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平成27乙未(2015)年11月の記録(新しい日付けの順)


平成27年11月30日(月)

 晴れ。今朝は放射冷却で雲海が出た、日中は穏やかに晴れた。
   最低気温 0.0℃ (07:32)、最高気温 14.7℃ (13:24)

 夏子の温泉病院の定期通院で学校が退けるのを学校前で拾って連れて行った。いつも太郎も連れて行くのだが、カミさんが以前と違って、迎えに行くことができるので、今回は帯同無しだった。

 昨日の日記に書くことを忘れていた、娘の学習机の高さを上げてやった、精々勉強をしてくれ。

 先日のニホンミツバチ、ゆうこ先生のお宅で砂糖水を給餌していただいていたようだが、今日お聞きしたところ、結局、全部死に絶えたそうである、女王蜂がいなくて、働き蜂の寿命も尽きたのだろう、それに気温が急に下がって、箱のなかで寒さを凌ぐには群れがあまりにも小さかったから、残念だがこれはしかたのない事だろう。

 産経新聞記事(PDF)


平成27年11月29日(日)

 今朝はギリギリ氷点下になった、日中は時々霧のような雨が降っていた。
    最低気温 -0.6℃ (07:10)、最高気温 8.9℃ (14:10)

 昨日届いたマイナンバー通知カードをもとに個人カードの申請をWEBでした。あっけないほど簡単に終わった。ただ時間がかかったのが添付写真である。申請にあたってはいろいろと説明が出ていて、写真のサイズなども書いてあるが、web申請でアップする写真のことはあまり詳しく載っていない。
 いろいろ調べて、以下の事がわかった。
  ・ファイル形式:jpeg
  ・ファイルサイズ:20KB〜7MB
  ・ピクセルサイズ:幅480〜6000ピクセル、高さ480〜6000ピクセル
 
 相変わらずお役所のweb申請は分かり難くて不親切である。添付写真について、横35mm、縦45mmの写真を添付しろとあるのは、想像するに、実際に写真を添付する場合で、デジタルデータでアップする場合は、あまりそのあたりの知識がないのだが、そのサイズにリサイズすると解像度が非常に低くなってしまって上記の条件を満たさなくなる、だから、小生は、概ね、縦横比は合わせたが、ファイルサイズは大きいままでアップした。それで特に咎められることもなく受付が終了した。ただ受付が無事終了したと言っても機械的に受け付けが終わっただけで、写真などの条件に適合しているということではないのかもしれないが、まあそれはいずれ向こうから何か言ってくるだろう。
 
 ところで、肝心の写真のことだが、わざわざ写真を撮りに行くのも面倒なので、自前で写真を用意することにした。ただ、後ろに影が出来てはいけない、背景は無地でなければいけないなどといろいろと制約があるので、エイッ!ヤアで撮るわけにいかず、そのへんにあった布団カバーを壁に貼って背景にして、こどもたち二人に電気スタンドなどを持たせてできるだけ影ができないようにして、数枚撮って、ようやくこれならいいだろうというやつを申請した。申請作業より写真撮影のほうが何倍も苦労した。普段他人の写真ばかり撮っていて自分の写真はないので、これは「遺影」にも使えるだろう。
 
 それから、web申請があまり簡単でトントン進んだので真剣に再確認をしなかったが、デフォルトでは、電子証明書は必要、点字は不要になっていて、その反対の場合だけ意思表示をするようになっていたと思ったが、申請の後で、確認用に撮っておいたスクリーンショットを見ると、電子証明不要、点字が必要になっていた、万一間違って申請をしたのなら、修正をしようと思って、その方法を検索したけど、何処にもない。申請の修正は出来ないのだろうか。


平成27年11月28日(土)

 曇り。昨日の予報と違って、雲が多かったせいか、今朝の最低気温は高めだった
     最低気温 4.0℃ (00:43)、最高気温 8.9℃ (13:40)

 こどもたちが、クリスマスのイルミネーションを飾ってくれというので、今日はその作業をした。去年と同じ規模である、ささやかに点灯した、これに凝りだすと、年々、前の年より豪華になっていく傾向があるようだが、我家は今年はとりあえず、は去年並みとなった。集会所の樅の木のクリスマスイルミネーション、今年はどうかなあ、誰かやってくれるかなあ、確か、デコレーションなど一式は集会所の物置に入れてあったと思うがこどもたちがどんどん成長してもう興味が無くなったのだろうな。 

 AJYが九死に一生を得て無事に退院をしたので、DIさんやMQY局と一緒にお祝いを言いに行ってきた

 昼過ぎ、じっちゃいが突然、一家して訪ねてきて、時間がないからと上がらずにすぐに帰って行った。今日はどうしましたか、と尋ねたら、和尚の墓参りに来た、ということであった。そういえばじっちゃいご夫妻やお孫さんたちはまだ和尚がお元気な頃、夏休みに圓林寺で泊まって夏の夜を楽しんだり、それ以外にも何度も訪ねているはずで親交が深かった、だから皆さんでお墓参りに来られたのだろう。ついでと言ってはなんだが、小生も、AJYのお宅を辞してからお墓参りに寄ってきた

 時々風呂でお会いするご婦人、風呂で、と言ってもあたりまえのことだが小生の場合はロビーでだが、太郎は浴場でも小生以上の古いお馴染みさんである、そのご婦人のご友人が産山のご出身だとかで、現在、滋賀県(だったかな、)にお住いで、小生のホームページを見てくださっているそうである、お風呂でお会いするそのご婦人は小生がホームページをやっていることはご存じなかったが、そのご友人の話から、日記に出てくる家族構成などからどうも小生ではないかと思って、と、今日その話が出た。小生のホームページ、各地の阿蘇出身の方に結構見ていただいているが、故郷情報、お役に立っているようである。
 
 風呂から帰ってきた所、郵便配達のバイクが停まっていた、マイナンバー通知カードの書留が届いたのだ、間一髪、危うく入れ違いになって再配達になるところだった。日中より夜のほうが留守の確立が低いのだろう、暗くなってからの配達ご苦労さんである。早速マイナンバーカードの申請をしよう。

 夜、ピアノのレッスンで母娘は熊本方面に出かける、太郎とお父ちゃんは留守番をした。


平成27年11月27日(金)

 雲があったが概ね晴れ。今日は雪を頂いた阿蘇山の稜線がはっきり姿を見せた
   最低気温 0.7℃ (04:02)、最高気温 7.0℃ (15:33)

 今朝も一段と冷え込んだ。起きると薄っすらと白くなっていたのでこれは多分初雪になるのだろう

 夕方、太郎をえに行く途中、古閑の滝の上部が白くなっているに気がついた、日没間近で写るかなと思ったがかろうじて撮れた。昨日は高岳の初冠雪、今日は平野部(と言っても標高500mだが)の初雪、そして、古閑の滝の初結氷になるのだろうか、明朝は今朝同様の冷え込みになりそうなので一層氷爆が進むことだろう。
 
 今日は暖かい部屋で終日読書三昧。

 昼間、KVFがAJYの見舞いに病院に行ったところ昨日退院されたそうである、これにて一件落着、めでたしめでたしである。


平成27年11月26日(木)

 朝のうち弱い雨、その後も時々細かな雨、そして曇り。
   最高気温 9.7℃ (00:00)、最低気温 3.7℃ (18:30現在、尚降下中

 朝起きると、外気温が5℃くらいだったろうか(日記を書いている時点で朝の最低気温を更新したので覚えていないが)、室内も16℃くらいまで下がって今日は寒い一日になりそうだったので、ストーブの火を入れた、おそらく今後春まではずっと入りっぱなしになるだろう、いよいよストーブ管理の毎日が始まる。

 明るくなってから外を見ると、阿蘇山の頂上部一帯が白くなっているのに気がついた、初冠雪である。以前と違って気象庁が初冠雪情報を流すことがなくなって現在は阿蘇市がそういった情報を流しているようである。(写真1写真2

 阿蘇文化調査研究会の例会が役犬原小学校であった。今日は阿蘇神社の農耕祭事の非常に詳細にわたっての講義があり興味深く聞いた。


平成27年11月25日(水)

 曇り。気温が少しずつ下がってきている、日中もあまり上がらなかったが、特に午前中は汗を流したので寒さは感じなかった、また、まだ室内の空気が完全に冷えきっていないので、室内にいる限りは特に暖房をしなくても寒さは感じないで済む。
    最低気温 8.7℃ (07:05)、最高気温 12.2℃ (15:21)

 こどもたちが、お父さん、どうして今年はストーブを焚かんと?確かに、暖冬もあるが、日常的に焚くのは例年より一月以上遅れている。考えてみたら、木を切りに行って積み込んで運んでくるのはお父さんで、持って帰ってから薪を作るのもお父さん、それを薪小屋に入れて、また焚くときに薪をストーブのところまで運んで、火を点けるのも、火の調整も、灰を捨てるのも、ストーブを掃除するのもお父さん、オマケに煙突掃除までストーブに関する全てはお父さんの仕事。大変だからなるべくストーブを使わないようにしている。というわけでもないが、無意識にそう思っているのかなかなか今年はストーブに火が入らない(カミさんなんかセントラルヒーティングだと思っていやがる)。
 
 まあ、今年は暖冬で、今まではそれで済んだこともある。ちょっと寒ければ厚着をすれば良かった、でもいよいよここに来て火が恋しくなってきた。日本列島が一気に寒くなりだしたようで札幌ではいきなり40センチ以上の雪だそうで、11月にこんなに降るのはなんでも62年ぶりだとか。今年は暖かったせいで気合が入らずにまだロクに薪を作っていなかったので、今日は午前中、ちょっとまとまって薪を作った。もっと早く、カラカラ天気が続いている時に作っておけば良かったのにここのところのはっきりしない天気のお陰で湿った薪をいっぱい作ってしまった。今日の気温くらいではまだ焚かないぞ。

 昼過ぎに昨日のニホンミツバチの様子を見に行った。朝、保育園で、ゆうこ先生に今朝のミツバチの様子を尋ねたら、昨夜のうちに枝からウトの天井に移動したそうで、天井の角に固まっていたとのことであった、それで良いわけだが、昼過ぎに訪ねた時には、数匹が昨日蜂球を作っていたあたりを飛び回っており、ウトからも数匹が出てきてはウトの周囲を飛び回っていた、これは落ち着いていない証拠である。もし落ちつていたら、ウトから一直線に採蜜に飛び断ち、一直線に戻ってくるので、こうしているということは、まだここを終の棲家にする決心がついていないのだろう、女王蜂も居ないのだろう。
 
 晩飯を担当する。牛肉と沢山の種類の野菜の甘酢あんかけ。豆腐とニラの味噌汁(はカミさんが帰ってきたので頼んだ)。
 
 甥の独立して開店したイタリアンレストランのオープンは昨日だったそうだが、まだ慣らし運転のようで、本格的に大々的に開店するのはもっと先のようである、余裕のある開店のようである。昨夜の写真を送ってきた。愛知県豊田市、名鉄豊田線浄水駅前の「チャコール
 
平成27年11月24日(火)

 曇り。
   最低気温 10.0℃ (但し20:37現在、なお降下中)、最高気温 14.1℃ (00:00)

 もう間もなく退院だということを聞いていたのでAJYを阿蘇医療センターに見舞う。思った以上に元気だった、もう特に薬を飲むでなく、退院も秒読みの段階らしい。
 
 とても頭蓋骨を切り取って脳みそを手術したとは思えぬ元気さで、手術跡もよく見なければ分からないほどの縫い跡だった。血色もよく後遺症も全く無いそうである。こんどのことでもう空をとぶことからキッパリ足を洗うとしみじみ話していた。(写真1写真2
 
 病室は四階の、特別室かと見まごうほど(あるいはそうなのかもしれない)の景色の素晴らしい部屋で、もし阿蘇中岳の噴火の盛んなときには一等席、火文字焼きでも一等席の病室だった。窓のすぐちかくにKVF局のクランクアップタワーが見えた
 
 その阿蘇中岳のこと。
  阿蘇火山防災会議協議会からお知らせします。
本日(11月24日)14時00分、福岡管区気象台から噴火警戒レベル2(レベル3から2への引き下げ)の発表がありましたのでお知らせします。
阿蘇山上広場までは通行が可能になりますが、監視体制など受け入れ体制を確保するために時間を要しますので、道路規制の解除は16時00分とします。
なお、引き続き火口周辺の概ね1km範囲内は規制となり、火口見学は出来ませんのでご理解ご協力をお願いいたします。
(阿蘇市総務課)
 夕方太郎を保育園に迎えに行った時に、別のクラスのゆうこ先生から呼び止められて、何事かと思ったら、庭にミツバチが蜂球を作っている、どうしようか、とのことであった。いつからですかと訊くと二三日前からとのこと。今の時期分蜂をするわけがないから何か今までの巣にいられない事情が出来て逃げ出したは良いが、おいそれと新しい巣の目処が立たずに、ずっとそのままの状態なんでしょう、今晩、入るかどうかわからないけど巣箱を持ってい行きましょうと、夜の8時ころ成川のお宅に伺った。今の時期はもうスズメバチでもないだろう、スムシだろうか、あるいは暴力的な何か外圧で巣が壊れたかであろうか。
 
 懐中電灯で照らすと庭先の生垣のところに、ソフトボールくらいの蜂球ができていた。ちょっと小さい蜂球だな、おそらく女王蜂はいないのではないかと思ったが、ちょうど生垣の一本の枝に蜂球を作っていたので枝を根元から切って、蜂球のまま持って行った巣箱を置いてその中にそっと入れておいた。まだセイタカアワダチソウなどの花があるので二三日は自給自足で大丈夫だろう、このまま運良く女王蜂も一緒で居着くようであれば給餌は考えなければならないだろう、もう気温がかなり下がってきているのでしっかりと球を作って離れようとしなかった。明日にでも様子を見に行ってみよう。

 今日は、H2Aロケット29号の打ち上げ日で、スケジュール表に載せていたが、忘れて打ち上げ時刻を過ぎてしまっていた、シマッタと思って、ライブ映像は見れなくても繰り返し録画をやっているだろうと中継サイトを覗いたところ、正に打ち上がる直前だった(15:42に視聴開始、打ち上げ15:50)、打ち上げ時刻が少し遅れたようで、正にGoodTimingだった。もちろん、成功、もう失敗するかもという心配は全くしない。今回のロケット、技術立国日本らしく、いろいろとコストダウンのための工夫がされているようである。


平成27年11月23日(月)  勤労感謝の日(新嘗祭)

 曇り。暑からず寒からず。
   最低気温 11.1℃ (04:16)、最高気温 19.4℃ (12:45)

 今日は珍しく、全員が家にいて、それぞれ自分のやることをやっていた。

 APRSでほぼリアルタイムで車の移動の軌跡を見ることができるが、それと「ストリートビューで追跡」を一緒に見ると、走っている場所の画像が車の移動につれて刻一刻表示されて、ストリート・ビューの写真は過去のものながら、あたかも現在その場所を走っているライブ感覚に陥り、これじゃあうっかりした所に出入り出来ないぞと思ってしまう、いままで気が付かなかったが、これは面白い。


平成27年11月22日(日)

 曇り、昼間ちょっと雨が降った。
    最低気温 11.4℃ (03:29)、最高気温 17.1℃ (12:26)

 保育園でクリスマスの頃に、学芸会があり、太郎は楽器演奏や踊りの練習の真っ最中だ。ミュージカルというのか、サメやカニやクラゲなどが出てくる海の生きものに関する舞踊があるそうで、太郎はそのなかのサメの役ではないのだが、サメのセリフが気に入ったと見えて、家でも自分の役(カニだったかな)を練習しないでさかんにサメの所作ばかりをやっている、そのせいかどうか知らないがサメに非常に興味を覚えたとみえて、サメを見たい、サメを見たいというので、今日はカミさんが大分の水族館「うみたまご」に太郎を連れて行った。熊本から大分まで、遠そうだが、ここは熊本と大分の県境近くだ、ここから走って、どのくらいだろか二時間もあれば行けるのだろうか、お父さんも行こう、と言われたが、どうぞ行ってらっしゃいと、留守番をした。
 
 夏子も、休み明けには定期試験が始まるので、普段の勉強不足を取り戻すべく、今日は終日机に向かっていた。
 
 もう夕方もかなり遅くなって、カミさんから、竹田まで戻って来たけど、ちょうど「竹楽」をやっているので、見て帰って良いかと電話が入ったので、どうぞ、どうぞ、と夏子と二人の夕食になった。昨日は太郎と二人、今晩は夏子と二人である。連中、今夜遅く帰ってくることだろう。
 
 「竹楽」とは(確か2万本くらいだったか、色々な長さに切った)沢山の孟宗の中に火を灯して城下町竹田の町の辻や寺院などあちらこちらをライトアップする祭りである、このような孟宗を使ったライトアップの祭りは各地にあるが、竹田市では竹楽と言っている、小生も十年ほど前に行ったことがある。(竹田の竹楽のポスター PDFファイル 約2.5MB・・・ネット検索で探したほうが早い、これは記録保存用)
 
 もう殆ど夕食時間になってからの連絡だったので、夏子に何か食べたいものがあるか、と聞いたところ、麻婆豆腐がいいというので、冷蔵庫を覗くて豆腐があったので、これなら手っ取り早く出来るので、ついでに、冷凍エビを解凍してエビチリも作って、太平燕スープも添えて二人で食べた(昼飯は、ちゃんぽんを作ってやった)。昔は料理をつくるなど考えたことがないが、いつのころからだろう、苦も無く作るようになったのは。

 今日は一日、夏子は勉強、小生も勉強(まあ、道楽だけど)。


 どこをどうみたら、南沙諸島が中国領になるのだ!ヒドイ国だねえあの国は、まるでヤクザだね。



平成27年11月21日(土)

 カラリとはいかなかったが概ね晴れた。
    最低気温 8.9℃ (06:15)、最高気温 19.7℃ (14:33)

 今朝の新聞で、阿蘇中岳の噴火警戒レベルが間もなく2に引き下げられる見通しだと伝えていた。そうすると下のロープウェイのビルまでは行けることになるな。でも今日も結構白い噴煙が上がっていた

 まだまだ郵便ネタが続く。昨日書いた「時限爆弾」がようやく着いた。品名にパケットコントローラー TNC-55と明記してあったのに信用してもらえなかったようだ。ネットで調べたら現金はレターパックで送れないと書いてあるが、精密機器はご遠慮くださいとある。「送れない」と「ご遠慮は」どうちがうのか、駄目だということではないので、遠慮しなければ送っていいということだろう、日本語は難しい。

 このTNCはちゃんと稼働するかどうかまだ分からないが、「動く」として出品してあったのでそれを信じることにしよう。後日試してみて、駄目ならまた・・・・・ウソウソ。

 夕方、娘とカミさんが熊本方面にピアノレッスンに出掛けた。太郎は留守番、「オイ、今晩何を食べようか」「ジョイフル!」「今日はお母さんがゴハンを仕掛けていったから駄目!」「じゃあ、お刺身!」。
 
 男同士の夕食。刺し身(マグロ、鯛)、出汁巻玉子、マカロニサラダ、味噌汁、デザートにパイ缶。

 太郎、昨夜は約束どおり小生の部屋で寝た、これからずっと二階で寝るのだそうだ、ヤレヤレ。


平成27年11月20日(金)

 今日はどうにか晴れた。
   最低気温 10.7℃ (06:45)、最高気温 18.4℃ (12:21)

 先日歯の定期メンテで奥歯の一部が欠けているのが分かって、今日その欠けた部分の穴埋めに行ってきた、長時間顎の付け根に口を閉じないように器具が嵌められていたので、口の開けっ放しは本当に苦しかった。
 
 不思議と郵便ネタが続く。オークションで、3Kで「動く」というTNCが出ていたので、TNCのハドウェアはこの世から無くなる一方だから、とりあえず落とした。そのTNCが届くのが遅いので、番号追跡で調べたところ、一旦、羽田空港にある郵便局に発送地から陸送で届いた品物が、そこから飛行機に乗らずに陸送(か海上か)で経路変更になっている。そして、詳しくは近くの郵便局で聞けとある。
 
 ははあ、と小生は想像がついたが、とりあえず近所の郵便局にこのプリントを持って理由を尋ねに出掛けた。最近のロシア航空の爆発、フランスのテロ騒動で、おそらくこの荷物はX線検査を通されて、大きさといい、透視画像といい時限爆弾風の画像が写ったので、急きょ輸送方法が変更されたのだろうと思っていた。

 郵便局の係の人に、どうしてですかと聞いたところ、しばらく局の端末を見ていたが、届く予定のモノはどいうものなんでしょうか、と、どうも歯切れが悪い。電子機器ですよ、だから、昨今のテロ騒ぎで爆弾だといけないので、載せなかったのでしょう?と言うと、局の端末にどのていどの情報が表示されているのかわからないが、ハッキリは言わなかったものの、どうもそのようであった。
 
 まあ、これだけ慎重なら、日本の航空機も大丈夫だろう。オイ!そんなこと、羽田に持ってくる前にX線で調べろよ、受託地で調べて輸送方法を決めろよ、無駄に時間を掛けるな。

 夕方少し早めに保育園を退けて太郎を二回目のインフルエンザの予防接種に連れて行った。前回、泣かない!と宣言したのに、泣いてしまった不甲斐なさを自ら恥じたか、今日こそ絶対に泣かない!と再宣言した。保育園を出る時から既に顔が強張っていたが、今日は絶対に泣かないか?ウン、泣かなかったらお父さんと一緒に寝られるから絶対に泣かんという、そんなこと言ったかなあと思いながら、そうか、じゃあ絶対に泣くな、一緒に寝てやるから頑張れと言ってやった。アイツが隣の寝床で夜中に咳をしたり、布団を蹴飛ばしていたりすると、それで小生目が覚めてそのまま眠れなくなることがあるので、なるべく階下の母親のところで寝かせるようにしているが、そうか、おやじと一緒寝たかったのか、そうなら、今晩は一緒に寝てやろうと思って、どうなるかなと注射の様子を窺っていた、太郎は最近、「男同士」が気に入っているみたいで、女風呂は入らん!と言う(お父ちゃんは入りたいぞ)。

・・・ そしてとうとう今日は泣かなかった、針を見ると痛いから見るなと声をかけてやったところ、あっという間に終わって、えっ?もう終わったの?というような顔をしていた。看護婦さんが腕を掴まなくても逃げなかった(動画、ファイル容量約1.5MB) (静止画のシャッターを押したつもりが動画のボタンを押していた・・小生、静止画専門だから動画の編集方法を知らない)



 小生もはじめにこの言葉を聞いた時に、今流行の「違和感」を覚えた。(PDF約500KB)


平成27年11月19日(木)

 予報では高気圧が張り出してきていい天気になるはずだったが、終日陰鬱な空で、中途半端な気温のためストーブを焚くわけにもいかずなんとも薄ら寒い一日になった。
   最低気温 13.0℃ (07:16)、最高気温 16.0℃ (13:52)

 長い間イタメシ屋で修行していた愛知県豊田市に住む甥が独立して自分の店を持つことになった。甥のカミさんがLINEで工事中の店の写真と一緒に知らせてきた。そのうちに「風の便り」でもちゃんとした広告が打てると思うがとりあえずは速報だ、おめでとう、頑張れ!(写真1写真2写真3写真4

 昨日書いた書留の番号追跡のこと。実に詳細に経過がわかるようになっている、先方は高齢者の一人暮らしなので、「不在持ち帰り」にもしや入院でもしているかと心配していたが無事であることがこの配達状況から分かった。便利な世の中になったものである。

 「そのとおりだねえ」を難しく言うと「蓋し」か(PDFファイル約700KB)

 面白写真(宮崎交通のバス200台のうちの一台にだけ書いてるそうだ、遊び心だね)、別にいつもこのような記事を熱心に探しているわけではないが、何かの拍子にちょっと目についた。


平成27年11月18日(水)

 今日もほぼ終日雨、今日は雨雲は主に九州の中ほどを通過していったため昨日に比べたら結構な雨量になった。
     最低気温 15.5℃ (03:10)、最高気温 18.4℃ (14:08)

 太郎を保育園に送った足で松岡理容室に散髪に行く。小生の散髪サイクルだとこれが今年最後の床屋になるかな。そういうことではもう少し先でも良かったのだが、そろそろマイナンバーの通知カードが届き始めるころなので、来たらすぐにマイナンバーカードが申請出来るように、顔写真の準備をしておこうということもあって今年最後の少し早めの床屋行きとなった次第である。
 
 話によると通知カードが届いてからマイナンバーカードを申請しても、おそらく確定申告の電子申請には間に合いそうも無さそうだが、それでも可能な限りすぐに申請しようと思っている。このマイナンバーカードは10年ごとの更新になるらしいから、小生にとってはおそらく最初で最後のカードになるだろう(多分)、だからボサボサ頭の写真だとやはりうまくないと思って床屋に行ってきたのである。

 今朝の新聞にも通知カードの配達がかなり遅れているという、配達が遅れているのか総務省の印刷が遅れているのかよくわからないが、大体、これからの年末の忙しい時期にロクに準備期間も無くこういうことをやるのが間違っている。

 配達といえば、最近は宅配便はインターネットの追跡番号サービスでいつ頃届くのか、いつ先方に届いたかなどが分かって非常に便利である。小荷物の配達でこのようなサービスがあるのに書留などはやれないのだろうかと思って調べたら、書留も引き受け番号を打ち込むことで分かるようになっていた、小生が知らなかっただけである、先日送った現金書留が間違いなく届いたかどうか気になっていたのだ。

 そして更に宅配便のこと。待ちかねていた宅配便が届いた。この荷物のスタートは遠く海の向こう、ドイツ国である。はるばるドイツから20日ほどかかって国内の輸入代理業者を経て今日届いた。それは、計算尺である。またまた計算尺の話である。(写真1写真2写真3
 
 数年前まではとっくに生産が終わっている計算尺が在庫に限り銀座の伊東屋で手に入ったが、その後はオークションを除いてもう全くどこでも販売はしていない、海外でも事情は同じで、在庫品に限り販売している国がある、それがドイツである。日本の計算尺のブランドはHEMMIであるが、今回取り寄せたのはドイツはFaber-Castell社である、この会社は(色)鉛筆などで世界的に有名な会社である。

 この会社でもすでに計算尺は作っていないが在庫品限りということでまだ少し売っている。そのなかの一つのモデルが欲しかったのである。本当は最上級のモデルが欲しかったがもう在庫が無いということで、ひとつ下のモデルを注文した。
 
 普通卓上で使うサイズの半分の携帯用の計算尺である、携帯用にもいろいろ種類があるが、沢山の機能を詰め込んだポケットタイプの計算尺はあまりない、小生はコレクションとしてでなく実際に道具として使いたいのでアンティークよりは新しい方が良くて、輸送代が結構かかったが、はるばる輸入したという次第である、これが今後小生の胸ポケットにいつもあることになる。のつもりだった。

 が、実際に実物を手にしてみての感想。日本製は芯が竹で作りもしっかりしているが、外国製はプラスチックでしかも薄い、何となくちゃちである、やはり日本製のほうが優る。それにPocketタイプといっても機能満載だとちょっと大きすぎて胸のPocketにはなあ・・・・
 
 因みに、ドイツ語で計算尺のことを Rechenschieber" (レッヒェンシーバー)、英語ではSlide rule と言う。今日改めてFaber-CastellのRechenschieberのページ(PDFファイル約800KB)をみたところ、欲しかったモデルが小生が探した時には「在庫なし」だったのに、また入っている、なんだなんだ?

 小生の計算尺漁りは今回で一応一区切りである。


平成27年11月17日(火)

 いつから降り始めたのか、朝には雨になっていた。予報では今日は雨や雷の一日になりそうだったが、雨雲は九州の南と北に別れて熊本県はその切れ目にあたって思ったほど降らなかった、幸いに雷も鳴らずに済んだ。
  最低気温 14.1℃ (00:12)、最高気温 18.1℃ (14:32)

 娘が朝、傘の骨が折れているので直しておいてくれと言って今日は終日雷の予報も出ていたので母親に車で送ってもらって学校に行った(このあたりは風雨が強いと田圃道で遮るものがないのでこのような天気の時は割合と車の送迎が多い)。「傘の骨が折れたから直す」という発想、今はもうどこの家庭でも無いだろう。我家では折れた傘の骨は小生が直すから娘はごく自然に直してくれと言ったのだろう。傘の骨を直す、まだブラウン管テレビが有り、5歳の子がビデオデッキで録画再生する、我家は小生の道楽は始めとしてわざわざ豊後高田まで出掛けなくても「昭和の時代」が生きている。昔は傘の骨が折れたら直した、傘の修理、昔はそれが商売として成り立つ時代だった、時々傘の修理屋が町内を回ってきていた。いつのころからそういうことが無くなったのだろう。高級傘は知らないが、今では傘は折れたら捨てる、売る方もそういうつもりなのだろう、骨なんか実に華奢な造りである、折れて当たり前の細さである。娘の傘の修理のついでに、もう二本直しておいた、こういったものは、傘を差した時に、あ!折れてる、直さなきゃなあと思いながらもすぐに直さないもので、ずっと中途半端に折れたまま使っていた、良い機会だった。

 今日は本を読んだり、道楽に耽ったり。


平成27年11月16日(月)

 概ね晴れ。今日は気温が高かった。セーターを着たり脱いだり今の時期、体温調整が面倒だ。
    最低気温 7.5C℃ (06:14)、最高気温 19.7℃ (13:27)

 午前中は青空が広がっていたが、例年だと真っ青な秋の空とたわわに実った柿の実のコントラストが美しいのだが、今年のいつの台風だったか、被害は殆ど無かった台風だったが、我家の柿の木の小さな実も葉も全部根こそぎ(位置的に根こそぎという表現もおかしいが)やられて今年は完全に一個も実をつけなかった、有る時はあまり有り難みを感じないで食べているがイザ全く無いとなると無性に食べたくなって、時々買ってきては家族と食べている、そういえば、我が家の周辺、今年はどこもあまり柿の実が生っているのを見ない。

 今日の便でJLZ局に故障したTNCなど一式を送った。汎用性の無いコネクター類を揃えるのに時間がかかった、あとはJLZ局の腕にかかっているわけだが、大船に乗った気分である。宅急便、午後の便で山を降りたのだが、番号追跡でみると午後6時半ころにはもう着いたようだ、なんとスピーディーな。
 
 今までなかなか時間の都合がつかなかった一回目の夏子のインフルエンザ予防接種、今日は部活がなくていつもより少し早く帰ってきたので、このタイミングを逃さずに古閑医院に連れて行ってきた。今まで三価だったワクチンが、今年からAがニ種類、Bが二種類の四価ワクチンになったそうだ(昨年まではBは一種類)が、接種代は従来通り補助があるので個人負担は1回千円である。 
 
 その際、母子手帳を持って行った、中学生になっても持っていくようになっているという風なことを聞いた覚えがあるからである。「母子手帳」、正式には「母子健康手帳」と言うのか、あるいは昔は母子手帳だったのが名称変更で、今は母子健康手帳になったのか、まあ、いずれにしても小生の頃は無かった(と思う)※。
 
 それでは一体幾つになるまで母子手帳は必要なのだろうかと思って、ネットで調べた。今は何でもネットである、便利な世の中である。母子手帳はいつまでという決まりはないようであるが、それは逆に言うと、いつまでも持っていなければならないという意味でもあるようだ。近年は大学入試の際にも予防接種かなにかの確認に母子手帳を提出をしなければならないというようなことを読んだ記憶がある。(将来はこれらのデータもマイナンバーカードに記録されるようになるのだろうか)


 ※やはりわからないことは調べてみよう。一応 Wikipedia にはこうあった、ということはギリギリ小生が生まれた時には、「らしき仕組み」は出来ていたということになるな。


平成27年11月15日(日)

 ようやく青空が見えてきた、今日は七五三の本番日だったからお祝いの皆さん雨でなくて良かった。
    最低気温 13.5℃ (06:47)、最高気温 18.7℃ (15:21)

 我が豆札村に誕生寺がある日本山妙法寺、開基の日達上人の三十一回追孝報恩会が営まれた、小生は宗徒というわけではないので法要には参列をせず御香料だけ納めてきた。お寺に納めるのし袋でいつも混乱する。お寺さんは常に白黒の水引かと思っていたら、たとえば、日達上人の御廟開眼法要の際は紅白の水引だった。今日のような回忌はあくまで白黒の水引である。

 太郎は母親と二人で御船にある恐竜博物館に出かけて行った、おねえちゃんは定期試験も近く、また、普段部活で勉強をする時間がないので今日は殊勝に一日机に向かっていた、極めて珍しい現象である(宿題なのかな)。

 だいぶん前、東電なんかは停電の情報を詳細にホームページに載せているのに、九州電力はそういったサービスはやっていない、ケシカランと書いたことがある。昨日の停電で、電話照会をしたところ自動応答で停電情報を流していたのでもしかしたらと思って九州電力のホームページを探したところ、あった。確か以前は無かったと思う(以前からあったのに小生が見つけられなかったのかもしれないが、それならそれで言う。一生懸命探しても見つけられないようなホームページなんか作るなと)。少しは進歩したようだ。でも停電理由に「雨風の影響」とあったが、ウソつけ、停電するような強い雨風なんか無かったぞ、成長の早い竹でも一夜で変圧器にかかるほど伸びないぞ、普段のパトロールがいい加減だからだろう、ちゃんとやれ。(写真1写真2

 先日村の消防団が消火器の詰替えの勧誘にやって来た。前回充填してから5年の期限がこの12月にもうやってくる、そこで詰替を頼んでおいたところ、二三日経って、消火器の製造から相当年月が経っているのでもう詰め替えは出来ないから、新しく買うしかないでしょうとのことであった。少しは消防団への寄与になるかなと思ったが、新しい消火器は消防団経由で買うよりはホームセンターで買ったほうが安いかと思いますよ、と親切に言ってくれたかどうかは別にして、今回は再充填は諦めて、とりあえず、買い換えるべく消火器の事を調べてみた。
 
 ABC消火器と言うのは判るとして、消火器には「加圧式」と「蓄圧式」とがあるそうで、それにリサイクルシール付きとなっている、???
 調べてみると、従来型は加圧式で現在の主流は蓄圧式なんだそうだ。当然我家の消火器も加圧式である。加圧式はイザというときにレバーを握ると消火器本体の中のある炭酸ガス(だろうか)ボンベが瞬時に開放されてその圧力で消火剤を一気に吹き出す仕組みになっている方式で、蓄圧式というのは最初から消火器本体に窒素ガスが充填してある方式なんだそうだ。加圧式は一旦レバーを握ると全部噴射するまで止めることは出来ないが、最近の蓄圧式はレバーを離すと噴出は止まるらしい。

 一見すると、後者の常時窒素ガスで蓄圧してあるほうが破裂事故が起きそうだが、前者の加圧式の方が老朽化による破裂事故が多いということである。ネットで値段を見てみると、最初に見たサイトでは我家と同じ容量(10型というのか)の消火器が1万円以上したのに、別のサイトでは4千円程度となっていて、そこにリサイクルシールとあったので、ああ、これはリサイクル品だから安いのかと思ったが、どうもそうではないようで、将来老朽化などで廃棄する際にこのシールが無いと回収業者に受け取ってもらえないとのことで、廃棄の時のためのシールなんだそうである。
 
 爆発事故は怖いが、古い消火器なんか自分の家でレバーを引いて消火訓練に使えばいいだろうに、あるいは噴出させなくても、ネジが切ってあるので容器のレバーの付いている方を回せば二つに分解できてガスボンベだけ取り出すことは出来ないのだろうか。
 
 ところで、我家の消火器の製造年を調べてみて、我が目を疑った。1982年とある、え〜?・・30年以上経っているではないか。そうか、ここに来てから買ったと思っていたが、向こうから持ってきたんだ。でも設置環境が悪くなかったので綺麗なものだ、近々新しく買うとしても古い方は予備としてこのまま置いておくことにしよう。
  
 計算尺、面白いなあ(これだけ言っても誰も乗ってこないなあ)、この計算、書かれているとおりにやれば結果はでるが(この場合は説明が足りないのでそのとおりにやろうとしても出来ないかも)、理屈が分からなくては、とずっと考えてとうとう一週間かかってしまったけど、ようやく分かった、面白い。

 計算尺といえば、先日、小生が400円で落札した、HEMMIの266、小生のよりは未使用品に近い商品だったが、息詰まる競り合いで、驚くほどの高額で決着した(PDFファイル約90KB)。小生が落とした金額の80倍近い金額だった、入札者は熱くなって最後は冷静さを欠いていたのかもしれない、あるいはそれほどまでして手に入れたい一品だったのかも。


平成27年11月14日(土)

 今日もほぼ終日弱い雨、陰鬱な空。
  最低気温 15.5℃ (00:00)、最高気温 19.7℃ (11:39)
【掲示板転載】
九電のやつが             投稿者:風 投稿日:2015年11月14日(土)16時55分22秒
何度も何度も立て続けに停電させやがって。その度に苦労して復旧作業をして、ようやく復旧できたと思った途端また停電する、こう何度も停電されたのではUPSがもたないのでシステム暫く休止する、九電のバカヤロー、何のために川内原発再稼働させたのだ、ちゃんとやれ!

(風) 19:00 復旧。
 システム休止後、しばらく経って、もう大丈夫だろうと思っていたら、また、停電した。もう何度停電したかわからないほど停電した。仏の風さんもとうとう怒って、九電に電話をした所、自動応答に切り替わって、現在、一の宮町の一部で停電が発生しています、原因を調査中とのことであった。
 二時間ほどしてもう自動応答でなく電話にでるだろうと思って掛けた所、生身の人間(蚊の鳴くようなか細い女性の声)が出てきたので、原因が分かったのかと質した、というのは原因がわからないとまたいつ停電するか分からないからである。
 
 答えて曰く、「竹が変圧器に掛かったのが原因でした」、とのこと、原因がわかればそれでいい、ちゃんとやれと言って切った。

  街中ではまず停電は起きない、幾重にもバックアップが出来ているからだろう。だいぶん前もこの辺りから外輪の山沿いが何度か停電したことがある、過疎地のなかでも更に過疎地だと思って舐めていやがると思いたくもなる。普通の家庭では家電製品は停電が復旧したら通電してそれで終わりだが、何台もコンピューターを動かしているところではそうは行かないんだ、腹が立って腹が立って。

 今日の日記ネタは他にもあったけど、もうこれだけだ。
 
 夏子のピアノレッスンで、三人で夕方から熊本方面に出かけて行った。いつのまにか地元のピアノ教室から熊本方面の教室に変ったようだ。熊本市ではなかったと思う、だから方面と書いているが詳しくは知らない、シスイという町あったかな。


平成27年11月13日(金)

 ほとんど終日弱い雨が降っていたが、今日は九州では熊本だけが平穏は日であったようだ
    最低気温12.6℃ (00:00)、最高気温 15.0℃ (16:27)

 馬場の岩下さんが先日あった同窓会の写真を持っておいでになったので、アップしておいた。昭和32年に坂梨小学校を卒業した同窓生である。今回は来春に迫った閉校を惜しんでの同窓会だったそうだ。同窓会に出られなかった人がネットを通じて見られるようにという心配りのアップである、役に立てて光栄である。小生は坂梨小学校の卒業ではないが、小生の一期後の学年ということになろうか。

 坂梨小学校 昭和32年卒業生同窓会 連続写真

 TNCと無線機とをつなぐ送信系統のケーブルのハンダ付け(マイクコネクター)をした。これで送受信がOKになった

 娘が、音楽の時間に「魔王」を鑑賞しているというので、魔王は誰だったっけ?と問うと、「ほら、フナを作曲した・・・」、鮒ではないけどそれで思い出した。(これも成長の記録だ、この程度では名誉毀損にはならないだろう)


平成27年11月12日(木)

 曇り。記録を見ると日中あまり気温が上がらなかったようだが、室温は特に何もしなかったが適温に保たれていたとみえて寒さは感じなかった。
    最低気温 11.9℃ (00:00)、最高気温 14.7℃ (11:38)

 TNCの故障、修理依頼の準備で現在コネクターなど必要部品を取り寄せ中であるが、当局のI-Gate用に一台残っていたTNCを繋いでみたところ、(このTNCのコネクターも形状が異なるため無線機に繋げないので電波が出せないが)移動局の電波は受信すること出来る(外部スピーカー端子経由)のでそれをインターネット網に乗せるのは問題ないから、これで大体のところは用が足りる、とりあえず復旧ということになるか。
 
 年に一度の浄化槽の清掃があった。分解できる汚物は曝気槽などを経てほとんど水になって排出されるが、分解できないものが一年の間に浄化槽の底にたまるので、それをバキュームで吸い上げて処理場に運んで処理をするのである。これら「し尿汚泥」が発酵分解されて有機肥料として生まれ変わる、阿蘇では「りんどう」という名前で売っているがあまり普及はしているようにはみえない。
 
 忘年会の季節で巷ではこれからいろいろ飲む機会が増えるのだろうが、面白い記事があった。(PDFファイル)


平成27年11月11日(水)

 曇り(だったかな?)。数日前に比べて気温が下がってきたのでそろそろまた服装を冬用に戻さないと寒く感じる。
    最低気温 7.9℃ (03:22)、最高気温 16.3℃ (13:48)

 朝一番で宇治歯科に歯の定期メンテナンスに行く。今回は、先月予定していた日が副鼻腔炎の手術日と重なったために、延期してもらった分である。
 
 また計算尺のこと。オークションで落札した計算尺が届いた。実は先日、オークションで、特殊分野のもので販売本数も少なかったのだろう、マニア垂涎のモデルが即決で400円で出展されていた。これは一瞬何かの間違いではないかと思ったが、見逃す手は無いと、決して小生はコレクターではないが、時間が勝負だと思ったのでろくに確認もせずにその場で落札した、落札してから改めて内容を確認すると、出品されたのがたまたま小生が目にする20分ほど前のことだった。もう少し遅かったら間違いなくすぐに誰かに落とされていたところだった。出品した人もそんなに価値があるものだとは思わなかったに違いない、今、この日記を書いている時点で同じモデルがまだ入札期限が3日残っているのに既に8,000円を超えている。このモデル、小生も欲しくて先日ようやく入手したばかりだったが、その時も、少しくたびれているので今競り合っているほどではないがそれなりの金額で落とした。今回のモデルは前回のものよりはるかに程度がいい、このモデルはHEMMI No.266と言う(写真1写真2写真3)。計算尺にも色々なタイプがあって、機能もかなり違う、目利きというやつだ、ずっとオークションを眺めていると人気モデルとそうでないモデルが自然とわかってくる。
 
 カミさん、また急に少し遅くなる、帰ってから夕食を作るとメールしてきた、そんなこと本気にしていたら今晩は夕食抜きの夜食の時間になりかねないので間に合わせで小生が冷凍しておいたトンカツを使って「カツ丼」を作ってこどもたちに食べさせた、こどもたちは小生が作るのは大歓迎である。娘なんか「どうしてお父さんはシェフにならなかったの?」と真面目に訊いてくる、そんなことを訊かれてもちょっと答えようがない。

 MRJが飛んだ、美しい。日本初のジェット旅客機だ。今は実際に飛ばすまでにコンピューターで徹底的にシミュレートするだろうから、飛び立てないかもなどとは絶対に思いもしないが関係者ともなるとやはり実際に飛び立つまでは心配なんだろうか、喜びもひとしおだろう。「ものづくり日本」がジェット旅客機の開発にこれだけ時間がかかったのは敗戦によりアメリカの圧力があったのだろかと漠然と思っていたが、戦闘機と違ってそんなことではなかったようだ。要は、開発には長い時間と莫大な費用がかかるために、手を出さなかったということのようだ。これがアメリカの圧力などがなく採算度外視で戦闘機を作るのであればもっと早くできていたのだろう。航空機製造は裾野の産業が広い、これを契機として沢山の受注に結びついて、日本の技術と産業の更なる発展につながるといい、いい加減な隣の旅客機などに敗けるな。


平成27年11月10日(火)

 曇り。一日はっきりしない天気だった。
    最低気温 11.1℃ (18:18現在、尚降下中)、最高気温 15.0℃ (11:07)

 TNCの修理依頼をするにあたって、TNC単体だけでは用をなさないので、TNCと予備の無線機とそれらをつなぐケーブルやコネクター類、またもう一冊ある説明書などを探して天上裏に潜ったり、とにかく整理が悪いので無駄な時間を使ってしまった。もう少し探すものがある。
 
 今日はデスクワークをして過ごした。

 カミさんが夕食の支度が間に合わなくなったので、たまたま小生がもう一品と思って作ってあったメニューがメインメニューになってしまった、太郎は、小生が作ったやつを大喜びで食べていた。ナスを豚バラで巻いて、ローストしてからいつもはポン酢で食べるが今日は甘酢仕立てにしてみた、ウン、これもイケる。
 
 この記事、なるほどなあ、でもこういった「融通無碍?」なところがまた日本の強みでもあるわけだよ。違うかあ?


平成27年11月 9日(月)

 終日、細かな雨が降っていたような気がする。
   最低気温 14.8℃ (19:32)、最高気温 19.9℃ (00:00)

 熊本市民病院に副鼻腔炎手術後の経過観察のために出かける。9時半の予約だったが8時半には着いて、手続きを済ませて待っていたところすぐに診てもらえて9時には終わった。こんなものでしょう、遠くから来るのは大変でしょう、今回で終わりにしますか、と訊かれたので、別に来るのは大変ではありませんと答えたところ、じゃあ年明けにもう一回来ますかということで、大体完治したようなものである。
 
 帰りに光の森によって、やはり前回の通院の時の帰り道だったと思うが眼鏡を注文してあったのを受け取りに寄って、ついでに映画を観てきた。今回の眼鏡は計算尺の細かな目盛がよく見えるようにという目的もかなりあって、遠近両用の老眼部分を少し強めにしてもらったので馴れるまでに少し違和感があるかもしれないが、おかげで目盛がよく見えるようになった。眼鏡の縁は今までと同じである。
 
 ところで観た映画だが、第二次世界大戦でナチスがヨーロッパ侵攻の際に略奪した数百万点の美術品を美術専門家のチームが取り戻す、実話に基づいて作られた「ミケランジェロ・プロジェクト」という映画だった。決して面白くなくはなかったが、上映時間の制限があるからかもしれないが十分に描ききれていないようでダイジェスト的と言うか、なんとなく総てにおいて中途半端な作品だった。それにハリウッド映画も時によって良し悪しだ、思わず「オーシャンズ11」を連想してしまった。そういえば、両方共ジョージ・クルーニーもマット・デイモンも出ていたなあ。


平成27年11月 8日(日)

 晴れ、夕方から少しお湿り模様。
 午前中は雨雲が九州の北部と南部にかかっていたが九州のなかほどは好天、そして、昼過ぎのラジオで、今日の九州地方、午後は概ね曇り、所によって雷雨と言っていたような気がするが、とんでもない、大ハズレだった。こんなに見事に外れるのも珍しい。それでも、日が暮れてからようやくお湿り程度の雨が降っていた。
    最低気温 16.3℃ (08:09)、最高気温 23.3℃ (13:44)

 カミさんは中学校のPTAの何かがあって朝早くから八代に出掛けていった(夕方7時頃帰ってきた)。夏子は午前中、部活。昼に帰ってきたので、太郎と三人で蕎麦処「阿蘇の風」にそばを食いに行く。
 
 今日も繁盛していた。いつも繁盛ですねと言うと、これは前からそうなんだそうだが、普段はお客さんがあまり来ないそうで小生が顔を出すと必ずと言ってお客さんが来ると言うのである。普段お客が無いかまでは分からないが、確かに小生が行くときはほとんど必ず相客がいるのでもしかしたら小生は招き猫的な霊力があるのかもしれない。小生の肖像画でも飾っておきますかと言っておいた。
 
 ここのところ、まるで季節が逆行しているみたいで今日なんか暖かいを通り越して暑いくらいだった。お蕎麦屋さんでも、こどもたちもシャツを脱いだり、夏の部活着姿になったりだった

 APRSのI-Gate用のTNCが壊れていてJLZ局の知恵を借りながら修理の準備中だが、あまり自信がなこともあって、とりあえず保険を掛けるつもりで、TinyTrak4が珍しくオークションに出ていたので、落とした。TinyTark4は現在もう一台移動用のTNCとして使っているが、I-Gateとしても使えるはずであるが、考えてみたら、このセッティングがけっこう大変だったことを朧気ながら思い出した、アメリカ製なのでこれをI-Gate用として使うためのセッティング(ROMに書き込み)をまた一から思い出さなければならない、修理も大変なら、こちらも大変、前門の狼後門の虎である(あ、逆か?)、イヤハヤである。


平成27年11月 7日(土) 

 乾いた土が少しだけ黒くなる程度のわずかな雨が降った(本日の雨量計 0.5mm)
    最低気温 13.5℃ (05:26)、最高気温 22.3℃ (12:14)

 夏子は部活で終日登校、他は休日で一日在宅。小生はいろいろ宿題があるが、手がつかず、「お勉強」。ネイピア数は面白いけど分かったようで一向に分かっていない、これは少し前にも書いた。ネイピア数をやると微分にも道楽の対象が広がり益々混乱してくる、ネットで参考記事を見つけては手当たり次第にプリントするからその資料は相当の量になった。ネイピア数、自然対数、これらは計算尺とは切っても切れない、いやあ面白い(いくら書いても誰も食いついてこないなあ)。
 
 マーフィーの法則というやつか家電が壊れだすと次々壊れだす。子どもたちが観ているアナログテレビが壊れた、重大な故障でなくてスイッチが入らくなった、以前から時々そういう症状があったがとうとう入らなくなった、このテレビは今でこそスクラップもどきだが、当時は非常に大画面で、ひと世代前のハイビジョンも映っていた。そのハイビジョンを見る、ミューズデコーダーはランプが点灯するので根本的な電源部分ではない、単なるスイッチ部分だと思うが、当然の事ながら調べたところもう修理は受け付けない。わからないままに一応開いてみようかとも思っているが、子どもたちがウルサイのでとりあえずは小型のこれもアナログテレビだが、引っ張りだして一応見られるようにした。このテレビを廃棄するとなると大きいので大変だ、だいぶん前になるが、自治体では有料回収になっていたのに、商売になるのだろう、ブラウン管テレビでも何でも無料で回収する業者がいて、空き地に持ち込まれた電化製品が大量に積まれていたことがあったが、あれは、一体何だったのだろうか。万一廃棄することにでもなった場合、怪我をしないように袋でも被せてブラウン管を上手く粉砕して、その他の部分も細かく解体して少金属などの廃品回収の時に少しずつ出すしか無いかなあ。

 夕方、夏子のピアノレッスンで三人して熊本方面に出かけて行った、帰るのは小生が寝てからだろう。

 昨日書いたネットトラブルの続報(一応書いた以上はフォローしておかないとな)
 
 図書館の無料貸本屋化についてまた記事を見つけた。(PDFファイル)
 >「市民の方々に知る機会を提供するのも市立図書館の使命。『猶予を』と言われても…」
   ちょっと意味が違うね。
 
 >約970件の予約が入った『火花』は市内3つの市立図書館で計30冊を所有。それでも2年待ちで「もっと早く読みたい」
  そんなに読みたい本なら自分で買いなさい。
  
 >「新刊を買う人と無料で借りる層は必ずしも重ならない」
  そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない、大学のセンセイの言うことなんかアテにならないから、とりあえずやってみればいい。



平成27年11月 6日(金)

 天気が下り坂と聞いていたが日没まではいい天気で、今日は日中の気温も上がって外作業では汗ばむほどだった。
   最低気温 8.1℃ (05:59)、最高気温 21.7℃ (15:38)

 阿蘇中岳、夕方見ると、雲とちょっと区別がつきにくかったが大量の白煙が上がっていた。

 今シーズン初めて薪作りをしたが、運動不足で少しやっただけでへたばった。また、先日、義父と一緒に倒した杉の枝払いもしたが、これもすぐにへたばった。それから、最後に一個だけ残っていた大きな切り株を修理なったクレーンで裏の貯木場まで運んだ
 
 怪しげなクレーンで車に突然悪影響が及ぶといけないので用心のためにバッテリーからとるケーブルにヒューズを付けたが、このクレーン、12Vで動くことしか書いていなくて、消費電力も電流も書いていないので、計算しようがなくて、15Aもあれば十分だろうと思って、手持ちのヒューズを入れたところ、瞬断してしまった。さらに、エアコンを動かして、クレーンのスイッチを入れてもウンともスンとも言わない、またクレーンが壊れたかなと思ったがエアコンを切ったところ動き始めたので、軽トラックのバッテリーでは両方は無理なようだ。20Aか30Aのヒューズを入れると大丈夫だろうか。と書いて、ああ思い出した、そうだそうだ、溶接で電流を測るために買ったクランプ・メータがあった、あれだと大電流も測れる。

 実は昨日のことだが、熊本県下一斉に「シェイクアウト訓練」が実施された。シェイクアウトはShakeoutと書くらしい。調べてみると、あるサイトには、
 「ShakeOut」は2008年からカリフォルニアで始まり、2011年には950万人を動員した大規模防災訓練。指定された開催日時に自主的に防災訓練をおこなう。訓練の内容は最も初歩的な“drop, cover and hold on”(日本の小学校の避難訓練ではお馴染みの机の下に伏せる、(頭を)覆う、つかまる)。訓練のポイントは、実際に体を使い、より多くの人が参加し、その体験を共有することにより、実践的な防災リテラシーを高めることにある、とあった。
 
 数日前から何度か、防災無線を通じて、5日の午前10時にシェイクアウト訓練をするから住民は放送の合図に合わせて訓練行動をられるようにと呼びかけがあった。家族からシェイクアウトって何ねと聞かれたが意図するところは大体分かるが「シェイクアウト」の意味は小生も知らんと答えていた。日本は地震先進国で他国よりは防災意識は高く普段からこういった基本的な訓練はできているのだから、何もアメリカ発祥の横文字の訓練を皆の都合にお構いなしに全国一斉にすることもあるまいにと思って、調べてみたところ、一斉に実施している都道府県はまだあまり多くないようだ。主催団体のサイトには県下でどのようにカウントしたのか知らないが約41万人、全国では約520万人の参加があったと載っていた。太郎も保育園で、ちょうど芋掘りの時間だったので芋畑で頭を抱えてしゃがみ込む訓練をしたそうである、娘の中学校でもあったそうだ、どちらも公立だからなあ、小生?しなかった。しないよりはしたほうが良いのだろうが、こういった提唱団体はどうもどこかの省の外郭団体でそのためにまた大きな予算が付いているのだろうなちらっと思った。

 もう一つ。ネット上ではネトウヨだとかネトサヨ(と言う言葉はあまり聞かないが対義語だ)だとか、あるいは、レイシストだとか反レシストだとか、それぞれ主義主張別に別れて相手グループを口撃しあっている。そして今、そのレイシストと反レイシストとの間でちょっとホットな話題が持ち上がっている。反レイシストのグループに、「レイシストしばき隊」という有名なグループがあって、そのメンバーだと思う人物が、あるレイシストと言われている人物の掲示板(Facebookと言うのか)でその人物の意見に賛同の意思表示をした人たちの個人情報をかなりの人数分、調べあげてそれを公表したそうだが、その人物が誰か今度は逆に個人を特定されて、しかもその人物がネットセキュリティ会社の管理職なんだそうで、本来セキュリティを業とする会社の従業員が個人情報を公開するとは何事かと問題になっているそうである。小生が更に個人的に興味を持つ部分は、その人物は一アマなんだそうで、氏名やコールサイン、住所まで特定されてストリートビューでタワーとアンテナまで公表されているのである、確かに立派なタワーと短波帯のアンテナが写っている。人を呪わば穴二つの典型だが、これだけ総てが表に出てしまっては因果応報と言ってしまえばそれまでだが、街宣車もやってくるだろう、このままここに住み続けるのも大変だろうなと思った。



平成27年11月 5日(木)

 曇りがちの一日だった。
    最低気温 7.9℃ (04:06)、最高気温 19.8℃ (14:56)
 
 思いがけなく、八木紘輝さんが息子さんとご一緒に訪ねて来られた。八木さんは坂梨のご出身で、現在は宮城県の亘理町に住んでおいでだ。今回は法事と坂梨小学校の同窓会で戻ってこられたとのこと、上がっていただこうとしたが、先をお急ぎだとかで玄関先のほんの短い立ち話で帰って行かれた。後から写真を撮っておけばよかったと思ったが後の祭り。でも、多分、同窓会の写真が届くだろうからその写真を載せることにしよう。

 今日は保育園に少し早く迎えに行って太郎と小生の二人でインフルエンザの予防ワクチンを打ちに行った。おねえちゃんはまだ風邪が抜けないということで我家では我々二人が先行することになった。太郎のやつ、保育園で仲間や、先生に今年は注射しても泣かんばい、と大見得を切ったそうで、頑張ってネ、の声援を背に、勇躍古閑医院に到着したが、いよいよその段になって・・・あとは写真に任せよう、写真1写真2・・・これだけでは泣いたかどうかは分からないが、みんなの期待を裏切って今年も・・・・でも、去年よりは我慢した、という言葉も肯ける、小生が動かないようにしっかり押さえつける必要がなく、看護婦さんが軽く押さえるくらいで済んだのだから。

 今日は保育園で、芋掘りをしたそうで、帰りに大きなカライモをもらってきた。太郎は早速、大学イモをつくってくれろ、と言うので、早速作ってやった。小生はサツマイモは全く好きではないが、大学イモだけは好きで食べる。
 
 今晩は小生が晩飯を担当した。マーボー豆腐、エビチリ、中華スープ、杏仁フルーツ


平成27年11月 4日(水)

 晴れ。日中は暖かかった。
   最低気温 3.7℃ (07:08)、最高気温 20.8℃ (14:21)

 確か昨日が和尚の納骨だったはずだ、太郎を保育園に送った足で八千場の霊園に寄って、回向をしてきた。どうですか和尚どの、倶會一處、浄土の居心地は。

 年が明けるとまもなく確定申告の季節だ、鬼が笑うが、小生は、今、このことを問題にしなければならない。e-TAXで使用する電子証明書の有効期限が年明け早々に切れるからだ、また住基カードもほとんど同じ時期に有効期限の10年を迎える。そのことで市役所の窓口に相談に行った。年が明けると早々に住基カードはマイナンバーカードに置き換わるのだが、その切替の時期が小生の住基カードの期限きれとほとんど重なっていて、じゃあすぐに切り替えが出来るかというと、マイナンバーカードの発行が予定より遅れていて住基カードの期限切れに間に合わないだろうということであった。ということは、e-TAXで確定申告をするのに電子証明が使える期間にブランクが生じて両方のカードが使えずに、電子申請が出来ないということになる。年内に住基カードの更新をして(今ならできるが、年明け後はマインナンバーカードになるために住基カードの更新できない)一月ほど使って、マイナンバーカードの発行に伴って返納廃棄する手もあるが、それだと、わずか一月のために住基カードと電子証明の発行手数料で1,000円掛かってしまう。ただ、住基カードを今更新すると、この先10年間、住基カードを使うことができるのだが、そうするとその間、マイナンバーカードは発行されない、重複発行は出来ないからだ、10年の途中で切り替えても良いのだが、せっかくマイナンバー制度ができたのだから、こういったことには「先進的」で「ワサもん」の小生としては、マイナンバーカードが無いというのは面白くない。
 
 しかたがない、今年の所得の申告は、電子申請はやめて原始的手法で、つまり窓口提出で確定申告をすることにしよう。
 
 この「先進的」な小生は10年前に住基カード制度が出来た時に、真っ先にカードを作ったが、結局このカードの使い道はe-TAXに使うくらいで、他にはほとんど使いみちがなかった、当初の計画ではこのシステムを使っていろいろ行政事務の合理化を図るつもりだったのだろうが、結局掛け声倒れの制度に終わってしまったようだ、今度のマイナンバーカードは果たしてこの先どのような運命を辿るのことになるのだろうか。

 もひとつ、ほとんで使う機会がないまま、あっという間に壊れてしまった、かの世界に冠たる中国製の電動ウインチ、ネジ止めしてあるカバーを開けてみて驚いた、屋外で使う仕様なのに、しかも最近はほとんど雨もあまり降らなかったのに、中から水がドッと流れだした、蓋部分にシール(パッキン)など全く無かった。電気製品がこれだけ水浸しならもう駄目かなと思ったが、とにかく天日とドライヤーで中を乾かしてから動かしてみたら、さすが世界に冠たる中国製、動いた動いた。隙間だらけ(のだろう)のカバーと本体の境目に自己融着テープとビニールテープでしっかり塞いで、それでも安心できないので、ビニールの袋を被せて、雨濡れ対策を施しておいた、これで大丈夫だろう、イヤハヤ、イレブンチンピンバンザイ。


平成27年11月 3日(火) 文化の日(旧明治節)

 晴れ。
    最低気温 4.1℃ (03:30)、最高気温 17.9℃ (15:04)

 10間ほどの滞在を終えて昼ころの便で義父母が帰っていった。途中色々寄り道をするとかで9時頃にはカミさんと太郎も一緒に出かけて行った(お姉ちゃんは部活)。太郎があんまり「おじいちゃん、おじいちゃん」と言うので、「おい太郎、おじいちゃんたちと一緒に飛行機に乗って行っておじいちゃんの家の子どもになるか?保育園には電話をしておくから」と言ったところ、ちょっと目が泳いでいたが「ウン」というので、「じゃあね、お正月にまた遊びにおいでね」と言って手を振って送り出したが(写真1写真2)、夕方帰ってきて、「あれ?一緒に行かなかったのか?」と言うと、「ウン、たいぞう君やはやと君と別れるのが嫌だから一緒に行かなかった」「じゃあ、お父さんはいいんだな?」「ウン・・・・・」

 ということで、賑やかだった我家も幾ばくかの寂しさとともにもとの静かな(というほど静かではないが)、生活に戻った。



平成27年11月 2日(月)

 朝のうち、ほんの少し雨が残っていたようだったが午後には回復した。
  最低気温 7.7℃ (21:09現在、尚降下中)、最高気温 15.0℃ (15:33)

 義父母が来ているので朝食時、普段見ないテレビを点けていた所、8時前ころだったか九州ローカルニュースが終わって、エンディングの画面で福岡の駅前だか天神あたりだかの映像が写っているのを見て、小生が、お義父さんたちは、博多に行ったことがありますかと訊いたところ、無い、とのことだったので、じゃあ、今日は博多に行ってきたらどうですか、熊本からだと新幹線で一時間くらいですよ、と言うと、カミさんが横から、40分!(カミさんは仕事などで結構乗っている)、そんなに近いんだ、小生はまだ乗ったことはおろか、熊本で新幹線が走っている姿さえ見たことがないから最近の鉄道事情が全然わからない。すぐにネットで阿蘇から熊本までの豊肥線のダイヤを調べると、8時40分の宮地発の列車がある、大津どまりだが、それ急げ!とばかりに用意をしてもらってカミさんが置いていった車に太郎も乗せて、宮地駅まで送ってきた。駅からの帰りにカミさんの職場に寄って、軽トラックと取り替えて帰ってきたが、新幹線はいくら早くても、ここから熊本まで出るまでが本数が少ない上に時間がかかるので、とにかく、大津まで行けば本数はここよりはたくさんあるからと大急ぎで送り出した次第である。
 
 そして夜7時過ぎに無事に戻ってきた。
 
 時間を見つけてはJLZ局のアドバイスのもとTNCの不良箇所のチェックをしているがなかなか先は長そうだが面白い。

 ウン、確かに居た、居た、「TPP芸人」、なかなかいいネーミングだ。あの連中は今頃どうしているのだろう、口を拭って過去に言ったこと知らん顔をしている経済学者センセイや評論家のセンセイ方などたくさんいるのだろう、結論を出すのはまだ少し早いかもしれないけど、中野センセイなんか一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったけど今でもそうなのか。


平成27年11月 1日(日)
 あと二ヶ月でもう「お正月」である。

 曇りがち、夕方近くから弱い雨。
   最低気温3.4℃(02:48)、最高気温 15.2℃ (13:31)

 最低気温もさることながら、日中の気温が低かったので今日はストーブを焚いた。

 最後の去年のコメを精米する。

 阿蘇神社に太郎の七五三のお参りをした。本来は数え年で行う祭事だが、我家は昨年忘れたのかどうかわからないが今年満年齢五歳で神社に詣でた。男児の五歳は「袴着(はかまぎ)」と言うらしい、だから太郎も今日、袴を着用した、カミさんが朝のうちに太郎を美容室に着付けに連れて行った(あえて書くこともないが勿論貸衣装であるが)。カミさんは、七五三というと異常に執念を燃やすようで、自分の子供の頃の七五三の写真もしっかりと保存している。多分、義父母もそれに合わせてやって来たのだろう。一方の我家は、つまり小生の幼いころは、戦後の混乱期で多分七五三のお参りなどしなかったのではないかと思う(ん?もしかしたら写真があったかな)、だから小生も七五三に対しては全く馴染みや愛着といったものがない、正月やお盆などは毎年巡ってくるが、七五三は小さな頃に二度か三度しかしない儀式だから本人の記憶も曖昧なのである。小生は七五三なんかどうでもいいからおじいちゃんおばあちゃんと一緒に行って来いと言ったのだが父親が居て一緒に行かないのも問題だから行けということで急きょお付き合いをした。夏の住民健康診断に合わせて体重調整をしていたので、ちょっとリバウンド気味でスーツが窮屈で窮屈で・・・

 今日は休日なので他にも何組か七五三のお参りをする家族があった、太郎と保育園が一緒の古閑家三姉妹も一番下のSちゃんが髪置き(三歳)のお祝いで一家してお参りに来ていた。今日は月初めに当たり、我々が拝殿でお祓いを受けたあと、神社の朔日祭も斎行されていた。

 太郎 七五三 阿蘇神社詣で 連続写真 (1/2)
 太郎 七五三 阿蘇神社詣で 連続写真 (2/2)

 こんないい加減な心がけの小生でも神社にお参りをすると身の引き締まる気分になる。ところが、なんだ、ハローウィン、という馬鹿騒ぎ、日本人はどうしてこうも「無節操」なのか、日本人と言うと大方の日本人に失礼になる、街中で周囲の人の迷惑も顧みずに無節操に騒ぎ立てる軽佻浮薄な連中のことだ、子どもたちがこの時期に家庭周辺でやるのは可愛いが、おまえたちは他にもっと真剣に身を入れることは無いのか。
 
 神社から戻ってから、カミさんが小国方面に義父たちを温泉巡りに連れて行きたいと言うので、どうぞどうぞいってらっしゃい、と小生は留守番を引き受けた。連中、小国の近江屋でうなぎを食べて、それから小国の岳の湯温泉に行って夕方帰ってきた。
 
 

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