平成24壬辰(2012)年 8月の記録(新しい日付けの順)
平成24年8月31(金)
晴れ。だんだん朝晩がヒンヤリして気温が下がってきているのが分かる。
最低気温 20.6℃ (05:15)、最高気温 27.0℃ (14:46)
久しぶりに薪材をとりにゆく。今回の現場は水害の直前に行った手野のすぐ東隣りの山道を少し登った所である。前回の現場には、まだ積み残しがあったが、直後の水害で道が崩れて通れなくなってその薪材は放棄となった。今日の現場は数メートルの崖上に立つ木の伐採である。上村さんは崖の上まで二連梯子で登って、さらにそこから木に二連梯子を掛けて、さらにその梯子からもう一本小さな梯子で延長して木の上に登って枝打ちをしてから幹を伐り倒すという大変な作業で、小生も少しアシストしたが、そうい作業に加えて、積み込む薪材が太くて重いので、今日は二往復して終わった、とにかく疲れた。(写真1・写真2・写真3)
今回の伐採はすぐ近くで大きな崩落があったこともあって、巨木の立つ崖下にはすぐ民家があるので危険回避のために伐るようである。
今日の現場のすぐそばの、古城地区になるのだろうか、先日の豪雨水害で川筋に添って大きく崩落した集落がある。こんな大きな石が、というような巨石がゴロゴロ転がっており改めて水害の大きさに驚かされる。(写真1・写真2)
午前中、上野さんが、ハウスで作ったスイカだと言って、届けてくれた。今年はスイカをあちらこちらから頂戴して、こどもたちは大喜びである。それにしても皆さん、上手く作るなあ。
平成24年8月30(木)
霧で夜が明ける。晴れ。
最低気温 21.1℃ (02:41)、最高気温 28.1℃ (14:24)
今日はカミさんが休みだと言うので、日がな一日顔を突き合わせているのもなんなので、さっさと出掛けて光の森のシネコンで映画「プロメテウス」を観てきた。「人類の起源」というキャプション・・・ちょっと騙された感じ、期待したほどではなかったがそれでも面白かった。言ってしまえばエイリアンもの、エイリアンの前日譚?であるが小生はどうも、こういった近未来の宇宙モノが好きなようである、何と言ってもハリウッドの特殊撮影技術が素晴らしい、それを見るためのようなものである、それに今日の映画も3Dだった。挿入曲のショパンの「雨だれ」(MP3サウンドファイル10MB)が印象的だった。
ところで、切符を買おうと思ったら、いつものチケット売場が無い!場所が変わったのかなとグルリと見回したが無い、それに代わって、もとの売場があったところに、駅にあるような自動発券機がいくつか並んでいる。最近は面白い映画でもいつも席がガラガラなので、経営的に苦しいのだろう、リストラで機械化されてしまったようだ。モギリのお姉さんにシニアはどう証明するのかと尋ねたら、自己申告です、だそうである。そのうちに全部機械化されて人間が一人もいなくなってしまうかもしれない。
映画の帰りに百均に寄ってマニピュレータのダストカバーの代用になるようなプラスチックのケースを探して買ってきた。専用のカバーを買うと数千円掛かる、人によってはアクリル板を上手く切って作るようだが、今回、ちょうど手ごろな大きさのものがあったのでとりあえず購ってきた。レバーのところを少し切れ込みを入れたらモノになりそうである。
映画から帰ってきて、薪材置き場の草取りをした。天気が良ければ明日あたりから薪材貰いがはじまりそうなので、その落とし場所を整理したのだ。7.12水害の直前に薪材を運んで以来なので1カ月半ほどで、薪材が見えないほど夏草に覆われてしまってていた。
平成24年8月29(水)
曇り。順序が後先になったが、台風14号が迷走を続けた挙句また九州の西海上を北上しつつある、迷走したおかげで勢力は大分弱くなっているが、それでもまたまとまった雨を降らせるかも知れいない。
最低気温 22.4℃ (05:34)、最高気温 28.1℃ (14:55)
みんな出掛けて昼間は久しぶりに小生一人になった。
ここのところ稲穂が急に黄色く色づいて重く頭を垂れてきており、稲刈りももうまもなくであるが、我々家族がここに来た頃、つまり10年ほど前であるが、稲に穂がつきだすとそれを食べる雀を追い払うのに爆音機が全盛の頃で、我家のすぐ近くでも複数の爆音機からドッカンドッカンと間断なく爆裂音が響いて生まれたばかりの夏子が泣きだすのではと心配したほどであったが、それがいつのまにか、その数もだんだん少なくなって、今年などは我家の周辺ではその音も皆無になった。さすがに雀も馴れきって驚かなくなったのを知った農家もやめたのだろう。
それに代わってというか、最近では、正確には、最近なのかもっと前なのか、小生が今年初めて気がついたのだが、爆音機に代わり電子防鳥機というものが登場してきた。カミさんから「最近田んぼで、けたたましい鳥の警戒音が聞こえるけどあれは人工的に音を出して雀を追い立てているのかしら?」と訊かれたことがあるが、小生はまさか、そんなことなどやらないだろうと答えたものであったが、言われて、最近、散歩の際に気を付けてみていると、確かに畦に爆音機とは違う何やら装置が見え隠れする。
今朝、ちょうど通りかかった田の持ち主に訊いて見たら、「そうだ、効果があるかどうか分からないけど、雀を追い立てるために、雀が嫌がる鳥の声を録音した装置で定期的に鳥の鳴き声を流している」と言うのだ。へえである。そんな装置があるのかと思って、ネットで検索してみると、数年前から使われているようだが、しかしこれとても、最近ではあまり新しい記事としては載っていないので、もう、この電子防鳥機さえも爆音機同様に過去のものなりつつあるのだろうか。爆音機と違ってここは普段から鳥の鳴き声が豊富なので、小生はこの電子防鳥機の発する鳴き声には全く違和感を感じていなかったが、雀たちもこれにももう慣れっこになっているのだろうか。(写真1・写真2)
そういった爆音機や電子防鳥機とは別に、二三年前からこの辺りで案山子を目にする機会がうんと増えた。これなども、どれだけ効果があるか分からないが、同じ効果が無いのであれば、日本古来の雀対策、稲刈りの季節、秋の風物詩として案山子のほうが非常に趣があって良い風景である。その年によって農村地帯にはこういった流行りというものがあるのだろうか。(写真1・写真2)
今回の7.12豪雨水害で家を失った人たちの仮設住宅が完成して今日から入居が始まった。市内に総数で40戸余りだそうで、何箇所かに分かれて建てられている。今日たまたまそのなかのひとつ、産物販売所「四季彩」の隣りに建てられた仮設住宅の前を通りかかったが、既に何組かの入居が始まっていた。仮設住宅と言えば、平成の始めの頃の水害でやはり仮設住宅が建てられたことがあったが、当時の仮設住宅は軽量鉄骨の骨組みをブレース(筋交い)で引っ張って強度をもたせて壁板を貼ったような簡単な造りで、後年、払下げで、集落の集会所に使われたりした(小生の村の集会所も以前はそれだった)が、今回の仮設住宅は県産の杉を使ってという謳い文句で、ちゃんとした木造家屋が作られていた。ここは冬が厳しいので、防寒対策もしかりとられているのだと思うが、この住宅もおそらく何年かの期限付きではないかと思うので、木造でしっかり作ると、その後でどうするのだろうと余計な心配をしてしまう。
我家の2mの固定機がいつもメインチャンネルで弱い無変調波を受信しておりスケルチを一杯に絞っても消えない。どこかでずっと無変調波を出している局があるのかなと思うが、それなら、メインを聞いていて何か情報が入るはずだがそういうこともない。チャンネルを変えると消えるので、メインチャンネルだけでのことである。外部でなければ、我家のたとえば無線ルーターだとかいった機器から2mに同調する無変調波が出ているのだろうか(一応チェックはしたが無線ルーターではない)。
平成24年8月28(火)
台風の影響は全くなく、穏やかに夜が明けた。昨夜少しは吹いたのか、寝ていて全く気にならなかったので、データを改めてみたわけではないが、穏やかだったのだろう。昨日も少し風があったものの、同じ吹く風でも普段の風と台風の余波の風とはやはり何処か吹き方が違うような気がする。午後から、雨が降りだして結構降り続いていた。もう台風15号には関心が無いので、画像は載せない。
最低気温 23.0℃ (04:52)、最高気温 28.5℃ (11:08)
きょうから娘は2学期が始まった。一応寒冷地になるのだろう、下界の小学校より数日早い始まりになった。NHKが始業式の様子を撮りに来ていたそうだ、ローカルか全国かわからないがニュースで流れたかもしれない。通学路の安全が一部まだ確認されていないので、登校班は今日はなく、各自送迎となり、仕事が休みの母親が連れて行った。
娘も今日は始業式で半日で終わったので、小生の平穏な日常は明日からになる。
太郎が今日初めて保育園でオマルでオシッコをしたそうである。オムツからオマルへの移行というのがなかなか難しくて、姉の時もそうだったが、さすが保育園はプロフェッショナルである。保育園の話では夏の間におむつ離れをしたほうが良いそうである、冬になると濡れて冷たいからだろう。紙おむつ代がバカにならないので、これを機会にどんどんオマルでしてくれると親としても助かる。
SDR-49面白そうだ、以前CQ誌に連載されていたが読み飛ばしていた、やはり映像で解説を見た方が分かり易い。SDR-49を使うにはスマートフォンが要るなあ。他にもやりかけの面白ものがいくつかあるので、もっと先になるかな。面白くないけど、スマートフォンはもう電話と言うよりは携帯端末(PC)なんだなあ・・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=dyXKHMiNLHo
http://www.youtube.com/watch?v=FNbEPgKRuDI&feature=related
平成24年8月27(月)
朝のうち、雲が五岳の上部を覆って低い丘が続いているように見え、カルデラ内にいることを忘れさせるような光景が見られた。台風15号の影響で終日弱いがずっと雨が降ったりやんだり、風もそれほどでもなかった。その台風15号、ゆっくりと九州の西海上を北に向けて進んでいる。午後8時現在、この付近には台風の強い雨風は届いていないが、これから厚い雨雲が掛かって来そうな気配で、風はともかくも雨が心配である。
最低気温 22.9℃ (00:00)、最高気温 25.4℃ (12:32)
娘の夏休みは今日までで、明日から二学期が始まる。小生の昼飯の世話は今日までである。今日はマーボー豆腐にした。
その他はデスクワークと読書で過ごす。
平成24年8月26(日)
湿度は低くはなかったが、ヒンヤリと晴れて気持ちの良い朝を迎えた。日中もそれほど気温が上がらず、台風の余波だろうか風があったので過ごしやすい一日だった。それにしても台風15号は速度がとにかく遅い、午前11時頃と午後6時頃を比較しても殆ど動いていないようだ、今回は非常に大型で強い台風のようなので、沖縄地方の人は長時間強い雨風のなかで大変だろう。一方、台風14号までおかしな動きをしている。
最低気温 22.3℃ (06:06)、最高気温 27.5℃ (13:50)
昨夜、連中が帰ってきたのは夜中の10時半を回っていただろう。そのために今朝は寝坊してゆっくりの朝だった。一応、銀賞の賞状とトロフィーを貰ってきて、予選通過だそうだが、(娘の普段からの取り組み方からのみの感想で、全く根拠もなく書いているのだが、従ってそうでないのなら全くもって主催者に失礼になるのだが)見たところ厳しいコンクールでも無さそうで、ほとんどの参加者が予選通過するらしいので、小生は、ろくに練習もしないで、遊び半分でやっているのなら、そんなことのために送迎や留守番で貴重な時間をお父さんはオマエのために使うのはまっぴらだからやめろ、とキツイ一発をかましてやったところ、反論できなくて下を向いていたが、まあ、本人もそれは分かっているのだろう、訊いてはいないが、毎年のことだから、本選にはおそらく出ないのではと思うが、まあ、小生とカミさんの子だから勉学で秀でることはむりだろうから、何かひとつくらい好きなものに打ちこんで得意なものを作って欲しいと、親として思うが本当のところ本人はどうなんだろう。
昼過ぎに毎年阿蘇の元のプリンスホテル(新しい名前がどうしても覚えられない)である医学関係の研修会のあと、滉兄が顔を見せに寄ってくれた。
平成24年8月25(土)
概ね晴れ。
最低気温 21.8℃ (05:41)、最高気温 28.5℃ (13:50)
今日は娘のピアノのコンクルールとかで昼から母親と二人で出掛けたので、いつもなら太郎も連れて行けと言うのだが、夜まで掛かるとのことだったので、已む無く二人で留守番になった。
結局朝の散歩以外は全く外に出なかったので今日の外の様子は殆ど分からない。ただ、高岳の鷲ヶ峰あたりが、雲の演出でいつもと違った顔を見せていたのが印象的だった。
太郎も、最近は独り遊びができるようになり、創造性も出来てきて、乗り物のオモチャをいくつも積み上げてはひとりで何かブツブツつぶやきながら遊んでいた。
平成24年8月24(金)
晴れ。今日も真夏日近くまで気温が上がったようだが、あまり暑いという印象は無かった。
最低気温 21.6℃ (05:22)、最高気温 29.3℃ (13:43)
台風15号は今までこちらには関係が無いと思っていたら、いつのまにか方向を変えつつあるなあ。絶対大丈夫だとは言えなくなってきた。
昨日、草なんかボウボウ生えたところで死にゃあしねえと言ったものの、まあ、少しは刈っておこうかと庭先だけ(庭と畑の境界はいい加減だが)、それと、離れた場所に置いてある、とうとう今年は空家に終わったハチウトの周辺だけ草を刈っておいた。もうしばらくするとここも稲刈りだな。
それで思い出したのだが、昨日、いきなり、室内でゴロゴロを決めたわけではなく、今日やった程度の草刈りをするつもりであったのが、未明から降りだした雨で、それが叶わなかったので、座楽に変更したのであった。座楽などという言葉は無いだろうが、要は、座ってする楽しみという意である、座学ということばがあるので座楽という言葉があっても良いだろうと思った次第。
やはり、働かないで座楽だけというのは、少し罪悪感があるのだろう、ひと汗流した後に座楽に入るとこれは一番気持ちが良いのは確かである。
今日はついでに、小生の座席周りの整理をした。これがbeforeでこれがafterである。小生の隣りに勉強机が置いてあるある娘が、わあ、お父さん綺麗になったねえ、と感心していた。とにかく座ると身動きできなくなるほど物が置いてあったので、己自身がこんなに広かったか?と驚くほどである。
先日、屋根裏にもぐりこんだ時にJRCのJST-10が出てきた、今日、座席周りを整理していたら、その電源が出てきたので、つないでみたら、完動である、昔、アパマン時代に、家からはQRV出来ないので、ポータブルのHF機はないだろうかと思って買ったもので、当時はポータブル機など無い時代だったと思う、ロッドアンテナを付けて運用したが、やはり非力だった。今日、LWをつないだらバリバリ入って来る、やはり無線はアンテナである、lowpowerで1wだからこれでQRP運用が出来そうである。このリグはお宝になるな。
今日、刈払機を使っていて急に回転数が落ちてしまったので見ると、アクセルワイヤが切れてしまっていた、仕方が無いので、勢いよく回った状態でワイヤーを括りつけて固定して今日の作業を終わらせた。このワイヤーは交換部品を買って来れば簡単に直せそうだ。自慢ではないが我が家には刈払機が三台あるのだゾ。今日壊れたのは、ここにきてすぐにホームセンターで(ホームワイドという店)、ここで目玉商品で確か1万円台で買ったもので、故障なしでもう10年以上使っている。その後で更に買った同じ機種と先日壊れた一台の都合三台である。前の二台は23cmの刃用で、少し力が弱くて、村の区役で同時スタートで皆さんより遅れるので、刃の大きさのせいだなと思って、一昨年だかに25cmのやつを買ったのだが、皆さんより遅れるのは刃の大きさではなかった、テクニックの差だったのだ。そして、こういった機械は値段の差でなくて、当たり外れで長持ちするかしないかの差がでるようである。
先日(8/21)の「広用紙」に続き、方言の話題である、これも用紙のことだが、熊本は紙に関しては他地域とは違った何かがあるのだろうか。
娘の夏休みの課題で学校から「ゴッホ画用紙」に描くようにという指定があるそうだが、このゴッホ画用紙とは果たして何ぞや、小生、寡聞にして知らない、娘に訊いても知らないと言う。ネットで検索しても、少なくとも共通語ではなさそうである。いろいろ検索していて、どうも、表が白、裏は鼠色、B3の画用紙らしい。検索していて、ゴッホ画用紙という言葉で出てくるページはほとんどが熊本発の記事である、それも極めてマイナーな記事量、これは熊本地方の方言なのか?娘を連れて近くの文具屋さんにいったところ、極めて普通に売っていたので、これは熊本だけの規格かと訊ねたら、さあ?・・・とのことであった。この用紙の共通語は無いのか、学校側ももっと保護者が分かる標準的な用語を使うようにしてほしいものである。帰って測ってみたら、B3サイズで、表が白で、裏が浅葱色の画用紙だった、娘はこれをみて、ああ、いつも学校で絵を描くときに配ってもらう紙だと言っていた。
そのゴッホ画用紙を検索していて面白い記事を発見した、厳密に言うならばB3サイズの画用紙は無い、のだそうである。以下、佐賀県伊万里市の文具屋「HAYATA」の社長さんのブログ「ハヤタ日記」(2010年08月29日)より。
ついでに、娘がもっと低学年のころ、学校に持ってくる物に「たんなわ」と書いてあって、これにも困った記憶がある。娘もワカランというので、他の保護者に問い合わせて、その保護者も自信は無いけど、ということでようやく分かったことがあった。先生などはいつも使っている言葉なので当たり前に使ったのだろうが、これなども学校と言う限られた範囲の「業界用語」だろう。因みに「たんなわ」とは漢字で書けば「単縄」で、個人用の縄跳びのロープを言う(長いロープを使って大勢の者が飛ぶ飛び縄に対する言葉だろう)らしい。
今日草を刈っていて、家の裏(北西)に置いてあるハチウトのそばにある椿に実が付いているのを発見した、いままでは、あまりそこに行く機会も無かったので気が付かなかったが今年はハチウトを置いたので行く機会が増えて今年初めて気が付いたのだ。椿の実をシミジミ見るのは初めてである。ようし、ツバキ油を採ろうと思って調べたら、1kgの種からわずか100ccか200ccしか採れないそうである、やめた方が良さそうである。
毎週金曜日には近くのスーパー「みやはら」で、握り寿司バイキングと称して幾種類もの寿司を並べて売る。客はそこから好きなものを折に詰めて精算をするのであるが、一個が53円と非常に安くて、安いだけでなくて美味いのである。娘は小生が普段一人の時に時々食べているのを知っていて、おすし食べたいなあと言うので、お安い御用だと、今日の昼は二人で握り寿司をタラフク食った。
平成24年8月23(木)
今日も曇り。だったかな。そういえば、夕方、太郎を迎えに行く頃、にわか雨があったな。
最低気温 22.8℃ (05:03)、最高気温 28.3℃ (12:56)
今日もまた、何もしなかった。どうも外で何かろうと言う意欲が湧かない、別に体調不良と言うことではないが。強いて言うならば、絶対にやらなくてはならないことが差し当って無いからである。草がボウボウ生えていても命にかかわるわけで無し、もうしばらくすると放っておいても枯れる季節がやって来るし・・・、それよりも、PCの前に座って、無線に耳を傾けながら、デスクワークをしたり、本を読んだりする方がなんぼか楽しいし、だからである。
娘と昼飯を食っていたら、ニュース後、そのまま流していたラジオから、突然アナウンサーが、番組を中断して、と言うので、何だろうと耳をそばだてたところ、高校野球の決勝戦でどこどこが優勝しましたと伝えていた。小生、高校野球には全く興味が無いので、どことどことがやっていたのか知らないし、何処が優勝したのかその放送の結果も記憶に残っていないのだが、確か春夏連覇と伝えていた。小生が、えっ?と思ったのは、決勝戦の中継は、恐らく、お昼のニュースが始まる前までは当然やっていたと思うが、そのあと、ニュースで中断したのだろうが、その後の定時番組でも野球中継をやらなかったことである。どんな場合でも高校野球中継だけは絶対にやる皆様のNHKだと思っていたが驚いた。テレビではやっていたのだろう、もしかしたらラジオでも第2放送でやっていたのかな(それならわざわざ中断して臨時ニュース的に伝えることもあるまいにと思うが)。定時番組のために中継をしなかった云々は別にして、確か、電力危機で節電のために、試合開始を早めるというようなことで、今年は例年より開始時間が早かったのではないだろうか。
昼飯は、海老チリを作ってやった、これだけだと寂しいので、出来あいの餃子を焼いて、これにフリーズドライの玉子スープを湯に溶いて付けてやった。
平成24年8月22(水)
曇り。だったかな。従って今日は積乱雲が発生するような天気ではなかった。
最低気温 21.9℃ (06:01)、最高気温 29.0℃ (11:36)
なんとなく外仕事をしたくないので、座って出来る仕事を探す。仕事とは言えないが、とにかく小生の座席回りが乱雑過ぎて体を動かすことも出来ないので、少し整理に取り掛かる。そして少し整理したが、見た目、全然変化なし。
それとデスクワーク。日記をつけていると、あの事を書いたのは何時だったかな、などと過去を参照したくなることがあるが、10年以上も経つと、さすがに探すのが大変である。そこで自宅サーバー内のホームページの検索エンジンソフトは無いだろうかと探し始めている。msearchというCGIプログラムなんかどうだろう、UNIX系OSのソフトのようだがWindows環境で使えるのかなあ。もう何年も前、というより、自宅サーバーを始めた頃、一度Namazuという検索エンジンソフトを入れたことがあったが、確か機能したと思うが、どうして続けなかったのかなあ、何か不具合があったかなあ、良く覚えていない。
娘、先日、彼女にしてはプリンを食べ過ぎたのが原因?で腹を下し気味である。だから昼食はレトルトの粥に梅干し、それと半熟玉子をつくってやる。玉子と言うのは調理の仕方で実にいろいろな味になる。生、半熟、固茹で・・・それぞれ違う味になる、不思議な食べ物である。玉子はコレステロールが多いから食べても一日に一個くらいにしろと言われてきたが、最近それが変わってきている。コレステロールを多く含んでいる食べ物を食べても、人間が食べ物から取るコレステロールは僅かなもので、割合から言うと体内で作られるコレステロールの方がはるかに多いそうである。だから、コレステロールを含む食べ物は沢山食べても大丈夫なんだそうだ、医学の学説なんていい加減でコロコロ変わる。結局美味いと思うものを食ってりゃいいのだ。
夜、到来物のスイカを頂戴する、真っ赤に熟れて甘かった、太郎は正直なもので、嬉しい時には、教えたわけでもないのに体中でその喜びを表現する、「やったー」と言う、どこで覚えたのだろう、保育園でだろうか。お姉ちゃんは、お腹の調子が良くないのに、別腹だと言って食べていた。
平成24年8月21(火)
今日は朝からずっと雨模様の天気が続いていた、太平洋側から結構強い雨雲が次々に九州山塊の東側で雨を降らせてその残り雲が山塊を越えてこのあたりにも午前中ずっと雨を降らせていた。昼前には雨は上がったが終日どんよりしていた。気温はそれほど高くないのに蒸し暑かった。
最低気温 21.1℃ (05:16)、最高気温 26.7℃ (14:45)
世間のお盆休み以降、小生自身、どうも曜日の感覚が狂っている、今日はカミさんが休みで、娘も休みもあって、特に今日などは日曜日の気がしてならないが、世間様は皆さん働いておいでなのだ。
いくらなんでもまだ早いだろうと思ったが、まあ、儀礼的にちょっと覗いてみようかと思って、午後に入ってから、裏の畑に行ってみたら、おーっ!もう蕎麦の芽がでているではないか、結構伸びているから昨日あたり出芽したのだろうか、シメシメ。娘が間違って枠外に落とした種までしっかりと芽を出しているが、全体的に芽の絨毯というほどはまだ出揃っていない。播き方が不均等だから、偏って芽を出している。
午後、JA6FWU局がham仲間のJG6RJV局(向かって左)と御入来。FWU局は今回の水害で浸水被害を受けた内牧の友人宅の復旧の手伝いで何度か見えているそうで、今回もネット環境の整備でおいでになったそうである。FWU局とは1年ほど前、最初はインターネットを通じて知り合って、その後、最近になってようやくお空でつながって、そして今日初めてのアイボールとなった次第である。
例年通り、19日に参勤交代九州横断徒歩の旅の一行が坂梨宿を通過したそうである。坂梨宿のホームページにそのことが載っていた。今年は水害影響でお茶の接待は出来ない旨の連絡はしてあったと聞いているが、それ以前に、参勤交代道は先日の豪雨水害で大きく崩れて通れないはずなので当然徒歩の旅も中止ではないだろうかと勝手に思い込んでいたが、一体、どういうコースを下ってきたのだろうか、驚いた。
近くのホームセンターから、修理に出してあった刈払機の修理が上がったという連絡を貰ったので引き取りに行ったところ、刃(チップソー)が付いていない。そのことを応対に出た店員に言うと、いきなり最初から付いていなかったと言う。直接担当したわけでも無い者がどうしてそんなことが言い切れるのか、刃をつけたまま渡したではないかと強い口調で詰め寄ると、そのあたりをしばらく探してから、修理業者の方で外して処分したのだと思います、代わりに新しい刃を持って行ってくださいとヌカス。この店は全国展開の店だ、一体どういう社員教育をしているのだ、まず最初に詫びるべきだろう、どこの店とはあえて書かないが(遡って調べればわかるが)、新しい刃を呉れてやったから良いだろうとでも思っているのか、無礼千万、極めて不愉快であった。
娘が夏休みの自由研究で使う「ヒロ用紙」を学校に行って貰ってくると言っていたので、こんな大きな紙だろうとジェスチャー入りで示して、それは模造紙と言うんだよ、と言うと、違うばい、ヒロ用紙ばい、と言う。へえ、最近は模造紙という呼び方はしないのか、考えてみたら、小生は「模造」などというオカシな呼び方の由来も調べることなく何十年もずっとその言葉を使い続けているなあ、普段からどちらかと言うと死語を多用する小生は別にして、さすがに世間でも変な名前だから最近は呼び名が変わったのかなと思って、ネットで調べたら、模造紙の名前の由来と一緒に、模造紙のことを九州地方では「広用紙」と呼ぶことが多いとあった、なるほど納得、納得。
先日、早とちりで、HFの無線機が故障したと思って、修理期間中の代替機として屋根裏から探し出した、10W機TS-120V、21MHz帯など二三のバンドが機能しないが7MHz帯は送受信とも出来るようだ、ただ、ACアンプが駄目で音量を目いっぱい上げても小さな音でしか聞こえない。QRP専用機として使おうかなと思ったが、もっとパワーを下げようと思ってもパワーコントロールは無い、アッティネータでも付けないとならないのか・・・・・、(それにしても、狭い小生の遊び場の縄張り内、次から次に物を置くのでいよいよ座るところまで無くなってきて来ている)。
平成24年8月20(月)
晴れ。午後から通り雨(というには少し長い時間降ったが)、雨が上がった後には綺麗な虹が立った。(写真1・写真2)ちょっと目を話している間に台風14、15号が発生している、これらも日本には直接影響がなさそうだ。
最低気温 20.4℃ (05:16)、最高気温 30.3℃ (13:07)
梅雨入り前だったか、柿のヘタ虫駆除でスミチオンを噴霧したが、最近、結構実が落ちるので、午前中、じっちゃいに倣って二度目の殺虫剤を噴霧した。今回はモスピビランを使った。せっかく撒いたのに午後から例によって雨になった、結構降っていたので、午前中に噴霧して結構強烈な太陽が照っていたのでしっかり乾いて、展着剤の効果があっただろうか、どれだけ流れずに残っているだろうか。手動式はポンピングに時間がかかって効率が良くない、電動噴霧器が欲しいなあ。
昼飯は、定番の鳥肉の照焼き丼、それと春雨のサラダ。この春雨のサラダはおふくろの味で、味付けはタップリのサラダオイルと酢と辛子が入っていて、このまま、添え物と言うよりは、主食に近い感覚で大量に食べる。味を思い出しながら復元してみたが、大体こんなものだったろう。
夏子10歳の誕生日、おかげさまで健やかに成長を続けている(その分、お父ちゃんは10歳老いてしまった)。プリンを腹いっぱい食べたいという娘のたってのリクエスト、バースデーケーキに加えて沢山用意してやったが、ケーキを我慢してプリンに挑戦していたが、小食の娘は4個食べられなかった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
7・12豪雨災害で不通になっていた熊本と大分を結ぶ大動脈、そして阿蘇の生活に重要な幹線道路、国道57号線の滝室坂が今日午後から仮復旧ながら開通した (写真1・写真2)。下から見ていると、通る車、ゆっくり登り降りしている、徐行運転が指示されているのだろう。それにしても、山肌の崩落で埋まった道を避けて迂回路(多分、下の方の橋脚部分だろう)を作ったそうだが、思った以上に早い復旧で、現在の土木技術に大拍手である。
平成24年8月19(日)
晴れ。今日は結構風があったので屋内に居ても風が吹きこんで過ごしやすかった。今日も周辺では雷雨があったようだが、ここは今日も来そうで来なかった。
最低気温 20.4℃ (05:16)、最高気温 30.3℃ (13:07)
三時頃、母親が迎えにいって娘が一泊のキャンプを終えて帰ってきた。非常に楽しかったようで帰ってから興奮してキャンプの様子を話していた。テントを自分たちで張って、シュラフで寝て、食事も自分たちで作ったそうである。一つのテントで4人で寝たそうであるが、話に夢中になって夜中過ぎまで起きていたそうで、仲良くなって住所を聞いてきたので手紙を出すと言っていた。良い経験をしたことだろう。
昨日の日記で書きもらしたが、菜の花さんの御主人が菜園で丹精された小玉スイカやまくわ瓜をお土産に沢山頂戴した。我が家では毎年スイカもウリも植えるところまではやって、その後面倒を見ないで放りっぱなしで草に埋もれていつも上手く育った例しがないので、見事な出来栄えにこどもたちも大喜びであった。これからの御主人とのお付き合いもまた楽しみである。
今回の豪雨災害で不通になっていた国道57号線滝室坂が仮復旧ながら明日の13時から通れるようになるそうである、熊本と大分をつなぐ幹線道路なのでこれは非常に喜ばしいことである。
平成24年8月18(土)
早朝、ボンの散歩で外に出たところ、腕に小粒の雨?かと思ったら、霧の細かな粒だった、今朝はぼんやりと霧に包まれてヒンヤリする朝を迎えた。一転、日中はまた今日も真夏日だったが、そう言いながら確実に秋の気配は感じるようになった。水害にも無事だった稲は大分黄色くなってきた、もう一月もすれば稲刈りである。午後に入って西の方にスゴイ勢いで積乱雲が発生していたので今日も雷雨の定期便が来るかなと思っていたら、熊本市内方面はレーダーで真っ赤になっていたが、こちらまでは来なかったようである。
最低気温 22.0℃ (06:20)、最高気温 31.5℃ (15:35)
娘は今日から一泊で国立阿蘇青少年交流の家で開催される草原キャンプにクラスメートのA子ちゃんと参加した。現地集合で、午前10時からの受付けに連れて行ったが、手続きが終わると一人置いてその後を見届けることもなくさっさと帰ってきた、ちょうど熊本市内から参加したと言う女の子から、何班?と問われて、4班と答えて、じゃあ一緒ねという遣り取りが聞こえていたが、すぐに仲良くなりそうな雰囲気だった。娘は人前に出ると声が小さくて引っ込み思案的なところがあり、普段、大丈夫かいなと思うことがあるが、それでいて結構一人で平気で見知らぬ催しに参加する。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
カミさん仕事で太郎は半日保育、昼に戻ってきて、昼飯を二人で食べる。保育園でおやつが出てそれで大体満腹状態のなので、ソーメンを作った。(写真1・写真2)
夕方、突然、(ハンドルネーム)出水の菜の花さんが、御主人と一緒においでになった。太郎が生まれた頃以来だから、お会いするのはかれこれ二年ぶりだろうか。御主人とは初対面だが、菜の花さんはインターネットがご縁で、もう何年もお付き合いいただいており、カミさんの出産の時にも病院に励ましに来ていただいた。今日は、菜園で使われる蕎麦の種などを買いに阿蘇においでになったようで、小生の蕎麦畑もちょっと覗いておいでだった。玄関先のほんの短い立ち話ですぐに帰られたがお構いもしないで失礼をしてしまった。
以前から調子が悪く、騙し騙し使っていたHF無線機IC-760PROがとうとう故障したようだ。いままで電源が入りにくかったが、こんどは、スイッチを入れるとTRANSMITボタン入っているわけでもないのに、送信状態の赤ランプが灯りっぱなしで、どうやっても受信状態にならない、この機種はすでにメーカーのメンテナンスが終了しているそうだから、ハムショップに持ち込んで修理ができるかどうか相談してみようと思っているが、その間、確かつなぎで使える無線機(10W)があったと思うが明日にでも屋根裏にもぐりこんで探してみようと思う。・・・・・・翌日記。(確認したつもりだったが、何かの拍子でスタンドマイクのロックスイッチが入ったままになっていた、極めて基本的なチェックであるが、普段、マイクを使わないので気がつかなかった、修理に出そうと思ってマイクコネクタを外したら復旧した、ああ恥ずかしい話である。)
平成24年8月17(金)
晴れ。午後雷雨。
最低気温 21.6℃ (06:00)、最高気温 31.4℃ (14:23)
今日はカミさんが休みで、保育園の送りも小生がしないで済むので、今日もう一度トラクターで鋤いてから蕎麦の種をまこうと、朝飯前の涼しいうちにと仕事に取り掛かった、娘も一緒にトラクター運転を手伝ってくれて、良いペースで進んでいたが、朝食後、作業を再開したところ、小生がトラクターをスタックさせてしまった。小型のトラクターながら田の代掻きが出来るくらいの能力があるが、連日の午後からの雨で畑に相当水を含んでいて、変な格好で泥の中に突っ込んでしまったので抜けられなくなった。
それじゃあ軽トラックで引っ張ろうかと、畑に乗り入れたところ、これまたスタック、四駆の軽トラックは普段鋤いた畑にも平気で入るのだが、やはり、出来たての土地なので、普通の畑とは土の組成が違うのだろう。二台とも身動きならず、さて困った。とりあえず、軽トラックを脱出させることにした。
最初はジャッキアップしてタイヤの下に板でも入れて脱出しようかと思ったが、車体が埋まり過ぎて、ジャッキを当てる場所が分からず、適当にジャッキを当てたらポロッと何かが外れた(小生はウインドウォッシャー液のタンクかと思っていたら、夕方石田オートに持って行ったら、ラジエターの補助タンクだそうで、ワンタッチで取りつけてくれた)ので、これはイカンなあと、急遽、ウインチで引っ張り出そうと、ワイヤを継ぎ足して、近くの木まで引っ張っていたところ、隣りの渡さんがそれをみていて、これだけ埋まったら駄目ばい、と言って、隆一さんに電話を掛けてくれて、レスキューユンボの登場となった。
さすが重量級である、二台ともいとも簡単に脱出完了(写真1・写真2)。今日の暑い中、熱中症にでもなりそうであった。
そして、しばらく休憩して、午後から、今度は気をつけてトラクターを運転してから、娘と蕎麦の種をまいた、この場合の「まく」は播くだな、蒔くではないな、尤も、たんなるイメージだが。(写真1・写真2・写真3)
もっと簡単に播くつもりがオオゴトになってしまった。3キロの在来種の蕎麦の種を播いたが、果たしてうまく育ってくれるだろうか、秋が楽しみである。
種を播き終わってちょうど今日も定期便の雷雨がやってきた。少し前までは神経質に、自宅サーバーを休止したが、最近は、小生の旗艦だけは電源など、線類は全部抜くようにしているが、サーバーは停止しないことにしている、万一の場合は、小生の分は旗艦PCにコピーが残っている(と思う)し、「坂梨宿」の方も管理人殿がバックアップは取っているだろうから、PCが壊れたら壊れた時だと思うようにしている、これで随分気持ちが楽になった。それから大事にしているのでHFのリグのケーブル類も全部外している。UHF・VHF系のリグやライブカメラのPCは点けたままである。
平成24年8月16(木)
久々に抜けるような青空の朝を迎えた、一方で北海道の方は前線が掛かって雨のようであった。そして、午後1時頃から、またしばしの雷雨、結構派手に雷がドカンドカン落ちる音がしていた。
最低気温 20.5℃ (0 5:18)、最高気温 30.0℃ (11:30)
太郎久しぶりの保育園である、朝送って行った時、ここ数日ずっと家に居たので里心がついてちょっとベソをかいていた。
朝、太郎を保育園に送ってから娘と御先祖様を山に送りに登った。さてお盆の時に御先祖様の送り迎えの儀式、迎え火、送り火のことであるが、わざわざ火を焚くということだから、その効果を考えると朝よりも暗くなってからの儀式だろう。一般的に13日の夕方迎え火を焚くことが多いようだが、しかしそれだと、お盆に入ってもそれまでの間にお寺さんにお経をあげていただいても、仏様はまだ到着されていないということなのか、などと、これは理屈ではないのだから、そこまで考える必要が無いとおもうがついつい思ってしまう。阿蘇に来るまでは、向うに居た時は、13日の夕方に迎え火に苧殻(おがら)を燃やしたものであるが、このあたりではあまり迎え火を焚くという風習にはお目にかからない。向うではスーバーに苧殻を売っていたが、こちらではどうなんだろう、ごく近くに、家によっては屋敷内に墓があるので、直接お迎えに行くから火を焚くまでも無いということかなどと、また理屈をつけたくなる。我家では13日の早朝に直接お墓にお迎えに行くのでその問題は無いのだが。同様に、送り火は、15日の夕方なのか、そうなると、13日の夕方御到着、15日の夕方御出立と、実質二日間の滞在にしかならないのではと、これまた余計は心配をしてしまう。ということで、我家では13日の早朝にお迎えして、16日の朝にお送りするので丸々3日間ゆっくりと御滞在頂けると実にバカバカしい計算をしているのである。このようなことにいちいち理屈をつけていたら、それじゃあ普段は仏壇には仏様はいないのに香華を手向けるのはなんだということになるのである。
婆様存命の頃、お盆の時には米粉でお迎え団子を作り、送る際にも団子を作って仏壇にお供えしていた。どちらかが、丸い団子で、どちらかが「ほうとう」状に延ばしたものだった、お迎えの時が丸くて、送る時が延ばしたものだったか、小生は関心が無くて覚えていないが、カミさんが聞いたことがあるといって作ってお供えしたが、どっちだったかしらと自信が無いようで、今となっては訊くわけにいかない。婆様は確か「のべだんご」と言っていたと思うが、「のべ」は「野辺」と書くのだろうか、もっとしっかりと聞いておけばよかった。当然、婆様はこの土地の我家の風習としてお姑さんや父親から受継いだのだろうが阿蘇にそんな風習があるのかなと思ったが周囲に訊いたことがないので分からない。
JAに蕎麦の種を分けてもらった。今年は水害で転作の蕎麦の作付が出来なくなった農家があって、と言うことで分けてもらえた。あまり植えても後が困りそうなのでとりあえず3キロだけにした。品種はこの辺りの在来種だそうで、キロ450也。放っておいても雑草だらけになるのだからダメ元で植えることにした。今日、昼から再度トラクターで鋤いてからと思っていたら、雨になったので、本日の作業は中止である。
昼飯は残りもので丼。鳥すきの残りと精進揚げの残りで丼を作ってやる。こどもの頃、精進揚げを砂糖醤油ベースで味付けした弁当のオカズが大好物だった、温め直しの食べ物はロクな味がしないが、天ぷらの衣がトロトロになったのが何とも美味かったが、小生にはそんな思い出がある。
阿蘇市のホームページにようやく今回の「豪雨水害」をまとめたページが出来た。ちょっと遅いけどまあ結構なことである。もっと目立つ色で囲んだ方が良いと思うが。
平成24年8月15(水) 今日は8月15日である・・・・
晴れ・・だったかな、今日は暑かったが、風が吹きこんで家の中は心地よかった。午後3時頃から雷雨があったが、2時間ほど降ったりやんだりしていたが通り過ぎた。
最低気温 22.1℃ (05:24)、最高気温 30.8℃ (13:24)
オヤジ保育三日目、ようやく最終日、外に出られないので昼飯を作るくらいしかやることが無い。
今日の昼飯は、リクエストに応じて、到来物のヒヤムギと我家の畑から採れたジャガイモとナスとオクラの精進揚げ、ついでに海老もオマケに揚げる。それとトマトとプリン。
一般的にはサツマイモを使うようだが、小生はサツマイモの甘いのが苦手で我家では昔からジャガイモの天ぷらである。こどもたちもその影響受けているようである。多めに揚げて冷凍保存した。
平成24年8月14(火)
曇り時々雨、そして日本列島はこんな天気だった。
最低気温 22.1℃ (06:02)、最高気温 26.4℃ (12:55)
オヤジ保育二日目、昼飯はあり合わせの物。
夕方、ここ豆札に本山がある日本山妙法寺の庵主さんがお盆のお経をあげに来てくださった。
平成24年8月13(月)
曇りかな、晴れだったかな。雷雨も無く穏やかではあったな。
最低気温 23.0℃ (06:08)、最高気温 27.7℃ (15:33)
今日からお盆である。朝、娘を伴って、墓に御先祖様をお迎えに行った(写真1・写真2)。そして昼過ぎに、円通寺様にお経をあげていただいた(写真1・写真2)。小生、なむからたんのおとらやあやあ・・を諳んじられるよう練習をしているが、般若心経と違って真言なので意味不明でなかなかである。
カミさんはお盆期間中も仕事である、太郎は休みなので三日間オヤジ保育である、お姉ちゃんが面倒を見てくれるので楽である。
お昼は、ソーメンにした。
今年のお盆は水害の後遺症で、観光客が少ないうえに、帰省する人も少ないようで、村の人に聞いても、今年は孫たちは帰ってこないとのことであった。今日のNHK巡回ラジオ体操は阿蘇中学校で行われ全国中継されたが、ここ豆札では災害のため、夏休みラジオ体操は行われておらず、各自、家庭でしているが、夏休みだと言うのにこどもたちの声も聞こえない。
平成24年8月12(日)
今日もあまり天気は安定しておらず、時々、思い出したように通り雨と雷があった。
最低気温 22.3℃ (00:52)、最高気温 29.6℃ (12:18)
娘は母親と福岡にミュージカル公演観賞に出掛けた。なんという外題だったか、いい加減に聞き流していたので、日記を書くにあたってネットで調べた。劇団四季のミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」である、そう言えば、そんなだった。
当初、小生の了解も無く太郎を小生に預けて二人で出掛けるつもりだったようだが、小生が、とんでもない駄目だ、と言ったところ、それじゃあ、家族皆で車で出掛けて、向うで公演の時間だけちょっとどこかで看ていてもらって、そのあと博多で遊んでから帰ろうと言うので、考えておくと言ったが、小生はわざわざ福岡まで行きたいわけでも無し、どう考えてもバカバカしいので、それも駄目だ連れて行けと断った結果、結局、劇場側に一時託児システムがあるらしくて、それを利用することになって、山の下までは車で行って、そこからJRで行くことになって三人は朝早く出掛けて行った。どうせなら全行程を車にすれば楽だろうにと思うが、遠出の自信が無いのだろう。いやあ危ないところだった。
このミュージカル観賞は、今月迎える娘の誕生日プレゼントだそうである、お父ちゃんも何か考えんといかんなあ。
小生は明日からのお盆を迎える準備をして仏壇などの掃除をした。
と、ここまでは、昼間、時間が出来た時に書いておいたので、その時点での記述である。最近は歳をとったのだろう、朝のことは夜になると忘れることがあるので、また、まとめて書くのは大変なので、時間がある時にメモ書きていどに書いておくことにしている。
ここからは、夜に入ってからの記述になる。
連中は、朝8時前に出掛けて、夜8時に帰ってきた。夏子は楽しかったようで、帰ってからも、プログラムと言うのか、刷りものをずっと眺めていた。太郎は託児所に預けられたものの、初めて新幹線に乗って、ちんかんてんのった、カッコいいと言っていた、カッコいいなんていう言葉、お姉ちゃんが教えたのだろうか、初めて聞いた。ばちゅのったとも言っていた、いつも絵本やオモチャでしか見たことが無かったので(バスはここにもあることはあるが)、よほど嬉しかったのだろう、やはり男の子である。
敗戦の年、小生2歳、疎開していたここ阿蘇から博多に戻った際に、博多駅前の車の多さに(当時だから大したことは無かったのだろうが)、怖くて、「ブーブーおじいおじい(怖い、怖い)」と言って親にしがみついて泣いたそうで、後年、よく父親に思い出話で聞かされたものである、今から67年前である。今回の太郎の博多行きはちょうど小生の年齢と同じということになる。
平成24年8月11(土)
こんな天気は晴れと言うのか、曇りと言うのか、つまりはそのような天気だった。
最低気温 23.1℃ (05:51)、最高気温 27.5℃ (12:38)
カミさん仕事につき、太郎半日保育。
昼飯は好評につき「鳥の照焼き丼」、それと先日使ったヤマトイモをすって塩を加えて揚げてみた、これは結構いける。それとトマトとぷっちんプリン。娘は息もつかせず掻っ込んでいた。
夜、村の寄合、豪雨災害を受けて今年の残りの村の行事について協議、今年のこれからの行事は取りやめて、その代わりということではないが、9月に入ってから安全祈願祭を行うことに決まった。
平成24年8月10(金)
晴れ。午後から雲が多くなり、一時にわか雨と雷。防災無線で雨の注意が流れたが幸いなことにハズレたようだ。
最低気温 22.1℃ (06:18)、最高気温 29.7℃ (13:53)
隔月である浄化槽の点検が実施された。
定期的に行っている歯のメンテナンスに行く、予定では先月であったが、水害騒ぎで延びて今日になった。次回は3カ月後である。
ここのところ毎日ちょっと降るので刈り取った草がなかなか乾かずに、今日も火を点けてみたものの燃えなかった。
アセチレンの耐圧テストと充填が終わってボンベが戻ってきた。これで、ガス溶断が出来る。ガス溶断と電気溶接、今回の災害で、もし要請があればボランティア出動がいつでも可能となった、溶接は簡単なものに限るが、であるが(誰も言ってなんか来ないけど)。
ツェップ型のアンテナの調整をした。同調点を少し下げようと思って、説明書では20cmで40KHz動くとあったので、その分長くしてみて計測してみたが、共振周波数がほとんど変化なし、うむ、である。
カミさん本日仕事休み。
平成24年8月9(木)
朝からずっとどんよりと曇っていて、湿度が高く風が無いので気温はそうでもないのにとにかく暑かった、この分では夜も開けっ放しで寝ても涼しくないかもしれない、阿蘇の夏は例年こんなことは無いのに今年はとにかく異常である。
最低気温 22.3℃ (01:13)、最高気温 27.6℃ (11:53)
7MHz帯1/2λフルサイズのツェップ型アンテナ(ZA-7H)を張る(写真1・写真2・写真3)。アナライザーで測ってみたが、7070KHz付近が共振周波数(HLの専用帯だなあ)のようで、7010KHz辺りはSWRが2で少し高い。同軸切替器で切り替えながらATUにつないだLWと同じ信号を受信して比較してみたが殆ど変わらないなあ。エレメント長はいっぱいいっぱいなので共振点をずらすこともできないしなあ。
今日の昼飯は「そうめん」。婆様が昔、そうめんだけだと夏の暑い時に栄養バランスが悪いからと言って、薬味に錦糸玉子や、甘辛く煮たシイタケや鶏のささみを茹でて細く割いたものなどをツユに沢山入れてくれたのを思い出して、習って、すりゴマや大葉等に加えて出してやったら、娘が美味しいねと言っていた。他にトマト、出来合の唐揚げ。そう言えば、今年は葉は沢山茂っているけどまだミョウガが顔を出さないなあ。
平成24年8月8(水)
暑い、アンテナを張ろうかと思ったがやめた。午後三時を過ぎた頃から雲行きが怪しくなって、そのうちに本降りと雷鳴。とうとう大雨洪水警報が出され、引続いて、自主避難勧告まで出された。この自主避難の場合は、身の回り品は各自で用意しなければならない、また避難場所も災害当初から比べてかなり変更がある。この辺りでは、一の宮中学校体育館となっている。一時、100ミリ近くの勢いのあった雨も、そうこうしているうちに、午後6時を過ぎた頃には北に移動して、暮れなずむ青空が見えだした、警報も解除された。
降り始めの雨 と 雷
最低気温 23.2℃ (17:29 雨が去って、徐々に気温は下がっている・・・)、最高気温 31.5℃ (12:51)
蕎麦の種のこと、JAに問い合わせてみたところ、転作で前もって予約が入っている分については種を確保してあるが、一般の販売用には無い、ただ、今回の水害で、作付が出来なくなった田がけっこうあるので、多分、余ると思うが、後一週間くらいして再度問い合わせて欲しいと言うことであった。ということで、他にあたることもできるが、待ってみることにした。それでだめなら今年はやめよう。
今日の昼飯、鳥すき、トマト。昼日中から牛肉は贅沢につき、鳥肉を使うも、これが結構美味い、簡単で安上がりである。
平成24年8月7(火)
今日も暑かった・・・・・
最低気温 21.9℃ (05:24)、最高気温 31.4℃ (14:37)
台風11号、まだこんなところに居た、台風12号になるかなと思っていた温帯低気圧はJTWCでは台風と認知したようだが、我が気象庁の情報からは消えてしまっている、もう消滅とみなしたのだろうか。
午前中、裏の竹林跡をトラクターで鋤いた。草が伸びすぎてからだと、草を刈ってから鋤かなければならなくなるので、そうなるとちょっと広すぎて大変なので、その前にやっておいた。造成してから初めての作業になるが、先日、娘と目についた石を取り除いておいたが、隠れた石がけっこうあって、一抱えもあるような石がゴロゴロしてトラクターが浮き上がるほどであった。ロータリー折れたかなと思ったが大丈夫であった。トラクターが小さいので、結局午前中いっぱい掛かってしまった。このあと蕎麦の種でも蒔こうかと思っているがノウハウが全くないし、蕎麦の種を仕入れるところから始めないとならないので果たして蒔けるかどうか。神楽苑にでも照会してみるか。
太郎、一日遅れの月次体重測定、12.6キロ。
平成24年8月6(月)
晴れ。ただ、やはり天気が不安定なようで、にわか雨がカーテンのように空を仕切っているのが車を走らせていて見えた。
最低気温 23.1℃ (05:25)、最高気温 31.2℃ (13:54)
台風11号、こちらに影響が無いと分かると急に関心が無くなるが、また次の台風が生まれつつある(日本ではまだ台風に昇格していないが)、これも来そうには無いな。
娘の病院ハシゴに付き合う。阿蘇温泉病院の耳鼻咽喉科と小野眼科。共に内牧にあるが、両院とも今回の水害で浸水してかなり被害があったようだ、小野医院は内科は診療開始をしていたが、眼科は再開までまだ一週間くらいかかるとのことで休診だった、眼科は高価な医療機械が沢山被害を受けたのだろうか。
内牧の病院からの帰りに、阿蘇神社の門前町を抜けたところにある廃業した薬局の店舗跡で今日から診療を再開していた古閑医院に寄って、避難中に娘が保健センターで診ていただいた受診料の精算を済ませてきたが、古閑医院も山際にあるために、今回の山崩れで、恒久的にであるかどうかは不明であるが移転を余儀なくされているようである。
今日の昼飯、鶏の照焼き丼、ジャガイモとタマネギのベーコン炒め、トマト、デザートにイチジク。
平成24年8月5(日)
晴れたり曇ったり、雨が降ったりとあまりハッキリしない一日だった、遠い台風11号からの雨雲が影響しているようである。
最低気温 22.9℃ (00:21)、最高気温27.0℃ (10:43)
朝の涼しいうちに、裏側の草刈りと(写真1→写真2)、畑の残りの草刈り(写真1・写真2)
1)を片づける。天気が良いと翌日には燃やせるのだが、タイミングを逸して、降ったり止んだりが続くとそのうちに腐って始末に負えなくなる。
平成24年8月4(土)
曇り。日中、少しパラパラ来る。夜に入って雨。
最低気温 22.3℃ (05:02)、最高気温 27.6℃ (13:51)
往々にして台風の進路は東から西方向に真っすぐ来ても、東支那海に入ると急に右方向に大きくカーブを切りがちで、ああ、真っすぐ大陸歩行に進むなと思っていると、裏切られることが多い。しかし、今度の台風11号、今回は九州本土方面には曲がらないでまっすぐ進みそうである。
お盆を前に、午前中、山に登って墓掃除をする。先日の山崩れの場所から直線で200mあるか無しかの距離なので、恐る恐る行ってみたが、全く影響はなかった。
墓掃除の途中で刈払機がおかしくなったの、近くのコメリに修理に出した。
太郎の保育園の先輩にあたるK君から甚平のお下がりを頂戴したらしい。見たところ作務衣とあまり変らないので(実際どこが違うのかちょっと分からない)、父子二人並んで写真を撮る。
円通寺さんにお盆の先祖の回向のお願いに伺う。遠くから眺めていた限りでは分からなかったが、今回の水害で裏手の山が大分崩れて、庫裡の裏側がかなり土砂に埋まって、建物の破損被害はかろうじて避けられたようだが、一歩間違えると大変なことになっていたようだ。崩れた場所が低いところだったので土砂の量も勢いもそれほどでもなく事なきを得たようである、それでも納屋が少し土砂で削りとられていた。
土曜日なのにカミさんは仕事が休みだった。
平成24年8月3(金)
風があったので気温よりは涼しく感じた。
最低気温 22.8℃ (04:20)、最高気温29.8℃ (14:04)
早々と台風11号が発生した、台風というやつ、実際にはそうでもないのだが、どれもこれも最終的には皆こちらに向かってくるような気がしてならない。(気象庁、JTWC)
どうも外作業をする気力が湧かず、午前中、階段下のベビーフェンスを一つ取りつけて、あとは例によってゴロゴロ(体調不良と言うことではないが、その方が楽だからである)。廃物利用のために思う所に蝶番を付けることができず、変則的な取り付け方になってしまった。(写真1・写真2)
今日の昼飯は、鰹のタタキ、味噌汁、ナスの味噌油炒め佃煮風、トマト、デザートにプリン。
夕方、保健所から電話があり、例の迷い犬、無事に飼い主の元に戻ったそうである。想像していたとおり二匹とも同じ飼い主だったとのこと、その知らせがあってから、娘の姿がちょっと見えないので探すと布団を被って泣いていた。必ず飼い主が現れるだろうとは思っていたし、飼い主の元に戻るのが一番良いのは分かっているけど(理屈では分かっているけど)・・・とのことであった。そんなに犬が欲しかったのか、じゃあ動物愛護センターに行って一匹貰ってくるかと聞くと、そういう問題じゃないと言われた、まあ、確かにそうだろうな、ちょっと期待をもたせた部分があったので可哀想なことをしたが、これで良かったのだろう。
平成24年8月2(木)
台風10号、鹿児島の沖を通過して、幸いなことに昨夜も心配するほどのこともなく終息した(まだ海の向こうを大陸に向けて進んでようだが我々にはもう関係ない。この先のコース、台風発生当初から気象庁とJTWC、スライスラインとフックラインにずっと拘り続けている)。明けて、今日、時々見せる青空はすでに秋の気配を漂わせている。考えてみたら、あと二月あまりするともうストーブの季節になるのだ。
最低気温 23.1 (05:34)、最高気温28.2 (13:18)
これもまた近々台風になるのだろう。
今朝の「熊本日日新聞」に今回の水害で破壊された願成就トンネルのレールの写真が載っていた。願成就トンネルは宮地駅と波野駅を結ぶ外輪を斜めに貫いているトンネルである。鉄砲水の土砂がトンネル内のレールを人為的に集めたわけでなく、まさにトコロテンのように押し出したのだろう、その破壊力にただただ驚くばかりである。
迷い犬二匹、飼い主が現れないとは言え、あくまで他人様の犬である、預っていて万一のことでもあるといけないので落ち着かない事夥しい。とうことで朝一番で保健所に電話をして引き取りに来てもらった。もしどうしても飼い主が見つからなければその時には改めて我が家に正式に来てもらうつもりでいる。娘が、今までボンが乱暴で近づけないでいたので、二匹が可愛くて仕方が無い風で、今朝も、散歩に連れて行ったり糞の始末や餌やりをしていた(写真1・写真2)。万一家で飼うことになったらお前は責任持って二匹の面倒を看るかと娘に聞いたところ、看る!と言っているが怪しいものである、結局最後は小生にしわ寄せが来そうである、円満に飼い主のところに戻るのが一番だと思うのだが。
保健所の係の人たち、熊本県の名前の入った車でみえたので、阿蘇保健所という機関は阿蘇市立なのかと思っていたがそうか県の管轄だったのだ。調べてみたら、政令指定都市や中核都市などは市立の保健所があり、ここのような自治体では県の管轄らしい、迷い犬を保護することでこういった知識も新たに得ることができた。
娘のクラスメートのU那ちゃんのところから、太郎が目を離した隙に一人で二階に上がったり下りたりしないように階段の上下二か所に、ベビーフェンスを借りていたが、最近一番下のおちびちゃんがもう階段を上るようになったということを聞いて、こりゃあイカン、すぐにお返ししなくてはと、今日、とりあえず、二組借りているうちの一組みを、小生の急ぎ働きで自作のフェンスを作って取り替えた。あと階段下の一組みは明日の予定にしている。このフェンスはベビーベットの頭(と足の)部分の板を使った、廃物利用である。因みにベッドの両脇の枠のうち、一つは、もう大分前からキッチンへの進入禁止のバリケードに生まれ変わっている。
娘の小学校のプール開放は今年は7月で終わりだそうで、これからだという8月はもう無いそうである(へんなの)、また夏の期間中はプールが混雑するためだろうか、プール教室も休講である。ということで、夕方、娘に付き合ってプールに行った、ついでに風呂に入ってきた。最近は水の中でクルリと回るターンの練習をしているそうである。小生は変則的なターンで、水中でクルリは出来ない、娘の泳法、以前に比べて随分上達している、もしかしたら自己流の小生より上手くなっているかもしれないと思ったが、まだもう少しだった、50mを20m近く先行させてちょうど同着くらいだ、それでも50mを楽々泳いでいる。
ZA-7H・・時間が無いなあ。
カミさんは今日は仕事が休みだった。
平成24年8月1(水)
朝、美しい虹が出ていた。台風10号、午後に入って、一応は強風圏には入っているのだろうか、思い出したように時々少し強い風が吹いて、これも同じく思い出したように雨が降っていたが、全く大したこともなく、午後5時を過ぎた頃には鹿児島の南、屋久島、種子島付近を東から西に向かって通過中で、こんな程度が後しばらく続くのかなと思っていたところ、市の防災無線がこれから風と雨がひどくなるので先日の水害の被災地域の住民はいつでも避難できるように注意するようにと言う放送があった。確かに、気象庁の予報では、同心円でこれからしばらくは同じような距離であるが、今までは山塊を越えてきていた風がこれからは海からまともに吹いてくることになるのかもしれない。一方JTWCの予報だとどんどん西方向に遠ざかっていくことになっているが・・・・
最低気温 19.9℃ (03:53)、最高気温25.3℃ (14:13)
二匹の迷い犬の処遇。飼い主が探しているといけないので情報をあげておこうと、市役所に相談の電話を掛けたところ、市民環境課が相談に乗ってくれた。保健所が管轄役所だそうで、連絡をすると向うから引き取りに来てくれるとのこと。そうなると処分されることになり可哀想だと言うと、里親などを探したりして、処分は(すぐには、だったかな)しないから安心してくださいとのことであった。それでは娘が可愛がっているようなので数日我が家で預って、それまでに飼い主が現れず、また手に負えなくなったら取りに来てもらいましょうと言うと、それではそのように保健所にも連絡をしておきましょうとのことであった(そして小生の留守中に保健所から実際に様子を見においでになったようで、後からその旨電話を頂戴した)。そんなことをいろいろ話しをしているうちに、担当の方は小生が毎朝ボンの散歩をしていることを御存知で、よくよく伺うと、馬場のI上さんとおっしゃる方であることが分かった、家業がブリーダーだと思うが同じく毎朝犬の散歩ですれ違って挨拶を交わす間柄?で、ボンが躾がなっていなくて飛びかかる恐れがあるので距離をおいて挨拶を交わしていたため、そして、ヘルメットで顔が分からなかったため今日までお顔を存知あげなかったが、なあんだ、ということになった。
その犬ども、雨が降るので、下屋の中に入れてあるが、この家のあるじであるボンが屋外の穴のあいた小屋に居て、居候が屋根つきの小屋で厚遇かと恨めしそうに(でもないか)、さかんに新参者を気にしていた。娘に、お前の希望で一時留め置いているのだからちゃんと面倒を見ろよと言ってあるので餌の世話などをしているようである。
今日の昼飯は、豚コマの竜田揚げ、それと、子ジャガイモの素揚げ、トマト、作り置きのポテトサラダ。
本日、JG1GMMと7MHzでSSBとCWでcomeback 1st QSO cfm。
e鴨氏が御自身の水没したトマトハウスの写真を送ってきた。画面中方右方向に数棟、頭部分のみを残して完全に水没している。