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平成23辛卯(2011)年2月の記録(新しい日付けの順)


平成23年2月28日(月)

 雨、暖かい雨、終日細かく降ったりやんだり。

 娘、昨夜寝る時に38.3度あった、その前に、ちょっと呼吸が苦しいと言っていたので母親にネブライザーをやってもらって寝た。今朝には37℃強になっていた、インフルエンザではないと思いつつ、本日学校を休ませる、明日も多分無理だろう。

 坂梨に関係する歴史的出来事と坂梨を取り囲むより大きな時代背景を対比一覧させようと思って、いろいろ調べているうちに脱線して結局まとまらず。たとえば、「高砂やあ〜」の謡曲「高砂」に登場する阿蘇の宮司、阿蘇友成はいつ頃の人かと思って調べてみると、延喜3年に叙爵している、そのための上京だったのだろうから、西暦903年ということになる。あちらこちら飛んでいるとあっという間に一日が終わる。もっとほかにもやりたいことがあったが。

 アマチュア無線局(固定局と移動局)にかかる電波利用料の納付をPay-Easyにておこなう、インターネットで一発納付、便利なものである、わざわざ出掛けて行ってその上に待たされる銀行実店舗はだんだんと要らなくなるだろう。

 二三日前から雛人形を飾っている、娘がそれを見て、結婚式ね?と言う。想定外の質問である。言われてみれば、我が家は男女一対の内裏雛を飾っているが、何と言って説明したらいいか分からなかった、七夕なら牽牛織女と言えるが、あの二人は一体何者だ?

 ん?今月は今日で終わりか、儲けたような損をしたような・・・・・・


平成23年2月27日(日)

 晴れのち小雨。

 今日は阿蘇山麓一帯の野焼きが行われた。予報が夕方あたりから雨だということだったが、予定通り実施された。雨は午後3時頃から降り始めたが、予定通り全部燃やすことが出来ただろうか。阿蘇山麓は終日、野焼きで煙っていた。(写真1写真2写真3写真4

 娘の風邪、ちょっと熱があがってきた、夕方には38℃だった、ただ急激に上がったわけではなく、そのほかの症状を見ても、多分インフルエンザではないと思って対応している。もし、インフルエンザだとしたら家族中、特にワクチンを打っていない太郎に間違いなく感染するだろうが、多分、そうじゃないと思う。

 組内のK朝春さんが納屋を半分ほど削ったから、廃材を薪にしたら、と連絡をくれた。朝にも一度、その話があったのだが、家屋の廃材は釘が多くて、以前、難儀をした経験があるので、鄭重に辞退したところ、夕方、また連絡があって、釘がないところを持って行けとのことだったので、それではと、軽トラックに山ほど貰って来た。納屋と言っても昔の作りは贅沢なくらい太い木材を使っている。梁など一抱えもありそうな太さである。今年は薪の在庫が心細かったので大助かりである。



平成23年2月26日(土)

 晴れ。ここ数日同じように暖かい日が続いている、ただ、今日は風が強かった。

 そして、そのなかで、火災が頻発した。宮地小学校裏の民家火災(先日の宮地駅前の火災に続く火災、阿蘇の夫婦火事という言葉は生きていた)から始まって、町古閑牧野(箱石峠の登り口)の野焼きの飛び火による山林火災、阿蘇登山道路の山林火災、古城地区の原野火災?次々に通報が入り、消防(団)は大わらわだった。確か三隣亡は昨日だったはずだが。

 宮地小学校裏の火災は我家から良く見えた。牧野の火災は基本的にはそれほど深刻ではないと思うが、それでも夕方まで何度もヘリコプターが往復して散水消火活動が続けられていた。8ヘクタールの森林を焼失したそうである。

 そんななか、火災現場の麓では野焼きはスケジュール通りに並行して続けられていたが、一方では消して、一方では燃やしてと妙な取り合わせシーンだった。(写真1写真2写真3写真4

 娘が、風邪を引いたようで、今日は大事をとって一日布団の中だった、熱は無いのでインフルエンザではないと思う。

 小生は、牧野火災の取材(ヤジウマ)と「阿蘇ゆるっと博」案内人の勉強を兼ねての祠などの取材(写真1写真2写真3)のほかは、PCがらみの一日座り仕事。
「阿蘇安心安全ネットワーク」19:57受信
10時13分覚知、阿蘇市宮地の建物火災は11時58分に鎮火しました。
10時43分覚知、南阿蘇村白川のその他火災(枯草火災)は12時06分に鎮火しました。
12時14分覚知、阿蘇市坂梨、町古閑牧野の林野火災は17時44分に鎮火しました。
12時51分覚知、阿蘇市黒川、登山道沿いの林野火災は13時37分に鎮火しました。

本日、火災出場が重複し、火災情報が配信できませんでした事、誠に申し訳ございませんでした。
(阿蘇広域消防本部)

 いやはや、大変お疲れさまでした。明日はまた阿蘇山麓一帯の野焼きが予定されている、天気がちょっと心配だが。


平成23年2月25日(金)

晴れ。今日も昨日に負けず劣らずのポカポカ陽気。もう火を焚くのが苦痛になりつつある。

 今日も、あちらこちら火を点けて回った(大気中に二酸化炭素の占める割合は、僅か0.04%である、0.4%ではない、二酸化炭素の増加が地球温暖化の原因ではない)。竹林を全伐した跡の整理は気が遠くなるほど投棄物が溢れている。(写真1写真2

 外で作業をしていると、山下OMが何かプリントを持って妙にニコニコしながらやってきた、暖かいので屋外で応接した。朝倉市の「音楽館(おんらくかん)に行こう」との誘いであった。氏の見たいものは分かっている、小生もそれには興味がある。この博物館はNHKの「熱中時間」でもやったらしい、面白そうな博物館である。近いうちに皆のスケジュールを調整して行くことになるだろう。

 夜、師匠の工房で、阿蘇カルデラツーリズム:「阿蘇ゆるっと博」の案内人の第三回目の会議開かれた。今晩は師匠の手打ちそば付きの会議だった。


平成23年2月24日(木)

 晴れのち曇り。今日はもうバカ陽気というほどの暖かさだった。「気温」は日陰で測定するが、実際の屋外行動は太陽下なので、ハチウトに置いてある寒暖計を見ると30℃をはるかに超えていた。

 今日は、骨休み的に、思いつくまま、あちらこちら少しずつ畑の整理をした。トマトハウスを整理したり畦を燃やしたり。あまりの、暖かさを通り越した、暑さに、下着一枚で作業をするほどだった。

 これだけ急に暖かくなると、ハチの動きも活発で、いつ分蜂があっても良いようにと準備にかかった。じっちゃい師匠の話だと、分蜂にあたって、今までの巣を出て分家する蜂の一群は新しいねぐらが決まるまで、一か所に群れるそうである。そして先遣隊が新しい巣を見つけると一斉に飛び立つらしい。よく電柱などでそういったシーンが見られると言う。それに備えて、ハチが止まりやすい場所を事前に用意しておくのだそうだ。

 師匠いわく、竹の古くなってガサガサした皮がそれに適している。それを適当に並べたものを巣の少し上の方に用意しておくとそれを一時滞留場所にするので、それをゴッソリ新しいハチウトに御移り願うのだそうだ。

 実際のサイズは聞いていなかったので、まあ、こんなものかなと、作ってみた、これはちょっと大きすぎるぞという声が聞こえてきそうであるが、とりあえず、高く掲げる前に、もうしばらく風雨にさらすべく、ハチウトの傍に置いておいた

 今日は一日晴れと思っていたが午後から雲が掛かってきて、光線の関係で、中岳の噴煙と空の雲が一体化して、まるで、中岳が空一面に噴煙を吹きあげているかのように見えた。これも「死都日本」のなせる想像か。

 今、再読している「死都日本」、最初、小生の日記で、平成15年6月3日(火)の日付に登場する。今からもう8年前である、そんな昔の小説が今読み返しても全く色褪せておらず、かえって当時より生々しく新鮮に感じる。それは新燃岳の噴火によるものである。まるで今を予言していたかのように、現在の噴火と同時進行のような錯覚を覚えるほどリアルな近未来小説である。当時の小生の日記に引用した、「死都日本シンポジウム」<http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/hakyokusympo.html> はまだリンクが生きていた。

 そして小生がこの事を知ったサイト、「火山な毎日。」は、現在、「てるみつ部屋BLOG」として続いている。<http://red.ap.teacup.com/terumitsubeya06/>
 そのほか、「日本火山の会」<http://www.kazan-net.jp/index.html>。

 娘、先日のコンテストで敗者復活戦に参加することが出来ることになったと言っていた。出るのか?と聞いたら、ヤメタ、そうである。一旦、一つ下のクラスに下がってコンテストに出て、そこからまたひとつずつ勝ち進んでいくのだそうだ。そこまでの根性は無さそうである。あの練習量では当然と言えば当然である。なめちゃあいかんぞ。


平成23年2月23日(水)

 曇り。日が落ちてから時々ポツリポツリきている。

 今日も昨日と同じような気温だったが、風があったので昨日ほどの暖かさは感じれらなかった。

 昨夜少し降ったようで、竹が濡れていた、そして今日も夕方から雨だと言う予報だったので、これでまた竹が濡れると、何時燃やせるようになるか分からない、風が強かったが、一気に残りの竹を燃やしてしまった。そろそろ田起こしが始まるのでそれまでに田を綺麗にする必要もあり、あまりノンビリも出来ないのだ。今日の焼却で田に転がっていた孟宗類はすべて燃やしきった。後は、さしあたって大杉の枝払いが残っているが、まだちょっと躊躇している、パイプ足場と違って大きな幹にどう取りついて良いか良く分からないでいる。

 夕方、娘の水泳教室の送迎をする、ロビーで待っていると、温泉に来る人のなかに結構知り合いがいる。夕方はアゼリアも大賑わいである。


平成23年2月22日(火)

 晴れ。今日も昨日以上に暖かい日だった。最低気温 -1.7℃(07:12)、最高気温 15.7℃(14:31)

 朝日を浴びて珍しく中岳の噴煙が良く見えた。新燃岳に比べたら比べ物にならないほど静かなものであるが、今、「死都日本」を再読しているのでちょっと複雑な気持ちになる。同じ時刻の有明の月

 みどりの爺様出場。

 今日は一日中、先日来、間引きをして田に転がしておいた西側の竹を燃やし続けた、重い孟宗を引っ張り回してヘトヘトになった。明日もう一日燃やさなければならないだろう。

 竹を燃やしている時間帯、大観望で火事があったようで、外輪の上には消防車が沢山。そして防災ヘリまで出動して散水していた。ふつう、このような火事の場合、燃えるだけ燃やしてあまり消火活動をしないが、今日は、森に火が入ったので大がかりな消火活動になったのだろう。原因は分からないが、これから当分の間、野焼きのシーズンが終わるまで結構原野火災が頻発する。今日はこの大観望の火災のすぐ後にも火事があったようで、消防関係者多忙の一日だったろう。


平成23年2月21日(月)

 晴れ。文句なしの「春」だった。なんとも気持ちのいい一日だった、ミツバチも活発に動いていた、なかには花粉を付けて帰ってくるハチもいた、今の時期、なんの花粉だろうか、ツバキだろうか。
最低気温 1.3℃(06:01)、最高気温 12.9℃(14:05)

 今日も高岳の麓で野焼きをやっていた、昨日の二塚牧より東側だった、あれはどこの牧野だろうか。

 裏の杉の枝打ちをしようかと思って木の下に立ったけど、今日は10m以上を登る気分になれなかったのでやめて、家の東側に雑然と植わっている杉の枝打ちをした。この杉群は、ここに来た時に、苗として植えてあって、いずれ移植するつもりだったのだろうが、そのままになってなんとも中途半端に育ってしまった。そのうちに全部倒さなければならないと思うが、日当たりが悪いのでとりあえず枝打ちだけをしておいた。随分と見通しが良くなった

 その枝打ちの最中に、枝の根元に小さな鳥の巣を見つけた、しまった、枝を切り落としてしまった、大丈夫だろうかと、巣の中を見ると、小さな卵の殻が二つ三つ。どうやら孵化して巣立った後のようだった、考えてみたら、こんな寒い時期に繁殖などするわけがないのだ。非常に小さな巣と卵の殻、なんという鳥なのだろうか。

 先年の、一昨日も書いたが、強い台風で、我家の木が何本か倒れて、裏の杉の木もその時の風でへし折られた。ヒコバエでも出てくるかなと放っておいたが、完全に枯れてしまっていたので、今日、薪材として切り倒した

 昨年のナスやキュウリなどの畑の後始末をした。そろそろまた今年の準備をしなければならない。ジャガイモの種イモはもうとっくに届いている。

平成23年2月20日(日)

 曇り。寒くもなく暖かくもなくと言ったところだろうか、今日は一日中、子守で外に出なかったので記憶がハッキリしない。

 熊本市(火の君ホール)で娘のピアノのコンクールがあり、カミさんと娘が出掛けたので、太郎と留守番をした。太郎はまだ本調子ではないようで、あまり放置できなくて小生には自由時間が無かった。

 娘は、カミさんの言うところによると、敗者復活戦的な経緯で佐賀市だったかで行われる次のランクのコンテストに出られるようになったらしいが、あんな練習で出られるのだから、随分と幅のあるコンテストのようだ。なかには一生懸命練習して出る子もいれば、娘のようにいい加減な練習で出られる子もいるのだから。ただ、今度出るのであれば、それ相応の練習をしないとならないと思うが、本人は出る気があるのだろうか、そろそろ怖気づいてきたのではないだろうか。

 阿蘇地方ではそろそろ野焼きが始まったようで、ふと窓外に目をやると、高岳の麓で野焼きの煙が上がっていた。あのあたりは、「坂梨宿」の「今日の坂梨」によると、二塚牧というそうである。小堀牧は知っていたが、初めて聞く名前だ。毎年、この辺りの野焼きは他の地域の野焼きとは別のスケジュールでやっているような印象がある。小生が参加する北外輪山一帯の野焼きは3月6日に予定されている。(写真1写真2


平成23年2月19日(土)  雨水

 晴れ。最低気温 -2.7℃(07:28)、最高気温 12.6℃(15:07)

 雨水という言葉に、そうだ、毎年坂梨駅伝の時にはもうフキノトウが顔を出しているなと思いだして、裏の土手に行ってみたが、今年は寒い日が続いていたので、大分遅れているようだ、ようやく顔を出したところだった

 山の雪も、最近の寒の緩みで融けだして、黒い岩肌が見えだした、種まき爺さんのような雪形は無いだろうかと思って探してみたが・・・

 突然思い立って、家の入口付近にある杉の枝打ちをした。数年前の台風で、楠木が倒れた際に、この杉もかなり傾いた、近所の人は、あまり素生の良い木では無いので倒してしまえば?と言ってくれたが、木は草と違って何十年もかかって大きくなってきたのだから切るのはどうも罪悪感があって、と切らずにおいた。今日切った枝にも沢山の蕾がついていた、これが花粉の素になるのだろう、まだ固くてこの辺りで飛ぶのはもう少し先になるだろう。幸いに今のところ我が家には杉花粉症は居ない。

 夕方,娘の図書館行きに付き合った、毎週、限度一杯の10冊くらい借りているが、今日は何冊借りたのだろうか

 市から高齢者に対するアンケート用紙が来た。民生委員さんに、我家の高齢者はもう・・・と言いかけたが、そうか、小生のことだった。

 このアンケート、高齢者、つまり対象が65歳以上だが、設問の内容のかなりの部分が、どうも現実的では無いような気がする(写真1写真2写真3)、設問に答えていてどうもピンとこない、どうみても、70歳くらいか、あるいはもっとそれ以上の人に対する設問だろうと思うが。このくらいの年齢の人たち、周囲でも皆バリバリの現役ばかりで、老人会?・・・おかしくって、という人たちばかりだ。

 今日は随分久しぶりに豆腐屋のPCのメンテをした。最近はパソコンの世話については、自助努力を求めて、極力係わらないようにしていて、もう一年以上、或いはもっとになるかノータッチできた。先日、駅伝の時に会った際、主から最近調子が悪いので・・・とリクエストがあったが、近いうちに寄れたら寄りますと言ってあった。そして今日たまたま近くまで用事であったので久しぶりに寄ってみた。


平成23年2月18日(金)

 朝のうち少し雨が残っていたが回復に向かう、気温は高かったが屋外作業の環境では無かった。夕方になって最低気温が表示されていたので、すでに明朝の冷え込みの始まりだろう。
 最高気温 9.3℃(13:54)、最低気温 1.2℃(19:26)

 今日は時々息の様子を見ながら一日パソコンの前に座り、脳みそから汗をかく。息は食欲がもう少しだがほぼ回復だろうと思う、昨夜も38℃強の熱が出たが今朝には下がってもう大丈夫だろう。何だったのだろう。

 今日のおのみっちゃんは無性に泣けた。


平成23年2月17日(木)

 朝から、量は多くなかったが雨が降ったりやんだり、そんな一日だった。気温も高めで、ストーブがちゃんと点いているのか、いないのか、あまり気にすることもない室温だった。最低外気温 4.1℃ (02:54)、最高外気温 12.8℃ (13:37)

 今日は坂梨小学校の入学予定児の体験入学の日だった、ここの登校班ではFちゃんが春から一年生になるそうで、班長さんの後にそのFちゃんが従って、そしてその後には何時ものメンバーが、今日は特別、先生、保護者に付き添われて下校してきた。今年は6年生が居ないので、新年度には減員無く、一名増えて登校班は総勢8名になる。

 久しぶりにプールに行った、2000m、66.3。久しぶりに泳いだせいか、湯冷めしないように温泉に5分も浸かっていたせいか、風呂からあがるとちょっと気分が悪くなり、あわててイオン飲料水を買って飲んで落ち着いた(多分湯あたりだろう)。

 太郎、一旦下がったと思った熱がまた38℃近くまで上がったりとり、あまり思わしくない、気分が悪いと見えて横にするとむずがるのでずっと抱いた状態が長い、夕方、母親が古閑医院に連れて行った。下痢もしていないし、リンパ腺も腫れていないし、しばらく様子を見ましょうということになった、行かないで心配するよりも、結果何事もなくても行って診てもらった方が、と思って連れて行ったので、気分的に少し安心した。食欲も少しは落ちたがあるし、いつもの元気がないていどで、まあ、大丈夫だろうが、ちょっと心配でもある。カミさんの診立てでは突発性発疹ではないかと言っているが分からない。

 この三月から一年間、九州新幹線全線開通に合わせて、阿蘇カルデラツーリズム:「阿蘇ゆるっと博」という阿蘇地域全体をパビリオンに見立てたイベントが開催される、坂梨宿場町もそのパビリオンの一部になっているそうで、そのガイド役(案内人)を坂梨宿場會で担うことになった。小生は休会中であるが、一年間の長丁場なので案内人の人数が足りない、ということで、小生も補欠的に参加することになった、まあ、枯れ木も山の賑わいだ、その案内人の第二回目の会議が夜、木村豆腐店で開かれた。和気あいあいのうちに終了した。


平成23年2月16日(水)

 晴れ、のち、くもり、多分夜は雨になるかもしれない。
 本日の最低気温 -5.2℃(05:53)、最高気温 8.9℃(14:18)。

 残雪あり、屋外作業無し。

 息の初節句を前にコイノボリを桐原商店に予約をする。我家の財力に合わせて実力相応に、決して華美にならず、かといって一世一代のイベント、あまり貧弱もならず、難しいところである。結局、見栄も入って少し無理をすることになりそうだ。杉の木を一本山から切り出して阿蘇五岳を背景にコイノボリを泳がせるなんぞここに住んでいなければ出来ない事だから。

 その太郎、インフルエンザでは無かったようで、今日もまだ完全には熱は下がっていないが、悪化することもなく、多分、順調に回復に向かっているものと思われる。万一の場合、一歳未満なので、普通に考えるとタミフルなど飲ませられないので、それが非常に心配であるが、飲まないで肺炎や脳症になる危険性と飲んで副作用が出る危険性とを秤にかけた場合、用心しながら、タミフルを処方するほうが多分良いだろうと思うし、先生も体重が10キロくらいなら、タミフル、良いでしょうとのことだったのでそのつもりでいたが、今回は杞憂に終わってくれそうである。

 娘、大分前から、水泳教室に通っているが、今日水曜日がその日にあたる。まだ一度も休んでいない、つまり風邪を引いていないということである、感心感心。

 昨日の日記に、CGIプログラムの不具合について書いたところ、早速、未知の方からホームページを見てご親切に解決策を掲示板に書き込んで頂いた。
perl 投稿者:USA 投稿日:2011年 2月15日(火)20時09分

>perlの5.12をインストールしたら、.......どう対処したらいいのかワカラン。

 CGIで使用している日本語コード変換ライブラリのjcode.plをjacode.plに差し替える・・・が一番簡単な対処法だと思います。
 当然、本体のCGIでjcode.plを指定しているパスをjacode.plに変更。
 原因は以前より配列やハッシュに対する defined の使用は非推奨だったけど新バージョンより明確に開発者の意図する非推奨を目に見えるようにエラー表示する仕様とした。
 今朝早速、手直しをして見事に解決できた。本当にありがたかった。一昔前ならこのような方法で解決することなど出来なかった、インターネットのもたらす恩恵である(幸いに災厄についてはまだ経験がない)。


平成23年2月15日(火)

 晴れ。昨夜また少し降ったようで、外はうっすらと白くなっていた。日中は穏やかに過ぎる、太陽に雪景色、眩くて目に痛いほどだった。。

 息・太郎、昨日から熱っぽかったが朝には下がって元気になったので、大丈夫だったかと思ったのもつかの間、夕方近くになって38℃近くまで上がってきたので、これはインフルエンザに違いないだろうと、古閑医院に連れて行った、今日が誕生以来、古閑医院デビューである。

 季節型も新型も両方とも「A」にでるそうである、検査の結果、陽性反応は出なかったので、とりあえずは大丈夫だろうと言うことで、帰ってきた。もっとも、検査反応が出ない場合も、或いは、反応が出る前の段階かもしれないので今晩一晩ちょっと気になる所ではある。(写真1写真2写真3写真4

 自宅サーバー用にNECのNETBRAINという小型のサーバーマシンを使っている。もう数年前に出たもので、とっくに廃番になっている。それでも、コンパクトで、ファンレスの省電力設計なので、24時間運転の小規模なサイトにはもってこいなので、ネットのオークションで見つけてはその度に購入してもう4台もある。今までCPUが800MHzでメモリが128MBのベーシックモデルを使っていたが、このサーバーにはサイトを二つ収容していて、蓄積ファイルが大きくなって最近少し重く感じるようになってきたので、今回CPUが1GHzでメモリが640MBのハイエンドモデルにシステム変更した。小さいながらRAID対応、UPS内蔵である(もっともUPSはもう蓄電能力は無いであろう)。HDは160GBを入れた。

 早寝がモットーの小生、昨夜一晩かけて引っ越し作業をしたが、どうだろうか少しはサクサク動くようになったろうか。最近ではHPから出ているマイクロサーバーが密かに欲しいと思っている。

 perlの5.12をインストールしたら、CGIでところどころに以下のようなメッセージが出る、目障りなだけで特にどうということは無いようだが、どう対処したらいいのかワカラン。因みに、このメッセージでネット検索をしてみると、出てくるは、出てくるは、CGI を使っている沢山のサーバーでこのメッセージが表示されたまま、そのまま使っている。
           (記)
 defined(%hash) is deprecated at ./jcode.pl line 684. (Maybe you should just omit the defined()?) defined(%hash) is deprecated at ./jcode.pl line 693. (Maybe you should just omit the defined()?)


平成23年2月14日(月)

 雪。

 昨深夜あたりから降り始めた雪、朝には、人が踏み入らないような所は10センチ以上積っていた。そして、間断なく終日降り続いていた。ただ、気温が高かったので、道路などは融雪装置が埋設してあるかのように降る端から融けて全く積らなかった。今日の雪も先日の雪と同じようにベタ雪で、着雪がひどくて、二回ほどHFの八木アンテナや孟宗に積った雪を揺すぶって落とすほどだった。

 娘は、道に出るところが竹が雪の重みで傾いて通行を妨げていたので迂回して登校して行った。帰りも、下校時間が少し変更があったようで、予定より少し早く帰ってきた。
写真1写真2写真3写真4写真5

 太郎、昨日、外に長時間いて、それが原因か、夜、鼻水を垂らしていたが、今日は朝から37℃半ばの熱があり、機嫌も良く、食欲も普通だが、ちょっといつもの元気さが無い、熱が急激に上がるようなことにでもなればインフルエンザを心配しなければならないが、今夜は様子見だ。今、子どもたちの間のインフルエンザの広がりは小康状態だが、成人のインフルエンザが周辺でもチラホラ見られる。


平成23年2月13日(日)

 快晴。

 朝(07:03)は-6.2℃まで下がって、道路はコチコチに凍っていた。いくら晴れてもこれだけ凍っていたら危ないので駅伝は中止だろうと思って、とりあえずテレビ中継の準備だけはして、坂梨公民館に行ってみると、駅伝大会運営の役員さんたちは、エンカリ撒いてでも絶対やりますよと大いに燃えていた。その熱意もあってか、日が昇るにつれて道路の凍結も融けだして、無事に坂梨校区新春駅伝大会は開催された。

 阿蘇アマチュア無線クラブJA6ZCQは今年も移動中継車やポイントカメラを使って公民館広場に設置したモニターに熱戦の様子をテレビ中継した。小生は例年のとおり古閑の滝の下の中継ポイントから映像を送った。

 今年は娘も初めて4分団のBチームの第3区走者として参加して、カミさんも太郎を背負って3区中継点の世話役として参加した。小生は持ち場を離れる事が出来ずに、娘たちの力走ぶりを写真に撮ることが出来なかったが、テレビ中継の映像があるので、いずれダビングしたテープを入手するつもりでいる。

 第4分団のAチームは第三位に入賞することが出来た、大飛躍である。娘たちのBチームもそれなりに健闘した。来年が大いに期待出来そうである。

 大会終了後、テレビ中継班はAJYのお宅で、今日の記録映像を見ながら昼食を食べ、しばし談笑した。一方、カミさん、娘たちは馬場公民館で夕方近くまで慰労会を開いてこれまた大いに盛り上がったようである。

 今日は最高気温は4.4℃(14:43)と決して高くは無かったが、体感的には風がなく太陽の下では非常に暖く感じて防寒具無しで中継したが全く寒さを感じなかった。

坂梨校区新春駅伝大会連続写真 (全22枚)
(他にも写真ご提供歓迎)

 今夜からまた雪になるそうである。


平成23年2月12日(土)

  昨夜の雪は大したことは無かったが、昨日より気温が低くて、風が強かった、見ていると地吹雪である、風がある時には体感温度が氷点下10℃くらいになって、極めて低く感じる寒い一日だった。最低気温 -3.9℃(08:38)、最高気温 1.1℃(0:00)

 さすが太平洋側である、大した距離では無いのに、九州山塊を境に冬の天気はガラリと変わる、宮崎のじっちゃいのライブカメラ、夕焼けが美しい

 明日、坂梨校区新春駅伝大会が予定されているが、明朝はかなり冷え込みが予想されているが開催されそうである、路面が凍結する恐れがあるが大丈夫だろうか。実は、ハムクラブでマラソンのテレビ中継をすることになっている、小生、どうも中止の予感がして、機材をまだ準備していない、開催となれば明日の朝一番で、屋根裏にもぐりこんで機材を準備しなければならない。娘は初めて走るので楽しみにしているが・・・・

 チュニジアに引き続いて、間をおかずして今度はエジプト・ムバラクが退陣した、実にあっけないほどである。お隣さん、火の粉が我が身に降りかかかるのを恐れて、お得意の情報を遮断してエジプト、ムバラクで検索してもインターネットが開かないようにしているそうである。ペンは剣よりも強しと言うが、インターネット、剣よりも強し、か。


平成23年2月11日(金) 建国記念の日(紀元節) 

 昨夜来の雪、気温が高かくて、風が無かったので、木々や電線などにべったりと着雪していた。深夜から観測装置を何度か覗いたが、気温が0.3℃と動かず、装置が壊れているのかと思ったくらいだ。

 孟宗が雪の重さで地面に着きそうなほど曲がっていた。全く風がなくて静かに降ったのだろう、除雪してやろうと行ってみると、僅かしかないハチウトの庇の部分が覆っているハチの出入り口、全く雪が積もっていなかった。昨夜からの積雪量はここで8センチくらいだったろうか。気温が高かったので、道路の雪はほとんど積もる事は無かった。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6 ) 

 今夜もまた雪が予報されているが・・・・


平成23年2月10日(木)

 晴れ、のち、曇り。今日も一応は氷点下になり、日中もそれほど気温が上がったふうでもなかったが、風が無かったので非常に穏やかで、屋外作業も、いつもであれば、ツナギの上から更に防寒着を重ねて作業をするのだが、今日はツナギだけで寒くは無かった、休憩も屋外で和かな太陽にあたりながら一服した。最低気温-1.9℃(06:52)、最高気温8.9℃(13:11)。

 予報によると、今夜からまとまった雪になるとのことなので、例によって全くあてにはならないが万一と言うこともあるので、終日薪作りをした。一度でも雪が積もると数日間は屋外作業が駄目になるので多めにストックした。
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 夜8時過ぎに外を見てみると、いつの間にか真っ白になっていた、ほんの一時間ほど前までは、降っていなかったと思うが・・・・・


平成23年2月9日(水)

 晴れ時々曇り、か。昨夜は7ミリ近くの雨が降ったようだが、朝には上がって、日中は概ね晴れていたようだ、気温も今日は氷点下にはならず終日高めで推移した。ただ風が少しあったので、体感気温は少し低かった。

 昨日の雨で、グランドコンディションが悪くて、屋外作業は無し、終日、自宅鯖用のPCの整備をする。webサーバーとftpサーバー用のソフトを入れて、perlもインストールして、cgiも一応だがテストした

 チェンソーの一台のガイドバーが異常に片減りして、玉切りする際に極端に斜めにしか切断できなくなったので、交換した。どうすればあれほど片減りするか分からない。


平成23年2月8日(火)

 晴れのち夕方から少し雨が落ち始めた。

 朝、子どもたちが登校のために集合をしている時に、突然防災無線から火災発生のサイレンが鳴って消防団が出動して行った。宮地方面を見ると真っ黒な煙が高く登っていた。後から知ったことだが、宮地駅前の古木商店の北隣りの雑貨店から出火して全焼だったとか、幸いに死傷者は無かったそうだが。一時阿蘇は火事が多いところだなあと感じた年もあったが、ここのところ随分長い間火災は無かった、阿蘇には「夫婦火事」という言葉がある、一度火災があると立て続けにもう一度あるそうである。

 今朝、新聞の訃報欄に下町の中川竹久さんの母上スサノさん(103)と、福原の斉藤寛信さんの奥様、ミサエさん(78)の名前があった。小生は円通寺で営まれた中川家の葬儀に参列したが、母上はあと一月で104歳におなりだったとか、明治40年生まれだそうだ、驚異的である。小生の父が明治39年生まれだったので、中川さんのように長命であれば我が子たちと同じ時間を持つことも出来たことになるなあと思った。(写真1写真2

 サーバー入れ替えのために取り組んでいる更新用PCの整備、なかなか時間が取れない事もあってちょっともたついていて、今日ようやく、HD換装のうえRAIDのミラーリング構築完了、同時にWindowsXPインストール終了。まだこの先、wwwサーバープログラムやftpサーバープログラム、perlやcgiを入れなければならないが、もうしばらく脳みそから汗をかかなければならない。


平成23年2月7日(月)

 晴れ。深夜に氷点を少し下回ったようだが、起きるころは5℃近くあって久しぶりに暖かい朝を迎えた。そして日中も暖かく、昼前にK亮さんがやって来た時は、庭先で珈琲を飲んだ。

 今日は午前中、ハシゴをかけるなど、杉の枝打ちの段取りをしたころで、カミさんが頭痛がして起きていられないというので、已む無く作業を中止して、昼からは息の子守に専念した。



平成23年2月6日(日)

 晴れ。朝は霜で真っ白になっていた(最低気温 -5.0℃)が、昼間は穏やかに晴れて、そして夕方には、大きな太陽が西の山の端に沈んで行った。そう言えば、昨日も今日も霞がかかったようだったが、黄砂では無いとおもうが、煙霧というやつだろうか。昨日は特に、熊本宮崎全域で空が霞んでいて初めは噴煙のせいかと思ったが、噴煙が来ない地域でもそうだったので、煙霧と言うやつだったのだろう。

 今日は娘のコンテストに向けてピアノの弾き合い会とやらで、母親と二人で熊本市内に出掛けて行ったので、小生は息の子守をしながら留守番をした。

 本日、息誕生7カ月目。恒例の定点観測、体重9.6キロ。いつもは父子で機嫌良く風呂に入っているが、今日は写真撮影でわさわさして、どうも機嫌を損ねたようで、大泣きのなかの撮影になった


平成23年2月5日(土)

 晴れ。冷え込みは昨日ほどでは無かったが、昼間の気温は、外出していて阿蘇には居なかったが記録によると昨日と同じように暖かい一日だったようだ。

 今日は娘を連れて朝から、新燃岳の観測に出掛けた。自然の猛威を実際に見るのも社会勉強になるだろうと思って出掛けることにした。朝9時半に出発して、九州自動車道を走って二時間でえびのパーキングエリアに着いた。えびのパーキングエリアから新燃岳はかなりの距離(20Km)があり、しかも逆光で噴煙もあまり見えなかった。ここまで来て、九州自動車道を引き返すより、どうせなら、宮崎道に入って、都城、宮崎を通って、延岡、高千穂経由で一周しようかということになって、一路宮崎に向けて走った。途中の霧島SAあたりが直線距離で一番近い場所のようだったが、空一面噴煙らしいものが見えたがやはり逆光と、もしかしたら火山灰のせいか視界が悪く、ニュースなどで流す映像は噴煙の流れから、新燃岳の南側、つまり、鹿児島側から撮ったものだということが良く分かった。やはり、しっかりと観察するには新燃岳の南側から見る必要がありそうである(娘には今日はVサインはするなと釘を刺した)。それより、宮崎道を進むにつれて、都城あたりにくると、町中が火山灰で総て真っ白に、まるで雪が降ったように、モノトーンの世界に沈んでいた。車も噴煙をまき散らして走っていた。一雨くれば、瓦の灰や畑の野菜、木々に降り積もった灰は流れ落ちるだろうが、反面、土石流の恐れが出てくるらしい、なんとも厄介な火山灰である。それがいつ果てるとも知れないのである。阿蘇に住んでいると、全く他人ごとでは無くなってくる。

 宮崎市は、中学の修学旅行だったろうか、ほとんど記憶にないので、初めてに等しい地である。道幅の広い10号線にはテレビなどで観るヤシの木が立ち並んでいた、やはり南国である、町の作りとしては熊本より大きく感じたがどうだろう。

 突然思い立った、ルート変更だったので、ついでにじっちゃいの顔を見てから帰ろうと思い、旧佐土原町のお宅を予告なしで急襲した。御夫妻、まさに丁度、お孫さんたちと出掛ける寸前で車を出そうとしている門前で鉢合わせ、あと1分遅ければすれ違いになっていただろう、当方も先を急ぐ身だったので、ちょっとの間の立ち話と記念撮影ですぐにいとま。それでも、御自宅から二三百メートルだろうか、近くの森に仕掛けてあるハチウトをしっかりと見学した。ここでは本当にニホンミツバチの飼育が盛んのようで、そこかしこに同好の士の皆さんのハチウトがずらりと並んでいた。

 宮崎市から日向、延岡を通って、高千穂経由で帰ってきたが、三時にじっちゃいのお宅を辞して、家に帰りついたのが、六時半くらいだった、宮崎地方でも部分部分ながら高速道路が少しずつ整備されていて、思った以上に早く走ることが出来た。途中、阿蘇域に入ってちょっと道に迷って草部の間道に入り込み、余計な時間を食ったが、九州自動車道経由でも、延岡経由の一般道でもここから約3時間半で宮崎に行ける事が分かった。今日は宮崎市での昼食以外、何処にも寄らずにただ走っただけだったが、様子が分かったので今度は家族でゆっくりと出掛けることにする。本日の走行距離430キロ、高速道路の休日割引は大助かりである。

 宮崎では口蹄疫に続いて、こんどは鳥インフルエンザ禍に見舞われて道路のあちらこちらで消毒ポイントが設けられており、小生たちの車も、消毒シートの上を二三個所通過したが、他にも何箇所か道路から少し引っ込んだ場所に消毒ポイントが設けられていて、「全車消毒」と看板が立っていたが、何か特定の車以外は改めて止まることなくどんどん素通りしていた、部外者なのでそのあたりの仕組みが良く分からない、説明板も無い、ニュースなどで見るほどの緊迫感は無く、あまり物々しさは感じられなかったがどういう基準なのだろうか。これは野生の鳥が居る限り空からいくらでも侵入してくるので、道路での消毒にあまり期待していないということなのだろうか。

 火山の噴火と降灰と鳥インフルエンザ、娘の記憶にはどう刻まれただろうか。



平成23年2月4日(金) 立春

 晴れ。朝はほどほどに冷え込んで(-5.0℃)、日中はまるで春のような陽気になった(12.7℃)。

 どうせ一時的なもので、また寒くなるのは分かっていながら、暖くなった途端に薪作りが面倒になって今日も西側の竹の間引きをした。大分向うが透けて見えるようになった、それでもまだ10本以上は切っても良さそうである。(写真1写真2

 野焼きの日程表が回ってきた、例年、大体雨で順延になる。



平成23年2月3日(木) 節分

 晴れ。最低気温が-6.8℃(07:38)、最高気温 9.1℃(13:33)。朝は丁度最低気温を記録する時間にあたり一面霧が立ち込めた、やはり、このくらい気温が下がると、手袋の指先が痛くなる。そして日中は抜けるような青空が広がった。

 今日は突然、西側の竹の間引きや灌木の伐採を始めた。この部分は、今回の竹の全伐から除外してあったので孟宗が鬱蒼としていて見通しも風通しも全く良くないので、近々、スッキリさせようと思っていて、それが今朝突然に始めてしまった。最終的には杉の枝打ちもする予定なので、今日はとにかく、適当に気が済む程度に切り倒したところでやめたが、それでもかなりスッキリした感じがする。

 午後から薪作りをした。チェンソーの音を聞きつけてジョウビタキがやってくるので無下にはできず、木の皮をむいて虫の幼虫をつまみだして、木の皮においてやるといつの間にか食べてしまっている。一年以上雨ざらしにしておいた木には沢山の虫が住みついている。チェンソーや刈払機の燃料はガソリンとオイルの混合油であるが、レギュラーガソリンと2サイクルエンジンオイルとを一般的には25:1の割合で混ぜて作る。ついつい面倒なのでスタンドで買うことが多いが、自分で作った方が割安である。

 夕方から娘を連れて阿蘇神社に出掛けた。阿蘇神社では節分の豆まきではなくて、どういう謂われか知らないが護摩木を撒く。

 午後5時から6時近くまで、拝殿で神事があり、その後で、神官たちよって護摩木が撒かれ善男善女がそれを拾う。これを持ち帰って家で焚くと家内安全のお守りになるそうである。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 そして夜には、我家でも豆まきをした。こういった風習は今の日本ではどのくらいの家庭で行われているのだろうか。各部屋の窓を開けて娘が代表して豆を撒いた。婆様がいた部屋でも窓を開けて撒いたが、昨年はカミさんが入院していて家に居らず、娘が婆様のベッドサイドで豆を撒いていたことをふと思い出した(が、遡って日記を見る気にはなれない)、そこにはもうベッドは無い、一年一巡りするまでは、どうしても節目節目には思いだすが仕方がない。


平成23年2月2日(水)

 今日も昨日と同じような天気だったが、昨日ほどの暖かさは感じなかった。昼過ぎにちょっとパラっときた、久しぶりに雪では無くて雨だった。(最高6.1℃、最低-4.4℃)

 みどりの爺様出場。

 例によって、午前中は竹を燃やした。ずっと少しずつ崩しては燃やし続けていた竹の山、もう残り全部に火を点けても大丈夫だろうと、思い切って残りの山に火を付けたが、思った以上に火勢が強くて、近所の人が心配して見に来たほどだった。今日で、一番大きかった竹の山をほぼ燃やしつくした。まだ同じような場所が二三個所残っている。M士さんがカライモを持ってきてくれたので、熾火に突っ込んで焼き芋を作って食べた。

 昼から、チェンソーの修理をした。まだ家を作っている最中だったが、最初に買った小型のチェンソー、いまだに一番働いていたる、スターターのロープが切れたので、分解してロープ交換をした。ゼンマイでロープを巻き取る仕組みになっていて、ばらす時にやっちゃいけないと思っていながら、うっかりゼンマイをばらしてしまった。子どもの頃からの経験で、こういったゼンマイ、下手にばらすと元の場所に納めるのが至難の業だと言うことを知っていながらやってしまった。何度やってもダメなので諦めようかと思っているうちにふとコツのようなもを掴んで、ようやく修理が出来た。
 昨日のミツバチの様子についてじっちゃい師匠が掲示板にコメントをくれた。

 ミツバチ 投稿者:じっちゃい 投稿日:2011年 2月 1日(火)21時55分22秒
女王は冬は産卵しないので、ハチの数がだんだん減るのは仕方ないですが、これだけ残っていれば春まで大丈夫ではないでしょうか。巣を壊して貯めた蜜を食べ、崩した巣の穴に集まって寒さを凌ぐらしいです。それと、活動期は体色がすこし黄色味が出てきますが、冬は黒くなります。あと一月頑張ってくれれば、産卵が始まって少しずつ数が増えてくると思います。ほがした巣も綺麗に修復します。楽しみですね。

 (昨日、崩した巣のカスをどうしようか、掃き出そうかと思ったがそのままにしておいて良かった。)

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 ミツバチ他 投稿者:じっちゃい 投稿日:2011年 1月31日(月)20時38分55秒
見ました。雄バチだとシーズンには早いですから、もしや、ということになりますが、ミツバチのようで?という感じもありかなと。内検して、落ちてる巣屑の真ん中に小さい穴があるかですね。とにかく、面布と手袋をしてです。冬はまともにぶつかってきますよ。
 タマムシの幼虫がゴマンと出てきたそうで、思わずカミさんを呼んで見せました。いるんですねえ、す阿蘇には。
 KK5さん、明後日あたり、霧島の麓まで行くことになりそうです。レポートします。
(風)  じっちゃいの写真のハチは一匹だけが、真っ黒でしたね、他のハチはあれは胴がちょっと黒いようですが雌ですか、そうだと、我家のハチも雌だと言う気もしますが、明日、覗いてみましょう。
 タマムシの幼虫は柿の木の皮の下で無くて、幹の中に穴を掘っていました。かなりビンテージものの幹だったので、軟らかくて巣くい易かったのかもしれません。タマムシ、そんなに数は多くありませんが我家の庭先でも見たことがあります。



平成23年2月1日(火)

 2月に入った、まだ一月しか経っていないが、今年は年が改まったのが随分と昔のことのように感じる。

 今日は予報通り暖かな日になった、と言っても、朝は氷点下(-2.8℃)、日中も7℃くらいまでしか上がらずにまだ完全な冬だが、今までが寒かった分、まるで春のような気分になった。

 午前中、竹を燃やした後、気になっていたハチウトをひっくり返してみた。突然だったので驚いたハチが何匹か外に飛び出してきた。確かに、冬のハチは大人しくなく、ブンブンと顔の周りを飛び回っていた。

 写真は以下の通りだったが、夏に見たハチよりも確かに胴体が黒っぽい、ただ、黄色と黒っぽいこげ茶とはちゃんと縞になっていて、胴体全体が真っ黒ということは無かった。黒っぽいのは季節的なものなのか、あるいはオスなのか知識がないので分からない。ハチの巣が以前見た時に比べて大分小さくなっているようだった。巣の底に、自分たちの餌として食べた巣の粉が沢山散らばっていて、そのなかでハチが何匹か死んでいた。

 開けたついでに秋にスズメバチ対策で張ってあった金網をとってやったが、今日は今まででは一番暖かくなったので、それと、眠っているところを叩き起こしたせいもあるのだろう、びっくりするほど沢山のハチが飛びまわっていた。
写真1写真2写真3写真4写真5

 午後からまた薪を作ったが、急に暖かくなったので、なんだか気が入らなくなった、まだ2月に入ったばかりだというのに。5月上旬までは薪は必要なのだ。

 新燃岳の噴火が収まる気配がない、地球のエネルギーの大きさにただ驚き慄くだけである。不謹慎かもしれないが、近くまで(と言っても、「えびのパーキングエリア」あたりまでか)行って見てみたい気もしている、日帰りで行ける。




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