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平成25癸巳(2013)年2月の記録(新しい日付けの順)


平成25年2月28日(木)

 なんだ、もう夏じゃないか、というような気温だった
   最低気温 0.3℃ (06:37)、最高気温 18.6℃ (15:42)

 こあたりでも梅の花が綻び始めていて、我家の梅の木もポツリポツリ花を付け始めた。この暖かさが続くともう一気に春が来るだろう。

 薪割りをしたがもう薪割りをする気温ではない、こうなると現金なもので、あまりヤル気も起きず、チェンソーの目立てをしたり、安倍君の施政方針演説を聴いたりしながら休み休み薪作りをした。シーズン終わりころになって「すねカバー」を買ってきた。以前から、チェンソーのノコクズがどんなに口を締めていても長靴の中に大量に入り込み、それを取り除くのが大変で、靴下やズボンにくっつけていつも家の中まで持ち込んでいた。以前から上村さんがすねカバーをしているのを見て、ああ、あれを買おうと思いながらいつも忘れていて、ようやく思いだして、買ったわけだが、もうシーズンもそろそろ終わりだ。

 安倍総理の施政方針演説、途中から聞いたが思わず引き込まれてしまった、そんなこと言っていいのか、そんなにうまくはいかないよ、期待が大きいだけに裏切られたと思った時の反動は大きいぞ。

 ここのところ、もう何日も昼飯に焼きうどんを作って食べている。昼時になると、さて、何を食いに行こうか、でなくて、何を作ろうかとなる。ひとつにはこの辺りにはあまり食い物屋が無いこともあるのだろうが。さて、その焼きうどん、もうそろそろ飽きたなあと思っていても、昼時になるとまた食べたくなってついつい作ってしまう。野菜と肉が程良く摂れるのが良いのだろうか。これが野菜炒めとご飯となるとちょっと違うのだ。どう違うか分からないが焼きうどんになってしまう。

 今日は他に買い物が無いので、ウドン玉二つ、をわざわざ買いに行くわけにもいかず、乾麺がみつかったのでそれを茹でて使った。この乾麺は到来物で、ヒヤムギと謳っているが、細い腰のあるウドンのようなものなので、これを肉と野菜を炒めながら約200グラム茹でた。

 焼きうどんの場合は醤油仕立てとソース仕立てがあるが、ここのところずっとソース仕立てである。ただ、ソース仕立てと言っても、粉末の焼きそばの素を入れる前にすでに塩コショウ中華スープなどで十分に味が付けてあるので、一袋だけ使う、だから、ほとんどソース焼きそばのソース、ソースしたところが無い。食べきれないので、夕食に子どもたちが喜んで食べる。(写真1写真2写真3写真4


 シマのやつがここ三日ほど元気が無くてじっと寝てばかりいる、ほとんど食べないがどうしたのだろうか、見たところ外傷は無い、毛艶は普通だし外見からは特に異常は感じられない。かなり太っているので、二三日食べなくても脂肪がたっぷりあるので体力的にはまだ大丈夫だろうとは思うが。

 あの国には三権分立などと言う民主主義国家の基本が無いのだろう、司法が完全に政治に支配されている、いやな国だ。


平成25年2月27日(水)

 晴れ。いやあ、暖かかった、この時期、バカ陽気というのだろう。
   最低気温 8.2℃ (00:03)、最高気温 14.5℃ (15:20)

 まだ確定ではないが、なんとなく新しい遊びのテーマ(ネタ)を見つけたので、そのための予備調査と研究とでネットを検索したりして過ごす。また屋根裏にもぐりこんで、それに関連する部品探しやジャンクの整理をして過ごした。今日の陽気で普段の冬の格好をして屋根裏に座って「ゴミ」を掻きまわしていると汗が出てきた。

 本当はもう春なので、畑の準備やその他、家屋のちょっとした修理や整備などやらなくてはならない事が山ほどあるはずだが、「遊びをせんとや生まれけん」が我が人生の要諦なので、今日出来ることも明日に、で、尻に火が点くまではいつもの調子で道楽優先で行くことにした。

 無線局の変更申請について、TSKよりまた不備の指摘あり、即刻修正のうえ再度申請ファイルを送信する、これでもう通るだろう。と思っていたら、まだ修正個所があったということで、係の人が、業を煮やしたわけではないだろうが、電話の方が手っ取り早いとばかりに、これこれをを修正してくださいという電話があって、すぐに修正して、再々々?送信をした。これで本当にもう大丈夫だろう。・・・・と思う。

 クマデンの今日のスタッフBlogが面白い(ついでに下の方にあるcommentも)。


平成25年2月26日(火)

 曇り、のち、昼ころから雨。
   最低気温 2.8℃ (06:01)、最高気温 8.9℃ (13:15)

 昨日TSKから無線機の変更申請にかかる保証認定申請の不備を指摘するメールが届いていたので、今朝、補正してすぐに返信をしておいた。これからまた数日かかるだろう。

 昼過ぎ、山下OM御入来、無線の話題などでひと時を過ごす。

 新聞を読み落としたらしい、阿蘇の碧水小学校が先日、138年の歴史を閉じて閉校したそうである。数年前に役犬原小学校が碧水小学校に統合されて、今度は、碧水小学校と乙姫小学校が統合されて、この春から碧水小学校の校舎を使って阿蘇小学校として新あたなスタートを切るということだ。坂梨小学校も具体的な日程はまだだと思うが、一の宮町の他の小学校と統合されることは決まっているらしい、小生は卒業生ではないがなんとも淋しい話である。このような田舎での校区と言うのは一つの文化領域である。地域の伝統文化が統廃合で消えていくことは間違いの無い所である。


平成25年2月26日(火)

 曇り、のち、昼ころから雨。
   最低気温 2.8℃ (06:01)、最高気温 8.9℃ (13:15)

 昨日TSKから無線機の変更申請にかかる保証認定申請の不備を指摘するメールが届いていたので、今朝、補正してすぐに返信をしておいた。これからまた数日かかるだろう。

 昼過ぎ、山下OM御入来、無線の話題などでひと時を過ごす。

 新聞を読み落としたらしい、阿蘇の碧水小学校が先日、138年の歴史を閉じて閉校したそうである。数年前に役犬原小学校が碧水小学校に統合されて、今度は、碧水小学校と乙姫小学校が統合されて、この春から碧水小学校の校舎を使って阿蘇小学校として新たなスタートを切るということだ。坂梨小学校も具体的な日程はまだ決まっていないと思うが、一の宮町の他の小学校と統合されることは決まっているらしい、小生は卒業生ではないがなんとも淋しい話である。このような田舎での校区と言うのは一つの文化領域である。地域の脈々と続く伝統文化が統廃合で消えていくことは間違いの無い所である。


平成25年2月25日(月)

 晴れ、昨日までと違って風も無く暖かく気持ちのいい一日だった。
   最低気温 -1.7℃ (06:32)、最高気温 11.3℃ (15:18)

 さて、今日は何をしようか、明日は雨だな、薪でも作ろうかと思っていたら、木を伐るぞと上村さんから連絡が入る。今日は国立阿蘇青少年交流の家の施設内にあるキャンプ場の間伐作業だそうで、杉をかなり倒すなかにクヌギなどの木があるのを貰いに行っていきた。午前一回と午後一回運んだが、木が沢山倒れていて車が入りにくいので改めて貰いに行くことで今日はその二回で終わった。これはクヌギだが、この木は何と言う木だろうか。今日の手練の面々

 明日は雨だそうだから、帰ってきてから夕方まで薪作りをした。体を使ったので、早々とアゼリアに風呂に入りに行ったが、途中で、今日は休館日だということを思い出して独り苦笑しながら帰ってきた。


平成25年2月24日(日)

 晴れ。
   最低気温 -2.9℃ (07:00)、最高気温 9.6℃ (13:33)

 今朝は三時過ぎに目が覚めた、6時間は寝ている計算になるので睡眠時間は十分だろうとそのまま起きてしまった。その分また今晩は早く眠たくなるだろう、年寄りのパターンだ。隣で寝ている太郎も小生が起きると、何故だかいつも早く起きてしまう、今朝は五時には起きてしまっていた。

 早く目が覚めたので、自宅サーバマシンにUSB2ボードを取りつけた。いつもバックアップでバカみたいに時間を取られるので少し早くしたかったのだが、USB2には確かになっているが、バックアップソフトが少しオカシイのか全く早くならない。いずれ、バックアップソフトを変えてみるつもりである。(ロープロファイルかと思ってわざわざ選んだのに、サーバーマシンはノーマルサイズのPCIボードで良かったのだ。)

 jtqに頂戴したスマホ、キャリアとの契約をしていないのでWiFi専用である、だから、自宅以外のフリーのアクセスポイントが気になって阿蘇市の無料の無線Lanスポットを調べてみた。いくつか有る、というより幾つかしか無い。その中で二三軒回って実際に使えるかどうかチェックしてみたところ、「阿蘇の司ビラパークホテル」はロビーで使えた。田園空間博物館では、小生が見た資料には無かったが、ここでも使えた(田園空間博物館はいつのまにか完全にお土産屋になっていた、それでは設立理念から大きく外れているだろう)。その他の商店二軒ほど回ったが休業日だったからか、受信で出来なかった。今まであまり気にしなかったが、特に公共施設などはどんどんフリーのアクセスポイントを増やすべきだろう。市の公共機関などはどうなっているのだろう、今度調べてみよう。日本人は携帯電話で定額契約をする人が多いので、あまりフリースポットは必要が無いかもしれないが、何かで読んだが、外国の旅行者がフリーのアクセスポイントが少なくて困るとあったが、ジオパーク認証に力を入れている阿蘇市は、こういったところにこそもっと注目すべきだろう。市はすでにベースを持っているのだから、これに関しては設備投資的には大した額でないはずだ、ヤル気の問題だ、意識の問題だ、が、それに気が付いてないのだろう市の運営責任者達は。市の若い職員諸君、頭の硬い上司たちにどんどん進言して欲しい。こういったことに関心のある市会議員の先生方なんて恐らく皆無だろう。「阿蘇にお越しのお客様、阿蘇ではどこにもホットスポットがありますよ」・・・阿蘇観光において大きなセールスポイントなるのになあ。

 昼前になって、カミさんが急に今日は天気が良いからオニギリでも持って何処か近くの芝生に行って食べようというので、急遽、出掛けることになった。適当な場所と言うと何処だろうと思ったが、南阿蘇の月廻り公園あたりにしようか、ということになって、どうせなら、南阿蘇のAPRSの実地調査を兼ねることにした。月廻り公園で車を停めて、ちょっと風が冷たかったので車中で昼飯を食って少し散歩して、それから、久木野の「あそ望の郷」でひと休みしてから、五岳の麓を時計回りで帰ってきた。

 連続写真(11枚)

 帰ってから軌跡を見ると、高森の月廻り公園までは小生のI-Gateが電波を拾っているが、そのあと、「あそ望の郷」で一度電波を拾った以外、市ノ川を過ぎるまでどこも拾ってくれておらず、中途半端な軌跡になってしまった。やはり、5W出力では南阿蘇ではちょっと苦しいということが今日の記録に関してだけは言える。ローパワーに対応するには南阿蘇にも誰かI-Gateを開くか、あるいは小生がもっとアンテナに工夫をするかだろうか。

 今日の軌跡のほとんど全部は小生のI-Gateが拾っているが、中に、坂梨から高森に向かう途中、箱石峠を越えて 大戸ノ口辺りに来ると、小生のキャリアは一つは大分のデジピータ―を経由して同じく大分のI-Gateに入っている、更にもう一つは四国のデジピータまで飛んで同じく四国のI-Gateからインターネットに入っている。電波伝播はまことに面白いものである。

 夕方6時を過ぎたばかりの頃、荻の草で原野火災が発生、消防団の出場命令が出された、おそらく、野焼きの飛び火だろう。今度の一斉野焼きとは別にあちらこちらで既に野焼きが始まっている。昼間にも波野で原野火災があったばかりだ。これからしばらく消防はたまらんだろうな。

 今晩も家族全員アゼリアの風呂に入る。アゼリにはフリーの無線Lanは無かった、こういった場所にこそ必要だろう。


平成25年2月23日(土)

 晴れ。風が強くて冷たかった。
   最低気温 1.7℃ (01:49)、最高気温 7.3℃ (15:19)

 太郎の保育参観と保護者総会。父親、娘を伴って出席。未満児クラス(年少、年中、年長組より前の三歳児未満のクラス)では、保育中に保護者の顔を見ると里心がついて収拾がつかなくなる恐れがあるので、普段の自然な保育風景を見てもらいたいという園側の苦心の策で、こどもたちに分からないようにそっと参観をした。その参観の方法は、廊下側から窓全体を覆った紙に小さな穴をあけてそこからこどもたちの様子を覗くというものである。しかし、こどもたちは、保護者の後ろから入る日差しで紙にシルエットが映り、外に沢山人が居ることが分かっているようで、チラチラこちら側を見ていた、見られているのが分かっていたのかもしれない。うちの太郎、鼻くそをほじっていたなあ。その後で、教室に入り、親子共同の工作をして過ごした。最後に保護者総会とクラス別懇談会があって正午で散会となった。

 保育参観・保護者総会 連続写真 (1/3)
 保育参観・保護者総会 連続写真 (2/3)
 保育参観・保護者総会 連続写真 (3/3)

 じっちゃいが羨ましいことをやっている、じっちゃい山に「隠れ家」。このあたりの子どもたちも、秘密基地だといって、里のあちらこちらに隠れ家を作っているようだが、オトコというものは幾つになってもこういったことワクワクするものである。小生もこのくらいのコンテナハウス、欲しいなあ、敷地の片隅に置いて、小生の遊び道具全部運びこんでそこで一人で暮らしたい。小生、ホームページを作った際にここに移り住むにあたって、手当たり次第思いつくままに色々な夢を書いているが、読み返してみると知らないうちに結構実現している、しかしミニログハウスは、実現の見通しは全く無い、こんな、コンテナハウスで良いのだ。

 久しぶりにgoogleの衛星写真を見てみた。以前、阿蘇山の写真が違った季節のものを張り合わせていたために、山の半分くらい雪が降っていて見苦しい写真だったが、美しい写真に変わっていた、時々アップデートをしているようである。


 今夕は、珍しく、家族全員がアゼリアに風呂に入りに行った。小生と娘は会員だからフリーパスで、太郎はまだ無料だが、カミさんが今日はタダ券を貰ったというので、全員行きとなった。ただし、カミさんたちと小生は風呂に入っている時間が全然違うので、小生だけ別行動だった。


平成25年2月22日(金)

 晴れ。
   最低気温 -2.8℃ (04:10)、最高気温 6.9℃ (15:31)

 PM2.5については国の環境基準は、「1年平均値が15μg/m3以下であり、かつ、1日平均値が35μg/m3以下であること。」とされているが、熊本県は今朝の新聞にも載っていたが西日本で最悪な地域になるらしい、ゴロツキ国家が二つも並んでいて迷惑至極である。本当に嫌な国だねえあの国は。
(写真1写真2写真3

 昼から、トラクターのビニールハウス車庫のシートを張り替えた。やれば三十分ほどで出来る作業なのである。今度のシートは裏側が黒くなっていて、前のやつより高級品である。が、シマのやつが登ってすぐに爪を立てて穴をあけるだろう。いくら言っても分からない度し難い動物だから仕方がが無いか。(写真1写真2写真3

 我家のすぐ裏の川の修復工事が始まった。数日前から大きな土嚢を山ほど積んでいたので何をするのだろうと思っていたが、川床に重機を下ろす道を作っていたのだ。

 jtqが使わなくなったスマホを屋外作業などで外に居る時にSKYPEで使えと言って送ってくれた。WIFIで使うのだ、これならPCの前に居なくても良い。しかし、まだ買ってから半年くらいしか経っていないスマホだ。小生スマホはもっていないので、面白くていじくりまわしているが、NTTと契約していないだけで、インターネット経由で何でもできるので、これは便利で面白い、GPSまでちゃんと内蔵している。これで少しは気になっていたスマホ、金を掛けずに堪能できそうだ。

 小生は、APRS無線機のこと、昨日(2/21)のクマデンのブログでJDXが書いているのを読んで、そんなことはついぞ考えもしなかったが、確かにそうだなあと思った。少し前に阿蘇山中で遭難事故が発生して、捜索するも見つからず、ずっと後になって、当初予想されていた場所から随分離れたところで遺体が発見されたことがあったばかりだ。レバ、タラの話しになるが、小生がその時、I-Gateを運用していて、遭難者がAPRS機能がついたハンディ機を持っていたら、あの場所なら遭難位置は間違いなく掴めて助けることができただろう。そうか、そうなんだなあ、小生はそこまで考えなかったが、そういう使われ方というか、役立ち方もあるのだなあ。一昨日も鞍岳登山客の持つハンディ機でずっと行程がリアルタイムでプロットされていた。阿蘇の牧野でも野焼きの時など、ちょっと奥に入ると携帯電話の電波が届かないところが沢山ある、ハンディ機のような低出力機でもこのくらいなら確実にカバーできそうだ。アマチュア無線以外で、例えば山岳救助隊や消防なんか、このような場合、どうやって連絡を取り合うのだろう。


平成25年2月21日(木)

 晴れ。今日も風が冷たかった
   最低気温 -3.3℃ (05:09)、最高気温 6.1℃ (14:56)

 トラクターの車庫が惨憺る状況にある、シートを張り替えようと準備はしているが、今日も寒かったうえ、どうも、今一つ労働意欲が湧かずPCの前に座って道楽で過ごす。シートを張り替えても、シマのやつが登って爪をたてやがるので、いずれ穴があくことになるだろう。

 一日を争うことでもないので、慌てない慌てない、天気が崩れない間にやればいいだろう、明日はやるか。

 昼飯の材料を仕入れに行ったついでに、値ごろのグリンピースが目についたので、夕飯に豆ご飯を仕込んでおいた。鹿児島産とあったが、もう鹿児島では旬なのだろうか、そんな季節になっているのだろうか。


平成25年2月20日(水)

 晴れ。ただ今日は風が冷たかった。
   最低気温 -1.1℃ (07:08)、最高気温 6.6℃ (14:50)

 太郎、保育園に復帰。

 しばらくはAPRSネタになる。I-GATE用のアンテナをGPから、阿蘇山向け3エレ八木に変えてみた。そのせいかどうか、鞍岳登山客のハンディ機の電波を受けてインターネットにgateしている

 それから小生の移動用APRSの無線機、屋根裏に転がっていた昔のハンディ機、STANDARDのC560、使えるかなと思って通電してみたところ生きていた。これをAPRS用に使えないだろうかと思って、現在VX-7に使っているマイク、スピーカープラグをそのまま挿してみた、使えるではないか。またコネクター最初から工作をしなければならないかと思っていたので、これは嬉しい。これなら壊れても惜しくないので、これからC560を移動用に使うことにした。電池パックを外して車から電気をとると筐体が非常に小さくて具合が良い、。これでも5W出る。また、TinyTrak4も共に12Vだから、小型のバッテリーを携帯したら徒歩でも使える。


平成25年2月19日(火)

 朝のうち、霙混じりの雨が降る。時間の経過とともに雨が上がり曇り空が広がる。
   最低気温 2.2℃ (07:48)、最高気温 5.2℃ (00:00)

 朝、交通指導の当番でいつもの辻に立つ。

 太郎発熱。元気だが、朝起きていつもとちょっと様子が違う気がしたので熱を測ると、37.6℃、大した熱ではないが、今、インフルエンザも流行っているので用心のために保育園を休ませる。日中、様子を見ていたが、熱もその後、上がらず。ただ、いつもよりは高めなので、明日はどうなるだろう。

 昨日、熊本に行っておいて良かった。風雨が強くて、熊本行きを一日延ばそうかと思わないでも無かったが、なんとなく予感がして、昨日のうちに出掛けておいて正解だった。

 結局今日は終日子守で動けず。ただ、最近は、DVDを一人で見るようになったので、ディズニーのアニメ「トイ・ストーリー」を見せてやったら、もう、あの程度のアニメは分かっているのか一人で飽きもせずに見ていた。「トトロ」なんか何度でも繰り返して見ている、分かっているのだろうか。


平成25年2月18日(月)

 雨。午前中、結構強く降っていたが午後から雨脚が弱まってきた。今日は山お降りたが、下界ではもう梅が盛りで、菜の花も咲いていた、阿蘇の気候からは想像できない。
   最低気温 5.2℃ (00:00)、最高気温 14.3℃ (08:19)


 朝、家族の皆がそれぞれの持ち場に出掛けるとすぐに、軽トラックに乗って、熊本城から移転して熊本駅前に新しく出来た熊本地方合同庁舎に行った。この合同庁舎は、民主党政権の国の出先機関の廃止政策のあおりを受けて当初二棟建てられるはずだったが現在一棟だけ建てられていて、そのなかに、九州総合通信局が入っている。

 この九州総合通信局で、アマチュア無線の免許なども管轄している。先日来、アマチュア無線局の変更申請で色々苦労しているが、よくよく調べてみると、現に許可を受けている出力20W以下の送信機にパケット装置などの付加装置を付ける場合は、TSSの認証を受ける必要が無く、直接、総合通信局宛てに変更の「申請」でなくて、「届け」を出せば良い、ということを知った。それなら、今、古い無線機と一緒にIGATE局開局の手続きをしているのを、それはそれで、やるとして、とりあえずは、許可を受けている無線機にパケット装置を付けて開局するのならすぐに出来るではないかと思い至った。しかも申請でなくて届けなら、持って行って窓口で受理してもらえばそれで済むわけで、ここにきてまた電子申請で時間をかけることもないな、ということで、ひとまず、許可を受けているIC-2720をIGATE局の無線機として使用することにして変更届書(写真1写真2)を書いて直接持参したわけである。「電子申請で時間をかける」、考えてみたら極めて変な表現である。電子申請だと書類で出すよりスピーディに処理されると思うのが普通だが、日本ではそうではないのである、このことはもう少し先になって改めて書くつもりでいる。

 九州総合通信局は合同庁舎の11階にある。玄関の守衛さんに入館パスをもらってアマチュア無線を管轄する陸上部という部屋に入ると、特に外来者向けのカウンターもない、大体、役所と言う所はそういう作りになっていて、部屋を入ったところにある書架の天板を受付け代わりに書類をやり取りする、必要なら担当者のデスクまで入っていってデスクのわきで話をする。今日は係の人が書架のところまで出てきてくれて手続きをしたが、「届け」なので拍子抜けするくらいに、簡単に手続きが終わった。IGATE局用の無線機とTNC、それとハンディ機VX-7とTinyTrak4についてひととおり説明したら、パラパラとめくって、ええ、これで結構です、もうお帰りになったらパケット通信お始めになって結構ですよ。特に控えに受理印を押してくれるわけでもない、万一記入方法などで不備な点があったらその内に電話をしますから、しばらく経っても電話が無かったら問題が無かったと思ってください、改めて、受理通知、変更通知もしませんから。ということで、なんとも拍子抜けであった。まあ、もともと小生がやろうとしていることはこの程度のことで、トボケて届けなどもしなくても良いのかもしれない。法律にあるから、先方も持ってきた以上受け付けざるを得ないのかもしれない。小生は山口判事ほどではないが、遵法精神に富んでいるのでちゃんとやることはやっておきたかったのだ。と言いながらも、まあ、この程度のことだから、万一お咎めがあっても大したことは無いと思っていたので、届を出す為の行きの行程でもAPRSを動かして行ったのは言うまでもない。ついでに、総通に出す変更申請の手数料は無料である。

 ところで、今日の運転軌跡。どうも市ノ川、赤水〜大津あたりが不感地帯傾向にある、ということは、小生の方で八木アンテナを阿蘇山にぶつける必要がありそうだ。

 ということで、本日、晴れてJA6LGV-10 IGATE局の運用を開始した。阿蘇APRS僻地、というのはちょっと大袈裟か、APRS過疎地の阿蘇で、阿蘇観光のモバイル通信インフラに微力ながら寄与出来そうである。

 熊本からの帰りに、木村豆腐店に寄ってみた。昨日フルマラソン完走の主と三男坊、両足を突っ張って大袈裟に痛い痛いと言いながらそろそろ歩いている、大袈裟な、と思っていたら、そこに丁度、昨日一緒に走った友人が訪ねてきた、彼も、全く同じような歩き方をしていた。とにかく痛くて歩けないようだ。そうするといつもマラソンに出て活躍している選手たちは体の出来が違うのだろうな。二人並べて写真を撮ってきた、オヤジさんの方がうんと若い三男坊よりはるかにタイムが良かったそうだ。



平成25年2月17日(日)

 晴れのち曇り。夕方になってポツリポツリ。
   最低気温 -2.9℃ (07:06)、最高気温 7.4℃ (11:30)

 娘、ピアノのなんとかがあるとかで、母娘して朝食もそこそこに出掛けて行き、昼過ぎに帰ってきた、その間、太郎のお守。

 今日は政令指定都市誕生記念 第2回熊本城マラソン2013が開催されて、クマデンのスタッフ、JE6JDX JE6KFSがAPRS機能付きのハンディ機をぶら下げてフルマラソンを走った。APRS.fiで時々モニターをしていたが、見ていて面白かった、スタート時は元気よく走っている様子が軌跡から想像できたが、距離が延びるにつれてその軌跡が遅くなり、ああ、へばっているなあと言うことが分かった。JDXは第四関門(というのがあるらしいが)で、バスに強制収容されてしまったと悔しメールが来た、それでも、予想したより随分と頑張ったものである。KFSはかなりゴールに近いところで電波が止まってしまっている、無線機の電池切れか、リタイアだったのか分からない(昨年に続いて完走したそうです)。

 一方、我が地元坂梨の「水うまき町に、うまき豆腐あり」の「木村豆腐店」の主、文彦さん、約4時間15分で完走したそうである、もともと駅伝一家だが、今回主殿と三男坊の洋平君が出場、洋平君も時間は聞かなかったが完走したそうである。主は最近腹が出ていて大丈夫かなと心配していたが流石である。(写真は翌日の日記に)

 ところで、小生、今日も13:30頃から15:00近くにかけてTinyTrak4のテスト走行をしてみた。今回は屋根にモービルホイップを付けて阿蘇谷を走ってみた。ずっと外輪の山裾を反時計回りに走ったが、鬱蒼と茂った杉林の中を走ったりする関係で、我家から大観峰の向う側になる湯浦方面がやはり、5ワットとモービルホイップではちょっと苦しい。阿蘇谷全部を完全にカバーするには、今揚げているIGATE局用のアンテナをGPから八木に替えて阿蘇山にぶつけなければならないだろう、そうなると、こんどは逆にサービスエリアが広がり過ぎる恐れが出てくる。

 今日、市長選の告示があったが現職市長の他に立候補が無く、無投票当選が決まりなんともつまらない選挙になってしまった。立候補締め切り時間まで無投票になるかどうか分からないので一度だけ選挙カーが回ってきた。今の市長よりオレの方が相応しいぞという意欲に燃えた候補者はいなかったのか。これでは市民に選択肢が無いではないか、市長は完全信任と勘違いしてしまうではないか、決して全くそのような市政内容では無いのに、過疎化が進む町を無気力が支配してしまったのだろうか、政治手法、縮小均衡だと思うが、それでは駄目だと思うがなあ、素晴らしい阿蘇の自然遺産を今のようなチマチマしたやりかたでなく、もと斬新なアイデアで生かす工夫をして欲しい。



平成25年2月16日(土)

 晴れ。穏やかな日だった。
   最低気温 -1.9℃ (07:05)、最高気温 7.7℃ (15:41)

 太郎半日保育、娘たちにカツ丼を作ってやる。

 昨夜、ラジオで断片的に耳にしたことは、気象庁だったかが、どこかで地震と違う揺れを観測したというようなことだったので、ああ、また北朝鮮がやったか、そのうちにロシアという言葉が耳に入ってきたので、ああ、北朝鮮がやったからロシアも核実験をやったのかなと思ったりしていたが、今朝新聞を見て驚いた、ロシアに大きな隕石が落ちたらしい、まるで映画「アルマゲドン」と同じような写真が載っていた。今朝地球をかすめて小惑星が通過して行ったらしいがそれとは無関係だそうだ、年間、結構の数の隕石が落ちているらしいが、不思議と人口密集地帯を直撃することは無い。地球上の人口分布状態と確率の問題だろうか。どこかのバカな国が、核攻撃だと勘違いして報復のボタンを押さなけことを祈るばかりだ。

 太郎が保育園に行っている間に、IGATE局用のシステムを置く棚を作る。そしてセッティングをするために色々動かしたからだろうが。IGATE用のPCが動かなくなってしまった、電源が全く入らない。開けてヒューズを探して当たってみたが、飛んでいなかった。あとはじっくり調べるしかないが、そんな時間が無い。屋根裏に上がってもう一台、ストックしてあった、同じ機種を下ろしてきたが、最初からまたAPRS用にセットするのが面倒なので、二台のPCのハードディスクだけ入れ替えて、とにかく、APRS用PCだけは動かすようにした。後の一台はそのうち調べることにしたが、無駄な時間を食ってしまった。


平成25年2月15日(金)

 結局昨夜は雪にはならず一夜明けて曇り。今にも降りそうな一日だった。
   最低気温 2.6℃ (07:25)、最高気温 6.8℃ (15:07)

 今日もノンビリする。

 娘が部活が休みになったので、と言って定時で帰ってきた。どうしてだと問うと、学校にインフルエンザが流行りだしたからだそうだ。いよいよ坂梨にもインフルエンザが入ってきたか。中学生や保育園の兄弟がいると、そして、親は職場を通じて、どうしても相互に移りだす。しかし、聞くところによると今年のインフルエンザはいずれも軽くて済んだということである。


平成25年2月14日(木)

 晴れ。夜遅く、雨か雪だそうだ。

 長らくの懸案事項が解決して、今日はノンビリ。
 昼から薪を作る。24時間焚いているので薪材の山がどんどん減っていく、この山ももうすぐ終わりだなあ。


平成25年2月13日(水)

 晴れ。予報どおり雨は一晩で上がった。
   最低気温 -1.3℃ (07:33)、最高気温 7.8℃ (15:49)

 APRS用にトラッカーTinyTrak4など、移動用のAPRSシステム一式を積んで試験走行をしてみた、大成功だった

 GPSアンテナをフロント部分に置いて、ハンディ機VX-7を軽トラックの窓際にぶら下げて窓を開けて、村の中を一回り、家の周囲を回ってから馬場から宿場通りに抜けて、小学校のところから国道57号線に出て、ナフコで買い物をして、宮地駅前から北行して、電話局のところを右折して帰ってきた。

 窓を開けて走ったのは、5ワット出力のハンディ機とホイップアンテナだけでどのくらい飛ぶか分からなかったからだが、全行程、我家のIGATE局のアンテナが電波を拾っただろうか、ブルーの軌跡はちゃんとつながっている。感心するのはコーナー、コーナーでは、GPSに反応して地図上にドットを打っていることである。緩やかなカーブには反応しないのか、そして、宿場通りに入ったあたり(アンテナが捉えてる)から、国道に出てナフコ(アンテナが捉えている)までの間は道路を外れて直線で描いている。宿場通り、そして国道沿い、町屋が櫛比しており、この間、電波が届かなかったのかもしれない、その不感部分を直線で結んだだけだろうか。出来れば、外付けのアンテナを付けて走ると、5ワットでも十分に機能するだろうが、ハンディ機とホイップアンテナでは阿蘇谷一帯はむりだろう、アンテナを高くするか、狭い範囲のサービスにとどめるか。(APRS.fiにアクセスして、追跡コールサイン欄に、小生の移動用のコールサインJA6LGV-12を入れて叩くと、一定期間は過ぎ去った軌跡も表示されるはずである)。

 最近は携帯電話にもGPSが内蔵されているので、自分の移動した軌跡を残すことが出来るようだが、APRSはなかなか面白い。仕事に出ているお父さん今どこに居るだろうなどと家に居ながら家族がリアルタイムでインターネットで見ることも出来るなあ。このGPSシステム、安全保障の面からもいずれ日本も借り物でなく、自前の衛星を持つ時代が来るだろう。

 TinyTrakが流行ったのは数年前で、当時はAPRSが出来る無線機が限られていて、トラッカーのキットを自作したりしたが、今ではAPRS対応の無線機がリーズナブルな価格で何種類も出ているので、今頃小生のように作る人間なんて居ないだろう。

(アマチュア無線の楽しみ方は他にも沢山ありますが、これはその一つです。皆さんアマチュア無線を始めましょう。二日間講習を受けると免許がとれますよ、熊本ではこちらに相談をすればいいでしょう。以上アマチュア無線普及PRをちょっと)

 朝、APRS.fi につなごうとしたが、エラーメッセージが表示されて地図が開かなかった、小生だけなのか、よそもそうなのか、原因不明で、しばらく経ってつないだら、つながった、何だったのだろう。

 夜、宿場會2月例会出席


平成25年2月12日(火)

 晴れのち、昼ころから雨になる、雨量は大したこと無い。
   最低気温 -2.9℃ (04:29)、最高気温 5.3℃ (16:57)

 苦節、足掛け二年、ようやくTinyTrak4が動いた。無銭家だから高価な無線機には手が出ない、涙が出るくらい嬉しかった。これで自分で築いたIGATE局を通じて、このあたりでハンディ機で移動しても、インターネットに乗せることができるはずである。今日のところは、シャックでハンディ機にトラッカーを付けてビーコンを発射しただけだが、自前のIGATEで拾って無事にインターネットに乗った。結局原因は何だったのだろうか、ファームウェアのインストールだろうか、CONFIGの設定だろうか、色々やった結果なのでこれとこれと特定できないが、一つはGPSアンテナのコネクターの付け替えでピンアサインを間違っていらしい。TinyTrak4のGPSアンテナはD-Sub9ピンでつなぐようになっているが、最近はUSBタイプばかりで、D-Sub9ピンのGPSアンテナはあまり無い、ようやく手に入れたPS2タイプのGPSアンテナをぶった斬って、D-Sub9ピンのコネクターを付け替えた時にどうやら間違っていたらしい、なんどもチェックしたつもりだったが。天気になったら、軽トラックでそのあたりを走って実験してみよう。

 太郎のやつは見境なく走り回って危なくてしょうがないので、家のあちらこちらに、ちゃんとしたコーナーガード用の部材は高いので、ホームセンターで見つけた工事用の養生クッション材を貼り付けている。今日も、いつも遊んでいる二階のクッションが切れてしまったので、新手のクッション材を見つけて貼っておいた

 先日買った牛肉のブロック、どうして食おうかと考えたが、名案が浮かばない、ローストビーフを作ろうかと思ったが、それには少し薄すぎるような気がする。結局、二枚に卸してステーキにして昼飯として小生の腹に納まった。ステーキ用の肉ではないのでウマさは今一つだが、少し前にファミリーレストランで食べたステーキよりははるかに軟らかかった、その時のステーキの硬かったこと、いくら安いからと言って限度と言うものがあるだろうというくらいの硬さだった、よく客から文句が出ないものだと思って、顎がくたびれるのを我慢して食った。もう一切れ残っているなあ。



平成25年2月11日(月)  建国記念の日(紀元節 皇紀2673年)

 今日も穏やかな冬晴れの一日だった。
   最低気温 -3.3℃ (04:18)、最高気温 8.9℃ (14:54)

 今日は終日PCの前に座って、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませて過ごした。


平成25年2月10日(日)

 素晴らしい青空が広がり暖かな一日だった。庭先のサクランボ、この寒さの中、しっかりと芽がふくらんできている。寒い寒いと言っても、そこここに春の訪れを感じるようになってきた。
   最低気温 -3.5℃ (07:24)、最高気温 7.9℃ (15:14)

 娘の天草の小学校との交流合宿、昨夜の歓迎会と、そして今日の、今日のはなんだろう、母親まで巻きこんで、昼過ぎの解散まで、クレイマークレイマー状態、小生がずっと太郎の子守をする。喘息の方はどうやら回復したようだ。

 天草の小学生、厳冬の阿蘇を十分に堪能して帰っていっただろうか、娘は、当初の天草行きの計画の海水浴などを非常に楽しみにしていたが、その楽しみを反対に天草の小学生が阿蘇で味わってくれたのならそれで良しとすべきだろう。

 昼から、夕方までタップリ薪作りをした

 薪作りをしている時に、JA6JLZ局が古いオモチャが出てきたのでと言って、わざわざ太郎に届けに寄ってくださった。見たところ、良く分からないが、箱付きなので、「お宝」ですよ、良いのですかとお聞きしたら、イイからイイからと置いていかれた。一つは電池で動くコンテナ―トレーラー、もうひとつのクラシックカーはラジオが入っているらしい。とてもではないがベビーギャングに渡すと一発で壊してしまう、もう少し大きくなるまで、保護者の監視下で触らせることにしよう。ラジオ付きクラシックカーはどうみても子どもには勿体ない、オヤジのデスクサイドを飾ることになりそうである。おまけにグローブまで付いてきた、これはもう少し先だな。


平成25年2月9日(土)

 晴れ。連日の氷点下5℃前後。空は素晴らしく晴れあがる。
   最低気温 -4.9℃ (07:19)、最高気温 5.7℃ (14:10)

 昼前に娘を小学校に送った足で半日保育を休んだ太郎を古閑医院に連れていく。娘は天草の小学校とミニバスケットボールの練習試合があり、そのまま今晩、青少年交流の家で天草の小学校と交流親善合宿がある。この合宿、実は、去年の夏、娘の小学校から天草に遠征する予定になっていて、7.12水害で中止になったもので、今回は先方からこちらにやってくることになってようやく実現したイベントである。小生の記憶ではその間に一度どいう形だったか覚えていないが計画されていてそれも確か流れたのではなかったろうか。 
 太郎、昨夜寝る前にネブライザーを吸入してそのまま落ち着いて眠った、今朝も、熱も無く大丈夫だと思ったが、休日が続くので用心のために診てもらった。少し軽い喘鳴があったので、ネブライザーをやってもらって薬を貰って帰ってきた。前回、ネブライザーをやった時には嫌がったが、今回は昨夜も家でやったこともあって、堂に入ったものだった、こんなものに慣れても自慢にはならないが、細かな霧が出るので、シュッシュッポッポだ、シュッシュッポッポだと言って喜んでいた。

 そんなわけで、小生は、子守がてら、PCの前に座って、道楽に耽った。


平成25年2月8日(金)

 曇り。久しぶりに冷え込んだ。防寒手袋ではなくて、皮手でボンの散歩に行ったが指先が痛くなって、帰ってからもしばらく回復しなかった。今朝の低温は放射冷却によるものでなくて、大陸からの寒気によるものなので、ここよりも標高差で約1000m高い阿蘇山の方が当然低くて-11.3℃で今季最低を記録したそうである。同じ地上(と言っても標高500mだが)でも、放射冷却による低温の場合はアメダスがある平野部の阿蘇乙姫の方が放射冷却の性質上、山付きの我家周辺よりも1℃以上は確実に低いが、今朝のような低温の時は寒気は等しく分布するとみえてほとんど一緒だった。
   最低気温 -5.2℃ (08:07)、最高気温 0.7℃ (15:07)

 昼前にようやくTSS宛てに無線局変更申請書が完成して電子申請にて送った。絶対に一発で通らずに何度か補正のやり取りが必要となるだろう。申請と同時、手数料を振り込む。このTSSの審査が終わってから九州総合通信局への正式な申請の運びと(小生の理解では)なる。

 最近はわざわざ出掛けなくても何でも座ったままで出来る便利な世の中になったものだが、便利でないのは、ただ一つ、振り込むべき原資がないことだ、座っているだけで入って来る方法は無いものか。

 昨日建てたGPアンテナで受信のモニターをしてみたが、阿蘇山固定3エレと比べてSメーターで1〜2少ない。144.66MHzでパケットを受信しても、最初のうち何も入らなかった。そのうちに、モニターにパケットが表示され出した。弱いパケットは受信できず、強いパケットは受信できるということなのだろうが、果たして、どちらが良いのだろうか、目的は阿蘇谷の何処かから発信される電波を拾えば良いのだから、遠くからの弱い信号は受けない方が良いと思うのだがそのあたりがどうもよくわからない。今日はKISSモードでなくて、パケットモードでインターネットにつながずに無線機だけでモニターだけしているのだが、正式に動き始めた時には、ここで受信した移動局の信号をインターネットに送って、それがインターネットサーバーに届くことは分かるが、逆の場合が良く分からない、インターネットからの受信データは、インターネットサーバーにつないでいる以上、常時、とめども無く流れてくるのだろうが、そのうちの何が無線電波として発放されるだろうか。発放されるデーターは選別されるだろうか、携帯電話であれば、特定の番号あてに、事前に定期的にビーコンを出していて居場所が分かっているから、特定のアンテナからその番号は探すことは出来るが、APRSの場合はどのような仕組みになっているだろうか。自分の設備の負荷に係わる問題だから非常に気になるところだ、マニュアルの更なる読み込みが必要である。

 局免が届くまでの次なるステップは、Tiny Trak4の稼働である。

 JARLの会員継続手続きをする

 昼は焼きうどんを作って食う。スーパーに行った時、牛肉のブロック約400グラムが安かったので思わず買ってしまったが、どうしようか。

 夜になって、太郎がゼイゼイを始めた、あいつにも少し喘息の気があったのだったなあ、学校行事で出掛けていた母親を呼び戻して、ネブライザーをやる。保育園でも今日咳が多かったそうだから、風邪の前兆だろうか。寝る前に検温をしたら37.4℃だった、少し高いくらいで元気である。

平成25年2月7日(木)

 曇り、風が強くて寒かった。
   最低気温 0.2℃ (19:02暫定)、最高気温 4.9℃ (14:41)

 昨年の7.12水害で広範囲に田に流入堆積した土砂がようやく搬出されることになって工事が始まったようだ。随分時間が掛かった、これでは今年の田植えには間に合わないだろう。どうしてこんなに時間が掛かったのだろう。

 今日はコイン精米所に精米に行った。

 午前中、同軸ケーブルにコネクターの半田付けをした。

 昼飯はマーボー豆腐を作って食った。

 少しの晴れ間を逃さずに、昼から薪作りをした。また雪になるかもしれないという予報が出ている。

 そろそろ夕方になろうとする頃、今日中にアンテナをはってしまおうかと急に思いついて、作業に取り掛かる。アンテナは先日TR-9000と一緒に戻ってきたGPである。アンテナはどうも心覚えが無いが、まあ良いだろう。

 今日は風があって体感温度が低くかったので、手がかじかんで、指先の自由が効かずネジ類を何度もとり落とした。屋根の上で手袋を落としてしまい、素手で梯子を下りてくる時は手が痛かった。SWRは1.1。

 アンテナの地上高、どのくらいの高さで良いのか、高すぎるとビーコンを拾いすぎるのか、その分、装置に負荷が掛かり過ぎるのか、低いとどうなるのだろう、そのあたりがあまりよくわからないので、とりあえず、この高さにしておいた

 ようやくクマデンからTR-9000の送信機系統図が届いた、送信機系統図の入手にこんなに苦労するとは思いもしなかった。


平成25年2月6日(水)

 昨夜の雨、今朝には上がって曇り空。東に移動した雨は当初大雪が予想されたが、心配したほどでは無かったようだ。それよりも、大雪を前提に、首都圏の交通機関は最初から間引き運転をしたようでかえってそちらの方で大混乱だったようだ。すぐに通常ダイヤに戻せないのは、総身に知恵のなんとやら、であろう。
 最低気温 5.8℃ (00:00)、最高気温 9.9℃ (13:55)

 今日になって、突然思い出した、今年は阿蘇神社の節分会、護摩木撒きに行かなかったなあ、どうして、忘れたのだろうかと思って、日記を読み返した見たら、そうだ、あの日はクマデンに行っていたのだ、頭の中は無線の方が優先していて思い出しもしなかったのだろう。阿蘇神社では豆の代わりに護摩木を撒く。節分会の「会」は仏教用語だろうか、そうすると、節分「祭」になるのだろうか。もっとも護摩も元は密教から来たものだと思うが、まあ、昔は習合していたのだからなあ。

 いよいよ春間近だ、野焼きの日程が回覧板で回ってきた、今年は阿蘇山麓と北外輪山と同じ日に一斉に実施されるそうである。実施日3/10(日)(雨天などで当日中止の場合は、3/17、 3/20、 3/24、3/31と順延される)

 今日はほとんど午後いっぱいを使って、同軸ケーブルの引き込み作業をやった。新しくアンテナを張る場合、なにが大変だと言って、同軸ケーブルの室内引き込みほど大変な作業は無い。以前、自分で壁にケーブルを通す穴をあけた際に、雨風の影響をなるべく少なくするために、塩ビパイプの外と内側にエルボを取りつけたので、しかもS字になるように、いやS字というよりはクランクに近い曲がり具合なので素直にケーブルが入っていかず、いつも引き込みに苦労する。また外側は良いとしても、内側は穴ギリギリに機材が置いてあるので、それらを一旦移動させなければならない。引っ張る途中で同軸が抜けないように同軸に穴をあけて、針金を通して留めて、その針金をパイプ通しとして穴を探りながらようやく室内に引き込んだ。この穴通しさえ終われば、コネクター処理をして、アンテナを上げてと、後は楽な作業になる。

 夕方、クマデンのJE6JDXから、TR-9000の送信機系統図があったからコピーを送ってあげますと電話を頂戴する。これには以下のような事情がある。ネットで検索してもどうしても系統図が見つけられず、たまにあってもバカ高い値で売っている。そういったところに丁度、実機の中古+取扱説明書がオークションに出ていて、安かったので落として、やれやれと思ってい届いた無線機と一緒に入っていた取扱説明書を見るとなんと、TR-9000Gのものだった。扱い方は同じなので、そこまで意識せずに同じ取扱説明書として出品したのだろうが、小生にとってはそこが一番大事なところなのだが、出品者も悪意があったわけではないだろうし、無線機も立派に動くので、まあ、これはこれで、保有機にするかと思ってあきらめた。

 さて、次なる手は、と思いあぐねて、そうだ、灯台元暗し、クマデンに聞けばあるかもしれないと思ってSOSを出しておいたのだ、さすが、餅は餅屋である、色々な無線機の修理に対応できるように古い取扱説明書も一通り揃えてあるそうである、最初から頼めば良かったのだ。本当のところを言えば、実は最初から頼もうと思わないでも無かったのだが、すぐに人頼みはいけないなと、とにかく自力で努力するだけしてみようと思って、結果的に随分と遠回りしてしまったのである。送信機系統図が届いたらようやくこれで変更申請手続きが進められる。


平成25年2月5日(火)

 曇りのち雨。また夕方近くから雨になった、この雨は西日本から関東にかけて大雪になりそうな雨だそうだ。ここは関係ないと思うが。
 最低気温 4.8℃ (07:21)、最高気温 8.4℃ (13:17)

 午前中いっぱいかかって屋根裏に入り込んで探し物をする。探し物はふたつあったが一つだけ見つかった。まあ、それでもいいや。

 無線局の変更申請の際に添付する付属装置(TNC)の添付図面の試作をエクセルで作る。ついでにTINYTRAK4用も作っておく。今日はほとんど終日、変更申請書を作成する作業に没頭したが、作成するというより、難解極まりないお役所の手続きにかかる文章の解釈理解に費やす。少しは進んだ・・・・かな。


平成25年2月4日(月) 立春

 9時過ぎには雨雲は通過して行ったが、阿蘇上空のみ小さな雨雲が残ってずっと長い間、強風と相まって窓ガラスを雨が叩き続けていた、今日は立春である、名前を聞いただけで春を感じるが、いきなり春の嵐だった。
       最低気温 6.8℃ (00:00)、最高気温 16.6℃ (07:43)

 一般的には月曜日は週の始まりで憂鬱に感じる人が多いだろうが、小生は、家族がそれぞれの持ち場に出掛けた月曜日が一番ほっとする、お父さんの本当の日曜日は月曜日なのである、月曜日が一番嬉しいのだ、ああノビノビの気分である。

 娘がよく小生の隣りで教科書をそろえながら、お父さんはイイね毎日お休みだからと羨ましがるが、そうだよ、でも昔はうんと勉強してきたから今はこうして毎日が日曜日なんだぞ、それでもこうして毎日パソコンの前に座って勉強しているだろう、うん、そうだね、でも好きなことだからね、そうだよ、勉強を好きになるのが一番なんだよ、ふ〜ん。(内心は何か自分に向いた仕事はないかなあとは思っているのだが・・・・)。

 今日の昼にダイコンのサラダを作った。このダイコンのサラダ、意外と知らない人が多い。簡単である。ダイコンをスライサーで千六本にする。それに塩をタップリ振ってしばらく放置して水で良くもみ洗いをする。そうすると若干塩味が残ってダイコンがしんなりする。ゆでたウドンくらいしんなりさせた方が良い、基本的にはこれだけだ、マヨネーズをかけて食べたら、沢山食べられる。我が家の場合、これに、カニ缶やホタテ缶を切って汁ごと入れてかき混ぜる。劇的に味が良くなる、どちらも缶づめの身を食べるのが目的ではないのでクズの身が入った安い缶づめで構わない。

 ミモザさんのネタ振りで気になっていた出久根達郎「かわうその祭」が用意出来たからと昨日図書館から連絡があって受取ってきた。「帯書き」を読むと小生の好みぴったりではないか、楽しみに読むことにしよう、ただ帯書きの最後に出ている掲載紙名が気に入らないが。

 APRSのIGATE開局に伴うアマチュア無線局の変更申請を電子申請でやろうとして非常に苦慮している。電子申請が難しいというよりは、申請そのものの手順が非常に複雑で紙でやっても同じである。お上はどうしてもっと簡単に出来ないのかと思ってしまう。新しい無線機での手続きは極めて簡単なのだが、古い無線機になるとこれはもう、新しい無線機を買わせようという産官一体の陰謀としか思えないほど色々と高いハードルが設けてあって、今日は朝から、マニュアルを眺めたりディスプレーとにらめっこをしたりしているが作業が一向に進まない。もうしばらく脳みそに汗をかくとしよう、眼光紙背に徹すれば、その内に自ずと霧のかなたに全体像が見えてくるだろう。

 具体的に書いておくと、IGATE局用の無線機として使おうとしているのは、TRIOの144MHz帯無線機TR-9000である。これは小生がその昔、新品を買ったものだが、どうしても取扱説明書が見つからない、どこかに紛れ込んでいるのだと思うが。仕方が無いので別ルートでコピーを取寄せようとしているがそれが無理なら、開局が著しく遅れることとなる。何故、取扱説明書が必要であるかと言うと、申請書に増設する無線機の諸元を書き込まなければならいのだ。普通はメーカーのサイトに取扱説明書のフィルがあって、それを自由にダウンロードできるのだが、TR-9000はもう古いということでメーカーのサイトにも見つからない。これが現行機種であれば、技術適応基準機種としてその無線機に割り当てられた番号を書くと、それ以外の記述は全く必要が無い。それよりもう少し古い機種になると、JARL認定番号というのがあって、その番号を書けば、これまた他の資料の添付は必要が無い、ところが、この場合は、最初に書いた技術適応基準機種ではないので、このアマチュア無線の変更申請の受付窓口である(昔は電監といった、今は)総合通信局という国の御役所には直接申請できず、どう見ても天下り用に作ったとしか思えない民間会社で保証を受けて改めて、総合通信局に申請しなければならない。ところが、ところが、このJARL認定機種でもない場合には、自作機として無線機の送信系統図などを添付して、その民間会社(TSSと言うのだが)の保証を受けなければならないのだ。そして、このTR-9000は既にそのJARL認定機種からもう外されている機種になるのである、つまり自作機扱いになるのだ。ついでに言うと、このTR-9000のすぐ次のモデル、TR-9000Gは、機能的にはほとんど同じなのにまだJARL認定機種として残っているのだ。立派にまだ使えるというのにこれは間違いなく嫌がらせとしか言いようが無い。というようなことを、脳みそに汗をかいて理解した。さてさて、道は遠いぞ。



平成25年2月3日(日)

 晴れ。朝ちょっと冷え込んで、夜明けとともに、霧が湧いたが(写真1写真2)、昼間は昨日のように暖かい一日だった。ここのところの気温の緩みで、今朝気がついたが、阿蘇山からすっかり雪が消えていた。
 最低気温 -1.2℃ (07:43)、最高気温 13.8℃ (15:00)

 今日はクマデンに同軸ケーブルを買いに行った。行ったついでに、同店のJA6YE局が主催するCWのセミナー中川塾が開かれるのを知っていたので、JE6JDYにたのんで、特別聴講できるよう願い出ていたが、それが認められたので、受講生の皆さんに交じって、受講した。特別聴講というのは一応CWが出来るので、受講料無料という虫のいい、小生の勝手な命名である。それでも、快く受け入れていただいた。

 受講目的は、小生自身がCWスキルアップ中であり、CWが衰退する中で、CWをやろとするOM諸兄に敬意と連帯を感じて参加させてもらったのだ。何回か連続して開かれるそうだが、今日だけ参加させていただいた。もうひとつの理由は、CWの超OMのYE局と失礼ながら親交を深めたかったからだ。受講生の皆さんのなかには、昔やったけどずっとやていなかったので、という、カムバック組もおいでで、すこしずつ、アマチュア無線、就中、CW人口が増えてきているのかなと嬉しい思いをして帰ってきた。今後もまたCW講習会開かれるのではないだろうか、その節は是非「無線のクマデン」に、である(一宿一飯の恩義、少々PRを)。(写真1写真2

 娘たちは別行動で、また三人で、同じく熊本市内の何かしらのイベントに出掛けて行った。

 今日は節分である、いつの頃からか、その元凶は海苔問屋ともコンビニとも言われているが、、「恵方巻」なる下品な風習がはびこりだした。太巻を切らずに一本まるまる黙って食うなどという無作法、どうせならもう少しましな方法を流行らせろよ。由来を知らずにそういうものかと思って最初に知った数年前のその年はそれに乗っかったが、一度だけでやめた。今日あたり日本全国で、太巻きを口にくわえて黙々と食っている家庭が沢山あるのだろう。どうして日本人は無批判でこういったことを受け入れるのだ。と書いていながら、我家でも今晩は太巻だった。毎日の献立で苦労するだろうから、たまには太巻でも良いが、小生の分は当然切れ!と言って、普通の太巻にして食べた。娘も、笑ってもいけないんだってね、笑うと福が来ないというのは変ね、逆ね、と極めて健全な判断をして、我家全員ちゃんと切ってから食べた、「恵方巻」クタバレである。

 そして、日本に伝わる伝統文化の豆撒きをした。太郎は先日保育園からもらってきた、角つきキノコを被って、「おにはそと!ふくはうち!」をやっていた。



平成25年2月2日(土)

 昨夜の風雨は大したこと無かったようである、雷注意報も九州一円に出されていたが、幸にこれは完全に空振りだったようだ。明けて今日も暖かい一日になった
 最低気温 8.1℃ (18:44)夕方になって更新中の最低気温がこんなに高いのだ
 最高気温 12.9℃ (01:58)

 娘が宮地小学校でバスケットボールの対外遠征試合があるとかで、家族三人が朝から出掛けて行ったので、小生はゆっくりと道楽にふける。

 アンテナの同軸ケーブルが短くて昨日まで作業をしていたところまで届かないので、機材一式をアンテナが届く場所まで移動させて、APRSのIGATE局開局に向けて、今日は最後に残ったマイクコネクターの処理をしてTNCとリグをつなぐ。TR-9000Pinassign

 RX.out(受信信号出力)とRX.in(受信信号入力)はマイクコネクターにスピーカー出力端子が無いので、マイクコネクター側のケーブルは使わずに、別にTNCとRIG間をΦ3.5のミニプラグでつなぐ、ところがここで躓いた。リグからRX.outだから当然EXT.SPジャックにつなぐだろう、そうすると、TNC側は、当然SP.INだろう。そう思ってつないだが、全くパケットが受信できない、受信だけだから、マイクコネクターの処理とは関係ない、ただミニプラグをつなぐだけで受信できるはずである、ここで2時間くらい悩んだ。TNCの背面に、EXT.SPのジャックがあるがこれでは絶対に無いはずだと思ったが、他にやることがないので、そこにつないだところ、パケットが流れ出した、改めて説明書を読むと確かにそう書いてある、どういうこっちゃ。

 ようやく準備ができたので、恐る恐るAPRSのIGATE局を稼働してみた、おお、見事一発で動いて、ビーコンが出て、クマデンのアンテナともつながった。(写真1写真2

 ところが、無線局の変更申請を出していないので、この行為は電波法に違反する。遵法精神に富んだ小生、従ってすぐに電波の発射をやめて、変更申請届けをすることにした。

 IGATE局が動き出すと阿蘇谷でもlowpowerで、APRSが使えるようになるだろう、そうなると、以前、途中で投げ出したTinyTrak4をもう一度使えるようにして車から電波を出したくなった、最近の無線機はAPRSが装備されているものもあるが、年金生活者にはちょっと手が出せないので、次の目標はひとまずこれだな。



平成25年 2月 1日(木)
 今日も暖かかった、登校で外に出てきた娘が、暖かいねえと感嘆の声をあげていた。午前の早い頃から弱いながら雨になる。今晩は一荒れあるそうである。
     最低気温4.1℃ (00:42)、最高気温 12.5℃ (15:41)

 午前中は、市役所や郵便局などに支払いで走り回る。小生の年金は、月始めと月中のに約半分づつ、二回に分けて入る。総額が変わらないのだから一括でも良さそうだが、自転車操業をやっていると、月始めに入るのは有難い、その分、無くなるのも早く、今日入った年金は瞬く間に無くなった。これから先、月中に入る残り半分で、三月いっぱい、家族、口に糊しなければならい。

 今日は外で作業が出来ないので、その分、少し余裕があったので、昼飯にエビチリと白身魚の唐揚げあんかけを作って食べた、ちょっと味が濃すぎたなあ、一度で食べきれないので残りは夕食に下げ渡しである。

 食材を買いに行ったスーパー宮原でアスパラガスの瓶詰が一瓶198円也。中国産のやつはよく目にするが絶対に買わない、このアスパラガスはペルー産である。瓶詰の輸入品である。どうしてこんな価格設定になるのだろうか、瓶代だけでも結構するだろ、運賃は?スーバーの粗利は?以前も買って美味かったのでまた買ってきた。おまけに毎月1日はこのスーパーの特売日で、ほとんどの商品が2割引きになる、道理でいつもより人が多かったわけだ。小さなスーパーだがここは本当に良心的な店である。

 昼メシを食ってから、さあ仕事をするかと外に出たところ、入り口でボンが走り寄ってきてジャレつく、なんだ、見ると結構最近買い替えたばかりの首輪がバラバラになって散乱しているではないか。完全に自由の身なのに、全く逃げないでいる。首輪なんて逃走防止というよりは人が来ると、飛びかかったり咬みついたりするといけないからしているのであって、そうでなければ放っておいても良いのだ、出来ればそうしてやりたいところだがまあ我慢しろ。

 急いでホームセンターから首輪を買ってきてはめたところ、はめられないことはないが、ちょっと小さすぎた、一度はめたものを取り換えることは出来ないので、これは今後の緊急用にとっておいて、また買いに行こうかと思ったが、そうだ、壊れたやつを直してやろうと、ネジ箱のなかをいろいろ漁って、今度はボクサーやシェパードにはめても取れないような太いボルトでがっちり作り直してやった。普段から不要な機器を捨てたりする際に、ネジは棄てないでとっておく習慣があるので大体なんでもネジは間に合う。

 飛びこみの仕事になったが、首輪修理が終わって今日の予定の薪掴みハサミの仕上げをする。ボール盤で穴をあけて、ビスで留めて一丁上がり。ちょうど首輪作りでビス箱を出してあったので都合が良かった。計画ではネジ留めでなくて、ボルトをガスで真っ赤に焼いてリベットのように留めようと思っていたが、雨なので今日はやめにした。

 今日も道楽はひと休み、とりあえずTNCのKISSモードを設定してみたところ、設定出来ているとメッセージが流れた、無線機がまだつながっていないので、それがどうなるのかまだ分からない。

 太郎が保育園からヘンな「かぶりモノ」を被って帰ってきた。暮れのクリスマスの時のイベントで舞台でお遊戯をした際のかぶりモノだそうだ、その時はみんなお遊戯をしているのに太郎だけ被るのを拒否して、舞台の上でお遊戯が終わるまでじっと固まったまま立っていて微動だにしなかったそうだ、アイツならやりそうなことである。かぶりモノはキノコだそうである、先生が一生懸命作ってくださったキノコのかぶりモノ、今日はそれに角を付けてもらって、節分の豆まきをしたらしい。こどもたちはオニも福も関係なく、オニのお面を被って豆をまく。


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