風師庵日記目次へ

平成26甲午(2014)年11月の記録(新しい日付けの順)


平成26年11月30日(日)

 曇りのち雨模様
     最低気温 5.5℃ (06:29)、最高気温 15.2℃ (18:38)

 今日も天気が悪くて視界は良くなく噴煙の状況はあまりよく分からなかった。ただ、朝は風が無く、山にまとわりつくように噴煙が下っていて坂梨方面を覆っていた。
 
 夏子たち、今日は学習発表会があり通常通り降灰の中をマスクをして登校して行った。学習発表だから保護者に対してである、カミサンが太郎を連れて出かけて行ったが、その後、友達のピアノの発表会の観覧にも行ったようで、小生は夕方まで一人でノンビリできた。
 
 小生、昼前に、図書館に行こうと思って車の所に行くと、普段掃除もしないで汚れっぱなしの軽トラックでもハッキリわかるほど灰が積もっていた。今日は夜が明けてからはあまり噴煙がでていなかったようだが、昨夜結構大きな噴火があったようで、風向きの関係で坂梨方面に降灰があったのだろう。今日の風向きは終日、こちら側だった。 
 
 ホースで水をかけてウインドーについた灰を洗い流すついでに、そろそろワイパーの水が無くなるころだろうとタンクに補給することにしたが、そこで、ハテ?ウォッシャータンクはどこだっけ?どこだか全く分からない、取扱説明書をひぱりだして、助手席のシートの下だとある、しかし、シートをめくってもタンクの蓋が無い、そこでもういちど説明書を読むと、更に収納ボックスを外すとあるとある、今日の今日まで、収納ボックスが外れることなど全く知らなった。ということはこの軽トラを買ってもう10年くらいになるが、一度もウォッシャー液を入れたことが無いということだ。であるならば、今まで、ワイパーを動かす時にウォッシャー液も出していたが、あれは一体何だったんだ。恐らく車検の時に整備工場で補給してくれていたのだろう、それにしても、昔は半年ごと点検を受けていたが、罰則規定が無いということを知って、大きな声では言えないが、二年ごとの車検しか受けなくなった。ということは、小生はタンクの液を二年間かけて使う程度にしかワイパーを動かしていなかったということか?どうも信じられないがそうなるなあ。それにしてもどうして先日車検を受けたばかりだからタンクの液はまだ残っているのにそろそろタンクの液が無くなりかけていると思ったのだろうか、さっぱりワカラン。

 渡り鳥が鳥インフルエンザウイルスを運んできて各地で検出されている、鶴の飛来などを歓迎する半面、養鶏業者などは、正直、複雑な気持ちなんだろうな。
 
 はやぶさ2の打ち上げがまた延期されて3日になったそうだ、宿などの予約をしていた人たち、延期延期で、そうそう付き合いきれない人も出てきてキャンセルが出て意外とスンナリと・・・と言うわけにはいくまいか。


平成26年11月29日(土)

 曇りのち晴れ。朝からずっと雲が掛かっていたが、午後になって雲が切れ始めて噴煙が見えだした、昨日白かった噴煙も今日はまた黒々としている、一時高岳の山腹を舐めるようにゆっくり下っているのが見えたが、その後、高森方面だろうかあるいは波野方面だろうか強い風に噴煙が横方向に流れていた。
    最低気温 11.3℃ (17:45現在、まだ下降傾向)
    最高気温 16.3℃ (02:05)

 今日も、噴煙、色は黒かったが、量的にはそれほど多くはなかった印象である、尤も風が強くて上に昇らずに横に流れていたのでそれほどでもないと見えたのかもしれない。考えてみたら、この先はまだ分からないが小生が行った一昨日が噴火が始まって最大の噴煙だったのかもしれない。ニュースで昨夜だったか夜中にドーンという音を聞いたと言う複数の報告があったらしいが、雲が掛かっていて確認は取れていないそうである。

 今回の阿蘇中岳第一火口の噴火では有難いことに何人もの友人らから電話やメールで見舞いをもらった。遠隔地から見ると、それはテレビなどのニュース映像を通じてだろうが、阿蘇のカルデラ内がとんでもないことになっているように映るらしい。確かに当事者であっても天高く昇っている噴煙の上空からのニュース映像見ると凄いなあと思うくらいだから。阿蘇カルデラ内に住んでいると言うと、火口の中に住んでいる印象を与えるらしい、阿蘇カルデラは昔(約9万年前)の火口には違いないが、東西24キロ南北18キロの広さがあって(あっ、逆だったかな)、その真ん中あたりにカルデラを南北に分けるように東西に阿蘇五岳が横たわっている。カルデラ内には一市一町一村があり約・・・何人だったろう、とにかく沢山の人が住んでいる。昨日温泉のロビーでチラリと見た放送で、火口から一番近い人家まで直線で場所によって3キロだとか5キロだとか言っていたが、ほとんどが別荘でそれもわずか、一般住宅地はさらに火口から離れたところにあるから破局的噴火でもない限り大丈夫なのである、有史以来そのような被害も無い(だから大丈夫だと言いきれない部分が最近の傾向として無いこともないが)。
 
 ただ噴火による降灰、ここではヨナというが、これが過去の噴火で、風向きによってワイパーバー動かないくらい降る、そして農業に大きな影響があると思われる、幸いに今のところは田んぼも冬休みで稲作に対する影響は少ないと思うが、阿蘇はコメの他に高原野菜の産地でもある、キャベツが灰をかぶって売り物にならないとニュースで伝えてた、トマトは終わったがこれからハウスのイチゴの最盛期だが、降灰はビニールハウスの日照の妨げになるかもしれない、この先どのくらいの期間噴火が続くのか心配である。
 
 それから観光業、見舞いがくるほどだから、アブナイという印象を与えて観光客が減る心配があるが、噴火を間近で見る機会はそうそう無い、一定の距離をとって眺めたら決して危なくなんかない、今回の噴火で「風の便り」のアクセス数が驚異的な数字を示した、それだけ関心が高いと言うことだ。ここでは他の火山と違って地形的に比較的に安全な場所から噴火を眺めることが出来る、観光に関しては悲観することなくこの災いを転じて観光客を呼ぶことも出来ると思う気もするが。
 
 最近夕方になるとモデムがフリーズする、今日NTTに来てもらったが結局モデムだろうということで交換した。モデムはレンタル契約なのですぐに交換してくれる。夕方になると・・と言う説明に、モデムのアクセスランプの点滅が非常に激しいですと言うので、サーバーやライブカメラをやっていると言うと、だからランプの点滅が激しいのか、モデムもかなり熱を持っていますね、熱で固まるのかなあ、そのあたりは分からないがとにかくモデムを交換した。

 母親に連れられて太郎、二回目のインフルエンザワクチンを打ってきたそうだ、一度目の時は素直に打たれたそうだが、今日は泣いて逃げ回ったらしくて、古閑先生が注射器を持って追いかけたと夏子が言っていた、その夏子も、風邪っぴきなどで遅れていたが今日第一回目を打ってもらったそうだ、二三日前、今年は少し早くインフルエンザの流行期に入ったそうである。

 明日種子島から打ち上げが予定されていた「はやぶさ2」天候不順で延期されたが、12月1日に決まったとか、宙ガールさんどうしただろう。


平成26年11月28日(金)

 くもり。朝は霧が出ていた
  最低気温 2.3℃ (04:32)、最高気温 17.5℃ (14:03)

 噴煙、昨日までと違って今日は白っぽい煙が静かに上がっていた。噴煙も宮地方面や坂梨でも我が家がある豆札上空を流れていた、我が家の玄関から見上げるとちょうど真上に煙の帯が覆いかぶさるようであったが昨日ほどの真っ黒な噴煙で無かったので煙に含まれる排出物も少なかったのだろうか、我が家には灰も降らなかった。

 市の方でも、噴火警戒レベル3になった時を想定した予行練習を始めたとみえて、(訓練)緊急メールが入ってきた。
 
 もう選挙ポスターを貼る掲示板が立っていた、一瞬何の選挙だったろうかと考えた。
 
 昨日の噴火の様子などが今朝の新聞に載っていた
 
 晩飯。太郎が「ギョウザ!」とリクエストをしたので、水餃子と焼き餃子の二本立てでいった



平成26年11月27日(木)

 晴れ
  最低気温 3.4℃ (07:33)、最高気温 15.7℃ (13:21)

 今日は天気が良かったので昼前にひとっ走りして、噴火口近くまで行っていきた。安全のためにヘルメットとマスクを持参した。今日は風向きが北西方向に吹いていて噴煙が阿蘇町方面に流れ、太陽を遮り、降灰も相まって阿蘇町方面は薄暗くなっていた。いつもの草千里を見下ろす展望台から見る烏帽子岳、中岳、杵島岳のパノラマ風景は灰色の世界に変わっていた。ロープウェイの駅に近付くにつれて道路も草原も降った灰に覆われて、深くは無いが丁度粉雪が降り積もったようになっていた。不思議と硫化水素や二酸化硫黄の臭いはしなかった。
 
 今日の風向きで降った灰、熊本空港まで飛んで、何便か運休になったそうだ、そのなかに小生が数日前に羽田に飛んだ便も入っていた、場合によっては小生がその目に遭っていたかもしれないのだ。
 
 JH6KVF局があそこのお土産屋さんの親分だったと思うが、尋ねると今日は来ていないとのことだった。ロープウェイの駅から火口までの直線距離、googlemapで調べると、1キロ以上に取れば取れないことは無いが、どうみても1キロは無いだろう、欲目に見て1キロギリギリだろう、現在の噴火警戒レベル2は1キロ以内は立ち入り禁止だそうだが、苦渋の判断というかなんというか・・・・すぐ目の前からモクモクと黒い噴煙が凄い勢いで次々に湧きだして天に昇っていく、もしあそこから火砕流が吹きだせば、あっという間に巻き込まれるだろう、ものすごい迫力である、近くの山上交番のお巡りさんたち、今日は数名いたが、気になるとみえて火口方向ばかり気にしていた、そりゃあ気になるだろう。

 怖いもの見たさ、観光客のマイカーも観光バスも結構やってきていた。火山性地震、孤立型微動(だったか)に大きな変化が無いので今のところこれ以上大きくならないだろうとのこと、信じたくても実際噴き上げる噴煙を目の当たりにすると、今にも大噴火が起きそうな気になってくる。このような自然災害、人の力では如何ともしがたい、悲観ばかりもしていられない、静かな湯だまりよりもこちらの方がはるかに観光価値は大きいと思う、いっそうのこと逆手に取って積極的なPRをする・・・・展望台までなら絶対に安全だと思うが御岳山という「他山の石」もある、噴火警戒レベル2に対する絶対的な根拠もそれほどないのだろう、安全管理上の責任が持てないからだろうが、判断の難しいところだ。

 阿蘇中岳噴火の様子 連続写真 (1/2)
 阿蘇中岳噴火の様子 連続写真 (2/2)

 阿蘇山のロープウェイ駅ビル前に阿蘇の観光案内版があって、それを見ながら四五人のグループの観光客が次の目的地か何かで話している、聞くとはなしに聞こえてきた大観峰などの言葉に、おせっかいにも教えてあげようと思って声をかけて案内版に目をやると、その案内版には南阿蘇しか載っていない。並んで阿蘇谷の地図でもあるのかと思って見回したが無い、要するにそこは南阿蘇のナワバリなのだろうと勝手に解釈した、その観光客にとって南も北もよく分からないようで、だから、案内板を一生懸命に見ていたのだろうと思うが、実に不親切な観光行政だと思った。だから小生はこの案内板には載っていないけど、この山の向こうに阿蘇谷があって大観峰なんかはそちらの方になります・・・と事細かく説明して差し上げた。そのグループがうら若い女性のグループだったからでは決してない、小生は誰にでも親切に教えるのだ。

 今日もアクセスカウンターが驚異的に伸びた、ようやく噴火のニュースが全国的になり、天気が回復してニュース各社の映像、画像が噴火の姿を大きく捉えるようになったからだろうか。ジオターゲティングもあと1県でパーフェクトになるところだ・・・・

 我がサイト、全国的に関心を集めている最中にまたモデムエラー(だと思うが)が起きて、午後三時過ぎからハングアップしてしまった。今日は娘の定期通院に付き合っていて家をあけていたので、3時間ほど回復作業が出来なかった、いつも夕方近くにエラーが起きるが、なんなんだろう、NTTに相談してみよう。

 今日は夏子の副鼻腔炎の定期通院日、太郎を早めに引き取って、午後4時過ぎ夏子を乗せて温泉病院へ。この病院、夕方には耳鼻科だけのために開いているようなもので、他の診療科は既にシーンとしている、阿蘇には本当に耳鼻科が無いのだ。それでも今日は一時間ほどで終わって、帰ってから風呂に行った。
 
 そんな調子だから、今日は早めに晩飯を仕込んでおいた。晩飯はポトフ。豚のブロック、ベーコンのブロック、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、ブイヨン。

 阿蘇中岳噴火風景1
 阿蘇中岳噴火風景2
 阿蘇中岳噴火風景3
 阿蘇中岳噴火風景4

平成26年11月26日(水)

 曇り。
  最低気温 09.9℃ (06:51)、最高気温 13.1℃ (12:59)

 子どもたち、学校から念のためにマスクを持って登校するよう指示があったそうだ、波野や南阿蘇方面は降灰があったそうだが、ここはまだ降っていないと思う。

 終日阿蘇山を気にしながらPC作業をした。
 
 今日の阿蘇。今日も雲がかかることが多くて噴煙が見えないことが多かった。
 写真1写真2写真3写真4写真5
 
 晩飯・・・・・・ブリの塩焼き、出汁巻き玉子、サラダ、味噌汁(ジャガイモ、キャベツ、タマネギ)

 アクセスカウンター、驚異的な伸びである


平成26年11月25日(火)

 時々雨、朝のうち風も強かった。

 ここに移住して以来十有余年、毎日静かな阿蘇山を眺めながら小生の目の黒いうちには噴火することはないのだろうなと思っていたところ、大分前から火山活動が活発になって、今日午前中、とうとう阿蘇山(中岳第一火口)が噴火した(とNHKラジオのローカルニュースが伝えた)、音は聞こえない、空振も感じられなかった、自然は往々にしてこのような時、人間の都合なんて考えてくれないようで、噴火時は天気が悪くて雲が掛かっており、下から噴火の様子を見ることは出来なかった、それでも午後2時前後、短時間ながら雲が少し切れて、合間から真っ黒な噴煙が見え始めた、大きな噴火ではないとのことだが、やはり今までの噴煙とは勢いが全く違う。なんとなく噴火を期待していたかのような書き方だが決してそのようなことは無い、と言いながらもやはり心の隅で怖いもの見たさの気持ちはあった、ただ、田畑や人的な被害が無いという条件であったのだが。(写真1写真2写真3) NHKローカルテレビ

 火口から我が家までは直線で約8キロある、だから全く安全なのだが、果たして噴火は絶対に火口からと断言できるのだろうか、そこまでの予報技術はまだ無いのだろう、思ってもみない所から噴火することだってあるのだから本当は余り呑気に構えていない方が良いのかもしれない。が、それでも大丈夫だろう。

 阿蘇山噴火のニュースがきっかけだろうが、「風の便り」のアクセス数が今日急激に増えた。ニュースは熊本ローカルどまりで全国的には流れていなと思うが、結構な数字である。このカウンターは同一IPは一日に一回しかカウントしないから、実際はもっと多くのアクセスがあるのだろう。静止画でなくて動画配信をしようかと思わないでもなかったが、動画の場合は自宅サーバー宛てにアクセスがあるので脆弱な回線では輻輳して一発でアウトになる、静止画の場合は、このサイトでは画像をこちらからプロバイダーのサーバー宛てに送っていて、それを皆さんはご覧になるのでいくら多くても問題が無いのである。

 晩飯。 柳川もどき、味噌汁みぞれ仕立て、茶碗蒸し、ワカメの酢の物


平成26年11月24日(月) ハッピーマンデー?

 快晴。夜になって雨になるという予報が信じられなかったが夕方になって少し雲が出てきた。今日も暖かかった、一日ストーブを焚かずに済んだ。
  最低気温 4.1℃ (06:27)、最高気温 19.8℃ (13:34)

すばらし朝、そして阿蘇の山並み、やはり田舎は良い。阿蘇中岳、今日も活発に噴煙を吐いていた

 今回の旅、やはり疲れたとみえて今朝は5時半まで熟睡した。昨日羽田空港には1時間前に到着して今回は少しは時間に余裕があるかなと思ったが、とにかく広いので歩いているだけでどんどん時間が経ってしまう。今回子どもたちにお土産を頼まれて、それを探しにショッピング街を歩いたがよくわからない、案内所に戻るのにまた延々と歩く、それを二度三度繰り返してるうちにタイムアップ、搭乗時間ぎりぎりになってしまった。航空会社(ソラシドエア)のカウンターとショッピング街とは空港ビルの正反対の位置関係、そして保安検査所を通ってから搭乗口までがまた遥か遠く一番奥にあるためにとにかく走りっぱなしでへとへとになってしまった、空港ではよほど上手く行動しなければ体力を極端に消耗するところである。羽田空港は広いだけに、もっと案内の方法を改善する必要、大いにありだ。
 
 今日はゆっくり過ごした。

【一昨日から昨日にかけてのモデムのエラーについて追記】
 我が家のインターネット回線はNTTのADSLである。市のひかり回線は高いし、聞くところによると光にしてはスピードが遅いそうである、安定性もイマイチ、小生が利用しない何よりの理由は、IPアドレスがプライベートIPだからだ、ポートが開けない回線では使えない、だからADSLを使い続けている。

 そのADSL回線が今回、外部から使えなくなった。最近時々こういうことがある。どこに原因があるのか、局から我が家に至るまでのADSL回線の問題か、我が家のモデムの問題か。以前はADSL回線の不具合の時もあった、予備の回線というのがあるらしくて切り替えてもらって復旧したことがある。モデムのPPPが確立しないで赤いランプが点滅している状態の時に、電源を入れ替えると概ね直る。だから多分モデムの問題なのだろう。今回は出先のために、モデムを直接チェックできないので、娘に電話をして状態をきいたところ、やはりPPPランプが点滅しているという。局線の不具合の場合も当然、赤ランプが点滅するので、NTTに電話をして調べてもらうことにした。そこでちょっと困ったことが起きた。ここからが本題である、小生の携帯にはADSLの不具合の場合の0120から始まる電話番号が登録してあるので、それでかけたところ、域外は使えないというアナウンス。つまりNTT西日本のナワバリ外からはこの0120は使えないのだ、じゃあ、全国共通の電話故障の局番なし113はどうだろうとかけたところ、これまたNTT東日本の故障係につながってしまう。そこで事情を話したところ、改めて域外からNTT西日本にかけることが出来る120の電話番号を教えてくれて、ようやく横浜から我が家のADSL回線の調査を依頼することが出来た。この時代、エリアを超えて移動することは当たり前の時代だ。それなのに、電話帳やネットで調べる電話番号にそのことが触れられていない、「ふざけるな!」である。


平成26年11月23日(日)  勤労感謝の日(新嘗祭)

 午前10時半より告別式。阿蘇と違って告別式が終わってからの出棺となる(こちらのほうが一般的だろう)、参会者全員で柩を花で一杯にして納棺、火葬場へ。
 
 従兄・(故)古川信昭兄、通夜告別式連続写真

 場所は金沢八景近くの横浜市南部斎場。紅葉まっ盛り、三浦半島や鎌倉方面へのドライブ客でいっぱいの横横道路を走る。お骨上げの後、予定では再度葬儀斎場に戻りそこで「お斎」の会食があるのだが小生は帰りの飛行機の時間が迫っているため、お骨上げが終わって火葬場でお別れをしてそのまま金沢文庫駅から羽田空港へ。

 4時半の出発にギリギリ間に合って、午後6時半に阿蘇くまもと空港帰着、7時半過ぎに帰宅。東京方面で特に行きたいところなど今や無いが、会いたい人は何人もいた、しかし結局その時間が無く、とんぼ返りになった、以前は時間の許す限りあちらこちら走り回ったが、一度は帰り便に危うく乗り遅れそうになって死ぬほどの思いをして走ってようやく間に合った苦い経験があったので今回は時間に余裕を持たせて移動したつもりだったがそれでもギリギリになってしまった。

 普段、平日も週末も、小生や家族の予定が何かしらあってとても旅など出来る状況ではないが、今回、奇跡的とも言えるくらい予定表が空白だった(夏子の行事はあったが、太郎連れで母親が参加で来た)ので小生は横浜に行くことが出来た。
 
 首都圏は、東京は、どこもかしこも超過密、飛行機も10分以上タクシングしてとんでもなく遠い滑走路端まで移動、そこには既に数機がゾロゾロ蛇行状態で連なって離陸待ち、そして小生の乗る飛行機の後にも瞬く間に数機が続く、ひとつ前に離陸した機がまだ見えるのに次から次に離陸して行く、一方でその間に次々に到着便が降りてくる、これでよく事故が起きないものだと心配になるくらいだ。

 過密と言えば、信昭兄、19日に亡くなったのにお通夜が22日、何か親族内でお通夜が出来ない事情でもあったのかと尋ねたら、そうでなくて、横浜市だが、原因は市の人口と火葬能力との齟齬だそうで、都市集中で人口が増えているのに、と言うよりは高齢化社会になっていて葬儀件数が増えているにもかかわらず火葬場の数が追いつかず、そのための順番待ちで遅くなったそうである、斎場には火葬のための装置が十基ほどあったようだったが、同行した葬儀を行った斎場の係りの人にそっと聞いてみたところ、指折り数えて、そうですね、一日で40体くらいでしょうか、とのことであった。とにかく人が亡くなると何はさておいてもまず火葬場の順番取りが最優先事項なのだそうだ。今回はまだ早い方だそうだ。なんでも1週間、10日待ちも珍しくないとか、帰ってからネット検索をしてみたら、首都圏での火葬能力限界の記事が沢山載っていた、不謹慎かもしれないが、そう遠くないうちに今の火葬のあり方が少し変わって、地方で荼毘にふして送り返すシステム(ビジネス)が生まれるかもしれない、何日も待たされるよりそのほうが仏様にとっても良いかもしれない。死んでまでラッシュ、順番待ちがあるとは都会暮らしもいやいや大変だ、田舎暮らしをしているとそんなこと考えもしなかった。

 耕して天に至ると言うが、全く隙間なく畑で無く建物が地表を覆い尽くしている、人人人、建物建物建物、車車車なんでもかんでも超過密、大げさでなく息苦しくなってくる、昔は平気で住んでいたのにもう体が拒否している、しばらく過密から離れてみるとそのことがよく分かる、不要に都会に住む人たちよ都会を捨てて田舎に来たれ、である。
 
 大都会は日常生活でもキャッシュレス化しているのだろうか、リムジンバスに乗る時に現金可?と問うたところ案内人がICカード持っているか?持っていなければ切符売り場で買うようにと言われた(現金でも良かったようだが)、駅の自動改札口、高速道路料金所のごとく、昔に比べてICカード専用ゲートが増えてそれも中央付近にあり切符用のゲートは端っこの方にあった(印象がある)。
 
 空港のコインロッカー、いきなりコインを入れる方式でなくて、荷物を入れるときに閉じ方が分からずに係りの人に教えてもらった。
 
 飛行機で移動する時はいつも思うことだが、慣れていないせいもあるのだろうが、無理やり高いところに引き上げられて短時間で高速で移動させられると、同じ一、二時間でも地上での同じ時間と違って体が無意識に反応して長距離を移動しただけの疲労を覚える、小生だけだろうか。

 小生の前の世代、そしてカウンターパートになる同世代の深い付き合いの親戚等の葬儀には遠隔地にあっても努めて行くようにいしている、東京にはもう全く未練がないのでそれ以外に上京することは全く無いが、順序からすると、これからあと二三回は弔いに上京することになるかもしれない、しかし、それより後の世代の時はもう勘弁してくれよ、と前々から本気でそう思っていたが、今回初めてそのオカシサに気がついた。なんだ小生の次の世代の親戚の不幸時にはもう小生は居ないのだった、今度はオレの番なんだ、一人で笑ってしまった、誰も自分が今度とは思っていない、何時まで経っても送る側に居ると思っているのだ。


 小生の留守中、今日は娘、阿蘇で全国草原サミットなる催し物があって、坂梨小学校が主催校か何かで夏子も含めて4名のクラスメートで司会を務めたそうである。

 昨日出発後、外部から自宅サーバーがつながらず、モデムエラーが原因だったようだ。自宅サーバーに関してはエラーが起きても外部から再起動できるが、その前段階のモデムのエラーは打つ手無し。娘に電話してリセット方法を教えたが、小生のタコ、イカ足配線で分からずに、結局小生がもどって復旧させた。モデムをリモートでアクセスすることはできるのだろうか、そういうモデムは無いのだろうか。

 (オマケ)今回の旅支度の際、いつもプールや風呂に行くときに使っているバックに下着類を詰めようと思って、水着などを全部出してひっくり返したところ、バックからチャリーンと何かが落ちてきた、見ると、キーホルダー、なんと、大分前に忽然と無くなってとうとう出てこなかった軽トラのキーだ、当時考えられるところは全部探したが、このなかまでは探さなかった、ここにあるわけは無いと思っていた、あるいは探したけど探し方が悪かったのかもう忘れてしまった。あれはいつのことだったろうと日記を探してみた、1/24にそのこおが書いてあった。風呂から帰ってきて無くなったということだから風呂バッグに入っていたいうのは不思議ではないようだが、普段はカギはそんなところには決して入れない、まして、帰ってきて車から降りてまたバックにわざわざ入れることなど絶対にないハズなのだがなあ・・・・・、


平成26年11月22日(土)

 晴れ(阿蘇も関東も)、気温も高かった(阿蘇も関東も)。
 
 (義)従兄の古川信昭兄が19日に身罷って今晩の通夜式に昼前の飛行機で羽田に飛ぶ

 午後1時羽田着、通夜式開始の午後6時までの空き時間を利用して茅ヶ崎へ。迎えに出てもらった寺さんの車で以前住んでいた鶴が台へ行ってみた。近年大きな団地の高齢化過疎化が問題になっているが、ここの団地自体はまだ元気があるようだが、周辺に沢山の大きな商店が出来たせいだろうか団地内の商店街、ご多分にもれずシャッター街になっていた。昔を思い出しながら少し歩いてから寺さんのお宅を訪問、茶菓の接待を受ける、XYLさんもお元気だった。
 
 首都圏は交通機関が発達していて簡単に遠距離間を移動できるが遠距離を移動するということはそれだけ移動時間がかかるということで寺さんのお宅での歓談も短時間で暇を告げてどうにか開始時間前に京急メモリアル上永谷斎場に滑り込むことができた。
 
 信昭兄、小生と同じ干支、ちょうど一回り上で、享年83、最近は皆どんどん逝ってしまう。多臓器不全、いわゆる老衰になるのだろうか、ここのところ良く思うこと、小生もあと10年の見当かなあと。
  
 今回の葬儀、故人と家族の希望で無宗教形式の家族葬。祭壇に綺麗な花を飾って会葬者が花を手向けるスタイル、お経も讃美歌もお祓い何もなし、静かに流れる音楽のもとで本当に近しい人たちだけで故人を偲んだ。無宗教形式とは主催者側は特定の宗教に拘らないという意味で、会葬者はそれぞれ自分の流儀に従ってお参りをすればいいのであって、小生は一応は仏教徒、数珠を手にお参りをさせてもらった、従姉の連れ合いだから義理の間柄ながらもう何十年の付き合い、完全な「肉親」であった、兄貴のような存在だった、元気だったころの笑顔が目に浮かぶ。葬儀は普段なかなか会うことができない人との再会の機会を作ってくれる、故人の功徳である。敢えて小生は知らせなかったがカミサンが連絡をしたとみえて、カミサンの両親もお通夜に来てくれた。カミサンの両親とも久しぶりに会った。(通夜式の写真は翌日の日記分と合わせて掲載)

 時まさに三連休、急に決まった旅だったので、宿は全く取れず、これほどだとは思わなかった、同じく兵庫県からという親戚夫婦も宿が取れずに斎場の遺族控え室に宿泊した、小生は芹が谷の喪家従姉の家に厄介になり信昭兄のベッドで休んだ。
 
 飛行機のチケットが取れたこと、考えてみたら僥倖のようなものだろうか。ネットで検索して格安航空券(株主優待の横流し?)で標準運賃に比べたらかなり安く手に入れることが出来たが、飛行機の運賃がまた適正価格と言うのが分からない。今、地方創生が叫ばれている、インターネットは今や全国(いや世界)一律料金であるが、人、モノの移動はコストが大きな壁になる、地方創生の一番のネックだろう、もっと安価に行き来できるといいのだが。


平成26年11月21日(金)

 晴れのち、午後に入って雨模様。今朝も霧が出た。(写真1写真2
  最低気温 0.1℃ (06:14)、最高気温 15.2℃ (13:04)

 午前中、一の宮保健センターでの健康推進員研修会に出席、毎回有益な話を聞かせてもらっている。
 
 今日は夕方から雨だという予報だったが午後2時を過ぎたころから時々雨になった、切ったまま放りっぱなしにしてあった薪、せっかく乾いているのだから夕方までに取り込もうと思っていたところ、予報より早く雨になったので取り込みそこなった、それに、珍しくテレビを付けて衆議院の解散風景を見ていたのでそれで遅れたこともある。
 
 衆議院が解散したぞ、さあ、鬼と出るか、蛇と出るか、まあ、しばらく楽しませてもらおうか。

 夕方のラジオのニュースで、中岳に設置しているGPSによる地殻変動観測に変化が現れたそうだ。写真

 晩飯。 チンジャオロース、 水餃子 手作り杏仁豆腐 ふかひれスープ


平成26年11月20日(木)

 晴れ。
  最低気温2.4℃ (02:19)、最高気温 14.9℃ (13:43)

 従兄の信昭 兄が亡くなった、土日で行ってこようと思っている。

 昨夜就寝中に太郎、鼻血を出す

 今日もほぼ一日PCの環境整備をしていた。

 裏の畑、草を刈らないうちに枯れてしまった雑草に火を点けて「野焼き」をした、また、表の畑の刈ったまま積み上げてあった草も燃やす

 今日の阿蘇中岳、毎日、一瞬一瞬違う表情を見せる。

 晩飯。刺身(ハマチ、イカ)、マカロニグラタン、ホウレンソウのお浸し、キンピラごぼう、カボチャの煮物。


平成26年11月19日(水)

 晴れ。
  最低気温 -0.9℃ (07:00)、最高気温 13.3℃ (13:54)14.6℃ (14:15)

 霧が立ち雲海が出た(写真1写真2)。ボンの飲み水に薄氷が張っていた
 
 交通指導で太郎を帯同していつもの辻に立つ。(写真1写真2写真3写真4写真5

 午前中、上村さんの所に行って軽トラック一台分の薪材を積んでくる、今回はこれでオシマイ。
 
 「Dynabook Satellite 1850 SA106P/4」のHD換装、OSの再インストール完了。一旦SP2を入れてその後でSP3を入れて、さらにサポート終了までのアップデートをすると結局一日掛かってしまった。どれもこれもライブカメラ用に数年前に数千円でネットで買った中古ばかりである、XPどまりのPCばかりだが、ライブカメラ用だからこれで良いのだろうと思っている。

 晩飯。昨日と同じ鶏のスパイス焼き、それにジャガイモのベーコン巻を添える。ホウレンソウのホワイトソース和え、レタスサラダ、杏仁フルーツ。オマケに大学芋、ミカン食べ放題。

 今日も阿蘇中岳の活動が盛んだった


平成26年11月18日(火)

 はれ。
  最低気温 1.6℃ (07:08)、最高気温 13.3℃ (13:54)

 阿蘇中岳、今日も活発に噴煙を上げていた。昼間、夕方(写真1写真2写真3

 ようやくDynaBook Satellite 1870のHD換装、再インストール完了、XPでも使えて、しかも無料のウイルスチェックソフトを入れて、長期間、異音を出しっぱなしのライブカメラのサーバーと交換した。今度はこの異音を出しているノートPCの整備をする、このPCもDynaBook Satelliteシリーズなので、今度は短時間で作業を終わることが出来るだろう。

 午前中、上村さんのところから薪材を軽トラック一台分運ぶ、もう一台分残っている。
 
 一週間ぶりに風呂に行く、正確に言うと月曜から月曜まで休みだったので8日ぶりである。お姉ちゃんが風邪気味なので太郎と二人で行った。
 
 晩飯。昨日の鶏料理に似ているスパイス焼き、これも美味しかった。ワカメの酢の物、豆腐と油揚げの味噌汁、ミカン食べ放題。
 
 「鳥獣戯画」と言えば条件反射のごとく「鳥羽僧正」という名前が浮かぶ、小生の学んだ昔はそうだった、ところが娘の国語の教科書に鳥獣人物戯画のことを書いたくだりがある、どこにも鳥羽僧正という名前は出てこない、娘に鳥羽僧正という名前は覚えておけよと言って念のために調べてみたら、鳥獣戯画の作者は鳥羽僧正かどうか分からないそうで、だから教科書に載っていなかったのだろう。小生が昔学んだ歴史、「良い国作ろう鎌倉幕府」も今では「良い箱作ろう鎌倉幕府に」なっているようである。大化の改新も645年ではなくなっているようだ。

 高倉健が亡くなった、享年83、健さんも死ぬのだなあ、当たり前のことだが一瞬そう思った、ということは、小生もあと10年見当かと粛然と思った。


平成26年11月17日(月)

 曇り。
  最低気温 3.1℃ (00:25)、最高気温 12.0℃ (11:57)

 金曜に引き続いて、昼前に上村さんの所に行って軽トラック一台分の薪をもらってくる。

 Dynabook Satellite 1870 のWindowsXPのインストール作業、昨日までの作業を一旦白紙に戻して最初からインスールをして、Service Pack3までアップデートして再インストール完了。と言いたいが後少しだ解決すべき事項が残っている。

 晩飯。下ごしらえをして売っていた鶏のチーズ焼きという名前の肉料理。これは美味かった、また買おう。それから昨日の残りの筑前煮、カボチャの煮物。それにミカンの食べ放題・・・・と言うのは、「みやはら」でミカンを買った。10キロ入り一箱で398円也、我が家ではせいぜい10個ほどネットに入っている量で良いのだが、無い!それでは少なすぎて値がつかないのだろうか、いくら熊本がミカンの産地だからと言っても安すぎる、安いのは有難いが、これで生産者は幾らの、売る店は幾らの利益になるのだろう、今年は豊作なのだろうか、やはりデフレは脱却していないのか。朝昼晩食前食後に食べなければ腐ってしまう、当分果物はミカンだけだ。


平成26年11月16日(日)

 晴れ。
  最低気温 1.0℃ (02:52)、最高気温 12.2℃ (14:34)

 今日は古い故障しているノートPC2台、Dynabook Satellite J11と同じく1870の再生に取り組んだ。J11は起動時に「ide #0 error」がでてHDを認識しない、新しいHDでも同じである、その場合のクリア方法をネットで色々調べて試みたがどれもうまくいかない、そのうちにディスプレーの表示が全く無くなった、バックライトの蛍光管が切れたのけ、あるいは別の原因か、このモデルは一旦作業を中止した。
 
 もう一台のDynabook Satellite 1870はHDの故障だったので換装してXPをクリーンインストールした。しかし、インストールCDを使ってWindowsXPを再インストールをしたのはいいが、OSがリリースされて以来数えきれないほどのアップデートを重ねてきているので初期の頃のOSを入れてもせめてサポート打ち切り前の最新の状態にまでは面倒見てくれるのだろうかと思ってWindowsのアップデートのサイトに行ったところ、Microsoftは既にXPのサポートをやめてしまているからなのだろう、そういうアップデートはもうやっていない。それで色々ネット検索をしたところ、小生が持っているインストールCDはSP2で、サポート打ち切り時にはSP3になっていて、いつSP3にアップしたのか忘れていたが、その状態でサポートを打ち切ったようだ、だからどうもSP2からではアップデートをしてくれないようで、SP3についてはまだ提供してくれているようだ。わざと分かりにくくして早く次期バージョンに移行させたいのだろうが、さすが、知らんぷりもできないとみえて、SP3をISOイメージでダウンロードできるようにしてあった、このSP3をインストールするとアップデートでサポート打ち切りまでの面倒は見てくれるようである。今日は時間切れで終わった。 

 デスクトップPCの場合は各ディバイスは汎用性があるのでドライバーなどを見つけるのは簡単だが、ノートパソコンは非常に特殊なというかメーカー独特の作り方をしているので古い機種のドライバーを見つけるのが非常に困難である。
 
 Dynabook Satellite 1870のほうはLANドライバとディスプレードライバは見つかったが、どうしてもサウンド関係とマルチメディア関係、PCカードバスが認識しない。もう少しの辛抱である。INTEL 82801DBM LPC Interface Controller - 24CCがどうしても見つからない。<-----自動的に入らないだけで、手動で選択して入れることが出来た。
 
 夏子のピアノ「狂想曲」も昨日で終わり、今日は久しぶりに家族全員が家にいて、小生は完全に家事と太郎の相手から解放されたので、終日べったりとPCの前に座っていた。ちょっと図書館に行ったが図書館祭りをやっていた。


平成26年11月15日(土)

 晴れ。今朝最低気温が氷点下になった、しかし、日中は陽が射して暖かかった。
        最低気温 -1.1℃ (06:49)、最高気温 12.7℃ (15:16)

 母娘、ピアノで朝から出かけて行ったので、今日も太郎と二人で留守番をした。昼にはまた「阿蘇の風」に蕎麦を食べに行った(写真を撮るのを忘れてしまった)。
  
 朝、阿蘇山を撮っているライブカメラが故障した、カメラでなくてサーバーPCの方だ、多分HDだろう。現在火山活動が活発なので、中継を切らしたくなかったので大急ぎで復旧作業にあたったが、皆、何台も故障して直さずに放り込んであったものばかりなので急場に間に合わなくて、ようやく一台を代替機として動かして夕方前に復旧させた。
 
 小生の周りには今日引っ張り出した故障ノートPCが二台ころがっている、ちょうどいい機会だから、この際、HD換装してしまおうと思っている。
 
 先日来続けていたPCの再生作業、本日正式にWindows7professional32bit版をインストール、アクチベーションを済ませて、完成

 壊して取り換えたマザーボード代、2,700円送料1,214円、DVDドライブ代143円送料510円、フロッピードライブは使わないだろうから取り外して代わりにマルチカードリーダーを入れた、780円送料310円、プラス、OS代。マザーボードの買い替えは無駄であったが、パフォーマンスは十分だろう
 
 昼過ぎにJA6MQY局御入来。

 晩飯は太郎と二人。メンチカツとポタージュスープ、レタス、トマト。デザートに杏仁フルーツ。 


平成26年11月14日(金)

 くもり。
   最低気温 3.4℃ (00:07)、最高気温 8.1℃ (15:39)

 阿蘇中岳、今日も噴煙が大きかった、暗くなってから火口淵から火口を覗くのではなくて、火口を下から見上げる気象庁のカメラからでも火炎現象が見られるので、相当活発な状態なのだろう。(写真1写真2写真3


 「阿蘇くじゅう国立公園指定80周年記念写真展」をやっているというので阿蘇市体育館に出かけてみた、しかし、やっているようには見えない、何かの展示会のための物品の搬入作業が忙しくやられているだけだった。会場を間違えたかなと帰ろうとしてロビーの隅の方でちらりとパネルが目に入ったので近づいてみると、どうもそれがこの写真展のようである。展示点数が少なくてパネルの間隔が狭くてどこの主催か知らないが、全くの期待外れの写真展だった。

 夕方近く、上村さんから庭先においてある薪を持って行っていいよと電話が入ったので取りに行ってきた、もう薪寸法に切ってあってあとはストーブに投げ込むだけになっていた。もう一〜二車分の量があるが晩飯の支度があるので後日と言うことにした。
 
 晩飯。鶏の照焼き丼、茶碗蒸し、ホウレンソウの味噌汁。


平成26年11月13日(木)

 今日の阿蘇地方の天気予報に、所によって雨か雪とあった、いよいよ「雪」という言葉が出始めた、そして「平地」には降らなかったが高岳に初冠雪があった。先年、小生は初冠雪だと思っていたものが霧氷だったこともあり、今日はどちらだろうと思っていたらラジオの昼のニュースで初冠雪だと言っていた。今日は雲が掛かって頂上付近があまり見えなかったが時々雲の切れ間から白い山肌が僅かだが見えていた。今日は気温は大したことなかったが北風が冷たくて寒かった。(写真1写真2写真3
   最低気温 4.6℃ ( 21:15 暫定、まだ下がっている)、最高気温 8.7℃ (00:55)

 上村さんから蔵原(くらばる)で木を切っているからという電話をもらう、タイミング良く、ちょうど軽トラックの車検があがったという連絡があったばかりだったのでさっそく軽トラックを引き取ってその足で薪材の積み込みに行く。とりあえず今日は三車分の木を引き取ってきた。大きなモチの木だとか、あと二車分はありそうである、後日にまわす。(写真1写真2写真3

 今週はずっとアゼリアが休みでやむなく家の風呂に入っているが、こどもたちが「夢の湯」に行きたいというので、じゃあ行くかと言うことになった。夢の湯は阿蘇駅前にある温泉施設である。ここには家族風呂があるので、今日はそこに入ろうかと言うことになって入浴料 1,100円也を払って三人で家族風呂に入った。アゼリアは単純泉で普通の湯と変わらないが、ここの湯は少しだが硫化水素の匂いがして温泉らしい。(写真1写真2

 晩飯。豚肉の味噌漬け、出汁巻き玉子、ワカメの酢のもの、昨日の汁の残り、リンゴ。



平成26年11月12日(水)

 曇り。
   最低気温 7.7℃ (06:03)、最高気温 13.0℃ (12:20)

 先日我が家のファックスの調子が悪くて送信できなかった。近年はもっぱらインターネット間でファイルや画像のやり取りをすることに慣れていて、ファックスで情報を送るという習慣が無くなっていたので、それではインターネットで相手方にファックスを送ろうと思って考えた、ハテそんなこと出来たか?手持ちのソフトには無いなあ、インターネットでそういうサービスを探した。これが結構ありそうで無い。あることはあるが、ほとんどが有料サービスである、メールでは送れない大容量のファイルを無料で転送してくれるサービスがあるくらいだから、こんな無料でやるサービスなんかいくらでもあるだろうと思ったが目算違いであった。よくよく考えてみると、インターネットとファックスが使う一般電話回線とは世界が違ったのだ。だからその両者を橋渡しするには簡単には行かないようである。
 
 昔、まだDOSの時代か、Windowsの初期の頃だろうか、通信回線は一般電話回線だった、だからインターネットでなくてパソコン通信で情報のやりとりをしていた。パソコンには普通にモデムをつないでいたが、今はインターネットの時代になってvoice「モデム」を使うことが無くなってその存在すら忘れられている。
 
 その時代には、パソコンでファックス通信をするために、モデムはごく普通に使っていたので、それにファックスソフトをインストールしてパソコンでファックスをしていた、StarFAXと言うソフトがあった。
 
 現在のWindowsにはこういったことでもないと知ることのないソフトが標準で入っている、「Windows FAXとスキャン」というアプリケーションである。だからファックス通信用のソフトウェアは改めてそろえる必要は無い。ということは、あとはモデムを用意してそれに一般電話回線からモジュラーケーブルを引っ張ってきて挿せばパソコンからファックスができることになる、ということで、モデムを探したところ、USB接続のファックスモデムが売っていて、送料無料の1,420円也だった。USBケーブルとモジュラージャックとが両端に付いる極めて小さくて軽いものである。これでファックスが出来るのかと半信半疑、寺さんに受信してもらったところ、ちゃんと送ることが出来た。受信もできるがまだ設定をしていない。最近は固定電話を置かずに携帯だけの家が結構あるようだが、携帯電話回線にファックスをつないでも基本的には出来ないのでファックス装置を使いたければ一般電話回線が必要になるということである、インターネット回線でIP電話というのがあるなあ、小生はIP電話は使っていないので分からないが、これにはいわゆるFAX装置は付けらるのだろうか、それは調べてみないと分からない
 
 太郎が専ら遊んでいる部屋が後かたずけが出来ずに足の踏み場もないほど散らかっていたが、お姉ちゃんの指導のもと、綺麗に片づけて、雑巾がけまでコーチされていた。尤もまたすぐに元にもどるのだろう。

 晩飯。野菜たっぷりに牛肉を入れた味噌仕立ての汁(サトイモ、ジャガイモ、ゴボウ、大根、ニンジン、ネギ、白菜、コンニャク、牛肉のバラ)。皆大好きなので沢山作ったらイモ煮会の鍋のようになった、20人前はあるだろうか、二三日朝昼晩だな。出汁巻き玉子、リンゴ、キウイ。


平成26年11月11日(火)

 曇り。
     最低気温 8.6℃ (01:37)、最高気温 16.8℃ (15:04)

 朝一番で石田オートに軽トラックを車検に出した。代車は軽トラでなくて軽乗用車にしてもらった。最近の軽自動の進化ぶりには驚く、シートもフカフカ、ハンドルのグリップも太くて昔の軽のような貧弱さは全く無い、ロードノイズも非常にソフトである、ウインカーの音も非常に優しくて運転席にいる限りとても軽自動車とは思えない乗り心地である、今、軽自動車が売れるわけである。

 連チャンで映画を観に行く。アーノルド・シュワルツェネッガーの「サボタージュ」、ハリウッド映画は本当に面白い。金を払って深刻な映画や悲しい映画は御免である、映画は楽しくなくちゃあである。
 
 映画館がある「ゆめタウン光の森」に一時間ほど早く着いて、さて、どうして時間をつぶそうか。まあ普通ウインドウショッピングをするだろう、小生もウインドウショッピングをした、ただし、衣料関係、とは言わずにファッション関係か、小生は全く興味なし。小生が向かった先は、一階にあるスーパー、食品部門のウインドウショッピングである、何と言っても主夫である。さすが人口の多い街にあるスーパーである、阿蘇のスーパーの10倍以上は優にあるだろう、食材の種類の多さにただ驚くばかり、こんなに沢山の種類があれば料理も楽しいだろう、それに、今の大きなスーパーの総菜売り場、いわゆるデパ地下のように洒落た総菜が山ほど並んでいる、一人用のパッケージもある、昔と違って一人暮らしでも単調な食事をしなくて済む時代になっている。じっくりと時間をかけて見てまわって、帰りに買うものもチェックしておいた。
 
 晩飯。メンチカツを揚げた。光の森で下ごしらえをしたやつを買ってきた。キャベツの千切りサラダ、グラタン、ワカメの酢の物、キウイ、リンゴ。メンチカツは美味かった。
 
 昨日からアゼリアは設備点検とやらで来週月曜日までプールも温泉も全館休業である。市営の温泉は他に二か所あるのだから、年会員は他の二施設で振替入浴をさせてくれたらいいのにさせてくれない、仕方が無いので家で入っている。


平成26年11月10日(月)

 曇り。
     最低気温 10.8℃ (05:25)、最高気温 17.1℃ (13:50)
 7日以降、気象観測装置がエラーで止まっていたのに気がつかずに、最低気温、最高気温をずっと7日のデータを記載していたようだ、ログを調べて訂正をしなければ。

 朝のルーチンワークを済ませて、久しぶりに光の森に映画を見にゆく、是非モノがあったわけではないが観てもいいなという作品が二三あった。今日観た映画はデンゼル・ワシントンの「イコライザー」、期待以上に非常に面白かった。あともう一二本観ようかなと言う作品が今掛かっている。
 
 晩飯。ロール・キャベツ。今日は先日の太郎に引き続いて夏子が学校でイモ掘りをしてきたので、大学芋を作ってやる(イモ畑は小学校と保育園は隣り合ってある)。それから柿を沢山。この柿は我が家のではない、ご近所さんから頂戴した。お持ちいただいて我がにも柿の実が沢山生っているのを見て、持ってきたことを恐縮されていたが、我が家の柿は小さくてしかももぐのが面倒でほとんど食べないので、もぐ手間が省けて我が家の柿より形が良いので喜んで頂戴した。子どもたちも次から次に食べていた


平成26年11月9日(日)

 時々雨の一日、思い出したように細かな雨が降っていた。豆札秋景(写真1写真2
     最低気温 5.3℃ (04:38)、最高気温 18.1℃ (13:06)

 今日も母娘は熊本行き。太郎と二人で留守番
 
 ここ豆札が本山になる日本山妙法寺で開祖日達聖人の第30回追孝報恩会が厳修された(写真1写真2)。太郎を連れてご挨拶にだけ伺う。
 
 昼は何を食べようか?・・・お蕎麦!・・・じゃあ温かいお蕎麦でも食べようか?・・・冷たいお蕎麦!・・・ということで久しぶりに「阿蘇の風」で二枚盛りひとつ取って二人で食べる
 
 普通「手打ち」を売りにする蕎麦屋は、蕎麦打ち職人気質の蕎麦一筋の店が多いが、「阿蘇の風」はそういったことには拘らずに懐深くいろいろな蕎麦に挑戦して驚くほど多くのメニューを考えだしていて、それがまた大勢のファンを掴みつつあるようである。今日もお土産に「蕎麦の餃子」を頂戴してきた。 
 
 PC組立ての続き。もうやることは無いかなとチェックしたらAudioデバイスが生きてない、スピーカーをつないでも当然音は出ない。ドライバーが必要なんだなと手元にあったドライバーを入れたところ、ブルースクリーンになる。ネット検索で新しいドライバーを見つけて入れる、そして確かにAudio機能は生きていることがわかった、しかし音が出ない。マザーボードをチェックしたところ、前の使用者の環境下でAudioのコネクターのジャンパーピンが外してあったので音が出ないことが分かって、ジャンパーピンを差してようやく音が出るようになった。
 
 今晩も晩飯は外か?と思ったが、太郎、以前買ってあったレトルトの「妖怪ウォッチ・カレー」を食べたいという、そうしようかということで今晩は簡単に済ます、小生も適当に有り合わせのモノを食べて済ます。今やなんでも「妖怪ウォッチ」である、色々な妖怪キャラクターが登場するようだが、小生は「ウォッチ」とはなんなのか基本的なことは分かっていない。
 
 太郎もだんだん動きが活発になってきていて、その分、アブナイ場面が結構ある。先日も保育園でシーソーだかに激突して歯が痛い痛いと言っていたのでもしかしたら抜けるかなと心配していたら、どうやら痛みが引いたようだ。今日も、ソファーの上から足を踏み外して床に顔から落ちてワンワン泣いていたが、ちょうど落ち具合を見ていて、ああこういう打ち具合なら大したことなかろうと、それ見ろ自業自得だぞ、と写真を撮ってやった、後から見ると目の下が少し変色していた。(写真1写真2


平成26年11月8日(土) 

 曇り。日が暮れてから細かな雨が思い出したように降っている。
     最低気温 5.3℃ (04:38)、最高気温 18.1℃ (13:06)

 PCの組立ての続き。貰ったPCの光学ドライブはCD-ROMドライブだったので、どうせならDVDも使えるドライブにしようと思って屋根裏を捜したところ、以前取り外したドライブが見つかった、でも、どうして完動品が転がっているのかなあと記憶をたどると、確かどこかに不具合があったので交換したのだったと思いだした。でも試しに取り付けてみたところ問題なく動く。そういう条件下でWindows7のインストールを開始した。ところが、最初のうちに動いていたドライブも突然トレーの開閉が出来なくなって、やむなく元のCD-ROMドライブに戻す。
 
 戻したところで、Windows7のインストールを開始する、ところがインストール出来ない!メディアを認識しない!あれ、このドライブも壊れたか?とWindows XPのインストールCDを入れたところ、これは問題無く起動する。うーん、このPCではWindows7はインストールできないのかと思って、しみじみメディアを眺めたところ、Windows XPのインストールメディアはCDでWindows 7のインストールメディアはDVDだったのだ、これではCD-ROMドライブで起動できない訳である。ということでUSB接続のDVDドライブを持ってきてインストールをしたら、全く問題なくインストールできた(写真1写真2写真3)。エクスペリエンス・インデックスを見るとやはりCPUが一番非力のようで、3.8だった。それでも3以上あれば実用に支障は無いという。今回インストールしたOSは他のPCで使っているやつだから認証を受けることが出来ないので、買うことにしよう。アクチ回避の方法もあるようだが、非常に誘惑に駆られるが、違法性云々もさることながら、非常に危険だという記事もある、悩ましいところである。
 
 今日も昼から母娘は熊本に出かけて行ったので太郎と二人で留守番、ということはいつものコース、風呂に行ってその帰りにいつものファミレス、ジョイフルで晩飯。あいつはたまには他のものを食べれば良いのにいつもカレーライスのキッズプレート、太郎はまたここで貰うオマケも楽しみにしている。小生は最近ステーキを食べる、以前はトンカツ定食ばっかりだったが、ここのトンカツは美味くない。試しにステーキを食べたところ、費用対効果、意外と食べられるので専らステーキになった、そのせいもあって、最近は腹周りが大きくなっている。この町はレストランが少なくて、いつも必ず二三組の知り合いに会う。今日も上町のI田さんのご一家、桜町のT本さんご一家にお会いする、そのほか、太郎が一人のご婦人と親しそうに手を振りあっている。小生が笑いながら「もしかしたらお風呂友達ですか?」とお訊ねすると、「そうです、いつも太郎ちゃんとお風呂で一緒です」とのことであった、勿論小生はどこのどなたかは存知あげない、こどもたちは風呂を通じて小生の知らない沢山のお付き合いがあるようである。


平成26年11月7日(金)立冬

 曇りだったか?晴れだったか?今日のこと、もう忘れている。屋外で気温を感じるような活動をしなかったので覚えていないなあ、確か晴れだったような・・・・
    最低気温 5.3℃ (04:38)、最高気温 18.1℃ (13:06)

 一昨日は「後の十三夜」だった、ということは今夜は「後の十五夜」だ。十五夜は毎月巡ってくるが十五夜にも格があって、今夜は、閏月の、ではあるが、普通の十五夜である。特別の十五夜というのは8月15日、仲秋の十五夜を言う。仲秋とは中秋である。中秋とは秋の真ん中である。秋は、1月から3月を春、4月から6月を夏、7月から9月までを秋(10月から112月を冬)と区切った場合、8月が秋の真ん中になり、15日が真ん中の真ん中だから仲秋の名月というのである、いや、だそうである。

 朝のルーチンワークを済ませて、そそくさと例のPCの組み立てをやって見る。最初はケースに入れないでバラックで起動できるかどうかチェックしたところ、入っていないと思ったXPがちゃんと起動した。ただ認証を求められたがオンラインでは受け付けられなかった、まあ、これを入れるつもりは無いので、さっそくケースに組み込んで、今度はWindows7のprofessionalの64bit版は入れようとしたが、これは駄目だった。Pen4では受け付けないことは前回経験済みだったので、想定の範囲内であった。もしかしたらというスケベ心でやってみただけで、駄目元である。じゃあ32bit版でやってみようというところで時間切れ、夕方のルーチンワークのために本日はこれまでである。
 
 晩飯。天ぷら(エビ、ジャガイモ、ナス、タマネギ)、ワカメの酢の物、豆腐と油揚げの味噌汁。リンゴ、それからアンコールにお応えして大学芋を作ってやった。



平成26年11月6日(木) 

 曇り。最低気温も緩む。今日も朝から噴煙が活発に上がっていた
    最低気温 6.8℃ (03:15)、最高気温 18.1℃ (12:36)

 裏の畑に植えてあったサトイモを掘った、同じく裏に植えたサツマイモは全部イノシシにやられたが、イノシシのやつはサトイモは食べないようだ。今年はカボスが黄色くなるのが早いようだ。カボスは普通青いやつを使うが、熟れてくると若干酸味が弱くなるのだろうか、その分まろやかさが出てくると思うが、生り過ぎて使いきれないのでサトイモと一緒に親せき筋に送った。

 昨日は「後の十三夜」だった。ここは阿蘇カルデラの東端にあるので、月は外輪に接するように顔を出す、完全に顔を出す前に山頂に植わっている杉林の木々の間を通して月が見えてなかなか趣がある。ちょうど子どもたちと風呂に行った帰りに見た。 十五夜が旧暦の8月15日(仲秋)、じゃあ、十三夜は美しい十五夜の続きで翌々日?そうじゃない、十五夜の翌日は十六夜(いざよい)、十七夜(立待月)、(居待月)、(寝待月)と続くので、じゃあ、十三夜は?十五夜の前々日?確かにその日も十三夜には違いないが、このいつにもまして美しいとされる十三夜はナント約一月後の9月13日の夜の月なのだそうだ。そんな先の月が十三夜といってまた特に美しいとは昔の人、まあ、宮廷なのだろうがなんとも風雅だったと言うのだろうな。つまり、8月15日の約1月後の9月13日が十三夜になるわけで、更に今年はなんでも171年ぶり(※)だとかでその9月が閏月と言って続いてもう一回あるのだそうで、昨夜がその旧の閏9月13日にあたり、この二度目の十三夜を「後の十三夜」と言うのだそうだ。調べてみると十四夜と言う言葉もあるようだが、知らなかったが、十五夜は満月とばかり思っていたところ、月の満ち欠けは人が作った尺度とピッタリではないので満月でない方が多いそうである。今日一日曇り空だったが、月が出る頃には雲も無くなって十四夜の月(狭義には十四夜というのは旧暦8月14日をさすようだが、ややこしや)が青白く煌々と阿蘇谷を照らしていた。

 ※旧暦では月の満ち欠けの周期を1ケ月としており、1ケ月は約29.5306日、12ケ月は354日(または355日)と、太陽暦より11日短い。両者の差を調整するため、旧歴では「うるう月」を設けていて3年に一度1年が13ケ月になる、その増えた1ケ月が9月になるのが171年ぶりだそうで、どうしてそうなるのかまでは知らない。

 先日オシャカにしたマザーボード、どうもすっきりしないので、ネットオークションで、同等品の安いマザーボードを落とした。最初800円で出品されていて、誰も落とさないだろうと思っていたら兄はからんや、終了間際に突然競争相手が現れて一騎打ちになって、最終的に小生が2,700円で落とした、相手方はこれ以上の値を付ける価値は無いと判断したのだろう、事実、壊した方のマザーボードに付いていたCPUを転用できるから小生もちょっと張り合ったのだ(本当はメモリを燃やしたのでその分もあるが)。

 それが今日届いた。壊した方のマザーボードはASUS P4C800-Eで、今回落としたやつは、GIGABYTE GA-8IPE1000 Pro2、こちらの方がちょっと良いかもしれないな。さっそく開いて、前のCPUを取り付けようと思ったが、入らない、一瞬、焦った、確か、両方ともソケット478のはずだったと思ったのに、だから、このマザーボードを落としたのに。結局ほんのちょっと引っ掛かっていただけで、落ち着いて入れたらちゃんと入った、いやあ、焦った。時間を見て組み立て開始である。

 晩飯。メンチカツ、ポテトサラダ、ポタージュスープ、トマト。それから数日前に太郎が保育園の年中長組がキウイ園で採ってきて貰って帰ってきたキウイをリンゴと一緒にしておいたやつがちょうど食べごろになったのでデザートに出した。更に今日は太郎が保育園のイモ掘りで、サツマイモを沢山貰ってきたので、メンチカツを揚げるついでに大学芋を作ってやった。


平成26年11月5日(水) 

 晴れ。今朝も昨日と同じくらい冷え込んだ。ただ昨日と違うのは、今朝は放射冷却のみによる冷え込みで、上空からの冷たい空気の流れ込みは無かったとみえて、阿蘇谷より1,000mくらい標高の高い阿蘇山のほうが最低気温が高かった。そして少しだが霧が出た
    最低気温 1.5℃ (06:43)、最高気温 19.2℃ (15:07)

    阿蘇乙姫 -0.2℃ (06:29)
阿蘇山  2.8℃ (02:54)

 何もしなかったわけではないが、色々やっているうちにあっという間に一日が終わってしまった。先日壊したメモリーを取り寄せた。1GBが1Kである、昔に比べたら本当に安くなったものである。
 
 合併浄化槽の年一回の汲み取りに来た。下水道があるところから来たので、当初は浄化槽の知識が無かったが、こちらにきて仕組みがよくわかった。昔は浄化槽は便所の排泄物だけを処理していたが、現在は、家から出る水は風呂やキッチンの生活排水なども全部浄化の対象になる、だから「合併」という文字が付くのである。

 晩飯、昨日に引き続き、鍋。昨日のベースがたくさん残っていたので、今晩は鶏肉に代えて豚肉とカキを使った。カキはカミサンがアナフィラキシーを起こすので、別の鍋にスープをとって温めた。写真を見ると太郎が不貞腐れているが、小生が熱々の容器を差し出した時に太郎も何かで手を出して、容器の熱い汁が指に掛かったので、すぐに太郎を担いで水道の所に引きずって行って問答無用で指先に水をかけたが、痛いのと、突然にわけも分からずに水道の所に引きずって行かれたのとでワンワン泣いてようやく泣きやんだところの写真である。幸いに水ぶくれにはならなかったようだ。



平成26年11月4日(火)

 晴れ。朝、気温がグンと下がった、阿蘇乙姫のアメダスポイントでは今季初めて氷点下になった。今日の低温は、放射冷却だけでなく、上空からの寒気も、とラジオで言ってた。なるほど、だから、阿蘇山の気温も放射冷却だけの時と違って低かったのだ。我が家では氷点下にはならなかったが、車のフロントガラスがガリガリに凍りついていた、それなのに、ボンの飲み水や水たまりは全く凍っていなかった。
    風師庵最低気温 1.1℃ (04:19)、最高気温 15.9℃ (14:13)
      阿蘇乙姫 -0.5℃ (05:25)
      阿蘇山  -0.9℃ (04:57)
      南小国  -1.4℃ (06:03)

 昼前に、古閑医院に先日受けたピロリ菌の除菌検査の結果を訊きに行ってきた。検査結果は「陰性」だった。これで小生の胃の中にはピロリ菌は居なくなったわであるが、また感染することは無いのだろうか。

 昼から少し薪作りをした
 
 晩飯。水炊き。水炊きはもともと博多のコトバであるが、普通は鶏鍋と言うのだろう。鶏肉、つみれ、豆腐、白ネギ、エノキ、糸こんにゃく(九州ではシラタキと言わずに糸こんにゃくと言う)、ポン酢で食べる。リンゴ。


平成26年11月3日(月) 文化の日 

 晴れ。
    最低気温 7.2℃ (03:44)、最高気温 13.9℃ (14:25)

 今日は菊薫る文化の日だ、「文化の日」って何だか知っている人は果たしてどのくらいいるだろうか。かく申す小生は知らなかった、と言うより、忘れてしまったのだろう。調べてみたところ、憲法の公布を記念して設けられた祭日だそうだ、じゃあ5月3日の憲法記念日は?これは施行された日を記念して設けられた記念日だそうだ。片や「憲法」と謳っているから分かるが、公布を記念した文化の日はイメージ的につながらないので印象が薄いわけである、もともとこの日は「明治節」でもある、いや、であった、もっと古くは天長節と言った。

 国立阿蘇青少年交流の家で開催の創立50周年記念事業の一つ、「交流の家はみんなの広場(PDFファイル)」に太郎を連れて行ってきた。お姉ちゃんはピアノのレッスンだとかで留守番だった。会場にはDIさんご夫妻、太郎の保育園仲間ご一家などお馴染さんの顔も見えた。長野県からやってきたアルプホルンの音色を初めて聞いた。 

 帰りに仙酔峡に登ってみた。仙酔峡へと辿る道、仙酔峡から仰ぎ見る高岳そして中岳、根子岳、仙酔峡から遥か見渡す阿蘇谷と外輪と九重連山、どれもこれも素晴らしいではないか、どうしてこのロケーションを観光資源として使いきれないのか。今は火山規制中だが、中岳の斜面を一気に登りながら眼前に見る高岳の鷲ヶ峰、虎が峰の険しい山肌、そして眼下に広がる広大な景色・・・火口を覗くためだけのたった100mそこいらの高低差しかない阿蘇山ロープウェイでは決して感じることのできないこれぞ阿蘇という雄大さを肌で感じることが出来る「仙酔峡ロープウェイ」、どうしてやめてしまったのだ、仙酔峡に行く道にはアゼリアもあれば簡保の宿もある、そして青少年交流の家もあるではないか、畜協跡地が遊んでいるではないか、それに沿道のペンションやカフェ、レストランなどと一体となってどうして観光客を呼ぼうとしなかったのか、努力をしたか?していないだろう、実に勿体ない、当局の無策ぶりに改めて腹が立った。小堀牧から仙酔峡に続く道も手入れがあまり行われておらず荒れていた。それでも今日は仙酔峡の駐車場には登山客の車だろうか沢山の車が駐車していた。
 
 「交流の家はみんなの広場」と仙酔峡 連続写真 (1/2)
 「交流の家はみんなの広場」と仙酔峡 連続写真 (2/2) 

 太郎は今日新しい文化に接した。母親に買ってもらった初めてのレゴに夢中になっている、もっともまだ自分で全部組み立てる力は無いので周囲の力を借りている。レゴというブロック遊び、昔からあるのは知っていた、ただもっと立方体の大まかなブロックだろうと思っていたが、今日実物を見て驚いた、これはもう早い話がプラモデルと言っていいほど部品に細かく細工してある、昔からこうだったのだろうか、大きなブロックだと細部の表現が難しいからだんだんとプラモデル化してきているのだろうか、確かに、これだけ詳細な構造になってくると大人十分に楽しめそうだ、尤も小生にはプラモデル系の趣味は無いが。ご近所の太郎よりうんと大きなお兄ちゃんが以前レゴにはまっていて、クリスマスや誕生日にプレゼントは何?と訊くと、いつも「レゴ!」と言っていたのを思い出す、相当のバリエーションがありそうである。やれトーマスだ、やれレゴだと親は大変である。

 日が落ちて一片の雲も無い澄み渡った空を見上げると明日は冷え込みそうだなあという気がして、天気予報を見ると予想最低気温は2℃となっている。阿蘇中岳、ここ二三日噴煙が少なかったが今日はまた盛大に噴煙を上げていた


平成26年11月2日(日)

 弱い雨が終日降ったりやんだりだった(ような気がする)
   最低気温 12.7℃ (17:51夜になって下がってきている、暫定値)、最高気温 17.6℃ (01:18)

 太郎はヒマがあると、「トミカー見せて」とやってきて小生の机の脇の予備のPCでyoutubeのトミカの動画を見ている(いつもこんなに悪い姿勢で見ているわけではないが)。
 
 今日も昼前、我が家の女ども、いや男が一人いたか、三人が熊本に出かけてので小生はのんびり自分の時間を過ごせた。
 
 今日は陽が射さなかったこともあって家で一人で座っていると少しうそ寒い、とうとうストーブを焚いてしまった。
 
 さてなにをやろうかということになって、雨で外作業が出来ないので、例のPCにWindows7を入れてみようかということになった。ところがBIOSが時々立ちあがらなかったりなど、どうもどこかが悪いようでうまくない。最初にWindows7の64bitを入れようとするが、CDドライブがウンともスンとも反応しない、駄目なら駄目で確かメッセージが出たと思うが、全くドライブのアクセスランプも点灯しない(もちろんブートドライブに設定はした)。じゃあ、32bit版ではどうだろうとCDを入れ替えても同じである。光学ドライブが壊れているのかと思ったが、じゃあXPでやってみようとしたら、これからは起動する、しかし、途中で止まる、それを何度か繰り返して、ようやくPCがセットアップ用のファイルをcopyし終わった途端に、ブルースクリーンになる。最低限の構成でやっても駄目である。メモリだろうかと、別のPCから持ってきて差し替えてみたところ、メモリからモクモクと煙が出てきた。あわててスイッチを切ってみると、ソケットメモリが黒く焦げている、部屋の中に基板が焦げるクサイ臭いが充満した。間違ったメモリを入れたわけではない、メモリソケットに何か金属片でも紛れ込んでショートでもしたのか。ということで、あっという間にマザーボードの一巻の終わりになった、メモリも一本オシャカにしてしまった。

 結局午後から半日かけて、やっているあいだは楽しかったが、徒労に終わってしまった、せっかく頂戴したPCも無駄にしてしまった。今回のプロセッサーはPen4、シングルコアなので、強いて言えば惜しくは無いがどうも充足感が無い、いっちょう、マルチコアで新しく一台組んでみようかという気もしてきたが、とりあえず、壊れたマザーボードは取り外して、その他の部品類も取り外して、ケースだけにしておいた。またそのうちに機会があるだろう。
 
 小生も老後の生業(なりわい)はこういったPCの環境設定や簡単なメンテ業なので、常にスキル維持、アップを図らなけれならないのだが、いつも古い機械ばっかりいじっていて新しいPC環境についてあまり知らない、こういう機会を利用して新しいPC環境の勉強も必要だろう。米を作ること、品物を売ることを皆さんそれぞれ生業にしているのと同じように自分ではこれが生業のつもりだが、いつもボランティアになってしまっている。
 
 ところがボランティアにしても、最近、こういったメンテ仕事が減っている。これは最近PCが売れなくなっているそうだが、これと深く関連していて、多くの人が最近ではパソコンを使わずにスマホやタブレットを使っているからで、ということは、ほとんどの人がインターネットやSNSを利用するためにICT機器を使うということなのだろう。スマホやタブレットはパソコンのようにエラーが起きにくい、本来パソコンもそうあるべきなのだが。


平成26年11月1日(土)

 曇りのち、時々弱い雨が降っていた。
   最低気温 14.2℃ (03:15)、最高気温 18.9℃ (13:29)

 台風20号が発生した模様、なんでも台風の発生が約1ヶ月もの間途切れるのは14年ぶりのことだそうである、これはもう絶対にこちらには来ない、それに、日本近海の海水温がもう高くないので大きな台風にはならないだろう(と思う)。

 太郎、今日母親に連れられて古閑医院でインフルエンザのワクチンの第一回目を受けてきたそうだ、泣かなかったそうである。

 小生のホームページ、「風の便り」は大部分は自宅サーバーで運用しているが、入り口となるトップページ部分や、公共性がある(と思っている)ライブカメラ、気象観測は、雷などで頻繁に休止しないで済むように、大手のプロバイダーのサーバーに負っている。その大手のプロバイダーである「OCN」がそのホームページサービスを来年の2月いっぱいでやめるから他へ移れと言ってきた。この会社はNTTグループの会社である、バカヤローである、中小の会社が経営的にやめるというのは分かるが、天下のNTTだろう、社会的な責任と言うものがあるだろう、URLを変更すると言うことがどれだけ大変なのか分かっているだろう、再度バカヤローである。



このページ先頭へ  風師庵日記目次へ