風師庵日記目次へ

平成27乙未(2015)年 4月の記録(新しい日付けの順)


平成27年 4月30日(木)

 基本的には曇り空の一日、時々細かな雨が降った。もう一年の四分の一が終わった。
    最低気温 15.2℃ (20:17)、最高気温19.4℃ (13:15)

 今日の阿蘇中岳(写真1写真2)、ここから見ると相変わらず乙姫から赤水方面に流れているようにみえる。連日結構な量の噴煙を噴いている、冬の頃とちょうど180℃反対側に流れているが、もしかしたら、こちら側から見えなかっただけで同じような量がずっと高森方向に降っていたのだろうか。
 
 娘の初めての授業参観、保護者懇談会、カミさんが仕事を休んで出席した。 
 
 今日は畑仕事も出来ず、ハチも今日のような天気では分蜂も出来ずで、小生もまた何もせずだった。昨日の探索ばち騒ぎ、どうやら最終審査に落ちた模様である、次回を期待しようか。

 ところで、分蜂の際の空が真っ黒になるほどのハチの乱舞は何度か経験したが、新しい巣として移動してくるときはどういう風景になるのだろうか、やはり空が真っ黒になるほど乱舞して、次々に新しい巣に入っていくのだろうか、あるい少しずつ小さな班に分かれてやってくるのだろうか、是非とも一度目撃したいものである。


平成27年 4月29日(水)  昭和の日

 晴れ。少し湿度が高くてちょっと蒸し気味だった、天気が下り坂とのこと。
  最低気温 13.0℃ (03:14)、最高気温 23.1℃ (12:22)
  
 今日も、阿蘇中岳、盛んに真っ黒な噴煙を上げていた、昨日と同じように赤水や乙姫方面に流れていたが、午後から少しこちら方向に流れが変わってきた。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 峨々たる高岳鷲ヶ峰・虎ヶ峰(写真1写真2写真3
  

 ジャガイモの芽がポツリポツリと出始めた。メイクイーンよりも男爵の芽の方が早く出るようである。火山灰、ここでも降っていないようで降っているのだ、ジャガイモを植えたのが4/18だったので、それ以来、約10日の間にマルチがヨナで薄っすらと白くなっていた
 
 表側の畑、つるもののネット、去年のママで使おうと思ったが、エイッ、やり直そうと、朝からネットの骨組みを分解せずに組んだままま畑から抜いて一旦横移動して、畑を鋤いて、 畝を立てマルチを被せて、 ネットを元の位置に戻した
 
 来ました、来ました、苦節十年、そんなに経っていないか、やっと来ました、ニホンミツバチがやって来ました。と言っても本格的に巣を作ったわけではないのである。今日のような湿度が高くてドンヨリとして夕方辺りから雨になりそうな雰囲気の時、分蜂がありそうだなあと、畑仕事のついでにハチウトに目をやると、ん!ハチだ!オッ!一匹だけじゃないなあ、数匹が巣を出たり入ったり、ウトの周囲を飛び回って色々とチェックをしているようだ、これは探索ばちだな。これでヨシとなったら、民族大移動が始まるのだろうが、探索は幾方向にも行われていてその中で一番適した場所を新しい巣に決めるそうである。そう、今日は単に探索ばちがやてきたというだけであるが、それでも随分と久しぶりにハチウトを出入りするミツバチを見た。(動画mp4 約6MB)
 
 今回の探索ばちがチェックをしたハチウトは例のハチルアーを取り付けた、「聖地」のハチウト、一丁目一番地の丸胴のハチウトだ、しかしハチルアーには一顧だにしていない、果たしてハチルアーは効果があったのか、あったからやってきたのか、どうも分からない、ちょっとはしゃぎ過ぎた、是非やってきてほしいものである、と昼過ぎの日記の下書きに書いておいたところ。
 
 そのハチたち、昼過ぎには姿が見えなくなったので任務終了で巣に戻ったのかなと思っていたら、夕方近くになってまだ二三匹が時々巣の周りを舞ってはまた巣の中に入っていく。探索バチは泊りの居残りをする任務もあるのだろうか、あるいはこのハチたちははぐれバチだろうか、まあ、一日二日したら分かることだ。
 
 小学校のニホンミツバチはどんな様子だろうかと、午後、プラタナスの根元に行ってみた。ここももう巣の中は分蜂に向けて超満員なのだろう、沢山のハチが外に出ていた、そして、チラホラと黒い雄蜂の姿も見える、この巣からもまもなく分蜂だろう、ここから分蜂したハチが我が家に来るということはあるまいが、なんとなく因縁めいたものを感じるのだが。

 ジャガイモの芽が出てハチがやって来て、「昭和の日」バンザイ三唱である。



平成27年 4月28日(火)

 天気は基本的には曇りで、時々ポツリポツリと降ってきて、あ、ちょっと傘無しだと濡れるなあという時もあったが、雨量計には全く記録が残る雨量にはならなかったようだ。どうも明日からの連休の天気予報はあまり芳しくなさそうである。
  最低気温 11.3℃ (01:25)、最高気温 18.3℃ (10:06)

 ここでは、田起こしも始まり、そろそろ田植えのシーズンを迎えている、そして、阿蘇の特産品のトマトもちょうど苗の植え付けのシーズンで、まだ大半のハウスでは定植まではいっていないようだが、太郎のクラスメートのトマト農家の詩音ちゃんのお宅ではもう定植が終わったそうで、詩音ちゃんのお父さんから、余った苗をあげますよと言っていただいたので、今朝、早速頂戴に上がった
 
 そろそろ花が咲き始めるころだとのことだったので、昼前の一時間ばかり、ハウスに畝を立ててマルチを被せておいた。家庭菜園用のハウスは小さくて天井が低いので、ビニールを張ってから支柱を立てると天井が邪魔になって立てることができなくなるので、支柱を立てて定植をしてから最後にビニールを張ることにしている。トマトは雨を嫌うがそれはもっと先のことなので、青天井のほうが雨天の場合そのまま水やりをすることになるので、ゆっくりビニールを張ることにする。

 昨日は小生、今日は娘の副鼻腔炎の病院行き、昨日一緒に済ませたら良かったのに、娘の学校の都合で、今日また出かけることになった。普段は「定時」が午後4時だか、4時半くらいで、それから部活が始まるが、今は家庭訪問週間で、一時半ころ授業が終わるということだったので、部活を休ませて、病院行きにした。

 病院に行く途中、ちょっと寄り道をして、山田保育園に行った。坂梨保育園で夏子も太郎も随分とお世話になった京子先生、なつみ先生のお二人が、この春、めでたくも園長先生と副園長先生になられたので一言お祝いを申し上げに寄ったのだ。
 
 生憎、なつみ先生はお住まいの区役の関係で午後からお帰りになったとのことだったので、本当はお二人と夏子と一緒のところを写真に撮りたかったのだが、園長先生だけで撮らせていただいた。何故三人一緒の写真にこだわるかというと、H18/1/8の日記にあるが、夏子が保育園でドアに指を挟んで軽い骨折をした際に、心配してお二人にお訪ねいただいた時の写真と比較したかったからである。

 と、話はそこで終わるところ、病院が終わって、晩飯の材料を買うために、えびすぱーな(スーパーマーケット)に寄って車を止めたところ、ちょうど隣に停まった車から、その区役の食材の買い出しのなつみ先生とばったり、世のなかこんなこともあるのである。
 
 ということで、三人一緒の写真は撮れなかったものの、二枚の写真で約10年という時の流れを確認した。
 
 本日の阿蘇中岳、今日は乙姫から赤水方面にずっと黒い噴煙が流れていた。一旦落ち着いたように見えた噴火、また新しい活動が始まったのだろうか
  
 晩飯は昨日作ったカレーにトンカツを揚げてカツカレー、それとイチゴ。



平成27年 4月27日(月)

 晴れ。昨日よりは最高気温は高くなかったが昨日より暑くて、午後になって、ようやく、ヒートテックと言ったか、ずっと冬中着用していた保温効果の高い冬用の下着の上下を脱いだ。
      最低気温 6.7℃ (05:55)、最高気温 24.5℃ (14:52)

 太郎を保育園に送ってその足で阿蘇温泉病院に副鼻腔炎の定期受診に行った。待ち時間を利用して外来病棟と道路を挟んだ反対側にある緩和ケア病棟の「桃花水」に和尚を訪ねた。

 病室は、三階の、あれは北山レストランだろうか、外輪山上の建物が真正面に見える内牧温泉方向が開けた気持ちのいい個室で、和尚の様子、目に力が感じられ、顔色もよく、食欲もあるということで、場違いな言葉であることは百も承知ながら「意気軒昂」ということばが相応しいほどお元気に見えたが、やはりあちらこちらが駄目になってねえということだった、ただただ少しでも長く元気でいて欲しいと思うばかりだ。暫くの間、いろいろと坂梨の歴史について小生の知らないことを沢山聞いてきた。

 来ぬならば来るまで待とうなんとやら、ひたすら敷地内に置いたハチウトにハチが来るのを待つ一方で、来ぬならば迎えに行こうなんとやら。もう娘は在校生ではないので、ケジメはちゃんとつけんとと校長先生にしっかりと仁義を切って設置許可をもらって午後から小学校のプラタナスの脇に巣箱を運んで、ハチルアーも貼り付けた。(写真1写真2写真3
 
 夕方太郎を迎えに行って、どうだろう、とハチウトの様子を見に行ったが、沢山のハチが出入りをしているのに全く見向きもしない、あのハチルアー、ちゃんと溶剤が塗ってあるのか、塗ってないやつを送ってきたのじゃないのかと疑いたくもなる。

 今日は中岳噴煙は昨日ほどではなかったが、夕方になって、また山肌を坂梨方面に下っているのが見えた。冬の間は西高東低で風はこちらが分から向こうがに吹くが、これからは南高北低、風は向こう側からこちら側に向かって吹く。幸いに今のところ、ここまでは飛んでこない。

 晩飯。カレー、ホタテとカニのほぐし身入りの大根サラダ、キウイフルーツ。

 夏子ピアノ教室。アゼリア全館休館日、子どもたち久しぶりに家の風呂に入る、小生はめんどくさいのでパス。


平成27年 4月26日(日)

 今日も快晴だった。朝、昨日耕した畑が霜で白くなっていた、驚いて記録を見ると最低気温が2.2℃まで下がっていた。ここのところずっと天気が良いので、安心して翌日の予報を見ていなかったが霜注意報は出ていたのだろうか。そして日中は逆に気温がどんどん上がりとうとう夏日になった、しかし湿度が低かったので畑仕事をしていたが暑さは全く感じなかった。
   最低気温 2.2℃ (05:56)、最高気温 25.1℃ (14:15)

 ジャガイモなどは少々の霜でも大丈夫だが、去年、ちょうど今頃、ナスを植えたばかりのところ霜が降りて全滅したと「なごみ野」のオヤジが風呂で言っていた。そういえば毎年今頃、ホームセンターでは駐車場をつぶして色々な野菜類の苗を売っているはずだが、今日行った時に気がついて見回したところ出ていなかった。もうちょっとしてから出るのだろうか、連休の頃から売り始めるのだろうか、もしかして、もしかして小生らしくもなくいつもより早く畑仕事をしているのだろうか。
 
 そんなわけで、今日は裏の畑の、先日ジャガイモとサトイモを植えて余っている畑を耕して、畝を立てた。全部で6列、先日、ジャガイモを植えた時には植える時期が遅くて、雨続きで、雨の合間を狙って切羽詰まってやったので、一日で5列の畝を立てて、更にジャガイモまで植えたのに、今日は急ぐ旅じゃなし、ゆっくりやったので、6列の畝を立てるだけで一日掛かってしまった。紫外線が強かったのだろう、風呂で見ると顔が焼けて真っ赤になっていた。
 
 さて、今日立てた畝に何を植えようか、それは全く考えてない、ホームセンターで目についたものを手当たり次第に植えるか、それでも営農するわけでないの、大部分が結局何も植えないで終わってしまうかもしれない。まだ前の畑が丸々残っているので、こちらには直ぐに取りに行けるような野菜を植えることになるかなあ。

 阿蘇中岳、今日は終日、真っ黒な噴煙を上げていた。また新しい火孔が作られているのだろうか
  (写真1写真2写真3
 
 夕方にはまたこちら側の山肌を噴煙が下っているのが見えた。
  (写真1写真2


平成27年 4月25日(土)

 晴れ。
   最低気温 6.3℃ (06:18)、最高気温 21.7℃ (12:05)

 家事から開放されて、畑仕事、表と裏の畑を耕やしたり、畦切りをしたり。トマトハウスは、本当は連作を嫌うので場所を変えた方がいいが、今年は同じ場所でそのまま使おう。トマト農家では簡単にハウスを移動できないので相当ハードな土壌の消毒を行う。つるもののネットは、これは同じ場所でいいだろう
 
 南米チリの大噴火があったばかりだが、昨日、桜島でも大噴火があったようだ、もう慣れっこになっているのだろうが、これも大きな噴火だった、同じ昨日、阿蘇中岳でも噴煙が高く上がったと報じてた。普通なら気がついたのだろうが、ちょうど健康推進員の委嘱状の交付式をやっていたので知らなかった。この噴煙が高く上がったから大きな噴火というのもちょっとおかしい、風が無いからまっすぐ上がったのだろう、風が強い日にはこれに相当する大きさの噴火はいくつも起きているはずだ。
 
 ハチが来ないなあ、ミツバチだけでなくて他のハチの姿も全く見ない、それどころか、ハエさえ今年は少ない。いつもちょっと気温が上がると何処から来るのかと思うほど、窓をちょっと開けると直ぐに入ってくるくらいなのに、今年はそのハエの姿も殆ど無い、この現象を何とする。


平成27年 4月24日(金)

 安定した晴れが続いている、風もなく、中岳の噴煙、朝のうちはちょっと流れていたが、終日、ほとんどまっすぐに噴煙が上がっていた。
     最低気温 5.2℃ (05:58)、最高気温 21.6℃ (13:35) 

 中学生と小学生、ほとんど同じくらいの時間に登校していく、距離もほとんど同じだ。
 いきなり夕方の記録に飛ぶが、天気が良かったので太郎も保育園でしっかり外遊びに熱中していた。(写真1写真2写真3
 
 今日も全く蜂の姿が見えず、阿蘇にはは違いなくなったのかと思うくらいだが、居るところにはしっかりと居る

 敷地内の藤の花が咲き始めた、藤の花というのは、辺り構わずという点ではまるで雑草のようにどんどんはびこってきて思わぬところに花を咲かせている、そういう植物なのだろうか。

 夏子が、パン屋がやっているポイントを集めて、皿を貰えるというキャンペーンにはまって、規定の点数になったので皿をもらってきてくれというので、小生が店に行って皿をもらってきた。そのためにここのところずっとおやつは菓子パン系のものばかりだった、もちろん小生が買わされた。。

 阿蘇市の健康推進員の委嘱状の交付式が内牧の農村環境改善センターで行われた。阿蘇市の行政区ごとに推進員がおり、総勢で約100名が今日の式に臨んだ。阿蘇市は他の地域に比べて生活習慣病患者が多く、それによって市の医療財政を相当圧迫しているために、市では私民に対して常日頃お生活習慣病の予防や健康づくりの啓蒙のためにこのようは仕組みを作って医療財政の改善に取り組んでいる。小生は前回に引き続いて今回も豆札区の推進員になった、任期は二年である、村で健康でブラブラしているのはおまえくらいだから、やれ!ということだろう。(写真1写真2写真3

 今日の夕食、またもやタケノコづくし。タケノコご飯、土佐煮、若竹汁、それからタケノコの天ぷら、タケノコの胡麻油炒め。寺さんがタケノコの先っちょ、穂先のよりさらに上の部位、姫皮と言うそうだが、その部分を胡麻油で炒めると酒の肴に美味いと言っていたのを思い出して、ちょっと作っていみた。ただどういう味付けなのか訊かなかったので、醤油とミリンで薄く味をつけてみたが、こうだかどうだか知らないが、確かに酒の肴に向いていると感じたが、茹でたてのタケノコは何も付けなくてもそれだけで美味しい。(写真

 タケノコばかりだと太郎があまり喜ばないので、タケノコ天ぷらのついでに、エビ、ジャガイモ、かぼちゃ、アスパラ、ナスの天ぷらも揚げてやった。ちょっと揚げればいいものを、沢山揚げ過ぎたのでまるでパーティのような食卓になってしまった。
 
 今日の感想。あまりタケノコばかりだと、何が何だかよくわからなくなってしまう、やはり一種類か二種類をじっくり味わった方がいい、タケノコご飯が一番美味い。



平成27年 4月23日(木)

 晴れ。
   最低気温 05.1℃ (05:48)、最高気温 23.3℃ (14:20)

 阿蘇中岳、朝のうち、噴煙はゆるやかに上に向かって昇っていたが、夕方ふと目をやると、こちら側に下っているのが見えた
そんななか、南米チリのカルブコ火山が大噴火をした、同じ噴火ででもこうしてみるとスケールが全然違う。これを動画で見るともっと凄い、まるでこの世の終わりのような映像である。(噴火の動画mp4・・4.612KB

 今日は夏子の中学校の家庭訪問だった。一日に7人だったか8人だったかの生徒の家を訪問されるそうで、一軒あたり15分見当の時間割だったろうか。小生の子供の頃の記憶では、家庭訪問というのは先生と保護者の「差しの会見」で、子供は関係がなく、その間は外で遊んでいたような記憶があるが、現在は、小学校の時もそうだったが、親子で先生と「対峙」するようである、小生の子供の頃も今と同じようなスタイルだったのを小生が逃げ回っていたのだろうか、どうももう大昔のことなので全く覚えていない。
 
 今日もミツバチは全く見なかった。ルアーを取り付けたからといって100%来るという保証があるものでもないし、来たからといってそれが巣に入ってくれるかどうか、これも全くアテにならないものなのである。そもそも今年は今の時期、花々の周りに蜂の姿が全然見えないのだ。小学校のプラタナスのハチは非常に元気に出入りしている、太郎の送り迎えの時に、雄蜂の黒い巣蓋が外に落ちていないかどうか注意深く観察をして、なんとなくそういった雰囲気ができてきたら、巣箱を近くに運んでルアーを貼っておこうかとも考えている。
 
 晩飯。豚肉のムニエル、ジャガイモの素揚げ、コーン、レタスサラダ、豆腐と油揚げの味噌汁、フルーツゼリー



平成27年 4月22日(水)

 晴れ。
  最低気温 6.7℃ (03:18)、最高気温19.4℃ (14:37)

 10時ころハチルアーをハチウトに貼り付けた、ニ個あるがとりあえず一個だけ付けた。どのウトにしようかと迷ったが、数年前に我が家で初めてミツバチが入ったじっちゃいが持ってきてくれた丸胴、なんといってもこれが「聖地」だ。近くにウトがいくつかあればどれか一つに付けておけば良いとあったような記憶があるし。そんなわけで、取り付けた後、何度か様子を見に行ったけどそうそう簡単には来てくれない。だいいち今日はちょっと風があって匂いが拡散されて、ただでさえ少ないハチが気が付かないだろう。今日は晴れたけど空気がまだ冷たい、なんとなく分蜂が起きそうな悩ましい気温になっていない。

 明日、娘の家庭訪問があるので、あまりに汚い小生の「城」、ちょっと片付けたけど、あまりにひどくて手に負えない。まあ、今更じたばたしてもしょうがないだろう。
 
 2mメインで誰かが、6mでEスポが出てるぞと叫んでいたので、ワッチしたところ、ssbで短時間だけ聞こてていたが直ぐにフェードアウトした、今シーズン初めてのEスポだと言っていたがそうだろうか。
 
 夏子、プール教室。
 
 晩飯・・・・・・麻婆豆腐、水餃子、杏仁豆腐


平成27年 4月21日(火)

 ようやく天気が安定してきたようだ。天気予報もこの先、雨マークは無い。
   最低気温 8.9℃ (05:59)、最高気温 20.1℃ (16:32)
 
 そろそろニホンミツバチの分蜂の時期だろう、今日急いで残っていたハチウト、五基の掃除をした(写真1写真2)。ついでに主にハチウトを中心として今年はじめて刈払い機を動かして草刈りをした。

 全部で七基(丸いウトが二基、重箱が五基・・・写真1写真2写真3))あるが、明日から、ミツバチルアーをぶらさげることにしようか。ミツバチルアーとは、ミツバチの誘引剤のことである。ニホンミツバチはキンリョウヘンという蘭に集まる習性があって、そのキンリョウヘンの持つ誘引成分を科学的に合成したものらしい。

 今日はハチウトの整備をしながら、タケノコを掘って知人に届けたり、今晩の夕食用に掘って茹でたり、保存用に掘って茹でたりした。
 タケノコは皮を付けたまま茹でたほうが風味が抜けないということは婆様から聞いていた。頭の方を半分ほど縦に包丁を入れておくと火の通り良いということも昔聞いたような気がする。タケノコを茹でるのは面倒なようだが、ちょっと時間がかかるが火にかけておきさえすれば間違いなくできるので極めて楽である。茹でて冷凍しておけばいつでもすぐに使える、和食、中華色々使い途があって美味しくて便利な食材である、今まではこんなに熱心にやったことは無かったが、今年はなんだか急に一生懸命にやっている。
 
 というわけで、夕食はタケノコづくしである。
 
 タケノコご飯、土佐煮、若竹汁。それからイカ刺し、カツオの刺し身(今日はタタキでなくて刺し身である)。娘が、美味しい!美味しい!お父さんレストランやればいいのに、とホメオ殺しのお世辞を言っていたが、我ながら美味いと思った。太郎は、嫌いではないが、和食の「味」が今ひとつ理解できないようである。デザートにイチゴミルク。野いちごのような小さなイチゴが山ほど安く売っていたので、最初からイチゴミルクにしておいた。
 
 夏子、部活が終わって7時前に帰ってきたので食事を先にしてから風呂に行った。今後は晩飯が先という順序になるだろう。


平成27年 4月20日(月)

 今日も、降ったりやんだりの一日だった、ただ、昨日の予報では相当の大雨が降るということだったが、そういうことからすると殆ど降らなかった。
   最低気温 11.6℃ (但し21:20現在)、最高気温 18.9℃ (08:24)

 さて、さて、今日のことを書こうか、と改めて一日を振り返ってみたが、ん?今日は何もしなかったなあ。でもあっという間に一日終わったなあ、何をしてたかなあ。ただ、晩飯だけはしっかり作ったなあ、ということは完全なるおさんどんで一日が終わったということか。

 夏子、ピアノ。
 
 晩飯・・・・・・・・・煮込みハンバーグ、添え物に人参のグラッセ、素揚げのジャガイモ、コーン。玉子スープ


平成27年 4月19日(日)

 朝のうち細かな雨、のち、日中は曇り、日没までずっと曇り。なんだか明日は大雨になるそうだ。
   最低気温 13.7℃ (03:23)、最高気温 20.8℃ (13:33)

 もうジャガイモを植えたので、雨が降ろうが槍が降ろうが、心安らかでいられる。昨日書き漏らしたが、畑仕事をしていると、ツバメが畑に降りてエサを啄んでした、いつのまにかツバメももう来ていたのだなあ。

 坂梨小学校と坂梨保育園合同の新学期恒例の浄土寺牧の歓迎遠足(運動会)、残念ながら天候不良で坂梨小学校の体育館を会場にして行われた。この行事は明治時代から続いていて、近年は教育の場になり、飲酒などはできなくなったが、昔は坂梨校区を挙げての一大イベントだった。その長い歴史も、小学校の統廃合で来年の今頃にはもう小学校が無くなっているので、今年が最後の催しになるため、広く坂梨全域に参加の呼びかけがあったが、残念ながら、浄土寺牧での開催はならなかった。来年以降、小学校が無くなっても、何かしら形を変えて春の花見の催しが続けられると良いと思っている。
 
 小生は会場が浄土寺牧でないことや坂梨小学校の同窓生でもないので、母子三人だけ行かせて留守番をした。何より、最近は出かけて行って写真を撮るのがだんだん億劫になってきているのも事実だ、イカン、イカン。

 太郎たちが帰ってきて、前後して、おじいちゃん、おばあちゃんの家が近所にある保育園の三姉妹も戻ってきたので、一緒に記念写真を撮った

 朝のうち、そろそろ50メガのコンディションが上がり始める頃だろうかと、降ろしてあったHB9CVをあげようと裏に回ったところ、軒下でミャアミャアという小さな鳴き声が聞こえる、なんだろうと思って隅のほうを覗いてみると、白いネコが睨んでいる、何だ!という態度を見せると、慌てて逃げ出して、その跡に生まれて間もない子猫が数匹。シマッタ!こんなところで産みやがった。近所にネコ屋敷のように何匹も生まれ放題で飼っている家があるが、そこから、やってきて産みやがったか。

 見ていると間違いなく可愛いが、だからと言って我が家で飼うわけには行かない、シマ一匹で手が余るほどだ。週が明けたらダンボール箱にでも入れて市役所だか保健所に持っていくか。でもそうなるとその末路は決まっているなあ。我が家でしばらく飼って里親でも探すか、それで引き取り手がなければ、避妊手術でもしてから放逐するか(我が家の貰いネコのシマは犬と違って鎖につながないので、ちゃんと避妊手術をして飼っている)、でも全部で5匹いるなあ、費用は一体いくら掛かるのだろうか、などなど考えているうちに、午後になって様子を見に行ったところ、一匹を残して全部いなくなっていた。残った一匹は死んでいた、多分固まっていたから圧死でもしていたのだろう。恐らく危険を感じた親ネコが一匹ずつ咥えてどこか安全な場所に移したのだろう、野生動物は知っているが猫でもそういうことをするのだなあ、もっとも移動したからと言って敷地内だと、同じことだから、ぐるりと見て回ったが、どうも、我が家からは出て行ったようだ。
 
 正直ホッとした。死んだ一匹は適当に処分しようと思ったら、子どもたちが可愛そうだから埋めてやるというので、穴を掘って埋葬してやった。(写真1写真2

 その昔、道路上で轢かれて死んだ狸の処理について、道路脇に避けてやって市役所に取りに来てくれるよう連絡をしたことを書いた小生の日記を読んで、オマエのやり方は冷淡だ、どうして埋葬してお経の一つもあげてやらなかったのだ、と全く見ず知らずの人からいちゃもんメールをもらったことがあったが、ふとその時のことを思い出した、今回はどうだ、葬儀は執り行わなかったけどちゃんと埋葬したぞ、文句あるか。当時、狸の信仰が仏教かどうか分からねえだろう、神道かもしれないだろう、基督教かもしれないぞ、と思ったが、昔から分福茶釜や証城寺など狸と言えば寺が舞台だから、やはりお経なんだろうなと思ったものである。

 肝心のHB9CV、一日中、51.00MHzのFMメインを聞いていたが、まだコンディションが上がっていないようで、全く何も聞こえなかった。



平成27年 4月18日(土)

 昨日から今日にかけて久しぶりに好天に恵まれた。
    最低気温 4.1℃ (05:10)、最高気温22.3℃ (12:49)

 阿蘇中岳、今日も朝から大量に噴煙を上げていたがまもなく収まった、もう噴煙も長続きはしないのだろう。
 
 今、庭のシャクナゲが見事である。(写真1写真2

 今回の晴天も今夜には崩れるという予報だったので、これを逃すともうチャンスはないかもしれないと、朝から一気呵成にジャガイモ植えをやった。太郎も畑で一人遊びをしていた
 
 種芋の箱を開けてみると、もう大分芽が出ていた。数えてみると、メイクイーンが5キロ、110個、男爵が5キロ、60個入っていた。メイクーンは小粒なので、このまま植えるとして、男爵は二つに割って植えても十分過ぎるくらいの大きさだったが、そうなると、60個が120個になる。夕方には雨になるという予報、ここではいつも予報より早く降りだす、メイクイーンと男爵で230個か、時間が足りないな、このままで行こうと男爵は割らずに、畝を立てて植え付けをした。
 
 実際に種芋を畝の上に置いて行くと、一畝で40個植えられるので、メイクイーンは3列植えると10個分空きができる、男爵は二畝植えると、20個分空きができる。空いたままにしておくのはなんとなく勿体無い気がしてきて、去年の収穫分で芽だらけのジャガイモが残っていたので、それぞれ追加して、結局、メイクーンを120個、男爵を80個、合計200個植えた。畝の数は5列になった。これで種芋用として売っているものと、自家用の芽が出ているものと、実際にどう違うか比較観察ができる。
 
 午前中は雨が降ることが想像できないほどの良い天気だったが、昼を過ぎた辺りからなんとなく怪しくなってきたので、とにかく急いで午後3時ころには無事に植え終わった、そして、この勢いを駆ってサトイモまで植えてしまった。買ってきたサトイモの種芋は袋に16個入っていたので、畑の一番端っこに植えた。サトイモはジャガイモと違って収穫まで時間がかかるので畑の隅のほうがいいのである。
 
 結局夕方まで雨はふらなかったが、今年はじっくりと土づくりをしてと思っていたが、結局今年もいい加減なジャガイモ植えになってしまった、今から貧作が目に浮かぶようである。ジャガイモ植え、とにかく気になってた気になって仕方がなかった、これでようやく一息入れられる、ああ、くたびれた、くたびれた。

 ここにきてようやくタケノコが順調に顔を出し始めた、毎年データをとっているわけではないが、婆様の葬儀の日に村の人が手伝いに来て、これも供養だと言って、皆さんが掘っていたのを覚えているので、それからすると数日遅かったことになる。とりあえず親戚筋に仁義を切ったのでこれから出てくる分についていは、まだかまだかと村で待っている人もおいでなので、お待ちどう様とご案内しなければ。


平成27年 4月17日(金)

     最低気温 08.4℃ (06:47)、最高気温17.9℃ (15:08)
 久しぶりに朝から抜けるような青空が広がった、阿蘇中岳も久しく雲の中にあったせいで麓から噴煙が見えなかったので、朝から景気良く?噴煙を上げていた、ただ、もう確実に終息方向にあるような気がする、噴煙もまもなく収まって静かな姿を見せていた。
 
 連日の天候不良ですっかり怠け癖がついてしまって、急に晴れたからといっておいそれとは畑仕事をする気にもなれない、第一、まだ土が乾いていないだろう。
 
 USBタイプのワンセグ装置を使って遊ぶSDRゼネカバ受信機、受信に成功した。というほど大げさなものではない、ただアンテナをつなげばいいだけだ。ただ、何事もアンテナが一番だということがよく分かる。ここはFM放送の電波が極めて弱い、微弱電波並みの出力である、したがって、FM放送をちゃんと聞くためにはFM専用のアンテナを立てなければならない、それほど電波が弱い。

 図書館にいった時にお聞きしてきた、和尚殿、来週あたりに転院されるそうである。今度は阿蘇市内牧にある小生が通院している温泉病院と経営が同じ医療施設で、病院とは道を挟んである「桃花水」という緩和ケアの施設だということである。小生は副鼻腔炎で定期通院をしているので顔を見に寄り易くなる。
 
 夏子が部活が終わって帰ってくるが午後7時前だ、それから風呂に行って夕食となるとちょっと遅くなるので、今日は先に夕食を済ませてから風呂に行った。このほうが落ち着けそうだ。
 
 晩飯。豚肉の味噌漬け、玉子豆腐、出汁巻き玉子、豆腐と油揚げの味噌汁
 


平成27年 4月16日(木)

 今朝は曇り空で雨は降っていなかったが、はっきりしない天気が続き、結局夕方近くからまた雨になり強い風が吹き始めた。
   最低気温 9.6℃ (03:12)、最高気温 18.3℃ (14:18)

 ずっと雨で自転車通学が出来なかった娘、今日が初めての自転車通学、自転車も新しくなって颯爽とと言いたいところ、なんとなく危なっかしく登校していった。(写真1写真2写真3)
 
 ちょうど、その時、ピカピカの一年生が交じった登校班が我が家の前を通過していったので、とっ捕まえて不定期になるが記念撮影をした、今年は総員5名である、この五名が坂梨小学校の歴史でこの地区最後の登校班ということになる。夏子が在学中は、我が家の前が登校班の集合場所だったが、今は我が家より少し手前の集会所が集合場所になっているので、いつも集合して登校していくのが気が付かない、この先、節目節目で気がつけば写真を撮りたいと思っている。

 夏子は部活が終わって帰ってくるのが7時近い、それから風呂に行って夕食になるので、よほど段取り良く準備をしておかなければ夕食の時間が遅くなり、そのまま太郎の就寝時間が遅くなる。今日は殆ど先に用意しておいた、味噌汁だけは食べる直前に作った。

 晩飯・・・・・・・カツオのたたき、イカ刺し、生しらすおろし和え、焼きナス、豆腐とニラの味噌汁


平成27年 4月15日(水)

 今日も朝から冷たい雨が降っていた、じっとしていると寒いのでとうとう、ストーブを点けた。予報通り九州では雷や雹が降ったりした所もあったようだが、幸いに、ここでは雷も聞こえず、雹も降らなかった。宮崎県五ヶ瀬町にあるスキー場では5センチの雪が降ったそうだ。昼ころになってようやく空が明るくなってきたが風が強くて雨が上がった心地良さは全く無く、まるで冬のような一日だった。
      最低気温 5.2℃ (04:12)、最高気温 12.8℃ (16:11)
 
 USBタイプのワンセグの受信機の目的外利用、ソフトウェアを使ってSDRゼネカバ受信機にする方法、XPマシンを使って挑戦したがドライバーは入るけど、ソフトウェアがどうしても入らない、ネットにもそのような記事があって、中には動いたXPもあるというレポートがあったので、都合三台のPCでやったが結局どれも成功せず、考えてみたら小生が使っているPCは古いやつばかりだなあ。その中に普段使っていないWin7が入ったノートPCがあったので、それでやってみたところ、これは問題なくドライバーもソフトウェアもインストールできて「スペアナ」の画面も表示されるようになった、これで多分間違いなく受信できると思うが、操作画面がなんだか複雑でわかりにくいし、アンテナを引っ張ってきて繋ぐのが大変だから実際に受信実験は後日の宿題ということにした。
 
 夏子、プール教室。
 
 晩飯・・・・・・・・キジ焼き丼、ポテトサラダ、ポタージュスープ、イチゴ。


平成27年 4月14日(火)

 今日もずっと降ったりやんだり。そして上空に非常に冷たい空気が入り込んでいるために、九州全域に雷や雹や突風の注意報が出されており、明朝まで警戒をする必要があるそうである、午後9時現在では特にそのような気象現象は起きていない。天気図が非常に複雑でこうなるとさっぱりワカラン。
     最低気温 6.7℃ (但し17:25現在)、最高気温 12.6℃ (12:17)

 今日は婆様の命日、早いものでもう丸五年経った、来年は七回忌だ。婆様はとんかつが好きで、生前、私が死んだら仏前にとんかつを供えてくれとよく冗談に言っていた。昨年の日記を見てそれを思い出した、そうだ、これから毎年命日にはとんかつを揚げて供えてやろう、ついでに、婆様の命日を「とんかつ忌」にでもするか。
 
 文学忌には思いつくまま並べると、「菜の花忌」「桜桃忌」「河童忌」「寒梅忌」「夾竹桃忌」「檸檬忌」などなどたくさんある、みんな風情のある名前ばかりだ。まあ婆様は文学者じゃないしな、「とんかつ忌」・・・さすがにそんな馬鹿げた忌があるわけがないと思ったが、まあそこがインターネットの便利なところ、絶対無いだろうと思って検索してみたら、なんとヒットした。

 福田和也が無類のトンカツ好きらしくて、友人の誰かから冗談で、おまえが死んだら命日を「とんかつ忌」にしてやるとか言われたそうだ。彼は小生よりうんと若くてまだ存命中だから、先使用権、一足先にこちらの方で「とんかつ忌」を押さえさせていただくことにする、毎年4月14日、婆様の(正確には小生の母であるが、)命日を「とんかつ忌」とすることにしようか。
 
 今年も親戚からの心のこもった香華を手向けて家族で静かに回向した。花は親戚からの鉢植えのあじさい、それから我が家の庭に今咲き誇っている木瓜、椿、紫木蓮、シャクナゲ、ハナズオウ、グミ、菜花など・・・まだまだあるが花瓶に入りきらん。そしてトンカツとポテトサラダ


 晩飯は勿論トンカツ。こどもたちは昨日のカレーをかけてカツカレー。 


平成27年 4月13日(月)

 今日もほとんど雨が降ったりやんだり、おーい、いつになったら晴れるんだ?
    最低気温 10.2℃ (11:07)、最高気温 15.8℃ (15:22)

 小生の副鼻腔炎の定期通院日なので少し早く出ようと、太郎を急かして登園する準備を終えて、軽トラックのエンジンを掛けようとするも、ウンともスンとも言わない。ウン?慌てるなクラッチペタルは深く踏み込んでいるか、ウン踏み込んでいる。じゃあ何故エンジンがかからないのだ。そこでハタと気がついた、夏子を中学校へ送っていった際に、帰ってからライトを点灯したままエンジンを切ったのだ。ちょうど一時間くらい経っている。そんなに古くないバッテリーだが、軽トラックのバッテリーは容量が小さいのだろう、一時間ライトを点灯しっぱなしで完全に上がってしまっていた(実際はもっと早く上がったのかもしれない)。
 
 どうしようか、ブースターケーブルをつなごうにももう一台の車はカミさんが乗って行った。そうだ、無線の安定化電源があった、あれならかかるだろう。でも30Aの安定化電源は無線機がつながっていて外すのが大変だ、幸いに5Aの電源ならすぐに使える。
 
 ということで、5Aの電源とバッテリーをブースターケーブルでつないでスターターを回したけどウンともスンとも言わない、やっぱり5Aじゃねえ。そこで隆一さんに電話をしてSOS、すぐに軽トラックを持ってきてもらってブースターケーブルをつないでお陰で一発で掛かった、助かった。(どうも30Aの電源でも、 時間をかけてバッテリーを充電するのには使えるが、スターター時の電源としては無理のようだ)
 
 少し遅れて太郎を保育園に送ってその足で、内牧の温泉病院へ。ちょうど初診から一ヶ月目、当初の予定どおりレントゲンを撮って経過を見たが、ほとんど改善の兆しなし。自覚症状はもう殆ど無いし、鼻汁が出ることもなく乾いているから全くダメだということではないけど、小さなパイプが腫れて詰まっているのか、これが詰まっているとなかなか治りません、もうしばらく今の薬を続けて、ダメなら手術かなあ、と脅されて薬をもらって帰ってきた。

 夏子、放課後、ピアノ教室、そのまま風呂へ。
 
 晩飯はカレーを作る、久しぶりだなあ。
 


平成27年 4月12日(日)

 午前中はまあまあ晴れていたが午後から次第に雲が多くなって夕方から本格的な雨になった。今夜はひと荒れ来そうである。
   最低気温 7.6℃ (06:07)、最高気温 14.9℃ (13:48)

 渡辺貴之家の裏の墓地にある杉の木に自然に出来たウロがあり、そこにニホンミツバチの巣がある、もうそろそろ分蜂に向けて準備中かなと期待して様子を見に行ったところ、居ない。たまたま居ないのではなくて完全に居なくなっていた、モヌケのカラだ、中には蜘蛛の巣らしきものさえ張っている。一体何があったのだろう、以前じっちゃいが来た時に一緒に見に行ったのはもう寒くなっていた時期だったと思うがあれはいつだったろう、日記を探したけど見つからない、あの時は元気に出入りしていた。あの時はもうスズメバチのシーズンは終わっていたと思う、この冬の厳しい寒さにやられたのだろうか、大いにがっかりである。(写真1写真2)

 今日も竹やぶの中を探したがタケノコは一本も顔を出さず。裏のもう一箇所、竹がある所から小さな奴が一本だけ顔を出していた。一本じゃあしょうがない、我が家で食べることにする、茹でて冷凍にしておいた。ワッと生えてくるのもある種恐怖を覚えるが、こう全く生えてこないのもなんだか気味が悪いものである、破局的大噴火の前触れだろうか。
 
 夕方、県議会議員の投票に行ってきた、今回はどうでも良かったのだが(本当はいつもどうでもいいのだが)、あと何回投票できるかわからないので、「一応」行ってきた。

 うちの三人は昼からまた熊本方面に出かけていった、出かけた時間が時間だから恐らく夜遅くなるだろう。
 
 夕方近く、JA6MQY局御入来。


平成27年 4月11日(土)

 朝のうちは細かな雨が残っていたがその後天気は回復していった。
    最低気温 8.9℃ (03:31)、最高気温 16.2℃ (14:23)

 今日は子どもたちが二人とも家にいたので、それとなく目配りをしながらデスクワークをして過ごした。
 
 昼、何を食べようか、最近はほんとうに沢山の種類の冷凍食品があるのでそこで何か好きなものを買ってきて食べようかと、三人でコスモスに出かけたところ、ちょうど、そば処「阿蘇の風」の女将さんも来店中で、顔を見て、ああそうだ、お蕎麦にしようと、きゅうきょ目的を変更した。
 
 我々はいつも盛り蕎麦が中心なのだが、女将さんが太郎や夏子に色々なものをサービスで出してくれるので満腹になっていつもお腹パンパンになる。これじゃあ商売にならないでしょうと言いながらいつもご好意に甘えている。(写真1写真2
 
 最近の景気を訊ねると、最近は特に客足が落ちているということであった、これをお読みのご近所の皆さん、是非蕎麦を食べに足を運にでいただけると有難いのだが。そば処「阿蘇の風」

 帰りに、蕎麦が残ると困るからと、夕食用にお土産まで頂戴したので、今晩の献立を考えていなかたので、渡りに船、晩飯は蕎麦にすることにして、天ぷらを揚げた、「天せいろ」である
 
  エビ、ジャガイモ、ナス、アスパラ、玉ねぎ、タラの芽。タラの芽は我が家の敷地内に不思議と毎年山のように生える。今日もタケノコ姿を見せない。

 夕方風呂から帰ってドアを開けようとして家の鍵がポケットにないことに気がついた。家の鍵束ともう一つの車専用の鍵束の両方に車のキーをつけていて、風呂から帰る時に、家の鍵に付いたキーを使おうとして、まあ、これでも良かったのだが、車専用の鍵束の方のキーと差し替えたので、クルマに乗る時には家の鍵束はあったのだ。それが無い、ということは、走っている途中に落とすことはないので、向こうを出るときに落としたのだろう、と、二階のベランダにハシゴを掛けて、そこから家に入り、ドアを開けて、子どもたちを一旦家に入れてから、アゼリアにとって返した。

 ところが、今日はもう一箇所、鍵を落とす可能性のある場所があった。帰る途中、鴨が道路上をウロウロしていて危なく跳ねそうになったので、どうせ合鴨か、羽を切ってあって飛べないだろうから、畑の方の追いやろうと、車を止めて外に出て追い立てようとしたところ、勢い良く飛び立って遠くに飛び去っていった。なんだ飛べたんだ、どうして道路にいたのだろうと思いながら、帰ってきたので、その際に鍵を落としたことが考えられる。
 
 ということで、アゼリアへ戻りながら途中鴨が居たあたりで車を止めて探したが見当たらず、結局アゼリアの駐車場に戻ったが、そこにもなかった。それで受付に鍵の届け物ありませんでしたか?と尋ねたら、岩下さんが、あ、届いてますよ、と直ぐに出してくれて、拾った人の名前まで教えてくれた。
 
 小生はお会いしたことがないと思うが、会員さんとのこと、その足で風呂場まで行って、大きな声で鍵有難うございましたとお礼を言って帰ってきた。こちらに来てから何度か落し物をして、今まで全部戻ってきているので、大丈夫だろうと思っていたが、それでもほっとした。
 
 アゼリアで鍵を落とすのはこれで二度目だ。二度ともポケットから下に落としているので、コンクリートの床に落ちる音が聞こえたはずなのに、聞こえていない。間違いなく「もうろく」なのである。最近は高音部の音が昔に比べて聞きにくくなっているは確かだ。毎朝太郎の検温をするときに、体温計のピピピピという小さな音を聞き漏らす事が多い、太郎が、お父さん鳴っているよ、というのが聞こえないのである。 


平成27年 4月10日(金)

 今日も降ったりやんだりの一日だった、もういい加減に嫌になる。
    最低気温 8.4℃ (06:59)、最高気温 10.8℃ (03:50)

 夏子は今日からが正式な登校日である。生憎の雨で、カミさんが送っていった。このあたりは町中と違って何も遮蔽物の無い吹きさらしの田んぼの中の道を通学するので風雨が横殴りでくるため雨の時は保護者が車で送ることが珍しく無い、まあ、過保護といえば過保護だが。
 
 今朝の熊日に昨日の坂梨小学校の入学式の写真が載っていた。写真の子どもたちは、その後ろの在校生、保護者、来賓、沢山の知った顔があった。新入児童は先日まで保育園の年長さんにいた子たちばかりだ。


今日は途中がなくて、いきなり晩飯の記述。

 先日のタケノコが少し残してあったので、タケノコご飯と若竹汁を作った。今日もまだ新しいタケノコは生えてこない、今年はどうしたのだろう。木の芽もここにきてようやく茂り始めてタケノコご飯のいいアクセントになった。子どもたちは木の芽の匂いが苦手のようである。

 タケノコご飯、刺し身(ブリ、サーモン)、若竹汁、出汁巻き玉子、胡麻豆腐、フルーツゼリー



平成27年 4月 9日(木)

 晴れ、のち、曇り、のち・・・・・日が暮れる頃になってポツリ、ポツリ。
    最低気温 4.4℃ (01:44)、最高気温 15.4℃ (14:44)

 午前中、ハチウトの整備をした。まだそんなに急ぐこともないと思うが時間がとれる間に少しでもやっておこうと今日は二基の整備をした。ハチウトは全部で七基あったかな。今年こそなんとか入ってくれよ、である。昼前ころから空が暗くなって空模様が怪しくなってきたので今日の作業は午前中で切り上げた。(写真1写真2写真3写真4

 今日は夏子の一の宮中学校入学式だった。午前中が小学校で中学校は昼からだった、小学校と中学校の両方の入学式にあたる家庭があるので、午前と午後とに分けたのはその配慮だろうか、夏子が、その入学式で新入生を代表して「誓いの言葉」を発表した。成績優秀、「首席」だから代表になった、なワケがない、これが卒業式なら首席ということもあるだろうが。
 
 一の宮中学校の校区にある小学校は来年から統廃合されて一校になるが、現在、坂梨、宮地、古城の三校があり、その三校が毎年持ち回りで新入生の代表挨拶をやっていて、たまたま今年が坂梨小学校の番だったらしい。それで、誰かやる人いるかという打診のようなものがあったらしく、無鉄砲というのか、後先考えずに夏子がハイッと手を挙げてそのまま決まったらしい。そのあたりの経緯は親は全くタッチしていないので正確かどうかわからないが、娘が言うにはそういうことだったらしい。決まってから、練習をしながら、ああ、イヤだイヤだ手を挙げなければよかったと後悔していた。昨日なんか別に下痢をしたわけではないのにお腹が痛いと言っていた、それは神経性の腹痛だろうと言っておいたが。だいたい娘はどちらかと言えば引っ込み思案のところがあって、風呂に行っても、周囲のおばさんたちから話しかけられても、ハイとかイイエくらいしか返さないらしい、いろいろ訊かれたら、今度は逆に同じようなことを訊き返してごらん、それがコミュニケーションの訓練、国語力の訓練になるんだからといつも言っているのだが、それがなかなか。我が家のお客さんで夏子と同じくらいの子供が一緒の場合でも、積極的に話題を作って話をしようというほどの社交性もない、そのくせに、全く知り合いもいない外部主催のスキー合宿なんかもスキーをやるのが初めてにもかかわらず一人でポッと参加したりするし、ちょっと理解し難いところがある。

 まあ、きっかけはどうであれ、彼女にとっては今日はある種晴れの大舞台、入学式から帰ってきたところで、どうだ「誓いの言葉」はうまくいったのかと訊くと、「うん、うまくいった」ということであった。いよいよ夏子の中学生活が始まった、三年なんかあっという間だろう。

 小生は入学式には行かなかった、小生が付き合うのは小学校までである、あとは母親が付いて行けばいい。これはあくまで我が家流だ、いや俺流か?小生の頃は母親しか来なかった記憶がある、本人は別にどうでもいいのである。でも最近は大学の入学式まで親がついて行くのが当たり前になっているが、昔、大学の入学式に親がついていくということが大いにニュースになった時代があったが、今はもう誰も何も言わない、それが当たり前になったのだろう、小生の方がオカシイのかもしれない。その代わり、さあこれから入学式に臨むぞという「雄姿」を玄関先で記念に撮っておいた。(写真1写真2
 
 カミさんは動画ばかり撮っていたようで日記に使えないところ、麻理子さんが写真を撮ってくれていてそれを使わせてもらった。
 卒業式後、まだほんの数日前のことなのに懐かしくなったのか何組か自然と坂梨小学校に足が向いたようだ。
 平成27年度 一宮中学校 入学式 連続写真 
 卒業式後、坂梨小学校にて 連続写真


平成27年 4月 8日(水)

 今朝はあまりにも寒い(と感じた)ので、朝からストーブを焚いた。おかげで暖かさの有り難さというより、体が低めの気温に対抗するべく無意識のうちに体を強ばらせる、肩に力が入る、というような無用な力みが無くなって体が楽になった。
    最低気温 4.9℃ (06:49)、最高気温 9.9℃ (15:32)

 久しぶりに阿蘇中岳が姿を現したが、今日も噴煙を上げていた、ただ、もうピークは過ぎたような雰囲気である、山体の膨張もひところに比べて小さくなっているという新聞の記事が数日前に載っていた。

 阿蘇は山間部、寒冷地なので、入学式や始業、終業式などの日程が下界とくらべて大体一日二日ずれることが多い。下界では昨日新学期が始まったようだが、阿蘇では、全部かどうかは分からないが、小学校も中学校も今日が在校生の新学期始業日で、入学式は明日である。
 
 我が家では娘が卒業したので太郎が学齢に達するまで、小学校の行事とは当分無縁になったが、今朝二階から見ていると、在校生が新しい登校班を編成して登校していった。入学式は明日だから、この列に新一年生が加わって登校していくのは明後日からだろうか、ここでは確か新一年生が一人いたはずだが。(写真1写真2

 ようやく日が射したが畑はまだ水を沢山含んでいてトラクターが入らない。夕方近くになって、ちょっとまだ早いかなと思ったが、少し焦りもあって、ちょっとだけトラクターで畑を耕しておこうと動かし始めたところ、しばらくは順調に動いていたが、そのうちに深みにハマってとうとう身動きがとれなくなってしまった。隣家の今朝春さんがそれを見ていたらしく、ちょっと待ってろと大きなトラクターを持ってきてくれてワイヤーをつないで引き上げてくれた。うちの小さなトラクターで、田んぼの代掻きをすることもできるが、中途半端にぬかるんでいるところでは全く非力である、何年か前にも一度スタックして皆に助けてもらったことを思い出す。この分では二三日はダメだな、そうしているうちにまた次の雨が来てしまうではないか。(写真1写真2写真3

 トラクター作業を中止して引き上げるついでに竹やぶを見てみた、今年はタケノコの出が非常に遅い、ずっと見て回ったが全く出ていない、そんなところに、二本だけ生えていた場所があったので、とりあえずそれを掘り起こしておいたが、タケノコが出たら送れと言ってきている親戚筋がいるが二本だけではしょうがないだろう、だからといって次のやつが出るまでとっておくわけにもいかず、ということで早速我が家で食べることにして、土佐煮を作った。ついでに今日は和食だと、大根と人参の膾も作っておいた。

 昼飯はなんにしようかと、買い物にでたところ、長芋が目についていたので、よし、とろろ汁を作ろと決めた。普段でも晩飯にとろろ汁を作ろうかと思うこともあるが、太郎なんかまだ箸やスプーン使いがぎこちないので下手に口の周りにつけると痒くなるといけないので、作らないでいた、昼間、独りの時にでも作ろうかと思うこともあるが、量的に一人分を作るのは難しい。今日は春休みで夏子がいるので、二人分なら大丈夫だなと、昼飯にとろろ汁を作った。ちゃんと味噌出汁を作って玉子を溶いてすり鉢を使って作った。なんとなく面倒そうだが、簡単にできる。久しぶりにとろろめしを堪能した

 夏子、プール教室。4月いっぱいは中学の部活が無いそうなので、レッスンに通うそうである。

 晩飯・・・・・・・・・鯛の味噌漬け(昨日から漬けておいた)、胡麻豆腐(出来あい)、大根と人参の膾、タケノコの土佐煮


平成27年 4月 7日(火)

 今日も降ったりやんだりの一日、気温が昨日までに比べたら10℃近く下がって、「寒い」くらいだった。慌てて冬のセーターを引っ張りだして着こむ。
  最低気温 8.7℃ (但し19:54現在)、最高気温 12.3C (00:00)

 終日、本を読むかPCの前に座るかのみ、差し迫った農作業がなければそれも大歓迎だが、どうも気になって没頭できない。

 太郎が豆ごはんが食べたいというので、どうしてだ?と聞くと、「はなかっぱ」というテレビアニメで豆ごはんが出てくるらしい。昨日の夕食直前に、「お父さん、今日は豆ごはんにして」と言い出したので、そんなに急に言われてもすぐには出来ないぞ、明日作ってやるということで、今晩のご飯は豆ごはんになった。そうでなくても最近は子どもたち豆ごはんが好きになってきたようだ、どうだ、お父さんが作る豆ごはんは美味しいだろう
 
 豆ごはん、ブリの塩焼き、出汁巻き玉子、ジャガイモと玉ねぎの味噌汁、デザートに杏仁豆腐


平成27年 4月 6日(月)

 ほとんど雨、いやになるほど雨、菜種梅雨というのか、もう何日も太陽を拝んでいない気がする。
    最低気温 16.9℃ (00:14)、最高気温 20.7℃ (08:51)

 ずっとジャガイモの植え付けが出来ない、恐らく種芋はもう芽が相当出ているのだろう。
 
 夏子と太郎のアゼリアの年会員の期限がまもなく終わる。夏子は中学校に行きだすと、今までのように風呂に行く時間がとれるかどうかわからない、そんなことで年会員の継続をすると、損をすることになるからもう今回で終わりにしようかと思った。そうすると太郎はどうしようか、太郎だけ継続しても、夏子が家の風呂に入ることになると二重の経費がかかる。となると太郎も今回限りか。小生の場合は体力保持のためのプールのためにこれからも継続しなければならないが、小生の更新期は秋なので今回は関係がない。などと考えていて、試算をしてみた。毎日は無理でも、週末二日はアゼリアに行く、祭日がある、中学校に入っても4月いっぱいは部活がないので今までどおり風呂に行ける、そして夏休みも冬休みも春休みもある、と計算していくと、年会員の更新をしたって十分に元がとれることがわかった。こども一人の年会費は12,000円である、これで風呂もプールも(使うことは無いと思うが)アスレチックも使い放題である。ということで、今晩風呂に行きがてら二人の更新の手続きをしてきた。(写真1写真2) 
 
 晩飯。柳川もどき、玉子豆腐、菜の花いか(烏賊)サラダ(という名で売っていた)、豆腐とワカメの味噌汁、イチゴ。
 昼飯、野菜たっぷりチャンポン。 


平成27年 4月 5日(日)

 午前2時過ぎに目が覚めたが、外は強い嵐が吹き荒れていた、天気予報もこの先ずっと雨マーク、これじゃあ今年の桜はもう全滅だなあ、なんとなくこの先の異常気象を予想させる天気だなあと思って夜が明けてみると、桜も色々種類があって我が家のソメイヨシノはもうすっかり散ってしまったが、周囲の桜はしっかりと花が残っていた。風は朝のうちにやんだが、雨はその後も断続的に降っていた、夕方近くになってようやく上がったが、明日も明後日も雨マークが続いてる。
   最低気温 17.8℃ (11:08)、最高気温 20.8℃ (02:34)

 今日は家族全員家にいて特に何をしたというわけではないがザワザワしているうちに一日が過ぎてしまった。

 ここでも時々「探索バチ」を目にするようになってきた、探索バチとは分蜂に先立って巣に適した場所を探しにでる斥候役のハチのことである。そこで今年こそ、と「日本ミツバチ・ルアー」を入手した。調べたところ数社で扱っているようで価格が微妙に違う、製品は同じように見えるが、これが一番安いだろうというとこから買い求めた。

 ミツバチはキンリョウヘンという蘭に集まる習性があり、ニホンミツバチを捕獲するためにこのキンリョウヘンを栽培している人は多い。この「日本ミツバチ・ルアー」というのはそのキンリョウヘンの成分を科学的に合成して作られたニホンミツバチの誘引剤のことである。どんな風になっているかというと、シャーレにワックスが厚めに塗ってあってその表面に薄く誘引剤が塗ってあるだけである、これをネットに入れて巣箱の近くにぶら下げておくと、これが揮発してミツバチを誘引して集まってきて、うまくいけば巣に入ってくれるという手筈になっているのであるが、さてさて・・・(目的は逆だが)虫コナーズのようなインチキ商品ではないようである。

 JA6JLZ局御入来。伯母上の法事で阿蘇に登ってきたついでに寄ってくれた。

 今の子供番組の仮面ライダーは「仮面ライダー・ドライブ」というシリーズをやっていて、太郎も大好きである。なんだか知らないが、「のうさいぼうはトップギアーだぜ」なんて叫んでいる、太郎は耳から聞いて登場人物の名前を覚えるが、最近、「どいにゅうどう」、「どいにゅうどう」、というキャラクター名をよく口にする、「どいにゅうどう」は「土井入道」とでも書くのだろか、それにしてもちょっと仮面ライダーにはそぐわない名前だなあと思ってネットで一生懸命「どいにゅうどう」を検索するも全くヒットしない、そして色々しらべているうちにようやく分かった、「ロイミュード」だというのだそうだ。しからばロイミュードとはなんぞやであるが、そこまでは調べる気がしない。
 
 その太郎、昨日だったか、お姉ちゃんが髪切にいったついでに自分も切ってもらってきた、お姉ちゃんはあまり短くしたくないようだが太郎は短くしたがる。


平成27年 4月 4日(土)

 曇り時々雨。
   最低気温 16.3℃ (05:17)、最高気温 20.9℃ (17:33)

 今日は平成27年度 坂梨保育園の入園・進級式、カミさんが休みだったので、カミさんが連れて行った。太郎は今年から年中組になった、あと二年か。

 カミさんが撮ってきた写真。全体の雰囲気が掴めないね。
 平成27年度 坂梨保育園入園・進級式 連続写真

 ここのところ雨模様で外作業ができないので、光の森に映画を見に行った。別に見たいものがあったわけでなくてある種時間つぶしのようなものだが。「ジュピター」というSFものの映画で、特に能書きを垂れる程のものではないが、それにしてもハリウッド映画のCGやSFXは本当に素晴らしいといつも思う。

 帰りに立野の病院に和尚を見舞う。本当はこちらが主だったのだ。
 我々凡夫であれば、周章狼狽、茫然自失してそこでガタガタと崩れてしまうのだろが、恐らくそういう心境に一旦はなったのだろうが、それら葛藤を通り越して、現在は、枕元に「偈」が置いてあったり、パソコンをやったり、クロスワードパズルを解いたり、短歌を詠んだり、農業雑誌を読んだりと、同室の別のベッドと比べてもとても重病人とは思えないような一種エネルギッシュな病床風景があった。
 
 短歌がこれが難しくて、歌壇に投稿するけどかすりもしないと笑っていた。写真いいですか、と尋ねると、どうぞどうぞ、と言ってポーズをとってくれた。ただ坊主だから一応「らしく」何かを書いている風にしないとね、紙と鉛筆を持ったりなかなか娑婆っ気たっぷりだった。食欲も非常にあるそうで、顔艶もよく、結構太ったとのことだが、それでも病気は静かに進行しているのだろう。(写真1写真2写真3写真4

 病院つながりでもうひとつ
  中川弘という男、本当におっちょこちょいなやつだなあ、今だからそう言えるのだが。ちょっと送るものがあって送ったところ、宅配業者から数日連絡が取れないという電話があった、送り状には固定電話しか書いていなかったので、携帯に電話したところ、応答があった。なんだ生きているのか、どうしたんだ?と問うと、入院している。入院?何処が悪いんだ?・・・・ヤケドした。・・・えっ火傷?
 訊いてみると、ストーブの前で蹴躓いて、転んだところに頭からヤカンのお湯をかぶったそうで、しばらく気絶をしたらしい。そこでは普段一人暮らしだから、下手をしたたら死ぬところだったらしい。そんなわけでだいぶん前から入院いていてまだしばらくかかるらしい。大事に至らなくてよかったけどアホだぜ。

 (追記)翌日、電話が来たので改めて事情聴取をしたところ、スリッパが絨毯に引っかかって転んだところに石油ストーブの上に置いてあったヤカンが落ちてきて手と足に大きな火傷を負ったそうで、そのまま気絶して翌朝気がついて自分で病院に行ったそうだ。大やけどと下手すりゃ凍死の危険があったわけである。尻の皮膚を剥いで手と足に移植手術をして、今は剥いだ尻の方が痛いと言っていた。医者にどうして救急車を呼ばなかったのだと言われたけど、一人で、気絶していたから呼ぼうにも呼べないよなあと、まあ、確かに。


平成27年 4月 3日(金)

 花に嵐の例えもあるさ・・・今日はちょっとした春の嵐になった。まだ桜は咲き始めだったから散り方も少なくて済んだが14m近くの風が吹いてた。雨も夕方近くはかなり強く降って雷も鳴っていた。
    最低気温16.4℃ (02:48)、最高気温21.4℃ (13:33)
    最大瞬間風速 13.9 m/s (14:42)
    本日の雨量  24.9mm (20:40現在)
    
 夏子、中学生モードに切り替えのため学習机周りの整理をしていた。机の高さを一段上げてやった、椅子も同じように高さ調整をした。我が家の二階の壁は普通の家の屋根裏にあたり、壁面が屋根の勾配になっていてデッドスペースが多いので、夏子の机の奥を少しでも有効にしてやろうと、机の奥に棚を作ってやった。この棚というのが「由緒」あるもので、畏れ多くも小生が中学・高校時代に使っていた学習机の天板なのである。あれから50年以上、何度か転居を繰り返したにも関わらずこの天板はずっと転居に着い回った。こういった一枚板(集成材であるが)は何かに使えるだろうとなんでも取っておく性分で、学習机のままでは邪魔なので天板だけを残しておいたのだ。小生の学習の歴史が染み込んだ天板、霊験あらたかに娘のこれからの学習に役立つことだろう。
写真1写真2写真3

 晩飯・・・・・・・麻婆豆腐、エビチリ、中華スープ、フルーツゼリー

 一旦日記をアップしてから、気がついた、いまやその程度のものになってしまった、県議会議員選挙の告示日だった。県議会議員の存在が今問われている、中途半端なんだろう、ここは今まで無風地帯だったが、今回立候補者が二名立って、激戦になりそうである。

平成27年 4月 2日(木)

 晴れ。バカ陽気になった。さすがに冬の身支度では暑くて、薄いセーターを出した、下着も冬用だが、これはまだ合物に換えるにはちょっと勇気がいる。
   最低気温 12.3℃ (06:54)、最高気温 23.3℃ (14:42)

 高田涬太郎が福岡県からやってきた。彼は高校時代の同級生で、当時の住まいもご近所同士だった、その後、大学に入って別々の道を進むようになって、以来音信不通になっていた、それが小生がこちらに移住するのがきっかけで40年ぶりに再会する機会を得た。その再会というのはもう今から12年も前(H15/8/11)のことになる。今日はだからまた12年ぶりの再会になる。前回もお孫さんを連れての阿蘇旅行だったが、今回も下のお孫さんを連れての阿蘇旅行、短時間だったが懐旧談に花が咲き、阿蘇見物に向かって発っていった。
 
 花が咲くといえば、もうここは完全に春の真っ只中、百花咲き乱れている
 
 晩飯。豚肉のガーリック・バジルソテー、生しらすのおろし和え、ひともじぐるぐる、豆腐とワカメの味噌汁。「ひともじぐるぐる」とは熊本の郷土料理である。ひともじ、とはワケギである、それを茹でて一口大にグルグル巻いて酢味噌で食べるのである。

 年寄りのいる家では必ず作る料理だと思うが、今の核家族化した若い家庭ではどうだろうか、我が家は、おっと、小生が年寄りだった、というわけで、子どもたちに郷土料理の味を教え、伝統食文化を伝えるべく、わざわざ作ってやったのに、「美味しくない」と不評だった。こんなに美味いものがダメか?今の子どもたちの口には合わないのかなあ。


平成27年 4月 1日(水)

 朝のうち雨が残り、その後曇り。
   最低気温 13.0℃ (00:06)、最高気温 19.1℃ (15:53)

 今日から新年度、学校などはまだ春休みだが、保育園はさっそくもう今日から「新学期」、太郎、はりきって登園する。太郎は今年から年中組「ひまわり組」である。ひまわり組は年中児と年長児の「複式学級」である。担任はきみ先生と新しく来られたやすだ先生のお二人である、今年一年お世話になる。

 ちょうど一年前、教育委員会のほうで、市の史跡に指定されている曽祖父・園田太邑生誕地の説明板を老朽化のために新しいものと取り替えてくれた。しばらくしてその説明文に誤りがあることに気がついたが、まあ、誰も真剣に読む人もいないだろうと、市も財政難だろうからと、そのままにしておいたが、それでも時々足を止めて読んでくださる人もおいでなので一年経ったところで、当方で手直しをすることにした。
 
 説明文の最後の方に、俳句が二句載っている。
 
    「夜は疾く 明けたり壁の きりぎりす
    「大根引きし 跡の畑や 露の花
                  
 二番目の句の「露の花」の「露」は誤植で、「霜の花」が正しい、「露」では洒落にもならない。
                  
 そして、説明書きには一番目の句が辞世の句とあるが、正しくは、二番目の句が辞世の句とされている。

 一番目の句は、資料によると、先妻の通夜の夜に読んだ句だそうだ。この「夜は疾く」の「疾く」はなんて読むのだろうとよく聞かれるが、これは「とっくの昔」の「とっく」である(「とっく」は「とく」促音化したもの)、漢字で書くと「疾く」と書く。
 
 「よるはとく あけたりかべの きりぎりす」、通夜をしていて夜が明けたのも気が付かなかった、ふと壁を見るとコオロギが止まっていた、というような意味だろうか。昔はコオロギのことをキリギリスと言った。
 
 資料には「夜は疾く 明けたり壁の きりぎりす」と書いたものもある。この場合は「よはとくに あけたりかべの きりぎりす」とでも読むのだろう。

 ところで、辞世の句とは死に臨んで己の人生を総括して詠む句だと思うが、どういう心境だったのだろう、清々しくもとれるし、また寂しくもとれる。どんな状況下で詠んだのだろう、病床に在ったのだろうか、果たして辞世の句だったのか、たまたま最後に詠んだ句だったのだろうか。昭和に入って他界しているのでそんな昔のことではない、だから推測ではなくて実際に辞世の句だったのだろうが、小生、元号を共有していながらそういった情報も無い。
 
 とまれ、そういうことを思いながら、間違った箇所にテープを貼って手直しをしておいた。昨年の同じ日の写真を見ると、桜の花は今年の方が少し開花が遅れているか、あるいは去年が少し早かったのか。
 
 というようなことを、去年の日記をつらつら参考にしていたら、去年の今日、晩飯は煮込みハンバーグだったと書いている、よって、一年後の今晩も煮込みハンバーグにした。夏子の昼飯はエビグラタン



このページ先頭へ  風師庵日記目次へ