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平成24壬辰(2012)年 5月の記録(新しい日付けの順)


平成24年5月31(木)

 曇り。時々、ん?雨か、という程度のお湿りがあった。
    最低気温 16.6℃ (03:50)、最高気温 22.4℃ (13:43)

 ここ二日ばかり刈り取っておいた枯れ草などを燃やしたが、やはり昨日少し降った雨で湿っていて燃えが悪かった。

 昨年からずっと管理を続けていた「ぬか床」、最近、管理が悪くて異臭がしだしたので、丁寧に手直しを始めたが回復にはなかなか時間が掛かりそうで、そろそろ畑のキュウリも出来始めていることもあり、考えてみたら、我家のぬか床は代々引き継がれてきた秘伝のぬか床でもなんでもないので、なにも時間を掛けて今のぬか床を回復させることもないと、今日新たにぬか床を作り直した、そのほうがなんぼか手っ取り早い。

 また、ついでにこの冬に漬けた白菜漬けが古漬けになったまま樽に残っていたのを忘れてカビがはえていたので、糠と古漬けを一緒に穴を掘って埋めて、樽を綺麗に掃除しておいた。

 メダカの水槽の蛍光灯が切れたので交換しようと思い、蛍光灯ならなんでもいいと思っていたら、どうも、観賞魚用の蛍光灯というのがあるらしくて、そうなんだと、それを買ってきて交換したが、結構な値段した。何が違うのだろうかと思って能書きを読んだところ、水草の生育に適した波長の光を、つまり太陽光線に近い波長の光を出すのだそうだ。水草が入っているのでその方が良いのだろうが、ふつうの蛍光灯では全く駄目なのだろうか。一方、観賞する側から言うと、灯りがあるほうが綺麗で良いが、メダカにとっては蛍光灯はどういう存在なのだろう、やはり生存に必要な光なのだろうか、眩しいばかりなのではないだろうか。

 ジャムを作る際のゲル化剤、粉末ペクチンをスーバーの菓子材料売り場で見つけたので買っておいた。先日作ったジャム、ペクチンが不足してサラサラしていたが、味は同じなので改めてペクチンを入れ直すこともないだろうと、一応今回、保存のために、瓶の封を切るのはやめておくことにした。瓶のラベルを読んでいたら、このペクチンには小麦粉が入っているような記述があったので、へえ、と思ってよく読んだところ、この粉末ペクチンをつくる工場では他の製品を作る際に小麦粉を使うので、そのつもりがなくても製造過程で粉末ペクチンに小麦粉が混入する惧れがあるという断り書きなのだろうと理解した。小麦アレルギーに対する配慮なのだろうが、意図せずに混入する小麦粉の量は恐らく微々たるものだろう、さらにそのペクチンをジャムなどに使う場合は更に更に微量になるだろうが、それほど神経を使わなければならないほどのアレルギーをもった(主に)こどもたちが世の中にいるのだなあと思った。このような良心的な記述、法令で定められているのだろうか。

 今回ペクチンを購うにあたってネットでペクチンを検索したところ、最近、ペクチンを健康食品というのか、そんな食べる(或いは飲むのか)形でやたらと多くの商品がヒットした。小生は健康食品などというものは全く信用していないので能書までは読まなかったが今の時代、なんでも商売になるのだと思った。

 月齢は満月ではないのに、いやに夜が明るい、ナイター照明とは関係が無いが、山のシルエットが闇に浮かんでいる。----- 煌々の夜空に蛙声谺する ---風師庵


平成24年5月30(水)

 曇りがち。夕方になって細かな雨が降っていた。
    最低気温 15.6℃ (05:12)、最高気温 23.0℃ (12:16)

 午前中、目いっぱい東側の畑地の草刈りをする。全く畑の様相が無くなっているので少し手を掛けて整理するつもりだが、そろそろ、晴天も終わりで、入梅もまもなくという気配である。せっかく刈り取った草などを燃やすタイミングを逸するとまた雨に打たれ続けて後始末が面倒になる。


平成24年5月29(火)

 晴れ。今日も暑くなった、用事で大津まで下りたが、おそらく下の方は真夏日になっていただろう、この時期としては、どうなんだろうか、異常なのだろうか。
       最低気温 12.7℃ (05:27)、最高気温 28.1℃ (13:18)

 朝、こどもたちが登校前に我家の前の田んぼの中を覗いていたが、先日田植えが終わったばかりなのにもうオタマジャクシが泳いでいた。そろそろホタルも飛んでいるだろうかと日が暮れてから裏の小川に出てみたが、これはまだのようだった。しかしもう間もなくだろう。

 塩糀作り二日目、水を追加するも、400CC入れたところでヒタヒタ超、一応ここでストップする。一日目が午後で、今日は朝一だったので、まだ吸水しきれていなかったか。

 イチゴジャムを作る場合、一応砂糖の分量は量っているが、材料の糖度が一定ではないので、結局エイッ、ヤアーに近いやり方になる、ジャムもイチゴだけでなくて色々な材料で作ることができるので、今後のことも考えてここはひとつ風師庵謹製ジャムも糖度を標準化する必要があるなと思ったので糖度計でも購おうかと思って調べたら、糖度計もピンからキリまであることがわかった。30%程度の糖度なら極めて安価な糖度計で測ることができるが、ジャムや蜂蜜などの高い糖度を測る糖度計は結構な値段がする、ということで、まあ、いずれそのうちだな。

 秋桜さん(秀爺さんのおかみさん、と注記を入れておかなければ、何年も先になって、秋桜さんって誰だったっけとなるので、小生の覚書である)のお宅のガレージ天井にじっちゃいのお宅と同じようなスズメバチの巣が二個出来つつある、とのことだったので写真を撮りに行ってきた、実際の焼き物のような形と風合いをしていて自然の造形の不思議を感じる、さて、このさきどうするか、だな(写真1写真2)。


平成24年5月28(月)

 晴れ。今日も気温が上がった。
     最低気温 11.2℃ (05:27)、最高気温 27.2℃ (14:38)

 太郎本日より元気に保育園に復帰。一週間ぶりなので大丈夫かなと見ていたが、ブランクを感じさせない馴染み振りで嬉しそうに部屋に入って行った。それでもやはり久しぶりで疲れたのだろう、夜、普段の就寝は9時近くであるが、7時半にはもう寝入っていた。

 ようやく塩糀を作る時間が出来たので、仕込みをやった。ひたひたになるくらいの水の量はちょうど600CCだった、明日、残り600CCを加えるとちょうど良い計算だろうか。

 コウジと言う漢字、「麹」と「糀」とある。漢字の成り立ちとは無関係に今では一般的には麹という漢字が使われるのだろうか、だから、米で作ったコウジは米麹と書く場合が多いようだ。小生は、昔勤めていた会社の工場が東糀谷という地にあったので、糀という漢字には馴染みがあることもあって、「麹」と「糀」を原料が分かっている時には明確に使い分ける。だから、今回の塩コウジは塩糀である。

 ボンの狂犬病予防注射に馬場八幡に行ってきた(写真1写真2)。小生が行った時にはもう最後で皆さんの様子を撮ることができなかったので、次の会場の坂梨小学校前の接種会場にまわって写真を撮ってきた。どこの犬も実に大人しく注射をされているのにボンは全身で抵抗して飼い主であろうと牙をむいて咬みつく、だからいつも軽トラックに身動きできないように縛って、そっと後ろからまわって後肢を捉まえて動けないようにしてようやく打ってもらっている。

 迷い犬を飼いはじめてもう10年が経っているのだから、最初からそうだったという言い訳は通らないだろう、その後の飼い主の躾が悪いのだ。こどもたちも、咬むためではないが、加減しないで飛びかかってくるので怖がって寄りつかない。

 注射済票のデザインが今年から大幅に変った。変ったのはいいが、いつも思うのだが、鑑札にしろ注射済票にしろ、首輪に留める工夫が全くされておらず、毎年取りつけるのに苦労する、だからここ何年も、首輪に付けないで手許に保管するようにしている。


平成24年5月27(日)

 晴れ。穏やかな一日。遠く南の方角に積乱雲が見えた、もう夏の空だなあ。
    最低気温 9.6℃ (05:53)、最高気温 27.1℃ (15:06)

 久しぶりに朝から手があいたので、ボンの散歩に出た。今朝は霧が何度か立っては消えてを繰り返していたが、ちょうど切れかけた霧の中を歩いていると昇る朝日に霧の粒子がキラキラ光り、それが頬にあたってヒンヤリと実に気持ちが良かった。外輪に設置のライブカメラを見ると雲海が発生していた

 太郎、本復と見て良いだろう、ようやく食欲も戻ってきた、でもちょっとやつれが見えるか、さあ明日から戦列復帰だぞ。

 今日も、裏の方で、草や竹などを燃やした

 先日、故障したデジカメ、延長保証に加入していたので保険会社に送ってあったが、この機種は既に生産中止で部品取り寄せに時間が掛かるので、後継機の新品交換でどうかという打診があり、当方としては異存が無いのでその旨了解してあったが、そのカメラが今日送られてきた。故障したカメラはFUJIFILMFのFinePix HS10で、交換機種がHS20EXRである。現在は更にその後継機種HS30が出ているので、最新モデルではないが、当然HS10よりは機能アップしているのだろう、メーカーとしてはデッドストックになるのかもしれないが、小生にとってはなんだか焼け太りをしたような気分である。電気製品などは保証期間が切れるのを待っていたように故障しがちだが、デジカメも小生の場合毎日使うので必ず故障すると思っていたからメーカーの一年保証より期間が長い(確か5年間だったと思う)延長保証制度に加入してあったが大正解だった。

 早速、仙酔峡をズームアップしてみたが、ミヤマキリシマ見物、もう少しピークを過ぎたこともあるかもしれないが、混雑もあまり見られなかった。昔は国道まで車が数珠つなぎ、大渋滞が起きるほどだった、一時シャトルバスを運行したこともあったが、人の心は移ろいやすい、か、昔ほどの賑わいは無くなった。

 夕方、7MHzの電信を覗いてみたら、東京スカイツリー開業記念局8N1SKYがQRVをしていたが、実際のタワー見物と同じで大パイルアップ、なかなかつながらない、昨日から開局して6/25まで運用するようなので、平日にでもコンタクトすることにした。



平成24年5月26(土)

 曇り。
     最低気温 11.8℃ (03:22)、最高気温 20.2℃(11:54)

 太郎、食欲がまだ戻らないが、まあまあ、復調と見て良いだろう、今日も終日オヤジ保育、日記ネタはただそれだけである。

 カミさんは仕事、そして夜は夜で、娘のクラスの保護者懇親会があり幹事役で出掛ける。娘は午前中は、南阿蘇の何処かの小学校に遠征試合にでかけて、午後はクラスメートの一家と熊本市内にコンサートにゆく。小生はただひたすらオヤジ保育。


平成24年5月25(金)

 予報どおり、寝ていて雨音を聞いたが、明けて今日は終日雨もようの一日だった。
   最低気温 14.5℃ (08:06)、最高気温 17.3℃ (00:02)

 太郎、昨夜、ちょうど日付が変わる頃、体温が39℃近くまで上がっていたので、もっと上がる途中だったなのか、あるいは上がりきった体温だったのか分からなかったが、ちょっと苦しそうなので座薬を入れた。

今日も朝から熱があり、昼前に、古閑医院に連れて行ったが、もうしばらく今のままで様子を見るようにとのことで薬を少し追加してもらったが、確かに夕方近くから急速に回復を見せている。明日は土曜日だが、土曜保育は休んで週末を家で過ごせば月曜日から無事復帰できるだろう。

 早とちりだった、昨日てっきり紛失したと思っていた腕時計、ベストのポケット中にあった、いつも作業中にすぐに落とすうえに、太郎のケアをしている間は金属で顔などを傷つけないように外す癖がついていて、今回も無意識のうちに外しておいたのだろう(そうかもしれないと思ってポケットなど何度も確認したつもりだったが)。今回のこと、最終警告として、すぐにでも交換ベルトを購うことにした。

 その理由、この時計は実は、カミさんから結婚前にもらったものだ、だから、失くすと困るのである、というのは全く無くて、たとえ高価なものでなくても、また、買い直すとなると、無駄な出費を強いられるからである。

 先日の日記に、小生が卒業した高校の同窓会は年金受給年齢になると会費が免除されると褒めたばかりなのに、その美風?も今回規約改正で無くなったようだ、振込用紙が送られてきた、近年は大いに寿命が延びたので年寄りばかりになり、更には年金受給者のほうが現役世代より余裕があるとみたか。


平成24年5月24(木)

 晴れ。
      最低気温 13.2℃ (04:33)、最高気温 23.2℃ (16:21)

 太郎、元気は有り余るほどあるが、相変わらずハッキリしない。カミさんは今日は休みだったので、久しぶりに子守から解放されて、終日、敷地内の草刈りをする。今まで、竹藪などで見通せなかった場所を刈り込んで燃やしたので、ずっと見通せるようになった
 
 そんな作業の途中でどうも腕時計を落としてしまったようだ。前々から腕時計の金属製のベルトが壊れていて外れやすくなって、度々外れては下に落としていたので、ベルトを替えなきゃなあと思っていたが、とうとう間に合わなかった。今日はとにかく敷地内のあちらこちら目いっぱい草を刈って回ったので、何処に落としたか、探してみたが分からない。どうも、火の中に枯れ枝などをまとめて抱えて放り込んだ時に外れて一緒に時計も投げ込んだような気がする、明日灰の中をかき回してみるが。


平成24年5月23(水)

 晴れ。
     最低気温 11.3℃ (05:36)、最高気温 23.2℃ (16:41)

 太郎、今朝も熱が37℃半ばくらい、その他は元気なので、無理したら行けるかなと思ったが、やはり、自宅保育だなと決めて、今日も一日相手をして過ごす。午後には39℃近くまで上がったが元気である。成長につれて、少しずつではあるが、手が掛かる度合いが減ってきてはいる、それでも、一日は長いなあ・・・それも今日で二日目・・・・

 スカイツリーについて昨日小生が疑問に思ったこと、たまたまこちらの今朝の新聞に載っていた。KK5さんからも、向うの新聞の記事の写しを送ってもらった。どうも高層建築林立でテレビの受信環境が悪くなったので、それを解消するために建てられたということではないようだ。電波塔としては現在の東京タワーで十分で、それで見えないところでは他の方法でいくらでも解決できるのだそうだ。つまりは、町興し、観光スポットとしての建築が本当の理由で、電波障害解消云々は付け足しだったようだ。だから、電波送信の切り替えが何時で、何処までサービスエリアが広がって、などということが、あまり話題に上らず、こんな田舎にまでは伝わってこないわけだ(電波送信は1年後くらいだとか)。国民の大部分も電波障害解消が主目的だと思っているのではないだろうか。要は私的な商業主義に日本中が踊らされているということか、それにしても、日本人は、好きだなあ・・・

 6月6日の「金星の日面経過」、今回の金環蝕騒動で日食メガネがどこも売り切れだそうだが、欲しい人への小生からの穴場情報。アーク溶接の時に顔を覆う溶接面に遮光ガラスを使うが、ホームセンターの溶接道具売り場に行けば、その遮光ガラス、交換部品として極めて安価に売っている(200円前後だろうか)、日蝕の場合は確か遮光度番号13くらいを勧めていたが、無ければ12でも良いと思うが。


平成24年5月22(火)

 穏やかに晴れる。昨日の金環蝕の天気と一日ずれたらよかったのに。
     最低気温 13.2℃ (00:27)、最高気温 24.1℃ (16:07)

 6月6日には金星が太陽面を通過する「日面経過」があるそうだ、これも日蝕メガネを使えば太陽の手前を金星が動いて行くのが見えるそうだ。

 太郎、朝、熱が37℃後半あり、咳もしているのでまた風邪か。元気だが、集団生活の場、保育園にやるわけにはいかず、オヤジ保育となる。せっかくの晴天なのに外作業も出来ず。昼前に古閑医院に連れて行き薬をもらってくる。それより前、昨日、温泉病院の耳鼻科受診の結果、青洟が出ているので、今までの鼻炎の薬に加えて抗生剤が追加されたそうだ。

 古稀を迎え、皆さんに祝詞を頂戴して有難いことだが、寿命が延びて、医学的に、肉体的には現在の年齢は、昔の(小生の父親くらいの年代だろうか)年齢の7掛から8掛くらいだそうだが、昔の還暦はすごい爺さんだと思っていたので、古稀なんてもう大変な爺様だったわけだが、現在はそれが昔の50代くらいに相当するということになるので確かにそれは言える。

 今日、スカイツリーが開業したそうな。あれはあくまでも主は電波塔なのだろうが、首都圏のテレビ受信者は東京タワーからスカイツリー方向にアンテナの向きを変えなければならないのだろうが、展望台ばかりが話題になっているがそのあたりはどうなっているのだろう、首都圏のどのあたりくらいまでサービスエリアになるのだろうか、ローカルの問題だからこちらに伝わってこないだけか、どっちみち当方には関係が無い話だが、電波に関することなので少し関心がある。


平成24年5月21(月)  風師庵古稀

 ほとんど終日細かな雨、肌寒かった、ストーブが欲しかったが昨日煙突に蓋をしてしまったなあ・・・・・
     最低気温 13.2℃ (00:00)、最高気温 16.8℃ (12:09)

 風の便りをご覧いただいている皆さん、それぞれの地で見えたり見えなかったり悲喜こもごもの日食観測だったようだ。

 さて当地、娘は昨日からテルテル坊主をいくつも作ってぶら下げていた。しかし、朝になっても、小雨が降っていて、空は厚い雲に覆われていたので、こりゃあ駄目だなと諦めた。それでもダメなときはビデオ鑑賞があるというので、とりあえず出掛けるかと、娘を送りがてら家族で出掛けた。

 ほぼ全校の児童(と言っても全部で80人を切っている)がそれぞれの教室で、ニュースで流される日食情報を横目に、思い思いに雲が切れるの待っていたが、一向にその気配が無い(写真1写真2写真3)。やはりダメかと小生は一人早々に切り上げて帰ろうかと外に出たところ、外に居た誰かが、あっ見える!と叫んだ。雲の切れ間が出来て、蝕が進んだ太陽が見えるではないか。急いで教室に取って返して、おーいみんな、日食が見えるよ、と教えてやると、子どもも保護者も皆ワッと校庭に出てきた

 これはもう奇跡としか言いようが無い、全天厚い雲が覆ってしかも細かな雨まで降っている。そのなかで太陽の周辺だけ、雲が薄くなって、ここでは金環食にはならないがかなりの部分が欠けた状態の太陽が薄くなった雲を通して、したがって日食グラスを使わなくても見えた。校庭にこどもたちのそして保護者達の歓声が湧いた。

 自然相手なので、今回はダメだったなと諦めかけていたので本当に良かった。結局その後もずっと夕方まで細かな雨が降り続いていた。娘が学校から帰ってきて、日食が見えたのは熊本県では坂梨小学校だけだったと先生から聞いたよ、とのことだったが、それは熊本県でなくて、あるとしたら阿蘇市だろう、それも本当かどうだかわからないが、それほど微妙なタイミングだったのだ。そういえば、先年の皆既日食の時も、曇り空から奇跡的に見えたことを思い出した。

 カメラが故障して携帯電話のカメラで日記の写真を撮っているが本当に不便である。今日その件で、保険会社から電話があった。自然故障と認めて、修理をする方向で手続きを進めているが、(既に生産中止だからだろう、)部品手配にかなり日数が掛かるので、よければ後継機種との取り替えで処理したいがどうかと問い合わせがあったので、当方としては全く異存はないので「諾」と回答した。

 日蝕観測から帰ってから、午前中いっぱいかかってイチゴジャムを作った。イチゴを量ると3.5キロもあった、ちょっと欲張ったかなと思ったが、用意したからには作らなければ、と大鍋二つを使って作り続けた。最近のイチゴは非常に糖度が高いので昔のレシピ通りで作ると甘くなり過ぎる、だからいつもエイヤッで砂糖を入れるのでロットごとに甘みは違うと思うが、どうもレモン汁からだけではペクチンが足りないようだ、ペクチン液を別途用意したほうが良さそうだが、リンゴなどから作るのも面倒だ、クエン酸などのように薬局で簡単に手に入れば良いが店頭に常備はしていないような雰囲気である。写真

 更に食べ物の話題。asobowzzどのが、手製の糀を「塩糀」作りのレシピと一緒に届けてくれた。最近、塩糀の話しは時々耳にする、よく読んで挑戦してみよう。

 本日小生満69歳の誕生日を迎えた、つまり「古稀」である。「還暦」の60歳は満年齢で数え、「古稀」は数え年で70歳を言うそうである。年齢無自覚のまま今年もまた一つ齢を重ねたが、今回は「馬齢」の代わりに、「無事之名馬」ということにしておこう、節目なので今日の日記、自祝、国旗掲揚である、金環蝕の日、忘れられない日になるだろう。

 「古稀」は出典を調べると杜甫の七言律詩「曲 江」だそうだ。
(その一部を引用)
 酒債尋常行處有 人生七十古來稀
酒代の借金は普通のことで、行く先々にある。この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ・・・(飲兵衛の喜びそうな詩である。全部を引用しようとしたが、PCでは引用出来ない漢字がいくつか含まれている)。

 日蝕騒ぎで小生の誕生日は家族にすっかり忘れられてしまった、更に太郎が鼻炎だそうで保育園が引けてからカミさんが病院に連れて行った関係で夕食の準備をする時間も無くなったので、急遽近くの飯屋で食事をした。それでも家に帰るとちゃんとケーキが用意されていた。小生の誕生日は、また友人武藤肇の母上の命日でもある、自分の母親の命日は忘れても、このことは忘れない。


平成24年5月20(日)

 晴れ。夕方に向かって雲が多くなっている。この天気だと明日の金環蝕、ちょっとムリなようだ。もっともこの地は金環蝕が見られるルートから少し外れていて、見えても部分蝕のようだが。
       最低気温 15.3℃ (06:29)、最高気温 18.0℃ (13:24)

 カミさんのところに村内のイチゴ農家の麻理子さんから今年のイチゴの出荷は終わったのでよかったら採りに来てくださいとメールが入ったので、急遽いちご狩りをすることになった。ハウスに入ってみたところまだ葉々は瑞々しく、そのかげに大きなイチゴがたわわに生っていて、これでもうやめるのかと訊いたところ、イチゴの価格や他の農作業との兼ね合いでなどで今年はもうやめるのだそうだ(写真1写真2写真3)。素人目には実に勿体ないなと思いながら、ありがたくたらふく食べて、ジャムも作ろうと山ほどもらって来た。太郎もいちごが大好きで、つぎつぎに沢山頬張っていつにもまして大満足そうな表情を見せていた(写真1写真2写真3)。 ご友人も見えていた。普通出荷用のイチゴは店頭に並ぶまでの時間を考慮してまだあまり熟していないうちに摘むそうだが、今日のような場合はハウスで完熟したイチゴを摘んで口にするのだからそれはもう甘さが断然違う、都会では考えられない贅沢である。

 昼食はニギリメシだったが、娘は知らないだろからと、我家の孟宗からとった竹の皮でニギリメシを包んでやった。これも最近ではモドキが多いので田舎ならではである。

 上村さんから木を切るという電話が入り出掛けた。場所はやまなみ道路のとっかかり、城山展望所に向かう坂の登り口で、我家との位置関係はこうなる、中央の遠景が卯の鼻の突端である。そして今日の木はエノキである。この部分全部がまだ枝である。本体は左の方にあるが隠れている、危険になったので倒すそうである。エノキは何と言ったか貴重な蝶の餌になる木だったと思う。今日は時間が無くて一回運んだだけだったが、あと何回かは運ぶ予定である、次の冬の準備がもう始まっている。


平成24年5月19(土)

 穏やかに晴れる。
    最低気温 9.4℃ (05:37)、最高気温 24.6℃ (13:42)

 カミさん仕事、太郎半日土曜保育、夏子は部活で午前中登校。以前日記に、娘たちはクラブ活動を縮めて「部活」と言っていると書いたことがあるが、別物だそうだ。クラブ活動は坂梨の伝統芸能の「虎舞」を習得する活動で授業の一環のようで、部活は自由参加の運動活動のようである。 

 今朝もなんとなく煙突周りが騒々しいので、朝一番で、煙突に袋を被せた、袋はゴミ袋である。そしてjlzの書き込みもあったことでもあり、ついでに煙突カバーを自作するかどうかは分からないが寸法取りだけはしておいた、寸胴ならただ巻けばいいが、煙が出る部分が張りだしているので加工が面倒である(張り出した煙突部分の直径は340mm、同高さ180mm)。シマッタ、下の方の細い方の径を測ってこなかった。


平成24年5月18(金)

 晴れ。
     最低気温 10.4℃ (05:53)、最高気温 24.2℃ (17:17)

 朝、今年最初の雀が煙突から落ちてきてストーブの中でバタバタしていたので、家中のカーテンを締めきって暗くして、一か所だけ窓を開けて、ストーブの扉を開いてやったところ、暫くすると飛び出してきて、開いている窓から飛んで出ると思いきや、家中を飛び回ってなかなか出ていかず、追い出すのに苦労した。どうせまた落ちてくるだろうから、煙突に袋を被せようとしたところ、まだ寒い時があるかもしれない、とカミさんが言うので、じゃあ、また飛び込んで来ないように少し焚くかと火を点けたが、一日中焚くわけにもいかず、やはり明日にでも袋を被せることにした、さすがにもうストーブを焚くほどの気温低下は無いだろう。

 先日来、お向かいの家の取り壊しが終わり、更地になっていたが、併せて行われていた我家裏の竹林跡の造成も今日終わった、竹の根などを天地替え(天地返し)で深く埋めてもらって、たとえばゴボウなどの地中深く根を張る野菜類を植えたとしても問題ないほど深く綺麗な土を上に入れてもらった。そして今日重機が撤収して行った。色々と経緯はあったが、ここに戻ってきて10年、ようやく自由に土地が利用できるような状態に復した。移住当初からクヌギ林にしたいねという計画もあるが、今年はひとつソバでも播いてみようか。(写真1写真2写真3

 今日はジャガイモの畝間の雑草取りを少しやって、高菜畑の後始末をした。作付のスタートが遅かったがジャガイモは順調に育っている

 シマがまたモグラを捉まえてきた


平成24年5月17(木)

 晴れ。午後から日本列島大気が不安定で雷や竜巻が起きる恐れがあるといのことだった、確かに昼過ぎから空が少し暗くなり強風が吹きだしたが、それも、いつの間にか収まった。
    最低気温 12.2℃ (05:11)、最高気温 21.3℃ (12:41)

 数年前にカミさんがホームセンターから買ってきたサクランボの木に沢山実を付けて赤く熟している。鉢植えのまま、地面に置きっぱなしで、傾いたままロクに世話もしていないのに見事である。

 午前中、e鴨氏から頂戴したトマトを定植した。10株貰って来たつもりだったが、小生が数え間違えて8株だった、更にそのうちの1株を定植時に折ってしまったので、結果的に今年は7株になってしまったが、ちょうど良い間隔かもしれない。

 分団の貴之さんから溶接依頼があった。消防分団のホースの巻き取装置の溶接補修である、勿論ボランティアである。材料費なんかほとんどゼロである、後は小生の技術料?そう、今はなんでも部品代より技術料の方が高いのだが、、そもそも昼夜の別なく我々の安全を守ってくれている消防団に費用請求などするつもりはさらさら無い。というのは表向きの理由で、実のところは費用請求するだけの自信が無い。もし、直接消火に関係する部分の補修なら一歩間違えば大変なことになるので謹んで辞退するところだが、コトが終わった後に使う道具なので、まあ、小生のウデでも良いだろうと思って引き受けた。やらせてもらうだけ有難いのだ。破損部分を分解できればもっと丁寧な溶接ができるのだが、まあ、こんなものだろう、御褒美にまたイチゴを沢山貰った、技術料以上のものである。

 昨日のガラス繊維事故、Kクンの症状が重くて、今日、熊本市内の専門病院に連れて行ったそうだ。カミさんの話によると、太い繊維が刺さっていて、麻酔を掛けて取り除いたが、細かな繊維はとれないので化膿どめを処方してもらって二三日様子見だそうだ。娘は、手袋をして掌を保護していて、そんなにひどくはなさそうである。

 娘のクラスの家庭訪問があった。家庭訪問は大体夏休み中に実施だが、希望者には、あるいは先生の希望なのか、今の時期に実施するとのことで、我家では今日放課後にお願いした。小生は不在だったので、今日は仕事が休みだったカミさんが応接した。

 去年だったか、高校で同級だった高田A太郎から、オマエは高校の同窓会で行方不明者扱いになっているぞ、と教えてもらった。特にそんなつもりはなかったがいつの間にかそうなっていたのだろう、数十年ぶりに現住所を届けて、ついでに同窓会名簿が出るとのことだったので申し込んでおいたところ、今日、立派な同窓生名簿が届いた。小生は高校時代は灰色の受験勉強時代で、出来が悪かったこともあって殆ど思い出が無く、覚えている級友もほんの一握りであるが、それでも、久しぶりに名簿を見ると懐かしい気持ちでいっぱいになる。高14ということになっているので、新制高校卒14年生ということだろう、もう大昔になる、物故者も結構いる。

 同窓会の会則を読むと年会費が65歳まで納めることになっているようで、ということは65歳後は免除と言うことだろう、これは年金受給の年齢と関係があるのだろうか、年金受給者からまで年会費は取らないよ、という配慮だろうか、素晴らしい規則である。他にこのような粋な計らいを設けたところはあるだろうか、さすが母校同窓会である。翻って小生が出た大学の同窓会は(そうか、こちらも母校だなあ)、終身会費という規約があったのでその昔、そのつもりで払い込んだところ、その約束を反故にして、色々な理屈を付けて納付金を取ろうとしたので、そんな事後法を認めるわけにいかないと、以降全く関係を謝絶している。

 寺さんがまた段ボールいっぱい本を送ってきてくれた、本があると心が豊かになる。


平成24年5月16(水)

 晴れ。久しぶりにいい天気になった。
    最低気温 13.1℃ (05:18)、最高気温 22.3℃ (15:44)

 ご近所のイチゴ農家から沢山のイチゴを頂戴して、皆でたらふく食べた後、久しぶりにジャムを作った

 娘たちが下校時に細かないきさつは分からないが、落ちていた細い棒を握って引っ張ったかしごいたかなにかで、恐らくガラス繊維で強化されたプラスチックの棒(ホイップアンテナか釣りざおか)だったのだろう、Kクンとうちの娘の手のひらに細かなガラス繊維が沢山食い込んでイタイイタイというので、夕方、阿蘇中央病院に急患として連れて行った。看てもらった結果、あまりに繊維が細くて小さいので、ガムテープを使って抜こうとしたが、抜けずに、結局様子を見ることにして帰ってきた。小生もこどもの頃、同じような経験をしたことがあるが、あのガラス繊維はきらきら光って非常に綺麗なものだが、繊維とはいえガラスで非常に鋭い形状のものである、見たところまさかそんなものが危険なものだとはなかなか分からない、とんだ災難である。(写真1写真2


平成24年5月15(火)

 午後になってようやく天気が回復してきた。最低気温が引くなかったので今日は寒さは全く感じなかった。
   最低気温 16.5℃ (04:44)、最高気温 19.6℃ (16:49)

 e鴨氏からトマトの苗を取りに来るように電話をもらったので、待ってましたとばかりに貰いに行ってきた。品種は昨年同様「りんか」だそうである。e鴨氏の数千株が植わったハウス、壮観である

 前々から、娘に、メダカの水槽を掃除してと言われていて、分かった、分かったと言いながら面倒なので先延ばしにしていた掃除、今日ようやくやった。どういう経路かちょっと不明だが、ある種の貝が異常繁殖して水槽のガラスを綺麗にしてくれるのはいいが、その貝がびっしり、しかも幼生なのだろうか透明な生物がこれまたびっしり、メダカが餌にしてくれる良いのだが全く食ってくれない。今日はその貝共も出来るだけ駆除したがどうせまた大繁殖するだろう。水草も入れてやった。最近また産卵が始まっているらしい。

 ミツバチの動画ライブ用サーバーに使っているノートパソコン(このNotePCはPen4 2.2GHz Windows XP professionalのリカバリCD付きで数年前、オークションで非常に安く落としたものだ)が大分前から異常音をたてていた、HDが壊れかけているのである。そのうちそのうちと我慢して使っていたが音があまりうるさいので今日換装した。このPCは実に換装し易い構造になっていて、分解して換装するまでにものの30分も掛からなかった。しかし、さてリカバリーしようかと思ったが、CDドライブが動かない。起動ドライブに設定したにもかかわらず動かないのである。外付けのCDドライブでやるとなるとまたもう一つ面倒な工程を踏まなければならない。どうせ古い機種だから、ドライブだけオークションで見つけようかといろいろ検索していて、しばらくたって、どうして動かないのかなあと、起動したところ、今度は動いた、何故だかわからないが、とにかく無事にリカバリーが終わった。どうせ只今ゼロ匹だからstreamingの設定は明日以降だな。

 中古の古い機種ばかり使っていてあと二台ほど異音を発していて換装しなければならないが、いよいよとなるまで先延ばしである。ライブカメラなどに使うPCだからHDは大きくある必要は無いのだが、最近は容量の小さなディスクが、従って低価格のディスクがだんだん少なくなってきている、売っている店も少なくなっている。今回見つけたのは2.5インチIDE30GBで2,300円弱だった。



平成24年5月14(月)

 終日細かな雨が降ったりやんだりしていた。季節としてはもう夏に入るのだろうが、そして、気温は決して低くはなかったが、家にじっとしていると寒かったなあ、とうとう冬ものを着込んでしまった。ストーブが欲しいくらいだった。
      最低気温 12.8℃ (01:15)、最高気温 17.1℃ (12:03)

 本日は終日読書をして過ごした、その他には全く何もしなかった。

 竹林跡の造成は朝のうちちょとだけ重機の音がしていたが、雨のためだろうすぐに止んでしまって今日の作業は休みになったようだ。あれだけ大きな重機だと地面を深く掘り起こす際に家が地震のように揺れるがそれが今日は静かだった。


平成24年5月13(日)

 晴れ。
     最低気温 9.1℃ (05:26)、最高気温 20.8℃ (12:23)

 日曜日だから作業は明日からかなと思っていたら朝から大きな重機が入って竹林跡の造成が始まった。大きなユンボはさすがに一度で掘る量が多い。人力に比べたら膨大な仕事量の差だ、人間何人分の働きだろう。後からは二台でやっていた。工程が押しているのだろうか。

 今日もハチウトの整備をして、西側の孟宗を切り開いたところに二基設置した。リニューアルオープン、入居者募集である。

 サトイモの芽が一つだけ顔を出した。



平成24年5月12(土)

 晴れ。穏やかな一日。
      最低気温 7.4℃ (02:31)、最高気温 22.7℃ (16:38)

 保育園の保育参観があり、カミさんと娘が出掛けて行った。

 デジカメが壊れた。以前にもメーカー保証期間が切れた直後に故障したことがあったので、デジカメは必ず壊れるという確信のもとに今回は別に延長保証契約をしておいた。全額補償になるか半額になるか分からないが、掛けておいて正解だった。本日、カメラを修理先に送ったので二週間ほどはカメラ無しになるが、その間は携帯のカメラを使うことになる、最近の携帯のカメラは高機能だそうだが殆ど使ったことが無いので使いこなせるかどうか。

 もともと携帯のカメラを使わない理由として、使い方があまりよく分からないことと、撮った写真をPCに移す時に、電源を切って裏ぶたを外して電池を抜いて、小さなメモリカードを抜いて、というのがとにかく面倒で使わなかったが、よくよく調べたら、携帯用のUSBケーブルを使うと、携帯が一つのリムーバブルディスクとして認識するので、通常のSDカードと同じ要領でコピーできることが分かった。基本的に携帯電話の色々な使いかたが全然解っていないのだ。

 お向かいの家の取り壊しと整地作業に併せて、我家の竹林跡の整地作業が今日から始まった(本格作業は月曜日からだろう)。どの程度原状復帰なるか注目である。その件と少し関係があるが、我家の水道管の埋設状況がどうだったか、知る必要があって、今日掘りかえして配管状況を探してみたが、10年前の埋設時に、これは図面の落としておかなければいけないなと思っていながら、固定目標が無くて、そのままになってしまっていた。10年経って、竹林も無くなって当時とかなり周囲の様子が違った中で、記憶に頼って掘ってみたが、10センチと狂っていなかった。我ながら見事である。(写真1写真2写真3写真4

 JCCコード,JCGコードの他にAJAコードって知らなかったなあ、何度聞いてもAJA******だもんなあ・・・・


平成24年5月11(金)

 晴れ。朝のうちちょっとヒンヤリとした。
    最低気温 9.4℃(04:02)、最高気温 21.3℃ (14:50)

 四川省成都の松永夫妻からskypeで連絡してきた。昨日までは映像だけで、マイクが付いていなかったらしくて話しが出来なかったが、今日は音声も映像も届いた。何千キロも離れた所とリアルタイムで映像を見ながら話しが出来るのだから便利な時代になったものである。カメラを外に向けてもらったら、周囲は高層の建物だらけで大都会である。ただ、あちらさんは色々とネット上の規制があるのだろう、skypeでのやりとりも然るべくチェックされているのだろうか、小生のような極右と話しをしているとそのうちに回線が遮断されるかもしれない、ヘタをすると彼らも収容所行きになるかもしれない、そんなことは無いか。

 一日の時間の経つのは本当に早い(昨日も同じことを書いたなあ)、午前中はなにもしないうちにあっという間に昼になって、午後から、今日もハチウトを一基整備して、家周りの草刈りをしたらもう夕方になった。

 昼食に、久しぶりに蕎麦を打って一人で食べた。年頭の予定では毎週打つつもりだったものの、なかなかタイミングが合わずに打てずにいたが、時々昼間ひとりで打てば良いわけだ。ただ、一人分と言うのは量が少なすぎてちっと打ちにくい、だから少し多めに打つのでついつい食べ過ぎることになる。

 夕方、廃車して置きっぱなしにしてあったパジェロを引き取りに来た


平成24年5月10(木)

 晴れ。今日のような気温推移はもう今頃の当たり前の値で特にコメントをするようなこともない。
   最低気温 12.0℃ (05:48)、最高気温 25.9℃ (15:07)

 一日が過ぎるのは本当に早くて、今日は昼から、ハチウトを整備した程度だ。それもまだ完了でなくて繰越である。考えてみたら「ハチウト」は宮崎地方の方言だろう、小生が伝授を受けた師匠が宮崎だから、ごく当たり前に使っているが。ここで使い続けてde facto standard になればいい。

 ああ、そう言えば今日はカミさん休みだったなあ。


平成24年5月9(水)

 今日も、炎天下で作業をしていると、もう「暑い」という表現が相応しい気温だった。ただ、予報でも言っていたが大気が不安定で、先日の竜巻被害が頭にあってのことだろう、ラジオを聞いていると日本の広い範囲に結構頻繁に雷などの注意を呼び掛けていた。ここでも、日中積乱雲が発生したが、雷はならなかったが。夕方には空が暗くなりにわか雨もあった。そろそろ夏型の気候になってきたのだろうか。
     最低気温 13.9℃ (03:17)、最高気温 25.7℃ (15:06)

 今日の仕事は・・・仕事ではないか、もとい!今日の作業はワイヤーアンテナ張り、ほとんど半日を費やした。今回、ATUを設置した、ワイヤ長は約20mほど。ほとんど一呼吸か二呼吸ほどの間にマッチングが取れて小気味よい。今までは7と21のみだったが、これでHF帯一通り全部に出ようと思えば出られることになった。(写真1写真2


平成24年5月8(火)

 晴れているのに今日も空が霞んで山がほとんど見えなかった。昨日もそうだった。黄砂かなと思って調べたら黄砂はまったく飛んでいない、今日阿蘇地域に光化学スモッグ予報が出た。昨日は出ていないのでこの霞は光化学スモッグとは無関係だろう。阿蘇のこんな田舎に光化学スモッグとはなんだ、覇権主義のあの国の大気汚染が日本まで影響しているのだ。
      最低気温 15.0℃ (05:42)、最高気温 23.4℃ (13:18)

 朝一番で我家の小さな田の田植えをやってもらった

 またワイヤーアンテナが切れていた、もうかなり劣化している、いよいよ張り替えである(写真1写真2)。今度はオートアンテナチューナー(ATU)を使ってマルチバンド運用のつもりだが、その準備が大変である。第一に、外から室内に同軸ケーブルとATUをコントロールする電源ラインを引きこまなければならない、以前引き込み用に壁に穴をあけたが色々な線が通っていて隙間が苦しい。それに、シャック回りが足の踏み場、手の付き場すらなく配線だらけである。同軸ケーブルは今までのものを使うとして、電源ケーブルがようやっとのことで通すことができた。今日はそこまでである。

 そうそう遊んでばかりもいられないので、今日の仕事は、元タケノコの伐採である。今年は出荷すれば良かったというほど沢山生えた。成長期の竹は水分を沢山含んでいて非常に重い、かなり腰に来た。ついでに一本掘って土佐煮を作っておいた。掘って直ぐに煮るのでかなり(トウ)が立っていても全くえぐくない、さすがである。

 外で作業をしていると、DIさんから携帯に電話が入り、2mでオマエを呼んでいる局がいるぞと教えてくれた。家に入って早速QRZ de JA6LGV、すぐにJA6FWU/6からコールがある。FWU局は大分前に小生の掲示板に登場されて以来、阿蘇においでになる度に小生をコールしていただくのだが、いままで外に居たかなにかで、一度もつながったことが無かった、本日めでたくfirst QSOである。

 娘の自転車にもサイドミラーがついていないので、ホームセンターに見に行ったが、売っている自転車は総てサイドミラーが無く、オプションで売っているかと思ったらサイドミラーは全く無かった。最近は法律で付けてはいけなくなったのかと思ってネットで調べたらそういうことは無かった。たまたま阿蘇のそのホームセンターでは売っていないということだろうか。


平成24年5月7(月)

 朝はそうでもなかったが、日中、風が非常に強くなって、コイノボリを降ろそうかと思ったが、田に水が入ったので、降ろすと大きな吹き流しや真鯉などはどうしても田に浸かってしまって二人がかりでないと降ろせない。どうしたものかと思案したがあまりにも風が強いので、こうなったら一人でやるしかないと覚悟を決めて何とか水に浸けずに降ろすことができた。
        最低気温 14.5℃ (02:43)、最高気温 21.4℃ (12:59)

 今日から世間は概ね平常に戻ったのだろう、さあ小生の大型連休は今日からだと言ったらカミさんにいつも連休でしょうと嫌味を言われた。

 今日は苗を買いに行った程度で取りたてて何をしたというものはない、久しぶりの一人の時間をシミジミと味わった。

 お向かいの家の取り壊しが始まった、始まったと言えば暫く続くニュアンスがあるが、重機を使って午前中に取り壊し始めて、建物の取り壊し自体は午後4時頃にはもう終わっていた。建てるのは大変だが壊すのはあっという間だ。後は片付けが残っていて、産廃なのでこちらのほうが大変なのだろう。再生のための取り壊しなら別だが、ひとつの歴史の終わりを象徴する取り壊しだ、ここに来て10年間のお付き合いだったが諸々が胸を去来する。なんとなく寂しくて忍び難い気持ちが強く、写真は沢山撮ったものの載せる気が起きない。

 この自転車、お向かいの御主人が最晩年に乗っておいでだったものだ。加齢で車の運転が覚束なくなって、自転車に替えられた。昨日の取り壊しでこのまま埋もれて廃棄物扱いになりそうだったので、工事業者に話して引き取ってきた。形見分けだと勝手に解釈して使わせていただくことにした。

 いよいよ我家のグルリで田植えが始まった

 太郎、保育園で初めてオマルに座ってオシッコをしたそうである、これがなかなか難しくて家でなんどもさせようとしたがダメだった。


平成24年5月6(日)

 大型連休の最終日、今日も五月晴れだった。
    最低気温 13.2℃ (04:19)、最高気温 22.7℃ (15:07)

 カミさんたちは何をしにだか知らないが、朝から(多分)光の森(だと思うが)出掛けて行った。小生は、ひとわたり草切りをしてから、キュウリなどのツルものネット張りをした。なまじ去年の棚を分解しないでそのまま引き抜いて、それをまたそっくり畝に戻そうとしたため、新しく設置するよりかえって手間取ってしまったかもしれない。

 夕方キュウリとナスのいずれもぬか漬け用の小さな実が生る品種を数株買ってきて植えた。

 太郎誕生月、1年と10カ月、体重計測 12.6キロ。

 ようやく大型連休が終わる。小生にとってはようやくである、ヤレヤレ。

 この連休の夏山でたくさんの中高年らの登山者が遭難している、報道がどれだけ正確に伝えているか判らないが、死者に鞭打つつもりは無いがすべてにおいて安易すぎる・・・・

 今じっちゃいのブログでスズメバチの刻一刻変化する巣作りが記録されていて非常に興味深い。


平成24年5月5(土) こどもの日

 こどもの日にふさわしい五月晴れになった。
  最低気温 9.2℃ (05:27)、最高気温 23.2℃ (14:48)

 鏡のような水面に五月の薫風を腹いっぱい吸いこんで泳ぐコイノボリというような二律背反的な図は、まあ、風は部分的に複雑な動きをするから無理だとは言わないが難しい注文である。(写真1写真2写真3

 今日は上野さんのお宅に家族でお邪魔して、東京からお見えになっているお客様、山口家の皆さんと一緒にバーベキューとピザ焼きを楽しんだ。娘はピザを実際にピザ窯で焼くのは初めてで楽しみにしていた。太郎も今日は大はしゃぎで皆さんの中に混じって午後のひと時を楽しんだ。

 バーベキュー&PIZZA Party 連続写真 (10枚)

 それより先立つ朝、上野さんが竹炭用の孟宗を山口家の駿君と一緒に取りに来た。そして、手製の炭焼き窯で竹炭を焼いている実際の現場を見ることができた。

 昔、娘が使っていた三輪車が物置にあったので試しにだしてやると、太郎はもうしっかりと乗って足で地面を蹴って前に進んだり後ろにさがったりする。ペダルを漕ぐのはもう少し先か。

 今日はこどもの日、恒例の菖蒲湯である



平成24年5月4(金)みどりの日

 今日もまずまずの天気だった。
      最低気温 13.1℃ (00:00)、最高気温 20.7℃ (16:42)

 そして、今日もカミさん仕事で、オヤジと娘で太郎保育の一日。

 今朝、APRS.fiを覗いていたら、現在では殆ど通行が無い「日の尾峠」越えのjg5mdz-9を発見、ワッチしているかなと思って声を掛けると即応答あり。しばらくQSOをしたあと、そのまま山を降りてくると我家方向なのでお立ち寄りになりませんかとお誘いすると、寄ってくださるとのこと。一人旅かなと思ってお待ちしていると、素敵なXYLさんとチャーミングなセカンドさんも御一緒、連休を利用しての阿蘇巡りとのことであった。APRSのことなどいろいろ暫時歓談の後、今夜HQTHの松山に帰るまでの間、今日一日阿蘇周辺を楽しまれると発って行かれた。これぞ無線、加えてAPRSの妙、思わぬ人とのつながりである。(津田さんご一家写真

 jg5mdz-9の我が近辺の軌跡をみてみると、日の尾峠を下って坂梨に入り、馬場まではビーコンが通っている、そのビーコンもなんと佐賀県のデジピータ―が拾って福岡のうきは市のIGATEに転送してそこからaprs網に入っている。阿蘇も外輪を始めとしてちょっと高いところだと結構あちらこちらのIGATEにつながるが、阿蘇谷に降りて、このあたりのような山襞に入ると電波が届かない所が結構あるようだ、ハンディ機だと更に電波は飛ばない、ということは、ここでIGATEを運用する意味もありそうである。

 夕方、カミさんが帰ってきてから、新しいハチウトの設置作業をちょっとだけやったが、重箱式のウトが最初の頃の段数に、後から覗き窓のついた升を加えたために全体的にちょっと高くなり過ぎた嫌いがあるので、一段減らした方が良いと思い、今日の作業は場所の特定のみにしておいた。今年は孟宗をかなり切ったので、そのあとワッと生えてきてカメラのファインダー内に20本くらい見える。もっと若いうちに掘ればタケノコである、あまり遅くならないうちに切らないとまた後が大変である。

 そこで尺取り虫を見つけた、触ると必死で死んだふりというか枝状に固まってピクリともしない、見たところ全く虫であることが分からない完全な擬態である、でも人間と同じか、腹筋?が弱いヤツでずっと見ていると少しずつ重力に負けて下の方に傾いてくる。

 自動車運転免許、無事故無違反を何か客観的に証明するものはないかと思っていたら、免許更新の時に自動車安全運転センターというこれも天下り組織だと思うが、そこで証明をしてくれるというので、いくばくかの手数料を支払ったところ、郵便で、証明書と一緒にSDカードなるものが送られてきた。しかし、小生、昭和41年から無事故無違反のはずだが、その証明期間は昭和44年10月1日からとなっている、オカシイなと思って調べたら、無事故無違反の記録、どうも違反点数制度が始まった時から取り始めたのだそうで、それ以前の記録は無いようである。最近まで殺人の時効ですら15年だったのだから、42年ならまあ良しとするか。



平成24年5月3(木)  憲法記念日

 久しぶりに青空が広がった気がする。雨で空気が洗われて、阿蘇谷はいつも山を見る時には逆光の位置にあるが、その逆光を雲が上手い具合にコントロールしてくれて新たしい緑に覆われ始めた山を美しく見せてくれていた。(写真1写真2写真3写真4
    最低気温 15.0℃ (19:53暫定)、最高気温 20.9℃ (12:19)

 今日もカミさんが仕事なので、オヤジ保育で何もできず。娘は「部活」で午前中出掛ける。

 夕方、ふと畑に目をやると、4/16に植えたジャガイモが発芽している、確か昨日はしていなかったはずだと思うが、一日でかなり成長してマルチを下から押し上げていた。

 気がついたのが6時前だったので、それから日没前になんとか片づけようと大急ぎでマルチに穴をあけてやった。ジャガイモは男爵とメイクインがあるが、男爵の方が一日二日ほど成長が早い。男爵は今日の段階で発芽率100%だが、メイクインが二三株まだ芽が出ていない。

 明日もまたオヤジ保育だ、ヤレヤレ。


平成24年5月2(水)

 今日も一日梅雨のような空が広がる。気温もこの三日ほどほとんど起伏が無い
最低気温 15.5℃ (06:52)、最高気温 18.7℃ (14:36)

 朝、みどりの爺様(交通指導)出場、こどもたちの通学の安全をフォローする。

 昼前、e鴨氏、御入来。「すーぱーわん」である(これは小生だけに判る記述である)

 熊本の坂田機械産業、先日耕運機のキャブレターのOHをやってもらってエンジンは一発で掛かるようになったが、最近どうもクラッチが切れないので、今日また整備を頼んだ。こちらに来てすぐに中古で買った機械なので、相当くたびれてはいる。

 今日、我家のグルリに田植え準備で水が入った、外から見れば家が浮かんで見えるはずだ、一番好きな風景である、今日は天気が悪いので明日にでも眺めてみることにする。(写真1写真2写真3写真4

 夜、JA6DI山下OMが客人を伴って見える。JM1LFA立石敬一OMである。昔は山下OMやAJY局たちと活動した仲間だそうだが、現在は仕事の関係で神奈川県藤沢市に在住、いわゆるアパマンhamで無線環境には不適で涙ぐましい工夫をしながら電波を出しておいでだとのこと。まもなくリタイアだそうで、リタイア後は周囲に気兼ねなくQRO運用をしたい一心?で阿蘇に帰ってくるそうである。氏は専ら電信だそうで、それを聞いた山下OMが少しは小生の刺激になるだろうと、里帰りの氏を誘ってわざわざ今晩訪ねてくれたのである。これからの交流が楽しみである。

 夜、こども会の打ち合わせでカミさん馬場八幡に出掛ける。


平成24年5月1(火)

 もう少し天気が良くなるかなと思っていたが、それほどでもなくどんよりした曇り空が広がっていた、時々細かな雨も降っていた。沖縄が既に梅雨入りしているそうだが、まるで、その梅雨の空のような天気だ、なかなか五月晴れとはいかないようだ。
     最低気温 14.8 (00:50)、最高気温 18.8 (12:44)

 今日は全くエンジンが掛からず読書以外何もせず。シリーズ物の時代小説は何冊もまとめて一気に読むのは良いが完結しない状態で途切れるとなんとも落ち着かないものである、その読みかけのシリーズものが何種類あるだろう、5表題はあるな、本来は一巻、一巻出るのを待って読むものだろうが、まとめて送ってもらって一気に続けて読むのに慣れるとまどろっこしくてどうもいけない。

 太郎がここのところちょっと風邪気味で調子を崩しているので、今日は保育園を休ませて、また今日一日オヤジ保育かあと、観念していたところ、カミさんは今日は休みだそうで、ああヨカッタ。

 その太郎、もう殆ど良いようだが、夜中に自分の咳で目を覚まして泣くので、カミさんに連れられて念のために古閑医院で診てもらって咳止めシロップをもらってきた。

 娘の学校、4年になると「部活」が始まるのだそうだ。娘はカッコが良いとみえて「部活」と言っているがクラブ活動のことである。ところがその「部活」、児童数が少ないので、女の子はバスケットボールだけで男の子はサッカーとソフトボールだけしか無いとのことである(この種目については、適当に聞いていて正確さを欠くおそれがあるので、改めて確認をしなければならないが)。娘は先日、母親とバスケットシューズとパンツやシャツを買いに行って部活が始まるのを楽しみにしていた。今日がその初日だったようだ。午後6時前に疲れて帰ってきた。




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