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平成24壬辰(2012)年12月の記録(新しい日付けの順)


平成24年12月31日(月) 

 予報当たらず雪は全く降らず、寒かったがまあまあの大晦日だった。
    最低気温 -2.4℃ (07:21但し夜なって更新中)、最高気温 1.2℃ (15:11)

 昨日届いたおじいちゃんから太郎宛のクリスマスプレゼント、カーキャリアーのオモチャである、太郎に言わせると、「キャーキャリヤ」であるが、色々な車の種類のなかで最も早く覚えた車の一つで、一日中、嬉しそうに触りまくっていた。

 昼飯を終えて、夏子を迎えに家を出る時間と太郎が昼寝をしている時間を睨んで、急に思い立って納めの蕎麦打ちをした、忙中閑ありである。まあ、こんなものだろう。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 小生が子守で忙殺されて何も出来ないのを知っていて、師匠から蕎麦を打ってやったぞと電話を頂戴したが、思わぬ時間が出来たので今打っているところですと、有難くお気持ちだけ頂戴した。

 そろそろ空港に出発しようかという時、南阿蘇の阿蘇坊主どの突然の御入来、出来たばかりの甘酒だといって、まだほんのり温かい一升瓶を届けてくださる。今時分ご住職がこのあたりでウロウロしていて良いのですかと尋ねたところ、正月を迎える準備はもう全部済んでいるとのことであった。頂戴した甘酒も、おそらくは初詣客の接待用に作られたものだろう、有難くご相伴に与る、南無。

 カミさんは仕事なので、娘を迎えに太郎を連れて空港に行く、太郎は飛行機の実物を間近で見るのは初めてなので、寒い中、嬉しそうに飛行機の発着を見ていた。夏子は予定通り午後5時前到着の便で千葉のおじいちゃんおばあちゃんのところから帰ってきた。少しは成長したか?(写真1写真2写真3写真4

 大晦日の行事は例年通り家族ですき焼きを囲んでの団欒。食後、食事中も音は流していたが、娘は(そして多分母親もだろう)、早々に紅白を観ていた(ようだ)。

 大晦日とは関係が無い話だが、今日ラジオでレイ・チャールズの「ELLIE MY LOVE」が流れていた、へえ、サザンの歌は、カバーだったのかと思ってネットで調べたら、反対で、レイ・チャールズがカバーしていたのか、レイ・チャールズはサザンよりずっと昔の人かと思っていた。

 かくして、我家は、我家に関しては今年も息災に大団円である。年越し蕎麦を手繰りながら、来年も変わること無くこの平穏が続いてくれるよう・・・・


平成24年12月30日(日)

 予報では夕方には雨が上がることになっていたが結局一日冷たい雨が降っていた。
    最低気温 0.8℃ (18:41暫定、夜に向けて更に下がっている)
    最高気温 7.2℃ (08:22)

 今日はカミさんは仕事が休みだったが、家事が溜まっているので結局本日も太郎の面倒見は小生の担当になった。ただ、太郎が昼寝をしている間に仏壇と神棚の掃除だけはしておいた。

 太郎は今までは「オトウチャン」と呼んでいたが、今日一緒に風呂に入っていて気が付いたが、「オトウシャン」と呼んでいた、「さん」とは発音できないようだが、教えたわけではないが自然に「ちゃん」から「さん」に替わりつつあるようだ。我家では娘の時もそうだったが、敵性語は絶対に使わせない。なにがパパママだ(これはあくまでも個人的な問題ので、皆さん怒らないでね)と思っている。本当は「父上」と呼ばせたいところだが、呼ばれる方にそれだけのものが備わっていないので「お父さん」で手を打っている。保育園でも自然に観察してくれているようで、保護者によって「お父さん」「パパ」を使い分けていただいているよう感じる。太郎も保育園でのヒアリングで、「さん」に変わってきているのだろう。

 その太郎、最近ようやくオシッコはする前に申告するようになりつつあるが、ウンチは何度言っても駄目である。ウンチをしたくなったらウンチと言うんだよ、「ハイ!」、ウンチをしたままにしているとお尻が痛くなるからね、「ハイ!」実に立派な返事をする、「ウン」でなくて「ハイ!」なのである、ウンで良い時もまだ使い方が完全に分かっていないので「ハイ!」である。何度も注意するので、どこで覚えたか「ユビキリシヨ」と太郎の方から言ってくる。だから、指切りするがいつも見事に裏切られる。その指切りも、まだ小指をスムースに出すことが出来ないので、反対側の手で小指を引きだして、指切りの形にもっていくが、いつも無駄な指切りになってしまう。

 子守しかやることが無いと、日記ネタもそういうことしか無い。最近は、少々高い場所からでもジャンプと言って飛び降りるし、手をついて頭からデングリカエリで降りる

 明日朝は結構な雪になるようなことを言っているが・・・・


平成24年12月29日(土)

 まずまずの穏やかな一日だった。と思う。外に出なかったので分からない。
    最低気温 3.1℃ (08:16)、最高気温 11.8℃ (13:54)

 年末年始、カミさんがほとんど仕事なので、その裏返しで、小生、今日から冬休みの太郎の面倒見で全く見事に何もできず。こうなったら開き直りで、今年は一切何もしないことにした、それでも、ちゃんと新しい年は来るのだから。でも、仏壇と神棚だけは綺麗にしようか。


平成24年12月28日(金)

 雨、予報どおり30mm強降った、気温も高めだったので、朝のうち見事に凍っていた古閑の滝、どうなったろう。
    最低気温 1.7℃ (01:44)、最高気温 12.9℃ (16:21)

 今日は世間では仕事納めのところが多いのだろう、帰省ラッシュも始まっているのだろうか、田舎に居て、テレビを見ていないのでそういった世相があまり良く分からない。普段静かなここ阿蘇も、久しぶりの帰省で各家々賑やかな団欒が戻っているのだろうか。

 雨なので、今日は室内の片づけをした。無秩序に置いてある家具類をいろいろ動かしたので一日かかってしまった。ついでに、昔、中古(ジャンク)で買った業務用のカラオケ装置、本格的なものでちゃんと動いていたが、そのうちにシステム障害を起こして機能しなくなって放ってあったのがたまたま今日目についたので、ネット検索で方策を探して復旧を試みているが今日のところはまだ上手く行っていない。

 太郎が、消防自動車や救急車、パトカーなど鳴り物が好きなので、youtubeで動画を探しては録画したものを繰り返し見ているが、そのなかに、東京消防の出初式<http://www.youtube.com/watch?v=EmHtcdWRUZ4>の動画があって、なかで「東京消防歌」という歌が歌われる。小生も何度も聞いているうちに口ずさむようになって、もともと行進曲や軍歌風のこういった歌は嫌いな方では無いので正確な歌詞を知りたいと思ってネット検索をしてプリントアウトした。そして太郎もいい加減だが覚えて父子して一緒になって歌っている。今朝ふと見ると、あたかも、歌詞が読めるかのように歌詞カードを掲げて一人で口ずさんでいたので思わず笑ってしまった(決してヤラセではない)。

 このイチゴの大きさ、太郎はイチゴに目が無いので、ちょっとカメラを取って来るから待ってろよ、というのに待ち切れずに、少しずつ齧って、カメラを取ってきた時には手に持っているイチゴよりもっと大きなイチゴをとうとう全部頬張ってしまっていた。阿蘇は寒暖の差が大きいので甘いイチゴが採れる、それをいつもご近所のイチゴ農家さんから頂戴する、幸せである。


 22日に中岳から下山途中に遭難してずっと捜索が続けられていた川崎市の会社員、ヘリコプターも出て大掛かりな捜索が行われたにもかかわらず発見できず、救助隊による捜索が昨日打ち切られたそうだが、どうして発見できないのだろうか、不思議である。


平成24年12月27日(木)

 晴れ。夜に入って雨と言う予報だが日没時は綺麗な空が広がっていた。
    最低気温 -4.8℃ (07:23)、最高気温 7.2℃ (14:56)

 午前中、心を込めて、年賀状をやっつける。

 昼から、先日の欅の薪材の積み込みに行く、二日続けて行く予定が雨で田んぼに入れないので延び延びになっていたが、今日、上村さんから電話が入ったので、二台分運ぶ。

 明日はまとまった雨になるという予報だったので、午後から薪作りをする。薪のストック、そろそろ底を尽き始めていたので、薪作り、次の晴れまで待てない状況だった。半日かけて沢山の薪を作ったが、それでも正月早々また薪作りをしなければならないかもしれない。太くてかたい木材ばかりだったが、沢山作ると、作った分、運ばなければならないので久しぶりにヘトヘトになり、家に入ってからちょっと気分が悪くなるほどだった。、
平成24年12月26日(水)

 今朝は冷え込んだがその後は穏やかに晴れて暖かい一日だった。
    最低気温 -3.4℃ (07:22)、最高気温 5.4℃ (13:49)
 
 娘が今日から千葉のおじいちゃんおばあちゃんの家に一人で旅立った(以前は熊本空港と言ったが、いまは阿蘇くまもと空港と言う、観光効果を狙ったものらしい)。一人旅でも搭乗口までは保護者が付き添いで入ることが出来て、そこから先(機内)は航空会社が至れり尽くせりで面倒を見てくれるので全く心配はいらない(ウラヤマシイ)。娘も今回で二度目なので落ち着いたものである午前11時の便で発って、小生がまだ熊本でウロウロしているうちにもう着いたよとお祖父ちゃんから電話があった。年内に帰ってくるそうである。

 娘を送ってからクマデンに寄って、修理に出してあった無線機TS-50を引き取ってきた。故障していると思っていた無線機、二三日前に電話があって、テストしたが正常だとのこと、ハテ、と思って安定化電源DAIWA RS-300をチェックすると、ちゃんと既定の電圧は出ていても、キャリアーを出すとその瞬間にどうもドロップするようである、ということで、正常な無線機を引き取って、代わりに安定化電源を修理に出してきた。

 帰りは最近、嘉島町経由で帰ってくる。先日通った時も不思議な光景だと思ったので今日は写真を撮ってきた。恐らくカラスを模したものだと思うが畑一面、見渡す限り黒いヒラヒラが続いている。何かの若い芽を鳥に喰われないようにだと思うが、なかなか壮観である、このあたりの特産農産物は何だろうかと思って調べてみたが、麦の若芽だそうで、江津湖あたりから鴨が数センチ伸びた芽を喰い荒らしにくる、とどこかのブログに載っていた。効果があるような無いような、とも書いてあった、まあ鴨もバカじゃないから騙されないだろうと思うが、それでもやるんだなあ、この地域だけだろうか。

 何かに干し柿に白い粉を吹かせるにはワラのなかに二三日入れてから乾すと良いと書かれていたので、裏の田んぼから稲を少し刈り取ってきてそのなかに干し柿を入れたが、どういう効果があるのだろうか、納豆菌なら分かるが。例年だと稲刈り直後であればどこにでもあるが、流石に今の時期になると、もうワラは手に入りにくくなる。ところが、今年は夏の水害で、稲刈りが出来なくなってそのまま立ち枯れした田が沢山ある。コンバインでは無理だが、手刈りをすれば沢山米がとれるのに、どこも放置したままである、補償問題で下手に触れないのか、あるいは米価が低いので面倒だから放置してあるのか、成長期に冠水したので実入りが悪いのか、素人には勿体ない気がするが、今日はその中から少しだけ頂戴してきた、厳密に言うと、それは窃盗になるかな。でももう黒ずんで、いずれそのまま鋤きこまれることになるのだろうから、まあ、ご近所だし大目に見てもらうことにした。

 太郎は家では最近うるさいくらい何でもしゃべるのに、朝登園すると先生に、「太郎君おはよう」と声を掛けられてもいつも黙っている。そこでひとつ挨拶を仕込むことにした。「おはようござます」は長い(し、オモシロクない)ので、腕を後ろで組んで、応援団風に「オッス」を仕込むことにしたが、覚えるだろうか。

 今日、熊本に居る時に、阿蘇安心安全ネットワークから車両火災情報がメールで入った。我が家の裏の方で車両火災があったようだ、戻ってきて近くを通ったら、おそらくその車だと思うが田んぼに落ちていたが、遠くから見た限りでは燃えた跡は見えなかった、燃えた車はもう運んだ後だったのか。


平成24年12月25日(火)

 曇り、時々雪がちらつく、今日も寒い一日だった。
    最低気温 -4.8℃ (00:39)、最高気温 3.1℃ (15:30)

 こどもたちのクリスマスプレゼント、娘は特に欲しいものは無いようでリクエストも無かったので母親が衣類を何種類かプレゼントしたようだ。太郎は、とにかく、消防車やパトカーなどの鳴り物が好きで、いつもyoutubeで「はたらく車」を飽きることなく見ているので、消防車とパトカーと救急車の緊急車両三点セットをプレゼントしたら、これはもう全く大正解で、嬉しそうに遊んでいた、しばらくサイレン音がうるさくてしょうがないだろうが、まあ、ガマンだ。(写真1写真2

ここ数日太郎の子守で出られなかったが今日からようやく平常に戻ったので午前中、溜まっている外回りの仕事を済ます。

 床屋に行く。精米する、ようやく新米になった。市役所で献血をする。献血は満70歳の前日まですることができるそうだが、ということは今度の5月までということになるが、もうそろそろ引退だなと思って去年献血したところでやめたつもりで献血カードも何処かにやってしまっていたところ、冬場は血液が足りないので献血に協力してほしいという案内のはがきが来たので、じゃあもうひと踏ん張りするかということで献血をしてきた、もう歳だが、まだまだそんじょそこらの若い奴らよりは立派な血液を供給できるぞ。

 この夏の7.12水害の復旧工事が遅れている、どうしてだろう、激甚災害に指定されたので国の予算で出来るのだろうがどうしてだろうか。田んぼも流木が放置されたまま、河川も崩壊したまま、周辺の農道も各所で寸断にしたままだ。我が家のすぐ裏の山の崩落現場が、数日前からようやく倒木の処理が始まったようでチェンソーの音が響いている。
写真1写真2写真3


平成24年12月24日(月) 振替休日

 小雪交じりで夜が明けて、時間が経つにつれて天気が回復してきて日が暮れるころには空にはほとんど雲が無く夕日で空が赤くなっていた。結局昨夜から雪は降らなかった、それでも、思い出したように雪が舞って、雲の合間から漏れる日射しにキラキラ輝いて、実際に見たことは無いがダイヤモンドダストもかくあらんという風であった。ほとんど気温が上がらずに寒い一日だったようだが、今日もボンの散歩以外は全く、(薪を取りには出たな)、家に籠っていた。
    最低気温 -3.8℃ (20:29暫定、夜になってまだ下がっている)、最高気温 0.1℃ (15:17)

 今日は娘のピアノだか何だかで母子がまた朝から一日外出したので、もう何連チャンか忘れたが太郎の面倒見で一日潰れた。夕食時間もかなり過ぎて帰ってきたので、一応クリスマスの晩餐の用意はしてあったが、慌ただしくて今年のホームパーティは記録に残すような雰囲気ではなかった。

 二日ほど前に、中岳登山で携帯電話で救助を求めていた遭難者が、霧などで捜索が難航していてまだ見つかっていないそうだ。標高差からみると大したこと無さそうだがやはり自然は侮れない。


平成24年12月23日(日) 天皇誕生日

 曇り、午後から雪がちらほら。風があったので体感温度は氷点下6度以下になった、こんな日は、出来るだけ外の出ないようにして過ごした。夜に向けて気温が下がってきている、明朝はかなり低温らしい。
    最低気温 -0.2℃ (16:54但し暫定値)、最高気温 3.7℃ (00:00)

 今日もこどもたち二人の面倒見で一日が終わる。


平成24年12月22日(土)

 終日、細かな雨が降ったりやんだり、気温は高めだった。
    最低気温 5.9℃ (18:27)、最高気温 12.2℃ (02:02)

 太郎半日保育。そして、娘が今日から冬休みなので(尤も今日は土曜日だが)、二人分の昼飯の面倒を見て、また都合で今日は夕食もこどもたちに食わせる。太郎のやつ、入ってきてはダメだと言うのに台所に入ってきてあちらこちら触って危なくてしょうがない。いやに静かだなあと思ってふと目をやると、まだ食事が始まっていないのに、一人でさっさとイスに昇って、揚げたトンカツを黙々と食っていた。まあ、料理人としては美味そうに食ってくれるのは有難いことではあるが・・・・・

JST-10故障顛末
 【故障の症状】専用ACアダプターが故障したので、そのアダプターを切断して、専用のコネクター付きのそのコードをそのまま外部電源用のコードとして使用したところ安定化電源が落ちて本体起動せず。

 【理由】使用する電源によって6ピンのコネクターの入力端子が違うことが分からずに、専用アダプターのコードをそのまま使ったので、バッテリー充電回路につながっていた、従って、バッテリーが劣化していたためにショートして電源が落ちた。外部電源を使う場合は、別のピンから入力しなければならない。

 【解決】専用バッテリーは既に廃番になっており入手不能なので、パッケージを壊してニッカドを別のものと入れ替えれば使えると思ってケースを再利用が出来るように注意しながら分解を始めたが、内部で乾電池同士がスポット溶接でつながっているので、全部取り外すのはちょっと無理なような気がする。まあ、いずれ、それはやることにして、とりあえずアルカリ乾電池(一次電池)を買ってきてスイッチを入れたところ、無事に起動した。外部電源はピンの付け替えがあるので、これも、「いずれ」ということにした。

 Lowpowerで1W出力なのでQRP機として使いたいとも思っているが、この無線機は結構レア物だと思うので動態保存をしておきたいと思っていたので動いて良かった。


平成24年12月21日(金) 冬至

 雨にならないうちに昨日の欅を積み込みに行こうと思っていたら、9時頃からポツリポツリ降り始めて、結局今日は弱いながら終日降ったりやんだりだった。気温が高いので雪にはならないだろう。
    最低気温 -0.5℃ (00:38)、最高気温 9.6 (16:44)

 娘、今日終業式、昼までで、成績表をもらって帰って来る。この年頃の成績なんかどうでも良いので親としてあまり関心が無くて、オイ見せて見ろとも言わなかったし、娘の方からも見せにこなかった、母親には見せているのだろう。この夏の水害もあって、NHKや民放が終業式の取材に来たそうで、夕方ローカルのラジオでもそのことを伝えていた。

 昨日は素晴らしい日没だったが、今日は生憎の雨で夕日を見る事が出来なかった。冬至を一陽来復とも言う、良い言葉だ(と毎年書いている気がする)。カボチャを食べて恒例のユズ湯を立てる。坂本勢さんに柚子を沢山頂戴したが、マーマレードに回そうかなと魔がさして、少しだけ風呂に入れた。
今年のユズ湯昨年のユズ湯一昨年のユズ湯



 「自民党公約には、13年に政府主催で行うとは書いていない」のだそうだ、ふ〜ん、早くもか・・・・・こういうのを「詭弁」と言うのだろう、違いますか、コウ○○さん。


平成24年12月20日(木)

 久しぶりに氷点下5℃台まで下がった、周りの景色は真っ白に凍っていた。今朝の寒さで、年季物のバッテリーが上がって車のエンジンが掛からなくなったので軽トラックからブースターケーブルをつないで始動させた。バッテリー、かなりくたびれていたので、夏のエアコンの回し過ぎで音を上げるかなと思っていたが、夏を乗り越えたので持つなあと思っていたところ、今朝の寒さにとうとう参ってしまったようだ、早速、新しいやつと取り替えた。
    最低気温 -5.2℃ (06:33)、最高気温 8.6℃ (15:15)

 HFの無線機が同時に2台故障してしまった。JST-10とTS-50である。ダメ元でクマデンまで持って行った。クマデンで直すのかと思ったらメーカーに出すのだそうだ。もう公式には古い機械は診ないとのことだが、なんとか出してもらえるらしい。但し、JRCとは取引が無いとかで、預ってくれなかった。小生でももしかしたら直せるかもしれない場所なので、少し開いて眺めてみようと思っている。
JST10故障症状
● SWが入らないので、ACアダプターのチェックをする -------> ACアダプターが故障している。
● 然らばと、ACアダプターのコードを切除して安定化電源から直取りをしたところ、安定化電源が落ちる。 -------> テスターであたると、短絡している。
● DCコード及びコネクターに短絡はみられない、バッテリーパックを取り外すと短絡はしない。
 以上、バッテリボックスと本体をつなぐコネクターあるいは、本体ヒューズを取り外した状態で起きるので、問題は本体側でなくてバッテリーボックス側で起きていると思われる。

 バッテリーを取り外した状態で、DC電源につないでも本体のSWが入らない(ヒューズまで電気が来ていない)ので、基本的にバッテリーを装着しないと閉回路は作れないようになっているのか、あるいはバッテリーが無くても通電するものが、そのあたりで故障しているのか・・・・
 坂梨の坂本建設の工場筋向い付近で欅を倒すからと、上村さんから連絡をもらったので、熊本から帰ってから出掛けた。欅の木は民家側に傾いていたが、ワイヤーで引っ張りながら、無事に田んぼ側に倒した、流石である。今日一台分運んできたが、もう一台分ありそうなので、明日以降積み込みに行くことにした。
写真1写真2写真3写真4

平成24年12月19日(水)

 晴れ。
    最低気温 -1.9℃ (05:30)、最高気温 4.1℃ (14:16)

 薪作りをする。薪を作りながら、時々コーヒーを嗜みながら庭先で無線を楽しむ。といきたいところだったが、今日は晴れていても気温が低くて寒くてあまり楽しむコンディションでは無かった、その上に、今日外に持ち出した無線機(TS-50)、受信は良いのだが、送信系統が壊れている。考えてみたら我が家には満足な無線機は一台も無い。古い無線機は、もうメーカーも修理をしないそうだから、ハムショップで直してくれるだろうか、明日行ってみようか。

 最近、外で作業をしていると、メジロが群れになって、庭先にやってくる、可愛いものである。

 明朝は冷え込みそうだなあ


平成24年12月18日(火)

 曇り(だったかな)。
    最低気温 0.5℃ (17:19暫定、夜に向けてどんどん下がっている)
    最高気温  7.7℃ (00:00)

 阿蘇では用の足りない無線の部品の調達など二三の用件を抱えて久しぶりに山を降りた。ついでに、年末ジャンボを購入してきた、年金生活者には全く他に臨時収入のあてがないので、ジャンボ宝くじは年に二三度購入している。買わなければ絶対に当たらない、買っても絶対に当たらない宝くじ、分かっちゃいるけど億万長者を夢想して買い続けている。今日買ったついでに以前買ったやつを機械に通して見てもらった、5000円が一枚当たっていた、クジ運の無い小生にとって5000円は初めてである、これで運を使いきったか?

 帰る途中、菊陽町馬場楠(ばばぐす)にある「鼻ぐり井手」に寄ってみた。「鼻ぐり井出」とは築城・土木工事の名手と言われた加藤清正が作らせたと言う、阿蘇の火山灰(ヨナ)を多く含んだ灌漑用水に岩盤に一定間隔に穴を穿って、自然に渦巻きが生じるようにしてヨナが堆積しないように工夫された石造施設である。情報としては前から知っていたが、熊本空港の近くにありながら、ほんのちょっとルートから外れているために今まで何度も傍を通っていながら、行ったことが無かった。行く前に想像していた以上に大掛かりなもので、建造が関ヶ原の戦いの少し後だというが大した事業をしたものである。
写真1写真2写真3写真4写真5

(鼻ぐり井手 参考サイト)
 http://r1100rsp.main.jp/kyusyuisan-folder/hanaguriide.html
 http://blog.goo.ne.jp/photo_man/e/6b462d1eb63fe4ea5b7ac5cedc363d3b
 http://blog.goo.ne.jp/k-yokatoko/e/c24937e60d8bd7687b55808cdb4f111b
 http://town.kikuyo.lg.jp/site/bunkazai/babagusuidenohanaguri.html

 今日、全く偶然に気が付いたことだが、走っている軽自動車のナンバープレートが圧倒的な割合で、真ん中でなくて左か右かに寄って付いている。我が家の軽乗用車がそうだったので単なるデザイン上の問題でアクセントを点けるためなのかなあと漠然と思ったことがあったが、今日、その事に気が付いてどうしてだろうと疑問に思っている。前部だけだから、おそらく、エンジンの配置の関係で、ナンバーが真ん中にあるとラジエターに風が良く当たらないからかなと思ったりしているが改めてボンネットを開けて見てはいないがどうだろうか、世の中、気がつかない事が沢山あるなあ。


平成24年12月17日(月)

 曇り。
    最低気温 4.4℃ (01:08)、最高気温  11.1℃ (11:08)

 一昨日、娘が自分でデザインした年賀状を印刷してくれと言うのでプリンターを動かしたところ、「黄色」が出ない、インクカートリッジは交換したばかりだ、見た範囲ではカートリッジに乾燥などの異常が見えない、インクも正常に入っていると表示される、どうしてだろう、これで新しいカートリッジを入れてみて、それでダメなら本体の不具合だろう、プリンターを買い替えるしかないかなと思って、Amazonに注文してあったインクカートリッジが今日届いたので交換しようと思って、その前に、念のためにもう一度スイッチを入れて印刷したところ、ちゃんと黄色が出ている、何でだ?プリンターの場合も固まって、リセットをすることで復旧することがあるのか?ホッ、新しく封を切らなくて良かった。このプリンター、去年の年賀状を作る時に買い替えた4800円也のちゃんとワイヤレスのプリンターである、こんなに高機能のプリンターが今時この値段で、と驚いたものである。今回の不具合が直らなければ、間違いなく修理代の方が高くなるはずである、買い替えた方が安いに決まっている、インク代で儲けようと思っているのだろうが変な世の中である。

 昨日の選挙開票中継、テレビを点けるまでも無かった、ラジオとネットで足りた。お祭り騒ぎが終わった。今回の選挙は振り子の原理が働いただけで、前回民主党に振れた振り子が民主党のオウンゴールで、今度は大きく反対側に振れただけである。その振れ具合が民主党の失政の大きさを表しているということだろうが、自民党は政権に戻った途端に下野して学んだことを忘れると、また、また大きな揺り戻しがある可能性が大いにあるということである、間違いなくある。ただ民主党がどういう党かということが大体国民に分かったと思うのでそうそう大きく振れることはもう無いと思うが、わからない。自民党、選挙が終わった途端に今度は即批判される側に立つわけだから、また国民から失望されないようにやってほしいと思うが、デフラスパイラルから脱却、インフレターゲット等々で高揚していてもすぐにこんなはずじゃなかったとなる、経済はそんなに単純なものじゃないからね、まあ、国民なんてすぐに心変わりする、来夏の参議院選挙までこの勢いを保って、憲法改正を真剣に議論できる環境が作られることを期待しているがどうかなあ。経済も大事だが、一番大事なことは、「国体」即ち、国のidentityだな、「国」無くして経済なんか無い、と小生は。


平成24年12月16日(日)

 くもり。今日も気温が高めだった。本来、このくらいの気温が今ころの気温なのだろうか。
    最低気温 5.2℃ (07:26)、最高気温  12.6℃ (13:53)

 本日、第46回(になるのだそうだが)衆議院議員選挙の投票日。午後から坂梨公民館に投票に行く

 投票時間は一般的には午後8時までだが、ここは山間部?なので午後6時(だったかな)までだった。今晩中に当落の大勢は決まるのだろうが小生は早寝なので、その日の日記は宵の内にさっさと書いてアップしてしまうのでまだ開票までは時間がある。

 結局選挙カーは公示初日に一台やってきただけだった、始めから勝負にならないと分かっていたので他の候補者は過疎地のなかでも特に人口密度が低いここは棄てたのだろう。

 今晩はゆっくりと開票速報を楽しむとする。開票速報は並行して沢山の情報が入るのでこんな時はやはりテレビ画面が必要になるだろうか、点けようか。


平成24年12月15日(土)

 今日は弱いながらずっと雨が降ったりやんだり。それに今の時期にしては気持ちが悪くなるほど気温が高かった
    
 太郎半日保育。

 夜、なごみ野で坂梨宿場會の忘年会が開かれた。今の時期、現役且つ飲兵衛にとっては幾つも忘年会があるだろうが、年を忘れなければならないようなウサも無い世捨て人で基本的に飲まない小生にとってこれが唯一の忘年会である。久しぶりに大勢の仲間が集まって11時過ぎまで和やかに過ごした。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 いまだに良く解らないが(別にわかろうとも思っていないのだが)、最近やたらと「facebook」が目につく、猫も杓子もfacebookだ、あれでいつも不愉快に思うのは、親指を立てた「いいね!」のボタンである。おそらく「直訳」なのだろうが、なにが「いいね!」だ、悲惨な事故を取り上げた時も「いいね!」、事故そのものに対してでないのは分かるがどうも日本語として(こな)れていない、もっと気の利いた言葉を使えよ、と言いたくなる。それから、どうして市などの公的機関までfacebookを使わなければいけないのか、「いいね!」しか受け付けないのか、「ダメだね!」というボタンは無いのか、「文明の才子は文明に酔う」。

 それから最近ラジオを聴いていると、時々、(これも良くわからないが)twitterだと思うが、アナウンサーが、ハッシュタグという言葉を使う、これもよくワカラン、ちょっと数年前まで、放送で「ドット」を伝えるのに苦労していた時代があったと思ったら、今ではごく当たり前にアドレスを伝える時に「ドット」と言っている、「時代」である。最近はラジオとインターネットが融合して、メールで写真を送ってそれをラジオでネタにして放送する視聴者参加番組が増えているが、ラジオ聴取者にはインターネットに縁の無い高齢者が多くいると思うが、そうい人たちにとってはチンプンカンプンだろう。ところで、ドットというのは「画素」で、アドレスは「文字(キャラクタ)」だから本当は「ピリオド」と言うのが正しいと思うのだが、どうしてドットと言うようになったのだろうか。

 更に、うんと昔、「話の泉」というラジオ番組があった。その番組が最近また時々「新・話の泉」<http://www.nhk.or.jp/r1/izumi/>として復活しているのを知って聴いている。近年、このような雑学ウンチクを傾けた含蓄あふれる大人の笑える番組が無くなって、小・中学生、つまり「ガキ」相手の無理矢理笑いとる番組ばかりになって、大人がそのレベルに下がって一緒になって笑っている、それでテレビが詰まらなくなったのだ。最近テレビの視聴人口がどんどん減っているというが、そんなこと当たり前だろう。娘だって、ラジオドラマが楽しい、イメージが広がってイイと言っているくらいだ。

 なんでも、原発に依存しないでも済むという「超臨界圧石炭火力発電システム」という発電方法があるらしい、本当なら素晴らしいことである。


平成24年12月14日(金)

 曇りのち、昼過ぎてからポツリポツリ降りはじめた。
    最低気温 -1.9℃ (03:04)、最高気温  12.1℃ (12:23)

 今日の作業予定としては、予報では夕方から雨だと言うことだったので午前中にボンの小屋の据え付けをして、昼から薪を作るつもりでいた。しかし、天気の崩れが予報より少し早くなりそうな気配だったので、午前中に両方並行してやることにして、ボンの今まで住んでいた小屋を取り壊して焼却しながら、その間に、数日分の薪を作った。

 前の小屋を撤去して改めて見ると、ボンのやつは、ここ掘れワンワンで結構大きな穴を掘っていた、周囲の地面の高さに比べて犬小屋の周囲は随分と低くなっていた。小判でもでてきたか?掘った土は一体どこに行ったのだ。仕方が無いので、裏の方から土を一輪車で数往復して運んで、とりあえず埋め戻してから、小屋を置いた。もっとしっかりと地ならしをしてやりたかったが、急がないと雨が降りだすので、とりあえず今日のところは応急的に設置した。もし、嫌がって小屋の中に入らないといけないので、今まで補助的に使っていた小さな小屋も隣に置いてやった。

 作業が終わってしばらくの間、中に入らないで小屋の前をウロウロしていたが、小生が遅くなった昼飯の材料を買いに出て戻ったら、もう当然という顔をして小屋の中に入っていた。小さい方はコラにでも使わせてやれ。

 半日でタップリ一日分の仕事をした、くたびれた。

平成24年12月13日(木)

 今朝も昨日と同じくらい冷え込んだが日中は昨日以上に気持ちが良かった、まるで春のようであった。
    最低気温 -5.2℃ (06:50)、最高気温  9.9℃ (15:11)

 ようやくボンの小屋が出来た。ペンキが乾かないうちに触ったので、少し汚れてしまった。明日の夕方あたりからまとまった雨になるそうだから、それまでにペンキは乾くだろう、グッドタイミングである。室内全面にアイボリー色の塗料を塗ったので、ヤツは嫌がるだろうか。さっそくコラがちゃっかり入っていた。今度の小屋は屋根を取り外せるようにしたので時々掃除が出来る(が、多分しないだろう)。

 夏子と太郎、インフルエンザの二回目の予防接種を母親に連れられてやってきた。

 寺さんからまたたくさん本が送ってきた、ありがたや、ありがたや。

 夜8時頃、ふたご座流星群を観察すべく夜空を見上げていたが、2個くらいしか見えなかったので、太郎を寝かせつけてから改めて観ようと思って9時過ぎた頃、娘と一緒に外に出たが、薄く雲が掛かっていて星がほとんど見えなかった。


平成24年12月12日(水)

もういちいちチェックしていないが、今朝はここでの今季一番の冷え込みだったのではないだろうか、ひと頃と違って体が慣れたせいかそれほどの寒さも感じなくなった。日中も、風もなく穏やかで、記録的にはそんなに気温は上がっていないが、気持ち良く屋外作業が出来た。
    最低気温 -5.3℃ (07:26)、最高気温  5.6℃ (14:13)

 我家の洗面台のミラーのヒンジを取りつけているプラスチックの枠のネジ受け部分が二台とも重さに耐えきれずだろう、期せずして割れた。二台ともだからおそらく構造欠陥だろう、その部分のプラスチックカバーを取り換えれば済むものを、ミラー一式の取り替えになるそうで、曇り止めのヒーターが入っているので相当の金額になる。いつも言っているが、コストのためだろうが、そんなものメーカーの都合でしかない、本当に日本は資源が無いのになんでも無駄にする国である。メーカーに文句をつけようかと思ったが、今この会社は(多分)創業以来の苦境にあるようでそんなユーザーからの苦情なんて聞く耳なんて持たないだろう。まあ、創業精神を忘れるような会社はいずれそうなるのだぞ、と言うことで、見てくれは悪いが自分で直した。

 ボンの家の新築工事に取り掛かった。今の家は、自ら穴を掘って不等沈下させたもので自業自得であるが、屋根に穴があいているし、まあ、反省もしているだろうから作ってやることにした。化粧コンパネを二枚を使って、どうにか形が出来た、屋根をどうするか、行き当たりばったりでやっているのでまだ決まっていない、床はログハウスのデッキに使う50mm厚の板の切れっぱしを薪にするつもりで何年も前に沢山貰ってきてあったのでそれを敷きつめてやった、床に関してだけは地面から断熱効果抜群だろう。

 技術的トラブルで延期だろうと言われたばかりだった北朝鮮のミサイル発射実験が今日突然行われて予定通り飛んだようだが、それはそれとして、最近頻繁に、日本海側に木造漁船?が漂着する事件?事故?が起きているが、ニュースによると、例外無く「船体にハングルが書かれている」と言う。不思議とハングルで何と書かれているとは言わない。日本のマスコミは、ハングルであることは分かるが何と書いてあるかという読解力は無いのだろうか。たとえそうであっても海保に聞けばわかるだろうから敢えて載せないだけだろうか、どうしてだろう、ニュースの基本であろう、不思議である。無理して考えれば、脱北船の場合、本人の、あるいは残された家族の身の安全のために敢えて伏せているのだろうか。

 日没時、綺麗な夕焼けが見られた、この分では明日も良い天気だろう。(写真1写真2写真3



平成24年12月11日(火)

 曇り。空は曇りがちだったが今朝も気温は低かった、これは放射冷却現象ではなくて、寒気団のせいだ、だからここより高地の阿蘇山頂が氷点下7℃以下に下がっている。いずれにしても、日が射さない低温なので、体に感じる寒さが強い。。
    最低気温 -4.3℃ (05:59)、最高気温  2.8℃ (12:21)

 そろそろボンの小屋でもつくってやるかと、図面を引いた。図面と言っても、コンパネを無駄なく、そしてなるべく楽に作るためのスケッチである。当初、今度は立派なやつを作ってやろうと思っていたが、結局、今までとおなじスタイルのコンパネを切ってボックスをつくるていどのものになる。

 図書館に本を返却しに行ったついでにまた借りてきてしまった。一度に二週間を限度に10冊まで借りられるが、だからと言って単行本の場合はそう多くは読めない。もし読み切れなかった場合は延長を申し出ればそのまままた二週間延長してもらえる。こんな寒い時は、無線を聴きながら本を読むに限る。


平成24年12月10日(月)

 今朝は久しぶりに冷え込んで、その分、日中は気持ち良く晴れた、記録を見てみると一日か二日おきに同じようなパタンーんで下がっている
  最低気温 -3.2℃ (07:10)、最高気温  3.4℃ (14:06)

 先に福岡工業大学が打ち上げた『にわか衛星』FITSATからのLED発光信号のスケジュールが発表されたが、肉眼では見えないほどの弱い光りだそうだ、考えてみたらそうだよなあ。しかもモールスでの発光はたった一回限りのようである。肉眼でモールス信号を読みたかったのに残念である。ところでこの実験、一体なんの意味があるのだろうか。

 香港メディアが中国共産党の内部秘密報告を明かし、中国のジニ係数がすでに危機の臨界点をとっくに突破し、大規模社会的動乱が一触即発の事態にあると指摘しているそうである。向うの国内だけでやってくれる分には身から出た錆というものであるが、対岸の火事だけでは済まず、必ず周辺国にトバッチリが来る、これは考えたら非常に怖いことである。

 昼にメンチカツを揚げてみた。コロッケは時々食卓に上るがメンチカツは、少なくとも家では食ったことが無い。ふと思い立って作ってみた、作るのは初めてなので、まあとりあえずは食えたがあまり満足のいく出来ではなかった。今日の出来を叩き台にすれば次回はもっとうまくいくだろう。ちょっと大きすぎた、下味が足りなかった。

 明日の朝も冷え込みそうである



平成24年12月9日(日)

 昨夜は雪は降らなかったようだ、朝、地面が濡れていたのは、雪だったとすれば、降ってすぐに融けた程度の量だったのだろうか。日中も時々横殴りで降っていたが、積るほどではなかった。今日も風が強くて体感的に寒かったなあ。家の周囲は降らなかったが、山は真っ白になっていた、特に、7.11水害で崩壊した山の斜面、災害後、時間の経過に伴って、崩壊斜面はくすんだ色になり、また落葉広葉の時期になって周囲とあまり際だった区別がつかなくなっていたが、ここにきて積った雪で、改めて被害の爪跡の大きさが分かる、痛ましい限りである。古閑の滝も、周囲の緑が無くなって、ちょっと見ただけでは、滝がどこだか分からなくなっている、いずれ崩壊斜面も緑で覆われるようになるのだろうがそれはずっと先のことだろう。(写真1写真2写真3

 そんな寒い中、今日はアゼリアで水泳などのイベントがあり、娘が参加したが、太郎が居たので送迎だけした。水泳の他にどこかの相撲部屋の相撲教室やちゃんこ鍋のふるまいがあったそうだが、阿蘇の寒い、雪の舞うところでの相撲教室、寒かったろうなあ、娘は、ちゃんこ鍋、美味しかったあと言っていた。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 昨日の新聞に、アジア各国のインターネットユーザーを対象にした日本の観光地の知名度調査の結果が載っていた。それによると九州のなかでは「阿蘇」の知名度が極めて低かったそうである。これだけの自然遺産を持ちながらの結果である、この調査はインターネットユーザーが対象なので、小生が常日頃、阿蘇からの情報発信が足りない、足りないと言っている通りだと思った(だからと言って、個人的には、観光業でも無いし、反日を国是にしている国からはおいでいただかなくても一向に構わない、おいでいただかない方が良いとさえ思っているが)。阿蘇の行政や観光関係者のショックは大きいだろう(ショックを感じれば良いが)。日本に近いアジアでこのありさまだから、世界では「いわんや、おいておや」であろう。ところで肝心の国内ではどうなんだろう、向うに居た頃は、父祖の地だからというくらいの認識程度で、阿蘇のことそんなに知らなかったなあ。最近はどうだか知らないが、例えば、昔のロケの入るドラマなどでも阿蘇が舞台のドラマなんか見たことが無かった、カレンダーの日本の風景写真でも阿蘇が写っているカレンダーも皆無に近かった。やはりインターネットだけでなくて、情報発信不足だったのだろう。


平成24年12月8日(土)    今日は「ニイタカヤマノボレ」の日だった

 曇り。
  最低気温 2.0℃ (17:40暫定)、最高気温 8.2℃ (00:00)

 PCの起動不調、ようやく原因が分かったような気がする。まだ、確かではないが。不調の症状は以下のようにして始まった。

 数日前から、旗艦PC、何度スイッチを入れても、瞬間的に入ったかと思ったらすぐに切れる。その繰り返しを延々とやっていると、ある時、突然スイッチが入る。それも、段階があって、朝起きてまずスイッチを入れようとすると、最初はウンともスンとも反応しない、そのうちに、ウンくらい言うようになる。つまり、オレンジ色のLEDが瞬間的に点灯してすぐに消える、それをしばらく続けていると、今度はスンくらい言うようになる、オレンジ色に加えて、青いLEDが瞬間的に点灯してすぐに切れるようになる。見ていると、青いLEDが点灯した瞬間だけファンが回って、すぐに止まる。またその繰り返しである。昨日まではその動作を延々と続けて何かの拍子にスイッチが入った、一旦入るとその後は全く異常なく運転する。

 インターネットで調べても、これだと言う記事にはぶつからないが、偶然ちょっとしたヒントのようなものを掴んで試してみた。LAN ケーブルを抜いた状態でスイッチを入れると起ちあがるのである。ということは、どうやらHUBに原因があるのではと思うのである。HUBから起動を妨げる何らかの異常信号が出ているのだろう、単に起動を妨げるだけなのか、異常電流かなにかでPCの基板を保護するために、自衛的に保護回路が働いているのか、そこでもう一歩踏み込んでHUBの電源を抜いて一度リセットかけてみたところ、それでまるでウソのようにスイッチが入るようになった、こんなことどこにも書いてないよなあ、こんなことがノウハウになるんだなあ。考えてみたら、我家のHUB、タコとイカとが何匹も折り重なった状態で配線してあり(タコ足配線のもっと酷い状態という意味である、ただ容量的にはそんなに多くないと思っているが)、それに埃が山となっている。近いうちにちょっと掃除をしないとイカンなあ、下手をするとトラッキング火災を起こすなあ。

 年の暮れにきて、中古マシンを買い替えても、今の環境を再現するのは、HDを載せ換えれば済むというものでも無く、ドライバーなんかも全部違うだろうし、気が重いなあと思っていたので、とにかくホッとした。

 今日は太郎の保育園のお楽しみ会。クリスマスシーズンの学芸会のようなものである、今日は母親が仕事を休んだので、娘と二人で参観に出掛けて、小生は留守番をした。よって記録写真が無い、こどもの成長の記録だから写真くらい撮れば良いのにと思うのだが。

 予報では今晩あたり雪になるかもしれないと言っている、もしまとまって降ると、止んだ後もすぐに融けないので、午後から薪作りをしてストックしておいた。


平成24年12月7(金)

 朝冷え込んだ分、日中は穏やかに過ぎた。そして、日が落ちる頃から急に風が強くなってきた、また日本海で低気圧が発生したようだ。
  最低気温 -2.3℃ (01:14)、最高気温 9.2℃ (15:22)

 今日は、小学校の、授業参観、持久走大会、給食試食会があった、例年給食試食会は小生が参加していたが今回は、持久走見物だけにした。

 持久走大会 記録写真 (1/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (2/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (3/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (4/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (5/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (6/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (7/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (8/9) 10枚
 持久走大会 記録写真 (9/9) 7枚

 今朝、PCが起ちあがるまで結局三四時間かかてしまった。どうもマザーボードのような気がする。自分で組み立てたマシンであれば、分解してチェックすることもできるが、既製品でしかも最近の進んだCPU、マザーボードの知識に追い付いていないので、手をこまねいている。RAID構成も、ボードは入っていないので、オンボードなのだろう、小生の知識はPEN4止まりである。今晩、竜巻注意報が出されていて、風がやたらと強くて、雷も接近しているので一晩スイッチを切らずにおこうかと思ったが、切らなければならなくなるかも。

 午後6時過ぎ、三陸沖でまた大きな地震が発生して、津波警報が出された、アナウンサーの緊迫して避難を呼びかける声がずっと聞こえていた。少々膾を吹く嫌いはあるが、これでいいのだろう、結果的に大したことが無ければ、そうか、良かったね、でいいのだから。


平成24年12月6(木)

 昨夜九時過ぎてから急に雨風が強くなり、まるで台風のように家が揺れた(と思ったが、記録を見たら10mをちょっと超えたくらいだった)、日本海に発生した低気圧が北東に移動して、その影響によるものだが、暗いので不安になり、太郎も、コワいコワいと言ってなかなか寝付かれなかった。北日本ではまだしばらくは荒れるようである。

 ログハウスは永住用にしっかり作ってあっても何処かに隙間があるとみえて、放射冷却で冷え込む時はそうでもないが、昨夜のように気温は低くなくても風が強いとどこからから風が入って来るのだろう、スースーして放射冷却時の低温より寒くかんじる。

 本日も、曇り、風が冷たい一日だった。
  最低気温 0.8℃ (06:56)、最高気温 6.7℃ (00:00)

 最近、旗艦PCの調子が悪い、電源が時々入らない。一応箱を開いて山ほど溜まった埃を吸い取って、チェックしたが、スイッチが悪いのか、電源が悪いのか、マザーボードが悪いのか。とりあえず騙し騙し動かしているが、そのためにはケースが邪魔なので、暫くスケルトン状態で使うことにした。

 太郎、月例検量日、13.2キロ(ウンチした後、夕食前)

平成24年12月5(水)

 曇り、一時雪。最低気温は予報ほどは下がらなかったが、日中の気温も上がらずに寒々しい一日だった。阿蘇山も本格的な冬山になりつつある。
  最低気温 -2.6℃ (04:33)、最高気温 5.7℃ (15:08)

 昼前、雪が降りだした、風が無いので音も無く静かに静かに降っていた、一時向うが見えなくなるほど降っていたがすぐに止んだ。坂梨宿のサイトに古閑の滝が今シーズン初めて凍った写真が載っていたので、ちょっと出た時に遠望してみたが、先の山崩れで、周囲の風景が変わってしまっていて、あれ、どこだったかなと一瞬迷った、本格的な氷瀑シーズンになるとどのような風景になるだろうか。

 カボスのマーマレード完成、今回は種と袋などから作ったペクチン液全部使用、ペクチン液、苦くなり過ぎないようにあまり煮詰めなかったので濃度が少し薄かったようで、更に後から少しだけペクチン粉末を入れた。前回作った時よりもカボスが熟した分、酸味が少し弱くなっているが、それでも、もともと酸味を目的とした果実なので酸っぱい、あまり砂糖入れてもしつこくなりそうなので、今回は甘みを抑えた大人の味に仕上げた。苦味取りの煮こぼしも、前回の5回から3回に減らした。

 世界初の北極海航路で九州電力が購入した6万トンのLNGを積んだ船がノルウェーから九州にやってきたそうだ。北極海航路を使うと、スエズ運河を通るより、航行距離で40%、20日間ほど日数が短縮されるそうである。ノルウェイ沖には豊富な天然ガスが埋蔵されているそうで、コストダウンばかりでなく、、中東への依存度が高かったエネルギーの調達先の多様化が期待される。北極海、夏場だけでなくて今の時期でも航行可能なのだろうか、これは地球温暖化がプラスに働いた点である。我々はメルカトール図法の地図に慣れているので、普段気がつかないが、改めて見てみると、北欧から日本は思いのほか近いことが分かる

 ついでに、小生普段から感じていることだが、日本で見る世界地図は総て日本が中心になっているので、東側に太平洋が広がって右端に南北アメリカ大陸、そして、ヨーロッパ、アフリカ大陸は地図のが左端になる。こういう地図を見慣れていると無意識にアメリカ大陸とヨーロッパ、アフリカ大陸が非常に離れていると思ってしまう。だから、昔、どうしてアフリカから遠いアメリカに奴隷が送られたのだろうかと思っていた。また、イギリスから新大陸アメリカに清教徒たちが移住したことについても、どうしても世界地図の左端から右端まで航海したと思ったものである。日本を地図の中央に持ってきたい気持ちはわかるが、世界を見る場合、欧米中心と言われるかもしれないが、地政学上、敵を知り己を知るために、日本を右端に置いた地図に慣れた方が良いと思っている。日本のことは日本地図を見れば良いのであって、世界地図は己と他との位置関係を知るためのものだと思うのである、極東という言葉もそれで分かると思う。

 今日、早速、本命◎印の候補の選挙カーがやってきた、我家の前を連呼しながら通り過ぎただけだが、今回は楽勝だろう。こんな田舎に選挙カーなどやってこないだろうと思っていたが、考えてみたら熊本三区はもともと田舎地帯が主だから、これからもまだ何度かやってくるかもしれない。ただ、今の時期の選挙運動、夕方5時を過ぎると都会と違って田舎は真っ暗になり、そのなかを走ることになるので気の毒と言えば気の毒である。

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平成24年12月4(火)

 曇り時々晴れ。ちょっと雪が舞ったそうだが、小生は気が付かなかった。明朝は氷点下5℃の予報が出ているので、屋外の水道栓を少し弛めておいた、小生の感ではそんなに下がらないと思うが。
  最低気温 1.8℃ (18:23暫定値、夜になって下がっている)、最高気温 8.4℃ (00:11)

 残っていたカボスを採って、マーマレード作りをした。この時期のカボスはもう黄色くなってまるでユズのようになっている。千切りにしたが、前回と違って綺麗な色合いのマーマレードになりそうである。ロットによって全く条件が違うので、匙加減は毎回違う、今回の出来は明日にならないと分からない、娘の耳鼻科行きに付き合ったので今日は途中まででやめた。

 衆議院選挙の公示があり、選挙戦が始まった。都会では選挙カーで煩いだろうが、ここは選挙カー1回くらい回って来るかなという程度である。さてさてどういう結果になるか、楽しみである。



平成24年12月3(月)

 曇り、少し降ったような気がするが、雨量計には記録されていない。
  最低気温 3.8℃ (07:50)、最高気温 10.7℃ (13:26)

 今日は全く何もしなかった。


平成24年12月2(日)  我家の旗日

 ほとんど一日弱い雨が降ったりやんだりだった(ような気がする)。
   最低気温 0.2℃ (00:03)、最高気温 7.2℃ (15:58)

 娘はカミさんと熊本市内にピアノだか何だかのイベントだかなんだかがあって、朝から夕方まで出掛けた、おかげで小生は太郎の子守を一日やるはめに、へとへとである。

 聡雄さんが溶接機を使うためにやってきた、何やら楽しそうなものを作っているようである。朝、始業前点検をしたところ、しばらく使っていなかったので、バッテリーが上がっていたので軽トラックからブースターケーブルを使って始動させた。バッテリーが小さくてしかも気温が低いので蓄電能力が自動車のバッテリーなどと比べたら低いのだろう。

 今日は、我家の阿蘇移住記念日である、平成13年の今日、小生の終の棲家に決めた阿蘇に家族三人で移り住んで丸11年、その間に婆様を送って、そしてこどもたち二人を得たのだなあ(と去年も書いているなあ・・・・)。

 中央道の笹子トンネルで大きな崩落事故があった、これが中国の話しであれば分かるが、日本で起きるとは・・・

平成24年12月1(土)

 曇りのち晴れ。
   最低気温 -0.8℃ (05:03)、最高気温 8.1℃ (14:29)

 師走である、師が走る月であるが小生は走らない・・・・

 太郎半日保育。保育園でおやつをタップリ食べさせてもらうので、太郎は大体昼飯不要になる。娘に、先日揚げたトンカツでカツ丼を作ってやる。女だてらに、「うめえ〜」と歓声を上げて食べていた。料理人としては嬉しいものである。

 太郎のやつ、静かな時は何か悪いことををしていることが多いが、今日もいやに静かだなあと思ってそっと覗いてみると、お姉ちゃんが以前遊んでいたママゴト?セットを並べて一人で一生懸命何かやっていた。

 太郎の昼寝をお姉ちゃんが受け持ってくれたので、昼から薪作りをした、タップリ一週間分はあるだろう。



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