平成23辛卯(2011)年7月の記録(新しい日付けの順)
平成23年7月31日(日)
晴れ。今日は坂梨宿場會の屋外作業だったが、気温ほどには暑さを感じなかった。
最低気温 22.3℃ (0:08)、最高気温 29.3℃ (15:12)
ja1ウト、一昨日ハチは元気だと書いたが最近嫌に黄色い巣のカスが外に落ちているので、覗き窓を開けてみたら、巣の一部が欠けて床に落ちていた、良く見るとスムシが繭のような袋の中に沢山いた。こいつらが巣を食っていたのだ。(写真1・写真2)
坂梨宿場會の清掃作業。朝一番で滝室坂の参勤交代道の草切り、その後、天神橋の草切り、二つの作業を一日で一気に片付けて、夕方から豆腐屋の車庫を借りて暑気払いバーベキューをする。
滝室坂・天神橋清掃&暑気払い 連続写真 1/3 (10枚)
滝室坂・天神橋清掃&暑気払い 連続写真 2/3 (10枚)
滝室坂・天神橋清掃&暑気払い 連続写真 3/3 ( 8枚)
平成23年7月30日(土)
晴れ。少し雲があったかな。今日は一日中屋内に居たので分からないが、暑かったのだろう。
最低気温 19.2℃ (05:46)、最高気温 30.2℃ (13:22)
台風9号、もう少し近づいてから慌てようと思う。それにしても、新潟福島方面の豪雨、昨日から時々レーダーを見ているがほとんど雨雲が動いていなかった、まるでノアの洪水のようだ。
娘が通っているピアノ教室の熊本地区(だと思うが)の発表会があり、カミさんと娘は終日外出。小生は太郎の子守をする。いつもは午前2時間、午後2時間くらい昼寝をするので結構小生の時間はできるのだが、今日は午前中1時間ほど眠っただけで、午後は昼寝をせず、ずっと相手をさせらたが、もうそろそろ連中が帰ってくる5時頃になってようやく沈没した、やれやれくたびれた。
朝、新規ご入居のハチウトの前に行ってみると、出入りが無くていやに静かである。巣門のところにある覗き窓を開けてみたが床近くには一匹もいない。天井までは覗いてみなかったが、集団脱走した模様。昨日の夕方までは居たのになあ、ハチは逃げ出す時は夜逃げ出すのだろうか。それともまだ明けやらぬ早朝だろうか。
小生の造作が気に入らなかったのか、場所が居住区に近すぎたのか、直射日光が当たり過ぎたのか、最近小生は成長した、そうか、そうか逃げたかという程度の軽いショックで、残念だが仕方が無いという穏やかな心境である。またがあるさ。
「下町ロケット」という本、面白そうだ、そのうちに読もう。
平成23年7月29日(金)
ここの天気からは想像もつかないことだが、新潟や福島地方で記録的な大雨になっているそうだ。阿蘇地方は今日も晴天だった。ただ風が無くて昨日ほどの快適さは無かった。
最低気温 21.8℃ (05:14)、最高気温 29.4℃ (14:38)
また台風が発生したようだ、やれやれまたか・・・・・どうしてどれもこれも真っすぐこちらに向かってくるように見えるのだろうか。(写真1・写真2)
朝涼しいうちに、庭先と畑の草切りをした。
首振りカメラが最近首をあまり振らなくなったので、雨でも降り込んだかと思ってハウジングを解体して、回転歯車に注油でもしようと、ついでにカメラ本体まで分解してみたは良いけれど、あまりに細かい作業で、重要部分を傷つけてしまって、結局オシャカにしてしまった。そのままにしておけば固定カメラとして機能したものを。
昨日、馬場の佐藤初男さん(85歳)が亡くなられた、今日の新聞訃報欄で知る。
平成23年7月28日(木)
今日はこれこそ「避暑地の夏」であった。湿度も低く吹きわたる風はあくまでも爽やかで、こんな気持ちの良い時に屋外作業をするなんて、ここに住む意味が無いではないかとばかりに、今日はロッキングチェアに寝そべって日がな一日読書に耽った。暑ければ暑いで屋外作業をせず、爽やかでもせず、要は可能な限り屋外作業をしない理由づけをしているのである。(ああ、でも、畑、草ぼうぼうだなあ・・・・)
最低気温 21.3℃ (02:31)、最高気温 28.6℃ (15:24)
昨日取り込んだハチ、落ち着いているようである、柿の木の根元に土台を置いて据え付けた、この場所が良いかどうかはちょっと迷うところである。このハチウトは6号基になるのかな。このまま居ついてくれるとja1号基を含めて営巣ウトは全部で四基になる。最近蜂子出しも落ち着いてきているようにも感じる、一時蜂子出しが盛んだったja1号基もハチで溢れている気がする、還元水が効いているのだろうか。
24日に宿場會で高城祉探査会を行ったが・・・。
我家の裏山に平安時代からおおよそ阿蘇氏が秀吉の軍門に下る天正年間くらいまで(だと思うが)高城という城があった。今のように阿蘇神社として神職の阿蘇氏になる以前は一大軍事勢力だったが、そういった時代の阿蘇一族の城の一つである。平安末期、鎮西八郎為朝(源爲朝・・・・義経や頼朝の叔父にあたる)が、阿蘇氏の娘の白縫姫を娶ってここ高城を居城にして九州各地で暴れまわったそうだ、最後は保元の乱で捕えられて伊豆大島に流されてその生涯を終えている、ここまでは概ね歴史的事実らしい。
ところで、曲亭馬琴(滝沢)という江戸後期の戯作者がいる。読本(よみほん)の南総里見八犬伝で有名であるが、馬琴はまた「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」を書いている。この本の主人公がこの鎮西八郎為朝と白縫姫で、大島から逃れて琉球に渡って大活躍をしたと言うのである。椿説とは珍説と同じ意味らしいが、言わば、鎮西八郎為朝外伝ということになるが、琉球王朝ではこの鎮西八郎爲朝の子が琉球王朝の祖・舜天であると正史に位置付けられているらしい。
小生がこどもの頃、「弓張月」と言う映画があった、映画を観たかどうかはサッパリ記憶にないが、題名だけはハッキリ覚えている。今回、原文を読むのは大変だが、この手の話、小説にでもアレンジされて出版されていないかと思ってネット検索をしたが無さそうである。ただ、以前に、平岩弓枝の「椿説弓張月」の口語訳が文庫本になっている、既に絶版になっているようなので、ネットで探して古書を買い求めた。今読んでいる本が済んだら読もうと思っているが、楽しみである。
平成23年7月27日(水)
今日は雲が多かった、湿度が高かったのでちょっと動くと蒸し暑かった。
最低気温 21.1℃ (01:49)、最高気温 27.9℃ (13:11)
ミョウガが今盛りである、ミョウガは雑草のごとくどんどんはびこってくる、沢山採ってぬか漬けにした。トマトも今年は出来が良い、ナスが駄目で、キュウリも駄目だ。なごみ野の前を通りかかると女将さんとあるじどの(あるじどのと女将さんの順序では無い、ガマ出し具合が女将さんが上なので順序はこうなのである)が畑の手入れをしているところに出くわした。小生が今年はナスが駄目でと以前書いたのを覚えていてくれて、沢山のナスなど持たせてくれた。言ってみるものである。
昼前に、何気なく、1号ウトのモニターに目をやると、最近大人しいハチが少し騒がしい。確認のためにウトに行ってみると、空にもかなりの数が舞っている。えっ分蜂か?それは突然予告無くやってきた。どこに止まるのかと思って見ていると、柿の木の上の方に蜂球を作り始めた。すぐそばに蜂球板を作ってやってあるのに、見向きもせずにそのずっと上のほうで固まっている。今度やる時は手でそっと掬って取り込もうと思っていたが、これではちょっと位置が高すぎる。やむをえず従来方法でやることにした。
ただ、蜂球が今までに比べたら非常に小さい。この分蜂はどういう意味があるのだろうか。蜂子出しで数が減ったところに分蜂なのだろうか。あるいは宿替えでもするのだろうか。そう言えばこのウト、最近は蜂子出しは見られなかったなあ、落ち着いたのだろうか。まあ、とにかく取り込むことにして準備に掛かった。
取り込みだけはこの一年で何度もやっている、今回で5度目になるだろうか、もう落ち着いたものである。どのウトにしようかと思ったが、丸胴だと採蜜の時に苦労する、ということで、初めて小生自作の重箱式のウトに取り込むことにして、台風の時に避難させてあったウトを持ちだして、中に蜜蝋を塗って。蜂球の下に置いた。軽ければ蜂球のところまで持ち上げる手もあるが、ツウバイ材でやたらと重くて、とてもハシゴの上まで持ち上げるのは不可能である。
ポリ袋に落とし込んでから、ハチウトの天板を外してそこから一気に落とし込むのだが、いつもここで上手く行かない。かなりの数のハチを入れ損なう。それでも、蓋をしなければ全部逃げてしまう。逃げたハチはまた同じ場所に戻って蜂球を作り始める。それをまたポリ袋に落とし込む。ただ、二回目はもう蓋を取ることが出来ない、なぜなら、最初に入れたハチが箱の中で天板に取りついているからである。そこでまた蓋を取ると、収拾がつかなくなる。そこで二回目以降はハチウトの最下段のハチの巣門の所に袋を開いてやると、かなりの数がゾロゾロと箱の中に入っていく、それでもそれ以上の数がまた乱舞して蜂球を作りだす、この繰り返しを5度ほどしてようやく、9割方移すことが出来た。それでもまだ1割くらいは蜂球を作っている。しかし、女王蜂がすでにウトの中に居るとみえてフェロモンに惹かれてやがてそれらハチたちもハチウトの方に集まってくる。
ということで、とりあえず、取り込みには成功したが、果たしてこのまま居ついてくれるかどうか。この、蜂球の取り込みがいつも手際よく出来ない、ここが最重要改善点である。
そろそろ1号ウトの採蜜の時期かなと思っていた矢先の分蜂である。分蜂に際してはタップリと蜜を吸ってから飛び立つそうだから貯蜜量はかなり減っているのではないかと思う、これでは採蜜はもっと先になるのだろうか、分蜂は何度も経験しているが採蜜はまだ未経験である。
今までいつも娘が学校に行っている時で分蜂に立ち会えなかったが、今日初めて分蜂を目にして感激していた、そして写真は全部娘が撮ってくれた。
第5回 分蜂 連続写真 (全16枚)
平成23年7月26日(火)
晴れ、昼から、一時、狭い範囲で、激しい雨が降ったり降らなかったり、併せて雷も。小生が移動した先では雨は降っておらず、戻ってきて道路がかなり水浸しになるほど降った形跡があった。
最低気温 19.7℃ (05:37)、最高気温 29.4℃ (12:37)
坂の上の岩下溶接工業を訪ねた。飛田誠さんの紹介もあって快くリクエストに応えてくれた (主どのは途中で仕事に出掛けてカメラに納まっていないが、気持ちのいい御一家である)。端材などは持って行って良いよとまで言ってくれた。アングル(L6×50×50)と鉄板などを譲ってもらったが、鉄板はt9×910×610だ。積み込みは先方でやってくれたから、その重さを体感していなかったので、降ろす時にその重さに思わずたじろいでしまった。かなり重かった。以前なら鉄の比重などは絶えて記憶に残っていなかったから「かなり重かった」で済ますところだが、「とろ鉄」で、比重が7.8くらいだと言っていたのを妙に覚えていて、実際は7.85かな。サイズが分かっているのだから、かなり重い、でなくて、計算すればその重量は分かる。、それで計算すると、t9×910×610×7.85で40キロ近くになる。軽い気持ちで持ち上げようとして持ちあがらなかったわけである。簡単な溶接作業台を作りたいのだが、これにアングルで下にフレームを組むと、おいそれとは動かせなくなる、半分に切ろうか。切るのは勿体ない、本格的に一枚板で使うとすると、アングルでは少し弱いだろうか、改めてCチャンを分けてもらうか。
今日は国造神社のおんだ祭だった、行くのを忘れた、明後日は阿蘇神社のおんだ祭だ。
これは何だ、熱帯低気圧となっているが・・・・
平成23年7月25日(月)
晴れ。今日も午後から、時々通り雨、それに雷音が重なるもほぼ遠雷に終わる。今日は涼しかった。
最低気温 20.1℃ (05:34)、最高気温 27.6℃ (14:30)
娘の学校の家庭訪問がある、親ながら、幾つになっても、こどもの頃の家庭訪問の時の緊張感は変らない。
あちらこちらの技術を盗んだつぎはぎだらけを独自開発とうそぶいた結果がこのザマか。
平成23年7月24日(日)
晴れ。午後から、阿蘇の東、大分側を雷雲が通過して強い雨を降らせた記録があるが、ここは雷の洗礼を受けずに済んだ。
最低気温 19.7℃ (05:31)、最高気温 29.1℃ (11:59)
平安末期、鎮西八郎爲朝(源 爲朝)が九州で活躍した時の居城、高城(たかじょう)の跡が我家の裏にある(写真1・写真2)。今日は坂梨宿場會でその城址探査会を行った。すぐ裏にありながら今まで登ったことが無かった。参加者は宿場會の会員七名と掲示板を見て参加されたHさん御夫妻、坂梨公民館前で集合して現地へ。城址は馬場集落から鬼塚集落に抜ける山道の峠付近にある。昔は、といっても小生の世代がこどもの頃には、鬼塚集落から坂梨に出る時には現在の豆札の我家の前を通る道より近道なので普通に往来をしていたようだが、多分車が普及したからだろう、現在はもうほとんど廃道に近く、木や竹が倒れ草生し車が底をするようなオフロードになっている。
そして高城祉(城は1600年頃まであったのだろうか)、今はもうその面影は全くなく、つわものどもがゆめのあと、である。その後に建てられた高城八幡の小さなお社がひっそりと残っているばかりである。この地は、その背後の外輪から下ってきた斜面の途中にあるのかと思っていた、だから城郭として守りに不適ではないのだろうかと思っていたが、外輪から下ってきた斜面が一旦谷に落ちて改めて立ちあがった山の上にあると言うことが分かった、だから周囲から完全に独立した急峻の場所で、山城としては文句なしの地形だと言うことが分かった。
今では想像も出来ない事だが、高城八幡はこんな山の上にあったにもかかわらず、祭礼の時には社の前の広場で奉納相撲が行われ、出店も並ぶほど賑わった時代が昔にはあったそうだ、ということを案内してくださった鬼塚の長老、岩下幸治からお聞きした。現在は年に一度、神事が斎行されるそうである。
この鬼塚という地名、鎮西八郎爲朝が鬼退治をして埋めたところから生まれたということや、この鬼塚から外輪の牧野に通じる山道の「いざり坂」をその鬼たちが一夜で作ったという話が郷土史に残っている(鬼退治は民話であって、歴史では無いかもしれないが、当時の夜盗、盗賊の類を「鬼」と表現したのかもしれない、全く何も無いところに「話」は生まれない、民話と言う形になった何かがあったのだろう)。(写真1・写真2・写真3・写真4) 為朝と白縫姫は、「椿説弓張月」(曲亭馬琴)では琉球に渡り、琉球王朝の祖となる、なんとも気宇壮大な。
このあと、高城八幡の近くから「卯の鼻」の頂上に通じる「栗の木坂」を登ってそこで昼食をとった。今日も暑かったようだが、山頂近くの木陰は涼風が汗ばんだ肌に気持ちが良かった。
今はもう使われることが無くなった道であるが、阿蘇谷にはここ以外にも集落ごとに外輪に通じる山道があって、200mくらいの高低差のある道を毎日牛を引いて牧野に上がったり、干し草を伐って担いで下りたりと重要な生活道路であったらしい。
この栗の木坂も、今は荒れ果ててしまっているが、当時の重要な道であったことを示すかのように、立派な石畳がまだ各所に残っていた。我家から外輪頂上までのほんのわずかな距離のなかに深山幽谷とも言えるような雰囲気の場があったのだ。会員の市原孝弘さんが参画されている「阿蘇北外輪山トレッキング協議会」ではこういった昔の道をいくつも復元整備している。
卯の鼻の頂上は、阿蘇谷の七鼻(八石)が唯一まとめて全部一望できる場所だそうで、事実、パノラマ状に広がる阿蘇谷を見晴らす絶好のポイントである。ここには今日のように登坂して達するほか、一旦外輪に上がって草原を歩いて来ることもできる。この卯の鼻。隠れた、というか、紹介しきれていない実に勿体ない貴重な観光資源である。最後に、この卯の鼻の頂上から横移動で行ける場所であるが、夏草が生い茂って行く手を阻むので、一旦、登ってきた道を下って、迂回して滝室坂を登ったところから少し歩いて、西南の役慰霊碑まで行った。この地、明治十年の西南の役の激戦の地の一つで滝室坂の薩軍の砲台が置かれた場所である。今でも少し掘ると砲弾片が出てくると言う。ここも、管理保全が全く忘れ去られている場所の一つである。
阿蘇に住んでいながら、それもすぐ近くに居ながら、知らないところがあまりにも沢山ある。これからも機会を作っては阿蘇の事をもっと知りたいと思った一日だった。
高城祉、栗の木坂・卯の鼻など探査会 1/3 (10枚)
高城祉、栗の木坂・卯の鼻など探査会 2/3 (10枚)
高城祉、栗の木坂・卯の鼻など探査会 3/3 ( 7枚)
本日正午でテレビのアナログ放送が終了した。その瞬間を見たかったが、出掛けていたので見られなかった、一応ビデオで前後の時間を録っておいたが、ずっと終了を知らせる同じ画面が出ているだけだろうから、改めて録画を再生するまでもないだろうと、テレビを点けて画面で確認した。我が家ではテレビを見ていないので今のところ痛くも痒くも無いが、全国では慌てている家も多いのだろう。さあ、これでアンテナを外して、NHKの受信契約を解約するぞと言ったら、家族が、今になって、それはやめてくれと言う。今までは良いと言っていたではないか、別に見ないのだから良いだろうと言うと、やはりイザと言う時に無いと困ると言う、イザと言う時がどんな時だか分からないがすっかり計画が狂ってしまった。見ないままで年間受信料、いくらだろうか三万円台ではなかったろうか、惜しくは無いのか。ついでに調べてみたが、テレビが無くてもワンセグを持っていると受信契約が必要だとNHKは言っているらしい。
放送法第三十二条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備(以下一部略)のみを設置した者については、この限りでない。
とあるそうで、NHKはこの本文を楯に支払えと言うらしい。しかし、携帯は但し書き部分の設備だと言う主張も十分に通る。これに関する法律判断はまだ出ていならしいが、「バカコケ」である、ワンセグ程度の受信内容で年間何万も払えと言う方がオカシイだろう、ぼったくりだろう。第一ここではワンセグすら窓際に持って行かなければ見えないのだ。
平成23年7月23日(土)
晴れ、風があまり吹き込まなかったので昨日よりは暑かったが、それでもやはり30℃は壁で、今日も超えることは無かった。
最低気温 21.4℃ (06:00)、最高気温 29.3℃ (14:08)
ウイーンから久しぶりの里帰りのalgy一家を連れて従兄の滉兄が阿蘇旅行のついでに顔を見せてくれた。algy家の愛娘Yちゃんは太郎より5カ月ほど早く生まれた同期生である(そか、早生まれか)。初めてのこども同士の対面を皆で興味深く観察していたが、自然に近づいて自然に手を出して触れ合っていた、素晴らしきかな。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
平成23年7月22日(金)
まだ本格的な暑さにはならない。
最低気温 19.3℃ (01:05)、最高気温 28.6℃ (14:12)
竹林伐採跡に草がはびこって足元が危ないので、試験的に跡地の一部に除草剤を撒布した。除草剤を使うのは初めてである、農地からは極力距離をとって撒いてみた。ラウンドアップなどは良く耳にするが、この除草剤は初めて目にする銘柄である。まあ、基本的にはほとんど知らない分野であるが。一応は自然に優しいと謳ってあるので、今日は100mlを5リットルの水で希釈して撒いてみた(それでもやはり除草剤と言うのは抵抗がある)。本日の労働はこれのみ、まだエンジン掛からず、後は読書三昧。
娘は今日も学校プールへ。
平成23年7月21日(木)
台風一過というわけにはいかなかったが、空気が冷たくて爽やかだった。
最低気温 20.3℃ (06:10)、最高気温 26.3℃ (15:54)
今日から夏休み、ラジオ体操が始まる、そして娘は昼から早速学校の開放プールへ、この涼しいというのに。
小生、今一つ労働意欲湧かず、読書で過ごす。ついでに床屋に行く。
修理に出してあった、ガス溶断の吹管、修理が上がって戻ってきた。この会社は、昔小生が禄を食んでいた会社の製造部門があった大田区蒲田にある。交換した部品はニードルバルブ、結構デリケートな部品のようだ。早速、試し切りをしてみた。
平成23年7月20日(水)
まだ所によって大雨が心配されるが、台風6号、ようやく紀伊半島南端から太平洋に出て行った。今回の気まぐれとも言えるコースに散々翻弄された感じがする。
ここ阿蘇は今日はほとんど空が見えず、時折細かな雨が降っていた。
娘は今日が終業式、明日から長い夏休みだと大張りきりである。
今日は結局何もせず、図書館に行って、海堂尊の本を4冊借りてきた。海堂尊の本はほとんどが寺さんが以前送ってくれているが、それでもカバーしきれていないタイトルがいくつかある。
平成23年7月19日(火)
台風6号、ここに関しては、記録を見ると幸いに結果的には大した風では無かったようだが、それでも寝ていて外の風音に落ち着かない夜だった。明けて朝8時頃にはまだ台風は宮崎の東方海上にありながら、風が急速に収まってきてもう峠は越したなということが分かった。村の生産農家の皆さん、ビニールハウスも無事で胸をなでおろしておいでだった。経験上、台風が九州の東側を通る時には相当近くを通っても大したことはないということは分かっていながら、今回、結果的に、メディアの大きいぞ、大きいぞに過剰反応した気もする。日米が立てた予想コースは、今回はアメリカの予報の方が中っていた気がする(と思って見返してみると、そうでもないか)。一夜明けて虚脱状態、気分的にヘトヘトになった。菜園の小さなハウスが飛んだところで、ハチウトが倒れたところで、と腹を括ればとうと言うことは無いのだが、根が臆病、小心者で、ついついハラハラドキドキしてしまう。
今回の台風は速度が遅くて、まだまだ先があり、高知県や紀伊半島ではずっと大雨が降り続いていて、四国・近畿に上陸しようかというこれからが台風本番であるのに、人間と言うものは(というより己がだが)実に身勝手なもので、あれほど情報収集に躍起になっていたのに、一旦ここでの危機が去ってしまうと、急に関心が薄れてくるものである。それでも、これから台風を迎える地域の人たち、怖いだろうなあ、その気持ち察するに余りある、被害が少なければ良いが・・・
娘の学校、早々と昨日のうちに本日の休校が決まったが、娘曰く、「休みにしなくても良かったね」、まあ、でも昨日の様子では仕方がないよ。今真っ只中の地域には申し訳ないが、今夜はようやく心穏やかに眠ることが出来そうだ。
平成23年7月18日(月) 海の日
台風6号接近、明日には最接近するようだが、昨日あたりから時々強い風が吹き、断続的に強い雨が降っている。明日には阿蘇地方は風速25メートルの暴風域にはいるそうだが、この段階におていも日米のコース予報がずれている。この僅かなずれは大きいのだが、なんとも気が揉める。それから速度が遅こともイライラ感がつのる。ハウスなどの補強、弱すぎただろうか。コイノボリの支柱は折れないだろうか、最悪の場合は田んぼに倒れるから被害は最小に抑えられると思うが。隣家は昨日コイノボリの支柱を倒していた。ここは九州の東側の沖を通過するそうだが、それでも非常に不安である、四国では予想では直前で曲がることになっていても真っすぐ向かってきているので怖いだろうな。
(写真1・写真2)
坂梨小学校、明日は台風のために休校との連絡が入った。
まあ、今日はこれを載せておこうか。
「サッカー女子W杯ドイツ大会決勝で、日本はアメリカと延長戦で2−2となり決着がつかず、PK戦を3−1で制し初優勝を飾った。」
良かった、良かった、おめでとう。という喜びも小生の場合は、他の人の半分くらいだ。小生は昔からこういう一発勝負の勝負事を観戦する勇気がなくていつも結果を見るだけである。だから勝つまでの一喜一憂を経ずして結果を知るので、喜びは半分、あるいはそれ以下かもしれない。小生は昔からどうもこういったハラハラドキドキが苦手なのである。もっとも今回の場合はラジオ中継も無かったし、そもそも実況放送の環境が無かったのではあるが。
雨読、今日一日で海堂尊の「ジーン・ワルツ」を一冊読み切った。海堂ワールド、面白い。
平成23年7月17日(日)
晴れ。時々強い風が吹く、汗をかいても気持ちが良い。熊本県下軒並み今年最高気温を記録しているが、さすがここは高地である。
最低気温 20.8℃ (04:53)、最高気温 29.2℃ (15:58)
台風6号、ラジオで再三、超大型と伝えている、そして、すでに時々東の方角から尋常ならざる風が吹いてくる、結構強い風だ、まだ遥か彼方に在る今の時点でこの強さだ、直撃でなくとも、もっと接近すると相当の風が吹くことになるが大いに不安になる。
ここに来て気象庁と米軍の予想が微妙に違っている、紀伊半島南端をかすめるのはほぼ同じだが、そこに行くまでの過程がかなり違う、当方としてはその過程が大事なのである、米軍頑張れという気分である。
台風に備えて、杉の木を数本伐採する。10年前に電話線を引いた時にはまだ人間の背丈ほどだった杉の苗木、いつの間にか電線を遥かに超える高さになっていた。電気線と光りの線は迂回して引き込んであるが、電話線はなんとなくそのまま取り残されていて、これまでも強い風が吹くたびに枝が線に掛かり切れはしないかと気になっていた。この杉は苗木として植えてあってそのうちに移植するつもりだったのが、そのまま放置されてしまったので、密生していて、どっちみちこのままでは全部育たない、そういうこともあり、この際切り倒すことにしたのであるが、見たところ細いが倒してみると結構太くなっていてしかも重い。周囲の植栽を気にしながら倒す方向を定めてはドウと倒すのだが、半日仕事になってしまった。このようにごく日常の作業として樹を伐っているが、果たしてどれだけの人間が一生のうちに実際に樹木を伐採する経験をするだろうか、これも田舎暮らしならではの経験だろう。
平成23年7月16日(土)
晴れ。今日はここでも30℃越えをした、日中はいつものような風もなくて屋内に居てもむし暑さを感じた。夕方になって風が入るようになった。
最低気温 20.7℃ (05:46)、最高気温 30.3℃ (13:59)
台風6号、日本列島に上陸寸前に大回頭することほぼ間違いがなさそうだが、たとえそうであっても超大型のようなので只では済みそうもない、出来ればもっと遠くで曲がって欲しいものである。
カミさんと娘が朝から熊本市内まで出掛けたので小生は子守で一歩の外に出られず、終日太郎の相手をして過ごす。夜は夜で、保育園の納涼祭があり、太郎が招待されていることもあり、熊本から帰ると、カミさんと娘は又出掛けて行った。
ガス溶断のトーチのメーカーに電話がつながったので症状を伝えたところ、やはりニードル弁が中で折れているのだろうということ、早速修理のために宅配便で送った。
平成23年7月15日(金)
晴れ。
最低気温 20.4℃ (05:05)、最高気温 29.7℃ (16:02)
台風6号、我が気象庁と米軍とようやくほぼ予想が合ってきた、どうやら九州直撃は避けられそうである、まだ愁眉を開くのは早いか。更にこの後も同じような場所で熱帯低気圧が次の台風に変りそうな気配を見せている。
今日もビード乗せの練習をする、ひたすらストリンガーである。それとは別にストーブの灰掻き用の小さなシャベルが二三年前から柄が取れて、過去において100Vの交流溶接機で付けようとして歯が立たず放置してあった。それを本日改めて、溶接してみた。肉厚のナットを非常に薄いシャベルに取り付けるのに、2ミリの棒を使って肉厚のナットの方にアークがより飛ぶようにして溶接したが、練習の成果があったようで、上手く付けることが出来た。ついでにガスで加熱して柄を少し曲げた、これも上手く行った。
ところがその後でもう一度ガスを使おうと思ったが、吹管の予熱用の酸素バルブを開いても酸素が出ない、切断酸素は出る、アセチレンも出る、予熱用の酸素が出ないので炭化炎になる。最初は火口でも詰まっているのかと思って、火口を掃除したがダメで、予備の火口と取り替えた。それでも駄目である。そこで、予熱用の酸素量調整バルブのネジを取り外して酸素を送ったところ、酸素は出る。調べてみると、酸素噴出孔に針状弁(ニードルバルブ)を設け、酸素の圧力と量を調整して色々の能力の火口に適する役割を持たせているようで、この辺りをインジェクタ―というようだが、この中の弁だかなにかが詰まっているのか故障しているのか、酸素が全く出ない、連休に入るので修理屋に問い合わせるのは後日になる。
平成23年7月14日(木)
下界では連日暑い日が続いているらしい、一方、阿蘇で30℃という気温、ひとつの大きな山のようだ、大体その直前で止まる。今日も暑かったが、このところの暑さはムシムシした暑さとは違って、空気が乾燥しているので決して苦になる暑さでは無い。室内では風が吹きわたるので気温が高いと言うことは全く感じない。ようやく大気が安定してきたのだろうか、今日は雷の心配も要らなかった。(尤も阿蘇乙姫の最高気温は30℃越をしているが・・・31.4 ℃(14:55) )
最低気温 18.4℃ (05:39)、最高気温 29.4℃ (15:12)
台風がこちらに向かって進んでいる。予想コースを見ているとどうしてもここを目指しているように感じる。ん?夕方見てみると、ちょっとコースが変わってきた、文字通り風向きが変わってきた、最低でも、九州の西側を通らない事を祈るばかりだ、西側を通るか、東側を通るかで、風の強さが全然違うのだ。
竹林伐採の跡、ちょっと見ない間に、竹だけでなくて草が生えてジャングル化しつつある、もはや手遅れか。除草剤を撒くことを考えなければならないか。
村の行事、夏の天神祭。今年は我家が属している組みが座元になるので、朝から天神社の草刈りや注連縄作りをして、午後三時から阿蘇神社の神官さんによる神事を斎行、その後、ご婦人方の心づくしの料理で直会を行う。
数日前に撮った写真の背景の手入れを全くしていいない茶畑に何か白っぽい花が見える。何だろうと思って近づいて見ると結構大きな白い花が咲いていて、その花びらの先端部分が白いレースのようになっている。全く知らない花なので、ネットで、「野草、夏、白い花、綿状」といったワードで検索してみたところ、カラスウリの花だと言うことが分かった。カラスウリは秋になって赤い実が生って、ああ、カラスウリだと気が付くで程度で、花の段階では今まで咲いていたのだろうが気にも留めていなかった。そう言えば、我家は不思議と秋になるとカラスウリだらけになる。
少しの時間を利用して、ビード乗せの練習をする、確実に進歩していると思うが。「とろ鉄」ではないが、最近、構造物を見ると溶接個所のビードを見るようになっている。
平成23年7月13日(水)
晴れ、昼から時々雨、そして、雷も。熊本県の沿岸部にずっと雨と雷のマークが出ていたが、ここは、大したこと無かった。
最低気温 22.2℃ (0:00)、最高気温 29.2℃ (12:30)
台風6号、なんとなく嫌なコースをとっている。少し早いが出来ることは手を打っておこうと、西側の伸びすぎた樹の枝打ちをした、何と言う樹か知らないが、どうも樹を切るのが罪悪感があって、伸ばし放題していたが、強い風が吹くと最近軒に掛かるようになっていて、また、アンテナのエレメントにも触るようになっていたのだ。ついでに、北東側に、風が吹くたびに大きく傾ぐ太くて丈の長い孟宗があって、気になっていたのでそれらもついでに切り倒しておいた。
もし本当に台風が来るのなら、ビニールハウスの補強や、ハチウトの補強。それから植栽の補強などいくつもやることがあるが、どうか来ないで欲しいものである。
6/29だったか、薪材を貰いに行くときに、チェンソーの燃料タンクに間違ってオイルを入れてしまい、気がつかずに何度もスターターを引っ張って回して、それで掛からないので気が付いて、慌ててオイルを捨ててガソリンを入れ直したが、キャブレターまでオイルが回ってしまったのかどうしてもエンジンがかからなくなった。プラグを抜いて燃焼室にガソリンを入れて揺すって何とか清掃が出来ないかと試したがどうしてもエンジンがかからない。それを何度か繰り返して、本日、ようやく、エンジンがかかった。分解しなければならないかと思ったがせずに済んでほっとした。
午後から、予報通り、雷雨がやってきて、システムを落としたが、沿岸部は大変だったようだが、ここは厚い雨雲の通り道にならず雨も大したこと無かった。
夜、宿場會の7月例会に出る。
平成23年7月12日(火)
俗に、「梅雨明け十日」というが、今年はなかなか天気が安定せずに、今日も、雲行きが少し怪しかった。気温の割には風があり、屋外の作業も苦にならなかった。今日はラジオで宮崎方面が天気があまり良くないようなことを言っていたので、ここが天気が良いのは、おそらく、太平洋側からの風で、宮崎地方に雨を降らせて、降らせ終わった風がこちらに来ているのだろうと、天気図を見ないで想像していたが、小生の想像を裏付けるかのように今日は珍しく東風が吹いていた。
最低気温 20.3℃ (05:24)、最高気温 29.9℃ (12:44)
暑くならないうちにと、朝のうちに、畦切りをする。
それから二階のベランダに一年以上置きっぱなしにしてあった古い家財を解体して燃やした。家財などにはその家の、そして人に連なる思い出がたくさんしみ込んでいる。人間に執着心が無ければ随分と楽だろうと思う。「執着心」、間違いなく煩悩の一つにあるだろうと炎にあぶられながらふと思った。
下屋の軒の雨樋取り付け第一期工事、一応終わる。直線だけならそれほどの傾斜は必要なかったが、流れる方向を直角に変えるための部材を付けたら、水がその部分に溜まってうまく流れてくれず、傾斜を目いっぱい強くしなおして、ようやく流れてくれるようになった。その後の水の行方は、出来るだけ縦樋を一本にしたいので、次の屋根に落とすようにしたので、次の屋根の雨樋を取り付けるまでお預けである。
。
台風 6号が発生したなあ。
「スマートグリッド」、これ良さそうだな。
平成23年7月11日(月)
晴れと言うか曇りと言おうか。暑いなあという実感はあまり無かったが、今日も結構気温が高かったようだ。
最低気温 20.3℃ (03:00)、最高気温 29.8℃ (14:40)
時々思い出しては忘れていたボンのフィラリアの予防薬、内牧の松野動物病院で出してもらってようやく与えた。7月〜10月までの四カ月分である。
今日も大気が不安定で、九州各地で雷雨があり、竜巻注意報が出されていた、ここ阿蘇は時々パラパラ来るていどだったが、夜には雨になりそうなので、応急で雨樋を取り付けておいた。終端の処理がまだ残っているが、とりあえずは落ちて欲しくない所は避けて雨が落ちるようにはしておいた。
平成23年7月10日(日)
晴れ。今日は真夏日になったようだが、風があって、炎天下でない限り、空気も澄んでおり 爽やかな日だった。ただ、大気が不安定なようで、周辺では積乱雲が湧き、驟雨や雷に見舞われているところもあるようだ。
最低気温 20.9℃ (04:57)、最高気温 30.6℃ (14:47)
朝食が済むと、涼しいうちと、カミさんと娘がジャガイモの収穫をした。小生は敬遠したい作業なので、太郎の子守をすることで屋内に居た。作業始めた時は暑かったが、日が昇っても、風があったので、思ったほど暑くなかったそうである。今回は事前に元料をやらず、追肥もしなかったので、全体的にイモは小ぶりだったようだ。以前は小生の気まぐれで勝手に関係先に送りつけていたが、収穫量も少なく、億劫が先に立って今年もナシにする。
午後から、ジャガイモの収穫に汗したご褒美に、娘をアゼリアに連れていった。昨日も連れて行け、連れて行けとねだられていたが、どうせ夏休みなったら毎日学校のプールがあるのだから、それまで我慢しろと言ったばかりだったが、そういうわけで、特別の計らいである。水泳教室に通っているだけあって、以前小生が連れて行ったころに比べたら長足の進歩が見られた。
プールから帰って、昨日の雨樋受けのダウンサイジング加工の続きをする。40Aだとどうしてもイモ溶接になりがちなので、すこしだけだが電流を上げたところ気持ち良く溶け込んで満足のいく作業が出来た。こういったことはやはり経験なのだと思う。取り付け作業は明日だ。
平成23年7月9日(土)
気象庁は9日、熊本を含む九州北部と関東甲信、北陸が梅雨明けしたと見られると発表した。九州北部の梅雨明けは、平年より10日早く、昨年より8日早いそうである、昨日でも良かったろうに、一応勿体を付けたのだろうか。気温が高くても空気がヒンヤリとしているので炎天下でなければ実に気持ちが良い。
最低気温 21.8℃ (05:19)、最高気温 28.7℃ (12:07)
昼から、溶接同好の士と「お勉強会」をする。(写真1・写真2)
溶接作業場の下屋に雨樋が無くて、もろに雨が地面を叩きつけるので、樋を付けることにして、材料を買ってきた。しかし樋受けの腕が長くて、一方で、下屋の庇の奥行きがほとんどなくて、このまま取り付けたのでは、雨が雨樋に落ちる前に樋と屋根の間から下に落ちてしまう。小生の下屋工事のいい加減さによるものである、そこまで考えていなかった。そこで、樋受けの腕を短くすることにして、試しに一個だけ切って、溶接で付けてみた、ようやく溶接が実用に供した。
材質はt3.0のステンレスである。交流100V用の溶接機に付属していた1.6ミリのステン用の棒があったので、100V用の溶接機で挑戦してみたが、技量不足で全く駄目である。そこで、2.0ミリのステンレス棒を買ってきて直流溶接機の溶接電流40Aで重ね溶接をしたところ、どうやら上手く行った。ステンレスは溶接すると黒くなると何かにかいてあったが、どうせ見えないところなので一向に構わない。万一、イモ溶接でも人命に全く影響しないのでこれまた一向に構わない、明日、残りの溶接をすることにした。
平成23年7月8日(金)
うす曇り、時々晴れ、昼過ぎ、一時にわか雨。体感的にはあまり感じなかったが今日は結構気温が上がったようだ。中国・四国・近畿・東海で梅雨が明けたそうだ、ここはまた置いてけぼりか。
最低気温 21.5℃(02:31)、最高気温29.0℃(12:10)
朝早く、今年初めてヒグラシの声を聞いた。
午前中、久しぶりに庭先と畑の一部を草を刈る。
太郎が一歳になったので、はしか(麻疹)と風疹の混合ワクチンを古閑医院で打ってもらう。カミさんが言うには、針を刺す以前にもう泣き始めたらしい、尻に打とうとしたようだが、先生が触っただけで大泣きしたそうで、尻はやめて腕に打ってもらって帰ってきた。娘の時(H15/8/20)には小生が連れて行った、記念に看護婦さんにシャッターを押してもらったことを思い出す。あの時は、先生もちゃんとポーズをとってくださった。
一雨過ぎて、夕方近く、久しぶりに溶接の練習をした。溶接電流をいくつか変えてみた、もっと下げても良さそうな気がする。まだ真っすぐに運棒出来ない、スピードも一定していない、これは練習あるのみだろう。作業環境が悪いので、全天候型に整備をする必要がある。
平成23年7月7日(木)
とっくに梅雨前線は九州を離れているのに、朝には未だ雨が残り、その後も、曇り、時々思い出したように、昼ころまで強い雨、午後に入ってようやく路面が乾きだした。明日は天気が回復するだろうか。
今日はなんとなく労働意欲が湧かず、終日本を読んだりしていた、今日は日記のネタが無いなあと思っていたが、ひとつ出来た。
小生は、マンガ本とはこの歳まで全く縁が無かった。たとえば病院の待合室などで積んであっても手にとったことは無かった、別にマンガが下らないと思っているわけは無いのだが、何故これが面白いのだろうかと、どうしても興味が湧かなかったからだ。
そういう小生が、生まれて初めてマンガ本を買った、わざわざネットオークションで買ったのだ。それが今日届いた。「とろける鉄工所」という、町工場の溶接工たちの悲喜こもごもを描いたマンガで、たまたま、いつだったか、こういったマンガは業界物というのだろうか、その時はまだ溶接を実体験していなかったが、興味があったので、面白というようなことが書いてあったと頭のどこかに残っていた。最近溶接に関するものはyoutubeで溶接動画を始め、なんでも検索している、その過程で、このマンガのサンプル頁が載っていて、読んでみると、確かに面白い、それで早速、古本を取り寄せたのである。
届いたばかりで、ほんの少し読んだだけだが、まだ溶接を始めて日が浅いながら、経験した者でなければ分からないような描写に思わずにやりとしてしまう。それよりも、溶接実技の手引書として優れていると思うのである。小生はイラスト入りの安全を含めた技術指導書的に捉えているが、この先、読み進めるのが楽しみである。
平成23年7月6日(水)
昨日一旦南に下がった梅雨前線がまた北上を始めて、鹿児島県、熊本県南部に随分長時間停滞して大雨が降っていた。その雨域が少しずつ北上を始めて、阿蘇地方にも大雨洪水警報が出されたが、幸いに、厚い雨雲、レーダーで言うと真っ赤な雲は熊本県の沿岸部に添いながら大量の雨を降らせ、その残りが阿蘇地方にギリギリかかり、心配されたほどの大雨にはならず、午後に入ってから警報も解除された。このまま雨が少ない状態で、前線が北に抜けてくれるか、またこれから降りだすのかと思って見ていると、前線がちょうど抜けたありから風が強くなって、そして、一旦解除された大雨洪水警報がまた夕方になって再び出された。午後9時現在、まだ大雨警報は出されたままだが、どうやら阿蘇地方は厚い雨雲を抜けたようである。これで梅雨明けに向かってくれるだろうか。
今日は息・太郎の一歳の誕生日である、あっという間の一年だったが、しっかりと大きくなってくれている。いまのところ病気らしい病気も無く大食いで、将来の「悪ゴロ」を予感させる。
我家で搗いた餅で「一升餅」の儀式を行う(写真1・写真2)。歩けない場合はその上を踏ませ、歩ける場合は「かろわせる」ようだ。我が家では、自分で立ちあがって10秒くらいなら自立できるようになっているが、まだ歩けないので、掴まり立ちした状態でかろわせようか、踏ませようか、どうせなら両バージョンで行くかと言ったところ、カミさんがそれでは駄目だと言う。何故だと問うと、まだ歩けない子には早く歩けるように踏ませて、もう歩ける子の場合は、あまり、だか、早く、だか、遠くに行ってしまわないように重いものを背負わせるのだ、そうだ。本当かいなと思ったが、わざわざ真偽のほどを確かめることもないと思ったのでカミさんの御託で踏ませるほうを選択した。
娘の時はどうだったろうと日記を遡ってみたら、H15/8/20に踏ませていた。それにしても一歳時の姉弟の顔がそっくりなのに驚く、親ながら全く見分けがつかない。
そして夜、ローソク1本立てたバースデーケーキで誕生日を祝った。(写真1・写真2)
定点観測はやめて体重測定のみ行う、10.6キロ。
平成23年7月5日(火)
「戻り梅雨」、便利な言葉である。九州南部はその戻り梅雨だそうで、ここはまだ梅雨明けしていなかったのでそうは言わないことになる。昨日は夜にかけて大荒れになったが一夜明けて今朝は無風状態で曙光に阿蘇の峰が穏やかに姿を見せていた。そして、梅雨前線が南下したために、ここは前線の北側に位置しており、空気がヒンヤリとして湿度も低く、半袖で窓を開放していると肌寒くなるほど爽やかな日になった。
午前中、歯医者の予約があったので、そろそろ出掛けようかと思っていると、U村さんから、今、樅の木を一本倒したので取りに来るかと電話が入った。現場が宇治歯科に行く途中なので、じゃあ、途中寄って木を積んでから歯医者に行きますと答えて向かったところ、とても一度では運びきれない大きさだったので、相談の結果、残りは運んでもらうことにして、軽いやつだけ積んで歯の治療に行った。帰ってみると留守中に太い幹を運んでおいてくれた。重い薪材、配達付きがなんといっても一番である。
午後からは、先日の神石の欅の残りを積み込み行った。
結局、今日も道楽が出来なかった。明日はまた雨のようだし、完全に雨露をしのぐ作業小屋が無いので、安全対策上、雨の日の道楽はやめておいた方が良さそうである。
平成23年7月4日(月)
やはりまだ梅雨は明けていなかったようだ、今日は終日間断なく雨が降っていた、それよりも風がとにかく強くて一日中吹き荒れていた、風の音と言うのはなんとも気持ちを不安にさせる。午後7時頃、猛烈な雷雲が西から移動してきている。慌ててシステムを休止する。
雷雲とともに厚い雨雲がかかり、阿蘇地方に大雨洪水警報が出されている。
平成23年7月3日(日)
終日暗くて霧雨が降っているようないないようなハッキリしない天気だった、午後には10mくらいの強い風も吹いていた。
午前中は宮地のM永家のPCのセッティングに伺う。
午後は、今日はノンビリ休養に充てた(早い話が、何も無かったと言うことである)。
平成23年7月2日(土)
午前中はずっと霧のような細かな雨が間断なく降っていたが、昼ころからようやく上がってうす曇りになった。
小学校PTAの廃品回収があった。毎年その売上金でクラブ活動の道具などを買っているようだが、今年は東日本震災の義捐金に充てるいうことだ。こどもたちもレクレーション感覚で村中の家を回って新聞紙やビール瓶などを集めていた。各町内で集めた廃品は酒瓶類はテラサワ商店に新聞紙やアルミ缶などは小学校に集積して業者の所に持ち込んだ。
PTA 廃品回収連続写真 (1/2) 11枚
PTA 廃品回収連続写真 (2/2) 11枚
我家でテレビと縁が切れてもうどのくらいになるだろう、しかし娘は時々観る、「名探偵コナン」と、「サザエさん」、それから「ドラえもん」だったか。それでも時々観落とすことがある。それで、今日は夕方ら「名探偵コナン」を観ていたが、カミさんがアナログ終了のカウントダウンテロップがデカデカと出ているわよ、と言う。どれどれと覗いてみると、確かに画面が見づらくなるほど大きな文字で放送画面に被さっている、しからば他のチャンネルはどうかと、回してみたら、全部のチャンネルで全く同じ規格で出ている。なんだこれは、これはアナログ終了までこれからずっと全番組で出っぱなしなのか、我々はテレビを見ないのでどうでもいいが、随分と視聴者をバカにしたやりかただ、せっかくの番組の興がそがれるというものだ、娘も、見にくいねえと言っていた。そのくせ、CMの時間にはちゃんとそのテロップが消える。
このカウントダウン表示はいつから始まったのか、水曜日の娘のプール教室の迎えに行った時にロビーで流れていた放送では無かったと思う、おそらく7月に入ってからだろう。地デジ化が済んだ家ではそのテロップは映らないのだろうから、そういう表示が出ていることすら知らないのだろう、アナログテレビ受信者に対する嫌がらせ以外の何物でもない。テレビ業界、政府がグルになって何でもありなのだ、関係が無いけど腹が立つ。
娘が最近ラジオの漫談や落語を聞いて独りで声をあげて笑っている。ラジオドラマに一生懸命耳を傾けている、そういえば小生が子供の頃はそうだったなあ。
電力不足対策で自動車メーカーを筆頭に週末就業が7月に入って始まっているが、週末就業に限らず、このクソ暑い(と思うが)のにエアコンの設定温度を高くしたり、あるいは切ったり、節電対策で黙々と疑問を抱かずにガマンをしている、そうしなければ大停電が起きるから仕方がないのだろうが、日本人はつくづく従順な国民だと思う、それがある意味怖い。したたかな企業は逆手にとってビジネスチャンスとばかりにちゃっかり儲けているところもあるが。この大停電をするぞの脅し、心のどこかでほんとうにそうなのかと疑問に思う部分もある。色々な節電の工夫がラジオを聞いているとリスナーの投稿などで流れてくるが、ライバル関係にあるラジオでさえ、決してテレビ放送をやめてラジオにしろとは言わない、同じ胴元だからだ、だからたとえあっても決して流さない。ところで夏の甲子園はどうなのだろうか。
平成23年7月1日(金)
昨日、夜に入ってから雨が降り始めて今朝になるまで降っていた。やはり梅雨明けはまだだったかと思ったが、梅雨明けをした宮崎でも降っている。梅雨前線は東北地方に横たわったままなのでこれは梅雨による雨ではないと、素人予報官は頑なに自説を曲げない。終日降ったりやんだりだった。(午後になって天気図を見てみると梅雨前線が無い!何処へ行ったのだ)
朝起きたら、1号ウト前にかなりの数の蜂子出し。師匠からのアドバイスでは、還元水が効かないようなら、そっくり家替えはどうかと。つまり、新しいウトに今居るハチを全部移動させて、今のウトは採蜜をしてから、完全消毒をする。親蜂にはウイルスはいないということで、蜂子だけにウイルスが取り憑くということのようだ、そうなると、どこからそのウイルスはやってくるのだろうか、実際には分からない事だらけのようであるが、梅雨が完全に明けてから、そうしてみようかと思う。
今日は午後から娘の学校で心肺蘇生法講習会、授業参観、学級懇談会があり、カミさんが太郎をおんぶして参加した。娘が一二年の間は、小生がほとんど学校行事に参加していたが、現在のところカミさんは働いていないので、三年になってからは全部カミさんが参加している。
長らく眠っていた我が溶接機が本日より運転開始した。溶接棒はコベルコのZ-44の3.2ミリ棒、ちゃんと溶接棒乾燥機で乾燥させて使った。使用電流は120Aのつもり、というのは、取扱説明書に、溶接電流は40A〜150Aとあり、電流調節ダイヤルが1〜5とメモリが振ってある。だから、120Aくらいだとメモリが4くらいだろうと思って合わせた。不親切なダイヤルである、1〜5でなくて、40A〜150Aでメモリを振ってくれればいいではないか、何か不都合でもあるのだろうか。実際の感想は初心者ながら、もっと低い電流でも良さそうである、同じ溶接電流でも交流よりは力がありそうな気がする。
今日は、先ず、初めての溶接機なので、ビードを乗せる練習をした。写真の上から下に向かって、一回目、二回目、溶接線が全く見えず、なんじゃあこれ!状態、三回目からようやくペースを掴みかけてきた。大きさがまだ一定しないが溶融池が見えだした。アーク長によって溶接線が見えなくなったり、見えたり。あまり短くても見えないし、長くても見えない、このあたりに、適正なアーク長のヒントがあるのだろうか。今日は40分くらいの間に、溶接棒を7本使ったがストレス無く、実に気分よく焚けた(焚くという言葉を使うようである)。1回目と7回目とでは随分と進歩したと思えるが・・・
止端仕上げがまだ全然だな。
やはり溶接姿勢が大事である、小さな溶接作業台を早く作らなければ(この程度の工作なら、そう遠くなく出来そうである)。
T雄氏も溶接機の準備を始めた由、いよいよ坂梨に新進気鋭の溶接工が二人誕生する。
このページ先頭へ 日々の記録目次へ