平成21己丑(2009)年10月の記録(新しい日付けの順)
平成21年10月31(土)
晴れ。抜けるような青空が広がった、今日出掛けた蘇陽方面、絶好の紅葉のシーズンだった。
今朝のテレビのニュースが「国際宇宙ステーション(ISS)での作業を全て終えた宇宙ステーション補給機(HTV)技術実証機は、日本時間10月31日0:02にISSのロボットアーム(SSRMS)によりISSから取り外され、31日2:32にISSから離脱しました。」旨、伝えていた。そして、小生はそれを実際に我が家の畑に立って観測することが出来たのである。
実は、日向の国のある天文乙女の数日前のブログで国際宇宙ステーション(ISS)がちょうどこのあたりでもよく見えるという情報を前もって仕入れていたのである。彼女は実にこういった方面に明るい、熱烈な鉄道ファンを鉄ッチャンというが、天文やスペースシャトルや、宇宙観測ロケットや人工衛星の熱烈なファンのことは何て言うのだろう。
ISSはいつも地球の周りを回っているので、タイミングさえ合えば他の日にだって見られるわけであるが、今回は、ドッキング状態で飛んでいたHTVとISSとの切り離しが行われて、切り離された二つの飛行物体が同時に見られるという極めて稀な機会だったのだ。こういった天文ショーは日中には明るすぎて当然見ることが出来ない、かと言って、深夜では駄目なのだ(と思う)、つまりこういった飛行物体は太陽の光を反射して光るわけだから、太陽が地球の裏側にあってはだめなのである。つまり、地上ではまだ暗くて、はるか上空では太陽光線が当たる、夜明け前の一番暗い時、つまり夜の底、に飛行物体は上空を飛ばなければ見えないのである。今日がそのタイミングがピシャリの日だったのだ、しかも二つ同時に見られるという。
分かったようなことを言っているが、そもそも小生、ISSなどという言葉なんてスラッとは出てこない、IISだったかなISSだったかな、更にHTVだったかな、HIVだったかなHISだったかな、そんな程度の知識である、そんな宇宙音痴の小生でもこれはやはり感動的だった。ひときわ明るく輝くISSとそこからかなり離れて前方を飛ぶ、これは小さいからだろう、弱く光るHTVが雲ひとつない満天の静止した星空の中を北西から南東に向かって天空に半円の弧を描くように東の外輪の向うに消えていった。
昨夜、福原のM崎昭光さんから、突然だが、明日、高森町野尻の神社で祭礼があって出掛ける用事が出来たので、そこで、登母祖用水路のことが聞けるかもしれないけど来るか?と電話を頂戴した。最近、M崎さんは、江戸末期に、野尻と草部の間の岩盤をくり抜いて灌漑用水路を作ろうとして結果的に失敗して、責任をとって自刃して果てた小生の高祖父にあたる五郎次季光のことを何かのきっかけで知るところとなり非常に興味をお持ちになったらしくて、氏の日常の行動範囲がちょうど高森周辺ということもあって、折に触れていろいろ情報を提供していただいている。
野尻川上神社、四方を山に囲まれて、まるでドラマに出てくるような樹齢数百年の大イチョウに抱かれて普段は静かな神社(であろう)も今日ばかりは、♪村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日、の歌詞そのままで、集落の善男善女の皆さん大勢が集まっていた。ただ、御多分に洩もれず、ここも過疎化、少子化の影響で、さすがに、ドンドンヒャララ ドンヒャララドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる 笛太鼓・・・というわけにはいかなくなったようだが、それでも、皆さん、伝統の祭、郷土芸能を一生懸命に守っておいでだった。
馬場八幡の祭礼と同様に(あたりまえだが)神社で遷座式があり、神輿の巡幸があって町に繰り出して、お仮屋で神事があり、地域の皆さんも元小学校跡に建っているコミュニティセンターで昼食休憩をとっておいでだった。部外者の我々も勧められたので遠慮なく上がりこんで、おいしい昼食を頂戴した。ここ野尻の津留というところ、昔、宿場町として栄えたようであるが、今は昔日の面影を偲ぶばかりになっている。
津留の町、普段はほとんど人通りも無いそうだが、今日ばかりは沢山の人が集まって、用水路工事跡の情報を得るには絶好の機会だった、M崎さんは多分そういう計算があって誘ってくださったのだろう。おかげで何人かの古老、長老の皆さんに話を聞くことが出来たが、それでも、実際にはもうひとつ前の世代でないと、詳しいことは分からないのが実情である。考えてみたら、その人たちも小生よりせいぜい多くて20年くらいの年長でしかないからである。それでも、二三の方から、隧道の取水口や間風(まぶ)という、空気抜きや資材運搬用の立抗のあり場所を知っているから今度案内してくださると約束していただいた。そして、A藤さんとおっしゃる方に、今日一か所御案内いただくことになったのだが、運の悪いことにM崎さんの車がライト点灯のまま駐車しておいてバッテリーが上がってしまって、時間の都合がつかなくなって今日は御案内いただけなくなった。そこで、A藤さんの案内なしに大体の場所だけ伺って、数年前に、熊本市内の郷土史家H川さんから頂戴した写真の記憶をもとにM崎さんと一緒に探したところ、取水口を運よく見つけることが出来た。ただ、間風(まぶ)については、我々には見つけることが出来なかった。 この川は、今は水量が少なくなってしまった、古老たちが子供の頃は、この何倍もの水量があったそうだ、その頃は水源になる祖母山は落葉広葉樹ばかりで覆われていて山の保水力があったが、杉の植林が始まってから落葉樹がことごとく伐採されて、それからは川の水量がガタっと減ったそうである。
その昔、先祖が立った場所に、今日、ようやく小生も立つことが出来た。のであるが、つらつら考えてみたら五郎次が開鑿に失敗して切腹をしたために、その甥が家を継いだ結果、その末裔の今の小生があるわけだから、もし、五郎次が無事に隧道を完成させていたならば、小生はこの世に存在しなかったことになるわけである、少々複雑な気持ちがするようなしないような。
教育委員会掲示
ところで、バッテリーが上がった車、近くに停まっていたパトカーに事情を話して、ブースターケーブルをお借りできないかと頼んだところ、ありますよ、と言って、整理が悪くて・・と笑いながらトランクの奥から見つけ出して気持ち良く貸して下さった。ついでにパトカーに繋がせてくれと頼んだが、これから出場しなければいけないので、終わったら、駐在所に置いて帰ってくれと、名前も聞かずに走り去った、町の皆さんの応対といい、昼食御招待といい、ブースターケーブルの拝借といい、実に気持ちの良い町だった。
野尻川上神社秋季大祭&登母祖用水路探索 連続写真(1/3)
野尻川上神社秋季大祭&登母祖用水路探索 連続写真(2/3)
野尻川上神社秋季大祭&登母祖用水路探索 連続写真(3/3)
カミさんの両親が、随分久しぶりに千葉からやってきた、聞いたら二年ぶりだそうだ、カミさんと娘が空港まで迎えに行った。今回は七五三のお参りために10日ほど滞在予定である。
平成21年10月30(金)
晴れ、夕方、午後5時下校の子供たちが帰路についたころ少しパラつきはじめたので、多分傘を持っていないだろうと、途中まで迎えに行って、それぞれの家に送り届ける。
今朝、銀行回りなどで外を走っているとE鴨氏から、熟したトマトがあるけどとりに来るかと電話が入ったので、それではお言葉に甘えてと、早速山田にあるE鴨氏のトマトハウスに出掛けて一度では食べきれないほどのトマトを頂戴してきた。まだハウス内はトマトがいっぱい生っていたが、霜が降りるとハウス栽培でも、急に駄目になるそうで、そろそろお終いだとのことであった。
夕方、婆様、大阿蘇病院で先日の季節性インフルエンザワクチンに引き続いて、肺炎球菌ワクチンを打ってもらった。高齢者は肺炎が命取りになる場合が多ので少しでもその要因を取り除いておきたかった。肺炎の原因には色々あるようであるが、肺炎球菌による肺炎が結構高い比重を占めているようである、嚥下障害などから起きる肺炎には効かないそうだが、これで少しは安心が出来る。今回の肺炎球菌ワクチン、病院側の説明によると、このワクチン、一生に一度しか打てません、しかもその効力は5年間ですがそれでも良いですか、それを聞いて、婆様、莞爾として、5年もあれば十分すぎるくらいですと言っていたが、その通りであろう。
ついでに新型インフルエンザワクチンの申込も済ませてきた、これは11月中旬くらいになるとのことであった。
我が家の田の米が届いた。
プール、@1,000×1本。69.9。(昨日は休む)
平成21年10月29(木)
晴れ。昨日よりもなお美しい秋空が広がる。朝のうち深い霧が出たが、大観望に登ったあと、山を下る途中のJR6IESのレポートによると、五岳よりも高く霧が出て美しい涅槃像は見られなかったそうだ。
一昨日から九重連山でアマチュア無線の山岳移動運用中の京都のJF3KQA局が、昨夜は内牧温泉に泊まり、今日は仙酔尾根ルートで高岳に登って、砂千里経由で火口西に向かう予定だとのことだったので、午後三時頃、ちょうど山を下りてくるころを見計らってアイボールをするためにひとっ走り阿蘇山頂駅まで行ってきた。三日続けて、ただコンタクトをしただけの間柄ではあるが、話のやり取りを通じて、その場限りで終わる人と、実際に会ってみたくなる人とがいて、今日はなんとなくアイボールをしたいな思う人だったわけである。時間が無くて短時間のアイボールだったが、非常に小さなパドルを携えて、移動先でももっぱらCWだそうで、相当のCWの達人で、かなり触発された。山歩きと無線が好きな想像した通りの魅力的な人物であった。こういうことが刺激になって、CWをもっとやらなきゃなあと思った次第である。
もっとゆっくりお相手を願いたかったが、小生、おさんどん、賄い方の仕事があるので、阿蘇駅まで送ってそこでお別れした。昨日中にコンタクトがとれていたら我が家においでいただいたものをと少々残念であった。
平成21年10月28(水)
晴れ。朝のうち少し霧が出る、それも子供たちの登校時には、ほゞ晴れていた、今朝はなごみ野の主夫妻の散歩にぶつかって一緒に登校していった。
先日交換した玄関先のライブカメラ、画角が狭いので広角レンズがついたカメラと交換した、今度のカメラはかなりワイドに映るが、色が良くない、しかしかなり明るいレンズではある。
去年の米、最後の一袋を精米する。この30キロを食べ終わるまで新米にありつけない。
プール、@1,000×1本。70.3。
平成21年10月27(火)
晴れ。ただ、一日中霞がかかったようで視界が悪かった。プールからの帰り道、久住山の山頂から3エリアの移動局と430でQSOをしたが、阿蘇山は見えないとのことだった、当然ながら、こちらからも見えなかった。
プール、@1,000×1本。70.3。
二日ばかり降った雨で、適当に播いたたかなの芽が出ていた。レンゲも芽を出したが、レンゲは多分、これからの寒さにやられるだろう。
稲は刈り終わった後に、切り株からまたグングンと成長をするが、これが、もし、今後も夏のような暑い日が続くとしたら、いずれまた穂をつけるのだろうか、寒くなって、成長できずに枯れるから分からないが、いつもこの時期になると疑問に思う。東南アジアで二期作、三期作などと年中米がとれる地域でも、そのたびに苗から始めるのだろうから、葉を食べる作物なら別だが、花を咲かせて実になる作物の場合はそういう仕組みにはなっていないのだろう。
新型インフルエンザ、今週に入って急激に感染が広がっている。 http://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/25957.pdf
今日は・・・・・今日も何もしなかったなあ。
平成21年10月26(月)
一晩中雨が降っていた(ようだ)。強い雨ではなかったと思うが、小生の寝ている場所は屋根裏にあたり雨が屋根を叩く音がよく聞こえた。明けても雨は降り続き、ようやく昼前になって上がったが、終日重い雲が垂れこめていた、そして明日の晴れを予兆させるように日没時にようやく太陽が顔を出した。
そういえば、台風20号が太平洋沖合を日本列島に沿って北上している、こちらに関係が無いとなると現金なもので関心が無くなる。
終日、先日来、やりかけのPCの復旧作業を続けた、なんとか目処がたったが、どうもサッパリ原因が分からん。なんとも消化不良の作業で非生産的な一日だった。
平成21年10月25(日)
曇りのち、昼前から静かに雨が降る。
久しぶりの優しい雨で乾燥続きの畑もようやく一息つける。
終日、ノンビリと映画を見たり読書をしたり・・・・・
平成21年10月24(土)
晴れ、のち曇る。
親子三人で古閑医院に季節性インフルエンザのワクチン注射に行く。先日、婆様が済ませたので、季節性については全員済んだ。ただ、現在流行っているのは新型インフルエンザばかりだそうだから、気休め程度だろうか。(写真1.写真2)
暫く小康状態だった新型インフルエンザの発症、今週あたりからまた急に増加を始めた。
平成21年10月23(金)
晴れ。
昨夜のことである。10時前ころだったと思うが、寝入りばなに枕元の携帯が鳴ったので着信表示を見るとJA1GQV茅ヶ崎の広永さんとある。こんな時間に一体何だろうと思って訊ねたところ、実は、高校の同期会があって、今東京駅の近くで飲んでいるとのこと。それで小生に電話をしたのは、偶然だが、話の中で仲間の一人に小生を知っている人が居ることが分かったからだと言うのだ。
広永さんは熊本市の出身で、高校(♪西に金峰東阿蘇〜)を卒業するまで熊本に居た。小生のことを知っているという人は、林正さん(実名で構わないだろう)とおっしゃる方で、話を伺ってみると、今は大阪に住んでおいでだが、阿蘇の赤水のご出身だそうで、小生のホームページのこと、たまたまお知りになる機会があったのだろう、小生がここに住むようになって以来続けている「日々の記録」を、阿蘇を懐かしんで時々読んでくださっていたそうで、そういう意味で、こういう男が阿蘇に居るということを御存知だった。
そういった前提があって、広永OMが阿蘇にはアマチュア無線仲間がいて訪ねたことがあるというような話の展開の中で、お二人の話がつながったというわけである。日記の中では以前何度か広永さんについても触れているが、林さん、まさか、同期の広永さんということまではお分かりにならなかったとみえる。
(写真)
知己が関わる小さな集まりのなかに、その知己を通じてでなく、小生のホームページを見ていてくださる人があったという確率、果たしてどのくらいだろう。
こういった話を聞くと、インターネットが持つ「力」、インターネットを通じての「縁」というものに改めて感動を覚える、今までにも何度かそういった経験をしているが、昨夜はなんだか非常に嬉しかった。
二三日前にボンの首輪が壊れているのに娘が気がついた。鎖から解き放たれたからといって、どこかに行っていまうことなく、何時もの小屋の周りの行動範囲内に居た。こんな田舎だから、本来、犬の習性から考えたら鎖がなくても構わないのだろうが、来訪者、通行人やご近所に対して万一の不測の事態が起きないようやむを得ないことなのだろう。今日新しい首輪を買ってきて交換してやった。H15年の8月にボンがやってきて以来だから、今までの首輪、6年くらい使ったことになる。
カミさんは牡蠣に対してアナフラキシーを生ずる、以前はそういうことは無かったのだがある日突然そうなった、それ以来、カミさんが家に居る時にはカキを食べられない。今日は仕事で遅くなるというので、シメシメ、たっぷりカキフライを作って食べた。
午を挟んでプールに行く。@1,000×1本。70.8。
平成21年10月22(木)
日記は日付が変わる前から始まる。昨夜、11時頃が最も沢山の流星が見られるだろうという予報に従って、起き出して夜空を見上げたが、ここからは見られなかったので、仕切り直して、昨日に引き続いて夜明け前にまた起きて見るかと、改めて寝入ったところ、珍しく寝ないで繕いものをしていたカミさんが午前二時頃、流星が沢山見えるわよ、と起こしに来たので、起き出してみると、娘も、起こしてもらったらしくて、眠い目をこすりながら、星を観測していた。流れない時には全く流れず、流れるときには二三個続けて流れるという不規則な状態だったが、それでもいくつか眺めることが出来て、娘と母親は満足してすぐに寝てしまった。小生、この時間に起きたら、もう寝られないだろうとそのまま観測を続けることにしたが、そのころにはもうオリオン座は中天に達しているので、見上げていると首が痛くなるし、体が冷えてきたので、更に着込んで、コーヒーを用意して、椅子を持ち出して首を背もたれに預けて、ゆったりと流星観察を続けた。ただ、打上げ花火と違って、天空のどの位置にどの方向に流れるのか、それもいつ流れるのかが、全く分からないので、なんとも消化不良状態が続いて、切り上げ時が掴めずに、結局4時過ぎに新聞が届いたのを機に観測を終了した。相当着込んでいたつもりだが、体がすっかり冷え込んでしまった。夜空を見上げていて、この流星観察、なんとなく釣りに相通じるものがあるなあと思った。入れ食いであれば別だが、ポツリポツリとしか、それも何時釣れるか分からない状態の時に、竿を納めるタイミングが掴めないでズルズルと釣り続けるのに似ている、もしここでやめなかったら次の一投でとんでもない大物が釣れたのではないだろうかと思うと、もう一投、もう一投と思い切り悪く釣り続けるのと似ている。ここで観測を打ち切ると、その直ぐ後で降るように星が流れるのではないだろうか、火球が見えるのではないだろうかということである。(写真1・写真2・写真3)
というようなことがあって、夜が明けた。
本日、晴れ。最低気温 阿蘇乙姫 3.2℃(06:33)
昼、プールへ。@1,000×1本。70.3。
平成21年10月21(水)
朝、阿蘇乙姫のアメダスの気温を確認したところ、午前5時で1.9℃となっていた、流星観察時、確かに気温が低いなあとは体感したが、えっ?そんなに低かったかあ、アメダスも結構いい加減なところもあるからなあ、と思っていたが、6時過ぎにボンの散歩に出た時に屋外の寒暖計は確かに2℃を割り込んでいた、体が慣れていないので寒さで耳が痛かった、家に帰ってから暖かい部屋に入ると指先が痺れた。アメダスによると、結局、阿蘇乙姫では今朝1.4℃(06:14)まで下がったとある、放射冷却現象である(阿蘇山上のほうがはるかに高い気温だった、6.0 )。ただ、その分日中は暖かくなった。
昨夜も流星群観察をした。ダウンジャケットを着込んで、熱いコーヒーカップを片手に4時間頃から小一時間、星空を見上げた。この時間になるとオリオン座も中天を過ぎて大分西に傾いている。だから見上げるのも真上である。時々思い出したようにサッと夜空を刷くように星が流れる、流星群と言うには程遠い流星の数、天文観察もなかなか根気がいるものである。深夜一時ころにも15分ほど眺めたがその時は流星を目にすることが出来なかった。ゼッタイ起こしてネ、と頼まれていたので、娘を何度もゆり起したが、全く駄目だった。今夜も挑戦してみようと思う。
当番が回ってきて、みどりの爺様出場。今朝は畑が霜で真っ白に、 登校の子供たちの吐く息も白かった。
婆様のインフルエンザのワクチン接種に大阿蘇病院に連れてゆく。季節性のワクチンだが我が家では一番乗りである。婆様には肺炎球菌ワクチンも来週打ってもらうことにした。病院の帰途、随分久しぶりに床屋に連れて行った。前回散髪の後、そろそろ行こうかね、と言っていたところ、入院になって、一月散髪が出来なかったので、結局二か月ぶりだろうか。どうせならこのまま切らないで総髪にしてしまったら?と言ったが、鬱陶しいので短かいほうが良いそうである。その婆様、大分、活力が戻ってきたようだ、本人自身もそう言っている、このまま老衰かと思っていたが、まだ大丈夫のようだ。
今日もプールは午後からになった。tomuさん夫妻が仲良くウォーキングをしていた。
@1,000×1本、70.3.
平成21年10月20日(火)
晴れ。
婆様、退院以来、初めての外来受診、薬を貰いに行く。いつも混んでいる病院だが、今日は特に混んでいていて、9時に受け付けて、終わって帰ってきたのが、2時近かった。あそこの病院は器に比べて医師の数が少ないと思う。
婆様の昼飯の世話をして3時頃からプールへ。@1,000m×1本。70.2。
午後7時より、坂梨公民館で開催された市政報告会に出席。この報告会、市内を10か所あまりの会場に分けて順次開催されている。午後7時より、市長以下、市の幹部が出席して、市長自ら市政の報告があり、その後質疑応答が続いて午後9時過ぎに終わった。今まで、こういった会にはあまり出席したことが無いが、今回はちょっと気になることもあり出席した。
平成21年10月19日(月)
概ね晴れる。
今年は、ちょうどその時分に月明かりが無いなど、オリオン座流星群の観察に都合が良い年だそうで、あと一両日中に最大の流星群が見られるというので、昨夜、日付が変わった頃、空をしばらく見上げていたが、昨夜は見られなかった。もうかれこれ半世紀近く前になるが、学生時代の夏休みに、友人とひと月近く北海道を旅をしたことがあるが、あれは北海道のどこだったかはっきり覚えていないが、夜空に無数の流星が降り注ぐのを見たことを今でも鮮明に覚えている。あの時は、さすが北海道、空気が澄んでいて周囲に光が無いから都会では見えない流星がこんなに見られるのかと思っていたが、空気の透明度や周囲の明るさの問題でなくて、あの時、たまたまなんとか流星群に巡り合わせたということだったのだろう。
昨日のウォーキングの反動がさっそく来た、今日はやたらと腰が重い、カミさんも足腰が痛いと言っている、娘も足が痛いと言っていた。
たかなの種とレンゲの種を播く。双方とも直播きである。以前はレンゲは菜の花と並んで春を代表する里山の風景だったが、最近はほとんど見られなくなった、ここでは田植えの時期が昔に比べてかなり早くなったのでレンゲが咲く前に田植えの時期が来てしまい、それで播かなくなったようである。
たかなも今年は筋播きをしなかった、双方とも、力士が塩を撒く要領でさっと播いて、そのあとで、薄く均して一丁上がり、ものの30分程度で終わる。ここは寒冷地なのでレンゲは間違いなく既に一月ほど遅い、まあダメモトである、たかなも大半の所ではもう播き終わっているだろうが、これはまだ大丈夫だ、遅い時には11月に入ってから播いたこともある、ただ、種が・・・・・・実は昨年の種である、発芽率がどのくらい減っているだろう。このくらい農作業が楽だと良いが、手抜き農法もイイところである。ただエシャロットは立派に育っていた。これは全く手が掛からない、毎年、放っておいても勝手に世代交代をしてくれる、作物つくり、須らくこうであれば良いのだが。
平成21年10月18日(日)
晴れ。朝のうち、雲があり少し風があった。
市主催の健康ウォーキングに親子三人で参加。この催しは、阿蘇町、一の宮町、波野村の旧町村を舞台に一年ごとに交替で実施されており我が家も毎年参加している。今年は旧阿蘇町内牧周辺をコースで行われた。
今回は、2.5km、4.2km、6.5kmの三コースが設定してあり、今年は娘も完歩できる体力がついたであろうと、6.5kmコースを歩いた。スタート時には少し風があってちょっと肌寒かったが、歩き始めるとすぐに体が温まってきて、秋空のもと壮快な気分で歩き通した。
健康ウォーキング連続写真
平成21年10月17日(土)
曇り、夕方、ほんの少し通り雨。
昨日来のPCの復旧の続きをやる。FDドライブは、屋根裏のジャンク品から取り外してきてつないだら動いた。なんでもかんでもとっておいたのが役にたった、たまにはこういうこともある。しかし、どうしてもその先がもうまくいかない、一日中、取り組んで結果不首尾、頭がボーっとしてくる。最後の最後になって、配線が老朽化して、信号が流れたり流れなかったりする部分があることが分かった、原因が分かればまた手の打ちようがあるが、今日はもうやめだ、急ぐ旅ではなし。
刈り払い機のスターターの紐を引っ張ってもガリガリ言って回らない、まだ保証期間内かなと思って調べたら、6月に切れていた。よくしたもので、こういったものは、だいたい保証期間が切れてから故障するように出来ている。修理に出そうかと思って念のために分解してみたら、スターターのローラーを留めているネジが無くなっていた。こういった機械は常時振動しているので、ネジが緩みやすいのだろう。適当なネジを探して止めたところ直った、こちらのほうは一件落着。
平成21年10月16日(金)
朝のうち随分長時間、霧が出ていた。外輪から撮っているライブカメラのサイトを見たところ、五岳もすっぽり霧に沈んでいたようだから随分と高いところまで今日は霧になったのだろうか。そのあと、まだ表現的には少し早いが、穏やかな小春日和になった。(写真1・写真2)
最近、少し余裕が出来てきたので、今日は、故障して手つかず状態だったファンレスタイプのライブカメラ専用のデスクトップのHD交換作業に取り組んだが、外付けのFDドライブが壊れていて、このままではOSのインストールが出来ないので、作業を中断した(Win98はFD起動でインストールを開始しなければならず、FDドライブが無いと話にならない)。
昼前、プールに行く。@1,000m×1本、今日は通して泳いだが、昨日よりも更に楽に泳げた。70.3。
夕方、市の包括支援センターのケアマネジャーのK佐さんがケアプランの件で見える、最近腑抜け状態でとてもデイケアに通える状態ではないので、今月いっぱいは休んで体力の回復に努めることで了解をもらった。
平成21年10月15日(木)
曇り。今朝は少し冷え込んだようだが、大したことはなかった、日中は穏やかに推移する。
今まで玄関先を捉えていたカメラは、画質は良いが、オートアイリス機能が無いため、外部の明るさが変化する場所には適していない、久しぶりにその気になって、カメラの交換をする。今度のカメラは、ホームビデオカメラのジャンク品で、カメラ部分の機能さえ生きていれば素晴らしいものがある(宿場通りで使っていたカメラを転用)。
昼前、プールに行く。今日は昨日ほどの苦しさはなかった、はやり、「慣れ」の要素は大きい。ただ、スタミナが落ちているのは歴然たる事実である。@500m×2本。69.3。
古閑医院に、娘の新型インフルエンザのワクチンの予約をする。娘は喘息という基礎疾患を持っているので予約が出来た。小生あたりの前期高齢者などは、新型のワクチンはいつになるか見当がつかないようなので、予約をしても仕方が無いようである。娘にしても比較的に優先度が高くはあるがかなり先になるのだろうな、それまでひたすら自衛に務めるのみである、専守防衛である。坂梨小学校・・・6年生の学年閉鎖以来、発生していないようである(あるいは散発的に発症しているのかどうか、娘情報では分からない)。今日は同時に、娘も含めて、我が家の季節性インフルエンザの予約もする。季節性インフルのワクチンも今年は入荷が少ないそうで、予約順に打ってくれるそうである、もっと早く予約をしておけばよかった。防災無線は相も変わらず、手を洗え、ウガイをしろを繰り返すだけだ、それで義務を果たしているつもりでいるのだろうが、市におけるワクチン情報は流さないのか(ン?行政に頼りすぎか?)。
平成21年10月14日(水)
朝のうち細かな雨が少々、曇りがちだったが穏やかな秋日和。
畑を鋤く。
プールの年会員年度更新をする。昨夜、アゼリアから電話があり、そろそろ年会員の期限ですが、如何されますか?
もう(多分)1年近く行っておらず、インフルエンザも流行っていることであるので、しばらくこのまま更新しないでおこうかと考えていたところだったが、電話が来たので、じゃあ更新するか、と気が変わった。アゼリアは民間企業だろうか、多分に市の資本が入っているはずである、ということは従業員はことさら一生懸命営業活動をしなくてもいいだろうに、でも最近は、どこのお役所も財政難で民間企業並みに懸命なのだろうか、ちょっとした電話をかけるなど、小さな営業活動でもやれば結果に結び付くのだなあなどと、今や、もうそういったことに関係がない立場ながら思ったものである。
というわけで、手続きついでに、実に随分久しぶりに泳いだ。一体前回泳いだのは何時だったろうと、やおら日記を遡ってみたところ、昨年の年度更新の際、10/14に行って、その後、11/7に行ったのが最後である。結局年会費を払って2度しか行っていなかったことになる。
1,000m泳いだが、無駄な所に力が入り、なかなか上手く水に乗れずに、水の中で文字通り悪足掻き、休み休み泳いだが、今日は苦しかった。以前、3,000m泳いでいたころは、ノンストップで泳ぎきっても全く疲労感を感じることが無く、3,000mくらいでは運動にならんと思っていたが、知らない間にそれだけの体力が付いていたのだ。今日を契機にまた出来るだけ時間を作って泳ぐことに決めた。69.7。
平成21年10月13日(火)
昨日までの天気と違って少し雲が多い一日だった、その分、朝の冷え込みも弱かった(まだ冷え込みという季節でも無いのだが)。
婆様、退院以来、すっかり、気力が無くなったようで、腑抜けたように寝てばかりいる、まあこれも仕方が無いか。
畑をトラクターで動き回り無秩序に耕す、不規則なワダチが残っている。茄子が離れ小島のようにポツンと少しだけ残っているので、そこだけ未練たらしく残してあるがこれももう要らないだろう。あと二三回鋤いてから整えるとしよう。いつも作付面積より空地のほうが多いので、この先、たかなを少し植えるだけで、後は全部レンゲの種を播いてみようかと思っている、が少し時期的に遅いかな。
平成21年10月12日(月) 体育の日
日中、穏やかに秋晴れ広がる。
今朝、今季最低の気温だったらしい、阿蘇乙姫 4.6℃(06:44)、昨日も8℃くらいまで下がったようだが、体感しなかった。というのは、今年は、ストーブを焚く以前に、世間並みに、モモヒキやセーターを着用するようにしているので、寒さを感じなかったのだろう。今年はインフルエンザ対策で寒さをガマンしないで用心をしている。娘はさすがに元気だから、薄着でも寒くないと言う。婆様は、日中でも布団の中に居ることが多く、足温器を入れているのでこれも寒さを感じない、カミさんも半袖で平気だそうだ、これは間違いなく皮下脂肪のせいだ、最近はそれが顕著である。ということで、寒いなあと感じるのは小生だけなので少し着込むようにしていて、初焚き以来ストーブを焚いていない。尤も、屋内は断熱効果で普通にしておれば寒くはないから、早朝に外に居続けでもしなければまだまだ寒いと震えあがることもない。
目まい、概ね治まったが、頭の中のモヤモヤ感、まだすっきりとはいかない。
午後、畑で草などを燃やしていると、通りがかりの人が、薪はいりませんか?どなたですかと問うと、三野野中のJ丸正雄さんとおっしゃる。北坂梨の I 原伸博さんから、小生が薪を欲しがっていると聞いていたので、とのこと。そういえば以前、I 原さんから二度ほど薪材を頂戴したことがある、小生が薪材を欲しがっているのが口コミで近辺に広がっているようで有難いことである。さっそく、後を追いかけて現場を見に行った。スギ林である、軽トラックで何とか入ることが出来るが、伐り出しに少し工夫が要りそうだ。まったく期限はないそうなので、そのうちに時間をみて少しずつ採りに伺うと言って帰ってきた。
平成21年10月11日(日)
うす曇り。穏やかな気温だったと思われる。
「思われる」、というのは、今日は朝のボンの散歩以外、一歩も外に出なかったから、本当の気温は体感していない。
起きた時から中度の目まいに襲われ、一日ゴロゴロして過ごしたからだ。目まい、一過性のものだと思うが、人間の体は天文学的なパーツが複雑に組み合わさって出来ているので、メカニズム、何かがちょっと狂っただけでバランスが壊れるのだろう、昨日、久しぶりに肉体作業をしたからか。おかげで本を沢山読むことができた。
平成21年10月10日(土)
穏やかに晴れる。今日からまた大方、三連休だそうだ、全く知らなかった。
ようやく重い腰を上げて、トマトハウスを分解撤去した、ほぼ一日がかりの作業になってしまった。久しぶりの肉体作業、体の節々が悲鳴を上げている。
小生の昨日の日記、タヌキの轢死の顛末について、ホームページを見ていただいた全く未知の方から感想というタイトルで以下のメールを頂戴した。
(以下受信メール転載)
「本日貴ホームページの狸のお話拝見しました。
小生であれば、日本人的な考えですが、自宅前で起きた事故の処理、屋敷の一隅にねんごろに埋葬します。広い敷地でしょうから、余地はある筈。
一方、竹薮の狸家族は、一家の主を行方不明になってしまい、
しかも葬儀も出来ず、遠くの焼却炉から登る煙を眺めるのでしょうか。
貴殿は田舎の人になったつもりでありながら、しかし元の都会の気質が抜け切らないですね。何かあれば役所に連絡して役所に頼ってしまう、役所のせいにしてしまう。無理もありませんが、いろいろの面で未だ本当の田舎人にはなりきっていないと感じました。」
(以上受信メール転載終わり)
田舎に住んでいるのだからもっと気持ちに余裕をもって、ねんごろに自宅の敷地内に葬ってやれば良いのに、といった趣旨のまあ、ある種お叱りの内容だった。ちょっとした文章でも人の受け止め方が違うものだと改めて感じたが、本意ではないので御返事申し上げた。
以下がその文面である、先方様を特定する文言は一切入っていないので非礼にはならないと思う。勿論、御本人の承諾は取ってある。
*****
(冒頭のあいさつ文省略)
メールを拝読いたしましたところ、小生の今回のタヌキの処置に御腹立ちのように受け取られますが、御返事になるかどうかわかりませんが、ちょっと感じたままを書かせていただきます。
歳をとってくると、慈悲心というのか仏心というのか、無闇な殺生はイカン、そういった気持が強くなってきて、以前は蛇を見つけると妙に闘争心が起きて殺しておりましたが、害を与えるわけではないので、最近はそのままにしておりますし、ムカデすら家の中で出てくる場合はさすがに駆除しますが、庭先で見つけた場合(ウヨウヨ居ます)はそのままにしております、蜘蛛は大嫌いな生き物ですが、これも周りじゅう蜘蛛だらけですが、それでも最近は一切殺しません。今回のタヌキ、決して非情は扱いをしたつもりはありません。なかなか悟りきりませんが、小生、基本的には、死=無、と思っております。葬り方も、葬られれる側の魂を考えてやるものでなくて、葬る側の気持ちの整理でやるものだと思っております、盛大な葬儀を営むか、質素に済ますかもそのようなことだと思います。ですから、あながち、埋葬してやるほうがタヌキにとって良くて、役所に引き取らせるのが悪いとは言えないのではないかと小生の場合は思います、要は気持ちの問題だと思います。今回の場合は、決してぞんざいに扱ったとは思っておりませんが、人によっては感じ方が違うんだなあと、ちょっとした文章でも、読む人に真意を伝えるのは難しいと思いました。
日記には、家の入り口付近と書きましたが、実際にはすこし離れていて出入りに支障がある場所ではなくて、普通であれば放っておけば何時か誰かがどうかするだろうという場所でした。一旦通り過ぎてから直ぐに戻って手配をしたのは、感傷的なことは書きませんでしたが、死んで時間が経っていたのであればそうしなかったかもしれませんが、まだ生きているようで、こんな死に方をして不憫だなあ、可哀想だなあ、このままにしておくとまた後続の車に轢かれたり、カラスに食い散らされるこになるので、あまり時間をおかない方が良いななと思ったので、適当な道具がなかったので、最初は足で蹴って動かそうかとも思ったのですが、これは死を冒涜するものだなと思い直して、素手で道路わきによけてやりましたし、これでも礼をつくしたつもりでおります。
自ら穴を掘って懇ろに葬ってやることが、どうなのかということについては、考え方の違いがあるでしょう。そうすることが、霊を弔う、冥福を祈ることになるのかということですが、今回、そういう発想は全くありませんでした、どうしてでしょう、穴を掘ってやるには体が大きすぎたからでしょうか、あるいは、道路で犬や猫が轢かれている場合は役所に引き取ってもらうのが一般的だからタヌキもそれらと同列に考えたからでしょうか、もしそれが我が家の犬ネコだったらどうするだろう、よく分かりません。今回は迷わず、役所に引き取ってもらいました。だからと言って決して小生は非情だったとは思っておりません。
>貴殿は田舎の人になったつもりでありながら、しかし元の都会の気質が抜け切らないですね。何かあれば役所に連絡して役所に頼ってしまう、役所のせいにしてしまう。
無理もありませんが、いろいろの面で未だ本当の田舎人にはなりきっていないと感じました。
田舎に住んでいるからには田舎人にならければならないのになりきっていないのはケシカランというお叱りなの気持ちがおありなのでしょうか、確かに田舎に住んではおりますが、田舎人という意味がわかりません。田舎人に対してどのようなイメージを持っておいでかわかりません。それに役所に頼ったつもりも役所のせいにいたつもりもありません。
田舎は都会に比べて不便だと言うだけで(逆に自然に恵まれていますが)、そこに住む人は田舎も都会もそんなに変わらないと思います。
タヌキは田舎の人にとっては畑を荒らす害獣なので、家の近くに巣があるのを知っていたら、もしかしたら駆除するかもしれません、そういう意味では小生、都会人かもしれませんね。
田舎の人はタヌキはタヌキ汁にして食べます、小生も何度か御相伴に与りました。今回のケースの場合、村の人が食べるかどうかは分かりませんが(多分、こんな場合は食べないでしょうね)。あっ、タヌキでなくてイノシシでした。小生の基本的な立場は、生き物を殺す以上は食べてやるのが功徳だと思っており、食べもしないのにスポーツで釣ってリリースとかいって放してやるのは偽善だと思っておりますが)、本当の田舎人(が何かは別にして)であれば穴を掘って埋葬しないで、食べたかもしれません(笑)。蛇足ですが、ですから、小生は、牛は食っても良いけど、クジラは駄目だと言う立場ではありません、食べないのであれば殺すな、食べる以上は慎んで食べろという立場です。
田舎人というは自然を愛する人という意味でしょうか、自然の中で生きているのだから、もっと自然な形で土に帰してやれということでしょうか。
今回のこと、田舎、都会ということではなくて、つまるところ、その人の持つ宗教感、死生観の違いなのではないでしょうか。
長々と失礼いたしました。
*****以上(ロクに推敲もしていないので、支離滅裂な文章になってしまった)
平成21年10月 9日(金)
曇り、どんよりとした一日。
そろそろ薪作りに本腰をいれなければならない、畑も耕さなければならない、家のペンキ塗りももう待ったなしだ、ほかにも色々ある。でもなかなかエンジンがかからない。机周りの整理をしてお茶を濁す。
我が家の入り口付近で狸が車にひかれて死んでいた。昼ころ、近くの店に買い物に出て、30分ほどで戻ってきたときに目に入った。出掛ける時には異常は無かったので、わずかの間の交通事故だろう。車が高速で走る道路でもなし、こんな昼間にタヌキはどうして轢かれたのだろう。我が家の竹やぶにタヌキがいる(らしい)ことはわかっていたが、道路を渡ってどこかに出かけようとしていたのか、あるいは帰る途中だったのだろうか。放っておくこともできないので、道路の傍らに寄せてから、多分、管轄が違うと言うだろうなと思って市役所に尋ねたところ、やはり、県道なので、県の土木事務所です、と電話番号を教えてくれた。阿蘇における県の仕事は、阿蘇地域振興局という出先機関があってそこでやっている。そして間もなく取りに来てくれたらしい。
また生まれた・・・太平洋高気圧の縁を時計回りに大きく回って、偏西風に乗ってグッと右カーブ、高気圧の張り出し具合にかかっているか、これは来ないだろう・・・・か。
成21年10月 8日(木)
二十四節季の寒露だそうだ、今日のニュースで、草千里の観光乗馬ハウスで今シーズン初めてストーブが入ったとか、今日は知らないが、放射冷却現象でここは阿蘇山頂より寒かったので、もうストーブが入っている。
曇り。台風一過とはいかなかった。台風18号、幸いに、今回は九州で台風の恐怖を味わなくて済んだが、やって来るのが分かっていながら大自然の猛威、気まぐれの前に、ただおろおろ逃げまどうしか術が無い人間という生き物、つくづく無力なんだなあとテレビを見ながら思った。とにかく大きな台風だという前評判だったので、関東甲信地方の「存じおり」の皆さんが心配だったが、多分、大丈夫だったろう(日記を書いている17:00現在、東北地方にあって、まだ日本を抜けたわけではない)。ところで、この騒ぎの間、台風17号はどうなった?と思ったら、まだ消滅しないでフィリピンあたりでウロウロしている、これはどうなるのだろう。
昼から、S賀聡雄さんの御父上・裕幸氏の告別式に参列、会場いっぱいの大勢の会葬者が最後のお別れをした。御家族の悲しみ、「時間」という薬が効くのを待つしかない、即効性がある薬ではないかもしれないが。ただ、母上は今は慌ただしさと緊張とで分からないだろうが、少しするとドッと悲しみと疲れが襲ってくるはずだ、うちの婆様がそうだった、それがちょっと心配である。
人は必ずいつかはその生を終える、違うのは、それが何時かということだけである。このくらい生きてきただけで、もうかなりの人を送ってきた、そうして、小生自身、あまり自覚は無いが、世間的にはもうまもなく送られる側に居るのだろう、なんといっても前期高齢者なのだから、その前に、もう一人送る大事な務めが残っている。人の世はこの繰り返しだ、諦観(ていかん)であり、諦観(たいかん)である。
平成21年10月 7日(水)
朝から雨。終日雨、風はそれほどない。台風18号、今度は少し東寄りにコースを修正して宮崎沖を、それもかなり離れて紀伊半島南端方向に進んでいる(18:00)。自分のところで迎え撃つ立場と横合いから見ているのとでは、胸苦しさはこんなに違うものであろうか。今年はもうこれで最後にしてほしい。ここも一応は強風域にかかっているが、普段の風の強い時よりも静かであった。台風が九州の東側を通る時は、すぐ近くを通っても、外輪が遮ってくれるのか、いつも大したことは無いが、反対に西側、有明海側を通過すると、非常に強い風が吹く、台風の渦の回転と進行方向の関係と相まって外輪が西の端で切れていて、そこから風が吹き込むからだろう。
小学校では今日は一年生だけが3時下校となっていたので、遮るものが無い田んぼの中を歩く関係で、用心のため車で迎えに行ったところ、大したとはないとは思うが、とのことであったが、安全優先で、全校生徒一斉の、下校になった。二台の車に分乗させて豆札の子供たちを連れ帰る。
久しぶりに焚くストーブ、まだ熱に馴染んでなくて、鉄の焼ける臭いがする、あまり良い臭いではない。
坊中の斎場で営まれたS賀聡雄さんのお父上の通夜式に夫婦で伺う。祭壇の柔和な遺影が参列の皆さんを見降ろしておいでだった。家族ぐるみで非常に親しくお付き合いさせていただいているので、非常に残念である。たとえ世間的に見て不足の無い年齢であったとしても、肉親にとっては関係無い、幾つになっても生きていてほしいものである(これは自分に対して言っているようなものだが)。享年86。合掌。
平成21年10月 6日(火)
昨夜からの雨、少し残り、その後曇り空。台風18号、気象庁の予想は米軍に比べて、より日本列島をフルカバーするかのように徐々に進路を西寄りに修正している、日本のどこかに上陸することは間違いないであろう、なんとも不気味である。それでも、ここには来ない!と信じて、倒れやすいものなどの補強など養生は全くしていない、すべては明日判断することにする。
今日は、おさんどん、家事に勤しむ。
夕方、少し、肌寒さを感じたので、娘に、ストーブ焚こうかと、話を持ちかけたところ、ウン焚こう、焚こう、というので、今シーズン初焚きとなったが、ちょっと早すぎたか。
S賀聡雄さんの父上が亡くなられた、数日前からお悪いことはお聞きしていたが、駄目であったか・・・・・・・・今晩、仮通夜、明日がお通夜とのことである。
平成21年10月 5日(月)
くもり、夕方近くになって少し降りだしたようだ。日中もあまり気温が上がらず、じっとしていると少し寒さを感じるほどだった。
猛烈な台風18号、非常に気になってドキドキする。多分こちらには来ないと思うが、気象庁の予想、米軍の予想に比べて日本に近い。コースといい、大きさといい、伊勢湾台風に似ているような気がする。大学時代に、同級に名古屋からやってきた友人がいて、高校の時に伊勢湾台風に遭って、通過後、動員で後片づけに出掛けた際に、沢山のbody(生々しいので日本語で書かなかった、ここでは体とは訳さない)を見たと言っていたのを思い出す。
午前中、ようやく屋根に登って煙突掃除をした、先シーズンの終わりかけに掃除をしたような気がする、あまり、煤は溜まっていなかった。ついでに灰皿の取り出し口の扉のガスケットを貼り替えた。ストーブ、もう10年近く使っているので、各部のガスケットが減って隙間だらけだ、もっとも全部締めても消えることが無いので夜なんか丁度良い火加減になるので特に困ることは無いが、灰皿の扉の隙間が他に比べて著しいので、まあ、とりあえず交換をしておいた。
煙突の上に登ると風景がいつもとはちょっと違って見える(写真1・写真2・写真3・写真4)。
平成21年10月 4日(日)
放射冷却現象で阿蘇山上より気温が低く、今朝は8℃まで下がって散歩に出て少しブルっときた。そしてそのまま良い天気が続いて南阿蘇巡りには最高の天気になった。
今南郷谷で開かれている「南阿蘇村 谷人たちの美術館」に一人で出掛けた。同じ阿蘇でも、阿蘇谷と南郷谷ではかなり雰囲気が違う。今日は、ノンビリと軽トラックを走らせて、いくつかピックアップしてあった展示場を見て回った。普段は決まった道しか走らないから、地図を頼りに初めての道を走って沢山の発見をした。へえ、この道は、ここに通じていたのか、阿蘇の山麓は思った以上に懐が深いところである。10時頃家を出て、5時前に坂梨に戻ってきた。坂梨公民館で開催の「坂梨懐かしの写真展」は今日が最終日なので、そのまま後片付けを手伝った。
今日は、やはり絵を見たかったので、「アトリエフクロウ」、「T's corner」「 アトリエだんだん」。それから、面白いところ 「下野ひぐらし寓」と 「阿蘇カラクリ研究所」「(写真1)(写真2)、 「ASOギャラリー」。そのほかちょと知り合いの「カフェと押し花りんどう花房」、全部で七か所回ったことになる。
南郷谷には沢山の水源がある、今日はたまたま目に付いた白水村の塩井社水源に寄ってみた(写真1・写真2・写真3)。夜峰山では野焼きをやっていた。
平成21年10月 3日(土)
秋の長雨も一休みか、終日穏やかに晴れる。今日は仲秋とのこと、雲ひとつなく冴えわたった空に満月、煌々と静かに夜を照らしていた。
久しぶりに家族全員が家に居てノンビリ過ごす。たまには、今日は特記事項無し、と書きたいと思っているが、いつも何かしらあって、日記のネタが尽きることがないが、「本日、特記事項無し」。である。
平成21年10月 2日(金)
雨。秋雨前線が居座って先日までの晴天続きがウソのように今度は雨続きである、今日は少しまとまって降ったようだ。それに台風17号、18号が同時に日本列島を窺っている。ギリギリのところでこちらに来ないでくれそうかなと期待しながら進路予報図を眺めているが。
婆様が、今日、夕方、ちょうど強い雨のなか今回も無事に退院した。ほんの数日のつもりが、とうとう一月を超えてしまった。退院する時に、また来ますと、挨拶をしていたが、まあ、いずれそうなるだろう。これで日々の小生の仕事がまた増えることになるが、まあこれは仕方のないことで、だからイヤだとは決して思っていないが、やれやれ。
平成21年10月 1日(木)
曇り、時々、雨・・通り過ぎる。
阿蘇を、言うなれば「PRするために作られた」とある公益法人に、今日から開催される「南阿蘇村 谷人たちの美術館」のパンフレットが置いてあると聞いて貰いに行った。しかし、たくさんのパンフレットが置いてある棚に目指すパンフレットは無かった、係りの人に聞いたら、そうですね、あるはずなんですけどねえ、とあちらこちら探していたが、結局なかった。特にその事について、ではどうする、という積極的な雰囲気も見られなかったので、じゃあイイですと言って戻りかけたら、後を追いかけるようにして、ありました、ありました、と言ってどこかにあったのを探し当てたらしくて持ってきた(ついでに文句を言うなら、棚のパンフレット類、死んでいる。ただ、乱雑に並べてあるだけで、埃さえ被っていそうだった)。この法人は阿蘇を「PR」するためのシンクタンクだそうだ。シンクは 「think」だろう、これじゃあ「sink」になるぞ、と腹の中でブツブツ言いながら帰ってきた。懲りずに言う、組織の活性度を測るには、そこのホームページを見てみるといい、名は体を表すというが、ホームページも態を表す、それをご本尊たちは気が付いていない、作るだけ作って更新を怠っているホームページは、自ら自分の組織だけでなく、地域全体のネガティブキャンペーンをやっているようなものだ。
ところで、この「美術館」、南阿蘇(南郷谷)に居を構えて活動をしている美術工芸などの達人たちの年一回の作品展示会で、こちら側から見ると山の反対側、南阿蘇のそれぞれの住居が展示場になっているので、秋を見つけながら、ノンビリと回ってみるのも面白かろうと思っており、近いうちに訪ねるつもりでいる。
婆様、もし、病院に、どうでしょう、と尋ねたら、もう退院良いですよお、と言われるに違いない、明日にでも聞いてみよう。
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