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平成23辛卯(2011)年6月の記録(新しい日付けの順)


平成23年6月30日(木)

 晴れ。午後に入って一時間ほど雨と雷が通り過ぎた。

 午前中、カミさんが畑に出て草取りをしていたので小生は屋内で息の相手をして過ごした。

 2号ウト、いよいよ重症のようである。ここ二日ほどいやに蟻が行列を作っているなと思っていたが、今朝、覗き窓を開けてみたが、床に蜂子死屍累々、それに蟻がたかっていたのだ。床板を取り出して綺麗に清掃して消毒をしておいたが、さてさてこの後どうなることやら。

 更には、ここだけは大丈夫だろうと思っていたJA1号ウトまで、とうとう蜂子出しが散見され始めた。とにかく早く梅雨がスッキリと明けて、晴天になることが一番待たれるのではないかと思うが。

 e鴨氏がウト制作の見本にしたいからと、小生が作った重箱式を一つ持って帰った、寸法を取ったり、氏独自の工夫をしたウト作りをするのだろう(が、本当に作るのかなあ・・・・)

 夕方から家族で阿蘇神社に出かけた。本日6月30日は夏越祓(なごしのはらえ)と言い、紙で作った人形に息を吹きかけ、境内に設けられた大きな茅の輪(ちのわ)をくぐってこの半年の罪のけがれを祓い、夏以降の疫病除けを祈願する。

 小生と娘は過去にも参拝しているが、太郎はもちろん初めてであるが、カミさんは今回初めてだろう。日本の伝統行事(神事)、それほど深い宗教心があるわけではないが何故だか心が落ち着くものがある。暮らしの歳時記の様なものである。

 ラジオで聴いたが、この日には京都では昔から水無月という和菓子を食べるらしい。京都だけかなと思ってネットで検索したところ、熊本でも有名な和菓子屋では売っているらしい、阿蘇の菓舗ではどうであろう。この大祓という除災神事、6月と12月の晦に執り行われるが、12月のそれは年越の祓(としこしのはらえ)という。

夏越祓 連続写真 (16枚)


平成23年6月29日(水)

 雲があったが晴れ、今日も暑かった。下界は6月だと言うのに大変な暑さらしい。
   最低気温 20.7℃(05:07)、最高気温 28.7℃(12:34)

 U村さんから神石で欅の枝打ちをすると連絡が入ったので出掛けて二回ほど薪材を運ぶ、幹が太いので枝と言っても結構太い。この欅もいずれ倒すそうである。


平成23年6月28日(火)

 鹿児島地方気象台は、「鹿児島と宮崎の九州南部が梅雨明けしたとみられる」と発表した。1955年に次いで観測史上2番目に早い梅雨明けだそうだ。ここは九州を南北に分けた場合は北部になる、従って今日の梅雨明け宣言には含まれない。しかし、小生はもう梅雨前線が東北方面に上がった数日前に梅雨明けをしたと思っている、たまたま台風の余波で天気が悪かっただけだと思っている。どうせ日を置かずしてここも公式に梅雨明けとなると思っている。 

 ということで、今日は晴れ、そして、暑くなった。予報では阿蘇も30℃になるだろうと予報していたが、ギリギリその手前で踏みとどまった。ここでは簡単には30℃を越えない、30℃という線引き、これは結構簡単には突破できない線なのだ。

    最低気温 22.7℃(04:56)、最高気温 29.0℃(14:35)


 今日の気温にしては非常に過ごしやすかった、湿度が低くて風があり、風はヒンヤリしていたからだ、そして、今年の夏は下界は大変だろうなと思った。

 そんななか、今日は下屋の整理と、キャブタイヤの長さ調整をした。15メートルを10メートルと5メートルに切り分けてジョイントを取り付けた。22スケのケーブルである。

 キャブタイヤ、一般的にはキャップタイヤというが、キャブ(Cabtyre)が正しいと言うことを今回初めて知った(キャップのプは半濁音の(pu)である、わざわざ断り書きを入れたのは、puもbuもカタカナにすると半濁音、濁音記号のフォントが「°」か「゛」か見難いからである)。


 これを書いていた午後9時20分頃、突然、下からドスンと突き上げるように家が揺れた、ラジオが熊本地方で震度4だと言っていたが、ここはそれほどでもなかった、震度1か精々2くらいだったが直下型だった、めったに地震がないのでドキッとした。


平成23年6月27日(月)

 時々でも、間断なくでもなく、思いだしたように強めの雨が降る。雨雲が「まだら」状態なのでだろう。台風5号、黄海に入ってから急速に速度を落として、今日午後になってようやく北朝鮮に入ってから温帯低気圧になったようだ。九州地方、台風の直接の影響では無くて、そこに向かって流れ込む南風の影響で天気が不安定な状態が続いているようである。ただ、予報で言っていた大雨はここでは降らなかった。

 朝一番で、宇治歯科に歯のメンテナンスに行く。

 午後、e鴨氏が顔を見せたので、ちょっと手伝ってもらって1号ウトを覗いてみた。ほとんど床に接するばかりに巣が大きくなっていた。最近時々蜂子出し現象が見られるので、ついでに還元水を噴霧しておいた。その噴霧でハチを脇に動かしておいて巣を観察したが、王台は無かった、これで、分蜂は無いと言うことが分かって気分的に落ち着ける。ただ、ちょっと欠けているところがあったので、これは王台の跡だろうか、ということは分蜂間近まで行って何らかの事情で中止したのかもしれない。

 2号ウトにも還元水を噴霧しておいたが、まだ蜂子出しは続いている。

 e鴨氏のあと、引続いてやってきたU村氏に、また1号ウトを傾けて巣を披露したが、そう何度もやられては迷惑だとばかりに、一匹が半袖姿のU村氏の腕を刺した。

 駅前の某鉄工所からテストピースが出来た旨の連絡があったので受取りに行ってきた。
   軟鋼板 下向き突合せ溶接練習テストピース
     9t  125×150  6枚 (開先角度 30°〜 35°)
     6t   25×160  3枚 (裏当板)

     9t   200×150  3枚 (開先無し、運棒練習用)



平成23年6月26日(日)

 曇り、一時ちょっと降ったが、予報と全然違った。台風5号は予想コースどおりに東シナ海から黄海、朝鮮半島へと進んでいるが、その影響で、強風注意報と大雨の注意報が出ていたと思うが、確かに風はあったが、普段でもこのくらいは吹く、雨に至っては少しパラついた程度で予報とは全く違っていた、夕方の予報でも大雨が降ると言っているのでおそらく夜にかけて降るのかもしれないが、ちょっと大袈裟な予報だった気もする。

 先週、雨で順延された区役の草切りがあった、日が射さず、風があって、いつもならこの時期の草切りは猛暑に苦しめらるところ、随分と楽だった。が、はやりへとへとになった。

平成23年6月25日(土)

 朝から気持ちよく晴れ渡って、もう、梅雨明けだろうと思うような天気になった。
夕方、にわか雨があったが、これは夕立だと思えば、もう完全な夏の一日だと思うが、やはり梅雨明けはまだなのだろう。台風5号も東にぶれること無くうまい方向に進んでくれている
   最低気温 20.4℃(05:05)、最高気温 28.9℃(13:16)

 今日はクラスの親子レクレーションがあり、母子で参加してドッジボールを楽しんだようだが、おじいさんは山に柴刈りに、で、滝室坂近くに薪材を取りに行った。欅を一本倒したからと少し前にU村さんから連絡をもらっていたが、雨続きで行けず、今日出掛けたが、太すぎて暑さに音を上げて一台分だけ積んで今日は作業終了にした。

 この近くに、阿蘇谷を見下ろす見晴らしのいい土地があり、管理を任されているU村さん曰く、「なんなら、ここいいよ」、師匠なんかどうだろうか。


平成23年6月24日(金)

 梅雨前線が東北方面に上がっていて今日もここは雲が多かったが青空も見えて暑い一日だった。それでも風があるので苦になるほどでは無かったが、なんでも熊谷では39.8℃だったそうだ、信じられん。

 素人目にはもう梅雨明けをしても良いような気がするが、大気が不安定と見えて雲が乱れていた。竜巻注意報もだされていた、それでも夕方には久しぶりに五岳が綺麗に姿を見せていた

  最低気温 22.4℃(04:43)、最高気温 29.4℃(14:25)

 午前中はいくつか家事をこなし、午後から少し道楽をする。焼肉用のプレートが焦げ付いて、カセット式のトーチで焼きつくそうとしたが、どうしても焦げが残って落ちないので、酸素・アセチレンの標準炎で加熱して燃やしつくそうとしたが、温度が高すぎてひびが入ってしまった。そういえば鋳物は均一に加熱しないと割れが入りやすいと何かに書いてあった。

 酸素・アセチレンをせっかく出したのだからと、ついでに、スクラップ材を適当に切って溶接の練習でもすることにして、2〜3片切り分けた。これも酸素・アセチレンの混合比と炎の調整と、切断スピードの関係ですぐに技量差がわかるような下手クソな切断になってしまった。切った鉄片にグラインダーをかけてさびを落としてから練習を開始した。

 溶接機の真打を使用する前に、ここに住み始めた頃確か当時6Kくらいで買い求めた家庭用の100Vの溶接機を、今回の受講した成果があるだろうかと思って試してみた。鉄片は6ミリ厚だが、この溶接機は3ミリ厚の板までと書いてある。しかし、ただビードを乗せるだけだから、これで良いだろうと、1.6ミリ棒で挑戦してみた。この手の溶接機は電流が極端に小さいので棒がすぐにくっついてなかなか難しいと言われていて、確かに以前はそうだったが、僅か1日半の技術講習だったが、伊達に受講はしなかったということが分かった。棒が細いので、あっという間に短くなるため、運棒に際してホルダーを棒の消耗に従って下げて行くペースが難しかったが、アークも苦労すること無く飛ばすことが出来た、溶け込みがちょっと足りないかもしれないがビードもまあまあ乗ったと思う。この溶接機も板が薄いものだったら、ほんのちょっとした溶接には十分に使えるということが分かった。(写真1写真2写真3

 真打溶接機には溶接棒側とアース側共に15メートルのキャブタイヤを使っているが、長いとその分電圧降下があり、取り回しも面倒なので、5メートルと10メートルに切り分けることにして、ケーブルジョイントを取り寄せた

 寝る前に今の窓ガラスを閉めようとみたら、網戸にホタルが二匹止まって光っていた、あれだけの雨で何処に避難していたのだろうか。


平成23年6月23日(木)

 今日も梅雨の晴れ間、晴れて暑くなった。ただ、今日は風があったので昨日よりは過ごしやすかった。大気が不安定だとみえて、時々不気味な雲が湧きあがりにわか雨が降ったりしていた。
     最低気温 23.3℃(04:58)、最高気温 28.9℃(13:21)

 午前中はカミさんが畑をやると言うので、息の子守をしながら屋内に居て、午後から、竹伐りをした。前回からたいして日数が経っていないのにまた竹林になりつつあった。これで確か三度目だと思うが、このような非生産的な作業は願い下げにしたい、生産的道楽になかなか時間が割けない。


平成23年6月22日(水) 夏至

   最低気温 21.2℃(06:09)、最高気温 29.0℃(13:57)

 梅雨前線が朝鮮半島の方に北上して、久しぶりに、不安定ではあるが、青空が広がった。その途端に、猛暑来襲?30℃近くまで気温が上がり、湿度が高かったので、皆さん暑い暑いと汗だらけになって農作業に勤しんでおいでだった。大気が不安定で、日中も時々、急にゴロゴロ鳴って、ザッと強い雨が降っていた。

 台風5号が発生したようで、米軍の予想によると東シナ海から黄海方面に進むようだが、台風の予想はだいたいいつも東の方にずれるので、上陸しなくても九州の西側を通るようなことなると風が強くなる。太平洋高気圧このまま頑張ってくれ

 今日、奄美地方が梅雨明けをしたようだが、このまま前線がまた下りてくること無く、ここも早く明けて欲しいものである。

 駅前にある、某鉄工所に練習用に下向き(A−2F)のJIS検定と同じ規格のテストピースを何組か注文に行ったが、この忙しい時にヘンな奴が来たなあと怪訝な風だったものの、小生の半端な注文を受けてくれた。

 太郎のやつ、最近一時も目が離せなくなったので、ネットオークションで探したところ、リーズナブルな「囲い」があったので取り寄せた。非常に広々としているので、このなかで好き勝手をさせておけば監視役は少しは楽になるだろう。

 県の浄化槽点検実施。


平成23年6月21日(火)

 曇り、時々雨。随分久しぶりに、ほんのひと時だったが雲の切れ間から青い空が見えて、非常に新鮮に感じた。まだまだ梅雨は終わらないようで、明日には又九州北部に前線が上がってくると言っている。

 ちょっと見ぬ間に、畑は草だらけ、刈り取った幼竹もまたいつのまにか生えてきている。今日の様な天気では外作業も出来ず、本日も休養日に充てる。

 みどりのおばさん。


平成23年6月20日(月)

 昨夜は寝つけずに午前2時ころまで起きていた、そして、その後も豪雨が屋根を叩く音で眠りが浅くて、実質一時間くらいしか寝ていないような気がする。

 激しい雨や雷は夜が明けきるまで続いて(写真1写真2)ようやく峠を越し、梅雨前線も少し南下したようだが、それでも、日中、何度も強い雨が降っていた、そして夜に入って、もう今夜は静かだろうと持っていたが、大雨警報が出されていて、また強い雨と雷とで、今夜もまた眠れそうにないか。6月に入って我が観測装置は午後8時過ぎ時点ですでに716ミリの雨量を記録している。

 ヘンな言い方だが、「古閑の滝」が滝になっていた。普段は水量が少なくて厳寒期の氷瀑が出来ないと遠くから見ることができないが、今回の大雨で、水が落ちる滝になって遠くからもよくその流れ落ちる姿が眺められる。普段からこのくらい流れ落ちていると良いのだが(もっとも、水量が多いと、阿蘇程度の低温では凍らないということになるだろうが)。

阿蘇山の火山情報について
 本年5月16日(月)に福岡管区気象台より発表されました噴火警戒レベル2(阿蘇山中岳周辺約1kmの立入規制)は、6月20日(月)午前11時に解除されましたので火口見学が可能となりました。
 なお、風向き等によっては、火山ガスの影響により火口見学ができない場合がありますのでご了承ください。
(阿蘇火山防災会議協議会)



平成23年6月19日(日)

 梅雨前線がちょうど熊本あたりに停滞したまま動かない、熊本の南部を中心に激しい雨が降っていたようだが、雨域が非常にまだらで、降らない時は全然降らない、熊本北部になる阿蘇にも、本日昼ころだったか大雨洪水警報が出されたが、出された時にはあまり降っておらず、その後も厚い雨雲は上空に無い、この警報、どうなんだろう、今晩を見越して出されているのだろうか。

 もう2週間くらいになるだろうか、トイレに置いてある水槽のメダカが卵を抱えていると娘とカミさんが言ってきたのは。昨年だったか、聡雄さんのお宅からメダカとエビを数匹もらって、その後、メダカが3匹、エビが2匹生き残っていたが、そのメダカのうちの2匹がメスのようで、毎日卵を産み続けていた。あとの1匹は産卵しないので多分オスかなと思って、果たしてこの構成で受精するのだろうかと半信半疑だったがともかくもホームセンターで藻を買ってきて入れておいたところ、結構な数の卵がそのまま水底に落ちて行ったが、藻に産みつけた卵も結構あった。受精するとすればどの段階でするのか分からないが、そのまま入れておくと、メダカやエビに食べられそうなので、卵をうみつけた藻をみつけては、小さな水槽に移しておいたところ、その水槽で昨日あたりから、小さなメダカが孵って泳いでいる。小生はいままで飼っている魚を孵した経験がない、まさにこれは生命の神秘だ。まだ沢山卵がついているのでこれからも生まれ続けるだろう。同じ水槽の中ではどうして入ったのか、メダカより3倍くらい大きいボウフラも身をくねらせているが、当初、それがメダカかと思った。

 今日は終日ゴロゴロして過ごす。

 高速道路の休日割引の1,000円ポッキリが今日限りだそうだ、これは非常に残念である(、と言ってもめったに長距離ドライブはしないが)、そのめったない家族旅行を先日しておいて良かった。


平成23年6月18日(土)

 今日も時々、激しい雨が降ったりやんだりだったようだ。特に南の方が激しかったようだ。今晩から明日にかけてまた降るらしい。

 今日は特別教育の三日目、最終日だった。以下に、三日間の内容をまとめて書いておく。

 阿蘇を下ってすぐのところにある大津町のコベルコの教習所で安全衛生法のアーク溶接の特別教育を受けた。今まで、ほんのいたずら程度に触ったことがあるくらいで、前々からたしなむ程度にはちゃんと溶接が出来たらと思っていた、そして、出来るならば、クランクアップタワーの基礎部分の鉄組の溶接をしっかりとした技術でやりたいと言う夢もあって、今回ふと思い立って申し込んだのだ。

 今回の受講生は全部で9名、小生以外は当然仕事で会社から派遣されて勉強に来ている現役の20〜30代の若い人である。三日間のうち、最初の一日半を講義に充てて、残りの一日半が実技講習である。この教習所では幾つもの講習が行われていて、屋外ではフォークリフトの講習も行われていた。

 第一日目(16日)は主に溶接技術の講義で、時々ビデオを交えた講義があった。そのビデオのなかで、日本溶接協会が制作したビデオがあって、実際の工場で溶接作業の始業点検をするシーンがあるが、画面を見ていたら、なんと溶接用具に管理者責任者の名札が貼ってあって、そこに「I 淵 武」とある、えっ?と思って見ていると、小生とは職種が違ったので明確ではないが、その映像のモデルになっている人は確かに I 淵さんだ、そうこうしているうちに、今度は別の名札が映っていて、「M沢行弥」さんだ、小生が十年余り前まで禄を食んでいた会社の工場が映っていたのだ、こんなところで「昔」と再会するとは、と非常に懐かしい気持ちでいっぱいになった。しかも小生がこうして受講生となって溶接を勉強することになろうとは当時考えもしなかったことである。

 特別教育の二日目(17日)。午前中は安全衛生法を中心とした座学、そして午後から待ちに待った実技講習に入る。(写真1写真2

 コベルコの溶接棒でZ-44という棒がある。非常にヒュームを少なくした棒だそうで、最初にその3.2ミリ棒を電流160Aで、母材の上をストリンガビード(直線)でビードを乗せて行く、ただ乗せて行くだけである。これはまあ、アークはなんとか出たが、小生はユックリのつもりでも運棒のスピードが早すぎて溶け込み不足でミミズの這ったような細いビードしかできなかった、それを二度ほど繰り返してから、今度はLB-26という溶接棒の、3.2mmを120Aに落として同じ動作をしたが、これが、また全然ダメで、溶接棒が母材にくっついてしまってにっちもさっちもいかない。(写真1写真2

 更にはその途中で一旦アークを切って、ビードを継ぎ足して乗せて行く実技もやったが、これが更にいけない。チョークで溶接線を引いていたが、アーク長が長すぎるのか、明るすぎて線が見えずにとんでもない方向に進む。それを何度か繰り返して、最後に同じくLB-26の4mm棒を180Aでやったが、これは比較すると、結構楽に出来た感じである(が、それとビードの出来とは小生の場合は一致しない)。

 最終日、朝のうちは、昨日に続いて、母材の上にビードを置いてゆく実技から始まった。昨日のストリンガービードに替わって、今日はウィービング(ジグザグ)でビードを置く実技だった。その後で、JIS検定の一番易しい区分に使われる実技だと思うが、V字開先をした中板に裏当てをして下向きで突合せ溶接をする実技と、水平隅肉溶接をして今回の実技講習は終わった。

 突合せ溶接は、正確にルート間隔をとって、裏板に仮止めしてから逆ひずみを作って、それから、ストリンガーとウィービングを混ぜて四層のビードを置いて行った。隅肉溶接の方も一層目は1パスで、二層目は2パスで三層目は3パスでビードを置いて行った。時々言われるままに溶接電流を変えた。

 最後の最後でようやくコツと言うものが分かりかけたような気がする、小生の欠点は、とにかく運棒が早すぎたということである、従って溶融池がほとんど出来ないうちに進んでしまうので、融け込みが少なくて、ミミズが這ったようなビードになる。溶融池をじっくり見れば、見ることが出来れば、それほど難しいものではないということであるが、それがようやく最後の方で分かったのだ。これは場数を踏めば解決できることで、なんとなく光明が見えてきた感じがする。今までいたずらで家庭用の100Vの溶接機でアークを飛ばしたり、点溶接くらいしかしたことが無かったので、今回の受講、非常に収穫が大きかった。基本的な溶接技術を極める?意欲が湧いて来た、そしてさりげなく言うと、我家で3.2ミリ棒を使ってバリバリ溶接が出来る環境が出来たのだ。

 極めて近い将来にこんなに腕が上がったぞと比較するため、before afterのために、惨憺たるビード痕を恥を忍んで載せておく、今に見ておれである。(この写真の後にはもうすこしマシになったが、写真を撮っていない、実習に使った鉄片、最後に記念に貰えるかと思ったがくれなかった、言えばくれたかもしれない。言えば良かった)(写真1写真2写真3写真4

 三日間の講習を終えて、ようやく、「汗」と「冷や汗」の結晶である修了証をもらった(写真1写真2)。会社勤めではないので、別にこれが無いと出来ないと言うことではないけれど、ちゃんと基本を習うと言うことが大事なことだと思うので、まあ、その証として大事に持っておくことにする。これで、今回のアーク溶接の特別教育とガス溶接の技能講習と小型車両系建設機械(ユンボ)の、これも特別教育だったかな、三つ揃ったぞ。これぞ男の遊びだ、血が騒ぐ。


平成23年6月17日(金)

 梅雨も小康状態、終日曇り。

 特別教育の二日目。午前中は座学、午後から実技に入る。


平成23年6月16日(木)

 梅雨前線の北上で、今日も大雨と、雷の一日になるはずであったが、どうだったのだろうか、それほどでもなかったと思う、それとも今夜あたりがそうなのだろうか。

 今日から三日間、安衛法の特別教育受講のために大津に出掛ける。今朝も早くから出掛けるにあたって、天気が気になったので、サーバーのシステム保護のために、万一の場合はこうして電源を落とせと、カミさんにシステムダウンの方法だけ教えて出掛けた。

 これはあくまでも緊急事態の場合で、内心では、多分そういう状況にはならないだろうという気もしたので、復旧方法まで教えないで出掛けた。事実、予想したように、大した雷では無かったようだが、カミさんはその兼ね合いが判断できずにサッサと落としてしまったようで、結局一日中自宅サーバー部分が停止して皆さんにご迷惑をおかけしてしまった。

 サーバーには過去10年分の、阿蘇に住むようになった記録の総てが詰まっている、坂梨宿の記録もある(が、これは管理殿の所にデータはあるはずだ・・・ということは同様に小生の記録も小生のPCに残っているということか・・・・)ので、もし落雷でサーバーがダメージを受けることにでもなると大変なので、ついつい神経質過ぎる対応をとってしまう。バックアップを取ろう取ろうと思いながら、未だやっていない。そんなときに災害はやってくるのだ。

 特別教育の内容は三日分まとめて後日記述するつもりだ。


平成23年6月15日(水)

 一時南下していた梅雨前線が再び九州にかかってき始めて、九州南部では激しい雨になっているようだ、ここ九州北部は朝から細かな雨が断続的に降っていたが、量的にはたいしたことなかったが、今夜から明日にかけて相当まとまった雨が予想されている。

 こんな日は外では何もすることが無く完全休養日となる。

 太郎のやつは、だんだん歩行器に収まり切れなくなっており、勝手によじ登って歩行器の縁に座ったりと一時もじっとしていない。下手をすると後ろに転倒しそうだが、上手に足を引っかけてバランスをとっているようだ、だからと言って放置するのは危ない、何かの拍子でひっくり替えりでもしたら、高い場所から後頭部をもろに床に打ちつけることになる。少しも目が離せなくなって、まだ歩けないのにそろそろ歩行器も卒業か。(写真1写真2

 娘の送迎は今日までとする。


平成23年6月14日(火)

 明日からまた雨になる代わりに、今日は晴れることになっていたが、思ったほど良い天気にはならなかった。

 昼ころ、e鴨氏が顔を見せたので、手伝ってもらって、2号ウトに還元水を噴霧した。夕方、見てみると、蜂子出しが続いていた。また、スムシの親であるハチノスツヅリガが巣の入り口にいたので捕まえようとしたが逃げられた。
 
 今日もツバメが縦横無尽に空を飛んでハチを捕食していた。ネットの何処かの蜂飼いの記に、人間より(だったか)昔から、ハチもツバメも共存しているのだから放置しているとあった、そうだよなあ、それが自然の営みだから放っておけばいいのだと、ちょっと気が休まる思いがした。いちいちやきもきしていたら、のんびりハチでも飼って、という趣旨に反することになる。何事も自然のままにで行くべきであろう。

 今日は分蜂があるかなと思って、畑仕事をしたりしながら、あるいは、椅子に座って居眠りをしながら屋外に居たが、夕方、一度、そいういう気配があることはあったが、結局今日も無かった、これも、自然体で行くことにする。分蜂したらした時だ、もし分蜂を見逃したらそれはその時だ。

 今日の畑仕事、先日の強風で、支柱を立てていなかったナスやピーマンなど、軒並みに地這い野菜のように寝てしまっていたので、優しく起こして支柱を立ててやった

 その他、塗装用の足場パイプを、今度予定している、家の西側に移動させた。これも何時になるやらである。

 今日も娘の足首の腫れが引かないので、送迎を車でした。

 先日、ソユーズで宇宙に行った古川飛行士の乗るISSが今晩、上空を通過すると言うので、午後8時20分過ぎに外に出てみたが、薄い雲がかかっていて見えなかった。そのかわり、我家の畑に迷い込んだホタルを見た。どのくらいいるだろうと裏の川に行ってみたが、先日の大雨による濁流でどうなったかと心配していたが、どこでどうやって生き延びたのか、結構の数のホタルが飛んでいた。

平成23年6月13日(月)

 天気が回復に向かっている今朝あたりからなんとなくそんな雰囲気があったが、午後2時ころ、急に巣から沢山のハチが出てきて一部はブンブン飛び回り始めた、いよいよ分蜂開始か、と思って観察していると、そのうちに急に静かになってしまった。そして、約一時間後、また、同じように騒ぎ始めた。最初の時は気温が少し低かったが、二回目は気温も上がり、日が射し始めたので、今度は本気かなと思った。

 しかし、今日は放課後、娘を学校で拾って医者に連れて行かなければならず、カミさんに注意をしておいてくれと頼んで出かけた。そこが、もう、分蜂取り込みの初心者でなくて、そろそろ中堅に達しつつあるところで、万一分蜂だとしても、そうすぐには飛び去ることは無いということが分かっていたので余裕を持って後を託したのだった。医者から戻ると結局今日も分蜂は無かった。結局何だったのだろう、何かが引き金になるのだろうが、その何かが今日は無かったのだろう。明日もう一日晴天が予報されているが、ハチはそのことを知っているのだろうか、そのあとまた雨になるぞ、やるなら明日しか無いぞ。

 そういった一日だったが、以前、師匠から、ツバメがミツバチをよく食べるということを聞いていたが、今まであまりその光景を見ることが無かったところ、今日は沢山のツバメが飛び交って、次々に空中でミツバチを捕食していた。いままで、ハチの存在に気がつかなかったので、飛んでこなかったのだろうか、一旦ここにミツバチが沢山いることが分かった以上、草刈り場になるのだろうか、そんな中、今度はスズメバチの女王が一匹飛来したが、ハチの乱舞に恐れをなしたか、すぐに飛び去った。あれもこれも食物連鎖だということで、それも数のうちに入っているのだろうが、分蜂の時に、女王蜂がやられでもしたら一巻の終りになるので、気が気では無い。いままでツバメが巣を作るご近所の家を見ては羨ましくて、なんとか我家の軒先にも巣を作ってくれないだろうかと思っていたがそうはいかなくなってしまった。

 カミさんが煙突の中でスズメが落ちて騒いでいるわよと言う。そんなことは無いだろうと屋根を見上げると、今回の強風で雀除けに煙突に被せてあった袋が飛んでしまっていた。すぐにまた袋を被せてから、ストーブの中で騒いでいるスズメを開放してやった。

 娘の医者通いのことだが、旅先で寝ている間に、蚊だと思うが、刺されて、また足首付近が大きく腫れて化膿して、歩けないくらい痛がっている。今朝も学校まで車で送って行った。アレルギーなのだろうが、よく分からない。ちょうど学校の健康診断で、アレルギー性鼻炎と診断されて、耳鼻咽喉科で、ついでに、血液検査をしてもらっているので、何か分かるかもしれない。

 村のM士さんのお宅の馬の母子の写真を撮る機会があった。

 コイノボリの柱のてっぺんの名前旗が、強風でやはり破れ始めた、いずれ吹き飛ばされる運命にあるようだが、それはそれで良いのだそうだ。

 夜、坂梨宿場會6月例会出席。


平成23年6月11日(土)〜
 平成23年6月12日(日)


 この二日間は大雨だった。私設観測の記録によると、午後6時半現在の本日雨量が約157mm、二日間で300mmを越えている。さぞかし猛烈な雨だったのではないかと思うが、この間旅行に行っていて不在だったために、自宅での雨の恐怖の実感が無い、家に居たら、不安で堪らなかったのではと想像する。旅行から帰ってきた午後5時頃には雨の峠を越えてようやく小康状態になっていた。

 ただ、ボンの家が床下浸水で、ずぶ濡れになって我々の帰宅を迎えたので、特別に、下屋に移してやったが、もともと、己が地面を掘って小屋を沈下させてしまったのだから、自業自得なのだが、犬に言ってもしょうがない。事前に小屋内で水平に床を少し上げやっておいたが、猛烈な雨の降り込みでずぶ濡れになったのだろう。

 前々からの計画で、雨を承知で、昨11日、家族旅行で山口市の湯田温泉に出掛けた。前回の萩行きのリターンマッチであるが行く前から前途多難が予想できた。前夜の20メートル近くの強風のために、上にブロックを置いていたにもかかわらず空のハチウトが二基倒れてしまっていた、幸いにハチが居るウト三基は無事だったが。そして朝からの強い雨で、既に各地の被害が伝えれられていて、九州自動車道は熊本IC〜南関ICが雨のために通行止めになっていた、まあとにかく行ってい見ようと、渋滞の一般道を通って南関ICから高速に入った。この区間はちょっと雨が降ると直ぐに交通止めになってしまう、もっとちゃっと作れといつも思っている。

 家を出たのが、朝9時過ぎで、南関ICから自動車道にはいったのは途中昼食を摂ったこともあって既に午後1時を過ぎていた。熊本は大雨だったが、北上するに従って雨は小降りになって、関門海峡あたりでは日が照って暑かったくらいだった(写真1写真2)。結局、湯田温泉「かんぽの宿」に着いたのは午後5時で(写真)、わざわざ泊るだけのために出掛けたようなものである。まあ、最初からわかっていたことであり、娘は、家族旅行で旅館に泊るのが嬉しくて仕方が無い風(写真)で、それだけでも出掛けて良かったということである。娘が途中一番歓声を上げたこと、九州北部を走っていて、山の上までビッシリ家が建っている風景を見た時。なるほど、阿蘇では想像が出来なことである。

 翌12日、つまり今朝、旅館でのニュースで、熊本地方は今日も大雨だと伝えていたので、また帰りの高速が途中で通れなくなるのは分かっていたので、朝食を済ませるすぐに、帰ることにして、瑠璃光寺だけを眺めてからすぐに高速に乗った。小生にとって山口市は唯一と言って良いくらいの未踏の地で、一度行ってみたいと思っていたところである、緑が多く静かな佇まいの街で歴史遺産がたくさん残っている、瑠璃光寺の五重塔は素晴らしかった、是非もう一度ゆっくり出掛けたい所である(写真1写真2)。

 山口を発つ時にはそろそろ雨が降り始めていたが、九州に向かって走るほど雨足が強くなってきた。途中、門司で降りて門司港のレトロ街で買い物をして、3号線で小倉を通って八幡から都市高速に乗って九州自動車道を南下した。途中、交通情報で、熊本の植木ICから御船ICまで通行止めだということを聞いたので、鳥栖JCで大分道に入って、日田で降りて、杖立温泉を通って帰ってきた。大分道はともかくも、日田から阿蘇に抜ける路、R212が山間部の杖立川沿いを走っているので通れるかどうか大いに心配だったが、どうにか無事に通れたが、途中の川は濁流が渦巻いていた

 帰着はジャスト午後5時、総走行距離631q。


平成23年6月10日(金)

 午前中はなんとかもったが昼ころから予報通り雨になり、一時雷も鳴った。これからしばらくの間まとまった雨が続くようである。

 雨の間にまた竹がはびこると思い、午前中、雨が降る前に集中して、竹を刈り取った。またどうせ、しばらくすると元に戻るのだろうが。beforeafter

 久しぶりに、阿蘇郷土史愛好会例会に出席する。


平成23年6月9日(木)

 今日も湿度は高かったが良い天気だった。
    最低気温 16.8℃(05:48)、最高気温 24.5℃(14:18)

 家周りの竹を切ったり、草を切ったり大いに汗して働いた。竹は切ったと思ったらアスパラガスのようにすぐに生えてくる。

 東側の塗装足場の撤去と、ダイポールの支柱の撤去(写真1写真2)、これも結構な肉体労働である。

 馬場の後藤祐輔さん祐次郎さん父子が今年もアイガモを田に放った、アイガモ農法である、いつもは、こどもたちが一緒で賑やかだが、今年は残念ながら学校があったのでちょっぴり寂しかった。来年は、休みの日にしようかとお二人で話していた。(写真1写真2写真3写真4

 2号ウト、昨日、かなり乱暴に還元水を噴霧したが、今日、何事も無かったように活発に離発着していた。あれほどの強アルカリ液、昆虫には何ともないのだろうか。今度は本格的な噴霧器を使って奥の奥まで、巣からハチまで全部にたっぷり噴霧して見ようか。

 1号ウトはグミの木の下に在る。そろそろグミの実が赤く熟れてきだした。毎年カラスなどがグミの実を狙ってやってくる、今時、グミなど誰も食べないので、鳥が食べつくすのは構わないのだが、ハチを狙わないかと少し心配である。果樹の根元にウトを置くのもちょっと考えものである。


平成23年6月8日(水)

 やはり梅雨の期間なのだろう、スッキリとした晴れとまではいかなかったものの、久しぶりの晴れだなあと思ったら、雨は昨日だけだった。
       最低気温 16.7℃(01:33)、最高気温 24.4℃(17:32)

 先日切った竹もまた生え始めている、やることは沢山あるのだが今日は屋外作業のエンジンがかからずに、特に何もしなかった。というのも、晴れて、気温が上がり風も無く、湿度も高く(が良いのかどうか知らないが)、ハチがソワソワしている風に感じて、1号ウト、もしかしたら分蜂があるかもと気になりだして、結局、ウトの周りをウロウロして一日が終わった。その他、2号JA1号、皆活発に離発着を繰り返していた。

 前回、2号ウトの還元水による消毒から一週間以上経っているので、夜、ハチが巣に入ってから、今日は巣の奥まで還元水を噴霧しようと、ウトをおもむろに横に倒して、開口側に回ってみて驚いた。巣の奥の方に固まっているとばかり思っていたら、床面にワンサカと山になっている。倒す時には向う側に居たので、開けた瞬間にどういう状況だったか分からない、ゆっくりだが、倒した時に、移動して出てきたのだろうか。

 この状態のまま、思い切って奥の方まで還元水を噴霧して、さて、どうしたものか、このまま重箱を起こせば、重箱の枠に挟まれて大量虐殺になってしまうと思って、しばらくみていると、ゾロゾロゾロ、塊となって巣の奥に移動し始めた。慌てて箱を起こさなくて良かった。最後に少し残っているやつは箒で払って挟まれないようにして、元の状態に戻したが、さて、この荒療治、明日になってどいういう影響が出るだろうか、集団脱走するだろうか。(写真1写真2写真3

 奥(つまり上)の方に綺麗に何枚もの巣が出来ているのが見えた。ただ、今夜、還元水噴霧の前に、巣門のところに二三匹、蜂子出しされていた


平成23年6月7日(火)

 梅雨前線が北上して九州南部は大雨になっているようだ、その影響で、ここ九州北部も今日は終日まとまった雨が降っていた。

 今日は何もやることが無いので、完全休養日になった。昨日塗装を済ませておいて本当にヨカッタ。

 太郎が初めて自分の手で食べ物を運んだからカミさんが記念に写真を撮っておいてくれという。今まで、なんでも口に持って行くことはしていたが、それと食べ物を口に運ぶことは別物らしくて、食べ元を握らせてやっても口に持って行くことはせず、手から離してしまって、食べさせてくれと口を突き出していた。神経命令系統の成長が少し進んだと言うことか。大分前から下の歯が二本、そして最近は上の歯も少し顔を出している。掴まり立ちして、短時間だが自立することが多くなってきた。


平成23年6月6日(月)

 夜明け前から深い霧がでていたのは知っていた、夜が明けてからもかなり長い間、霧に包まれた。ラジオでは、九州のかなりの地域に濃霧注意報が出されていた。霧が晴れた後、梅雨入りした途端に今日も良い天気になった、そして今日も暑かった。
    最低気温 12.7℃(05:28)、最高気温 26.6℃(13:28)

 今日は娘が振替休日で家に居たので日曜日の様な錯覚を覚えたが月曜日だったのだ。

 今朝、空家の5号ウトの巣門に一匹ハチが死んでいた、ドキッとした、ん?、探索ハチか、あるいは他のウトのハチが何らかのアクシデントでここで事切れたか、ちょっと気になるところである。

 東側の二階の外壁の塗装を終わる。本格的な梅雨の雨に入る前に滑り込みセーフである。クリーム系の塗料なので、屋根に落ちると流石にみっともないので、簡易マスキングをして塗ったが、一部チョコレート系の塗料を塗る部分はマスキングをしなかったのでもろにボタボタ屋根に落ちてしまった、強いて言えば同系色、ガマン、ガマン。

 太郎、11ケ月目。定時測定・・・空腹時10.6キロ。定点撮影のチャンスが無かった。


平成23年6月5日(日)

 朝のうち雨が降る、午後には予報通り雨が上がったが、ラジオで、熊本を含む北部九州が梅雨入りしたと見られる、というなんとも自信無げな発表があった。

 今日は日曜日ながら、久しぶりにみどりの爺様が出場した、というのは今日は授業参観日で登校日となっていたからである。

 娘の学校の授業参観と併せて親子交流レクレーションがあり、学校の体育館で分団対抗のドッジボール大会があった。小生は太郎の子守をすることで家に居た。

 起きぬけに1号ウトにオスの巣房の蓋が沢山、2号ウトはまだ蜂子出しは終わっていないようである、JA1は異常無し。


平成23年6月4日(土)

 晴れ、午後に入って少し曇り空になる。
  最低気温 15.0℃(04:46)、最高気温 25.6℃(13:25)

 K朝春さんの御長女の結婚披露宴がホテル・サンクラウンで盛大に行われ、組内の皆さんと参列する、お二人に幸多からんことを。


平成23年6月3日(金)

 晴れ、ずっと同じような好天が続いている。
     最低気温 15.2℃(04:57)、最高気温 25.2℃(12:54)

 北部九州は梅雨入りが遅れているが、いくらなんでも、そうそういつまでも天気が続くとは限らない。というわけで、梅雨入り前に緊急部分を済まそうと、建屋のペンキ塗の続きを始めた。続きと言っても、前回の塗装はもう去年だったろうか、今年に入っていただろうか、忘れてしまった。確か寒くなる前だから去年もかなり押し迫った小春日和の頃だったと思うが、「そんな昔のことは覚えちゃあいねえ」というところである。

 今回は、婆様の部屋(だったところ)の外壁である。屋根のこう配が急なので、足を引っ掛けるための足場を竹で組んで、今日は破風部分のチョコレート色の塗装をした。まだ壁面の塗装が残っているが雨は待ってくれるだろうか。

 2号ウト、ハチはその後、一通りの蜂子出しが終わったのか、運び出しは見られなくなった、ハチの勢いは旺盛でどんどん花粉を運んでいるがどうなるだろう、1号ウトは最初の1匹だけで、その後、蜂子出しの気配全くない。

 山仕事を専門にしている某氏が、何度か山でミツバチの蜂球を目にして、その度に、段ボールに入れて持って帰ってきては逃げられている、ついては、ミツバチを正式に飼いたいので、と巣箱の相談に見えた、小生がインターネットで安価な巣箱を買った話をすると早速三箱欲しいと頼まれた。一日の長というやつで、経験を少しは役立てそうだ。



平成23年6月2日(木)

 少し雲があったようだが今日も晴れ、そして、屋外作業にはちょっと暑かった。終日山が霞んでいたが、火山ガスだろうか。
         最低気温 16.3℃(05:30)、最高気温 24.4℃(14:52)

 カミさんが、畑にちょっと野菜の苗を植える間、太郎を看ていてくれというので、抱いていたが、最近は人見知りや母親の後追いをするようになって、泣くので、仕方無く畑に抱いて出たが、重くて長時間は無理なので、乳母車を置いてそこに入れておいた。(写真1写真2

 敷地の一角をお貸ししていたお向かいのお宅が御主人を亡くされたりで菜園をやめられたようなので、せっかく美しい花が何種類も植わっていることもありこのまま管理を引く継ぐごとにして、我家の方から出入りしやすいように出入り口の開鑿作業にとりかかった。(写真1写真2写真3

 コイノボリの柱にダイポールを移しかえた。少しは高くなったようだが、家側が低いので、こちらの方も高くしないと効果が今一つという気がする。(写真1


平成23年6月1日(水)
 少し雲があったかもしれないが、今日も良い天気だった、やはり九州北部はまだ梅雨入りをしていないようである。
  最低気温 15.8℃(05:18)、最高気温 22.2℃(13:11)

 コイノボリの矢車と幟旗の支柱を撤去した。柱のてっぺんに付けてある名前旗と馬簾は付けたままになる。強風と雨で来年まで持たないだろう、そのうちに風で何処かに吹き飛ばされることになるかもしれない、そういうものらしい。他のお宅ではまだ揚がっているところが多いようだ、少し早まったか。

 今日も、伸び始めた竹を切ったり草刈りをしたり、燃やしたり、ずっと屋外作業を続けた。



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