平成24壬辰(2012)年 1月の記録(新しい日付けの順)
平成24年1月31(火)
晴れ。今朝は少し冷え込んだが、風が無くて寒さはあまり感じなかった。日中もここ二三日のなかでは低い方だったが、それでも気持ちが良かった。
最低気温 -6.4℃ (07:20)、最高気温 6.1℃ (14:21)
昨日の続きでもやろうかと思っていたところ、トマトハウスの整理が終わっていないことを思い出して、午前中、急遽、トマトハウスの整理に取りかかかった。
トマトはナスやジャガイモなどのように連作が駄目であるが、ハウスを移動するのが面倒なので、今年もここでやることにする。プロのトマトハウスなどは、土壌を消毒して連作障害対策をしているが、一輪車で土を運んで入れ替えるか、その程度の面積である。
トマトハウスの整理のついでに、目にとまった茶の木の剪定をした。もう茶摘みをすることもなく、背丈ほど伸びているので、刈払機でバッサバッサと切りまくって、うんと背丈を低くした。更に、ハウスの周辺の草を燃やした。空気が乾燥しているので良く燃える。
午後から、昨日の続きで、竹藪跡の整理をした。今日も終日良く動いた。
平成24年1月30(月)
今日も穏やかに晴れる。
最低気温 -4.0℃ (07:34)、最高気温 7.2℃ (15:27)
昼から、昨日の続きの竹藪跡の整理と、加えて、一応畑地の整理と、土手の枯れ草焼きをする。竹藪跡には膨大な埋蔵物が埋まっていて、これなんかほんの一角であるが、まだ木材なので乾かして燃やすこともできるものの、それでも量が膨大なので気が滅入ってしまう。埋蔵物でも埋蔵金ならいいのだが。
夕方、じっちゃいのてげてげ日記を覗いたところ、宮崎市佐土原町はちょうど日没時で、こちらはどうだろうと思って見ると、こちらもちょうど同じように沈むところだった。あちらは平野部、こちらは高地、しかも周囲の山との関係もある、大きく違うかと思ったがそれほど違わない。遠隔地でリアルタイムで比較できるのも今の時代だからこそである。どうやら阿蘇は、明朝は冷え込みそうである。
平成24年1月29(日)
晴れ、春のように穏やかな一日だった。
最低気温 -1.8℃ (06:22)、最高気温 9.8℃ (14:06)
軽トラックの前輪の片側が最近どうもすぐに空気が抜ける。釘でも刺さっているかと思って、石田孝臣さんのところに持っていたところ、日曜日だと言うのに気持ち良く調べてくれた。パンクでは無くてバルブのところから空気が漏れていた。バルブ交換してもらった。
午後から、裏の竹やぶの刈払をした。あまり太い竹ではないので、とりあずは刈払機でなぎ倒しておいたが、2割ほど終わったか、もう少し行ったか、ヘトヘトである。
平成24年1月28(土)
晴れ。寒さが緩む。古閑の滝は今晩はライトアップをする日だと思うが、画像を見ると大丈夫そうだ。
最低気温 -0.7℃ (02:00)、最高気温 8.2℃ (13:06)
カミさんが仕事なので、太郎の土曜保育をお願いする、ただ、終日と言うは心苦しいので半日ということにした。その太郎を迎えに行く前に、娘と昼食に、ワンコインランチを食べに行く。阿蘇神社横の古木屋という店である。ビーフシチュー、サラダ、飲み物付きでワンコインにしては非常に贅沢な気分を味わえる、何と言っても色々な種類のパンが食べ放題というのがいい。
ランチの時の写真を見ても分かるように、娘が髪の毛が長い方が良いと、ずっと切らないでいるので、お前は短い方が可愛いよと言っても、耳を貸さなかったが、どういう経緯があったのか、夕方、カミさんに連れられてカットに行ってきた。ところが、帰ってくるなり、短すぎて気に入らないと大荒れである。小生は全くそうは思えず可愛いと思うが、女心は分からない。ホームページに載せて皆の感想を聞いてやろかと問うと、烈火のように怒っていた。
午後から、爺様保育をする。
平成24年1月27(金)
晴れ。今朝も結構冷え込んだ。日中は下に降りていたので分からない。
最低気温 -7.1℃ (02:48)、最高気温 5.5℃ (14:06)
ようやく太郎が保育園に復帰した。カミさんが休みだったので送って行った。数えてみたら小生、丸二週間昼夜を分かたず付き合ったことになる。過ぎてしまえばあっという間だったような気もするが、少しずつ会話が成立して他人が聞いたら意味不明の言語でも意思の疎通が量れるようになってきているので、親父と息子、それはそれで楽しかったのかもしれない。またこの先、まだインフルエンザが待っているだろう。インフルエンザは子どもだけでは済まないからなあ。
それでも今日は久しぶりに羽を伸ばしに山を下りた。小生の普段着はジーンズで一年365日のうち、360日は穿いている。スーツは冠婚葬祭くらいでしか着ないので、360日以上かもしれない。ところが、最近のジーンズはすぐに膝のところが穴が開く。年間に二本以上はダメにしているだろう。というわけで、菊陽のユニクロにジーンズを買いに行ったのだ。今までよりワンサイズ小さめのジーンズでも楽々入ったので、ツーサイズ小さくしても良かったが、あとでリバウンドしても困らないように、一回り小さなサイズで手を打った。二本買ってきた。
その後で、光の森で映画を観て帰って来た。「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」をやっていた。ハリウッド映画は楽しい、ポーラ・パットンという女優さん、いいなあ。
平成24年1月26(木)
晴れ。私設観測だが、坂梨地区では今朝が今季一番の冷え込みだったようだ。
最低気温 -7.2℃ (01:40)、最高気温 1.7℃ (15:46)
今日も、爺様保育の一日だったが、どうやらようやくそれも明日から解放されそうだ。
今朝の阿蘇山(写真1・写真2・写真3・写真4)
平成24年1月25(水)
今日は真冬日というやつで氷点を上回ることは無かった。はやり予報ほどには雪は殆どう降らず、時々思い出したように降りしきっていたが薄っすら白くなる程度で終わった。
最低気温 -3.4℃ (05:03)、最高気温 -0.1℃ (11:47)
普段だと、陰影がはっきりせずに分からないが、こうして薄っすらと雪を被ると、せっかく全伐した竹林がまた復活しつつある、なんとかタケノコの季節前にまた切っておかなくてはならない、この程度の太さなら、刈払機でなで斬りが出来そうな気がする。そのほかにメンテ作業が山ほどあるが全く手つかずである。
娘は今日はクラスで古閑の滝まで歩いて見学に行くと楽しみして登校して行ったが、時々雪が降っていたので、帰ってからどうだった?と聞いてみたところ、「行ったよ、楽しかったあ」と言っていた。すぐ近くにあっても地元の人はあまり行かないので、氷瀑を真下から見上げる機会が少ない。今日あたりはグッドタイミングで凍っていたことだろう。
小生は、今日も引続いて爺様保育の一日だった。改めて感想を書くほどのことも無い日常になってしまったなあ。
平成24年1月24日(火)
今日は日中も気温が上がらなかったようで、日中の風が強い時は体感温度がかなり低かったようだ、ただ、夕方、時間が出来たので薪を作った際は、寒さを感じなかった。
最低気温 -3.9℃ (04:04)、最高気温 1.4℃ (14:02)
娘は今日はなんとか用心しながら学校に行ったが、倅は元気になったが今日も休んで爺様保育をした。カミさんも仕事に行ったようだ。娘のクラスメートで娘と同じ症状がでた子がいると聞いたが、こちらも嘔吐だけで下痢は無かったらしい。
ロタよりノロの方が大変だと思っていたが、ノロウイルスよりロタウイルスの方が重症化しやすいとも書いてあるなあ、ただ、太郎は全く嘔吐が無かったので、果たして、感染性の腸炎だったのだろうか。風邪の後だったので、もしかしたら、風邪で腸が弱っていたのかもしれない、言うほど便も白くなかったような気もする・・・・・・
明日は九州北部に大雪が降るそうである、ここは降雪域からはずれているので多分大丈夫だと思うが、万一に備えて、雪に埋もれないように、夕方、出来るだけ野積みしてある木を切って小屋に投げ込んでおいた。
サイマルラジオと言うのか、インターネットでラジオ放送が聴けるのは今まで、NHKの「らじる★らじる」だけだったが、今月末あたりから「ラジコ」で民放も聴く事が出来るということである。これは、その地域の民放だけを聴くことができるのか、あるいは加盟している他の地方の民放局の放送も聞こえるのだろうか、いずれにしても、電界強度が弱い地域では助かる。
平成24年1月23日(月)
晴れ、だったか、曇りだったか、バタバタしていてあまり記憶が無いが、風が冷たい一日だった記憶がある。
結局、昨夜は、太郎に加えて、娘と母親が、太郎は嘔吐はしなかったが、後の二人が夜中に何度か嘔吐したらしい。
朝一番で、三人を引き連れて古閑医院に出掛けた。太郎は、見た目はどんどん回復していることが分かるが、便が水っぽくて白っぽいので、これはロタウイルスだろうと言うことになった。後の二人がどうも分からない、嘔吐はするが下痢は全くない、太郎とは違うものだろう。それでも娘は夕方には薬が効いてきたとみえて腹が減った腹が減ったと騒いで、小生の診立てではもう大丈夫なのではないかと思う、問題はカミさんだ、良いのか悪いのかさっぱり分からない、もっとも小生が呆れて、どうなんだと聞かないせいもあるが。
太郎に添い寝してもう一週間以上になるが、ロタウイルスだと言うことになると、ウイルスが完全に居なくなるまであと二三日は登園禁止だろう。ロタだとかノロだとか色々あるが、ロタの方はあまりひどくはならないようで、特に成人には感染したとしても嘔吐下痢はないらしいので、ひと安心である。
平成24年1月22日(日)
曇り。
最低気温 1.7℃ (04:09)、最高気温 8.1℃ (11:50)
太郎、昨夜は一寝入りした後で測ったところ、39.7℃まで上がっていたので座薬を入れた。その後、額に触ると明らかに熱が下がったことがわかったので起こすと悪いので検温しないで明け方まで待って4時に計ったところ38.7℃までさがって、その後、一時間おきに少しずつ下がり、朝7時には38.1℃まで下がっていた。ただ夜に向けてまた少し上がってきているが昨日までと違って、元気もあり食欲も少し出てきたようなので今夜は高熱にはならいのではと期待している。一方で、今度はお姉ちゃんが夕方近くから腹が痛いと言いだして、嘔吐したので、まだ下痢はしていないようだが、これは、恐らく、嘔吐下痢症だろう、明日は二人を引き連れて医者通いになりそうだ。これだけで十分なのに、カミさんまでがちょっと怪しいとトイレに駆け込んでいる、おいおいこの高齢者は一体どうなるのだ。
その太郎、いままでオモチャのボタンを押したり、小さな窓をスライドすることはできても、小さな鍵を差し込んでくるりと回すことが出来なかったが、夕方、それが出来るようになって、自分でも嬉しかったとみえて、声を上げて喜んでいた。(写真1・写真2)
最近、天候不順で木が乾かない状態が続いている。先日、沢山作ったつもりが、結構減ってきており、このような天候が続くとあまりノンビリもしていられなくなるので、午後から夕方いっぱいまで薪割りをした、薪割りの途中、上村さんから、宮地の中央レミコン前で木を切っているから取りに来いという電話が入ったので薪割りを一旦中断して早速出かけたところ、アカシアの木がもう積み込むばかりになって用意してあった。手伝い付きで積み込んで持ち帰ってきたが、こういう貰い方が一番楽で有難い。アカシアは木肌がクヌギに似ている。
ボンの小屋が、自業自得とは言え、かなり不等沈下してから大分経つ。それでも小屋内はちゃんと水平に板を敷いてやっているので見た目ほどの居心地の悪さは無いはずだが、最近、屋根に大きな穴があいていることが判った、これじゃあ雨が直接降り込んで可哀想だと思っていたが、お向かいの家で数年前まで飼っていた犬小屋があったのを思い出して、靖昭さんに事情を話して一時お借りすることにして、小屋の隣りに置いてやった。前の犬の臭いが残っているのだろう、盛んに小便をかけたりしてマーキングをしていたが、暫くして覗いてみたらもうちゃんと小屋に納まっていた。少し小さいが当分これでしのげるだろう。
平成24年1月21日(土)
曇り。
最低気温 4.1℃ (06:00)、最高気温 10.1℃ (14:15)
太郎、朝から7℃越えの熱があたので、土曜日だと言うこともあり、カミさんは仕事だが保育園を休ませた、一旦復調したと思ったのにどうも体調がはっきりしない。日中もずっと8℃から9℃台の熱があった。今、嘔吐下痢症が流行っているが、嘔吐するわけでも激しい下痢を起こすわけでもない、ただずっと下痢に近い軟便が続いているので、先日来の風邪薬とビオフェルミンを砕いて牛乳に混ぜて飲ませている。元気だが食欲が無い。明日は日曜日で休日当番医が専門外なので明日もう一日様子見である。
平成24年1月20日(金)
終日小雨模様。
最低気温 5.2℃ (10:00)、最高気温 6.6℃ (13:48)
カミさんが仕事が休みであり、太郎もまだ完全復調では無いので保育園を休ませた。
風邪気味であり、また屋外作業もままならず、溜まったQSLカード2年分ようやく書きあげる、大した量でも無いくせに、いつも大幅に遅れる、以前、SASEで催促を貰ったこともある。
正月にやったQSOパーティのステッカーが送られてきた、なんだかんだと言いながらももう半分埋まった。
平成24年1月19日(木)
終日細かな軟らかい雨が降っていた、はんとなくもう春のサメという趣の雨だった。
最低気温 5.0℃ (00:48)、最高気温 8.4℃ (13:20)
細かな雨でも屋外作業はできず、こんな日はと思っているところに、上野さんご入来。氏は阿蘇での田舎暮らしの一年生くらいだろうか、小生とほぼ同年代、そして小生同様色々なことに興味しんしんでこれから先の付き合いが楽しみである。続いて、e鴨氏、更にはなごみ野の主殿、それぞれ不思議と時間差でおいでになる、今日は千客万来であった。
平成24年1月18日(水)
晴れ。朝は少し冷え込んだが、日中は、今までが気温が低かったのでバカ陽気というくらい暖かかった。夕方、雨が少し降りだしていたようだが・・・
最低気温 -2.6℃ (06:39)、最高気温 12.1℃ (15:00)
太郎、今日から元気に保育園復帰、母親に連れられて登園。体力が落ちているので、疲れて帰ってくるだろうかと思っていたが、なかなか。
小生のほうが今度は喉が痛いのでプールは自粛する、普段散々カミさんに悪態をついているのでここでダウンすると何を言われるか分からないので、精神力で治してみせる。
今日は婆様生誕96歳にあたる日である。小生はスケジュール表で分かっていたが、そうだなと思っただけで特に何も言わなかったが、カミさんが覚えていてくれて、仏壇に花を奮発してくれて、今朝赤飯を炊いてくれた。「死児の齢」という言葉はあるが、辰年生まれだったから存命であれば年女だったのか。
平成24年1月17日(火)
晴れ。素晴らしい青空が広がり、朝日に山の白銀が眩かった。
最低気温 -0.4℃ (08:21)、最高気温 7.1℃ (15:54)
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
太郎、もう大丈夫だと思ったが、病み上がりで元気が今一つのいう雰囲気なので今日まで休ませることにした。本日も守役に徹する。
この分では明日は冷え込みそうだ。
平成24年1月16日(月)
朝から、雨が雪になったばかりの湿った雪が降っており、その雪も気温の変化に伴って雨になったりまた雪になったりで、一時周囲は薄っすらと白くなったが、基本的にはこの辺りは雨が主だったようだ、我家から50メートルも上がれば真っ白で、外輪の上はかなりの雪になったのではないだろうか。夜も雪の予報が出ているので今晩少し積るだろうか。
最低気温 2.2℃ (04:49)夜になって0.7℃(19:39)と朝より下がっている。最高気温 3.0℃ (01:54)
太郎、昨夜また熱が上がり、39℃を越えたので座薬を入れて小生が付き添った。朝には37℃台に下がっていたが昼ころから38℃を越えたので、古閑医院に連れて行って診てもらった。インフルエンザでは無いと思いますと言う先生の診立てだったが、お願いして検査をして貰ったが、やはりインフルエンザでは無かった。あと一日二日付き合うことになろうか。
平成24年1月15日(日)
晴れたり曇ったり、今朝は車のガラスに凍結は見られなかった。
最低気温 -0.1℃ (07:16)、最高気温 4.4℃ (13:23)
豆札集落の初寄り。初寄りとは各集落の年頭の集まりで、年次総会的な性格を持っている、今の時期、日曜日などの休日には各所で初寄りが持たれている。
豆札の今年の初寄りでは役員改選も無く、会計である小生の会計報告があったくらいで、あとは懇親会になり四方山話に花を咲かせた。(写真1・写真2)
カミさんも出席のために、お姉ちゃんが太郎の昼飯の世話など、一日頑張ってくれた。その太郎、日中、お姉ちゃんと二人で置き去り?にされたせいでもあるまいが、夕方近くからまた8℃台の熱が出て気分もすこぶる悪そうで泣いてばかりいる、明日は医者に連れて行かなくてはならないだろうか。
初寄りの席で、女性たちが年行事に掛かる費用などを記録した帳面を見ていたので覗いたところ、その中のひとつ、現在では毎年3月か4月に行われる家畜の神様を祀る鞍嶽祭の記録、頁の最初は大正12年とあり、座元の一員に祖父の名前もあった、そして今では知らない姓も見られ、多分座元は二組みだとか三組に分かれていたのだろうから、豆札も当時は今より戸数が多かったことが想像できる。そして、当時は極めて当たり前に毛筆が使われていたことが良く分かる、更には当時の貨幣単位など、色々と興味深い。時代が下って、この帳冊の近年のページはボールペン書きであり、隔世の感がある。
平成24年1月14日(土)
相変わらずの氷点下、それでも日中はかなり気温が上がったようだ。
最低気温 -4.3℃ (06:27)、最高気温 7.2℃ (14:05)
太郎、昨夜は小生が付き添って寝た、何度か泣きぐずった。今朝にはほぼ平熱に下がって今日は薬も飲ませなかった。今日はカミさんが仕事なのでお姉ちゃんが一生懸命に手伝ってくれた。
滉兄が大津での仕事の後、夕方近く、顔を見せに寄ってくれた。
連日の氷点下ではさすがにまだ早いだろうと思いつつ、夕方ようやく時間が出来てボンの散歩に出たついでに探してみたら我家の入り口付近にフキノトウがもう顔を出していた、季節は確実に巡っている。気のせいか吹く風も軟らかく感じられた。
夕方、五時前、Y子さんから庭の梅の木を切ったからと電話が入ったので取りに伺った。立派な臥竜梅の先端部分、あまり大きくなり過ぎて支えきれなくなったとか。
平成24年1月13日(金)
晴れ。今朝は寒さが緩み、車のウインドウも凍結していなかった、日中はどうだったろう、室内から見る限りは寒くはなさそうだったが。
最低気温 -1.2℃ (01:21)、最高気温 4.8℃ (13:56)
太郎、今日も保育園を休む。昨夜も夜中に目を覚ましてずっとグズっていたので仕事があるカミさんと交替して一晩付き添って、今日も一日付き合わされる。熱が8℃台続いていたが元気でずっと付き合わされる。独り遊びをしているようなので、小生が読書を始めると、自分の本を持ってきて読んでくれという、勿論意味なんか分からないが相手をしろと言う。お父さんはお父さんの本を読むから、お前はお前の本を読めと言っても聞かない。遊びでも、起きてその相手をすると疲れるので、横になって肘枕をしながら相手をすると怒って泣く。昼寝も一時間くらいしかしない、いやあ、疲れたぞ。明日もまた続くのか、娘が休みだから少しは助けになるだろうか。
夜、宿場會の例会に出席する。
平成24年1月12日(木)
晴れ。今日はかなり冷え込んだ、日中は気温は高くなかったが日射しのもとでは暖かく感じられた。
最低気温 -6.3℃ (06:42)、最高気温 4.8℃ (15:11)
太郎、朝起きて検温したところ、37.2℃あり、まだ上がりそうだったので保育園を休ませた。その後、8.5℃くらいまで上がったが、以前貰った薬があったので飲ませたところ、そのせいかどうか分からないが少し下がったようで、鼻水を垂らしながらも元気は良かった。明日はまた爺様保育となるだろう。
プール、2000m、64.3。
国土地理協会というところで、全国の町村合併の詳細が判る日本地図を無料でくれる(返信用封筒は必要だが)。無線をやっていると交信の相手局がどこなのか平成11年の平成の大合併以来よく分からなくなっている、それがこの地図を見ると一目瞭然である。
平成24年1月11日(水)
今日は日照時間が短く、風もあって寒い一日だった。
最低気温 -1.9℃ (03:54)、最高気温 4.4℃ (13:35)
明日は一段と冷え込むそうで、福岡地方では雪も予想されている、ここは雪の予報は出ていないが万一ということもある。せっかく作った薪が雪に埋もれるようなことにでもなればなかなか融けず、従って乾かずに厄介なことになるので、昨日まで作った薪を出来るだけ沢山小屋に詰め込んだ。
実質的な今年初めてのプール、2000、とうとう64キロを割り込んだ。こうなるとどのくらいまで落とせるか楽しみになってくる、まだ腹周りがだぶついているので62キロ台までは間違いなく落ちるだろう。適度な運動と飽食を避ければいいだけだ。63.8。
平成24年1月10日(火)
曇り。この冬はずっと毎日氷点下の日が続いている。例年だと融けたり凍結したりを繰り返す古閑の滝もずっと凍ったままである。
最低気温 -4.3℃ (04:03)、最高気温 6.5℃ (14:13)
今日から娘たちは三学期の始まりである。恒例の定点記念写真。考えてみたら、6年生のA君はもうすぐ卒業で、卒業式と在校生の三学期終業式は日程が違うので、今の登校班が一堂に会しての節目の定点記念写真はこれが最後になるかもしれない。霜で真っ白に凍てついたなか三学期第一日目、元気に登校して行った。
午後から今日も薪を作った、今日は日中の気温はそんなに低くはなかったが、日が射さず、風があったので寒かった。
平成24年1月9日(月) 成人の日
今日も穏やかな一日だった、もう何日も雨を見ていない、屋外作業には有難い天気続きだが、こう降らないと農業などに色々と支障が出てくるのではないだろうか。
今日は成人の日だが、昨日、市の成人式の式典が行われた、そこでの市長のパフォーマンス、近年何かと注目を集めているようだが・・・・・何だかねえ(youytbeなどでも取り上げられている)。
馬場と豆札の「どんどや」が今年は馬場の田んぼで行われた、持ち回りということではないのだろうが、今年は馬場だった。このようなことは都会では逆立ちしたって出来ない行事だろう、つくづく田舎に住んで良かったと思うことの一つである。
以下、「百文」は一見に如かずである。
馬場・豆札どんどや 連続写真 (1/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (2/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (3/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (4/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (5/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (6/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (7/8)10枚
馬場・豆札どんどや 連続写真 (8/8)13枚
平成24年1月8日(日)
今日も穏やかな一日だった。
最低気温 -5.1℃ (05:39)、最高気温 8.1℃ (14:05)
昼、蕎麦を打つ。後から考えてみたら今年の初打ちだった、そうとわかっていれば威儀を正して打つべきであったか。
午後、上町の日向往還追分の古町にあるお地蔵さん脇の杉材を頂戴に上がる、軽トラック二回分タップリあった、クタビレタ。
平成24年1月7日(土)
今日も気持ちのいい冬空が広がる。屋外作業では背に太陽を受けていると汗ばむほどだった。西高東低の冬型の気圧配置の場合は、太平洋側はカラカラ天気で、日本海側は雪や曇りの場合が多く、普通、九州でも宮崎地方は太平洋側の気候で、九州山塊を挟んで熊本側は日本海側的な天気になるがここのところずっと太平洋側的気候が続いている。
最低気温 -5.6℃ (07:19)、最高気温 7.9℃ (14:21)
そんな天気のもとで今日も午後みっちり薪作りをする。
カミさん仕事で、土曜保育をお願いする。
小生、朝一番で歯の定期メンテナンスに行く。
今日は七草がゆである、古式に則ってはいないと思うがカミさんが夕食に野菜が沢山の餅の入った味噌仕立てのおじやを作った。
太郎のダイニング用のイスを購う。今まで使っていたのは、ファミリーレストランなどの外出先で一時的に使うために作られた簡易性のキャンバス製イスで、大人しく座っている分には良いのだが、殊の外暴れん坊の太郎には最近ちょっと危なっかしく窮屈になっていた。
平成24年1月6日(金)
今朝は素晴らしい晴れだった、日中も穏やかに推移して屋外作業には心地よい体感温度だった。
最低気温 -7.1℃ (06:46)、最高気温 5.3℃ (14:20)
娘は今日は登校日で、登校班のなかで三年生だけ、つまり、三人だけで登校して行ったが、これは休み中の宿題の進捗状況のチェックだったらしい。すぐに終わったようで、校門前で娘を拾って温泉病院まで耳鼻科の定期受診に連れていく。娘、昨日プールでしこたま鼻に水を入れたせいで、小生が時々出る症状と同じく塩素でくしゃみ鼻ずまりがひどかったので、先生にそのことを話したところ、それはアレルギーでは無くて、健康人でもプールの塩素の量が多いとそうのような症状を見せると言うことであった。
病院からの帰り道、農道の電柱の上に、ノスリだろうか、それとカラス。カラスがさかんにノスリを挑発しているが、ノスリ、泰然と構えて動かず。
午後から、夕方までひたすら薪を作った。
どうやら明日も天気が良くて冷え込みそうである。冬というと、乾かないうちにまた雨が降ってという天気が続き、薪が湿って乾燥しない日が続くという印象が強いが、今年はもうずっと雨が降っていない。薪を作っても屋外に置きっぱなしで構わないので助かる。
太郎の月誕生日、定例の体重計量、11.6キロ。小生が薪割りをしていたので娘が入浴させて、ついでに体重も量る、お姉ちゃん、もうそれまで出来るようになっている。
平成24年1月5日(木)
曇り空が続いた新年、今日初めて放射冷却に凍てついた五岳に陽光がきらめいた気がする。
最低気温 -5.3℃ (03:54)、最高気温 3.2℃ (15:13)
(写真1・写真2・写真3・写真4)
娘をプールに連れて行った。いくつかのアドバイスが効いたのか、あるいはちょうどその時期にきていたのか、娘、初めて50mをノンストップで泳ぎ切った。
小生は今日は番外なので、3〜400m泳いだだけだったが、水泳後計量したところ、64ジャストだった、年末年始運動不足に加えて飽食ぎみだったがリバウンドは起きていなかった。
夕方、車の修理が終わった旨の電話をもらったので引き取りに行く。
平成24年1月4日(水)
昨夜から断続的に風に雪が舞い、四方薄っすらと雪景色、気温も夜が明けてから0℃を越えず鈍色の空、終日なんとも寒々しい風景が広がる、しかし、それは屋内から見ての感想で、有難いことに長時間屋外に出て体感しなければならないような事情はなかった。
最低気温 -1.6℃ (07:23)、最高気温 1.2℃ (02:02)
太郎が今日から保育園、ああこの開放感、開放感、屋外作業が出来ないので娘と二人で何日かぶりでのんびり過ごす。
(姉・弟写真)
平成24年1月3日(火)
曇り。
最低気温 -0.2℃ (04:14)、最高気温 3.8℃ (13:56)
太郎の子守をしながら過ごす。娘、流石に今日はいい顔をしなかった、宿題なんかが溜まっているそうである。小生も、一応目標達成済みなのであまり熱意が無くてまあいいかということで無線の方にはあまり力を入れなかった。明日から保育園が始まる、始まるぞ。
平成24年1月2日(月)
曇り。穏やかな一日だった。
最低気温 -1.7℃ (05:00)、最高気温 5.9℃ (14:05)
カミさんは今日から仕事。小生と娘とで太郎の面倒をみる。というよりは今日は殆ど娘頼みだった。というのは、
今日はアマチュア無線の新年QSOパーティがあり、無線機に齧りつく都合があって娘に頭を下げて頼んだのだ。
そうは言っても完全に任せるのは心配なので、意識の半分は太郎の方に向けて無線をやった。おかげで今年は箱根駅伝はほとんど聞くことが出来なかった。
このQSOパーティは、今日と明日の二日間にわたって、20局以上の無線局と交信することによって、その年の干支のステッカーをもらって、毎年台紙に貼って12年間で完成する。万一、ある年が欠けると次の干支が回ってくる12年後まで待たなくてはならない、とにかく12年間続ける必要があるのである。小生は昔一度完成させて、記念楯をもらっていて、その後、ブランクがあったが、こんなに長生きするとは思わなかったので、何を思い立ったかまた二度目を始めてしまった。今年で5年目なので、一巡するのにあと7年かかる、まあ、なるようになるである。
今日は、朝のうちは2mで始めたが、最近は無線人口が少なくなってすぐにQRV局が居なくなったので、7に降りると、あまりコンディションが良くない、そこで21に移ると、今日は8エリアがFM並みに非常にコンディションが良かった、しかし、午後に入ると21もフェイドアウトして、午後からは7のコンディションが上がってきて夕方まで7で稼いだ。それでも100W程度では強い局には敵わずに結局夕方までに全部で25局交信しただけである。こちらからCQを出すとパイル間違いないところだが収拾がつかなくなるのでそれはやめた。
もう規定の20局は達成できたので、明日ももう一度「余裕のよっちゃん」でやってみようかと思っているが、また娘が協力してくれるだろうか。
太郎も、お姉ちゃんに遊んでもらって退屈はしなかったと思うが、この年頃は、眠くなるとどこでも寝てしまう。今日も、変死ではないだろうかという寝方をしていて、一瞬ドキッとさせられた。
平成24年 1月 1日 (日) 歳旦
曇り、朝のうち、お湿り程度に霧のような雨が降り、昨日までの厳しい寒さは無かった。
最低気温 -1.1℃ (01:05)、最高気温 5.3℃ (13:12)
午前8時、村の天神様に初詣(写真1・写真2)をしてから村の集会所に皆さんが集まって賀詞交換の挨拶とお神酒を頂戴する、各家間で年賀の挨拶回りの無駄を避ける先人の知恵である。そのあと、各家庭でそれぞれ元旦のお祝い膳を囲むのである。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
こちらに来て早10年、こどもの成長に併せてそれだけ小生も加齢した。これから、一年一年が一層貴重になる、願うは家族の健康、家内安全である。
今日はそのほかの行事は全くなく、家でのんびり過ごす。明日からまた爺様保育が始まる。
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