平成24壬辰(2012)年11月の記録(新しい日付けの順)
平成24年11月30(金)
曇り。今日はもっとカラリと晴れると思っていたが、ずっと曇り空だった。
最低気温 0.3℃ (06:33)、最高気温 10.7℃ (12:35)
晴れたら薪を作ろうかと思っていたが、天気がはっきりせず、薪材が全く乾かなかったので外作業はやめて、例によってやっつけ仕事でジャム棚を作った。
(太郎成長の記録)最近はどこで覚えてきたのか(まあ、保育園だろうが)、ヤバイだとか、ボクだとか、「例えば」だったかな、びっくりするような言葉を使う。会話全体のバランスが取れていないのでオモシロイ。
平成24年11月29(木)
朝9時ころから降りはじめた雨、夕方近くなって上がり、きれいな夕焼けが出ていた。
最低気温も昨日に比べてそれほど低く無かったが、一日中、10℃を切った寒い一日だった。
最低気温 2.4℃ (02:51)、最高気温 8.6℃ (12:54)
夏に予定されていた市の住民健診が7.12水害で延期されていたが、坂梨地区はようやくここ数日にわたって坂梨公民館で実施されており、小生が住む地域の健診日が今日だった。室内での健診の後、レントゲンなど外にある健診車の間を移動するので、昨日は気温が低くて大変だったろうと思ったが、今朝は比較的に暖かくて良かったなあと思っていたら、健診が終わる9時頃から雨がポツリポツリ降りだした。小生は早い時間に行ったのでなんとか雨に遭わずに済んだ。最近また運動をしていなくて三キロ近く体重が増えていたが、腹部エコー検査で、検査技師が、脂肪肝が無くなっていますね、と言っていたので、血液検査の結果を見なければ分からないが去年よりは改善されているようである。
にこにこ動画というサイトがあって、党首討論会をそこで中継するようなことを聞いたので、ニコニコ動画なるサイトを覗いてみたところ、無料会員と有料会員があるとの案内だったのでとりあえず無料登録してみた。そして、ちょうど韓国の衛星「ナロ」(だったかな)の打上げを生中継をしていたので見ていたが、過去二度失敗して、三度目の正直ということだったらしいが、あと十数分というところでカウントダウンが突然止まってしまって、どうやらまた延期になったようだが、この中継番組、日本で中継のアナウンスが入るのだが、中継担当者は全く韓国語が分からず、韓国の放送でカウントダウンが何故止まったのか、何を言っているのか聴いていて分からない。キャスターと言うのかアナウンサーと言うのか、本人自ら、私は韓国語が全く駄目なのでと言っていたが、そういう人間が放送を担当して良いのか?この番組のシステムがどうなっているのか分からないが、こういったサイトで党首討論会などやる危うさを感じる。
平成24年11月28(水)
今朝は冷え込んだ。元気な登校班もさすがに今日は冷たそうだった。今朝の散歩から耳あての付いた防寒帽と防寒手袋をしたが、指先が寒さで痛くなって手袋の用を為さなかった。風が無いので、その点を除くとキリリとして気持ちの良い寒さだったが、久しぶりに「凍てつく」を実感する。落葉樹も普段だと紅葉して枯れてハラハラと散っているが、これだけ気温が下がるとまるで滝のように一気に音を立てて落ちて行き、瞬く間に木の下は散った葉で緑一色になっていた。
最低気温 -3.8℃ (07:45)、最高気温 11.0℃ (14:52)
ボンの水のバケツもガチガチ、横に倒してもビクともしなかった。ボンのやつが寒そうだったので、ストーブの灰を小屋の前に撒いてやると、早速その上で丸くなっていた。犬は寒さに強いとは言うもののやはり暖かい方がいいのだろう。
加湿器のフィルターを掃除する。ここの水は石灰分を多く含んでいるので、すぐに白く固まってフィルターが水を吸い上げなくなるのでクエン酸をたっぷりブッ込んで溶かすわけだがなかなか溶けない。以前使っていた加熱式の加湿器の時もそうだったが、水に石灰分が多く含んでいると加湿能力がすぐに悪くなり、困りものである。
確か今乾燥注意報が出されていて、その注意報も今日までだと言っていたのを思い出して、午後から、裏の方に刈ったまま積んであった草や竹類を燃やした。空気が乾燥していても、ここのところの雨で濡れた草類までは乾いておらずあまり燃えは良くなかった。(写真1・写真2)
平成24年11月27(火)
雲が多かったが今日の天気は「晴れ」になるのだろう。消えていた(と思うが)高岳山頂の雪、今朝またうっすらと白くなっていた。放射冷却による時は、阿蘇山頂よりも麓の方が気温はぐんと低くなるが、今朝はそうではなかったので、山頂のほうが低かった、風師庵測候所のある此処とアメダスがある阿蘇乙姫との関係も同じようなことが言えて、放射冷却による場合は、平野部の阿蘇乙姫の方が山付きのここよりも1℃から2℃いつも低くなるが、今朝は放射冷却では無かったのでここの方が低かった。
最低気温 1.1℃ (05:10)、最高気温 7.1℃ (13:23)
昼、一度に三種類の料理をする。というのは、先週の土曜日、どんな組み合わせでもOK、三パック1000円という肉のパックを買ってきて、そのままになっていたので、それをやっつけた。一種類は鳥のモモ肉で半分はその日、娘たちの親子どんぶりを作ったので、その残りも、また親子どんぶり!!と言うだろうと思って、下ごしらえをして冷凍することにした。他の二種類、ひとつは豚のバラ肉、それとトンカツ用の肉。豚バラは野菜たっぷりの甘酢あんかけ、ここには、白菜、キャベツ、シイタケ、タケノコ、インゲン、ニンジン、タマネギ、モヤシが入っている。それからトンカツ三切れ、例によってバッター液を作って、一分間揚げて一分間置いてまた一分間揚げるで作る。一切れは昼飯として小生の胃袋に納まった、残りはカツ丼にでもするつもりで冷凍。ほぼ並行してやるとそれほど時間はかからない。それに引き換え、うちのカミサンはどうしてあんなに料理に時間がかかるのかさっぱりワカラン。
娘は学校から、何処かの乗馬クラブに乗馬体験に出掛けたそうである。引き馬に乗って歩いただけか?と訊くと、そうじゃない、単独で手綱を持って腹をけってスタートさせて手綱を右や左に動かしてコントロールしたそうで、面白かったあ、また行きたいと言っていた。小生のこちらに来るまでの田舎暮らしの夢に乗馬があった、このあたりを、車替わりで乗り回したと思っていたが、ウマは乗るより世話ば大変なようで、これは諦めた。
夕方、いつもの場所にこの地区の衆議院議員選挙ポスター掲示板を設置していた、手慣れたもので、ものの10分もかからずに建てて次の場所に移動していった。
今日は思い立ってやることを思い立たず、ずっと読書を楽しむ、ここのところ読んでいる大沢有昌の本が面白くてまた図書館に行って借りてきた。それから今、朝鮮半島の歴史絡みの新書2冊を、これは買って読んでいる。支那大陸の歴史は殷・周・秦・漢・・・と大体読んで知っており、しかも漢字文化の源流なので係わりは深いが、朝鮮半島となると、古代朝鮮の新羅、高句麗、百済あたりはなんとなく教わったが、その後、今の大韓民国になるまでの歴史が、何度か読んではいるが言語が違うことが一番の原因だろうが断片的であまり頭に残っておらず明確でない。それにつけても国を挙げてのこれほどの反日外交・反日教育、一体どこから来ているのだろうか、当方も改めて今一度整理をしてみようと思っている。
平成24年11月26(月)
終日雨模様、特に風が強くて、朝のうちは突風のような風が吹き荒れた。ちょうど登校時にあたったので、本日の集団登校(ここの登校班だけだが)は取りやめて各家庭送迎となった。雨は不思議とずっとここを避けていた。
最低気温 6.8℃ (00:00)但し、明日はかなり気温が下がるようである、夜になってこれより下がるはずである。
今日もどっぷり読書に浸る。
東京電力、今日は気温が低くて、広野火力発電所の故障もあって、電気の供給能力が厳しいということで、他から応援融通を受けているそうであるが、この程度の寒さで余力が無くなるのであれば、この冬は思いやられることになるが、「作為」は無いのか、周波数統一、発送電分離はその後どうなったのか、原発だけで騒がないで、そちらの方は検討されているのか。因みに九州電力は今日は余裕があるようだ。
平成24年11月25(日)
晴れ。今日は朝から霧が深く、11時頃になってようなく霧が晴れだした。気がつくのが遅く、外輪にあるライブカメラを覗いたころには日がかなり上がっていたが、その時でも見事な雲海が広がっていた。そして夕方には美しい落日が見られた。こうなると明日は良い天気が期待できそうだが、どうやら夜になると雨になるらしい。
最低気温 0.7℃ (02:04)、最高気温 11.1℃ (13:25)
明日の天気が怪しいので、昼から数日分の薪割りをした。
それ以外は、本を読んで、太郎の相手をしてノンビリ過ごす。
平成24年11月24(土)
ずっと弱い雨が降っていたような気がする。
最低気温 6.3℃ (05:25)、最高気温 8.4℃ (00:47)
太郎、土曜保育、昼前に迎えに行って、二人に親子丼を作ってやる。
終日本を読んで過ごす。
平成24年11月23(金) 勤労感謝の日(新嘗祭)
曇り、時々小雨
最低気温 10.1℃ (03:45但し朝)、最高気温 11.3℃ (13:28)
今日は家族全員家に居た。
今年もだんだん残り少なくなって、また喪中につき・・の年賀欠礼のハガキがポツポツとポストに入り始めた。広大無辺の宇宙のもと、人間の都合などお構いなしにたんたんと時が流れていくことを感じる。
「広大無辺の宇宙」の流れで・・・
ドーンコーラスとう言葉がある、英語で書くとDawn Chorusである。「暁の合唱」という意味になる。Wikipediaによると、「 第一次世界大戦中、通信兵が無線機に耳を澄ませていると、夜明けとその後しばらくの間、鳥のさえずりの様な、あるいは口笛のような、奇妙な音が聞こえてくることがあった。当時は原因不明であったが、鳥が朝、一斉に鳴き出す様子になぞらえてドーンコーラス(暁の合唱)と呼び、不思議がられてきた。これは太陽から放出された電子が地球のヴァン・アレン帯を通過する際、無線機で可聴域となる電波を発生するためだと考えられている。太陽が水平線に近い位置にある時は、高いところにある場合と比較して相対的にヴァン・アレン帯を通過する距離が長くなるために電波の発生量が多くなる。磁気嵐の際にはより頻繁に発生する。」昔と違って今は電波があふれていて空はノイズだらけだが聞くことができるだろうか、第一次世界大戦中だからローバンドだと思うが、どのあたりで聴けるだろうか、是非聴いてみたいものである。確か富田勲のドーンコーラスを納めたシンセサイザーのCDが何処かにあったはずだが何処に紛れ込んだか見つけ出せない。
平成24年11月22(木)
穏やかに曇る。昨夜は雨があるかなと思ったが少し南を前線が通過したようだ。
最低気温 7.4℃ (04:15)、最高気温 15.3℃ (12:55)
太郎、本日より保育園復帰。休んでいる間に他のお子さんに発症があったか尋ねたら、無かったそうである。保母さんから、太郎君、流行の最先端ばい、とからかわれていた。
今日は思い立って、干し柿を作った。全部で40個余り、皮むき、最後の方になって包丁を持つ指が攣って困った。
むき出しのまま吊るしていると、どこからともなくハエがやってきたので、防虫ネットを作ってその中に入れた。この時期でもちょっと暖かいとどこからハエが飛んでくる、干し柿はもともとハエが居なくなった寒い時期に作るものだからむきだしでも良いのだろうが、最近は冬でもハエが居ると言うことだろうか、干し柿の産地ではどうなのだろう。。
平成24年11月21(水)
気持ち良く晴れる。
最低気温 0.3℃ (06:52)、最高気温 13.7℃ (14:20)
太郎はもう完全に良い、ただ、湿疹の跡が残っているので、母親が休みもあって今日まで休ませることにした。
小生は一日外で作業をした。思い立って(が枕詞になってしまったが)、ゴチャゴチャと雑木類や竹が無秩序に植わっている一隅の整理をした(写真1・写真2)。思った以上に大変な作業で、かなり綺麗になったと思う。刈り取った草などを収穫をあきらめた蕎麦畑で燃やそうかと思ったが、少しだけでも収穫してみようかと、手でしごいてショウケに入れて、振りながら息で飛ばして、実だけにしたが、痩せた実ばかり、それでもそば茶くらいにはなりそうだ。
ウメの枝に付いていた木の実(だろうと思うのだが)、何だろうと思って良く見ると、梅の木に巻いたカズラ系の植物の実だった、ネット検索したが、分からない、マサキの実に似ているがカズラ系で、葉が全然違う。(いつものことながら、asobowzzどのよりツルウメモドキだと教えていただく、ツル性のウメモドキがあるとは知らなかった、しかも今回はご丁寧に梅の木と一体となっていた。)
ヒイラギの枝が伸びすぎて梅を邪魔しているので、どんどん切っていて、ふと目をやると、鳥の巣があった、せいぜい2メートルくらいの高さのところである、ああ、小生の気まぐれのせいで迷惑を掛けたかなと梯子を掛けて上から覗いてみたところ、枯れ葉が沢山積っていて、もう使われていない風だった、そうだな、今頃は繁殖期ではないし、ご用済みの巣なのだろうと安心した。
夕方娘を宇治歯科に連れて行った。その後、水泳教室だったので、迎えにいったついでに、ひと風呂浴びてきた。
さかもと未明というマンガ家がいるらしいが、とんでもない○○女だ、顔で判断してはいけないと言うが如何にもそんな顔をしている。昔から、泣く子と地頭には勝てぬ。幼子怒るないつか来た道(年寄り笑うないずれゆく道)だろうが。
平成24年11月20(火)
晴れ。今日は全く外に出られなかったが、窓から覗く限りにおいては燦々と太陽が降り注いでいたようだった。
最低気温 2.7℃ (06:58)、最高気温 12.4℃ (14:29)
今日も一日太郎の相手をして過ごす。疲れた疲れた。少なくともあともう一日は休ませなければならないだろう。手を替え品を替えして退屈しないように相手をしなければならず肉体労働をするよりも疲れてしまう。何十年も前の中村メイ子の「田舎のバス」をyoutubeで見つけて聞かせてやると、大いに気に入ったようで、何度も、もういっかい、もういっかいと繰り返しては聴いていた。そういえば、お山のなか行く汽車ポッポの歌も好きで、こういったリズミカルな歌が好きのようである。
小生が苦労をしている時、GMMめ、ハワイで楽しんでいやがる。
平成24年11月19(月)
曇り、だったかな・・・・
最低気温 1.0℃ (02:56)、最高気温 12.0℃ (14:27)
太郎、一昨夜、痒くて夜中に何度も泣いて起きたが、昨夜は痒みがなくなったようで一度も目覚めず、しかも今朝8時頃まで、それも起こしてようやく起きたほど熟睡していた、小生は午前三時頃目が覚めてそのまま起きてしまった。
まだ湿疹は痛々しいほどであるが、本人はもう平気なようで、峠を越したようだ。保育園に電話をして手足口病の報告と、二三日休む旨を届ける。
太郎のやつ、小生が本を読もうとすると、自分の絵本を持ってきて読んでくれろと言う、自分で読めよといっても、絶対に聞かない、同じ本を何度も何度も読まされてへとへとである、それでも今日は娘が昨日の登校の振替休日で家に居てくれたので、太郎の子守、大いに助けになった。
薪が心細くなったので、そして、明日は、ひとりで太郎の面倒を見なければならないので今日のうちにと、娘に太郎頼んで数日分の薪を作った。
平成24年11月18(日)
朝のうちは少し雲があったがその後、真っ青な初冬の空が広がる、夕方には雲ひとつ見られず明日の朝はぐっと冷え込みそうだ。昨夜は夜10時前、雲が晴れて星空の下、30分ほど粘ったがしし座流星群は一個も見えなかった。
最低気温 3.7℃ (07:48)、最高気温 13.7℃ (15:27)
今日は娘、学習発表会で日曜ながら普通の時間帯で授業があった。そのために通常の登校班で登校、小生は交通指導の当番だったのでいつもの辻で立ち番をする。(写真1・写真2・写真3・写真4)
太郎、昨夜は、足が痒くて我慢が出来なかったようで何度も目を覚まして泣いていた。素人が見てもこれは手足口病に間違いないと思って、今日日曜の当番医の松見内科に朝一番で連れて行った。今は流行期ではないそうだが、散発で発症することは別に珍しいことではないようで、飲み薬と塗り薬を貰って帰って来る。これで二三日はまた看護の日々になることだけは間違いない。(写真1・写真2・写真3)
娘、日曜の授業だからだろう、給食が無いのに替えてだと思うがバザーでお母さんたちがカレーなどを作って販売をした。その当番で母親も朝から夕方まで出掛けて、小生は今日は一日太郎の相手をして過ごす。
平成24年11月17(土)
小雨の一日。昨夜からの雨、予報では相当まとまって降るようなことを言っていたが、静かな夜だったような気がする、雷も全く無かった。
最低気温 9.2℃ (17:50暫定)、最高気温 13.0℃ (09:02)
太郎半日保育の予定だったが、手のひらに赤いポツポツが出来ており、尻にもオムツかぶれか、同種かどうか分からないがポツポツ出来ており、ちょっと見たところ、手足口病かなと思って、保育園に今流行っていますかと訊いたところ、流行っていませんとのこと、どうせ、半日なので、今日は家で面倒を見るかと、娘と二人で相手をして過ごす。
一日様子を見ていたが、ポツポツが増えているような気がする、明日は日曜日だが、上手い具合に小児科が当番医なので、イザとなったら連れていけるので安心である。この当番医制、全く畑違いの医院が当番のときは本当に困るがオカシな制度である。
今晩はしし座流星群が見られるだろうか、雨域は完全に東日本に移ったが、山間部なので雲が掛かっている。
平成24年11月16(金)
晴れ。 久しぶりに氷点下になった、このような朝は散歩していてもキリリとして本当に気持ちが良い。
最低気温 -1.0℃ (06:58)、最高気温 13.5℃ (15:37)
久木野にあるDIさんの隠れ家に薪材のクヌギを取りに行った。このクヌギ、一年くらい前に二人で行って伐り倒してそのままずっと置きっぱなしになっていた。少し積み残したので近いうちにまた出掛けるつもりである。(23/11/29.30)
南阿蘇(南郷谷)の方が、落葉樹が多くて杉ばかりの阿蘇谷より紅葉が美しい、もう盛りは過ぎているがそれでも十分に美しい秋が広がっている。(写真1・写真2)
今年の蕎麦作り、結局、肥料不足だったのだろう、生育不良で、小さな実しか生らなかった、今年は当初から収穫後の処理まで考えておらず、試し植えのつもりだったので、それでいいのだが、それはそれでいい経験になった。ただ、蕎麦の実が地面に落ちないうちに刈り取って燃やそうと思っていながら、雨にぶつかって、刈り取らないうちにほとんど地に還りつつある、このままだと、来年、落ちた実から発芽するかもしれない。
発芽するともしかしたら、マズイかもしれない、というのは、セイタカアワダチソウでもそうであったが、蕎麦もアレロパシーとかいう、他の植物の発芽を抑制する物質を放出するそうで、蕎麦を植えると雑草が生えないということはそのためだろうということになる。蕎麦は成長が早くて雑草が生えるより先に収穫できるから農薬が要らないと聞いていたがそれもあるかもしれないが、アレロパシーだったのだろう、だから、来年、もし今年の蕎麦の後に他の作物を植えると、育たなくなるかもしれない。まあ、来年も、しっかり畑作りをして蕎麦を再挑戦しようとするか。
ラジオで聞いたが、衆議院が解散された。毎度のことだが、ヤケで叫ぶ万歳三唱にはいつも笑わせられる、何時の頃から始まったのだろう。不謹慎と言われようが何と言われようが、これからしばらくの間、選挙戦で楽しめる。
平成24年11月15(木)
曇りのち晴れ。今日も気温は上がらなかったが、陽が射すと暖かくて気持ちが良い。
最低気温 2.8℃ (00:00)、最高気温 10.6℃ (15:46)
ここ数日、天気がはっきりせずに、薪木も湿ったままだが、そろそろ薪が底を尽きかけているので、晴れ間を利用して少しだけ薪作りをした。杉の木は生乾きだと燃えにくいが、クヌギなどの雑木は少しくらい湿っていても燃える。
今日も読書三昧で過ごす。
夕方二台めの車検があがり引き取りに行く。
ここのところ、知名人が相次いで亡くなっていく、順送りとはいえ、存在感があった人たちばかりなので、突然いなくなって心に寂寞とした空白ができる。
平成24年11月14(水)
曇り時々雨。とうとう雪の季節がやってきたようだ、阿蘇山に初冠雪が見られた。陰鬱な空が広がり、最高気温も10℃まで届かず、気分的も寒々した一日だった。
最低気温 4.9℃ (03:15暫定)、最高気温 8.6℃ (13:49)
太郎は保育園に行くのに差し障りがあるほどの体調ではなかったが、母親が今日は仕事が休みなので、無理に行かせることも無いだろうと、休ませた。
今日はどっぷりと読書に浸った。
平成24年11月13(火)
終日雨模様。特に午後4時を過ぎた頃から、雷が鳴りだして、何発か近くに落ちて、二度三度停電、また、近くに落ちた時はどこかでバチという音も聞こえたが幸に電気機器には影響が無かった。ライブカメラのサーバーは古いノートを使っているのでバッテリーが効かずに、停電すると即、落ちる。落ちたことを夜になるまで気が付かず、停電があった頃の景色を映したままで止まっていた。
そんななか、娘が、「お父さん!雨じゃないのが落ちてきよる!」と騒いだので見ると、雹が降っていた。せめて雪だとかアラレ(はあまり知らないか)だとか言えば良いのに、というと、突然だったので慌ててしまったと言っていた。
もう一台の軽四輪を車検に出した。どういうわけか二台とも11月車検である。
夜、坂梨宿場會の11月例会出席。
平成24年11月12(月)
曇り。
最低気温 7.7℃ (04:35)、最高気温 12.8℃ (13:54)
太郎、昨日あたりから少し胸がヒューヒュー言っていた、寝る前に自家用のネブライザーをやったが、夜中に何度か自分の咳で起きて苦しそうに泣いていた。今朝になって、少し熱があったが元気だったので保育園にやったが、夕方迎えに行って様子を聞いたところ、熱は高くは無かったが昼寝の時やはりちょっと苦しそうだったとのこと、帰る時には熱も下がって元気だったが念のために古閑医院で診てもらった。以前は白衣を見ただけで泣いていたが、最近はそうでもないと聞いていたが、今日も、泣くことは無く大人しく聴診器をあてられていた。
少し喘鳴がありますね、ネブライザーやっておきましょうかね、ということで、お願いしたが、昨夜は大人しく吸引(らしきこと)をしたようだが、今日は、頑として受け付けず、抑え込んだりして、口元に噴霧して呼吸のついでに少し気管に入る程度しか吸引しなかった。(写真1・写真2・写真3)
先週末、車検に出してあった軽トラックが戻ってきた。今回は、オイル漏れがあり、シール交換ついでにタイミングベルトも交換したのでかなり出費がかさみそうだ。
平成24年11月11(日)
ほとんど雨模様の一日。
最低気温 10.0℃ (00:00)、最高気温 16.7℃(13:40)
今日は娘のクラス(=学年であるが)で、学級レクレーションの催しがあった。毎年、保護者の委員がアイデアを出して、こどもたちと保護者の皆さんが一緒に何かしらをする、それはドッジボールであったり、それから・・・・ちょっと忘れたが、今年は、学校の校舎を使って、テレビで「逃走なんとか」というのをやっているそうで、言わば規模の大きな鬼ごっこのようなものだと思うが、それをやったそうである。娘はサングラスをして母親と参加した、小生は太郎の子守で半日留守番をした。
近年、町の本屋さんの数が激減しているとか、一つには情報の入手方法の多様化、インターネットで情報を集めるようになったこと、その分、本を読む時間が減ったこと、そして本そのものを読まなくなったこともあるだろう、それから、ネット通販で居ながらにして手に入るようになったからだろうか、更に、紙の本に対して電子書籍が増えて、ダウンロードで入手するようになったこと、これはまだ割合としてはずっと小さいだろう、やはり「紙」が良いのである。ところで、小生、ここのところ、ちょっと電子書籍端末が気になっている。最近では書籍数も増えて、操作もし易くなっているようである。今、触手が動いているのが、BookLive LideoとAmazonのkindleである。しかし考えてみたら、いや、考えるまでも無く、電車通勤をしているわけでも無し、わざわざ端末を持つ意味は全く無いのは分かっているのだ。強いて言えば、絶版になっている、著作権フリーの文学作品をダウンロードして読むには便利そうだ。でもそれでさえ、読む気さえあればPCに落とせばいいのだからやはり必要な無さそうである。何より、小生には市の図書館と”茅ヶ崎浜之郷”書房があるのでそれで十分なのである。
平成24年11月10(土)
曇り、後、夕方5時頃からポツリポツリ、予報では明日までかなりまとまった雨が降るらしい。
最低気温 6.3℃ (00:29)、最高気温 12.4℃ (11:29)
太郎、半日保育。娘に昼は何が食べたいか、美味しいものを作ってやろうかと問うと、ヤキイモ!というので、太郎が先日保育園のイモ掘りで貰って来たカライモをアルミホイルでくるんでストーブの上に乗せて焼いてやった、この方法は非常に上手く、美味く焼けるのである。夏子と太郎はオイシイ、オイシイと食べていたが、小生はイモはちょっと・・・なので、インスタントラーメンを作って食べた。
最近時々ラジオで浪曲が流れる。浪曲・・・浪花節、こどもの頃、あるいはもっと長じてからも、時々耳にする浪曲には、なんであんなものが良いのだろうと全く理解できず受け入れる素地は無かった、ところが不思議なもので、そのまま時を経て、歳をとってから、ある時、偶然耳にした浪曲、これが実に抵抗もなくすんなりと耳に入ってきて、おお、いいなあと感じたのである。抵抗があるものを受け入れるようになるには、少しずつ時間を掛けて「慣らし」が必要であるはずであるが、こいう過程が無くて突然なのである、これは何なのであろう、年齢が自然に浪曲の旋律コブシ節回しを受け入れるようになるのだろうか。昔から浪曲と言うと年寄りが聞くものだと思っていたが、そういうことなのだろうか。もっとも若い時にロックが好きで、歳を取ってもそのままロックしか駄目だという年寄りもいるのであろうが。youtubeで広沢虎造の森の石松三十石船などを探しては聞いている。
平成24年11月9(金)
曇り。
最低気温 5.6℃ (00:29)、最高気温 16.7℃ (11:50)
太郎、今年数えで三歳、娘は今日は半日授業だったので午後三時頃から、七五三の髪置きの儀で阿蘇神社にお詣りをした。平日でしかも夕方近くだったので、拝殿は我々家族だけで、貸し切り状態でお祓いを受けた。それでも神事が終わった後、ポツポツ七五三のお詣りの家族が見られた。娘の時は二人で着物を着て、娘は美容室で着付けをして貰うなど母親も相当気合が入っていたが、今日は、二人目でかつ男の子だからあまり張り合いが無いのかどうか分からないが極めて略式だった、小生はもともとどちらでも良いのだが、普段のナリではさすがにマズイだろうと言うので随分久しぶりにスーツを着た。(写真1・写真2・写真3)
翌日記・・・と書いて、(H17/11/3)の娘の時の日記を読んでみると、母親は着物ではなかったなあ、記憶と言うものはいい加減なものである、着付け教室に通って一生懸命になっていたのは何の時だったろう・・・・
夜は、近くの焼き肉屋「よかよか亭」で久しぶりに外食をした(写真1・写真2・写真3)。
成長の記録・・・太郎、二三日前から、一人で遊びながら、トンボのメガネは水色メガネ・・・をアカペラで歌っている、聞いていてハッキリとその歌だと言うことが分かる。
平成24年11月8(木)
曇り。
最低気温 7.7℃ (07:22)、最高気温 14.1℃ (13:53)
年一回の浄化槽のバキューム吸引清掃があった。
今日は一日、塗装をした。阿蘇では普段は午前中に風が無く、午後から風が強くなることが多いが、昨日も今日も、午前中、風が強くて、しかも現場が北側になるので寒かったが、午後からは風も無くなって気持ち良く作業ができた。夕方までかかってようやく西側の二階部分の塗装が終わった。実質塗るだけの時間はそんなに掛からないのだが、足場組など準備の方が時間がかかってしまう。数年来、常に意識の底にあって気になっていたがこれでひとまずひと安心である。風雨や日射の影響は場所によって非常に差があって、二階部分の壁面など塗装がはげて危機的状態が続いていた。我が家に使ってある塗料は一般的に使う塗料に比べて二年ほど長持ちするということであったが、それも、既に5年ほど過ぎている。後はあまりダメージが無い壁面の塗装が残っているが、これは少しずつヒマを見つけてすることにする、というのがそもそも怪しいのであるが。
今回は一部マスキングテープを使った。マスキングテープを使うのは初めてなので、少し幅広を、と思って買ったものが、2600ミリを260ミリと勘違いしてメチャクチャ幅広のものを買ってしまった。
平成24年11月7(水)
曇り。風が冷たかった。曇り空で風が吹く寒さというものは、晴れてぐっと冷え込んだ時の寒さよりも寒い。そう言えば今日は立冬だった。
最低気温 7.9℃ (00:00)、最高気温 12.7℃ (14:03)
塗装の足場組みの続きをする、屋根の勾配が急なので足を掛けるところが無いと絶対にとどまれないので、梯子を屋根に載せてそれに体を保持するようにした。屋根材はコロニアルと言って、スレートなので、直にハシゴが乗ると傷つけるので、木材をブルーシートで巻いてクッションにしてあてがった(写真1・写真2)。注文してあった塗料も届いた、これで塗装の準備オーケーである、ただ、今日は風が冷たかったのでその気なれず、足場組みの際に覗いた樋の中のゴミを見て急遽掃除をすることにした。
樋のゴミ、家を建てて十年間に二三度掃除をしただけだ、しかもいずれも義父が来た時にやってくれただけで、小生は東側の一部の樋を除いて初めてである。では樋には数年分のゴミが溜まったいるかと言うとそうではないのである。ゴミは笹や杉の葉だから、樋に溜まっても溜まった端から二三カ月もすれば腐って流れる、その後にまた次の葉々が積っていくわけだから大体いつも一定の量なのである、と小生は解釈しているので、放っておいたのである。が、やはり実際に覗いてみると、ほぼ一杯になっている(ということはそれ以上は増えないと言うことでもあるが)、中には種が成長して、背丈の高い草まで生えていた。
雨樋の升(というのか)から下に落ちる樋のつなぎ目、確か、くるりと回せばその部分で外れたと思ったが、どうしても外れないので、全部外して掃除した。外してからシミジミ眺めて、升とエルボをつなぐ構造を再確認した、ヘソは一か所だけだった、その部分を合わせたら良かったのだ。
夜は娘の水泳教室があって迎えに行かなければならないが、今日は生憎、母親は小学校の行事の打ち合わせで同じ時間帯出掛けることになっていた。となると、太郎をどうするかであるが、小生が娘を迎えに行くついでに、太郎も一緒に風呂に入りに行くかと訊くと、行く!行く!と言う。父子二人で温泉など初めてなのでどうなることかと心配だったが、案ずるよりなんとやら、ケロッとして周囲に愛想を振りまいて機嫌良く入ってきた。ただ浴槽が大きくてぶくぶく気泡がでているのでコワいといって小生にしがみついていた。そしてお姉ちゃんの水泳教室が終わるのを待って帰ってきた。因みに二歳まで入浴料は無料だそうだ。(写真1・写真2)
平成24年11月6(火)
くもりがちの一日
最低気温 6.7℃ (06:24)、最高気温 13.7℃ (13:51)
朝一番で宇治歯科に歯のメンテナンスに行く。
敷地の隅の方にいままで竹や他の木に囲まれて成長を妨げられていいた小さな柿の木に、竹林整地の時に少し整理をしたので、今年は実が三つだけ生っていた、わずか三つだが立派な柿である、恐らく渋柿だろうと思って、三つだけだが干し柿を作ることにした。
皮をむいてちょっと齧ってみたところ、ん?甘い!と思っていたらその後で渋くなった、甘柿と渋柿の中間種だろうか。とりあえず、防虫ネットの中に吊るしておいた。考えてみたら、昔から、干し柿はネットの中などに入れずにむき出しで吊るし、それにハエがたかっているが、それで病気になったなどと言うことは聞いたことが無い、干し柿を経由して病気などは伝染らないのだろうか。
この近辺は柿の木が多くて今でも山ほど実を付けた柿の木が沢山見られるが、おそらく渋柿だろうと思うが、皆さんは干し柿を作らないのだろうか。また、干し柿は渋柿で作るが、甘柿では作らないのだろうか、甘柿だと干し柿にならないのだろうか、とここまで、書いてから、やはりネットで調べるかということで、検索を掛けてみた。
どうやら甘柿でも干し柿は出来るが、糖度はもともと渋柿の方が高いので干し柿にする場合は渋柿の方が適している。また、甘柿は総じて渋柿に比べて小粒なので、干すことによって一層小さくなってしまう。等々のようだ、ついでに、言えば、甘柿はわざわざ干して渋を抜かなくても食べらるから、かな。
昨日作ったカボスのマーマレードを昼飯に食べてみた、ジャムはやはりパンに塗って食べるもので、ジャム単独では食べないだろうから、味見は、実際にパンに塗ってからしたほうが良いだろうと思ったのだ。
ところで、口中調味という言葉がある。昔からの日本の食事のスタイルである。日本ではオカズを口に入れるとすぐにご飯も口に運んで、口の中でふたつを混ぜ合わせて食べて丁度良い味加減(塩加減)になるようになっている。だから、オカズはそれ単独で食べるよりは味が濃くしてある。つまり、口の中で味を調節する、口中調味である。
ところが最近の若い連中は、オカズはオカズだけで食べてしまう傾向にあると言う、だからかどうか知らないが、そういう感覚でオカズの味付けをされたらたまったものではない。
西洋料理でもパンを食べるではないかと言うかもしれないが、西洋料理のパンと日本食のゴハンとはそもそもその性格が違うのである。西洋料理の場合は料理単独で味わって、別の料理に移る時に前の料理の味を消す為に食べるもので、口中調味のゴハンとは違うのである。だから洋食の場合は、料理単独で味わう塩加減で良いのである、何度言ってもこの理屈が分からにやつがいるのである。パンにジャムに関しては、パンはもともと向うから来た食い物だが、この場合、口中調味だろう。
閑話休題。昼飯にパンに塗って食べたマーマレード、どうもピリッとしない、柑橘系マーマレード独特の苦みが無いのである。そこで味直しをすることにして、昨日は結局粉末ペクチンを使わずに丁度い良い加減に固化していたが、昨日使わなかったカボスから作ったペクチン液を少しずつ足していった。半分くらい使ったろうか、それでもまだ入れても良さそうだが、市販のマーマレードさえ苦いと言って敬遠する娘も食べるので、こんなものかと手を打った。
今回の反省点。カボスはオレンジや夏ミカンよりも皮が硬いので、うんと薄く千切りにいた方が良さそうである。オレンジや夏ミカンと違って酸味が強い割に、果肉が少なくて、その分、皮だけを使うとうま味が欠けるのではという気がする、灰汁を取るための煮こぼしは、物の本によると5回くらいとあったが、苦味が抜けると同時にうま味も抜けることになるので、5回は多すぎるかもしれない。果肉が少ないうえに実離れが悪いので、袋についた果肉を袋ごと煮てジャムの方に裏漉しして使った方が良いか、種と一緒に煮てペクチン液を採る方に回した方が良いか、どっちだろう。
これだけ出来たが、他人様にわざわざ食べていただくほどの出来ではないので、今回は自家用に保存食とする。
太郎、月誕生日、月例体重計量、13.0kg
平成24年11月5(月)
昨日日が暮れるころから降り出した雨、量は大したこと無かったようだが夜中じゅうずっと降ったりやんだりだったのだろうか、夜が明けてからも、雨はほとんど止んだがハッキリしない天気が続いていた、午後に入ってからようやく日が射し始めた。
娘たち4年生は、社会見学、国交省九州運輸局主催の海の子育成プロジェクトの「海事教室」だとかで、5年生と一緒に長洲港やユニバーサル造船所の見学旅行に出かけた。
帰ってから話しを聞くと、熊本県長洲町と長崎県雲仙市国見町多比良を40分で結ぶ有明フェリーで往復したそうである、また造船所では、東京タワーと同じくらいの長さの建造中のタンカーを見たそうで、楽しかったあ、と大満足で夕方6時過ぎに元気に帰ってきた。(熊日11/6記事)
今回、娘たちが乗ったフェリーは先年、母親が入院中に父娘の二人でハウステンボスに旅行した際に乗ったフェリーであるが、「覚えているか」と訊いたところ、「覚えているよ、船と一緒に飛んでいるカモメに餌を投げてやったねえ、今日も餌をやったよ」と言っていた。
小生、今日は外作業が出来ないので、カボスのマーマレード作りをした。摘み取った時の重量は15個で約2.4キロ、千切りにした皮だけの重量750グラム強あった。苦味を取るのに5回煮こぼした。
果汁を搾って、種と袋を別にして、皮の内側のワタを少し取って千切りにして数回煮こぼしてと工程が沢山あって半日仕事になってしまった。こうしてみると、いちごジャムがが一番作り易い。
カボスという特に酸味の強い柑橘類のマーマレード、搾った果汁を全部皮と一緒に煮込むと、相当多く砂糖を入れても酸味が強すぎるなあ。それから、別に、種と果肉の袋を煮て作ったペクチン液、非常に苦いので、確かじっちゃいも言っていたがそれを覚えていたので、今回は入れるのを見合わせて様子を見ていたが、もともとカボスの皮などにも苦味があるので、やはり最終的に、ペクチンの精製粉末を使うことにした。今日はもう少し煮込むことにして、ペクチンを入れて完成させるのは明日にしよう。
「阿蘇ものがたり」という市のイメージソングがある、市のホームページで試聴できる。普通、試聴というと数小節聞かせただけで中途半端に打ち切ることが多いが、この試聴、一番だけだが全部聞かせてくれる、そういう意味では良心的だと思うが、以前にも書いたことだが、とても抒情豊かな美しい歌だと思うのでこの地域だけでなく日本中に広まれば良いと願っている、そうなればなによりの阿蘇市のPRにもなる。そもそもイメージソングを作った目的は、CD販売収入を当て込んだのではないのだろう、阿蘇のPRが目的なのだろう、そうであれば、CD販売でみみっちく稼せぐよりは、著作権は保存しながらもフルコーラスを自由に流したほうが、広告費換算でははるかに大きいと思う。少なくとも誰かさんのフレ〜エ、フレ〜エの暑苦しい顰蹙もののパフォーマンスよりずっといいぞ。(イメージソングについては、H22/9/15の日記の長駄文に書いたことがあるが、今改めて読み返してみて、当時その他について長々と書いたこと、本日の日記として書いたとしてもほとんど全く変らずに当てはまるというのはどういうことだ)。
平成24年11月4(日)
曇り。日が暮れるころになって雨が少し落ちてきた、この雨、そんなに長くは降らない模様。
最低気温 4.7℃ (05:36)、最高気温 15.2℃ (12:33)
今日は裏で枯れ草落ち葉を燃やした、もう曜日に関係が無くなって毎日が日曜日になって10年以上が経つが日曜日と言うのは、なんとなく休養日という意識がある。家族の関係だろう。こんな日は、労働意欲が湧かない、そんな時は落ち葉焚きというのは丁度良い、労働と言うほどのことはないがなんとなく「やった」という気になる。(写真1・写真2)
小生がPCに向かっていると、隣りで宿題をやっていた娘が、「お父さん、「地」という漢字は「ち」と読むけど、「地面」はどうして、「じめん」で「ち」に点々でなくて「し」に点々と書くとね?」「えっ?それは「ち」に点々(濁点)で「ぢめん」が正しいだろう」と言ってはみたものの、改めて無意識で書いてもやはり「じめん」と書く、早速、ネットで調べてみて、なるほどと納得した、同じような疑問を持つ人が居るものである。<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013259595>。阿蘇市には宮地という地名、JR駅名などがあるが、これも皆「みやじ」と仮名を振る、昔、職場の先輩の宮地さんに、どうして「ち」に点々ではないのかと尋ねたことがあったのを思い出した、その時は確か答えは返って来なかったと記憶している、お元気だろうか。
平成24年11月3(土) 文化の日(明治節)
晴れ。
最低気温 2.6℃ (06:57)、最高気温16.6℃ (14:06)
夏子は、クラスメートのU那ちゃん一家と小国のスポーツイベントに出掛ける。
太郎は、栗の木を植えた(写真1・写真2)、桃栗三年というから、そんなに遠くない先に、栗が実るだろう。柿は確かに植えてから実が付くのに八年掛かった。
小生は、塗装用の足場組みの続きをした。これで、とりあずは、準備オーケーだ。
ここ二三日、今年もアブラムシが大発生して、雪のように空気中を舞っていて目や鼻の中に飛び込んでくる。アブラムシ発生は春先だとか初夏だとか、そのあたりでは無かったかなあと思って遡って調べてみた。アブラムシのことを初めて日記に書いたのは平成18年10/26,27で、11/1にアブラムシだと言うことが分かった。この後、平成22年11/6にも書いている、大発生する年としない年があるようであるが、発生は間違いなく今の時期のようである。
平成24年11月2(金)
今朝とうとう氷点下になった。全国的に見て今朝は九州の山間部が低かったようで北海道よりも低かったようだ。気象庁の最低気温ランキングでは、阿蘇乙姫は今朝は堂々の第二位だった(じっちゃいがブログに書く時にチェックした時は同率二位だったようだが、その後更に下がって単独二位になった模様)。ボンの水飲みバケツに薄い氷が張っていた、車のウィンドーはガチガチ、高菜畑も稲刈り跡も霜で真っ白になっていた。川面は気嵐で白くもやっていた(写真1・写真2)。風が無く気持ちのいい朝だったが、ボンの散歩中、リードを握る軍手の指先が低い気温に少しかじかんだ。一気に冬がやってきた。
最低気温 -0.7℃ (06:15)、最高気温16.2℃ (14:49)
気圧配置などの気象データから最低気温などを予想するのだろうが、結構正確に予報するものである、予報技術の高さに感心する。
午前中、柿のジャムに挑戦、熟してグズグズになったものだけを選別。何事も、エイッ、ヤアーでやるので、煮詰めてから砂糖を適当に入れた後、クエン酸を少し多く入れ過ぎて酸っぱくなって、また砂糖を加えてと、いささか何のジャムなのか分からなくなった嫌い有り、ペクチンを加えて完成、一瓶分。早速昼飯時に、余った分をパンに付けて食べたが、おー、なかなかの味、未だ「じっちい謹製のジャム」を開けていないが、どれだけ味の違いがあるだろうか。
昨日小生を除いた家族がインフルエンザの予防接種に行ってきたので、本日昼前、小生も古閑医院でインフルエンザワクチンを打ってもらう。問診票記入の段階で係の人から年齢を尋ねられたので、69歳です、と言うと、周辺にいた看護婦さんたちが一斉にエーッ、何かマズイことでも言ったかなあと思って糺すと冗談で言っていると思ったらしくて、とても歳に見えないという。概ね年齢より少し若く見られがちだが、一斉にエーッと言うほどではないと思うが。古閑医院には常日頃お世話になっているが、小生はいつも付き添いで、自身については病気と無縁でほとんどかかったことが無いので、そうか、こどもの年齢からみてもっと若いと思われていたのだろうなあ。接種料個人負担分1000円也を支払う、市のホームページにインフルエンザ予防接種についての補助だとか何かしらの告知があるかと思ってみたが無かった、もう10月から接種は始まっているようだよ。H看護師に接種の写真を撮ってもらう。
午後から、塗装用の足場組みをした。単管が結構重くて、二人でやれば両方を持って一気に上げて留めることができるが、一人で作業をするので、両側を何度も交互に昇ったり降りたり、結構疲れる。今日のところはここまで。
日没時、空が雲ひとつなく澄み渡っている、明日もまた冷え込みそうだ(写真1・写真2)。
体が汚れたのでひと風呂浴びたかったが、すぐには入れそうになかったので、温泉に行って来ると言ったら、娘も一緒に行くと言うので二人で出掛けた、二人とも年会員なのでいつでも木戸御免なのである。
平成24年11月 1(木)
曇り。風が強くて冷たかった。敷地内にあるモミジが燃えるように真っ赤に染まっている。
最低気温 3.7℃ (02:50)、最高気温 12.2℃ (13:36)
朝食時、太郎が突然、お姉ちゃんの食べるのを見ていて自分もハシで食べると言いだした、今まではそんなことを言ったことが無かったのでこれも一つの成長の記録である。ムリだよと言っても、ハシがいいといって、突き刺して食べていた。(写真1・写真2・写真3・写真4)
今日から年賀状が売り出されたようだ、今年ももうそんな季節なのだ。放課後、夏子と太郎は母親とインフルエンザのワクチン注射に行ってきたそうだ、今年は流行が早いようなことを言っていたので、小生も行かなければ。これも今年ももうそんな季節なのだ。こどもたちは二回接種だそうだからあと一回打たなければならない、今年も三価ワクチンだろうか。
今日は足場を組んだり雨樋の掃除でもしようかと思ったが、風が強くて冷たかったので中止、代わりに、枯れ草を燃やした、これだと暖かくて良い。これからの季節はこの作業は歓迎である。それから、薪材を落とす場所を広げようとして畑の方に降りるルートが、以前、軽トラックでスタックしたので、整地をしようと、埋まっている大石を掘り起こしたり、昔からある、(明治になってからすでに160年くらい経っているのだから)多分300年くらいは経っていると思うが、屋敷跡の石垣がちょっと邪魔なので、これを掘り起こすか、遺構として保存するか考えて、まあ、壊すにしても一部だし、歴史的価値は無いから掘り起こそうとしたが、重くて、今日のところはやめにしておいた。(写真1・写真2)
いよいよ薪が毎日入り用になりそうなので、石の掘り起こし作業のついでに傍らに積んである太い幹を何本か玉切りしておいた。
明朝は気温が0℃の予報が出ているが、もしかしたら氷点下になる可能性もあるな、朝になって慌てずに済むよう、薪を用意しておく。