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平成27乙未(2015)年 3月の記録(新しい日付けの順)


平成27年 3月31日(火)

曇りのち夕方近くから弱い雨。今日も噴煙は阿蘇谷に向かって流れていた
   最低気温 7.1℃ (04:46)、最高気温 18.8℃ (14:25)

 午後から父子して阿蘇温泉病院に副鼻腔炎の定期通院。年度末で、春休みで、混んでいるかなと思ったら午後の部、三番と四番で直ぐに診療が終わった、年中混雑している耳鼻咽喉科、こういこともあるのだ。
 
 今日はどこもかしこも年度末、そして3月は別れの季節、先日、小学校の先生方の退任式があったばかりだが、今日は保育園の先生方の退任式。また、太郎の年少組、バラ組の最後の日、担任のちゆき先生とも担任の交代で今日が最後。太郎を迎えがてら娘と一緒に退任式に出る。副園長の由紀子先生は定年退職だそうだが、夏子がゼロ歳児で入園した時から途中他の保育園に行かれたこともあったが、姉弟がずっとお世話になった。もうお二方の本田先生、藤井先生にも本当にお世話になった。こういった日に皆さんが流される涙は悲しいだけでなく一種気持ちのよい清々しい涙でもある。毎年この時期にはこの言葉が頭に浮かぶ「人生別離足る」、サヨナラだけが人生だ。

 坂梨保育園 退任式 連続写真 (1/6)
 坂梨保育園 退任式 連続写真 (2/6)
 坂梨保育園 退任式 連続写真 (3/6)
 坂梨保育園 退任式 連続写真 (4/6)
 坂梨保育園 退任式 連続写真 (5/6)
 坂梨保育園 退任式 連続写真 (6/6)

 晩飯・・・・先日揚げた冷凍してあったトンカツでかつ丼をつくってやる。昼は焼きうどんだった。



平成27年 3月30日(月)

 晴れ。
   最低気温 4.2℃ (06:17)、最高気温 20.1℃ (13:39)
   
 明け方の阿蘇中岳、火孔の中に赤い物が見える、マグマか火煙か。今日も噴煙は阿蘇谷に向かって流れていた、ここには降灰はなかったがこれから春の風向きで噴煙は阿蘇谷に向かって流れることが多くなるのだろう。

 いやあ一気に春爛漫だなあ、色々な花がもう咲き乱れている、我が家のやつはまだだがコブシも真っ白な花を山ほどつけている、我が家のソメイヨシノも今日開花した、風師庵開花宣言である。朝のうちは、まだ蕾状態で、早くて明日、まあ明後日かなと思っていたら今日の陽気で、午後三時、畑ごとを終えて見るともう数輪が開いていた、こうなるともう一気だろう。(写真1写真2
 
 なんだか春に追い立てられて今日は前の畑を耕した。はじめは耕すつもりはなく、トマトハウスなどまだマルチが被ったままになっていてこれ以上草が生えると後が面倒なので、マルチだけでも剥いでおこうと思って作業を始めたが、勢いで、前面の畑全部をトラクターで粗起こしまでやってしまった
 
 今の時期、色々の野草が咲き乱れていて、この花が終わるまで待って、などと思っているともう我が家の非力なトラクターでは草に負けて、一旦刈払い機で刈らなければならなくなる、そうなると厄介なので、今日、心を鬼にして全部鋤きこんでしまった。百姓仕事というのはこういったことや、摘花、間引きなど結構非情なことをやらなければならない仕事なんだなあと改めて思った。

 娘、(正確には「元」と言うべきか)クラスメートの、Uちゃんが知り合いの人に荒尾市にあるグリーンランドに連れて行ってもらうのにくっついて一緒に連れて行ってもらった。娘もその方を存じ上げているそうである。小生は行ったことはないが、太郎も以前三人で行ったことがある大きなアミューズメントパークである。ここは昔はウルトラマンショー、今は仮面ライダーショーといったもので、全国的に有名らしい。娘たちはさすがにそのショーは見なかったそうだが、色々な乗り物に乗ったりで、一日を楽しんで帰ってきた、春休みだから混雑していたそうである。(写真1写真2写真3

 晩飯、娘の予定がはっきりしていなかったので、今晩何を食わせるか決まらないまま時間になってしまったので餃子を焼いてやった、今晩ははこれだけである。


平成27年 3月29日(日)

 晴れ。暖かかった。今日も降るようなことを行っていたと思うが結局ふらなかった、春の天気というのは予報が難しいのだろうか。    最低気温 10.3℃ (06:05)、最高気温 20.0℃(15:17)

 今日も家事から開放、のんびり、過ごす。


平成27年 3月28日(土)

 晴れ。気温が上がった。今日は確か雨のはずだと思っていたが・・・
   最低気温 6.7℃ (06:10)、最高気温 20.8℃ (14:33)

 今日の阿蘇中岳、今日は終日風がなく、夜明けのころ、そして夜が明けてから、噴煙はまっすぐに昇っていた。そして夕方にもほぼ噴煙が上空を覆って空が真っ黒になるほどだったが、幸いにここは全く影響がなかった。

 太郎の年中組への進級についての親子面接があり、母親が休みだったので、母親と一緒に出かけていった。新年度は担任の先生が代わられるそうである。

 里芋の種芋を買ってきた(まだジャガイモの種芋も売っていた)。過去においては気がついた時にもう販売時期が終わっており、あわてて食用に売っている芋を植えたり、知人からこれも食用に保存してあった芋をもらったりしたことがあったが、今年はそういうことでは、小生にしては早いほうであろう。どうも今ひとつ納得ができないことであるが、以前は家の前の畑にジャガイモを植えていたが、その時期には高菜を植えてあって、小生は高菜漬けを作ることよりも、菜花を見たくて植えておいたので、相当遅くなって、花が終わるころ、ようやく高菜を刈り取ってその後にジャガイモを植えた記憶があるのだが、今現在が高菜の摘み取り時期で、花が咲くのはもっとずっと後なので、当然ジャガイモはそれからだとばかり思っていたが、どうも思い違いのようで、そのあたりの前後関係の記憶が曖昧である、まあ、過去の日記を紐解けば分かることだろうがそれも面倒である。

 午後からMQY局が御入来。


平成27年 3月27日(金)

 晴れ。ここのところ毎日朝は氷点下だ。
    最低気温 -2.9℃ (06:06)、最高気温 15.0℃ (13:10)

 異動の季節である、小学校でも異動があり、今日その退任式があり、娘も在校生と一緒に登校していった。さすがに児童が減少の閉校間近の学校である、新しく来られる先生は無し、出て行かれる先生が確かお二人。

 阿蘇中岳の噴火、昨日から静かである、京都大学のライブカメラだろうか、火孔が二つはっきりと見える。手前が一番北側にある火孔でこれはもう孔が出来上がっていて常時白い噴煙を出している、気のせいか、マグマが上がっているようにも見える。奥の火孔はいかにも現在、壁を削っている途中だという風に見える。真っ黒な噴煙が上がる時はこちら側の火孔から吹き上がっているのだろう。

 午前中、先日買ってきたし尿汚泥から作った有機堆肥「りんどう」を畑に振って、トラクターで鋤いておいた。今日はじめて袋の封を切って臭いを嗅いでみたが、正直、「下水」の臭いがする、ウンチの臭いはしないが決して臭いは良いとは言えない、普通、堆肥は牛糞から作った堆肥を使う、今の時期、周辺の田んぼにも大々的に撒いてあり、その臭がする、娘なんかこの臭いは嫌だというが、小生は牛糞の堆肥の臭いは大好きである、結構強烈な臭いがして、嫌いな人は多いかもしれない、それでも発酵した臭いで小生は好きである。(写真1写真2写真3

 しかし、この「りんどう」の臭いを好きだという人はまずいないだろう、まあ、鼻を近づけなければ分からない程度だが、この辺りに改良の余地がありそうである。10袋買って8袋で間に合った。

 今年の畑つくり、ジャガイモ作付準備、例年に比べて「余裕のよっちゃん」だろうと思って、まあ、一応昨年はどうだったろうと日記をみたところ、なんだちっとも早くないではないか、慌てて通販で種芋の注文をした、昨年は種芋ももうほとんど売り切れだったが、今年はそれでもまだ余裕があるようで簡単に見つかった、小生、地元のJAからはもう絶対に「買わない!」、理由は過去の日記に書いたことがあるが、同じJAでも地方によって親切さが全く違う。
 
 ジャガイモを植えなければならないとすると、里芋の種芋ももう買わなければならないということか、急げ急げ。

 畑を作りながら、枯れ枝類を燃やした、もう、焚き火の気持ちのよい時期は過ぎて苦痛になってくる。

 晩飯・・・・・・・リクエストに応じてキジ焼き丼、出汁巻き玉子、豆腐とネギの味噌汁、ポテトサラダ。


平成27年 3月26日(木)

 快晴。今朝も冷え込んだ。
  最低気温 -3.7℃ (07:23)、最高気温 15.0℃ (14:29)

 二六時中監視しているわけではないが、今日の中岳はあまり噴煙は出ていなかったと思う。

 最近、家入桂子さんから、小生も以前会員だった歴史愛好会のつながりで、ある人の手書き原稿のテキストファイル入力を頼まれた。その原稿は以前と同じような歴史研究の会で使う資料で、ワープロをしない人が書いた原稿なんだそうだ。書式編集などの面倒なことをせずに単なるテキストファイルのベタ打ちだったら時間もかからないから、とお手伝いしたが、その際に、今度の会にもちょっと顔を出しませんかというお誘いを受けていた。その例会が今日だったので午前中、会場の旧役犬原小学校に出かけてみた。役犬原(やくいんばる)小学校は数年前に統廃合で無くなった阿蘇町の小学校である。現在は阿蘇世界文化遺産推進室の事務局に使われているが、その建物の一室を借りての研究会だった。(写真1写真2写真3写真4
 
 小生が以前会員だった、阿蘇歴史愛好会は阿蘇市の生涯学習講座の一つだったが今はもう終了している、そして今日の会も同じく阿蘇市の生涯学習講座の一つであった、名称を「阿蘇文化調査研究会」と言う。小生にとって一番の好都合は、例会が隔月開催でそれも午前10時から正午までと、一番自由が利く時間なので、そのまま今日入会させていただいた。前の歴史の会で存じあげている人も何人かおいでだった。隔月例会の間の月にはフィールドワークがあり、色々な場所に連れていってもらえそうなので、これも楽しみである。(写真1写真2

 今日もそんなことがあり、結局、外作業はしなかった。
 
 昼飯は、昨日の鶏すきを親子丼風にアレンジして娘に食べさせた。
 
 晩飯。リクエストにより、トンカツを揚げた、ついでにポテトサラダを山ほど作っておいた。太郎にどうだ?と聞いたところ、どこで覚えたか食べながら指でマルを作っていやがった


平成27年 3月25日(水)

 今朝も真冬並みに気温が下がった、畑が霜で真っ白になっていた、そして真っ青な空に今日も大量の真っ白な噴煙が上がっていた
   最低気温 -3.6℃ (06:14)、最高気温11.9℃ (14:54)

 今日も5時まで一度も目覚めること無く熟睡した、果たして健康だから夜中に目覚めないのか、はたまた、体力が落ちていて夜目が覚める元気も無いのか。

 何年か前にJLZ局から阿蘇市で屎尿(しにょう)汚泥から有機肥料を作って売っているということを聞いたことを思い出して、今日買いに行ってきた。そのために、まず市のホームページの未来館のホームページにアクセスして具体的な入手方法を知ろうと思ってクリックした所、そんなURLは無いとエラーが出た、このホームページを管理している三セクのテレワークセンターに電話をしてその旨を告げると調べてみますとのことであったが、その後、再アクセスしようと思って市の該当欄を見たところ、URLそのものが削除されていた、いったいどういうこっちゃ。
 
 未来館というのは大阿蘇環境センター未来館というのが正式名称で、早い話が「ごみ処理場」である、その上の組織は「阿蘇広域行政事務組合」http://www.aso.ne.jp/~koiki/05_links/index.htmlと言って阿蘇の規模からすると大きすぎて立派過ぎる施設を持っている。ここでこの「りんどう」を売っているが、元々は、し尿なので、もう一箇所、そこから少し離れたところに大阿蘇環境センター蘇水館という施設があって、ここでし尿処理をしていて、そのし尿から有機肥料「りんどう」を作っているのである。

 以前、し尿や下水汚泥などから作る肥料には重金属が含まれているから注意を要するというようなことを聞いたことがあるが、このことが気になって数年前に調べた時には、データが公表されていてその心配は無いというようなことだったと記憶しているが、現在、何処をみても、あまり積極的に「りんどう」のPRはしていないようだ。せっかくのリサイクル事業、市は本気でやる気があるのかしらと思ってしまう。

 今日は10キロ入り袋を10袋買ってきた、@100×10袋=1,000円也。小生が子供の頃はごく当たり前に人糞を発酵させて肥料にしていた時代があったが、それと同じ理屈で高度に無害化して作る有機肥料である、我が家の浄化槽からは年に一回、浄化しきれなかったものを汲み取っていくが、昨年暮れに約3立米の汚泥を汲み取っていった、この量でどのくらいの有機肥料が出来るのだろうか、出来上がった有機肥料、なんとなく臭いそうだが臭わない。
 
 肥料を振るところまで一気にやってしまおうかと思ったが今日もエンジンかからず。
 
 娘が現在のところ小学校は卒業したがまだ中学校生ではない「中学浪人」状態で家にいる、ということは昼飯の心配をしてやらなくてはならないということである。昨日は焼きそばをつくってやった、今日はチャンポンである、焼きそばにしても野菜類をたっぷり入れるようにしている。野菜のなかに麺が見えるくらい野菜を入れる。今日のチャンポンも海鮮具材と豚肉と野菜たっぷりで作ってやった。美味しいね、と言われると嬉しいが、要は小生がうまいものを食いたいと思う一心からである。

 娘、水泳教室。

 晩飯。鶏すき。昨日といい今日といい、鶏肉オンパレードである。カミさんが料理するつもりで大量に買い込んで結局料理せずに小生がその尻拭いをさせられるはめになった、もっともその分、献立の選択肢が狭くなって、何にしようかあまり考えなくて済むだけ楽ではあるが。(写真1写真2
 
 
平成27年 3月24日(火)

 晴れ。今朝は昨日以上に冷え込んで、朝、氷点下近くまで下がった。日中もあまり気温が上がらなかった。
    最低気温 0.5℃ (07:00)、最高気温 9.2℃ (12:27)

 普段、必ず夜中に一度や二度は目が覚めるのに、昨日は特に体力を使うこともなかったのに疲れたのだろうか、熟睡したとみえて目が覚めた時に、てっきりまだ午前一時か二時ころだと思っていたら時計は5時半を指していた。

 今日はほぼ一日中、阿蘇中岳は盛夏の積乱雲のような真っ白な噴煙を盛大に吹き上げていた。(写真1写真2

 昨夜の謝恩会の後で男の子たちはR斗君の家で一泊の「合宿」をしたそうだ、いい思い出が出来たことだろう。このあたりの昔ながらの家は、昔は村内持ち回りで寄合いをやったり、自宅で冠婚葬祭をしたりするので(冠婚の方はさすがに近年は自宅でしないが)、ごく普通に大広間がある。大勢の人間が泊まったりするのもそれほど大変なことではない、都会の住宅事情からは考えられないだろう。今回、女の子の家で大広間のある家は無かったと見えてお泊り会は出来なかったようで娘が残念がっていた。(写真提供 瑞穂さん)

 今日は写真整理で結局一日外に出ることが出来なかった、畑仕事は明日だな。

 コイン精米所で玄米30キロ精米する。
 
 晩飯はチキン南蛮。(写真1写真2写真3


平成27年 3月23日(月)

 快晴。風が少しあった。夜になって少し気温が下がってきたのでストーブに火を入れた。
   最低気温 3.0℃ (但し21:39現在)、最高気温 12.0℃ (13:34)

 坂梨小学校卒業式。夏子、おかげさまで本日なかまたちと共に無事に卒業した。自分に子供が生まれて、この子がその先、保育園、小学校、中学校と進学することに改めてその間の「時間」というものを気にすることは普通の場合は無い、しかしこれはあくまで適齢の親であり適齢の子の場合である。小生の場合は、もう晩年に近づいてからの子なので、意識の半分では常にそういった期間というものを考える。大袈裟に言うと、小生は今何歳だから、この子が小学校に上がるのは、卒業するのは、中学校までは大丈夫だろうか、さすがに成人までは持たないだろうなと必ず考えるのである。何年先にトンネルが出来る、何年先にリニア新幹線ができる、そうかその時には小生は何歳という計算になるな、もう関係ないなという風である。
 
 まあ、過ぎ去ってみれば、ああ、楽勝だったなあ、この分だと、まだ数年は大丈夫そうだな、という気になってくる。その先は天のみぞ知るである。これは若いお父さんお母さんには分からない心持ちだろう。
 
 今日の卒業式、天気は良かったが、ここ数日の暖かさから比べたら少し冷え込んだ、それでも気持ちのいい日になった。例の日本ミツバチ、もう一匹もいないようですよということを聞いたので、久しぶりにプラタナスの根本に行ってみた。元気にハチが出入りしていた、春になっても朝など気温が低い時は活動をしないので、いないように見えたのかもしれない、まだ黒い色が強いが沢山のハチがいた、まもなく日本ミツバチも巣立ち(分蜂)の季節を迎える。
 
 「卒業式」、大人数の小学校では決して味わうことができない、心のこもった暖かい手作りの卒業式で良かった。
 
 坂梨小学校も、このすぐあと新しい一年生を迎えて、来年の春には6年生を送り出して、143年という長い歴史を閉じる、そういう事が頭にあったので、来年の今頃のもう誰も居なくなりガランとした無人の校舎を思い浮かべてなおさら感慨深い卒業式になった。
 
 小学校の卒業式、自分の頃はどうだったろうかと必死に思い出そうとしてももう完全に記憶彼方になってしまった。ただ、卒業式というと「仰げば尊し」、これは絶対に外すことはできない、そして、今日もその「仰げば尊し」はあった、ただし一番だけだったが。これが三番まで厳かに歌われたら、小生、感極まったかもしれない、「君が代」斉唱もあった、そして校歌の斉唱、小生は卒業生ではないが、卒業生の気分でいる。小生、この三点セットが卒業式の歌だと思っているが、今の若人にとってはそれは付け足し、大人たちへの義理立てで、「卒業」に因む本当の歌は他にある、こちらの方が本命で、今日は三曲だったろうか、三点セットの何倍もの時間を使って皆歌っていた、小生、残念ながらこれらはもう全く知らない歌だった。夏子もそのうちの一曲の伴奏を務めたが、小生は全く知らない、考えてみたら小生は保護者の保護者の年齢なのだから。
 
 坂梨小学校では、卒業する子どもたちは、中学校の制服を着て式典に参加する。いつのころからのならいだろうか。普段、私服で自由な服装をしている子どもたちが一斉に中学校の制服を着ての登場である、急に大人びて見えた(今年は全員一中進学だが、もし別の中学校に進む子がいればその中学校の制服を着て参列する)。

 子どもたちの卒業証書、これがまた立派で、小生が大学を卒業した時にもらったものよりはるかに立派なものだった、この証書の用紙は子どもたちが阿蘇の高原で刈り取ったススキを自ら漉いて作った和紙に書かれているそうである。そしてこの証書には一人一人の出席番号にしたがって四千数百台の通し番号が振ってある、これは明治6年に坂梨小学校が創立されて以来の卒業生の数になるのである、小生には初めての経験である、小生の場合は、確かではないが卒業年度内で付された連番の記憶しかない。この卒業証書は貴重な財産になる。
 
 卒業式の(公式行事後のクラスでの)準備で、お母さん方が随分とご苦労されたようで、うちのカミさんは仕事とはいえ、全くお手伝いできず、そして、おとんはこれが全くの役立たず、本当にみなさん有難うございました、お世話になりました。
 
 百駄文は一見に如かず、例によって、悪い腕と安カメラでピンぼけだらけになったが、よほどダメなものを除いて全部載せた。最近は人並みにLINEをやっているので、お母さん方がアップした仲間内での写真を断って適当に頂戴した。それから、個人情報保護の観点から、個人名が特定出来そうな「氏名」部分は一枚一枚ボカシを入れた。
 
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 1/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 2/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 3/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 4/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 5/24)
 
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 6/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 7/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 8/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 ( 9/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (10/24)
 
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (11/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (12/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (13/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (14/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (15/24)
 
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (16/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (17/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (18/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (19/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (20/24)
 
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (21/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (22/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (23/24)
 坂梨小学校 卒業式 連続写真 (24/24)
 
 夜はグランヴィリオホテルで謝恩会があったが、小生は太郎の子守もあり欠席した、例によって太郎と二人でジョイフルで晩飯を食った。(写真1写真2
 
 謝恩会の写真もLINEから頂戴した。(時系列が不明なので順不同)
 謝恩会 連続写真 (1/4)
 謝恩会 連続写真 (2/4)
 謝恩会 連続写真 (3/4)
 謝恩会 連続写真 (4/4)
  (写真の提供:麻理子さん、智美さん、Rumi♪!さん) mni tnx


平成27年 3月22日(日)

 晴れ。
   最低気温 1.9℃ (05:54)、最高気温 15.8℃ (14:47)

 今日は火山灰がこちらに来る風向きではなかったのに、終日ほどんど山が霞んで見えなかった。昔であれば「春霞」という風流な名前で呼ぶところだが、今やpm2.5だとか黄砂だとか大陸から剣呑なものが飛んでくる。今日の視界不良の原因はなんだったのだろう、黄砂だったのだろうか。

 我が家の三人、朝から一日、熊本方面に出かけて小生ひとり、のんびり過ごす、なかなか外作業のエンジンがかからない。


平成27年 3月21日(土)  春分の日(春季皇霊祭)

お彼岸
 カラッとした晴れではなかったが、穏やかな一日だった
   最低気温 6.5℃ (02:53)、最高気温18.1℃ (14:44)

 熊本市でもソメイヨシノの開花宣言があった(鹿児島でもその他の都市でも開花宣言があったそうだ)。

 坂梨保育園の卒園式、太郎は在園児として式典に参加した(太郎よりも下のクラス、つまり未満児クラスは式典の間、座っているのに耐えられないだろうということで、不参加である)。いつも時間に送って行って、昼前に迎えに行った。卒園児を点描しようと思って太郎と一緒に待っていたが、クラスでのお別れが長引いてなかなか出てこなので、撮影をやめて帰ってきた。

 今日は祝日でカミさんが休みだったので、育児家事すべて開放。のんびりPCの前で過ごす。
 
 AJY局が庭の木を切ったからと連絡をくれたので、積込みに行ってきた、ちょうど一台分の量があった


平成27年 3月20日(金)

 晴れ。
   最低気温 8.6℃ (07:18)、最高気温 17.2℃ (13:40)

 今日も朝から盛大に噴煙を上げていた、一時落ち着いたように見えたがまた活動を再開したようだ。以前は白い煙が主だったが、ここのところ、真っ黒な噴煙が多い。別の火孔の壁を一生懸命削っているのだろうか、それもまっすぐに開いていないで途中で曲がっているので、間歇的に噴煙を吹き上げる。全く静かな時と激しい時とが極端である。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 朝、シマがネズミを捕まえてきた、必ずわざわざ見せびらかしにくる、そして、昔と違って食べ物に不自由しないのでいたぶるだけいたぶって食べないで放置する、後始末が大変だから、全部食べてしまえよ。そのシマ、厳しい冬を乗り越えて、ようやく暖かくなった日差しの下、香箱を作るのをやめてなんともしどけなく無防備に眠りこけていた

 だいぶん前から南面の土手には菜花が咲きはじめていたが、それも今や一面黄色い花で埋まっている梅林ももうほぼ満開の状態になった。我が家のソメイヨシノはまだ蕾が硬いが同じ桜の木でもサクランボの花はもう蕾がほころんでいる

 来週の月曜日が坂梨小学校の卒業式なので、その日は卒業する子と在校児童とは登校時間が違うため、今日が今年度の登校班の全員揃っての登校の最後の日である。そして、夏子や直樹、侍龍の小学校最後の登校日である。盛んに噴煙を上げる阿蘇中岳をバックにいつものように記念写真を撮った。小学校最後の登校なんだから感慨深くしみじみ登校しろよと声をかけて送り出したが、年寄りの感傷だろう、「それが何か?」という風であった。
 
 考えてみたら、別に頼まれたわけでも義務があったわけでもないのに、小生が子供達を見送るために集合場所に立った日数は、(こどもたちは病気などで休んだりした日があるので)こどもたちよりも多かったのではないだろうか、6年間なんかあっという間であった
 
 卒業式と修了式とは別建てで行うそうで、今日は6年生だけの修了式があり、通知表をもらって帰ってきた。卒業式でまとめてしまえば良さそうなものだが、律儀に別々に行うそうである。昔は一緒だったような気がするがもう全く記憶に無い。

 娘の中学進学にともなって、今後、「偏差値」というものとイヤでも付き合わなければならなくなる。すでに小学校の6年生の全国学力検査の結果をもらってきたが、そこに「学力偏差値」という数字が載っていた。
 
 小生の学業人生においては、「偏差値」というものとは全く無縁だった、今までは時々受験生を持つ親の偏差値がどうのこうのという会話が耳にはいってきても、理解が出来なかったし、関心がなかった、昔はそんなものは使わなかった。加えて、小生が子を成す年齢が遅かったので、同じく自身が「偏差値」とは無縁の時代を過ごした同世代の親たちも、その後の、自分たちの子とのかかわりで、小生よりは20〜30年くらい早くその「偏差値」との付き合いが始まったのだろうが、こと小生に関しては、今にして、ようやくその時期に達したということであろうか。

 また、小生の中高生活では「統計」という講座は無かった(と思う)、「偏差」だとか、「分散」だとかは後年、社会に出て、品質管理活動なんかでそれとなく耳にした程度で、学問としては習った記憶が無いのである。

 したがって、「偏差値」という言葉、今回が初めて改まって向き合った言葉なのである。

 ここ二三日、その「偏差値」について独習しているが、いやあ、統計学は面白いなあと思って、いささかのめり込んでいる、今は本当に有難い、インターネットのお陰で、いくらでも資料があるし、動画の講義もある、義務的にする勉強と違って自ら望んでする勉強、これは楽しい。晩年になって勉強の楽しさを覚えたが、半世紀ほど前にそれに気がついていたら、小生もヒトカドの人物になっていただろうに。

 晩飯・・・・・・エビフライ、ポテトサラダ、コーンポタージュスープ。もうジャガイモは新ジャガが出ている、鹿児島産だったろうか、ここではまだ畑も作っていないのに。



平成27年 3月19日(木)

 雨のち曇り、晴れ方向へ。
    最低気温 12.0℃ (但し18:59現在)、最高気温17.4℃ (02:46)

 昨夜日記を書いた後からまとまった雨になり、一晩中降っていたようだ、一夜明けて子供達が登校するころまで降っていたが、その雨も昼ころにはほとんど上がって、明日はいい天気になりそうである。
 
 今日も終日PCの前で過ごす。
 
 晩飯は昨日のポトフの残り。


平成27年 3月18日(水)

 雨、春のさめ。
    最低気温12.5℃ (但し 20:39現在)、最高気温17.1℃ (17:10)

 予報では、今日から明日にかけてかなりまとまった雨になるということだったが、事実、九州地方で相当降った場所もあったが、ここは(午後9時頃時点で)それほど大量の雨は降らなかった。

 午前中、やわらかな春の雨が降る中、今年はじめてのウグイスの鳴き声を聞いた、二三日前からケキョ、ケキョという鳴き声は聞こえていたが、ホーホケキョと完全に鳴いたのは今朝が初めてのような気がする、普段切ってあるライブカメラの音声スイッチも久しぶりにONにしておいた。

 今日も終日、本を読んだり、PCの前に座ったりして過ごした。
 
 夏子、プール教室。

 晩飯・・・・・・ポトフ


平成27年 3月17日(火)

 晴れ。一気に20℃超え、もう「暖かい」を通り越して「暑い」とさえ感じる気温だった、昨日まで確実に蕾だった水仙が開花していた。ようやく冬が去った。(写真1写真2
    最低気温 2.3℃ (07:12)、最高気温 21.4℃ (13:56)

 今朝、雲海が出た。そして雲海が消えてまもなく今度は噴煙が大量に阿蘇谷の空を覆っていた、主に、阿蘇町方向だった、幸いにこちらには全く降灰は無かった。(写真1写真2

 ここのところ、体調不良が続いていて、ようやく復調したがまだ若干、鼻風邪気味の状態がつづいていた、時々鼻の奥から喉を経て黄色い痰様のものが出てくる、強く鼻から息を吸うとなんとも言えない嫌な臭いがする感じがする、太郎も、お父さんちょっと臭いと言っていたので、これは胃腸からくる臭いではないな、と思って、ネットで調べてみると、どうも副鼻腔炎(昔は蓄膿症と言っていた)のような気がする、もう殆ど治っているような感じだが、一時は頭痛がして左の眼の下周辺が痛かった。そして、歯まで痛かった。ここまで来たらこのまま動物の持つ自然治癒力に任せようかと思ったが、一応原因だけは知っておきたかったので、太郎を保育園に送った足で同じく夏子も副鼻腔炎で通院している温泉病院を訪ねてみた。
 
 先生に経過をひと通り話すと、そうですね、副鼻腔炎でしょうね、でももう鎮火してから消防車を呼んだようなものですねと言われた。もっと早くこなけりゃ、阿蘇の人は皆さんなんでも風邪で片付けてしまう傾向がありますよとも言われた。
 
 そして、自覚症状が無くなっただけで治ったとは言い切れません、治ったか治っていないか調べるにはレントゲンを撮らないとわかりませんが、どうしますか、と問われたので、行き掛けの駄賃とばかりに、お願いしますと言って、検査をしてもらったところ、やはり病巣は残っていた。
 
 副鼻腔と一言で片付けてしまうが、鼻の周辺には前頭洞、蝶形骨洞、篩骨洞、上顎洞という幾つか空洞がありそれらを総称して言う言葉らしい。さて、今回の小生の副鼻腔炎は上顎洞と言われる部分で、レントゲン写真を見ると鼻を挟んで左右にひとつづつ上顎洞があるが、正常な空洞の方は黒く写って、そうでない場合は白く写りますが、左の方がまっ白ですね、これは、空洞であるべき場所に「液」が溜まった状態だからです。また風邪などを引くと炎症が起きます、悪くなると手術をしなければならなくなる場合もあります、しばらく薬を飲むようにと、数種類の薬を二週間分処方してくれた、この病気、結構時間がかかりますよと言われた、一ヶ月ほど薬を飲んで改めてレントゲンを撮ってみましょうということで、またしばらく病院通いをしなくてはならなくなった。蓄膿症なんて子供の病気だとばかり思っていたら、大人の方が多いですけど自覚症状がないのでわからない場合が多いということであった。ちょうど一年前に中耳炎で病院通いをしたが、中耳炎と副鼻腔炎、同じ左側だ、何かしらの因果関係があるかもしれない、今度の受診の時に訊いてみよう。

 やはり年を取ってくるとあちらこちらガタがでてきだすようだ。

 今日は天気が良いので肥料を買ってきて、と予定してたが、急に医者通いをしたため、残念ながら延期した、明日、明後日と天気が悪そうだから、来週になるだろう。
 
 晩飯。豆ごはん、ブリ塩焼き、出汁巻き玉子、ほうれん草の味噌汁


平成27年 3月16日(月)

 曇り。
   最低気温 7.0℃ (04:25)、最高気温 16.6℃ (17:06)

 一気に暖かくなった、もうこれで寒さとはオサラバだろうという確信が持てるほどの暖かさだった。

 朝、一番で、宇治歯科に定期メンテに行く。
 
 今日は特に何をしたということもなく一日が終わった。

 阿蘇中岳、時々高く噴煙を上げているが、もう日常になって何かの折でもなければわざわざ振り仰ぐことも少なくなってきた、ただ日常的に降灰のある地域ではそうはいかないだろうが。

 夏子ピアノのレッスン日、迎えに行った足で三人で風呂へ、今日は月曜日なのでプールは休みで風呂だけやっていた。

 晩飯。エビグラタン、ほうれん草とコーンのバター炒め、ポテトサラダ、コーンポタージュ。フルーツゼリー、まるでファミレスのような献立になってしまった。娘曰く、ファミレスのより豪華よ。そうだろう。


平成27年 3月15日(日)

 雨のち晴れ。昼ころまで雨が降っていた、気温は非常に高かった。
   最低気温 4.8C℃ (04:32、最高気温 12.7℃ (15:30)

 六日の菖蒲になってしまったが、昨日は「円周率の日」でもあったようだ。
 
 今日は村の鞍岳祭。皆さん「くらたけさん」と呼んでいる、牛馬の神様をお祀りする日である。今や村には有畜農家は一軒になってしまったが、伝統行事として村中でお祀りをする。もちろんその一軒の有畜農家では、(ハテ、これは仏様だったか、神様だったか、鞍岳は馬頭観音がお祀りしてある。馬頭観音というと菩薩様である、というと仏様だ、だとすると、祀るなどという言葉を使わないで、安置されているとでも言うのだろうか、まあ、そのようなことはさておいて)、お社、おっと、これも仏様には使わないか、村の小さな仏堂にお参りする宗教行事をおこなうが、他の村の人はお参り抜きで集会所でお斎の卓を囲む。この日は子どもたちにもお菓子が出る。子どもたちがまだ今の太郎くらいの頃は、お菓子が似合っていたが、もう、子どもたちも大きくなって、全員が一堂に会することもなくなり、適当にやって来て、「照れ」と「意気がり」で大人たちとはロクに目を合わせることもなく黙々と食べて黙々と去っていく、もう皆そんな年齢に達してしまったのだ。

 
鞍岳祭連続写真 


平成27年 3月14日(土)

 朝起きた時にちょっと雨が降っていたが、その後は上がり、暖かい一日になった。夕方、ふと見上げると、阿蘇中岳から真っ黒な噴煙が大量に出ていた
   最低気温 5.7℃ (02:17)、最高気温 12.7℃ (15:11)

 ハスク(136)の遠心クラッチがバラバラになって、それを組み立てるのに苦労した。とにかく強いバネを伸ばして止めるのは至難の業である。ネットには特にクラッチの組み立て方を説明する記事も動画も見当たらない、数少ない記事に、慣れているのでマイナスドライバー一本で簡単にやる、という人もいるようだが、やり方は書いてない。結局オリジナルでやるしか無い。とてもドライバー一本なんかでは出来ない。小生はグリッププライヤーで一方のシューを抑えて、もう一方のシューを力いっぱい引っ張ってようやくはめることが出来た。

 ということで、数年、故障していた(業者がもう直りませんと言っていた)チェンソーが見事復活した。結局どこも故障なんかしていなかったではないか、一体どこを見たというのだ。
 
 これを普段使うチェンソーにして、今使っているチェンソーを徹底的に整備する予定でいる。そのうちに周辺で整備すれば使えるかもしれないけど、もう納屋に放り出してあるようなやつを、もう要らないでしょう、ちょうだい、といって古いやつ、壊れたやつをもらってきて修理することを道楽の一つに加えようか。
 
 一月ほど休業中だった蕎麦処「阿蘇の風」が先日再開したので、今日は時分時に子どもたちを連れて食べに行った。こどもたちはふたりとも、「冷たいおそば」と言って必ず盛り蕎麦を注文する、盛り蕎麦が良いというのだ、変わった奴らだ。(写真1写真2写真3写真4
 
 晩飯。刺し身(ブリ、タイ、マグロ)、もずくの酢の物、もうひとつ酢の物、「ひともじぐるぐる」、それから豆腐とニラの味噌汁。「ひともじぐるぐる」とは一文字(ひともじ)という種類のネギ、ワケギに似た小ぶりのネギで熊本の特産だろうか、これをゆでて、食べやすいようにグルグル巻いて酢味噌で食べる熊本の郷土料の一つである。年寄りのいる家では普通に食べるオカズだが、最近の核家族ではどうなんだろう、だんだんと廃れているのではないだろうか。たくさん作っても子どもたちが食べるかどうかわからないので、今日はたまたま茹でてうっているやつがあったので試しに買ってきた、添付してある酢味噌は辛子酢味噌だったので、酢味噌だけ家で作った。大好きというほどでもなさそうだが、普通に食べるようだから、今度はちゃんと茹でて作ってやろう。


平成27年 3月13日(金)

 晴れ。放射冷却で久しぶりに冷え込んだが、その後は気温も上がり風もなく真っ青な青空が広がった、風が無いので朝のうち、中岳の噴煙がそのまま下に降りて山麓一帯は煙に包まれているのが我が家から遠望できた。
     最低気温 -4.7℃ (06:59)、最高気温 10.5℃ (15:24)

 昼ころから相当強い風が吹き始めたが、今日は馬場豆札牧野単独の野焼きが行われた。強風下では飛び火の危険性が高くなるので燃やせないが午前中は全く問題がなかっと思うが午後からはどうだったのだろう。
 
 宮崎のじっちゃいが久しぶりに定期健診のために熊本までやってきて、その帰りに寄ってくれた。なんだかピカピカ光る車に乗っていたなあ

 裏の畑の粗起こしをした。トラクター、長い間乗っていなかったので当然のごとくバッテリーが上がっていたので軽トラックとブースターケーブルでつないでエンジンを掛けた。

 今晩は夏子の部活の追い出しコンパ(とは言わないが、なんと言っていたか忘れたので、要するに追い出しコンパである)でよかよか亭で仲間たち、保護者、先生がたと食事会があったので、夜は太郎と二人だけになった。飯を作るのが面倒なので、例によって、風呂の帰りにジョイフルによって外食をした



平成27年 3月12日(木)

 晴れ。
    最低気温 1.0℃ (但し 21:07現在、尚降下中)、最高気温 7.3℃ (13:24)

 午前中、裏の畑の準備の準備」をする。去年のマルチがまだ4列残っていたやつを剥いだ。地中に残ると分解せずにちぎれた奴が何年も土中に残るので面倒なので土を少し掘って丁寧に剥ぐ。その後で、野焼きをした。今日は非常に強い風が吹いていたので、住宅地であれば出来ないだろうが、ここは何処にも燃え移る心配がないので安心してできた。これで準備の準備が終わったので、このあとトラクターで鋤いたり肥料を入れたりと畑の準備に入る。裏の畑はとりあえずはジャガイモなので、まだ植え付けまで十分に時間がある。
 
 太郎の「大」の後始末、だいぶん前から一人で出来るようにはなっていたが、もし失敗すると後始末が(小生が)大変なので、ついつい小生が拭き取ってやっていたが、そうそういつまでということは出来ないので、数日前に、オイ、そろそろ、自分でやれ、といったところ、「お父さん、トイレットペーパーが引っ張るとすぐに切れるので、なかなか拭けん」と言う。言われてみると確かに太郎がことが終わってペーパーホルダーから紙を引っ張ると太郎の位置からは相当距離があるので、ちょうどペーパーを切り取るときに力をかける角度になって直ぐに切れてしまうのである。それで、数日前、ペーパーホルダーの取り付け位置をウンと座位置の近くまで変更してやったところ、うまく紙を引き出す事ができるようになったそうである。下の階のトイレには夏子が幼いころ、子供専用にホルダーをつけてやったが、最近は寒いので、下のトイレを使う機会が少なくなっている。

 チェンソー(136)のオイルポンプの件はようやく清掃が終わったので、組み立てて、試運転をしていた所、突然、「玉屋(たあまや〜)」、何片かの部品が彷彿線を描いて飛んでいった。経験上この時大事なことは、飛んでいったものをしっかりと見ないこと、数片の部品を全部見ることは絶対に出来ないので、一つだけに注目していると他の部品がいくつあってそれぞれ何処に落ちたかが分からなくなる。このようなときは、半眼にして、漠然と全体を見渡しながら、部品が何処と何処に落ちたかをしっかり覚えておいて、回収してからその部品が何かを確認することである。
 
 で、何が飛んでいったかというと、遠心クラッチがバラバラになって飛んでいったのである、2メートルほどは飛んだだろう。スプロケットと遠心クラッチを留めてあるネジは逆ねじなので、はめるときは左回しで締め付けていくがエンジンが回転しだすとあまり強く締めなくても自然としっかりと締まっていくとあったので、まあ、こんなものかなと思って、閉めたのが中途半端だったのだろう。
 
 このクラッチは非常に強いバネで閉めてあるので、これをどうやって留め直すか、これがまた大きな宿題になってしまった。自ら進んでバラしたくなるような部品ではないので、こういったことでもないと、機会はあまりない。そういう意味では良い機会になった。
 
 晩飯・・・・・・・・・豚肉の生姜焼き、出汁巻き玉子、ワカメの酢の物、豆腐と油揚げの味噌汁


平成27年 3月11日(水)

 曇のち晴れ。今日も寒かった、特に午前中は寒かった。
     最低気温 -1.6℃ (04:18)、最高気温 5.4℃ (15:20)

 昼ころから日が差して、風が当たらない場所では暖かく感じた。午前中は寒いので床屋に行っただけで、昼から裏で薪を作った
 
 薪作りを始める前に、今使っているチェンソー(137)のマフラーを外してみた。マフラーを止めているボルト、これがまたイヤに長い、なんとマフラーはエンジンと直結しているのか、ピストンが直に見えるではないか、そうなると迂闊にエアを吹きかけるとシリンダー内にゴミが入るな、マフラー内も特に汚れていないから、これはこのままそっと元通りにしておこう。それにしても、こんなところからピストンが見えるのか、これは新鮮は驚きであった。

 薪割り後、時間があったので、分解中のもう一台のチェンソー(136)のオイルポンプ部の清掃をして、最組み立てをた。各部を綺麗に掃除(写真1写真2写真3)して、さあ、再組み立てをしようと思って、気が付くとワッシャーがひとつ残っている、ハテ、これどこに入れるやつだったっけ。先日撮った写真を引っ張りだして見たところ、ああ、ここに入れるんだ。あれ?その上のニードルべアリング(この段階ではまだその名前を知らない)は何処だ?ニードルベアリングが無い!無い!今日は初めっから見ていない、前回仮組みをした際に入れ忘れたのだ、さんざん探しまわったけど無い、軽い部品だからあの日は風が強かったから吹き飛ばされたかなあ、こうなったらもっと広範囲を全部隊横並びで草の根分けても探さなければならないか、それでもなければ取り寄せるしかないか、と思いながらつらつら考えてみると、これが無くても、ガタツキもなくスプロケットがシャフトに収まっているなあ、何故だろう、そう思ってスプロケットを外してみたら、なんだ、ちゃんとスプロケットの穴に収まっているではないか、分解した時には穴から離れていたが、仮組みした時に、収まる場所に収まって今日外した時もその中にずっとあったのだ。こんな軽いゴムの周りに金属製の針金のようなものが等間隔に並んでいるけど、どんな役割をするのだろうと思っていた、そうか、この金属はベアリングなのか、針金状のベアリングだから、ニードルベアリングと言うのか、だからシャフトにハマっているんだ。ただ機械的に分解して再組み立てするだけで知ることも無かったかもしれない部品名、ドジのお陰でしっかりと覚えた。


 エアコンプレッサー(のエアガン)、油混じりのこびりついた汚れを落とすのにスバラシイ働きをする、これはスバラシイ、これだけで買った意味はあった。実際、これ以外の使い道は殆ど無いと思う。
 
 晩飯。カレーの残り。晩飯を作らなくていい日は本当に作業時間が取れる、普段は夕食の支度に買い出しもあるので3時ころには仕事を上がらなければ、その後の太郎の迎えながあるので間に合わなくなる、実質午後は二時間くらいしか作業ができない。今日のように作らなくてもいい日は、5時の太郎の迎えまでタップリと仕事ができる。 


平成27年 3月10日(火)

 今日は3月10日だなあ・・・

 曇りのち晴れ。午前中は横殴りの雪がふり、風が強かったからとにかく寒かった。防寒手袋をしていても指先がジンジンしびれた、体感的にはこの冬一番の寒さだったような気がする。昼ころから日が差し初めて、記録的にはそんなに高くなったのだが、それまでが寒かったので暖かいなあと感じるほどだった。

   最高気温     3.0℃(00:00)
   最低気温    -3.1℃(10:16)
   体感最低気温 -8.9℃(05:31)
 「3月10日13時32分、火災気象通報が発表されました。空気が乾燥し火災が発生しやすい気象状況となっていますので、火の取り扱いには十分ご注意ください。(阿蘇広域消防本部)」
 この火災気象通報というのがどうもしっくりこない。風は確かに強い、今日の空気も乾燥しているのだろう、湿度はこの時、57%だった、実効湿度は数日間の平均のようなものだろう、とても木材が火災が起きるほど乾燥しているようには思えない、薪材なんか全然乾燥なんかしていないぞ、昨日は雨、今日も午前中は雪がちらついていた、物皆濡れて乾いていない状況でどうしてこんな通報とやらがでるのだろう、いつも感じることだが、どうもこの火災気象通報とやら、生活実感にそぐわない気がして仕方がない。

 少し前に、AJY局の畑に薪材を貰いに行ったが、その畑に隣接するH田さんのお宅で桜の木を切ったからと上村さんから電話をもらっていたので昼から行ってみた。一抱えもある大きな桜の木で、もう寸法に玉切してあるはずだったが段取りの都合で未だのようだったので、チェンソーも持ってこなかったので、改めて出直すことにして、とりあえず、そのまま運べる分だけ持ち帰ってきた。
 
 夏子、今日は中学校の体験入学だそうで、いつものように登校後、坂梨小学校から一の宮中学校に行ったそうだ。一の宮中学校は旧一の宮町にある小学校から進む中学校になるので、坂梨小学校の他に、宮地小学校、古城小学校の子どもたちも一緒の体験入学だったそうだ。この日は保護者も自由に参加できることになっていたが、我が家はカミさんは仕事があるし、小生も行くこともあるまいと参加しなかった。そして午後5時に、中学校のグラウンドは現在小学校の統廃合がらみで工事中のために駐車スペースが無いので、隣接の市役所の駐車場まで迎えに行って、太郎と三人で一緒に帰ってきた。彼女にとっては色々と楽しい一日だったようだ。(写真1写真2写真3

 今日はカレーにするぞ。カツカレーが食べたい!そうか、じゃあ作るか、ということで、カレーを作って、カツを揚げて、カツカレーにした。娘曰く、カツカレーの時はジャガイモだとか人参だとか要らないんじゃないの?そうなのか?でもお父さんのカツカレーにはあるのだ!(写真1写真2


平成27年 3月 9日(月)

 野焼きの後はだいたい雨になる、今朝もいつから降り始めたのかわからないが弱い雨が降っており、午後に入って上がる方向に向かっていたがはっきりしない一日だった。
    最低気温 4.6℃(19:28)、最高気温 8.9℃(09:33)

 今日も終日PCの前で過ごす。そうだ、そうだ、昨日の掘り出し物のこと。
 
 それは中古のPCである、DELL OptiPlex 755。それと17インチモニター、キーボード、マウス、OSはWindowsXPproインストール済み。当初5,000円で出ていたものが、一時間もしないうちに3,500円になっていた。小生は二階の客席から見下ろしながら、インターネットで検索して、調べてみたところ、このPCにはCeloron430を積んでいて64bitOSに対応しているそうで、シングルコアながら、Windows7を入れた記事が載っていた、そして、このCPUのソケットはcore2duoも載せられるということがわかった。おうそうか、じゃあ、これは掘り出し物だなあ、でも誰か買う人がいれば無理に買うこともないなあと様子を見ていた所、結構何人も覗いてはいるものの、誰も買わない。そろそろ帰ろうかという時になって、せっかく来たのだから、じゃあ小生が、と買い受けてきた。こういった会場での中古市、素人なのでこのアバウトな値の付け方、安く買うことが出来る反面、高く買ってしまうこともある。
 
 現状で特に何もしないで使うのが一番とは思うが、このまま使ってもセキュリティの問題があるが、使い方では使える、ネットにつないでも思うほど危険ではない、もし、CPUを載せ替える場合には、メモリをあと最低1GB追加しなければならないが、それでもCPUとメモリ代合わせても大した金額にはならない。
 
 まあしばらくはこどもたちのDVDプレーヤーとして使うことにするか、とにかくいい買い物をした。
 
 今日は夏子、ピアノの日、アゼリは休み、自宅で風呂にはいるか?入らなくてもいい!衆議一決、じゃあ風呂はナシにしよう。晩飯は今晩も残り物の鍋、これは一昨日だったなあ、昨日は各全員外出で皆で家でロクに食事をしなかったのでほとんど残っていた、一昨日の鍋残りで済ませる。
 

平成27年 3月 8日(日)

 (阿蘇も)快晴(だったろう)。
     最低気温 -0.7℃ (06:12)、最高気温 15.1℃ (14:43)

 福岡県行橋市で開催の西日本ハムフェアに行ってきた。ここ数日体調が万全でないので、今年は行くのはやめようかと思っていたところに、MQY局からDIさんと一緒にいくけど、と電話をもらった。そうかじゃあ行くかということで、APRSの記録を取るために小生だけ軽トラックで、DI局はMQY局の車で、と昨年と同じ二台の陣立てで朝7時にDI局のお宅で落ち合って出かけた。外輪の上は道路も草も霜で真っ白で、昨日までの天気を考えると、今日の野焼きはムリだろうと思っているところにメールが入って「阿蘇山麓一帯・北山外輪山一帯・南阿蘇村吉田・白川地区の野焼きは予定通り実施するとのこと。えっ?大丈夫なのか、と思ったが、ハムフェアから戻って、外輪一帯が真っ黒になっているのをみて、ああ、無事に終わったんだなあとびっくりした。帰ってから風呂で聞いた話によると、午前中は全然燃えなかったけど昼から燃えたと言っていた、だから、例年だともう終わっていてもいい時間なのに、まだ空には野焼きの黒い煙が漂っていて、山肌の一部はまだチロチロと火が這い上っていたのだろう。途中聞いた話では、今日の野焼きには馬場豆札牧場は独自のスケジュールでやるために、今日は出動は無かったということである(まあ、野焼きについてはもう小生は参加しないからどうでもいいのだが、同じ日に村の行事があり、そちらには参加する)。どうして別ケジュールなのか全く知らないが、これは100%小生の想像だが、昨年は、コンディションが悪くて燃え残りが多く、後で大変だっそうだから、もっとコンディションのいい時を選んでやるのではないだろうか、違うかな。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 ハムフェア、去年より出店ブースが多いとのことであったが、なんとなく低調で来場者の数も去年より少なかったような気がする。今回は特に狙っていたものはなかったが、最後の最後でこれは掘り出し物だろうというものを手に入れてきた、明日詳細を書くことにする。(写真1写真2
 
 今日の阿蘇も相当気温が高かったようだが、下界はもう全くの春だった、阿蘇の厚着で行ってちょっと失敗したようだ。今年はメモを取らなかったが、300キロ以上走っているだろう、体調が完全でないのでさすがに疲れた、今晩もさっさと寝ることにする。


平成27年 3月 7日(土)

 曇り、時々細かな雨、今日も寒かったなあ。
最低気温 3.3℃ (02:52)、最高気温 7.2℃ (15:53)

 今日は一日PCの前にいた。インターネット、汲めども尽きせぬ知識、情報の宝庫だなあ。

 今日は子ども会のお別れ会が馬場公民館であった、夏子だけ出席させていただいた。
 
 どうも、風邪かなあ、この二三日頭が重くて痛い、鼻水も出る、熱はない、喉も痛くない、咳もない・・・今晩はとっとと寝てしまおう。

 晩飯、手っ取り早く、鍋にした(鶏、つみれ、豆腐、しらたき、白菜、ネギ、エノキ)。


平成27年 3月 6日(金)

 今日はほぼ終日細かな雨がふったりやんだり、しかも朝の家は小雪さえちらついていた。春先になっての寒さは本当に応えた、寒い一日だった。
     最低気温 2.0℃(06:54)、最高気温 3.6℃ (15:51)

 今日は保育園のお別れ遠足ということで、複式学級のために年長さんと年中さんが一緒にバスに乗って動植物園に出かけていった、その間、残された下のクラスの子たちが可哀想ということで、園の周囲を弁当を持って、ちゃんとした遠足の装備で散策をすることになっていたようだが、天気が悪かったので、それは中止になった、そして外歩きに代えて保育園の遊戯室で、先生たちが交通ルールを学ぶアスレチックコースを作ってくれて、飛んだりはねたりして過ごしたようだが、太郎が、帰ってきて、今までで一番楽しかったと興奮冷めやらぬ風には話してくれた、そして、お母さんが作ってくれたお弁当が美味しかったあと何度も感想を述べていた。子どもたちがガッカリしないように先生方色々工夫をしてくださったのだろう。

 今メンテナンスをやっているチェンソー、ハスクバーナの136という一番安いやつだが、もともとオイルが回らずに直接バーにオイルをかけて使っていた、これを直すには、スプロケットとクラッチが組み合わさった部品を外さなければならない、しかし、これはくるくる回って捉えどころがない、ネットで調べたら、プラグを抜いて、そのなかにスターターの紐を突っ込むと回転が固定されて、取り外すことが出来るとある、この投稿者は一体何を言っているのだ、別の場所の問題だろう、と思って、よくよく考えたら、クラッチが回るということはその先はピストンにつながっていて、それが上下するということか、それを隙間に物を詰めて動かないようにするということだなということがようやく分かった。このために、ピストンストッパーなる工具があるという、早速ホームセンターに買いに行ったが、もちろんそんな特殊な工具なんて売っていない。

 じゃあ、ネット注文かなと思ったが、こうなると矢も盾もたまらずやりたくてしょうがなくなって、紐を突っ込むなどあまり変なことをしない方がいいと書いてあったが、もともとこの方法は整備屋さんに教えてもらったとあったので、じゃあやってみるかとスターターの紐をプラグを抜いた穴に突っ込んでやっていみた。回す方の工具はディスクサンダーのロックナットを外す工具を使うと楽に外せるとあった、これは幸いに持っていたので、専用工具を全く用意しなくてもあっけ無く外すことが出来た。インターネットという道具、本当に便利で有難い、昔では考えられないほど色々な知恵を簡単に授けてくれる。

 ポンプピストンというのか、これを始め周囲が大分汚れてることがわかったので、後日綺麗に掃除するつもりで、今日のところはまた軽く組み立てておいた。ところでオイルポンプとういのは更にどこか深いところにあるのだろうか、これは師匠に改めて訊いてみよう。

 晩飯。豆ごはん、鶏すき、ワカメ酢の物、ジャガイモと玉ねぎの味噌汁



平成27年 3月 5日(木)

 美晴。
  最低気温 -1.1℃ (07:34)、最高気温 10.8℃ (15:38)

 風がない分、表示温度よりもうんと暖かく感じた、一気に春が進むだろう。風がないので噴煙もほぼまっすぐに上がって、お昼のニュースで一時阿蘇山の上空1,000mくらい(だったかな)噴煙が上がったと伝えていた、まっすぐ上がってもやがて高森方面に流れるらしく、放送で注意を喚起していたが普段から高森方向には流れているので何も噴煙が高く上がったからと言って改めて注意情報をださなくても良さそうなものである。夕方、空を見上げるとこちら方向に噴煙が流れていたがすぐに変わって、何事もなかった。(写真1写真2

 こんないい天気に、薪作りでもすればいいものを、チェンソーのキャブレターの分解をした。今使っているやつでなくて、もう壊れたと思って使っていなかったやつだ。ろくに下調べもせずに、ネット検索などで仕入れた知識をもとにネジを外していって、ようやくキャブレター本体を分離することに成功した。群馬大学病院よりは手際が良かったと思う。
 
 普通のプラス、マイナスネジの他に六角レンチ用のネジ、はたまたトルクスのネジまでどうして一台の機械に幾通りも種類の違うネジを使うのだろう、トルクスについてはその昔、ヒューレット・パッカードのハンドヘルドPCを分解する必要に迫られてその時にこういったネジもあるということを知ったのだ。このチェンソー、4箇所止めるネジのうち1本だけ他のネジとサイズが違っている箇所が、本体のカバー以外に、キャブレターの、(どちら側だったろう、ダイヤフラム側だったろうか、反対側だったろうか、)4隅を止めてあるネジの一本だけ少しサイズが違うネジが使ってある、これは嫌がらせかと思うほどである、有名メーカーだが標準化という点では日本に劣るのではないかと思ってしまう、ネジは統一すればいいのに。

 分解手順を忘れないように、要所要所をデジカメで記録したつもりが、肝心のところを撮り忘れている箇所が何箇所もあった。細い燃料チューブの取り回しが分からずにちょっと苦労した。狭いところを這わせるのでそういったところも要チェックである。最終的にキャブレターを全分解するにはもう少しやらなければならないところまで分解した、残っているところはスプリングや小さな弁などがあるところだと思う、今日は一応ここまでにしておこうと、クリーナーで磨いて、再組み立てをした。ちょっと戸惑うところもあるが、こういった精密部品、手順で少しでもオカシイとピシャリと決まらないので、その点やりやすい。全部組み立て終わって、エンジンを掛けたところ、見事に掛かった。ただ、HとLは触るなとあるから触らなかったが、吹かしている間は快調だが、スロットルを離すとすぐに止まる、燃料の供給がうまく行っていないようだ、スロー調整もやったけど、分解するときにダイヤフラムでもきずつけたか。また、このチェンソーはオイルの出方が少ないので、ここを診なければならないが、このオイルポンプは恐らくスプロケットをはずさなければならないのだろう、空回りして外すのが難しそうだが、ネットに方法があったようななかったような。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8) (備忘録用に何枚もキャブレターの写真を撮ったがほとんどピンぼけだった。)

 まあ、一度やれば度胸が付く、今日は及び腰でやったが、だいたい要領がつかめた、今度はもっと大胆にそして繊細にやることにする、勿論エアコンプレッサーは大活躍をした。

 風呂に行く車の中で、太郎とお姉ちゃんが、さかんに、らっすんごれらい、らっすんごれらい・・・と非常にリズミカルに音頭を取って何か言っている。何だそりゃあ、訊いてみるとテレビでやっている「お笑い」らしい。おまえたちテレビを見ないのにどうして知ってるんだ?学校で男子たちがやっていて面白くて覚えた、それでDSでyoutube見て覚えた。太郎は?・・お姉ちゃんから教えてもらった。へえ、そうか、とネットで検索したら、あった、あった、今の流行りか、リズミカルで確かにオモシロイ。オモシロイね、というと、お父さん、もうこれだいぶん前よ、もう古いんじゃないのと言われた、ちょと待って、ちょっと待ってお兄さん・・・・。そのほか、最近覚えたもの、「妖怪体操」、これもオモシロイ。

 ボンのエサを買いに行った際、いつも買っている棚に10歳以上用というのがあった、考えてみたらボンはもう13,4才だからもう十分に老犬である。飼い主に似て全く年を感じさせないので普通のエサを与えているが、まあ物は試しとばかりに今回はこの高齢犬用のエサを買ってきた

 晩飯。ロールキャベツ。



平成27年 3月 4日(水)

 晴れ。但し、風が強くて冷たかった。
    最低気温 1.2℃ (但し 21:30現在、尚降下中)、最高気温 6.4℃ (14:48)

 今日の阿蘇中岳の噴煙は南東方向に流れていたが、噴煙の黒い、白い、多分に光線の具合にもよるのだろう。今日は白い煙を沢山吹いているように見えた。
 
 エアコンプレッサーを買った。刈払い機やチェンソーなどを整備するときに、エアーがあると非常に楽で、前々から欲しいとは思っていたが、どの程度のものを買えばいいのかよく分からずに、買わずじまいでいたが、今回チェンソーの本格整備(の勉強)をするにあたって、やはりあったほうがいいなと、思い切って買った。まあ思い切ってというほど見かけに比べて高価なものでなはい、これで「風師庵」製作所の設備も「一段と」充実してきた。このコンプレッサーの性能、欲を言えばキリが無いが、道楽で使うにはタンク容量も30リットルあるので十分である。

 SK11 エアーコンプレッサー SR-102 SR-L30MPT-01   ¥ 16,746
 E-Value ウレタンエアーホース 10m クリアレッド EUH-10R ¥ 1,816
 E-Value 2WAYエアーダスター EAD-501ALB         ¥ 1,286
 SK11 エアチャックガン グリップ ATG-001           ¥ 1,486
              合     計               \ 21,344

 夏子、プール教室。

 晩飯。刺し身(ブリ、マグロ)とイカ刺し、出汁巻き玉子、モヤシと油揚げのゴマ和え、豆腐とナメコの味噌汁。刺し身を買うときにいつもイカ刺しも買って、玉子の黄身と和えて出してやると、子どもたちは先ずこれを一番に食べるほど好きである、太郎はもっと頂戴と小生の分にまで手を出すほどである。


平成27年 3月 3日(火)

 曇のち雨
    最低気温 -0.5℃ (02:14)、最高気温 8.3℃ (16:22)

 我が家の梅干用の梅の木に二三輪花をつけた、開花宣言である。

 朝起きて窓の外を見ると空が真っ黒になっている、あっ、噴煙!今日はこちら側か?と外に出てみると、車が薄っすら黒く灰をかぶっている、こりゃあ今日は大変だなあと思っていたら、それも9時過ぎには収まった、朝ホースでヨナを洗い流した後は積もらなかった、一時はどうなるかと心配だったが見えた風景ほどではなかった。電波の電界強度は距離の二乗に反比例するがヨナの降り方もそうかも知れないと以前書いたが、あながち外れてはいないという気がしてくる。(写真1写真2写真3写真4写真5
 
 ここのところずっと白い煙だったが今朝の煙は黒かった。以前、現在、阿蘇中岳には火口に二つの大きな火孔が開いていて、写真を見ると一つは白っぽい噴煙、もう一つは黒っぽい噴煙だった。白い方は火道が完成したもので、黒っぽいものは今なお火道の内壁を削りながら噴火しているからだという話があったが、今日はその火道を作っている方の噴火だったのだろうか。毎日、ラジオ放送で、相変わらず活発な噴火をしていると気象台の発表を伝えているが、風向きなどの関係でここから見る限り収束方向にあるように見えるのは間違いなのだろうか。
 
 今日は交通指導の日、今日が小生の最後の立ち番である、6年間、保護者の皆さんと交代で子どもたちの登校を見守ってきた、将来、太郎の時には新しい小学校になっているので、もう、二度とこの場に立つことはない。いわば今日は小生の卒業式である、記念に親子三人の写真を登校班の直樹君に頼んで撮ってもらった。

 昨日、旧URLを呼ぶとどうなるだろうか、相変わらず小生が作った引越案内が出るのだろうかと思ったら、全く案内もなく瞬時に新しいURLに飛んだ。知らない人には移転したということすら分からないまま一瞬のうちに新しいURLに行く、これは一見良いようで、実は良くない、このまま未来永劫、リダイレクトしてくれるのであればいいが、URLを変更しないままにしておくと、一年経ったら突然リンク切れになるのだから、移転案内を表示するという、ワンクッションを置いて新しいURLを表示させるべきだろう。試しにFTPで旧サイトにつなごうとしてももうつながらなかった。

 2019年のラグビーのワールドカップの会場の一つに熊本の「うまかなよかなスタジアム」が決まった、これは喜ばしい話だ、これを機会にラグビーがもっとメジャーになればいい。この「うまかなよかなスタジアム」、ヘンな名前だなあと全国の人は思うだろう。正式には「熊本県民総合運動公園陸上競技場」(KKWING)というが、その昔、国体があった際に主会場として整備された競技場である。このヘンな名前は、近年流行りの命名権を買った山田青果卸売市場という会社のブランド名なのである。熊本弁の「美味かなあ(おいしいねえ)」、「良かなあ(いいねえ)」と「美味果菜(うまかな)、良果菜(よかな)」をかけた言葉である。

 晩飯。豚肉の味噌漬け、ポテトのベーコン巻き、ワカメの酢の物、豆腐とニラの味噌汁。デザートに桜餅とひな祭りに因んだ和菓子。ちらし寿司でも作ろうかと思ったが、ふたりとも今日は給食で出ているのでやめた。



平成27年 3月 2日(月)

 久しぶりに気持ちのいい日だった。
     最低気温 0.7℃ (06:29)、最高気温 10.3℃ (14:15)

 チェンソーの不調、エアフィルターがメチャクチャ汚れている、油でドロドロ、拭いても取れない、これも原因の一つだろうと、フィルターを交換した。確かにこれでかなりの部分が回復した、エアーが足りなかったこともパワー不足の原因の一つだったのだろう。
 
 今使っているチェンソーを買うときに、動かなくなったチェンソーがあるのだがと、農機具屋に言った所、じゃあ診てみましょうということで診てもらったところ、後日これはもうダメですねということで戻ってきたチェンソーが物置の片隅に転がっていた。今回、キャブレターの勉強に、現用を分解して動かなくなったら大変なので、この壊れているやつを分解してみようと、せっかくの晴天、薪割り日和なのに色気を出して、やり始めてしまった。
 
 最組み立ての際にわからなくならないようにポイントポイントを写真に収めながら分解を始めた。キャブレターを取り外すには、これと、これと、これと、このナットは外すのだろうな、それ以外どれだろう、とそこで止まってしまった。いずれにしても6mmのナットをは外すレンチがない、モンキーだとナメそうなので今日のところはここで止めておいた。そして、ついでだから、キャブレタークリーナーを吹きかけて、試しに燃料を入れてリコイルを何度か引っ張ってい見たら、なんだ、掛かるではないか。あの修理屋は本当に見たのか?(阿蘇市ではない、阿蘇郡内のある農機具屋である)、これは分解掃除のやりがいがあるなと、嬉しくなった、ダメだろうと思い込んでいた大きな理由に、チェンソーオイルが回らなくて、長い間使っていたのでどこか焼き付いたのではと思い込んでいたからである。とにかく今日のところは快調に回っていた。(写真1写真2写真3
 
 このチェンソーは今のチェンソーと全く同じモデルではないが、ほとんど同じである、それにあと、もう一台、それから電動のチェンソーが一台ある、惜しむらくはエンジンのチェンソーは皆バーの長さが同じ、一番安いチェンソーばかりで、太い木が切れないことである(電動のやつはもっと短い)。チェンソーの値段はピンからキリまであって、小生のような安価なやつから、十万二十万、それ以上するるやつと上を見たらキリがない。
 
 余計なことをしたために、薪を割る時間がなくなって、少しだけ切っておいた
 
 夏子、ピアノ、その帰りに三人で風呂に行く。
 
 晩飯。チキン南蛮を揚げた。コーンポタージュスープ、レタスサラダ、りんご。準備をしておいたが夕食が8時半過ぎになってしまった。


平成27年 3月 1日(日)

 終日降ったりやんだりのはっきりしない日だった。
    最低気温 4.6℃(但し17:53現在、尚降下中)、最高気温 8.7℃(07:57)

 確かに2月は言うようにあっという間に「逃げた」、今日からいよいよ3月、身辺何かと忙しくなりそうだ。

 OCNのレンタルサーバーの「PAGE ON」 、2月いっぱいでサービス停止ということで慌てて引越をしたが、月が改まって、さてどうなっているかと、旧「風の便り」http://www33.ocn.ne.jp/~kazashi/を開いてみたら、なんのことはない、相変わらず自作の引越案内が出てきた、本来ならこれに替わってOCN側で用意した移転通知が表示されるはずだったのだが。結局、引越が間に合わない人が大勢いるので5月まで猶予期間を設けたとある、どうせこんなことだろうとは思っていたが、ホームページを作りっぱなしにして放置してある数は恐らく膨大だろう、作った事自体を忘れている人もたくさんいるだろう、いつかは一気に閉鎖しないといつまで経ってもキリがないだろう。

  阿蘇中岳の噴火、火山灰が季節的(風向き)にずっと南阿蘇方面に降り続いている、と思うが、こちらからは山向こうに行かない限りその猛威が分からない。南阿蘇(南郷谷)で情報発信をしているサイトもあると思うがあまり降灰(ヨナ)の様子が載っていない。こういったものはあまり知られたくないということなのだろうか、分からないではないが、情報がないと実際よりヒドイと思われかも知れない。小生が向こう側でサイト運営をしているなら、もっと積極的に降灰の様子をライブカメラなり写真で情報発信をするのだが。
 
 昨日、熊本の百貨店が一つ閉店した。「県民百貨店」、変な名前である、この名前になるまでに何度か改名している。出資者がかわっているのである、42年前に岩田屋伊勢丹ショッピングセンターとしてオープン、その後、くまもと阪神百貨店になり、今の県民百貨店になったと思う、「県民」と言う名からするといわゆるデパート資本ではない地域の百貨店を存続しようという地元の資本が入っていたのだろうか、市の中心地から少し離れていてもともとデパートなんか行かない小生なんか、二三度しか行ったことがない。小生、熊本育ちではないので特に感慨は無いが、地元の人はやはり寂しい思いをしていることだろう。

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