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平成22庚寅(2010)年10月の記録(新しい日付けの順)


平成22年10月31日(日)

 昨日の予報では確か明日は夕方になって雨になるような事を言っていたので、明日(つまり今日)は昼ころまでに養生をすればいいなと思っていたところ、朝のうちから降り始めた。耐水処理はしていないだろうから、放っておくとせっかく貼った野地板がボコボコになる恐れがあるので、雨に濡れてもうかなり時間が経っていたが、ブルーシートをかけて、山を下りて、菊陽町のホームセンターのハンズマンにここで入手できない材料を買いに出かけた。帰ってきた頃には雨も上がっていたので、予報の前倒しで天気が変わったのだろう。

 帰ってから、下屋の端の方がまだ、70センチほど余っているので、パイプを継ぎ足してから、野時板を貼っておいた、これが単管の便利なところである。これで、この面は全体で約4m×1.8mのスペースが出来ることになる。

 昨夜寝入りばな(世間では全くの宵のうちだが)、広永OMから電話があり、今、高校の同窓会で熊本に来ていて、二次会の会場からだが、同窓のHさんとおっしゃる方が、いつも我家のホームページを見ていてくださっていて、小生と話がしたいとのことだったので、電話を代わっていただいて話をお聞きした。Hさん、我家の子供二人の名前やそのほか実に細かいことを御存じで、大阪からフェリーで大分に着いてやまなみハイウエイ経由で熊本入りして、帰りも同じコースをとられるようなことだったので、是非お立ち寄りくださいとお誘いしたが、かなりアルコールが入っていてご機嫌状態で話が通じたかどうか、いつまで御滞在かも、小生が聞き逃したか、尻切れトンボになってしまった。「風の便り」、広永OMを経由して御存じだったのか、あるいは、以前から見ていてくださったのが偶然、同窓会の話の中で符合したのか、まあ、そんなことは無いだろうから、前者だろう。是非お会いしたかった。

 我家のかかりつけのU歯科の大御所先生が一昨日、亡くなられたそうで、新聞に載っていた。こちらに住み始めた頃は婆様も診てもらった先生だったが、小生よりお若かった、御病気だったようだ。婆様は今の先生と二代にわたって掛かったことになる、小生は婆様の付き添いでいつも行っていたので存じ上げてはいたが、その当時歯医者通いはしていなかった。今は息子さんの代で我家全員がお世話になっている。合掌。


平成22年10月30日(土)

 台風14号、当地には全く影響が無かった、昨夜の風速の記録をみたところ、1.2メートルが最高だった、今日はほとんど曇りで終始した。台風、関東地方もあまり影響が無さそうな雰囲気である。

 娘のインフルエンザのワクチンを打ってもらおうと古閑医院に連れて行ったが、事前の検温で37.3℃あったので、本人はいたって元気だが、用心のために今日は中止した。

 昨日出した軽トラの車検が終わって、オートセンター石田さんから綺麗になって戻ってきた。

 今日も一日下屋作り、野地板貼りがようやく終わる。この先、波板で済ますか、せっかく野地板を貼ったので、防水シートを貼ってから我家の屋根と同じようなコロニアルでも貼るか。と言ってみただけで、波板を貼ることにした。この程度の工作で、音をあげているのだから、ログハウスをセルフビルドする人は本当にスゴイ。(写真1写真2写真3

 コンゾランの15リットル缶が届いた。今回の壁面の塗装で4リットル缶の9割近くを使ったので、残りの部分はこのくらい要るだろうと思って取り寄せたが、そんなに要らないかもしれない。


平成22年10月29日(金)

 曇り。台風14号、やはり日本から少しずつ離れて北上しているようである、関東に近づくにつれて更に東に逸れそうな気がするが。今日もほとんど風は無かった。このあたりは明日の明け方近くが一番近い距離になるらしいが、それももう、大丈夫だろう。宮崎・佐土原のじっちゃいのところの残照がきれいだった。

 家屋の塗装作業を一旦中断して、下屋の制作に取り掛かる。夕方までかかって、全体の2/3くらいに野地板を張るところまで終わった。簡単なものであればさっと波板でも直接貼って終わりにするところであるが、今回は恒久的なものを作ろうと、野地板を貼った、いずれ外壁もしっかりしたものを作ろうと思っている。単管パイプの組み方が正確にやったつもりでも、微妙に歪になっているので、コンパネなど直角四辺形の板を張り始めると、途端にその歪みが目立ってくる。今回は丁寧に作ろうと思っているので、その歪みを修正するなどして、細かい作業になったので、結構時間がかかってしまった。とにかく段取りが悪いので、上がったり降りたり、コンパネを担いだり降ろしり、泳ぐ何倍もの体力を使ってヘトヘトになった。(写真1写真2

 昼前に、我家の近くを車で走っていると、五年生が理科の野外観察で、魚捕りなどをしていたので、パチリ。バケツの中にはどんこがいっぱい泳いでいた。

 今回の村中の道路拡幅工事で道端に埋まっていた石碑が出てきたそうで、工事の邪魔にならないところにお祓いをして仮置きしてあった。今日近寄って文字を読んでみると、猿田彦大神の石碑だった。その奉納者だろう、我家の先祖の名前があった、調べてみると確かにその頃、その先祖が居た、寛政八年丙辰歳八月とある、西暦1796年である。他の文字はまだよく調べていないが、阿蘇では猿田彦の碑は一般的に三差路に祀ってるが、我家の前が確かに三差路になっている、今回掘り出された場所は、三差路から少し奥まっているので、多分、もともとあった場所から移設されて、それがいつの間にか埋まってしまったのではないかと思う、もし、安置場所が無ければこれも何かの縁である、我家の前あたりに祀っても良いと思っているが。(写真1写真2

 ここ阿蘇は、羊の肉は基本的には売っていない、肉屋にもスーパーにも無い、冷凍で売っているかと思って探すがそれも無い。馬は食べるのに羊は食べないのだろうか、食文化の違いだろうか、外輪には北海道的な景色が広がっているので、もっと羊がいても良さそうなものだが、あまり見かけない。阿蘇の草原が使われないで荒れて問題になっているが、羊などを飼って新しい事業を興す人はいないだろうか。

 デパ地下の食品売り場にはあるかなと思って探したけれど無かった、というわけで、ネットショップで北海道からジンギスカンセット(タレに漬けこんであるもの)を取り寄せて、それが今夜の食卓にのぼった。たまにはジンギスカンが食べたかったのだが、娘が羊の肉を知らないだろうと思って、どういう反応を示すかも知りたかった。小生は好きであるが、羊の肉は独特の臭みがある、今日の肉は色々な果物を擂って漬け込んであるので臭みが全くなかった。娘も美味しいといって食べていた。ついでに、ヤギの乳も好きであるが、終戦直後、親戚でよく飲ませてもらったが、それ以来飲む機会が無い。

 ここ三日ほど腕時計が見当たらず、どこか家の中に置きっぱなしになっているかと、思いあたる場所を手当たり次第探し回ったが、どうしても出てこない、時計のベルトが切れていたので、どこかに落としたかなと諦めていたら、やはりそうだったようで、娘が、庭先の草むらの中に落ちていたよと拾ってきてくれた、昔の時計と違って二三日野ざらしになったくらいではビクともしていなかった。それにしても、手入れが悪くて伸び放題の草だらけの庭からよく見つけ出してくれたものだ、まさに乾草の中から針を見つけるようなものである、偶然とは言いながら奇跡のようなものである。


平成22年10月28日(木)

 予報では晴れて暖かくなるはずであったが、終日曇っていたような気がする、台風の影響だろうか、その台風、昨日の予報に比べて気持ち少し東に回頭しつつあるような気がするが。いずれにしても、秋台風は昔から大陸の高気圧に押されて九州には来ないことになっているので、それが念頭にあって、気分的には余裕がある。しかも東側を通るので、尚のこと安心している。が、今回の台風14号、非常に大きな台風なので、どこまで暴風が吹くのだろうか。

 昨日の続き、家屋の壁面の塗装をする、10時頃から午後3時半頃まで昼食の休みを除いて、本日約4時間、二度塗りまでして、予定壁面の塗装完了。あと破風板や鼻かくしに別の塗料で少し塗りが残っているが、とりあえず、塗装第一期工事概ね完了である。本当はこのまま次々に壁面の塗装をしたいのだが、優先順位としては、下屋の屋根葺きを急がないと、これから一旦雨が降り出すと、なかなか乾きが遅い季節になるので、当初予定していた床面の生コン打ちは後回しにして、簡単でも屋根だけは葺いてそこに物が置けるようにしなければならない。

 娘が、初めて、独りで息のオムツ替えに挑戦していた。今まで母親の手伝いでやったことはあるそうだが、単独では初体験だそうだ。姉弟は8歳の差があるので、姉はこれからも色々と母親の手助けが出来るだろう。(写真1写真2写真3

 その娘が通う学校、読書教育に非常に熱心で、そして皆んな、よく読書をする、読書をするということは非常に良いことである、読書は心を豊かにする、大人になっても本を読まない人間には育って欲しくない。(写真

 光ネットの村中への配線で、我家の敷地内にある既設の支柱が細いため、光り用にもう一本立てさせて欲しいと先日電力会社から要望が来ていたが、今日早速工事をしていた、専用重機があると電柱立てなんか簡単なものである。(写真1写真2


 
平成22年10月27日(水)

 曇り、坂梨、最低気温5.9℃。最高気温も12.4℃(11:58)と低かったが、それでも昼ころには日が射して、屋外で作業をしているとポカポカ気持ちが良かった。

 例によっていつもの事ながら、犬の散歩をしながら、突然、「よし、今日は、ペンキ塗りをしよう」、と思い立った、昨日までは全くそういった気持は無かった、とにかく、思いつくまま気の向くままである。

 本来であれば、一番雨風に打たれて傷みが激しくて、優先的にやるべき所があるのだが、そういう意味では、一番、優先度が低い所から始めた。というのは、物置下屋も作りかけでそろそろ屋根を葺かねばならず、それをやってしまうと、後からその周辺の塗装が足場などの関係で非常に難しくなるので、東側に面して一番雨風が当たらないにもかかわらず、その場所から始める事になったのである。

 午前中、埃を落としてホースで水洗いを済ませたところで、e鴨氏がやってきたので、一旦中断して、昼食後、塗装作業を開始した。コンゾランという水性塗料なので、溶剤で薄める必要もなく、蓋をあけてかき回して刷毛でいきなり塗り始めれば良いという極めて扱いやすい塗料である、溶剤特有の臭いも無い。刷毛も終わってから水洗いをしておけば良い。

 この塗料、二度塗りをするようになっているが、今日は、この範囲を一度だけ塗って終わりになった。この部分は足場を組んでいないので下屋の屋根組に足をかけてやるので、体を変にひねったり、膝を中途半端に曲げて作業をしたりしたので、結構くたびれた、前途遼遠である。

 それでも足かけ二年、だと思ったが、(念のために振り返ってみたら、)平成20年6月5日に塗装用の足場を組み始めたことが分かったので、実に足かけ三年である。ようやく、家のペンキ塗りが始まった。それにしても、これから屋外作業には寒くなるし、気温が低くて塗料が乾きにくくなるだろうし、もっと早くやれば良いのにと我ながら呆れてしまう。

 夕方、いよいよ今シーズンのストーブの運転が始まった。今日はまだよかったのだが、一度焚いてしまうともうやめられないだろう、来年の五月上旬まで、キリギリス、今度は薪作りが主な仕事になる。

 夜、「阿蘇ゆると博」の件で、宿場會に臨時に出席する。

 おい、おい。(写真1写真2


平成22年10月26日(火)

 雨はなんとか上がったが、終日どんよりしていた、気温も14℃くらいまでしか上がらず肌寒い一日だった。

 先日蒔いた、たかなの種、ここ二日ほどの雨で芽が一斉に出ていた双葉が初々しい。レンゲも少し芽が出始めていて、こちらはまだモヤシ状態だ。 

 今、我家の入り口付近に植わっているヒイラギの花が盛りで、普段はとげとげしてあまり親しみのもてる木ではないが、真っ白な小さな花がたくさんついて、昨日など、静かに降る雨のなか、息が詰まるような甘い匂いが周りに満ちていた。調べてみると、金木犀などと親戚筋の花だそうで、道理で、良い匂いがするのも大いに頷けるというものである。

 今日は気温が上がらないため、ハチもほとんど巣箱から出てこず、ハチウトの画面、全く動きが無いのでカメラが止まっているかと思ったほどだった。

 歯科通い、今日の治療を最後に今回は放免となる。T雄さんも虫歯とかで来院していた。

 息・太郎の初予防接種に健康センターに行く、小生は外の車の中で待っていたので詳しい様子は分からないが、今日はBCGの接種だったそうだ。BCGはツベルクリン反応が陰性の場合に接種するのかと思ったが、そういった検査はしないでいきなり打つようだ。

 今日は北海道で初雪が降ったそうで、ここでも、そろそろ火が恋しくなってきたので、ようやく重い腰をあげて、煙突の上に登って先シーズンの煤払いをする。これで、今晩から火が焚けるかなと思っていたら、灰皿を出し入れする扉のガスケットがかなり摩耗しているので、急遽、新しいガスケットを貼り付けた、これで、24時間は時間を置かなければならないので、火を入れるとするなら明日の晩からになる、カミさんが「キリギリスね」とのたもうたが、そんなことは百も承知だ。

 村中の道路工事、すごい勢いで進んでいるようだ、今日もミキサー車が出入りしていたので更に進捗しているだろう。

 台風14号、どうだろう、日米ほぼ同じ診立てのようだが、頼みは大陸の高気圧の勢力か。(写真1写真2


平成22年10月25日(月)
 
 雨量は多くなかったがほとんど一日降っていたようだ。

 小生とカミさんと古閑医院に時間差でインフルエンザワクチンを打ちに行く。今年は一本で新型インフルエンザと季節性インフルエンザのAとB型の3つに効果があるワクチン(3価ワクチン)があって、昨年のように新型と季節性と別々に打つ必要が無いそうである。振り返ってみると、昨年は今の時期、国中が新型インフルエンザでヒステリー状態だった、今年も流行が始まっているようで、熊本県下でも一部地域で既に学級閉鎖があったようだが、新型もそれほど怖がるほどのことも無いということが分かって、またワクチンも十分にあるようなので優先接種のような制限もなく、今年はいたって静かである。自治体の補助があるので、接種代は1,000円だった。

 娘は、少し前に引いた風邪が治りきらないうちにまたグスグス言わせているので、別の機会にすることにした。


平成22年10月24日(日)

 曇り空が、昼ころから雨になり、時々強く降って夕方前には上がる。本日の雨量24ミリ弱。

 今日は終日安息日、仏教徒でも安息日である、読書をしたり、居眠りをしたり。娘も階下で絵などを描いていたようだ、母親は子守をしながらうつらうつら。。

 夕方、図書館に本を返しに行って、家にはまだ読んでない本がたくさんあるのに、また、借りてきてしまった。今日の外出はこの用件のみ、穏やかに暮れる。


平成22年10月23日(土)

 曇り。

 時々先祖の事でネット検索することがあるが、先日偶然に、熊本県の芦北地方の八代と水俣の間にある田浦という所に「赤松館」 と呼ばれる国登録文化財の屋敷があり、曾祖父とが深いかかわりがあるということを知った。初めて耳にすることで、機会があれば是非一度訪ねてみたいと思っていた。

 たまたま今日、カミさんの定期健診で、熊本の福田病院に出掛けたので、その帰りにちょっと寄り道して、「赤松館」を訪ねてみた。ちょっと寄り道というには、少し離れているが、阿蘇から熊本に出た地点からだと、寄り道という感覚で行ける場所ではある。南九州自動車道という九州自動車道の八代から枝分かれした高速道路の支線があって、田浦というところは日奈久温泉を過ぎてすぐの所にある町である。

 今日は、ちょうどこの建物を利用して音楽イベントが行われていて、我々もちょっと観賞した後、御当主や同館のスタッフの方に屋敷内を御親切に案内していただいた。ここでは太邑という本名よりも雅号の蘇門で通っているようで、蘇門さんは滞在中はこの部屋で寝泊りをされたのでしょう、こちらの部屋で酒を飲まれたのでしょうなどと御当主が色々説明をしてくださった。サイトを見ると分かるが、我々の年代だと誰でも知っていた料理研究家の故・江上トミさんの御実家でもあったのだ。思いもよらない場所と曾祖父がその昔縁があったとは本当に驚きであった。(写真1写真2写真3写真4

 さらに驚いたのは、その「赤松館」の建物自体の設計を曾祖父がしたということになっているらしい。設計図(見取図)も展示してあったが、曾祖父がそのような才があったとは俄かに信じがたい、何かの間違いではないだろうかと内心思っている(と言いきれるほど、小生が曾祖父の事を知っているわけではないのだが)。棟札?

 以前従兄の滉兄が水俣在住の折、三度ほど通った道だが、まさか、その時にこの場所にそんな縁があったとは思いもよらなかった。今日は短時間の訪問だったので、機会を見つけてまたゆっくりと訪れてみたいと思っている。

 昔の米蔵での音楽イベント(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 田浦の道の駅で昼食(写真1写真2写真3


 昨日の師匠の日記にハチの生態について実に興味深いことが書いてあった、その世界ではよく知られたことなのだろうが、ミツバチ入門者としては驚きの一言である。


平成22年10月22日(金)

 終日曇るも、大気温暖。

 ネットワークカメラの設置場所を、一応、ここに決めた。やはり日が射すと映り込みが激しいのでとりあえず屋根を付けて上からの光線を遮ることをやってみる必要がありそうである。また、ハウジング内が気温・湿度の影響で曇ることがある、これも、小さなファンでも付ける必要があるかもしれない、ハウジングは改良の必要がある。それよりも、なんとなくスマートではない、二号機の検討に入ることにする。

 村のなかの道路拡幅工事、関係する皆さんが集まって市などの説明を受けていたようだ、我が家は今回の工事に直接関係がないが、道を入ったところで早速重機の音が響いていた、当分家の前が騒々しくなりそうである。


平成22年10月21日(木)

 今にも降りそうな暗い空が終日続いていた、気温は低くはなかった。昨日からの奄美大島の豪雨はフィリピン付近の台風13号の影響だそうだが、目を転じるとサイパンあたりで、そしてまたその東方に二つ台風が発生しそうな、文字通り「雲行き」である。なんとも落ち着かない気分にさせる。

 昨日、隣りの村で、赤ちゃんが、小さな命が、誕生後間もなくその生を終えた。このことを書こうと思ったが己の文章力ではどうにも書けない。

  アゼリアの年会員の更新に行く。もう何年だろう4年目くらいだろうか。と思って、調べてみた、平成17年が最初だった。ということは6年目に入ったということである、もうそんなに経ったのか。

(どなたか、メニューの「身内用」をクリックして、(ソフトがご覧になっている側からコントロール出来るライブ映像ソフトが動くかどうかレポートをお願いします、動かないぞのレポートもお願いします)


平成22年10月20日(水)

 曇り空が昼過ぎ頃からポツリポツリ降り出す、夕方までの雨量も数ミリ程度で大したことは無いが、奄美大島が記録的豪雨で大変なことになっているようだ、大都市圏と違って情報網が十分でないようで、あまり情報が入ってこないようだ。

 我家の家の前から、村の中に入っていく道が、昔の牛馬の時代の狭い道幅のままで、今まで車が通りにくかったために、このたび、市で拡幅工事をすることになった。工事をやるぞという看板では少し前から始まっていたことになっているが、今朝あたりから実際に測量などの車や人の動きが見られるようになった。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 先日来、工作をしていた、webカメラ(のケース加工など)がようやく完成した。今度のカメラは上下左右に首を振るのでハウジングに平面ガラスは不適で、半球にカーブした透明なケースを使ってハウジングを作った、それでも、正面からの光が強い時にはどうしても映り込みが避けられないようである。また、無線LAN対応のカメラだが、我家の無線Lanの親機はアクセスポイントとしての使い方で、元々あったモデムルーターにカスケードにつないで、そのアクセスポイントのポートを開いて無線を飛ばすようにしたのだが、そこで、大いに躓いて、随分と遠回りをしてしまった(結果は、SSIDの問題だったわけだが)。それでもようやくクリアできたので、Lanケーブルを使わないで送信できる分、電源は要るものの、電源は外で何箇所も取れるので、敷地内をかなり自由に移動できそうである。

 このwebカメラは静止画でなくて、リアルタイム動画で、更に、見ている方から自由にカメラをコントロール出来る上に、音声も拾うことができるため、かなりプライバシーの保持に神経を使わなければならなくなるので、いずれ、非公開身内用にするつもりであるが、しばらくはテスト運用で一般公開してレポートを頂戴することにした。もっとも、密閉ハウジングに入れたので多分音声はカメラのすぐ前でなければ拾わないと思う。

 またADSLのために、多分、動画だと言っても光と違ってかなりのコマ落ちになるのではないかと思う。
写真1写真2

(どなたか、メニューの「身内用」をクリックして、ご覧になっている側からコントロール出来るライブ映像ソフトが動くかどうかレポートをお願いします、動かないぞのレポートもお願いします)
平成22年10月19日(火)

 今日は少し薄い雲が掛かっていた。

 朝一番で宇治歯科で治療。

 娘の学校の低学年に「生活」という教科がある。我々の頃には無かったと思うが、あったとしても完全に忘れている。どうも、社会科と理科の教科を一緒にした、それぞれの教科の入門編的位置づけのようだ。

 その「生活」で、時々校外に出て、商店や工場の見学や、田園地帯を歩いて植物や昆虫なのどの自然観察をすることがあるようだ。そして彼女らはその校外活動を「探検」と称している。

 娘のクラス(=学年)の今日のその「生活」が、「豆札探検」だった。つまり、小生が住む集落である豆札の探検だそうで、娘が持ち帰った予定表にE藤Y一さんのお宅の牛舎や、W辺N樹君のお宅のイチゴハウスの見学が書いてあった。

 阿蘇では、ニホンミツバチの巣を見る機会はあまり無いだろうと思ったので、通り道なので、ついでにミツバチ見学は如何ですかと、担任の I 下K代先生にお話をしたところ、早速、この提案に乗ってくださって、こどもたちを引きつれて寄ってくださった
 
 過疎化で学校に子供が少ないのも問題だが、このくらいの人数だと一人ひとりに目が行き届き、小生もほとんど全員が保育園時代からの旧知の仲?で、都会の人数の多い所からみるとこの小人数、かえって羨ましがられるのではないだろうか。

 こどもたちも怖がらずにハチの生態に非常に興味を示してくれていた、最後はウトを傾けて巣の中まで披露したが、小生がウトを傾けた角度からは奥の方まで見えず、スムシの確認だけしかできなかったが、こどもたちはスゴイ〜と言っていたが、巣の成長具合はどうだったろうか。

 小生が当事者だったので、説明したり、ハチウトを傾けたところを覗いてもらうシーンなどを写真に撮る事が出来なかったのが残念である。

 宮崎のじっちゃい師匠の「ミツバチ」に対する熱い想い、阿蘇のこどもたちにうまく伝わっただろうか。一応、説明原稿を作っておいたが、全部は説明しきれずに、プリントを先生にお渡ししておいた。以下にその原稿の要約を載せておいたが、誤りは無いだろうか。
写真1写真2写真3
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ミツバチの説明要旨

 ミツバチには大きく分けて、西洋ミツバチとニホンミツバチがある。

 ミツバチを沢山飼って、蜂蜜を採って売る仕事をしている人たちを養蜂家と言い、そこで飼っているミツバチハチは西洋ミツバチがほとんどである。

 その西洋ミツバチの巣は、巣箱の中が幾つもに仕切ってあって、そのなかに蜜を貯めるが、そのためには、その巣を固めるのに西洋ミツバチはプロポリスというものを作って使う。

 このプロポリスは、木から出る樹脂などと、ハチの唾液や脂肪分を混ぜて作るが、抗酸化作用などの薬効成分がある半面、アレルギーなどがある人にはかえって害がある。

 これに対して、ニホンミツバチの巣には西洋ミツバチと違ってこのプロポリスが入っていないので、ハチの巣をつぶして煮て、不純物を取り除いて蜜蝋を作り、それから、安全なハンドクリームなどの化粧品をつくる。

 このように、ニホンミツバチはプロポリスを作らないので、西洋ミツバチの巣よりも弱くて壊れやすい。だから、ニホンミツバチを西洋ミツバチのような巣箱では飼ううことができず、このような木をくり抜いた巣や、大きな重箱のような箱を重ねて作った巣が良いとされている。

 西洋ミツバチはハチを売る商売をするとこから買ってくるが、ニホンミツバチはこのような巣を置いておいて、基本的には自然に入るのを待つだけ。待つだけだとなかなか入ってくれないので、巣箱に蜜蝋をぬったり色々なことをする。

 巣のなかに女王蜂は一匹しかいられないので、時期は春先が多いが、二匹目の女王蜂生まれると、前からいる女王蜂が自分の群れを連れて、外に出て行って新しい巣を作る、それを分蜂という。

 分蜂したハチが電柱などに真っ黒になるほど固まっていることがあるが、これは新しく住むところがみつかると、だまっていてもそこに移っていくので、そっとしておいた方が良い。なかには、このように電柱などに沢山群れているハチを見ると殺虫剤で殺す人がいますが、殺さない方が良い。

 なぜなら、果物や野菜の実が生るのにはハチが大きな役割をする、人間になくてはならない生き物である。「もしハチが地球上からいなくなると、人間は4年以上は生きられない。ハチがいなくなると、受粉ができなくなり、そして植物がいなくなり、そして人間がいなくなる」アインシュタインの言葉だそうである※。(但し、稲なんかは自家受粉といって自分で受粉をする。)

 このようにして分蜂した群れがうまくこのように置いた巣にはいってくれると、そこが新しいハチの家になる。

 来年の春ころにはこのなかの巣を絞ってハチミツをとる予定。

 ニホンミツバチの天敵にスズメバチがいる。それから、スムシという蛾の幼虫なんかもいる。

 スズメバチの場合、巣のなかに入ってくると、相手が一匹くらいならニホンミツバチは集団でスズメバチを取り囲んで自分たちの体温でスズメバチを熱で殺す。

 ニホンミツバチの方がスズメバチよりも体温が高く、スズメバチはニホンミツバチのように高い体温では生きられない。ニホンミツバチは50℃近くまで生きられそうである。

 インターネットのyoutubeにいろいろそういった映像があるので、機会があったら先生にインターネットで探してもらって見せてもらうと良い。

 ハチに刺されても割合に平気な人とそうでない人がいる。アレルギーの人はハチに刺されると大変なことになることがあり、中には死ぬ人も出る。冬は、食べ物が無いので空腹で、人間と同じように気が荒らくなって、普段は大人しいミツバチでも巣に近づくと襲ってくるそうである、だから、ハチは大人しいと言ってもやはり、用も無いのにあまり近づかない方が良いかもしれない。
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※後日分かったことだが、アインシュタインが言ったということはどうも違うようである。


平成22年10月18日(月)

 阿蘇乙姫で最低気温 5.0℃(05:48)を記録、今季最低。我家の観測装置は最低気温が7.0℃(5:16)、数キロ離れているとはいえ、ちょっと差があり過ぎる、ちょうどその頃、我家のサーバーがフリーズしていたので、計測間違いかもしれない。散歩の時に、頬がいつもり冷たいなあと感じたので、乙姫同様に低かったのだと思う、しかし、霜は降りていなかった。そして、日中は、今日も秋晴れ、屋外にいると汗ばむほどだった、朝昼の寒暖差が大きい。

 昨日のウオーキングの疲れ、階段の上り下り(特に下り)の際に脛(すね)が痛い。早速翌日に筋肉痛が出るとは小生もまだ捨てたものではないということか。

 朝、8時前、ラスベガスに一山当てに行ったGMMがSkypeで声をかけてきた、向うは日曜日の午後4時前だとか、PCでのリアルタイムの会話、ほんの数年前までは思いもよらないことだった。

 数日前から作っていた工作物がほぼ完成した、小生にしては今回の仕事、丁寧である、防滴試験も概ねクリアした。



平成22年10月17日(日)

 昨夕の天気予報で、阿蘇地方に霜注意報が出されたので、シマッタ!バラ蒔きでたかなとレンゲの種を蒔いて土を被せていないので霜にやられるかなと心配だったが、幸いにそこまでは気温が下がらずにホッとした。逆に種の状態でいる間のほうが外部の厳しい環境に強いはずだから、芽が出てから心配することであったか。

 日中は、これ以上は無いと言うほどの素晴らしい秋空で、この絶好のコンディションの下、恒例の阿蘇市の健康ウオーキングが実施された。

 我が家では、もう何年も、毎年欠かさずに参加していて、今年も父娘して参加をした。このウオーキングは、旧町村時代の一の宮町、阿蘇町、波野村を毎年順番に会場を替えて実施されていて、今年は旧波野村の道の駅神楽苑をスタート・ゴールにして行われた。

 保育園時代は2キロコース、や3キロコース、時には乳母車に乗せて参加したこともあった。小学校に上がって、昨年は初めて5キロコースに挑戦、そして今年、娘が10キロコースを歩きたいと言うので大丈夫かなと心配だったが、そうすることにした。娘が大丈夫かな、もさることながら、小生が大丈夫かなもあったのだ。

 この10キロコース、同じクラスからはRちゃん、Aちゃん、それとM君が保護者の皆さんと一緒に参加していた。

 女の子同士が一緒になって歩くものだから、はしゃいだり、戯れあったり、急に走りだしたり、止まったり、必要以上にエネルギーを消耗して、途中、ちょっと心配した部分もあった。主催者側も、気分転換のために何ヵ所かのチェックポイントで、飴玉をくれたり、ちょっとしたゲームをしてスタンプを押してくれたりと変化を持たせてくれていた。

 小生はこどもたちとテンポが合わず、さっさと先に歩いてしまったり、写真を取るためにコースを外れたりしたなかで、スタートからゴールまでRちゃんのお母さんがずっとそばについて歩いてくださったので、女の子三人、最後まで立派に歩き通すことができて完歩証を貰った(写真1写真2)。こどもたちにとって、今回の10キロ走破、随分と自信になったのではと思う、親としても、娘がどの程度歩けるか分かって良かった、今後の山歩きなどの参考になる。

 波野は高原野菜の産地で、今の季節、キャベツが沢山植わっていて、まさに出荷時期を迎えている風で、白菜に関しては、今日歩いた範囲では、もう収穫がほとんど終わっているようであった。ススキの穂が白く微風に揺れ、木々の紅葉もそろそろかな、という程度で、少し赤くなった木もあったが、基本的にここは杉が多くて、しかも、コースの大部分が笹倉から高森に抜ける、最近出来たばかりの立派に舗装された広域林道を歩くものだから、景色としてはあまり面白いものではなかった。どうせなら、野や畑が続く野の道を車に気兼ねすることなく歩きたいものであると贅沢を言っている。

 ウオーキングの開始時間が10時で、帰ってきたのが12時半頃、10キロを二時間半掛けて歩いたことになる、子供の足ではまあまあか。どうやら我々が最終組だったようで、帰りつくと同時に終了の打上げ花火が上がり、待ちかねたように主催者の皆さんによる撤収のためにテントの片づけなどが始まった。我々が遅かったので、なかなか閉会が出来なかったようだ、悪いことをした。

 解散後、産山牧場で遅い昼食を摂って、牧場で少し遊んでから帰ってきた、帰る途中、ちょっと寄り道して、件の場所を見に行った。そして期待通り?、例のもの、変りなく堅固に立っていた。改めてのコメントはもう無い(このくだり、意味が分からない向きは、9/15の日記を参照されたい)。

健康ウオーキング連続写真 1/4 (11枚)
健康ウオーキング連続写真 2/4 (11枚)
健康ウオーキング連続写真 3/4 (11枚)
健康ウオーキング連続写真 4/4 (11枚)

(H15.11/24  H16.10/31  H17.10/23  H18.10/15  H19.11/18  H20.10/19  H21.10/18と、特に意識していた訳ではないが、結果的に一度も欠かさずに参加している、毎回雨で中止になることも無かった、当初は一の宮町の時代であった、坂梨が会場の時代もあったのだ、坂梨宿場會も出店していた、今にして思えば懐かしい)
平成22年10月16日(土)

 今朝、非公式観測装置の最低気温、5.9℃(06:02)。それでも今年はあまり寒さを感じない。我が家ではいまだにストーブを入れようという動きが無い。最初から、それなりの服装をしているからである。従来は夏のままの恰好で、寒くなったからとストーブを焚いていた、だからもっと高い気温でも火が入っていた、それをしなくなったからである、当たり前のことをしているだけである、尤も、朝のうち、気温が低くても、日中は暖かいせいもある。

 毎年のことである、たかなの種を蒔こうと買いに行くと売り切れている。小生が思いたった時は時期がいつも少し遅すぎるのである。今年も、既に全部売り切れ、周辺の農家にあたってみたが、既に蒔いた後で残っていないとのこと。そうだ、もしかしたらあそこにはあるかも、と中川竹久さんに、種、残っていませんかとお聞きしたら、「あるよ、今日全部蒔いてしまおうかと思っていたところだ、取りに来なっせ」。というわけで、グッドタイミング、今年も無事に種を蒔くことができた。ついでに夫人に「あかど漬け」などを頂戴してきた。この「あかど漬け」、小生、こちらに来て知った地元の漬け物である。あかどいもというサトイモの親戚の茎の部分(イモ部分は食べられないとか)を塩漬けして乳酸発酵させた漬け物である。阿蘇の晩秋の味である。

 中川さんの話では、阿蘇でたかなを作る農家が減って困っているそうである。理由を尋ねると、蒔く時もさることながら、収穫期には一本一本折って収穫をしなければならず、その作業が人口減少、高齢化でだんだん困難になっているとか。

 たかなの種を蒔くついでに、ミツバチのためにレンゲの種も播いておいた。以前はたかなの種を蒔く時には小さな畝を立てて、筋蒔きをしていたが、去年から、えいっとばかりにばら蒔きをするようにした、結果はあまり変わらないようだ、小生、そもそも追肥などしないから。本来はどうなのだろう。来春は東端にジャガイモを植えるつもりなので、そこは空けてレンゲの種を蒔いた

 ミツバチと言えば、今の時期、あまり花が無いので、セイタカアワダチソウの花の蜜を集めるそうである。嫌われ者のセイタカアワダチソウも良い所があるんだと、思っていたら、じっちゃい師匠曰く、セイタカアワダチソウの蜜は変なにおいがあって、蜂蜜には向かないが、ミツバチの越冬用になるらしくて、冬の間、その集めた蜜をなめきって冬を越し、春になるとまたレンゲなどの蜜を集め始めるということである、なかなか上手く出来ているものである。

 普段は、ちょっと離れているために遊ぶ機会が無い娘のクラスメートが二人、「遠路」遊びに来て、なにやら熱心に作業をしていた。


平成22年10月15日(金)

 深夜、屋根を打つ強い雨音に目を覚ます、しかし短時間の降雨で量も僅かだった、日中は晴れるも風が強く、8m近くの風が吹いていた。

 もう大分前から水洗便所のロータンクの水を流した後、ボール(フロート)とは無関係な個所の不良により自動的に給水されず、使うたびに蓋を取ってなんとかごまかして給水していたが、カミさんが何とかしろというので、ようやく重い腰を上げる。部品を全部分解して、水垢を取って組み立て直したら、直った。どこかどうだったのか結局分からず。ラジオを叩いて直すのとあまりレベル的には変わらない。

 甥の暖と晴佳夫婦のところに先月26日に第三子誕生、女児なり、”あおちゃん”、大路と陽路の悪ゴロ兄二人にもまれて逞しく育つだろう。甥の子と伯父の子が同級ということになる。

このたび、市が国の補助を受けて、全市を光ネット化をすることになり、既にそための工事の一部が始まっているが、今日は、各戸の引き込み線を架けるにあたって、我が家の入り口付近にあるその邪魔になる樹木の枝払いがあった。結構ハイピッチで計画が進められているようである。

 その光ネット化にも関係することだが、昨日の夕方、娘が学校から帰る途中、通りかかった宣伝カーからビラを貰ったと言って持ち帰った。その宣伝カー、少し前に、何を言っているか分からないほどのハイスピードで我が家の前を通り過ぎていった宣伝カーだろう。その立派なビラはこういったものだった、
「阿蘇市秋のスイーツ祭り」
主催:阿蘇市秋のスイーツ祭り実行委員会(事務局は商工観光課内)
協賛:阿蘇市観光協会・阿蘇市商工会

 もう少し知りたいと、主催者、協賛者等のサイトを覗いてみた。一生懸命探したつもりだが、まるで申し合わせでもしたかのように見事に何処にも載っていなかった(見つけることが出来なかった)。

【以下検索の結果】
○阿蘇市公式ホームページ:イベントカレンダーに全く記載なし、勿論ポスター画像なし、(但し、市の広報10月 号のイベント情報欄には案内記事の掲載あり)
○阿蘇市観光協会:全く見つけられず(ついでに3万人の・・・・まあいいか)
○阿蘇市商工会:全く見つけられず
○ASO田園空間博物館:全く見つけられず
○はな阿蘇美:バナー広告あり、但し、宣伝ビラの画像不鮮明で読み取り不能
(一方、個人サイトasobowzz殿のブログにはポスターの転載あり)

 このイベント、市の防災無線では何度かPR放送をしているのを聞いた。結局、市はインターネットを有効な宣伝媒体と見てはいないということであろう。いったい何のためのホームページなのだろう、このイベントは市民を対象にしたもので、防災無線や宣伝カーでPRすれば事足りるということなのであろう、そういった明確な理由があってのことであるならばそれはそれで良しとしよう、しかし、たったこれっぽちのことを載せる事がそんなに負担になることなのか、あるいはそもそも初めからそういった発想自体が無いのか。

 仙酔峡ロープウエイの廃止(予定)情報以来、市の観光行政に対する怒り、いまだ収まらず。


平成22年10月14日(木)

 散歩に出た午前6時頃にはまだそうでもなかったが、7時頃をピークに我が家周辺は深い霧に包まれた、子供たちが登校する7時半ころには少し薄れていた。今朝はみどりの爺様出場の日だった。湿度は高くないのに、今日一日中、霞が掛かったように景色がハッキリしない日だった。

 午前中、何も植わっていない畑にまた草が覆い始めたのでトラクターで耕した。かなりの部分が春のたかなの種が落ちて自然に生えてきたものだ、下手に植えるより立派に生えているが、これを鋤きこんで、今が本来蒔く時期のたかなの種を蒔くことになる。

 最近野菜の高値が話題にのぼっているので、今日、地元野菜の直販店、「あぜり庵」に行ってみた。この直売店はプールと同じ敷地内にあるのでいつも帰りに寄るが、ここ数日、風邪気味でプールを休んでいる。ここではJAの流通に乗せるほど大量に栽培していないが、農家のじいちゃんばあちゃんが菜園で作った農作物を売ってお小遣いに、といった程度の量の地元の農産物を売っている。

 今日買い求めた野菜・・・白菜1個、300円(市内某スーパーでは1/4カットで128円、数日前より少し安くなったか)。キャベツ1個130円(同スーパー1個198円)、ホウレンソウ1束150円(スーパー1束138円、これはスーパーの方が安かった)。白菜はこれから地ものが大量に出てくるのではないかと思う。流通量の関係で地元産の方が高い場合もあるが、鮮度は圧倒的に地元産である。

 秋になって我が家のシイタケがそろそろ採れ始めた。

 昼過ぎに、ふとモニターに目をやると、オオスズメバチが一度に三匹、ミツバチを襲っていた、一匹ならばともかくも、三匹一度に捕えられないし、どうしたものかと思ったが、えい!ままよ、と手近の一匹を網で捕えてみたところ、他の二匹が襲ってくるかと思ったが、そうでもなさそうなので次の二匹目も捕えたところ、最後の一匹は逃げてしまった。初めのうちは、ウトの屋上に置いてあるホイホイにどう向かって行くのかと思ってしばらく見ていたが一向にホイホイの方は向かおうとせず、出入り口付近でミツバチを手当たり次第喰い殺していたので小生も実力行使に出たのだが、逃げた一匹は後になって自ら飛び込んでホイホイに捕まっていた。

 今日は息の誕生100日目だそうで、「お食い初め」をする日だそうだ(「くう」に「お」を付けるとはヘンなネーミングである)、こういったこと、カミさん、実によく知っている、そして熱心である、あちらの家系だろう。小生の方はと言えば、我が家では、日本古来の伝統行事風習はよく行ってきた方だが、七五三だとかこういったことは不思議とやらない、というよりは、小生がその当事者なので幼すぎてあまりに昔のことだから、子供の頃やってもらったという記憶が残っていないのかもしれない。日本の伝統行事風習は毎年やるから小生も覚えているが、考えてみたら、こういった子に関する一連の行事は幼いころに一度しかやらないからだろう、そして、翻って今度は親になった立場で考えたら、爺様になるまでずっと主催者として縁が無かったわけだから知らなかったのは当然か。標準的な年齢の父母と祖父母がいる環境で生まれた子の家庭ではこういった子についての行事は受け継がれていくのだろうが、我が家のような変則的な年齢構成の家庭ではそのあたりが、つまり、小生だけがずれているのである、婆様が生きていたら、果たして祖母として気がついていたであろうか、あの年齢ながら曾祖母でなくて、祖母だものなあ、多分、婆様もほぼ一世紀近く昔に経験したことだから気がつかなかったのではないだろうか。

 で、何をするんだと問うと、実際にはまだ食べられるわけではないので真似だけだと言う、そんなわけで、なんでも、本式は食器類まで揃えるらしいが、例によって略式、今晩は尾頭付きの夕食になった。

 娘の時にはどうだったろうかと日記を遡ってみた、H14/11/28付の日記に書いてあった。そう言えばそうだった、思い出した。当時は、写真を載せると子供が誘拐されるというカミさんの強い反対で、内心バカなと思いながらも、その当時の貴重な記録がほとんど載せていない、多分写真は撮ったとは思うが、今さら探し出す気も起きない、○○め。

 ホームページの日記、一見、プライバシーを世界中にさらけ出しているようなものだと思われがちだが、個人のサイトなんか見る人の数なんてたかが知れている。ホームページは世の中にゴマンとある、そんななか、自分が、自分と無関係の個人のホームページにどれだけ関心を持って見るか考えてみると良い、個人のホームページを見てくれる人なんて親戚友人知人といった知った人たちばかりで、せいぜい数十人、そのほかの一般人はほとんど見ることはない、意外とプライベートな世界なのである。


平成22年10月13日(水)

 曇り、夕方、ほんの少し降ったようだ。

 小生、風邪、まだ引いていない、しかし、ギリギリの所で踏みとどまっているようである、今日も自重の一日を過ごす。

 いつも小生が息の入浴を受け持っているが、昨日今日と風呂を控え、息も昨日は風呂に入れなかったが、オムツかぶれが出来るので二日も入れないわけにはいかないと、カミさんと娘と二人がかりで入れたらしい。その間、小生ちょっと出掛けていたので、詳細は不明だが、カミさんもまだ治りきっていないので、娘だけが浴槽に入って、カミさんが洗い場で息を洗って、浴槽内で待ち受ける娘に息を手渡して、温まった息をカミさんが受取って、という手順だったようだ。息は既に8キロ近くあり、湯のなかでは浮力がつくとは言え、カミさんに引き渡す時は娘は立ちあがらなければならず相当大変だったようで、小生が帰ってきた時に娘が妙にむくれているので、どうしたんだと問うと、どうも、そんなことだったらしい。カミさんが言うには、風呂から上がった時には涙ぐんでいたそうだ、落としちゃあならぬと必死だったのだろう。以前にも、何かの理由で同じシチュエーションで入浴をさせたことがあったが、その時は、息はまだ小さくて軽かったけど、今日は、前回のようにはいかなかったようだ。母娘の共同作業、たまには良いだろう。


平成22年10月12日(火)

 うす曇り。

 朝一番で宇治歯科へ。

 朝起きた時に少し喉が痛かったので、本日は自重して屋内で読書などして燻ぶる。


平成22年10月11日(月) 体育の日

 穏やかな秋空ひろがる。

 体育の日、東京オリンピックを記念して作られた祝日だが、あの日(最近は暦の都合で祝日がずれるが、昭和39年10月10日)は、住まいが東京中野区で、九州は小倉から我が家が転居してきたばかりだったと思う、父が自宅のテレビで開会式を見ながら、代々木の国立競技場で打ち上げた花火の音が直接聞こえたと、東京に移住した実感を述べていたことを思い出す。小生は当時、大学2年で、その日、友人Mと横浜に居た、確か、その夏、そのMと北海道を旅した際に知り合った女性たちといわゆるダブル・デートをしていたのではなかったか・・・と思う。その時に、いしだあゆみのブルーライト・ヨコハマが流行っていて、盛んに耳にしたと思って、年譜を調べてみると、その歌はもっと後年の歌だったので、記憶があやふやになっている、数えてみるともう46年も前の話である。

 朝になって突然カミさんが阿蘇神社に初宮参りをしたいと言いだす。一般的には誕生一か月でするものらしいが、カミさんの体調などがあって、今まで延ばしていたのだろう。小生は七五三だとか、こういたセレモニーにはとんと興味が無いので、今さらサラリーマンでもあるまいし、スーツなんて着られるか、と渋ったが、カミさんも平服で行くから、服装は略式でいからということで出掛ける事になった。

 本来は、赤ん坊には「白羽二重」の着物を着せ、紋の付いた祝い着を上から羽織らせる形が正式なものだそうで、両親も正装が望ましいとされているようで、確かに何組かの宮参りの一行を見た限りでは、作法に則ってそのような装いであった。我が家は(そく)の衣装も略式だった。婆様の一連の不祝儀作法でさえ略式でやったのだから、それで十分だろう、要は気持ちだということにしておいた。

 我々が神社に着いた時には、それぞれお祓いの目的が違う幾人もの人たちで拝殿内は一杯だったが、入れ替わって我々がお祓いを受けた時には広い拝殿内には我々一組だけで、随分と贅沢な気分を味わった。

 神社横に、門前町という商店が並んだ通りがあるが、数年前までは寂れる一方だったのが、そこの住民の皆さんの努力で今や随分と様変わりして、最近では大勢の観光客で見違えるように賑わっている。この通りはもともと商店街なので、町興しのベクトルが合わせやすいのだろうが、たとえ住宅地的な町であっても、人口が減る傾向にある所では、人の往来が少なくなると、自然にその地域全体の元気が無くなり寂れる運命にあるように感じる、坂梨のことである。秋祭りの前夜祭の時のような人の賑わいが坂梨にも戻ってこないものか。個人の力では如何ともし難い、しかし一方で、店舗数は少なくても商店にはまだその力がある、その力を借りる他ない、また地域に対してその責任も少しあると思う、それも各商店が個別に動くより足並みを揃えた方がより大きな力になる、商店は人を集める誘引剤にも接着剤にもなり得るのだ、そもそも、その昔、宿場町とはそうやって栄えてきたのだろう、違うだろうか。


平成22年10月10日(日)

 穏やかに晴れる。直射日光ももう暑くなく、日射しの下、Tシャツで畑のなかに座っていると気持ちが良くなる、短い秋の晴れ間である。

 どうだ、精神力で風邪を追い払った、ピンピンしているぞ。

 今朝のニュースだったかで、日本で赤とんぼが激減しているそうで、その原因が、米作りの方法が、最近では苗床の段階から農薬をしみ込ませて、田植えをするから、ヤゴの餌になるミジンコなどが居なくなることなどが原因だそうだ。幸いに阿蘇では農薬を使わないので、そういった田植えはやっていないのだろう、今、空中がトンボだらけである。このあたりのトンボは警戒心が無いので指先にドンドンとまる。ハチの観察のついでに臆病者の娘もこわごわ指先を立ててとまらせていた

 昨日のスズメバチ、今日は天気も良いことだし、必ずやってくるだろうと待っていると、朝一番でやってきた。早速捕まえて、雨にぬれて粘着力の弱くなったホイホイを新しいやつに取り替えてそれに貼り付けておいたら、いつの間にか、数匹がかかっていた、どういう行動バターンなのか実際を見てみたいものである。

 「風の便り」をフレームタイプに変更した。今までフレームの概念が掴めず、ホームページビルダーを使っているが、基本的にマニュアルを全く読まず、我流で腕力でやるものだから、そのうえに、一部自宅サーバーも併用しているから、結構てこずってしまった。一応恰好はついたようだが、それでも、今までの「戻る」ボタンがヘンな動きをする、しばらく様子見である。



平成22年10月9日(土)

 曇りのち晴れ。今日もずっとハッキリしない天気が続いていたが、夕方になて青空が見えてきた。今日から世間では三連休の所が多いだろうが、明日明後日は天気が良いようである、せっかの連休、行楽日和になるといい。

 カミさんようやく復調してきた、大きな声では言えないが、なんだか小生がちょっとオカシイ、あれだけ、○○め、等と言いたい放題言った手前、小生が風邪をひくわけにはいかないので、精神力で抑えている。

 我流でやっているPC作業がうまくいかず、終日PCの前に座る。

 ハチモニターを横目で眺めながらのPC作業中、オオスズメバチが現れる。捕獲しようと飛び出したが、その大きさに腰が引ける。キイロスズメバチくらいの大きさならなんとかなるが、オオスズメバチは大きくて速度がめっぽう早い、その上、警戒心が強いのか一気に中空に舞い上がり、一気に急降下して、時には小生の方に向かってくるかのように重低音の羽音が耳元をかすめた、図体が大きいので相当高く飛び去ってもハッキリとそのその姿が分かる、何度かそれを繰り返しているうちに姿を見せなくなったので、バリアーもしっかり張ってあるから被害は小さくて済むだろうと撤収した。少し離れたところでじっと待ち伏せしていると、耳には沢山の蜂の羽音が聞こえてくる。ミツバチも数匹小生の体の近くを飛んでいる、襲うのかと思ったら、地べたすれすれの足元の草むらをに盛んに止まったり離れたりしている、別に花があるわけでもないのに何をしていたのだろうか。


平成22年10月8日(金)

 子供たちが登校する時には曇っていたが、それがいつの間にか静かな雨になっていた。雨は午後からの予報だったが少し早まったか、逆に、午後に入ってからは雨は上がって曇り状態が続いていた。今日は寒露だそうだが、天気が悪い分最低気温は低くなかった半面、最高気温は19℃にも満たなかった。

 今日もカミさんダウン継続、晩飯の材料を買いに出たが、野菜の高いこと、高いこと。絶対的な価格では、野菜だから決して高くは無いのだが、いつも野菜の価格からすると目ん玉が飛び出してしまいそうで、ついついえ買うのを躊躇してしまう。白菜が特に高い、日本国でも不作なのは知っているが、キムチを主菜にしている国が白菜不足で国をあげて大騒動になっているらしい、かなりがそこに流れてしまったのか、「レア白菜」、うん、輸出規制だな。

 車検に出したパジェロが戻ってくる、年金生活者にはそろそろ燃料喰いの高税金の車の維持は困難になってきた、今回の車検で終わりにしよう。ここに住むようになってもう大きな車は要らなくなったが、一旦大きな車に乗るとなかなかダウンサイジングは難しいものがある。


平成22年10月7日(木)

 晴れ。昨日ほどではなかったが今朝も気温が低かった。

 娘が忘れ物をしたので、途中まで追いかけて持たせたあと、いつもとは違った場所から子供たちの登校の様子を撮った、そして、そこから見た根子岳。妻子が鼻の向うに頂上付近が少しだけ見える。

 今、金木犀が盛りだが、入り口付近にあった我が家の金木犀が枯れてしまった、以前、刈払機で根元の幹付近を少し切ったのが原因だろうか。


 今度はカミさんである。昨日あたりから風邪ひいたようだと言っていたが、今朝になって完全にダウン。また一切合財の仕事が小生に来てしまった。授乳、これは時々やっているが、息のおむつ替え、いつもは小だけで、大の方は敬遠していたが、今日はその仕事も回ってきてしまった。別に赤ん坊の大は汚いとは思わないが。結局今日は何もできず(出来たからと言って多分何もしなかっただろうけども)。それにしても、うちのカミさん、普段エラそうな口を利いているわりにどうしてこうもひ弱なんだ、高齢者がピンピンしているというのに、この○○め。

 昨日が(そく)の誕生から三月目にあたるので、体重を量ろうと思っていて、忘れてしまったので、今日、入浴時に量った。小生が裸の息を抱いて、後から小生の体重を引くという方法で量ったところ、7.5キロになっていた、最近は抱いてあやそうとしても重いわけである。ついでに入浴シーンも撮っておいた。いつもは風呂では機嫌が良いのだが、今日はあまり良くなかった。これがまた定点観測になるだろう。



平成22年10月6日(水)

 最低気温が一気に10℃を割った、阿蘇坂梨(私設)で6.8℃(06:28)。阿蘇山頂では初霜が降りたそうだ、風物詩になっている草千里の観光乗馬の番小屋のストーブに火が入ったというニュースが流れていた、だからといって、ここより極端に低かったわけではない、ほとんど変わらない気温だったと思う、霜が降りる、降りないは、そのあたりの温度が境目なのだろうか、もっとほかの条件も関係してくるのだろうか。起きた時には、そんなに気温が下がったという実感は無かった、データをみて驚いたほどである。例年であれば、イキがってまだTシャツ姿で散歩に出るところであるが、もう無理をしない事にして、薄手のセーターを着た。子供たちのいでたちも夏の頃の姿からいつのまにかすっかり替わっていた。明け方に冷え込む時は晴れてそして風が無いので朝の風景は美しい。日中も穏やかに過ぎた、ミツバチも元気である、最高気温24.2℃。

 今日も、エンジン掛からず、天気晴朗なれども何もせず、とばかりも言っておられないので、昼から草切りをした。特に、薪材の山が伸び放題の草にすっかり覆われて隠れてしまっているので、差し当たりその草を取り払って、すぐに薪を作る事ができるようにしておいた。

 息が今日でちょうど誕生三ヶ月である。節目になるので、体重を量って、ついでに風呂の写真でも撮ろうと思っていて、忘れてしまった。というより、明日が6日とばかり思い込んでいた。明日、体重を量って写真を撮ることにした、またしても、六日のアヤメになってしまった。

 パジェロを車検に出した(オートセンター石田)。間をおかずに軽トラックの車検も続いてある、今月は物入りである。


平成22年10月5日(火)

 雲り。

 娘、まだ本調子とは言えず、昨夜も寝入りばな、少しゼーゼーが聞こえたが、それも寝入ってからは収まり、今朝は平熱で迎えた。用心のために休ませようかどうしようかと思案したが、まあ、行け、といって学校にやった。それでも、今日は特別に車で送って行くから、体操も見学にしろ、それから放課後子供教室もやめて帰ってこいと条件を付けた。授業が終わる頃、学校に迎えに行ったが、元気そうに出てきたので、子供教室も受けたいかと聞いたら、受けたいというので、それでは、子供教室が終わってから皆と一緒に帰ってこいと言って帰ってきた。

 放課後子供教室というのは、正規の授業が終わった後に、ボランティアの人たちが主催する、まあ、子供のカルチャースクールのようなもので、習字や手話や、伝統芸能の学習や竹トンボなどの昔の遊び道具の作成など、一二三年生を対象に週二回やっている(四年生からは部活があるとか)。

 暑い時期には、暑いから仕事にならん、もっと涼しくなってからしよう、と言っておきながら、急に、気温が下がると、服装が夏のままなので、どうも寒い、仕事をする気にならん、と言って、また何もしない。まだ寒いと言う季節には間があるが、それでも最高気温が20℃くらいまでしか上がらず、今までに比べたら随分と気温が低くなったので、どうも体がついて行けず、結局今日も何もしないで、本などを読んで過ごしてしまった。早く、ストーブの準備もしなければならないのにまだ先送りである。阿蘇は夏から一気に冬になるというのに。

昼時、プールへ、2000m。

 午後、ちょっと調べたい事があって久しぶりに図書館に行ったところ、新刊本として面白そうな本が入っていたので借りてきた。


平成22年10月4日(月)

 うす曇り。

 娘、昨夜は、喘息も起きず、まあ、まあ、の状態であるが、学校はちょっと無理かなという感じなので、休ませた、ただ、医者に行くほどでもなさそうなので、自宅安静を命じておいた。明日はどうだろうか、ちょっと微妙である。

 朝一番で小生の歯医者、夕方、カミさんの歯医者。

 我が家のミニ田の稲刈りをする。じつは、田植え後、5月の終わりころ、周りで除草剤のパックを投げ入れていたので、なんとなく、皆さんに倣いたくて、一パックもらって、田に投入した。それが、敗着だった、田の広さと水の深さを考えずに投入したので、薬剤が強すぎて、ちょうど、水の流れに沿って、苗が枯れてしまい、枯れないまでも周囲の苗の成長まで遅らせてしまった。除草剤は田の雑草だけでなく、薬効が強ければ稲本体も枯らしてしまうということを、実地体験で学んだ。そんなわけで、今年は、田の真ん中に米が出来なかった。除草剤を撒かなければ完全無農薬米だったのに、人もすなる、の誘惑に負けてバカものである。ここ阿蘇では、このように一度だけ、除草剤を撒くが、それ以外、殺虫剤などの農薬は全く使わなくても米ができるのである。だから、田んぼの生物も元気に生息している。

 K朝春さんが、今日でコンバインは終わるバイと電話をくれたので、急いで、刈り取って、脱穀籾すりに持って行った。早く刈っておいてしばらく干しておけばよかったのだが、刈り取ってすぐに籾すりにかけたので水分が多く、さらに量が少なかったので、籾すりが完全には上手く行かず、かなりスリ残しの米が混ざってしまった。戦中戦後の一時期、一升瓶に入れて米を搗いたことがあったようなので、そのうちにその方法で籾すりをやってみようかと思っている。


平成22年10月3日(日)

 曇り、そして、時々雷雨。前線の通過で昼前頃から夕方頃まで何度か雷雲が通過、その度に強い雨と、雷。ただ、今日の雷は大した事無かった。用心のために一度だけシステムを停めた。

 阿蘇の峰々も終日姿を現すことが無かったが、時々、雷雲が途切れた時にちょっとだけ、その姿を現すことがあった。山は、雲の湧き方、霧の立ち方で日々微妙にその姿を変えて見ていて飽きない。

 金網設置後、時々スズメバチを目にすることがあるが、以前に比べて余裕を持って見ている、今日久しぶりにモニターに映ったので一匹捕らまえたがキイロスズメバチだった。だいたいこんな時は何匹かやられるのは普通だろうが、たとえ一匹でもやられてたまるかと、可能な限り手厚く保護している。

 娘、特に悪くなることもなかったが、熱が7℃以上あって、(そく)のこともあるので、今晩は一応用心のために、二階の小生の所で寝る事になった。一晩で回復する事は無いだろうから、まあ明日は休みかな。


平成22年10月2日(土)

 終日曇る。

 娘、朝起きると喉が痛い、だるいという、先日来、調子に乗って薄着で遊びまわった報いか。もし風邪なら、もう罹ってしまったのだからいまさらジタバタしても仕方が無い、もっと悪くなったら医者に連れていけばいいし、明日日曜の休日当番医は小児科だからそれも都合が良い、様子を見ようと言う事で、今日の日程をこなすことにした。

 カミさんが半年に一度くらいに定期受診している病院が水前寺駅近くにあって、カミさんの体力がまだ完全でないので、赤ん坊連れの二人でやるわけにはいかず、結局四人で車で出掛けた。病院のすぐ近くに、後藤是山記念館<http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=130>という建物があったので、予備知識はほとんど無かったが、少し、我が先祖と接点がありそうなので、カミさんの診療が終わるまでの時間を利用して入館した。

略歴に
「新聞人、俳人。九州日日新聞社入社後、国民新聞社に留学、徳富蘇峰の薫陶を受ける。帰熊後九州日日新聞社の主筆、編集長として熊本の文化振興に貢献。昭和2年、俳誌「かはがらし」(のち「東火」)を創刊主宰。著書に「肥後の勤皇」、編書に「肥後国誌」がある。 明治19年6月8日生れ 昭和61年6月4日死去 99歳」
とある。

 帰ってから調べたところ、いわゆる「畑」を同じくする父よりは年齢的に20年くらい先輩にあたり、曾祖父よりも少し後の時代の人物のようである(祖父に関しては全く畑違いである)。ただ、徳富蘇峰の著作物のなかに、まだ若い頃の後藤是山らしき記者名が出ているので同じ著作物の同じ時期に名前がある曾祖父ともしかしたらある時に何かしらの接点があったかもしれない。

 娘、夕方には、本人いわく「ふつう(普通)」だそうだ。一晩様子見ということだ。


平成22年10月1日(金)

 うす曇り、穏やかな日和。

- カレンダー  破って 今朝も捻りだし -

 毎朝起きぬけにライブカメラの電源を入れるが、いつもの時間(5時半ころ)になっても外は真っ暗である、僅か一日だけ日付が変わっただけだが、気のせいか、急に夜明けが遅くなったような気がする。

 国勢調査の日である。大正9年から5年ごとに行われ、今回が19回目とな。本日さっそく調査票に記入した。我が家はマイナス1、プラス1、総員4名である、夫婦二人に子供二人、家族構成だけから言えば統計などで使われるいわゆる標準所帯であるが、有業者が世帯主一人、という条件からは外れている。

 そう言えば、昨日のニュース、女優の池内淳子さん(76歳)が数日前に肺腺がんで亡くなったそうだが、婆様と同じ病気だった、昔から知っている女優さんなのでもっと高齢だと思っていたがまだそんなお歳ではなかった、「肺腺がん」・・・数か月前のことがいろいろと頭のなかを去来する。

 ところで、この肺がんの大きな原因と言われているタバコ、今日から大幅値上がりだそうだが、タバコに含まれる発がん物質は本流煙より副流煙により多く含まれているそうである。その証左として、両切りタバコより、フィルターが付いたタバコを吸う人間に肺がんが多いとか、阿蘇は喫煙率が極めて高い所である、小生はやめてもう40年くらいは経っている、やめた人間だからこそ言える、タバコほど無用有害な嗜好品は他に無い。

 今年もインフルエンザの予防接種が始まったようだ、さっそく古閑医院に三人分の予約の電話を入れておいた、(そく)は年齢的にまだ出来ないのではないだろうか。

 午前中、N川竹久さんがインターネットで調べて欲しいものがあると言っておいでになる。坂梨出身の江戸時代の相撲取りに関する事で、現在分かっているところで坂梨に三基ほど墓石が残っているそうである、氏は現在その保存顕彰に奔走されている。ついでに氏にインターネットの便利さを大いにPRして、導入を勧めておいた。

昼時、プールへ、2000m。


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