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平成23辛卯(2011)年8月の記録(新しい日付けの順)


平成23年8月31日(水)

今日も屋外作業には暑い日だった。
     最低気温 19.7℃ (03:56)、最高気温 30.3℃ (15:12)

 ここのところ、台風の進路予想が続けて大きくぶれている。太平洋高気圧と偏西風の傾向が読めないのだろうか。12号もどんどん西にずれてきている、日本列島に掛かるという予想に変ってからも、当初は房総半島だったのが今や紀伊半島まで変ってきている、800キロくらいあるだろうか、冗談でなく九州も安穏としていられなくなってきた。これ以上西にぶれなくてもかなりの影響がありそうである。


 夏子、昨日あたりから鼻をグスグス言わせていたが、今朝になて少しヒューヒュー言って呼吸がちょっと苦しいというので、登校前に、古閑医院でネブライザーをやってもらってから遅れて登校した。ここのところ喘息の発症は少なくなってきていたと思っていたが、久しぶりに出た。それでも以前よりはひどくはならないようである。うんと小さなころ、同じ場所でネブライザーをやっていたころに比べたら、なんとも図体が大きくなったものである(18/5/19)。

 太郎の風邪が移ったのかもしれない、その太郎、風邪は治って、今日、たくもと小児科で肺炎球菌の予防接種を受ける。

 午前中、薪材を取りに行く、昨日行った場所のすぐ近くで檜を切るから太い枝が出る、ということだったので、積みこみに行ってきた。思ったより細かったが、それはそれで使い道がある。

 クランプメータを買った。交流電流を計るのは安価でいくらでもあるが、直流電流を計るのは20kだとか30kする、買ったのは6kしなかった、中国製なので期待していなかったが、堅牢に作ってあって良い買い物をしたと思う、溶接機の電流値を計るのである。



平成23年8月30日(火)

 今日も穏やかな晴天が広がった。変な言い方だがここにきてようやく夏らしい暑い毎日が続いている、ただ気温差が大きくなており、朝晩はもう肌寒さを覚えるようになった。
        最低気温 18.5℃ (06:06)、最高気温 30.7℃ (15:11)

 台風12号、このままいけば首都圏直撃になる(宮崎弁で言うと、まっぽすじゃが)、尤も台風11号の例もある、進路が西に大きくぶれてこちらに来る可能性も無いとは言えない。

 大分前(6/25)に切り倒した欅を頂戴することになって、その時は一部だけ運んだがそのままになっていたのを、今日午前中、思い立って積みこみに行った。恐らく草に覆われているだろうと、チェンソーの他に刈払機を持って登ったが、正解だった。

 作業前に背丈ほど伸びた草を刈ってから、とりあえず、与しやすい所だけ切って載せて帰ってきた。炎天下の作業は屋内でゴロゴロしているのとは違って、暑くて気持ちが悪くなるほどだった。慌てて、持って行ったイオン飲料をタップリ飲んだが、熱中症の一歩手前だったろうか。今日は午後からカミさんが出掛けるので、子守業があり、午前中だけの作業になった。

 太郎はいつもなら午後に二時間以上は昼寝をして、子守は楽なのだが、今日は全く寝ずにずっと夕方まで付き合わされた、こちらの方が薪取りより過酷である。子守の間に、結構の距離を歩くようになったので、帰ってきたカミさんに訊くと、それは今日が初めてだそうである。


平成23年8月29日(月)

 今日も気温が上がったが、空は完全に秋の空で、雲も無く澄んだ青空が広がって、湿度も低くて気持ちの風が吹き込んで、それに今日は外作業を全くしなかったこともあるが、爽快な一日だった
  最低気温 18.9℃ (06:05)、最高気温 30.7℃ (15:09)

 今日から娘たちは二学期の始まりである、下界より少し早く二学期が始まる、一応寒冷地だからだろう。子どもたちは真っ黒に日焼けして、夏休みの宿題を持って皆元気に登校して行った(鬼塚グループは少し遅れたためにカメラには納まらなかった)

 台風11号は大きく予想を外して終息しそうであるが、台風12号はこれも予想をかなり裏切ってこれは有難くない方向に進んでいる。ただ、九州にはどう転んでも影響は無いと思うのでその点では心平らに心配できる。稲も順調に実って、もうそろそろ早いところでは稲刈りが始まりそうである。

 今日は寝っころがってとことん読書に没頭した、今日は万歩計をつけたらほとんど数が増えなかったことだろう、と言うほど今日は徹底的に動かなかった。


 一回目の投票で過半数が取れないのが分かっていて小鳩グループにすり寄った時点で既に海江田万里の負けは決まっていた。と思う。まあ、どうでもいいことだが。


平成23年8月28日(日)

 今日は暑かったなあ、多分何もせずに家に居たら湿度が低くて爽やかな風が吹き込んで気持ちのいい一日だったと思うが、炎天下の作業には今日の気温は応えた。
   最低気温 19.4℃ (05:30)、最高気温 29.9℃ (16:12)

 台風11号、日本にとっては有難い方向に進路が変わりそうである。今回は日米とも当初の予想と大きく違ってきている。歓迎すべきハズレである。

 今年二回目の区役の草刈りがあったが、今日はとにかく暑くて大変だった。今回は皆さん色々都合があって参加者が少なくて(その分、消化できた面積は狭かったが)、暑さに加えて気分的に少ない人数で刈らなければならないという心理的な要素もあったかもしれない。午前中、用意していったイオン飲料、2リットルを飲み干して、午後からの作業でも同量を飲んでヘトヘトになった。

 昼過ぎ、ちょうど昼食休憩時間だったが、滉兄が阿蘇で学会だか研修会があってその帰りに、顔を見せに寄ってくれた。

 前々から娘に、花火しようよと言われて、そのうち、そのうちと先送りしていたが、いよいよ夏休みも今日限りになったので、夕食後、玄関先で花火をした



平成23年8月27日(土)

 久しぶりに30℃の壁を越えた、日本各地今日も大気の状態が不安定で局地的に雨が降ったようだ、ここは周囲ぐるりと積乱雲に囲まれた一日だったが、青空はもう既に高かくなっている。
   最低気温 20.9℃ (05:17)、最高気温 30.2℃ (13:30)

 台風11号、スピードが遅い、まだフィリピンでウロウロしているが、どうも照準は九州のような気がしてきた。

 今日は、週末だと言うこともあって(本当は曜日はもう関係が無いのだが)完全休養日に充て(休養しなければならないほど何もしていないのだが)終日ゴロゴロ読書して過ごす。

 太郎が鼻水をさかんに垂らしている、風邪でも引いたか、熱は無く、食欲はあり、元気なので、様子見である。明日は日曜日だが休日診療医療機関がうまい具合に小児科なのでその点は安心である。

 娘が、玄関先で、生きているタマムシを見つけたと騒いでいた、時たま目にする。


平成23年8月26日(金)

 晴れ。ようやく今ころらしい暑さが戻ってきた、考えてみたらまだ8月だ。今日も大気が不安定で、日本各地ところどころで局地的に激しい雨が降ったりしているようだ、九州の北部でも、そして熊本でも一部で大雨が降ったようだが、ここは降らなかった。
   最低気温 20.0℃ (06:01)、最高気温 29.2℃ (14:58)

 台風11号、今回は米海軍の予想の方が少しずつ気象庁の予想に修正方向にある、このままだと九州にやってくる、沖縄の手前でもう少し右に回ってくれ、である。

 阿蘇ではこどもたち、月曜日から二学期が始まる。従って、ラジオ体操もプール開放も今日までである。

 熊本県立美術館でスタジオジブリ・レイアウト展というのをやっているそうで、娘とカミさんと太郎が出掛けて行った。小生にも一緒に行かないかと誘われたが、留守番していますから、どうぞ行ってらっしゃい、太郎も一緒だから(子守をしなくて済むので)なんだったら何処かに泊って来ても良いよ、と言って送り出したが、夕方には帰ってきた、小生は久ぶりに大いに羽を伸ばせた。(写真

 溶接の練習をしていたら、e鴨氏がやってきた。溶接の練習はどうしてだか非常に体力を消耗する、結構神経を使っているのだろうか。


平成23年8月25日(木)

 曇り。最低気温 19.0℃ (04:20)、最高気温 26.9℃ (15:43)
 台風11号に引き続いて、今朝台風12号が発生した。12号はどうやらこちらには来ないで済みそうだが、11号、相変わらず、気象庁米海軍とでは進路予想が微妙に違っているがいずれにしてもこちらに向かっている。そろそろ稲刈りが近いが、台風の影響を受けなければ良いが。

 その稲刈り。ここに住み始めた頃は、稲が実りだすと、雀を追い払うためのドッカン、ドッカンという爆音機の全盛時代で、我家の周囲にも沢山あって、赤ん坊時代の娘が泣きだすのではないかと心配したこともあったが、年々その音が少なくって、今年は我家の周辺では全くその音を聞かない。雀だって、そうそういつまでも騙されなくなったのだろう。コストを考えて農家の皆さんもやめたようだ。その代わりかどうか、今年は案山子をあちらこちらで見かける、これも雀にとっては痛くも痒くも無いと思うが、風景としては良いものである。(写真1写真2

 市主催の健康診断が坂梨公民館であり、カミさんと二人で受けに行った。肺のエックス線検査、胃のバリューム検査、臓器の超音波検査などなど。カミさんが受診中は係りの人が太郎を抱っこしてくれていた。

 DVDで「チャイナ・シンドローム」という映画を観た。もう30年以上も前の映画になるが当時結構話題になった、派手なーンがあるわけではなが、日本が原発事故の渦中にある今、当時よりもより一層リアルで、そして新鮮に感じる映画だった。しかも事故の原因が溶接欠陥ということも大いに興味を引かれるものだった。


平成23年8月24日(水)

 ようやく雨の無い一日だったが、湿度が高くてちょっと外で動くと汗だらけになった。
      最低気温 21.1℃ (05:27)、最高気温 29.0℃ (15:17)

 また台風が発生した、11号である。稲刈りの前にどうしてもやってくる。気象庁の予想と、米軍の予想、随分違うなあ。

 数年前に、芹が谷からテーブルにワンタッチで取り付けるタイプのこども用のイスを貰ったが、ファミリーレストランなどのテーブルの板厚を想定してあるとみえて、我家の分厚いテーブルには取り付けられず、そのうちに何とかしようと思いつつ、夏子の時にはとうとう何とかしないままに終わった。太郎が現在使っているイスは借り物で、まもなく先方も必要になり、そろそろお返ししなければならなくなったので、ようやく我家のテーブル用に改造した。

 このイスのパイプはテーブルの天板を上下で咬むようになっているので、溶接機の出番があるかなと思っていたが、パイプを切る方向での改造が必要だと言うことが分かって金ノコで切りとった。それで済むかと思ったら、天板の裏側にあたるパイプが天板の裏に打ってある桟が邪魔で十分な奥行きが確保できないので、天板を取り外して加工しなけらばならず、結構な大工事になってしまった。(写真1写真2
 そして、晩飯時。目いっぱいに手を広げてテーブルの上をかき回すので、我々はオチオチ食べていられない。太郎専用のテーブルを作って隔離する必要がありそうである。

 太郎、Hibワクチンを打つ、一歳を過ぎると一度打てば良いらしいが、1月に一度打った際には一歳未満なので二度だか三度打たなければならなかったのに、一度打っただけで終わっていたので、今回改めて打ってもらった。


平成23年8月23日(火)

 本日も天候不順也。それでも昨日までよりはマシだったか。
   最低気温 20.5℃ (05:26)、最高気温 26.4℃ (16:35)

 今日も畑の草を刈る。

 娘は天候不順もなんのその、連日学校のプール通いで真っ黒である。


平成23年8月22日(月)

 今日も天気は回復しなかった、いわゆる秋雨前線がもう来ているのだろうか。
    最低気温 21.8℃ (02:15)、最高気温 26.7℃ (13:03)

 午前中、すこし晴れ間が見えたので、久しぶりに庭先や畦の草を切る。今年も完全に草に負けてしまった・・・・


平成23年8月21日(日)

 今日も、風雨に荒れた一日だった、また一時大雨洪水警報も出された(安易に警報を出し過ぎる、オオカミが来たぞになるぞ)。雷も頻繁に鳴っていた。
     最低気温 21.1℃ (09:50)、最高気温 23.8℃ (11:39)

 昼前、突然玄関先に面識のない方が立たれた。お会いした事が無いと思うので、なんとなくちぐはぐな遣り取りをしているうちに、思い出した(小生の記憶力もまだ捨てたものではない)、昨年、jtqが二度目の四国遍路の途中、小生の日記を見てjtqの宿に訪ねて行かれた方だった。昨平成22年8月23日(月)の日記に登場する徳島県三好市井川町の松川さんである。御子息が南阿蘇にある東海大学に在学中だそうで、帰省していた息子さんを阿蘇の下宿先に送って来られたそうである。非常に嬉しい訪問だった、インターネットの取り持つ縁、南無大師遍照金剛、である。

 今月は村の行事が続く、本日は、その御大師さん、それから御地蔵さん、御薬師さんの日である。村内の異なった場所においでの御三体の仏様を順次お参りする。これも(これも、とは、18日の妙見さんの縁起に疎いということに引き続いてという意味である)、どうして御三体を同じ日にお参りするのかは分からないのだが、毎年、妙法寺の庵主様が御三体を回ってお経を挙げてくださる。そしてこのお参りには女性だけが参加するようで男は参加しない(これも正確かどうか分からないが)。そして、村の女性の皆さんが朝から用意してくださった食事を、夕方近く、村の人全員が三々五々、都合の良い時間に公民館に集って頂戴する、そういった行事である。御三体の仏様のうち、御大師さんだけは普段の安置場所から、この日だけ公民館にお移りいただいて、食事に集まった人たちはお参りするのである。村のこの辺りの歴史も少し調べてみたいところである。(写真1写真2写真3


平成23年8月20日(土)

 今日も降ったりやんだりの不安定な天候だった。
   最低気温 22.4℃ (00:00)、最高気温 24.9℃ (17:16)

 本日夏子誕辰満九歳也。プレゼントに何か欲しいものは無いのかと問うと特に欲しいものは無いけど、サイン帳とシール帳が欲しいと言うので母親から買って貰ったようだ。大体において娘はあまり物欲が無い、この年齢で果たしてそれが良いことなのかどうか。

 娘のリクエストで、夜は庭でバーベキューの予定だったが、天候不順により延期することにした。バースデーケーキは用意した。(写真1写真2写真3

 9歳になったのを機に、ついでに古閑医院で日本脳炎の予防注射の接種をしてもらった。日本脳炎の予防接種は副作用か何かで、随分と長い年月実施されていなかったところ、それがまた近年解禁されたのだそうで、そうなると、未接種者が大量にでて一度に対応できないので、接種人員を年齢か何かで線引きして順次接種をするようになったとかならないとか、まあ、小生、いい加減に聞いているので、この情報が合っているのか間違っているのか、とまれ、そういうわけで、今日カミさんに連れられて接種に行ってきた。

 ようやく高校野球が終わった、これでラジオが通常番組に戻る。ついでに、数日前、ラジオ体操が始まったとたんに、放送が中断して、鉄道のローカル線(肥薩線だったかオレンジだったか)が雨で運転を見合わせていると放送した。放送は熊本県下全域だと思うが、今の時期、ラジオ体操人口は普段に比べて比較できないほどの数に上るだろう、その全員が手を降り上げたところで止まって顔を見合わせたことだろう。対してローカル線の運転見合わせ、利用者は精々、100人くらいだろうか、もっといるだろうか。いずれにしても、大都市圏と違ってもともと本数が少なくて利用者も少ない、ちょっと待てば第一ラジオ体操は終わるのだから、慌てて緊急に放送を止めてまで伝える内容では無いだろうと思ったが。


平成23年8月19日(金)

 朝のうちは雨が残るも、その後、久しぶりに青空になった。
  最低気温 21.2℃ (06:55)、最高気温 27.0℃ (14:42)

 大分の鶴崎から熊本城までの豊後街道、125キロを六泊七日かけて歩く、参勤交代九州横断徒歩の旅の総勢200名あまりの小中学生の一行が今年も元気に坂梨宿を通過して行った。今年で34回目になるそうである。

 坂梨宿場會では毎年お茶の接待をしている。朝のうち雨が残り心配されたが、午前8時過ぎに、一行が到着したころには雨も上がり、坂梨宿で朝食を食べて元気に今夜の宿営地の内牧温泉に向かって発って行った。

 小生は、カミさんと娘が、連中の道楽で朝から出掛けたので、「浪曲子守唄」か「拝一刀」か、太郎をオンブして、手伝いと言うよりも、接待の足を引っ張りに行った。太郎は宿場会の皆さんや参勤交代の子どもたちに抱っこしてもらっていた。

 第34回 参勤交代九州横断徒歩の旅 連続写真 (1/3) 10枚
 第34回 参勤交代九州横断徒歩の旅 連続写真 (2/3) 10枚
 第34回 参勤交代九州横断徒歩の旅 連続写真 (3/3) 8枚

 娘はピアノのコンクールがあって、それに参加したのだが、小生はあまり興味が無くて詳しく知らないが、通っているピアノ教室の発表会ではなくて県下の同類の全部のピアノ教室を対象にしたコンクールのようで、とりあえず、次のステップの大会に進めることになったようだが、また課題曲が新しくなるらしくて、普段の練習量や意気込みを見ていると、やめた方が良いと小生は思っている、本人もどうしようかと悩むことだろう。


平成23年8月18日(木)

 雨。と言いきって良い天気だった。今日あたりはもう晴れるだろうと思っていたが、どうして、どうして、時々嵐のような風雨が吹き荒れた。この数日の雨風で稲の倒伏がかなり見られる。

   最低気温 23.3℃ (17:14)、最高気温 27.5℃ (12:36) 最低気温が変な時間になっている、朝よりもさがったということか。

 今日は村の行事、「妙見さん」の日だった。午後三時から村の集会所で酒食の宴があった。朝から女性陣が料理を作ってくれていた。この妙見さんとはそもそも何なのだろうか、村の人でもあまり知っている人は無いのではないだろうか。確か以前、その昔、村に疫病か何かが流行った時に、妙見さんにお参りをして、病気退散を願ったというようなことを聞いた気がする。大分県にあると聞いたかな、妙見とあるので寺院かと思ったら、検索すると妙見神社と言うのも出てくる、ハテどちらだろうか、機会があったら「妙見信仰」について詳しく調べてみよう。


平成23年8月17日(水)

 昨日までの悪天候、今日になってもずっと続いて、午後になってようやく青空が戻ってきた。今日も下界では各地で猛烈な暑さにだったようだが、ここに居るとそれがあまり信じられない。
     最低気温 23.4℃ (02:02)、最高気温 27.5℃ (14:27)


 本日も、留守番をやったり、子守をやったり、送迎をやったりと雑務に追われた一日だった、その間にも、時間を見つけては読書に浸る。ここ数日は読書週間になった。

 明日はまた、村の行事がある。明後日は終日留守番子守だ。


平成23年8月16日(火)

 今日も時々強い雨が降り、この二日間で相当まとまった雨になった。今日も朝のうち、阿蘇地方に大雨警報が出されたほどだった。午後になって強い雨雲は去ったようだが、それでも不安定な天気が続いた。
     最低気温 22.3℃ (02:14)、最高気温 27.0℃ (15:20)

 お盆の迎え火、送り火の風習、このあたりはあまり聞かない、火を焚くためのオガラも確か売っていなかったような気がする。その代わり(かどうか)、13日に墓地に御先祖様をお迎えに行く、これもこのたりの風習でシカとしたものかどうか、村の人や付き合いの範囲内で確かめたことも無い。見ていると、墓参りは皆さんなさっているようだが、朝とは限っていないので、お迎えのための墓参ということではないのかもしれない。我家ではそうだと思って、13日の朝のうちに墓参りをしている。そして、御先祖様をお送りする「日」について、これも15日の夕方の所もあれば16日の朝のところもあるようである。我が家では16日の朝、お墓に登る。しかし、今日は、天候不順で山に登れなかったので、玄関先で送り火を焚いてお送りした。ただ、送り火に使うオガラがないので、線香を焚いてその代わりにした。まあ、気持ちの問題だから。こんど機会があったら、この辺りのお盆のならわし、訊いてみよう。

 今日まで完全休養日、読書に明け暮れた、沢山読んだ、満足満足。明日からまた多忙な毎日が始まる。


平成23年8月15日(月)

 ほとんど終日雨、時折強い雨と雷鳴と。今日も「寒かった」。
 熊本県南各所に大雨洪水警報がだされており、阿蘇地方にも大雨洪水注意報が出されている、非常に天気が不安定な状態が続いている。
    最低気温 22.7℃ (00:03)、最高気温 26.3℃ (12:36)

  終日、たっぷり読書で過ごす。


平成23年8月14日(日)

 朝から、雲が多かったが、いつのまにかとうとう本格的な雨の一日になってしまった。最近は天気予報に注意を払う事情が無かったので注意をしていなかったが、雨の予報だったのだろうか。そして、下界は相変わらずの猛烈に暑い日だったようだが、ここは寒かった。はちょっと大袈裟だが、窓を開けて半袖でいると肌寒くて窓を閉めてしまったほどだった。
     最低気温 21.1℃ (02:35)、最高気温 25.4℃ (11:24)

 夏休み中の集落ごとのこどものラジオ体操、お盆の三日間は休みだが、今日は坂梨公民館で坂梨地区全体のラジオ体操大会があった。

 ラジオ体操のあと、恒例のメッセージを付けた風船飛ばしがあり、参加記念の花火が配られた。年々、参加者数と子どもの絶対数が減ってきているなあという気がする。

 ラジオ体操大会 1/3(10枚)
 ラジオ体操大会 1/3(10枚)
 ラジオ体操大会 1/3(11枚)

 太郎が今日初めて突然階段を二階まで這いあがった。まだ後ずさりで降りることはしないが、階段の手摺の棒の間隔が広いので落ちないように何か工夫をする必要が出てきた。また昨日あたりから、カタカタを押して歩くようになったらしい。(写真1写真2

 妙法寺の庵主さんがお盆のお経をあげに寄ってくださった。(写真1写真2
 
 時々、軽トラックの屋台ラーメンが我家の前をチャルメラを鳴らしながら通り過ぎる。娘がいつも一度食べてみたいと言っていたが時間がいつも夜の7時半ころで、夕食が終わっている時間で食べる機会がなかったが、今日は夕方、いつもとは逆方向からそのラーメン屋がやってきたので合図して敷地内に入ってもらった。訊いてみるといつもやってくるラーメン屋さんとは別のラーメン屋らしい、だから時間も走る方向も違ったわけである。

 そんなわけで、いつもよりは少し早い夕食になったが、娘待望のラーメンを食べることが出来た。考えてみたら、小生の長い人生でも、屋台ラーメンをたべるのは今日が初めてである。普通、盛り場で一杯やった後に食べるとか、深夜、小腹が空いて食べるとか、屋台ラーメンを食べるシチュエーションは決まっているが、我が人生でそういったシーンは一度としてなかったのだ。それよりこんな山奥で屋台ラーメンが流しているのが不思議である、商売になるんだなあ。



平成23年8月13日(土)

 連日同じような天気が続いてる。
    最低気温 22.0℃ (00:45)、最高気温 29.7℃ (11:44)

 今日からお盆である。朝一番で娘を伴って山に登り、御先祖様をお迎えに行った。太郎を引き連れて一緒に山に登るのは何年先になるだろう、小生が動くなっているかも。(写真1写真2

 昼過ぎに円通寺さんからお経をあげていただいた。(写真1写真2

 内牧の遠縁の甲斐家に初盆参りに伺う。お盆の帰省と行楽客とで、国道は上下線とも沢山の車が連なっていた。

 夕方ちかく、3.11東日本大震災の大津波で九死に一生を得られた宮城県亘理町の八木紘輝さんがお盆で坂梨に帰省され元気な顔を見せに立ち寄られた。



平成23年8月12日(金)

 晴れ。今日もギリギリのところで30℃前で踏ん張った、超えるのと超えないのとでは気分的に暑さが違う。
   最低気温 22.6℃ (02:46)、最高気温 29.9℃ (15:19)

 朝のうちに、このまえの墓掃除のやり残しを片づけに山に登る。同時に、数年前の台風で大きな樹が倒れて、中途半端に墓の横の樹に倒れかかった状態がずっと続いていたが、それがために墓所内が薄暗いので、チェンソーを持って行って切り倒した。まだ何本か片づけたい樹があるが、倒し方に工夫が要りそうなので、今回はやめた。
山から下りて、ついでに家の入口付近の草を刈る。
(写真1写真2写真3

 昼飯を食っていると、村の征司さんから、うちの裏でハチがワンワン飛びよるバイと電話が入る。そうですか、それは分蜂かもしれませんから、しばらくしてから伺います。

 行ってみると、もうハチの群れはどこかに飛び去ったのか見当たらす、、何処へ行ったのかなあと話していると、隣りの靖昭さんが、なんばしよっとね?と家から出てくる。かくかくしかじかと話すと、ああハチね、ハチならおるバイ、と屋敷裏の墓地に案内してくれた。一本の杉の根もと近くの洞にニホンミツバチが出入りしている、ここで営巣しているのだ。しばらく眺めていると、キイロスズメバチがやってきたので、帽子で叩き落として退治、暫くするとまたもう一匹、これも叩き落とした。

 靖昭さん曰く、時々家の軒下などでハチが大きな塊を作りよるバイ、とのこと。樹の洞に自然に営巣しているハチを取り込むことは出来ない(と思う)ので、もし今度軒下にでも塊を作った時は教えてくださいと言って帰ってきた。このあたりにはごく自然にいるのだなあ。


平成23年8月11日(木)

 晴れ。今日も昨日と同じような天気だった、炎天下の作業ではすこし暑かったが湿度が低いので苦にはならなかった。
    最低気温 20.4℃ (04:20)、最高気温 29.6℃ (15:29)

 毎朝ラジオで「今日は何の日」をやっている。娘も結構楽しみに聴いている。昨日(8/10)は「オウヘンマイ」だった。ハチ騒ぎで昨日書くつもりが忘れていた。

 1954年(昭和29年)の昨日、国会でオウヘンマイの配給禁止が可決された。1954年というと小生は11歳ということになる、小学校5年生か6年生、ようやく日本でテレビ放送が始まったかどうかという時代で、おそらく我が家にはまだテレビが無かったろう、新聞を読む年齢でもなかった。そんな環境で、ラジオを通して耳から入ったニュースの言葉、「オウヘンマイ」が半世紀以上経った今でも強く記憶に残っている。文字情報でなくて、音の情報としてである。記憶に残るほど頻繁にニュースで流れていたのだろう。ヘンな響きを持つこのコトバ、「黄変米」と書くことはずっと後になって知った。もう小生の年代以上にしか分からないだろう。文字通り黄色く変色したコメのことである。コメの絶対的不足で黄色く変質した輸入米まで国民は食べていた。性格は全然違うが先年ニュースになった汚染米の走りのようなものである。ついでながら、「配給禁止」。コメの配給制度ももう知らない年代のほうが多いだろう。当時、コメは今のように自由に売り買いできなかった。戦後になっても長い間、日本では米が足りなかったので、配給制度が維持され続けて米穀通帳というものが無ければ米は買えなかった。

 この米穀通帳制度、随分後々まであったような気がする、しかも、配給制度がなくなってからも各家の通帳はずっと米屋に預けっぱなしになっていた。今の運転免許証のように身分証明書のような働きをしていたような記憶がある。そういったコメ不足の時代、小生の小学校の修学旅行の際にも旅館には余分なコメが無いので、児童が旅先で食べるコメは各人が各々持参して、旅館に提出してそれをまとめてゴハンを炊いてもらった。一食分ずつ小分けにして持って行ったが、当時はポリ袋などといったものなどまだこの世に無く、その入れ物には靴下がちょうど良かった、コメを靴下に入れてその口を縛って持って行ったのを懐かしく思い出す。コメが有り余って減反をするような時代からすると隔世の感だが、放射能で米の汚染が問題になっている今日この頃、またそんな時代が来なければ良いがとラジオを聞きながらふと思った。

 昨日のハチ移動騒動、本日の様子、最初に取り込んだ、数では一番多かった重箱ウト、今日になって、どうも出入りする姿が認められない、どうやら逃げ出したようだ、他のウトに合流したか、遠くに行ってしまったか。その傍に置いたそもそも発端のja1号ウト、これには結構ハチの出入りが認められる。そして、1号丸胴ウト、これもハチの出入りが見られ、自然な動きに見える。女王蜂は一匹だ、さて、この残る二つのウトはどういう形で落ち着くだろうか。

 その1号丸胴ウトのライブカメラのポリタンクを利用した防水装置のケーブルを通すフレキシブルパイプが劣化して割れていたので、新しく交換した。

 2号ウトから採った巣から蜜蝋を作る作業をした。先般の1号ウトから採った作りかけの蜜蝋と一緒にした。まだ不純物が沢山混ざっているので、これから何回か精製作業をする必要がある。

 毎年、我家の車を停める場所に水仙が咲いて車で轢きそうになるので、移植しなければと思いつつシーズンが終わるとついつい忘れてしまって翌年もまたその繰り返しになる。今日ようやく球根を掘りだした。これで安全な場所に移植出来る。



平成23年8月10日(水)

 晴れ。全国的に猛烈に暑い一日だったようだが、ここも久しぶりに30℃を越えた。ただ湿度が低くて風があったので、さすがに屋外は暑かったが、室内に吹き込む風は冷風だった。しかし二階は屋根の温度が伝わってきて暑かった。
    最低気温 23.1℃ (05:58)、最高気温 30.2℃ (15:24)

 ようやく時間が出来たので、朝一番で、2号ウトの巣の解体に取り掛かった。1号ウトと同様にほとんどハチの出入りが見られなくなったので、スムシだろうと思って、ウトの中を覗いて驚いた。先日の1号ウトの比では無かった。見ていておぞましくなるほどスムシが吐く糸で巣のなかは真っ白になっていた、重箱を分解して更に驚いた、天板を外して驚いた、巣の大きさは重箱二つ分の高さ、天井までスムシだらけ、まるで、スムシを養殖しているかのような数である。映画「エイリアン」だったか、宇宙生物の幼生の誕生シーンを思い出させるように巣の中に円形に並んでスムシが沢山詰まっている。丸々と太ったその数たるや数百匹、師匠なら渓流釣りの餌になると採集するところだろうが、とてもその気になれず、さすがに僅かなハチミツさえ採る気力が失せ、せめて採って蜜蝋くらいか。丸胴の巣門はハチ一匹がようやく通れるくらいの穴だが、重箱式は横一線に巣門が開いているので、スムシの親であるハチノスツヅリガがウトの中に侵入しやすいということだろうか。重箱式でも巣門は丸胴タイプの巣門という手もありかなという気がした。

 1号2号も完全にスムシにやられたのだから、間違いなくja1号ウトにもスムシが沢山入り込んでいるだろう、床には巣を齧った後の細かいカスが散乱している。ただハチは沢山出入りしている。

 どうしたものか、どうせいずれスムシにやられるのなら、少しでも早く移住させてやったほうがいいだろうか。よし、師匠にはこの日記で事後承諾になるが、そうしよう、と、ひっくり返したja1ウトの上に代わりのウトを重ねて、ハチを上のウトに移すべく、下の方のウトを、コツコツ叩いて、いわゆる叩き上げをしたが、いくらやっても、ちょうど、二つのウトの境目から上にどうしても移動しない。

 そのうちに、隙間から沢山のハチが出て乱舞し始めて、最初の分蜂の時に止まった蜂球板に蜂球を作りだした。已む無く、直接新しいウトに取り込むことにして、今回は手のひらで掬って入れようとゴム手袋を突っ込んだが、予想に反して静かにしてくれず、ワンワン飛ぶ始末(素手でやる自信はない)。仕方が無いので新しいウトを小脇に抱えて蜂球の下に持って行って、逆さにしてそのなかにエイッと落として上下を元に戻した。かなりの数はそれでウトの中に納まったが、逃げ出したハチがまた蜂球をつくる。結局、従来方式でポリ袋に取り込んで、新しい巣門の前で放つ。その多くがまた蜂球を作る。今回は新しい試みとして、蜂球から一旦小さな段ボール箱に取り込んで、蓋をして少し落ち着いてから、巣門の近くで蓋をあけてやる、この方法だとあまりワンワンしない。これらを三四度繰り返していたが、ハチは嫌気がさしたかいままで蜂球を作っていた蜂球板から少し離れたところでブンブンやり始めた。

 どうするかと見ていると、今度は先日巣を取ったあと、しばらく陽に晒すつもりで(時間が無かったこともあるが)横に倒しっぱなしの一号ウトのなかで蜂球をつくりはじめた、その前から観察していたのだが、どうも、そのなかに大きなハチがいる、これが女王蜂か、そうすると、どうしようか。このまま、この1号ウトを使うことにしよう。先日取り外した天板を被せて、丸胴ウトを立てた。

 ところで、ハチが全部出てしまった元々のja1号ウトの巣を取り出そうとしみじみウトの中を覗いてみたところ、不思議なことに、どうもこの中にはスムシが居る気配が無い。綺麗なものである(写真1写真2)。うーん、少し早まったか。でも、幼虫は全然いない、蜂子出しで幼虫は居なくなったのだ。でもハチが沢山いる、想像以上に沢山のハチが居た。

 さてどうしたものか。結局、新しく置いた重箱式ウト(ここに一番多くのハチが入っている)の傍に、無人(蜂)のja1ウトをそっと元に戻して(この中には、少しグラグラしているが何層にも連なった巣がある)、それから、数は少ないが、もしかしたら女王蜂がいる丸胴式ウトの三基が並立して立つことになった。女王蜂は一匹なのでどれかが残るか合流するか、あるいは全部逃げ出すか。おそらく全部逃げ出すと思う。この一年は非常に貴重な経験をさせてもらった。短い期間に蜂飼いの全部の経験をさせてもらった(本格的な採蜜はダメだったが)。今後は自然相手なのでいつになるか分からないが、この経験が大いに役立つだろう、いやいや大変な半日だった。

 実はもっとやっていたかったのだが、今日は娘の学校のプール監視当番日、今年はカミさんが出てみたいというので、太郎の子守で留守番、午後の作業の蜜蝋作りは今日は出来なかった。



平成23年8月9日(火)

 立秋。は昨日だったか、カッと照りつける夏が無いまま、ここ数日、なんとなく秋の気配を感じるような気がする。と言うより、ここでは元来そういった猛暑を経て秋を感じるということは無い。いつのまにか稲ももうかなり実っていて、あと一月もすれば早や稲刈りだ。今年の米の値段はどうなるのだろうか、去年産米が高騰しているらしい、放射能に関係のない九州産の新米の価格動向が気になる。
  最低気温 22.6℃ (03:05)、最高気温 29.2℃ (15:39)

 今日は山の下に降りる用事があったので、ついでに、以前から聞いていた、少量でも売ってくれる鋼材屋に行ってみた。合志市の工業団地内にある吉弘鋼材 <http://www.yoshihiro-kouzai.jp/index.html>である。

 話に聞いたとおり、確かに、素人が行っても親切に応対してくれて、今日は様子見のつもりだったが、試しに計算してもらった値段が想像していたより安かったので(もっとも、本当のところは高い、安いの目安は分からないが、自分で短期間ながら経験したところから割り出した基準であるが)アングル材を買ってきた。t6 50mm L6m 2本 

 ただ、ここでは最低の単位が6mのようなので、それより短いものが欲しいならば、ホームセンターで買うしかないだろう。事実、帰りに、小さい鉄板を買うために寄ったホームセンターで同じ品物を比較したところ、ホームセンターのほうが遥かに高かった。

 6mのアングル材を軽トラックの屋根方向に突き出して切らずに運ぼうと思ったが、そのまま積んで帰る人もいますが、やめた方が良いですよ、という店のアドバイスで、そこで切ってから積んで帰ってきた。切断機は自由に使わせてもらえるので、無駄が出ないように自分が必要とする長さが取れる寸法でうまく切ると良い。

 これで、今後、もし在庫が有るようなら「坂の上」でお願いして、無ければ今日行った鋼材屋さんでということになるだろう。

 図書館から「下町ロケット」が戻ってきました、と言う連絡メールが入ったので、プールから帰る娘を学校に迎えに行って、その足で寄って借りてくる。因みに、貸出期間は2週間である。


平成23年8月8日(月)

 曇り。それでも気温は結構上がっている。外に出なかったので暑さは感じなかった。
     最低気温 23.4℃ (05:49)、最高気温 29.3℃ (13:49)

 完全休養日、午前中いっぱいかかって今回のキャンプの写真をアップする。

 太郎、月例の体重測定、キャンプのために、二日遅れで実施、10.2キログラム。
平成23年8月6日(土)〜
平成23年8月7日(日)


 一泊二日の日程で、こども会のキャンプに家族で参加する。大分県国東半島豊後高田市にある長崎鼻海水浴場である。往きは途中別府市にある水族館「うみほたる」を見学してから現地に入る。

 初日は遠く台風9号の影響か、朝出掛ける時からずっとほぼ終日雨で、せっかくのキャンプが台無しになるなと心配していたが、キャンプ場に着いた時には雨が上がっていて、夜のバーベキューも無事に楽しむことが出来た。宿泊地にはログハウスのバンガローが幾つもあって、それらに分宿した。家族単位では無くバラバラの組み合わせだった。

 明けて7日(日)は雨の心配は無かったが、雲が多くて風もありコンディションは決して良くはなかったが、それでも海に入るのが初めての子も多く、皆歓声を上げて海水浴を楽しんでいた。

 昼ころまで海水浴を楽しんでから、子どもたちはスイカ割りに興じ、昼食にお母さんたちが作ってくれたカレーライスを食べてから、午後2時ころキャンプ場を後に家路に着いた。風があり日射しも強くなかったので苦心して用意して行ったタープの出番は無かった。

 海に縁のない地に住むこどもたちが心から喜んでくれて本当に良かったと思う。小生はもうほとんど動くこと無く、皆さんが用意してくれたスケジュールにただ乗っかって、付いて行っただけで何も役に立つことはしなかった、カミさんも太郎の世話に追われてあまり手伝いも出来なかった。本当にこども会の保護者の皆さんの献身的な働きで今回のキャンプが上手く行ったのだと思う、我々家族はただ感謝するのみである。もっとも若いお父さんお母さん方も決して自らが楽しむことを忘れておらず、ほぼ明け方近くまで飲んだり食べたりして夏の一夜を楽しんだようだ。小生は、せめて記録写真だけでもと今回も180枚くらい撮った(がさすがに最後の方はかなり手を抜いた感じがする)。

 留守中の外界のニュースは全く入らなかった。現地はラジオも受信環境が悪くて放送が入らなかった。ノートPCも持って行ったが、公衆無線LANは全く受信できず、ここよりネット環境が悪いところがあるのかと思った。台風の余波があるのかないのか、家のことがちょっと心配だったが、まったく何事も無かったことにホッとしている。

(いつものように推敲が面倒なので撮った写真はほぼ全部載せた、それでも撮り損なったシーンは沢山あると思う、もし、皆さんが撮った写真の中で掲載希望の写真があればご提供ください、公私の別なく可能な限り全部載せます、記念になります。)

 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 1/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 2/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 3/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 4/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 5/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 6/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 7/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 8/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻( 9/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(10/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(11/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(12/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(13/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(14/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(15/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(16/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(17/18)10枚
 つばめ子供会 2011 summercamp in 国東半島長崎鼻(18/18)10枚


平成23年8月5日(金)

 今日は涼しかった、夕方近く雨になり、ともすれば肌寒ささえ覚えたくらいだ。きのうあった熱帯低気圧は消滅したようだ、強い台風9号は沖縄をかすって進んでいるが速度が遅く、いかに台風慣れしていると言え長時間暴風雨に曝されて大きな被害が出なければいいが。
   最低気温 22.6℃ (02:22)、最高気温 25.3℃ (11:03)

 今日は午前と午後、宮地のM永家でパソコンのインストラクター業務をする。

 カミさんと娘はキャンプの準備で一日忙殺されていたようだ、たかが一泊の海水浴にどうしてこれだけの大荷物になるのだというくらいの量になっていた、海外旅行でもするつもりか、ったく・・・・・


平成23年8月4日(木)

 晴れ。今日はカラッとした東風が思いっきり吹き渡って体感的には実に爽快だった。
   最低気温 22.4℃ (05:53)、最高気温 28.9℃ (15:29)

 台風が一度に三個(一個はまだ熱低であるが)も発生している。三つとも九州には影響がなさそうだが、今年はこの先一体どうなるのやら。

 お盆が近いの、年一回の墓掃除に山に登る。墓地までの道を付けようと思っていたが多分正士さんがやってくださったのだろう、墓まで綺麗に道が付いていた。墓地も思ったほど草が生えていなかったが、倒木が何本か墓石の上空を覆っているので、少し切らなければならないだろう。今日はざっと刈って、改めて直前に掃除に行くことにした。

 午後から、作業台の制作の続きをする。一旦枠をL字型に二組み溶接したが、綺麗に直角は出て溶接歪みは無かったが、L字型二組で四角形を作ったところ、どうも、サイズが計算したより少し大きい。これは各片の両端を45度に切る時のアングルの垂直面まで入れて切るか、垂直面を外して切るかの違いで、小生は外して切ったので、少し大きくなってしまった。気に入らないのでL字型に付けた部分を切断機で切り離して四片に戻して、改めてディスクグラインダーで丁寧に修正した。急ぐ旅では無いので楽しみながらやる。


平成23年8月3日(水)

 晴れ。朝、朝日に高岳の峰が輝いていた。午後には大きな積乱雲が湧いていたが、積乱雲を背景にもう沢山の赤とんぼが飛び交っている、幸いに雷も夕立も無かった(夕立はあった方がいいのか)。
   最低気温 20.2℃ (05:08)、最高気温 28.5℃ (13:51)

 キャンプに持って行くタープを、張るのが10年ぶりになるので、部品が揃っているか確認のために張ってみた。とにかく10年前、バケツをひっくり返したような雨で泥が付いたままに仕舞い込んであったので、カミさんと娘が今日拭き取っていた。昨日作ったペグもここでは大丈夫だが果たして砂浜で利くかどうかである。

 作業台、溶接専用にするか、あるいは作業全般用にするかどうなるか、とにかく制作に取り掛かった。切断機のバイスを切断角度45度に設定できるのでアングルの端は簡単に切れると思っていたが、確かに一方は45度で切断できるが、アングルの反対側は、逆になるので出来ない。困った、ガスで切ろうかと思ったが、窮余の一策で、端材を点付けにして、その端材を切断機の45度のバイスで固定して無事に切断出来たが一般的にはどうやるのだろうか。とりあえず上段の枠の材料切りは出来たが、後の材料がまだ無い、明日は溶接である。木と違ってちょっと片手で、なんて出来ないので結構疲れる。なんだか小さな鉄工所のようになってきた。

 メダカが沢山孵化している。その幼魚を親が食べるので、大きな水槽には幼魚たちを、親三匹は小さな水槽に入れておいたところ、酸欠だろうと思うが、親メダカ三匹、今朝皆死んでいた、もっと気をつけてやれば良かった。

memo. BB-HCM371/29.5k
平成23年8月2日(火)

 晴れ。少し雲が多かっただろうか、ちょっとにわか雨もあった。台風9号、沖縄は大変そうだが、良い方向に進んでいる。台風が日本に近づいてスライスしないでフック状態で進むのは、太平洋高気圧が強いのと、偏西風が弱いということだろうか。
   最低気温 22.3℃ (04:56)、最高気温 28.9℃ (12:55)

 週末にこども会で海水浴キャンプが予定されていて小生も引率で付き合うことになっている。宿泊はバンガローだと思うが、砂浜は直射日光が強いのでカミさんがタープを持って行きたいと言う。タープとは早い話が(日除けの)テントの様なものである。このタープ、10年前(H13.8.9)に移住するために我々がこの地にやってきた最初の日にテントを張って以来の出番である。屋根裏から引っ張り出してみたが、ステー用のロープも、ペグも無くなっていた。今回は砂浜で使うので普通のペグでは短いだろうと、長いペグを自作することにした。ホームセンターで適当なものは無いかと探したら、ちょうどいい長さの鉄筋アンカーが値ごろな価格で売っていたのでそれを買ってきて、ガスで曲げて、切断機で先っぽを鋭角に切ってサンダーでバリを取っておいた。こういう作業はもうお手のものである。ただ、よく調べてみるとペグは6本で良いと思ったら全部で12本必要なようである、明日また追加制作をしなければ。(娘が聞いたら怒るだろうが、老骨には山と違って海はこたえるんだよなあ、内心密かに神風は吹かないかなあと思ったり、してはいけないのだ)(写真1写真2写真3


平成23年8月1日(月)
 晴れ。午後に入って一時雷が鳴る。
    最低気温 21.2℃ (05:48)、最高気温 29.0℃ (11:45)

 朝一番でモニターを見ると一号ウト、いやにアリが多い、昨日のスムシの件があったので、もしやと思って、傾けてウトの中を覗いてみた、なんとja1ウトに勝るスムシの狼藉ぶり。ハチもウト内には数匹しか見られなかった。ハチが居なくなるとすぐにアリが群がる。初心者判断だが、先日の取り込みに失敗したハチの集団は、分蜂でなくて、スムシに嫌気がさして逃げ出したものだったのだろう。その後も暫くは一号ウトではハチの出入りが見られたので、分蜂だと思っていたが、残っていたハチは逃げ遅れたか、あるいは残務整理でもしていたのだろうか(冗談)。

 こうなると、もう蜜が貯まっているかどうか分からないが、ハチの巣を取り出して、採蜜をするか、最悪、蜜蝋を採るしかないな、ということで、急遽作業を開始することにした。作業開始前、しばらくウトを横にしたままにしておいたが、数匹が舞っているだけで、もう女王蜂もいないのだからこのハチたちは放っておくしかないだろう。

 ハチウトの天板のビスを外して、恐る恐る板を取ると巣が姿を現した、そして見た瞬間、こりゃあ駄目だとすぐに分かった、ハニカムがスカスカなのである。本来は、巣の一番上に純度の高い蜜がびっしりと貯蔵されているはずなのだ。

 巣をそっくり取り出してみて、更に驚いた。こんなにスムシがいるものか、気持ちが悪くなるほど沢山のスムシが巣くっていた。ピンセットで摘まんでは瓶に入れたが軽く100匹はこえただろう。これはもう偏に蜂飼いの怠惰のせいである。丸胴の巣門はハチ一匹がやっと通れる隙間しかないのにスムシの親、ハチノスツヅリガはどうやってウトの中に卵を産むのだろうか。

 今日の結果から想像するに、巣の床に黄色の細かい巣の粉が落ちている、多分、他のウトにも大量のスムシが巣くっていると思われる。スムシが入らないように予防の散布薬は以前師匠から貰ったが、一旦巣の中に入ってしまったスムシはもう駆除できないのだろう。

 ガッカリしていても仕方が無いので、採蜜は諦めて、蜜蝋を作ることにした。巣を一枚一枚はがすとその間にもスムシがワッといる。それでも巣の一部には黒々と蜜が貯まっているのが分かる。それらを切り離して、細かく砕いて漉し布で絞ったところ、ようやく100ccくらいは採れただろうか、一年掛かってたったこれだけである。一応は、スムシが巣くっていた所を避けて採蜜したが、それでも若干のスムシが見つかり、絞る前に摘除したが、ハチの子は食べることが出来るようだが、スムシが居た場所のミツ、そのまま舐めても大丈夫なのだろうか、それに透き通るような淡い透明な蜜でなくて、少し色が濃い気がする、師匠に訊ねたいところだが、師匠は今ちょっと取り込み中なので訊けない。ハチミツは加熱はしないだろうし。

 蜜蝋もあれだけ大きな巣にもかかわらず、思ったほどの量は採れそうにない、何度も過熱して不純物を取り除くのも結構時間がかかる。

 ミツバチを飼うのも結構大変な作業である。

 ニホンミツバチ 1号ウト 採蜜あえなく失敗 連続写真 1/2(11枚)
 ニホンミツバチ 1号ウト 採蜜あえなく失敗 連続写真 2/2(11枚)



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