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平成25癸巳(2013)年1月の記録(新しい日付けの順)


平成25年1月31日(木)

 晴れ、今日も昨日以上に暖かくて気持ちのいい日だった、このまま春が来てしまいそうだ(そうはいかないだろうが)。
    最低気温 -1.9℃ (06:01)、最高気温 13.7℃ (15:57)

 太郎保育園復帰。

 さあ、溜まっている仕事をやるぞ、と午前中は、折れた薪掴みの溶接をする。この薪掴みハサミはストーブのなかで燃えている薪を掴んで動かす際に必需品である、特に我家の薪は大きくて重いのでなおさらである、優先順位一番で修理に取り掛かる。

 結構母材の丸棒が細いので、最初、3.2Φの棒でやったところ、付くどころか逆に溶けてしまった。そこで2Φの棒を使って溶接電流を一番低い目盛りにして(何Aだろう)、やったところ、すぐ溶接棒が母材にくっついてしまう、それを何とかだましだましやるうちに、だんだん要領を掴んで面白くなってきた。

 最初の作品は、支点部分を折れていない方のハサミと同じ板厚に作ったが、薄すぎて体重を掛けると簡単に曲がってしまうほどである。そこで、見てくれより、実用性だということで、肉盛りをして厚くして作りなおした。気に入らずに、そして面白くて何度もやりなおして、気がついたら午後2時を過ぎていた。後は穴をあけてかしめればいいだけだから、これは雨が降っても出来るので、とりあえず、この作業は今日はここまでにして、明日は雨だそうだから、夕方まで、薪作りをした。

 今日は道楽をやる時間が無かったので、APRSのソフト、 UI-View32をインストールして、ログインが出来ることを確認しただけである。



平成25年1月30日(水)

 晴れ。今日も気持ちのいい一日だった。明日はもっと暖かくなるらしい。
    最低気温 -3.5℃ (07:11)、最高気温 12.0℃ (15:25)

 当番の交通指導にいつもの辻に立つ、当番が終わって帰る途中、小学校正門前に回って登校風景を眺めてから帰る。

 そして、今日も一日外に出られずに太郎の動きを横目で見ながら道楽を続ける。太郎、もう眼ヤニも出ずに綺麗な目をしているから、明日から保育園に出そうと思う。

 数日前から娘の足の指先が腫れて痒くて痛いというので、夕方になってまたまた、三人で熊本市内の皮膚科まで出掛けて行った、そんなもの自然に治るから放っておけと言うのになんでも直ぐ医者にかかろうとする、まったく○○な母親である。人間の自然治癒力というものが全然分かっていない、薬が病気を治すので無くて、体が治すのだ、薬はそれを助けるだけだ、だからほとんどの病気は放っておいても治るのだ。・・・・・診察の結果、シモヤケだと、そんなこと最初からわかっているだろう、今の若い奴らはシモヤケも知らないのか、バカたれ(あっ伏字にするの忘れた)。

 小生は連中の居ない合間を使って日没前まで大急ぎで薪を作る。

 今日はインターネットからターミナルソフトを落としてインストールした。ソフトは「Tera Term」である。もう大昔になるが、パソコン通信の黎明期、ターミナルソフトなるものがまだロクに無くて、かろうじて商品として売っていたのが、確かASCII社のC-TERMと言わなかっただろうか、ユーザーインターフェースが極めて悪くて、小生なんか意味もわからずにコマンド入力で設定した記憶がある。その後、ターミナルソフトは全盛になり、秀term、Wterm、それからKtermだったかな、フリーソフトの方が市販ソフトより優秀なソフトが多かったが、それもインターネットの時代になってほとんど使われなくなったようだ、またこうして使うことになろうとは感慨深いものがある。

 ついでに、今日、ターミナルソフトのことを検索していて、DOS時代に絶大の人気を博したフリーソフトのファイル管理ソフト(ファイラー)「FD」の開発者、出射厚さんが2004年に亡くなっていたことを読んだ、隔世の感である。

 TNCとPCは、D-SUB9ピンのRS232Cのクロスケーブルでつなぐことが分かったが、ストレートもクロスもあるから安心していたところ、肝心のクロスケーブルがオスメスの違いでTNC側が入らない。昔はRS232Cなんて今のUSBケーブル並みに一番よく使うケーブルだったので腐るほどあったが今ではあまり使わなくなってほとんど棄ててしまった、よく探せばまだあると思うがここまできてこんなことでお預けを食らうのはタマランので、とりあえずジャンクの山を掻きまわして、不格好ながらオスメス変換コネクターを見つけ出して、ようやくつなぐことができた。

 クロスケーブルをつないで、ターミナルソフトのパラメーターを設定してからおもむろにスイッチを入れたら、TNCからディスプレーに無事にopening messageが流れた、なんとか、TNCとPCの接続は上手くいったようだ、しかし、TNCのバックアップ用のリチウム電池が切れているので、電源を切るたびに日付等の設定が初期化される。

(後記・・クロスとばかり思っていたが、結果的にストレートケーブルだった)
 
バックアップ用のリチウム電池は基板に直付けでなくて、なんとなくホルダーに差しこむようになっているが、この外し方が判らなかったが、しばらくいじくりまわして強く上に引っ張れば取れることが分かった、このリチウム電池の刻印はCR2032とある、おそらく汎用性のあるものだろうとホームセンターに行ったら売っていたので早速取り替えた。

 しかし、KISSモード下でバックアップ電池で保存されたこれらの設定は必要になるのだろうか。

 このなんとも悩ましい?KISSモードはTNC本来の諸機能をスルーして直接PCと結ぶのではないかと思うが、KISSモードについての説明がネット検索でほとんどない、KISSモードを使う以上当然知っていて然るべきだから特に説明がないのかどうか分からないが、数少ない記事の中から見つけものによると、

 「KISSモードでは、TNCは単にRS232C上の非同期信号と無線上の同期HDLC信号との変換を行うだけとなり、AX.25プロトコルはホストコンピュータ側において処理される」
     或いは
「KISSは、Keep It Simple Stupidの略で、従来AX.25プロトコルで動作するTNCをTCP/IPで動作できるようにする設定。」だそうだから、大体小生が理解しているもののようだ。

 IGATE局を動かす場合は、そのプログラムはPC上のAPRSソフトで行いTNCではやらないから、このKISSモードを使って動かすことは間違いが無いだろう。

 となると、IGATE局運用に、Tera Termのような高機能のターミナルソフトを使わなくても、Windowsに標準で入っているハイパーターミナルでも良さそうだがどうなんだろうか、何れわかるだろう。

 あと残る工程は、無線機とTNCの接続だが、コネクターの半田付けがあるし、まあ、ここまできたら慌てない慌てない。


 畑から我家の全景を映しているカメラが今朝から画像を送っていない、一番長くケーブルを引きまわしているカメラなので、故障個所を特定するのが面倒だ。もともと屋外用のケーブルじゃないところに持ってきてもう10年動かしている、時々刈払機で傷つけたりもしている、ここのところの低温でケーブルが切れたりショートしたか、或いはカメラ自体の故障か、キャプチャー部分の故障か、興味が少し他のところに行っておりなかなか重い腰が上がりそうもない。午後も遅くになってPCのスイッチを切るか、と思ってモニターを見たら、なんだ、生き返っているではないか、やはり低温にやられたのだろうか。

 今日の産経ニュースに、タブレット端末が急速に普及しているとあった。最近では電車の中でスマホに代わってタブレットを見ている乗客が増えたそうである、田舎に住んでいるとそのような光景には実際にはお目に掛からないが、いままででも、電車に座ると皆一斉に携帯を取り出して黙々とディスプレーを見る光景が見られたので、それが大きなタブレットに変わったのだろう、都会ではいよいよもって奇異な光景が展開しているのだろう。

 タブレットの普及は当然予想されることで、小生なんか携帯の小さな画面でインターネットなんか見るのはとてもではないが我慢できないのでほとんど見ないが今の人たちはヒマさえあれば、良く見るものがあるなあと感心するほどいつも携帯の画面を覗いている。

 そういう人たちは恐らく家でPCを使う習慣が無いのだろう、だから、小さな画面に慣れていてそういうものだと思っていて特に不便を感じないのだろう、そういう人たちが、手軽に大きな画面で見られるタブレットに移行するのは十分に想像できることである。彼らはパソコンの使い道はほとんどインターネット閲覧なのだろうから、敢えてパソコンが必要ではないのだろう、スマホより画面が大きくて軽くて安価でどこでもインターネットが見られるタブレットが普及してあたりまえなのである。

 翻って、ここでは市が無料で配布している「お知らせ端末」というものがある、まあ、これも持ち運び自在ではないが、タブレット端末くらいの画面サイズである。このお知らせ端末で配信していたコンテンツが利用が少ないとかで廃止されることが今日の告知にあった。これもまあ、なるべくしてなった結果だろうと思う。

 そもそも、「防災無線」兼「市内無料のテレビ電話」である、だから設置場所が玄関だとか少なくともゆっくり座って見るような場所に設置していないのが普通であろう。そんな端末に、ゆっくり座ってみるような情報を流しても見る人は居ないだろう。それに、画質が悪く光回線と謳っていながら速度が遅くていらいらする、如何にも中途半端な端末なのである。このお知らせ端末、本当に必要な情報だけが流されればいいと思っているので、どうでもいい中途半端なコンテンツが無くなってかえって清々しているところである。


平成25年1月29日(火)

 穏やかに晴れる。
    最低気温 -5.8℃ (06:44)、最高気温 9.1℃(14:56)

 太郎、結膜炎で医師から登園禁止令がでたので今日から自宅待機である、ということは小生が面度を見ると言うことである、しかし発熱で寝ていなければならない病気ではないので気が楽ではある、せいぜい仲良くやることにした。

 オイ!太郎、昼何を食いたい?・・・ウドン!。そうか、じゃあ買いに行くかと車に乗せてスーパー宮原へ。店内を回っているうちに、アンパンマンパッケージのこども用レトルトカレーが目にとまり、カレーが食べたい!急遽予定変更、昼はカレーになった。パッケージを「太郎が持つ!」と言って離さないので、レジ係も心得たものでこれだけにシールを貼ってもらう。レジ係の人から、お孫さんですか?と訊かれる、考えてみたら太郎と二人で行くのは初めてだったかなあ。

 太郎にはyoutubeから落とした消防車などの動画を見せながら、小生は己の道楽を少しずつながらやる。

 APRSの記事、今までインターネットで検索して資料は沢山あるがバラバラなので、この際と思って、系統だって書かれているマニュアルを調達した

 APRSのIGATE局用の機材が一通り揃った。PCは以前自宅サーバーに使っていた省電力サーバーマシン(NETBRAIN)があったのでそれを使うことにした、贅沢なことにこれでもRAID構成になっている。随分長い間使っていなかったので、OSのアップデートファイルだけで数十メガありそれを落とすだけで大変だった。明日、ターミナルソフトを入れてTNCをつないでみよう。

 並行して無線局の変更申請の電子申請の準備下調べ。以前やったけど全く忘れている、復習の要あり。

 局免の申請の際に、工事設計書を添付するが、送信機の通し番号は書くがリグの名前は書かないので、どのリグがどの送信機か分からなくなる、特に前回再申請の際に電子申請をしたが、控えをとっていなかったようで内訳がサッパリわからない、今度IGATE局用の無線機を何番にすればいいのだろうか。そもそも免許状にその記載が無いのは実に不親切のような気がするが。包括的にしか書いてないということは逆にその範囲内なら改めて申請しなくてもなんでも良いということにもなる。

 ストーブで使う薪掴み。我が家のまきは一個で何キロもあるので、とうとう折れてしまった。溶接で付けるか、折れた片方を丸棒を使ってガスで曲げて新しく作るか、さてさて。


平成25年1月28日(月)

 晴れ。今朝も冷え込んだが、久しぶりの穏やかな冷え込みで、昨日までの風の冷たさでなく気持ちが良かった。起きた時は風が無かったが最低体感温度が低かったと言うことはその頃は風があったのだろう。
    最高気温     4.4℃(15:48)
    最低体感温度 -7.8℃(03:10)
    最低気温    -4.1℃(07:31)

 午前中、市役所に、電子証明の更新に行く。インターネットで申告をする際には必要なもので、3年ごとに更新をしなければならない。電子処理のための手続きだから、さっさと終わるかと思ったが結構時間が掛かった、確か前回はサッと終わったと思ったが記憶違いか。係の人が慣れておらずもたもたしているのかなと思って遠まわしに、こんな証明をしてもらう人、あまり居ないでしょうと聞くと、確定申告の時期になると何人かお見えになりますと言っていた。住基カードの有効期限と電子証明の有効期限は違うから、住基カードと電子証明とは別物と言っていいのか。住基カードを持っている場合でもネットで申告などしない人は電子証明は必要ないのか、鳴り物入りで導入した住民基本台帳ネットワークシステムの普及率はどうなんだろう。

 知り合いにQSYしてあった2M用のリグTR9000、使っていないというので、APRSのIGATE局用に使えるかどうか、再度当方にQSYしてもらった。当時使わなくなって数年経っていて、その時はチェックしたが、それからまたもう5年以上経っているので果たして生きているかと思ったら立派に生きているようである。ついでにGPアンテナも付いてきた、これはこちらから行ったものかどうか記憶にないが、そうだと言うので受取っておいた、これでアンテナの心配も無くなった。

 あとはこのリグのマイクは6Pだから、TNCとつなぐために6Pコネクターだけは新たに取り寄せないとならないかなと思って屋根裏を引っ掻き回していたら、昔、4Pのハンドマイクを6Pのリグで使おうとしたらしくてマイク変換コネクターを作ったのが見つかったので、これをバラせば、コネクターも改めて調達する必要が無くなった。

 屋根裏に上がったついでに、1200430のモービル機が出てきたので、生きているか、調べてみたが、二つとも大丈夫だった。数年前に眠っている保有リグ、使えるかどうか調べた時によく使う2m等のリグは調べたが、数台ダメになっていた、こちらに来て1200も430もほとんど使う機会が無いのでその時に調べないままにしてあったがちゃんと生きていた、でもまたこのまま時々通電しながらお蔵入りになるな。

 それにしても全部で何台のリグがあったのだろう、よくもまあ無駄遣いをしたものである。我家の屋根裏は、ここに来た時は当然空っぽだったのに、こちらに来るにあたって相当整理をしてきたつもりだったのにいつの間にか秋葉原顔負けのジャンク屋になっている、Mコネ、Nコネ、BNCコネなど、どんな変換でも出来るくるらい色々な変換コネクターがころがっている。たった一か所の用が足りずに全部が機能しないことがよくあるが、そういうことが無いようにいつの間にか揃えたのだろうなあ。

 大体一通り機材は屋根裏ジャン屋で揃った、これでひと安心ということで、またしばらく、小休止しになりそうだ。

 太郎、今日保育園で眼ヤニが出ていて目も少しウルウルしているようですと言われたそうで、そういえば、昨日あたりから、風邪気味なのかなと気にはなっていたが、早速、保育園から帰ってきて母親が小野眼科に連れて行った。診断の結果、結膜炎だそうで、小野先生から保育園をしばらく休むようにと言われて帰ってきた。結膜炎は人に伝染するらしい、明日からまた小生の地獄が始まるなあ・・・・でも、寝ていなければならない病気ではないので、車に乗せて連れまわすことは出来るなあ。



平成25年1月27日(日)

 曇り時々晴れ、時々雪が舞う。今日も寒そうな一日だったなあ。
    最低気温     -4.8℃ (05:55)
    最低体感温度  -6.1℃ (05:56)
    最高気温     0.8℃ (13:23)

 朝飯を済ますと、こどもたちは母親とそそくさと出掛けて行った。どこへ行くのかと聞くとなんでも、熊本市立熊本博物館と言っていたような気がするなあ、今何かやっているのだろうか。中途半端に残られると面倒だが全員一斉に出掛けてくれると清々して大歓迎である。(帰ってから訊くと、県立美術館だったそうだ、何を見に行ったのだろうか)

 APRSのIGATE局開設をするべく、頭の整理を始めた、ほんの少し前に散々やったのにもう完全に忘れている。もっとも前回はTinyTrak4 を使ったクライアントとしてだったが。(このTinyTrak4も中途半端でそのままになっている)。

 必要な機材は144MHzFMトランシーバー、これはとりあえずは余っているリグがあるからこれを使ってもいいが、リグごとにマイクコネクターの形状が違ってピンアサインが違うだろうから、リグごとに半田付けをしなければならない。そもそもマイクコネクターがあったかなあ、探せばあるだろうがとにかくどこにあるか探すのが大変だ。

 RS232Cケーブルはクロスかストレートか・・・・

 それからTNC、これは最近はソフトウェアTNCというものがあって、ハードは不要だそうだが、幸いにGMMからQSYしてきたTNC231が奇跡的に動くのは確認済みだからこれを使えば良い、またここでも、DIN8かminiDIN6かどちらだったかのコネクターが要るなあ、これも屋根裏に上がって探さなければ。それにTNCの操作だな、KISSモードって何だったかなあ・・・

 PC・・・省電力ファンレスPCも屋根裏にあるなあ。

 最後にAPRSソフトか、これはUI-View32を使えば良いのかな。

 アンテナがいるなあ。八木かGPか・・・・・

 大体これだけ揃えれば、開局できるわけか?ということは、最優先で装置同士をつなぐコネクター類をとにかく探さなければならないということになるなあ。コネクターさえ揃えば開局申請は別にしてすぐにでも運用できると言うことか?・・・ブツブツ・・・・・

 午後から天井裏にもぐりこんでTNCにつなぐDIN8をようやく見つけ出した、寒かったあ。これでいいはずだなあ。

 古いのでもうメーカーがサポートをしてくれない IC-R7000、ダメ元でクマデンに預けてあったが、開いてみたけど修理不能だと電話がある、恐らくそうなるだろうと思っていたので廃棄方お願いする。

 茅ヶ崎鶴が台ハムクラブの新年会の写真が廣永OMから届いた。今回は是非出席したくて直前まで飛行機の手配の準備などしていたが、色々家庭の事情を考えると家を空けることが難しくて残念ながら断念した。もう大昔、皆さん(一部そうでない人もいるが)、鶴が台公団住宅の住人だった頃、集合住宅という無線をやるには非常に条件の悪いなかでアマチュア無線に情熱を燃やした人たちばかりで今でも、懐かしくて毎年集まって昔話、無線の話などをしている。(写真1写真2

 アマチュア無線のアワードにDXCCという非常に権威のあるアワードがある。世界を340以上の地域(エンティティ)に分けて、その地域と交信して貰う賞である。全地域と交信すると、「DXCCナンバーワン・オナーロール」という称号を貰え、残り10エンティティを切ると「DXCCオナーロール」という称号を貰える。そもそもその地域にアマチュア無線家が居ないところもあれば、日本からの電波伝播条件が非常に悪い地域もあり、極めて達成困難な目標で、達成まで何十年も掛かる、いや何十年掛かっても取れない難しいアワードである、そのとんでもないアワードをメンバーのJA1TAAが「DXCCナンバーワン・オナーロール」JF1JTQが「DXCCオナーロール」を達成している。それ以外にも皆さん無線の猛者ばかりである、写真を拝見すると流石に最近は皆さん年輪を感じる。


平成25年1月26日(土)

 雪のち曇り。
    最低気温     -1.7℃ (01:19)
    最低体感温度  -6.7℃ (01:45)
    最高気温     0.3℃ (13:49)

 朝起きるころから雪が降り始めて辺り一面真っ白になったが、雪雲が阿蘇に来るまでに途中でほとんど降ってしまっており、積雪量は僅かなものであった。今日も気温以上に寒さの強い一日だった、最高気温がほとんど0℃近かった。。

 今朝またパソコンの電源が入らなくなった。ここのところずっと始動時にLANケーブルを抜かなければ電源が入らなかったが、それでも抜くと確実に入っていた。しかし今朝はそれも受け付けなくなった。何かで、気温が低いと電源が入らないというような記事があったので、試しにケースを開いてドライヤーで温風を送って暖めてやったら電源が入った。たまたまだったのかどうか分からないが、まるで、自動車のエンジンのようだ。第一、暖めてやらなければならないほど室温は低くないのだが。

 娘たちの、今週の火曜日から続いていた国立阿蘇青少年交流の家での合宿通学が終わったので昼前に迎えに行った。雪で登れるかなあと思っていたが、すでに止んで全く影響は無かった。少しは人間的に成長して帰って来ただろうか。その足で、保育園に寄って半日保育の太郎を引き取って帰ってきた。車中での久しぶりの姉弟の対面、お互いに照れていたようだ。(写真1写真2写真3写真4

 娘は帰ってくるなり、少しだけ積った雪でミニ雪だるまを作っていた。(写真1写真2

 昼飯は焼うどんを作ってやる、いつも醤油仕立てで作るが、今日は焼きそば風にソース仕立てで作る。大変好評で娘に小生の分まで食べられた。料理人にとっては嬉しいことではある。

 ちょっと雪が降ったり、あるいは台風シーズンでコースにはいったりすると、ホームページのアクセス数が急に増える。故郷の様子が気になる人が多いのだろうか。17:00現在

 新聞の訃報欄によると、昨日、坂梨の古閑学さん(83)が亡くなられた由。

 明日の朝は一番の冷え込みになりそうである。


平成25年1月25日(金)

 最低気温は氷点下ちょっとだったが、今日一日、風が強くて、体感温度が6℃くらいあった。同じマイナス6℃の低温でも放射冷却時の低温よりはるかに寒い。
    最低気温    -0.7℃ (08:25)
    最低体感温度 -6.1℃ (08:33)
    最高気温     4.8℃ (00:00)

 非常に興味がありながら、色々気が多すぎて、ずっとペンディング状態が続いていたAPRS固定局運用の検討、ひょんなことからまた開局に向けて準備を再開しようかと考えている。APRSのI-GATE局が良いのかデジピート局が良いのか。

 現在、ADSL回線でホームページのサーバーを二本立てて、気象観測のサーバーを立てて、ライブカメラサーバーを数本動かしてクライアントとしてもインターネットを使いまくっているので、ここにきてAPRSのI-GATE局を動かすとなると、トラフィックが増えて輻輳が起きないだろうか。デジピート局なら、無線機とTNCだけで完結する(はずだ)からインターネットは使わなくて済むのだったかな、デジピート局は常時ビーコン出さないといけないのかなあ、八木を固定ビームで阿蘇山にぶつけると遠くまで飛びすぎるなあ、阿蘇谷だけでいいと思うのでGPでいいだろう、昔と違って144MHz帯はガラガラだからフォーン局には迷惑にはならないだろうが、もういちど資料を読み直して復習をしないといけないなあ・・・ブツブツ・・・・。


平成25年1月24日(木)

 朝は美しい日の出で阿蘇山が久しぶりに輝いていたが、その後はずっと曇り空だった(ようだ)。
    最低気温 -1.0℃ (02:33)、最高気温 6.4℃ (15:47)

 今日は大腸の内視鏡検査日である。昨夜就寝前に、緩やかに翌朝に効くのだろう、2錠の下剤を飲んで、朝には更に、これは即効性の下剤だろうかなんだろうか5錠を飲んで、それから1.8リットルの下剤液、これはクエン酸液に酸化マグネシウムが主成分でsportsドリンクのような味がする。夏場ではなし、1升も飲めるだろうか、飲むとどういう現象が起きるのかなどとちょっと不安があったが、案ずるより「排泄す」が易しである。もっとゆっくり飲めば良かったのかもしれないが、飯を食っていないせいもあって、グイグイ飲んで、その後しばらくして特に苦痛も無く何度かトイレ通いをして腹の中の物をすっかり出しきった。頻繁のトイレ通いで話による肛門がヒリヒリすると聞いていたがそれも無かった。

 いささか尾籠な話ではあるが、最後の方は、まるで小便が出口を間違えたかのように後ろから透明な水がほとばしる。これで胃から直腸まできれいさっぱり何も無くなったわけで、考えてみたら、時々これをやると消化器系の内臓の掃除ができるなあと思った。尤も、腸壁を綺麗に掃除をしたからどうということは無いだろうが。

 帰りはまだ麻酔が残っていて危ないだろうとのことで、往復とも古閑医院で送迎をお願いして午後2時に迎えの車で医院に行った。そこで、術着に着替えて、下はスッポンポン、うしろに穴のあいたパンツを着て横になった。点滴を付けるのでどうしてですかと問うと、水分補給ですのとこと(緊急時にもこのラインを利用するのだろう)、ついでに血圧計もセットされた。麻酔のいろいろトラブルを起こす人がいるらしい。しばらくて、点滴の針の所から麻酔を入れて、すぐにボーとなって、ものの三十分ほどだったか、覚醒してきたので、もう終わったのですかと尋ねると、終わりました、その間の記憶全くなし、じつに簡単なものである。麻酔が完全に切れるまでしばらく横になっていてくださいとのことだったが、はやり心配だったようでカミさんが仕事帰りに寄ってくれて、カミさんの車で帰ってきた。

 担当看護婦さんは、なかでも一番よく知っているMさんとHさんのお二人で、お互いの家族のことなどを色々話しながら和気あいあい、ついでに看護婦さんに経過をずっと写真に撮ってもらいたかったが、不謹慎だと叱られるといけないのでやめにした。腸内の写真だけもらってきた(盲腸の近くウンチが少し残っていたなあ)。

 肝心の診断結果だが、泰山鳴動だったようで、盲腸のあたりまで診たけど、ポリープないです、小さな憩室があるから、そこに食べ物が詰まって炎症を起こしたのでしょう、と、薬も何も無く無罪放免となった。自分の健康に過信することなく、こういった機会をとらえて謙虚に自分の体を見つめ直すことができて良かったと思う。結果的に何事も無く良かったと市の健康診断に感謝をする気持である。まだまだクタバル訳にはいかないからなあ。ふた昔くらい前だと、潜血反応陽性などというと、もう絶対に助からないガンを想像して絶望的になったものだが、近年は昔に比べてそんなに慌てなくても良いように医学が進んでいて安心である。


平成25年1月23日(水)

 くもり。どうも天気がハッキリしない。ここのところの気温の緩みで古閑の滝がすっかり融けてしまった。
    最低気温 2.4℃ (07:44)、最高気温 5.7℃ (16:38)

 午前中、中川さんからエクセルの操作で119番、救急要請が入ったのでちょっとサポートに行く。小生より幾つ先輩だろう、excelもWordも色々な地域活動の資料作りなどで使いこなしておいでだ、もう一歩踏み出して、インターネットの効用を勧めるのだが、どうしても導入に躊躇されている。そのひとつに、どうもウイルスなどの危険性にたいする過剰な心配がおありのようである。インターネットでニュースになるのはウイルスやスキミングやサイバーテロなどのデメリットな面ばかりだからさもありなんだが、自動車でも人を轢くし、ぶつかって自分が死ぬこともある非常に危険な乗り物だから乗ってはいけないと、マイナス面だけで判断しないでしょう、そういうデメリットを上手に避けて便利さを享受するのと同じですよと申し上げているのだが・・・・・・(中川さんにしてこのような状態だから、行政が公民館でインターネットを開放してもっと敷居を低くする手立てを講じてあげたら解決できることなのにと歯がゆいこと夥しい限りである)。

 1/19に我が家にハムショップ「クマデン」のスタッフYL局、JE6JDXさんにお訪ねいただいたが、エール交換ということでも無いのだろうが今日のクマデンのブログにその訪問記が載っている、小生は、普段、撮る側ばかりなので、たまに撮られると照れるものである。

 ライブカメラを見ていて気がついた、またモグラが暴れ出したようだ。そろそろ啓蟄だしなあ。辺り一面掘りかえして穴ぼこだらけだ、不思議といつもこの場所だ、畑の方にはいかない。そのうちにシマが捕まえるだろう。それにしてもトラクター車庫のビニールハウスがボロボロだなあ、取り替えるか。

 明日の検査に備えて消化に良い物ということで朝からパンやうどんばかり食っていて腹に力が入らないぞ。



平成25年1月22日(火)

 朝起きると、外はすごい雨風の音、レーダーを覗いてみたところ、極めて局所的な雨雲だった。しばらくするとレーダーの雲は九州からは全く無くなったがそれでも山間部だからレーダーに映らない雨雲があるとみえてずっとハッキリしない天気が続いた。
    最低気温 6.3℃ (18:21暫定値)、最高気温 12.7℃ (00:11)変な気温推移である。

 娘は今日から国立阿蘇青少年交流の家が主催する「阿蘇ふるさとづくり自然塾」(写真1写真2)に参加する。これは阿蘇山の麓にある交流の家で合宿をしながら普通どおり通学をするという催しである。今日の放課後に迎えの車がやってきて、それに乗って交流の家に行き、向うで数日間寝起きをして、そこから毎日通学する、今週の土曜日までの予定である。期間中の着替えなど山ほどの包みを昼間母親が交流の家に届けに行った。「合宿」だけでなくて「通学」が入るから遠方の子供の参加は無理である、地元ならではの特典のようなものである。坂梨小学校からは、娘のクラスメートの3名の女の子と6年生の男の子5名の参加者だった。この「国立阿蘇青少年交流の家」は例の「一番じゃなきゃダメですか?」の襟立て女史の事業仕訳で民間移管しろという判断がされたと思ったがその後どうなったのだろうか。大自然の懐に抱かれたこういった施設はなかなか得難い存在である。

 部活の終わる時間が違ったので、男女別々の集合写真になったが、交流の家からマイクロバスが迎えに来て皆嬉しそうに出発して行った。(写真1写真2

 今日は外作業をする天気でもないし、(仮に天気が良かったとしても例の事が頭にあって極端に気が滅入ると言うことは無いが、積極的そういう気分にもならなかっただろが)終日無線を聴きなら本を読んでいた。

 落し物を拾って黙って自分の懐に入れてしまうことを「ネコババ」するというが、普通ネコババとカタカナで書いてあることが多く、今まで改めて、漢字で考えたことは無かったが、強いて書くなら、「猫婆」と書くのかなあ、「婆」とはどういう意味だろうかと思っていたら、今日読んだ本に「猫糞」と書いてあった。猫が後脚で糞に砂を掛けて隠すところから来たらしい。「糞」はババとも読むんだ、へえ、また一つ利口になった。

【楽天市場】注文内容ご確認(自動配信メール)、が迷惑メールに仕分けして入っていた。どうしてだろうと思って、良く見ると、楽天市場(gakuten)とローマ字でルビがふってあり、決して「らくてん」ではないと一応責任回避をしているが、立派なモドキのメールだった。こういった怪しげなメール、最近はどんどん手が込んでくる。URLをみると明らかに怪しげな文字列が並んでいるのでインチキだとすぐにわかるが良く利用するので気を付けなければならない。その他にも amazonならぬ anazonなどというのもある、よくもまあ考えつくものである。


平成25年1月21日(月)

 昨夕は雲ひとつない素晴らしい日没だった、そして、午後7時、娘が学校の宿題で星の動きを観察するから一緒についてきて、というので星座票を持って外に出た時はこぼれるばかりに星が煌めいていた。ところが午後9時にどのくらい動したかと、再度出てみたところ、もう雲が掛かって全く星が見えなかった。

 そして夜が明けて、空はそのまま曇り空が広がっていた。その曇り空をベースに時々思い出したように細かな雨が降っていた。
    最低気温 0.1℃ (04:49)、最高気温 8.3℃ (14:02)

 昨年暮れに受けた市の集団検診の結果発表が詳細説明付きで坂梨公民館で開かれた。一年前の健診で健康指導を受けて、それを意識して過ごしたので今年のデータは大いに改善されていた。が、が、が、大腸の潜血反応が陽性だった。説明会からの帰りに、善は急げ、じゃないか、この場合は、取る物も取り敢えずか、そのまますぐに、古閑医院に寄って大腸の内視鏡の検査の予約をしてきた、今度の木曜日に診てもらうことになったが、正直あまり良い気持ちはしないなあ。
(写真1写真2写真3

平成25年1月20日(日)

 今日は二十四節季の大寒だそうだが、穏やかに晴れる、夕方には雲ひとつない空が広がっていた。明日は昼から雨になるそうだが信じられないような空だ。
    最低気温 -3.6℃ (03:22)、最高気温 9.8℃ (15:25)

 午前中はもの皆凍っていて外作業に向いていないので、どうして、昼からになる。今日も昼から薪作りをした。今日はここで薪を作る。しっかりジョウビタキが来ていた

 薪を作っている傍で、シマのやつが小鳥を捕まえた。我家の庭先の植栽に色々な鳥がやってきては木の実を食べているのか虫を捕っているのか、その小鳥たちを狙ってシマがいつもそっと近寄っていく。バサッと音がしたので振り向くと捕まえたばかりで、爪を立てていた、小鳥は必至で草むらに逃げ込むがそれを執拗にシマが追いたてる。自然界の力関係だから人間が介入するのはやめようと思ったが、ネコは野生動物では無いなあ、知らんぷりするといつぞやのタヌキではないがまたお前は薄情だという投書が来るのも業腹だなあ、見ていて可哀想なので一応救助したが、ダメージが大きくて絶対に助からないだろう、でもそのまま置いておくとまたシマにいたぶられるばかりだから、シマの注意を逸らせて、少し離れた藪の中に放してやった。これはヒヨドリだと思うがもっと注意をしろよと言いたくなる。

 今日はチェンソーの目立てに満足が出来ずに何度も研いだがどうも今一つだった。買ったばかりの下ろし立ての刃だと力を入れなくてもチェンソーの重さだけで吸いつくように刃が木材に入っていく。そういう風に研げると良いがこれはやはり名人の領域なのだろう。


平成25年1月19日(土)

 晴れ。
    最低気温 -3.8℃ (03:52)、最高気温 4.9℃ (14:18)

 太郎、半日保育。娘に「昼、何が食いたい?」、「親子丼!」またかあ、飽きるだろうと言うが飽きないと言う。従って今日の昼飯はまた親子丼を作る。

 午後、クマデンのスタッフYL局、JE6JDXさん御入来、阿蘇町の方に商用があったとかで、その帰りに遠回りしてお寄りいただく。以前、内牧でクマデンの出張販売があって、その時にお会いしたのが初めてだったろうか。その後一二度クマデンに行った時に店頭で話をして、機会があたらお立ち寄りくださいと言ってあったが、たまたま今日そういう機会に恵まれたのである、なかなかチャーミングで社交的な営業ウーマンである。近年、熊本県下でもアマチュア無線の店が絶滅状態にあり、そんななかでなんとかハムショップの存続・繁栄、そしてアマチュア無線の広がりに色々腐心して奮闘しておいでのようである。これを機会に小生も己のスキルアップのためにクマデンの皆さんと親しくお付き合いただきたいと思っている。


平成25年1月18日(金)

 小雪のち、時々晴れ。昨夜からの大雪注意報、例によって肩透かし、それでも、朝には久しぶりに真っ白な雪景色が広がる。
    最低気温 -3.1℃ (03:00)、最高気温 4.2℃ (12:24)

 登校班のメンバー、集合地点の我家前に集まるほうが大変なメンバーもいたので、今日の登校班は娘を含めて三名の小編成で登校して行った。(写真1写真2写真3

小生は毎日当たり前に国旗の掲揚をしている。以前は一度揚げると揚げっぱなしだったが、やはり、毎日、掲揚と降納をしなければと、今では、毎朝、家族の、そして国家の安寧を願って心で君が代を奏でながら国旗を揚げている。そして夕方には今日も無事だったと感謝しながら降ろしてる。そのシーンを今朝、じっちゃいが宮崎から撮って送ってくれた。ボンもちゃんと国旗に注目しているではないか。


 昨年の7.12水害、最近は崩落現場が周囲の色と同化してきてあまりよく分からなくなっていたが、雪が降って改めて、その爪痕が鮮やかに蘇った。(写真1写真2写真3写真4

 ようやくシャックの整頓終わる。今回は、無線機とPCを並べて置いた。このほうが色々な面で操作性が良い。果たしていつまで、この状態が続か。

 「死児の齢を数える」と言うが、婆様が存命ならば、今日97歳の誕生日だ、中途半端だから、生誕100年のときに何かお祝いでもしようかね、婆さん。

 市の「お知らせ端末」で広告が流れ出した。もともとこのお知らせ端末は防災無線に代わるものだと思う、その大事なメディアで広告を流すなんて。中身までは流れないが問答無用で着信音が鳴る。迷惑な話である。思ったほどインターネットの契約が伸びず、財政的に苦しいのだろと想像する。インターネット契約が伸びないのは当たり前だ。小生は、せめて市内各所にある公民館にインターネットを無条件で付けろと以前から言っている。しかし付けない、無料で使われるとそれだけ収益が減ると思っているのだろう。各公民館の予算でやれと言う。公民館にそんな予算は無い。そんな考えだから契約が伸びないのだ。公民館に集う人たちにどんどんタダて使わせたら、面白いと思って自宅にも欲しいと思うようになる、波及効果というものを全然判っていない。ビジネスセンスというものが全く無い、だから、仙酔峡ロープウェイまで廃止に追い込むことになるのだ(といつまでも恨みに思っている)。


平成25年1月17日(木)

 くもり。午後3時頃だったろうか、予報どおり雪が降り始めた、結構横殴りの降り方だったがレーダーを見たら、雪雲は少し掛かっているだけだったのですぐやむだろうと思っていたら、その通りだった。
    最低気温 -0.4℃ (17:59暫定値)、最高気温 3.8℃??C at 13:20

 十日ほど前から気がついていて写真に撮ろうと思っていて撮り忘れていた、我家の入口付近、フキノトウがもう芽を出している。季節は確実に巡っている。このフキノトウが芽を出す季節には毎年坂梨校区の新春駅伝大会が開催されるが、昨年の水害の関係か今年は中止になったそうである。決して浮かれ騒ぐイベントではないのだから、鎮魂、復興を期して行えばいいのだから、いつまでも「災害」を引きずることも無いと思うが、「一度は開催を見送る」のは、まあ通過儀礼のようなものだろう。

 太郎が初めて保母さんに朝のご挨拶が出来た。今まで家で何度も特訓をして、今朝は言おうね、ウン・・・・今朝は言おうね、ウン、何度約束してもいつも、その場になると照れてニヤニヤでごまかされていた。「おはようございます」は長いので、応援団スタイルで腕を後ろに組んで、オッス!を教えたが家では面白がって元気に言っていてもイザとなるとこれも駄目だった。それが、今朝は、ちゃんと、「太郎ちゃんおはよう」の保母さんの声に、恥ずかしそうながら、ちゃんと「おはようございます」と言った、小生としては、内心、オッス!の方を保母さんの驚きも併せて期待していたのだが・・・・

 小生は普段から敢えて「看護婦さん」「保母さん」という少し前までの呼び方をしている。看護婦さんは「白衣の天使」だぞ、ハクイとは読まないぞ、ビャクエと読むのだぞ(その昔、古い世代の親から教えてもらったのだが)。なんでもかんでも「師」や「士」のような無味乾燥な名前に替えれば良いというものではない、ジジイとしては大いに気に入らねえところである。

 今朝、薪を出そうとして、薪置き場で少し上下を入れ替えながら適当な大きさの薪を選んでいて、薪で指を挟んでしまった、痛えのなんの、我家の薪は火保ちを良くするためにとにかく太く切ってある、さらに欅ときたから、重たいので挟んだ時の痛さと言ったら半端ではない、みるみるうちに血豆になった。指先の腹部分も少し腫れて変色いる。

 正月二日三日に行われたアマチュア無線の新年QSOパーティのステッカーが届いた。早いもので今年で7枚になった、ここにきてすぐ始めたら今回で二度目が完成していたのに・・・あと5年だな

 100均から世界地図2枚買ってきて貼り合わせて、日本を極東に置く世界地図を作った

 今日もシャックの整理をしたがあまり身が入らず、無線機を触ったり、整理中に出てきたものを、ああ、こんなところにあったのかと、誰でもやりがちな時間つぶしで終わった、整理が終わるのは明日だな。


平成25年1月16日(水)

 夕方になって、雪が降りそうな空模様になってきたが。
    最低気温 -3.6℃ (05:40)、最高気温 7.7℃ (13:52)

 IC-760PROのメーターランプが切れて、ムギ球を取り寄せるところまではやったが、それで安心してずっと無灯火でやっていたが、今日ようやくランプを取り換えて、メーターに明かりが灯って見易くなった。また、時々スイッチが入らない症状があったので、接点復活剤を吹いたところ、どうやらこれも直ったようだ。無線機を引っ張り出したついでに、久しぶりにシャックの掃除でもしようかと作業を開始したが、割と最近掃除をしたと思ったが、改めて写真を撮ってみるといつのまにか、またとんでもない風景になっていた。それにこのタコ足配線をなんとかしないとなあ。結局今日一日で整頓出来ず明日に持ち越しになった。

 つい最近と思ったのでいつだったかと思って探したけど見つからない、ようやく見つけたら8/24だった、その時の写真とほぼ同じようになっている。小生自身はこのような「獺祭」状態の方が落ち着くのだが、他人様が見るとやはり呆れるだろうな。


平成25年1月15日(火)

 今日は暖かく穏やかで、本当に気持ちのいい一日だった。
    最低気温 -0.4℃ (07:49)、最高気温 7.7℃ (15:26)

 昨日の関東甲信地方の大雪、様子を見たくて、ネット検索であちらこちらのライブカメラを覗いてみたが、まあ、ほとんどのライブカメラがロクに動いていない。作るだけ作って、故障したら故障しっぱなし状態だ、観ていて嫌になってしまう。やるいじょうちゃんとやってくれよと言いたくなる。

 昼から薪作りをした。暖かくて着ているものを一枚脱いだほどだった。チェンソーの音が聞こえるとすぐにジョウビタキがやってくる。  

 小生、チェンソーの目立てはずっと機械モノに頼っていた。スピードが速いからである。しかし、それじゃあダメだと言うことが、10年以上経ってようやく分かった気がする。機械モノというのは、モーターでヤスリを回転させて刃を研ぐ方式のものである、それ以外にも今まで幾つも目立て道具を買ってきては満足した試しがなかった。小生のチェンソーの使い道は、薪を切るだけだからデリケートな使い方をする必要がなく、とにかく早く切れれば良いというスタンスだった。だからヤスリの当て方もいい加減で、並んだ刃それぞれをかなりいい加減に偏った研ぎ方をしてしていたようである。その結果どうなるかというと、真っすぐ玉切りしているつもりでも途中で自然に斜めにバーが入っていって、とんでもない角度に切れてしまう。細い木であれば、その兆候が現れる前に切れてしまうが、数十センチの径の木を玉切りすると、それは目も当てられない惨憺たる状態になる。極端に言うと、そのまま切り進んでいくと、切り口が渦を巻くように進んでいくのでいつまで経っても切り終わらなくなる。そこで心を入れ替えて、原点に帰って、ヤスリ一本をちゃんと手で刃に当てて丁寧に立てていくことにした。ヤスリのひと押しが刃に当たって、しっかり削れる振動が手に伝わるようにして、それを確認しながらひとつひとつ研いでいくのが一番だなあとようやく悟るに至ったのである。プロの上村さんも一つひとつ丁寧にヤスリで研いでいる。よく研いだ刃だと、切り屑がこのようになり、研いでいない刃だと切り屑が細かくなる

 夕方、太郎が、階段の下から三四段あたりから転げ落ちて床で頭を打った。小生、たまたまそのシーンを目撃して、派手に落ちた割には床は板張りなので若干弾力があるだろう、頭の打ちどころもそんなに悪くないと思って見ていたら、太郎は驚いて反射的に顔を上げて小生と目が合って、それから火が点いたように泣き出した。それをみて大丈夫だなと思って、そら見ろ、気をつけろと言っただろうといった(が、まあ、後になって、そんな時に言うことも無かったかなあと思った)。母親は別のところに居て事情が判らないので飛んできて抱きしめていたが、それをみて安心したかまた更に大泣きをしていた。丁度いい機会だから、娘に「高名の木登り」の話をしてやったら、太郎も下の方まで降りてきて油断したんだね、と得心していたようだ。

 まもなくケロッとしていたので、痛かっただろう、アブナイから気をつけるんだよ、と言ったところ、ウン、うしろ向きはアブナイね、というようなことを言っていた、アイツはうしろ向きで降りていたのか。とにかく怪我をしなくて痛い目に合って丁度いい薬になったというものである。

 新成人の運転免許保有率はオートマ限定の方が多いらしい、軽トラは運転出来ないぞ(オートマの軽トラもあることはあるが)。

平成25年1月14日(月) 成人の日

 昨夜早々と日記を書いた後から雨が本格的に降り始めて一晩で結構まとまった量になった。しかし、予報されていた雪にはならず、家の周りはうっすらと白くなる程度だった、ただ、外輪は雪で真っ白になっていた
    最低気温 0.7℃ (06:16)、最高気温 7.2℃ (14:48)

 横浜のJTQに庭先を覗いて見てびっくりした、大雪だ。この雪を降らせた低気圧、東に移動して東日本では大雪になっている。この時期になると急激に発達する日本列島南岸の低気圧、普段カラカラ天気の太平洋側に雪を降らせる。同時刻の横浜豆札

 今日は祭日なのでこどもたち二人とも家に居て、一日中その相手で過ごす。

 今日が暦の上では成人の日だが、阿蘇市では昨日、市主催の成人式があったらしい、例によって、市長のKYパフォーマンス。若者を理解することと、若者の機嫌をとること、迎合することとは違う。おそらく眉を顰めている新成人もたくさんいるはずだが今の「新成人」がそれだけ幼稚化しているということか(尤も新成人の幼稚化についてはいつの時代にも言われてきたことだが、小生の時も言われた)。世間では阿蘇市長ならぬ阿○市長だと言われているぞ。小生はジジイなのでこのパフォーマンス、とにかく気に入らない。


平成25年1月13日(日)

 くもり、昼過ぎ頃からこまかい雨が降り始めた、予報どおりか、雪にはならないようだ。
    最低気温 -3.8℃ (03:38)、最高気温 5.0℃ (12:50)

 村の「初寄り」が開催された。初寄りとは年の初めに開かれる村の総会で、この席で一年の人事や会計報告、村の行事などが決められる。阿蘇地域では、今ころ、あちらこちらの集落で開かれている。

 今年は区長の任期が切れるために新区長の選任があったが、現区長の渡辺靖昭さんにもう一期お願いすることになった、会計は小生がまた務めるが、これについては特に議題にも上がらなかったが然るべくとなったのだろうか。

 その後で、「初寄り」に引き続く宴会だから、新年会ということになるのか、いつものように酒盛りで和やかなひと時を過ごした。

 娘は留守番をしたが、太郎は母親について集会所に来たが、皆さんが相手をしてくださって助かった。

写真1写真2写真3写真4写真5


平成25年1月12日(土)

 朝のうちちょっと風があるかなと思っていたがその後、風も止んでこれ以上の冬晴れは無いというくらいの穏やかな素晴らしい青空が広がった。
    最低気温 -1.4℃ (00:36)、最高気温 10.5℃ (14:54)

今日は阿蘇の各所で「どんどや」が行われ、あちらこちらに白い煙が立ち昇っていた。馬場豆札鬼塚柿の木の第4分団こども会のどんどやも馬場の田んぼで行われた。

 今日は娘は学校の部活で阿蘇町の小学校に練習試合があってどんどやに参加が出来ずに悔しがっていた。太郎の保育園の迎えの時にちょっと寄って準備だけを見て、昼食を済ませてクラスメートのU那ちゃん一家に遠征先まで連れて行ってもらった。

 太郎は初めてのどんどやで、と書いて、そうかアイツは二歳だから昨年も観ているなと思って遡ってみると、確かに昨年も参加していたなあ。まあ、今日は父親がずっと面倒みたので、初めてだとう勘違いしたが、それでも、太郎!太郎!と皆さんが面倒を見てくださったので、クレイマークレイマー親父としては大助かりだった。日頃の悪ゴロたちも接待にこれ努めてくれた。

 小生のほうが引率疲れで、そろそろ帰って昼寝でもしようかと誘い水を掛けるが楽しくてしょうがないとみえて、まだ眠くない、まだ遊ぶといって一向に誘いに乗ってこず、まあ、仕方が無いかと思って、目配り怠りなく写真を撮ったりしていたが、午後3時過ぎた頃、帰ろうかと言うと、素直にウンという。手が暖かいので、ああ、眠たくなったと、まだ皆さん宴の最中だったが失礼して帰ってきて寝かせた。

 この日本の原風景、田舎ではまだまだ健在である。

 どんどや(4分団)連続写真 1/7 (10枚)
 どんどや(4分団)連続写真 2/7 (10枚)
 どんどや(4分団)連続写真 3/7 (10枚)
 どんどや(4分団)連続写真 4/7 (10枚)
 どんどや(4分団)連続写真 5/7 (10枚)
 どんどや(4分団)連続写真 6/7 (10枚)
 どんどや(4分団)連続写真 7/7 (10枚)

 夜7時から、坂梨宿場會の新年例会が坂梨公民館で開かれた。


平成25年1月11日(金)

 晴れ。今朝もかなり冷え込んだ、しかしシーズン当初のような感慨は無い、ボンの散歩で防寒手袋をしていてもジンジンと指先が冷えて痛かった。日中は穏やかに晴れて気持ちが良かった。
    最低気温 -6.9℃ (06:53)、最高気温 7.5℃ (14:11)

 午後から久しぶりに阿蘇歴史愛好会の例会に出席する。

 例会から帰って、日没頃まで薪作りをする。

 本日、鏡開き、夕食後、汁粉を食べる。


平成25年1月10日(木)

 晴れ。風が冷たかったが、日溜まりに居るとポカポカ気持ちが良かった。
    最低気温 -2.9℃ (07:52)、最高気温 4.3℃ (13:28)

 今年初めての交通指導でいつもの辻に立ってこどもたちの通過を見守る。

 二か月に一度の歯のメンテナンスに行く、丁寧に磨いているつもりでもどうしても歯石が付く。

 今度の日曜日、村の初寄りがあるので会計報告書を作成する、そのほか、特に作業なし、のんべんだらりと過ごす。

 日没がいつにもまして美しかったので予報を見ると明朝はまたグンと冷え込みそうである。


平成25年1月9日(水)

 くもり時々晴れ、日中、黄砂のように空がもやっていた、今日はあまり寒くはなかったなあ。
    最低気温 -0.8℃ (02:44)、最高気温 5.9℃ (13:11)

 修理に出してあった30A安定化電源、クマデンhttp://www.kumaden.com/から修理完了旨の電話を年末に貰ってあったが今日受取りに行ってきた。この電源は、ネットで調べても半固定抵抗がよく壊れるらしい、小生のやつも三個交換してあった、部品代が安いのは分かっているが、工賃も非常に安かった、これなら自分で直すより直してもらった方が効率的である。

 水曜日は娘の水泳教室の日で、迎えの車が家の前まで来る、少し前まで、17時40分頃にはほとんど暗くなっていたが、最近日足が長くなったことがよく分かる、この時間はまだ十分に明るい、山の向こうに残照が見られる。


平成25年1月8日(火)

 くもりで明ける、その分、気温が緩む。少しずつ天気が下り坂のようであるが、日没は美しかった、太陽、冬至から少しは北に寄って来ただろうか。
    最低気温 0.0℃ (03:24)、最高気温 8.4℃ (12:34)

 娘、今日から第三学期、例によって登校班の定点観測撮影。今朝は、侍龍君たちのおばあちゃんや太郎も記念撮影に加わる。

 娘、始業式なので午前中で帰ってくる。カツ丼が食べたいと言うが、揚げたてのトンカツでカツドンか?ちょっと勿体ないだろう、今日はトンカツにしておけ、余ったやつを冷凍にしておいて今度カツ丼を作ってやるから、と、昼飯はトンカツを食う。トンカツは贅沢なようだが、一食分100円ちょっとだ、労を惜しまなければ安いものである

 昼から、夕方まで薪を作る、くたびれた。だんだんくたびれる割合が多くなるなあ。


平成25年1月7日(月)

 くもりで明け、日中はまあまあ晴れた。
 ここのところ、低温が続いている、散歩のために外に出て外界が凍てついて霜で真っ白になっているのに驚いた。そろそろこどもたちも平常に戻る時なので、今朝は正月休みの遅い時間を元に戻して早めに散歩に出たので特にその事を感じた。
   最低気温 -5.4℃ (07:48)、最高気温 6.5℃ (15:45)

 今日から太郎の第三学期(保育園に学期は無いが)、娘と二人で保育園に送っていく。いやあ、長かったなあ、ということで、太郎を送り出して先ずやったこと、そろそろ薪が無くなってきたなあ、でも、今日はいきなり重労働の薪を作る気分じゃないなあ、とうことで、これも最初からそのつもりではなかったのだが、カラオケ装置の修理に取り掛かる。

 このカラオケ装置は業務用で、店で聞くカラオケの伴奏と同じ豪華版で、キーコントロールやテンポの変更も自由に出来る。もう数年前に現役を退いている装置でスクラップ価格で手に入れた、入っている曲目もその後の新曲は入っていない、しかし、カラオケで歌う歌などと言うものはもともと古い歌ばかりなので一向に支障は無い。買った時に既にいつ壊れてもおかしくない状態だったが、案の定、二三年前に壊れて動かなくなっていた。結構大掛かりな装置なので、何とか廃棄せずに動かしたいといろいろ触ってみた、まあ小生が判る部分は狭い範囲だが、仕組みはパソコンと同じ、一つは、曲が入っているハードディスクが壊れているのは分かった。それから、スイッチが、これは電子スイッチだが、どうもここがオカシイようだ。とりあえずこの二つについては何とか出来そうである。実は曲の入っているハードディスクは予備を一つ持っていたのだ。それからスイッチは、これは部品取り用のジャンク品としてオークションに出ていたものを取り寄せて、スイッチ部分の基板をそっくり取り外して入れ替えててみた・・・結果・・・見事とまではいかないが騙し騙しながら蘇った、執念である。ただ、ディスプレーに歌詞は出るが、背景の映像が出ない。でもまあ歌詞さえ出れば全く問題は無い。それから、次の曲が始まるまで、つまり、曲間が2分間要する、まあ、これも我慢すればいいのだ、ということで、我が家にカラオケルームが復活した。あとは何時また動かなくなるかだ。敵もさる者で、一定時間が経つと自然にロックが掛かってしまうものもあるらしい。考えてみたら、これは著作権つまり楽曲使用料を払わないでモグリでカラオケをやることになるのだろうな、従って、装置の写真をあからさまに載せるわけにはいかず、後姿をちょこっと載せるだけにしておく

 夕食に七草がゆを食べる。正式な七草では無くて、七種類の野菜である、味噌仕立ての餅雑炊だった。


平成25年1月6日(日)

 晴れ。
   最低気温 -3.5℃ (08:17)、最高気温 5.9℃ (14:08)

 今日は阿蘇市消防団の出初式が阿蘇町の農村公園「アピカ」で行われた。太郎が消防自動車などが大好きなのでいっちょう見物に連れていくかと、家族で出かけた。それに先立ち、坂梨地区の第三分団の各班が小学校に一旦集まってからアピカに行くと言うので、馬場の消防小屋に寄ってから坂梨小学校で地区の四班の集合を見物してからアピカに向かった。太郎は馬場豆札第二班の消防車の運転台に乗せてもらってご満悦だった。太郎も将来、消防団に入れてもらえ。

 全市分団の消防車数十台が一か所に全部集まった姿は、一台一台は小さな消防車であるが、これは大きな戦力になるなと改めて心強い思いをした。

 気温は低いが穏やかな日射しのなかで、式典は午前9時半から始まって約1時間で終わった。阿蘇市の消防団員約600名が一堂に会して凛々しく勇壮に分列行進をするシーンは壮観である。ああ、彼らが市民の生命と財産を守ってくれているんだなあと改めて感謝の想いを強くした。ラッパ隊も本物のラッパで編成され見事な吹奏ぶりだった。これだけの式典が見物客ほぼゼロのなかで行われるのは実に勿体ない気がする、東京消防庁などの出初式はもっと派手に演出をして沢山の見物人を集めて消防に対する理解と応援を求めている。阿蘇市ももっとイベント色を前面に出して市民の見物を増やす工夫をした方が良いと思う。お父さんが、息子が、消防で頑張っている姿をもっと家族そして市民に見てもらった方が、分列行進をする団員も張り合いがあろうと言うものである。

 今日の出初式はあくまで消防団の出初式であって、プロの消防、つまり阿蘇広域消防署が一緒に参加するのかなと思って消防署の前を通ってみたら全くノータッチのようだった。阿蘇広域消防はいつやるのだろうか、熊本市の出初式では無いはずだ、どうせなら一緒にやって、プロの妙技を見せても良いと思うがなあ(そうか、広域消防は阿蘇市だけが管轄では無いのだなあ)。

 出初式のあと、娘が、常日頃、お好み焼きが食べたいと言っていたので、阿蘇にお好み焼き屋があるのかどうか、情報を持っていないので大津まで下りてお好み焼きを食べて帰ってきた。

 平成25年 阿蘇市 消防団 出初式 1/5 (10枚)
 平成25年 阿蘇市 消防団 出初式 2/5 (10枚)
 平成25年 阿蘇市 消防団 出初式 3/5 (10枚)
 平成25年 阿蘇市 消防団 出初式 4/5 (10枚)
 平成25年 阿蘇市 消防団 出初式 5/5 (11枚)

 太郎、月例の体重測定日、13.2キロ。



平成25年1月5日(土)

 朝のうち少し曇っていたがその後晴れて青空が広がる、今朝も結構冷え込んだようだ。
   最低気温 -5.0℃ (03:02)、最高気温 4.6℃ (14:59)

 朝一番で、太郎を内牧の温泉病院に連れて行く。阿蘇には皮膚科が無い、ただ、温泉病院には週一日だが、非常勤で診療日があると古閑先生にお聞きして、今日土曜日がちょうどその日にあたっていたのでこれ幸いとばかりに早速出掛けた。中央病院にも皮膚科診療日が非常勤であるらしいが、こちらは月曜日だとか。ついでに夏子も一緒に連れていく。こちらは、副鼻腔炎の定期通院日がまもなくなので少し早いが一緒に診てもらった。

 太郎の爪の状態をみて、うーん何でしょうね、白癬菌にしてはちょっと違う気もするけど、と爪を少しこそげ落として顕微鏡で覗いていたが真菌は見当たりませんね、とお医者さん。そこで、多分関係は無いとは思ったけど、「少し前に手足口病をやりましたが・・・」と口にすると、先生は、それを耳にされて、ああ、手足口病ですか、それならその後遺症ですよ、とのこと。症状が重かった場合、稀に治った後に原因は分からないけど爪が剥げることがあるのですよ、とのことであった。何でも口にしてみるものである。このまま放っておいてもいいですよとの事で、薬も何ももらわずに帰ってきた。原因も分からず爪がはげて何か悪い病気かと心配だったが、そんなことでひと安心である。

 太郎の手足口病を発症した時は休日だったために休日診療医で診てもらって、今回爪の異常は普段掛かり付けの医院で診てもらって、原因特定を非常勤の専門医に診てもらって、と医療情報が一元化されていたなかったのでちょっと遠回りになったのだろう。病院から帰って古閑先生には御報告しておいた。

 太郎、相変わらず、お気に入りの車を手許に置いて、消防関係の動画を見ている。明日は阿蘇市の出初式だから、市内の消防車が一堂に会すると思われる、連れていくと喜ぶだろうな、連れて行ってやろう。


 東京の渋谷駅の大改造がはじまっているようである。学生時代、そして社会に出てからも縁があった駅なので渋谷駅には色々な思い出があり懐かしく、この改造計画は非常に興味深い、その内にほとんど完全に別の姿になるようだ。実際に毎日何百万人もの人や沢山の電車が行き来するなかで行われる工事なのだろうから日本の土木・建築技術は素晴らしいものである。
 出水の菜の花さんの投稿転載(掲示板は投稿数が限られていて一杯になると古い方から削除されるようになっている、せっかくのお正月三が日の記録、おそらく日記をおつけだと思うが、我家の三が日と対比させて残したいので、こちらに転載させていただくことにした)。

出水の菜の花 投稿日:2013年 1月 5日(土)12時33分21秒
風さん、そして風さんつながりの皆々様、明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    我が家の三が日。
元旦
ゆっくり起床、具がたっぷりの雑煮をいただく。年賀状を読む。
正午頃、当地に住まいを構えて20数年来の恒例、健軍神社への初詣。
今年は人が多いのなんのって。いつもの年より30分程出かける時間が遅かったからなのか鳥居の外から善男善女の人、人、人。老いも若きも、さらに幼児も混じるその人波に私たちも並ぶこと一時間あまり。ミリ単位で前進しながらも数十メートル先の本殿に無事たどりつき参拝をすませることができました。今までも多少の時間並ぶことはありましたが、あんな混雑は初めてです。いちばん人出の多い時間に出かけてしまったみたい。夫がさすが日本人、辛抱強いねえと感心。私も同感でした。

二日
熊本県南の郡部にあるそれぞれの実家に年始の挨拶。八代方面に高速を走りましたが、普段より少し混んでいる程度でした。自然薯を土産にもらいました。

三日
気に入って長年愛用している夫のサイフ、だいぶ年季が入りつつあるので新調することに。嘉島のイオンモール内、カバン店にて使いやすい牛革財布を探す。手に馴染んでいい具合の(値段も懐にちょうどいい具合)何とかというのを店員さんに薦められ購入。駐車場がいっぱいでした。風さんがおっしゃっていた麦畑の鳥よけ、あの辺一帯に確かにありますねぇ。

 この冬は熊本市内もほんとうに寒くて、夫が少し前から始めたウォーキングを私も今年から始める予定でいましたが未だ一歩も踏み出していません。血圧がちょっと高めなので。(風さんがうらやましい)
最近の最低気温はずっと氷点下。昨日のこの辺りは−5度近くありました。最高気温も連日一ケタ台、冷蔵庫より低いと気象予報士。

 昨年は8月から9月にかけてと、10月から11月にかけて、夫が二度病気で入院しました。幸い現在は回復しております。そんなわけで、蒔いた蕎麦はあまり手もいれずほぼ自然にまかせていたため収量約3キロ。製粉してもらうには量が少なすぎ(製粉所には断られました)自分で粉にするにはかなりの手間と道具がいることがわかり、袋に入れたままほったらかしてあります。抜き蕎麦にして蕎麦飯かスープの実にでもしょうかとも考えましたが、こっちはもっと難しい。蕎麦は甘くないことを知った1年でした。蕎麦粉はやはり買うことに決めました、というか、蕎麦は蕎麦屋で食べることにします。
  とりとめのない文章になってきました。

今年も日記と掲示板、夏ちゃんと太郎ちゃんの成長ぶり楽しみにいたしております。



平成25年1月4日(金)

 もう珍しくないが久しぶりに朝気温が下がった。その分、昼間は穏やかに晴れて、日没前には雲ひとつない青空が広がっていた。風が無いことと、雲が無いことなどもあって今日は中岳の噴煙がいつもより沢山上がっているように見えた。
   最低気温 -6.3℃ (03:48)、最高気温 3.9℃ (15:47)

 今日から世間は仕事始めのところが多いのだろう、太郎の保育園も今日からだが、太郎の指の爪が全部白く剥げかかり気味なので、今週は休むことで保育園に連絡をして古閑医院に連れて行った。ついでに夏子も一緒に診てもらった。夏子の方は冬休みに入ったころ、腕に水泡が固まって出来て、今ではもうほとんど枯れてしまっているが、母親には言っていたようだが小生は知らなかったか聞き流していたかで、今日知ったのだが、水泡が出来る前に皮膚がピリピリしていたというのを今日知って、それは、小生も大昔掛かったことがあるので知っていたが、帯状疱疹だろう、もう、そんな状況なら治ったも同然だろうけど一応診てもらおうかねということで連れて行ったのだ。夏子の方は少しまだ残っている部分用に塗り薬をもらってきた。太郎の方は、うーん、何でしょうね、専門医に診てもらった方がいいですね、ということて、明日、温泉病院の皮膚科に連れていくことにした。小生の素人診立てでは、白癬菌でも入ったのではないだろうかと思うが。とにかく我家の家族は小生を除いて市の医療財政逼迫に加担している。

 明日もまた天気が良さそうである


平成25年1月3日(木)

 曇り。
   最低気温 -2.1℃ (08:50)、最高気温 1.4℃ (13:10)

 カミさんは正月はもう今日だけしか休みが無いそうなので、家族で初詣でに出掛ける。毎年、阿蘇神社に詣でるが、今年は宇佐神宮に行ってみたいと言うが、ちょっと遠いので、そこよりは少しは近いからと、日田市の天ケ瀬にある高塚愛宕地蔵尊に詣でることにした。ここは地蔵菩薩を本尊としながら鳥居があり、鐘とともに鈴が下がっており、さらに境内には天照大神も祀っているなど神仏混淆の信仰形態を残す1200年以上の歴史を持つところである。

 先ずは何を措いても阿蘇神社、ということで、阿蘇神社に詣でてから日田に向かった。これより先、元日の日に村内の天神社に詣でたので、これで立派な三社参りになる。

 高塚愛宕地蔵尊は大分自動車道の天ケ瀬ICのすぐ近くの谷あいに在って、急な斜面にへばりつくように建ている。時々雪が強く舞う冷たくて生憎の天気だったにもかかわらず想像していた以上にすごい賑わいで、参詣の善男善女で一杯だった。

 行く時にちょっと道に迷ったが往復とも下の道を通って、帰りは、日田の市街で遅い昼食を取ってから帰ってきた。阿蘇に向かう道とは逆に阿蘇方面から福岡方面の道路は連続して沢山の車が走っていたが、U短ラッシュの車の列だったのだろう、帰ってからニュースを聞いていると、大都市圏に向かう高速道路が例によって何十キロの渋滞と伝えていた、都会に住む人は大変だなあ。

 初詣 阿蘇神社・高塚愛宕地蔵尊 連続写真 1/2 (12枚)
 初詣 阿蘇神社・高塚愛宕地蔵尊 連続写真 1/2 (12枚)

 以上が我家の正月三が日であった、めでたさも中くらいなりおらが春・・・


平成25年1月2日(水)

 くもり。
   最低気温 0.3℃ (05:41)、最高気温 8.1℃ (11:29)

 本日と明日はアマチュア無線の新年QSOパーティ。明日はもしかしたら出掛けることになるので今日のうちにやっつけようと無線機の前に座る。カミさんが仕事なので太郎の面倒は夏子がみてくれた。

 今年こそ電信でと、昨年の段階では密かに決めていたが、こういう時の電信は皆さん実にスピードが早くてとてもではないが流れに乗れないので、例年通り、144MHz帯FMと7MHz帯SSBで行う。近年アマチュア無線人口が減って、144MHz帯は今日のような特別な日でもQRV局は少なくて、数局やったところで新しい局が出て来なくなったので、7MHz帯に移ったところ、逆にこちらの方は開け過ぎていて、QRM(混信)がひどくて逆にやりにくかった、昼過ぎ頃になって少し落ち着いてきたので、7MHz帯だけで20局を稼いで、今日のところ、後は適当に流しながら聞いていた。

 この無線の交信イベントは、毎年正月に20局以上の無線局と交信することによって、アマチュア無線連盟からその年の干支のステッカーの交付を受けて、それを12年間続けるものである。20局の交信自体は難しいものでもなんでもないが、それを12年間途切れることなく続けなければ十二支は完成しない。もし、ある年の干支が何かの事情で欠けると、その干支がまた巡って来るまで12年待たなければならないというところにこのイベントの難しさがある。小生は向うに居る時に一度、十二支を完成させて、もうそれで終わりにしようと思って、その後は参加していなかったが、数年前にまたふとその気になって二度目の挑戦を続けているのである。早いもので、二度目の挑戦、今年で7年が終わったので、十二支が完成するまであと5年、果たして命がその時まであるかどうかというところであるが、まあ、本人は何とかあるだろうと思っているのである、万一未完成に終わっても、つまり、小生がsilentkey(※)になっても、その時は本人もそのことを認識できないのだからそれでいいのだ、なのである。
 (※)silentkeyとはアマチュア無線家が死ぬことを指す、ラグビーのnosideと同じようにいい言葉だなと思う。因みに、「key」とは電鍵のことである。


平成25年 1月 1日(火) 

 曇り。
   最低気温 -4.2℃ (00:00)、最高気温 5.5℃ (13:53)

 大晦日は、とうとう暦が変わるまで起きていることができずに寝てしまった。

 明けて歳旦、雪がちらつく曇り空、初日の出は望むべくもなし。午前8時、それぞれ天神社にお参りをしてから集会場に村の人集まって御神酒で賀詞交換(各家ごとに年始回りをしなくて済むように一堂に会する、この集落だけのしきたりである)。娘は昨夜の夜更かしがたたって朝起きることができず、太郎は母親に手を引かれて参加する。例年であれば「おめでとうございます」の発声のあるところ、昨年の水害の復旧もままならず、今回は一斉の祝賀の言葉は控えようと言う区長の提案で、村の復興を願ってこもごも献杯をする。(写真1写真2写真3

 初寄りの日程などを決めて、小一時間ほど団欒の後散会、家に帰って元日の祝い膳を囲む。太郎は初めて取り寄せた色とりどりのおせち料理に興味を示してあれこれ手を出していた(が見た目ほどは美味いものではない)。届いた年賀状を見て、あっ、この人に出し忘れたなどとしばし家族団らん。そのあとは、皆それぞれのノンビリの元日を過ごす。太郎も母親が居るせいもあって珍しく小生にあまりまとわりつかず、「キャーキャリヤ」などで遊んでいた。今日は普段でも静かな山里が更に静かな一日だった。

 今日はボンにも缶詰を奮発、コラ用の缶詰が手許に無かったのでボンにやる前に暫しコラに食べさせてからボンにやる。ボンのやつ、普段仲が良くても、こと食い物になると本性むき出しでお預けを食らっている間、牙を剥いていた。

 今年も家族の健康、ただそれだけが望みである、特に、最近劣化の兆し著しい小生の健康が大事である。それと、昨年目標に立てた和文モールスは今年は是非モノにしたいものである。

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