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平成23辛卯(2011)年4月の記録(新しい日付けの順)


平成23年4月30日(土)

 昼過ぎまでは素晴らしい天気だったが、午後に入って予報通り雲が多くなって時々強い雨が降り始めている(午後5時現在)。
  最低気温 6.9℃(01:19)、最高気温 22.7℃(12:06)

 今日も一号ウト、朝からハチが外に湧くように出てきており、始まるのかなと注意していたが、午後3時を過ぎて、雨がポツリポツリ来て、そのせいかどうか、結局今日も無かった。ウト内が暑くなり過ぎたのか、過密状態なのか、4時過ぎには一斉にウト内をクーリングする態勢をとっていたが、日が沈むころになっても、解散をする気配無く、ずっと外にいた、強い雨が降り始めてようやく撤収しはじめたが、それでも中に入りきれないのか巣門のところに固まっている。暖かくなったこともあって、うんと朝早いころから巣門の前には沢山群がっているがウトの中はもう過密状態で入れないのだろうか。分蜂はしないで数が増える一方の場合、数のコントロールはどうやっているだろうか。分蜂のタイミングを逸してダンゴ状態なのか。

 ところで、じっちゃい用阿蘇一号基とした(先夜、取り込みに難渋して少しだけ入れてそのままにしてあった)ウト、その後、周りに引きずられないように静かな場所にということで、ちょっと離して置いておいた、ハチ自体の出入りは結構見られるものの、多分女王蜂は居ないと思っているが、今日、そのウトに時々花粉を抱えたハチが戻ってくる、ん?どういうことだろうか、もしや・・・・(じっちゃい用阿蘇一号基とした甲斐があったかな)。

(写真1写真2
  
 いつの間にか、あるライブカメラ紹介サイトに小生のミツバチライブが紹介されていて、googleなどの検索エンジンで「ミツバチ ライブ動画」で検索するとトップで、「ミツバチ ライブカメラ」で検索しても三番目くらいにヒットする。有難いような困ったような、そのうちに回線がパンクしなければ良いが。http://www.wcmap.net/pc/cam/c1831104.html

 娘の級友のUちゃんの弟君で太郎の二級上にあたるK君の歩行器をお借りした。ここのところハイハイをし始めて危なくて目が離せなくなっていたのでグッドタイミングだった、両足が下に着くと、どんどん移動するのでちょっと浮かせて座らせているが、片足で蹴ってどんどん動いている。そして運動量が増えたので、疲れると寝ぐずりしないでストンと寝てくれる。娘の時はどうだったろうか、我が家には無かったが、歩行器を必要とする状況は無かったのだろうか。


平成23年4月29日(金)  昭和の日

 大型連休初日、今日は快晴、薫風(もう今の時期使える言葉だろう)にコイノボリも優雅に泳ぐ。
   最低気温 2.7℃(05:47)、最高気温 20.9℃(15:00)

 キビタキ(だろうと思う)が美しい声で啼いていた。いつも何という鳥だろうと思っていたが、ちょうどラジオで紹介していたので分かった。ジョウビタキと同じ仲間だそうだが、姿は似ていても啼き声が全然違う。

 熊本のグランメッセで大恐竜展だとかいう催し物があるそうで、娘が母親に連れて行け、連れて行けというので、出掛けて行った。太郎を小生に預けて出掛けそうなので、今日は色々と忙しいから一緒に連れて行けと言って三人で行かせた。

 こんないい天気を屋外作業に充てない手は無い、屋内で子守なぞやっていられるかである。今日の屋外作業は足場組みと分蜂の監視である。どうしても、分蜂の監視の方が主になってしまう、足場組み作業を少しやっては気になってハチウトの方へ行く。今朝も雄バチの巣房の蓋が沢山落ちていた、さあ、何時でも来いと袋を用意して待機した。そして、今日もなんとなくそんな雰囲気を醸しながら結局は無かった。ハチウトを監視しながら、美空の下で山下OM持参のジープの詳細なデータなどを眺めながら優雅に珈琲など喫す

 じっちゃいのてげてげ日記にウトの移動について記述があった。昨夜、真っ暗やみの中を懐中電灯を頼りに、二号ウト(長女が入っていて順調に営巣活動をしているウト)の位置を少し変えた。変えたと言っても、今まで西に向いて開いていた巣門を90度回して東方向に変えただけだ。たったそれだけで、今朝から右往左往している。飛び出す時には方向が変わったことが分からのか、戻ってから、今までの入り口があった所でブンブン飛び回って入口を探して、暫くしてから右方向に移動して新しい巣門から入っていく。いつまで経っても収まらないのは、ウトの中のハチ全部がいちどその経験をしなければ落ち着かないのかもしれない。

 娘はいつもブンブン飛び回っているウトの直近でハチを眺めたりしていた、カミさんも先日、太郎を抱いたまま分蜂の乱舞の中にいた、ハチに刺された場合のアナフラキシー、個人差があるようで、あるいは刺された回数にもよるらしいが、我が家の娘は虫刺されで大きく腫れる場合があり、小児喘息持ちなので、多分、ハチに刺された場合は、タダでは済みそうにない、日本ミツバチはめったに刺さないそうだが、出会いがしらということもあるので、積極的にはハチが飛びまわっている所にはなるべく近寄らない方が良いと我家の行動指針を変更した。

 先日、アマゾンで注文しておいたインセクト・ポイズン リムーバー(簡単な真空ポンプのようなものだろう)が届いた。使いっきりかと思って3個も買ってしまったが、繰り返し何回も使用できるらしい。

 「エピペン」というアナフィラキシー発現時に使うアドレナリンの薬液と注射針が内蔵されている自己注射器が個人でも入手ができるらしい、太ももに突き刺して注射をするシーンを外国映画でも見たことがある、安心料と思って我家でも処方してもらおうかと思い始めている。


平成23年4月28日(金)

 曇り、終日風が強くて今の時期としては寒々とした日だった。
  最低気温 7.3℃(06:45)、最高気温 13.6℃(14:51)

 午前中、カミさんが病院に行っている間、太郎の面倒を見ながら二日分の日記の整理。一昨日からようやくハイハイをするようになって、ちょっと目を放すと危ないことをするので、横目で看ながらキーボードを打ちこむ。そう言えば同じ一昨日、夜、じっちゃいがやってきてくれた時、太郎を抱っこしてくれようとして大泣きされたそうで、人見知り第一号だとカミさんが言っていた。それもこれも成長の証しだ。

 昼からは、娘の学校の授業参観日で、カミさんが太郎を連れて出席した。その間、小生は、畑のジャガイモのマルチ穴あけと、風が強くて開けた穴から風が吹きこんでマルチが膨らむので、あいた穴の周囲に土被せをした。まだ全部の芽は出ていない。総じて男爵の方が芽が出るのが早い。

 マルチの穴あけ作業をしながら、ふと一号ウトを見やると、また出入り口に沢山のハチが湧くように出てきて、一部は空をブンブン飛び始めた。えっ?一瞬緊張が走った、四度目の分蜂か?こんなに風が強くて肌寒い時にと思ったが、もう取り込みの失敗はしたくないので、じっちゃいのアドバイスを思い出して、急いで一つのレジ袋の底を切って、もうひとつのレジ袋とテープで貼って二つつないで長細い袋を作って、下の方を切って絞ってひもで結んだものを作った。イメージ的には漁法でイワシなどを捕まえた時に下のひもを緩めて網一杯に膨らんだイワシをどっと落とす例のやり方をしようというのである。一旦袋に入れた蜂を下の方に溜めて、一旦途中をひもで縛って上に上がってこないようにして、次の蜂球をまた上の段の袋内に落とし込んで、一番上の口を締めて、真ん中のひもを緩めて、最初に溜めてあるところに二番目に掬った蜂の群れを入れて一緒にする、そうして、もれなく取り込んだら、一気に一番下のひもを緩めて、ウトの中に流し込んで蓋をする、蓋の開閉を一度で済ませようと言うのである。今日のところは時間が無いので即製のものだが、これを丁寧に作ると、何度も取り込みをしなくて済みそうである。

 そうやって、さあ来い、準備を整えたところ、娘が、お父さん、みんなまた巣の中に入っておらんようになったばい。見ると確かに全部巣の中に戻ってしまった、なんじゃあこれ。急に気が変わって今日はやめたのか。時間は午後3時を過ぎたころだった。この一号ウト、次から次へと分蜂する、まるで打出の小槌のようなウトである。

 最近小生の日記を見ると、今日はもう疲れた、の記述が多い。これは分蜂が多分に影響している。ハチが怖いとかいうのでは全くない、やはり一大イベントで、失敗はしたくない、上手く取り込みたいという気持ちが無意識のうちに想像以上の緊張状態を生むのであろう。駆け出し蜂飼いにとっては、分蜂は想像以上のプレッシャーになるのだ、それも立て続けだから。

 今日のウトの状態、一昨日失敗して、じっちゃいの助けを借りて少しばかりの群れを入れた重箱式のウト、絶対に女王蜂は居ないと思うが、それでも、今日見ていると、入れ替わり立ち替わりハチが出入りをしていたので、自分たちが生きるために蜜を取りに行っては帰ってきているのだろうと思う、ずっと見ていたが、花粉を付けたハチは見かけなかった。

 明日から三連休だと言うことを夕方知った。いよいよ大型連休が始まるのか、一泊くらいでどこかに行きたいものである、言っただけである。


平成23年4月27日(水)

 今日は朝から雨になりそうなところ、予てより計画をしていた、福岡県朝倉市にある博物館に出掛けたので、阿蘇の天気の実際は分からない。記録を見ると今日も昨日のように気温が高かったと見える。
 最低気温 15.8(05:20)、最高気温 23.1℃(11:14)

 山下(DI)、桐原(AJY)、中園(IES)の三氏と桐原さん運転の車で、「音楽館」(おんらく館と読む)http://www.onrakukan.com/、と同じく福岡県筑前町にある「太刀洗平和記念館」http://tachiarai-heiwa.jp/article/13506994.htmlを訪ねた。小生にとって非常に意義深い一日だった。

 今日旅した地は、日田までは何度か行ったことがあるが、その先は、小生にとって今まで空白の地帯で、それだけとっても楽しみな場所だった。日田から九州地方最大の河川、筑後川沿いに少し下って、三連水車の里を経て北西に向けてそのまま走ると、その道は博多まで続いている。帰ってから地図で確認したが、筑前町まで行けば、もう博多は目と鼻の先のように近い。ここ阿蘇と、今日行ったところと博多はそういう位置関係あるのだ。

 黒川というかなりの山奥の地にある(昔、梨の選果場に使われていた施設の由)その音楽館はNHKの熱中時間で放送されたそうで、ここの館長が主に「音」を中心に収集した膨大な展示物の種類とその量には圧倒される、いくら見ていていても興味が尽きないほどである。館長は、つまり、この収集家は昭和6年のお生まれだそうで、尽きる事のない、好奇心、興味がいつまでも元気でいられるという典型のような人だった。特に、この施設の名称が示すように、オーディオに注ぐ情熱は並はずれていて、音響に興味のある人には是非見学を勧めたい所である。特筆すべきものは、1900年前後の、エジソンの蝋管や一般的なSP盤とは違った録音方式で作られて流通期間が極めて短かったエジソン社製のレコード盤、それらを再生する蓄音機などが数台、丁寧に保存されていて、しかも、使用するたびにどんどん消耗して行く当時の実物の蝋管や盤に録音された音楽を学芸員が説明してくれて、実際に演奏して聞かせてくるのだ。電気の無い時代の音響機器、こんなに大音量になるのかというその増幅の驚き、また、その音質の素晴らしさ、アナログ中のアナログの柔らかさに感動する。このコーナーでだけでも、一見、一聞の価値あり、である。

 その「旧」に対して、「新」、つまり現在のオーディオ装置がまた素晴らしく、小生はこの方面は「音痴」なので詳しく書くことはできないが、オーディオマニアにとっては「垂涎」だろう。ここでは前もって予約をしておくと自らが持ち込んだレコードやCDをかけて楽しむことが出来るそうである。この部屋は多分に館長の個人的なエリアなので、予約が必要なのかもしれない。

 この「音楽館」のもうひとつ(と言っていいかどうか分からないが)の展示物、ジープが何種類も綺麗な状態で保管されていることである。今回の訪問の大きな目的の一つでもあった。

 我々の年代のオトコ達にとって、戦後アメリカ文化の、そして「占領」の象徴的ジープの機能美からくるデザインには今もって一種憧れのようなものを持っている。

 小生などは、「ジープ」という一言で片づけてしまうが、山下さんや桐原さんは、実に詳しく、年代によるモデルの違いなど、型番だけの遣り取りで会話が延々と成立するほどに詳しい。

 ここの館長は、音楽館から更に数キロ博多に寄った、旧国鉄時代の「太刀洗」駅舎を博物館とし使用していて(この地から現在の「音楽館」の地に引っ越したあとも運営を続けているのか、もともと並行して運営しているのか聞きもらしたが)、その旧駅舎の道路を挟んだ反対側に筑前町が運営する「太刀洗平和記念館」がある。

 太刀洗という所、かっては西日本一の陸軍の飛行場があったそうで、今は農地や工場になっていて往時の痕跡は全くと言って無い。その跡地の一部に「太刀洗平和記念館」が建てられていて、鹿児島の知覧や鹿屋の記念館と同じように大空に散った戦士たちや空襲の犠牲になった無辜の民の鎮魂、そして「戦争」を語り継ぐ記念館となっている。またここには貴重な零戦が展示してある(ここに展示されるまでは音楽館で展示してあった世界でただ1機現存する32型とのこと)。

 福岡は時々強い雨と雷がなっていたが、阿蘇も雷と雨が降ったそうで風が強かったそうだ、今日のハチウトの様子は全く分からない、ただ、夕方帰ってから観察すると、また一号ウトには雄の巣房の蓋が散らばっていた。

 音楽館・太刀洗平和記念館 訪問連続写真 1/4
 音楽館・太刀洗平和記念館 訪問連続写真 2/4
 音楽館・太刀洗平和記念館 訪問連続写真 3/4
 音楽館・太刀洗平和記念館 訪問連続写真 4/4


平成23年4月26日(火)

 晴れ。バカ陽気と言える。
   最低気温 2.7℃(05:26)、最高気温 24.1℃(13:21)

 もうジャガイモが芽を出した。芽の成長具合からすると、もう二三日経っているのかもしれない。マルチの穴あけ、今日は時間が無いことと、立ったり座ったりがくたびれるので今日のところは一列やっただけで終わる

 午前中、カミさんと小生と時間差で宇治歯科へ。

 昼過ぎ、今までより1時間遅れでまさかの三度目の分蜂、そう言えば朝、また雄の巣房の蓋が沢山落ちていた。今日はこともあろうに自らが居たウトの軒に蜂球を作りだした。前回の蜂球板がすぐそばにあるのに止まらなかった。

 しかし、分蜂が起きても肝心のウトが無い。朝のうちに、坂本棟梁のところに作製中でガタピシの隙間だらけのウトの手直しを頼み、預けてくる。それがあったところで未完成のために使えなかったのだが。結局庭にころがっていたコンポスターを使って一時しのぎで取り込む。しかし隙間だらけで何度も逃げられてはやり直して、その過程で何十匹という蜂を死なす。(写真1写真2写真3写真4

 ちょうどH石氏が顔を見せたので手伝いを頼んだが蜂の乱舞に恐れをなしてか、他に用事があったのか、早々に退散。

 コンポスターに取り込んだは良いが、その後の処理に困って、最後はじっちゃい師匠にSOS、宮崎から仕事が終わった後、3時間かけて空きウト二基携えて駆けつけてくれる。しかし、結局取り込みが困難と言う結論に達して、ほぼ失敗に終わる。一時間くらいの滞在でまた宮崎まで帰って行った、本当に申し訳ないことをした。

 それより前、昼間の取り込み騒動で、昨日取り込んだ三号ウトの蜂群全部逃走してしまったようで、夜じっちゃいと確認した時には、ウトの中は何時の間にか空っぽになっていた、確か、分蜂は一号ウトからだったことは間違いない、分蜂の時も、三号ウトは平静に出入りを繰り返していたが、いつの間にか、分蜂の群れに吸い寄せられたか、そのなかに混じってしまったのか、或いは騒ぎに嫌気がさしてどこか別の場所に移って行ったか・・・三連勝などと浮かれ過ぎた。

 日本ミツバチはめったに刺さないという安心感があり少し軽く見ている部分がある、家族もそうである。しかしミツバチのアナフラキシーもコワい。じっちゃいも何度も刺されてショックを起こすそうで、非常に慎重である。それを見てイザと言う時に少しは役に立つかもしれないと思って、インセクト・ポイズンリムーバーをネットで注文しておいた。

 カミさんは今回の不調、高熱が出て体中の関節が痛む件、どうも扁桃腺と耳の痛さの自覚症状があったようで、温泉病院の耳鼻咽喉科で診断を受けて、血液検査などもやってもらって、扁桃腺に何かバイ菌が入ったらしくて、点滴、ネブライザーなどいくつかの治療を夕方まで受けて帰ってくる、放っておくと厄介なことになるとのことでしばらく通院とか。

 夕方、坂本棟梁、手直しをしたウトをワザワザ届けてくれる。さすがにぴたりと重なるようになって戻ってきた。


http://www.kanaisyouten.com/index.html
EGW150MC-C&WCT22-30MDX/komikomi220k/got




平成23年4月25日(月)

 朝のうちはなんとなく不安定な晴れだったが、時間が経つにつれて安定してきた。
 最低気温 07.0℃(05:55)、最高気温 15.4℃(15:06)

 昨夜からカミさん、熱が出て、体の節々が痛いと言って寝込む、已む無く、太郎を階下の小生の寝床脇に移して一晩保育(と言っても特にやることはなかったが)。

 カミさん、一夜明けて、熱は下がったようだが、インフルエンザじゃないのかと訊くとそうじゃないと思うと言う。インフルエンザだとそれ相応の態勢をとらないといけないからとにかく、診てもらえ、と言ったが、大丈夫だと思う、だと。

 そして今日、第二回目の分蜂があった、今日は風があり、気温もあまり高くないので、無いだろうと思っていたところ、見事に裏をかかれ、前回と同じ11時半くらいの時間にブンブン飛び回り始めた。偶然机の脇に置いてあるモニターで分かった。

 しばらくの間は、ウトの出入り口付近にワンサカ集まって、一部、床板の裏側に固まり始めた、こんなところで蜂球を作るのかと思って、空を見やると、あちらこちら、らしき場所何箇所かに止まっているハチが居る、ああ、こうやって、蜂球を作る場所を探しているのかなと思った。一部は小生が作った止まり木(蜂球板)にも止まっている。そこで、ホースで空中に水を散布すると、どんどん、その蜂球板に集まり始めた。蜂球板を作る際に、まさか、こんなところには来ないだろうと半信半疑で、いい加減に作ってあったが、場所が良かったのだろうか。あまり離れていても良くなさそうである。一度そこに止まると、次回の分蜂の時もまたそこに止まる確率が高いらしいが、ちょっと大きすぎるので、次回に備えてもう少し小さくしたほうが良いだろう。

 あらかた集まり終えた頃を見計らって、レジ袋に取り込もうとしたが、蜂球板が大きいので塊が広がり過ぎて、レジ袋ではちょっと対応できないので、ゴミ袋を使って、袋の中にドサッと落とし込んで、足元に移動しておいたじっちゃいが以前持ってきてくれた丸胴型のウトにザッと落とし込んだ。しかし、袋がくっついて上手く中の蜂の塊がウトの中に落ちない、口を広げて振ると、ワッと空中に飛び立ってまた元の蜂球板の所に固まる、踏まれても蹴られても何度でも健気に同じ場所に集まるのだ。それをまた袋に入れて、落とし込む、その際に、ウトを逆さまにして、本来床板になる板を蓋にしているものだから、落とし込もうとその蓋をとるとせっかく入れた中の蜂がまた一斉に飛び出す。如何にも要領が悪い。この辺りの手順や袋をもっと工夫しないと一度で済むところを何度でもやらなければならなくなる。

 今回は二度目なので落ち着いてやったつもりだが、移す時に上手く行かずに慌てて10匹くらいは圧死させたようだ、その数百匹中の圧死した10匹の中に女王蜂が居なかったことを祈るばかりである、ようやくほぼ全部をウトの中に入れることに成功した。今回は前回よりも、移し終えたハチが大人しく出入りしているようだ。

 日が暮れてから、仮設の場所から、あらかじめ決めてあった場所に移した。

 このあと、このまま居ついてくれるか、探索蜂が他のもっといい場所があったと他に移動しまわないか、それより、女王蜂は無事か、しばらく様子見である。今回の群れの中には雄バチも沢山いたので、交尾は終わっているのだろうか。

 防虫ネットを被って作業をやったが、半分は刺されないと言う気持ちがあったので、いい加減に隙間処理をしていたところ、ネットの中に何匹も蜂が入り込んで、ネットと顔の狭い間を飛び回っていたが、やはり刺されなかった。

 今回はカメラマンが御不例のため、取り込みのシーンの記録は撮れなかった。

 今回の取り込みが上手く行ったら打率10割、そんなに上手くいくものだろうか。(母親)女王蜂、(長女)女王蜂、(次女)女王蜂の三群のハチウトが並ぶ。まだ早い時期の分蜂なので、師匠いわく、もしかしたら、更に分蜂が続くかもしれないと。

 あまりにも順調に増えているので、自家分蜂の他に、他所からやってくる蜂も計算に入れると5基や10基くらいすぐに増えそうな気になってくる。これも偏に地の利なのだろう。とにかく作りかけのウトを早く完成せねば。


平成23年4月24日(日)

 九州地方、予報では、所により一時雨、だった思うが、阿蘇は終日、「所によった」ようで、ほとんど雨の一日だった。レーダーを見ると、阿蘇上空だけがずっと雨雲がかかったままだった。
    最低気温 06.3℃(05:27)、最高気温 10.5℃(12:29)


 近いうちに、テレビのデジタル化に伴ってアナログ波のテレビが見られなくなる。基本的な問題として、国の勝手な方針転換のために個人が私財を投じて地デジ対応のテレビを買わなければならない理由が分からない(憲法29条の財産権を侵すものだという人もいる、地デジ化が公共の福祉に添うというのか)、そのためにまだ見られるどれだけ多くのアナログテレビが廃棄されていることか。これに対して国民の多くは何も言わずに(嬉々としてかどうか分からないが)地デジ対応テレビを買っている。どうしても納得しがたいので、ちょうどいい機会でもあるし、我が家では、アナログ放送停波を機会に、「テレビ」をやめようと思っている。このことは何度か言っているので、カミさんの実家からは金が無いのなら地デジテレビを買ってやるぞ、と心配してくれているが、そういう問題ではないので、鄭重に断った。

 幸いなことに近年のテレビは見たい番組が無いので、このまま、テレビ離れが出来るかなと期待している。すでに最近はニュースの時間を除いてほとんどテレビを見ない、ニュースの時間も、ただでさえ食事の時間がかかる娘が画面をみるので隣室のテレビの音だけを聞いているがそれで特に不便を感じない。テレビなんてあるから見るのであって無ければ無くても困らないものであるということが最近よくわかってきた。インターネットがあることがテレビ離れが出来る大きな原因の一つかもしれない。やはり、情報は欲しいからだ。

 我家では、テレビに替わってラジオを点けている時間が増えている。小生が子どもころは、ラジオしかなかった。その時代はどんな生活をしていたのだろうかと、ラジオを聞くようになって思い出している。

 あの時代、連続ラジオドラマに熱中した。大人は「君の名は」だった。子どもだったので、順不同だが、「きたむらかずおげんさく しんしょこくものがたり 白鳥の騎士」というナレーションまで耳に残っている、 紅孔雀 風雲黒潮丸 ジロリンタン 俺らあ三太だ(と優しいはなおぎ先生の声) さくらんぼ大将 一丁目一番地、鐘のなる丘(小生は少しまだ幼すぎてほとんど覚えていない)・・・ノスタルジーである。

 閑話休題。問題は娘がどう受け止めるかであるが、娘の一日の生活を見ると、昔と違って学校生活に取られる時間が圧倒的に長くて、夕方帰ってきて、宿題をして、飯を食って風呂に入って、その他に少し習い事の予習復習などをすると、とてもテレビなどを見ている時間などない。

 夕食時とニュースの時間が重なるので、その時に親の都合でテレビを点けている程度である。要は、親の都合で子どものテレビを見る時間が決まると言うことで、それ以外の時間は親が点けていないので、どんな番組をやっているか、子どもは知らない、知らない物を見たいとは言わない、無理して、我慢して見ないのではないのである。それでも、登下校の道すがら、或いは学校に行ってテレビの話題が出て、娘には話が通じない部分があるようだが、だから、特に不平を言うこともないが無菌状態が果たしていいのかとも考える。学校でもノーテレビ・ノーゲーム・デーなどというテレビを見ない日を決めて運動をしているが我家ではいつも基本的にはノーテレビ・デーである(ゲームもほとんどしない)。

 テレビはタバコと同じで、あるから惰性で見る(あるいは吸う)部分がほとんどだろう。要は、テレビなんか最初から無ければ無いで済むものである。ということが見なくなって分かった。

 娘が時々どうしても見たい番組があると言う場合、録画しておいて時間がある時に見ろ、と言って録ってやるが、ほとんど見た試しが無い、是非ものと言ってもそんなものである、この方法、テレビ離れをするための有効な手段かもしれない。点けているから見るのであって、その流れでズルズル見続けるのだ。テレビを見ることしか他にすることが無い人は見ればいいが、そうでない人はテレビを見なければ沢山の時間が出来る。娘も本を読んでいる方が面白いと言う(実際のところは、比較する相手を知らないので、そう言うのだろう、見ればテレビの方が面白と言うだろう)。

 いきなり今日から完全にテレビは無し、ということになるとそれはそれで抵抗があるかもしれないので、試しに今朝から一日、一度もテレビは点けないで過ごした。ニュースだって何もテレビで見る必要は無いことがわかった、ラジオで十分だと思った、全く不自由は感じなかった、それどころか、目を音がする方に向ける必要が無いと言うことはこれほど楽なものかと言うことが良く分かった。

オマケ
 テレビのこととは、直接関係が無いかもしれない、いやあるのかもしれない、いや、やはり無い。今朝、娘に、オマエが幾つくらいになったら、AKB48とか(それ以外すぐ頭に浮かばないので、「とか」でごまかす)の歌を覚えて、歌ったり聞いたりするのだろね、と言うと、もう誰々ちゃんも、誰々ちゃんも知っとるばい。ふーんそうか、誰々ちゃんたちのお父さんお母さんは若いからその関係で今の流行り歌を知っとるとだろうね、Uちゃんも知っとるとか?ウン、知っとるばい。それを聞いていたカミさん、ご両親が学校の先生だから子どもたちのことを知る必要があるから聞いているのよ。

 やはり無い、と言ったのは、たとえテレビを見る場合も親の嗜好で、最近の歌番組は(わからないので)見ないからである。我が家は、見よ落下傘〜だもんな・・・・・(カミさんも不思議と今時の音楽には興味を示さない、落下傘は無いが)


平成23年4月23日(土)

  雨のち曇り。昨夜の雨も朝には上がる。今日も風があり暖かいとは言い難い天気だった。昨夜から14ミリの雨量である。
    朝の最低気温 10.3℃(06:30)夜になって朝より気温が下がり始めている、
    最高気温 13.2℃(14:23)

 太郎の風邪、ほぼ完治だろう。

 表の足場を少し解体して、東側の二階部分の塗装用足場に回して組み始める。このあたりが、風雨日射で傷みが激しくもうとっくに猶予は無くなっている。が、道楽優先になっている。

 その道楽。じっちゃいのてげてげ日記宛てに質問状を出しておいたところ、師匠より間・髪を入れずに回答があった。

2011/4/22 15:26
投稿者:風
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  じっちゃいにおけるグローバルIPとプライベートIPではありませんが、どうもまだ分かっていません、以下の設例で、時間がある時で結構ですから教えてください。

 女王蜂Aの一群が1号ウトに居ます。1号ウトから女王蜂Aが分蜂して2号ウトに移りました。つまり、2号ウトに移ったのは、1号ウトに最初からいた女王蜂Aの一統です。

 そうすると、1号ウトはその時はどういう状態でしょうか、新しい女王蜂Bが大雑把残った半分を従えて居ると言うことですか、あるいはまだ幼虫段階の女王蜂bでしょうか。

 女王蜂Aは次の女王蜂Bが育ったのを確認してから出て行くのでしょうか。

 二度乃至三度分蜂があると聞きましたがそれは1号ウトからだということですが、その時は今度は今回誕生した女王蜂Bが女王蜂Cを産んでから出て行くと言うことですか、三度目はどうでしょう。女王蜂Bは今年生まれたばかりなので次の女王蜂を生むほど成熟はしていないはずですね。

 それら女王蜂と雄バチの係わりはどうなるのでしょうか。最初に出て行った女王蜂Aはもう交尾はしないのでしょうか。最初に2号ウトに移った女王蜂Aは今年はもう新たな女王蜂は産まないのですか(ウト2号からは分蜂は無いのですか)。

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じっちゃいよりの回答
2011/4/23
コメントをネタに  
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後日記
 昨日の宮崎21.0℃   12.9℃ 曇り
 昨夜もPCの前に坐ったもののそのまま轟沈。近頃多すぎるのじゃないかい!と声が聞こえてきそうだ。

 一昨日夜、爪楊枝を使ったら歯の埋物が何の抵抗も無く取れてしまったので、夕方、歯医者に行った。幸い歯には問題なく、接着剤で押し込んで一丁上がりで済んだ。

 昨夜、PCの前に坐って前日の日記に風さんからコメントに気付いて、1度拝見したまでは記憶があるが、その後寝たらしい。

 その風さんのコメントをネタに。

 分蜂は新しい女王が生まれる2,3日前くらいに起こります。
新しい女王、つまり娘に当たる女王はそれから生まれてきます。
女王の出て行くのには働き蜂も関係しているようで、次の女王が生まれてくることを知った働き蜂が元の女王にこれ以上卵を産むなと邪魔をするそうです。

 二度目、三度目の分蜂も元のウトから起こります。次女、三女ということになります。最初に出て行っ女王が生んだ子供です。産まれる順番は、王台に蓋がされます。蓋をするのは働き蜂ですが、その順番に生まれます。

 雄蜂が産まれたのは巣房の蓋が落ちているのでわかります。先日の写真のようにです。蓋の真ん中に小さな穴がありますが、西洋種にはあの穴がありません。雄蜂は産まれて5,6日目から飛びまわるようになって、8〜10目に交尾飛行に出ると言われています。交尾していない女王は、午前中の分蜂なら早ければ午後に交尾飛行に出ることもあるそうで、分蜂後1,2日では交尾するそうなので、雄蜂が飛び始める日数を目安にすると、分蜂の頃がだいたい分るということになります。女王は生涯1回の交尾しかしません。その後はただひたすら産み続けるだけです。

 今年分蜂した群れからの分蜂ですが、ないことはないです。孫分蜂といいますが、時期的には春のこの時期という訳にはいきません。ですが、一時的に群れが少なくなるので、季節的にもスムシがとりつき易いので、しない方がいいですね。この辺りは、巣枠式(西洋ミツバチのような)だと点検がし易いので、王台を見つけたら取ってしまえばいいので分蜂を防止することができます。それでも、持っているウトの数が少ないと、群れが増えるというのはいいのかもしれませんが。

 二王同居を好まず、ということで同じ巣に女王が同時に誕生したとなると、どちらかが死ぬまで決闘するそうですが、そうなればたとえ勝った方の女王でも無傷という訳にはいかないので、その前にケリをつけるそうです。

 気候も影響しているらしいですが、もうこれ以上分蜂しなくていいと判断(群れがするのか女王がするのかわかりませんが、これも知りませんが)したら、女王が王台の横を噛み破って中の次の女王を刺し殺すそうです。そうすると、働き蜂が王台も雄蜂の産まれた巣房も綺麗に壊して、働き蜂の産卵用の巣房に作り変えるそうです。

 その年に王台は1〜数個作られるのですが、作るのは働き蜂ですが何個作るかはどうして決めるのか、そこらへんのことはわかりません(知りません)。働き蜂の巣房も雄蜂の巣房も働き蜂が作ります。働き蜂の巣房の直径、雄蜂の巣房の直径の違いを女王は計りながら卵を産み分けます。働き蜂は受精卵ですが、雄蜂は精子の入っていない卵です。n=16です。ここらへんがふしぎなことですが、巣房の大きさでやっているというのですから。研究されて仕組みも解明されているのかもしれません。

 ついでながら、働き蜂にも女王候補にもローヤルゼリーが給餌されます。働き蜂には2,3日で、そのあとは集めてきた花粉が与えられるのに、女王候補にはずっとローヤルゼリーです。卵から産まれるまでは、女王が15日、雄蜂は21日、働き蜂が19日です。

 女王もそのうち産卵数が減ってきます。そうなると働き蜂が察知して、女王をかみ殺すそうです。そして、働き蜂の巣房の中から適当な巣房を選んで王台に作り変え、ローヤルゼリーを給餌してつぎの女王を作るそうです。もし、作らなかったら、それまで女王の出すフェロモンで働き蜂は産卵できないようにコントロールされていますが、そのコントロールがなくなると働き蜂産卵が起こって、一斉に産卵が始まって一つの巣房にたくさん卵が生みつけられるます。しかもその卵は交尾していない働き蜂が産むので全て雄です。

 去年、小生のウトでもこれが起きて、真っ黒の雄バチだらけになりました。もちろん雄蜂は蜜集めもせず、つぎの働き蜂も生まれないのでやがて群れは消滅です。それに気付いたら、他の群れと合同させる方法とかありますが、小生はやったことがありません。

 一通り書きましたが、小生のウトは一向に変化がありません。王台が1個だったのか、春には女王が自然に死ぬこともあるらしいので、そのまま娘女王が群れを受け継いだのかもです。まだ、1個しか雄バチの巣房の蓋を確認していません。1匹しかということはないと思いますが、それじゃ次の女王は交尾も成功しないでしょうから。雄バチが少ないということは、働き蜂産卵は起きていない、花粉は運んでいるということは女王が居て産卵しているということなので、群れは大丈夫と思っていますが、この時期に、こうも静かだと心配になります。

追伸
2011/4/23 19:52
投稿者:じっちゃい
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 生涯1回の交尾と書きましたが、1回の交尾飛行です。その間に数匹から10匹くらいの雄と交尾します。それでシーズンには一日に1千以上の卵を産むのですから、そして、時には精子の入っていない卵(雄)も産み分けるというのが不思議です。

平成23年4月22日(金)

 曇り、午後から時々ポツリ、ポツリ(午後5時現在)。今晩は雨になるらしい。
      最低気温 8.3℃(03:44)、最高気温 17.1℃(12:47)

 太郎、昨日あたりから風邪っぽかったそうで、入浴も控えたといっていたが、昨夜は頻繁に夜泣きしてぐずったそうである(小生は離れたところで寝ているので全く知らず)、今朝になってもいつもの元気はなく食欲もあまりなさそうだった。朝食(離乳食とミルク)を与えたがあまり食べなかった。そして、食後、母親の言によると二度吐いたそうである(食事はもっぱら小生の担当だが、吐いた時は小生は外に居たかで目にはしなかった)、様子を見てこれ以上ひどくなるようだったら夕方にでも医者に連れて行けと言ってあった、午前中、ぐっすり寝た後は元気になって、昼食もまあまあ食べて戻すことも無かった、悪くなるのも早いが治るのも早そうである。

 それとは別だが、小学校でまたインフルエンザと感染性腸炎が少し出ているようである、中学校でもインフルエンザが流行っているそうである、今度のインフルエンザはB型だそうで、冬に流行ったのはA型だった(かな)。

 20日の日記で庭に咲いている花の名が分からなくてまたasobowzzどのに教えていただいた。ハナズオウである(写真1写真2)。

 この一風変わった花の名、花蘇芳と書く。音だけ聞くとあまり花らしくない、しかも阿蘇の蘇という字を蘇芳と書いてズオウ読ませる。気になって調べてみた。もともとスオウと読むのが、連濁でズオウになったのだ、それで得心した。この花ではなく、蘇芳という植物からは赤系の染料が出来るそうである、またひとつ新しいことを知った。

 今日は天気があまりよろしくないので分蜂は無いと思っていたので、あまり注意を払わなかった。ただ一度、ブンブン飛び始めたので、えっ?今日か?と思ったが、間もなく収まった、時々波のようにそのような現象が起きる。間もなく雨と言う時に飛び出して、大雨になったらどうするのだろう、一旦飛び出た以上は大軍なのでもう戻れないのだろうな、天気の読み違いなどしないのだろか。

 「坂梨宿」サイトの資料室に明治35年に編纂された「坂梨村是」という、国勢・経済白書的な資料がアップされた。今にして思えば非常に貴重な資料である。読んでみるととても興味深い、あの時代は本当に貧しかったと言うことが良く分かる。ほとんどが雑穀を主として食べていたようである。家屋の造りも粗末だったようだ、当時の日本の山村は皆そうだったのだろう。その国力で日清・日露を戦ったということだろう。坂梨宿も旅籠の数は(その後だと思うが)最盛期よりもずっと少ない気がする、逆に細川藩政時代はどうだったのだろう。教育については、この調査目的が主に経済面に関するものであるので農工商教育については掘り下げて触れられているが、普通教育については「普通教育は則ちその成績良好にして不就学の児童甚だ小なりとす」とだけあって、数字のデータは無いが、ともかくも、貧しくても教育は進んでいたことが分かる、いや面白い。


平成23年4月21日(木)

 晴れ。最高気温が20℃を越えたのはこの春初めてではなかろうか。ただ少し風があった。
  最低気温 -0.2℃(05:55)、最高気温 20.5℃(13:39)

 ハチは夜の間は活動しないと聞いていたが、朝早くすでにまた雄バチの巣房の蓋がたくさん運び出されていた。そしてモニターを眺めていると、外気温が氷点下にもかかわらず、ハチが入口付近で外の様子を窺っているのかさかんに蠢いている、何匹も出たり入ったりしている、いつもならそこまで気温が下がっていなくても、仮死状態になるのに今日は元気である、相当気合が入っているようだ、「アドレナリン」の分泌がいつもより多そうだ(ハチにそんなものがあるかどうかは知らないが)、今日こそ何やら起きそうである。(とこの下りは朝のうちにメモをしておいた部分。)

 そして、日がな一日、ウトの前に貼りついていた、しかし何事も起こらなかった。夕方近く巣の中に風を送るべく整列していた。そう簡単には駆け出し蜂飼いの思うようには動いてくれない。

 待っている間に、蜂球板(止まり木)を二枚作って、適当にセットしておいたが(写真1写真2)、これも、こちらの思惑通りには使ってくれないだろう。

 お向かいの御主人の通夜式が熊本市内でしめやかに営まれた。家族葬だと言うことで公表されていなかったが組内の皆さんと参列した。(享年84)


平成23年4月20日(水) 穀雨

 快晴。久しぶりの晴天のような気がする。
   最低気温 3.4℃(06:32)、最高気温 17.8℃(14:22)

 ハチウト二号、活発にハチが発進、帰投をするようになり、花粉を沢山持ち帰るようになった、もう大丈夫だろう。

 ハチウト一号、今朝も雄バチの巣房の蓋が沢山運び出されていた、雄バチの姿も見られるようになった、今日の晴天でなんとなく朝からザワザワしてそのうちに沢山ブンブンしはじめたので、すわ、分蜂だとカミさんに知らせて待機した。あの臆病者のカミさんが記録に撮るんだと言って無防備状態の太郎を抱えてブンブン飛び回っているハチウト前でビデオを構えた。日本ミツバチは刺さないと信じ込んでいる、ハチが飛びまわるど真ん中で、ちょっと前までには考えられないことである。

 しかし、機未だ熟せず、今日の分蜂は無かった、気温がそれほど高くなく、風も少しあったからだろうか、南国ながら「北国の春」の景色広がる(写真1写真2写真3写真4写真5写真6これは関係ないか)。明日もまた好天らしい、期待しよう。

 分蜂の蜂球板(止まり木)をセットしてみた、丸胴のハチウトにも蜜蝋を塗っておいた。
 今日はハチの動きが気になって、ウト一号と二号の間を一時間おきくらいに移動してはずっと観察して一日が終わった、見ていて飽きない。

 二週間ほど前から右下奥歯三本あたりが痛む、今日宇治歯科で診てもらったら三本目の目に届かないところが虫歯になっていると言う。レントゲンをみると神経まで達している感じだが、なんとか神経を抜かずにやってみましょうと、さっそく掘って埋めてくれた、しばらくこれで様子を見ることにした。

 入院中のお向かいの御主人が昨夜亡くなられたそうである。家族葬でお送りするというようなことを聞いている、今朝の新聞には訃報が載らなかったが、公表を控えられているのかもしれない(明日の新聞かもしれない)ので、お名前を書くのはご遠慮申し上げる。我々がここに住むようになって随分とお世話になった、昭和元年生まれ、古武士のような人だった。実は今日、昨夜そのようなことがあったとは露知らず、最近、お向かいの菜園の世話が行き届いておらず、せっかく綺麗な花が咲き乱れているのに、冬を越した枯れたツル草類が覆ってい花を隠していたので、お節介かとも思ったが取り払って花が見えるようにしてさしあげたばかりだった、モクレンボケ(だと思う)同じく椿系、それから、ハナズオウ(花蘇芳) ・・・・・年年歳歳花相似 歳歳年年人不同・・・・春の花が咲き乱れるなか、また一人逝ってしまわれた・・・合掌。


平成23年4月19日(火)

 一気に冬に戻ったようで、阿蘇山もなごり雪で白くなっていた、終日ストーブを焚いた。
 最低気温 3.0℃(06:21)、最高気温 9.4℃(14:40)

 娘、復調には今一歩というところ、新学期が始まったばかりなので行きたいと言うので登校前にネブライザーをして、徒歩通学はやめて母親が車で送り、下校時、車で迎えに行く。今日一日で順調に回復したようで、車で迎えに行くほどの事も無いくらいに元気になっていた。体操など体を動かす科目は見学したそうである。


平成23年4月18日(月)

 曇りのち晴れるも風が強くて、最大15mの強風で屋外作業ができず。

 昨日の遠足で娘、振り替え休日、にもかかわらず、昨日から前兆があったが喘息発症。自家用のネブライザーを吸引する。熱などは無いが、明日の登校はどうなるか。

 朝の散歩の時に今年初めてのツバメを確認した。

 ハチはようやく落ち着いたように見受けられる、せっせと花粉を運ぶ姿が認められた。
平成23年4月17日(日)

 晴れ、風があったので気温の割には寒く感じた。
最低気温 05.9℃ (05:54)、最高気温 19.7℃ (13:54)

 浄土寺牧で坂梨小学校、坂梨保育園合同の新入生歓迎遠足が催される。これは確か明治時代から続いている坂梨の伝統行事である、坂梨の文化である。

 今年はうまく桜の時期に重なって花吹雪のもと気持ちのいい運動会を開催することが出来た。ただ気温の割には風があったので、かなり肌寒く感じられた。

 坂梨小学校も今年の全児童数は79名だそうで、とうとう80人を切ってしまった、寂しいことである。

 遠足の様子、百駄文は一見に如かず(は小生の造語であるが)、撮った写真は全部載せる。(このほかにもしご提供ただける写真があれば可能な限り載せます、お申し出ください)

新入生歓迎遠足 連続写真  1/20 
新入生歓迎遠足 連続写真  2/20 
新入生歓迎遠足 連続写真  3/20
新入生歓迎遠足 連続写真  4/20
新入生歓迎遠足 連続写真  5/20
新入生歓迎遠足 連続写真  6/20
新入生歓迎遠足 連続写真  7/20
新入生歓迎遠足 連続写真  8/20
新入生歓迎遠足 連続写真  9/20
新入生歓迎遠足 連続写真 10/20
新入生歓迎遠足 連続写真 11/20
新入生歓迎遠足 連続写真 12/20
新入生歓迎遠足 連続写真 13/20
新入生歓迎遠足 連続写真 14/20
新入生歓迎遠足 連続写真 15/20
新入生歓迎遠足 連続写真 16/20
新入生歓迎遠足 連続写真 17/20
新入生歓迎遠足 連続写真 18/20
新入生歓迎遠足 連続写真 19/20
新入生歓迎遠足 連続写真 20/20
 
 今日は日中ほとんど居なかったのでハチの動静は分からなかったが、新しいハチウト、昨日よりは更に落ち着きつつあるように見受けられた。


平成23年4月16日(土)

 今日は午前中は曇りがちで午後からカラリと晴れるような予報だったと思ったが、午後もずっと曇っていて霞がかかったようだった。それでも気温がグンと上がったようだ。

  今朝の最低気温 07.5℃(01:45)、朝は確か14℃以上あったと思う、それだけ、朝は暖かかった。最高気温 22.3℃(13:27)

 今日もいくつかの作業を並行しながら行った

 朝一番でサトイモを植える。種イモなんかとっくに売っていなかったので物産販売所の「あぜり庵」で食用のサトイモを買ってきて植えた。多分大丈夫だろうと思ったが、念のために包みに貼ってある生産者に電話で確認をしたところ、大丈夫ですよ、私もそのイモで植えましたから、育て方の説明までしてくれた。畝の長さの都合で全部で19個の種イモを植えて、マルチかけをした。数個残ったが食用にカミさんに渡した。

 ようやく延び延びになっていた杉の枝打ちをした、田にかかって日陰を作るので前々から伐ろうと思っていながらズルズル来た。梯子をかけたままだったので、その梯子を使う都合があって、今日伐った。時間があったらもっと上まで登ろうと思ったが、もう少しの時間ともう少しの勇気が無くて、ここまで止りになった、それでも随分と明るくなった。

 その梯子を使って、ペンキ塗りの塗装済み部分足場の一部を撤去した。別の場所のペンキ塗りの足場用である。足場と言うのは組む時よりも、解体する時の方が難しい。うっかりしたところを外すとトンデモナイことになるので結構神経を使う。解体すると一部分でもあるにも関わらず結構な本数をつかっていることに気が付く。

 今日の新しいミツバチの動静。朝のうち、午前中は、落ち着いた動きをして、サッと一直線に離陸して、戻ってくるハチもサッと帰投してくる、今までのウトで見られた普通の動きになっていた。何匹かに一匹は足に花粉を付けて戻ってくるハチもいたので、ああ、正常な営巣活動に入ったな、女王蜂がいるんだなと思ったが、午後になると、また、ウトの周囲をただ意味も無く飛び回る、蜂飼い初心者でもこれは普通の動きで無いなと感じられる様子だった。昨日ほどではなかったが、まだどちらとも判断が付きかねる。このような時にファイバースコープがあれば便利だなとチラッと思った。

 一方、前のハチウトも、今日はまたなんとなく騒然とした動きをしていたので、また分蜂かな、まさか、分蜂したばかりでそれは無いだろうと、じっちゃいに相談の電話をしたところ、分蜂してすぐ日を措かずにまた分蜂することもあるという。もしかしたらと少し緊張したが、今日の分蜂は無かった。小生が考えるに、分蜂行動は、その後の落ち着き先を決める都合上、午後に入ってからは無いのではないだろうか、午前中に行動開始するのではないだろうかと思うがどうだろうか。

 そんなわけで、今日も、重箱型のハチウトを作るべく、材木を買ってきて、二つ目の重箱型の巣箱を作った。作ったと言っても胴部分で、屋根部分と床部分は未だであるが。

 小生にとっては珍しいハチを見た。やたらと触角が長いハチがいた、西洋ミツバチなのかなと思って図鑑で調べた、多分、ニッポンヒゲナガハナバチというハチだろう(と思う)。



平成23年4月15日(金)

 晴れ、のち、時々少し降る(総雨量2.5ミリ)。
  最低気温 06.3℃(00:12)、最高気温 18.8℃(12:43)

 昨日は色々な事があって流石に疲れたとみえて、今朝は5時まで一度も目覚める事無く爆睡した。普段は2時だとか3時頃に目が覚めてそのまま起きてしまうことが多いが。

 昨日取り込んだミツバチ、うまく居着いてくれるだろうかと気になって朝早いうちから様子を見に行った。一匹か二匹出入り口付近でウロウロしていたので、中に居るなと少し安心したが、昼前ころ、そう、昨日と同じ時間帯に、なんだか沢山出てきて、そのあたりをブンブン飛び始めた。

 なかには、ハチウトは違うが、昨日蜂球を作った時と同じくらいの場所に数匹が固まって何やらやっている(写真1写真2)、蜂球を作るための地ならし(等と言うものがあるのかどうか知らないが)でもやっているのだろうかと気になってしょうがない。ウトの周囲を飛び回っているハチも蜜を集めるでも無し、花粉を集めるでも無し、特に何かをやっているというわけではなさそうで、とにかく飛び回っている。これはこの家が気に入らないか何かで、あるいは女王蜂が居ないかなにかで移動する準備でもしているのかもしれない。

 そう思うと、何時飛び立つか分からないので、日中、他の作業をしながらも、ずっとウトの前に座って様子を観察した。そのうちに、またほとんど全部が巣の中にはいってしまって、静かになる、そしてしばらくするとまたブンブン飛び始める。一体どういう理由なのだろうか、とにかく落ち着きが無いのだけは確かである。

 時々、足に花粉をくっ付けた蜂が戻って来るが、これは、付けるべくして付けて戻ってきたのか、そうであれば居ついて巣を作り始めたのだろうが、たまたま自分が蜜を吸う時に付いたものか、はてどちらなのだろうか。元のハチウトのハチたちとは全然動きが違う、元のウトのハチたちはまだ半分は残っているのだろうが落ち着いたものである。考えてみたらものすごい数のハチがあのウトの中に居たことになる。

 夕方、出先から帰ってみると、日暮れと言うこともあって、静かに数匹が出入りをしていた。


 今度の日曜日に、浄土寺牧で坂梨小学校の歓迎遠足がある。そのための準備で五時からPTAなどが集まって草刈り作業があった。毎年、桜の時期と遠足の時期がうまく合わないが、今年は絶好の花見日和になるだろう。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7



平成23年4月14日(木)

 今日も昨日と同じような汗ばむほどの天気だった、それにしても最近は雨が降らない。
  最低気温 0.4℃ (06:58)、最高気温 19.4℃ (13:15)

 「その時」はあまりにも突然にやってきた。それは追々書くとして、今日の生活が始まった。

 本日より、みどりの爺様に替わって、みどりのおばさん登場、これからずっとなのか、今回限りなのか分からないが。今までは時間が無くてヒマな小生が出掛けていた、ようやく時間がとれるようになって一度やってみたかったのだろう。全体的にはみどりおおばさんの人数の方が多いようだ。カミさん、交通指導(みどりのおばさん)に出掛けてもし事故でも起こしては大変だと、徒歩で旗振りに出掛けた、歩いて15分くらいだろうか。

 これ、もしかして、雄バチの巣房の蓋?今朝、ハチの出入り口付近に沢山散らばっていた、ハチが清掃目的で運びだしたのだろうか、昨日の今日であるが。あまりにも軽いので、まもなく吹き始めた風に飛んでしまった。

 暖かくなって、やらなければならない作業が幾つもあるので、今日は三つほどの作業を並行して始めた。ハチウトを作りながら、ペンキ塗りの足場作り、雨と太陽がよく当たる場所は特に傷みが激しく急を要する部分がある、そして、畑の畝作り、サトイモを植えようと思っているが、サトイモは生育期間が長いので、畑の真ん中だといつまでもそこだけ残るので一番端っこを耕した。

 作業をしていると、カミさんが、ハチが沢山飛んでいるわよ。ああ、暖かくなったからね、動きが活発になったのだよ。いや、そうじゃなくて、スゴイ飛び方をしているわよ。

 言われて、ハチウトの近くまで行ってみると、あたり一面、空が真っ黒になるほど沢山のハチが乱舞している。そうか、始まったのか。(写真1写真2

 そう、それは突然始まったのである、分蜂である、雄バチが生まれていないのに、順序が少し違うのではないか、ハチウトの前に行ってみると出入り口にも沢山のハチが動き回っている(じっちゃいによると、そういうこともあって、その後、ちゃんと帳尻合わせがあるそうである)。

 あまりのハチの乱舞にボンも恐れ入った状態だ、もし日本ミツバチを飼い始めることがなければ、恐らくは恐怖を覚えて、殺虫剤を撒き散らして殺そうとしたかもしれない。しかし、蜂飼いの端くれにとっては、これは大感動である、至福の瞬間である。

 さてどうしたものか、そこで、じっちゃいの言葉を思い出した、ハチが乱舞して収拾がつかない時にはホースで水を撒き散らかすと大人しくなるよ。

 言われた通りに水を撒いたせいかどうか、間もなく少しずつ一か所に集まりだした、そこはなんと、分蜂に備えて用意してあった、新しい丸胴型のハチウトの庇部分である(写真1写真2)。ところが肝心の出入り口は、その反対側になる。なんとか、裏側にある出入り口を見つけて入ってくれないだろうかと念じたが、そうそう都合よくは動いてくれない。

 そのハチの集合状態(蜂球)、一匹一匹のハチが各自それぞれしっかりした足場に取りついているのではなくて、言ってみれば、運動会でやる人間ピラミッドを逆にしたように、何匹ものハチ同志が相互に取りついてぶら下がっているのである。だから時々重さに耐えかねて、ドサッとひと固まりが落ちたと思ったら再び飛び立ってまた塊を作る。

 そこで、じっちゃいに電話をしてこの次の予想される展開について指示を仰いだ。そのまま新しい巣に入ってくれればいいけど、もし、入らなければ、腕力で入れることになる。今、ワンワン飛び回っている蜂の群れもやがて全部一か所に集まって静かになるので、その時に何か袋のようなものにドサッと落とし込んで、新しいウトのなかに入れてやるといい、あまり早くやると女王蜂がまだその塊のなかにいないかもしれない、女王蜂は最後の方になって登場するからから慌てないように、とのこと。
 
 もうひとつの重箱型の新しいハチウトを、(数百匹あるいは千の単位か)固まってぶら下がっているハチウトの傍に持ってきて、レジ袋にエイヤッと落としこんで、重箱型の蓋を取って、ハチウトのなかに袋の口を下にしてザッと落とすようにして移してやった。しかし初めてで慌てていたせいで、うっかりして、固まってぶら下がっている方のウトをひっくり返してしまった。起こしてやると、また残ったハチが同じ場所に集まりだした、それをまた袋に入れて重箱の中へ、その作業を二三回繰り返してなんとか蜂の集団を移し終えた。このアクシデントで少しハチが死んだかもしれない、女王蜂が無事に重箱に入ったかどうかも分からない、とにかく、移し終わった。(写真1写真2写真3

 しばらく様子を見ていたら、出入り口を沢山のハチが出たり入ったり、蜜を集めている風でもなく、花粉を運んでいる風でもない、このまま新しい巣箱に居ついてくれるのか、あるいは別のところに移動するかは分からない、夕方になって巣箱に全部入ってから、そっと基台の上に設置した、明日の朝、どうなっているだろうか。

 巣立たれた方のハチウトは今まで通りハチが出入りしていたが、そう思って見るせいかなんとなく寂しさが漂っている気がする。出て行った方が前からいる女王蜂の集団で、暖簾分けをされた方が古いハチウトに残るらしい。

 もし、上手く行ったら、これは非常に効率のいい増え方である。なんだかこの調子だとネズミ算式に増えそうな気がしてきた、この際、いっそのこと、阿蘇における日本ミツバチの拠点にでもしようかと色気が出てきそうである。

 母が身罷ってちょうど一年経った。母一周忌法要、と言っても大袈裟なものでなく、というより、全く簡素に執り行う。

 極楽だとか、浄土だとか、あるいは天国だとかいうあの世というものが存在すればいいとは思うが、小生は無いと思っている。現世での生を終えればあとは「無」に帰すると思っている、その後は、各人の心の中で生き続けるだけだ。寂しいが、それでいい、だから「無」と対極にある「生」も意味を持ってくる。

 節目節目の法要は、これはもう儀礼的なものだと思っているので、一周忌も花をたくさん飾って家族だけでお経をあげてもらって静かに婆様を偲ぶことにした、考えてみたら、親戚の皆さん、婆様の縁者だから皆同じように高齢者ばかりだ、おいそれとは遠方からは動けない、その代わり皆さんから心のこもったお供えを送っていただいた、婆様の命日を良く覚えていてくださったと感謝の気持ちでいっぱいである。午後4時すぎ、娘が学校から帰る頃を見計らって円通寺の公道住職にお経をあげていただいた

 本日の日記の主題は本当は婆様の一周忌だったはずだが・・・・。だから、しみじみ思い出などを記そうかと思ったが、婆様よ、なんだかハチ騒ぎで吹っ飛んでしまったよ。この日に分蜂、これも何かの因縁だろう、婆様も如何にも我家らしいと何処かで笑っているかもしれない。


平成23年4月13日(水)

 晴れ、相変わらず朝は霜で真っ白になる。それから阿蘇という所は本当に風が強いところで、朝のうちは無風でも、昼ころから必ずと言っていいほど風が吹きだす。今日も10m近くの風が吹いて、コイノボリを半分おろした、もう日課になってしまった。まあ、この程度の風ではどうということも無いのだろうが、本番前にコイノボリが飛んで行ったり、柱が折れたりするのもなんだから、5月5日までは慎重にいくことにしている。
 最低気温 1.2℃(05:59)、最高気温 16.9℃(14:58)

 今朝の登校班の風景。これからは太郎もだんだん外に出る機会が増えてくる。(写真1写真2写真3)   おーい急げ!遅れるぞオ

 3/29にじっちゃい夫妻がハチウトの中身をチェックしてくれた際に、巣がかなり下の方まで成長していて、この勢いだともうすぐ床に着くのでは、と心配になったので、以下の指南をじっちゃいのてげてげ日記に仰いだ。
2011/4/12 19:53
投稿者:風
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 ミツバチの巣が床面に届くまで大きくなった場合、床にくっ付いても尚作り続けますか、それとも、届く直前で巣作りをやめますか。もしどんどん作り続けるとしたら、ハチがいる場所が無くなりますね、分蜂前に採蜜しなければなりませんね。
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それに対して、以下の回答をもらった。
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2011/4/12

今日の宮崎17.7℃  6.5℃  ここ数日の天気からするとちょっと冷えた。美晴

風さんへ
 去年、採蜜時期を誤って満タンになったウトを失いました。崖に置いていたので足場が悪く、いつ蜜を搾るか躊躇していました。、そうしているうちにハチの往来が減ったので、満タンになったので蜜集めが鈍ったのかと思っていたところ、スムシが取り付いていたらしく、数日後、群れごと逃げられ、がっかりしました。

 このウトは、下から1センチくらいのところまで巣が下りて来ていて、分蜂も3,4回しました。その後、梅雨時期に入り、崖を登れなくなって蜜を絞らなくてはと思いながら時期が経ちスムシにやられたというところです。

 この時期、群れを増やすことにハチも頑張っています。蜜も集めていますが、冬の間に消費しているので、巣にはまだ貯める余裕があると思います。巣は、ハチの子生産に使って、その語、産まれた後の巣穴(巣房)に蜜を貯めるのでもう少し時間的余裕はあると思います。

 ハチの活動を見ながら分蜂を待って、蜜を貯めた頃、御地は高所なので5月終わり頃でいいのではないでしょうか。今は、おそらく分蜂に向けて王台をつくったりしていると思います。採蜜すると群れを増やすことができないのと、採蜜後、ハチが逃げ出すことがよくあるので、分蜂して群れを増やしてそれから採蜜するのがいいと思います。
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 そのような遣り取りがあって、今朝、カミさんの手を借りて、ハチウトを覗いてみた、そして巣がまだまだ床に着くまでには時間がありそうだということが分かってひと安心した。雄バチの誕生を示す、真ん中に小さい穴があいた巣房の蓋のカケラも落ちていなかったようだ、当分大丈夫そうだ。

 そうそう都合よくは行かないだろうが、なんだか巣箱が足りなくなりそうな予感がして、今日、ホームセンターで重箱型巣の材料を調達してきた。杉材が良いのだろうがちょうど良いサイズの杉材が無くて、ツーバイ材でちょうどいいサイズの物があったので、それにした。重箱型の巣を数個重ねて使うので、サイズが皆同じである必要があり、自宅で切ると多分曲がるので、ついでにそこで切ってもらった。


 先日(4/10)の野鳥の名前について、奈良県生駒市在住の方からご丁寧にメールを頂戴した。もう数年も前から娘の成長の様子など見守ってくださっているそうで、小生のホームページは、精々、親戚、知り合いが覗いてくれる程度だが、時々このように全く見知らぬ方から、見てるよ、とおっしゃっていただくことがあると、面映ゆく且つ嬉しい限りである。

 そしてその方から、その野鳥の名前はアトリというのではないか、と「生駒の庭の野鳥たち」という御主人が主宰されているサイトをご紹介いただいた。

 野鳥(山野草もそうだが)、場所や季節によって微妙に違う、これだっ!という形でいつも姿を見せてくれるわけではないようで、初めて聞くアトリにしても、ネット検索すると、ちょっと違うかな、という写真もあれば、これはアトリに違いないという小生が撮った写真と非常によく似た写真もある、同様にアカハラについても言える。自然が生み出す造形だから一つの形にはめるのは難しいということか。

 飛田板金の若い衆が、薪材を運んできてくれた、次のシーズンに向けての薪の準備である。
(写真1写真2

平成23年4月12日(火)

 相変わらず朝はまだ少し寒い、今日も良く晴れた
   最低気温 -0.7℃(06:36)、最高気温 16.8℃ (14:55)

 登校班、今日から新一年生が加わった。例によって定点撮影
向かって左から、手を挙げているピカピカの一年生のFちゃん、二年生のB君、六年生のA君、三年生のS君、五年生のK君、三年生のN君、三年生の我が娘、四年生のH君の合計8名が今年の登校班である。K君を先頭にしてFちゃんを守るように全員で登校して行った

 そして、三時半ころだったか、一年生の初めての下校ということで、特別に先生の付き添いで帰ってきた。今日はまた自転車の安全点検日でもあったそうで、各人の自転車を学校に持ち寄って安全点検を受け、警察の交通指導もあったとのことである。学校に持ち寄っての点検は三年生以上が対象で、学年によって自転車に乗ることが出来る範囲が決められているが、とにかく、一二年生の時は自宅内でしか乗ることが出来なかった自転車を三年生からは外で乗ることが出来るのようになったのである。三年生以上は今日は自転車を押して登下校した。

 同時に今日は新しい教科書の配布があったそうで、帰ってきてから母親に報告していた(娘、如何にも行儀よく座っているようだが、胡坐をかいていたところ、写真を撮られる段になって母親に注されて慌てて居住まいを正したもの)。


平成23年4月11日(月)

 晴れ、今日は少し雲が多かった、レーダーには全く雲が無かったが、午後ちょっとパラっと来た、それに風が強くて、今日も途中でコイノボリを半分おろした。
   最低気温 1.1℃(06:32)、最高気温 16.1℃(12:35)

 今日は坂梨小学校の入学式があった、式で新入生を歓迎するため在校児童全員でトトロの歌を歌ったそうだが、娘がその歌の伴奏をしたそうだ。二年の終わり頃、誰か伴奏しませんか?と先生に聞かれて、ハイッと手を挙げたそうで、そう言えば家でその練習をしていた。今日帰ってきてから、どうだった?と尋ねたところ、膝と歯がガチガチ鳴って緊張したアと言っていた、間違わずに弾けたかと聞いたら、うん間違わなかった、と言っていた。

 今日は終日、竹林伐採跡の整理焼却を黙々と続けた。あちらこちらにタケノコが頭を出していたが、見ないふりをして作業をした。


平成23年4月10日(日)

 快晴、微風、朝のうち風が無かったがそのうちにほど良い風が吹き渡り、人にもコイノボリにも気持ちのいい一日になった。このような穏やかな天気が時々信じられないほどに牙を剥くことが想像できないほどだ。朝ちょっとストーブを焚いたが、日が昇ってからは半袖シャツにツナギという服装で過ごしたがまったくもう寒さは感じなかった。
  最低気温 1.2℃ (05:53)、最高気温 19.3℃ (13:34)

 最近の暖かさでミツバチの活動が非常に活発になっている。まだ雄バチは見られないので順序からいうと分蜂の時期はもっと先なのだろうが、自分のハチウトから分蜂したミツハチが、自分のところに用意した新しいウトに入ってくれる保証は全くないようなので、逆に、どこか別の所から新しい巣を探しにやってくる群れがいつ来ても良いように、じっちゃいが持ってきてくれた重箱型のハチウトと、円筒形のハチウトに蜜蝋を塗って畑に設置した。(写真1写真2

 国旗を掲揚するポールが短くてアンテナなどに絡んで旗の布地を傷めがちだったので少し長いポールに取り替えた。大分高くなったので、我が日章旗、今まで以上に翩翻と翻えるようになった

 一月ほど前の校外授業で、土地改良区の皆さんが準備してくれた魚のつかみ取りがあり、娘がフナ二尾を持ち帰った。そのうちの一匹は間もなく死んでしまったが、残りの一匹だけはメダカを飼っていた水槽で育てていたが、これも傷があってあまり元気がよくないので、放してやることにして、娘と放流場所を探しに出掛けた。近所には小川や用水路は沢山あるが、みな護岸工事がしてあって魚にとってあまり良い環境では無い。馬場と豆札の間にある豆札川の堰にようやく深い場所があったので、そこに放流してやった。これでフナのために小さな水槽に仮住まいしていたメダカも元の場所に戻ることが出来る。

 あまりの気持ちの良さに昼飯を庭先で食べることにした。日差しが強いので直射日光を遮る工夫をしてやったのに太郎は寝てしまったので三人だけの昼食になった。

春景1春景2

ジョウビタキではないな、庭先にやってきた野鳥(写真1写真2

平成23年4月9日(土)

 ますます春である、もう二三日前からストーブも焚いていない。朝のうちは雲が残っていたが時間を追うごとに晴れあがってきた、ただ今日も時々強い風が吹いていたので、コイノボリは途中から半分おろした。
 最低気温 10.3??℃(05:48)、最高気温 16.7℃(15:01)

 今日はパイプにボール盤で孔を開けたり、ちょっとした工作をしたが意外と手間取ってしまった。

 娘は最近、しょっちゅう、我家とクラスメートの家とを交互往ったり来たりして女の子同士で遊んでいる、成長につれてだんだんと外での付き合いが増えて行くのだろう。


平成23年4月8日(金)

 朝のうち、曇り、間もなく雨、夕方まで静かに降り続いていた、雨量10ミリ近く。
   最低気温 10.6℃(06:38)、最高気温 15.0℃(14:26)

 今日は小学校の始業式である、今にも降り出しそうな中、新学期、子どもたちは元気に登校して行った。校長が新しく来られ、新3年生の娘の担任も新しく替わられたそうだ、杉本先生、先日転出される先生方の送別会で偶然にも小生の隣りに座っていらした先生である。ようし!勉強するぞと娘は張り切っている。

 来週月曜日が入学式だそうで、火曜日から新一年生が加わった登校班で登校する、なんとなく楽しみである。

 本日、その他特記事項無し。


平成23年4月7日(木)

 晴れ後くもり、夕方にかけて雨に向かいつつある。今日は最低気温が非常に高かったようだ、それに最高気温も多分、この春一番では・・・・
  最低気温 7.9℃(01:34)、最高気温 19.9℃(12:15)

 そして今日も終日風が強かった、最高12.5m コイノボリは半旗状態で揚げた。

 更に、強風でマルチが一列ペロリと見事に剥がれていた。注意したつもりだったが、一部に隙間があって、強風に一気に剥ぎ取られたのだと思うが、幸いに片側はしっかりと土に埋まっていたので、カミさんと二人で風が瞬間的に止むのを待って、一気に被せて、土をかけて復旧した。

 随分久しぶりにプールに行った。1000mくらいまでは快調だったが1500mを越えるあたりからヘロヘロになった。66.3。

 明日は娘の学校の始業式である、春休みがようやく終わる。ようやく、というのは親にとってであるが、娘にとっては、もう、であろう。熊本市内などは今日あたりから始まっているうようだが。

 この非常に小さな野草は何でしょうか(asobowzzどの毎度恐縮です・・・・・>はこべ/別名ヒヨコグサ)。

 一日遅れの定点観測、9.6キロ。いつも父ちゃんと二人で静かに入浴しているのに、この日は、家族中でワイワイガヤガヤするので、いつも泣きべそである、意外と小心者か。


平成23年4月6日(水)

 天気は素晴らしかったが、風が強かった、午後に入ってからコイノボリを半分降ろしたほどだった。朝はまだ氷点下になる、余りの寒さに、ミツバチが仮死状態でウトの外に数匹転がっている。いつも死んだのかと思っていると、気温が上がってくるとモソモソ動き出す、つまり仮死状態なのだ、面白いものである。
   最低気温 -1.2℃(05:40)、最高気温 19.4℃(14:42)

 ムラサキケマンをネットの画像で見ていたら、娘が、私たちもクラスの友達と今調べているところ、とスケッチブックを見せてくれた、それはタツナミソウじゃなかとね、と言う、検索すると確かに似ている、でも葉が違う、これはやはりムラサキケマンだよ、と言うと、そうだねと納得していた。ついでにこれはなんね、うーんこれは何だろうか(asobowzzどの・・・・・ヒメオドリコソウ)。

 娘が3年生に上がると、学校で許可されてる自転車での行動半径が広くなる。2年までは自宅敷地から出る事は出来なかったが、今度は分団内は自転車で行けるようになるらしい、ということは馬場まで行ける、結構距離がある、ということで、今日はその準備で自転車を掃除していた、ちょうどその頃、暇な?大人が二人ブラリとやってきて自転車の掃除を手伝ってくれていた

 息、ポリオのワクチン接種に母親が連れてゆく、ワクチンは飲むタイプだそうだ。
 本日、息、誕生9ヶ月目、定点観測撮影はタイミング合わず、順延とする。

 娘の水泳教室、今日から送迎バスに乗ることになった。夕方、組内の健太郎君、直樹君兄弟と送迎車に乗って出掛けた(帰りはシャワーで温まるために別途迎えに行く)。

 電子レンジが壊れた、もう軽く10年は使っている、以前にも一度修理した、また修理すると直るかもしれないが修理費を考えたら、もうそろそろお役御免だろうと思ってネットで調べたら、昔だったら100kくらいしたものが驚くほど安くなっている、デフレの影響だろうか、結局、国産メーカー品を送料込で28k台で取り寄せた。ついでに前のやつは無料廃品回収に持って行った。この無料廃品回収とは如何なるものなのだろうか、家電製品はリサイクル法とかで販売店で回収費を取られるが、こういった無料で回収する業者はどうするのだろうか、スクラップで売ってもペイするのだろう、基板にはレアメタルが沢山使われているので、採算が合うのだろう、ということは、家電リサイクル法とは一体なんぞや(電子レンジは同法の適用外だそうだが)。今日「捨て」に行ったところには、テレビが山と積んであった、まだ十分に見られるのに地デジ化で買い替えて廃棄したものだろう、実に勿体ないことをするものである、そういう人たちに訊ねたい、お宅には他にも何台もアナログテレビがあるでしょう、それを全部自腹で地デジテレビにするのですかと。我が家にはパソコンのチューナーまでいれると10台はある。


平成23年4月5日(火)

 今日は最高の快晴(という言い方はあるだろうか)で、風も適度に吹いて快適な一日だった。  最低気温 0.4℃(06:40)、最高気温 17.8℃(14:23)

 午後にはミツバチがウトの入り口に勢ぞろいしていた、多分、ウトの内部の温度が上がったので、一斉に羽で風を送ってクーリングをしていたのだろう。

 今日、隣家の渡さんのお孫さんのコイノボリが揚がった。渡さんの次男坊の二男君の初節句だそうで、坂本棟梁や桐原さんが朝から作業をして、昼前に無事に立った。(写真1写真2写真3写真4写真5

 二軒並んでのコイノボリである、小生にとっては、子のだが、組内でのカウンター・パートナーにあたる渡さんのところでは孫になる、それでも過疎地帯で、少子化のなかにあってこれは快挙だろう。

 ほぼ一日かかりで、遅れに遅れの、そして、手抜きのジャガイモ植えをした。マルチかけの時には珍しくカミさんも手伝った。

 昨日、管理機がどうしてもエンジンがかからなかった、これが動かないと畝立てを人力でやらなければならない、これがなかなか重労働である。どうしても動いてくれないと困るので、今朝はカミさんのドライヤーを借りて、キャブレターあたりを徹底的に温めてから始動したところ、それが功を奏したのかどうか分からないがエンジンが掛かった、考えてみたら一年に一度くらいしかエンジンを掛けないのだからよく掛かったと言うものである。
 
 種イモは本来一個を二つ割りだとか三つ割りにして植えるが、小生は植える時も収穫の時も作業量がふえるので、そこそこ採れればいいと思って、いつもズボラ農業、割らないで一株に一個丸々植えていたが、今日、作った畝に種イモを並べてみると、畝が余る。そこで、空いている分だけ種イモを半分に切って、畝全部に植えた。種イモは断面に灰を塗ると腐らないと聞いているが本当だろうか。

 赤線の部分の空いたところにメイクイン、黄色線の部分に男爵を半分に切って埋めたた。従って都合、東側3列〜男爵 34株×3列=102、西側2列〜メイクイン 35株×2列=70 合計172株となった。種イモを一個ずつ穴を掘って埋めては、隣りに移動する、その度にしゃがんだり、立ち上がったり、スクワットの連続で、いつも農作業と言うのは足腰の仕事だと思う。

備忘録
 東側3列に生分解マルチを使う、生分解マルチが無くなったので西側2列は非分解型を使う、後始末の時に気を付けるように。

 福島第一原発、とうとう放射能汚染水を海に放出し始めた、黒潮は基本的には南から北に向かって流れているからすぐにはこちらには来ないが、黒潮再循環流というのがあって南に向かう流れもあるという。50年ほど前に読んだ西村寿行の推理小説にあったような気がする。そうなると九州も他人ごとでは無くなってくる、夕方のニュースで魚に結構な量の放射能検出され始めている、そりゃあ、そうだろう、政府の発表、何処まで信じていいのか疑心暗鬼になる。それよりも放射能を世界中にばら撒くことになるのだろう。その前日だったか前々日だったか、言ってみればオムツに使うポリマー(樹脂固形剤)にオガクズなどを入れたりして漏水を止めようと試みたが、失敗している、原発、先端技術が集まっているはずの場で先端技術には違いないがオシッコ凝固剤か、なんだかなあ。


平成23年4月4日(月)

 快晴。最低気温 2.0℃(06:04)、最高気温 13.2℃(15:01)。
 思ったほど気温は高くなかったようだが、気分的には風が強かったにもかかわらず非常に暖かく感じた。

 豆札の標準木、我家のソメイヨシノ(以前宿場會の植樹事業で植えてもらったもの)がようやく開花した。本日開花宣言である。もっとも小生がそう決めたのであった誰も認めているわけではない、多分豆札にはヤマザクラはあるがソメイヨシノはないのではないかと思う。(写真1写真2写真3

 寒い寒いと言っていたが、いつのまにかしっかりと春が来ていて、庭先の名もない野の花たちが何種類も可憐に花を咲かせている。名もないとは言葉の綾で、まあ、小生が知らない花も結構あることはあるが。これはスミレか、それから、イヌフグリか、ホトケノザこれは何だったろう(ムラサキケマンだそうです、asobowzzどのより)以前教えてもらったと思うが、それからこれ(カキドオシだそうです、同)、などなど。

 そして、とうとう恐怖のタケノコが出てき始めた。今日は一本しか目に付かなかったので、さっそく今晩の食卓にのぼった、土佐煮である。

 今日はここでは珍しく終日、東の風だった、それも10メートルを超える強い風が吹き続けた。あまり風が強いので少し心配になって、コイノボリを降ろそうとしたところ、途中でロープが絡まったか何かで、揚げる事も下げる事も出来なくなってしまった。どうしても下りなければ柱を倒さなければならないところであるが、誰かが一旦立てた柱は倒すと縁起が悪いので絶対に倒すことはでけん、と言っていたのを思い出した。それでも降りなければ倒すのも已むを得ないところかと思っていたが、風が収まると自然に解けて降ろすことが出来た、冷や汗ものだった。

 朝一番で、e-taxにて22年分所得税の確定申告完了。

 午前中、ハチライブカメラの復旧作業。代替機を用意したが、ハウジングが合わず断念、そのうちに、結局何が原因か分からないままに今までのカメラ、最終的に接点復活剤でごまかして復旧させる。

 午前中、トラクターで畑を耕す、実はまだジャガイモを植えていない、昨年は今頃カミさんの親父さんが植えてくれた、今年はもう時間が無いので、二三日中に肥料無しで植えてみることにした。ジャガイモなんかもともとアンデスの荒れ地で育ったものだから良いだろう。管理機のエンジンがかからない、畝立てを人力でやらねばならないか。
午後、昨日、お向かいがわざわざ運んできてくださった杉の丸太を薪にした。

 朝一番で、e-taxにて22年分所得税の確定申告完了。

 福島原発事故、放射線の危険度、その発表が毎日少しずつ小出しにしているように見えてならない。

 今日もまた慌ただしく一日が過ぎた、時には「本日特記事項無し」で済ませたいものである。


平成23年4月3日(日)

 曇り、風が非常に弱かった、少しぱらついた。
  最低気温 5.9℃( 0:00)、最高気温 11.7℃(14:58)

 昨日燃やした竹林跡の残材、寝る前に、もう消えているかなと思って、窓から外を見てみると闇夜に二三個所、赤い火がチロチロしている。周囲には何も無いので放っておいても大丈夫だとは思ったのだが、気にし出すともうダメで、十時頃、懐中電灯片手に、放水したが、30分以上掛け続けても白い煙が一向に無くならない。まあそれでもこれだけ掛けたのだからと、昨夜はそのまま寝た。そして、今朝になっても消えておらず、一日様子を見たが、どちらかと言えば白い煙の量、勢いを増す気配、そして今日、夕方また消火活動をした。今日も30分以上水をかけ続けたが、一向に鎮火の気配なし、いわゆるSmokey Mountain状態になっていて、堆積物の下の方が燻ぶっているのだろう。しかたながないので今晩も放置することにした。あれだけ水を含ませたので大きく燃えがる事はないだろう。

 ミツバチ観測のライブカメラが映らなくなった、何処かのラインの接続部分だとは思うが特定できず、しばらく休止して調べることにした。

 今日も、T之さんからイチゴどうぞと電話を頂戴する。娘とカミさんが勇んで摘みにいって箱いっぱい貰って来た、娘を訪ねてきたクラスメート二人にもハウスを教えてやってそちらに行かせた、飛び入り参加で沢山摘んできたようだ。いやあほんとうにいつも申し訳ない。


平成23年4月2日(土)

 今日も穏やかに晴れる。
   最低気温 4.3℃( 0:18)、最高気温 16.8℃(12:46)

 久しぶりに一日中、裏の竹など残材の焼却をして過ごす。自分の苗床の準備で畑に来た今朝春さんも一緒になって燃やしてくれたので、かなり広範囲を一気に燃やすことが出来た。一人だとあまりあちこちに火を点けると心配だが、応援がいてくれると心強い。また空気が非常に乾燥しているので、すぐに飛び火をするので、ホースを引っ張ってきていつでも水が撒けるようにして作業をした。先日、地金と大量にあったタイヤを処分してくれたのでかなりスッキリしてきた。

 乾燥注意報が出ているせいか、今日も、阿蘇山麓のキャンプ場から出火した、他にも一件林野火災があった。

 昨夜、22年分の所得税確定申告の作成が終わり、今朝、オンラインで申告をしようと思ったら、受付けが休みだった。確定申告の期間は24時間受付けだそうだが、それ以外の期間は、平日のみの受付けとなるらしい。月曜日に仕切り直しである。

 週刊誌によると、全国には東電の保養所がたくさんあるそうだが、真っ先に避難先として開放すべきであるのにしていないとのこと、更に、福島原発の敷地内かその周辺だかにホテルのような立派な宿泊施設があるそうである(Jビレッジというそうだ)が、命がけで注水消火にあたっている消防署員や作業員たちは食堂などの冷たい床で寝泊りをしていて、階上にある宿泊施設にはカギが掛かっていて入れないようになっていると言うことである(一部お偉いさんたちは上で寝ているとも書いてあった)。なんでもまた復旧後に使うために汚されないようにだとか、この期に及んで再開などとまだそんなことを言っている東電の感覚にあきれるばかりである。知らなかったが、東京日野市に東電学園という企業内学校があったそうで、今はもう閉校していて、広大な敷地に立派な宿泊施設が使われずに今も残っているとも書いてあった、腹立たしい限りである。<参考 http://www.tawatawa.com/densen2w/page014.html>


平成23年4月1日(金)

 更にまた一段と暖かくなった、一度に春が来たという感じだ。このまま春になるのだろうか、また一時的に冬に戻るのだろうか。

  最低気温 -1.4℃(05:57)、最高気温 19.6℃(12:10)

 混沌としたなか、新しい年度が始まった。

 自衛隊が確か10万という過去に例のない大規模出動をしているにもかかわらずその奮闘ぶりが一向に報道されないと思っていたところ、ようやくNHKのニュースで少し紹介されていた。自衛隊の活躍もそうだが、原発事故の鎮静化のために現場で果たしてどれだけの人数がどういうシフトで命がけの作業に従事しているかもあまりよくわからない。一方で、原発の断面図のイラスト、こういつも同じ調子で、同じ解説員に説明されるのもいい加減見飽きた、もう誰でも知っているぞ。

 今回のような大災害の時でもないとその機会は絶対にない、まさに奇貨であると思う、この機会に日本の商用電源の周波数一元化が出来ないだろうか、地デジ化に注ぎ込むエネルギーがあれば出来そうなものだが、まあ、東京が大震災や空襲で丸焼けになった時でさえ都市計画をしなかった、今回もしないだろう、そこまでの余裕は無いだろう。

 今回の大震災、閣議で「東日本大震災」と決めたそうだ、NHKが東北関東大震災と言い、民放は別の言い方をいていたと思う、NHKの影響力のほうが大きいから、そのうち東北関東大震災で統一されるかと思っていたが違った。

 まだ所得税の確定申告をしていなかった、全額還付に違いないので期限までにしなかったが、だからこそ早く還付してもらった方が良かったのだが、なんとなく億劫で延ばしていた、余り延ばすと住民税の計算に支障が出るだろうからと、ようやく作り始めた、e-taxも初期のころに比べたら随分と入力しやすくなったものである。


 コイノボリにもう一枚絵旗を加えた。本当ならこの旗にも家紋と名前を染め抜くらしいが、(コスト高にもなるしが主な理由だが、)名前のオンパレードで、あまり大仰になるのでやめた、絵旗の上半分が白抜きで、見る人が見るとちょっと気になるらしいが別におかしくないと思うが。



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