平成27乙未(2015)年 8月の記録(新しい日付けの順)
平成27年 8月31日(月)
終日雨模様、所によっては強い雨が降っているようだが、ここは大したことがない、秋雨前線というやつか。なんとなくうそ寒い、心細くなってくる。
最低気温 20.1℃ (03:07)、最高気温 24.0℃ (13:19)
今日で8月が終わるが、まだ8月だったのか、感覚的にはなんだかもっと先を行っている気分である。もう暑さも全く厳しくない、と言うより朝晩は寒いくらいだし、娘の学校、二学期もここではとっくに始まっているので、どうもピンと来ない。
こんな記事を見つけた。「ハリケーン」は日付変更線を西に越えると「台風」に呼称が変更になるらしい、そしてこのハリケーンKILOが間もなく台風17号になるだろうと言うことだ。先日の台風15号もここ阿蘇では大したことが無かったので今年は穏やかな刈り入れを迎えられると思っていたがまたひと荒れ来るのだろうか。
今日は皆出かけて一人静かに机に向かっていた。脳ミソが気持ちのいい汗をかいている。
平成27年 8月30日(日)
曇り時々晴れ。
最低気温 20.2℃ (04:39)、最高気温 26.3℃ (15:03)
一泊だけだったがAlgy一家が帰っていった。昼前に研修会参加のために昨日別行動をとった従兄の滉兄に連中を送り届けるために(旧プリンスホテル、今は経営が代わって)グランヴィリオホテルに家族で送っていった。
Algy一家は音楽一家、夫君のAlgy(我々は彼のことをアルちゃんと呼んでいる)は台湾出身の作曲家で音楽プロデューサーで映画音楽なども手がけている、それにバンドネオンやその他色々な楽器をこなす、そして細君は滉兄の娘であり、バイオリニストである。発つ前に所望してこの後に台湾で開く演奏会の演目にもなっているAlgy作曲の曲など二人の演奏を聞かせてもらった。名手が弾くバイオリンの音色に家族はうっとり、バイオリンはこんな柔らかで優しい音が出るのだ、さすがである。一家は普段はウイーンに住んでいて、今回は里帰りで福岡と台湾に帰ってきた(今回はAlgyの父君の葬儀もあった)。そして、阿蘇の我家は、彼らが夏の休みに戻ってくる「田舎」でもある、だいたい毎年顔を見せてくれる、娘なんかも楽しみにしている。最近は同い年のゆんちゃんと太郎が仲良く遊ぶ年齢になった。
この家族、Algyはネイティブな英語も話すし、普段はドイツ語圏での生活、そして、中国語、必然的に家族は、そして愛娘のゆんちゃんまでトライリンガル、それに台湾の親戚などが交じってレストランなんかに入るとメニューを決めるのに五カ国くらいが飛び交って、レストランのウエイターたちは混乱して目を白黒させるそうである。
楽しい一夜だった、また来年、CUそして再見、Tscheus!
Algy一家ミニコンサート 連続写真
と、ここで日記を締めくくるはずが、滉兄一行はこの後、「ケンゲキ」で開かれるリサイタルに行ってから福岡に帰る予定になっているそうで、そのリサイタルが「吹奏楽」が関係するリサイタルとか、調べてみると、まさしく、そうで(写真1・写真2)、それを聞いた娘とカミさん、そして太郎、聞き逃してはならずと電話で席があるのを確認して、滉兄一家の後を追って一緒に行ってしまった。
(写真1・写真2・写真3)
小生は、宮地駅近くでレンタカーを返してから、テクテク歩いて帰ってきた。昨日車を借りに行く時には運良く通りかかったご近所の仁美さんの車で送ってもらったが、今日は「歩き」だった。小一時間くらい掛かるかなと思ったが、普通に歩いて30分くらいで帰り着いた、刈り入れを間近に控えた田んぼの中を歩いてきたが薄曇りということもあって、気持よく歩いてきた、たまには良いものである。
前の部分で「ケンゲキ」と書いたが、これは熊本県立劇場のことで、馴染みのある人は「ケンゲキ」すなわち「県劇」と呼んでいるようであるが縁のない小生は今回初めて知った。帝国劇場を帝劇と言うが如しか。
わが屋前の毛桃の下に月夜さし下心良しうたてこの頃
平成27年 8月29日(土)
ほとんど雨。
最低気温 18.7℃ (06:08)、最高気温 23.1℃ (12:18)
従兄の滉兄とアルジー一家が福岡から御入来。滉兄は旧プリンスホテル(今のホテルの名前がいまだに覚えられない)の研修会参加のために、明日まで単独行動。アルジー一家は一晩だけだが我家に滞在、生憎の雨でどこにも出かけられなかったが、日頃の喧騒の生活から阿蘇の静かな環境に来て何処にも行かなくて外を眺めているだけで気持ちが洗われると満足気だった。太郎は普段、自宅周辺に遊び仲間もおらず、ゆんちゃんとすっかり意気投合、生き生きとそして騒々しく、室内を飛び回っていた。今日はバーベキューを予定していたが、雨のために室内での賑やかな晩餐会になった。
アルジー一家御入来 連続写真
平成27年 8月28日(金)
朝のうち少し雨が残る。その後は晴れたり曇ったり。
最低気温 19.4℃ (02:38)、最高気温 25.8℃ (13:07)
台風対策で降ろしてあったUV系のアンテナを揚げた。
明日、一泊の予定で来客がある。どのようにして歓待しようかと考えたが、夜、庭でバーベキューでもと思っているが、どうも天気が怪しい。でも一応そのつもりで、庭先の草刈りをしておいた。
平成27年 8月27日(木)
概ね晴れ。
最低気温 18.2℃ (05:51)、最高気温 26.3℃ (16:13)
阿蘇文化調査研究会の8月例会。今月はフィールドワークの月、国造神社見学会があった。
国造神社(こくぞうじんじゃ)は阿蘇神社と並んで式内社で由緒ある神社である。阿蘇神社の北に位置していて北宮とも呼ばれている。阿蘇神社がカルデラ内の平野部にあるのに対して、国造神社は外輪の手野の斜面にある。一説には阿蘇神社よりも古いとされているが、神系図によると阿蘇神社の十一宮になっている。主祭神は速瓶玉命(はやみかたまのみこと)、阿蘇神社の主祭神の健磐竜命(たけいわたつのみこと)の子で、母は阿蘇神社二宮の阿蘇都媛(あそつひめ)である。阿蘇神社よりも鬱蒼とした木々に囲まれて、いかにも神域という雰囲気が漂っている。
今日は宮川宮司さんに社務所で国造神社の説明を受けたあと、境内を案内していただいた。
阿蘇市文化調査研究会 国造神社見学会 連続写真(1/2)
阿蘇市文化調査研究会 国造神社見学会 連続写真(2/2)
坂梨の富安牧場のことが熊日新聞に載っていた。最近K亮さんは元気なのかなあ、もう隠居したのだろうか。
台風対策で降ろしたUVのアンテナをまだ上げていなかった、明日にでも上げようか。
平成27年 8月26日(水)
曇り、時々晴れ(写真1・写真2)。日本海に抜けた台風15号が温帯低気圧になってモタモタしている関係で天気がはっきりしない。
最低気温 20.0℃ (03:04)、最高気温 23.0℃ (12:53)
台風15号のコース近くの地域では風の被害が大きかったようで、大規模に停電も発生した、今日の昼のニュースでまだ5万世帯以上の停電が続いているということだったが、熊本市の一部や山鹿市もそうだということだったので、そうなると山鹿に隣接している熊本市のJLZ局の辺りも停電しているのだろうな、インターネットも不通状態が続いているような気がする。あの辺りは荒尾市から非常に近いから、台風の直撃を受けたのだろう、JLZ局は大丈夫だったのだろうかと思って氏のブログを覗いてみたら、ああ、やっぱりだ、大変だったのだ。昨夜は停電だったそうだが、現在はもう復旧しているのだろうか。(写真1・写真2)
今回の台風、今日になって知ったが、石垣島で瞬間最大風速が71mだったとかで、観測史上一番だったそうだ(知らないということは強いことで、もし台風がここにやってくる前にそのことを知っていたら一層生きた心地がしなかったろう)、その時の気圧が940hPaだったので、その強さのまま熊本にやって来たということだ、それでコース沿いの地域では停電が大規模に発生したのか。それにしても、そこからそれほど離れていない阿蘇がほとんど無傷だったのが、何度考えても信じられん。
ところで、昭和41年(1966年)9月5日、第2宮古島台風で沖縄県の宮古島で85.3m/s(毎秒)の最大瞬間風速を記録していてこれが平地での観測史上最も強い最大瞬間風速となっているそうなので、今回の最大瞬間風速は日本でのでなくて、石垣島でのということなのだろうか、どの記事を読んでもどうもそのへんが曖昧である。
昼飯にチャンポンをつくってやった。
今日の晩飯は小生が受け持った、煮込みハンバーグ(大きな声では言えないが、小生が賄い方を受け持つと子どもたちが喜ぶのだ)。
平成27年 8月25日(火) 本日台風15号通過する
最低気温20.9℃ (18:24)、最高気温26.4℃ (09:34)
最低気圧 971.7 hPa(05:59)
本日の雨量 74.2 mm
最大瞬間風速 20.6 m/s(07:52)
今日は午前二時過ぎには目が覚めてしまった、それまでも眠りが非常に浅かった、来るのは朝になってからということが分かっていたのにやはり気になっていたのだろう。その頃はまだ風も雨も殆どなくて静かな夜だった。そして午前5時半ころになって急に風が強まり始めた、海上を北上してきた台風15号は午前6時頃に荒尾市付近に上陸したという放送があった。その時の気圧が940hPaだった。荒尾は福岡県境あり、ここからほぼ60キロ離れた真西の海岸に位置する。
その頃までは風は東寄りだったものが、午前7時を過ぎた辺りから西寄りの風に変わってきた。我家は構造上南西向きに建屋の妻があり、妻面に窓などが切ってある。従って台風の強い雨風が西寄りになって雨風がモロに窓に吹き付けると、気密性なんか全く関係なく家の窓側の室内が水浸しになる、ということがH16年の台風18号の時に経験した。
あの時の台風は荒尾より遠い長崎付近に上陸して、気圧も今回と同じくらいの台風だった、だから、今回も、それがあったので、吹き戻しの風により風向きが変わって雨風が南西側の窓を叩き始めた時には緊張した。
大都市を襲う台風と違って地方の台風なんか今までラジオは無関心であまりそんなことはなかったと思うが、今回は珍しく夜が明ける前からずっと全国放送の定時番組を潰して台風情報一色の放送をしていた。
風向きが西寄りの風に変わって、一階の窓の枠下あたりから少し雨水が吹き始めたので、慌てて二階に行って小生のシャック周りの器具類を他の部屋に運び始めたが、今回は前と比べて少し様子が違う。雨が吹き出してこない、微妙だが風向きが少し斜め方向で、直接風雨が当たらない、今回の台風、強いと言ってもこの前ほどではない、それに雨がほとんど降ってい無い、それらが幸いして室内に吹き出すことはなかった。
台風15号が接近してとっくに暴風域に入っているにもかかわらずここ阿蘇では発表が940hPaの時に、980hPa強の気圧があった、最接近の時にもここでは970hPaくらいあった、これだから台風は同じような規模でも来てみなければわからない。いつもは風が強い阿蘇も今回は不思議なことに風もそんなに強くなかった。台風が去ってから周辺の田んぼを見に回ったがどこもほとんど倒れていなかった。村の農家のトマトハウスの一部が剥がれていたが、そんな程度だった。風師庵測候所の最高瞬間風速は20.6 m/s(7:52)だった。
(写真1・写真2・写真3)
朝7時すぎだったろうか、停電が2回だったか3回だったか立て続けにあった、まあ、台風の時にはしかたがないか。台風のコース近くでは結構広範囲に停電をしたようだ、夕方になっても11万世帯の停電が続いているとか。
そして我家の被害・・・・ワイヤーアンテナを張っていた孟宗が見事に折れて倒れた。幸いに田んぼには倒れこまずに、我家の畑の中に倒れていた。もう相当朽ちていつ折れても不思議でない程度の支柱だから、まあ、倒れて当然というところか。もう一本、上の方が折れて今は使っていないコイノボリの支柱は無事だった。
それから、ハチウトが一基倒れていた。幸いにというか、空き家だったのでこれも被害というほどではない。もう一基、これは雨除けが飛ばされていた。
総じて我ガ方ノ損害極メテ軽微ナリ、であった。
今までは西側を通る台風にはある種恐怖心を抱いていたが今回の台風でなんだか気持ちが楽になったような気がする。ただ、ネットを見ると、自販機が三メートル飛んだとか、太陽光発電施設のソーラーパネルが全部基礎ごと吹っ飛んだとか載っているので決して小さな台風ではなかったのだろうが、それでも全体的には非常に強い台風と言っていた割にはそうでもない台風だったような気がする。
平成16年の台風18号の時のこの地の大きな被害、あれはもしかしたら、狭い範囲の竜巻(突風)だったのかもしれない。
まだ台風15号は北上中のようだが、喉元すぎれば、で、現金なようだがもう全く関心がなくなってしまう。カミさんも10時前には、皆さん、家が私より遠い人たちばかりで私が一番近いから、と言って、出勤見合わせという連絡があったのに、まだ風が強い中、さっさと仕事に行ってしまった。
気象庁の図を見ると暴風域を抜けたのは、午前11時ころだったろうか、かえってその後のほうが風が強くて、台風の最中は阿蘇山も良く見えていたのに、ずっと雨が降り続いていた。
こんな時でも保育園は保育施設というその性格上、休むわけにはいかないのだろうが、太郎は今日は自主的に休ませた。お姉ちゃんは夏休みの宿題の追い込みでねじりハチマキだった。
なんだか今日は脱力したなあ。
平成27年 8月24日(月)
昼前ころから時々小雨、気味が悪いほど風は夕方まで全くなし、明日の明け方くらいだろうか(ちょっとスピードが上がってきているようなのでもっと早くからか)吹き始めるのは。
最低気温 19.0℃ (05:27)、最高気温 24.6℃ (09:17)
台風15号、一旦進路が西方向に振れたかなと思ったらまた戻ってきた、何か良い条件はないかと思うが全く無いなあ、気圧もあまり上がりそうもう無い。強いて言うなら、やってくるのが明るい時だということくらいか。今日は昼前頃から時々少し雨が降っていたが、それにしても静かな一日だったので非常に大きな台風がすぐそこまでやってきているとはどうしても思えず、娘なんかなんとも呑気なことを言っていた、明日になればその怖さが身にしみて分かるだろう。我家では今では小生だけだ、あの時の台風の怖さを覚えているのは、娘はまだ幼児だったので覚えていない、カミさんは仕事に行っていて堅牢な建物の中にいて台風が収まってからケロッとして帰ってきたので、知らない、小生だけがそわそわして落ち着かない時間を過ごしている。
気象庁・JTWC (アメリカはhPaでなくて「ミリバール」を使ってやがる、勝手な国だ)
とにかく、やれることはやっておこうと、いくつかのことをやった。先ず、無線のアンテナを降ろした。HB9CVと144と430、物干し竿の撤去、ベランダの片付け、風雨が吹き込むだろうから、サグラダ・ファミリア状態の未完の下屋内の濡れては困るものの養生、屋根裏部屋の出入口の目張り(妻が南西向きなので隙間から容赦なく雨が沁みこむ)、長時間停電に備えてエンジン発電機のガソリンの購入・・・そんなものかな。ハウスは飛んだら飛んだ時だ。我家の菜園のハウスなんかハウスのうちに入らないが、農家のトマトやアスパラのハウスはビニールを剥ぐのだろうか、剥がずに台風を迎えるのだろうか、今度の台風、悩むところだろうな。そろそろ収穫期を迎える稲がまた全倒伏することだろう。
それから、小学校に置いてあったハチウトも撤去してきた。久しぶりに行ってみたら、蜂の巣が完全に無くなっていた。最近は小生が小学校と縁が切れたのであまり接触する機会が無くなったので、おそらく安全のためにやむを得ず、というところだろうか、残念だが仕方がない。(写真1・写真2)
平成27年 8月23日(日)
晴れ。久しぶりに家にいても暑かった。
最低気温 18.3℃ (05:59)、最高気温 31.7℃(15:25)
本日の阿蘇中岳火口。 火映現象
台風15号、いよいよ明後日か・・・・西を通るのが避けられないのなら少しでももっと西にずれてくれ。気象庁・JTWC
予想ではやってくる時には 965〜970hPaくらいか、平成16年9月7日の台風18号の時は945hPaだったのでそれよりは幾分弱そうだが・・・
台風に備えて色々と防御対策をとらなければならないのに、穏やかなは初秋の空を見ているととても大荒れになる実感がわかず、今日は何もしなかった、明日は、アンテナを降ろしたり、飛ばされそうなものを片付けたりと、受け身のことしか出来ないがやらずまなるまい。
現在、「数学」が、これは「数2」になるのだろうか、面白くて、具体的には対数と指数であるが、計算尺の基本で、やりだすとキリがなく一日中夢中でハマり込んでいる。検算などで、(まあ、本末転倒になるが)関数電卓を使うのだが昔から持っていた電卓、これはカシオのfx470というやつだが、時々エラーが起きる、液晶表示もところどころ欠けている。小生の計算違いなのか、電卓のエラーなのかわからないので、関数電卓を買った、カシオのfx-JP900というやつだ。値段は4k以下である。とても全ては使いこなせないが素晴らしい電卓だ。と思っていたら、スマホに関数電卓のアプリを入れていたのを忘れていた、スマホの関数電卓のアプリはこれまた素晴らしい、なにもわざわざ電卓を買うまでもなかったかなとも思う。考えてみたらスマホは数万円もする高級電子機器なのだから、このくらいの機能はあって当たり前か。
平成27年 8月22日(土)
晴れ。予報では天気が悪いと言っていたと思うが、少し雲があったもののいい天気だった。
最低気温 22.4℃ (05:54)、最高気温 29.6℃ (15:32)
台風15号、なかなかブレまへんなあ、あと三日か、もう劇的にコースが変わることもないだろう。あれからもう何年経っただろう、我家の大き木が根元から折れたり、近隣の家やポンプ小屋などが倒壊した時の台風のコースだ、あの時は怖かった、あの時の台風の怖さを知らずに簡単に小屋などを作った人は大変だ、同じコースでも色々な条件が重なるかどうかで違ってくる、最悪の場合ヘタしたら吹っ飛ぶかもなあ。このまま来ることは無いとは思うが、我家もあの時からかなり老朽化しているので屋根なんか一部吹っ飛ぶかもしれない。気象庁 ・ JTWC
午前中、昨日の溶接の続きをする。隆一さんの田んぼの揚水ポンプの架台の溶接である。無事完成。出来の方は実用上は全く問題はないが溶接線が美しくない。ここでは川が近くにない田では井戸を掘ると地下水が豊富なので容易に水を得ることが出来る。ここから少し離れいるが自噴しているところもある。
ピアノのレッスン日で三人は昼から熊本方面に出かけて行った。
平成27年 8月21日(金)
晴れ。今の季節、屋内にいる限り、一年で一番気持ちのいい時期かもしれない、吹き込む風が気持ちがいい。
最低気温 22.0℃ (06:02)、最高気温 28.5℃ (13:33)
台風15号の予想コース、今回は妙に日米の呼吸が合っている、最悪のコースだ。ただ、今の予報技術ではこのまま行くはずがない、今後必ず右か左にコースはブレるだろう、ということを唯一の拠り所にする他無さそうだ。気象庁 ・ JTWC
夕方近くになって組内の隆一さんから溶接の依頼があったので、太郎を迎えに行くまでの約一時間きゅうきょ店開きをしたが今日は半分くらいやって時間切れになった。板が薄いとかなり歪がでるなあ。
今日は村の行事、お大師さんとお薬師さんとお地蔵さんの日。これも縁起は知らないが、この日は村の座の女性たちが主となって妙法寺庵主さんにお経をあげていただく、男たちの出番はない。村の中にある薬師堂と地蔵菩薩を順に巡ってお参りをして、集会所に今日一日だけお大師さんを安置して、夕方になると村の人達は都合がついた人から集会所に三々五々集まって、お斎をちょうだいする。小豆の飯のオニギリや煮物など出る。普段の寄合いの時は世帯主しか出てこないが、今日は村の人達全員が集まるのでそれぞれ進路が違って普段会う機会がなかなか無い子どもたちもやってくる。皆ちょっと見ない間に見違えるほど大きくなって驚かされる。
(写真1・写真2・写真3・写真4 )
数カ月前からシマのやつがダラダラよだれを垂らして普通ではない状態が続いていた、インターネットなんかで調べるとどうも口内炎というやつらしい。人間の場合、口内炎ならしばらく痛くてもやがて治るから、猫もそうだろうと思っていたが一向に良くならない、食欲も落ちて痩せてきているので、午後、娘と一緒に松野動物病院に診てもらいに行ってきた。
予想したとおり、口内炎とのこと、人間のように放っておいて治るものでもなさそうで、キャッツフードなどの固い食べもは駄目なんだそうで、軟らかい食べ物と与えるようにとのことだった、そして、口内炎用の塗り薬をもらってきた。猫は健康保険が利かないのに、治療と投薬でも只みたいな安い費用で診てもらった。(写真1・写真2・写真3)
アゼリアの風呂の故障のことが新聞に載った。我々利用者は新聞を通じてしか休業の事情を知ることが出来ないのか。市のお知らせ端末ではそういったことには全く触れず、今にも復旧しそうな放送を最初の頃少し流しただけであとは知らんぷり。何のための年会員なのだ、住所氏名がわかっているのだから、何をさておいても事情説明をすべきだろう、都合の悪い情報は隠す、市のやりかた、これではまるで某中国と同じではないか、ナメられたものである。
平成27年 8月20日(木)
晴れ。今日は窓際に椅子をおいて本を読んでいると涼風が吹き込んで本当に気持ちのいい一日だった。
最低気温 20.9℃ (05:57)、最高気温 29.0℃ (14:22)
台風15号、なんとまあ。
夏子の13回目の誕生日、もう13年経ったのか、あっという間だったなあ。夜ジンギスカンを食べて、ケーキでお祝いをした。太郎は自分の誕生日のように振舞っていた(写真1・写真2)。何をプレゼントしようかと考えて、小生は万年筆を贈った。小生がやること須らくレトロである、今どき万年筆なんか、特に、若い人は使わないだろう。小生が中学校に入った時に親から万年筆を買ってもらって大人になったという気分がした。夏子はどういう感想を持ったろう。初めて持つ筆記用具、興味深そうに試し書きをしていた。
昨日と今日、阿蘇町の内牧で「大阿蘇火の山まつり」が開催されていて、夕食後、カミさんが子どもたち二人を連れて出かけて行った、小生は留守番をした。
最近のスパムメールは巧妙になってきて、同じ奴が送ってきているのは分かるが、メールアドレスで排除しようと思っても、毎回少し違えて送ってくるので日に何十通と入ってくるメール、事前に小生が使っているメーラー(Outlook2007)では迷惑メールとして振り分け出来ないので、フリーソフトを入れて退治することにした。スパムメール対策にはいろいろな方法があるようで、また色々なソフトがあり、どれが適しているかよくわからないので、最初に目についたSPAMfierというソフトを入れてみたところ実に小気味良く迷惑メールを振り分けてくれている。ただこのソフトも若干胡散臭い部分がありそうなので、しばらく使って様子を見ることにした。
平成27年 8月19日(水)
曇り、時々晴れ。夜に入ってまた少し降っている。
最低気温 22.2℃ (00:46)、最高気温 27.1℃ (16:09)
夏子が夏休み、終日部活であれば小生も夕方まで出かけることができるが、マーチングが終わって、終日部活ということがなくなったので、午前か午後かどちらか半日は家にいる。そうなると昼飯の面倒を見なければならいので小生も家を空ける事ができない。しかしそんなことを言っていると夏休み中小生は動きがとれなくなる、そんな娘の学校生活の犠牲になるのはまっぴらである。ということで、今日は、お父さん出かけるからと宣言をして、お昼は弁当を作って食べて、それから学校へ行けといって出かけた。夏子は朝起きて自分の弁当を作っていた。それでいいんだな。
というわけで、「日本のいちばん長い日」を観てきた。光の森のシネコンは子供用の映画ばかりでこの映画はかかっていなかった、光の森より少し遠くなるが、嘉島町のイオンシネマでやっていた。予想以上に結構沢山の観客が入っていた。さすがにこどもはいなかったが若い人もいた。この映画、50年近く前に一度映画化されたことがある、その映画も観た記憶があるがかなり昔のことで、あまり覚えていないが当時の映画も良く出来た作品のようだ、機会があれば改めて見直してみたい。
今回の作品、非常に重厚で色調を抑えた画面に深みがあって良かった。もしろんこの終戦の玉音放送にまつわる事件は知っているが、知っていてもグイグイとスクリーンに引き込まれて見た。非常に出来のいい映画だ、日本映画も素晴らしいと認識を新たにした。本木雅弘の昭和天皇、特徴をうまく捉えていて全く違和感はなかった。
我家の女どもは優雅に何かのコンサートだとかで夕方から熊本方面に出かけて行った、太郎と小生は留守番、晩飯はジョイフルで済ませた。(写真1・写真2・写真3・写真4)
平成27年 8月18日(火)
晴れだったが、あまりはっきりしない天気だった、午後、少しパラパラ来た。
最高気温 27.0℃ (11:29)、最高気温 19.3℃ (05:13)
そろそろ台風二つが日本列島に関係してきた。台風16号は小生が勝手に予想したように日本に到達する前に右旋回だろうが、同じ右旋回でも、台風15号の動きが少し気になる。
太郎を保育園に送って温泉病院に副鼻腔炎の薬を貰いに行った、もう桃花水に寄ることもなくなった。病院の近くにある阿蘇図書館に読み終わった本を返却して、今読みかけの本がまだニ三冊あるし、他の道楽もあるし読む時間がないのでもう借りまいと思ってたが新刊本コーナーに海堂尊の新刊「スカラムーシュ・ムーン」があったので、また、借りてきてしまった。
今日は村の行事、「みょうけんさん」があった、午後三時から村の集会所でお参りをしてから、お斎というか直会というか皆さんで御膳を囲んだ。(写真1・写真2・写真3・写真4)
常々、「みょうけんさん」って何処の妙見さんだろうと思っていた、なんでも、昔この村に事故が続いたか疫病かなにか流行った時に病魔退散で祈願したのが、この村の「みょうけんさん」をお祀りする始まりになったというようなことを聞いたことがある、その昔がどれほど昔かは知らない(が軸に昭和48年とあるが、この時が最初ならまだ新しいが)、それ以上のことはあまり皆さんも知らない。天神さんはどの村でもお祀りする、秋葉さんは隣の馬場集落ではお祀りをするが、ここではやらない、村々でお祀りは少しずつ違うようである。
今日しみじみとこの日のために集会所に掛けてある軸を眺めたところ、大分県日出町赤松山願成就という文字が読めた。そこから調べてみたところ、養老年間に仁聞が開いたとされる大分県北東部の国東半島にある33の寺院からなる国東六郷満山霊場の最後の札所三十三番目の神仏習合の赤松山願成就寺の御本尊が妙見菩薩だとある。それでようやくこのお寺から、もらった軸だということがわかった。
午後五時頃散会になって家に戻ってくると、家の入口の畦に電気柵が張り巡らされていた(写真1・写真2)。見渡すと、道路沿いにずっと南方向に坂梨さんのお宅のところまで張ってある。ここは志賀昭久さんの田んぼだ。ちょうど志賀さんの作業姿が見えたので、電気柵ですか?とお聞きしたら、ほら!と言って田んぼの中程を指される、イノシシが稲を踏み倒して困っている、去年あたりから少しこういった状況が見られたけど今年は更にヒドイので電気柵を付けました。バッテリーで大した電気ではないので大丈夫ですがお子さんお気をつけ下さいとのことであった。道路を挟んで直ぐに「卯の鼻」の斜面が始まる、そこから降りてくるのだ、我家の直近までイノシシが出入りするようになったのだ、イノシシは米を食うわけではない、適当にぬかるんだ田んぼをヌタバにして遊ぶのである。
さっそく保育園から帰ってきた太郎に、注意をしておいたが、臆病者だから、話しただけで、怖がって柵に近寄ろうとはしない。通電は夜間だけだからどう転んでも痛い目に会う機会は無いだろう。
平成27年 8月17日(月)
強い雨ではないが朝から夕方近くまで降ったやんだりだった。関東地方は大気が不安定で藤沢あたりで竜巻が発生したそうだ。
最低気温 22.4℃ (20:07現在)、最高気温 25.4℃ (13:43)
市主催の住民検診が坂梨公民館で開催された。例年だと指定時間より少し早めに行っても空いていて直ぐに受診できたが今日はやたらと混んでいて、割り当ての地区の時間になっても前の組が終わらず結構待たされた、それだけ受診率が上がっているということだろうか、結構なことである。それでも昼前には終わった。(写真1・写真2)
朝を抜いていたので、昼には娘と相談してトンカツを揚げて食べることにした。一つにはボクシングの計量検査が終わって腹いっぱい食べる、あの心境のようなもので、健康推進員をしていると、毎年健康診断のデータを比較しながら健康管理についての研修があるのでどうせなら前の年よりも良いデータが欲しいと、二ヶ月ほど前から節制していたものが今日の健康診断で一応終わったからである。(それにしても、直ぐに気軽に自分で作るなんて食べることにはマメだなあと自分でも感心する、コスト的にも四分の一か五分の一で済むことも大きな理由であるが)
二ヶ月ほど前に体重が70キロを超えていた。これはヤバイと思って、住民検診までに体重を落とそうと思って、意識した生活を始めた。先ず、満腹するまで食べるのはやめよう、間食は絶対にしまい。実行したのはこの二つである。それで難なく5キロ近く減量することが出来た。今回はプールに行くことはしなかった。如何に食い過ぎていたかということである。この程度の節制は苦でも何でもない、できればあと1キロ落としたかったが、これ以上痩せようとすると少し無理をしなければならないので、今回はこの程度で抑えておいた。世の中、ダイエットで苦労している人が多いが、要は食べ過ぎなんだろう。ちょっと減らすだけでいいのだ。
夕方になって青空が覗いてきて、山もよく見えるようになったが、阿蘇中岳が白い噴煙だが結構な量を噴いていた、桜島とは直接関係がないのだろうが・・・・・
一昨日だったが、家人が、居間の蛍光灯が点けると点くけどすぐ消える、と言ってきた。面倒なのでしばらく放っておけと言ってあったが今日時間が出来たので調べてみた。確かにパッと点くが二三秒で全部消えてしまう。常夜灯は点く。なんだろうか、と思って、ネットで調べた。インターネットに色々質問をすると、あちらこちらか回答が来るサイトがあるが、その事例で検索したところ、まあ、やれ、安定器の故障でしょう、グローランプが切れているのでしょう、インバーターの故障でしょうなどなど言いたい放題。そのなかで、蛍光管が黒くなっているやつがあればそれを外して点けてみろというのがあったが、蛍光管が古くなったら古くなったで、暗くなったりチラつくことはあっても、それで全部が消えることなんか無いだろうと思ったが、まあ、やってみようかと一本黒くなっているやつがあったのでそれを外して点灯したところ、点いた!今までそんな経験が無いので不思議に思って調べたところ、インバータ方式ではそういった蛍光管があると安全装置が働いて全部消えるとあった、へえ〜そうだったんだ。早速蛍光管を買ってきて交換して無事に解決した。故障したと思い込んで廃棄処分にしなくてよかった。
平成27年 8月16日(日)
晴れ。少し雲が多かったような。
最低気温 21.7℃ (00:00)、最高気温 27.2℃ (14:23)
朝、ご先祖様を送るために山に登る。こどもたちはまだ一緒に登る態勢が整っていなかったので小生一人で登ってきた。(写真1・写真2)
夕方近く、なごみ野の大将が竹をきりにやってきた、何か庭で細工物を作っているようだ。なごみ野、お盆休み中は大繁盛だったそうだ。
今日も一日のんびり過ごす。家族もそれぞれの時間をすごす。お姉ちゃんは部活で潰れた時間を取り戻すために必死で夏休みの宿題に取り組んでいる。弟はお姉ちゃんからもらったゲーム機に集中していた。
平成27年 8月15日(土) 本日は大東亜戦争が終わった日、敗けた日
ずっとアゼリアの風呂が故障をしているせいもあって全く外に出ないので表通りやショッピング街の混雑具合が全く分からない、家にいる限り、普段であれば時々家の前を通る現在も続けられている災害復旧工事のダンプもお盆休み、普段でも静かな家の周りがまるで正月のような静けさである。今日も穏やかな一日だった。
最低気温 19.3℃ (04:02)、最高気温 30.8℃ (15:07)
また台風の発生だ、台風15,16号、太平洋高気圧次第だな、まだ海のものとも、山のものとも、いや、海のものだった。さてどういうコースを辿るのやら。
桜島の噴火警戒レベルが4に引き上げられたそうだが、ここ阿蘇山は、ちょっと白煙が多いが静けさを保っている。
今日も涼しい風に吹かれてのんびりと道楽にふける。
計算尺ネタの続き、
月へ向かう途中で酸素タンクの爆発と電源の喪失に見舞われ、奇跡的に地球に帰還したアポロ13号を映画化したトム・ハンクス主演「アポロ13号(1995年)」では、地上にいる管制官が計算尺を使うシーンがでてくる(映画は見たけど全く記憶に無い、そんなところまで見ていない)。この映画は実際に起きた事実を忠実に再現して製作された。爆発事故が起きて姿勢制御ができなくなって航法コンピュータの電源を切る前に、船の角度を知るために、司令船内のジム・ラヴェル船長(トム・ハンクス)が読み上げる数値をもとに、ヒューストンの司令室のエンジニアが軌道計算を検算するシーンに登場している。(司令船の中にもコンピューターが故障した時に備えて計算尺が用意されていたそうだがこれは実際には使われなかったそうである。)
ゼロ戦や大和といったそんな昔の話ではない、月に行く時代になってもまだ電卓の登場はなく、計算尺は科学技術の世界では必須アイテムだったのだ。
そして電卓の登場で計算尺が使われなくなって生産もされなくなって手に入りにくくなった今、それが今度はスマホのアプリとして登場している。スマホという最先端技術の中で極めて古典的なアナログの計算尺のシミュレーションをする、懐古趣味というか、この無駄の面白さ。
平成27年 8月14日(金)
少し雲があったが晴れた、気温も落ち着いて涼しい一日だった。
最低気温 20.8℃ (04:47)、最高気温 27.3℃ (14:41)
夕方近くになって、日本山妙法寺の庵主さんがお経をあげに来てくださった。大抵の人が何処かしらで目にしたことがあると思うが日本山妙法寺は日本の各地だけでなく海外にも仏舎利塔を建立している。開祖の日達上人はここ豆札で日本山妙法寺を開いた。
昼時には子どもたちに素麺を茹でてやった。
今日も静かに家で過ごした。今、計算尺やタイガー計算器にハマっていて、それに関する資料を読み漁っている。インターネットを探せばいくらでも資料が見つかる、まさに宝の山だ。ゼロ戦や大和などは計算尺や計算器で設計したんだと思うと、特に計算尺なんかあんなアナログの有効桁数3桁の道具で出来たのかいなあと思ってしまう、そして色々検索すると、技術計算はその程度でいいのだと書いてある、どうもまだ腑に落ちていない。宮崎アニメの「風立ちぬ」でも計算尺が出てくる、大和などは正確を期すために4メートルくらいの計算尺を使ったとか。そういったことを考えると、今の電卓はこれは超革命的な道具だということがよく分かる、実際にはそんなに細かな計算結果までは要らないと思うがとにかく一瞬で答えが出るのだから。小生、事務機器で革命的な発明は、電卓とコピー機ではないかと思う。コピー機にしても、昔はガリ版から青焼き(ああ、カーボン紙もあったなあ、郵便局なんか結構最近までカーボン紙を使っていた。デュプロなんて複写機もあったなあ)を経てトナーを使ういわゆるゼロックスの時代になった。それまでは複写をするという作業はこれはもう大変な作業だった。小生は社会に出てからちょうどそういった時代を経て来ているのでその変化の度合いが非常によく分かる、今の人たちは最初から当たり前に近代兵器があるのだから、昔の苦労は想像できないだろう。
ということでノスタルジーではないが、計算尺とタイガー計算器が面白くて仕方がない、恐らく今の人でこれらを使える人は極めて少数になっているだろう、そして益々その数は減っているだろう、使いながら動態保存をしていきたいと思っている。
特に計算尺は対数(いわゆるLogである)と指数の理解が必要で、改めて対数を復習している、復習というより今では初めて勉強するようなものだが、いやあ、面白いなあ、どうして中高生時代にもっと興味が持てなかったのだろう、どうせ、もうすぐ娘がそういった勉強をする時が来る、お陰で十分に対応できそうである。
昨日JAバンクに行った際、そこに置いてあった「AGURIFUTURE」という名前の冊子に目がとまって手にとってみたところ、坂梨のトマト農家の面々の記事が載っていた。ああこれここで紹介したいなあ、スキャンして載せようか、でも、もらってきたけどちょっとサイズが大きすぎて面倒だなと思って、試しにネットでAGURIFUTUREという言葉を検索したら、ネットにサイトがあることがわかった。
「みのりみのるプロジェクト」というサイトである http://minoriminoru.jp/agrifuture/2015/07/vol39-1.html 、なかなかシャレたサイトで全農の枝だと思うのだが、どうもつながりがわからない、そこに映像と一緒にこの冊子がそっくり載っていた http://www.minoriminoru.jp/book/agrifuture_vol40/index.html#page=7 この斉藤師匠のもとでは沢山の「トマト」を始めようとする人たちが学んでいる、これらお弟子さんたちは今までトマトとは無縁のキャリアの人たちが多く、写真に載っている人たちの何人かはよく存じあげている。こういった記事に接すると農業の未来に光明が見えてくる気がする。なかなか良いネーミングだ。
平成27年 8月13日(木)
雨のち、曇り、夕方近くになってようやく晴れ方向に。
最低気温 22.4℃ (06:02)、最高気温 25.9℃ (14:47)
お盆である。我が家では毎年外輪を少し登ったところにある我家の墓所までご先祖様をお迎えしてくるところから始まる。毎年朝のうちに登るのだが、今日は朝のうちはっきりと分かる雨だったので出発を少し見合わせて、空模様とにらめっこ、さあ雨が上がったから出かけようと子どもたちと玄関口まで来るとまた細かな雨が降り始めて、またしばらく見合わせ、それを二三度繰り返して、もう大丈夫かなというところで、子どもたちを引き連れて山を登った。
ここ何年か子どもたちも、いっしょに行く!と言って付いてくる、今年はこんな具合だからお父さんが独りで行ってくるからと言ったのだが、一緒にいきたいというので、結局三人で登ることになった。
例年なら、仏花を手向けてローソクとお線香を焚いて、持っていったペットボトルの水を墓石に少しずつかけてくるのだが、今日は、少し雨が降っていていつ本降りになるかも知れないし、墓石も何もかも濡れていて火を点けてもすぐに消えるだろうと思ったので、花だけを手向けて、小生の般若心経だけで、ご先祖様のお迎えのセレモニーは終わった。
お姉ちゃんは夏休みだが、保育園には夏休みというものはない、したがって、太郎にはお盆期間中、自主的に夏休みをとらせた。カミさんは新米なので仕事を覚えるために今日も出勤していった。
お昼から円通寺の今年は坂本和尚がお経をあげに来てくださった。(写真1・写真2)
その後、今度は、こちらから、何軒か初盆参りに伺った。この地では、普段お付き合いがあるここ一年で不幸があったお宅にお盆期間中にお参りをする風習が強く残っていて、今日などは、その弔問の皆さんが町中のそこここで目についた。
今日はお盆一色の一日だった。
平成27年 8月12日(水)
台風13号くずれの低気圧で久しぶりにまとまった雨になった(22時現在25mm)、今日の雨、大地を、田畑を育むように一日静かに降り続いていた。そして気温も下がって、窓を開けていると寒いくらいだった。
最低気温 21.5℃ (10:28)、最高気温 24.4℃ (17:38)
午前中は来客とお盆を迎えるために夏子と二人で部屋の大掃除をした。昼には夏子がそばを食べたいというので久しぶりに、蕎麦処「阿蘇の風」に行った。しばらくすると別に示し合わせたわけではないが偶然カミさんが職場の人と昼食を食べにやって来てハチ合わせ、さらには、JLZ局がやって来た。JLZ局は圓林寺に和尚のお悔やみに行った帰りだということであった。珍しい日だった。
小生の従姉の弘子さんが九州旅行の途中に長男の洋くん一家と訪ねてくれた。一行は横浜から新幹線で博多までやってきて、博多から車で長崎、島原、熊本と泊まって今日阿蘇入りをした。弘子さん婆様の葬式の時、洋くんたちはさらにその数年前に来てくれたことがありそれ以来である。弘子さんは小生にとっては姉弟のような近い親戚である。今回小生が何を作って歓待しようかと悩んでいるだろうと、宿泊先の「かんぽの宿」に我が家一同を招待してくれて、夕食を御馳走になってきた。
連続写真
平成27年 8月11日(火)
晴れ。
最低気温 20.4℃ (04:07)、最高気温 29.9℃ (14:27)
アメダスの観測ポイントの阿蘇乙姫では今日も真夏日だったようだが、ここは真夏日一歩手前で踏みとどまった。
午前中、先日の公道に面した生垣の剪定草刈りをしてそのまま放置してあった枝類を軽トラに積んで裏の畑の隅に移動した、結構な量があり一山できた。
夏子は部活は一区切り付いたのだろう休みだったが、その代わり、学校で勉強会があって午前中出かけて行った、そして、時分時にはちゃんと帰ってきた、今日はリクエストにより冷やし中華を作ってやった。
明後日からお盆のうえ、明日には来客がある、仏壇の掃除や宅内の整理を始めたがどうもエンジンがかからない、明日午前中に一気にやってしまおう。
アゼリア21、阿蘇市の温泉とプールの施設である。その温泉のほうが故障したということなので、太郎と二人でプールに行って、ひと泳ぎしてからプールに付属の温水ジャグジーと温水シャワーを風呂代わりにして帰ってきたが、話によると温泉の故障は一日や二日の故障でなく、下手をすると一月や二月間の故障になるかもしれないという話である。わが家のようにそれじゃあ家の風呂で我慢するかという訳にはいかない人もいるだろう、これは面倒なことになりそうだ、また夏休みの稼ぎどきの今、温泉の故障は施設側にとっても痛いだろう、阿蘇の公共施設はあちらこちら老朽化が進んでいて市の財政が苦しいなか色々大変だろう。
太郎とプールに行くのは初めてだろうか、最近、泳げるようになったと母親たちとはに三度行っているが、今日その泳ぎっぷりをみて、基本的に駄目だと思うところを直してやった。泳げるというのは太郎の感覚なんだろうが、もちろんそれ以前の段階である、ただ、水に体を投げ出してほんの少しだけ浮くことが出来る、プールの底から足が離れているわけだ、それを太郎は泳ぐと言っているのだが、それでも、顔を全部つけて体を水中に投げ出せるだけでも大したものである。どうもイメージ的に水泳のスタート時の飛び込みが「泳ぐ」というふうに理解していて、両手を前に突き出して立った高い位置からいきなり水中に顔から突っ込んで二三度足をバタバタさせて直ぐに立ち上がる。そんなことをしなくてももっと低い位置から両手を伸ばしてそっと水の中に入って力を抜いて、足をゆっくりバタバタやってごらん、と言ってやったところ、直ぐにそれをやって、大いに納得したようで、今までよりも距離が稼げるようになった、ただ、ゴーグルをしておらず、目を瞑ったままだと不安のようなので、お姉ちゃんが昔使ってた小さなやつがあるから、それを貰いなさいと言っておいた。アゼリはでは家族でも写真を撮るのはいけないので、せっかくの子供の成長を記録することが出来ない。
うーん、aのゼロ乗は1なんだなあ・・・・・
平成27年 8月10日(月)
晴れ。今朝、雲海が出た。
最低気温 20.8℃ (05:58)、最高気温 30.3℃ (15:26)
今日も特に何をしたということでもなく慌ただしく一日が過ぎた。ああ、午前中は夏子を小野眼科に連れて行った。最近目が充血していて先日母親に眼科に連れていってもらったが今日はその経過観察のためにの通院だった。アレルギー性の結膜炎だそうで、先日もらって注している目薬が効いているようであと数日注し続けるようにという指示を受けて帰ってきた。
円通寺さんにお盆のお経のお願いに行く。
軽トラックは結局ガス欠だった、普通であれば実にみっともない話だが、小生の軽トラックは燃料計が壊れていて(直してもらうのだがどうも直らない)、いつも、給油のたびにトリップメーターをゼロに戻して、ゼロから走行距離の積算で燃料の減り具合を頭で計算していた。満タンにして大体420キロは走ることは経験的に分かっていたので、今回はまだ390キロくらいだったのでエンジン停止はガス欠ではないと思っていたのだ。箱石峠のニ往復でいつもより大量の燃料を消費したか、人間ひとり分の重さのクレーンを常時積んでいることも原因か。そして燃料計の不調の原因がわかった。小生の軽トラックの燃料タンクは結構地面に近い位置に付いていて、畦などを乗り越える時に腹を擦る、そういったことが原因で、タンクがボコっと凹んでいて、その凹んだあたりに燃料の残量を計るフロートがあって凹みがフロートの浮き沈みに影響しているようだ、直せる範囲で直しておいたとのことだが、果たしてどうだろうか。
今晩も小生が晩飯を作った。夏子のリクエストでチキン南蛮、コーンポタージュスープ、レタス、地キュウリの塩もみ、スイカ。
平成27年 8月 9日(日)
今日も暑かったんだねえ。
最低気温 20.1℃ (06:01)、最高気温 33.1℃ (13:58)
朝一番で石田オートから代車を借りてきた。その車で、今日も箱石峠越えで白水まで往復する。今日は静かだったが、阿蘇中岳、昨日久しぶりに小噴火をしたそうだ、気が付かなかった。
真宗大谷派隻龍山圓林寺第十五世住職、雑華院釈教證師ノ門徒葬本日滞リ無ク執行セラレタリ
本堂の前に参会者の席が設けられていて、そこはちょうど大樹が木陰を作っている、そして椅子に座って渡ってくる気持ちのいい風に吹かれながら導師以下法中の声明を耳にしていると、今日もこの時間、非常に暑かったそうだが、その暑さも一向に気にならずに、いつのまにかしばしまどろんで、無我と言うか忘我というか、極楽の境地に至った。その時何匹もの蝉の鳴き声も混じっていたが、まどろみながらも、ふと、「惠蛄春秋を知らず・・・・」という言葉が頭に浮かんだ。親鸞とも縁のある言葉だったはずだ。
圓林寺第十五世 故木村誠喜住職 告別式 連続写真
葬儀の後、大津に回って用を済ませて、阿蘇に戻ってくると、ワイパーが利かないほどの大雨が降っていたが、やがてそれも上がり涼しい夕方がやってきた。
今日は「くまもとマーチングフェスティバル」の本番で、うまかなよかなスタジアムで夕方から開催されることになっていて、夏子は朝から早々と登校していき、カミさんと太郎は昼頃スタジアムに向かった。始まるのが夕方にもかかわらず、夏子は予行演習、母子は席取りなどで早い出発になったようだ、今日はあちらこちらで雷雨があったようだが、会場ではその心配がなかったようで、午後8時過ぎにとりあず無事に終わったというメールが入ったが、このあと、まだ何かあるのか、帰りはずっと遅くなるそうだ。写真を撮ってくれば明日にでも載せるが・・・・
平成27年 8月 8日(土)
えっ?本当か?そんなに暑かったか?阿蘇で猛暑日だなんて。
最高気温 35.1℃ (14:44)アメダスでは猛暑日にならなかったが我が観測装置は猛暑日を記録した。
最低気温 18.7℃ (05:43)
台風13号。台風14号。
深夜2時前、和尚がとうとう逝ってしまわれた、入院以来時々顔を見に行っていたが、一時はもしかしたら、と思いたくなるほど元気なときもあったが、ここにきて急に容態が悪くなって、最後のほうには、会話などの意思疎通が難しくなって、目だけがかろうじて動かせてそれで小生を認識してくれていたようだった。ハッキリ駄目だと宣告されて、その時を迎えるために入った病棟、見舞いに行くたびに、ガンバレと言う言葉が、空々しく聞こえるのではと、しかしその言葉しか思いつかずに掛ける声が小さくなっていたが、人間はどんな時にでも、もしかしたら、という一縷の希望は持っているのでないだろうか、今にして思えばもっと力強くガンバレと言って差し上げたかった。この前の火曜日が最後になってしまった、ほんのちょっとした「あと・さき」のことだけど、人はみな死んでいくんだなあ、なんだか心にぽっかり穴が空いたような気分だ。
特別養護老人ホーム「あそん里」の夏祭りで坂梨保育園児が出演をして器楽合奏をした。太郎も低音部専用のキーボードを引いて出演した。本番は秋の運動会のようで現在はニ曲めを練習中だそうだが、今日は完成した一曲(トトロの散歩)だけの披露だったようだ。予定ではカミさんが行くことになっていたが、急に予定が入って、ちょっと間に合わないので、お父さん写真を撮ってきてくれというので、急遽駆けつけて、カミさんが来るまでの間の短い時間のみ写真を撮ってきた。
今日は一日中、家族はスケジュールいっぱいで飛び回っていた。夏子はマーチングの最後の練習で、母親がアピカに送っていた。そして帰ってくるなり、今度は母親は太郎をアゼリアのプールに連れて行った。太郎、保育園のプールで浮くことが出来るようになったそうで、それをなんとか見て欲しくて昨夜アゼリアに行ったところ、プールはもう終わりの時間だったので、今日改めて連れて行く約束になっていたようだ。
太郎がプールから帰ってくると、もう、昼で、太郎の「あそん里」出演のために登園時間が迫っていて、急いで昼食を済ませて、母親が保育園に送っていった足で、アピカに昼までの練習だった夏子を迎えに行った。
予定では、三時半ころから太郎の出番があるので、そのつもりでいたところ、夏子が二三日前から目が充血して痛いという、カミさんが小野眼科に電話をして聞いたところ、今の時間ならぎりぎり間に合うからと、二人で小野眼科へ出かけて行った。
というわけで、小生が助っ人で「あそん里」に出かけたわけであるが、さらにこの後、夏子のピアノ教室があり、あそん里から帰ってきた三人で熊本方面に出かけて行っって、午後11時頃帰ってきた。
「あそん里」夏祭り、坂梨保育園出演 (1/2)
「あそん里」夏祭り、坂梨保育園出演 (2/2)
小生は、午前中、この暑い中、公道に面した生け垣と路面の草刈りをした。
そして、午後7時からの和尚のお通夜に箱石峠越えで圓林寺に向かった。今日もちょうど家を出る頃になって、空模様が怪しくなってきた、さて、システムを止めて外出するか、まあ、その時はその時だと、雨が降り込まないように家中の窓を閉めて、PCは消さずに出かけたが、幸いにこちらまでは雷雲は来なかった模様。
和尚の通夜式、圓林寺境内、沢山の通夜客があり、しめやかに営まれた。今まで多くの人を送り、そして沢山の人に浄土を説いてきた和尚、今回自ら彼岸に渡って実際に向こうはどんな風か、非常に好奇心が旺盛な和尚のことだ、こちらにその様子を伝えたいだろうと思っていることだろう。
話はそこで終わらない。帰りも同じ箱石峠を越えて帰ってきた、そして、坂梨交差点で信号が差し掛かる直前で赤になったので、信号待ち時間が長いので、信号のないところで57号線を横切ろうと思って、少し手前の旧道の信号で左に曲がって丁度豆腐屋の前に差し掛かったところで突然エンジンが止まった。そしてなんとか惰性で豆腐屋の駐車場に車を乗り入れて停めた。エンジン停止の原因がわからない、以前から燃料系のメーターが壊れていて、給油のたびにトリップメーターをゼロに戻し、メーターの数字をみて燃料の残量を推定していたが、今日はまだ残っていたはずだが、ガス欠だろうか、それにしても、山の中で停まりでもしたら大変なことになっていた、そして本当に運の良いことに、今日の通夜の主役の弟の家の前で突然停まるとは、信号が直前で赤にならなければ交差点の真ん中で停まっていたかもしれない、これも何かの「因縁」だろうか。そして、更に運が良いことに、まりさんのお母さんが臨時で泊に来てくれていて、お母さんに車で送ってもらって帰ってくることが出来た、仏縁だな。
平成27年 8月 7日(金)
朝からずっと薄曇りで、朝のうちちょっとの間だけどほんの少し雨が降った、見上げるとけっこうハッキリと雲があるのに雨雲レーダーには(九州を含め日本列島には)雨雲はかかっていなかった、山間部なのでレーダーに写らない程度の薄い雨雲がかかっていたのだろうか。そしても午後からは青空が戻って今日も真夏日を更新した。
最低気温 23.1℃ (00:02)、最高気温 32.2℃ (16:02)
熊本市 最高気温 37.1℃ (14:47)
台風13号。 これは熱帯低気圧か、台風になるのか?
今日(と明日)から夏子のマーチングの合同練習が阿蘇町の農村公園アピカの陸上競技場であるために、その送りと、ついでに太郎も早めに保育園に送っていった。従って今日は一日の始動がいつもより早かったので一時間ほど早めに裏の畑の草刈りを始めた。だから刈払い機の燃料タンクが空になるのもその分、いつもより早く、昼までまだたっぷり時間があったが今日の草刈りはオシマイ。
昼食後、残っている一番重い薪材をクレーンで吊る作業に挑戦した。正に挑戦である。対象物が大きすぎて、各装置の性能、小生の加工技術などからちょっと自信がなかったので今まで躊躇していたのだ。
薪材がある場所が軽トラックで近くまで乗り付ける地形をしていないので、とりあえず引っ張って軽トラックの近くまで持ってくることにした。(写真)
軽トラックのサイドブレーキもしっかり引いて、ウインチの巻き上げスイッチを押すとさすがに重いとみえて車体がグッと踏ん張るように沈み込む、そしてワイヤーに引っ張られて薪材がジリジリと近づいてくる、ボタンを押しながら、クレーンの各所に目を配りながら、どこか異常はないか、極端に無理がかかっている箇所ないかと注意をする。大丈夫だ。ところがしばらくすると、ウインチの動きがオカシイ。牽引を止めて点検すると、本来下方向に吊るワイヤーが伸びるべきところ、遠方の物を引っ張るために、クレーンのブームの先端から出るワイヤーの方向が水平方向に伸びて、そのワイヤーがブームの先端の部分に食い込んで、丁度ワイヤーソーのようにブームの部分に切れ込みが入っていた。それほど重量があるということなんだろう。
そこで、二段になっているブームの(ワイヤーから外すことが出来ない構造になっている)前方部分のブームを抜いて、ウインチから直接薪材を引っ張る形にして再度巻き上げたところ、今度はスムースに軽トラック傍まで引っ張ってくることが出来た。(写真1・写真2)
その後は、特に問題なく、吊り上げて積み込んで、裏に運んで無事に降ろすことが出来た。電動ウインチの威力は素晴らしい!これを手で回そうとしてもギア比の関係で絶対に無理だったろう。電動ウインチは離れて操作できるので、安全性から言っても手回しウインチの数倍の安全性がある。
作業終了後、再度、目視で各部をチェックしたが、クレーンのマストの回転部分がちょっと膨らんでいるだろうか、他の箇所は全く異常は見られなかった、荷台のボルト留めも異常は無かった、モチロン我が溶接技術もだ。
夕方、アピカに夏子を迎えに行く。必要以上に水分補給に気を配り、インターバルも十分にとったにもかかわらず、娘が言うには何人も熱中症で倒れたそうだが、最近のニュースでもたびたびこういった出来事が報じられる、今日のは分からないが、小生なんかこれらは一種の集団ヒステリーなのではと思っている、現代病だろう、昔はなかった、マスコミの騒ぎすぎだ、学校側も大変だろうと同情申し上げる。明後日が本番だがこの暑さが続くのだろう、大丈夫か?
平成27年 8月 6日(木)
晴れ。日本各地で猛暑日がもう数日続いるらしい。ここでは精々真夏日どまりだ。爽快な真夏日が続いている。今日は不思議と周辺に雷雲の発生は無かったようだ。
最低気温 19.3℃ (05:31)、最高気温 31.6℃ (14:32)
台風13号。
午前中、昨日の続きの草刈りをする、昼までにざっとだが終える。まだ裏の畑が全部残っている、お盆までにやっつけたいと思っている。
夏子の吹奏楽部の合宿が今日で打ち上げになるので、夕方、青少年交流の家に迎えに行った。連日の暑さの中、練習の効果が上がっている様子を仁美さんがタブレットで撮って送ってくれた。(写真1,写真2)
今日、迎えに行った際に、最後の練習を見た、ちょうど沖縄からの子どもたちの旅行の一団が到着する時間だったので、その到着に合わせて今回の合宿最後の演技を見てもらって打ち上げになった。小生にとっても、この演技を見たので改めて本番を見ないでも十分に雰囲気を味わうことが出来た。
夏子吹奏楽部合宿連続写真
平成27年 8月 5日(水)
晴れ。
最低気温 19.8℃ (06:03)、最高気温 30.3℃ (13:25)
台風13号、もういいか、と思ったらまだウンと南の方にあるんだ、ここには影響がない(であろう)とわかった途端に関心が薄くなってしまったが、随分と大きな台風らしい。
午後1時半ころ、突然空模様が怪しくなってきたので、レーダーを見るとすぐそばまで雷雲が接近している、雷レーダーでもすぐ近くで何発か落ちている。でも不思議とあまり音は聞こえなかった。そして久しぶりに雨が降り始めた。しかし雨粒は大きかったがお湿り程度で直ぐに雨雲は通過していった。それでもデコボコのトラックの荷台に水たまりができて空が映っていた、♪俄かに過ぐる夏の雨、 物干し竿に白露を、 名残りとしばし走らせて 俄かに過ぐる夏の雨♪のような雨だった、畑もこれで一息つけただろうか。
午前中、まだジャングル化したままの敷地の草刈りをした。今日は快調で、全く暑さも気にならず、大量の気持ちのいい汗をかいた。先日の区役の時はどうしてだったのだろう、あの時はなにかよほど体調が悪かったのだろう。一給油分の刈払い機の燃料を使い切ったところでちょうど時分時になったので、途中だが今日の作業は終わりにした。
昼からはPCの前に座ったり本を読んだり。
わが家の裏、中学校に通じる道の途中にある川の欄干に、どこかの大学の研究室が定点カメラを置いて何かを観測している、なんだろう、川に向かって設置してあるが、大雨による増水の観測だろうか。
カミさんが今日はあちこち回るので遅くなるかもしれないと言って出勤していったので、久しぶりに晩飯を作った。ちょうど出来上がった頃を見計るかのように帰ってきやがった。どうだ太郎。
ナスの豚バラ巻きのムニエル、ポン酢仕立て、出汁巻き玉子、豆腐と油揚げの味噌汁。
平成27年 8月 4日(火)
晴れ。今日も後から記録を見て知ったが相当気温が高かったようだが適度に風があり、湿度が低かったので数字ほどの暑さは感じなかった。暑いと言っても此処の暑さは爽快である、気持ちのいい汗がかける、全く苦にならない、大いに結構である。
最低気温 20.8℃ (05:08)、最高気温 32.7℃ (13:33)
今日の阿蘇中岳火口(写真1・写真2・写真3)
人間にとっては夏真っ盛りだが、四季の移り変わりは早い、自然界ではもう秋間近なのだろうか、ここのところ空が真っ黒になるほど赤トンボが飛び交っている、こんなに沢山のトンボ、当然ヤゴから羽化したのだろうが、これだけのヤゴが一体何処にいたのだろう、当然、田んぼだろうなあ。(写真1・写真2)
夕方、4時を過ぎた頃、そろそろ太郎を保育園に迎えに行こうかなという時間になって今日も又空模様が怪しくなってきたので、レーダーを見ると、近くまで雷雲が押し寄せている、今日は来るかな、と眺めていたら、今日もここまではやって来なかった。小国郷あたりでは大雨警報が出されたほど降ったようだ。ここは、全く小生の非科学的な理由付けだが、外輪からストンと落ちたカルデラは周囲より海抜が低いので、その分、大地を温めた空気が上昇気流になっても周囲よりは低い(約200m)のでこの上には雷雲が発生しないのではと思っている。この変な理屈は、ここはマグマの上にあるので地震の揺れも弱められてあまり揺れないという小生のインチキ説と同じなのであるが。
晩飯前、午後7時頃に、このことを書いているうちに、なんだか空模様が怪しくなってきた、今度は高森町方面からこちら方向に雷雲が近づいている、高森町はカルデラ内だったなあ・・・幸いにこの雷雲もここまでは到達しないで消えてしまったようだ。
小生の副鼻腔炎の定期通院で太郎を早めに保育園に送ってから阿蘇温泉病院に行った。治療を始めてから大分経つのでレントゲンを撮ってみたが、全く最初の頃と変化がない、ということは改善されていないということである、外から届く部分はもう全く異常はないが、内部で改善が見られない、副鼻腔と外とをつなぐ管が詰まっているのだろう、今の治療法では限界なので、そろそろ手術の方向で考えたほうがいいですねとのことであった。ただ手術となると熊本市の病院でしか対応できないそうで、その病院の数も限られるので、一応そのことを頭に入れておいてくださいとのことであった。昔の副鼻腔炎(蓄膿症)の手術は口中を切開して歯を削って、穴を開けてと結構な大手術だったそうだが、現在は小さな穴を開けてやる昔に比べたらずっと簡単な方法でやりますとのことであったが、それでも何日かは入院しなければならないのだろう、小生が何日も家を空けるのはちょっと難しいだろう、考えてしまうところだ。
今日は珍しく受診者が少なくて、病院でも、昨日は朝9時半にはもう受付中止になるくらい混んでいたのに今日は本当に不思議ですよと驚いていた。
帰りに、桃花水に寄って和尚の様子をそっと伺ってきた、「うかがう」には窺うと書く文字もあるが・・・・
平成27年 8月 3日(月)
晴れ。今日も気温が高かったが、風があって気持ちが良かった、なによりも平野部の人から見たら明け方の気温の低さが羨ましいだろう。
最低気温 20.6℃(05:49)、最高気温 30.9℃ (15:28)
台風13号はどうやら日本には見向きもしないで行ってくれそうだが、なんだこれは、14号になるのか?
ボンに3回めのフィラリア予防薬を飲ませる。
夏子、マーチングフェスタのトレーニングの追い込みで今日から4日間ほど青少年交流の家で合宿生活があるそうで母親が送っていった。
午前中、お盆を前に、山に登って墓の掃除をしてきた、今の時期、あちらこちらで墓掃除が行われている。木陰が多くて暑さは感じなかった。去年、日を遮っていた倒木類を整理して薄暗かった墓地に青空が見えるようにしたので、今年はさぞかし草が沢山生えているだろうと覚悟して登ったが、思ったほどではなくて、草刈りに苦労をすることもなかった。
カミさんが今までやっていた仕事を辞めたことは日記に書いていないなあ、いつだったろう、まあ、小生が晩飯の日記を載せなくなった頃だったろう、こどもたちが、我慢して不味いメシを食べ始めた頃だろう。と思って日記を読み返してみたところ、7月10日までは献立が載っているので退職したのはその辺りだったろう。
その後、ずっと家にいて、次の仕事を探していて、たまたま願ってもない職種の求人があったので応募していたが、とてもこんなところは無理だろうと思っていたところ、書類審査、旬日を置いての面接試験を経て、奇跡的とでも言おうか採用になって、今日から新しい職場に出勤していった。会社と書かかないで職場と書いたのは法人格が公益財団法人になる。ちょっと買いかぶられすぎ、実力以上の仕事を要求されているのでは、すぐにお払い箱になるのではという心配があるのでしばらくは具体名は伏せることにするが、今までと違って職住接近、それに以前の殺人的な勤務時間から比べたらはるかに条件が良い職場のようである。なんとか勤め続けられるよう願うばかりである。
日本には今我々が話している「話し言葉」がある、それを文章にする場合も口語体でほとんど同じであるが、明治期から大東亜戦争に敗けたころまでは口語体とは別に文章を書く場合に文語体というものがあった、この文語体は明治より前の古文とは少し違う。その時代の人はだれでも書けたが今の日本人はこの文語体を習わなくなったので書くことが出来ない。最近改めて注目されている「玉音放送」はその文語体で書かれている。そのほかにも文語体で書かれている文章を今でも多く目にする、たとえば、身近なところで、「豊後街道坂梨宿」の資料室にある明治35年に編された「坂梨村村是」(明治政府が行った国力の調査のようなもので当時全国の市区町村にわたって調査されているようである)も文語体で編されている。小生のような年代の者には(あるいは小生だけかもしれないが)この文語体にある種の憧れのようなものがあり、カッコいいと思っている、文語体の教育が無くなって残念に思っている。たまたま、ネットで調べていて、文語体を勉強するのになにか良い手本がないか、という質問があって、それに対する回答に、吉田満著「戦艦大和ノ最後」を読むといいとあった。我が国の文語体の掉尾を飾る傑作で、これ以後、日本語はすべて口語文になった、文語文で書かれ、しかも世に稀なる名品と衆口の一致して唱える作品はこれが最後、ともあった、それに何よりも面白いらしい。そして複雑なのがこの文語体にもいろいろな文語体があるようで、今言っている文語体は「擬古文体」というものだそうだ。そしてこの擬古文体で書かれた文章は当時学問的に研究がされておらず、文豪と言われる作家の作品でも文法的に沢山の誤りがあるそうで、そういったなかでこの「戦艦大和ノ最後」は何度も書き改められていて完成度が高いと言われている。何度も書き改められたために「版」が沢山あって、戦後すぐに書かれて、決定稿と言われるものがでたのが1970年代に入ってからだそうだ。だから読むならその決定稿を読め、とあった、ということで、文庫本として出されている版(もちろん決定稿である)だが買ってしまった。
平成27年 8月 2日(日)
晴れ。昨日よりは幾分気温は・・・まあ殆ど変わらずか。
最低気温 21.6℃ (05:23)、最高気温 31.5℃ (17:21)
今日の阿蘇中岳火口
本日も日中、九州山塊の東側に添って、宮崎県側に雷雲が発生して激しい雨を降らせているのが分かったが、今日は県境を越えてこちらの方にはやってこなかった。
台風13号いつまで直進の予想がつづくだろうか。
今にして思えば一晩中ボンが吠えていたような気がする、朝起きて、何事だろうと表に出てみると、犬小屋の後ろに手入れをしないので山のように生い茂ったアジサイのひと群がありその根元に向かってボンのやつ、盛んに吠えている。猫かなあと思ったが、どうもいつもの吠え方とちがう、何かいるなとは分かったが、正体がわからないので迂闊に近寄れない、へっぴり腰で棒で突っついても飛び出してこない、ボンの鎖を長くしてやってアジサイの根元の奥深くに入りやすくしてやって様子を見ると、ボンが吠えるのに応じで何かが動きながら吠え返している、聞いたこともないような声である。そのうちに家族が全員起き出してきて様子を見ていて、太郎が、お父さんこちらの方から見えるバイと教えてくれたので場所を変えると、どうもアナグマらしい。こんなに追い立てているのだから逃げ出せばいいのにどうして反対方向にでも逃げ出さないのだろうと不思議に思った。そしてとうとう、使い残しのロケット花火をアジサイのの根元に向かって二三発発射してやった、ミサイル攻撃である。大きな音とモウモウとした煙、逃げ出すところは見えなかったがそれでどうやら退散したようである。不思議なのはこの場所は暑さよけでボンが自分で作った避暑用の木陰なのだが、どうして一晩中吠え立てられたのに動こうとしなかったのだろうか。(写真1・写真2・写真3・写真4)
軽トラックのクレーン。手回しウインチだと大変なので、12Vで動く電動ウインチを取り寄せて付け替えた。穴の位置などが違うために穴あけや一部パイプの切断などの加工作業が必要だったが昼までに無事に電動ウインチが付いてクレーンらしくなってきた。(写真1・写真2・写真3)
この電動ウインチ、税込み、送料無料、7,299円也(写真1・写真2)。思った以上に丁寧に作ってある、子供の電動のオモチャより安いくらいだ。あとは耐久性だがこれは分からない。2,000lbs(907kg)なら6,000円くらいであったのに、絶対必要ないのについつい上のクラスを買ってしまう。
午後から梅干しを義母あてに送る準備をした。今年は立派な梅干しができた。
今年の梅干しのまとめ。
7/5を中心に梅集め。
漬け込んだ梅の重量 13,000グラム、使った塩は18% 2,340グラム
出来た梅酢 4リットル強
土用干し7/30〜3日間
出来上がった梅干し重量 8キロ
箱詰めに使った容器、及び袋。(毎年容器の大きさで悩むので記録として残す)
平成27年 8月 1日(土)
晴れ。今日も暑かった。暑いことは暑いが都会の暑さと違って風が動くと涼しい、明け方はヒンヤリして平日を福岡で過ごすMQY局は久しぶりに熟睡できた、一週間の疲れが取れたと言っていた。
最低気温 21.4℃ (04:45)、最高気温 32.2℃ (12:12)
今日の阿蘇中岳火口
台風13号、太平洋高気圧が強い間は日本に近づけない、高気圧の縁にそってこのまま真っ直ぐ進んで欲しいがそうそういつまでも真っ直ぐは行かないのだろうな、高気圧が弱くなる場所が良くないような気がする。
今日はこの猛暑の中、村の区役の草刈りがあった、前回の残りの部分である、参加者は4名。いままで熱中症に罹る人を昔は熱中症なんか無かったぞ、と内心馬鹿にしていたが今日はその熱中症的症状に陥ってしまった。炎天下の作業ではじめての経験である。作業開始早々、水分はたっぷり摂っていたのに、30分もしないうちに気分が悪くなってしばらくしゃがみこんでしまった、その後もしばらく足に力が入らずに法面は危ないので、平坦な部分を刈りながら体調を整えた。急に朝の自宅での環境から炎天下に出たから体が慣れていなかったのだろうか、作業スタイルも、袖口、襟元などゴミや虫などが入らないようにしっかりと隙間を塞いでいたので体の熱の逃げ場がなかったからだろうか、しばらく大汗をかいている間にだんだん調子が戻ってきて、その後はもう大丈夫だったが、今日は本当に水分が足りなくなって、作業が終わって帰宅後も水ばかり飲んでいた。
娘は今日はピアノ教室の発表会で、益城町まで朝から三人で出かけていった、娘は今年で丸10年レッスンを受けていることになり、「永年勤続」の表彰を受けたようだ。殆どの子は教室を小学校までで終わるようである。そして、今日、太郎のクラスメートのUちゃんの発表会デビューがあったそうで、ピアノを習っていること、今日の発表会に出ることを知らなかった太郎、Uちゃんの突然の登場に大喜びだったそうだ。
娘は発表会から帰ると、すぐに、中学校の部活に出かけた。娘は中学校で吹奏楽部に入っていて、8月9日に、「うまかなよかなスタジアム」で熊本県下の多くの保育園から高等学校までが参加する「くまもとマーチングフェスティバル」に出場するので、その練習が猛暑のなか行われていた。
夕方、天気予報通りに、雷雲が強い雨とともに近づいてきた、レーダーを見るとギリギリまで近づいており盛んにゴロゴロと鳴っている、ひんやりした風も吹いてきた、さて、どうしようか、システムを止めようか、でも雷雲の動きからすると、これ以上近づかないような気もする、としばらく様子を見ていたら、少しずつ遠のいていって、雨も全く降らなかった、雷はいいが一雨欲しかったところだ。お隣の産山村などでは大雨警報が出るほどの強い雨が降ったようだが、僅かの差で天気ががらりと違ってしまった。
今朝の新聞にスマホを利用した山岳遭難救助システムの記事が載っていたが、これこそAPRSの出番だと思うがPRが足りないのだろうな、携帯の電波は山岳でも沢などに降りると不感地帯が多い、遭難でも救助要請をする余裕があればいいが、滑落事故など連絡が出来ない遭難がある、こんな場合、スマホはあまり役に立たない、APRSのハンディ機が一番良いのだが。
APRSといえば、クマデンのJE6JDX嬢が昨日付で退職された、また何か別のことをおやりになりたいとのことで、円満退職だそうだ、次なる飛躍を祈っている。
7月28日だったと思うが、吹奏楽のコンクールがあり、娘の中学校も出場した、娘はまだ音が出るか出ないかのレベルで出場メンバーではないが応援に行った、その際の写真を今頃になってカミさんが持ってきたので、当日の日記に遡って載せておいた。