平成17乙酉(2005)年4月の記録(新しい日付けの順)

平成17年4月30日(土)

 晴れ。

 連休だからどこかに連れて行けという家族の(カミサンのことだが)要望に、各地からわざわざ阿蘇を目指して遊びに来るのほどの所に住んでいるのだから、ここが最高の行楽地だよ、何も混雑するところに出かけることもあるまいと言ったが、納得せず、仕方がないので、大分方面に混雑を避けて日帰りで出かけた。婆様は家に居るほうが極楽だと言って、賢明に留守番を選んだ。

 大分県の緒方町に原尻の滝<http://www.ajkj.jp/ajkj/oita/ogata/kanko/harajirinotaki/harajirinotaki.html>という、ナイヤガラのミニチュア版のような滝がある。先ずそこを訪ねた。もう夏のような天気で爽やかだった。娘はなかなかの臆病で、少しでも滝に寄ったところでスナップ写真を撮ろうとしたが、及び越しだった。景色よりもそこに箱に入れられていた捨て猫に興味があるようで、なかなかその場から離れなかった。

 次には何処に行こうかと、地図を眺めたが、なんと言っても観光のメッカから出かけてきたので、そうそう直ぐに行きたいところが浮かばない。もともと大分の海っぺりにある「うみたまご」という水族館に娘を連れて行きたかったようだが、調べてみると、そこは連休中は大混雑が予想されそうなので、今回は断念させたのである。

 温泉はどうだろうと言うことになって、大分県の九重山の麓近くに長湯温泉と言う歴史がある温泉があるそうなので、そこに行ってから帰る事にした。

 朝地から山越えをして野津原に入り、豊後街道宿場町、今市の石畳を通ってから、長湯温泉に入った。この温泉は近くにありながら隣の県なので、日頃情報が殆んど入らなくて知らなかったが、炭酸泉で有名な温泉だそうだ。見た感じでは、古い歴史がありながら新しい町興しの動きが見られて、元気な温泉地だという印象を受けた。

 一見道後温泉を彷彿とさせる「天風庵」<http://s-kawasemi.com/tenpuu_an/tenpuu.htm>という二階が宿で、一階が食事処になっている昭和初期の頃の建物があり、ここで昼食を済ませてから、近くの「翡翠(かわせみ)之庄」<http://www.s-kawasemi.com/kawasemi/>という宿の温泉に入ってから帰途についた。200キロは走っていないそんな一日だった。



平成17年4月29日(金)

 晴れ、昭和節、国旗掲揚。

 午前中、娘と母親は花壇の雑草抜き、ぺんぺん草だらけである、小生は、過去のマルチの残滓処理。


平成17年4月28日(木)

 晴れ。真夏のように暑かった、下界ではエアコンを入れて走ったくらいだ。

 熊本市内(以前は「市内」だけで通じたが、ここも市になったので、「熊本市内」と言わなければいけなくなった)の従兄の家にライブカメラの設営に久しぶりに山を下りた。

 もともと今日行く予定にはなっていなかったが、明日からの連休で57号線は大渋滞が予想されるので、今日ならまだ大丈夫だろうと、機材一式を積んで、途中で連絡を入れることにして出かけた。何度か途中で連絡をとろうとしたが、携帯は切ってあるし、自宅電話の留守電のメッセージも聞き方を知らないようだし、アナログ人間以前の人間を相手ではお手上げで、結局連絡が取れず、仕方がないので途中で目的変更してホームセンターなどに寄って帰ってきた。ライブカメラは設置後も、ある程度のメンテナンスは必要なので、どうやらこの手の協同作業は無理なような気がしてきた。

 ここに住むようになって、一つのことを除いては何も不自由を感じたことは無いが、その一つのこととは、「秋葉原」がここには無いことである。なにも電化製品が目的なのではない、電子部品やジャンク品を売る店が皆無なのである、今日も必要なものの一割も買うことが出来なかった。


平成17年4月27日(水)

 晴れ。

 娘登園して無事一日を過ごす。

 小生終日デスクワーク、anonymous FTPの設定など研究。


平成17年4月26日(火)

 晴れ。

 娘の風邪の方はもう大丈夫だと思ったが、朝、左の耳が痛いと言う、それほど酷い状態でも無さそうなので、園を休ませて様子を見ることにした。耳の痛いのも朝のうちに収まったようで、一日熱も咳も無かったので、明日はもう大丈夫だろう。

 婆様がコルセットの調製のために大阿蘇病院に行くので、娘も車に乗せて一緒に行き、駐車場で、子守りしながら婆様の用件が終わるのを待つ。

 腰痛と言うよりは、腰をしっかり締め付けることで、腰の据わりを良くして、気持をシャンとする効果があるようである、臍下丹田に力を入れるというやつだろうか。


平成17年4月25日(月)

 朝のうち小雨、やがて上がる。

 月曜日は、土日の娘台風が過ぎて、ホッと虚脱状態になるのが生活のリズムになってしまった。そういうわけで、今日も虚脱状態で一日が終わる頃、園から電話があって、熱と咳が、とのこと、やはりダメだったかと、少し早めに迎えに行って、その足で、古閑医院へ。熱は大したことが無いので、せめて咳だけでも、と何時ものように薬を貰って帰ってきた。元気なので、全く心配はしていないが、一晩で咳は収まるだろうか。婆様もさすがに今日はヘトヘトになっていた。


平成17年4月24日(日)

 晴れ。

 カミサンも娘もこれ静養に努めた結果、復調の兆し著しく、明日は多分復帰可能と思量される(是非そうあってくれ)。

 またご近所からイチゴを頂戴したので、生でタラフク食べたあと、ジャムを作った、作業が標準化していないので、作る度に少しずつ違った味になる、それもまた面白い。

 カメラのポリ容器製のハウジングを木製の箱を作ってそのなかに入れて、明日予想される天気の崩れに備えることが出来た。が、当初計画のようには行かず次善の方法に依った(ナットを鉄製の板に溶接でくっ付けようとしたがダメだった、それがうまくいったら、天井から雲台で吊ることが出来るのだが、とにかく溶接は難しい)。


平成17年4月23日(土)

 晴れ。

 娘が昨日、鼻水をダラダラ流しながら帰ってきた。今日も殆んど熱は無かったものの、終日鼻水のオンパレード。オマケにカミサンが扁桃腺とやらを腫らして終日寝込み、娘の面倒を婆様と二人で見て一日を終わる。小生より九割方は婆様が酸素チューブを咥えてフウフウ言いながら子守りをしていただろうか。


平成17年4月22日(金)

 晴れ、昨日ほどではないが今日も風が強かった。

 とりあえず、裏カメラ(本当の意味の「裏」でない。私的なカメラで、わざわざPRするほどのものでもないので、これと分かるボタンを置いていないだけである)の復旧をする、今日明日は雨が無いだろうと思われるので、厳重な防水加工もせずに、ハウジングもガムテープで留めてあるだけである。得意の「急ぎ働き」というやつである。このカメラの画像は、さしより(さしあたっての阿蘇弁である)自宅サーバーの方にアップすることにする。


平成17年4月21日(木)

 晴れ、風が強かった、ちっとした台風並みだ。

 裏カメラの復旧にとりかかる、とりあえず窓辺に一台置いて窓外の景色を写して今までの画面がブランクにならないようにする。そして、例によって、台所用のポリ容器を買ってきて、ハウジングをつくり、そこに昔秋葉原で買ったジャック品のカメラを取り付けることにした。本日の作業はポリ容器に穴を開けて接着剤でガラスを貼るところまで。


平成17年4月20日(水)

 昨夜からの雨、午後になって上がる。

 娘が午後から保育園を早退して、母親に連れられてポリオのワクチン接種に行った。生後8ヶ月足らずのH15.4.15に、一度受けに行ったことがあるが、検温で引っかかって接種出来ず、その後も風邪を引いたり、、他の予防接種の実施時期との兼合いなどで、結局今日まで延びてしまった。当時はまだテニ坊を名乗っておいでだった護郎さんが担当医だった。本日無事に接種が終わった。

 ADSL変更に伴いレンタルの旧ADSLモデムを本日返却した。

 我が思いで深い自作ライブカメラ1号機の寿命がとうとう尽きたようだ、カメラが作動しなくなり、ついでに台所用品のポリ容器で作った防水ハウジングも丸4年、強い陽射し、風雨に晒されて劣化して割れてしまった。そもそもライブカメラを始めようと思い立って、使わなくなったデジカメを利用して、平成13年2月か3月頃、こちらに移住する決心をした頃だったろうか。最近は裏カメラとして使っていた。あれもこれもやらねばならないことが山積みである。

 日が長くなった、まだ太陽が残る午後6時半近く、突然阿蘇坊主殿がアオキとくちなしの苗木を持って寄ってくださった。

平成17年4月19日(火)

 晴れ、珍しく晴天が続いており、時折吹く強風に畑から土埃が舞っている。

 午前中、婆様は大阿蘇病院定期通院。

 周囲が田植えの準備で賑わいだした、あちこちでトラクターで田起こしが始まり、ハウスで苗床が作られ始めている、一方、小生、パソコンに向かったり、読書をしたりとノンビリ?過ごす。


平成17年4月18日(月)

 晴れ。

 週始め、週末家に居た娘とカミサンがそれぞれ出かけ、二日振りに静かになって、なんとなく気抜けして、本を読んだり、パソコンに向かったり、とりとめも無く一日を過ごす。

 タケノコが顔を出し始めた。実は数日前から気が付いていたのだが、あえて気が付かないフリをしていた。昨年の台風で倒れたままになって荒れ放題の竹林の整理が終わらないうちにまた新しい竹が伸びてくるのを考えたら、もうカンベンしてくれという気分になって、知っていても知らないことにしておいたのだが、今朝ご近所の方が、掘りに見えて一緒に竹林に入って、公式に認めざるを得なくなったと言う次第である。タケノコの季節、自然の恵に嬉しいと言うより憂鬱になるのである。

 その竹林の中にタラの芽を見つけた。数本の木があることが分かった、タラの芽はテンプラにすると美味しい山菜である、ここではダラン芽と言う。

 ADSL。今朝、今までのフレッツ・モアをフレッツ・モアスペシャルに切り替える工事があった(ようだ、前もってモデムを交換しておいたので、改めてすることも無く、知らないうちに切り替わっていたようだ)。もともと局から4キロ以上あるので、ほとんど効果は無いとのことで覚悟はしていたが、下り4.2Mbps強だったのが5.7Mbp強に約1Mbps以上早くなった(上りも相応に早くなっていた)、まあまあである。本当は、自宅サーバーをやるには上りがもっと早くなればいいのだが、ADSLでは仕方が無いところか。


平成17年4月17日(日)

 晴れ。

 坂梨小学校と坂梨保育園が合同で、入学・入園式が終わると、すぐに親睦のための遠足がある。「お見知り遠足」と言う。妙な名前であるが、小生より年配者が子供の頃から行われているそうだから、もう半世紀以上の歴史がある行事である。

 今日はそのお見知り遠足である。親子遊戯や徒競走などミニ運動会を兼ねている。場所は先週の観桜会と同じ浄土寺牧。「浄土寺牧」という言葉はお見知り遠足の会場として昔から使われているので、坂梨地区の人々には一際ノスタルジックに聞こえる言葉のようである。今でこそ芝生が敷かれ小さなグランドとして整備されているが、昔はクロスカントリー風に起伏に飛んだ斜面を走ったそうである。このような形の催しは珍しいのではないだろうか、同じ地域の校区でも隣の校区ではこのような伝統は無いようで、羨ましがられている。そう言えば坂梨校区では駅伝もある、まとまりの良い所なのである。

 今日も、先週以上に天候に恵まれて、我が家でも家族皆で参加した、桜もまだまだ十分に見頃状態が続いていて、そのほかにも桃の花、水仙など色々な花が咲き乱れ、時々風に花びらが舞って、山間の長閑な桃源郷に遊ぶという風情であった。

お見知り遠足連続写真
平成17年4月16日(土)

 晴れ。

 家の裏手の三叉路に面した所にある竹林が昨年の台風でかなり畑に倒れていて見苦しい状態を呈していたので、薪割が一段落、畑仕事も一段落の合間を縫って、午前中整理して焼却した。ほんの少し前まで、焚き火の暖かさが嬉しかったが、もう火を燃やすのは大変な季節になってしまった。

 夕方、ちょっと時間があったので、久しぶりに仙酔峡まで登ってみた。朝や夕方のように太陽が斜めから射すほうが山の陰影がハッキリして美しい。今日は天気もよく空気も比較的澄んでいて遠くまで良く見えた。(写真1写真2写真3写真4)

 ミヤマキリシマはどんなだろうと、山肌を遠くから見たところ、茶一色でとても花が咲きそうにも無い感じだったが、近づいてみると、しっかりと蕾を持っていた。先日の検査では害虫も少なそうだとのこと。(写真1写真2


平成17年4月15日(金)

 晴れ。

 昨日植えたサトイモの畝にマルチ掛けをする。昨年、生分解マルチが店頭に出ていて、ようやくこういう時代になったか、これだと収穫後の後始末をしなくて済むと喜んで使ったのだが、今年は売っていなかった。店員に聞くと、売れないのかどうかどうもハッキリしないが、今年は扱っていない、とここと、ご近所のお婆ちゃんなんか、次の年もとって置いて再使用するから、分解すると困る人が多いのだろうか。それにしてもあんなに弱いマルチを翌年も使うとは、その技術に感心する。小生なんか直ぐに穴だらけにして使えなくしてしまうが。

 4月1日に大分遅れて植えたジャガイモが、今日もう芽を出し始めていた、男爵だったろうかメイクインだったろうか、どちらかが早く芽を出す。

 今日は嬉しい発見をした。裏の竹林のなかに淡いピンクの花が目に留った。桜の花だ、こんなところにあるのでヤマザクラか、昨年まで気がつかなかった。ここに来た当初は竹だらけで、桜も竹の勢いに押されて咲けなかったのかもしれない、大分周囲を切り払ったので今年咲いたのであろうか。


平成17年4月14日(木)

 晴れ。

 役場(・・・じゃなくて市役所か)。市役所の駐車場で献血をやっていたので、肥料を買いに行く途中で献血をする、今回で21回目になる。

 畜協で堆肥を軽トラック一杯分500円也で買い求め、畑に鋤き込み、一気に三列畝立てをして、約40個のサトイモの作付けを終わらせた。マルチ掛けは明日することにして本日の作業は終わり。

 福岡管区気象台が本日正午、臨時火山情報を発表し、火山活動のレベルを2から3に上げた。レベル3は昨年の1月14日以来だそうだ、このこととは直接関係は無いが、今日は風向きの関係で、阿蘇谷でもよく煙が見え、仙酔峡側に山肌を噴煙が這うように降りていた。



平成17年4月13日(水)

 晴れ。

 今朝、葉子さんから電話があって、彼女のお義母さんが作ったサトイモを種芋にどうぞ、と言ってくれたので、早速大喜びで頂戴に伺った。ホームページに書けば、もしかしたら誰か助けてくれるかなとは思っていたが、持つべきものは・・、とインターネットのありがたみを改めて感じた。

 早速午後から畑に耕運機を入れて耕した、明日にでも堆肥を買いに行って鋤きこむ事にする。

 ここのところ、野の花がやたらに目について、耕運機の通り道に可憐な花を見つけると、機械をとめて、顔を近づけて、写真に撮って、と一向に作業が捗らない。

 また幾つかの花が目に止まったので阿蘇坊主どのに送って教えを請おう。畑のど真ん中にスミレが美しく咲いていたので、耕すに忍びなく鉢に移して耕運機から退避させた。

 NTTから変更手続に伴うレンタルのADSLモデムが届いた。


平成17年4月12日(火)

 小雨。

 本屋でこの本を買って来た。数日前に平置きで二冊置いてあるのを見て、欲しいなと思ったが、年金生活者がそんな無駄遣いをするなと自らを戒めて買わなかった。そしてたまたま今日本屋を覗いたところ、まだ一冊だけ残っていた。

 この一冊しか残っていなかった、ということが決定的な引き金になってしまった。とうとう買ってしまったのだ、大枚1,800円也、理屈はなんとでも付く、人皆知有用之用而莫知無用之用也。この雑誌、実際に蒸気で動く蒸気機関の組み立てキットが付録に付いているのだ、付録というよりはこのキットの方がメインの雑誌だ。男は幾つになってもメカが好きなのだ。

 ついでに最近こういうサイト(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/)があるのを知って嬉しくなった。非常に心が動かされるが、とてもじゃないけどそこまでやる時間は絶対にない、だからサイトを眺めて楽しむだけになる。レールを敷くだけの場所は十分にあるのだが・・・

 実は今日は本を買いに行ったのではない、サトイモの種芋を買いに行ったのだが、サトイモが本に化けた。肝心の種芋はもう何処にも無かった。とっくに作付けの時期は終わっていたのである。我が家のジャガイモの作付けが遅れたが、ちょうどあの頃だったろうか、ジャガイモが終わってホッとしている間にサトイモのことを忘れてしまった。もっと先だと思っていた。日記をつけているのだから、過去の記録を元に自家用の農事歳時記でも作って年間の農事予定を把握しないといけないな。トマト、キュウリ、ナスなどの苗ももう並び始めている。


平成17年4月11日(月)

 曇り一時小雨。昨日までの暖かさが一転して、肌寒く、朝晩ストーブを焚く。

 4月9日のこの欄に、畑の草花の名前が分からないと書いたところ、先日掲載の写真が不鮮明だったにもかかわらず、宮城県の宝槻さんとおっしゃる方と阿蘇坊主どのから、ご親切に花の名前を記したメールを頂戴した。

 ※ナズナ(これは知っていた、ぺんぺん草である)
 ※オオイヌノフグリ(フグリとは・・・・)
 ※ホトケノザ(上から見ると丸い葉が何枚か重なっており、仏様のうてなになぞらえたのだろうか、このホトケノザは春の七草のホトケノザとは別種で、食べられないそうだ)
 ※ムラサキサギゴケ(絨毯のように密生して美しい)

 ついでに阿蘇坊主どのに他の名前が分からない写真を送って、それらの名前についても教えを請うた。

これは「ムラサキハナナ」紫花菜と言うそうだ。
そしてこれは「フウロケマン」風露華鬘だとのこと、初めて耳にする名である

 そろそろ可憐なこれら野草の花の頃も終わり、もう間もなく憎っくき雑草どもに立場を替える、今年は特に我が家の畑一面にナズナが蔓延り、地面すれすれに咲いているアネモネなどの花が既にナズナの密生に埋もれてしまっている。我が家はぺんぺん草に埋もれているというわけか。薪との格闘が終わると今度は秋まで雑草との闘いが始まる。

 これはレンギョウだ、小生も知っている(もちろん雑草ではない)。

 というわけで、本日は柄にも無く風流人になって、改めて写真を撮り直して、花の名前と画像の整理をした。


平成17年4月10日(日)

 晴れ、午後に入って雨となる。

 今日は坂梨小学校同窓会主催による観桜会が浄土寺牧であった。浄土寺牧は坂梨の古閑の滝の近くにある外輪山麓の牧野である。今は牧野としてはあまり使われていないようだが、何十年もの昔から、春にはここで、入学・入園式があったばかりの小学校と保育園合同の親睦運動会的なハイキングがあるなど、地元には非常に馴染みの深い場所である。

 この浄土寺牧に、数年前に同窓会などが植えた桜の木が美しく育って、今年初めて観桜会が催され、宿場會もこれに協力して、得意のうどんやおでんを来場する皆さんに提供することになったのである。

 昨夜までの天気予報では、100%雨になるとのことで、朝のうち深い霧に包まれたこともあり、開催が極めて危ぶまれたが、皆の思いが天に通じたか、奇跡的と言っても良いほどに天気予報が良いほうに外れてくれた、同時に、遅れていた開花もここのところの急な暖かさで開花が一気に進み、丁度見頃となり正に絶好の花見日和になった。。

 そして、小さな子供からお年寄りまで地元の多勢の人々が集まって来て、和やかな花見の宴となった。我が女性軍が手分けして仕込んだオデンの屋台と男性陣が受け持ったウドン屋台にも多くの皆さんに並んでいただき大好評であった。

 娘もカミサンとやってきて、麻理子さんに連れられた健太郎君や直樹君たちと穏やかな陽射しの中で転げまわって遊んでいた。

 そして、午後二時過ぎ、奇跡的に晴れていた空が、会が終わるのを待っていたかのように、急に雨になり、絶妙の天の配剤に皆一様に胸を撫で下ろしたのである。

 浄土寺牧観桜会連続写真

 夜、4月定例の宿場會が中虎屋で開かれた。今日は年次総会である。会計報告と役員改選があり、役員は全員重任となった。会が終わっての帰り道、昼間満開だった坂梨公民館前の桜ライトアプされて雨に濡れていた。


平成17年4月9日(土)

 晴れ。暑い暑い、薪を割っていると、もう夏だというくらいの暑さだった。雑草と呼ばれている畑の草花が今美しい(例によって名前を知らない)。(写真1写真2

 我が家の近くのJRの駅は豊肥線の宮地駅である。熊本から阿蘇谷に入って大分方面に抜ける鉄路の阿蘇谷内の最後の駅で、この宮地を出ると、直ぐに外輪山を一気に登って、阿蘇谷を抜ける。抜けたところが、今度の町村合併で同じ「市」になってしまった、隣駅、旧波野村の波野駅である。

 かねがね、外輪山の急斜面を登っていく汽車を見ながら、どういう感じで登っていくのだろう、車窓から見る阿蘇谷はどういう風に見えるだろうかと思っていたが、時刻表を見てみると、熊本から来る汽車の殆んどが宮地駅止まりで、宮地から先には極端に本数が減って、一日に僅か5本しか走っていない(その他に特急が何本かあるが、波野には停まらない)。

 従って、波野まで一区間だけ乗って、折り返して帰ってこようと思っても、下手をすると戻ってくるのに数時間待ちになってしまうので、利用を躊躇していた。

 ところが、仔細に見てみると朝7時過ぎの下りが、波野駅で一分待ちで上りに接続していることが分かった。というわけで、今朝、6時過ぎに、まだ寝ている母子を叩き起こして、計画を実行した。

 そうである、「計画を実行する」というくらいの覚悟が必要なのである。待ち合わせ時間が一分しかないので、到着が遅れたら、上り列車に乗り損なうことになる、単線だから大丈夫だと思うのだが、乗り換えるほどの時間も無く直ぐに出てしまうかもしれないのである。

 駅で乗車理由を話して、大丈夫だろうかと尋ねたら、駅長は、大丈夫だろうと思うが、念のためにと、運転士に事情を話してくれたが、運転士曰く、ここの急登坂個所は車輪が一番空転しやすいところなので、絶対大丈夫だとは請合えない、そのような目的ならお薦めできませんね、とのこと。

 そういう状況ではあったが、せっかくその気になったのだから、えいままよ、とばかりに、乗ることにした

 豊肥線は、熊本から阿蘇谷に入る際には、スイッチバックで登ってくるが、阿蘇谷を大分側に抜ける際には、スイッチバック無い、宮地駅はもう阿蘇谷の東端で直ぐに外輪山の山肌が迫っている、そこを一気に登ってしまうのである。一両編成のディーゼルカーは宮地駅を出ると直ぐに緩やかに登りはじめて、どんどんその傾斜が強くなっていく。一気にといっても流石に最短距離を直線的に頂上を目指すのではない、山が近すぎるので大きく迂回して斜めに山肌を削ぐように登っていくのである、それでも相当な急角度である。生憎と今朝は霧が出ていて、遠望はあまり利かなかった、それとトンネルも何箇所もある、いつも眺めている風景を新鮮な角度から見ながら、鬱蒼とした杉林の中を抜け、古閑の滝を真上に見上げならの17分間の列車の旅、娘は列車に乗るのは今度で二度目だろうか、喘ぎながら登る列車の走行音にいささか緊張気味であった。

 波野駅は九州で一番高いところにあるJRの駅である。予定より少し早めに波野に着くことが出来て、その後、直ぐに隣のホームに入ってきた上りの列車に乗って宮地駅まで戻り、片道一人270円也の家族三人の小さな旅は無事に終わった。駅長や運転士に相談したからでは決して無いのだろうが、何時もよりスピードを出してくれたような気がしてならないのである。

 今、ローカル鉄道がどんどん寂れている。車の普及で利用者が減る、だから運行本数が減る、その結果利用者が更に減る、の悪循環である。列車から見上げる古閑の滝は素晴らしい(と言っても今の時期はもう凍結していなし、およそ瀑布という言葉には縁遠い水が殆んど無い滝だが)。厳冬期には此処を通る列車は徐行するのだろうか、そのくらいのサービスは是非して欲しいところだ。SLあそBOYはスイッチバックでも時々立ち往生するようだから、ここを登るのは無理だろう。でも、子供の頃、大分まで乗った列車は当然のことだがSLだった、あの頃の鉄道は元気が良かった。

 帰ってから、小生は先日の薪割りの残り、カミサンと娘は、たかな折りをして、樽に漬け込んだ。もう花芽が出始めており少し遅いくらいだろうか、我が家では漬物より菜の花のほうを楽しみにしているので、気持ばかり漬けたが、今の時期、折ったたかなを満載した車が行き交っている。我が家ではもう間もなく菜の花(たかなはアブラナ科である)で黄色一色になるだろう。

 夕方、精米に行く、本日10キロ精米して、残すところ1俵と20キロになった、つまり80キロである。家禄?参俵扶持の家で半分を消費したことになる。 
 
 婆様は今日は調子がイマイチだと言って、ゴロゴロしていた。


平成17年4月8日(金)

 曇り。気温はかなり高かったようだ。今日は初めて終日ストーブを焚かずに済んだ。

 ここのところ、学期末・学期初め(保育園でもこういう言いかで良いのか)で仲間の多くが上のクラスに移り、先生方がガラリと入れ替わったりでかなりナーバスになっていて、保育園に行きたがらす、登園時に泣いていた娘が、今日は気持良く出かけてひと安心。

 昨日までチラホラだった一の宮周辺の桜が、今日一日で一気に開いて、もうほとんど満開状態になっていた、春の勢いというもは凄いものだ。

 武藤肇が、今、東京の小金井公園の桜が満開だと言って携帯メールで画像を送ってきた、あのアナログ人間の権化のような男が携帯でメールを、そのうえに写真まで添付する芸当が出来るようになったとは、人間長生きはするものだ。

 昨日の雨の名残で地面が濡れていて、午前中は仕事にならなかったので、パソコンに向かう。ようやくNamazuインストールの目処がたった。

 現在ADSLのフレッツ・モアを使っているが、ここでもフレッツ・モア・スペシャルが使えることが分かったので、変更手続をとった。尤も、局から此処まではかなり距離があるので、ほとんど変更の効果は無いだろうが、費用がほとんど変わらないので、ワサモン好きとして黙って見過ごすことが出来なかったのである。



平成17年4月7日(木)

 雨のち曇り。

 自宅サーバーの構築作業に没頭する、全文検索ソフトNamazuのインストールがどうもうまく行かず一日が無駄に過ぎた。

 保育園の桜がようやく数輪ほころんでいた。


平成17年4月6日(水)

 晴れ、午後から曇ってきた、予報では夜雨だそうだ。

 阿蘇神社境内の桜が三分咲き程度になってきた。

 母、定期通院で大阿蘇病院へ。

 小生は、昨日に引き続き、ほぼ一日かけて今朝春さんの納屋の材木の処理にあたる、タップリと乾燥材が手に入り気分が良い、ストーブの季節も、もう暫らくだ。


平成17年4月5日(火)

 昨日以上の快晴

 本日は娘の保育園の入園・進級式の日、昨日の調子では、今日は先ず駄目だろうと諦めていたが、朝には完全に平熱に戻っていたので、式がある午前中だけ出席することにして、半日休みを取った母親に引率されて出かけていった。

 娘は今年、三歳未満児の最後の年で、言わば未満児教室の最年長になる。今年の春も十数名の園児が育っていき、新に十数名の新入園児が入ってきた。娘のクラスも半数以上が三歳児のクラスに上がり、その後をまた沢山の仲間が入ってきた。今年は園長先生や三人の担任の先生方が皆さん入れ替わり、暫らくは新しい仲間たちと新しい先生方に囲まれて、落ち着かない期間を過ごすことになるのであろう。

 小生はその間、、昨年の台風で屋根が飛んで骨だけになっていた今朝春さんの道路沿いにある納屋の梁などを貰い受けにチェンソーを持って出かけた。我が家の直ぐ裏手である。丁度乾燥した木材が払底していたので、渡りに船で大助かりである。


平成17年4月4日(月)

 快晴。

 娘は結局熱が下がらずに、保育園を休んだ。多分明日も無理だろう、明日は進級式があるので、新学期早々休みとなる。

 子守りの合間を縫って、ようやくライブカメラの復旧が終わる。


平成17年4月3日(日)

 晴れたと思ったら雨が降り、前日の予報どおりに雹が降ったり、雷がなったりと妙な天気の一日だった。

 娘が昨日より咳と熱が出て、昨夜は9度近くまであったが、一晩寝たら37度台に下がった、下痢もしていないし、元気なので大丈夫だろうが、問題は明日だ、明朝まで平熱に下がってくれないと・・・・頼むぞ・・

 今日は変な天気に合わせるように、ライブカメラ用のHDの換装をしようと分解したら、どこかがショートしているのか、接触不良なのか、マザーボードから警報音が鳴って、換装どころではなくなった。カードを抜いてマザーボードだけにして、一つ一つ組み立て直して、ついでにCPUまで取り外して、CPUファンの掃除までして、再組み立てをしたところ何処が悪かったのか分からず終いのまま復旧したので、改めてHDを取り替えてOSをインストールしたが、キャプチャーカードのドライバーインストールが上手く行かず、今日は作業を終わることが出来なかった。

 その作業と平行して今度はモデムの調子が悪くなって、何度リセットをかけてもアラームの赤いLEDが点いたり消えたりで、外部との通信が出来ない状態が続いた、こうなると何台PCがあっても、外部との窓口は一つなので全くの麻痺状態になる。これもようやく復旧できたのが夕方で、今日は三隣亡のような一日となった。小生の整理整頓の悪さも原因の一つだろう、毎度の事ながら、いつの間にか配線がごちゃごちゃになってしまう。


平成17年4月2日(土)

 くもり。

 娘もカミサンも休み、なれど何故か半日子守り、とりとめも無く一日を過ごす。


平成17年4月1日(金)

 晴れ、今日もポカポカ陽気という奴で終日Tシャツ一枚で農作業をする。水仙も今が盛りで、越冬したカエルが鳴いていた。

 ほぼ一日かかってようやくジャガイモの作付けを終わる。男爵とメイクイーンを合わせて約120個近く植えただろうか、ヤレヤレである。

 昼前の作業中、哲兄が、あまり天気が良いのでと、ヒョッコリ顔を見せ、友人が入院中だそうでこれから見舞だと言って昼飯も食わず短時間で発って行った。

 三月が別れの月であれば、四月は新たな出会いの月か、保育園に新しい園長と新しい先生が赴任してこられた旨の掲示が出ていた(因みに、新園長は小生が良く存じ上げている人である)。

 夕方、娘を迎えに行ったところ、年長組みはもう卒園して居ないので、異動される先生と在園組の皆がお別れ記念撮影をしていて、丁度良い所へ来たとばかりにカメラマンを仰せつかってパチリ。