日々の記録目次へ

平成24壬辰(2012)年 3月の記録(新しい日付けの順)


平成24年3月31(土)

 夜中にかなり強く雨と風があったようだ、デッキの奥のほうまでびしょ濡れになっていた。今日もまた終日風が強かった、最近風が強い日が続く、桜の花の時分はもう少し先なので良いようなもののもう少しお手柔らかに願いたい所である。
   最低気温 6.3℃ (18:51暫定)、最高気温 14.5℃ (02:36深夜である)

 本来なら本日が年度末だが、官公庁、金融機関そして殆どの企業が土曜休業のために年度末の行事は昨日のうちに総て終わっている、かと言ってまだ4月1日ではないので、なんとも中途半端な一日の感じがする。保育園は今日もやってくれた、土曜半日保育をお願いして昼に迎えに入ってきた。今日の先生はみほ先生としおり先生、お二方とも坂梨保育園は今日が最後の日になった、お礼を言って帰ってきた。

 APRS工作のほうは暫くちょとひと休み、というのは、肝心のGPSアンテナが無い。手許にあるやつはUSBタイプで、色々調べてみると、単純にコネクターを付け替えれば良いというものでも無さそうだ。止むを得ず、シリアルGPSを買おうと思ったが、これが結構する。そこで色々調べたら面白いルートで格安で入手できるらしい、ということで、現在手配中であるが、これがまた日記ネタになりそうなルートである。ただ、ちょっと時間が掛かりそうではある。

以下はヒマネタである。
 そのAPRSを見ていたら、今まで陸上ばかりに目が行って気が付かなかったが、鹿児島湾に数隻、海上からビーコンを出している局がある。?・・・船に乗っているHamかなと思ったが、船名が出ていて貨物だとか客船だとかタンカーだとかの船種や、船体の長さや幅、そして喫水まで表示されている。APRSはアマチュア無線の世界のもののはずだがと思って調べたところ、APRS.fiには船舶の情報も載るらしい、しからば、と東京湾に目を転じてみると、あるわあるわ、リアルタイムに沢山の船舶名が表示されてその航跡までわかる、面白い。http://je6dtz.jpn.org/ais にその説明があった。又、船舶情報ならここにある

 確か2月頃だったと思うが、小国町のオープンハウスの折り込み広告のことを日記に書いた記憶がある、今朝また同じ広告が入っていた、まだ売れていなかったのだ。今回は価格が900万円になっていた、値下げされたと思う、どうでもいいようなことだが、妙に気になってまた書いてしまった。


平成24年3月30(金)

  昼間はもうシャツ姿でも暑いほどだった(下界に降りたので特に感じた)。
      最低気温 7.3℃ (04:38)、最高気温 19.1℃ (13:31)

 春は別れと出会いの季節というが、さしずめ3月は別れの月ということになるだろう。会社では定年退職の別れ、学校では卒業による別れ。そして、同時に異動される先生方との別れ。保育園も小学校も今日は異動・退職する先生方の退任式があった。こどもたちも、先日卒業した6年生も加わって朝、学校での退任式に出掛けて行った。保育園の退任式には母親と娘が出掛けて行った(太郎は保育園で母親の迎えを待って一緒に帰ってきた)。小学校では娘の三年生の担任だった杉本先生も異動される、もう一年ご一緒できるかなと期待していたようだったが・・・・・

 夜、PTAの皆さんとサンクラウンホテルで小学校の先生方の退任送別会が開かれて小生が参加した。高須賀教頭始め全部で5名の先生が坂梨小学校を去られる。小さな小学校の5名の異動は大きい、会うは別れの始め、人生別離足る、ではあるもののはやり寂しいものである。これからの益々のご活躍をお祈り申し上げる。

 さて、送別会の写真であるが、畏れ多くも教職にあられる方々の酒席での様子をどこまで載せて良いのか迷うところであるが、先生とて別に聖人君子でもあるまい、今夕の送別会、和やかにそして和気あいあいとした会場の雰囲気だったので特に支障はないと思って載せることにしたが、もし不都合であるとのことであればすぐにでも削除をするつもりでいる。

 送別会連続写真(1/4) (10枚)
 送別会連続写真(2/4) (10枚)
 送別会連続写真(3/4) (10枚)
 送別会連続写真(4/4) (12枚)

 今日、山を降りた、阿蘇谷に居ては分からないが、下界はもう桜が満開に近い状態であちらこちらで咲き誇っている。花が咲いて初めて日本には如何に桜が多いかということがよくわかる。桜の淡くて控え目な紅色、菜花の鮮やかだが押しつけがましくない黄色、若草の優しく柔らかな緑色、日本の色である。

 山を降りて、メッキを頼んであったタワーの部品を熊本市長嶺の熊防メタルに引き取りに行って、合志の吉弘鋼材に38Φのパイプを買いに寄って、そのほか西原村のリサイクルショップにも寄ってとあちらこちら走り回った。タワー部品は無電解ニッケルメッキという方法でやってもらった、1個あたり約178円也、想像していたよりずっと安かった。


平成24年3月29(木)

 晴れ。昨日以上に暖かくシャツ一枚でも寒くなかった。
最低気温 0.3℃ (06:04)、最高気温 17.5℃ (14:34)

 今日は特に何をするということもなく取りとめもなく過ごした。午後、山下OMが久木野からクヌギを積んできてくださった。OMはアラ・サンにもかかわらずお元気でいつも車で移動されている、だから、APRSには非常に興味を示されておいでだった。(アラ・サン=around sanjyu・・・sanjyu means "parachute age",by the way I am "arokoki" oh just typical Japanese english hihi)

 本日は我家の大艦巨砲主義時代終焉の日である。2モデルを乗り継いできたパジェロを廃車して思いっきり中古の軽乗用車に乗り換えた。大きな車は諸事において費用が掛かり過ぎて年金生活者には維持できなくなったのだ。それと同時に、ここで暮らす分には大きな車は全く必要でなく小回りの利く小さな車の方が何かと都合が良いのは確かなのだ。そして小さな車の比較では、リッターカーに乗るのであれば、性能的にはそれほど差が無いにもかかわらず、税金を初めてとして諸々の費用が軽乗用車のほうが遥かに安い。そういうわけでリッターカーの方が取得価格は安いが、軽乗用車にした。一抹の寂しさはあるかなと思ったが特にそれは無かった、昔と違ってそれほど車に執着心は無いので、これで良いだろう。大きな車が必要な時はスポットでレンタカーを借りればいいのだ。

 午後三時頃、明日が年度末だから、どうせなら明日中に廃車手続きをした方が何かと都合が良いので、という石田さんの電話で、急遽、廃車のための印鑑証明書を取り寄せたり、任意保険の変更連絡などでバタバタしたが、パジェロはナンバーだけ外していくので、後はスクラップになるからラジオを取り外すなりなんなりしてくださいと我家に数日間置いたままの状態にしておくことになった。そして、夜、車も大事に乗れば磨きあげることでこんなにピカピカになるのかという新車然とした既に名義変更が済んでいた我家の新たな主力艦がやってきた。戦艦に替わり巡視艇・・かな。

 任意保険が明日から切り替わるように手配したので運転は明日からにした。


平成24年3月28(水)

 晴れ。暖かい一日だった。
      最低気温 5.3℃ (01:27)、最高気温 15.9℃ (13:41)

 昼から、杉の枝打ちに取り組んだ。やろうやろうと二三日前から思っていながら、相当高所なので若干の気遅れがあってそれが躊躇につながっていたが、午後になって突然その気になって地下足袋を履いてハシゴを昇った、そういう気分は突然にやってくるものなのである。

 我が家には以前から安全帯が二組あるが、双方とも一本吊り専用である。一本吊りは常態では安全帯に負荷は掛かっておらず、両手が自由に使える作業向きである、万一バランスを崩して落下した際に、下まで落ちないように途中で宙づりになる様な使い方をする。しかし、それでは木の上で作業をする場合には両手が使えないので不向きである、両手の代わりに何かで体を支える必要が出てくる、そのために使うのがU字吊り用の安全帯である。これだとロープを木の幹にグルリと回してベルトにつないで体を支えるので両手を使うことができる。電柱で工事をする人が使っているやつだ。今回、そのU字吊りと一本吊り両用の安全帯を購った。命に換えられないので一本吊りよりは高価だがやむを得ない。一本吊りと違って、両手を離して体を反らして全体重を一本のロープに掛けるのだから一本吊りとは勝手が違ってちょっと怖い。腰に回すロープ(ランヤードという)だけでは不安もあって、また場所移動の際に、腰にまわすランヤードを外して体を保持するものが一時全く無くなるので、用心には用心を、で、更に一歩吊り用のランヤードを枝に掛けて二重に安全を確保して万全を期した。

 登り始め、特にハシゴから幹に体を移す時は恐る恐るだったが、一旦登ってしまえば、こっちのもの、全くの恐怖感もなく、高いところは本当に気持ちが良いものである、鼻歌交じりに、そして、ランヤードの掛け間違いをしないように慎重に、木の上の方から枝を一本一本落として下って行った。もっと綺麗に切れば良かったのだが、ノコの切れが悪くて、また、これから先、使うあてがあるかどうかわからないが、足を掛ける部分を残しておいた方が良いかなと思って少し枝を残して切っていった。(写真1写真2写真3

 一時風が強くなって木が大きくゆらゆら揺れて、折れるのでは、という恐怖感は全くなかったが何だか船に乗っているような揺曳感に捕らわれた。また、ノコにはロープを付けて落ちないようにしていたのだが、それでも途中で落としてしまって、一旦降りて又登り直すなどして、予定通りに切り終わった。枝打ち後の杉の木、見上げると 随分とスッキリとしている。まだ他にも枝打ちをした方が良い杉の木がて邸内にあるし、そのうちの一本は、いずれロングワイヤーアンテナを張る時に使うつもりなので、又登るつもりである、終わってしまえば、ああ、楽しかった、である。(木に登っている間の写真は娘に撮ってもらった、途中、ノコを落とした際と作業が終わった際の写真は小生である)。

 実は、枝打ち作業をする前、午前中だが、TinyTrak4の設定をしようと思って、作業に入ったものの、firmwareのインストールに失敗して、その後、TT4の様子がどうもオカシイ、LEDは点いているが最初の頃の点灯具合と違う、何かしら内部でやってはいるようだがオープニングメッセージが表示されない、何度どうやってもインストールの再挑戦が上手くいかない、EPROMだから、上書きをするはずだが、それ以前に、通信ソフトが受け付けてくれない、。ボーレートなどのパラメータは間違いない、今回の挑戦はこれまでかな、ギブアップかな、と作業をやめてしまっていた。

 そして、夜になって、今日の枝打ち作業の記録を書いてから、もう一度、挑戦してみた。ふと、通信ソフト以前の問題なのではと思って、PCのコントロールパネルを開いて、デバイスマネージャー ---->ポート(COM)を開いて、ポートの設定の中の「詳細設定」を開くと、接続エラーを修正するには、受信バッファ、送信バッファの設定を小さくしろとある。これかな、と、数値を下げてやったところ、「ビンゴ!」だった。無事にfirmwareのインストールは終わったようだ。まだまだ挑戦は続けられそうである。(写真1写真2写真3

 娘の水泳教室の進級テストがあって、まだずっと下の方だが、今回も合格だったそうだ。


平成24年3月27(火)

 近来稀に見る晴天になる。
     最低気温 -2.4℃ (06:30)、最高気温 13.5℃ (13:56)

 カミさんは今日は休みだったようだ。

 朝一番で床屋に行く

 今日も英文マニュアルを前に脳ミソに汗をかきながら、APRS遊びの続きをする。どうも生活のための作業が疎かになっていかんなあ。回路図を慎重に確認しながら、TinyTrak4のRADIO側のD-SUB9ピンコネクターの加工をする。シガーライターからの電源供給とハンディ機に合わせてAUDIO OUTとAUDIO INのミニプラグとミニミニプラグの取りつけ。

 そこまで済ませて、おもむろにハンディ機をつないで、TinyTrak4の電源を入れたところ、正確に2分おきにビーコンが出て、その電波を固定機で捉えてTNC-231を通じてモニターに文字が流れた。まだファームウェアも何も入れていないので、とにかく、配線が間違っていないかの確認段階であるがまた一歩前進できた。この先はまたあちらこちらの情報資料を集めて次のステップに進むことになる。なんとなく見えてきたような気がする、今日はここまでにしておこう。

 たとえハンディ機 Low powerとはいえ、実際に無線機から電波が出ているので、電波法上は変更申請前で違法になるが、限りなくダミーロードに近い状態でやったので、まあ、お目こぼしを、である。

 アマチュア無線の世界でTinyTrakの話題で賑わったのはもう数年前で、現在それを使っている局はあっても、これから作ろうかという人間はいないだろう、だから資料も、製作記事も当時のもので、ホットな記事は全く見当たらない。


平成24年3月26(月)

 晴れ。今日も風が強かったなあ。それに寒かったので枝打ち木登りはやめた。明日の朝はまた氷点下4度の予報が出ている、薪を取りに外に出たところ、冴えわたった空いっぱいに星が煌めいていた、さもありなんである。
      最低気温 1.3℃ (06:13)、最高気温 9.1℃ (15:54)

 今日は、来客二組。まず、KVFがSWR計を使いに来た。2mと430の2バンド・モービルアンテナが途中で折れたので、残ったエレメントだけで使えないだろうかと測りに来たのだ。それはダメだろうなと思ったが、やはりダメだった。swrが10近くあった。

 それから、もう一組。「炭焼き」氏だ、先日来、孟宗を沢山燃やしていて、そうだ、竹炭も作ると言ってたのを思いだして電話をしてあったのだ。最近、炭焼き窯を作って、本格的に木炭を作っているらしい。(写真1写真2

 屋根裏からTNC-210が出てきた。これも生きているかなと思ったが、ダメだった。

 TinyTrak4、とりあえず、電源をつないでみた。D-Sub9ピンの6番ピンはGround、7番ピンが12V、電源は入った。次に、ターミナルソフトにつないで電源を入れるも、LEDはパラパラ点灯しないし、信号は出ているようだが、モニターには説明通りの文字列は流れない。クロスケーブル、間違いなし、ボーレート19200、間違い無し・・・・この段階ではROMを読むだけで、送受信するわけではないので、電源だけで構わないと思うのだが・・・・・

 メゲズニ
色々やって、TinyTrak4のバージョン情報まで表示されるようになった、v1.2bである、死んでいるのかなと思ったが、大丈夫のようだ。このあとはファームウェアをインストールすればいいのかな・・・・後はあす以降だ。
平成24年3月25(日)

 ここのところ降り続いていた雨で溜まった田の水に薄氷が張っていた、風景は、これから春、というよりは初冬の風景だ。とにかく散歩していて今日も風が強くて表示温度よりはるかに寒く感じた。もう凍ることはあるまいと思っていた古閑の滝も遠くから眺めると上の方が白く凍っていた(古閑の滝の上部左側の尾根の向こう側、追加野焼き?の火が見えた)。
      最低気温 1.2℃ (06:34)、最高気温 7.2℃ (14:50)

 熊本県知事選挙の投票日、無風選挙で面白くないので今回は棄権しようかと思ったが、出たついでに投票所に寄って投票してきた。入場券を持って行かなかったので免許証を提示して入場券を発行してもらって投票してきた。たまたまかもしれないが小生が行った時は閑散としていた。


平成24年3月24(土)

 朝には止んでいるかと思ったのに、どうしてこんなに長時間続くのかというくらいずっと強風が吹き続けている。その風も午後になってようやく収まってきたかと思ったら、今度は黄砂のヤツだ。
         最低気温 3.6℃ (07:34)、最高気温 8.4℃ (12:49)

 今日は保育園の卒園式だった、そんなわけで、土曜保育は自主的に遠慮して娘と二人で太郎の保育をした。

 じっちゃいがAPRSに挑戦、夕方近くようやく、APRSのインターネット網にデビューできたようだ

 とくさんのお孫さん、N木野惟文さん御入来。

 「AIJ投資顧問」問題、気になってホームページで確認したところ、小生が給付を受けている厚生年金基金ではここに一切資産運用の委託はしていないそうである、信じていいのかどうか、こうなるとわからなくなるが、まあ、そうなのであろう、それにしてもとんでもない奴だ。「財テク」にともすれば「卑しさ」というイメージがつきまとうのは、時々こんな輩が出てくるからだろう。


平成24年3月23(金)

 朝から強い雨風で、午前5時過ぎに西原村を除く阿蘇市と阿蘇郡内に大雨洪水警報が発令された。午前8時過ぎには解除されたが、それでも終日、強い風と雨が南側から叩きつけるように続いた、夜になっても一向に衰えない、よほど低気圧の移動が遅いのか、こんなに風雨が続くのも珍しい。(未明の私設観測所の瞬間風速50.5の記録はエラーである)
   最低気温 11.1℃ (19:09)暫定、最高気温 17.6℃ (05:55)

 坂梨小学校は今日が修了式、娘、昼過ぎには通信簿をもらって帰ってきた。

 午後、熊本市での定期健診の後、じっちゃいが立ち寄った。「大地主」になって男の隠れ家、築城計画只今進行中、毎日が楽しくて仕方が無い風で、生き生きと、そして逞しく溌剌としていた。他人ごとではあるがこちらまでワクワクしてくる。


平成24年3月22日(木)

穏やかに晴れるも、夕方に向かって天気は下り坂。
   最低気温 -0.2℃ (04:48)、最高気温 15.3℃ (13:23)

 カミさんは今日は休み。太郎元気に保育園復帰。あれだけひどい下痢だったのに一日で治った、元々胃腸が丈夫に出来ているらしい。売薬のビオフェルミンを粉にして飲ませていたが、そう言えば、婆様が医者から出してもらっていた粉末ビオフェルミンがあったなあと思いだして、封を切ってなめてみたが全く異常がなさそうなので、それを飲ませた。考えてみたら売薬のビオフェルミンも数年前に買ったものだ。医者から処方される薬の方が、同じ名前でも効能がある薬がある、ビオフェルミンはどうだろう、まあ、婆様の遺産である。

 午前中、薪作りをする。

 早くもツクシが顔を出している、憎っくきスギナになるのだが、やはり可愛い。家のいつも車を停める場所のタイヤぎりぎりのところで発見した。今朝もキジが家の裏にいた。随分と大きな声で鳴く鳥がいるので何だろうと思って、裏に回ってみたところ、木の枝に止まっていたキジが慌てて飛び去った、キジの鳴き声はよくケーンと言うが、確かに、それに近い鳴き声だった。

 坂梨小学校の卒業式、今日は県下で多くの小学校の卒業式だったようだ。卒業式終了後頃ちょっと覗いて写真を撮ってきた、今年の坂梨小学校の卒業生は11名

 石田オートで、軽トラックのスタッドレスタイヤを普通タイヤに組み替えてもらった。ついでに、頼んでおいて中古車探し、下取りした出物の軽乗用車を勧められた、家族で乗ってみて皆気に行ったようだ、リーズナブルな価格だったので買うことにした。


平成24年3月21日(水)

 久しぶりに気温が氷点下まで下がって霜が降りてピリッとした朝だったが、その分、日中は素晴らしい青空になった。気温もぐんぐん上がり、野焼きがあった昨日と今日が入れ換われば良かったほどだ。
       最低気温 -1.3℃ (06:27)、最高気温 13.9℃ (16:25)

 昨日は野焼きの煙で見えなかった阿蘇山麓も今朝はかなりトラ刈りではあるが野焼きの跡が真っ黒になっていた。(写真1写真2

 今日の登校班、登校前に節目の全員記録写真を撮った。明日、蒼唯君が卒業する、だから明日は皆と一緒には登校しない。全員が揃うのは今日が最後の日になった(写真)。小学校に入学したころは豆札からはたった一人のこどもだった。最初の頃はお母さんが毎朝、隣りの馬場集落の登校班まで送って行って、そこから馬場の登校班に混じって登校したのではなかっただろうか。その後、少しずつ仲間が増えて、ここから登校班を編成して登校するようになって、節目節目に写真を撮ってきた。それらを集めて一度に閲覧すると成長の過程が良く分かるのだろうが、いずれ機会があればやってみよう。中学校に入ると自転車通学になる、これからも元気に育ていってほしいものである。新学期からは2名のルーキーがここからの登校班に加わるはずである。現在は8名なので、8−1+2=9名となって、ピークを迎える、その後は減る一方である。太郎の時は、2〜3名になる、もっとも、そのころは、小学校の統廃合で、恐らくスクールバスになっているだろう。

 太郎、昨日朝から少しお腹がゆるかったのに、鞍嶽祭の集まりで、調子に乗って腹いっぱい食べていたので、ああ、これはいくな、と思っていたところ、案の定、帰ってからひどい下痢をして、何度もオムツを汚し、それでお尻が真っ赤にただれて、おむつ交換の際に痛がって泣いていた。便を見たところ、素人目ながら、感染性の下痢ではなさそうだし、熱もないので、今朝、直前まで保育園にやろうと思っていたが、登園直前になって、よし、オヤジが面倒を見ようかということで、今日は保育園を休ませた。ビオフェルミンを与えているが、元気だが食欲があまり無かった、それでも夕方になってようやく元気が戻ってきて食欲も湧いてきたようだ。


平成24年3月20日(火) 春分の日(春季皇霊祭)

 曇り。

 延び延びになっていた北外輪山・阿蘇山麓一帯一斉野焼き、このコンディションでやるだろうかと思っていたが、午前7時前に予定通り実施する旨の防災無線放送があった。今度の日曜日の方がまだ天気は良さそうだが、その保証が無い以上、今日の実施に踏み切ったのだろう、下から見ていても各所の野焼き、やはり草が湿気ているようで、どうも勢いが無い。煙で霞んではいるが炎が殆ど見られない、現地ではどうだったのだろうかと終わって帰って来た村の人に聞いたところ、やはり燃えが悪くて相当焼き残したそうである。案外、今日の実施で一番喜んでいるのは消防だろうと皮肉も言いたくなる。毎年、野焼きの日は飛び火で山林原野火災があちらこちらで起きて、消防は目の回るような忙しさになるが、今日ほど飛び火に関して安全なコンディションは無かっただろう。

 今日は野焼きと併せて村の鞍嶽祭があり、カミさんは座元で一応は料理賄い方の責任者になっているので、小生が太郎の子守をやることになり、一歩も外出できず。今日は村の野焼きに参加をしないので、各所の野焼きの写真を撮りに回ろうかと思っていたが、それも出来なかった。家から周囲の野焼きを遠望して写真を撮ろうと思ったが、炎が上がらず写真も殆ど撮る事が出来なかった。(写真1写真2写真3写真4写真5

 夕方、5時過ぎ、野焼きの終わった村の皆さんが集会所に集まって、鞍嶽祭と野焼きの慰労会を始めた。この鞍嶽祭に限って毎年、村の子供たちも集まってお菓子などをもらうことになっている、どういう歴史があるのだろうか。(写真1写真2写真3写真4



平成24年3月19日(月)

 昨日は必要性も感じなかったことと、半分は面倒なこともあって薪を入れなかったので、夜もストーブ無しで寝たが、布団を掛けて寝るたで特に寒さは感じなかった。今日も、平均すると、ストーブが無くても我慢ができる気温だったが、あればあったほうが気分的に楽だという気温で、薪を突っ込んで特に薪の追加もしないで、熾火状態にしておいたが、それで室内の空気が冷えないので筋肉を意識的に緊張させることもなく気温を意識することせずに済んだ。
        最低気温 4.7℃ (05:26)、最高気温 11.3℃ (13:18)

 今日は曇り空の一日、風向きと気流の関係か、中岳の噴煙が仙酔峡側に下っているのが遠望できた。一時、湯だまりが無くなって強いガスがしばらく続いてかなり被害がでたことがあったが、現在は湯だまりは十分なので噴出するガスも湯だまりに相当量が溶け込んで当時のような被害は無いのではないだろうか。明日の野焼きはどうなるのだろう、今晩中にその決定は無さそうである、明朝だろう。

 こどもたち、今週いっぱいで三学期が終わる、なんとなくウキウキして見える

 田んぼが始まる前に、西側の孟宗を今日も何本か切り倒して、更に、田に日陰が出来ないように杉の枝を払うべく、今日は梯子の設置をした。二連ハシゴを立ててもそれよりずっと高いところの枝を払わなければならないので安全帯をしっかりつけて装備を万全にして相当の覚悟で登らなければならない、高いところに登るのが決して得意というわけではないが、かと言って高所恐怖症というほどのこともない、登らなければならなければ、嫌だけども登る、という程度である。

 長い間、孟宗林に削られて、幹の片側には枝が付いていないが、反対側がびっしりと枝が張っている、去年は下の方を落としたが、今回は、このくらい切るつもりでいる

 APRSが面白くて、今日も見ていた。jp7の移動局が熊本から阿蘇に入って南阿蘇を通って高千穂方面に向かっているのを眺めていたが、その場所、場所でどこのI-Gate局につながっているのだろうと思って見ていると、ずっと熊本市のクマデン(ハムショップ)のI-Gateとつながっていたが、途中から竹田市のI-Gateからインターネット網に入っていた。その後は、国東半島のデジピータ(中継局)を経由して四国のI-Gate局からインターネット網に入ったり、またある地点では、別のI-Gateを使っている、マウスをあてるとそれが判る。そして、高森町と宮崎県高千穂町を跨ぐ寧静ループ橋の先で折り返して別ルートで戻ってきているようだが、そもそも今日は何処から出発しているのだろうと、時間を指定して検索して見ると、佐賀県嬉野温泉を、雲仙、島原を経て海を渡って熊本に入っている。 戻りルートは波野の道の駅まで走ってきて停まっている(道の駅アワードのサービスでもするのだろうか)、最終的にどこまで行くのだろうか。アマチュア無線はオープンが基本だからこうやって他の局をワッチしても一向に差し支えないのだ、と言いながら、電波法では、傍受しても良いが窃用してはならないとある、これは窃用になるのだろうか、そもそもこのGoogle Maps APRSは不特定多数に向けて公開しているのだから、窃用にはならないということにしておこう。いずれしても大変面白いシステムである。


平成24年3月18日(日)

 雨。予報では昼ころから晴れると言っていたのではないだろうか、ほとんど夕方近くまでぐずついた空模様だった。薄暗いので庭に少しだけ咲き出した梅の花が白く浮かんで見えた。野焼きがまた延期になったが、次は20日であるが、それもちょっと心配である。

 今日の日記にもし「お題」を付けるとするなら「大感動」になるだろうか。

 APRSのデータ送受信はパケット通信である。今からもう20年近くも前にパケット通信が流行ったことがあった。そのパケットがインターネットや携帯電話は別にして、また、小生に関してであるが、無線の世界でお目にかかることになろうとは思ってもみなかった。

 昔はパケット通信などの専用機、TNCが売られていて、小生も当時ハマったものである。そのTNCは最近殆ど作られてはおらず、また、そのようなハードウェアは無くても、今ではパソコンの上で動くソフトウェアTNCという便利なものがあってハードウェアTNCに代わっているようである。

 ただ、WXstationだけでなく、APRSを少し本格的にやってみようと思って、昔仕入れたtinytrak4を使って移動しながら位置情報を送ろうとちょっと勉強中であるが、その過程で、ハードウェアTNCがあればより便利なことが書いてあった。

 そういう状況下で、そういえば数年前にGMMが大掃除に際してTNCが出てきたので送ってやろうかと聞いてきたので、まあ、我家の天井裏は完全に秋葉原のjunk屋状況になっているのでそこに加えても良いかなと送ってもらって死蔵状態になっていた。そうか、あったな、と思いだして探し出しだした、今は無いタスコ社のTNC-231である。さて、これが使えるかと考えた。ネットで調べると、ほとんどすべての記事が大昔の機械なので、全部が全部コンデンサーの液漏れで使えなくなっているとある。そうだろうな、と思いつつ、ケースを開いてみたところ、非常に綺麗な基板状態である(冷暗所に大切に保管してあったのだろう just a joke)。もしかしたら、と思って、電源をつないで恐る恐るパワースイッチを入れると、色々な機能表示の10個近いランプがパラパラと点滅してから最後にパワーランプ一個のみが点いた状態で落ち着く。思わず、オッ、点いた!と第一回目の感動。

 さて、今度は、PCとつないで、画面に何か表示されるだろうかと、ケーブルを探す。このケーブルはD-Sub9ピンのシリアルケーブルである。RS-232Cか、懐かしいなあと思って、天井裏に登って箱のなかをひっかきまわす。さすが秋葉原阿蘇支店である、いくつもゴロゴロ出てくる。確か、クロスケーブルだよなあ、まあ、ストレートケーブルも出しておこうか。ところが最近はシリアルポートがあるPCが無くなってきている。USBを使ってシリアル変換をするようになっている。そこで、また天井裏に登って古いPCを引っ張り出してきて、それにRS-232Cケーブルをつないでみた。

 しかし、その前にターミナルソフトが必要だ、と思って、win98のプログラムのアクセサリの通信ホルダーに確か「ハイパーターミナル」というソフトがあったはずだと思って探したが、なんとこのPCには入っていない。オカシイなと思ったが、それじゃあフリーソフトだと、TeraTermという有名な通信ソフトをダウンロードして、各種設定を済ませてから、TNCを起動してみた。

 しかし、ウンともスンとも言わない。ボーレートの設定などはちゃんとやっているのに、はやりダメなのかと思って、試しにストレートケーブルをつないでみたところ、パラパラと何やらメッセージが流れだした、オープニングメッセージというやつだ、クロスでなくてストレートケーブルが正解だったのだ。やったあ!で本日第二回目の感動である。

昔を色々と思い出しながらコマンドを打ちこむと、ちゃんと反応する。ただ、バックアップ電池は完全に無くなっているので、スイッチを切る度に初期化されてしまう。

 さあ、いよいよモニターだ。モニターするだけなら、無線機のイヤホン・ジャックから音を取り出して、TNCに入れてやるだけで良いはずだと、無線機のイヤホン・ジャックとTNCのSP INジャックをつないでやる。しかしダメである。考えるに、このケーブルはステレオ用だからかな、と思って、またもや天井裏からモノラル用のプラグコードを探してきてつなぎ換えた。これもダメである。う〜ん・・・、最も基本的なことだが、プラグを引き抜いて、表面の汚れをこすりとって差し込んでみた。来た〜、である。どんどん、パケットが流れているのがモニター上に現れた。本日第三回目の感動である。

 モニター上に現れるのコールサイン と Google Maps APRSに表示される移動局とゲート局を比較すると位置関係が非常によくわかる。

 これで、いずれはI-Gate局も開局できそうだ、そのまえにまずはtnytrak4を動くようにして自ら移動することをやってみよう。

 死んだと思っているモノが息を吹き返すのは何とも感動的である。かりそめにもアマチュア無線「技」士であって、無線士ではないので、少しくらいは技術的なこともやらなくては、である。

 でも、少し気がかりなことがある・・・・

 今日は雨天のなか、太郎の子守からも完全に解放されて、道楽三昧で過ごした。



平成24年3月17日(土)

 昨夜風が強かったが、どうやら春一番だったようだ。今日はずっと雨でそれも一度に木々の芽ぶきを促すような暖かい雨だった。これではどう転んでも絶対に明日の野焼きは延期だろうと思うが、それでも夕方になるもまだ発表が無い。小生は参加しないのでやるかやらないかでストレスを感じることはないのだが、どうせならもっと早く発表をすれば良いものを、といつもながら思う。(午後6時前、20日に延期旨の放送あり)
    最低気温 11.3℃ (00:00)、最高気温 13.9℃ (09:01)

 毎土曜実施のA1ClubのOAMにcheck in、今日のキー局、JL1IRB。朝7時半から9時頃まで、我家ではこの時間帯、忙しくて落ち着いて無線機の前に座っていられない。

 今日はカミさんが仕事なので土曜保育を予定していたが、新入園児の面接があるとかで土曜保育が無いそうで、今日は終日太郎の子守をした、完全に計算外だった。

 今日は宿場会で坂梨出身相撲取りの墓の案内板設置工事があったが、そんなわけで参加できなかった。

 太郎は、最近、ウンチをしたら教えろよ、と言い聞かせているので、何度かに一度は、まだ明確な言葉では言わないが、一生懸命に、したぞ、と訴えるようになった。今度はする前に言えよ、と言ってあるが、それはまだ無理のようだ。面白いのは、日に何度か気にかけて、ウンチしていないか?と問うと、していない時は、ううんと首を振って、わざわざテーブルの上に乗って四つん這いになって「さあ臭え」というポーズをする。せっかくだから、小生も鼻をくっつけてクンクンしてやると満足そうである。

 娘はこども会のお別れ会が馬場八幡で行われ、昼すぎから夕方まで出掛けた。お別れ会というのは小学校を卒業する子はこども会も卒業になるそうで、今年はA音ちゃんとA唯君の二人である。

 先の阿蘇惟之宮司の神葬祭で献詠された弔歌の詠み人、熊本を代表する女流歌人の安永蕗子さんが今朝9時すぎ亡くなったそうである、ということはこの弔歌、当時重い病の床にあって詠まれたのだろうか、そう思って読むとまた改めて想いを深くする。享年92。

  遊ばむと阿蘇を仰げば
  いまさらに 如月弥生
  流れゆくか


平成24年3月16日(金)

 晴れ昼から雨模様。
  最低気温 4.8℃ (00:27)、最高気温 11.2℃ (09:58)、最高気温は甚だ疑問、何となれば、昼からの雨を見越して、竹を焼却したが、気象観測装置から3メートルほどしか離れておらず、風向きで、時々装置方面に煙が流れていたので、センサーは当然、その温度を拾っているはずで、非公認とはいえ、世界中にデータを発信している以上、もっと慎重にやるべきであったと反省している。そして、思惑通り、昼時分、燃え尽きるころ雨が降り始めて、消火の手間も省けた。


平成24年3月15日(木)

 晴れ。
    最低気温 -2.1℃ (06:24)、最高気温 13.9℃ (13:45)

 非常に暖かな一日になった、多分今回の冷え込みがこの冬最後のような気がする、これから一気呵成に春に向かいそうである。そんな気がしたからという訳ではないが、昨日の今日、早速、畜協に堆肥を買いに行って畑に振って(この辺りの人は肥料をフルという、こういう字だろうか)トラクターで鋤きこんだ。二杯欲しかったがとりあえず一杯にした、500円也。今年はジャガイモの作付はいつもの年よりも早く出来そうである。


平成24年3月14日(水)

 晴れ。朝冷え込んだので日中は穏やかに晴れた。
   最低気温 -3.6℃ (06:25)、最高気温 10.2℃ (13:56)

 天気が良いので道楽は一旦置いておいて、畑の粗起こしをしておいた、これから肥料などを入れなければならないがとにかく鋤いておいた。

 久しぶりにトラクターに乗ろうとして、タイヤの空気がかなり抜けているのに気がついた。近所のコンプレッサーを借りて空気を入れよとしたが生憎と不在で間に合わず、どうしたものかと思っていたところ、先日、ホームセンターで自動車にも使えるという自転車の空気入れが安価な値段(1.5K強)で売っていたのを思い出して、早速買ってきて使ってみたところ、オールプラスチックス製のようで実に重量が軽く、ポンプを押しても手応えが無く、空回りしているように柔らかく、果たしてこれで空気が入っているのかなと心配だったが、謳い文句通りに力を入れなくても大きなタイヤに楽に空気が入っていく優れものだった。

 娘が学校から沢山チョコレートをもらって帰って来た、今日はホワイトデーだったのだ、見たところ完全に海老鯛だ。お父さんからのリターンは無い。



平成24年3月13日(火)

 晴れ。朝など、まるでこれから冬に向かうが如き気温の推移である。一旦融けた古閑の滝がまた立派に復活している。
最低気温 -5.1℃ (04:33)、最高気温 7.3℃ (14:55)

 週間天気予報によると週末はまたあまり天気が良くなさそうである、だからというわけではないだろうが、今日、高岳の麓、何と言う牧野だろうか、野焼きをやっていた。その牧野で人が集まるのなら何も日曜日でなくても良いというころだろう。今でこそ兼業農家が多いのでどうしても日曜日になるのだろうが、もともと曜日に関係なく天気と相談してやっていたのだろうから。

 風が無いと日だまりで作業をしていると気持ちが良い日だった。今日はハシゴタワーに登って、単管パイプ3mものをハシゴタワーの上に載せて、さあ、ローテーターを取りつけようかという段になって、使っているローテーターが一番小さなタイプなので、単管の径では入らない事が判った、アホである。また山を降りた際にパイプを探してこなければ。そんなわけで午後、余った時間で薪を作る。

 色々楽しみな計画を並行してやっているので、時間が足りない。総て無線がらみであるが。クランクアップタワー、ハシゴタワー、ATUの取りつけ、それから今でこそAPRS対応のトランシーバーが何種類か売られているが、まだAPRSがはしりの頃、無線機に外付けするためにキットとして売られていたtinytrak4、数年前に買ってお蔵入りしていたやつが出てきた、新しいトランシーバーを買う金が無い無銭家、なんとかモノにして移動APRSをちょっとやってみたい、更にはこれが今年のメインだが和文、などなど・・・・

 夜、坂梨宿場會例会参加。


平成24年3月12日(月)

 晴れ。だったが、今日も風が強くて春は名のみの寒い一日だった、明朝は氷点下7℃の予報が出ていて、防災無線で水道の凍結破損防止の注意放送があったが、まあ、そんなには下がるまい。
     最低気温 -1.3℃ (07:03)、最高気温 4.9℃ (14:55)

 朝一番で宇治歯科で歯の定期メンテナンスを受ける。次回より二月に一度で良いことになった。

 どうせ殆ど戻ってくるのだからもっと早くやればいいものを、というわけで、所得税の確定申告をインターネットのe-taxでやる。今年から公的年金受給者は基本的に確定申告をしなくても良くなったが、それは、簡単に言うと世帯が全員高齢者の場合であって、我家のように老齢年金受給者でありながら高齢者でない扶養家族が居るというイレギュラーな家族構成の場合にはどうしても確定申告が必要になってくる。毎年少しずつ改善はされているようだが、e-taxは相変わらず使いにくいソフトである。それでもわざわざ税務署に足を運ばなくていいだけ便利な世の中になったものである。ところで、電子証明の有効期限は3年であるが、この15日で切れるところだった、どうせ還付だから確定申告の期限後でもいいや、と思っていたらまた電子証明の申請からやらなければならないところだった、アブナイ、アブナイ。住基カードも当初鳴り物入りで導入したわりにはあまり使われることも無いようだ。


平成24年3月11日(日)

 本日予定されていた北外輪山、阿蘇山麓一帯の野焼きがまた18日に延期になった。今日の天気はまあまあだが、昨日までの雨で草原は乾いていないのだろう。と思っていたが、延期の理由はそれもあろうがどうも強風のようだ、注意報でも出ていたのだろうか、今日は非常に風が強かった、冷たい風だった。最大風速13m。
        最低気温 -1.4℃ (03:36)、最高気温 6.8℃ (13:26)

 それはそうとして、野焼きは大事な草原維持活動であると同時に今や大きな観光資源にもなっている。遠方からも野焼き見物を楽しみにやってくる人たちが大勢いる、道路の規制に関しても今日はミルクロードは野焼きのために交通規制が掛かっている(この規制は当然解除だろう)。市の農政課が野焼きの実施・延期の放送をしているのだから、野焼きに市が大きく係わっていることは違いないだろう。市は、防災無線の届かないそのような人たちにどのように広報しているのだろうか。市のホームページに野焼き延期が速報として載っているかと思って見ても(見方が悪いのか)何処にも見当たらない、観光協会のホームページにも何も載っていない。市は本気で観光で生きていこうと思っているのか。世界ジオパーク認定を目指しているのだろう?、hospitalityに欠けると言われているのだろう?もっとしっかりやれよ(午後になって再度観光協会のサイトを覗いてみたら、ようやく延期のインフォメーションが載っていたが、もっと迅速にね)。

 朝、7MHzでO(Oscar)O(Oscar)4BO*がcq contestを出していた。何処だろうと思って調べるとベルギーである(しかもネットで調べると実際にこのコールサインの局はいる)、それにしてもいやに強すぎる、何かの間違いだろうと思って、jtqに電話を掛けて寝ているところを叩き起こして確認してもらったところ、確かにOO4である。じゃあコンテストナンバーは何を送れば良いのだろうと思ってネットで調べたが分からない。しばらくしていつの間にかOO4がJO4に変っていた、最初の「ト」が落ちていたのだ、メモリーキーヤーに入れ間違ったのだろうか、どうもオカシイと思った、かなりパイルになっていたが、そのせいだろうかどうだろうか、でもコンテストナンバーを交換にしていたので、分かっていたのだろうか。

 娘、母親に連れられて嘉島町の映画館にアニメを観に行った、誘われたが小生は御免蒙った、太郎は連れて行けと言ったのでショッピングセンター併設の時間保育に預けたのだろうかと思っていたら、アニメだから一緒に観たそうだが、ちょっと(太郎にとって)怖いシーンになると泣き出して、母親がその度に外に連れ出したそうだ。小生、子ども向きの映画でも、アニメでも、しっかり作ってあるものにはつきあうが、日本のアニメ映画の大部分は手抜きの粗製乱造、人の脳に残る残像効果に最大限依存したパラパラ漫画的なアニメばかりである、大人の鑑賞に耐えるような作品はほとんど無い。なにも映画館の大画面で見る必要など全く無い。そんな映画に付き合わされるのはまっぴらである。

 まもなくコイノボリの季節がやってくる、今年まで揚げようと思っているが、そうなると、無線のアンテナを張る支柱が無くなる。とういうわけで、皆が映画に行っている間に孟宗を1本切りだしておいた、測ったら14メートル強ある、独りではとても立てられないので、飛んで火に入る誰かを待とう。

 ついでに、ハシゴタワーのウインチの交換をした。ワイヤーが赤錆びてキンクもある、ワイヤーだけを買おうとすると結構するが、ウインチ丸ごとネットで買うと1,970円である(送料は740円)、パッケージを見るとドイツ製のようだ、いや、ブランドはドイツかもしれないが、生産国は中国なのだ、これでは勝負にならないな。



平成24年3月10日(土)

  また山が雪を被っていた。あまり気温は上がらなかったが風が無いので寒くは無かった。
         最低気温 1.2℃ (05:01)、最高気温 8.9℃ (16:19)

 本日のJA0GSG局がkey局のA1ClubのOAM、CONDEXがNGなので暫くの間様子を見ることにして、太郎の保育園送りから帰ってからwachしたが既に終わっておりチェックイン出来ず。

 本日、カミさん仕事につき、太郎半日保育をお願いする。午前中、怪しげな空の下、薪を作る、ずっと天候不順で薪のストックが極めて乏しくなってきていた。

 ご近所の長期お留守のお宅に時々様子見がてら整理においでの波野のN木野さんのお婆ちゃんと最近親しくお話をする機会が増えて、昨日も、お孫さんが最近出来た阿蘇のネットショップ運営会社に勤めているという話だったので、小生もホームページを開設しているので機会があったら覗いてみてくださいと名刺をお渡ししておいたところ、そのお孫さん、今朝早速仕事に向かう途中立ち寄って挨拶をして行かれた。

 昼から、太郎の昼寝の時間を狙って、西側の孟宗の伐採をする。相当数切り倒してかなりスッキリした。もっと切っても良いと思うが差し当たってこんなものだろう。

 お向かいのお婆ちゃんがやってきて(お婆ちゃんと呼ぶ方ももう相当の爺様で、そう大して年が離れているわけではないが、本人にその自覚が無いから、先方の年齢から当然お婆ちゃんと思っているわけで)、「イガワさんの事たい」、「お宅にもイガワさんが・・・」どうのこうの、「えっ?いがわさんですか・・・」、「そうたい、イガワさんの事たい」 、話しがどうも噛み合わない、よくよく聞いてみると、どうも井戸の事らしい、「井戸ですか」、「そうたい井戸たい」と思わず相好を崩された。井戸を埋めるのに井戸の神様の事があって、ヘタに埋めるとまずいので、我家の井戸は埋めたか埋める予定はあるか、若し埋めるのなら一緒にお祓いをしようかというようなことであったが、我家の古井戸は出来ることならばそのうちに浚って使えるようにしたいと話したが、井戸や湧水のことをイガワさんというとは初めて知った、熊本地方の方言だろう、「井川さん」と書くのだろう。

 阿蘇の火祭りのイベントのひとつ、往生岳の火文字焼きが夜空に火という字を浮かび上がらせた、往生岳の裾野の平野部に北塚という丘があるが、そこでも火という字をかたどって燃やすので、見る角度では火という字が重なって炎という字になる。我家からは角度の関係で、炎はおろか火という字にも見えない。
写真1写真2写真3


平成24年3月9日(金)

 今日も午前中は雨だったが、午後からは、確か、止んだと思ったがあまりハッキリとした記憶が無い、今日も外作業は出来ないので、外に注意はいかなかったからだ。
   最低気温 3.7℃ (20:35暫定)、最高気温 7.2℃ (15:42)

 明日も好天と言うほどでもないらしいが、今度の日曜日の野焼きはどうなるのだろう。と、もう気を揉まなくても良くなった。というのは、今年は、馬場豆札牧野は野焼きに参加する者は牧野組合員のみだそうで、我家は組合員ではないので、参加は無しなのだそうだ、もっと早くから知っていればヤキモキしなくても済んだのだ。牧野によっては人手が足らずにボランティアを募るところもあるが、ここは十分のようだ。となると、今まで見る事が出来なかった他の牧野の野焼き見物が出来て写真を撮る楽しみができた、というところであるが、村の行事の鞍嶽祭の準備に座元のカミさんが忙殺されるだろうから、太郎の子守にかなり時間が取られそうである。

 今日も終日無線機とPCの前に座っていた。熊本県下でAPRSでWXstationを開局しているのは現在は当局のみのようである。



平成24年3月8日(木)

 曇りのち雨。午前中何とかもっていた天気も昼ころから降りだして、今日も肌寒い一日になった。いつも車を止める場所、畑部分に乗り入れて止めているが、ずっと天気が悪くてぬかるんでヘタするとスタックしそうな状態である。
        最低気温 3.0℃ (03:10)、最高気温 8.4℃ (11:36)

 今日は薪でも作ろうかと思っていたところ雨になったのでデスクワークに切り替えた。


平成24年3月7日(水)

 曇り。今日は少し肌寒かったので、我慢することもあるまいと、弱いながら火を焚いた。
  最低気温 4.2℃ (06:56)、最高気温 8.6℃ (15:19)

 今朝は、最近には珍しく午前2時過ぎに目が覚めてしまったのでそのまま起きてしまった、このあたりが、気まま暮らしのいいところである、勤め人ではないので、日中眠たくなれば寝ればいいのだから。しかし昼間も全く眠たくならなかった。

 午前中、中川竹久さんのお宅に伺ってデータベースの手ほどきをした。氏は昭和12年生まれであるが、地域の色々な活動の役員などをされていて自らWordを駆使して写真を入りの文書を巧みに作られる。データベースは初めてだが、便利さを分かってもらって使っていただけるといいのだが、しばらく、試してみようとのことであった。

 APRSの気象情報の発信、昨日の設定では、結構頻繁に固まる。原因はtelnetの設定にあるということは分かっているが、APRS-ISの指定がデフォルトでは多分アメリカのサーバーになっているのだろう、日本のサーバーを指定すると良いのだろうが、wx情報はアメリカのコアサーバーに直接送らなければならないのか、日本にあるサーバーでも良いのか分からない、しかも、パスワードを入力する欄がある、日本のサーバーを指定するとそのパスワードが判らない、そこで色々悩んだ挙句、passwordはvalidation numberの事だと言うことが判った、それなら分かっている、ということで、日本のサーバーを指定したあとは非常に安定して情報を送り出し始めた。それでも、夜になって一度、固まった。時間帯によってトラフィックの輻輳でパケットが通らないのだろうか、なかなか難しいものである。



平成24年3月6日(火)

 朝のうちは風が強かった上に雨が少し残っていたが、その後は、はて、どうだったろう、外にまったく注意が行かなかった。昨夜来、寝るときからストーブを焚かずにずっと過ごして、今日、夜に入ってから、やはりあったほうが、という気がして火を入れた。
     最低気温 8.6℃ (18:09暫定)、最高気温 13.7℃ (02:21)

 今日はずっとPCの前にへばりついていた。現在、気象観測情報を自分のwebサイトで公開しているが、これをAPRS上でも並行して発信できないものかと、以前から試行しては頓挫していた。ネットで検索してもあまり解決法が見つからない、七転八倒?して、結果オーライで、表示できるようになっているが、緯度経度の入力が、元データが秒の部分が片方が100進法で、片方が60進法での表記なのだろうか、いやそうでもないな、どこかが間違っていて実際の場所よりも相当南に表示されている。時間表示は世界ネットだから「Z」である(緯度経度は修正した、上の違いと、入力違いと二つの違いだった)。単にモニターするだけなら、ここで見られる

 3.11の大地震大津波の時には、福島原発周辺のインフラは全部やられて風向きなどの情報もも全く分からなくなったとき、近くのアマチュアのこのシステムが生きていて、唯一世界中にAPRS網を通じて情報を送っていたそうだ、原発周辺のインターネット網はやられたので、この場合はRFで情報を送っていたのだろう、APRSはアマチュア無線とインターネットとがうまく融合している、すごい。

 それから、もうひとつ、PC前の作業、中川竹久さんが坂梨の石造物の調査をされていて、その結果を200件、あるいはこれからも増えるので、それ以上のデータを一つ一つWordに写真と一緒に貼り付けて作成されている。何か上手い方法は無いかと訪ねて来られたので、こういったデータ管理、整理はデータベースソフトが良いですよ、後からいくらでも加工出来ますからと、使いやすい、フリーソフトを探す約束をした。小生自身、データベースなんてもう何年も離れていて、しかも、初めてやろうと言う人に取り組みやすいソフトとなるとなかなか簡単に見つからない。なんとかこれが良いのでは、というソフトが見つかったので、これを勧めてみようと思うが、気に入ってくれるかどうか。

 太郎、市の定期健康診断で午後から母親つ連れられて行った。



平成24年3月5日(月)  啓蟄

 ほとんど雨の一日、雨量は大したこと無かった、前線の通過で「降る」、とのことだった思うが、ここは所に拠らなかったのだろう。
   最低気温 9.3℃ (00:32)、最高気温 17.2℃ (11:40)

 雨の中、農地水の草切り作業があった。馬場豆札以外、各地域から援軍が参加して全部で2〜30人くらいいただろうか。雨で斜面がズブズブで足元が悪くて往生した。


平成24年3月4日(日)

 曇り時々小雨。
   最低気温 4.9℃ (04:44)、最高気温 9.4℃ (14:05)

 朝起きると地面が濡れていて霧のような雨が降っていた、そして、朝7時なってようやく、野焼き延期の放送があった。野焼きには非常に大勢の人が係わっている、こんなにギリギリまで判断を遅らせずに、昨夜のうちに決定出来なかったのだろうか。周囲の人に聞いてみたら誰もが、今までの天気と明日の雨方向の天気予報から明日は無いだろうと言っていた、そんな雰囲気の空模様だった。やるかやらないかによって今日の予定の変更をする人が沢山いるだろう。牧野によっては人手が足りず広く域外からボランティアを募っているが、そのボランティアの人たちは昨夜から現地に宿泊していたのだろうか、昨夜のうちに延期が決まれば宿泊しないで済んだだろうに、あるいは当日集合の人たちは、朝起きてやるのかやらないのか焼きもしないで済んだだろうに。それぞれ事情と言うものがあるのだろうが、市の農政課、牧野組合、消防やあるいは警察もか、それから畜協も絡むのか、関係機関が多すぎて決められないのだろうか。小生は、初めっから無いと思っていたので、火消し棒も作らなかったが、これで万一実施でもされたら慌てただろう。ということで、次の11日(日)に延期になった。当然ながら、村の行事、鞍嶽祭も延期である。

 というわけで、こちらに来て初めて西日本ハムフェアに出掛けた。向うにいた時は昔は晴海での開催時には毎年行っていたが近年は行かなくなっていた。会場は熊本県北部の長洲町にあるユニバーサル造船所で、毎年ここで開催されている。初めての道だったので行く時は少し迷ったが、来場者は想像していた以上に多く、造船所の駐車場は沢山のアンテナを立てた車などで一杯だった。九州はもとより遠くは広島からもやってくるらしくて、会場も、晴海とは較べるべくもないが、満員の盛況だった(写真1写真2)。この光景をみると、衰退著しいと言われるアマチュア無線もまだまだ大丈夫だなという気がした。一日だけの開催が勿体ない気がした。

 会場にはDIさん御夫妻が見えていたが、声だけのすれ違いだった。小生はAPRSの講演を聞きたくて行ったようなものだが、時間が短くて、内容はちょっと物足りなかった。

 太郎のヤツは本棚の本を全部引っ張り出してご丁寧にカバーを外してぶちまける。何度片づけても無駄である、バリケードをしているが手の届く範囲の本は惨憺たる状態である、姉のほうも赤ん坊の時はそうだったが、太郎の方がもっとひどい。まだ躾けても分かる年齢ではないのでしばらくは仕方が無いのか。(写真1写真2

 明日は農地水の草切り作業がある、これは雨でもやるそうであるが。


平成24年3月3日(土) 雛の節句

 曇り。午後から時々日射しも見える。明日の野焼きにはどうも中途半端だ、やるのかやらないのか。やるなら、同時に村の行事、鞍嶽祭もやる、我家は座元でカミさんが料理の材料などの買いだしで走り回っているが、明日の朝まで決まらないだろう。明日は西日本ハムフェアがある、毎年、ハムフェアの日は何かしら家の用事ができて行ったことが無い、今年は、明日延期なら初めて行ってみようかと思っていたところだが、またまた怪しくなった。
       最低気温 4.9℃ (08:31)、最高気温 10.3℃ (13:58)

 今年は雛人形を飾らないので娘に聞いたところ、太郎がメチャクチャにするから飾らないとのことであった、宜なるかな。

 毎週土曜日JST 07:00から7MHzで開催されているOAM(a1 CLUB On the Air Meeting)にモチベーションを維持するために、先週から参加している。単なるレポート交換のみだが(小生にはそれが有難いのだが)、某局に回復不能なくらいに水をあけるつもりでいるのだ。

 カミさん本日仕事につき、太郎、土曜半日保育をお願いする。

 午後、CWで交信中、突然窓際でバサッという音が、目をやると、ワイヤーアンテナが切れて垂れさがっている。今の交信は成立したか?レポート交換は済んで、当方から ツー  トトツー トトトツートツー を送っている時に切れたので成立していると思うが先方は驚いただろうな。

 外に出てみるとトラップコイルの根元でワイヤーが劣化して切れていた。殆どSSBとFMだったのが最近CWが流れるので驚いて切れたか。ちょうど顔を見せたe鴨氏に手伝ってもらって応急で修理したが、エレメントが数センチ短くなったので共振周波数が上の方にずれているだろう。

 今日はなんだか無線ネタばかりになってしまった(大したことはやっていないのに)。
 

平成24年3月2日(金)

  今日もやわらかな雨が一日降っていたようだ、一雨ごとに春になる。
    〜降るとも見えじ春の雨 水に輪をかく波なくば
     けぶるとばかり思わせて 降るとも見えじ春の雨〜
       最低気温 8.9℃ (17:24暫定)、最高気温 11.1℃ (13:37)

 娘の学校の授業参観があり母親が出席する、小生はその間、山を下りる。

 熊本市長嶺の日赤病院の裏手方向にある鉄工団地のなかに熊防メタルという会社があり電気めっきをやっていて個人も対応してくれる旨、ホームページ載っていたので、出掛けてみた。

 受付で相談したところ、係りの人が親切に応対してくれて、ものが鋳物なので、電気亜鉛めっきは難しいと思います、むしろ無電解ニッケルめっきの方がまだ可能性はあります、一応お預かりして1〜2個やってみて、うまくいけば残りの全部をやっておきますが、ダメなときはお返ししますといって預ってくれた。費用も当初全く見当がつかなかったが、新しく買うよりは遥かに安価に出来ることが判って安心した。もともと溶融亜鉛めっき(どぶづけ)処理されていたもののようなので、最初からどぶづけでやればよかったかなと思わないでもないが、これも経験である。

 今後工夫することは、入れ子状態になった各タワー鉄骨を一人で動かすには非常に重いので、引き抜いたり、ちょっと横持ちしたりできるような手段を考えなければ。単管パイプを組んでチェンブロックなどを使って簡易門型クレーンでも作るか。

 先月、ネットブックの充電回路が故障してバッテリーの充電ができなくなって、本体故障かバッテリー故障かわからなくて、バッテリーを買ったが結局本体の故障だと言うことが判って、健全なバッテリーが二つ、充電出来ずに遊んでいたので、充電器のつもりで、同型の中古のネットブックを買った。このPCで充電をしてやれば充電回路が故障したPCでも使えることになった。結局同型PCが二台になったということだが、損をしたのか得をしたのか。得はしていないだろうが、これで良かったのだろう。


平成24年3月1日(木)

 弱いながら一日中雨が降っていたような気がする、それほど低い気温では無かったようだが、寒々しい感じがする一日だった。それでも、今朝、庭先にウグイスの初音を聞いた、しっかりとホーホケキョと啼いていた。
    最低気温 4.4℃ (02:15)、最高気温 11.3℃ (15:02)

 終日デスクワーク

 阿蘇惟之宮司の父君、阿蘇惟友宮司の神葬祭の際の弔句を聡雄さんが送ってくれた、母上が覚えておいでだったそうだ。なんでも阿蘇の草原のススキにイメージを重ねられたやに聞くとか。

  ━ 夏過ぎて 阿蘇のますらお 首をおる ━ 中村汀女

  (昨日の日記に載せた弔歌の五句目を誤記していた。)
     (誤)流れてゆくか (正)流れゆくか



このページ先頭へ  日々の記録目次へ