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平成24壬辰(2012)年 2月の記録(新しい日付けの順)


平成24年2月29日(水)

 昨夜の名残りの雪、宵の口にやんだようで、朝には黒い土と白い雪が混ざった景色が広がっていた。一方関東地方でかなり降っていて、「大雪」になったようだ。昔、まだ向うにいた頃、雪が降るとレールのポイントが凍りついて転轍できなくなるので、沢山のカンテラをポイント付近に置いて温めて凍結防止をしていた、暗闇に小さな炎が沢山ゆらゆらしている情景が幻想的だったが、現在はどうなっているのだろうか、ポイントに凍結防止装置が初めから取りつけられていてわざわざカンテラを使う必要も無くなったのだろうか。
    最低気温 1.1℃ (00:08)、最高気温 11.8℃ (14:56)

 先の阿蘇惟之大人命の神葬祭で詠まれた弔歌が印象的で心に残った、その場で覚えたつもりだったが思い出せず、聡雄さんに写しを送ってもらった。

 遊ばむと阿蘇を仰げば
 いまさらに 如月弥生
 流れゆくか


  詠み人 安永 蕗子

 タワーを上下させるガイドローラー、鋳物製の台座はあるがベアリングが無くて、一方にベアリング付きの一見ヤワに見える台座がある。そこで考えた、このヤワの方のベアリングを鋳物製の台座に取りつけようと思って、やってみたところ、ピタリである。ところが、鋳物製の台座は錆が出ているので防錆処理をしなければならない。考えられるのはドブ漬けだがネジ穴をつぶしてしまいそうだ、そして電気メッキをすれば良いとある人に教えてもらった。ネットで検索をすると電気亜鉛メッキというらしい、別に亜鉛でなくても、防錆効果があれば良いのだが、果たしてコスト的にどのくらいかかるものかさっぱり見当がつかない、台座をメッキするより、車付きの台座を新たに買った方が安くつくのかもしれない、第一に近辺にそのような業者が居るのどうかも分からない。またその辺の調査から掛からなければならないが、ネットで検索するとDIYで電気メッキをする記事も結構載っているが、手っ取り早くトイレ掃除のサンポールの液を使うらしい。プールの帰りに山内さんの工場に寄って相談したところ、ドブ漬けは付き合いがあるが、電気はねえ、とご多忙中のところ心当たりをあたってくださったが、電気メッキをする会社、意外と無いものである。

 プール 2000m、61.9。


平成24年2月28日(火)

 曇り、昼ころから小雨、それが雪に変っている、夕方になっても降り続いてる、このまま明日まで降り続きそうだ、名残りの雪・・・か。
     最低気温 1.1℃ (00:27)、最高気温 4.6℃ (12:03) 夜に入って最低気温を更新しているもよう。

 今日のような日には必ず思い出す歌、まさにこのとおりである。

   早春賦
吉丸一昌作詞、中田章作曲

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

氷融け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃
 昔の歌はしみじみと詩が良い、この歌、フルコーラス諳んじて歌える人がどのくらいいるだろう、自慢ではないが小生は歌えるぞ。

 娘、まだ完全ではないと思うがどうしても行きたいと母親に学校まで車で送ってもらう、そして夕方、太郎の迎えのついでに車で帰ってくる、なんとか大丈夫そうだった。

 プール2000m、61.9


平成24年2月27日(月)

 晴れ。
   最低気温 -2.4℃ (07:04)、最高気温 9.7℃ (14:37)

 娘、一夜明けて、喘息も収まり、熱も下がってきた、インフルエンザでは無かったようだ、明日にはどうしても学校に行きたいと言っているが。

 午後一時から、阿蘇神社の第91代宮司阿蘇惟之氏の神葬祭黒川の市民斎場で厳かに、そしてしめやかに斎行された。故人の遺徳を讃え、そして偲んで多くの参列者があり、告別式会場は一杯になった。全国の名だたる神社からの献花が会場に入りきれず外まであふれるが如く供えられていた。雅楽の生演奏や神職による式の運び、忍び手による二礼二拍一礼など、小生はそして多分大勢の参列者もそうだろう、神道による葬送の儀式は初めてなので、不謹慎ながら非常に興味深く2時間の式の間中、満員で座る所が無く立ったままだったが全く疲れを覚えなかった(写真1写真2写真3)。たとえ宮司さんの葬儀でも神社で斎行されることが無いことは帰ってから調べて分かったが、火葬に付されるために進む葬列の車の向こうに阿蘇神社と深いかかわりのある神々の山、阿蘇の峰々が白く輝いていた。(写真1写真2写真3



平成24年2月26日(日)

 曇り。今日もなんとも寒々とした日和だった。雪が消えていた阿蘇の山並みは中腹から上が白くなっていた
    最低気温 1.4℃ (07:12)、最高気温 5.8℃ (14:26)

 娘が昨夜あたりからちょっと怪しくなって今朝になって呼吸が苦しいというので自家用のネブライザーをやったがあまり効果が無い、メプチンという吸入剤を吸っても効果が無い。こういうときは点滴だなという経験から、母親に連れられて今日の休日当番医の大阿蘇病院に行った。向うでもネブライザーをやってもらったがやはり改善しないので、結局点滴をして帰って来た。最近は成長につれて喘息も出なくなっていたが、今回はちょっと苦しそうだ。朝のうちは熱が無かったが、昼ころからだんだんと熱が上がりだしたので、もしかしたらインフルかもしれないが、発症後すぐには検査反応が出ないので、明日になっても熱が下がらないようだったら、かりつけの医院で診てもらうことにする。

 和文モールスのカセットのメディア変換、聡雄さんに相談したら、変換装置とカセットデッキを届けてくれた。変換装置はなかなか立派なものだが、音源自体がそれほど大それたものではないので、もっと簡便に出来ないものかと調べたところ、カセットデッキのヘッドフォン出力をPCのマイク入力につないで、サウンド・レコーダーでソースをマイクにして録ればwaveファイルが出来ることが判った。ただ、Windowsのサウンド・レコーダーは1分しか録音できないそうなので、同じ機能を持ったフリーソフトを使って取り込んだ。後は、同様にフリーソフトを使ってwaveファイルをmp3などに変換すればよい。


平成24年2月25日(土)

 決して寒いと言うほどではなかたが、かと言って暖かくもない中途半端な気温だった。終日はっきりせず、時々雨が降っていた。一雨ごとに春に近付いているのだろう。
    最低気温 4.8℃ (05:25)、最高気温 8.1℃ (12:08)

 午前中、太郎の保育園の授業参観?と保護者総会があり母親が参加した。

 今日はほぼ終日PCと無線機の前に座りっぱなしだった。


平成24年2月24日(金)

 晴れ。今日もこのまま春なってしまいそうな暖かい一日だった。
    最低気温 2.9℃ (06:54)、最高気温 13.7℃ (15:44)

 今朝、阿蘇神社の阿蘇惟之宮司が急逝された。くも膜下出血だそうで御自宅で就寝中に亡くなられたらしい、大変気さくで温厚な方で、馬場八幡宮の宮司も兼ねておいでだったので、小生が馬場八幡の宮総代を務めたご縁で失礼な言い方だが親しくお付き合いいただいていた。また地域で付き合いのある仲間たちの中学校時代の同級生ということもあって、単なる宮司さん以上の存在だった、確か、昨年還暦を迎えられたばかりだったと思う、確かにお酒はお好きだったなあ、本当はご本人が一番驚いておいでのはずだがあまり突然のことで言葉も無い。つくづく人生などと言うものは・・・・・

 西側にある孟宗が大きくなり過ぎて、田植え前に倒そうと思うが、そのうちの何本かは傾き加減で間違いなく家の方に倒れてくる。そうなると、これも間違いなく無線のアンテナを直撃することになる。またハシゴタワーはちょっとした風ですぐにぐらぐらするので最近はずっと八木アンテナを下げたままで、ワイヤ―アンテナでやっていたが、竹を切るために八木アンテナを一時的に降ろすついでに、ハシゴタワーをもう一工夫してみようと、今日八木アンテナも降ろした。もちろん最終的にはクランクアップタワーなので、あくまでもその前の一時期しのぎである、と自己弁護しているが、クランクアップタワーがいつになるかちょっと怪しいところではある。

 今年は絶対に和文モールをモノにすると決意している。これは絶対にやる。というわけで、和文モールスの教材テープを探したが、昔は売っていたのに、和文の教材はもうどこも売っていない。CW人口が減っていて、更に和文となるともっと需要が少ないのだろう。DI局に来月開催の、西日本ハムフェア―でもし教材が売っているようだったら買ってきてくださいと頼んだところ、家にあったぞ、と言って早速届けてくださった。このカセットテープをUSBメモリーに落とす算段をしなければならない。

 jtqの庭先を覗いてみたら、スモール・ループアンテナがほぼ出来上がって調整中の様子なので、コンタクトをとったところ、カメラの前で携帯からskypeに連絡をしてきた。skypeと電話をリンクする有料契約をしているのかと訊ねると、iPhonで宅内のアクセスポイント経由でインターネットにつないでいるということだった。とにかく便利な世の中になったものである。そのjtqはオーナーロールを獲得したそうだ、小生から見ると雲の上の存在である。



平成24年2月23日(木)

 朝のうち雨が残るがだんだん回復している。今日もとても温かかった、こうなるとバカ陽気だ。
      最低気温 8.7℃ (00:00)、最高気温 14.6℃ (14:54)

 阿蘇山は普段は日のあたり方でノッペリとして見えるが、時間や天候でいつもとは全く違った顔を見せてくれる、雪が解けた山肌、迫力満点である

 暖かいので家の周りを回ってみたところ、ひところ厳冬の頃には全く出来ていなかったシイタケがちょっと暖かくなるとワッと出来ていた

 去年の夏ころだったか、いつも車を止める場所に水仙が沢山咲いていて踏みつぶすのではと気になったので、球根を掘りだして袋に入れていたところ、いつの間にか芽がでていた。もっと早く土に戻してやらなければならなかったのだろうが、遅きに失する感もあるが、とりあえず、庭先に移植してやった。

 竹林伐採後の整理中の所にキジがいた、ここ阿蘇では毎年秋頃にキジを放鳥しているのでそのキジだろうか。右の方にまだ毛が生え揃わない青っぽい姿、あれは雛だろうか、ブルーシート切れっぱしだろうか(*)。コラのやつは時々小鳥を捕まえてきて自慢そうに見せびらかせに来るが、コラにつからなければ良いが。

 農協に昨年のうちに頼んであったジャガイモの種イモが届いた。農協にある間は定温庫で保管しているが一旦持ちだすと、すぐに芽が出始めることだろう。どうせ植えるのはいつも結局4月頃になる。男爵5キロ、メイクイーン10キロを取り寄せた。

 もろもろに、春の到来を感じさせる。

 久しぶりにプールに行く。2000m、62.2。
プールのロッカールームにも浴場と同じ体重計がある。普段は乗らないが、泳ぐ前に量ったところ、61.9と表示された、いよいよ61台に突入かと思って、泳いだ後で浴場の体重計に乗ったところ、62.2だった、たとえ2000mくらいとは言え、泳いだことでエネルギーを消費しているはずだから増えることは無いはずである。つまり校正してしていない秤だと同じメーカーの同じ機種でもこのくらいの誤差があるのだ。いつも浴場の体重計に乗っているので、62.2を採用する。試みに、帰ってから家の体重計に乗ってみたところ、62.4を指した。僅か2〜300グラムくらいの差なら61台の方が気分が良いが。

(*) (翌日記)
 気になったので、確認に行ったがやはりブルーシートの切れ端だった。それにしてもちょっと見では嘴らしきものも見えるので、鳥だと思ったた、考えてみたら、今はまだ雛が生まれる時期ではないだろう。それに、キジの子はもっと小さい、よく親鳥を先頭に数匹の雛が連なって歩いているのを見るが、こんなに大きくない、とんだ早とちりだった。いずれにしても、この藪の中に巣を作らないでくれよ、刈り払えなくなるから。

平成24年2月22日(水)

 殆ど終日、細かい雨が降っていたような気がする。
    最低気温 2.9℃ (04:16)、最高気温 9.8℃ (15:21)

 道楽三昧、自己啓発、That's all.

 娘は現在、水泳とピアノを習っている。今まで練習日が異なっていたが、最近、水曜日に両方習うことになった。学校から4時頃帰ってきて、急いで出来る範囲で宿題をして、4時間頃から送迎バスで水泳教室に出掛ける。帰りは小生が6時過ぎに迎えに行って、帰って夕食を食べて、7時から30分間ピアノ教室に通う。水泳の迎えとピアノ教室の送迎を小生がしているが、やはり疲れるのだろう、帰ってから眠い目をこすりながら、時にはコックリコックリしながら残りの宿題をしている。


平成24年2月21日(火)

 曇り。夕方から雨か雪という予報が出ていたので降るまで外作業をすることにした。風も無く非常に気温が高かったという気がする。午後9時現在ではまだ降っていない。
最低気温 -0.7℃ (00:42)、最高気温 6.3℃ (14:23)

 午前中は新しい薪材の山に移って、薪割りをした。

 午後から畑のマルチを剥いだり支柱を片づけたり、と春が来るので畑の準備、というより、今頃先シーズンの後片付けをしている。マルチ剥ぎの作業も座ったり立ったりの連続で、畑仕事のうちで苦しく苦手な作業のひとつだが、不思議なことに今日は全くその苦しさを感じなかった、何故だろうと考えたところ、体重の減量の効果だということに気がついた、そういうことだったのだ(それとは別に気候のせいもあるかもしれない)。

 その作業中に、ふと、いまだ浮上せず、のクランクアップタワーに目が行って、そう言えば、貰ってきてから一度も防雨用に掛けられたままになっていたシートを剥いで、そこにあるはずの電動ウインチを見ていないことに気がついて、畑作業を中断してシートを剥いでみた。

 あった、あった、スクラップ然としたウインチとモーターが姿を見せた。

 押釦開閉器(ペンダント)を見てみると、そして更に中を開けてみると、これは三相交流用だと思うのだが、そうでありながら、電源につなぐコードとプラグとは、どうみても家庭用のAC100V用である。モーターはというと、格納ボックスに収まっていてどういう仕様なのかラベルが見えない。恐らく、これはAC100Vで動くだろうという気がしたので、とにかくつないでみることにした。ただ、長年風雨にさらされていたので内部でショートでもしているといけないと思って一応テスターであたってみてから、エイヤッとコンセントに差し込んでみて、おもむろにボタンを押してみた、お〜、見事正逆両方向とも回る。ただ、動力用のモーターが果たしてAC100Vで動くのか、ちょっと分からない。それでも、動かないだろう思っていたモーターが動いたのでちょっと感動ものだった。ウインチは本来は2トンまで吊ることができる手動式のものとして売られているものだが、これに外付けで歯車を付けてモーターと連動するように改造されているのだろう。これは手動でも電動も動くと言うことだから結構なことであるが、このモーターの力がどの程度のものなのだろう。前のオーナーはこれで動かしていたのだから問題ないのだろう、いずれにしても、クランクアップタワーに再び命を吹き込まなければならないという想いを強くした。



平成24年2月20日(月)

 朝はグンと冷え込んだが、その分、日中は穏やかな一日だった。この時期の朝日は7時ころ外輪を越えて(だろうな)高岳の頂上付近を照らす
最低気温 -7.5℃ (06:48)、最高気温 7.2℃ (15:08)

 娘は学校から、菊陽にあるリンクに6年生と一緒に授業の一環として弁当持ちでアイススケートに出掛けた、行く前からスケートも弁当も楽しみしていた。帰ってから感想を聞くと、楽しかったあ、と言っていた。

 ポカポカ陽気の気持ちのいいこんな日に家の中に閉じこもるなんて、であるが、今日は終日自己啓発に勉めた、自己啓発・・・なかなか都合のいい言葉である。

 午後、次のシーズンに向けて薪ストーブの導入を計画中のF氏とU氏の二人(相互に面識なし)が偶然であるが時間差でご入来。

 遥か横浜のjtqの庭先を覗いてみたところ、一心不乱に何か作っている、ははん、これが例の噂に聞くマグネチック・ループアンテナだな。これだとサイズ的に寺さんにもピッタリだな。(例えば、ここに http://www.purple.dti.ne.jp/fieldant/ マグネチック・ループアンテナなるものがどういうものか載っている)


平成24年2月19日(日)
 
 晴れ。寒い一日だった、とくに外作業はなかったので、その寒さの実感は無かったが。
   最低気温 -6.6℃ (04:28)、最高気温 1.2℃ (15:34)

 休日で家族全員が家にいるので、何にも出来ない、ゴロゴロ&自己啓発?のみで一日が終わる。

平成24年2月18日(土)

 晴れ、時々風に雪が舞う、今日も寒い一日だった。阿蘇の山々が朝日に赤く燃えていた。その山肌が野焼きで真っ黒になるのももうまもなくである。(写真1写真2写真3
   最低気温 -4.3℃ (06:49)、最高気温 0.8℃ (14:53)

 昼から、薪作りをした。時々雪が舞い寒い中での作業だったが、動いている分には寒さを感じなかった。この場所に山ほど積んであった薪材、ほとんどが欅だったが、今日作った薪で全部無くなった。全部燃やしきったということではないが、結構使うものである。あと、この一角の分が残っているが、この分だとこの冬じゅうに使いきるかもしれない。よく皆さんにひと冬でどのくらい薪を消費しますかと訊ねられるが、その際に、どういう表現方法をとればいいのか迷う。お尋ねの方もどういう答えを期待されているのだろうか。まあ、普通、木材の量は立米で表すらしいが、我家の消費量を立米で表す能力は小生には無い。お尋ねになる方もおそらくそうだろう。結局、「たくさんです」、「ああそうでしょうね」、とそれで納得される、考えてみたら面白い。

 欅の木には巣くっている虫が少ない、いつもやってくるジョウビタキが今年は餌になる虫が無いので可哀想だ。ところが、今日割った木に欅以外の木が混じっていて、大きな虫が出てきた。虫にとってはとんだ災難だが、ジョウビタキには貴重な餌が出てきた。どうするかと思ってい見ていると、その虫が大きすぎるのか見向きもしないで、他の虫がいたのだろう、そちらのほうを啄んでいた

 スイヘイリーベの続きである。先日の絵本で実にすっきりと元素(周期表)のことが判った。今頃変な話だが、いやあこんな面白い世界があったのだ、小生、もっと昔に、いやもっと大昔に知っていれば進む道が変っていたかもしれない、ということは無いだろうが、元素の話は実に面白い。そこで、もう少し無いかと思って調べたら、こんな本が見つかった、新書で「元素111の新知識」である。辞典としても読み物としても非常に面白そうだ。またまた時間が足りなくなる。



平成24年2月17日(金)

 曇り、時々雪が舞う。言うほどの低温では無かったのだが、風が強くて、ここのところ寒さが緩んだ日が続いていたせいもあって久しぶりに寒いなあと感じた。
   最低気温 -2.6℃ (21:32)、最高気温 1.3℃ (14:54) 最低気温は恐らく暫定値
   最低体感温度 -8.3℃ (21:23)
 
 ほとんど融けていた古閑の滝がまた氷結している。気温が高くなったときにはここから見ていても凍りついた滝が剥離して豪快に落下して岩にあたって砕け散るのが見えるが、滝の下で見ると大迫力だろう。

 こんな日は家にこもって読書や無線、元素の「お勉強」など自己啓発というか道楽というか、に浸るに限る。


平成24年2月16日(木)

  朝のうち少し雨が残るも、午後から回復に向かい日が射し始めた。
 最低気温 -0.3℃ (20:57)、最高気温  6.6℃ (15:02)夜になって少し気温が下がり始めている、この気温は暫定であろう。

 今日は小学校のこの春入学予定児童の体験下校なるものがあり、娘たちの登校班に新一年生予定のK君とMちゃんの二人にお母さん、引率の先生が加わって賑やかに帰って来た。この春から一名が卒業して二名が新入学児童となり、9名の登校班になる予定である。これが恐らくピークで、以降はどんどん少なくなるはずである。太郎の時は二三人になる予定か。
 
 年金生活者にはガソリンは食うわ、税金・保険料は高いわ、で大きな車を維持するのが困難になってきたので、この際、小さな車に乗り換えようと家族連れで石田孝臣さんのところに出物があると言うので見に行った。どうせ近場の移動でしか使わないので、ファミリーカーにしようか軽にしようか考えたが、もう少し大きな車なら別だが、ファミリーカーにするなら広さや機能などはあまり変わらないのに圧倒的に税金など諸々の費用が安いので、軽の乗用車、それも中古で良いだろうということにした。昔ほどの車に対する憧れといったものは無いのでそれで一向に構わないのだが、それでも、やはり大きな車から小さな車に換えるのは一抹の、という気もしないでもない、カミさんなんかは小さい方が運転しやすいので歓迎してるが。まあ、宝くじにでも中った時にはまたH2でも考えよう。

 軽の中古ながら家族の意見まとまらず、今日見に行った車は見送りとなり、改めて、ということになったが、その足で太郎を保育園に迎えに行ったので、なんだか家族総出の迎えとなってしまった。(写真1写真2

 夜、Eさんのお宅をajyと訪ねる。ajyの御尽力で、例の電柱の件はつつがなく終わった。


平成24年2月15日(水)

 午前中雨が残り、午後になって緩やかだが回復してきた。
  最低気温 5.2℃ (14:30)、最高気温 9.1℃ (00:07)最低気温は恐らく暫定だろう。

 太郎を始め、今日のところ家族にインフルエンザの兆候なし。娘の学校でも、娘の言によると、三年生だけがまだ誰もインフルエンザに罹っていないそうである。

 インターネット上で普段聞いているラジオ放送を聞くことができるというサイマルラジオの「ラジコ」が「らじる★らじる」に続いて熊本でも1月の末あたりからサービスを開始していたことを思い出して、つないでみた。

 全国のラジオ放送が聴けるのだろうか、地元局だけなのだろうかと思っていたが、やはり地元局だけだった。そうだろうな、基本的には免許、それからCM等を始め色々利権が絡んでいるのだろうから。阿蘇はとにかくNHKにしても民放にしても電界強度が弱くてラジオを聞くのに苦労するので雑音が入らないクリアな放送、非常に嬉しい。

 ラジオと言えば、我家では、もう、ほぼ完全に生活からテレビがなくなり、ラジオばかりである。娘も、一週間のうち、ドラえもんと名探偵コナンは見ると言っていながら、たびたび見忘れている。それでも稽古ごとや勉強を特に沢山やっているわけではないのに時間が足りない状況であるが、普通のご家庭の皆さんはどういう風に時間のやりくりをしているのだろう。娘、テレビを見ないからと言って友人と話が合わない事も全くなさそうで、学校で友人経由で耳から覚えてくるのだろう、マルマルモリモリなんか良く知っていた、小生はなんのことか今でもほとんど知らない。

 娘の学校では確か月に一度、ノーテレビ・ノーゲームデイという運動をやっているが、親が見るから子どもが見るのであって、子どもに強いるのなら親が見なければ良いのだと思う、テレビは殆どの部分が惰性で見ているものなのである。

 全く見るなとは言わないが、世の中の人がかなりの時間、テレビ離れを始めたら、テレビに依存して不当利得を受けている連中やテレビ局などは大騒動になるだろうな、それを是非見てみたいものである。

 面白いことに、娘は最近ラジオの演芸の時間が好きで、落語や漫才などを声をたてて笑いながら聞いている。ラジオにはテレビであまり出なくなった?昔の芸人が良く出ているが、牧 伸二の、あ〜ああやんなんちゃったああおどろいたのウクレレ漫談が好きで、一度聞いてその起承転結を覚えて口ずさんで笑っている、大人しか分からないと思ったら意外とわかっているのだ。考えてみたら昔、我々が子どもの頃、テレビの無い時代はそうだったなあ。最近、太郎なんかも、ラジオの時報でポッポッポッ・ポーンの最後のポーンを時報に合わせて、調子っぱずれで「ポーン」と言っている。

 「スイヘイリーベ〜魔法の呪文〜」<http://www.youtube.com/watch?v=hc08LP69lVM>(著作権なんかどうなっているのだろう、ネットからずっと消されないであるが)という歌がある。この曲を作った人は素晴らしい音楽の才能の持ち主だと思う。歌詞としては全くと言っていいほど意味のない単語の羅列にメロディーとリズムを付けて非常に完成度の高い曲に仕上げている。おかげで元素周期表が楽に覚えられる、と言いながら、以前にも書いたことがあるが、そもそも元素の周期表なるものが何のことなのか、小生は全く知らない、中・高時代に学んだはずなのに完全に抜け落ちている、学んだかどうかすらも全く覚えていない、カミさんにその事を言うと馬鹿にされる始末である。だから周期表がこの歌で頭に入っても、ただそれだけである。これじゃあイカンと思って、ネットで、元素(周期表)の易しい解説本が無いかと思って探してみた。そして、あった、「元素図鑑 宇宙は92この元素でできている」、小学校高学年乃至は中学生向けくらいの本である。本というよりは絵本である。早速、Amazon<http://www.amazon.co.jp/dp/4072746606/ref=rdr_ext_tmb#>_から取り寄せた。これくらいだと小生でも理解できそうである。ベンキョウ!ベンキョウ!人間死ぬまで勉強である。勉強なんか教え方ひとつで嫌いになったり好きになったりする、これは非常に重要なことだ、このような素晴らしい本があると子どもたちも勉強が好きになるだろう。いずれ娘に譲ろう。(写真1写真2写真3

 午後三時半頃、九電工が電気のメーターの交換にやって来た。どうぞ、と言うと、暫く停電しますとのこと、そういうことか、あわてて自宅サーバーのシステムを停めた。他に、最近は家の中でタイマーを使った機器が多いのでこの停電でリセットがかかるものは無いだろうかと一瞬思ったが、まあ、リセットが掛かった時は掛かった時だと考えるのをやめた。つい最近交換したような気がするけど、と尋ねたところ、それは電気温水器のメーターでしょうとのこと、電気温水器は夜間電力を使うのでメーターは違うようだ。そもそもメーターの交換はどのくらいの間隔でするのかと尋ねると、約10年くらいとのこと、ということは、我家が建って10年経ったところなので、二回目の交換になるのだろうか。



平成24年2月14日(火)

 寒さも緩み、やわらかな雨が終日降っていた。とは昨日の日記だが、今日も同じような天気だった。
   最低気温 7.1℃ (12:35)、最高気温 10.3℃ (08:25)

 今朝太郎を保育園に送って行ったところ、園長先生から、いよいよ坂梨保育園にもインフルエンザが入ってきました、昨日現在で5名の発症です、とのことだった、カミさん情報によると、太郎の親友のたいちゃんも罹ったそうだから、我家に入ってくるのも時間の問題だろう。まもなく小生の苦難の日々がまた始まることになる。

 バレンタイン・デーである。義理だとわかっていても貰えるのだろうかとなんとなく落ち着かない男どもが日本国中で見られたことだろう。我家でも昨夜から娘が母親の助けを借りて、チョコレートを作っていた。クラス全員分と(と言っても、先生を含めて15〜6人だが)、登校班の連中とその予備軍、つまり、彼らの就学前の弟妹たち分を作って今朝学校に持って行った。全部合わせるとそれでも結構な数になるので、今年は小生は数に入っていないな、と俗事から解放されて正直ホッとしていたところ、学校から帰ってきて、はい!お父さん、と手作りのチョコレートをくれた

 雨の中、ハチウトの中に砂糖水溶かした皿を入れてやる。昨日ちょっと覗いたところ、巣房が非常に貧弱で、床面にかなりの死骸があったので、ちょっと手遅れかなという気がしてならない、もっと早く給餌してやれば良かった。去年は大丈夫だったので油断があった、このあたりがじっちゃいとのミツバチに注ぐ愛情の差なのかもしれない。宮崎ではもう、春のハチウトの準備が始まっている。


平成24年2月13日(月)

 寒さも緩み、やわらかな雨が終日降っていた。
  最低気温 1.1℃ (03:04)、最高気温 10.0℃ (19:42)変な時間の最高気温である。

 外作業もままならず、終日デスクワークとシステムのメンテナンスを。

 夕方、上野さんが先日切ったステンのドラム缶などを引き取りにやってきた、窯の完成が待たれる。

 ネットブックの新しいバッテリーが届いたが、これでも充電できず、結局本体の故障と言うことになる。ということで、本体の修理はやめてバッテリー無しの固定機として使うことにする。

 夜7時、坂梨宿場會2月例会が坂梨公民館である。


平成24年2月12日(日)

 快晴。
  最低気温 -5.3℃ (06:34)、最高気温 9.9℃ (15:26)

 第35回坂梨校区新春駅伝大会開催。分団対抗で年齢・学年、男女の別などで坂梨地区を14区間に分けてタスキのリレーが行われる坂梨の伝統行事のひとつである。

 人口減少や少子化によりチーム編成が難しい分団も出はじめており伝統行事の継承も心配される昨今であるが、小生が住まいする豆札地区が属する第四分団ではA、B二チームを編成してエントリーした。Aチームが正式チームでBチームはオープン参加となり順位の対象にはならない。娘はBチームで第二区に出場した。Aチームは昨年に引き続き三位だった。

 レース後、馬場八幡で子どもたちは、昨日お母さん方が作ったカレーライスなどを食べ、お父さんたちはビールなどを飲みながら打上げ反省会が行われたが、小生は参加できなかった。

 と言うのは、阿蘇アマチュア無線クラブで例年のように競技の様子をテレビ中継をしたのだが、ちょっとしたアクシデントがあり、その後始末等で打上げには参加できなかった。

 そのアクシデントの内容。小生が毎年受け持っている古閑の滝の下の中継点13区での電波の飛び具合が良くないので、一つ前の神石の中継点に移動すべく、約500mをアンテナを立てた状態でバックをしていたところ、Eさんのお宅と道を挟んだ畜舎の間を渡してある電線にアンテナのポールを引っ掛けてしまって、道路の両側に立ててある支柱をへし折ってしまったのだ。今日は古閑の滝の見物車両が非常に多く、乗用車などは手で電線を持ちあげてその下を通過してもらえば済むが、バスになると高さが足りずに電線を持ちあげられず一時通行止めのような形になってしまった。急いで支柱から電線を取り外して地面を這わせてバスに通過してもらったが、後で聞いたところ生きた動力線だった。電線を切ると大変なことになっていたところだが、事情が事情で地元の大事な行事でもあるし、ということで、とりあえずのところは、後日改めて後始末をするということで快くご了解いただいた。小生のアンテナ支柱も途中で折れて、更には1200の八木アンテナも、エレメントのうち一番重要なラジエターが折れてしまって使いものにならず、結局、小生の中継は出来なかった。

 競技後、毎年のことであるが、AJYのお宅にお邪魔して昼食を摂りながら反省会と懇談をして散会となった。その後でAJYに同道願ってEさんのお宅を訪ねて、復旧の方策を話し合った。先方は、よかよか、こちらで何とかするけん、とおっしゃってくださってはいるのだが・・・・

 毎年のことだが、中継担当で一地点から動けないために、レースのスタートやゴールの様子、また沿道の応援風景などを目にすることが出来ない、我が子の走る姿も見る事が出来ないのが残念である(写真を御提供いただければ有難いのだが)。

 坂梨校区新春駅伝大会 連続写真 (1/3)
 坂梨校区新春駅伝大会 連続写真 (2/3)
 坂梨校区新春駅伝大会 連続写真 (3/3)


平成24年2月11日(土) 建国記念の日(紀元節)

 晴れ。風が少し冷たかった。
最低気温 -4.5℃ (07:18)、最高気温 6.4℃ (14:39)

 午前中、e鴨氏のお宅に伺って、上野さんからの依頼である炭焼き窯材料、ステンのドラム缶をプラズマ切断機で切ってもらう。ステンレスは酸素では切れないのである。話しには聞いていたがプラズマがこんなに素晴らしいとは思わなかった、非常に欲しくなった。国産だと高価だが中国製だと数10kくらで買える、欲しいなあ。
写真1写真2写真3写真4

 昼から、薪作りをする。


平成24年2月10日(金)

 曇り。気温、高くも無く低くも無くと言ったところか。
    最低気温 -2.4℃ (06:18)、最高気温 5.0℃ (13:02)

 今日、日中、時々、ドーン、ドーンと言う音が聞こえる、外で風に木製の厚いドアでも叩きつけられているのかなあと思いつつも他のことをやっていたが、我家の何かが外れているとまずいと思って気になってベランダに出てみたら、阿蘇山の方からドーン、ドーんと聞こえてくる、いわゆる空振である、噴火か?と思ったが別に消防無線も騒いでいない、何だったのだろう。日出生台だろうか、まさかここまでは聞こえまい。

 今度の日曜日に坂梨校区新春駅伝大会がある。毎年、ハムクラブでアマチュアテレビで駅伝中継をしているが、今日、機材を取り出して、テストしてみた。無事に動きそうである。1200MHzのアマチュアテレビはアナログBSチューナーの13CHで映像が受信できるので、それでテストをした。

 最近ネットブックと言われる種類のノートパソコンが普及している。本格的なPCとしては少し非力かもしれないが、携帯に便利でインターネットやメールをやるのに非常に便利で安価なPCである。小生も二三年ほど前から持っていて、外出先で無線Lanで使っているが、自宅でも寝床サイドに置いておいて夜中に目が覚めた時などに重宝している、そのPCのバッテリーがオカシイのか本体がオカシイのか全く充電しない、バッテリーを外して使うと問題なく使えるが、バッテリーを装着すると、AC電源をつないでいてもACから電力を供給しない、従ってバッテリーが上がってそれ以上使えなくなる。仕方が無いからバッテリーを外して使っていたが、それでは本来の特性が全く生かされない。そこでネットで調べたら、この会社のPC、結構こういったトラブルがあるようで、解決策としてBIOSのアップデートをするとウソのように直ったという書き込みが目に着く。しかしBIOSのアップデートはヘタすると、全く動かなくなって廃棄するほか無いほどの危険性を伴う(ことがある)。そこで一応、メーカーに問い合わせの電話をかけて訊ねたところ、BIOSのアップデートはそれはウソだからやらない方が良いという。じゃあどうするのかと問うと、修理するしかないと思いますが、基本料金で16,000円弱、それに故障個所によって数万円掛かる。もし見積もって修理をやめるなら、それでも6,000円弱の費用が掛かる。バッテリーが悪いかどうかチェックというメニューは無いのか、それは無い。バカコケである。新品でも20Kくらいで買える。毎度毎度この手の遣り取りで腹が立つばかりである。試しにBIOSのアップデートをやってみるかと、フィルをダウンロードして解凍してみたところ、昔はDOSレベルでアップデートしなければならなかったが、最近はWndowsを起動したままで出来るような雰囲気である。エイままよ、とやってみたら、確かにWndowsが起動しているうえでスイスイとアップデートしてしてくれた。しかし、メーカーが言うように、それで解決はしなかった。故障診断だけでそれだけの費用が掛かるのなら、バクチである、バッテリーがそれ以下で買えるのでネットで安いお所を探して注文をしておいた。

 先日、図書館でマガマガシイ題名につられて思わず借りてきた本、一気に読んだ。大いにあり得る話で面白くてそれはそれは怖いストーリだった。以下に粗筋途中から先は内容が判るのでそのつもりで)。日頃、小生とウマが合う筋には是非お勧めの本である。

  野焼きの日程が決まった、北外輪山は3/4、阿蘇山麓(南山)は2/26 3/4、天候不順の折は次の休日に順延される。

平成24年2月9日(木)

 寒い日が続く、山頂に久しぶりに朝日が射したが、その後は曇り空の一日だった。ここのところの寒さに近所の生活排水系の水が落ちているところが古閑の滝状態になっている。
 最低気温 -4.0℃ (07:27)、最高気温 1.1℃ (14:04)

 朝一番で歯の定期メンテナンスにでかける。

 なかなか風邪っ気が抜けないのでずっと行くのを控えていたが、久しぶりにプールに行った。2000m、62.2(この分では60台までは無理なく落とせそうな気がしてきた)


平成24年2月8日(水)

 曇り時々雪が舞う。気温が低い時に吹く風は非常に寒く、体感温度が−10℃近くまで下がった。今日は真冬日になった。例によって降るぞ、降るぞと言う割には、降らず、うっすらと白くなる程度だったが、今夜もまた降るぞ、降るぞと言っている。万一と言うこともあるので、屋外に転がしてある薪を小屋の中に取り込んでおいたが・・・・
   最低気温 -4.2℃ (08:16)、最高気温 -1.3℃ (00:00)

 読書三昧、それとCWトレーニング。


平成24年2月7日(火)

 曇り。昨夜は随分とまとまった雨だったようだ。
 昨日が気温が高かったので、その流れで昨夜日付が変った頃が一番高かったようで、今日に入って気温が下がっている。
  最高気温 14.1℃ (01:04)、最低気温 2.6℃ (16:59現在・・・夜に向けて更に下がっている)

 図書館から借りてきている本を読んで過ごす。それとCWの耳慣らし、今年こそは本腰を入れてペーバードライバーを返上する。業務の世界から電信が無くなって、ハムの世界でも試験が無くなった。電信がこのまま廃れてしまうのは何としてでも食い止めたいと思うこともある。モールス知らないHamをNo-code hamと言うそうである。試験が無くなって今後ともNo-code hamが増えると思うがその中にはなんとしても入りたくないと思っている。


平成24年2月6日(月)

 曇りのような時々雨のような、夕方らどうやら雨になって来た・・・・随分と寒さが緩んだが、日が射さないので数字ほどの暖かさは無かった。
   最低気温 2.2℃ (03:02)、最高気温 14.3℃ (14:08)

 随分と久しぶりに昼間は一人になった。

 めったなことで、風邪で寝込むようなことは無いが、今回の風邪、どうも治りが遅く、咳が残る。今日、たまたま置き薬屋さんが定期巡回してきたので、咳止め薬を追加で箱に入れてもらった。置き薬、こちらに来るまでは縁のないものだと思っていたが、田舎で暮らしているとちょっと走れば薬屋はあるものの結構重宝している。置き薬というと昔から越中富山と相場が決まっているが、この会社も出自は富山だとのこと。

 太郎、月誕生日の定点観測、1年と7カ月目である。11.6キロ。冬期間に毎日風呂に入ることもあるまいと、小生は基本的に一日おきにしか入浴しない、場合によっては二日あるいは三日間入らない事もある、だからと言って病気になるわけではない。かえって毎日入らないと気が済まないというやつのほうがすぐに病気する。というわけで、今日は入浴写真は無い。


平成24年2月5日(日)

 曇りのち午後から雨模様。
   最低気温 -5.4℃ (04:28)、最高気温 5.9℃ (13:44)

午後から雨だろうと言う予報だったので午前中目いっぱい薪作りをする。相当貯めたつもりだったが、24時間焚きっぱなしなのでさすがにいささか心細くなってきた。

 昼から、上野さん入来。氏は炭焼きを極めようとしている。いままでも手近な道具で竹炭などを焼いているが、ドラム缶などを使ってもっと本格的に炭焼き窯を作るのだそうで制作に取り掛かっている。(写真1写真2

 ガス切断と溶接が必要なので、我家に材料を持ち込んで自ら溶接をしていた。ドラム缶の切断は、材質がステンレスなので、ガス切断ができないためこれはひとつプラズマのe鴨氏の御出馬を仰ぐほかないだろう、一応預かりとした。焚き口にする小さなドラム缶はスチールなので小生がガスで切った。

 遠く茅ヶ崎の鶴が台ハムクラブの新年会があったそうで、広永OMから写真が送って来た。寺さんは毎年この時期、今年こそはと決意新たにしているそうだが、さてさて。
写真1写真2写真3


平成24年2月4日(土)  立春

 穏やかに晴れる。
   最低気温 -2.6℃ (07:12)、最高気温 5.2℃ (15:44)

 太郎、午前中のみ土曜保育。

 日記ネタが無いので閑話、ヒマネタをひとつ。

 この日記をお読みいただいている人たちは日本各地においでである。それぞれの地の不動産価格はどうなのだろう。少し前に新聞に入っていたオープンハウスの折り込み広告、築が昭和40年だから相当経っているが、瓦は葺き替えて全面リフォーム済みだそうで、販売価格が980万円、土地も建物も十分に広い、それでも売れなかったとみえて、今朝の新聞にまた広告が入っていた。都会から来た小生なんかがみると、驚くほどの安さだと思うが、それでも売れなかったようだ。田舎暮らしで家を探しているのなら格好の物件だと思うが、そうでもないのだろうか。小生はこの会社とは全く利害関係はない、ただの野次馬である。


平成24年2月3日(金)

   最低気温 -12.3℃ (07:23)、最高気温 -0.3℃ (12:56)

 こちらに来て以来、氷点下8℃台は何度も経験しているが、氷点下12℃以下というのは実生活体験では初めてのことである。室温がストーブのおかげで30℃近いので、外と内との温度差、実に40℃ということになる。北海道なんかでは普通なのだろうが高地とは言え南国九州ではやはり異例のことだろう。それでも昔はダイヤモンドダストが見られるくらい冷えけむのも珍しくなかったそうだ。窓ガラスのサッシの屋内側の結露が凍っていた。我家の窓ガラスはペアガラスなので断熱効果が高く、また、曇ることも無いが、ガラスの周辺は金属製なので、せっかくのサッシも温度が伝わりやすい。もっと高価なサッシになると、木製のものもあり、そのようなサッシは断熱効果も完ぺきだが、どうも金属製のサッシは中途半端である。

 今朝は風もなく穏やかに晴れたので、子どもたちの通学も昨日ほどではなかったようだ、9時頃のボンの散歩の時間帯でも氷点下10℃くらいだったが、風が無かったので気持ちが良かった。カミさんも太郎も病も去って今朝は普通どおりに出掛けて行った。

 昨日はホームページのアクセス数が異常に伸びた、ここのところ、北国では大雪に見舞われているようだが、阿蘇を遠く離れている人たちが、故郷はどうだろう気遣ってのアクセス増だったのだろうか。

 JARLから2012〜2013年版のコールブックが届いた。昔は毎年出ていたが、ハム人口が減って近年は隔年発行となり価格も随分と高くなった。

 夕方娘を連れて阿蘇神社の護摩木撒きに行った。普通、どこでも神社では節分と言うと豆まきだが、阿蘇神社では昔から豆の代わりに護摩木を撒く。拝殿で節分の神事が終わったあと、拝殿前で護摩木撒きは例年だと午後6時ころから始まるが今年は15分ほども早く始まった。いつも思うのだが、どうもPRが足りないようで、善男善女の数が少ない。もっとうまくやれば沢山の人が集まるだろうに。(写真1写真2写真3写真4写真5

 夜は我家で豆まきをやった。保育園では鬼の面つくりがあったようで、太郎にも鬼の顔に自由に目鼻を付けさせてもらったようで、まるで福笑いのような鬼の面をもらって帰って来た。娘も放課後こども教室で鬼の面作りがあったようで、それぞれ鬼の面をぶら下げたり頭に付けたりして、「鬼になって」逃げる方では無く豆を撒く側になっていた(写真1写真2)。また、娘に、恵方巻きの事を教えてやったら、やる!と言って、恵方を向いて黙って太巻きを一本食べていた。小生は、恵方巻きの風習が関西方面の海苔問屋だか何かの海苔を売るために始めたイベントだと言うことを聞いて以来バカバカしくなってやめた。



平成24年2月2日(木)

 今日は昨夜から日付が変わった時が最高気温 -2.6℃ (00:00)で、以降はそれより低い気温で推移して、朝の最低気温が -5.4℃ (12:53)だった。風が強くて最低体感温度は-11.7℃ (13:00)だった。そして夜になって更に気温が下がっていて、20:03現在で-8.3℃、更に下がり続けている・・・・(写真

 夕方近くになって雲が晴れて、阿蘇山が姿を現したが、明日の朝はまたかなり冷え込むそうである。

 今日は体感温度が低いのが判っていたのでこどもには目いっぱい重ね着をさせて学校にやった

 風が強かったが、雪は多くなかったので野焼きに備えて山肌に作られた防火帯である輪地切りした部分だけが帯状に白くなっているのが遠望できた。(写真1写真2

 ここ数日、竹林跡の整理をしたが、雪が降って、整理した個所とまだの個所が良く分かる、結構進んでいることが判る。

 太郎は今日はもう平熱になったが、こんな天気でもあるし、用心のために休ませた。一方の、カミさんのインフル騒動、案の定、大山鳴動で、もうほぼ回復に向かっている、あの騒ぎは何だったのだ、詐欺である。


平成24年 2月 1(水)

 今日は確か、曇り時々雨であったり小雪であったり、といった空模様だったような気がするが、ドタバタして記憶がおぼろになってしまった。
   最低気温 -2.9℃ (00:00)、最高気温 4.6℃ (08:43)

 太郎、昨夜寝入ってから急に発熱して、39℃超が一晩中続いた。夜中に座薬を入れて、多分、これはインフルだろう、朝になったら古閑医院だな、と思っていたところ、朝には37℃に下がっていた。時間経過からも、また下がり方から考えても座薬の効果ではなくて、下がるべくして下がったものと見える。元気だし、まあ、病院は見合わせて、今日一日様子を見るかと、またまた爺様保育になった、爺様爺様と言っているが父親保育だが、我ながらこんがらがってくる。

 終日37℃台が続いていて食欲旺盛、さて、夕方になって病院に連れて行こうかどうしようかとなんとも中途半端な状態のところ、カミさんが仕事を終えて戻ってきて、どうも私インフルエンザらしいと言って、ふらふらへたり込んでいる。これじゃあ一人も二人も同じだと、古閑医院に連れて行って、先日太郎の鼻に面棒を突っ込んで痛い目に合わせたから、今日はお母さんの方でやってみますかとのころで、カミさんでインフル検査。しかし、陰性である。時間的にまだか、或いはインフルでないか微妙なところなので、今日は、普通の風邪薬を出しておきましょう、もし明日症状が悪化した場合、48時間以内なのでそれからでもタミフルは間に合うので、明日まで様子を見ましょうということで帰って来た、本当に人騒がせなやつである。

 小生から見ると、カミさんは阿保みたいに騒ぎ過ぎで、己の気分でいくらでも悪くなることができる。先日の嘔吐なども周囲がそうだから自分も違いないと自分で勝手にそうなったのではと小生は内心思っているくらいである。まさに病は気からを実践しているのである。家の中で一番しっかりしなければならない立場なのに全くその自覚が欠けている。小生、二三日前のじっちゃいと同じ立場になってしまった。じっちゃいは、大○○モノと相手を思い遣って伏字で書いているが、小生は大バカ者と書いてやる、このオレは一体どうなるのだ。

 娘が週に二つ習い事をやっている、ひとつはピアノで、もうひとつは水泳である。いままでは別の日だったが、今月から都合で水曜日に二つ一度にやることになった。水泳から帰って急いで夕食を済ませて、ピアノ教室である。そういわけで、今日は、その二つの習い事の間にカミさんたちの通院送迎を入れて、送迎が三度、如月に入ったばかりなのに(風)師走の一日だった。

 またインフルエンザに罹った家族のなかで高齢者などの一定要件を備えた者には、予防投与と言って、罹っていなくてもタミフルなどの投与が受けられるが、これは、てっきり保険適用になるという意味かと思っていたが、そうではなくて、あくまでも自費負担だということである。

 さてさて明日はどういう展開になるか、娘は大丈夫だろうか。


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