平成23辛卯(2011)年12月の記録(新しい日付けの順)
平成23年12月31日(土)
晴れ。
最低気温 -4.8℃ (07:26)、最高気温 8.7℃ (14:17)
ようやく起きぬけに年賀状を投函しに行く。
昼近く、こどもたちの昼食の材料でも仕入れに行こうとしてパジェロのエンジンが掛からないのに慌てる。石田オートの孝臣さんに電話をしたら大晦日にもかかわらずすぐに駆けつけてくれた、これがディーラーならもう正月休業に入っていて連絡がつかなかっただろう。事実、以前、何でもない日なのに急場に全く不愉快な応対に合ってからディーラーとの取引ははやめて地元の工場に頼むようにした経緯がある。
一旦は動くようになったが、不安定なので、入院させることにして、代車を借りてきた。今の車は来年の秋に車検が来るが、遅くともそれまでに、もっと小さな車に乗り換えようと思っている、軽で良いと思うがちょっと小さいかな、やはり5ナンバーの小さなやつかな、とにかくこちらでは車は大事な足なので必需品である、ただ、こちらに住むようになって、そう遠出をすることもないし、大きな車は必要が無い、何よりも年金生活者にとって大きな車は金が掛かって仕方が無いのである。
カミさんは今日も仕事なので、娘と太郎の子守をしながら、仏壇と神棚の掃除をして玄関を少し掃除をして、後は蕎麦を打って日が暮れた。
夜には家族で恒例のすき焼きを囲んで、娘は母親と紅白○○合戦を見ている。
本年は東日本で未曽有の大震災があったが、斯くして我家は平成23年辛卯大団円である。
平成23年12月30日(金)
曇り。
最低気温 -2.9℃ (05:36)、最高気温 6.5℃(14:36)
ただ「忍」の二日目を終わる。
カミさんと娘が、大晦日に紅白○○合戦を観たいと言うので、二階の婆様がいた部屋に置いてあるテレビ一台にだけ付けてあった地デジチューナーを居間のテレビに付け替えてやった。居間のアナログテレビが一番大きくてワイドテレビなので、観るのであればこの受像機が一番適しているのだろうが、カミさんは年末に邪魔になるから無料回収の場所まで運ぼうかと言っていたが、おそらく前言撤回をするのではないだろうか。娘はほとんど必要を感じていないがどうやらカミさんあたりからテレビ復活の動きが見られそうだ。
平成23年12月29日(木)
曇り(だったか、晴れだったか)、ともかくも穏やかだったという印象である。
最低気温 -4.6℃ (07:11)、最高気温 8.1℃ (12:05)
今日から太郎は保育園が無いので自宅保育となる。昨夜の発熱、今朝には全くの平熱になっていた、何だったのだろう。そんなわけで、なんとか独り遊びをさせようと考えるのだが、何かに興味を示してもすぐに飽きるので大変である。お姉ちゃんが小さな頃使っていた滑り台が屋根裏に置いてあったのを思い出して組み立ててやった。最初は恐る恐る滑るようなへばりつくような風だったがすぐに慣れて得意そうに滑っていた、それも、すぐに飽きてしまって、せめて昼寝くらいタップリしてくれよと思っていたら、いつもなら二三時間寝るところ、今日は三十分で起きやがって、爺様園長、お姉ちゃん副園長は保育に苦労した。例年であれば正月を控えて大忙しの時期なのに、今年は何も出来ない、まあ、お客さんがあるわけでもないので、普段どおりで行けばいいことにしよう。
カミさんが今朝軽トラックで出勤しようとしてエンジンが掛からないと言って慌てていた。考えてみたら軽トラックを買った時のバッテリーのままで、今朝の寒さにとうとう駄目になったのだろう。もう一台の車からブースターケーブルを使ってエンジンをかけて出掛けて行ったが、どうせまた明日の朝、同じことになるだろうから、勤務先で売っているのだから買って来いと言っておいたところ、帰りに買ってきた。
早速バッテリー交換をしたが、軽トラックのバッテリーは荷台の下の狭いところに押し込んであってターミナルが横からでないと外せない上に、たっぷりと塩を吹いていて錆びついていたので取り外しに往生した。
平成23年12月28日(水)
曇り。朝は冷え込んで、日中はあまり日は射さなかったが穏やかで過ごしやすい日だった。
最低気温 -4.6℃ (07:03)、最高気温 7.4℃ (15:04)
今日は太郎の保育園の終業式である。もちろん式や通信簿など無いが、市立であるために今日が仕事納めになるのである。カミさんは大晦日までずっと仕事なので、明日から小生が園長となる、地獄の週間が始まる、娘副園長にも頑張ってもらわなくては、ヤレヤレ。最後の日は穏やかに終わるかと思っていたら、夕方近く保育園から電話があって、熱が38℃くらいありますという、カミさんが仕事が終わって帰ってきていたので迎えに行って古閑医院に連れて行ったが、まだ今の段階ではなんだか分からないと言うことで帰って来た。夜になっても熱は若干下がり気味で元気なのでこのまま様子見ということにした。幸いに明日も医療機関はやっているそうである。
今日は午前中、年賀状を印刷しようと思って、インク切れしていたプリンターに大分前に取り寄せてあったリサイクル品のインクカートリッジを入れたが、これが駄目で、役立たず。今から純正インクを取り寄せる時間も無いし、そもそもこのプリンター、以前豆腐屋さんで調子が悪いからと買い替えたものを貰ってきてだましだまし使っていたものなので、この際、安いプリンターでも買おうかと思って近くの家電量販店のベスト電器に飛び込んだ。もともと買うつもりがあったわけではないので機種の検討もなにもしていなかったが、HP製でphotosmart wireless b110aという機種が4,800円とある。無線Lan対応のプリンター、スキャナー、コピーの複合機である。値札の付け間違いじゃないかと思ったがそうではないようだ、どうしてこんなに安いのか、安いには安いだけの理由があるはずだと問うたがハッキリした答えが無い、これじゃあインクカートリッジ代より安いではないか、と思って即断即決。帰ってからネットで調べたら、確かにどこも安い。もうモデルチェンジをしたようだが、それでも4800円はちょっと安すぎる、物の価値が最近は良く分からない時代である。今日は時間が無いので明日セットすることにした。
午後からひたすら薪作りをした。半日もチェンソーを使うと山ほどのノコクズが出る。ボンがいつも氷点下の冷たい地面に横たわっているのが可哀想なので、小屋の近くに撒いてやったところ、ションベンをかけていたので、馬鹿な奴だと思っていたところ、その後でちゃんとそこに横たわっていた。一応自分の臭いを付けていたのだろうか。
平成23年12月27日(火)
晴れ。抜けるような青空が広がる。風も無く日中の屋外作業、それほど気温が高かったわけではないが汗ばむほどの暖かさを感じた。
最低気温 -5.7℃ (00:23)、最高気温 7.2℃ (15:21)
娘が一人旅を終えて昼の便で無事帰って来た、少しは成長しただろうか、久しぶりに賑やかな団欒が戻ってきた、そのぶん、おじいちゃんおばあちゃんはホッとした反面、寂しいだろう、随分とお世話になったようである。
夕方近くなって薪作りに専念した。気が付いたら薪のストックが心細くなっていた。カミさんが年末はずっと仕事で、太郎の保育園は明日までなので、その間小生は屋外作業が出来なくなるので、今日と明日とで年末年始分の薪を切っておかなければならない。
明日もまた冷え込みそうである。
平成23年12月26日(月)
晴れ。
最低気温 -2.1℃ (07:41)、最高気温 2.6℃ (13:13)
7と21のワイヤーアンテナの地上高が低くてよく聞こえないので、年頭のQSOパーティを前に、高く張り直した。支柱を数メートル高くして随分と感度が良くなった。その工事で、ポールに滑車を取り付けるべく加工するために、ガスで温めて鉄棒で環を作ろうと思って、酸素のボンベを開いたところ、吹管からシューシュー音がするので、基本に則って水に沈めたところ、酸素のバルブ二か所から泡が出ていた。以前修理に出した時に緩んで帰って来たのだろうか、その後、使っているので、そうでもなさそうだ、低温でネジが緩んだのだろうか。スパナでしっかりと締めたが、大事故につながる、はやり始業点検は必要だと言うことが判った。
カミさんは今日は休みだったが、年末の家の掃除の他に、軽トラックを洗っていた。軽トラックなんかどうせ汚れるのだから洗う必要はないよ、と言ったが、カミさんは通勤に使うので、新しい年を少しでも綺麗にして迎えたいのだろう。買って初めてだなと言うと、いや三回目くらいだそうだ、小生は乗用車だって洗ったことが長い人生で数えるほどだから、ましてや軽トラックなんかである。
豆札公民館のクリスマスツリーのデコレーションを今日撤去してた。
明日も冷え込みそうだなあ、弓張月と宵の明星か。
平成23年12月25日(日)
曇り、時々雪が舞う。
最低気温 -2.8℃ (08:03)、最高気温 1.1℃ (13:33)
昨夜雪が降ったようで、朝起きたら真っ白な風景が広がっていた、ただ積雪量としては数センチくらいだったろう。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
昼に蕎麦を打って、それ以外は、太郎の相手をしたり、本を読んだりして過ごした。娘は今日は上野動物園に連れて行ってもらったとか。
平成23年12月24日(土)
曇り。日中は時々雪がチラチラ舞っていたが、夜に入ってから地面が少し白くなるくらいに雪が多くなっている、ホワイトクリスマスになるのだろうか。
最低気温 -6.0℃ (05:12)、最高気温 3.7℃ (14:40)
今日はカミさんは仕事、太郎も土曜保育、小生だけが家に居ると言う土曜日になった、ということで、太郎のキッチン、ダイニング侵入防止フェンスを作る。太郎はもうベビーベッドに収まりきれなくなっているので、それを分解してフェンスに転用した、午前中に仕上げて午後から薪集めに行こうかと思っていたが、結局一日仕事になってしまった。(写真1・写真2)
夜は、娘が旅行中なので、太郎だけのクリスマスになった。太郎はクリスマスやサンタクロースが何たるかがまだ全く分かっていないので、今年は我家のサンタは出動ナシとしたが、あちらこちらのサンタさんから届いたプレゼントがあったので、ケーキだけ用意して例年通り俄か耶蘇教徒になった。(写真1・写真2)
平成23年12月23日(金) 天皇誕生日
雲り。なんとも寒々と荒涼とした冬景色が広がる一日だった。
最低気温 -3.7℃ (07:31)、最高気温 3.5℃ (13:49)
娘が千葉のおじいちゃんの家に生まれて初めての独り旅。阿蘇熊本空港に家族で見送りに行ったが、ゲートをくぐって搭乗口まで見送りに行けるのは保護者一名とのことで、特にOKをもらって太郎も連れてカミさんが入って行った、小生はその間ロビーで待っていた。最初のうちは威勢が良かった娘も、イザ出発となると不安と緊張とで少し顔がこわばっていたそうだ。その娘も昼前に予定通り無事に発って、小生たちが帰る途中、昼飯を食っている時に、もう着いたよ、と元気に電話があった。最近では一人で十分に騒々しいのが加わったが、それでも普段居るのが居ないとなんとなく火が消えたようではある。羽田に着いた足で東京タワーにつれていってもらったと夕方電話があったが、向うでの様子はおじいちゃんが写真でも送ってくれるかもしれないが、元気で帰ってこい。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
平成23年12月22日(木)
曇り。
最低気温 0.3℃ (20:35)、最高気温 5.8℃ (12:51)
本日は冬至、また一陽来福とも言う、なんとなく明るい未来を想像させて好きな言葉である。今日冬至の日の太陽はここに沈んだ、と言いたいが雲があって見えなかった、昨日は綺麗に沈んだのだが。
太郎を保育園に送った足で床屋に行く
プールは、明日からはこどもたちの冬休みに入り、近隣の大学の水泳部やスイミングクラブなどの合宿で混雑するので、今日が最後かなと思っていたら、娘が二学期終業式で昼ころ帰ってくると言う、実質今年のプールは昨日が最終となってしまったようだ。63キロ台に落として泳ぎ納めとしたかったが、年明けの冬休みが終わるころまでまたかなりリバウンドするだろう。
娘は今日は給食がないので、昼飯に牡蠣の炊きこみご飯を作った。カミさんは数年前に突然アナフラキシーを起こして七転八倒して以来牡蠣が食べられなくなったので、カミさんが居ない時でないと我々は牡蠣を食べる事が出来ない。
午後から市役所に献血に行く、もう歳なのでそろそろ引退だなと思ってずっと行っていなかったが、冬場で輸血用血液が不足しているので、というハガキがきていたのでまた応じることにした。
夜、恒例の柚子湯を立てる。昨年太郎を入れた記憶が全くない、遡って見てみると確かに入れていた、ボケか。
平成23年12月21日(水)
曇りがち。
最低気温 -2.4℃ (07:16)、最高気温 8.6℃ (14:44)
朝のうち、先日漬けた白菜がどうも塩が薄くて水の上がりが良くなく、味もパッとしないので、一度全部出して塩を追加して漬け直した。
各所の支払い回りなどで午前中いっぱい掛かってしまった。ついでに明日締め切りのジャンボも滑り込みで買ってきた。働いている人間は将来、昇給などがあるが、年金生活者は全くそういった可能性が無いので、一攫千金に頼るしかないのである。
午後から軽トラックのスタッドレスタイヤ交換をしてもらう。
太郎が最近、活発に動き回って、手当たり次第、扉を開けたり、棚のものを引っ張り出したりで、収拾がつかないので、特にキッチン回りは危険物が多いので、間に合わせでベビーフェンスで通せんぼを作った。カミさんはもっとダイニングルームまで柵を広げてくれと言うが、急に言われても簡単には出来ないので、今日のところはとりあえずはキッチンだけにした。一度なんか、知らない間にキッチン下の扉を開いて、包丁を取り出して振りまわして歩いていてヒヤリとさせられたことがある。娘の時は階段のフェンスもだが、こういった心配は一切なかったが、男の子だからだろうか、或いは個体差だろうか。保育園でもとにかく動き過ぎらしくて、ちょいちょいオデコに青あざを作って帰ってくる。
太郎、保育園の帰りに、母親に連れられて、たくもと小児科で肺炎球菌ワクチンの二回目接種。
プール2000m、64.5。一方、娘、今日のプール進級試験、不首尾だったようだ、まあ、次があるさ。
平成23年12月20日(火)
晴れ。穏やかに晴れる。もう寒くて当たり前なので改めて騒ぐこともない。幸いなことに室内はいつも暖かいので、特に朝方の寒さに直接曝されることもなく、へえ、そんなに低いのかという程度である。強く冷え込んだ時は風が無いので、こどもたちも登校時には思ったほどの苦痛は無い。
最低気温 -5.3℃ (05:36)、最高気温 6.8℃ (14:38)
アメダス阿蘇乙姫 -6.3℃ (06:36) 一応今季最低気温
昼から三野のI下さんのお宅に欅材を頂戴に上がる。数年前にも、あの時は確か杉だったと記憶しているが戴いたことがある。今回も覚えていてくださってご丁寧に電話をくださった。あともう一回分ほど残っている、日を改めて伺うことにする。(写真1・写真2)
プール2000m、64.1。いよいよ63台に突入近しである。一体どのくらいの体重がベストなのかが判らないが、小生が学生の頃は60キロだった。生命力みなぎり、気力横溢していた時代に60キロだったのだから、現在はまだまだ太り過ぎと言うことになるか。でも学生時代は下宿生活であまり満足には食っていなかったなあ。
平成23年12月19日(月)
晴れ。今日は風も無く、屋外作業でもあまり寒さは感じなかった。
最低気温 0.1℃ (07:23)、最高気温 7.2℃ (14:03)
こどもたちもそろそろ二学期が終わるので、最近は学校も早く終わるようである。今朝も元気に登校して行った。
午後から、下屋の屋根葺きをする、若干手直しをする余地もあるが一応完成とする。応急で雨の降りこみを防ぐようにはしてあるが、後は壁張りである。
あの男、一応は「畳の上で」ということになるのか。
平成23年12月18日(日)
晴れ。今朝も結構冷え込んだ。日中も風があり寒かった。
最低気温 -4.5℃ (04:31)、最高気温 5.8℃ (13:03)
昼、定例となった蕎麦を打つ。娘がもり蕎麦だと食べていて寒くなるというので、今日はエビ天を奮発して、天婦羅蕎麦にした。
松永夫妻と上野夫妻がご入来、薪ストーブを計画中の上野氏の実際に稼働中の我家のストーブの見学会となったのである。
平成23年12月17日(土)
晴れ。風が強くて体感温度が低く、昨日同様に外作業は大変だった。
最低気温 -3.6℃ (00:32)、最高気温 3.2℃ (11:42)
昨日のアクセスカウンターが急激に伸びていた、多分、「坂梨宿」のライブカメラで古閑の滝の凍結具合を見たついでに寄ったのだろう、坂梨宿カウンターも随分と伸びていた。今日もそういう傾向にある。
カミさんは休み、太郎も保育園休み。
下屋作りを続ける。屋根の垂木を付けて野地板を貼るところまで済ませて、波板を直接野地板に打ってしまおうかとおもってやりかけたが、はやり桟木がないとうまくないことがわかり、今日の作業はここまでとした、とにかく寒かった、それでも寒さを自覚しているのでこんな場合は風邪はひかない、逆に、それほど寒くなくても気持ちに油断があると風邪を引く、引く、引かないは精神力の問題なのだろう。
平成23年12月16日(金)
曇り。今日は実に寒かった、風があったので体感温度は更に下がった。厚着をして外で作業をしたが体の芯まで冷えた。
最高気温 3.7℃ (00:00)昨夜の日付が変わった時がいちばん高かった。
最低気温 -1.9℃ (20:05現在)夜に入って下がり続けていて、明日の朝は氷点下5℃の 予報が出されている。
古閑の滝の凍結もいよいよ本番を迎えつつある。
下屋の追加工事、なにもこんなに寒くなる時を選んでやることもあるまいと言うタイミングになった。寒い上に、時折雪が舞いだして、覆いのない薪小屋に雪でも積もるとまずいと、工事を急いだがなかなか進まず、とりあえず、今日のところは今までの屋根を応急で被せておいた。
ネットオークションで、自動遮光溶接マスクが数十個出されていて、入札価格が高い順で落札者が決まるわけだが、本体価格1,900円で落札価格が決まり、なんだかちょっと安すぎるなあと心配だったが、今日届いて早速溶接作業に使ったが、これは買い物だった、アークが出ると自動的に瞬間的に遮光マスクになる、実に便利な溶接面である。
軒を上げるために今までの単管では長さが足りないので、パイプを切って、今までのパイプに継ぎ足した。従来はボン・ジョイントという中継用の部品を使ってパイプを延長するが、今回は溶接でつないだ。パイプの肉厚が薄いので、2.6ミリの溶接棒を使って一番低い電流でやったが、それでも一本に穴があいてしまった。パイプの横向きである、薄くて難しい。
プール、2000m、64.8(この数字から動かない、また一つの壁のようだ)
平成23年12月15日(木)
うす曇り。昨日までよりは気温が低く、風もあって、屋外作業には寒い一日だった。
最低気温 3.3℃ (05:26)、最高気温 9.7℃ (13:51)
昨夜(日付が変わって、本日午後二時頃)、ふたご座流星群がピークだそうで、いっちょう夜中に起きて観ようかと思って、その前にとりあえず寝る前に夜空を見上げみようと、昨晩午後9時前に寒空のなか天空を眺めていると、30分ほどの間に3個ほどスーッと流れたので、これはピーク時が楽しみだと思って、夜中に起きてみたが、残念ながら雲が薄くかかっていて星空が見えなかった。
カミさんに代わって久しぶりに「みどりの爺様」をやる。
プール、2000m、64.8。
午後から思い立って下屋の左端部分の薪小屋の建て替えにかかる。以前作った時に、屋根の波板の桟が無いために、重みでベコベコに凹んでしまっており、その右に連なるこの度新築した下屋とのバランスが悪いので、この際、総て建て替えることにした。今回建てる部分は玄関先から表通りを見通せるようにしなければならず、さりとて、軒が低くすぎると、小屋に入った時に頭をぶつけるので、今までよりも軒を高く、且つ、通りを眺める視界を確保するという両方の要求を満たす必要があり、こんなものだろうかと、とりあえず、仮に組んでみた。立派になると薪小屋には勿体ないので、小生の道楽コーナーの一部になりそうである。
平成23年12月14日(水)
今日も本当に穏やかな冬日和だった、良い天気が続く。
最低気温 0.8℃ (08:03)、最高気温 13.2℃ (13:37)
今日はなんとなくタイミングを逸し、何も仕事をしなかった、しかし、プールには行った。2000m、64.8(いよいよ64キロ台に落ちてきた、ずっと66.2キロから動かなかったが、一旦そこを通り過ぎるとまたどんどん減っているようである)。
一昨日仕掛けたネズミホイホイに早速ネズミが三匹掛かっていた、子ネズミなのでまだ親がいるということだ。一緒に仕掛けた石見銀山の袋の方は巣に持って行こうと引っ張った形跡があるが食べてはいないようだ。
平成23年12月13日(火)
今日は穏やかに気持ちのいい日だった、冬のこんな天気をいつでも小春日和と言うのかと思ったら、小春日和という言葉を使うのは11月頃だけらしい、今の時期の穏やかな日和は「冬日和」というらしい。今日はその冬日和だった。
最低気温 -1.6℃ (06:16)、最高気温 12.2℃ (14:29)
太郎は保育園で歯科検診があって、そのあと、半日で早引けした。一週間ほど前からおむつかぶれ様の湿疹らしいものが、尻と陰部にかけて出来て赤く腫れて、なかなか治らないので、今日は仕事が休みのカミさんが古閑医院に連れて行って塗り薬を貰って来た。帰ってきてあまり気持ちのいい日和なので、玄関先でちょこちょこ歩き廻って、及び腰でネコに触っていた。(写真1・写真2・写真3)
小生は白菜を漬けた。スーパーで柚子を買ってきたが、一箱に14個入っていて398円だった。箱代や運賃などを入れて、こんなに安く売って儲けが出るのだろうかと他人ごとながら心配になる。カボスや柚子はこのあたりの特産品だがそれにしても安すぎる。全部は使いきれないので、冬至の柚子湯用にとっておくことにした。(写真1・写真2・写真3)
プール、2000m、65.0。アゼリアのシャワー系が全部故障だとかで、プールのシャワー、プールのジャグジー、それから温泉のシャワーが全滅だった。温泉は普段通り、あるいはシャワーが使えない分、いつも以上の湯量があったが、常連さんたちが、先だって一週間も休んで点検整備したのはなんだったのだと怒っていた。小生は、普段から風呂に入っても、ろくに洗わないので、特に痛痒を感じなかった。
午後から、下屋のドアの手直しをした、完全ではないかもしれないが、これでまあまあとする。
明日もまた良い天気のようだ。
平成23年12月12日(月)
晴れ。朝、ぐっと気温が下がる。このような時は不思議と寒くない、日中もポカポカと、まではいかなくても暖かかった。人間が体で寒暖を感じるのは数字とは別もののようである。
最低気温 -3.1℃ (06:57)、最高気温 9.3℃ (14:09)
午前中、種子島からH2Aロケットが打ち上げられた。内之浦からの打上げだとここからでも見えるらしいが、さすが種子島になると、ここから300キロ弱、どう転んでも見えるわけが無い、それは分かっているが、万一ということもある、という気がして、城山展望所に登ってみた。モヤで霞んでいて、しかも逆光、10時20分から10時40分まで南の空をにらんでいたが、ラジオのニュースで、10時21分には早々と打ちあがっていた。これで成功率は19/20で95%になったそうで、信頼性の高さの目安になるそうである。近年は内之浦からはもうほとんど無いと思っていたが、hibisumさんによると今月二回あるそうである、でも時間がなあ。
今日は結構働いた。午前中に、白菜を切って干した、白菜漬け用である、到来物の白菜である。
屋根裏に登ってネズミホイホイと現代版石見銀山を仕掛けた。最近、寝ていて、天井や壁の中でガリガリしていると娘やカミさんが言う、気密性の高い家なのに何処から入るのだろう、何年か前にも出没して駆除したことがある。
掘り残してあったサトイモを掘りだした。寒くなると凍ってしまうので、皆さん早々と掘りだして、土を深く掘って保存したりするが、めんどうなので、掘りだしたイモどうしようか、直接屋外でなければそう凍ることも無いだろうと思うが。
今朝春さんが村のクリスマスツリー用のイルミネーションを買ってきてくれたので、今日取り付けた。この電飾はLED球でカラフルなので一段と賑やかになった。そして、どなたか分からないが、デコレーション他を追加してくださっていた。(どうやら健太郎君と直樹君のお母さんらしい)
薪割りをした。
仕事の量としては大したこと無いが今日はいろいろやった。
平成23年12月11日(日)
曇り、朝方、雪がちらついたそうである、小生は気がつかなかったが。
最低気温 0.1℃ (05:43)、最高気温 5.0℃ (15:19)
またカミさんが御不例である、風邪を引いたとかで終日寝ていた、他の三人がピンピンしているのになんでオマエだけが風邪を引くのだ、自己管理がなってない証拠だ、久しぶりに朝からおさんどんでてんてこ舞い、それでも昼には蕎麦を打った。
サイト「坂梨宿」の古閑の滝ライブカメラが復旧した。これに合わせるかのようにここのところの寒さで少し凍り始めていた、その写真を撮るために少し走ったところ、これはノスリだろう、我家の横手の土手のガードレールにとまっていた。車で1メートルも無いところを通り過ぎる時も逃げなかったので、10メートルほど行ってから停めて撮った、猛禽類は結構警戒心が強いと思うが珍しいことである。
夜、坂梨宿場會の忘年会が「かんぽの宿」であった。何の遠慮も気兼ねも要らない仲間たちとの楽しいひと時、これも「百文」は一見に如かずであろう。
坂梨宿場會忘年会 連続写真 (1/4)
坂梨宿場會忘年会 連続写真 (2/4)
坂梨宿場會忘年会 連続写真 (3/4)
坂梨宿場會忘年会 連続写真 (4/4)
平成23年12月10日(土)
曇り、今日も寒かったなあ、でもこの季節ではもう当たり前だから改めて書くことも無いか。
最低気温 1.4℃ (00:00)、最高気温 4.0℃ (14:04)
坂梨保育園の「おたのしみ会」があった、クリスマスシーズンに開かれる学芸会である。宗教的な配慮があるからクリスマスという言葉は使わないのだろうと勝手に思っている。カミさんは仕事なので、娘と一緒に出掛けた。カミさんは小生にビデオを録ってくれと言っていたが、小生はカメラがあるし、動画を録るのは好かんから嫌だと言ったところ、娘に頼んでいた。ビデオは録っている間中ファインダーを覗いていなければならないので小生はやらない。そういうわけで娘がビデオカメラを回していた。
以下、「百文」は一見に如かずである。
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (1/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (2/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (3/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (4/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (5/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (6/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (7/8)
坂梨保育園 おたのしみ会 連続写真 (8/8)
平成23年12月 9日(金)
くもり。ほとんど気温が上がらずなんとも寒い一日だった。
最低気温 1.4℃ (08:01)、最高気温 4.4℃ (00:00)
今日から急激に寒くなって、阿蘇山も白く冠雪していた。そんななか、本日は娘の坂梨小学校、授業参観と持久走大会と親子給食会とPTA懇談会と盛りだくさんの行事があった。
持久走大会は毎年この時期に行われる小学校の行事で、今年も寒風を突いて行われた。1・2年生と3・4年生、それから5・6年生と三グループに分かれて、距離も変えて走る。娘も唇を寒さで紫色にして帰ってきたが今日が一番自己タイムが良かったそうで満足そうであった。みんなそれぞれの体力に合わせて精いっぱい頑張っていた。とにかく今日は寒くて、小生、手袋を忘れたので写真を撮っていて手がかじかんでしまった。安物のカメラなのでピントの反応が遅くて動く対象を捉えるのが難しくて、全員の写真を撮ろうと思ったがピンボケばかりになってしまった。
授業参観とPTA懇談会は母親が出席して、親子給食会は小生が出席した。小生のこどもの頃は敗戦後まもなくで給食は無かったので、この歳になって給食に非常に憧れがあり、昨年に引き続き、特に希望して母親に代わってオヤジが参加したのである。給食が無かったと言うのは正確では無くて、転校が多かったが、確か3年の時に在校した時の一学年だけ、給食があった。当時の給食は進駐軍の援助物資の脱脂粉乳と硬いコッペパンだけであった。脱脂粉乳・・・今ではスキムミルクと言い、味も良くなっているが、当時は五右衛門風呂のような大釜で煮立てて作ったので底の方が焦げて、ドロドロのミルクだった、それにコッペパンも硬いパンで、学校を休んでも、誰か級友が帰りに届けてきて、あの食糧難の食べざかりの時代でもパンから「逃げる事が出来なかった」という表現が似あうような不味いパンだった。だから今の子が豊かなメニューで食べている給食が羨ましくてしょうがないのである。
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (1/7)
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (2/7)
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (3/7)
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (4/7)
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (5/7)
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (6/7)
持久走大会 & 親子給食会 連続写真 (7/7)
平成23年12月 8日(木)
12月8日である。
雨、午後に入って上がる。最近は気温は低くても体が寒さに慣れて、かつ室内は暖房をして、それなりの服装をしているので改めて寒いなあとは感じることがなくなった。
最低気温 6.2℃ (11:42)、最高気温 7.7℃ (15:52)
注文してあった蕎麦粉が届いた、今回は品種を変えて5キロ注文した。
プール、2000m、65.0。
平成23年12月 7日(水)
なんとなく曇り空だったような気がする。
最低気温 2.3℃ (05:15)、最高気温 11.8℃ (14:07)
昨深夜、正確に言うと日付が変わった今日午前0時半頃、防災無線から宮地で火災発生のサイレンが鳴った。阿蘇には「夫婦火事」という言葉がある、火災が起きると、間を置かずにすぐにまた火災があるという。昨夜の火災がまさにそれである。集合住宅だったようだが幸いにすぐに鎮火報が流れた、ボヤで済んだのだろう。
歯の定期メンテナンスに行く。最近は、歯が悪くなる前に保険外診療であるが、定期的に歯を診てもらっている。
午後から下屋の窓の取り付けを行う、カメラの角度のせいで傾いて見えたようである。しかし、サッシドアがフレームは正長方形にはまっていると思うが、ヒンジで動く扉自体が少し片方に落ちている、リサイクル品なので止むを得ずか。
プール2000m、65.4。
平成23年12月 6日(火)
晴れ。穏やかに晴れる。
最低気温 4.1℃ (07:29)、最高気温13.9℃ (14:40)
午後から、下屋の造作の続きをやる、今日は窓を仮組した、水平を出しているつもりだが、写真を見るとどうも、何か傾いて見えるなあ。
日が落ちて、大丈夫だろうとは思うが念のためにと思って、クリスマスツリーのところに行ってみると、イルミネーションが点いていない。あれ?と思ってタイマーを見てみた。タイマーは商用電源の周波数で動くタイプで、その周波数設定のスイッチがありながら、そして九州は60Hzなのを分かっていながら、50Hzだと勘違いしていた。だから時間が狂って点灯すべき時間になっても消えたままだったのだ。60Hzに設定して動かした、今度は大丈夫だろう。
プール、2000m、65.5(どうやら65キロ台に入ったようだぞ)。
太郎、定点観測日。1年と5ヶ月、もう一人で体重計に乗れるようになった、11.6キロ。小生は今日プールのついでに風呂に入ってきたので、お姉ちゃんと一緒に入れと言って、二人で入らせた。少し介助したが、オヤジとしてはだんだん楽になる。
平成23年12月 5日(月)
朝は久しぶりに冷え込んだが日中は気温は高くはなかったものの風も無く穏やかに晴れて、屋外作業も楽だった。
最低気温 1.9℃ (06:44)、最高気温12.8℃ (13:57)
下屋のドアの取り付けをした、床が水平でないこともあって結構時間が掛かってしまい一日仕事になってしまった。
クリスマスツリーのイルミネーションの点灯時間を午後6時からにしておいたところ、昨夕、見に行ったところ、もう真っ暗だったので、今日から午後5時に繰り上げようとタイマーを変更しに行ったら、昨夜来、ずっと点きっぱなしだったようだ、どうも設定の仕方を間違っていたようだ。ムギ球なので結構無駄な電気を食っただろう。改めて、午後5時から午後10時までに設定を変更しておいた。
平成23年12月 4日(日)
とりあえずは晴れたが寒い一日だった。
最低気温 3.3℃ (07:47)、最高気温 10.4℃ (13:25)
昼、蕎麦を打つ。
午後から村の集会所脇のモミの木にクリスマスツリーの飾りつけをした。拝借した電飾は大量にあるのでとりあえずこんなものだろうという程度飾り付けた。特に皆さんには声をかけずにとにかく娘とやれるところだけやっておいて、あとは適当に皆さんがアレンジしてくれるだろうと思ったが、やはり高所作業は専門家に限ると言うことで、クリスマスツリーの言い出しっぺの仁美さんの御主人、隆一さんに登ってもらった、高いところは本職である。そのうちに気が付いた人がボツボツ集まりはじめて、美雪さんからは暖かい飲み物の差し入れがあったりで、なんとなく恰好がついたが明るい時に見るツリーはまだ少し飾りが少ない気もするが、灯りの点いた夜は結構豪華である、点滅式のために、点いている所と点いていないところなど、ただ少しバランスが悪いかも、まあ、それもおいおいと言うことで。午後6時から10時までの点灯をタイマーでセットしておいたが、午後6時はもう真っ暗なので、午後5時あたりからの点灯に変更したほうが良さそうである。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
平成23年12月 3日(土)
九州のすぐ東あたりだろうか低気圧があって東に進んでいて、九州には直接的には影響が無かったが、昨夜は少し風が強かった、今日は弱い雨が降って寒かった。
最高気温 10.7℃ (01:27)昨夜が一番気温が高かったのだ。
最低気温 06.5℃ (20:17)今夜、どんどん下がってきている。
カミさんと倅は不在、娘は休み。久しぶりに娘の水泳の上達ぶりを見るためにプールに同道する。以前より大分泳げるようになっている、もう少しで50メートルだな。500m、66.6。
平成23年12月 2日(金)
氷雨降るなんとも寒々しい一日だった。
最低気温 7.2℃ (01:41)、最高気温 8.6℃ (17:37)
今日は、我家が阿蘇に住み始めて丸10年目である。10年前までは、まさか自分が阿蘇に住むなどということは全く想像だにしていなかった。ひょんなことで、阿蘇に住もうという気持ちになって、あれよあれよと言う間に家を作って阿蘇に引っ越してしまった。もののハズミというものである。しかし小生にとってはこの10年が人生で一番充実した期間だったような気がする。この10年で母を送り、子二人に恵まれた、本来ならばこの歳だともう楽隠居のはずだが、この先、死ぬまで老前と老後の線引きが無いままに慌ただしく生きていくのだろう。
記念に家族写真をと思ったが、太郎は今日は保育園で昼寝をしそびれたようで、すでに沈没しているし、家族は早々ともうくつろぎの寝間着姿なので写真はやめにした。
娘の定期通院で放課後校門前でピックアップして阿蘇温泉病院に連れてゆく。
プール。2000m、66.2(またこの数字になっている・・・・)
平成23年12月 1日(木)
朝、霧雨、その後もずっとどんよりとした曇り空から時々細かな雨が降っていた。実際には思ったほど気温は低くは無かったが視覚的に寒々とした一日だった。
最高気温 14.8℃ (00:00)、最低気温 7.9℃ (17:20夜に向けて下がり続けている)。
昨深更(と思ったらまだ11時だったが)、火災発生のサイレンで叩き起こされた。防災無線は火災の時には自動的に最大音量でサイレンが鳴り、アナウンスが流れる。太郎も驚いて泣きだした、娘はたかいびきのままだった。宮地の泉地区で納屋の火災があった模様で夜空に炎と白煙が立ち上っているのが遠望できた。
いよいよ師走である。師が走る、従って小生も走る時期である。この季節になると、新聞や雑誌にレクイエムなどという言葉で今年亡くなった知名人たちを追悼する文章が載る。そして、個人的には自宅に友人知人の年賀欠礼の葉書が届く。今年ももう何通も届いている、小生の年齢を考えるとそうなのであろう。今日、昔、会社で一緒だった山下立夫氏の年賀欠礼状が届いた。人生におけるずっと先輩が亡くなるのは、懐かしさと、そうなのかというある種淡々とした受け止め方をするが、同期・同年代や若い世代の人たちのそういった知らせはやはり寂しくてショックなものである。
10年前の今日は、阿蘇に向けて移住のため、一家フェリーの中だった。明日が阿蘇移住丸10年目の記念日である。美味い物でも食って何かセレモニーでもやるか。
今日は作業に不向きな天候のために、且つ、二日連続の樵仕事でくたびれたので完全休養日、めずらしく本を読みながら昼寝をした。
それでもプールには行った。2000m、66.4。二日の重労働が減量結果に表れるかと思ったが・・・・・
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