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平成13(2001)年12月の記録(新しい日付けの順)

平成13年12月31日(月)
 とにかく今年は今日が最後、特記するほどの出来事もないのだが、一年の締めくくりの記述である。

 日付が変わる前に、年越しの蕎麦を打って家族で食らう。今日師匠のお宅に伺って復習した効果があって、前回よりはかなり上手くなった(ような気がする)。
平成13年12月30日(日)
 蕎麦打ちに挑戦した。師匠のレクチャーを思い出しながら蕎麦粉十割でお湯を使って打ち始めた。最初のうちは調子が良かったが、麺棒を使ってノシ始める頃から怪しくなって、端の方からヒビが入りだして、このまま行くと滅茶苦茶になりそうだったので、途中の手順を大幅に飛ばして、とにかく畳んで何とか切った。太切りになったが一応は「蕎麦」が打ちあがった。それでも素材がいいのと打ちたてだったので家族の評判は上々だった。明日師匠は一日蕎麦打ちだそうだから、押しかけてもう一度教えを請うとしよう。

 今日ようやくBSアンテナを付けた、高所作業なので十分に安全に注意を払った、何と言っても今までとは違って、事故の結果は全部自分持ちになるのだから。
平成13年12月29日(土)
 従兄のK兄夫妻が、正月帰省で戻った花の都じゃなくて、杜の都でもなくて、そうだ「音楽の都」でバイオリンを修行中の愛娘のKちゃんを伴って顔を見せてくれる。向こうでもインターネットで阿蘇発の情報を見てくれているらしい、世界中の何処からでもアクセスできるのがインターネットの醍醐味だろう。

 隣村の波野の道の駅「神楽苑」に蕎麦粉と打ち粉を買いに登る。ついでに野菜類を仕入れる、都会から比べたらびっくりするほどの安さだ。この村の蕎麦粉は美味しいことで有名だ。新蕎麦粉を一キロ仕入れて、帰途、志賀聡雄さんのお宅にお邪魔して、年末の大掃除で忙しいところ再レクチャーを受ける、さあ挑戦だ、果たして明日打つ時間があるだろうか。
平成13年12月28日(金)
 通販で買った蕎麦打ちの道具が一式届いた、さあ初打ちはいつやるか。それにしても打つ時間も、年越し蕎麦までに残された時間も無い。
 今日は意味深い出来事があった、が、これは心にとどめておこう、好事魔多し、好事魔多し。
平成13年12月27日(木)

 8月10日に雨の中設置してもらってから、家が出来るまで長い間世話になった仮小屋が本日撤去された。当時の写真と見比べると周囲の景色も気候も今と全く違う、感慨深いものがある。

 小屋撤去のトラックで薪材を大量に搬入してもらう、今は何よりも薪が嬉しい、この気持ちは薪ストーブを使う環境でなければわからない気持ちだろう、ねえNクン。

 本日餅搗きをした。と言っても機械でやったのである。こちらに来る前は農村では各家で臼と杵で餅搗きをするものだと思って楽しみにしていたが、最近は餅搗きの機械を使って搗くほうが多いそうである。チョッとがっかりしたがそんなものか。カミサンがW辺さんから機械を借りて、A夫人の手ほどきで鏡餅と食用の餅を作った。もちろんこちらでは丸餅である。毎年、年末に手のひらを赤くしてノシ餅を切る手間が省けて小生としては楽になった。

平成13年12月26日(水)

 本日より待望のフレッツ・ISDNが使えるようになった。この町で使えるようになるのはもっとずっと先の事かと諦めていたが、意外と早いサービス開始に嬉しい限りだ。これでライブカメラの更新時間がほぼリアルタイムで出来る。今のところADSLまでは必要に感じない。

平成13年12月25日(火)
 本日通販で蕎麦打ちの道具を一式注文する、果たして年越しの蕎麦に間に合うか、たとえ間に合っても、うまく年を越せるだけの蕎麦が出来るだろうか、これは見ものだゾ。
平成13年12月23日、24日(日、月
 畑の端に設置して家を映すカメラのケーブルを室内に引き込むためにロフトの南側の壁に穴を開け、水道用の塩ビパイプを通す

 なかなかの出来栄えのようだが、実は内側に失敗した穴が残っている。内側から穴を開けたところ、外側と内側とでは屋根の奥行きが少し違っており、外に抜けないことが判った。

 今まで穴が無いために室内から撮っていた阿蘇山のカメラもベランダの手摺に移す。これで室内の照明の写りこみが無くなった。

 何となく躊躇していた穴あけが出来たので、これでHFのアンテナも引き込める。

平成13年12月22日(土)
 ほぼ一日かけて薪を割る、これでも数日分だろうが、何となく心が豊かになる。

平成13年12月21日(金)

 F川信昭兄無事退院の連絡あり、大事に至らず安堵する。

平成13年12月20日(木)
 さる所から米を大量にもらった。袋を開けてみたら、こちらでは当然のことなのだろうが玄米だった。シメタ!これでコイン式の自動精米機が試せるとばかりに早速二人でとりあえず30キロ入りの袋を車に積んで、仮小屋時代に大いに世話になったコインランドリーに併設されている精米ボックスに行った。

 ボックスの説明文を読んでみた。五分搗き、七分、標準、上白米、などの選択ボタンがあって、搗き具合を選べるようになっている。どうせなら上白米とばかりに、米を機械に入れて300円也を投入しておっかなびっくりスイッチ・オン。オッどんどん出てくる出てくる、蕎麦打ちといい米の精米といい、この歳になってまだまだ初めて経験するものばかりで興奮の連続である。今年は何とか自分で植えた稲を精米機にかけたいものである。


平成13年12月18日(火)
 夜、町の施設の調理場を会場に、坂梨宿場会のS賀T雄さん主催の「ソバキリ隊」なるソバ打ちの講座が開かれて、小生も参加を許されて蕎麦打ちに初挑戦をした。

 今年は既に二回開かれていて、今回が今年最後とのことで、とにかく見よう見真似で、師匠の手を借りて打った。

 波野村の新蕎麦粉を使ってつなぎなし無しの十割そば粉で指導を受けたが、見るとやるとは大違い、一度経験しただけでは分かるはずも無いが、それでも打ちたての蕎麦が(そして自分で打った蕎麦が)こんなに美味いものかと驚いた(その日に打った蕎麦はすぐに食べきらなければ、ダメとのことだったが、翌日の昼に持ち帰った蕎麦を家族に食べさせたところ、二人とも心から美味しいと言い、特に普段はあまり量を食べない婆様なんか人の分まで手を出して全部平らげた。これはハマリそうだ、何とかして蕎麦打ちの道具を一式仕入れなければ。でも年越し蕎麦には間に合いそうに無いのが極めて残念ナリ。
平成13年12月17日(月)

 二三日前から時折小雪が舞うことはあったが、今日は未明から本格的に降りだして一面の銀世界阿蘇山もすっかり装いを変えた。

 町役場から住宅の評価に三名の係官が来訪する、はて幾ら課税されるやら。

 ここもいよいよフレッツISDNのサービスが始まるらしい、早速電話で申し込む。26日から使えるようになるらしい、そうなればライブカメラは常時更新だ、待ってました。
平成13年12月16日(日)

 氷点下6度近くまで気温が下がって、今年一番の冷え込みだった。

 いよいよ薪不足となってS藤林業に廃材をもらいに行くため市内まで二往復する、あと1〜2回分はありそうだ。

 従兄のK兄が仕事の帰りに市内から寄ってくれたが、薪調達のためにR57号線上ですれ違いのパッシング交換。


平成13年12月13日(木)

 カメラをロフトの窓際において、阿蘇山のライブカメラの運転再開をする。隠しボタンの我が家の画像は、畑の向うまでケーブルを伸ばしたり、屋内に引き込んだりの作業があるためしばらく休止が続く。うっかりしてケーブル類を引き込む穴を穿けていなかった。

 坂梨宿場会の月例会兼忘年会(注・・・お知らせ)が民宿「阿蘇の四季」で開催。夫婦で出席、皆さん気持ちのいい人ばかりで心から楽しい時間を過ごし、寒い中を歩いて帰るのも気にならなかった。幹事のみなさんお疲れさまでした。
平成13年12月11日(火)
 お向かいのA元さんが管理をしている円通寺裏の杉山に間伐材を貰いに連れて行ってもらう。

 生木なので非常に重い。これを車に積んで持って帰って適当な長さに切って割って薪にするわけだが、直ぐには使えない、割ってから2〜3ヶ月積み上げて乾燥させなければならないのだ。

 茅ケ崎「鰻のおかむら」さんからメール、神奈川新聞で商店会の紹介記事が載った由。その中に小生のサイトもとりあげられている。岡村さんの配慮に感謝。
平成13年12月 9日(日)

 やってもやっても引越しの片付が終わらない、その上、予想以上に薪の消費量が早いので、毎日が薪割で明け暮れる感じがして少し焦りを感じる。薪ストーブでの暖房はそれは素晴らしいのだが、もう二度ほどログの廃材を貰いに行ったにもかかわらず直ぐに無くなる。本来ならば夏のうちから冬に備えて大量に準備しておかなければならないのだろうが。

 幹が大きくて斧で割れない場合は斧で少し割れ目を作っておいて、「矢」と矢ばれる楔を打ち込んで割るのである。以前の矢は鋼鉄製であったが、最近はプラスチック製が主流らしい、これでよく割れるものだと感心する。

 「工芸 滝室」で開催中の坂梨宿場会主催の「師走恒例ほっと一息ギャラリー」に顔を出す。女性会員の I 田さん、S本さん、Y内さん、T中さん(の順序で座っていたかな)が会場に詰めていた。皆さんそれぞれ一芸に秀でた人ばかりでカミサンかなり触発された様子だった。


平成13年12月 7日(水)
 千葉に帰るカミサンの両親を波野経由でミルクロードを通って空港まで見送る。

 引越しの後始末から引越し先の手伝いまで本当に有難かった、お疲れ様でした、今度はゆっくり来てください。


平成13年12月 5日(水)

 カミサンの両親を南郷谷高森町経由で中岳山頂に案内する。運良く火口を覗くことが出来たが、直ぐに退避命令が出て一斉に避難する。風向によって噴出ガスが人体に危険らしい。


平成13年12月 3日(月)

 役場に行って、カミサンと母の住民登録を済ます。これで晴れて全員が一の宮町の町民となる、今度こそ、ここが終の棲家になるだろう(少なくとも小生にとっては)。


平成13年12月 2日(日)
 早朝5時40分、朝まだき新門司に上陸、九州自動車道を一路阿蘇へ阿蘇へ。 

 10時前に無事に、まさに木の香ただよう新しい我が家に到着、年寄りを連れての長旅、とにかく無事でよかった。綺麗に掃除が済んでいて佐藤建設さんに感謝。カミサンの両親も追いかけるように空路到着。

 最後に残ったストーブの設置工事完了火入れ式というセレモニーを賑々しくも厳かに?執り行う。

 昼過ぎに引越し荷物到着。10トン車が道路から敷地内に入るかと思ったが流石プロ、絶対無理だと思ったのに細い道を何とか入る。
 
 荷造りのスピードと荷降ろしのスピードでは荷降ろしのスピードの方がはるかに早い、事前の打ち合わせの場所にどんどん運んであっという間に終わり、しかしその後の荷解きは契約外のためダンボールの山。まあ今日は寝る場所だけ作ってあとはゆっくりやるさ。あまりの慌ただしさにその間の記録写真を撮り忘れる。

 夕刻、K兄が市内での仕事のついでに寄ってくれる。すき焼きパーティーで無事に引越し完了、阿蘇第一日目を祝う
平成13年12月 1日(土)
 いよいよ師走か、もっと早く移るつもりだったので船の上で12月を迎えるとは思わなかった、穏やかな航海で助かる。

 JICAで何度も南米を行き来している哲兄が、船で一家が移住してこれから百姓生活を始めるなんざ、まさに昔の海外移民のミニチュア版だね、といみじくも言っていたのを思い出す、宜なるかな。

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