうだが、坂梨小学校は今日の欠席ゼロだったそうだ(娘の言だが)。

 ご近所から、シイタケを打とうと思って寝かせてあったクヌギがいらなくなったから薪に持って行けと言ってきたので、これは有難いと、午後から、僅か数十メートルの移動でもらってきた、シートが被せてあったので大部分は乾燥した状態ですぐに薪に出来る。休む間もなく、半分以上を一気に薪にした。今日は寒かった、鼻水を垂らしながら作業をした、まだ風邪は治っていないと言うのに。


平成23年1月10日(月)成人の日

 くもり。ここの最低気温は氷点下2.6℃、最近の気温としては驚くほどの気温では無かったが、全国的には各地で最低気温を記録したらしい。

 我家の裏のK朝春さんの畑を借りてどんどやが催された。前日までにほぼ竹を積み上げてあったので、今日は孟宗を何本か切って、櫓風に立てかけるだけの作業だった。午前11時頃に火が入ったが、今年はしっかりと準備して、且つたっぷりと竹を積んだので、燃え方が美しくて、それも長時間にわたって燃え続けた。小生のようなロートルは早々と退散したが、この日記を書いている午後8時を過ぎた時点でも、ライブカメラを通してまだ日は燃えていて、宴は続いているようだった

どんどや連続写真 1/7 (10枚)
どんどや連続写真 2/7 (10枚)
どんどや連続写真 3/7 (10枚)
どんどや連続写真 4/7 (10枚)
どんどや連続写真 5/7 (10枚)
どんどや連続写真 6/7 (10枚)
どんどや連続写真 7/7 (10枚)

平成23年1月9日(日)

 曇り。

 村の初寄りがあった、初寄りとは、年のはじめに行われる村の総会のようなもので、今の時期、阿蘇中の行政区ごとに開かれる。その場でその年の役員などを決める。我が集落は今年区長が渡辺征司さんから渡辺靖昭さんに変わった。小生は昨年より会計を務めていて、今日、会計報告をした。その後で、皆さんと懇親会になった。

 明日、豆札と馬場の合同のどんどやが我家の裏のK朝春さんの畑で開催される予定で、今日、出来る範囲でその準備をした。今年のどんどやに使う竹は、我家の竹林を伐採してものがたくさんあるのでそれを隆一さんのユンボで山ほど積み上げた。明日は朝から準備にかかって11時頃、火を入れることになっているが、場合によってはもっと早くなるかもしれない。ライブカメラを仮設した。


平成23年1月8日(土)

 晴れ、陽光に阿蘇山が眩いばかりに輝いていた、今朝は、今季一番の冷え込みを記録した。この今季最低気温、今後更新されることがあるだろうか、今年はとにかく低温が続いてるが。
阿蘇乙姫 -8.8℃(07:27)
阿蘇山 -10.6℃(00:19)
坂梨豆札 -7.8℃(07:26)

 風もなく絶好の屋外作業日和だったが、風邪を引いて喉が痛いので、自重して今日はボンの散歩以外は外に出なかった。明日、豆札の初寄りがあり、小生、会計なので、静かに決算書報告書を作って過ごした。

 今のところ、喉が痛いだけで、計ってはいないが熱はないだろう、そのほかの症状もほとんどないので、このまま踏みとどまれるか、今日は息の入浴介助は勘弁してもらって、いつも早いが、さらに早寝をすることにした。こういう場合は娘が湯船に入って息を受け取って、お湯の中で抱いて温めるらしい、浮力が付くのでこれだと9キロの体重、娘もなんとか介助できるようだ、たまには良いだろう。

 旧臘、jtqは今度はシリアやヨルダンに行って来たそうで、死海で浮かんでいる写真が送ってきた、ちっともじっとしていない男だ。
平成23年1月7日(金)

 雲が少しあったが、久しぶりに風もなく穏やかに晴れた。と言っても記録を見ると、ここは最高気温は2.6℃(16:08)しかなかった(最低気温は-3.8℃ 07:35)。体感的にはもっと暖かかったような気がする。

 久しぶりに竹を燃やして、並行して薪作りをした。

 モグラは動き回るのは今の季節だったろうか、我家の庭先がモグラが掘った穴だらけになっている。別に芝生を植えているわけでもないので、そのままにしているが、ネコに捕まらないように気をつけるがいい。

 夕食は七草がゆだった。せりなずな・・・の七草は自宅では揃わないので、七種類の野菜を入れた味噌仕立てのモチおじやだった、大根、ネギ、サトイモ、ほーれんそう、ニラ、ごぼう、ニンジン。

 昨日あたりからちょっと喉が痛い、風邪をひいたかな。

 今日半日くらい、レンタルカウンターが故障していたらしい、本日のアクセス数が極端に低かった、復旧したようだが、昨日の数字がゼロ、それでも累計が消えていなくて良かった。
平成23年1月6日(木)

 午後から晴れ間が見えたので、薪作りをしていたが、向うが見えないくらいに牡丹雪になり瞬く間に周囲が真っ白になった。しかし、すぐにそれも止んだが、今日も一日、小雪が舞う寒い日だった。ずっと天候不順で薪を作ることが出来ず、そろそろ薪が底をつき始めたので、ちょっとの晴れ間を見てはなんとかの節句働きをしている。

 昨日だったか、義兄がパソコンを習いたいから相談に乗ってくれないかと、柿の木のS藤M人さんがお見えになった。お聞きすると、その義兄さんというのは手野の「森の駅どんぐり」の菅さんだそうだ。小生、数年前、「森の駅どんぐり」がまだ店としてオープンする前にどういう事情だったか忘れたが、蔵を改造した建物を見学したことがあった、確か日記に書いたと思ったが何時だったか分からず探せなかった。その菅さんが今日我家に見えた。話を伺って見ると業者に依頼して作ったホームページの情報更新を自分でやりたいとのことであった。「森の駅どんぐり」のホームページはさすが専門業者が作っただけになかなか立派なものだった。ご自身、ホームページは、作った以上常に更新しなければならないということを十分に自覚しておいでだった、どれだけお役に立てるか分からないが、お手伝いしようと思っている。ところで、氏の話によると、「森の駅ドングリ」で検索をかけても一向にヒットしないそうで、試しにやってみたところ、確かに出てこない、ロボット型検索エンジンに自動的に拾ってもらうには、何か特別な文字列を埋め込んでおく必要があるのだろうか。

 太郎、本日生後6カ月目。体重は9キロジャスト、一時よりちょっと体重が減ったようだ、以前より活発に運動するようになったので代謝量が増えたからだろうか。一時期の勢いで体重が増え続けたらとんでもない体重になるので、少し落ち着いてきたのかもしれない。最近はずっと毎日一食は離乳食(粥)も少し食べさせているが、ミルクと違う味なので、食べるには食べるがまだ喜んで食べる域まで達していない。


平成23年1月5日(水)

 曇り、鈍色の陰鬱な空から時々小雪、霙、雨など混ざる。

 QSOパーティのログシート、サマリーシート作成、合計37局交信、明日JARL宛て投函する。

 娘、アゼリアの水泳教室に今日から入会した。週一回、午後5時から1時間のクラスだ、登校班の仲間やクラスの仲間も以前から通っていて、娘もやりたいと以前から言っていた。送迎バスがあるようだが、定員の都合で今日は母親が送迎した。これで心肺機能が強くなって喘息にならない体作りが出来たら良いが。そのうちに自己流の小生を追い抜くだろう。
写真1写真2


平成23年1月4日(火)

 やはり大雪予報は外れた、しかし、終日、強い風に時々小雪や霰が混じり、気温はそれほど低くは無かったがなんとも寒い一日だった。

 今日も一日冬籠り。

 暇にまかせて・・・・
 小学校で英語教育の時間が出来るとか、出来たとか。それに関して。

 最近本屋で立ち読みした雑誌の対談(藤原正彦×宮城谷昌光の英語より「論語」を)に概略以下のような事が書いてあった(記憶なので正確ではない、かつ、かなり小生の考えもねじ込んである)。

 中学、高校、大学と10年間も英語をやって来ながら、ほとんどの日本人は英語が出来ない、なぜならそもそも英語と日本語は全く異質な言語体系なので基本的に日本人には向いていないのである、勿論英語が出来る事にこしたことはないが、故にここで小学校で英語の時間を少し増やしたところでなんの役にも立たない、貴重な時間をそんなことに使うのであれば、もっと日本語教育に力を入れるべきである。そもそも英語以前に今の日本人はロクに日本語が出来ないではないか。

 英語はあくまで「表現手段」であって、いくら英語が出来るからといってそれ以前に、その英語で「何」を伝えるかがその人間に備わっていなければ何にもならない。まず日本語で自分の考え、意見が表現できるように教育をして、英語はそのあとの問題である。

 その「何」を育てるのには「漢籍」を学ぶのが良いとその対談では言っている、漢籍は中国ではないかというが、今の中国と同じ地にあった昔の国、「共産主義」革命で完全に別物になった、あの国は簡体字で自らの文化を捨てた、今ではほとんどの人が論語、孔子を知らないという、出自はどうであれ、論語は完全に日本のものになっている。ついでにハングルで韓国も自らの文化を捨てた、言葉はその国の文化の象徴なのである。

 昔の日本人は皆漢籍で教養を研いてきた。日清日露を戦った(江戸時代の教育を受けた)明治の人は英語なんか出来なかった、しかし皆漢籍の素養はあったそうである。現代の日本を代表するような大きな企業のトップ(最近ポッと出のIT長者は除く)は生き方や経営哲学を漢籍から学んだと言う人が多いそうである。

 それでも本当に英語が必要な人はあるだろう、必要とするシーンはあるだろう、でも大部分の日本人には無関係だろう、誰もが英語が出来るということと国際化とは無関係だ。英語が出来るから国力が上がるというのもウソである。昔英国の植民地だったアジアの各国、今、英語が公用語の所が多いがその国の国力を見てみると良い、つまるところ、英語で伝える「内容」が問題なのである、つまり教育であり、国語なのである。

 かなり乱暴にまとめたが、大体以上のような内容であったと思うが、全くもって同感である。
 何故、長々と書いたかと言うと、以上の理由で、娘が特に欲しいものは無いと言っていたので、先日のクリスマスプレゼントは子供向け「論語」にした。つまりわざわざ難しい「論語」を選んだ理由を延々と述べたわけである。

 江戸時代、「素読」というスタイルで子どもは漢籍を学んだ、意味も分からずに師(あるいは父)について大きな声で読むうちにだんだん意味がわかってきたという。対坐した師弟が書見台の論語の素読をするあのシーンに憧れる。最近NHK教育テレビの子どもの時間に「日本語であそぼ」というコーナーがあって、小学生以前のこどもたちが古今の名文を意味も分からずに大声で唱えている、こどもは意味も分からず抵抗なく覚えて行く、あれである、遊び感覚で良いのである。今回のプレゼント、娘と同年齢の子を持つ平均的な年齢の父親の皆さんは多分思いつかないであろう、はるかに歳を食った孫ほどの歳の差オヤジの娘に対する「歳の差」ならではのアイデアである。正月休みが一段落して、今日、娘は母親とその論語の素読をやっていた。漢籍に明るかった我が先祖のDNAを娘は少しは受け継いでいるだろうか。

 余談である、その対談で、最近英語を企業内で公用語にする会社がいくつかあるがそんな会社はいずれ滅びるだろう、つまり英語で伝える「内容」がしっかり備わっていない偏った人間ばかり集めてもダメであるということである、宜なるかなである。

 更に、英語は会話重視では駄目でしっかり文法を学ばせろと言う、ある学校の英語教科書に、ハンバーバーショップの「ここでお食べになりますか、お持ち帰りになりますか」があるそうであるが、そんな会話英語は、ハンバーガーショップでしか使えない、そんな英会話を習ってどうするのだという笑い話まで載っていた。そういえば、文法がしっかりしていれば、話せなくても書ければ意思疎通は出来る、昔、日本が遣隋使、遣唐使などを通じて大陸と交流が出来たのは会話でなくて確か筆談だったハズだ。明治の元勲たちも筆談で意思疎通を図っていた。


平成23年1月3日(月)

 ここの最低気温は -4.2℃(06:08)だった、日中の気温も昨日ほどは上がらなかったようだ、寒かったのか、そうでもなかったのか、ボンの散歩以外は一歩も出なかったので分からない。今日は曇りだった、・・・かな。

 明日が仕事始めのところが多いのではないだろうか、昔は、今日のような日は翌日からの事を考えると憂鬱になったものだが、おかげで、今はそんな気持ちは全くない。小生は今年も、明日と明後日と、そしてその次も、12月31日までずっと休みである。巷には休みを持て余すリタイア人が大勢いるらしいが信じられない、毎日が日曜日でも、それでも時間が足りないくらいである。

 今日もQSOパーティの続きをやる。HFのリグが調子が悪いので、2mFMで稼ごうとしたけど、出る局は昨日のうちに一当たり出てしまったようで、今日はほとんど声が聞こえなかった。まだ10局近く残っているのでこれはちょっと無理かなと思うほどであった、それほど最近は無線局が減った、携帯電話の影響だろう。

 HFのリグ内蔵のオートアンテナチューナーが故障したようで、スイッチを入れると逆にアッティネーターのような働きをする。アンテナチューナーを切ってスルーで聞いた方がかえって良く入る。良く入ると言ってももともとマッチングが取れていないのでよほど強い局でないと入ってこない、こうなったら少々SWRが高くても背に腹は代えられないと、強引に7MHzで始めたところ、何かの拍子に、アンテナチューナーが回復した。そうなると今度は感度が良くなりすぎてどこもかしこもQRV局で一杯でQRMに苦労した。コンディションが悪いと思っていたのは大間違いで、如何にアンテナが大事かということが良く分かる。コンディションがあまり良いので、JA1GQVをスカイプで呼びだして、ラグチューをした。2mであれほど苦労したのがウソのように僅か一時間余りで7Mhzだけで20局が完成した。7は200までバンド幅が増えたので随分と楽になった。

 こういうイベントがあると、よし、明日からまた真面目にやろうという気持ちになるから不思議である、主催者側の目論見は大成功だということである。現在は7と21しか出られないので、今年はひとつ外付けのオートアンテナチューナーを手に入れて、HF帯全部に出たいものである、それから小さな声でCWのスキルも上げなければと。

 今夜また阿蘇地方に大雪注意報が出されている、ほんとかなあ、オオカミが来たぞオ、じゃないのかなあ。


平成23年1月2日(日)

 雲が少しあったが、総じて晴れだった。雪が積って風のない晴れた日は実に気持ちが良い。昨夜も少し降ったようで、昨日踏み荒らした足跡が新しい雪で綺麗に隠れていた。気温が低くてパウダースノーだったが、車が踏み固めるのでツルツルになって、今日も道路には融雪剤が撒かれていた。坂梨豆札の最低気温 -4.3℃(01:20)、最高気温 7.0℃(14:38)

 朝から、箱根駅伝の中継テレビを横目で見ながらQSOパーティーに参加した。小生の毎年の正月のスタイルである。このQSOパーティーは、アマチュア無線の正月の催しで、今日明日の二日間で、20局以上と交信すると、その年の干支のステッカーが貰えて、それを台紙に貼って12年で一巡して完成させる、言ってみればスタンプラリーのようなものである。干支は12年に一度しか回ってこないので一回でも抜かすと、その年の干支のシールを貰うにはまた12年待たなければ完成しないという息の長い催しである。小生は昔一度完成させて楯をもらったが、その後、ずっとやめていて、数年前にまた思い立って始めた、今年で5年目であるが、今日明日で20局交信で来たとして、あと7年・・・生きているか、生きていても頭がちゃんとしているか分からない、まあ、出来るところまでやることにしている。昔は実施日が二日の1日だけだったが、ハム人口が多くて20局なんてあっという間だったが、近年はハム人口が減って、更にHFのコンディションが悪くて、今日は2m(144MHz帯)で、且つ片手間でやったので、10局程度しか出来なかった。明日もう一日かけて完成する予定である。


平成23年1月1日(土)  元日

 新しい年が始まった、昨日からまた少し雪が降ったようで、その量はわずかだったが、それ以上に今日は気温が低くて風があった。坂梨豆札の最低気温-5.8℃(05:11)、最高気温-0.6℃(15:05)。山陰地方では開闢以来の大雪だそうで、1000台くらいの車が雪で一晩立ち往生したそうである。(写真1写真2

 集落で毎年恒例の賀詞交歓会が午前8時から約1時間ほど村の集会所で開かれた。今年は我家も含めて14〜5戸の組内で三軒が喪中であったが、皆さん出席されて新年の挨拶を交わした。

 その後、家に戻って家族で新年の膳を囲んだが、世間一般のしきたりに従って、今年はいつもの年より控えめで静かな元旦の儀だった、ただし日章旗は新調した。年賀状もダイレクトメール的な賀状が数枚だけであった。「正月」もあまりこだわらずに普通にしても良かったのだが、まあ一生の間にはこんな年もあっていいだろうと控えることにした。

 今日は村の朝の集まりの他は何処にも外出せず、誰も訪れず、静かにそしてノンビリと一日を過ごした。

 年頭の抱負と言うか、願いは、毎年のことだが、家族の「無病息災」だけである、後は自然体。



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