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平成24壬辰(2012)年 9月の記録(新しい日付けの順)


平成24年9月30(日)

 台風17号、予想したように、ここでは全くと言っていいほど影響は無かった。日記を書いている時分(午後6時)、これから日本に本格上陸しようかという時に、コースにあたるところでは不安で重苦しい夜を迎えようとしている時に、ここではもう過去のこととして書いている、夕日が雲を赤く染めている
    最低気温 16.9℃ (05:09)、最高気温 18.8℃ (11:28)

 台風の時に常々思う、(民放は知らないが)NHKの台風に進路に関して日本語の使い方がオカシイ。熱低が台風になってまだ進路が定まらずフラフラしているのとは違って真っすぐ日本に向かってスピードを速めて、どうみても上陸することがわかっているのにもかかわらず、陸地直前まで来ていながら、それでも放送は「上陸する恐れがある」と言う。気圧配置や偏西風などの気象状況から、そして現代の予報技術からここまでくれば絶対にと言っていいほどそんなことは起こり得ないだろうと分かっているにもかかわらず「上陸する恐れがある」と言い張る。「絶対に上陸する」とは言えないまでも、「上陸するとみられます」、「まもなく上陸するでしょう」、「上陸する公算大でしょう」とどうして言わないのか、本当に注意を喚起する気持ちがあるのなら、正しい日本語とはそんなものだろう、事勿れ主義も極まれりである。

 北海道のおーさんと掲示板で食い物のことを話題にしているうちに、そうか北海道と言えばジンギスカンだなと急に食べたくなって、北海道から通販でジンギスカンセットを取り寄せた。ジンギスカン専用の鍋があるようで今回はそれも一緒のセットだ。当初の予定では秋空の下、外で家族でジンギスカンパーティーでもやるかと思っていが、天候不良につき室内でやった。太郎は初めて、夏子は確か二度目(でも覚えていないだろう)、ちょっと独特なニオイがな、どうだろうかなと思って眺めていたが、太郎のヤツ、にく!にく!と言ってパクパク驚くほどたくさん美味そうに食っていた。どこの店でも秘伝のたれとかで色々工夫がしてあって全然臭いが無かった。

 以前にも書いたことがあるが、ここは畜産の地でありながら、牧野で羊は全くと言っていいほど見ない。マトンやラムはどこにも売っていない。小生の知る限りバーベキューをやっている店でもジンギスカンは無い。阿蘇と言えばアカ牛ばかりを目玉にしているが、広い草原でのジンギスカン、もっと選択肢があっても良さそうだと思うが、食文化の違いと言ってしまえばそれまでだが。どこかでやらないかな、きっと当たるぞ。(馬刺しがこちらではスーバーで他の肉と同じように普通に売っているのに北海道(に限らずほとんどの他府県)には無いのと同じか。北海道では羊の肉は他の肉と比べて価格的にどういう位置づけなのだろうか。


平成24年9月29(土)

 朝からこまかな雨が降っていた。やはり昨日草を燃やしておいて正解だった。
    最低気温 15.5℃ (10:15)、最高気温 17.6℃ (00:00)

 台風17号、スピードを速めながら予定のコースを進んでいる、このあたりでは特に東側を通る場合は恐らく経験的に何事も起こらないと思う、精々、裏に置いてあるペットボトルが入ったゴミ袋が風で飛ぶかな、くらいだが、これも飛ばないだろう。気象庁 JTWC   これからもまだまだ台風が発生しそうだ

 カミさん仕事、太郎半日保育。

 先日、台風余波の強風で倒伏した坂梨小学校グラウンド脇にあった樹齢100年以上を経たプラタナスの古木、今朝、森林組合によって撤去作業が行われた。ちょうど太郎を保育園に送る時に目にしたので写真を撮っておいた。学校からのメールで台風の接近もあるのでこどもたちを校内に立ち入らせないようとの注意が届いていたが、娘を連れて写真を撮って帰った後に気がついた、保護者同伴だから問題ないだろう。ところで撤去されたこの幹、何かに利用されるだろうか。(写真1写真2写真3

 宮崎のじっちゃいが熊本で定期的に治療を受けていて、年一回の今回のクールで昨夜病院泊り、その帰りに寄ってくれた。最近は自分の山の開墾などで体をいじめているようで元気いっぱい、見るからに顔が輝いていた。自家で飼っている蚕で作った団扇を頂戴した(正確には蚕が作った、かな)。シルク100%である、娘に蚕のことをyoutubeの動画などを交えて教えてやったが、驚いていた。



平成24年9月28(金)

 美しい秋空が広がる。
     最低気温 11.8℃ (06:39)、最高気温 26.3℃ (14:21)

 ヘタ虫防除がほとんど失敗して、9割方途中で落ちてしまった我家の柿、それでも少しは落ちずに熟れていた、小さいが甘い。

 馬場八幡宮秋季例大祭が斎行された。拝殿での神事に続き、神輿の宮出しが行われて、坂梨地区を神幸行列が練り歩いた。例年の祭りでは各町内の山車や子供神輿が神幸行列に加わって賑やかに華やかに巡行するのだが、今年は、7.12豪雨災害で坂梨地区で多くの尊い人命が失われ家屋が土砂に流されるなどの大きな被害を受けたので、災害復興などの祈りを込めて神幸行列、宮神輿の渡御のみが行われた。カメラを構えるとファインダーにたびたび災害現場が映り、今回の災害の大きさを改めて再確認させられた。

 いつもなら、境内で小学生の虎舞や保育園児の鼓笛隊の奉納があり、保護者などが沢山集まって大賑わいになるのだが、今回は厳粛な神事にみとなった。それでも、並行して行われた奉納相撲には坂梨小学校の上級生が参加した。この祭礼の開始に併せて行われる相撲は、あくまで神事として扱われ。午後、神幸行列が戻ってきてからは、これとは別にこどもたちの自由参加で取組が行われ、勝ち負けに応じてお小遣いも貰える。娘も相撲に出て勝ち星賞金を得たが、帰ってきて言うには、途中で落としてしまった、そうだ。せっかく勝ったのにオマエまぬけだねえ、というと、うんそうだねえと言っていた。相撲は延々と続いているようだったので、午後3時頃、小生は早々に切り上げて帰ってきたが、今日は一日中行列についてまわって先まわりのために走ったり歩いたりしたので、膝が痛くなった。今まで経験が無いので分からなかったが、よく人が膝が痛くてねえ、という膝痛はこういう痛さを言うのだろうか。ああ、それに、そうだ、小生は風邪をひいていたのだった、忘れていた。

 今回はそんなわけで、路上で神幸行列を迎える人も少なくてちょっとさみしい行列だったが、坂梨小学校前では、下校をちょっと待って全員で行列を迎えてくれて、同時に保育園の園児たちも全員が行列見物に出てくれていた。

 以下は例によって百「文」は一見に如かずで、写真で様子を伝える。

馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 1/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 2/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 3/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 4/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 5/17

馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 6/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 7/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 8/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 9/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 10/17

馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 11/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 12/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 13/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 14/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 15/17

馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 16/17
馬場八幡宮 秋季例大祭 神幸行列 連続写真 17/17


  帰宅後、隣りの田のロール巻が終わっていたので、夕方近くから畑の草を娘と二人で燃やした(写真1写真2)。明日になれば台風の余波で風が少し出るかもしれないし、雨もあるかもしれないので、タイミング的には今日燃やしておいて正解だったと思う。

 その台風17号、気象庁JTWCの予想コース、ほぼ一致してきたようだ。来るのが分かっていて待つ気分、進路にあたるところではなんともいえない重苦しい気分だろうと思う。


平成24年9月27(木)

 今日も穏やかに晴れる。
   最低気温 12.0℃ (06:11)、最高気温 26.8℃ (14:29)

 台風17号、ほぼこのコースで決まりだろうか、これだと東日本縦断のコースになりそうだが、だいたいいつも予想よりは右にぶれることが多いようなので、それに期待するしかないか、それと勢力が少しでも弱まることか、まあ、こちらでやきもきしても仕方が無いことだが。以前、勘違いしていたようだ、やはり「猛烈な」の方が「非常に強い」より大きいようだ。気象庁JTWC

 昼飯を食っている時にe鴨氏から電話。氏は水害でトマトハウスが全滅して、現在、水害の後始末の産廃の運搬のアルバイトをしている。良かったら、トラックに一緒に乗って、産廃処理の実際を見てみるかとの誘いだった。今日は昼から、草でも燃やそうかと思っていたが、迷わず誘いに乗った。

 仕事の内容は、小生もトラックで運んだことがある、畜協跡地に堆積してある土砂などの中から、産廃になるものをダンプに積んで菊池渓谷を下ったところにある産廃処理場まで運ぶのである。

 今までは大型ダンプだったが、今日は小さなダンプになったそうで、運転が随分楽になったと言っていた。途中、ずっと大型ダンプが走るには狭い道が続き離合で本当に神経を使ていたそうである。

 畜協跡から産廃処理場まで片道ちょうど一時間の道のり 、生ゴミなどからバイオガスなどを抽出する大きなプラントなどもあり環境保全には相当に力を入れている立派な処理場のようであった(写真はごく一部)。いい経験になった

 寝込むことは無いがなんだか風邪が本格化してきたなあ。


平成24年9月26(水)

 晴れ。今日は気温が上がり(というほど記録を見ると高くは無かったが)窓を開けていても吹き込む風が気持ちが良かった。
    最低気温 13.8℃ (06:40)、最高気温 25.2℃ (14:22)

 娘はまだ胸がヒューヒュー言っているのでカミさんが学校休んだら?と言ったが行くと言うのでカミさんが車で送って行った。弟の方は、相変わらずハスキーボイスで鼻水を垂らしているが、熱もなく元気なので保育園にやった。保育園ではアンコール運動会?こどもたちだけで運動会のいくつかのプログラムをやったようで、園から帰ってからも、ディズニーNo1体操をお姉ちゃんと踊っていた。小生は喉が痛い。

 台風17号、我が気象庁の台風進路予想、肝心の台湾あたりから先の方向性が一向に示されず焼きもきしていたがようやく発表された、やはりもう秋台風なのだ、ほとんど動かない状態から大きく面舵いっぱい、大回頭だ、既にこれよりかなり早くからJTWCの予想が出ていたので、そんなには違わないだろうとは思っていたが、やはり両者が同じように大きく右にカーブを切る予想をだしてくれたので信じても良さそうだ。これで九州は大丈夫そうだが、沖縄が大変だろうな、そしてその先も。それにしても、今回の予想、標記がJSTとUTCの違いがあってちょっと分かりにくいが、日本とアメリカと速度の予想が随分違っている、そんなに読みにくい台風なのだろうか。

 午後、e鴨氏が御入来、仕事は?と訊くと、今日は稲刈りだったので仕事は休んだとのこと。いつもならば自らコンバインを運転するのだが、自分のコンバインが先の水害で水に浸かり使えなくなったので、JAに稲刈りを頼んだのだそうだが、水害で流木がかなり田に入っていて、稲に隠れてコンバインから見えないので、露払いとして障害になる流木などを探しながらコンバインの前をずっと歩きづめだったのでくたびれたあ、と言っていた。最近の農業は機械化されてあまり肉体的労働が少ないので昔の農作業を思い出したと言っていた。

 小生は夕方近く、入り口わきの畑地の草を燃やして仕事をしたことにした。本当は南側の畑の草を燃やしたかったのだが、すぐ隣の田に稲刈りが済んでロールにするために乾燥中の稲藁が沢山ある、もしそれに火が入るといけないのでちょっと躊躇した。でも、明日には燃やそうか。

 先日作ったアジの南蛮漬け、その後、夕食の献立が南蛮漬けに合わなかったり、遠くの病院に行ったために出先で食事を済ませたりで、家族が食べる機会がないあいだに、結局小生一人で全部食べてしまったようで、娘たちが食べたいというので、今日の昼、また30匹分作ってやった。色どりに的に入れるタマネギやニンジンがタレに馴染んでそれ自体がサラダのように美味しいので今日はたくさんスライスタマネギや千切りニンジン、それと忘れずにピーマンも入れた。小生は揚げながら、余ったコンロで先日の豚肉の残りをソテーにして昼飯を食った。

 安倍晋三クンが再び自民党総裁になった、今度はお腹を壊さないで日本のためにしっかりやってくれよ(はるかに後輩にあたるからクン付けで良いだろう)。民主党のあの政治を見てきたので非常に新鮮に感じるが、野党に落ちて学んだことを忘れるなよ、ちょっと気が早いか。


平成24年9月25(火)

 晴れ。ここのところ、蛇口をひねった瞬間、水が暖かいので「温水」の方にレバーがまわっているのかなと思うがそうではない、水道の水が温かく感じられるようになっているのである、我が地の水道は湧水なのでほぼ年間同じ水温だから外気がそれだけ下がったと言うことなのだ。今朝の阿蘇山の表情・・写真1写真2写真3
    最低気温 12.7℃ (04:32)、最高気温 24.1℃ (13:37)

 気象庁の予報ではまだそこまで分からないが、JTWCの予報ではそろそろ秋台風のコースをとりはじめたということだろうか、そうであれば九州地方に来る心配はかなり減るのだが。

 姉は今日は病欠、弟は相変わらず咳と鼻水とハスキーボイスながら元気に保育園に行ったが、元気だが保育園からのアドバイスで早めに退けて古閑医院で薬を貰ってくる。小生もちょっと喉が痛いなあ。

 娘は学校を休んだが、足のウイルス性のイボの治療で今日は仕事が休みの母親に連れられて熊本市武蔵丘の皮膚科に出掛ける。

 阿蘇(日本ジオパーク)の世界ジオパーク(GNN)への認定がまた保留になったそうである。
 ジオパークとは「地球科学的に見て重要な特徴を複数有するだけでなく、その他の自然遺産や文化遺産を有する地域が、それらの様々な遺産を有機的に結びつけて保全や教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組み。」とwikipediaにはある、せっかくの自然遺産を持ちながら、「有機的に・・・」という部分に欠けるのだろう、なんとなくだが普段見ていて宜なるかなという気がする。

 秋ミョウガが出ていた。少し前、見たが出ていなかったので、今年はいつの間にかもう終わったのなと思っていたが、ミョウガは雑草のごとく敷地内をぐるりと生えているが、どうも出る場所と出ない場所があるようで、今朝偶然見た場所にはミョウガが沢山顔を出していた、日当たりが影響しているのであろうか。



平成24年9月24(月)

 雲が少し多かったが、穏やかで静かな初秋の一日だった。今朝も11℃台まで下がった。
    最低気温 11.9℃ (06:11)、最高気温 21.5℃ (13:54)

 台風17号、結局こちらに向かってくるようだが、明日になるともう少しハッキリした方向性が掴めるだろうか、そうこう言っているうちに今度は台風18号が発生している、これは日本には来ないようである。

 今日は交通指導の当番日で、娘朝少し胸がヒューヒュー言うので、立ち番をする場所まで娘を乗せて行き、後から来た登校班と一緒に登校させる

 そして、午後1時過ぎに娘が熱があるので迎えに来いという学校から電話があり、連れ帰り、そのまま古閑医院へ(水害被災で仮診療所)。学校で検温した時に38℃近くあったようだが、診察前に測った時にはほぼ平熱、少しヒュウヒュウ言うというので、ネブライザーをやってもらって薬を貰って帰って来たが、あまり調子は良くなさそうである。一方、弟の方も咳や鼻水が出て声はハスキー気味で、朝、ちょっと心配だったが、今日は無事に保育園から帰ってきた。

 昼、小アジの南蛮漬けを作る。小生としては自分が食べる分だけ作れば良いので10匹もあれば十分なのだが、30匹近く入ったものしかなかったので、ちょっと時間がかかったが全部調理した 。160度で10分(備忘録である、160度くらいでじっくり揚げると書いてあるが、そんな定性的な表現では分からないので、今回の経験で10分くらいだなということに落ち着いた)。ピーマンが無かったので色彩的には緑色が欠けたが、味は我ながら非常に上手く出来た


平成24年9月23(日)

 昨夜は結構長時間雨音がしていたが一夜明けて、雨もすっかりあがり一日中穏やかな秋空が広がっていた、なんだかここ数日で急に日射しが軟らかくなってもうひと頃のような強烈な日射しでは無くなった。
     最低気温 13.0℃ (00:00)、最高気温 24.0℃ (13:34)

 台風17号、やっぱり来るのか

 (昨日の朝の散歩の時に分かったことだがカメラを携帯していなかったので今日の日記に書いている)裏の豆札川に掛かる橋際から南(阿蘇山方向)に川沿いに延びる道の分岐点が7.12水害でゴッソリ削られて、以来通行不能になっていた(歩いてなら無理すれば渡れていた)が、ようやく応急修復が成って、通られるようになった。それまではひん曲がって行く手を塞ぐガードレールやえぐれて落ち込んだ道路を苦労しながら渡ってボンの散歩をしていたが、とりあえずは土を入れて均しただけだが元通りの道になっていた、この道、もともと舗装をしていないので農作業の時期を除いて普段ほとんど人は通らず専ら小生専用の道のようなものである。(写真1写真2写真3)・・・・・(復旧前の写真1写真2)。しかし橋の反対側から逆に北に向かう(古城外輪方面)川沿いの道はこれはこの辺りの基幹農道だがまだ全く手つかずである、こちらの方が破壊の度合いが大きい。(7/15被災直後の連続写真アリ)

 朝一番で靖昭さんが今年の免田の米を持ってきてくれた。阿蘇は今年は不作だということだが、聞いてみると免田も米も確かに昨年と比べて収量が落ちているそうである、そのうえ、水害で全滅した田もあり、阿蘇に限って言えば、収量がかなり落ちているのだろう。

 村の竜一さんが柿の木を伐ったというのでちょっと寄ってもっらってきた。

 ここのところ何かと行事続きだったが、今日は家族全員ノンビリ休養日になった、ただ姉弟ちょっと鼻をグスグス言わせている。



平成24年9月22(土) 秋分の日(秋季皇霊祭)

 今朝はとうとう11℃台まで下がる。この勢いで行けば10℃を割るのも時間の問題だ、そろそろストーブの整備を急がなくてはならないだろうか、でも、そうは下がり続けないだろう。
   最高気温 19.4℃ (12:19)、最低気温 11.8℃ (06:27・・・夜になってまた気温が下がってきているこの温度、更新するかもしれない)

 台風17号、なんとなくこちらには来ないで済みそうな雰囲気ではある。いやいやこれから先が問題なのだ。

 しかし今日は穏やかな運動会日和。とこれはもう誰もが確信していた。ところが、何気なく聞いていた天気予報、午後から雨と言う。この空でそんなこと無いだろうと思っていたところ、予報どおり、昼近くになって空模様が怪しくなってポツリポツリと来始めた。

 そんなわけで、坂梨保育園の運動会、極めて順調に消化していったプログラムを昼近くなって急遽、午後からのプログラムを一部組み替えて午前中に持ってきたりなどして、少し降られはしたがなんとか無事に全プログラムを終了。先生方や保護者役員の皆さんはさぞかし気を揉まれたことだろう。運動会終了後のテントの片づけは明日に延期して、午後2時半ころ解散となったが、邪気の無い幼い子たちの演技は本当に理屈抜きで楽しいものである。

 ところで、期待の我が息子。この春の浄土寺牧の遠足でのかけっこでは、母親にしがみついて本番に弱いところを露呈してしまったが、今日はどうだろうと思って心配しながら見ていたが、競技開始直後のかけっこでは、元気よく先頭を走りぬいて、おお、今日は絶好調だなあと親を安心させた、のもつかの間、次の出番の母親と一緒の買い物競争では、全く走路無視、手順無視、迷走、暴走、母親の制御不能、場内の笑いは大いに取ったが、この傍若無人言語道断の振る舞いに親としてはあきれ果ててしまった。さらにその後の、これも同じ母親との集団遊戯でもいささか暴走気味、先生が見かねてトラックの中央で先生方だけで作っている踊りの輪に母親と太郎を引き入れてくれて演技を続けたところ、この輪では大人しく音楽に合わせて先生方と一緒に踊っていた、一体どういうこっちゃ、皆さんには本当に迷惑をおかけしてしまった。この調子ではこの先が思いやられる、小学校に上がったら授業放棄をやりかねないねとカミさんと苦笑する。

 その他は例によって、百「文」は一見に如かずである。写真で運動会の様子を綴る(メモリがいっぱいになってフィナーレ近くの様子を記録に残すことが出来なかった)。

 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (1/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (2/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (3/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (4/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (5/25)

 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (6/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (7/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (8/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (9/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (10/25)

 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (11/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (12/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (13/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (14/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (15/25)

 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (16/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (17/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (18/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (19/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (20/25)

 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (21/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (22/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (23/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (10枚) (24/25)
 坂梨保育園 運動会 連続写真 (11枚) (25/25)


平成24年9月21(金)

 晴れ。今朝更に気温が12度台にまで下がった、思わず、おーい、ベストを出してくれと言って着込んでしまったほどだ。朝、霧が出ていたのでもしかしたら雲海が見られたかもしれない。我家のすぐ裏の田、稲刈りが終わって、田の中にかなりの流木の残骸があるのが分かった、すぐ近くまで水が来ていたのだ。
     最低気温 12.6℃ (06:30)、最高気温 22.6℃ (13:40)

 また台風のヤツが・・・・・秋になると偏西風がぐっと南寄りになって、太平洋高気圧が弱くなって、といわゆる秋台風になるはずだが、それはもっと先のことか?

 午後三時半から、明日の保育園の運動会のテント張りなどの会場設営に出掛ける。後からカミさんと娘も手伝いにやってきた。

運動会準備連続写真

 時系列的に後先になったが、今日は昼、独りトンカツを揚げて食った

 我家では最近は牛肉を食べる頻度が昔に比べて減っている、その一番は牛肉は他の肉に比べて高いからだが、それもあって、他の肉を食べるようになって、改めてそればかりが原因では無くなってきた、牛肉以外の肉を見なおしてきたのである。

 トンカツと牛カツ、トンカツの方が美味いだろう。ショウガ焼き、牛肉でなくて豚肉だろう。唐揚げは牛でなくてやっぱり鶏だろう。ステーキは、これは牛だが、最近はすき焼きにも鶏を見なおしている。そして、地球上には牛肉より豚や鶏、あるいは羊の方を好むという民族も多くいるのだ(人口比からいうと牛肉より多いだろう)。

 何かで読んだのだが、地球的規模で貧困が改善されて今より暮らしが楽になると、世界的な食糧難になる。食糧難になる原因の一つに人口増加があるが(実際には豊かになるにつれて人口は減少傾向にあるのだが)、別の理由の一つに、人々の暮らしが楽になるにしたがって、それまで貧しくて食べられなかった牛肉の消費量が増えるので、牛を育てる飼料の穀物が足らなくなるからだと言うのである。牛は他の食用家畜に比べて成長期間が非常に長くて穀物飼料の消費が圧倒的に多いらしい。だから人間が食べる穀物が牛にまわって食糧難になるというのである。しかしその本によると、牛肉を食べないのは別に食べられないから、貧しいからでなくて食文化の違いが大きく原因しているというのである。

 中国では歴史的に食肉というと豚肉である、インドでは鳥肉(タンドリー)である、圧倒的に人口が多いそれらの国の牛肉の消費量は経済発展に伴って確かに増えてはいるが、経済成長ほどではない、つまり、豊かになってもその民族が好んで食べる肉と言うのは基本的には変らないというのである。日本でも魚をたくさん食べる伝統的食文化がある、決して牛肉が食べられないからではない、それだけ食文化が豊かなのである。

 経済的に豊かになるにつれて食糧難になるという予測データは牛肉を基準に置くのは欧米的な感覚で、これは欧米の特にアメリカの傲慢さからくるのである、なんでもアメリカの価値観が世界の価値観ではないというのである、この価値観の相違は牛肉に限った事でなくて他にもいくつもある。もしかしたらイスラム圏との確執もそういった価値観の押しつけに原因の一つがあるのかもしれない。日本人がクジラを食べるのも遥かに長い歴史に基づく食文化なのだ、牛肉しか肉をしらない欧米人には捕鯨反対などと言って欲しくないのである。

 ついでに、これはアメリカの価値観の話しとはちょっと違うかもしれないが、オスプレーの配備の事、沖縄配備については、これは気の毒としか言いようが無いが、少し前までは仮想敵国はソ連だったが、今は、間違いなく中国(そして北朝鮮、最近では韓国もそうなりつつあるのか)だろう、そしてもし(というより、極めて高い確率でやりかねないが)中国がチベットでやったように切り取り強盗のように日本に攻めてくるようなことにでもなれば地政学上、米軍基地がある無しに係わらず最初に狙われるのは沖縄になることは間違いないだろう。そういったことを前提にした場合、オスプレーを配備することで起きるかもしれない事故の確率と、特に今、配備することによって得られる安全保障上の利益(配備しないことによって生じるであろう不利益)、こういう比較で世の中論議されているのだろうか。安全対策には万全の手立てをしてほしいのは当然のことだが、なによりアメリカが自国の将兵を乗せて運ぶ飛行機にはその安全性には可能な限りの配慮をしているはずだ、日本の空を飛ばすのだからこの程度で良いなどとは決して思っていないだろう、絶対に安全などと言うものは世の中にあり得ない、どの程度なら許容範囲なのか、新聞はそこまで掘り下げて記事にしているか、ただ、反対する人たちに便乗して大騒ぎしているのではないのか。それでは大衆を煽動して反日デモをさせている中国政府と同じではないか。

 それと、これは小さな声でいうのだが、オスプレーという新しい飛行機、ワサモンのメカ好きの小生、是非実物を見てみたいと思っている、阿蘇上空が訓練飛行コースになっているようなことを聞いたが反対運動でそれは無くなったのだろうか(以上、オスプレーがらみの記述部分、あくまで小生の心の内をちょと書いたまでで公開討論をするつもりは全くないので、オイ、オマエそれは違うだろうと思われても、掲示板には書かないでいただきたい、収拾がつかなくなるので)。

 因みに今日の小生の買い物、豚ロース3切れ357円、これだけだと買いにくいので、ついでにバナナ一房、これで188円、どれもこれも安いなあ、少しでも儲けはあるのだろうか、これはコストダウンの成果なのかデフレの影響か(モノの値段が下がるのを総てデフレだと思っている人がいるが、デフレによるものとコストダウンによるものは全く別物なのだ)。

 昼、トンカツを揚げて食うのにも漫然と食うのでなくてこれだけの問題意識も持って食うのである。というのは屁理屈で、そう言えば婆様が作るトンカツはウマかったなあ、昔まだ向うに居る時、親戚の連中が和子おばちゃんのトンカツとポテトサラダが食べたいとよく押しかけてきていた、婆様自身トンカツが好きで、私が死んだら仏壇にトンカツを供えれくれ、とよく言っていたものだ。

 昔、和文タイプライターで一文字一文字活字を拾って打っていた時代、ああ、タイプライターはアルファベットの国の文化だなと思っていたが、人間の知恵は大したもので、今や日本語でもCPUの高速化と日本語変換機能の進歩のおかげで、手で書くよりは何倍も早く作文が出来るようになった、おかげで長駄文ばかりだが。そうなると、一方で如何に短く、という欲求も生まれてきて、対極にある短歌や俳句が素晴らしいと思えてくる。が難しい。



平成24年9月20(木)

 晴れ。今朝また一段と気温が下がった、少し前までの強烈な日射しがウソのようである。我家の入り口の残っていた稲刈りが終わった、村の田(免田)も貴之さんがコンバインを運転していた
   最低気温 13.7℃ (06:40)、最高気温 21.2℃ (11:24)

 屋外作業に適した気温になったのでジャングル化しつつある畑などの草刈りをした。9時過ぎから午後3時ころまで目いっぱい刈払機を振りまわした。途中で、上村さんから、自宅敷地内に乾燥した檜があるけど片づけたいが要るかと電話が入ったので、草刈りを中断して二往復して運んだ。

 草刈りの途中、ミツバチのライブカメラの装置に刈払機のナイロン刃を当てたところ、ポリタンクで作ったケースが劣化していたようで、パリッと割れてしまったので、装置一式を撤去した。一旦撤去してしまうと再開が億劫になるので当分の間、ハチも居ないので休止だな(と言うまでもなくずっと休止中だったのでこのまま永久に休止になるか)。

 薪材を運んできて置き場にトラックから蹴落としている時、ふと傍に目をやるとピンポン玉くらいの大きさの実をたくさん付けた棘のある木がある。すぐ近くには今実を付けているカボスがあるが、このカボスよりずっと小さく、肌が滑らかである。割ってみて恐る恐る舌先をつけてみると酸っぱい、種のつき方も確かに「ミカン」である。この柑橘系の実は何だろう、スダチかなと思ってネットで見たがスダチは肌がこんなに滑らかではない。色々調べてみたがこれはどうもカラタチの実ではないだろうか、カラタチにはこんな実がなるのだ、秋刀魚にたらしたりして使えないだろうかと思って調べてみると、どうも漢方薬にしたり、果実酒にしたりするようだが食材にはならないようだ、敷地内にありながら今まで全く気がつかなかった、白い白い花が咲くのだったな、今まで気がつかなかったなあ。
 
 ついでながら、阿蘇町の方に「枳」という地域がある、ここに来た当初、何と読むのだろうと思ったこともあったが、カラタチと読むのだそうだ。
(追記)阿蘇坊主殿と小生の掲示板の遣り取りを読んだ麻理子さんから、阿蘇町の「枳」の地名自体、カラタチでなくてゲズと読むのよ、と教えてもらった

 そもそも小生がカラタチと読んだ始まりは、国道沿いに「枳」という名前の食堂があって、カナが振ってあり、カラタチとあった。その後、あのあたりの地名を枳と知って、ああ、カラタチと言う地名なんだなあと今まで思っていたのだが、ゲズかあ、地名のことを挙げるとキリが無くなるが全国には本当に珍しい読み方をする地名が多くあるなあ。

 更についでながら、最近首都圏のスーパーで、秋刀魚の頭を落として、のみならずハラワタまで抜いて売っている店があるというようなことをラジオで言っていた。最近の若い人がハラワタを嫌がるそうである。バカコケである、さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか、だろうが、はらわたも一緒に食ってサンマだろうが、とひとり憤る。しかしながら今では我家で秋刀魚のハラワタまで食うのは小生だけである。

 遥か昔、こどものころ、佐藤春夫の詩を父親から教えてもらって、というか、サンマが食卓にのぼるたびによく父親がこの詩を口にしていたので自然に覚えたのだが、非常に懐かしい思い出である。一番覚えている一節は、「さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか」である。
    秋刀魚の歌   佐藤春夫
 
 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ
 ━ 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて
 思いにふける と。

 さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
 さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
 そのならひをあやしみなつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
 あはれ、人に捨てられんとする人妻と
 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
 愛うすき父を持ちし女の児は
 小さき箸をあやつりなやみつつ
 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 あはれ
 秋風よ
 汝(なれ)こそは見つらめ
 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
 いかに
 秋風よ
 いとせめて
 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ、
 夫を失はざりし妻と
 父を失はざりし幼児とに伝えてよ
 ━ 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて、
 涙をながす、と。

 さんま、さんま、
 さんま苦いか塩っぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ
 げにそは問はまほしくをかし。

 一日中、刈払機を振りまわしたので、体が汚れて、腕が棒のようになったので(足が棒のようにとは言うが、腕が、とは言わないか、それを言うなら、腕が鉛のように重くか)、風呂にでも入りに行くかと、アゼリアに行ったが、せっかく来たのだからちょっと泳いでクールダウンしてから風呂に入ろうと泳ぎ始めたが、どうせ泳ぐならフルコースにするかと、結局2000m泳いでから温泉に入って帰ってきた。65.4。

 ああ、今日は体をちょっとイジメ過ぎたかなあ。


平成24年9月19(水)

 朝5時前に下着姿で新聞を取りに玄関ドアを開けたところ思わず、「寒む」と言いそうになった。まだそんな気温ではないのだが、ひと頃に比べて急に気温が低くなってきているので体が思わず反応してしまったのだ。もう今日からお彼岸だ、草を刈って芽が出やすいようにしてやった道端の彼岸花がタイミング良く咲いている。
    最低気温 16.9℃ (03:14)、最高気温 23.2℃ (13:03)

ここしばらくは天気が安定するそうだが、今日の清々しい秋空の一方で、想像できないが東日本では天気が悪いらしい、我家のグルリも今日ほとんど稲刈りが終わった

 プールの帰りにちょっと遠回りをして旧阿蘇町の図書館(現在は市立)へ。読みかけの時系列的、シリーズ的な海堂尊のバチスタものの一冊だけがこちら(一の宮町)の図書館で現在借り出されていて無かったので、こちら経由で取り寄せることは可能だが時間がかかるので、直接行った方が早いだろうと思った次第。ついでに新刊モノなども借りてきた。返却は何処でも良いので便利である。図書館に行くと小生くらいの年代の人が何冊も借りて行くので、本が一番安上がりの娯楽の(そして教養にも)手段なんだなあと感じる。図書館では一度に期間2週間限度で10冊まで借りられる、読み切れなければ延長してくれる(なかには期限が切れても借りっぱなしの人もいるが別にペナルティは無い)。考えてみたら図書館という存在、本来なら本屋で買求めるものを無料で借りられるわけだから、作家の、そして書店の営業を妨害することにはならにのだろうか、これは問題にならないのだろうか。そう言えば、図書館には劇場用映画のDVDもふんだんにあるなあ。

 本を読んでいるとついつい屋外作業が億劫になってしまって、今日も草刈りやらなかったなあ・・・・

 プール、2000m、65.2。


平成24年9月18(火)

 台風去って、雲があるものの気持ちの良い秋空が広がる、刈り入れを待つ稲穂が一面に黄色く輝いている、今週は一気に稲刈りが進むだろう、そして気温が急に低くなった、夕方になるにつれてTシャツ一枚では寒くて家中の窓を閉めてまわったくらいだ。考えたらもう間もなくお彼岸だ、暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったものである。
    最低気温 18.5℃ (04:48)、最高気温 23.7℃ (13:30)

 昨日の台風で坂梨小学校のグラウンド脇に昔からある四本のプラタナスの一本が倒れた。そう言えば、運動会の準備の際に万国旗を結び付ける場所を探している時に誰かが、(連理様に立っている)プラタナスの二本の木の根元付近に亀裂が入っているねえ、という話しをしていたような気がするが、その時はそのまま聞き流していた、今にして思えば古い亀裂のことを言っていたのではなくて新しい亀裂が出来ていたのだろうか、倒れた根元を見ると腐っていた、今回の台風16号の風は巨木を倒すほどの強い風ではなかったので、いつ倒れてもおかしくない状態にあったのかもしれない、これが運動会開催中だったらとんでもない大事故につながるところであった、大事に至らなくて本当に良かった。小生は坂梨小学校の卒業生ではないが、坂梨のほとんどの人が卒業生である、小生の父や叔父・叔母たちも卒業している、そして今、娘が在学中である、100年以上の長きにわたってこどもたちと一緒に歩んできたこのプラタナスには皆それぞれに思い出があるだろう。今回の豪雨災害といい、なんだかここのところ加速度的に坂梨が消えていくような感傷的な気分になる。

 プラタナス倒伏連続写真

 久しぶりにプールへ、そして久しぶりに2000m泳ぐ、泳いだ後、全身に気だるい疲労感が残る、これが良いのだろう。暫くサボっている間に体重が3キロ増えていた、でもまだ腹は出ていないがこれがギリギリ限度だろう。65.1。

 カミさん仕事休み、太郎が何かの拍子にすするように鼻から強く息を吸うと痛いらしく夜中に時々「イタイ」と言って泣くので、保育園を午後から休んで、内牧にある温泉病院の耳鼻科に連れていった。更に、夏子が少し前から足の親指の腹にウオノメが出来て歩くと痛いというので、運動会も終わり一段落したので、太郎の耳鼻科の後、そのまま学校が退けるのを待って、今度は菊陽方面の皮膚科まで病院のハシゴで連れていった(近くに皮膚科が無い)。娘たち、夜9時を過ぎて帰ってきた。ウオノメではなくて、ウイルス性のイボだとのこと、こどものウオノメは大体がウイルス性のイボらしい。我が家では小生を除いてひたすら医療財政を圧迫しているなあ、その分、小生が健康で居続けて、バランスを取らなければなるまいて。


平成24年9月17(月)敬老の日

 今回の台風16号、2004年の台風18号(H16/9/7)と同じようなコースをとっていたが、18号の時のように九州北部方向に大きく右カーブしないで真っすぐ朝鮮半島に進んでくれて本当に良かった、言い方に語弊があるなら、こちらに来なくて本当に良かった(同じことだけどね)。台風18号の時の恐怖が染みついていて、緊張していたが、幸いに、本当に幸いにほとんど風もなく無事に通過してくれた(暴風域からは外れていた)。一番近いところを通過後、昼過ぎて朝鮮半島に達したあたりからちょっと吹きかえしが強かったが、それも14m止まり、稲も全く倒伏していなかった。無意識のうちに凝り固まっていた肩の筋肉がようやくほぐれた。非常に強い台風だったが、今回のコースであれば、この程度の風で済むという前例になるのだろうか、ほんのちょっとした気象条件の違いで大きく変るのでそう言いきれないかもしれないが良い経験になった。
  最高気温 27.5℃ (14:47)、最低気温 22.7℃ (17:29暫定値だろうか)

 65歳以上を高齢者と言うそうだから、小生も敬老の日に祝われる側にあるのかなあ。市では高齢者(市の高齢者規定は70歳だったかな75歳だったかな)に対して少額ながらお祝いの補助金が出るので、村では該当の7名のお年寄りにお茶と紅白の饅頭を届けて長寿を祝った(例年であれば村の集会所で敬老のお祝い会をするところであるが、今年は水害の影響で中止になった)。

 今日もカミさん仕事、昼にこどもたちに、娘のリクエストで海鮮具(エビ、ホタテ、イカ)もしっかり入れて本格ちゃんぽんを作ってやった。太郎は昼飯時に昼寝をしてしまってかなり遅い昼食になってしまった。

 「147ヘルツの警鐘 法医昆虫学捜査官」、図書館から借りてきた推理ミステリー、二日で読みきった、これは面白かった。

 内政の綻びごまかす為に国民の目を外に逸らそうとする姑息な政治手法、いずれ反政府運動となって己の首を絞めることになるのだゾ、どうしようもなく民度の低い国と付き合っていかなければならないかと思うと本当にウンザリする、加えて空気や水のように国の安全もタダ同然だと思っている政府を持っていると疲れが倍する。


平成24年9月16(日)

 台風16号が九州西方東シナ海をゆっくり北上している。ほぼコースは決まったようだが、速度が遅くて、今夜半から明日の朝に掛けて熊本に最接近するようだ。阿蘇は暴風圏ギリギリの感じだ、並みの台風であれば大体どのくらいの強さか予想出来るが、非常に強い台風だということなので、一体どのくらいの風が吹くのか見当がつかない。台風の強さを表す言葉に「猛烈な台風」、「非常に強い台風」とあるが、「猛烈な・・」の方が強いと思っていたが、逆のようだ。

 午後5時現在の台風の位置、このあたりはあまり雨も無く風もほとんど吹いていない、気味が悪いほど静かだ、これが嵐の前の静けさだろう。阿蘇カルデラは西の方が開いていて風が吹き込みやすい、これから真っ暗な夜に最接近を迎えると思うと胸苦しくなってくる、気分の問題だが、気圧が急激に下がっているが、気圧の関係と胸苦しさは関係があるのだろうか。(午後6時記述)
      最低気温 20.9℃ (05:32)、最高気温 23.5℃ (13:19)

 昨日のうちに運動会が終わって本当に良かった、今日は日曜日だが、なんだか休日だという気分には無かった。カミさん仕事、夏子と太郎は休みで在宅、こどもたちの昼飯の面倒を見たり、遊んでいるのを横目で見たりしながら本を読んだりして過ごす。

 天候の変化によって追記するかもしれないが、早々に本日の日記を書いて閉じることにする。

 気になったので調べてみた、2004年(H16/9/7)の台風18号、この時、阿蘇地方に大きな被害をもたらした、我が家の周辺も甚大な被害を被った、日記に当時の生々しい記録がある。この台風以降、台風と聞くと怖くてたまらなくなった。今回の台風16号、ほとんど同じコースを取っている、ただ当時、九州北部に向けてコースが曲がったのに対して、今回はほぼ真っすぐ朝鮮半島に向かっていることが違うだけだ。


平成24年9月15(土)

 今朝の天気、予想が良い方に外れて、晴れ。午前6時、坂梨小学校秋季大運動会、予定通り開催の打上げ花火が上がる。登校班、いつもの通学服に代わり運動着姿で登校して行った
    最低気温 19.6℃ (06:10)、最高気温 27.8℃ (11:59)

 小学校正門前では、運動会の開催に先立ち、熊日が取材にきて、坂梨復興を願う横断幕の写真撮影が行われていた。もし新聞に載るならこういった写真が載ることだろう

 運動会は予定通り、8時45分に開会され、気持ちの良い秋空の下、熱のこもった競技が順調に消化されていったが、昼ころからちょっと天気が怪しくなったので、昼休み時間を利用して先にテントを畳む作業を済ませてから、午後の競技をスタートさせるという、ちょっと変則的な形を取った、そして、競技も一部省略されたが、雨に降られることもなく無事に運動会を終了することができた。

 今年はカミさんが競技運営の何かを担当していて、太郎の面倒を看る事が出来ないので、小生が子守をする羽目になったが、今が一番チョロチョロして目を離せない時期なので、やむなく「子連れ狼」のように乳母車に乗せて、シートベルトで逃げなれないようにして会場の中を押しながら移動して写真を撮って回ったが、行動を制約されて何時ものように広範囲には撮ることが出来なかった。

 でも台風接近中の天気が不安定な時に無事に開催されて皆さんホッとされていた、本当に良かった。今年の全校児童数(男女39名ずつ)78名が紅白に分かれて戦った、そして娘が属する「赤団」が優勝だった。一方、保護者などからなる分団対抗に代わって今年から東西対抗になった競技は功まずして同点で双方優勝だった、小学校も統廃合が計画されていて、少子化もあって、これから先、一年一年の運動会が大切になる。

 運動会の後、馬場八幡で分団の打上げがあり、こどもたちは夜8時過ぎまで楽しんだようだが、小生は村の行事参加のために、参加をせずに一人家に戻った。

 例によって百「文」は一見に如かずである、写真で様子を描写する(打ち上げの写真は無い)。

 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (1/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (2/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (3/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (4/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (5/15)

 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (6/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (7/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (8/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (9/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (10/15)

 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (11/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (12/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (13/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (14/15)
 平成24年度 坂梨小学校秋季大運動会 連続写真 (15/15)
 
 村では、この夏から、いくつかの行事が7.12豪雨災害で中止になったので、まとめて復興祈願祭という形で、本日、天神社前でお祓いを受けて、その後、村の集会場で直会を開いた。

 直会の席でも台風16号の話題が出ていたが、なんとも不安なコースをとっている。
 気象庁 JTWC



平成24年9月14(金)

 晴れ、のち、曇りから夜に向けて雨になりそうな気配にある、夜9時半現在、このあたりはまだのようだが、熊本市、その東の菊陽、大津あたり、つまりここから南西の方角は雨レーダーが真っ赤で、雷の赤マークも沢山出ている。
     最低気温 19.2℃ (05:52)、最高気温 28.7℃ (13:06)

 台風の発表時間は決まっているというのに、進路予想に変更は無いか、少しでも西方向に軌道修正してくれてはいまいかと期待を込めて一日に何度も予想図を見てしまうが、必ずと言っていいほど、予想コースは右カーブ(東寄り)に修正される。そんなことは分かっているのだから、最初からそれを織り込んで予想を立てろよと言いたくもなる。とにかく今度の台風はとてつもなく大きいらしい。
気象庁 JTWC

 カミさんが急きょ病院に行くと言うので小生が代わって夕方から明日の小学校の運動会の会場設営の手伝いで出掛ける。指定された時間に行った時には既に先生方、役員さん方がほとんどの設営を終えていて、後はテントを張るだけになっていたが、テント張りは今夜、明日の天気を見て早朝から行うことになって今日は骨組みだけにしておくそうである。
写真1写真2写真3写真4

 カミさん、先日来、脚部周辺にポツポツ湿疹ができた痒くてたまらないというので、今日、仕事の後で山を下りて菊陽方面の皮膚科に出掛けて行った(この近くには皮膚科が無い)。診察が終わって電話が掛かってきて、言うにはネコ蚤だそうだ。ネコ蚤なんて初めて聞いた。猫にたかる蚤に食われたのだろうが、なんでカミさんだけが喰われるのだ、犬や猫の蚤は人間にたからないと聞いていたが違うのか、シマは絶対に家に入れない外猫で、小生が餌やりなどで一番接触する機会が多いのになんでカミさんが喰われなければならないのだ、小生は太郎と別の部屋で寝ているので問題が無いのは分かるが、娘はカミさんと同じ部屋で寝ているのに娘にはたからないのだからどいういうこっちゃ、カミさんの普段からの清潔信仰が免疫力を低下させているのだろう、いつも言ってるが要は軟弱なんだろう。

 今日はどうせカミさんは夕食を作る時間が無いだろうと思ったので、昼のうちに作っておいた、イカとサトイモ、大根、人参の炊き合わせである。おふくろの味である、イカの味が実に野菜を美味しくする、昔からの大好物である、娘も作ってやると喜ぶ、小生に感化されて大好物である、太郎はイカがまだ硬くて呑み込めなないようで往生していた。

 毎年、買おうと思った時にはすでに遅くていつも売り切れで、いろいろ探し回って人に分けてもらっているが、今年は何故だか事前に気がついて今日たかなの種を買っておいた。あと一月もすればたかなの種蒔きの時期になる。


平成24年9月13(木)

 晴れ、今日も結構暑かった。
  最低気温 20.4℃ (04:15)、最高気温 29.0℃ (15:10)

 台風16号、もうこれ以上はこちらに寄らないでくれ。気象庁 JTWC

 午前中、入り口わきの本来畑地で背丈以上に草が生い茂っているところをざっと刈った。今日の外作業はこれだけ。

 先日、彼岸花のために草を刈った場所、待っていたかのように茎が伸びてきている。たまたま気がついて刈ったのだが、タイミングが良かった。(写真1写真2

 下校時、学校前で娘をつかまえて耳鼻科の定期受診のために阿蘇温泉病院に連れていく、いつも混雑しているが今日は前に二人しか待っていなかったので早く済んだ。

 日が暮れてから、カミさんは馬場八幡に小学校の分団対抗競技の練習に行った。この「分団対抗」、少子化の影響か、あるいは今回の水害も関係しているのか、今までの分団対抗が組めなくなって、今年は(あるいは今後もか)いくつかの分団をまとめて、東西対抗という形で競技運営がされるとのことである。いずれ小学校の統廃合もあるようなので、淋しいことだがそろそろ一つの歴史が終わる時期に差しかかっているのだろう。


平成24年9月12(水)

 曇り。朝散歩の時に半袖シャツでいると少し気温が気になるくらいに下がってきた。日中は風が吹きこんで家でゴロゴロしている分には気持ちが良かった。下界では連日暑い日が続いてるようだが、今日富士山に初冠雪があったそうだ。
  最低気温 20.4℃ (02:19)、最高気温 28.7℃ (14:53)

 台風16号・・・う〜む、なんだか「ヤバイ」感じになってきた・・・・気象庁 JTWC

 娘は今週末予定の運動会の振替で休みだそうで、カミさんも休んで二人で熊本の博物館で開催中の恐竜展を観に行った。

 小生は今日は外作業をする気力が湧かずに、寝ころんで読書をして過ごす、これが一番いい。こんな時には時間に余裕があるので、独りだったが、昼飯に海老とホタテを買ってきてフライを作って食べた。食い物に限らず創ることが好きなのだろう。昼前にやってきたe鴨氏に自分で料理をする話をしたら、信じられんというような顔をしていた、だいたい阿蘇の男は台所に立たないのだろう。背ワタなどの下処理から総ての時間を測ってみたら、30分あれば十分であった。(最近は料理日記のようになっているなあ)

 昨日の葬儀の手伝いの合間に女性陣はお寺の境内で栗拾いをしたそうで(勿論許可をもらってだが)、カミさん、キントンか栗ごはんにするのだろうか水に浸してあった。村でも栗の木があるが最近のこどもたちは見向きもしない。


平成24年9月11(火)

 晴れ、時々曇り。
    最低気温 20.9℃ (06:30)、最高気温 27.1℃ (14:34)

 台風16号・・・う〜む・・・・気象庁 JTWC

 藤井イクさんの葬儀。朝8時過ぎに出棺(写真1写真2写真3)、午後1時から告別式(写真1写真2写真3)。

 阿蘇では葬儀当日の朝のうちに荼毘にふして、その後で告別式を行う。こちらに来るまでは、告別式の終了後、出棺して荼毘に付すことが一般的だったので、当初は驚いたがいまではごく普通に受け止められるようになった。もうひとつ大きな違いは、告別式の始まる前に「お斎」と言って、会葬者に食事が供される、従って昼食時間から逆算して、告別式は例外無く午後一時から始まり、その時間に間に合うように会葬者は都合の良い時間に集ってお斎を頂戴する。葬儀の規模によって100人、200人と言った人数分の御膳を村の葬式組の女性陣が前日から準備にかかる。この御膳のメニューは小生がこの10年で経験した限りは、どこでも全くと言っていいほど同じ内容で、不謹慎だが、これが美味しくて小生はいつも楽しみにしているくらいである。また、一般的には葬儀は喪主側で受付けなどの人選をして、特に勤め人がいる家では会社関係の人や友人たちが葬儀の受付などを受け持つが、阿蘇地方では各地域に(組内というが)葬式組というものがあって、その人たちが受け付けなど葬儀の裏方の仕事を分担する。お斎の御膳もその葬式組の役割の一つである。だから、喪主の家族は一切何もしなくて良いようになっている。葬式組の皆さんで受付けをする場合、以前の小生の経験では受付に座る者も、喪服に身を包むが、阿蘇では全員が普段の極めてラフな服装で臨むのである。

 しかし同じ阿蘇でも近年、町の方では都市化?の影響でこういった風習も徐々になくなりつつあるように聞いている。特に女性方の負担が結構大きいと思うが、何年かに一度あるか無いかの葬儀なので、小さな地域社会で、普段からお付き合いが深くて良く識った人を送るのだから、そして世話をする側に立つ場合もあれがお世話になる場合もあり、相身互いなのでこういった習わしはあって良いのではと小生は考える。


 JR豊肥線の宮地〜豊後竹田間の復旧は来年の8月ころになるそうである。小生は崩落があったトンネルは願成就トンネルだと思っていたが、坂の上トンネルらしい。

 民主党も自民党もレベル的にはAKBと同じだね。


平成24年9月10(月)

 曇り。
   最低気温 19.9℃ (04:36)、最高気温27.1℃ (14:44)

 午後6時から、藤井イクさんの通夜が浄行寺で営まれた。小生は村の葬式組で受付けを、カミさんは賄い方で参加して、二人が留守の間は、お姉ちゃんが弟の面倒をしっかり見ていてくれた。(写真1写真2写真3写真4


平成24年9月9(日)

 今日は家に居ても暑かったなあ、風があまり無かったからだろうか。
     最低気温 19.8℃ (04:53)、最高気温28.3℃ (12:05)

 もう6年ほど病気療養で入院されていた隣家の藤井イクさんが今日の午後、81年の生涯を閉じられた。夕方、村の人たちとお悔みに伺う。そのあとで、村の葬式組の役割分担を相談をする、明日がお通夜、明後日が告別式の由。イクさんは我々がここに住み始めた頃(いや仮小屋時代からだ)、最初に親しく声を掛けていただいて、その後、ずっと小生にとって一番の農業指導者だった。話し好きで、いつも一二時間は平気で話し込んでいかれ、時には正直閉口したこともあったが、数年間入院でお会いしてなかったので今となっては本当に懐かしい人を亡くしたなあという気持ちでいっぱいである。近年、どんどん村の長老が亡くなられる、寂しい限りである。お元気なころのイクさん・・写真1写真2写真3写真4

 今日は日曜だがカミさんは仕事だった、昼食に、天ぷらうどんを作ってやった。海老天をたくさん揚げてやったが、自分の家でちょっと手を掛ければ本当に安く上がる。


平成24年9月8(土)

 午後3時頃から雨が降ったりやんだりしていたが、一時、ヒョウでも落ちてきたかと思うほど強い雨が降ったりして、今日はとにかく雷が凄かった。落ちる心配は無さそうだったが大きな雷鳴が長時間轟きわたっていた。午後5時半頃にはその雷雲も通り過ぎて陽が射しだした。
 降雨量・・22.4ミリ
    最低気温 21.1℃ (18:29まだ下がるだろうか)、最高気温30.2℃ (13:46)

 今日は宮地小学校など、いくつかの学校で運動会が開催されたはずだが、滑り込みセーフで雨に遭わずに開催できたのではないだろうか。坂梨小学校は来週の土曜日の予定である。

 最近は雷が鳴ってもサーバーは落とさないようにしているが、モデムのPPPエラーが起きて外とつながらない状態が続いた、PPPエラー結構頻繁に起きるが何処に原因があるだろうか、キャリアー側の問題だろうか、当方の装置の問題だろうか。

 今日はカミさん仕事なので、太郎は半日保育、昼には迎えに行って、娘には昼飯を作ってやる。今日は親子どんぶり。


平成24年9月7(金)

 晴れ、時々曇り。
   最低気温 19.7℃ (05:46)、最高気温 28.7℃ (15:29)

午前中、煙突掃除をする。屋根に上がって煙突の上から錘の点いたワイヤブラシをロープで吊るして煙突の中に降ろして二三度揚げ下げするだけだから直接の作業は極めて簡単なのだが、そこに行くまでの段取りに非常に時間がかかる。煙突の下に煤を落とす袋をガムテープで留めて、屋根の上には、煙突に登るための脚立、それから箒、ちりとり、ネジを外すレンチ、煙突の出口付近に固まったスラグをかき取る金具、肝心の錘付きワイヤブラシ、下に降りて、ストーブ内の上部に溜まった灰やスラグなど吸い取る電気掃除機、急こう配の屋根に登るための地下足袋など、それぞれを集めるのに、普段の整理が悪くて探すだけでとんでもない時間がかかってしまう。(寺さんに写真を撮ってもらう

 直射日光下で作業をして汗まみれになったので、そのまま、久しぶりにプールに行って体を冷やす。500m、64.2(2キロくらい増えたなあ)。

 本日の作業は以上のみ。


平成24年9月6(木)

 晴れ。今日も予報では雷雨があるようなことを言っており、遠く周囲には積乱雲が盛大に湧いていたが、ここは穏やかな一日だった。朝には霧が出て、日暮れ時には夕映えが美しかった。
    最低気温 19.4℃ (05:06)、最高気温 28.4℃(13:48)

 敷地内どこもかしこも草に埋もれてしまっている、草に埋もれたくらいでは死にゃあしねえ、と言いながら、今日は午前中に道路沿いの草刈りをした。これには理由がある。そろそろ彼岸花が咲くころで、この道沿いにも彼岸花が咲く、だから、草を刈って花が咲きやすいように環境を整えてやったのである。

 草刈りが終わって汗もかいたので、久しぶりにプールに行こうかと準備をしていると、11時頃、上村さんから今日は現場に出ているよ、という電話が入ったので、急遽、プールは中止して、薪材積み込みに出掛けた。

 現場は東手野なので、今日から通れるようになったやまなみ道路のそばを通る。崩落現場に道が通って災害以来久しぶりに車が走っているのが見えた。現場に行く途中のアイガモのコロニーも平穏であった。

 午前中は始めたのが昼近かったので一回の運搬だけだった。その運搬の時に、先日整備した薪材置き場に軽トラックを乗り入れようとして、ちょっと段差があるのを無理に突っ込んでまたスタックしてしまった。もっと慎重にやれば良いのに、一向に懲りないでやっている、文字通り前車の轍を踏んでしまった。結局、その場で、薪材を両側に蹴落としてなんとか脱出したが、変な形に置いてしまった。

 午後から、4回だったろうか(3回だったかな)ピストンで往復して回数を忘れたが、今回の現場は今日で全部終わった、今回は相手が太すぎて、積む時は人の手を借りるからいいが、降ろす時は一人なので、とにかくくたびれた、死にそう・・・(写真1写真2写真3

 カミさん、本日誕生日

 太郎、月次体重測定、12.6キロ

 大事なことを書きもらしていた。ボンが回復した。今朝、ドアを開けるなり、尻尾を振ってはやく散歩に連れて行けとくるくる回っていた。歩き出すと、飼い主より先に出ようとする(いつもなら蹴飛ばして後に就かせるのだが、今日は大目に見てやった)。やった餌も勢いよく食べている、これでひと安心である。ボンよ、お前には内緒だったが密かに埋葬する場所を探していたのだ、土地はあっても何処でもというわけにはいかないので結構悩んだのだ。昨日の二回目の注射が効いたのだろう、明日にでも獣医さんにお礼の電話をしておこうかね。


平成24年9月5(水)

 昼過ぎから雨になったが夕方には上がって山が美しい姿を見せていた
    最低気温 19.9℃ (20:39)、最高気温 25.6℃ (10:14)

 今朝は第二学期が始まって、登校班が初めて全員集まった。健太郎君と直樹君兄弟は現在も一時避難をしていて仮宅から直接学校に通っているが、たまたま今朝は、お母さんが交通指導の当番で、我家で預っている旗を取りに来るついでがあったので、健ちゃんたちもここから登校班で登校して行った、そんなわけで全員集合の登校はとりあえず今日だけである

 ボンの調子がどうも思わしくないので、朝一番で連れいってまた注射を打ってもらった。

 今朝は確か生きていたと思うが、いつのまにか、IC-760PROのメータの照明が点かなくなっていた

 今日は、カミさんは仕事が休みだった。娘は夕方、水泳教室へ

 明日から、片側交互通行だそうだが、やまなみ道路の古城〜城山が通れるようになるそうだ、良かった。


平成24年9月4(火)

 晴れ。今日は九州全域と言っていいほど広い範囲に雷注意報が出されていたが、午後6時半現在まで何事もなかった。
    最低気温 18.8℃ (04:41)、最高気温 27.9℃ (13:13)

 小学校の第二学期最初の交通指導(みどりの爺様)で指定街頭に立つ。豆札のこどもたち、登校班は今日から更に二名増えて5名になった(交通指導出場で写真を撮る時間が無かった)

 薪ストーブのガラス交換の準備で扉のガラスの取り外しをしたが、何本かのネジが固着してはずれず、ネジ山を潰してしまったので、潤滑液を吹きかけて暫くおいてからプライヤーで掴んで回してようやく取ることができた。交換ガラスの手配も坂梨のI 崎さんから久留米の業者を紹介してもらって済んだので、作業は順調に進んでいる。当初極めて高額だと聞いていたガラス代もそれほどでもなくひと安心である。今年は美しい炎が見られそうだ。

平成24年9月3(月)

 曇り。午後に入って、夕方まで、弱い雨と雷、そろそろ秋霖か。
    最低気温 20.8℃ (18:23)、最高気温 26.2℃ (10:44)

 今日から娘たちは各自送迎をやめて登校班で登校することになった。と言っても、まだ避難をしているこどもたちもいて、三名の登校班である。学期初めの記念写真と登校姿(ちょっと寂しそうである

 9月に入った、あと一月もすれば、そろそろストーブの季節だ。今年の大事な計画にストーブの整備がある。もう10年以上焚いているので、前面のガラスが曇って殆ど炎が見えない。薪ストーブの「ウリ」は炎を見ることだ。娘がストーブの中で薪が赤く燃える姿を見たことが無いという、と言うことは娘が物心がついたころにはもうガラスが曇っていたことになる。今年はそのガラスを取り替えて、ガスケットを張り替えて、錆びた筐体を磨いて黒く塗り直してという計画を立てている。以前、ストーブ屋が全部分解して組み立てるのに大変だったという話しをしていたので、できれば分解したいがそれはやめた方が良いだろう。とにかく200キロ近く重量があるようなことを聞いたことがある。どうしてもやりたい事はガラスの交換だが、特殊な耐熱ガラスが片側で5万円くらいすると聞いたことがあるが、その調達が大変である。

 ボンを朝一番で松野動物病院に連れていく。先生が聴診器を当てる様子だったので、犬でも聴診器を使いますかと尋ねると、ハイ。でも多分咬みますよ、と申し上げると、じゃあ、やめておきましょうか。多分、暑さにやられて、呼吸器系に炎症が起きているのでしょう、とのことで、二種類の注射を打ってくれた。すぐに元気になりますよ、とのことだったので、安心した。食欲が無いことを話すと、ドッグフードですか、犬は、ドッグフードあまり喜びませんねえ(確かにそうだ)、人間が食べる食事を喜びますね(確かに)、ご飯に鶏の手羽先などを入れて雑炊仕立てでやると、喜んで食べると思いますよ、と餌のヒントももらって帰ってきた。ボンももう10歳で、人間で言えばアラ還だ、そろそろ体力的に衰えてくるころなのだろう。

 昼前に薪材伐り出し現場に行ってみたら、今日は作業をやっていなかったので、少し伐ってあった薪材を積んで帰ってきた。

 阿蘇市災害対策本部から避難準備情報の解除についてお知らせします。

 7月26日から坂梨地区の福岡、馬場、豆札、古城地区の全域、中通地区の片隅の地域に発令されていました、避難準備情報を本日9月3日午前11時に解除しましたのでお知らせします。
 また、同時刻をもって「阿蘇市災害対策本部」から、「阿蘇市災害復興対策本部」に切り替えますので、併せてお知らせします。

 なお、今後の気象情報や周囲の状況変化に、また局地的な雨にも十分注意し、危険を感じたらすぐに避難されるよう心がけてください。
(阿蘇市災害対策本部)

 これで今回の7.12豪雨災害が一区切りしたということになる。これからは災害対策から災害復興に重点が移される。まだまだ山が崩れたところはほとんど手つかずのところばかりだ(これは古閑医院傍の災害現場)。水害で田んぼが埋まり、干潟になったところに、恐らくアイガモ農法で囲われていたアイガモが流されて野生化したのだろう、他の野鳥と一緒にコロニーを作っていた

 鉄道についても、ラジオで、JR立野〜宮地間が今朝から運転を開始したということである。宮地から豊後竹田までの間の復旧については見通しは立っていないそうである。これは宮地を出て波野に至る外輪を登る線路、トンネルが壊滅的に破壊しているからだろう。

 やまなみ道路の城山付近の道路は9月中旬には通れるようになるらしい。


平成24年9月2(日)

 晴れ。夕方近く、しばらくの間、雨と雷が続く。雷は結構高いところで轟いていて、落ちる感じの鳴り方ではなかった。
    最低気温 19.2℃ (00:24)、最高気温 28.3℃ (14:45)

 早朝、来週開催予定の小学校の運動会の準備草刈り作業などがPTAであり、カミさんと娘が出掛けて行き、ロートルの小生は銃後の守り。

 校内美化作業の後、カミさんは何か頼まれごとがあったようで、日中いっぱい波野まで出掛けて、小生はこどもたちの面倒見で過ごす。その間、e鴨氏御入来。

 ボン、昨日と同じような風、体力が無いかもしれないので、散歩は見合わせる。餌ほとんど食わずに寝そべっているだけ。ただ、人が来ると吠えるだけの気力はある。呼ぶと小屋から出てくるがどうも腰が座っていない感じである。目も充血しておらず、口の中も普段と変わらない、ただ元気が無いだけだ。今日は休日なので動物病院に連れて行けず、休診の時に限って病気になるのは人も動物も同じか。ボンは予防注射など、身の危険を感じた時には飼い主に対してさえ牙をむく、そんな犬を獣医はどうやって診察するのだろうか。

 先日、取り寄せを頼んであった、刈払機の部品が入ったという連絡があったのでホームセンターに受取りにいって、スロットルワイヤーの交換作業をした。当方としては、インナー(芯のワイヤー)だけで良かったのだが、アウターまで一体となったアッセンブリーでしか売っていないようで結構高い買い物になった。

 午後から、早速裏の草刈りをして、新たに薪材置き場を確保する。狭い場所一か所に重い木材を無理して積み上げないで、適当に落とすようにしたほうが、降ろすのにも楽だとう思う。その向うに蕎麦が育っているが、ちょっと種の播きかたが密過ぎたようだ。



平成24年9月1(土)

 晴れ。炎天下での作業はまだ暑いが、それでも気温に確実に秋の気配を感じる。
   最低気温 18.5℃ (03:46)、最高気温27.8℃ (14:50)

 ボンが元気が無い。いつもなら、散歩をさせようとリードを持ってドアか小生が姿を現す前から、いつも鎖がちぎれんばかりに入れ込んで走り回っているが、今朝は尻尾を振って近寄っては来たがまるで名犬のように静かだった。散歩に出てもいつもなら先に行こうとうするのに、今朝は大人しく従ってついてくるだけ、帰ってからも餌に見向きもしないので、特別にジャーキーを与えたが、食べることは食べたが、いつもの野獣のような食い方ではない、どこか悪いのだろうなあ、自然治癒力を発揮してくれ。

 今日はカミさんが仕事なので、太郎は半日保育をお願いする。昼ころ太郎を迎えに行ってから、娘に昼飯を食べさせてから、太郎の子守を頼んで昨日の薪材切り出し現場に向かう。娘が太郎の面倒を見られるようになって、本当に助かる、心置きなく(までは、ちょっと心配でいかないが)、家を空けて仕事に出られる。

 今日の現場は、小生の出動が遅かったので、既に全部伐ってくれてあり積み込むだけになっていたので、昨日よりは楽であった。今日は北川さんが助っ人に参加していた。午後から二台分運んだところで、今日の作業は終了となった。というのは、最後に残った根元の直径が優に1メートルはある、椎の木の種類だと思うが、その本体を切り倒して、上村さんが精魂を使いはたして今日の作業終了を宣言したからである。明日は作業が休みで、また月曜日に出掛けることにした。この二日でたっぷり筋トレができた。

本日の薪材伐り出し連続写真(巨木が倒れるところを連続で捉える事が出来た)

 今日と明日、今年で第二回目の大阿蘇元気ウォークが開催されている。今年は水害の影響で大幅にコースが変更されているが、それは別にしても、昨年から、毎年開催されていた市民ウォーキングがすっかり性格を変えてしまった。一昨年までは、市民のためのウォーキング、もっとそれ以前は町民のためのウォーキングだった(町民のためのと言っても、合併前に開催していたのは一の宮町だけだったと思う)が、それが町村合併後、市のイベントとなったころから少し性格が変わってきたなとは思っていたが、昨年から完全に看板を付け替えて、開催の焦点を外部に設定した。小生に言わせると観光業者と結託した金儲け主義のイベントに成り下がってしまった。昨年の第一回目は、それまで毎年参加していた流れで我家も参加予定をしていたが悪天候で中止して、他の参加者の様子を見ていたが、従来のノンビリ歩くというスタイルから、まるで競技のように先へ先へと余裕なく競うように歩く参加者を多く目にした。市民中心の市民のための健康増進、住民の交流を目的にしたノンビリ歩くという和やかな雰囲気が無くなってしまった。市のPRや金儲けのためにやるイベントはそれはそれで大事だろうがそんなもの別にやれば良いのだ、市民に30キロや40キロなどというマニア向けのコースは不要だ、そういうわけで我が家は参加をやめてしまった。ここまで書いて、去年はどう書いただろうかと思って、遡って読んでみたところ、全く同じようなことを書いていた、小生の頭は進歩が全然ないと言うことか。いずれにしても、町村合併で詰まらなくなったことの方がずっと多い。

 2mのメインチャンネルでの無変調が聞こえなくなったようだ、やはり外部から来ていたのだろうか。



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