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平成23辛卯(2011)年3月の記録(新しい日付けの順)


平成23年3月31日(木)

 今日は気温がどんどん上がって、留守番の都合で今日は午後三時頃にうっかりいつもの冬支度でボンの散歩に出て暑さに閉口した。
 最低気温-2.9℃ (04:55)、最高気温18.2℃ (15:20)

 今日は大体において年度末である、今年の年度末はどこでも色々と騒然とした年度末ではなかったろうか、小生はもう全く思い出しもしなくなった。

 娘は朝から母親と光の森に「ドラえもん」を観に行った、「ドラえもん」なんか(という言い方は失礼かもしれないが)テレビで見られるだろう、映画館でなければ見られないものをやっているだろうと言ったが「ドラえもん」がいいという、小生はとてもではないが1時間以上もマンガに付き合うのは苦痛なので、カミさんに連れて行かせた。留守番をして息のオムツ替えをしていたほうがまだマシである。

 小生は息をなるべく眠らせておいて、その間に、ホームページに載せる写真で未処理のコイノボリ建て方(26日)、と昨夜の送別会の写真を整理してアップした。更に13日の野焼きの写真(13日)、同じく鞍岳祭の写真、全部で300枚近く一気にアップした。


平成23年3月30日(水)

 今朝は氷点下にはならなかったがそれでもやはり寒い朝だった、日中は概ね晴れて気持ちが良かった。

 今晩、定期異動で坂梨小学校を去られる先生方の送別会がホテル・サンクラウンであった。

 送別会にはいつもしみじみとこの詩が頭に浮かぶ。
 勸君金屈巵 満酌不須辞 花發多風雨 人生足別離 そうだ、サヨナラだけが人生だ、特に歳をとるとその想いが強くなる。

 坂梨小学校 先生方送別会連続写真 (10枚) 1/5
 坂梨小学校 先生方送別会連続写真 (10枚) 2/5
 坂梨小学校 先生方送別会連続写真 (10枚) 3/5
 坂梨小学校 先生方送別会連続写真 (10枚) 4/5
 坂梨小学校 先生方送別会連続写真 ( 7枚) 5/5


 Flash Playerのアップデートをしたところ、エラーが出てどうしてもインストール出来ない。色々な解決方法をネットで探しては試みてみたがうまくいかない。最終的にSubInACLを使ってレジストリを操作してようやく解決した。


平成23年3月29日(火)

 晴れのち、夕方近くなって雨になる。気温は今朝も氷点下だったが、昼間は日に日に暖かくなっており気持ちのいい一日だった。

 コラッが今日はモグラを捕まえてきた。どうしてわざわざ獲物を見せびらかせに持って来るのだろうか、ここのところ、庭先がモグラの穴でデコボコになっていたので、でかした、である。

 娘が春休みで家にいるので曜日の感覚がちょっとおかしくなった、その上に、宮崎のじっちゃい一行がいつもの土曜日来訪のスケジュールを変えて今日やってきたのでますます混乱した、そうか、今日は火曜日だったのだ。

 午後から雨になるだろうという予報だったので、朝のうちにコイノボリの着脱方式の変更を済ませた。国旗掲揚の時に使うスイベルフックをとりつけて、取り外しを容易にした、おかげで夕方近く降り始める直前にコイノボリを一気に収納することが出来た。

 じっちいの定期健診、いつもなら金・土で熊本にやって来るが、都合で今回は月・火になったとのことで、今回はいつもの孫のAちゃんに加えて弟のE君も一緒だった。

 その前に、組内のイチゴ農家のT之さんM理子夫妻から、イチゴの収穫が追いつかずに熟れすぎて市場に出せそうもないのが沢山あるので採りに来ないかとお誘いを受けていたので、そうだ、宮崎の一行にイチゴ狩りを体験させてあげようと、打診したところ快く承諾していただいたので、さっそくハウスに案内した。

 小生たちもそうだったが、初めてはるか向うまで続くイチゴハウスの中に入って、好きなだけ摘んで良いですよと言われた時の喜びと言うのは生産者の苦労も知らず、これはまた格別のものがある。じっちゃいたちもそうだったようで、こんなに贅沢なことはそうそうないと大喜びでイチゴ摘みに熱中していた。小生、図らずも他人のフンドシで阿蘇のおもてなしをしたようなものである、ごっつぁんでした(あえて解説もなんだが、フンドシという語を受けてごっつぁんとしたのである)

 じっちゃい夫妻は到着早々、ハチウトをひっくり返して巣の成長度合いをチェックしてくれた、ほとんど床に付くくらいに巣が大きくなっていたがまだ雄バチの気配はなかった。


平成23年3月28日(月)

晴れ。昨日と同じくらい冷え込んだ。日中はグンと気温が上がった。
最低気温-4.8℃(06:49)、最高気温12.2℃(14:47)

 もうコイノボリの揚げ下げが面倒くさくなったので、暫くやめようかと思っていたら、首振りカメラをそちらの方に向けて、様子を見てくださる人が何人かおいでのようなので、今日も揚げた。

 実は当初の計画では、夕方降ろしたコイノボリをヒモから外して収納するのが大変なので、皆さん、大きな漬け物樽を置いておいて、ヒモにつながったままのコイノボリをそのなかに全部落としこんで蓋をしておくと聞いていたので、そのつもりでいたが、そのためには一番上の吹き流しと一番下のコイノボリ分の長さだけ全体的にヒモに余裕がないと、観覧車のゴンドラのように、一番上の吹き流しを樽に入れようとする時には一番下にあったコイノボリがまた揚がっていくことになる。結局16mくらいある柱に対して今回のヒモの長さが30mなのでギリギリ往復15mの高さにしか対応でず全く余裕がない、 結局、降ろすたびに全部ヒモから取り外さなければならない、そして翌日また一匹ずつ取り付けることになる。そこで、コイノボリを取り付ける部分のヒモだけ別仕立てとして、ワンタッチで取り外しが出来る工夫をしようと思って国旗に使うスイベルフックを注文しておいた。今晩はそのままにして寝る事にする、雨は大丈夫だろう。

 娘のクラスメートが遊びにやってきた、部屋で何か共同作業をやっていたようだ、小生は竹林の残材などを燃やしていた。。


平成23年3月27日(日)

 晴れ。娘が休みなのであまり早く屋外に出る事も無く、じっちゃいのブログで坂梨の今朝の最低気温が氷点下5℃まで下がったことを知った。今年はとにかく異常である。宮崎のじっちゃいの周囲ではもう田植えが始まったそうだが、こちらはたかなの生育もあまり良くなさそうで出荷が遅れているようである。

 それでも昼間は、特に午前中は、風もなく穏やかな春の日差しが降り注いでいた。しかし実のところ、これから一月あまり、風が無いのは少し困るのであるが・・・・

 最高気温10.7℃(14:02)
 最低気温-5.0℃(06:37)

 今朝の新聞(熊日)に気になる記事があった、大地震と火山の活動が連動しているような・・・・そう思って見るせいか、湯だまりが無くなったこともあり、最近阿蘇の噴煙の量が多い気がする、今朝も多かった


平成23年3月26日(土)  大安

 昨日と同じような天気だったが、昨日よりは風が無く、特に夕方近くなると穏やかな日暮れになった。
  最低気温 -2.3℃(02:40)、最高気温 7.2℃(14:09)

 今日は日が良いからと、坂本棟梁とお弟子さん、それから桐原さんが、午前中には棟梁のお孫さんのコイノボリを、午後から我家のコイノボリの建て方をやってくれた。そして皆さんのおかげで夕方には悠然とコイノボリが大空を泳いでいた。

 小生自身が阿蘇に住み、コイノボリを泳がせる息子がいる事自体がまあ考えてみたら奇跡の様なものなので、色々な理屈は抜きにして、正直嬉しいと思っている、丈夫に育ってくれ、ただそれだけである。

 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 1/8
 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 2/8
 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 3/8
 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 4/8
 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 5/8
 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 6/8
 太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (10枚) 7/8
 
太郎 初節句コイノボリ建立 連続写真 (13枚) 8/8

 市が進めている「光り化」事業、今日、宅内工事が終わり端末が付いた。興味があるのでまた根掘り葉掘り質問して、工事の人に親切に教えてもらった。さっそく娘に友達に掛けてみろと言うのに恥ずかしがってまだ掛けていないようだ。まあ、そのうちに娘の友達間のダベリ専用機になるだろう。小生も特に掛ける相手もいないので我家ではまだ誰も電話の通話はしていない。
写真1写真2写真3写真4


平成23年3月25日(金)

 昨夜のうちに少し雪が降ったのだろうか地面が少し白くなっていた、そして、午前中は時々小雨が降って、晴れだという予報とは大分違う展開になった。日中も天気は回復してきたがとにかく風が強く寒かった。いつまで経っても冬である

 最低気温 -2.3℃(03:13)、最高気温 06.5℃(13:34)

 杉の皮剥きの最後の一本を終わる。その他、矢車の組み立て馬簾の玉付けなどの作業をする。明日の午後に建て方をすることになった。

 九州電力は東京電力福島原発の事故を受け、定期検査で休止中の玄海原発2号機3号機の運転再開を延期することにしたそうで、このまま休止が続くと夏には計画停電があるかもしれないそうである、思わぬ余波である。


平成23年3月24日(木)

 晴れ。朝は氷が張り、霜柱が立っていたが、その分、昼間は11℃近くまで上がって暖かかった。

 坂梨小学校、昨日が卒業式、今日が在校生の終業式、学年最後の登校なのでいつものように登校班の定点観測撮影(足元に霜柱も見える)。今日がそれぞれの学年の終わり、次の学年が始まるのが4月の始業式なので、その間、君たちは浪人だねというと、皆???。実際どういう扱いになるのだろうか。

 今朝の新聞に先生方の異動が載っていた。校長と娘の担任のお二人が転出されるようだ。

 夜、宮城県亘理町の八木紘輝さんから電話が入る。今日ようやく電話回線が復旧したそうである。それで、遡って小生の日記を読んで、無事ですよという電話が来たのである。氏は地震当時、低地に居たそうで、地震の揺れが収まるのを待ってすぐに高台にある家に帰ったので間一髪命拾いをしたそうである、とにかく良かった。

 福島の原発事故により、水道水や野菜などに「放射性物質」が検出されたと報道されている、小生はなどは「放射能」で済ませているが調べてみると、「放射線を出す能力を放射能と呼び、放射能を持つ物質を放射性物質とよぶ」とある。つまり、放射能を持つ放射線物質から放射される線が放射線か?????良く分からない。

 こちらのホームセンターでも水が売り切れだと、さきほど、まりさんの情報で知る、この売り切れはどういう種類の売り切れだろう、まさか地元民が自家用には買わないだろうから、多分首都圏の親戚などに頼まれたのだろう、大変である。いよいよとなれば自宅の水道水をペットボトルに詰めて送ってあげればいい、坂梨の水道水は名水と同じだから。

 今日も杉の皮むきをする、途中、K亮さんがかなりの距離を歩いてひょっこり顔を見せる、数キロを車でなくてノンビリ歩いて来たそうである。一里はあるだろう。そして皮むきは残すところあと一本だけになった、腰がパンパンである。


平成23年3月23日(水)

 くもり。久しぶりに薄氷が張って、高岳も冠雪していた

 娘の小学校、今日が卒業式だった、終業式は明日だそうだ。

 今日も、杉の皮剥きをした。

 原発事故の新たな展開、東京の金町浄水場が放射能に汚染されて、乳児には飲ませない方が良いと発表されて、ペットボトル入りの水が売り切れているとのこと。水道水や野菜、牛乳などに含まれる放射能は原発事故が終息しない限り、これからも多分、増える事はあっても減ることはないだろう。いずれ乳幼児だけでは済まなくなるかもしれない。冗談でなく、東京を脱出して故郷に帰る人が増えるかもしれない。事実、阿蘇にいて、何も心配しないで実質無制限に綺麗な水を飲むことがが出来る環境、有難いと思う。しかし、九州にも原発は沢山ある、地震だけでなく原発事故も明日は我が身かもしれない。


平成23年3月22日(火)

 曇りのち、曇り(時々日射し)。

 コラッのヤツは時々モグラや小鳥やネズミを捕まえてくる。今日はネズミを捕まえてきた、昔と違って食糧事情が良いので食べる事はしない、逃げると捕まえて、また逃げると捕まえて、要するに甚振て(いたぶって)楽しんでいるだけである。今日はボンまで加わって前門のボン、後門のコラッという状態になっていた。ところが、二匹が油断をしている間に見事に逃げられた。考えてみたらそのネズミがいずれ家に入ってくるわけだから、もっと真剣に捕まえてほしいものである。

 今日は昼から杉の皮剥きをずっとやっていた。春になって水を吸い上げ始めているので皮は剥きやすかった。それでも、15メートル以上あるので、今日は剥ききれなかった。

 市が進めている「光り化」事業。もう大部分の場所では工事が終わっているようで、終わったところから通信が始まっている。今月中に予定の阿蘇市と産山村全戸の工事が終わることになっているはずだから、小生などが住まいする「山付き」(要するに市街地や住宅でなくて外輪に添ってある集落のこと)が最後になったのだろう、今日、宅内引き込みに備えて、家屋の入り口までの配線工事があった。数日中に宅内工事があると思う。

 工事車が我家の前を素通りしそうだったので、問うたところ、申し込みリストに無いという、いや、最初の頃に申し込んだはずだと言うと、すぐにやってくれた。

 この「光り化」、NTTが採算が合わないからと行わないので、市が国の助成で進めている「情報過疎化」対策である。全戸には無料で、現在の防災無線と同じ機能を持ったディスプレー付き端末が配られる、ついでに、市内であればテレビ電話が無料となっている。オプションとしてインターネットの契約もある。小生は、ポート開放が出来ないので(プライベートIDしか付与されないから)、今回はインターネットの契約はしない。
参考

 興味しんしんで、工事の人にファイバーの切れ端をもらった。見たところ、ペアになっているので、聞いたら、いえ、これはファイバーを保護する部材で、ファイバーはその間に挟まれていいます、と線を割ってファイバーを出してくれた、1ミリほどの細い線だった。親切にもファイバーの説明までしてくれた。これだけ細いファイバーにもかかわらず、一本のファイバーは三層になっているそうである。以下三菱化学グループ会社のウェブサイトから資料引用

 原発事故、本来であれば一基でも大変なのだろうが、こう次から次に爆発を起こして、毎日水をかけては、放射線量が下がったの上がったのと記者会見を繰り返している、大津波被害と相まって、こういうことが続くと、遠隔地にいるとだんだん麻痺してきて大したことではないのではないかとさえ思えてくる、なんとも怖い話である。嫌でも原発はやめるわけにはいかないと思っていたが、もう原発は日本では無理だろう。ではどうするかであるが、どうすればいいだろう。こうなると日本の家屋には全部ソーラーパネルを義務つけるとするか、原発の建設費やそれに付随する高額なコストを、ソーラーパネル化に回すと、個人負担はどうなるだろうか、地デジ化にさしたる異議の申し立てもせずに地デジテレビを買う国民だから、ある程度の持ち出しくらい文句をいわないだろう。



平成23年3月21日(月)春分の日(春季皇霊祭)

 生憎の雨の一日、気温は高めだった。今日熊本市で桜が開花したそうである。

 大震災の被災地から聞こえてくる声は深刻な燃料不足のようだ。ガソリンがあれば各人が車で移動できるので、通院や生活物資の運搬調達能力が大変楽になる。外から見ていると歯がゆいばかりだが分かっていてもそれが難しいのだろう。今回の大震災で東北関東地方の沢山の製油所が機能しなくなっているが、因みに日本国中の製油所を全部集めても数はそんなに多いというほどではない、図らずも製油所は日本にとって大きなウイークポイントの一つだと言うことが改めて分かった。

 ニュースによると首都圏でも買い占めで品不足が起きている、遠く地方都市でも起きているそうだ、現在は被災地には個人で送ることが出来ない状態なので、これは自分か、被災地以外からの知人や親戚間の需要らしい、このようなシーンを見ると暗澹たる気分になる。

 遠くにいて、具体的な応援は何もできない、なるべく買い物を控えるとか、「貧者の一灯」ぐらいしかできない。

 74式戦車が放射能に対してある程度耐性があるようで、原発の瓦礫排除に出動したそうだ。二三日前の日記に、放射能に対抗しうる兵器はないのかと書いたが、あることはあったのだ、もう少し早く出動出来たら良かったのに。

 桐原さんがコイノボリに使う諸々の材料を届けてくれた。バレン(馬簾)などの制作に結構沢山の手作業部分があるようで、手順を教えてもらったが、カミさんなんか夜なべになりそうだと言っている。矢車もバラバラな部品を自分で組み立てて作るようになっている。杉の皮剥きもやらなければならない、棟梁の予定だと数日中に建てるそうだから、けっこう日が押している。


平成23年3月20日(日)

 春らしい柔らか雨が降っていた。

 東北地方の地震・大津波から九日が経って今日からNHKも含めて全部の放送がほぼ通常の番組編成に戻った。報道が減ると、全く変わっていない被災現地の現実にかかわらず世間の関心は急激に薄れていくのだろう。我家では毎週日曜日の朝にはニュースワイド番組を見ながら朝食をとる、しかし今朝は見なかった、番組内容は間違いなく今回の震災特集だったろう、映像の下に隠れた一瞬のうちに万を越える理不尽な人たちの死を思うと息苦しくなってとても繰り返して見る気にはなれない。多分youtubeあたりにも、個人が撮った記録映像が沢山アップされているのだろうが、とても見る気になれない。

 そんな中、9日ぶりに、祖母と孫が倒壊家屋から救出されたとニュースが伝えていた、よく生きていたなあ、と心からホッとする、そうなのだ、今はまだ、災害の真っ只中にいるのである。

 大震災から三月とか半年とか経ったわけではない、こんな時、開催か中止かアドバルーンをあげて様子を見ていたのだろう、高校野球が開催されることに決まったそうだ、高校野球ファンには朗報なのだろうが、小生は根本に野球には興味がないこともあるが、今回の決定には少し驚いた、少なくとも高校野球は当然中止だろうと思っていた。

 「高校球児たちの真剣なプレーが、大震災で打ちひしがれた被災地のみならず、日本中の人たちにとって一筋の光となるのではないか」、一生懸命考えたコメントだろうが全くの詭弁だと思っている、要はやりたかったのだろう。高校野球ってそんなに大層なものか?そんなことで元気をもらえるほど今回の災害は生易しいものではないと思うよ、日本中の人たちが高校野球が好きということもないぞ、あれだけの大災害を横目に、よくやれるなあと思うほうが普通の感覚だと思っていたが、小生の頭のほうが世間とずれているのだろう、高野連や大新聞はそうは思っていないのだろう。やっぱり今回はやめようよと言う声は中から出なかったのだろうか。果たして二十万とも三十万ともいわれる被災難民に一体何台のテレビがあると言うのか、公民館で皆が皆高校野球を見るだろうか、確かに一部野球好きには元気をもたらすかもしれないが、あくまでもそれは一部だろう、その間、大事な救難情報などはどうなるのか、伝えたい事、伝えて欲しいこと、山ほどあるだろう。小生が被災者ならやめてくれ、もっと情報報道を優先してくれと言うだろうな。

 選手はこの日のために猛練習をしてきたのだ、そのとおりだ、選手のなかには一生に一度の晴れ舞台だから、という者もいるだろう、しかし逆に一生に一度の「中止経験」もある、それが人生だと納得理解させる教育もあると思う。開催、中止、意見が大きく分かれるところだろうが。

 ところで、電力需要の逼迫で、国民が日々の生活、生産活動に支障を来しているなかで、高校野球を美化し神聖視して国民的一大行事として毎回全国中継をしているるNHKは大量の電力消費につながるこの行為をどう説明するのだろうか。常日頃、高校野球を子どもの教育定時番組までつぶして全試合放送する合理的な理由が一体どこにあるのかと思っている、NHKにとって教育テレビは「ついで番組」なのか。どうしてもやるなら公共放送に徹することにして、今回は全放送を民放にやってもらうといい、もし国中の人たちが見るのなら民放局も大喜びで受けるだろう。


平成23年3月19日(土)

 昨日までの「冬」が全くウソのような暖かい一日になった。ふとモニターに目をやるとハチが盛んに活動していた。畑の野草(という表現は極めておかしいが)も一面小さな花を付けている。

カミさんは、高熱ではないがまだ下がらないと言って不調を訴えている。

 娘が、勉強机がちょっと窮屈だと言うので、椅子と机の天板を一段ずつ上げてやった、ついでに、整備済みのPCも、次機整備まで貸与することにした、時間が無くて次の整備はずっと先になるだろうから、当分は戻ってこないだろう。

 16日に中岳火口の湯だまりが消えていたことを日記に書いたが、今日の新聞(熊日)にその事が出ていた。噴火の前には湯だまりはなくなるらしいが、逆に湯だまりが無くなると噴火するということではないらしい、それでもやはり気になる。

 「湯だまり」について、以前の考え方は単純に雨水が溜まったものだと考えられていたが、その後、雨の降った記録と、火口からの蒸発量を考えた場合、それではつじつまが合わないことがわかり、地下水が関係していることが分かった。降る雨の量と、地下水系からの水の量とマグマによる加熱で蒸発する水量との絶妙のバランスで湯だまりが出来ているので、そのバランスが崩れると湯だまりの水位の増減が起きる。従って、雨が少ないことも減少の原因になるし、マグマ活動が活発になって水の蒸発量が増える事も湯だまり現象の原因になるということである。今回はどちらだろう。(参考記事


 昨夜、阿蘇神社で春を告げる農耕祭事、「火振り神事」があったそうだ。

 日没前、犬がさかんに吠えるので出てみると、長い杉の樹を積んだトラックが入ってきた坂本棟梁とお弟子さんがコイノボリの柱にする杉を運んできてくれたのだ。長い杉をどう入れるのだろうと思って見ているとさすがプロである、ワイヤーアンテナを避けて狭いスペースにちゃんと降ろしてくれた。これからこの樹の皮むきをしなければならない。冬の間は水を吸い上げないので、皮をむくのは難しいらしいが、春になって盛んに水を吸い上げるようになると皮は剥きやすくなると言うことである。果たしてそうか、あす以降にそれが分かる。


平成23年3月18日(金)

 坂梨は今朝は氷点下6.1℃まで下がり厳冬期に逆戻りしたようである。しかし、梅やスイセンや野草などの花が咲いており、一旦啼きだしたウグイスも今さら寒いからと言ってやめるわけにもいかないとみえて、ホーホケキョと啼いている。気温が低い割には風もなく穏やかに日がさし始めて気持ちのいい朝だった。日中も穏やかに過ぎた。

 幸いにここでは寒ければ暖がとれるが、同じような強い冷え込みにストーブも毛布もなく寒さにうち震えている被災地の皆さんの苦痛を思うと心が痛む。

 カミさん、昼前に古閑医院で検査、インフルエンザウイルス検出されず、ただの風邪だったようだ、ただの風邪くらいで39℃も熱を出すな、どうしてあやつはこうも蒲柳なのか、どういう育ち方をしてきたのか。夜になって起きられるようになったので、今晩から危険レベルを一段引き下げて寒い部屋から二階の隔離部屋に移ることを許可した(が、本人は万一と言うこともあると、もう一晩下で寝るそうである)。

 今日おさんどんで久しぶりに買い物出たが、ウワサどおり、トイレットペーパーがスーパーの店頭から姿を消していた、その他にもインスタントラーメンが何種類か売り切れていた。阿蘇で買い占めて一体どうするのだ。

 小生は、子守の息を横目で見ながら、地震騒ぎなどで中断していたPC再生作業完了する。

 昨日、娘に託してちょっと出掛けた時に、娘がちょっと目を話した間にソファーの上に座らせておいた息が床に落ちて大泣きしたらしい。そんなことがあったので、今日は周囲に座布団などでっしっかりとバリケードを作って小生の作業をした(お姉ちゃんのお下がりの赤い衣服を着せられている)。

 先日RAID構築が上手く行かずに、今回RAID構築を諦めたが、RAID抜きでもその後何度か突然落ちるので、調べてみたら、どうもグラフィックカードが原因しているようなので、またネットで中古品を3Kで入手して、カードを入れ替えたところ、やはりグラフィックカードが原因していたようである。改めてRAIDボードを入れて、ミラーリングを構築して無事に今回の作業、完成する、pen4最強マシン?が出来た。

 福島第一原発の事故、一向に収まる気配がない、消防車による放水、あるいはヘリコプターによる散水、すべて「人」に頼っているが、我が国のテクノロジーを以てすればリモコンで操作できる無人車両など簡単に作ることが出来るのだろうが、こういった事を想定もしていなかったのだろう、軍事大国アメリカの兵器分野でも無いのだろうか、放射線に対するアプローチの方法に当然あっても良さそうであるが、無人偵察機はあっても、こういったことアメリカでも想定していなかったのだろうか。

 みずほ銀行だかが、システムトラブルで大規模で送金などが出来なくなって、あそこの一番偉い人が会見で謝罪していた。そういえば東電の一番偉い人は今回のことでテレビに顔を出したことがあっただろうか、結構テレビを点けているほうだと思うが記憶にない。過去にも原発事故を隠蔽、データ改ざんした前科があり、そこにもってきて今回の事故の対応、体質は全然変わっていないように見うけられ良い印象は持っていない、現場では放射線を浴びて必死の消火活動をしているのに、社長は一度でも現場に足を運んだのだろか、多分行ったのだろう。昔から、一番上に立つ人は一番危険なところにいなくてはならないのだから。と思っていたが、東電の社長はこのような事故の時には本社に詰めて指揮をとるように法律で決められているようなことを何かで読んだ。東電は漏らさず報告をあげているそうだが、政府の方で情報操作をしているようなことも聞く(これは大いにありうるだろう)、決してそういうつもりではないが、小生なんか、所詮無責任に外部から好きなことを言っているヤジウマにすぎないのだろう、我らごときが分からない事情がたくさんあるのだろう。

 ニュースで自衛隊がホバークラフトを使って海から支援物資を被災地に揚陸していた、このシーンを待っていたのだ。今まで障害物が多すぎて近寄れなかったのだろう。

 午後3時過ぎ、いこいの村近くで出火、家から煙が見えた。本日、その他にも二三林野火災あり。


平成23年3月17日(木)

 今日も寒い一日だった。朝起きた時には庭に薄っすらと雪が残っていた。震災被災地は今日は雪が降り気温が下がって、暖房機器が機能できずに寒い避難所生活を強いられている、気の毒と言うほか言葉が見つからない。

 朝、カミさんが、風邪を引いたみたいと言って熱を測ったら38℃以上あり、その後、39℃くらいまで上がったので、それはインフルエンザだろう、診てもらてこいと言って古閑医院に行かせた。医院では、まだ熱が出て時間が経っていないのでインフルエンザかどうか分からないので一晩様子を見て明日また来るようにということであった。

 我家では多分インフルエンザだろうということで、カミさんを「移動」させた。一階の一番奥の一番寒い部屋に隔離したのである(本人が自発的に移動したのだが)。

 そのとばっちりが小生にやってきた。久しぶりに小生が夕食を作らされた。そして息の風呂入れがちょっと大変だった。昨夜も都合で入れなかったので、今晩は入れたいというカミさんの意向で、小生と娘と二人で組んで入浴させた。いつもは小生が浴室でカミさんから裸にした息を受け取って、体や頭を洗ってやって温めた後、外で待つカミさんに引き渡す、カミさんが息を拭いてやって着替えをさせている間に、小生が改めて自分の入浴行為をするのであるが、今晩はその受け渡し役のカミさんがダウンなので、娘と組んでその作業を行う。娘の力では息の受け渡しのうち、最初の浴室内の小生に渡すのは何とかできるが、上がる時に小生から受取って、拭いてやって着替えをさせるのはちょっと無理なので、小生が一足先に上がって息を受け取る役割も小生がする、小生が体を拭いている間、娘が息を浴槽内で抱いていてくれるのであるが、その作業、早すぎなく遅すぎなくがこれが結構難しい。夕飯時は食事の準備と入浴の二つのことを並行して寒い時期なので遅滞なくやらなければならないの結構忙しい。まあ、その難しい作業を時たま小生が居ない時にはカミさんと娘と二人でやっているらしいが。

 原子炉事故、終息どころかどんどん収拾がつかない方向に向かっているように見える、大変なことになっている。

 今晩、日記を書きながらニュースを見ていた時に、例の不気味なチャイムが鳴って緊急地震速報が流れた、茨城県南部、埼玉県南部、千葉県北西部、千葉県北東部などが震度4だったが、このシステムは良く出来たシステムだと思う。警報が鳴ってから、揺れ出すまでに震源からの距離にもよるだろうが、結構時間があるものだと感じる。その間、一般的に普通はどういう行動をとるのだろうか、イザという時にどう動こうかと、天井方向を見て、あるいはなんとなく左右に眼を配りながら、じっと構えて揺れ出すのを待つだけだろうか、あるいはすぐにガスなどの火の始末に走るだろうか。なんとなくほとんどの人が、金縛りにあったように、じっとして動かないのではないかと想像するがどうだろうか。


平成23年3月16日(水)

 晴れ。朝のうち雪が舞う、今日は氷点下まで下がり、風が強くて体感温度は非常に低かった。

 昨夜、杖立温泉に泊った三氏、今日我が家を訪ねてくれる。途中九重山のふもとで、スケッチをして昼前に阿蘇谷着、城山展望所で出迎えて我が家に。そして「なごみ野」に案内して昼食。三氏、途中で目にした野焼きの後の真っ黒な大地、丘陵に甚く感じ入ったようである。昼食後、野焼きの跡の馬場豆札牧野に案内した。そこでもどこまでも続く野焼きの後の黒々とした大地に感動していた。その後、仙酔峡を経て中岳火口を案内する。ガスで全部は見えなかったが、中岳の湯だまりが完全に干上がっておりヒビが入るほど乾燥しているように見受けられた。噴火の前兆として火口の湯だまりが無くなるというようなことを聞いたことがある。新燃岳の噴火、東北地方の1000年に一度とも云われる地震・津波、そして続く余震、なんとも気になる現象である。

 昨日聞いた時には帰りの便は午後9時頃の便だったはずだが、思い違いで19時だった。それを知った時にはかなり時間が押しており、我が家に戻ってしみじみ歓談する間もなく慌ただしく、騒然とする関東に戻って行った。

 三氏、今回の阿蘇の旅行に大きな満足を味わってくれたそうだ、小生も、久しぶりの仲間との邂逅が嬉しかった。



平成23年3月15日(火)

 今日も穏やかな一日だった。

 昨日日記に書いた八木紘輝さん、無事だと高木義臣さんが情報を得て連絡してくださった。予想したとおり少し高台になっていて命拾いをしたそうである、本当に良かった。人の運命は紙一重である。

 東京から40数年来の絵の仲間たちが坂本善三美術館訪問とスケッチ旅行のために阿蘇にやってきた。古田島、金指、箕輪の先輩と同期の三氏である。「仲間たち」とは少々口はばったい、三氏は今でも絵を描いている、小生は全く描いていない。

 地震、原発事故、計画停電、騒然としたなか、今回は中止かなと思っていたが、しぶとくやってきた。箕輪は鉄道遅延で遅れたそうだが、格安パック旅行に係わらず航空会社は一便後に乗せてくれたそうで、昨日大分空港に着いて、昨晩は湯布院に泊って、今日、小国のゆうステーションで三人と落ちあった。金指さんとは何十年振りだろう。そんなに昔では無くても他の二人も数年ぶりである。

 坂本善三美術館、素晴らしい美術館で、展示作品も素晴らしい、定期的に作品の入れ替えをするそうであるから、小生はまた何時でも来ることが出来る。

 日田の歴史的建造物の並ぶ豆田地区を歩き廻って夕方、宿泊先の杖立温泉の「ひぜんや」に到着、このホテル、建物の中が大分県と熊本県に跨って建っている変ったホテルである。小生も、飛び入りで夕食だけ皆さんと一緒に食べてから帰ってきた、明日は我が家に来てくれるそうである。(追・写真)

 今日倒壊した建物の中から二人の生存者が発見されたそうだ、その生命力と精神力に頭が下がる、言っただろう、まだまだいるはずだと、果たしてそれを前提に人員を投入していたのか。それから、今頃、政府と東電の合同対策本部を立ち上げるだと?東電はこの期に及んでも「逃げた」のを「移動」という言葉で誤魔化しただろう、腹立たしさがつのる。それからロジが遅い、どうしてそうなのか、どこでコントロールをしているのか。

 この日記を書いている22時30分過ぎ、山梨、神奈川、静岡に緊急地震速報が出た、富士宮市で震度6強・・・・6強付近から来た人が今晩杖立温泉に泊っている。なんだか不気味である。


平成23年3月14日(月)

 今日は一日暖かくて穏やかな日だった。

 夕方になって柔らかな雨が少し静かに降っているなかで鶯の声を聞いた。「ホーホケ」で、まだ完全ではない、オイ鶯だぞと家族に伝えると、昨日から啼いているそうである、昨日は野焼きに出ていて知らなかった。

 東北地方では、余震が続く中、今日も懸命な捜索活動が続いている。そして現実の世界の事とは思えないほど、日を追うごとに犠牲者の数が増えている。幸いというのか、我家では親類縁者で今回の激甚災害の地に住んでいる者はいない、しかし、親しくお付き合い頂いている坂梨出身の八木紘輝さんは宮城県亘理町に住んでいる。亘理町も今回の津波で甚大な被害を受けている、その八木さんの消息がまったくつかめない、非常に心配している。住まいのある吉田の中原という地区を地図で見てみると海岸から4キロくらい内陸に入ったところで、感じとしては少し高台になっているようにもみえるが、家にいたのなら安全であったかもしれないが、今回の津波の規模からするとあてにならない。

 亘理町の公式サイトを見ると、地震発生当初は通信が途絶していたが、今は閲覧できるようになっている。そこで感じたこと、あくまでも外部からの無責任な感想と言われるかもしれないが。

 亘理町の公式サイト、一応は地震に関する情報も載せてはいるが、サイト構成は平時と全く変わっていないようだ、中身が薄い。今回のような緊急時、サイトの構成を地震津波中心の編成に変更出来ないのだろうか。町民も遠隔地の親類縁者も、相互の安全を一番知りたがっていると思う。体裁なんてどうでもいいのである、拙速一番である、少しの間違いなど構わない。被災地では、家族の安否消息を壁にメモなど貼って探し回っていると聞く。それをインターネットでも出来ないのだろうか。電話よりははるかにつながりやすいだろう。輻輳するならミラーサイトを使えばいいのだ。役場の窓口で、「私は無事ですよ」という申し出のあった人の名前などの必要最小限の情報を五十音検索、地区検索が出来るようにして、どんどんテキストで打ち込んでネットに流せばいいのだ、打ち込み続ければ良いのだ。それがインターネットの即時性、即応性ではないのだろうか、行政には基本的にそういった臨機応変のノウハウがないのだうか、どんどん打ち込んでサーバーにFTP転送すれば良いだけだろう、平和時のインターネット管理しか対応しきれないのだろうか、その程度なら出来ると思うのだが出来ないのか、八目(はちもく)であるかどうかは分からないが素人傍目(おかめ)の感想である。

 それから、自衛隊の災害出動規模増強が後手のような気がする、すこしずつ増やしているが、これは非常事態なのだ、戦争なのだ、沢山の孤立して安否確認が出来ていない集落があるという、まだ生きて閉じ込められている人が沢山いるはずである、食糧が水が届かないと報道に訴えている、陸路からの接近が困難なようだから、海から空から日本の持てる戦力を最大限に投入すべきだと思う。ニュースに流れないだけかもしれないが、上陸用舟艇やホバークラフト、輸送艦、ヘリ空母の映像が流れていない、出動しているのか、輸送機からパラシュートで次々に投下するようなことはしないのか、米は腐るほどあるのだろう、民放の取材ヘリでさえ屋上に取り残されている人たちを先に見つけて映していた、救助用のヘリはそんなに足りないのか、その辺には飛んでいないのか、時間との勝負だぞ。兵站は自衛隊が本職だ、中国に対する備えだけは残して全軍出動しろと言いたい気持ちであるが既に時間が経ち過ぎている(予備役の招集を検討しているという、検討なんかしている余裕はない、有事即応が自衛隊だ)。統合任務部隊編成のことを今になって命令していた、遅い、防衛大臣よ、しっかりしろ。

  「大きな震災があったにも拘らず、略奪などの暴動もなく、公徳心の高い日本人の態度を高く評価しています。」と世界各国のメディアが賞賛していると言う、日本人にとってそんなことあたりまえだ、(最近は大分下がってきているが)日本はもともとそういう高い精神性を持った国だ、物質優先主義のあんたたちの国とは違うのだ(、どうしてそんな国の基準を受け入れようとしているのだ、受け入れなければならないのだ)。

 東京電力管内、計画停電で鉄道がかなり運休しているようだ。しかし、代替手段が沢山ある東京の鉄道はほとんど動いている、それに対して周辺郊外の、他に移動手段の無い一本しかない路線は止まっている。あくまで東京中心主義か。テレビで見ていて、一見して明らかに不要不急だと思える乗客も沢山見受けられるぞ。

 結果的に誤報だったようだが、今日、一時大津波の警報が出された、民放はライブ中継で、現場から少し水位が上がってきていますとヒステリックに叫んでいた。オイ、本当に上がっていたのか、そういう方向で放送しないといけないと思って、思い込みで放送したのか。そろそろ民放は本来の興味本位の報道にシフトしつつあるように見受けられる。

 じっちゃいのてげてげ日記によると、また新燃岳が噴火したそうで、噴火以来最大の噴火だったようだが、ニュースにはならなかった<http://www.nhk.or.jp/kagoshima3/shinmoedake/index.html>。これは十分すぎるほど大きな出来ごとであるが、人間はより大きな事件事故が発生すると、それより小さな事件事故に対する関心が急に薄れると見える、商業主義の、ニュースを発信する側の問題でもあると思うが。新燃岳の噴火と今回の東日本の大地震・津波を考える時、どうしても「死都日本」を思い出す。今回の大津波、小説ではラハールだが恐ろしさ、被害の大きさが想像できる。そして日本の経済、金融市場に及ぼす影響、原発のこと、それから(計画停電のことは出てはこないが)、シチュエーションは大分違うが日本再生についても書かれている(小説中の"菅"原首相と現実はまりに違いすぎるが)。
 まったくの余談(もっとも、全部余談のようなものだが)、「007は二度死ぬ」のロケ地は新燃岳だったと思う、火口の地下にスペクターの秘密基地があった、我が家にはそのDVDがあるが、噴火前の貴重な映像資料になってしまった。

 デスクワークをしながら、ふと思いついたり、ニュースを耳にしては、少しずつ書き足しているうちにいつのまにか長文になってしまった。

 欅グループの三人が坂本善三美術館の鑑賞とスケッチ旅行で昼前に大分に着いたと連絡があった。明日は行動を共にする予定でいる、有朋自遠方来不亦楽乎。


平成23年3月13日(日)

 東北地方太平洋沖地震のマグニチュードが8.8から9.0に変更になったそうだ。時間が経つにつれて被害の大きさが広がっている、その広がり方も尋常でない、想像をはるかに超えるもので、心の中でどう対応して良いか分からない、やりきれなさでいっぱいである、日本はこれから一体どうなるのだろうか。記録として、今日も新聞の写真を載せて終わらせる。

写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8



 一週間遅れの北外輪山一帯の野焼きが行われた。これ以上はないという野焼き日和でつつがなく終わった。しかし、周辺では相変わらず野焼きがらみの火災が頻発したようである。

野焼き連続写真 (10枚) 1/13
野焼き連続写真 (10枚) 2/13
野焼き連続写真 (10枚) 3/13
野焼き連続写真 (10枚) 4/13
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野焼き連続写真 (13枚) 13/13


 野焼きのあとの打上げと、村の行事「鞍岳さん」が同時に行われた。鞍岳さんと言うのは、家畜の神様とのことで、今は豆札は有畜農家は一軒になってしまったが、昔は何処の家にも牛や馬を飼っていたので、今でも村の行事として行われている。普段の他の行事の時は子どもは参加しないが、鞍岳さんの時は子どもも一緒に「直会」の席につく、また、お母さん方も少しずつ世代交代が進んでいて、カミさんと同年輩のお母さん方が加わって、場の雰囲気も少しずつ変わってくる。

鞍岳祭連続写真(15枚)

平成23年3月12日(土)

 晴れ(だったと思う、ニュースに気をとられて外の事を気にする余裕がなかった)。

 (写真1写真2写真3写真4写真5

 東電福島第一原発で「チャイナシンドローム」が起きようとしている。だから原発は危険だからやめろ、と言うのは易しい、しかし、代替の発電手段はあるのだろうか、電気が無くても我慢できると言うのであれば別であるが。

 九州新幹線が今日、新八代〜博多が開通して、これで全線開通した。すぐに乗る予定はないけれど、正直うれしい限りである。いつでも乗ろうと思えば乗れるという選択肢、安心感があるからである。しかし、九州は東側には通っていない、大分県、宮崎県は面白くないと思うであろう、当然の感情だ、新幹線はインフラである、電気や電話と同じだ、国民は等しくその恩恵を享受できなければならない、一極集中を避ける意味においても。

 九州新幹線全線開通に合わせて行われるはずだった、阿蘇の火祭りの往生岳の火文字焼きが、今回の大地震を慮って中止になった。イベントは中止になっても野焼き自体はやらなければならない、ということで、多分、火文字焼きが出来ない代わりだろうか、野焼きを夜やっていた、暗くなって赤々と往生岳が燃えていた、今回の多くの犠牲者に対する鎮魂の火である。(写真1写真2

  夜、息がようやく寝返りを打てるようになった、標準より少し遅くてやきもきしていたところだった、カミさんは学校の飲み会で出掛けていて留守、娘と小生が現認した。


平成23年3月11日(金)

 みどりの爺様出場、朝、8時頃少し雪が舞ったが、後は天気になった。

 今日午後、東北地方太平洋側に観測史上最大のM8.8の大きな地震が、そして大津波が発生した、まるで積み木かマッチ箱のように家屋が車が流される、ただただ恐ろしくテレビの画面を見続けた。遠くで新燃岳の噴火を気の毒だと思って見ていた人たち、まさか自分の所で大津波が来るとは思ってもいなかっただろう。日本中どこにも安住の地が無いということだ、自然災害に人間は全く無力である、明日は我が身である。

 今回の地震、首都圏から見ると離れた場所で発生した。それでも、大騒動になっていて大都市圏の脆弱さを改めて見せつけている。今回の大地震、もし首都圏で直接起きていたらと考えるとゾッとする。そもそもインターネットが生まれた背景は、軍事攻撃を受けて、拠点の一か所が機能しなくなった場合でも、クモの巣のように張った通信ネットで通信を確保するという発想から生まれたと聞く。国家にしても同じことが言える。あらゆる機能の大都市への一極集中、危険極まりない、小生は地方から中央を見てそのことをいつも言っている、首都圏が壊滅すると国中が機能しなくなるのだ、以前首都移転が取り沙汰されたことがあったがいつの間にか立ち消えになってしまった。石原都知事は今日都知事選に再出馬をすると発表したが、そのニュース地震報道で消し飛んでしまった。多分、余裕で再選されるだろう、彼はいつももっと東京が大きくなることを望んでいる、今回のことで少しは考え方変わるだろうか、一極集中はいけないのだ。

 明日、九州では、九州新幹線全線開通の祝典が、そして阿蘇でもそれに関連するイベントの開会式が予定されていたが、今日の地震で中止になった、当然であろうが、なんとも間の悪い時にぶつかったものである。


平成23年3月10日(木)

 晴れ。

 今日も風が強く午前中は寒いので、PC復元作業をする。昨日届いた光学ドライブをつないで、OSなどのインストールをした。マザーボードから始まってHDDや光学ドライブなど交換したにもかかわらず、WindowsXPのアクティベーションはオンラインで何の問題もなく通った、もうXPは管理対象では無いのだろうか。ただ、servicepack2からインストールを始めたので、その後のアップデートが延々と続いてほとんど半日くらいその時間に取られた。これで、ほぼ再生は完了したことになるが、RAIDボードが一枚余っているので、ついでにミラーリングをやってしまおうかとも思っているところである。

 娘が、小生のPC復元作業を見て、自分専用に呉れろという、最初は、そうしようかとも思ったが、一世代前とは言え、ハイスペックマシンで、娘用には勿体ないので、(多分)天井裏にころがっている、98マシンでも整備してやろうかと思っている。

 風は強かったが、ちゃんとフードで顔を覆って風防対策をして作業をすると決して寒いというほどの気温では無かった。午後から薪を作っていると、坂本棟梁から、コイノボリ用の杉を決めるからちょっと出て来いと電話が入る。現場は坂梨参勤交代道から少し入ったI下U輔さんの山、手頃な木を決めてもらった。坂本棟梁のお孫さんと我が息はこれから先、保育園から始まって少なくとも小学校、中学校とずっと同級生になるのである。子どもが少ないなか、これから先ずっと仲良しで育って欲しいところである。

 今度の日曜日は、野焼きである、多分、天気は大丈夫だろう、火消棒を作っておく。

 まあ、次から次にバカ議員が出てくるものである。この書き方だと、ずっと後になって、この部分を読んで、どういうことだったろうと思いだしても絶対に思い出せないだろうが、わざわざ書く気にもならない。


平成23年3月9日(水)

 晴れ時々くもり。午前中は風もなく穏やかであったが、午後から風が出て、なんとも寒々しい日になった。

 熊本市の郊外、沼山津(ぬやまず)に横井小楠の私塾、「四時軒」と横井小楠記念館がある。横井小楠という名前だけはずっと昔から知っていたがどういう人物で何をしたのかは、幕末維新の頃の人ということだけで全くと言って知らなかった。熊本に住んでいて、坂梨宿に住まいしていて、そして、先祖のことを調べる上で、どうしても横井小楠は避けて通れぬと思って最近、折に触れて横井小楠を調べたりしている。そして今日は思い立ってその四時軒に行ってきた。

 すぐ前を秋津川という川が流れていて、その向うは今でものどかな田園風景が広がっていた。復元建物ではあるが、四時軒と記念館があり、なんとなく小楠が起居してい往時の風景が想像できるような静かなたたずまいを見せている(ただし、川に面した南側だけであるが)。松浦玲の「横井小楠」を読んで(そして現在も読んでいて)行ったので、非常に興味深く書簡などを見る事が出来た。熊本と言う維新に乗り遅れた藩の人だったからだろう、世上、脚光を浴びる事が少なかったようだが、この人物の思想・存在が明治維新に与えた影響というものは、非常に大きいものがあるということが良く分かる。勝海舟をして、「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷南洲だ』といわしめたことが良く分かる。「国是三論」は正に今の日本に言えることである。小楠を検索すると参考になるサイトは沢山あるが、ここの「小楠」などは分かりやすいと思う。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1196.html

 注文してあった光学ドライブがようやく届いた、が、明日は天気がよさそうなので、取り付けたりしている時間はないだろう、次の雨まで待つか。
平成23年3月8日(火)

 曇り。昨日よりは雲が少なかったが、風が強くて、体感温度が時々氷点下を示していた。

 屋外の乾燥具合もあまり良くなく、その上に寒いので今日も屋外作業は無し、読書に座学、座遊(なんて言葉はないだろうが)、時間はいくらあっても良し、全く退屈すること無し。


平成23年3月7日(月)

 くもり。気温は低くはなかったが、風があり日が射さず寒々とした一日だった。

 とりとめもなく過ごす。K亮さんが遊びに来る。


平成23年3月6日(日)

 雨。

 やはり、本日予定の北外輪山一帯の野焼きは、次週3月13日(日)に延期された。朝7時にその放送があった時点ではまだ降っていなかったが、やがて、当初の昼過ぎ、と言う予報よりはずっと早く降り始めて、そしてほぼ終日、静かに春の雨が降り続いていた。

 今日6日は息の誕生丸8か月目である。定点観測、9.4キロ、横ばい気味である。それでも、最近は、重くて、抱いて階段の上り下りをするのが応える、こういうことで己の「老い」というものを実感する。

 雛祭りの日に写真を摂り損なったので、今日、雛飾りの写真を撮って遡って載せておいた、雛飾りはあまり長い間飾っておくものではないらしい。


平成23年3月5日(土)

 晴れ。
 夕方日記をつけるために、今朝の気温を見て目を疑った、極低温だったのだ(氷点下7度以下)。娘は学校が休みなので、家族皆早朝に外に出る事もなく、活動開始も遅かったので全く知らなかった。日中はポカポカ陽気だったと思う。

 また「思う」である。今日は子供会のお別れ会が馬場公民館で開かれて、娘は母親と一緒に出掛けて、小生は今日もまた子守で外に出る機会が無かった。子供会は6年生までだそうで、この春、鳴川R平君と斉藤H君がめでたく卒業する。

 PC再生、マザーボードに沢山のコネクターがあって、間違わずに接続するのに苦労するが、それとは別にケースに付属しているケーブル類も沢山あって、その説明書が無いので、その関係でケースを冷やすファンが二つ、どうしても回らなかった。それがようやく解決できた。後は、DVDドライブが壊れている。以前は高価だったが、現在では、マルチドライブが2000円台で入手できるので、ネットで注文した。これであとはHDを取り付ければ、ハード的には完成するはずである。

 明日は北外輪山一帯の野焼きが予定されてい小生も参加する予定だが、昼前から雨との予報が出されている、微妙なところである、夕方から雨なら申し分ないのだが。


平成23年3月4日(金)

 完全に冬に逆戻りだ、今日も一日寒かった(だろう)。
     最低気温-5.3℃(06:18)、最高気温 5.9℃(15:10)

 「だろう」と言うのは、朝の散歩以外、夜になるまで全く外に出なかったから日中の本当の所は分からない。

 今日は午前中は保育園の説明会、午後から娘の学校の授業参観でカミさんが出掛けたので、小生は終日、息の子守をしながらPCの再生作業に取り組んだ。

 今年の秋くらいから、息を保育園にお願いする予定なので、今日、この春の入園ではないが一緒に説明会があり、カミさんは息を抱いて出掛けて行った。保育士さん方も娘の時にお世話になった知った方が多く、また(息の同級になる赤ちゃんの)お母さんも顔見知りの方がいたそうでなんとなく安心した。

 小生は埃まみれのPCを徹底的に分解掃除して、新しいマザーボードを組み込んでBIOSの起動まで漕ぎ着けた。ここまで来ればほぼ目処が立ったと思うが、まだ二三不具合がある。
 
 夜、「なごみ野」で、阿蘇カルデラツーリズム:「阿蘇ゆるっと博」の案内人の第四回目の会議が開かれた。今晩も師匠の手打ちそば付きの会議だった。


平成23年3月3日(木)

 晴れのち曇り。夕方になって雪になって一時周囲が真っ白になった。寒の戻りと言うやつで、朝の低温は別にしても日中も風があったので体感的にはとにかく寒かった。
最低気温 -3.5℃(04:31)、最高気温 4.7℃(12:19)

 先日から梅が咲いていて、今日は庭先に土筆(つくし)がいつの間にか顔を出していた、春と冬が同居の一日になった。

 その降りしきる雪の中、夕方から、坂梨出身の江戸時代の力士などの顕彰碑の除幕式がその墓所で行われた。

 今日は雛祭りだ、夕食に五目寿司が出た。うっかり写真を摂り損なった、明日、撮れたらとることにする。昨年はカミさんが入院中などで雛人形を飾る気持ちの余裕がなかった、婆様はこの時はまだ入院していなかったのだ。
(結局6日に撮った。)

 今さらpen4でもないだろうが、大分前にマザーボードが壊れて、オークションで中古のマザーボードを入手して、そのままお蔵入りしていたPCの再生作業を開始した。分解してみてその埃の塊に驚いた。CPUもちょっと怪しいが、まあ、ダメ元でやってみることにした。


平成23年3月2日(水)

 晴れ。気温は昨日と同じようなものだったが、風が強くて体感的には寒い一日になった。

 娘、今日から元気に登校。

 朝一番で床屋に行く。

 午前中はPC作業。午後から、昨日の廃材の処理。釘が無いと言ってもやはり少しはあるので、それを抜いた、抜いておかないとうっかりチェンソーの刃があたると一発で刃がダメになる。因みにチェンソーの刃をソーチェンという、チェンソーにソーチェン、こんがらがる。

 じっちゃい師匠がミツバチの分蜂について細かなアドバイスをくれた。そっくり転載する。新しい女王蜂が出て行くのではなくて、先代が出て行くのだ、初めて知った。

以下、「じっちゃいのてげてげ日記」よりhttp://wind.ap.teacup.com/0515/ 
2011/3/1
分蜂のこと  
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今日の最高気温 宮崎17.4 延岡16.2 都城15.6℃
    最低気温   11.1    10.9    9.5℃

風さんへ
雄バチは働き蜂に比べて少し大きくて全体的に黒く、元気が良く、羽ばたく音も大きいのですぐ分かります。特に、目が大きいです。これは、空中で交尾をするのに女王蜂を早く見つけるためだそうです。雄バチは刺しません。針がありません。ウトの周りをガンガン飛びまわりますが、心配は要りません。

分蜂の目安は、この雄バチが出てきてからです。だいたい雄バチが現れて1週間後くらいと言われていますが、少し幅があります。分蜂の前になると、近くに置いている空のハチウトに探索バチが出たり入ったりします。そうなると近くなります。

分蜂は天気にも関係します。暖かで風があまり無い、どちらかと言うとどんよりした天気の昼間、10時、11時から3時頃の間です。その前にも、これから始まるかもしれないというような乱舞も見られますが、本番はいきなりです。ものすごい数の蜂がいきなり乱舞するので圧巻です。お宅は広いのでほっておいても大丈夫ですが、早く鎮めるときは、霧状のシャワーを乱舞している蜂にかけたり、砂をかけたり、ブリキ缶を叩くと早く木などに留まるようです。

ポイントは、雄バチが見られるようになる。探索バチがうろつく。暖かで穏やかな日の午後です。

1回目の分蜂のあと、1週間くらいすると2回目の分蜂がおきます。ですから、この時期は目が離せません。最初の分蜂は元々の女王が娘に後を譲って出て行くので、落ち着けばすぐに産卵が始まり、群れが大きくなります。早く群れが増勢すると、その群れからの分蜂も起こります。

2回目の分蜂で分かれた群れは、交尾が終わっていないので、まず、交尾をするために雄バチと交尾飛行をします。何回か飛びながら交尾して、その後産卵する訳ですが、交尾はこのときだけと言われています。それで2年も3年も産み続けます。それから雄バチですが、うまく交尾したら、根元から切れてしまって、それで命はおしまいです。蜂とはいえ命がけで切ない感じです。

交尾できなかった雄バチは巣に戻ってきますが、餌は働き蜂から貰い、ほかのことはなにもしないそうです。いずれ、用無しになり哀れな末路です。

忘れていましたが、雄バチの巣房の蓋には小さな穴があります。この穴の残った蓋の残骸がウトの底に落ちていれば、それでも分蜂時期を知る手がかりになります。直に雄バチが飛びまわるようになるので、わざわざウトの中を覗かなくてもすぐにわかりますが。

とりあえずこれくらいでしょうか、何か思い出したら追記します。御地は標高があるので、低地よりも遅く始まり、7月始めくらいまで分蜂シーズンになるのではないでしょうか。とにかく楽しみですね。


平成23年3月1日(火)

 終日、細かな雨、気温高からず、低からず。

 娘、今日から学校に復帰するつもりであったが、用心のためにもう一日休んだ方が良いだろうと判断して休ませた。

 終日根が生えたようにPCの前に座り続けて、メンテナンス。色々と分からない事があっては、一つひとつクリアしているが時間がかかって他の事がなかなかできない。Windows XPがインストール済のPCからOEMのOSのプロダクトキーを探すのにひと苦労した。apacheについてもあちらこちら解説サイトを覗きまわった。



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