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平成25癸巳(2013)年3月の記録(新しい日付けの順)


平成25年3月31日(日)

 晴れ。
   最低気温 6.6℃ (21:02)、最高気温 15.7℃ (14:10)

 太郎が、ひとりで布団を積んだりして、いわゆる秘密基地めいたものを作っていて、滑ったらしく、家具の角の部分に顔を突っ込んで額に切り傷を作った。血が出たりしたが、ひどい痛みでは無かったようで、すぐに泣きやんだが、修復可能なケガは幾らでもしろと言っている、「向う疵」は男の勲章だ。ただ、小生は、危ないからするなと言っているにもかかわらず言うことを聞かないで怪我をするのは「自業自得」だぞ、といつも教えている、姉の時もそうだったが、この言葉は本当に意味は分かっていないがすぐに覚える。太郎に、どうしてこうなったんだ?と訊くと、回らない口で「ジゴウジトク」と答える。

 嘉島町にあるショッピングセンター「イオンモール熊本」内にあるシネコン「マイカル」に娘と映画を見に行く。今回(娘がそして小生も)見たい映画が朝と夕方の二回しか上映しないので、夕方5時からの回に出掛けることにしたが、我々が映画を見ている間カミさんは太郎と買い物をして待っているというので一緒に出かけた。映画は「ジャックと天空の巨人」という3D映画である。特撮をふんだんに使った3Dのこういったハリウッド作品は大人が見ても大いに楽しめる。娘は怖い怖いと言ってかなりの部分目と耳を塞いでいた。映画が終わって、外で食事を済ませて10時頃帰ってきた。

 今日もAPRS装置を積んでいったが、いつもの軽トラックでは無かったのでブースターを持って行くのを忘れて、5ワット出力だったが、それでもまあまあ飛んだ方だろう

 PICの独習。昔買って棄てないでとっておいた入門書が大いに役立っている、そして、参考になるところがあると、片っ端からネットからプリントしていて、相当量の資料が貯まった。どの解説も、それだけで、これだ!というものがなくて、それぞれ帯に短し襷に・・・で、良い部分だけ切り取って一冊にすれば素晴らしい入門書が出来るのではと思うほどである。

 PICの工作に必要な部材が秋月電子から届いた、腕が鳴る。
 PIC工作でLEDを点灯するプログラムなどで必ず最初の方で出てくる、
BSF STATUS,RP0 」という一文。
   説明によると、STATUSレジスタのRP0のビットに1を立てて、Bank1に切り替えるとある。

 何のことだかチンプンカンプン????????である。いや、少し前までは「であった」。そもそもBSFとは何だ、STATUSレジスタとは何ぞや。RP0とはどういう意味か、RP0の「0」はゼロなのかオーなのか、どうして1を立てて、Bank1に切り替えるのか、Bank1とは何なのか。たったこんな一行にこれだけの疑問が詰まっているのである。

 大げさでなく疑問に思って、というか、長い間、いくら読んでも解らなかったのが、何十年目かにして(その間ずっと考え続けていた訳ではないが)、もはや古稀も過ぎようとしているこの時になってようやく理解できたぞ。この歳になって、ようやく時間的、精神的なゆとりが出来たからだろうか、もしかしたら今が一番ゆっくり出来る時間なのかもしれない。自分で言うのもおかしいが、いやいや老いてますます、脳ミソの細胞が活性化しているぞ。
  備忘録として「BSF STATUS,RP0」を自分に対して理解度を確認するために解説すると、(今習得中の)PIC-ICには、データメモリ領域(レジスタ)がバンクという概念で二つのブロックに分けられてあって、それぞれがBANK0、BANK1と名付けられている。
 
 PICを起動した時には、まず、BANK0にアクセス可能となっている。ところが、IC(PIC)のピンにLEDをつないで点灯するには電気を流さなければならないが、そのLEDをつなぐPINは電気の入力用にも出力用にも設定によって使い分けることができるように設計されている。

 従ってLEDに点灯する(出力)するには、そのPINを出力用に設定する必要があるのが、その設定ボタンにあたるものがBank1の特殊レジスタ(SFR)のSTATUSレジスタのBIT5のRP0にあって、そこに電圧をかけてやる(1をたてる)ことで、、BANK0からBANK1に切り替わる仕組みになっている。

 そして、BANK1に切り替わったところで、以降、TRSという特殊レジスターを使って入出力ポートを出力用に設定する、という風に進んでいくわけであるが、

 このSTATUSレジスタやRP0も本来は、H'0003'、 H'0005'と書くべきところ、予め、STATUSレジスタの番地はH'0003'でRP0のBITは5だよ、と前以て定義づけてあるから、数字に替えて、STATUS,RP0といった人間に解り易い言葉で書き表すことができるのである。ということがだんだんと分かってきたのである。

 極めて拙い表現だが、おおまかこういったことだ。自画自賛ながら、ここまで理解が出来るようになったということは実に素晴らしいことである、と自分を褒めているのである。


平成25年3月30日(土)

 晴れ。もう少しで20℃越えになるほど暖かかった(しかし、朝、ちょっとだけストーブを焚いた、なにもカッコ書きで書くこともないのだが)。

   最低気温 2.1℃ (06:18)、最高気温 19.7℃ (15:39)

 太郎の進級親子(父子)面談?で10時頃登園すると丁度、新旧の園長・副園長先生がお揃いだったので無理を言ってカメラに納まっていただいた。新任の園長先生と副園長先生は、お二人とも夏子が昔、保育園児だった頃にお世話になった顔馴染みの先生方で懐かしい思いと、この先の安心を得た気分になった。

 保育園のクラス分けでは今年三歳になる太郎の年齢では「年長組」「年中組」「年少組」より更に下の「未満児組」になるのだが、この春から、子どもの数の関係だと思うが、未満児のなかでは一番年長になる太郎たち(11名だったと思うが)は今までの仲間たちと離れて、年少組に入って複式学級のような形で、隣りのクラス「ばら組」に進級することになった。

 今日はその親子面接で、仕事がある母親に代わって小生が太郎と一緒に新しいクラスで新しい担任の先生方から面接を受けた。新しい担任と言っても、お一人は今までの担任で、もうお一人も小さな保育園だからよく存じ上げている先生である。太郎のやつは家では騒々しいが外ではロクに返事もしやがらない。写真を撮ろうとするとわざと向うを向いてしまうので、アッこれは何だと気を引いて、振り向いたところをパチリ。

 帰ってから、太郎にトラクターに乗るかと聞くと、一大決心をした風で、「ウン」という。そこで小生の足の間に立たせて村の中をグルリと一週した(道交法違反だな)、帰ってきて、もう一回回るかと聞くと、もうイイと言う。降りるなりそそくさとドアを開けて家の中に隠れるように入って行った。あとから、オモシロかったねえ、と聞くと、ウン、と言うので、じゃあ、もう一回乗ろうかと聞くと、もうイイと言う、必死の覚悟で乗ったのだろう。


平成25年3月29日(金)

 晴れ。もう全く寒くは無いのだが、無いはずだが、じっと座っていると気温が気になる。全く気にならないのが丁度いい温度なのだろうが、少し膝のあたりが冷え冷えとする、そんな一日だった。
   最低気温 7.7℃ (05:43)、最高気温 15.6℃ (14:54)

 今日は金曜日なので本日が実質的な年度末ということになる。春は別れと出会いの季節と言うが、三月は基本的には別ればかりだろう、今日もそこここで涙が見られた。保育園や小学校でも退任式があり送別会があった。企業も年度末までにやっておかなくてはならないことがあって、忙しく慌ただしい一日だったろう。今や、こちとらはそんなこととは全く関係の無い別世界に生きている。ハテ、おふざけで時々使うこの「こちとら」という言葉、まさかとは思ったがちゃんと広辞苑に載っていた、由緒正しき日本語で「此方人等」と書くようだ、へえ、知らなかったなあ。

 今日は全く外仕事はせずに、自己啓発に励む。

 本日精米する。前回の精米が2/7だったから、我家4人家族、おおよそ50日をかけて一袋(30キロ)を消費していることになる。そうすると、今年の秋、新米が入るのが9月の終わり頃だから、残りあと6ケ月ということになり、180日÷50日≒4袋。太郎は食べる量はどんどん増えて行くだろうが、在庫は大丈夫なようだ。

 もう随分前からキッチンの混合栓のレバーが割れてグラグラしていたが、ようやく同じ型の補修部品を見つけ出して取り寄せることができた。http://www.onlinejp.net/ ONLINE
平成25年3月28日(木)

 晴れ。今日は暖かかったなあ。
   最低気温 9.8℃ (00:00)、最高気温 19.1℃ (13:00)

 太郎は乗用車の時はチャイルドシートに座らせているが、小生が軽トラックで送迎する時には、ウエアラブルというのか、落下傘のハーネス様の専用の装備があって、それを着せて、それにシートベルトを通して使っている。チャイルドシートが無い車でも乗せる事が出来て便利なのだが、いささか着脱が面倒なので、二三日前から、姉が使っていたジュニアシートに座らせたところ、ギリギリOKのようなので、早速それに切り替えた。そのほうが、本人も座位置が高くなって、パワーシャベルなどの「働く車」が良く見えて喜んでいる。いつのまにか大きくなっているのだ。(写真は、免許更新の際にくれる安全運転読本に車の絵が載っているのでいつも好きで見ている、ヤラセ写真ではない)。

 とにかく太郎は働く車が大好きで、保育園の往き帰り、働く車が来ると目を輝かせて見ている。働く車と言えば、我家のトラクター、今まで太郎が居る時にはいつも小屋の中に入っていて、自分の家に有ること自体を知らないことに気がついて、今日、保育園から帰ってくる時に、農作業が終わったトラクターを玄関先に停めておいたところ、車を降りるなり大喜びで駆け寄ってきた。最初ちょっと警戒したが、運転台に乗せてやると、ニコニコしてご満悦そうだった。それじゃあエンジンを掛けてみようかと、階段上に下がらせてから、エンジンを掛けたところ、いままでの笑顔が一転して、恐怖に顔をゆがめて大泣きでドアを開けて室内に逃げ込もうとして、出てきた母親に泣きついていた

 とにかく太郎は小生に似ず臆病で(本当は小生に似てだが)、先ずアゼリアの浴槽のブクブク気泡が怖い。それから、プラレールの新幹線の車両のうち、電池で動く車両が怖い(モーターの無い車両は怖くない)。ラジコンヘリが怖い。プリンターが突然前触れもなく動きだして紙を排出するのが怖い、そして、今日のトラクターである。考えてみたら、理屈が分からずに音が出るのものが怖いようである。我儘を言って、言うことを聞かない時には、新幹線を持ってくるぞ、だとか、ヘリコプターを持ってくるぞ、というと、ピタリと我儘をやめる、それだけ、怖いのだ。

 田舎はとにかく静かなので、騒音に対する訓練が出来ていないのだろうか、はるか昔、終戦で疎開地のここから福岡に戻った小生が、博多駅前の車の騒音に怯えて泣いた血が太郎の体にも流れているのか?

 午後から、畑を一回耕した。

 今日も古文書を解読するようなゆっくりとしたスピードでアッセンブラーの理解に努めた。一つの参考書では足りず、あちらこちらの資料と付き合わせながら読んでいると徐々に解ってくる。言えることは、アッセンブラは英単語(或いは熟語)を非常に無理して短縮したものなので、ただ棒読みするより、その元の意味を知った上で覚えると我々の年代は理解が早い。例えばSFR GPR TRISA TRISBは、それぞれ、Special Function Register General Purpose Register TristateA TristateBなんだと解ると一発で覚える。RP0のRPは何だろう、ReturnPointerだろうか・・・解らないな。

 娘のクラスメートが鹿児島に転校して行く。娘に聞いて、どんなところかなと思って調べてい見たら、ここでは市内の各公民館に公衆無線Lanが設置してある、やるところではちゃんとやっているのだ。http://www.city.hioki.kagoshima.jp/modules/content001/index.php?id=178 物理的距離が原因の過疎化を防ぐのは大変だが、時空間でなら遠近は関係ない、過疎化はいくらでも防げるぞ。

 最近プールをさぼっている代わりに頻繁に風呂に入りに行く、今日も夕方行ってみると、ちょうど、大挙して大学の水泳部だろうかバスで到着した。春休みだからプールは当分合宿などで混雑するだろう。普段閑古鳥なので、こういった時には精々稼いでもらいたいところである。普段の静かなプールが当たり前だと思って文句を言う人がいるようだが、都会のプールに行ってみろと言いたい。常時芋の子を洗うような混雑具合で、年会費だってここよりはるかに高い。プールだって慈善事業ではないのだから、儲ける時に儲けないとやっていけない、我々会員もこのような時期には我慢をしなければならないのだ、それが嫌なら会員にならなければ良いだけだ。これも極めて当たり前のことなのだ。


平成25年3月27日(水)

 起きると細かな雨が降っていた、その雨、午前中には上がったが終日曇り空で少し肌寒かった。
   最低気温 6.1℃ (03:53)、最高気温 11.1℃ (15:50)

 娘は母親と一緒に、ピアノだかなんだかの何だかで朝早くから何処か遠方に出掛けて行った。そして深更に至るも未だ帰着せず(というほどまだ遅くは無いか)。

 今朝、ホリエモンが仮釈放されたそうだ、そうか、時は刻々と流れているのだなあ。

 PICの命令、ADDWF ANDWF DECFSZなどなど、普通どうやって読むのだろう、読み方は特にないので、A・D・D・W・Fなんて読むのかなあ、それとも、その度に、Add W and fとかAND W with fと正式に読むのかなあ、あるいはもっと簡単な他の読み方あるのかなあ、先ず、こういったところで初心者は躓くものなのだ、こういったことは初心者にとっては非常に大事なことなんだけど、入門書やネットで調べてもどこにも書いてないなあ。


平成25年3月26日(火)

 晴れ。今朝は少し冷えた。
   最低気温 00.0℃ (06:11)、最高気温 12.7℃ (14:28)

 今日も畜協から堆肥を買ってきて、畑に振って方向を変えて二度鋤いた。その作業の前、昨日鋤いて軟らかくなっていた畑に、目いっぱい(積載量オーバーだろうか)堆肥を積んで軽トラックを乗り入れたら、またまたスタックして動けなくなった。前回同様また救助要請をしなければならないかなと焦ったが、堆肥を落として、タイヤの前に少し道をつけてやったら、今回は無事に脱出できた、いやあ危ないところだった。これからしばらく何度か耕そうと考えてる。

 耕しているところに正士さんが通りかかって「なんばしよっとか」と言うので、少し遅いけどジャガイモを植えよう思って、というと、「ちっとん遅かあ無か、うちでちゃあ未だばい(ちょっと違うかな)」とのことだったので、プロの農家の御託宣だから安心した。

 TXUの軌跡を探していたら、偶然、山中に「日向新しき村」という文字を見つけた、「新しき村」は宮崎だったかなと思ったら、宮崎にもあったのだ。


平成25年3月25日(月)

 晴れ。今日は肌寒さを感じることも無かった。
   最低気温 7.1℃ (06:38)、最高気温12.7℃ (12:15)

 太郎を保育園に送った足で、スプリングセールをやっていたので斉藤タイヤに軽トラックのタイヤ交換に行く。スタッドレスを脱ぐついでに、ノーマルタイヤを新調した。今度のタイヤは、オールシーズン用のタイヤなのだそうで、余程のことが無い限り、冬でもOKだそうだ、そうなると、スタッドレスが要らなくなるなあ。

 もうとっくにジャガイモの作付期に入っているが、我家はいつも4月中旬くらいに植えている。しかし、今年は表側の畑にはほとんど目いっぱいに高菜を植えてしまって、まだその収穫をしていないのでそれでも間に合わなくなるかもしれない。考えた挙句に、今年はひとつ裏側の竹林跡に植えてみようかと思って、今日、畜協から堆肥を買ってきた。バケット二杯分で1,000円也

 このくらいの面積かなと見当をつけて、堆肥を振ってからトラクターで耕したが、最初思ったよりはるかに広い面積になったようだ、例年の面積だとこんなに要らないと思う。

 それから、この場所は竹林伐採の際に、数百年(もしかしたらカルデラ生成以来かもしれない)以上も地中深くにあった土を天地替えで表に出した土で痩せていて、水捌けもあまり良くな無そうなのでジャガイモに適していないと思う。水捌けが悪いと皮目肥大と言って、ジャガイモの表面に白いブツブツが出来るのである。それに昨年蒔いた蕎麦の実が相当量、そのまま地中に埋まっている。春になって蕎麦の芽が出てくると、他の植物の成長を阻害するアレロパシー物質を出してジャガイモ成長を邪魔するかもしれない。あまり、条件は良くなさそうである。せめてもう一回肥料を振ってみようかとも思っている。


平成25年3月24日(日)

 晴れ。花曇りというには花はまだ少し早いかな、というような天気だった。
   最低気温 7.4℃ (03:55)、最高気温15.8℃ (14:41)

 今日は家族全員在宅のためにノンビリ過ごす。そして、ネット検索をしていて、PICの勉強とその工作と、今年のテーマ、和文モールスの習得とを一挙にというか、併せ持って学ぶ糸口が見つかった。PICに関しては今まで何度か本を買ったりして学ぼうとしたが、どうしても身につかなかったが、今日見つけたサイトはこれは小生にも理解できそうで、俄然やる気になってきたのである、埋もれた宝を発見した気分である。PomTrackerの製作が、いや、その製作途中での足踏みが、眠っていたPICへの関心を再び呼び戻したのだ。古稀、老いて益々でありたい。

 午後、嘉悦渉先生が、ご夫人と御子息とお孫さん(御子息の姪御さん)同乗の車で突然おいでになり、ある書き物を届けてくださった。嘉悦先生は郷土史の大家で、元一の宮町の教育委員会で町史編纂に携われたり、阿蘇の歴史というと新聞やテレビに必ず登場される碩学であり、坂梨宿場會でも毎回主に坂梨を中心に阿蘇の歴史の講話を聞かせていただいている。

 今日お持ちいただいた資料は、つい先ごろ、過疎化により就学児童減少で閉校になった中通小学校の創立にかかる歴史で、明治五年に公布された教育法令によって明治六年に全国で一斉に小学校が設置され、この地でも坂梨小学校や、宮地小学校などが発足したそうであるが、既にその学制頒布の一年前の明治四年に、中通小学校は「阿蘇日新社」という校名で「初等中等の両科を併せて外国地理、博物、数学等の教授をなし、遠近から風を望んで集まる者五十余名であった」ということである。その創立に携わった人たちまだ二十代の若者たちで、その創立に曾祖父の太邑(計算すると当時17歳)も関与して更に創立五十年記念の石碑に刻む文を寄せているということを前回の坂梨宿場會の歴史講話でお聞きした際に、そのうちに資料をくださるということであったが、今日早速その資料を届けていただいた次第である。その時に、阿蘇日新社と言うのは、太邑が竹崎茶堂の私塾「日新堂」の指導教官のような立場にあったので、そこから取ったのでは、というようなこともお聴きした。その席で、このように由緒ある小学校が無くなるのは寂しい話であるが、創立にかかる歴史が小学校校史に残されておらず、このまま歴史に埋もれてしまうのは本当に残念であると嘆いておいででもあった。

 本日、未知のアマチュア局からメールが来て小生のI-Gate局が発する電波が、その局長さんのアマチュア無線の関心事に役立つそうで、UI-View32の設定を少し変えて欲しいというリクエストがあったので、快く承諾してそのように設定をした。

 その局長さんは「2mEスポマニア」http://9210.teacup.com/2m_es_mania/bbsだそうで、もともとそれほどアマチュア無線に造詣が深くない小生にとって、へえ、そんな分野があったのかと驚いた。ちょっと説明をすると、2mとは無線の波長の事で、144MHz帯の無線を通常そのように言う。この周波数はVHF帯と言って、電波に直進性があり短波帯のように遠くには届かない。だからこの周波数帯の無線は自宅周辺(と言ってもアンテナ次第で100キロ200キロは飛ぶかな)や自動車などで専ら近距離用通信に使う。何故、短波帯のように遠くまで飛ばないかというと、電波の性質上、この波長は電離層を突きぬけてしまうので、電離層を反射して遠くまで届かないのである。短波帯は、その時々気象条件にもよるが電離層と地表間を反射しながら地球の反対側まで飛んで行く。普段はそのように遠くまで飛ばない144MHz帯の電波が、太陽の黒点なのどの影響でそのようにEスポやダクトという現象でとんでもなく遠くに飛んで行くことがある、小生も、昔、茅ヶ崎に居た時にモービル機同士で沖縄とQSOしたことがある。
(電波伝搬については、例えば、http://www.ne.jp/asahi/yokohama/cwl/dempa.html にその説明がある。)

 この局長さんはその電波の異常伝播、2mEスポに強い関心がおありなのである、小生はそのようなグループが存在すること、寡聞にして知らなかった。しかもリアルタイムでVHFの電波伝播状況がわかるサイトがあることも知った。http://aprs.mountainlake.k12.mn.us/

 その局長さんの了解を貰っていないので詳しくは書けないが、APRSも奥が深いことに驚かされた。

 後刻、その局長さんの了解を貰ったのでもう少し詳しく書く。

 依頼があったのは、JR4ENY/1局粟屋さんでもう20年もこの分野の情報を収集しておいでだとか。

 ご依頼の内容は、I-Gate局は一定間隔でビーコンを発射しているが、そのビーコンの到達距離が時として変化をするようで、そのデータを知るために、UI-View32の設定を変えて欲しいということであった。

<変更箇所>
1.UI-View32メイン画面のメニューで[ Setup ] -> [ Status Text ]を開き、Interval (mins):を60に。
2.Send best DX:にチェックを入れる。
3.[ Station List] で距離単位をkmにする。
これだけである、お安い御用なので、即刻変更した。

平成25年3月23日(土)

 晴れ。
  最低気温 4.9℃ (00:00)、最高気温 13.5℃ (16:29)

 夏子は今日から春休み、太郎は今日は保育園の卒園式だが、とても参列して静粛に出来る知能はまだ無いので自主休園。二人に昼にカツ丼を作ってやる。後は適当に流す。

 今日は熊日新聞ネタを二つ。ひとつは、坂梨八十八か所の記事。もうひとつは、坂の上トンネル復旧工事の記事、あれだけの大被害があったトンネル災害、思った以上のスピードで工事が進んでいてこの8月には全面復旧する見通しだそうだ。下からでも強大なクレーンが見える。


平成25年3月22日(金)

 曇りのち、いつの頃からか雨。そして今日も少し肌寒かった。
  最低気温 0.6℃ (06:50)、最高気温 12.7℃ (11:21)

 坂梨小学校の三学期終業式、四年生終了である。午前中で行事が終わり帰ってくる、通信簿はどうだったろう。

 じっちゃいが定期健診で熊本までやってきて、阿蘇経由で帰って行った、今回の健診も大事無かったそうだ。朝5時半ころ、PomTrackerを搭載して出発、途中、九州自動車道のえびの〜八代間は山間部とトンネルばかりなので全く軌跡を残さなかったが。その他はほぼ熊本での健診を終えて我が家に到着するまでずっと順調に軌跡が記録されていた。

 我家からの帰り道は、高森〜延岡を経てのルートだったが、途中、南阿蘇の圓林寺に立ち寄って高森峠を越えてしばらく行くと蘇陽町でビーコンが途絶えた。そして、どこで復活するかと思っていたら、なんと日向市まで飛んでしまった。延岡辺りにもノード局はあるはずだがどうしたことか、変調が深いということだったので少し浅めにし過ぎたかな。

 それから、じっちゃいが我が家を発ってしばらくした時に、JLZが軌跡をモニターをして欲しいと電話をかけてきた、氏は大津方面から阿蘇向けに走っているという。APRS.fiの画面を転じてみると、二重峠越えで阿蘇の親戚の家に向かう途中の軌跡が出ていた。期せずして、PomTrackerの二台の電波を小生のI-Gateで拾ったことになる、I-Gate局冥利に尽きるという気分だった。

 JLZ局PomTrackerに内蔵のLEDが外から見えるように、少し改造していた

 それにしても、じっちゃいの、宮崎から鹿児島方面にぐるりと回って熊本までやって来て、阿蘇を回って九州の中心部をおおまか一周して帰って行った軌跡を見るとずいぶん走ったのだなあと感心する、じっちゃいもなかなかタフである、お疲れ様である。

 APRSでの位置情報送信は、本来のAPRSの在り方とちょっと違うという声もあるが、はやり、APRSの他に無い一番の特徴はこの位置情報だろう、その他のメッセージなどの送受信は他の方法でも出来るからである、改めてAPRSは面白いと思った。



平成25年3月21日(木)

 晴れ。
  最低気温 3.2℃ (06:00)、最高気温 12.7℃ (15:49)

 坂梨小学校卒業式。式典が終わり、在校生とのお別れセレモニーも校舎内で終わって、卒業生が出てきて、記念植樹をしたり、タイムカプセルを埋めたり、保護者との記念撮影をしたりするシーンを何枚かカメラに納めてきた。坂梨小学校での卒業式もあと数年で無くなるらしい。

坂梨小学校卒業式 点描 連続写真 (1/2) 12枚
坂梨小学校卒業式 点描 連続写真 (2/2) 11枚

平成25年3月20日(水) 春分の日(春季皇霊祭)

 生憎の雨である、そして少し肌寒かった、しかし柔らかな春の雨だった。
  最低気温 9.7℃ (08:13)、最高気温 12.8℃ (15:28)

 お彼岸である、昼前に、夏子と太郎を伴って宿場茶屋「後藤万十店」に行きオハギを食べた、そして仏様にも買って帰って、我家の桜と一緒に供えた

 夏子が、お昼はカップヌードルを食べたいというので、オハギを食べたばかりだから、じゃあそうするかと言うと、二人とも、わ〜いと歓声を上げた。太郎はともかくも、夏子はほとんど食べたことが無いので大喜びだった。考えてみたらインスタントラーメンはあまり食べさせたことが無いのでこの上なく御馳走に見えるのだろう。小生も手を掛かずに済むので、お安い御用とばかりにぐるりと一周、スーパーみやはらで買ってから家に帰った。

 太郎が最近時々鼻をほじっているので、鼻血が出るぞ、と脅していたが、鼻血が如何なるものか知らないので効果が無かった、ところが、今日、鼻をほじっていて鼻血がでた、本人は鼻からしたたり落ちる血を見て茫然自失放心状態だったが、初めてのことだから驚いたろう。

 3/20のクマデンのスタッフBlogでJDXが熊本の方言、「脳うっだす」という言葉を紹介していた。小生自身は熊本歴は短いが、子どものころから熊本の親戚つきあいで相当量熊本方言は知っているつもりだったが、この強烈な言葉は初めてである。阿蘇に暮らすようになって十年以上になるが、ここでも聞いたことが無い、もしかしたら、阿蘇では使わない言葉なのかもしれない(掲示板ででも教えて欲しいところである)。

 「脳うっだす」、脳が飛び出すである、脳が飛び出すくらい何々と続くらしい。今で言う「チョ〜」に当たる言葉だろう、「とつけみにゃー」言葉があったものである。これには脳うっだすくらい驚いた。
今日のNHKニュースより
「冬の間、運行を休んでいた栃木県の那須岳にある観光ロープウエーが、20日から営業を再開しました。
 このロープウエーは、栃木県那須町にある那須岳の7合目と9合目をつなぐもので、毎年、冬の間は休業し、春の観光シーズンが始まる3月20日に営業を再開しています。
20日は、運行会社の職員がことしの安全祈願を行ったあと、登山者など10人が第1便に乗り込みました。
 ゴンドラの中からは残雪が山肌に描かれた模様のように見えます。
20日の那須岳は曇りで、標高1684メートルにある山頂駅では景色を見ることができませんでしたが、登山や山スキーを楽しみに来た人たちが早速、山頂に向かっていました。
 東京から登山に来たという女性は「雨が降らないといいなと思います。きょうが今シーズン最後の冬山登山になると思うので楽しみたいです」と話していました。
那須岳のロープウエーは11月30日まで運行されます。」
 仙酔峡ロープウエー、那須岳ロープウエーに決して引けを取らないぞ、那須岳に出来てどうしてここで出来ない、偏にPR不足だろう。阿蘇高岳を眼前に、眼下に阿蘇カルデラを一望、そして阿蘇登山に便利なロープウエーをどうして生かすことが出来ないのだ。こんなことでは阿蘇の再生なんて覚束ないだろう。
 産経ニュースで、八街市の工場で、アセチレンボンベ2本が窃盗にあったと伝えている。確かに爆発物には違いないが、アセチレンボンベなんか町工場に行けばその辺にゴロゴロしているだろう、我家にもある、そんな程度で全国ニュースになるのものだろうか。


平成25年3月19日(火)

 せっかく晴れたのに、黄砂で視界が悪い、どうして日本列島だけなんだ。気温がどんどん上がって、二階の居場所では28℃近くまでになった、さすがにセーターは暑いのでシャツ一枚になった。
  最低気温 7.3℃ (06:58)、最高気温 21.9℃ (16:01)

 公民館前の桜が開花したと「坂梨宿」に載っていたが、豆札の標準木(と小生が勝手に言っているのだが、というのは恐らく、豆札にある桜は全部山桜だろうから)、我家のソメイヨシノも今朝は確かもう少し先だと思っていたが、この暖かさで一気に5〜6輪咲いた、風師庵測候所、本日開花宣言をする

 卒業式は明後日だが、登校班として全員が揃って登校するのは今年度、今日が最後である。一足先に登校班の卒業記念写真を撮った。今年の卒業生は渡辺健太郎君である。赤ん坊の時から写真を撮っているが立派に成長したものである。一足先に皆でオメデトウを言ったら照れていた。(昨日だったら強風雨で写真は撮れなかった、今日で良かった。夏子のやつ、ランドセル背負っていないなあ、どうしてだろう・・・・)

 午後1時過ぎに小生の携帯電話に購入して以来初めて「エリアメール」の着信音が鳴り響いた。緊急を要するメールだろう、一番考えられるのは大きな地震だ、ここのところ南海トラフがどうのこうのというニュースが流れたばかりだ、北朝鮮のバカの核の威嚇もある、地震だと一刻の猶予もない、慌てて細かな電子工作をしていたのだがすぐにハンダゴテなどの電源を抜いて、今日は休みのカミさんに大声で伝えた。そしてメールを開いたところ、訓練メールだった。バカヤローである、ご丁寧に通常の「阿蘇安心安全ネットワーク」でも流している、
<<<訓練メールです>>>
「阿蘇火山で噴火による災害が発生しました。火口周辺は立入規制を実施していますのでお知らせします。」
(阿蘇火山防災会議協議会「阿蘇市総務課」)
<<<訓練メールです>>>
 安全ネットワークで訓練メールを事前通告なしに流すのは通常の手順で開いて読めば訓練だということが分かるからいいが、エリアメールは特別の意味を持つ通報手段で着信音からして尋常な音色ではない、鳴った時点ですぐに身構えなければならないのだ、後から見ると確かにタイトルにも訓練メールとはなっていたが、流すなら流すと前以て言っておけ。抜き打ちの訓練も必要かもしれないが今のところその必要性は無いだろう。


平成25年3月18日(月)

 またまた春の嵐、低気圧の通過で強風に家が揺れた。その雨風も昼を境に東に移動して行きだんだん収まってきた。
  最低気温 11.6℃ (01:04)、最高気温 18.3℃ (08:13)

 ホームページの手直しなどを行った(アマチュア無線のページ)、ホームページビルダーの「どこでも配置モード」と言うのは便利そうで不便なものである、気になる個所があるので標準配置モードに少しずつ直している。

 JQ6TXUの一昨日、昨日の椎葉行、改めて地形図、そして衛星写真で見てみると、九州はほとんど山ばかりだということが分かる。そもそも日本列島自体がそうなのだ。平地なんてほんの僅かしか無くて、更にそのほんの僅かな平地のまたごく一部に人間は集中して住んでいる。つくづくアホだなあと思う。もっとゆったりと散らばって住めばいいものをという思いを新たにした。TXUはPomTracker本格運転初日に、その九州山塊の一番深いところに分け入ったわけであるが、電波伝搬状況を身をもって調査してくれたわけである。やはり山間部には中継局が無いので軌跡を続けるのは無理なようである。残すは、宮崎自動車道〜九州自動車道という基幹路線を走ってどうなるかである。もうひとつの延岡〜阿蘇ルートはなんとかつながるようである。人吉に抜けるルートはどうだろうか。

 今日もオトコ同士でアゼリアに風呂に入りに行く、もう慣れたかなと思ったが、浴槽からぶくぶくでる泡が怖いと言ってしがみついて泣きベソ状態だった。



平成25年3月17日(日)

 晴れ後、小雨。
  最低気温 1.7℃ (06:49)、最高気温 16.0℃ (13:17)

 阿蘇山麓・北外輪山一帯の一斉野焼きは一週間遅れで実施された。予報より少し早く雨になって昼過ぎには早々と切り上げたようだが、まだ焼き残しがあるので、各牧野は改めてまた残り部分を焼くのだろう。

 小生は昨年から参加をしていないので、近辺の野焼きの写真を撮りに行こうかと思っていたが、子守などがあって、家を出られず、窓から外輪山上の野焼きを眺めていた

 野焼きが早めに終わったので、村の行事、鞍岳祭も午後3時頃から村の人が集会所に集まって始まった。この日はこどもたちも参加してお菓子などを貰っていた。

鞍岳祭連続写真

 昨日TXUが遠出をするというので、APRS.fiを覗いていたところ、山中に入って、電波が途切れた。無線の不感地帯に入ったのだろうとは思ったが、小生もTrackerを付けたばかりの時は、ちゃんとビーコンを発射しているだろうかと気になって運転が非常に疎かになった経験があるので、もしかしたら山道で崖下にでも落ちたのではないかと気になって仕方がなかった、夜になって安否確認の携帯を掛けてみたがつながらない。携帯電話も不感地帯のそれほど山奥なのだろうが、PomTrackerを勧めたことがかえって仇になったかな、とますます心配になったが、今日、昼過ぎになって、やはり昨日電波が途絶えたあたりで再び帰り車の軌跡が現れだしたので心底ホッとした。こういった便利な道具も、電波が完全にカバーしないとかえって余計な心配をしてしまう、複雑な心境である。


平成25年3月16日(土)

 穏やかに晴れる。
  最低気温 0.6℃ (05:33)、最高気温 16.1℃ (15:18)

 太郎半日保育、昼食はもう定番の親子丼を二人に作って食べさせる、その他には何もせずに今日もゆっくり流す。

 夕方、太郎を連れてオトコ同士でアゼリアに風呂に入りに行く。カミさんと娘は盛んに二人で行って来いという、二人の魂胆、太郎抜きでゆっくり家で風呂に入りたいのだ。

 太郎、以前ほど手が掛からなくなった、最近は家の風呂でも、シャンプーをつけてやると頭からシャワーを被って自分で目をつぶって洗うようになっている。ただ、アゼリアの浴槽は下からブクブク勢いよく泡が出るのがそれが怖くて抱きついて泣きベソ状態だった。

 先日来、太郎より小さな男の子がお父さんに連れられて来ていて、ちょっと言葉を交わしたことがあったが、家に帰ってカミさんにその話をすると、ああ、それは太郎のクラスメートのSちゃんのご家族に違いないわよ、きっとSちゃんはお母さんと一緒に入っているのよ、と言っていたが、今日、ちょうどその家族が男女の浴室の入り口で分かれる前にお会いして、小生もSちゃんの顔は知っていたので、やあやあということで父親同士改めて自己紹介しあった。

 太郎に、太郎より小さなYちゃんは泣かないから、今度は太郎も泣かないでお風呂に行こうねと行ったら、ウンと言っていたが。


平成25年3月15日(金)

 晴れ。
    最低気温 -2.4℃ (06:59)、最高気温 13.9℃ (14:03)

 今日は軽く流す、というより、今日は何をしようかと考えているうちにあっという間に一日終わってしまった。

 安倍首相がTPP交渉参加を正式表明というニュースが流れる、日本の参加表明、遅きに失したくらいだ。国民はマスコミや一部○○学者の流すデマゴギーに惑わされてはいけない。

 夕方になって、そろそろ、じっちゃいが移動局としてAPRSデビューを飾るはずだと思って、APRS.fiを見ていたが一向に軌跡が現れない、「動いたぞ」という電話を貰わなくても、APRS.fiを見ていれば分かるのだからこれほど確かなことはない。まあ、仕事が終わってから、修理に預けてある車にアンテナなどを引き取りに行って、それから装置をセットするわけだから、まだまだ先だろうなと思いつつ心配しながら眺めていが、午後8時頃になっても一向に現れない。このことには一枚噛んでいるだけに気になって仕方がなかったが、まあ、明日の通勤時には軌跡が出るだろうと、小惑星探査機「はやぶさ」を探すような心境で画面を眺めていた。

 9時頃になってそろそろPCの電源を落とそうかなと思っているところに、メールが入り、電源は入っているし、時々ビーコンは出ているようだが、GPSのLEDが点灯していない。それはつまり、GPSのケーブルが接触不良のようである。トラブルシュートの際に何度も抜き差ししたりしたので、基板にハンダ付けしてある部分が切れかかっているのかもしれない、蓋を取って触ってみて、と伝えたところ、動き始めたとのこと。最後の最後まで小生の技量不足が祟る。

 というわけで、無事に稼働し始めて、ちゃんと無事に軌跡を残した。接触不良はまた追って直そうということにして、初お目見えは無事に終わる


平成25年3月14日(木)

 晴れ。朝のうち、雲が残っていたが、どんどん回復して夕方には雲ひとつない青空が広がっていた。もう山から雪は完全に消えたと思っていたら、昨夜だろうかその前だろうか降ったとみえて高岳、根子岳がうっすらと白くなっていた。それでも、今年は春になるスピードが速くて、「早春賦」を歌うタイミングが掴めなかったなあ。
    最低気温 3.0℃ (06:07)、最高気温7.9℃ (14:40)

 最近、結構アゼリに風呂に入りに行く機会が多い、プールはサボっている。午後5時半頃、今日も風呂に入っていると、もう日がかなり伸びて、まだかなり高い位置にある太陽が湯気に煙る湯船に差しこんで湯がキラキラ光っていた。10年以上住んでいると、風呂に行く時間がいつも同じでなくても100%誰か知った顔に会う、小生にとっては一つの社交場になっている。

 朝一番で、宇治歯科に歯のメンテナンスに行く。

 午前中のうちにPomTrackerをケースに納める。結構分厚いプラスチックケースに入れてGPS電波は透過するのだろうかと心配だったが全く問題なし。感度が素晴らしい、もしかしたらtinytrak4より感度もアルゴリズムも良いかもしれない(ソフトウェアはどれも同じなのだろうか)。それにとにかく小さい、比較に100円玉を置いてみたが、想像以上に小さいことが分かる。午後便でじっちゃいあてに発送して今回のミッション終了。

 今日はホワイトデー、娘はバレンタインデーの時に学校では配れなくて、母親の運転で男女の区別なくクラス中の友達に手作りのチョコレートを配った回っていたが、今日はそのお返しで、次々にやはりお母さんの運転でプレゼントが届いていた、クラスの子どもたちが皆同じことをやっているのだろう、皆、ちょっと歩いて行けない範囲に住んでいるので付き合わされるお母さんたちは大変だ。娘がもらったものを見ると、どう見てもエビタイだなあ、娘も同感のようで恐縮していた。


平成25年3月13日(水)

 春の嵐、昼前ころから風雨荒れ狂う。前線が東に移動して夕方になるにつれて回復傾向。
   最低気温 11.3℃ (01:55)、最高気温 15.7℃ (08:07)

 PomTrackerの製作行き詰まり、JA6JLZ局が見るに見兼ねて、風雨の中、オシロスコープ持参でトラブルシューティングに来てくれる。基板を目視して、ああ、これがイモ半だねと一発で不良箇所を発見。オシロスコープを当てるまでもないところだが、当ててみて確認。確かにすぐに分かるほどのイモ半、C1にハンダが乗っていなかった。一か所ハンダを乗せるだけであれだけ苦労したことが一発で解決。あれほど何度も見たのになあ、敢えて言い訳をするなら、小生がいつも座って作業をする場所と今日の場所が違って微妙にライティングの関係で、今までその箇所が光って分からなかったのだ。それにしても非常に恥ずかしい、と同時、いっぺんに心の霧が晴れた。今回のPomTrackerの御提供をいただいたJA5ILM局にも何度もメールで面倒をおかけしてしまった。それでも今回のトラブルで、転んでもタダでは起きない、D/A変換の仕組み、デジタル回路の勉強がしっかり出来た。早速テスト走行、見事に軌跡が記録されている、あとはケース加工を残すのみである。万歳三唱。

 昨日、ジオターゲッティングというサービスを目次ページの下の方に貼り付けてみた。我がホームページをどこの都道府県から見ていただいているかと言うことがわかる。「ジオターゲッティング」とはアクセス中のインターネットのIPアドレスなどといったネットワーク・通信上の利用者情報から、利用者の地理上の現在位置を特定・推定する技術。「地域特定技術」と言うらしい。

 夜、宿場會三月例会出席。


平成25年3月12日(火)

 晴れ。
   最低気温 -1.3℃ (06:08)、最高気温 18.8℃ (14:49)

 ウグイスの初音を聞く。我家のライブカメラのうち、庭先を撮っている動画カメラは音も拾うようにしてあるので、啼き声が聞こえる。今のところは、啼き始めたばかりで朝のうちちょっと聞こえただけだがそのうちにうるさいくらい啼くようになる。ただ、マイクの感度が良すぎて、今は災害復旧工事の重機の音などが結構入って来る。

 家を出たところにある征司さんの所の梅園ももう満開である

 先日の強風で、国旗を掲揚するヒモが解けてしまったとみえて落ちてしまっていた。今日は先ずの復旧をしてから、入り口の植木というのか垣根というのか、ここに来て以来一度も切っていないのでそれを切った。伸びに伸びて植栽の向う側の日当たりが悪くて、見通しも悪かったので、これで一応はスッキリした。急に思い立っての仕事だが結局一日仕事になってしまった。そのうちに道路側も切ろうと思っている。(写真1写真2写真3


平成25年3月11日(月)

 晴れ。二夜続けてストーブを焚かずに寝たが今朝は少し冷え込んだので起きてからちょっと焚いた。日が暮れて、やっぱりあった方が良いとカミさんが言うのでまた焚いた、だんだん面倒になって来る。
    最低気温 -0.3℃ (05:15)、最高気温 13.7℃ (15:32)

 今朝は霜が降りて車のウインドウも凍っていたが、ふと傍らに目をやると、霜で真っ白の大地にサクランボの花がもう咲いている。娘が言うには昨日から咲いているという、気がつかなかった。

 野焼きが今日だったら暑からず寒からずの絶好の野焼き日和だったものをたった一日違いでそのタイミングを逃した、自然が相手だからな。

 太郎、10日ぶりくらいだろう、今日から元気に保育園復帰、夏子の方は学校に行ったが調子が今一つで、今日も部活を休んで帰ってきた。

 e-taxで確定申告を済ませた。

 東日本大震災二周年である。まだ30万人もの人たちが仮設住宅住まいだという。大震災に比べるべくもないかもしれないが、他所事と思っていた去年の7.12水害を経験して、我家は直接被害は無かったものの、その時に感じた絶望感というものが、ここの被災者もそうだが、今もずっと続いているのだ、今日被災者の誰かがラジオで、二年経ったけど何にも変わっていないと言っていたが、復興のスピードが追いつかないほどの破壊の大きさ、それが実感なんだろうな。

 ここの水害の復旧工事が急テンポで進んでいる。ずっと手つかずだったのに始めると実に早い、驚くばかりのスピードである、しかし今年の田植えには間に合うまい、どうしてもっと早く始め無かったのか。噂によると、国と県と市との縄張り争いとか押し付け合いだとかがあって停滞していたという話しも聞く。(写真1写真2写真3

 今日も時間があれば基板のプリントパターンの半田を見つめていた。

 もう一年くらい続いているだろうか、キッチンの水道の蛇口、泡沫器を納めた吐水口の金具の所から水が漏れて、それが水圧であらぬ方向に飛んで始末に負えない状態が続いていた。ネジ山が減ってそこから水が漏れるのである。テープを巻いたり、締め具合を緩めて水が飛ぶ方向をコントロールしたりしたがとにかく不便をかこっていた。

 ネジ山が減っているのなら接着剤をネジ山の上から塗って、半乾きの固まりかけの頃を見計らって金具を締めてそれでネジを刻むかなどと考えたりした。カミさんは毎日のことだから不便なので交換してくれと言う。特殊なデザインの水栓だから、その部分だけと言う訳にはもう部品もないだろうから、交換するなら一式になる、そなると万とする、以前なら、なんとなく買い替えていたかもしれないが、今はそういうわけにはいかず、色々と頭を捻っていた。そして、今日、いとも簡単に解決した。アホみたいな話である、こんな簡単なことに今まで気がつかなかったということは、小生がそれだけ耄碌したということである。以前ならすぐに思いつくことだ。つまり、金具の部分にパッキンを入れれば済むのではと、突然気がついて、同じ大きさの別の水栓からパッキンを取り出してはめてみたところ、ピシャリである。外側から止めることばかりを考えていた。早速パッキンを買ってきて水漏れを止めた、僅か70円の出費だけだった。ところが、あれだけ不便だ不便だと言っていたカミさん、気がつかずに水仕事をしている、どういうこっちゃ。


平成25年3月11日(月)

 晴れ。二夜続けてストーブを焚かずに寝たが今朝は少し冷え込んだので起きてからちょっと焚いた。日が暮れて、やっぱりあった方が良いとカミさんが言うのでまた焚いた、だんだん面倒になって来る。
    最低気温 -0.3℃ (05:15)、最高気温 13.7℃ (15:32)

 今朝は霜が降りて車のウインドウも凍っていたが、ふと傍らに目をやると、霜で真っ白の大地にサクランボの花がもう咲いている。娘が言うには昨日から咲いているという、気がつかなかった。

 野焼きが今日だったら暑からず寒からずの絶好の野焼き日和だったものをたった一日違いでそのタイミングを逃した、自然が相手だからな。

 太郎、10日ぶりくらいだろう、今日から元気に保育園復帰、夏子の方は学校に行ったが調子が今一つで、今日も部活を休んで帰ってきた。

 e-taxで確定申告を済ませた。

 東日本大震災二周年である。まだ30万人もの人たちが仮設住宅住まいだという。大震災に比べるべくもないかもしれないが、他所事と思っていた去年の7.12水害を経験して、我家は直接被害は無かったものの、その時に感じた絶望感というものが、ここの被災者もそうだが、今もずっと続いているのだ、今日被災者の誰かがラジオで、二年経ったけど何にも変わっていないと言っていたがそれが実感なんだろうな。

 今日も時間があれば基板のプリントパターンの半田を見つめていた。



平成25年3月10日(日)

 我家では冬の間、24時間ストーブを焚きっぱなしで火が消えることが無いが、昨夜は今朝まで、この冬(と言ってももう春だが)初めてストーブを焚かないで済んだ、暖かい夜だった。今日もそのままストーブは消えたままだ。

 今年はウグイスの鳴き声がまだだなあと思って、日記を見てみると、昨年は3/1には鳴いている。ではその前はどうだったかなというと、一昨年は3/13だった、ということは、まだそんなに遅れているという訳でもなさそうである。

 本日予定されていた阿蘇山麓・北外輪山一斉野焼きは強風のために3/17に延期になった。強風に加えて、雨まで降りだした、今日の延期で、消防は昨日も夜遅くまで原野火災の消火に追いまくられていたので、ゆっくり骨休めができるだろう。野焼きは毎年天候不順で最初の予定日に実施されたことはまず無い。野焼きと一緒に行われる組内の行事、牛馬を祀る「鞍岳祭」も延期になった。

 今日は確定申告の電子申請ファイルを作った。強制天引き預金のつもりで、間違いなくまとまった金額(といっても年金だから高が知れている)が戻って来るようにしているので、もっと早くやればいいものを、結局今の時期になってしまった。最後の印刷でどうしてもPDFファイルが表示されない、毎年こういうことは無いのに何故だろう、国税庁側でも同じ症状が出ることを承知していてその回避策が載っているがそれでも改善しない。


平成25年3月9日(土)

 晴れ。今日は黄砂とPM2.5で視界が非常に悪かった。風も結構あった。
    最低気温 10.3℃ (03:36)、最高気温 20.3℃ (14:07)

 子ども二人が家に居たので、なんとも落ち着かない一日になった。娘の方は軽い扁桃腺炎だったようで、もう回復に向かっていてゴロゴロしていた。一方、弟の方はもう絶好調で、小生が作業場で半田ゴテを焼いていようが、細かな基板作業をしていようが、資料を広げていようが、入ってくるなよ、といくら言っても、ウン、わかった、と言いながら遠慮会釈なく傍若無人に踏み込んでくるので、危なくて気が散って神経が集中できない。

 PomTrackerの製作、最後のところで足踏み状態が続いてる。GPSは衛星を補足した合図は出ているが、そして、1分間隔でビーコンがでているのは確かだが、その肝心のビーコンが無変調なのである。子どもたちが月曜日に出掛けてからゆっくりと最初に戻ってチェックをしようと思っている。

 今日はあちらこちらで原野火災があったようで、頻繁に市の情報メールが伝えていた。明日の一斉野焼きに先だって、既に方々で野焼きが行われているので今日は風が強かったので恐らく飛び火をしたのだろう、今の時期は消防関係者は大変である。

 太郎、3日遅れの定例検量。13.6キロ。この一週間、病を得てかなり痩せたかなと思ったが、どっこい、その後の回復が早くて、もうかなり戻したのか、ほとんど減っていなかった。

 今晩は阿蘇の火祭り、往生岳の火文字焼きが行われた。(日記をアップしている時点では現在進行形であるが)(写真1写真2写真3


平成25年3月8日(金)

 晴れ。もう完全に冬は去った。
      最低気温 11.1℃ (07:40)、最高気温 17.2℃ (13:54)

 今年度最後の交通指導でいつもの辻に立つ、もう軟らかな風が吹いていてい立ち番をしていても気持ちが良い。

 夏子、昨日から頭が痛くて、熱があるということで、学校を休んだ。インフルエンザかもしれないと心配したが、小生が留守中に、医者に行って診てもらったところ、どうやらインフルエンザでは無かったようだ。じゃあ、何だったのだと聞くと、ワカランという。ダラダラ病だろうというと、正解!と言っていた。

 今日はカミさんが休みだったので、久しぶりに外出した。クマデンまで行って部品を買って、ついでに総合通信局に回って、変更申請をした無線局の免許状を貰いに行ったところ、記載事項に変更は無いので、これだけです、と言って小さなシールを一枚だけくれただけだった。現在のアマチュア無線局の免許状は包括免許方式なので、確かに記載事項には変更が無いのに免許状を呉れるというのでオカシイナとは思っていたのだが、帰ってから通知書を改めて読んでみたら、確かに「免許証票」となっていた、つまり、シールである。今回の変更は移動局に関する変更なので、昔は移動に際しては免許状を携行しなければならなかったが、移動のたびに携行するのは現実的でないので、最近は小さなシールを無線機にはることで免許状携行に代えているのだ。建前上は移動局なので実際には移動しない無線機にもこのシールが発行されるのだ。わざわざ貰いに行くことも無かった。

 これで、正式に、TR-9000とTNC-231がI-Gate局の設備になった。

 太郎はもう完全に復調した。病気の間、蓄積したスタミナをかなり消耗したので、体がその分を取り戻そうとしているのかいやあ食うこと、食うこと。


平成25年3月7日(木)

 今日も穏やかに晴れる。
    最低気温 -0.7℃ (06:29)、最高気温 15.7℃ (14:09)

 太郎は9分通り恢復したが、今日もとりあえず休ませた、さて明日はどうするかというところであるが、ウイルスが完全に対外に出るには安全のためにもう一日休ませた方が周囲に対しての礼儀だろうと思うのでいっそのこと、今週いっぱい休ませて月曜日から復帰させることにした。ところが、今度は姉の方が頭が痛くて熱があって関節が痛いといって部活を休んで帰ってきたが、インフルエンザか、おいおい勘弁してくれよ。

 太郎もこう毎日、親父と顔を突き合わせているのも飽きるだろうと、今日は昼飯の材料を仕入れに一緒に「スーパーみやはら」にでかけて、うどんを買ってきた、今日は煮込みうどんにした。その帰りに「ナフコ」に寄って犬と猫の餌を買ってきた。道の途中、あちらこちらで水害の復旧工事をやっていて、パワーシャベルが動いているのを嬉しそうに眺めていた。ここの周囲だけで20台はパワーシャベル動いているだろう。

 その他、今日も太郎に目配りをしながら、自己啓発をして過ごす。 

 PomTracker 製作、ミニと超ミニの二種類のプラグ入手待ち、とりあえず基本チェックのみ済ませる。まだ12Vのケーブルを基板に半田付けをしていないので、規定の電圧が出ているか測るシーンを独りで写真を撮るのがなかなか大変で、ICクリップを使って12Vの電源をダイオードのアノードとトランジスタのエミッターに引っ掛けてから片方の手でカメラを抱え、PICのソケットの5番ピンと14番ピンをもう一方の手でテスターを当てて電圧を測ったところ、規定の5Vが出ていた電源ケーブルは太いからどうやって基板に付けるかなあ、一番壊れやすいところだからなあ。


平成25年3月6日(水)

 穏やかに晴れる。昨日のようなPM2.5の影響も無かったようでいつもの爽やかな阿蘇が広がっていた。
最低気温 -2.6℃ (06:00)、最高気温 15.1℃ (15:05)

 そう言えば、確か、昨日の市のホームページで、PM2.5の注意喚起の記事があったと思うが、今朝見たら削除されていた、と思ったら、いつの間にかまた復活していた。何かしらの力が働いているのだろうか。また、同じく、オスプレーが飛んできたら市役所に知らせろとある、どういう意図があって知らせよと言うのか、何か勘違いをしていないか、オスプレーは北朝鮮のミサイルのような厄災なのか。そのオスプレー当初の計画を変更して、今回の飛行訓練、四国山地を飛ぶとか飛んだとか。

 太郎、ようやく治ってきているのだろう、昨日まで朝晩ピーピーだったのが今朝はまったく催さなかったようで、治ってきているのに今まで通り薬を呑んでいるので却って秘結気味なのかもしれない。

 きょうも一日太郎の相手をしながら、適当に自己啓発に勤しむ。

 太郎、明日は、どうするかなあ、もう一日休ませるかなあ、行って欲しいなあ。


平成25年3月5日(火)

 晴れ。
   最低気温 -0.7℃ (07:00)、最高気温 13.1℃ (14:46)

 県は、今日は例のPM2.5の大気中濃度の1日平均値が国の暫定指針値(1日平均70マイクログラム)を超える可能性があると発表して注意を呼び掛けた。確かに、朝から天気が良いのに霞んで阿蘇山もほとんど見えなかった。こどもたちも各家庭で用心のために持たせたとみえて皆マスクをして登校をして行った、本当にロクでもない国ばかりだ。(写真

 太郎の下痢、なんとなく峠を越えた感があるが、薬も無くなったので、古閑医院に連れて行った。持って行った便をみてもらったが、やなり快方に向かいつつあるそうで、三日分、薬を追加してもらって帰ってきた。やはりノロでなくてロタの方だったようだ。もし、ノロウイルスならもう家じゅうの者に移っていただろう。ロタは幼児が罹り、確か大人はほとんど罹らないと聞いている。

 病院の行き帰りに通る裏の橋の付近、修復工事が始まった、今、この近辺あちらこちらで沢山の重機が入って一斉に修復工事が始まっており、太郎なんか、「働く車」が大好きなので、パワーシャベルだ、なんとかだと言って大喜びである。(写真1写真2

 先日(1/3)総務省の電子申請で送ったアマチュア無線局の変更申請、今日、審査終了の連絡が入った。土日は入ったものの、今回は早かった。ただ、これでいつも笑ってしまうのは、電子申請をしても免許状の受取りは返信用封筒で送ってもらわなくてはならないのだ。せっかく電子申請の方式を取り入れたのなら、ついでに黙っていても郵送してくれたら良いのに。

 PomTrackerの組み立てに入った。太郎の子守をしながらだから、一気にというわけにはいかなかったが丁寧にやって2〜3時間くらいで概ね組上がった。いやあ、歳を取ったものだ、細かい半田付けが見えにくいこと夥しい。あとはミニプラグなど屋根裏にもぐりこんで探さなくては・・・。ここまできたらもうぐだからちょっと一休みだな。(写真1写真2写真3写真4


平成25年3月4日(月)

 晴れ。またうすら寒さが戻ってきた。
    最低気温 -0.1℃ (05:02)、最高気温 8.4℃ (14:23)

 太郎は元気だが一向に快方に向かわず保育園を休む、この調子だとあとまだ二三日は無理だろう。

 組内のKさんとの境界立ち合いをした。前回の杭が残っているので、その再確認のようなもので、杭が抜けているところに新たに打ち込んで双方確認を済ませた。夏ころまでには新しい家が建ちそうである。

 頼まれものPomTrackerの部品が届いた、三端子レギュレータは面実装タイプなんてあるんだなあ。黒い礼服、茶一杯・・・電子工作は随分久しぶりだ、全体的に想像していたよりはるかにコンパクトなんで驚いた、TinyTrak4の半分くらいだ、いや、GPSアンテナまで含めると1/3くらの大きさだろうか、明日にでも組み立てたいところだが、太郎がそばに纏わりついて気が散ってダメだろうな。


平成25年3月3日(日)

 久しぶりに冷え込んだが、晴れ。今日も暖かかった(尤もずっと下界に居たせいもあるが)
     最低気温 -2.6℃ (06:49)、最高気温7.8℃ (14:27)

 西日本ハムフェアが開かれて、朝から出掛けてきた。当然軽トラックにTinyTrak4を搭載して、家族にお父さんがどこに行くか見ておけといって出た。 (往きは下に降りてから途中でほとんど電波が拾われていない、スケルチの設定などの関係でビーコンが出なかったのだろうか)。

 会場は長洲町にある、造船所、ジャパンマリンユナイテッドの体育館である(去年まではユニバーサル造船と言ったが合併して今年から社名を変更した)。
 
 毎年この地で開催されるハムフェア、結構遠方からハムがやって来る、九州全域は当たり前、今日も岡山や広島のナンバーをつけた車があった。晴海(今はビックサイトか?)なんかに比べたらはるかに規模は小さいが、それでも皆さん楽しみにして大勢の人たちがやって来るのだ。

 I-Gate局を始めたばかりなので、APRSのブースに寄って自己紹介をしたところ、流石皆さん阿蘇にI-Gateのシンボルマークが出来ているのを御存知で、やあ、やあとばかりに名刺交換をしてきた。クマデンのブースにも皆さんおいでだった。少し無線関係の小物を買って、ついでにこどものオモチャも買った。(写真1写真2写真3)

 今日はAPRSの方に頭が行っていたので、ハンディ機を持って行くのを忘れて、会場で二三知り合いに連絡を取ろうとしたが出来なかった。

 ハムフェアでは造船所見学も実施してくれており、見学バスに乗って造船所内を廻ったが、昔似たような製缶業に居た関係で鋼板の加工には慣れてはいたが、スケールが全く違って、その巨大さにただただ驚くばかりだった、300mだったか400mだったかの長い貨物船が建造中で、その他にも数隻の建造中の船があり、車から降りて見学できなかったのが残念だった。理屈は分かっていてもあんなに大きな鉄の塊が浮くのだから改めて重力、浮力、それを応用する人間はすごいなあと素直に感じた。娘が学校から見学に行った時は、すぐそばまで近寄って触ったと言っていたが。

 造船所見学連続写真
 日記の写真の載せ方をみると造船所見学の方がメインになった感があるなあ。

 帰る途中、西南戦争の激戦地、田原坂の戦跡に寄って帰ってきた。(写真1写真2写真3写真4写真5

 今日、地元の中通小学校の閉校式があったそうだ、(確かあそこには曾祖父が書いた石碑があったはずだが・・・・)、新学期から宮地小学校に統合されるそうで、坂梨小学校もいずれそうなる予定である。



平成25年3月2日(土)

 晴れ。寒の戻り、という表現で良いのだろうか、昨日までと違って寒い一日だった。と言っても気温はそんなに低くは無かったが、それまでが異常に暖かかかったので、薄着になった分、余計にその寒さを感じた。
    最低気温1.6℃ (05:34)、最高気温 7.0℃ (15:41)

 太郎は、やはり、感染性腸炎だろうか、周辺でも結構流行って入るが。嘔吐は無いが、下痢症状がまだ収まらない。この病気は特効薬と言うものは無いようで、体力的に丈夫であれば二三日で快方に向かうと何かに書いてあった。お腹のインフルエンザと誰かが言っていたがそんなものらしい。

 今日は完全にAPRSネタになった。

 太郎の不調であまりPCの前に座る時間がなくて、ずっと長時間(多分20時間以上)、APRSのI-Gate局もWeather Stationの両方のシンボルマークがAPRSMAP上に無いことに気がついた。ということは、APRSサーバーにここからの情報が届いていないということなのだろう。原因が分からないので。考えられることは一通りやってみた。

先ず、
 我家のインターネット回線が不通になっている・・・・・これはつないでみればすぐにわかる、メールソフトも正常に動いている。

 I-Gateだけなら、わかるが、WX-stationの両方ともと言うと分からない、共通するのはインターネットの回線しかない。WX-stationの方は、I-Gateとは全く別の気象観測装置の中の設定でWXサーバーに送っているので、両方一緒にダメになるということだと、インターネット回線しか考えられないからだ。

 あるいは、モデムやルーター、ハブ関係かもしれないと思った。というのは、以前、インターネットの他のサイトは普通に繋がるのに、米海軍の台風情報のサイトだけどうしても開かなかったことがあったが、その時に、モデムだったかをリセットして直ったことがあったから、今回も、それかもしれないと思って電源を一旦切ってリセットを掛けたけど、今回はそうではなかった。

 ついでに自動車で家の周りを走ってTinyTrak4を動かしたが、それも、APRS.fiには載らない。

 うーん、である。そうしてもうひとつ思いだしてやってみた。昨日初めて試してみたスマホAPRSである。これが不思議とAPRS.fi上にマークされた。あれっ、これもWiFi経由だから我家のインターネット回線を通って行ったのだぞ。

 もしかしたら、と思って、APRSサーバーの設定を見てみたところ、スマホの方はI-Gate局とは別のAPRSサーバー指定になっている。そう言えば、WXのほうも、I-GAte局と同じAPRSサーバーである、ということは、こちら側の問題では無くて、APRSサーバー側の問題だろうか、しかし、このサーバーは安定性があることで定評のあるサーバーと聞いている。だから沢山の局が使っているはずである、そうならばAPRS.fi上のステーションの数が減っているはずだがなあと思って見てみたが、特に減っているようにも思えない。ここのサーバーの障害があるのかないのか調べる術を知らない。

 そこで、I-Gate局の方のサーバーを複数指定することにして、二つのサーバーを指定してみた。そうすると、生きている方で通す。そのせいかどうかI-Gate局の方のシンボルマークは表示され、TinyTrak4での軌跡も表示された。一方のWX Stationの方は止まったままだ(APRSサーバーは今まで通り)、ということはAPRSサーバー側の問題だろうか、まだまだ暗中模索の段階で良く分からない。

 因みに従来指定しているサーバーは、j-net.aprs2.net:14579であり、新たに追加したサーバーは aprsjp.net:14579である。

その後、WX-Stationのaprsサーバーも変えてみたところ、これも正常に動き始めた。ということで、j-net.aprs2.net:14579 に障害が発生しているのだろう、という結論に達した。

 I-Gate局、運用を開始した以上は公共性のあるものなので簡単に止めるわけにいかない、この冬の時期に阿蘇でこのシステムが使われる頻度はまだそれほどでもないと思うが、阿蘇谷を通過していくAPRS登載車が出す電波をJA6LGV-10が受けているを確認出来てひとまず安心した。


平成25年3月1日(金)

 まるでちょっとした台風並みの強風と雨が吹きつけた。
    最低気温 3.5℃ (03:22)、最高気温 18.2℃ (09:54)

 二月からあっという間に三月に飛んだ。考えてみたらどうして二月が半端な日数になったのだろうか。ずっとそうなっているので特に不思議とは思わなかったが、しみじみ考えてみると不思議だ、年の初めの一月だとか終わりの十二月で調整すれば良さそうなものなのに。おそらく調べたら「そもそも」が載っていると思うが、強いて調べることもあるまい。

 毎年この時期になると二月が他の月より短いことで、損をしたと感じる人と得をしたと感じる人がいるだろう、と思う。とまれ、今日から三月だ

 シマのやつ、今朝は起き出してきて、皿のなかの餌をあらかた食っていた、大分調子を戻してきたのだろうか、餌を食った後はまた薪小屋に作ってやったねぐらに戻って寝ていたが。

 シマのことよりこちらを先に書くべきだったが、太郎、昨夜から下痢をしている、今流行りのノロウイルスとは多分違うようだが、用心のために保育園を休み、母親が古閑医院に連れて行った。結構何度も下痢をしているなあ、熱もあるなあ・・・

 組内のKさんのお宅は先の水害で家を流されて(母上も亡くされて)仮設住宅住まいだが、我家にすぐ隣接して畑地を持っていて、今までの場所に家を再建することに躊躇されその畑地の方に新しく家を建てる計画のようで、今日は午前十時からその関係の民民、官民の境界立ち合いがあった。我家との境界は、我家を建てる時に作成した図面があったので、それをもとに後日改めて確認をしたいということで今日は小生の立ち会いは無かった。

 アマチュア無線局の変更申請に関して、申請の内容によって、本来の総合通信局宛てに直接申請する前に、TSSという民間会社で一旦保証を受けなければならないが、そのTSS宛ての保証認定の電子申請に関して、添付画像のような断り書きが載っている。つまり、電子申請だと時間がかかるので、急ぐのであれば従来通りの書類で出せというのだ。オイオイ、電子申請は書類で審査する従来方式よりトータルで迅速に処理できるからやるのではないのか。電子処理とはそういう進化型だろう、それはちょっと逆じゃないのか、臆面もなくそのようなことがよく平気で言えるものである。自動販売機で淹れたてコーヒーを買おうと思ってコインを入れたら、箱の中に人がいて、手で一生懸命コーヒーをドリップしているマンガがあったが恐らくそれだろう。TSSは株式会社と言っておりながら、天下り用に作った一社独占のお役所なのである(と思う)。

 今回の変更申請、途中何度か補正処理があったとはいえ、2/8に電子申請をしたものが本日ようやく保証が降りた旨の連絡メールがあった。一体何日かかったのだろうか、計算するのも面倒である。即刻、この保証書を添付して改めて電子申請Liteで総合通信局に電子申請をした。

−APRSネタ−
 U2APRSというAndroid OSが搭載されたスマートフォン上で動作するAPRSアプリがある。callsignとpasswordが要るが、これをインストールすると、スマフォにはGPSが内蔵されているので、リアルタイムにAPRS.fi上に自分の位置を表示することができるというわけである。これは無線機を使わなくて、携帯電話網やWiFIを使って直接情報をAPRS-IS網へ流すのである。パケ放題とかいうやつを使えば、通信料を気にすること無く移動中の軌跡をずっとプロットすることができることになる。いざとなったらこれを車にぶら下げて走っても良いわけだ。ただ、無線機は要らないといっても、アマチュア無線技士の資格は必要である。

 jtqからもらったスマホにこのソフトをインストールしてみたところ、なるほど、ちゃんと表示された、小生の場合は電話の契約をしていないのでWiFi経由のみだが(だから継続して移動運用は出来ないが)、それでもホットスポットがある所なら、自分の位置を記すことができるわけである。



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