平成25癸巳(2013)年8月の記録(新しい日付けの順)
平成25年 8月31日(土)
台風15号、もう少し先かと思っていたら、夜明け前に五島列島沖あたりで早々と温帯低気圧になってしまった。今回の台風、もし上陸していたら、2007年8月の台風5号以来の6年ぶりの上陸となるはずだったそうだが、今回も上陸直前で、消滅した。こうしてみると九州は台風銀座というイメージがあるがそうでもないようだ。
午前中いっぱい時々雨が降ったり、ゴロゴロ鳴っていたが、警戒するほどのことも無く、風も普段の方が強い程度の風が時々吹く程度で、まあ、何事もなく済んで良かった。
自分の周辺ばかりに気を取られていたが、北陸方面がまた大雨になっている。
今回の台風騒ぎで市などが主催するイベントが幾つも中止になってその広報の放送が流れていた。
太郎半日保育。
JA6JLZのI-Gate局が二三日前から無事に動き始めたようだ、難産だったが良かった、良かった、これで、あの近辺を走る車が大いに恩恵を受けることができる。
明日は村の区役の草切りだ、そのほかに小学校の運動会の準備の清掃作業もある、カミさんたちは小学校、小生は区役だ。
平成25年 8月30日(金)
曇り、時々雨。ともすれば台風接近を忘れてしまいそうなほど静かな一日だった。
最低気温 23.7℃ (10:16)、最高気温 26.4℃ (16:01)
台風15号、進路を少し北に振れて九州の北端を東に進むようだ、暴風域も無く、九州にを過ぎると温帯低気圧になるようなことを言っていた。風の強さも、普段ここで吹く強い風とあまり変わらないのではと希望的に想定して、特別な台風対策は取らないことにした。明日の未明ころから最接近になるのだろう、明るい時間帯で良かった。
「新型ロケット「イプシロン」の打ち上げが中止されたのは、ロケットに搭載されたコンピューターの情報が地上管制設備に届くまでに、約0.07秒の時間差が生じたことが原因との見解を示した。」、日本のロケット技術、7/100秒の誤差も疎かにしないぞ、ということか。再打ち上げ、台風明けの1日か2日か、1日は日曜日で彼らとてサラリーマン、休日出勤はいやだろうから2日か?そんなことないか。
平成25年 8月29日(木)
台風15号の影響か、もう時々強い風が吹いている。進路予想図を見ると昼ころまでは、気象庁とJTWCの予報、熊本を境に北と南の泣き別れ、間を取ると熊本直撃ではないか。と思っていたが、最新情報ではJTWCが気象庁に歩み寄って?ほぼ福岡と熊本の間を東に抜けて行くようである。もはや暴風域は無いそうだから、ちょっとは「気休め」にはなるが、それでも熊本の西側を通過していくので吹くのだろうなあ。日頃、日本が右傾化した右傾化したと近隣国が非難しているので、この際御期待に応えてうんと左傾化して北の方に進路を変えてくれたら良かったのに。
最低気温 19.7℃ (00:52)、最高気温 29.6℃ (14:32)
「あとぜき」。もう十年以上も前になる、ここに住み始めた頃、何かの催しで牧野に行ったことがあった、小生が最後にその牧野のゲートを通る際に、前を歩いていた人から、「あとぜきお願いします」と言われたのが、この言葉との最初の出会いだった。その時には意味が分からずに、えっ?と問い返して、説明をしてもらって意味がわかった。その後、医院のトイレのドアや地元の公共施設などでも時々この言葉を書いた貼り紙を目にすることがあった。意味は、「開けた戸はちゃんと閉める」という熊本地方の方言である、「戸締り」とは少しニュアンスが違う、共通語にこれに相当する言葉は無い。先の牧野のケースでは、最後の人が柵を閉めないとそこから牛が外に出てしまうから閉めてくれ、という意味だったのだ。これだけの意味を熊本では「あとぜき」という四文字で済ますことができる、直截に言う時は「あとぜき!」丁寧に言う時は「あとぜきお願いします」である。語源は、堰く(せく)だとか、塞く(せく)から来たとか色々あるようだ。
翻って、阿蘇のプールと温泉の施設「アゼリア21」に併設してある農産物販売所「あぜり庵」の引き戸に「あとぜき」お願いします、と貼ってある。ここは地元の人もさることながら観光客が沢山利用するところでもある。耳から聞くのではなく、貼ってある場所と文字から意味を知らない人でもなんとなくわかるような気もするが、ここに「あとぜき」を貼った人は、標準語だと思っているのだろうか。
なので(*)観光客が??と思うような言葉でなくて、標準語で「開けたあと閉めてください」と書き直せと言うのではない、小生は、この「あとぜき」という言葉、熊本の誇る素晴らしいお国言葉だと思う、これをPRしない手は無いだろうと思うのである。
なので(*)「あとぜき」という貼り紙の近くに、「あとぜき」とは、熊本地方のことばで・・・・・・・という説明をパネルにして貼っておくと、ちょっとした熊本のPRになるのではと思ったので、その旨を市のホームページの投書欄に提案メールを送った(この施設は実質的には市の運営だと思っているので市に投書した)が、梨の礫(つぶて)、煩いジジイのよまい言として片づけられてしまったようだ。「くまモン」ほどの全国区にはなれないだろうが素晴らしい言葉なのになあ。
(*)最近、文章の初めや言葉の始めに、「なので」、という言葉が使われることが多いと聞く、NHKのアナウンサーまでうっかり使うらしい、これは文法的に間違っているそうだ、何々なので、という風に途中で使うのが正しいそうである、しかし、今時の若者が使っているうちにだんだんと違和感が無くなってきて、自然に使ってしまう。言葉は時代とともに変化するそうだから。なので、今日の日記に使ってみた。
<参考>
http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/nihongo/labo/lab_012/body.html
「JAXSA」だとばかり思い込んでいた、「JAXA」だった、「宇宙航空研究開発機構 Japan Aerospace Exploration Agency」
今日から昼は一人だ、それも手を抜かない、焼きうどんを作って食った。何かと言うと焼きうどんを作る、バランスが取れていて簡単だからだ。これがご飯のオカズを作るとなると、野菜炒めになるか、それより、焼きうどんのほうが一品で完結して良い気がする。
平成25年 8月28日(水)
晴れ、清々しい朝だ、ヒンヤリとしていた。日中は相変わらず気温が上がったが湿度が低いので気持ちが良かった。
最低気温 17.5℃ (05:40)、最高気温28.9℃ (14:35)
さすがに昨日は疲れた、今朝は5時まで熟睡して、娘に4時に起こしてくれと言われていたのに間に合わなかった。娘は娘で、昨日の遠出を最後の宿題のテーマに何かを書くつもりでいたらしいが、昨日は宿題どころではなく、倒れ込むように寝てしまった。今日から二学期が始まるので、早起きして夏休みの宿題をやっつけていた。
娘たち、今日から二学期が始まった。一応寒冷地になるのだろう、下界の小学校よりも少し始まるのが早い。今朝登校のために全員元気に揃ったところで恒例の定点撮影をして、元気に登校していった。
台風15号、ここまで来ると進路はそう大きくはぶれないだろうな、「まっぽす」だなあ。
平成25年 8月27(火)
晴れ。朝起きて思わず、「さっぶう」と言いたくなるほど一気に気温が下がった。
また霧が出た、そして素晴らしい天気になった。今日で娘の夏休みは終わりである。最後のラジオ体操を済ませる(写真1・写真2)。体操をしている時、中天に有明の月が浮かんでいた。
最低気温 15.2℃ (06:03)、最高気温28.3℃ (14:19)
午前7時半過ぎ、朝食もそこそこに家族打ち揃って宮崎県最南端の都井岬に向けて出発した。今日は鹿児島県の内之浦から新型固体ロケット一号機「イプシロン」の打上げ日である。現地まで行っての見物は無理なので、内之浦とは志布志湾を隔てた向かい側にある野生馬生息地都井岬まで行くことにしたのだ。
昨日から先行して内之浦入りしているhibisumさんから素晴らしい夜明けの写真も送られてきて、絶好の打上げ日和のはずだった。
高森、日之影、延岡を経て、途中、都農から東九州自動車道に入り、一気に南下、と順中に走った。今回はETCもちゃんとシガーライガーから電源をとって使えるようにしておいた。
さて、高速を何処で降りようか、宮崎で降りて下を走ろうか、そろともその先の清武南で降りて行こうかと迷ったが、宮崎で降りると一般道が渋滞するかもしれないので、清武南で降りて、山道を走って日南方面に抜けることにした。ところが、この道がまた大変な道で、「箱根八里」の、万丈の山 千仞の谷、前に聳え 後に支う、雲は山をめぐり 霧は谷をとざす、昼猶闇き 杉の並木、羊腸の小径は 苔滑か、の歌詞が大袈裟で無いような離合も出来ないような細い道で、ところどころ過去の大雨で路肩が崩れてヒヤヒヤする箇所があったりで、家族が怖くて声も出ないような道を通ってようやく日南に出た。
日南から都井岬に続く道、エメラルドグリーンの海と真っ白な砂浜が美しくて、ああ、南国だなあと山暮らしでは味合えないような感動を覚えた、だが、その遠浅の海岸線、人っ子一人見当たらず、都市部から少し離れているからか、あるいは海辺に遊ぶ子らにとっては水のシーズンは終わって、もはや秋なのだろか、♪今はもう秋、誰もいない海・・・♪、それにしてはまだ底抜けに明るい陽光が降り注いでいたが。
今回のドライブ、机上の計算では十分に時間に余裕があった「つもり」だったが、結局、現地、都井岬に着いたのは、打上げ時刻午後1時45分の20分前、滑り込みセーフだった。
しかもちょっとしたtraffic accidentに遭って、バタバタして、心落ち着かない間に打上げ時間になったので、海の向こう、内之浦を眺めやったが、定刻になっても一向に上がる気配が無い。しばらくすると周囲でもざわついて、そのうちに、誰かが、ラジオか何かを聞いて、中止になったようだと。内之浦のhibisumさんからも逐次メールが入る。結局、後で知ったことだが、発射19秒前に姿勢制御の信号エラーか何かで急遽中止になったそうだ。
都井岬の内之浦が見渡せる丘陵には沢山の見物人がいたが、どうしたのかなあ、仕方無いねえと口々に残念そうに話していたが不思議と中止になったことで怒っている人はいなかった。
ローカル局のJR6IESも昨夜から内之浦漁港で車に寝泊りして今日の打上げを迎えたが、中止になったあと、無線でやりとりしたところ、「残念だった、これから帰るところだ」とのことであった。
あれだけ打上げ前のJAXAの会見では自信満々だったのに、そういうこともあるのだなあと小生たちも不思議と腹は立たず、殆どの車が引き上げて人の居なくなった丘の上で途中買ってきた弁等を広げて、初めて来た都井岬の風景に満足して帰ってきた。
Traffic accidentというのは、都井岬の見物客で混雑した駐車場からバックで出てきた車が道路が渋滞していてい徐行していた我家の車の太郎が乗っている側の横っ腹にドッスンとぶつかってきたのだ。打ち上げが中止になって、周囲の人が皆引き上げた頃、相手方が事故証明をとるために連絡した警察の事故処理車がやってきて検分をやった。せっかく警察が来てくれたのに、カミさんが我家の車の傷を見て、この程度なら直してもらわなくてもいいんじゃないの、小生も、車んなんてゲタだと思っていて普段から傷がつくのなんか何とも思っていないので、先方にもう、修理していただなくて結構ですよと言って、そのまま帰ってきた。太郎は、警察の車がやってきたので大喜び、「じこしょりしゃ」という言葉もちゃんと知っていた。(写真1・写真2・写真3)
我々が見物した場所は、都井岬 の放牧区域(野生だから、放牧でなくて、生息区域が正しいか)に入ってすぐのところだったが、そこから奥がとても深く、大きなホテルやレストランなどが幾つかあったが殆どすべてが廃墟になっていた。ここに限らず、もう随分前から日本各地の観光地の多くが寂れているが、ここも隆盛を極めた一時代があったのだろう・・・・・ツワモノどもが夢の跡。
都井岬からの帰り道、串間市に出てまた事情の分からない山道を走って飫肥街道に出て都城に行こうかと思ったが、また知らない道、どうなっているか分からないので、来た道を一旦日南市まで戻って、飫肥 街道を走って都城市から宮崎自動車道に入って、九州自動車道を走って帰ってきた。本日の走行距離、596キロ。前回(4/4)鵜戸神宮に行った時よりは少し短かったし、都城 から自動車道に入ったので、時間も早かった。都城ICから益城 熊本空港ICまで1時間半くらい、下に降りてから途中で飯を食って、家に帰りついたのは午後10時20分くらいだったか。
都井岬ドライブ連続写真
再打ち上げは今度は何時だろう、往きたいなあ。
小生の今回のドライブの装備品もイプシロン負けず劣らず、APRS無線装置(Tinytrak4、ハンディ機、ブースター)、iPAQを使ったナビ、ETC車載器、ハンディトランシーバーなどなど。シガーライターソケットが一か所しかないので、全部で5口に拡張して各装置に給電した(写真1・写真2)
平成25年 8月26日(月)
昨日で雨は終わったかと思っていたら、今日も午前中はずっと雨だった。
そして、昼近く、画像のようにもう雨域は通り過ぎた頃になって、大雨洪水警報と土砂災害情報が流された、土砂災害は降雨とタイムラグがあるのだろうが、雨ももう殆ど降っておらず、どうみても、もうこれから土砂崩れは起きまいと思った。今回の大雨で、役場の職員のアナウンス以外に、コンピューターの合成語(だろう)で「土砂災害警戒情報」が繰り返し放送されたが、機械音声というのはちょっと不気味である。土砂災害情報が出されてすぐに、知人が電話をしてきて、どうしたものかと訊かれたので、リアルタイムレーダーを見ても、もうその恐れがあるとは思えないと返事をしておいたが、午後二時前後になって相次いで警報は解除された。警報は一定の数値なり条件を満たすと自動的に出されるのだろうが、運用方法に改善の余地があると思った。
大雨に気を取られている間に台風15号がこちらに向かっている、気になる。
今回の雨が原因ではないが、今年は、稲の育ち方が異常で殆どの稲が倒伏している。暑い日が続いて育ち過ぎたのが原因のようである。聞いてみるといつもと同じように肥料を振ったそうだ。ただ、水害で田を復旧したところでは肥料を多めに振ったかもしれないが、すべての田がそうではないのでやはり天候が原因なのだろう。随分前から倒伏が始まっていた。そこに持ってきて、今回の大雨、そして実が更に付いてきたので一層倒伏が進んだようだ、今年の稲刈りは骨を折ることだろう。
じっちゃいのところスズメバチが凄いなあ。ここは昨年の水害の影響だろうか、ほとんどニホンミツバチの姿を見ることが無かった、ことしもまたハチウトは空き家のまま越年だ。
明日は家族で鹿児島内之浦の固形燃料ロケット「イプシロン」打上げの見物に行くことにした。と言っても、発射台が見えるごく限られた場所には抽選の申し込みもしなかったので当然入れないので、出来たら都井岬から海越えで上がるところを見ようかと思っている。まあ、そこまで行きつかなくても、日南海岸あたりまで行けば空に上がるところは見えるだろう。昔、やはり内之浦から打ち上げたロケットがここ阿蘇からでも見えたそうだから。上がればどこからでも見えるだろう。最近の大きなロケットは種子島から打ち上げられるので、内之浦では久々の大きなロケットの打ち上げになる、大雨も去って明日は絶好の打上げ日和になりそうである。
平成25年 8月25日(日)
大雨、昼ころ上がる。朝から強い雨域が阿蘇上空に次々にかかり、昼ころまで大雨警報や自主避難所開設の知らせ、土砂災害危険情報、道路の交通止め情報、鉄道の運転見合わせ、河川の水位情報などが、防災無線、お知らせ端末、防災放送、携帯メールや固定メールなどで次々に入り、心落ち着かぬ状態が続いた。同じ情報が幾つものメディアを通じて流されるも考えものである。去年のことがあって少し過剰反応気味であるが、まあ、仕方が無いことか。(写真1・写真2・写真3)
今回の北陸方面(あるいはもっと北からだったか)から始まった大雨、これで一応終息かと思っていたら、ちょっと早かった、夕方になってまた雨雲が通過して、雷も近くに落ちたようだ。今回の大雨で、普段水がほとんど無い古閑の滝が瀑布になっていた。
昼飯は何がいい?「餃子ライス!」、ということで、希望をかなえてやる。餃子そのものは冷凍ものだが、小生が焼く餃子は外をパリパリで中をジューシーに焼くので好評である。餃子だけでは能が無いので、中華スープと、デザートに杏仁フルーツ付きにした。
昼過ぎに、従兄の滉兄が阿蘇のホテルであった研修の帰りにちょっと寄ってくれた。
来年の西ハムは長洲町でなくて、福岡県苅田町だそうだ、ちょっと遠いな。http://blog.livedoor.jp/nishiham2011/
平成25年 8月24日(土)
ここも大雨が降るぞ降るぞと言いながら今日も降らなかった。北部九州から東にかけて(レーダーの色分けだが)真っ赤な雨雲が昨日からほとんど動かずに横たわっていた、今日は島根県地方が記録的な大雨だったそうだ。へんな言い方だがここまで雨雲が南下しきれないのだろう。と思っていたら夕方になってようやく強い雨が降り始めた。
最低気温 23.7℃ (06:26)、最高気温 26.8℃ (13:10)
子どもたちはカミさんと「夏の杵島岳ジオツアーと阿蘇火山博物館」に参加した。市の主催で阿蘇市の小中学生と保護者を対象にした草原体験学習会で費用は無料で、送迎バス、弁当付きだそうだ。申込の際に小生にも行けと誘われたが、真夏に山登りはまっぴらだと断ったので三人で行くことになった。杵島岳は阿蘇五岳(根子岳、高岳、中岳、杵島岳、帽子岳)のひとつで、途中まで(草千里まで)車で行って、そのあとは頂上まで舗装道路と階段がついていて30分もあれば小学生でも登れる山だ、ただし太郎は途中でオンブになるだろう。しかし、朝食もそこそこに出掛けて行ったものの、当初から分かっていたが、今日は生憎の雨で、登山は中止になって、火山博物館での学習会になったそうだ。それでも帰ってきてから楽しかったと言っていた。
カミさん、最近小生のやつより良いカメラを買ったようだ。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
子どもたちが留守中に、軽トラックのオイル交換に行った、そして、カミさんたちが戻ってきてからもう一台のオイル交換にも行った。以前はオイル交換なんかしなくてもどうということないだろうとロクにやったことが無かった、それで前の車がシリンダーが摩耗してオイルが上がるようになってしまった。オイル交換、やる前とやった後と全然エンジンの音が違う、それに走りがスムースになることがようやく分かった。(写真1・写真2)
本日の昼飯、一人で食う、焼うどん。
太郎近影(写真1・写真2)
平成25年 8月23日(金)
晴れ、後、くもり、前線の関係で日本海側、特に北陸方面に大雨が降っていて、この前線の影響でこのあたりでもまとまった雨になるということだが、夕方現在までほとんど降っておらず、予報より少し遅れているようだ。今日は気温ほどの涼しさは感じなかった。
最低気温 22.9℃ (05:43)、最高気温 27.6℃ (14:34)
今日もエンジン掛からず、畑も庭もジャングル化しつつある。(写真1・写真2)
昼飯に何が食いたいと娘に訊くと、蕎麦! じゃあ久しぶに打つか、ということで、蕎麦を外2で打った。冷蔵庫で長い間寝ていた蕎麦粉だったが風味は十分に残っていた。もうそろそろ新蕎麦が出る頃だ。(写真1・写真2・写真3)
高校野球無事に終わって良かった、良かった、ようやく終わって良かった良かった。カット打法の是非について、小生は野球のことはあまり分からんが、大会が終わってから、次期大会からは厳しく取るというのなら分からんでもないが、予選からずっとやってきたのを、土壇場近くになってイカンと言うのはちょっとオカシイだろう。それではピッチャーは直球だけしか投げちゃイカンとすべきだろう。ピッチャーは変化球や緩急おりまぜて何とか打たせまいと努力して、打つ方は何とか打とうと色々な知恵を絞ってというのが五分の戦いだろう。明治期だたか昭和初期だったか、カーブを投げるのを卑怯だと言った時代があったと聞く、それをやれ。カット打法、やろうと思って簡単に出来る技術ではないという。もしカットされるのが嫌なら投手はカット打法が通用しない投法を考え出せばいいのだ。高野連はその昔、ホームランを打ってガッツポーズや小躍りしてランナーがホームに帰ってきて迎えの選手と握手するのはケシカラン、あくまでストイックにやれと人間の自然感情まで規制した時代があった、高野連、オマエは一体何様だ。
平成25年 8月22日(木)
晴れ。夕方近くにわか雨と少しの雷。今日も積極的に外に出なかったので分からなかったが結構気温が高かったようだ、確かに家に居ても風もあまりなく涼しくなかった。
最低気温 21.5℃ (06:17)、最高気温 32.2℃ (11:37)
我が家には不思議とカラスウリが沢山生る。食べられると良いが、まあ、食べるものでは無いようだ。(写真1・写真2)
今朝、というより、まだ夜か、午前3時頃目が覚めてしまって、寝ようと思ってしばらく布団の中で頑張ったが寝られず4時前には起き出してしまった。十五夜か十六夜の月が煌々と照っていて阿蘇の山がシルエットで浮かんでいた。小生が起きると不思議と太郎のやつが目を覚まして後を追って小生のシャックにやってくる、いくらなんでも早すぎるのでまた布団に戻って小生は寝たふりをして太郎を寝かしつける。
床屋に行ってその足で家のスペアキーを調製する、420円也。
昼飯は餃子ととんこつラーメンにした、毎日頭を悩ませる。
平成25年 8月21(水)
晴れ。今日も熊本県内二三か所で観測史上最高になったようだ、阿蘇乙姫アメダスは34.2℃(12:19)だったが、ここ豆札村はそれよりも低かった。今日は風があまりなくて蒸し暑い一日だった。
最低気温 23.3℃ (06:11)、最高気温 32.1℃ (14:44)
ボンにフィラリア予防薬を投与する(3回目/5回分)
ラジオ体操会場わきにニラが植わっていて、花を付けている。しみじみ見たことが無かったが小さな綺麗な花が咲いていた。
もうひとつ。カミさんが捕虫植物を買ってきた。ハエが自発的に捕まるのを見ていたがなかなか入ってくれず、叩いて弱らせてから入れてやった。こんな植物が観賞用に売っているのに驚いた。
昼飯、餃子とマーボー豆腐温め直し、春雨サラダ、トマト、ちょっとした中華ランチだ。
今日は蒸し暑くてカラリとした暑さではなかったせいもあって、体が重くて動きたくなくて終日ゴロゴロしていた。道楽農業はこれが利くからいいが、生業としている農家は気分で仕事を休むわけにいかないので大変だろう。
家の鍵、差し込んだ回したら、グニャリとねじ曲がって危うくシリンダーの中に折れて取り残されるところだった、こんなにヤワなのか、さっそくスペアキーを作らなければ。
今日は村の行事、お大師さん、お薬師さん、お地蔵さんの日である。謂れは分からないが、今日の行事は村の御婦人がたが一切を取り仕切る。村の御婦人がた打ち揃って妙法寺の安寿さんと一緒に村内の薬師堂と地蔵尊を廻ってお経をあげて、集会所にこの日だけ安置してある大師像にお経をあげて、小豆を炊き込んだ握り飯やお煮しめなどを頂戴する。いくつかある村の行事では一堂に会して会食をするが、今日は村の人全員、仕事など各人の都合に合わせて三々五々集会所に集まって食事をいただくようになっている。人間は弱い存在、自然を畏れ敬い、村の人仲良く助け合って暮らすという先人の知恵でいくつかの行事がここでは今でも生きている。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
平成25年8月20日(火)
晴れ。朝、19℃まで下がった。この夏一番の暑さ、という言葉から、もうしばらくすると、この秋以来「一番の冷え込み」という言葉に徐々に関心の対象が替わってくる。今日も暑かったが、空気が澄んでいて、湿度が低かったので、爽快な暑さだった。
最低気温 19.0℃ (05:27)、最高気温 32.0℃ (16:37)
二回目のそして今シーズン最後のプール監視に出る。暑い暑いと言いながらプールサイドには早や秋の気配が漂っていた。子供の数もシーズン当初に比べると寂しいくらいに減っていた、こどもたちももう秋を感じているのだろうか。
プールサイドの木にヘンな実がなっている、なんだろうと独りごちたら、そばに居た貴之さんがコブシの実ではないでしょうか。えっ、コブシの実ですかあ、ああ、コブシの名はこの実から付いたのかと非常に新鮮な驚きを覚えた、春先に美しい花が咲くので注目するが、秋にこんな実が生るなんて恥ずかしながら全く知らなかった。
夏子11歳の誕生日。周囲の子どもたちはニンテンドーDSの3D版を持っているが、娘は3DでないDSしか持っていない、それにゲームソフトもほとんど持っていない、別に禁止しているわけではない、本人があまり興味を示さないからだ。
コンピューターゲームと言うと小生が全く興味が無い、いままでやったことが無い、いや、一度くらいあったか、ドラクエと言ったか(あるいは違ったか、もう忘れてしまった)、やってみたけど面白く無くて、やめて以来全くやっていない、ゲームをやるほどの根気がなかった。PCはゲームをやらなくても、ハードをいじったり、トラブルシュートをしているほうがはるかに面白いからだったかもしれない、それ自体がゲームのようなものだ。
閑話休題。その娘が、誕生祝いにスーパーマリオが欲しいと言いだした。多分友達のゲームを見て思ったのだろう、調べてみると最近のスーパーマリオは3Dらしいが、娘は3Dのでなくて良いと言うので、じゃあ、と、中古ソフト店に行って探してやった。今年の誕生日プレゼントはこれである。もうひとつ希望があったが、中古といえども結構するので娘の方が気を遣って、これだけでいいよと言ってくれたので、このソフト一本だけにした、そのうちに、ネットで探してやろう。早速ゲームに没頭していた。
誕生祝いの御馳走はリクエストでバーベキューにした。久しくバーベキューの鉄板を使っていなかったので赤錆になっていて、グラインダーで磨いたが手に負えないので、新しい鉄板を購った(錆びた方は、ガス切りしたり溶接したりする教材にしよう)。そして延びた草を刈って、日が落ちてから庭でバーベキューをして花火をした。(写真1・写真2・写真3・写真4)
バースデーケーキは無いのかと訊くと、娘がアイスクリームがいいというのでアイスクリームにしたとカミさんがいう。じゃあ、アイスクリームのバースデーケーキか?と問うと、バースデーケーキに使ってあるアイスクリームは種類が少ないので、なんとかかんとかにした、と言う。バースデーケーキの形をしていないのか、それじゃあ絵にならないだろうというと、それでいいと言う、なんじゃ、良くワカラン。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
平成25年8月19日(月)
晴れ。今朝起きた時いつもよりヒンヤリするなと寒暖計を見たら、初めて20℃を割っていた、ああもう秋が駆け足でやってくるのかなと思ったら、とんでもない、また日に日に暑くなっている。
最低気温 19.6℃ (06:10)、最高気温 32.6℃ (15:52)
今日もまた映画を観に行った。「ホワイトハウス・ダウン」。少し前に「エンド・オブ・ホワイトハウス」を見たばかりだ。同時期に同じような映画が立て続けに公開された。共にホワイトハウスが外部からの侵入者によって爆破攻撃されて、不死身の主人公が派手な銃撃戦を交えながら大統領を助ける映画だが、どの部分が実写でどの部分が特殊撮影なのか全く分からない、映画の技術を使えば無から何でも作ることができる、ハリウッド映画恐るべしである。今日の映画も非常に面白かった。ということで、そろそろ映画鑑賞強化月間も終わりにするか。
今日、参勤交代徒歩の旅の一行が坂梨を通過していったのだった、最近、宿場会活動の方、フェードアウト気味なので、忘れていた。
平成25年8月18日(日)
晴れ。久しぶりに空が蒼く澄み渡っていた。そして今日もにわか雨も雷も無かった。台風が二個ほど発生しているが・・・・
最低気温 20.6℃ (05:19)、最高気温 32.0℃ (14:57)
今日は村の行事、妙見さんが午後三時からあるので、その前に、また一人で光の森に映画を観に行った、「ワールド・ウォーZ」。いわゆる、ゾンビものだ、大体アメリカ人はゾンビだとかバンパイアだとか好きだが、小生はこの方面は全く興味が無い。にも関わらず観に行ったのは、予告編で何度か見て、SFXだとかVFXだとか言うのだろう、いわゆる特殊撮影の画面が、昔は如何にも作りモノ作りモノしていたのに、現在は全く不自然さが無く現実と全然区別がつかないほど極めてリアルな映像になっていて、それが画面いっぱいのスペクタクルでしかも3D画面で展開されるのそれを観に行ったようなものである。このようなシーンを観るだけで行った価値があろうというものである。ハリウッドの技術は本当に素晴らしい。今、同じ劇場で日本アニメ「風立ちぬ」も上映されていて大評判のようだが、小生は、巨匠と言われるこういった偉いヒトの作品は謹んでご遠慮申し上げることにしている。あと一二本観てみたい映画がある。
午後三時から村の行事、「妙見さん」があった。村の集会所に臨時に設置してある「妙見さん」に御参りをしてから、皆さんで、例によって御膳を囲んだ。さて、この「妙見さん」だが良く分からない。僧侶を描いた掛け軸があって、その前に線香が焚かれているので、仏教だろう。そうすると、掛け軸の上のほうの絵は「妙見菩薩」だろうか。それで色々検索すると、神社が沢山てくる。神仏混淆時代のものなのか、そもそも何を信仰するのか分からないが、ネットで検索して、http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/myouken-1.html なるほど、妙見信仰は庶民の信仰なんだなあとなんとなく分かった気がする。
ここ一二ケ月はこのような村の行事が立て続けにある。天神祭、妙見祭、それから来週だったかお大師さん、お薬師さん、お地蔵さんがある。
今日、桜島で大噴火があったそうだ。阿蘇山と非常に近いが不思議と、両火山は別系統になるらしい、桜島は年に数百回噴火しているが、阿蘇は何年も静かなままだ、それでも少しは気になる。
NHKニュース(ファイルサイズが16Mbありダウンロードに時間がかかるので、しない方が賢明だと思う)
平成25年8月17日(土)
晴れ。朝、雲海が出ていた。今日は珍しく、夕方にわか雨も雷も無かった。どうやらまた台風が発生しそうな雲行きである。
最低気温 20.8℃ (05:48)、最高気温 31.6℃ (16:21)
太郎、半日保育。娘、友達と夏休みの宿題の共同研究?で一日なにやらやっていた。その友達は弁当を持参して我が家で昼食を共にした。(保育園で軽く昼食を済ませたので)、お昼はもう要らん、お腹一杯!と言いながら、太郎のやつは巨峰をひと房一人でペロリと平らげやがった。
小生はゴロゴロして過ごす。
平成25年8月16日(金)
晴れ。夕方もう定期便になったにわか雨と雷鳴、今日はほんの少しだった。
最低気温20.6℃ (01:54)、最高気温 30.9℃ (15:27)
今日からお盆休みが終わってまたラジオ体操が始まったが・・・・
今日も霧が出ていた、体操の会場も霧で霞んでいた。考えてみたら暑い暑いと言いながらも阿蘇谷はもうそろそろ秋の気配、トンボが沢山飛んでいて、虫が鳴いている、霧が出てもおかしくない季節がやってきているのだろうか。北外輪山のライブカメラ、今日は復旧していた。
太郎、平常通り保育園に行き、何事もなく元気に帰ってきた。
娘と小生、朝一番で、光の森に映画を観に行く。「パシフィック・リム」の3D版。恐らくそのルーツは日本のゴジラなどの怪獣もの、鉄人28号やガンダム(と言いながら両方とも小生の時代ではないので名前しか知らないが)などのロボットモノだろうが、これが日本で作られたらとても観られたものではないと思うが、いつも言うがハリウッドは大人も十分に楽しませる映画を作る、暑さを忘れて観ていた。
映画が9時半前に始まるので、朝飯を食ってすぐに出たため、御先祖様を山までお送りする時間が無かった。映画から帰って、お墓までの御供は今回はご勘弁願って、送り団子を作って、庭先で送り火の代わりに、蝋燭と線香を焚いて、小生の拙い読経で、少し長逗留になってしまったが勝手知った道を案内無しで御帰り願った。まあ、たまには許して下さるだろう。
そう言えば、昔、婆様が言っていたが、よく世間で御先祖様の祟りなどということを聞くが、少なくとも我家の御先祖様が自分の子孫に祟るようなことをするものか、先祖というものは子孫のことをいつも大切に想っていてくれるものだ、だから、先祖の祟りなんて言うものは絶対に無いと、まったくだ、まったくだ、その伝で行くことにした。
昨夜、午前0時半と午前3時頃、JA9BKJ局の情報で知ったペルセウス座流星群の電波観測をしてみたが、受信できなかった。もう流星群出現のピークは終わったか、たまたまその時に流れなかったのか、あるいはIC-575Dだから受信能力のせいだったか、まあ、流星群は今回だけでなく獅子座流星群やそれ以外にも沢山あるので、またの機会を待とう。
お盆の期間中、文字通りイモの子を洗うほど混雑して洗い場の空くのを待つほどだったアゼリアの温泉、今日はいつもの静けさを取り戻していた。
平成25年8月15日(木)
安倍くん、ちょっと失望したなあ、そんな気遣いが全く通じない国だということはもう充分に分かっているだろうに、何を遠慮しているのか、もっと毅然として欲しかったなあ、痛恨の極みではなかったのか。
晴れ。今朝も霧が出ていたので、雲海ができているかなと思って北外輪山ライブカメラを覗いてみると、8/4から画像が止まったままのようである。夕方、大気不安定で暫くの間、雨と雷、ただ、ここよりは少し北側を通過していった。今夜天気が崩れる予報がある。
最低気温22.4℃ (04:25)、最高気温 30.7℃ (14:58)
土・日、それにお盆期間中は各地区でのラジオ体操が休みだが、お盆休み期間中に坂梨公民館で坂梨地区のラジオ体操大会があり、風船飛ばしなどもする。その日が今日とばかり思い込んで娘と出掛けたが、公民館前広場は閑散としていて全くその気配なし?????不思議に思って近所で訊ねたら、昨日でした、とのこと、完全に日を勘違いしていた。
太郎、また今朝、発熱、解熱剤を飲ませた。夕方仕事が終わったカミさんに阿蘇中央病院に連れていかせた。市内の医院はみなお盆休みで休診だが、市立病院はちゃんとやっている、それに、最近は小児科も以前は不定期だったが、最近は常設の科になった。また市立病院は24時間いつでも対応するそうなので、まあ、当直医がうまく専門に当たればいいが、こういう態勢は有難い。そして今、市立病院は新築工事中で更に充実した医療が受けられそうである。
太郎、マイコプラズマの場合には、昼間熱が下がって、夜、熱が上がることがあるので、ヒューヒューは聞こえないので先ずその心配は無いと思うが、念のためにそれにも合う薬を出しておきますとのことだった。もうピンピンしているが・・・・・・
午前中、モデムのADSLランプが点かないので、NTTに電話をして調べてもらったところ、NTT局内の一の宮をカバーするADSLの設備に不具合が見つかった、最近の雷か何かの影響だろうと思う、とりあえず仮復旧させて、改めて修理をするとのこと。驚いたことにこんなに早かったかと思うほどサクサク動くようになった、考えてみたら、最近遅いなあと思っていたが、結構前から調子が悪かったのではないだろうか。一の宮地区全域だろうか、我家周辺だけのことだろうか。
平成25年8月14日(水)
今日も西日本各地は猛暑に見舞われたようだが、少しは落ちついて来たのかな、ここも30℃を越えたが木陰は涼しかった。そして、終日、山が霞んでいた、黄砂じゃないだろうし、PM2.5か、でもなさそうだ。
最低気温21.5℃ (01:50)、最高気温 31.3℃ (12:58)
お盆の期間中、草刈りなどの作業はしない方が良いだろうと、作業服は着たが仕事をやめて、久しぶりに、ガス溶断やアーク溶接をして遊ぶ。
妙法寺の庵主さんがお経をあげに寄ってくださる。
平成25年8月13日(火) お盆
ここは今日は少し雲があったので昨日までよりは気温は上がらなかった、それでも暑さは相変わらずである。
最低気温23.0℃ (01:30)、最高気温 31.4℃ (12:54)
ペルセウス座流星群、昨夜、午前一時に目覚ましをかけて起きた。ちょうど一番眠りが深い時だったので、ちょっとつらかった。娘も起こして欲しいと言っていたので、一応空を確認してからと思って外に出たが、薄くモヤがかかっていた、それでも沢山の星が見えたので、大丈夫だなと思ってしばらく北東の空を見上げていたが、全く流れない。実際にどうだったのだろうか、早々と撤収して、娘も起こさずに寝てしまった。
今日の予定では子どもたちを連れて御先祖様をお迎えに山に登る予定だったが、太郎がまた今朝、発熱した(39.2℃、解熱剤を飲ませる)。カミさんが仕事なので、姉と二人留守番をさせて小生一人で登ってお迎えしてきた。こどもたちは楽しみにしていたようなので、お送りする時に一緒に登ろうねと言っておいた。(写真1・写真2・写真3)
生前、婆様が(婆様、婆様と呼んでいるが実際は母が、であるが)、お盆になると、お迎え団子、送り団子を作って仏壇に供えていた。我が家の流儀は、丸い団子と長く伸ばした団子と二種類あって、どちらかが、お迎え団子でどちらかが送り団子だった。漠然と見ていたのでどっちがどっちだか分からないうちに逝ってしまったので、今さら聞くわけにいかなくなった。カミさんは確か、お迎え団子は長細い形にした団子だったわよ、と二年ほど前から、お迎え団子には長く延ばしたもの、送り団子の時は丸くこねたものを供えていた。我家の流儀のルーツは何処かと思って小生も以前地元でそのあたりのことを訊ねたり、ネットで調べてたりしたがどうもよくわからないから、まあ、いいかということにしておいた。そして、昨夜、たまたま阿蘇や熊本という言葉を除いて検索を掛けたところ、博多地方の風習でそのことがヒットして、お迎え団子は丸く、送り団子は細長くということが分かった。阿蘇地方の風習とばかり思っていたが、博多地方の風習だったようだ。両親は若い頃(小生が幼いころ)、博多で暮らしていたので、その時に習った風習をその後数十年にわたって守っていたようだ、ということで、今朝カミさんは白玉粉で丸い団子を作って仕事に出掛けて行った。
円通寺様、予定では昼一番でおいでいただくことになっていたが突然10時半頃おいでになる、とにかく今日はお忙しそうだ。準備は整っていたので慌てることはなかったが、子どもたちと一緒にお経をあげていただいた、「なむからたんのうとらやあやあ・・・・」。(写真1・写真2)
太郎はそのころはもう熱も下がって元気を取り戻していた、なんだったのだろう、体温の自動調整が出来ないのだろうか。
この地方は「初盆参り」が他の地域よりも盛んではないだろうか、お盆の期間中に今年初盆を迎えた親類知己のお宅を御参りして回る。お付き合いの多い人は10軒20軒と回る。我が家は今年は組内の2軒だけである。仕事が終わって帰ってきたカミさんと渡さんのお宅と今朝春さんのお宅にお参りをした。
平成25年8月12日(月)
朝、この時期、珍しく霧がでた。そして、今日も暑くなった。阿蘇乙姫のアメダス、昨日観測史上最高を記録したと思ったら、今日また観測史上最高を更新した。勿論豆札村もまた最高気温だ、それでも昨日ほどの暑さは感じなかったが。高知県四万十市では最高気温が41℃に達し、国内観測史上第一位だったそうだ。どこまで上がるのか。
最低気温 21.1℃ (05:50)、最高気温 34.3℃ (15:24)
明日からお盆である、仏壇を掃除した。明日の朝は御先祖様を迎えに山に登る。カミさんが仕事なので明日からお盆休みの太郎を家に置いて行けないので、子どもたち二人を連れて登ることにするか。
精米する。あと残りは一袋、丁度いい残量だろうか。
今朝APRS.fiを覗いていると、松山のJG5MDZ局が移動しているの発見、早速コールしたところ、今年も御家族でドライブだそうで、今回は阿蘇を通って天草方面にお出かけだとか。昨年、H24.5.4にAPRSでめったに車が通らない日の尾峠に移動局を見つけてcontactしたのが初めてであった。その時には小生はまだI-GATEを運用していなかったが、今回はしっかりと電波を受けていた。
無線と言えば、最近、無線のクマデンのホームページが元気である。無線の免許講習会も以前はあまり無かったのに最近頻繁に開かれている、アマチュア無線人口がまた増えつつあるのだろうか。それに、ここのライブカメラ、(時間帯によるが)国道57号線江津湖付近の道路状況が動画でリアルタイムに分かる。
先日の緊急地震情報の誤動作の件、今日、高野連は、緊急地震情報が発表されたら試合をすぐに中断することに決めたそうだ。高野連や新聞よ、そしてNHKよ、普段偉そうに高邁なことを言っているくせに今頃そんなことを言っているのか。南海トラフ三連動型地震が真剣に心配されているのにオマエタチは野球をやることしか考えていなかったのか。あの日、何だか非常に腹が立ったと日記に書いたがこのことだったのだ、ラジオでは繰り返し緊迫感を持った地震情報を流しているのに、同じNHKのテレビでは何事もなく野球が行われていた。このあまりにも大きな落差に非常に驚いたのだ、そして腹が立ったのだ。テレビは遅れて点けたので、テレビを点ける前に少しは中断して様子見でもしたのかなと思ったりしたがやはり全く中断もしなかったのか、誤動作云々は結果論だ。ヘリが落ちた事故、まるで天が落ちたように大騒ぎしている新聞よ、このことはどう報じたのか。
ペルセウス座流星群が深夜から未明にかけてピークを迎えるそうだ、月もなくてよく見られるそうだ、いっちょう起きてみようか。
平成25年8月11日(日)
晴れ。暑かったわけだ。阿蘇乙姫アメダス。風師庵測候所。午後に入って、にわか雨、夕立というにはちょと激しい雨と雷。それも夕方6時前には止んだ。この結構激しい雨に大雨洪水警報が出されたが、警報が出された時にはもうほとんど止みかけていた。規則なのだろう、警報合わせて自主避難所開設の放送が流されたが、もう雨は完全に止んでいた。素人が見てももう降らないということが分かっていたが、規則なのだろう。昨年のことがあって以来どうも「膾を吹く」傾向にある。
最低気温23.2℃ (03:15)、最高気温33.9℃ (14:22)
太郎が昨夜、寝苦しそうに何度も夜中に目を覚ましてグズっていたので、午前零時頃、額に手を当ててみると非常に熱い。熱を測ってみると39.2℃あった。ストックしてあった頓服を飲ませて、寝かせつけたが、朝になっても熱が下がらないので、今日の休日当番医の小野医院に連れていった。咳をするわけでもなく、下痢も無し、ノドも頭も痛くないという。体の外見を見ても異常は見られない。水分補給も問題無し、ハテ、ということで、もう少し様子見ということで抗生剤をもらってくる。医院から帰る途中、お腹がが空いたのいうのでコンビニでアイスクリームをかってやるとペロリ、何だったのだろうと思って帰ってきたらまた熱が上がりだしたので、再び解熱役を飲ませて寝せた。夕方目が覚めて熱も落ち着いて、元気だが、今晩また上がるだろうか。小児の体というのはどうなっているのだろうか。
休日当番医の主旨がよくわからん。医師免許を持っている者は普段の専門科以外でも全部の医術を習得していはずなので、当番医にあたった時は、普段診ている専門科目以外でも診てくれると思うがどうもそうではないらしい。だから、急病の時に、その日が全く関係が無い科目の医療機関にあたると不運である、何のための当番医制なのだろう。今日は運よく小野医院だったので助かったが、これが、眼科だとか整形外科だとかになると全くお手上げである。
その太郎、最近、ようやく幼児用のオマルを卒業した。トイレの便座に子供用の便座を乗せなくてもなんとか大小の用が足せるようになった。紙パンツももう卒業している。
小野医院から帰る途中で、MQYのバーチカルアンテナの写真を撮ってきた。
平成25年8月10日(土)
もう日本列島どうなってるのだ、北海道を除いて日本中真っ赤っかだ(さすが北海道だ、涼しそうである)。ここも先日30℃のタガが外れた途端に上がる一方だ、ただ、いくら暑いと言っても木陰は確実に涼しい、これは有難いことである。
最低気温 23.1℃ (06:37)、最高気温 32.1℃ (13:48)
太郎は半日保育、娘は宮地小学校で練習試合、カミさんが連れていく。小生は炎天下、家周りの草刈り。作業着がびっしょり、大袈裟でなく、絞れば水が流れるほど汗をかいた。
平成25年8月9日(金)
晴れ。朝はひんやりして気持ちが良かったが、日中は今日もグンと水銀柱が上がった。下界はもっと暑くて息苦しいほどだった。
最低気温 21.9℃ (05:32)、最高気温 31.6℃ (13:51)
今日は娘は、市(だったと思う)が行っている小学生を対象にしたミニドック、つまり健康診断(と言っても血液検査だけのようだが)があって、仕事が休みのカミさんと病院に出掛けていったので、小生は監督業務から解放されて、ひとりで光の森に映画を観に行った。「ローン・レンジャー」。もう 60年近い昔になる、こどもの頃、毎週、西部劇版鞍馬天狗とでも言おうか「ローンレンジャー」という連続もののアメリカの勧善懲悪西部劇のテレビ映画があった。今回わざわざ観に行ったのは一種のノスタルジーのようなものだ、だから昔のテレビ映画の延長で現代風に作り直した程度かなとあまり期待もしていなかったが、これがどうして予告編を見ただけでは想像できないほどの面白いストーリー展開で、見事に予想を覆して、とにかく文句なしに面白かった、さすがハリウッド映画だ、これでもか、これでもかと沢山の山場や仕掛けがあり、これだけ楽しませてくれるテクニック、日本映画では絶対に無理だろう、彼我における発想の豊かさの差、どうしても敵わない。
そして、今日の映画でもローンレンジャーと白馬シルバーが一体となって疾駆するシーンに合わせて昔通りちゃんとウイリアムテル序曲が使われていた、この曲ほどこの映画に相応しい曲は無いなあ。小生がクラシック音楽に興味が惹かれるきっかけになった曲はこれだったかもしれない。そして、今日の観客のなかでこうやって昔を懐かしみながら観たのはもしかしたら小生だけだったかもしれない、終わって見渡したところ昔のテレビ版を知っていそうな年寄りは小生だけだったような気がする、みんな小生よりうんと若い人ばかりだった。
先日進水したヘリ空母「いずも」は「づ」でなくて、「ず」なんだなあ。「いずも」は「出雲」なのだろう、確かに、広辞苑で「いずも」で引くと出雲と出る。しかし、電子版の広辞苑だが、わざわざイヅモとフリカナが振ってある。「日いずる国」でなくて、「日いづる国」が正しいのだが、日本語は難しい。どうやら例によって「お役所」が決めたらしい。以前にも書いたことがあるが、ここの地名「宮地」は「みやじ」であって、「みやぢ」ではない。「地」・・・「ち」に点々だから「ぢ」だと思いがちだが、「地」にはもともと「じ」という読み方があるそうだ。
イプシロンの打上げ、27日に延期になったそうだ。
平成25年8月8日(木)
とうとうここも30℃を越えてしまった。
最低気温 23.9℃ (04:42)、最高気温 30.6℃ (15:14)
午前中、一回だけ浄行寺に薪取りに行った。
円通寺に、お盆のお経のお願いに上がる。
ああ、また今日から高校野球か、世の中、本当にそんなに高校野球が好きな人多いのか、どうも信じられん。今やサッカー人口の方が多いとさえ言われている。サッカーでこれだけお祭り騒ぎをするか?これはもう一種の宗教だろう。
夕方5時少し前、突然、例の人を不安な気持ちにさせるなんとも名状しがたいチャイムが鳴って、緊急地震速報が流れた、色々なルートで入ってくるので、あれが、携帯電話だったか、防災無線だったか記憶がハッキリしない。和歌山県北部で大きな地震が発生して、九州地方にも大きな揺れが来るから気を付けろという主旨の内容だった、それが、何度も何度も繰り返された。慌ててラジオを付けたら、緊迫した声で同じような放送を何度も繰り返している(そうか携帯の緊急地震速報は文字だから声ではないので、何度も繰り返したのは放送だったか・・)、カミさんと娘といつ来るかいつ来るかと身構えていても、一向に揺れが来ない(太郎は未だ保育園)、じゃあテレビを付けてみろ、とテレビで確認したら、なんと普通どおりに甲子園で高校野球をやっている。じゃあ、ラジオのアナウンスは一体なんなのだ、熊本だけの放送だったのか、そのあたりで、薄々ああ、観測装置の誤動作だろうなということが分かってきた。甲子園は遥かにここよりは震源に近いのだから。NHKのラジオ放送も何度も何度も(10分近く)放送していたがテレビをモニターすればオカシイということが分かると思うのだがなんとも間抜けなことだ、チェックシステムは無いのだろうか、こういった時にはとにかく一刻も早くというのが原則なのだろうが、なんだか非常に腹立たしく感じた。それに、倒れやすい本箱の前からは離れることはしたが、それから、こういった時にはどういう行動を取ればいいか分からないものだ、結局オロオロするくらいしかできない、そのくらいの緊迫性がある放送だった。外に出た方が良かっただろうか。これが夜でなくて良かった、冬場でストーブをガンガン焚いている時でなくて良かった、本当に大きな揺れなら揺れが来る前に水でも掛けて消さなくてはならないだろう。ただ鋳物なので水をかけたら割れて二度と使いものならないだろう。どうしても不思議なことは、装置の誤動作はどの部分の誤動作だったのだろうか、甲子園では緊急地震速報は流れなかったのだろうか。和歌山県北部なら、まず、甲子園も含めて関西圏に流れるはずだろう、関西圏をパスして九州地方だけだったのだろうか、他の地域では緊急地震速報は流れなかったのだろうか。九州に流れたのも問題だが、関西圏に流れなかったのも問題だ、流れたのにノンビリ野球を続けていたのならもっと問題だ。
平成25年8月7日(水)
今日も立秋とは名ばかりの猛暑が各地を襲った、気象庁の100以上の観測ポイントで猛暑日だったそうだ。。
最低気温 23.9℃ (00:22)、最高気温 29.8℃ (15:21)
午前中、浄行寺に欅の積み込みに二往復する。運んできた薪材は今回から畑側から進入して裏に落とした。ここだと、落とす場所に神経を使わなくていいので楽である。
昨日識った我家の「分かれ」と彫ってある墓所に早速「連絡乞う」の木札を置いてきた。御縁者にうまく見つけていただけると良いが。
娘は今日から三日間、高校生・大学生の学習支援ボランティアによる全校学習会とやらで、いつもより二時間遅く、登校班で学校に行った。
その学習会は午前中に終わるそうで、午後からプールに入って、夕方になっても家に帰らずに母親に拾ってもらってピアノのコンサートだかなにかに出掛けて行った。このピアノは娘がというより、間違いなく母親が行きたかったのだろう。おかげで、男二人留守番である。(写真1・写真2)
平成25年8月6日(火)
今日は九州は全く雨の心配がなく真夏の空が広がったが、ゲリラ豪雨、日本全土をくまなく移動しているようで、九州から始まって、西日本、そして今日は関東甲信越、東北方面を攻撃しているようだ、最近の気象は本当にオカシイ。
最低気温 21.7℃ (02:48)、最高気温 29.8℃ (14:30)
ちょっと雨で中断していたが、今日最後の梅の土用干をした。なにも律義に三日間する必要なんてないと思うが、まあそこは一応。
墓掃除に山に登る。太郎を保育園に送ってから準備して登って、昼が近付いたので一旦下りて、昼飯の材料を買いに行って、娘に昼飯を食わせてからまた午後から登った。三時近くまで掛かって墓掃除をした、年に一度のことだ。墓所は卯の鼻の突端にある、枝を払ったら外輪の向こうに根子岳が見えた。
墓所と言えば、坂梨のある墓地に、我家の「分かれ」と書いた墓石があるが知っているかとたまたま仕事で墓地に入った組内の鉄男さんが見つけて電話をくれた。全く知らなかったので、風呂の帰りに寄ってみたところ、確かにそう彫ってある。分かれとは分家という意味であるが、江戸末期に分かれたのだろうか、時はまさにお盆前だ、これも何かの因縁か、是非一度お会いしてみたいものだ、木の札にでもこちらの連絡先を書いてぶら下げておこうか。
今日の昼飯、豚肉のソテー、娘はこれも大好物である、大きな肉一枚ペロリと平らげた。一番好きなのが何々で、二番目に好きなのが何何で、というランク付けで大体上位に入る。お安い御用だ、最も簡単な料理の一つだ。
近所のスーパーからサバ缶が消えて、残っているのはサンマ缶ばかりだそうだ、なんでも テレビ番組のダイエット特集で、サバ缶を食すと、やせるホルモンが大量に出る可能性がある、などと説明したのが原因のようで、納豆、バナナに続くパニックに発展しそうだとのこと、バカな奴らだ、日本人も民度が問われる。
平成25年8月5日(月)
午前中、時々激しい雨と近辺への一二発の落雷、昼ころから雨が上がり暑い日差しが戻ってきた。その後も、九州西方海上には怪しげな雲が沢山あったが不思議と、こちらにはやってこなかった。これで今日は終わりかなと思っていたところ、夕方になって少し雨と雷が鳴ったが、すぐに通り過ぎた。
最低気温 21.9℃ (00:00)、最高気温 27.5℃ (16:30)
田んぼではもう大分前から穂が出て、実がしっかりと付いて黄色くなりはじめている。今年はそれより随分前、穂が出始めのころから案山子が立ち始めていた。案山子は稲が実って頭を垂れて刈り入れが近づいたころ立つというイメージがあったが、最近では出穂と同時に立てているようである、柔らかい穂の段階でもう雀は食べるのだろうか。近年はあまり役に立たない近代兵器、爆音機に代わって昔ながらの案山子が立つようになって良い雰囲気を出している。
いきなり昼飯の話。今日は、冷凍保存してあるカキを解凍してカキフライを作ってやった。カミさんはカキを食べるとアナフラキシーを起こすので、カミさんが居ない時にしか食べられない。
昨日、一年一カ月ぶりに豊肥線宮地〜豊後竹田間が復旧した。報道ヘリのことを書いていて、肝心のことを載せるのを忘れた。
あれだけの災害から僅か一年あまりでよく復旧できたものだ。今、宮地駅で災害復旧工事のパネル展をやっている、飴のように曲がったレールが展示してある、あの太い鋼鉄が曲がってしまったのだ、改めて自然の破壊力の大きさに驚いた。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
以下は蛇足である。
ところで、現実的な話だが、宮地から先のダイヤは普通列車は一日に僅か5本だけである。日常生活ではほとんどの人が車を使うので、正直、昨夏以来、災害で不通であった期間も地元のほとんどの人は不便を感じなかった(代行バスに頼った通学の高校生が一番困っただろうが)のだ。
言ってみれば、今回の全面復旧は時刻表を見ればわかるが、一日数本の観光を主とした九州横断の特急列車のためのものだと言ってもいいと思うくらいである(加えてこの秋運行の「ななつ星」のため。そして、ななつ星は勿論だが、JRの場合は大都市圏私鉄の特急などと違って、普通運賃だけでは乗れない、従って地元住民は日常的には利用しにくい)。地域住民はもっと鉄道を利用したほうが良いと言うが、運行本数が少ないので簡単に利用することが出来ない、そして、利用者が少ないから更に運行本数が減るという悪循環に入る。
時々、ちょっと竹田方面まで鉄道を利用して行ってみようか、大分まで遊びに行ってみようかと思わないでもないが、うっかり行くとおいそれとは帰ってこれない、では往きは鉄道、帰りはバスにしようかと思ってもそのバス便もほとんどない、これでは、鉄道を利用しようという気にはなかなかなれないだろう。
豊肥線、約150キロのうち、現在は熊本〜大津は通勤圏で電化もされていて運行本数が多い。大津からこちら側、大津〜宮地間は非電化であり、運行本数も極端に減る。さらに、宮地〜豊後竹田間は上に書いたとおりである。一方、反対側の大分〜豊後竹田間も、また大分側の事情に合わせて、電化区間もあれば非電化区間もあってこちら側と同じような運行形態だろう。ということで、今回復旧工事があった宮地〜豊後竹田はもともと空白地帯に近い地域なのである。
これは多分に文化圏・経済圏の問題だと思う。つまり豊肥線は熊本文化・経済圏と大分文化・経済圏とに二分されているからである。
ついでに言うと、これはローカル新聞につていも言える。熊本日日新聞圏と、向うは大分合同新聞圏だろうか(それを言いだすと、熊本は、北は福岡、南は鹿児島、西は長崎とも接しているなあ・・・)
昔と違って県境に捉われない現在の人々の生活、往来、経済の広域化に伴って報道の在り方もそれに応じて変るべきなのに意識的ではないかもしれないが根強いセクショナリズムが生きている。この狭い日本、いまだに江戸時代の「藩割り」体制がそのまま生き続けている(そもそも日本全国が大都市圏を除いてそうなのである、更に言うと、テレビ、ラジオの地域放送がそうである、なんと自然相手の天気予報までがそうである、お天道様や雷様は県別に天気を決めていないのにである)。ここに住んでいると、ちょっと行くとすぐにもう大分県である、竹田市も大津町に行くくらいの距離である、しかし、ほとんど大分方面のニュースは入ってこない。県境という縄張りを守るのはお役所に任せておけばいいのだ、せめて両地域を代表する新聞とも一定以上のスペースを割いてお互いに相手の文化圏・経済圏のニュースをもっと積極的に載せるようにすると随分と違ってくると思うのだ。
閑話休題(と書くと、これから先が閑話だと思っている人が居るかもしれない、閑話はこれまでで、さて、話を元に戻すがという意味である)
昔はこの辺りの人は熊本に出るより竹田に出ることの方が多かったと聞く、これが無くなった原因のひとつは閑話に書いた新聞などによる報道の在り方に加えて鉄道の運行本数、ダイヤ編成にあるであろう、この鉄道のダイヤが両文化園を断っているのである。
従って、中九州一帯のライフラインとして、交通インフラとして、熊本〜大分はドンと太いパイプを通すことが熊本・大分両圏のみならず九州全域の活性化につながることになると思うのである。つまりJRは両圏を中九州文化圏としてひとつとして考えることで、人の往来や物流、情報の往き来はもっと盛んになるだろうにと考えるのである。もともと鉄道というものは遠隔広域を結ぶ交通手段なのだから。
結論、JR豊肥線は九州の真ん中を東西に結ぶ基幹鉄道である。人口・経済・文化の極端な大都市圏集中、地方人口の減少、地方経済の空洞化を防ぐために、そして色々な意味でのリスクマネージメントの観点から、高速自動車道網と併せて、鉄道路線も九州一週と東西を結ぶ路線の整備は国防と同じくらいの発想で、一JRのみにその責を負わせるのではなくて国のコストと考えるべきだと思う、などと、豊肥線全面開通を見ながら思った。
平成25年8月4日(日)
昼前ころから降りだした雨と雷、午後もずっと九州を縦断する形で居座っていた(写真1・写真2)、ここはそうでもなかったが、熊本県の雨域に沿った各地では大雨警報や鉄道の運転見合わせがあった。その雨も夕方には上がった。今日は九州は全般的に気温は上がらずに、西日本地方の気温が高かったようだ。
最低気温 22.4℃ (18:07暫定 朝はもっと高かったということだ)
最高気温 25.6℃ (10:28)
昨夜は遅かったので皆朝寝坊をした、それでも、太郎は、小生が早く目覚めてPCの前に座っていると、不思議と目が覚めて、起き出してくる、しかし今朝はさすがに眠かったとみえて、小生が座る近くのソファーでまた二度寝をしていた。
朝9時半頃、遅い朝食を食べていると、低空を複数台のヘリコプターが飛び交っている、根子岳の「遭難」でなにか新しい展開でもあったのだろうかと思ったが、それにしてはヘリコプターの数が多い。そのうちに、ああ、今日はJR豊肥線の宮地〜豊後竹田間が約1年ぶりに復旧して、その開通セレモニーが宮地駅であることを思い出した。時間も丁度そんなものだ、あれはその取材ヘリコプターだったのだろう。
取材ヘリと言えば、先日のオスプレイの陸揚げ作業で、岩国市に10件の苦情が寄せられ、1件はオスプレイ反対の電話で、残る9件は「朝から報道のヘリがうるさい」「オスプレイ陸揚げはどうでもいいから報道ヘリをなんとかしてほしい」「ヘリコプターの騒音が仕事に支障を来している」など、陸揚げ作業の様子を上空から撮影する報道関係者の取材用ヘリの騒音に対してのものだったそうである、また報道ヘリに関しては、阪神大震災の際にその騒音のせいで助けを求める人の声が聞こえなかったことなどもあったそうだ。
昨日のつばめ子ども会の川遊びの文章と写真を載せる。
7/27付け日記 学童五輪ミニバスケットの写真掲載
7/28付け日記 ピアノ発表会写真掲載
平成25年8月3日(土)
少し雲があったが、晴れ。土用干が少し心配だったが、二日目無事に終了した。
最低気温 22.2℃ (05:58)、最高気温 29.0℃ (14:53)
午後から、風師庵鉄工所の装備一式を乗せて延び延びになっていたMQY/keiさんのアンテナ立てに行く、DIさんと用事で阿蘇に上ってきたJLZさんも加わって三人で、一気に、というつもりだったが、持って行ったボール盤ではドリルビットを付けるとその下に単管が入るだけのスペースが取れず、結局ハンドドリルで12mmの穴をあけて、なんとか目的を達することができた。
アンテナ建立後、シャックにお邪魔して、御自慢のリグを拝見した、keiさん、ギャラリーが見守る中で少し緊張して久しぶりの電信の送受信を味わっていた。
keiさんとJLZさんは昔の無線仲間で、今日の再会、実に40年ぶりだそうで、お互いに今の姿から昔の面影を一生懸命に探していた(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)。肝心の立ちあがったアンテナの雄姿を撮るのを忘れてしまった。アンテナはWARCバンドを含む7〜50MHzの8バンドをカバーするハイゲイン社のバーチカルアンテナ「パトリオット」だったと思う。
パソコンの調子が悪い、起動時になんどやっても、すぐにブルースクリーンになってしまう、こりゃいよいよ駄目かなと思って、とりあえず、セーフモードで起動したところ、直った。寒い時期には電源が入らないし、そろそろ終わりが近いのかなあ。
こどもたち、今日はこども会で竹田の中島公園河川プールに川遊びに出掛けて、帰ってきてから馬場八幡でバーベキュー大会をしている(午後9時半になろうとしているのにまだ帰ってこない)。カミさんがカメラを持って行ったので写真を撮ってきただろう、明日にでも娘に文章を書かせて、写真を載せようか。
子ども会川遊びの様子を娘に綴らせた「つばめ子ども会で竹田の中島公園河川プールに行きました。一番心に残っているのはウォータースライダーです。ひなちゃんと二人ですべりました。はじめはゆっくりで、なんだこれくらいかと思っていたら、と中で速くなったのが楽しかったです。その後、めいちゃんとふうちゃんもよびに行って、四人ですべりました。7回くらいすべって、その後はばらばらで遊びました。私は魚がいたので、ぼうしでつかまえました。しばらくやっていたけど、けっきょく、小さいのを一ぴきだけとれました。私が魚をつかまえている間、みんなはとびこみをしていました。私もやりに行こうと思ったら時間になってしまったので、次に行く時は、そういうのもやってみたいです。
川遊びから帰ってきて、夜は、馬場八まんでみんなでバーベキューをしました、うんと遊んだあとだったので、やきにくがとてもおいしかったです。」太郎は、例によって、川の流れに足を入れるのが怖くて、「おか〜あさん こわいー」と言ってしがみついていたそうである。この臆病者メ。
つばめ子ども会 竹田中島公園河川プール川遊び 連続写真 (1/3)
つばめ子ども会 竹田中島公園河川プール川遊び 連続写真 (2/3)
つばめ子ども会 竹田中島公園河川プール川遊び 連続写真 (3/3)
平成25年8月2日(金)
晴れ。今日も九州各地は猛暑だったようだ、しかし、我が豆札村は今日もしっかりと30℃未満をキープした。
最低気温 22.3℃ (05:12)、最高気温 29.6℃ (14:35)
ようやく梅干しの「土用干」を始めた、朝のうち雲が多くてあまり良いコンディションではないと思ったがその後しっかりと晴れて十分に太陽を浴びていた。一応三日三晩露天に晒すことになっているが、夜間、雨が降るといけないので夜は軒先に避難させておく。そして早速夕立が来たので、しかも風向きの関係で軒下に降り込むので更に室内に移動させた、家じゅう梅の香りがしている。もっと早く干さなければならなかったが天候不順でタイミングを逸し、長期間梅酢に浸かり過ぎていたので大分実崩れをしている。
梅酢が5リットル強採れた、最終的に何キロ漬けたのだったかなあ、純粋に梅の実だけからこれだけの量の梅酢が採れるのである。だが、梅シロップなら飲めるが、梅酢は塩だからあまり使い道は無いなあ、ドレッシングくらいかなあ、とサラダオイルと1:1の割合にして胡椒を入れて撹拌してドレッシングオイルを作ってサラダにかけて食べた。ちょっと塩分が濃いがこれはまろやかでウマイ!家族全員の支持を得た。誰か要らないかなあ。
今日も薪積みに行こうかなあと準備をしたけど、暑いからやめとこ、とさっさと中止した。
寺さんが新幹線の車内からSkypeをしてきた、タブレットを持って行ったようだ、音声でやるわけにいかないのでチャットでつないできた。大阪に行ったらしい。東海道新幹線では車内でホット・スポットが利用できるようだ。完全無料かと思ったら、事前に公衆無線Lan事業者のどこかとの契約が必要らしい、高速移動中にネット利用ができるのだからビジネスには大いに役立つだろう、便利になったものだ。
平成25年8月1日(木)
晴れ。今日は屋外重労働をしたので、死ぬほど暑かった。と言っても下界に比べたら罰が当たるかもしれない。昨日も西日本各地の気温が高くて大騒ぎしていたが、今日は更に暑さが厳しかったようだ。ここよりも10℃くらい高い38℃台の気温、経験したことが無いが、暑いのだろうなあ。
最低気温 23.7℃ (05:20)、最高気温 28.6℃ (13:27)
少し前に、浄行寺の山門の両脇に立っていた欅の木の根元の方が腐ってきていると言うことで用心のために切り倒された。本体部分は銘木として処理されたのだろうが、枝部分があるが薪にどうですかと数日前にお寺さんからお話があって、午前中、出掛けてみた、山ほどあった。他にも声をかけてあるやに聞いているが、この暑さでまだ誰も取りにきていない。まあ、こんな時期に来る人は居ないのだろうな。
好きなだけ持ってお行きなさいとのことだったので、チェンソーで切って積んだが、少しでも長い方が切る回数が少なくて済むと思って、ちょっと長めに切ったが、この暑さ、欅はとにかく重い木で、一人ではちょっとムリなくらいの長さのものを必死で荷台に積み上げたので一台積んだところでエネルギーを使い果たし、いくら水分を補給してもなんとなく気分が悪くなったので、ああ、これは熱中症の兆しなのかなと思って、今日は一台分だけにして終わった。消耗し過ぎて帰ってきて全部降ろすこともできず、少し積み残したままである。また、明日、出掛けることにしよう。
娘の昼飯、よくもまあ飽きもせず、「親子丼!」というので、作ってやった。昼飯を食って学校のプールに出掛けて行った。