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平成28丙申(2016)年 3月の記録(新しい日付けの順)


平成28年 3月31日(木)

 今日はとうとう雨になった、そんなに強い降りではない。全国的にそうだそうだが、一旦開いた桜、気温があまり高くならないために開花の速度が遅いようだ、その分長く花を楽しめる。
      最低気温 6.3℃ (06:17)、最高気温 13.6℃ (11:25)

 横浜の清子叔母がこの1月に亡くなっていた、連絡の行き違いで今日知った。従妹に電話してみた、享年93、全く苦しむこともなく安らかに逝ったそうだ、叔母は母の妹に当たる。これで母の兄弟姉妹は全て他界したことになる、次は小生たちの世代の番だな。

 今日はいよいよ年度末である。「年度末」という言葉が体に何かしらの反応を呼び起こすことは絶えてもう久しい。そして3月は別れの季節でもある、娘の中学校では数日前にもう済んでいるが、今日保育園では午後5時から先生がたの退任式があった。なかでも園長先生は40年だったかな、長い「サラリーマン生活」を無事勤めあげての定年退職である、お聞きしたところ、その昔、坂梨保育園の園児として過ごして、その後、はるか幾星霜を経て、同じ保育園を園長として全うする、保護者会長も園長が保母さん時代にお世話になったそうだ、これはもうドラマである。我が家のこどもたちもお世話になりました、まだお若いのでこれからまた第二の活躍の場を探されるのかもしれないが、とまれ無事のゴールインお疲れ様でした。それから退職がもう御一方、そして転任が御三方である。太郎がお世話になりました、これからのご活躍をお祈りします、有難うございました。
 坂梨保育園退任式 連続写真(1/4)
 坂梨保育園退任式 連続写真(2/4)
 坂梨保育園退任式 連続写真(3/4)
 坂梨保育園退任式 連続写真(4/4)

 東京の学生時代からの友人、武藤肇が小生の日記を読んで、オイ、俺にもチャンポンの作り方教えろ、と言ってきたので、麺もスープの素もスーパーにい行けばあるから基本はそれを使う、と書いてやったら、返事が来て、近所のスーパーに行ったけどチャンポン麺もチャンポンのスープの素も売っていなかったと言う。そんなことないだろうと思って、ネットで調べたら、確かに、東京の九州出身者がチャンポンの材料は売っていないが手に入れる方法は無いだろうということを書いていた。絶対に売っていないかと言うと、別の書き込みでは売っているともあった、と言うことはどこにでも売っているものではないようである。チャンポンなどを食わせるリンガーハットは長崎が発祥の地のようだが、これは東京にも店はあるだろう、要は、家庭で作るためのチャンポンの材料はあまり一般的では無いということなのだろう。狭い日本ながらちょっと離れるだけで食文化とはこうも違うということなのだろう。そう言えば、インスタントラーメンでも醤油ラーメンの陳列はこの地では肩身が狭いようである。

 熊本にある国内売上トップクラスの健康食品の会社が不当表示で再発防止を求める措置命令を受けたそうである。小生もこの名前はよく知っている。しかし小生にとっては痛くも痒くもないことである、こんなものは一切飲まないからである。小生に言わせれば「こんなもの」なのだ、なんとかが何十倍入っているなどということに惑わされないからである。いくら大量に入っていても人間の体が必要とする量は決まっていてそれ以上多量に飲んでも、必要量以上のものは排泄されるばかりか場合によっては害にさえなるのだ、それを何を勘違いしているのか、なん十倍も効くと思ってせっせと飲んでいる、特にこういったものは年寄り相手の商売だから、小生に言わせたらこんなもの詐欺だと思っている。イワシの頭も信心から、プラシボ効果、病は気からの逆、効く人には効くのだろう、まあ、お金が余って使いみちが無くてこういったものにお金を使って喜んでいるのだろうからお好きにどうぞということである。
 「詐欺罪」・・・人を欺いて財物を交付させたり、財産上不法の利益を得たりする。日々、これでもかこれでもかと毎日流されている健康食品のCM、もう立派な詐欺罪だと思うが、ギリギリでセーフなんだろう。こういった信仰に誓い過度の食物に対する熱狂的な依存をフードファディズム (food faddism)と言う。人間、偏らずになんでも食べているのが体に一番いいのだ、そうやって太古の昔から生き延びてきたのが人類なのだ。

 昼飯、親子丼
 晩飯、ハヤシライス


平成28年 3月30日(水)

 温かい朝を迎えたが日中の天気は予報に反してあまり良くなかった。カミさんの父がいつだったかやってきた時に空いているプランターにいろいろと花の苗を植えていってくれたが、その後世話もしないで放っておいたのに美しく花をつけてくれている、今、桜も咲いてようやく百花繚乱の季節を迎えている。
   最低気温 8.6℃ (00:13)、最高気温 14.9℃ (11:11)

 太郎が新年度を待たずにジュニアシートを今朝卒業した、まだ少し背丈が足りないような気もするが、まあいいだろう。

 昨日スルーしたジャガイモ植え、昼前になってようやく重い腰を上げて作業を開始した。開始早々、パラパラと雨が落ちてきたので、これ幸いとばかりに、雨が降ってきたので止めた、となると、これは沽券にかかわると思ったので、雨が降っても一列だけはやってしまおうと、続けたところ、幸いに雨はすぐに上がって、ちょうど、お昼の時報が鳴るころに一列植え終わった。
 
 最初に適当に立てた畝に種芋を並べていくとちょうど35個乗ったので、畝の長さはこの長さに決めて、残りの芋を数えたところ、35×2と余りが1になったので、三列植えて最後の畝だけ36個植えることにした。ここに植えたイモは男爵である。種芋の量は5キロ、とても手頃な大きさの種芋で割る必要もなく数としてちょうどいい数である。これが大きい種芋だと、重量で種芋を買うので、作付株数を増やすには2つや3つに割らなければならない。種芋の大きさは、これから生るイモの大きさとは関係がないそうである。イモの実の部分は種(しゅ)を保存するためにあるのであって、植えたあと芽が出て、その後は地中の肥料などから養分を摂って成長するのだろう。
 
 一列目が終わった時にお昼の時報が鳴ったので、娘が部活から帰ってくるまでまだ時間があるから、もう一畝やっつけてから昼飯の準備をしようと作業を始めたところ、また、雨がパラパラ、この雨もすぐに止んでくれて娘が帰ってくるまでに二列目が終わった、時間を測ったところ、二列目の時は40分で終わった。最初の一列目の時は、いろいろ段取りがあり、あの農具が無い、マルチを買い忘れたなどと無駄な時間があったからもっと掛かったろう。
 
 昼飯を挟んで、最後の三列目を植え終わって、今日の作業を終えた。つらつら考えるに、「農作業」とは「スクワット」と見つけたり。農作業とはしゃがんだり立ったりの繰り返し、種芋を植える場合は種芋の数だけ立ったり座ったりしなければならない、田植えも稲刈りも雑草抜きも基本はすべてスクワットである、農作業須らくスクワットである、この大変さを減らすために農業機械は作られたのだということが分かった。

 昼飯はカツ丼を作った。
 
 まだ、メイクインの作付が残っているが、今日はやめた。時間が足りないこともあるが、メイクインも5キロだが種芋が大きくて、数えたところ42個しかない、これだと分割しなければならないが、なんだかまだ芽があまり出ていない。明るいところに置いておいてもう少し芽が出てから分割して植えよと思う。今日植えた男爵は北海道のイモでメイクインのほうは鳥取県のイモである。メイクインの種芋、まだあまり芽が出ていないということは冷暗所にでも保管してあったのだろうか。
 
 晩飯。とろろ飯。小生が食べたかったのだが、太郎も美味い美味いと言って食べていた、お姉ちゃんは鼻がつまっているせいか、味があまり分からないと言っていたが、絶対にうまいのだ。大和芋をちゃんとスリバチで擂って、本格的に味噌ベースの出汁を入れて、玉子も溶いて入れたので美味いに決っている。

 じっちゃいのところに分蜂のハチの一軍やってきたようだ、他人事ながらワクワクする。

平成28年 3月29日(火)

 今朝も霜が降りていた、曇り。風がちょっとあった。
    最低気温 0.0℃ (05:19)、最高気温 14.2℃ (11:47)

 ようやく我が家のソメイヨシノが開花した。確か豆札村にソメイヨシノは昔宿場会で植樹してもらったこの木しか無いと思う、ほかは全部山桜だろう。

 今日はジャガイモの畝を立てる予定でいたが今ひとつその気になれず、今日も廃材を燃やして過ごした。

 アマチュア無線の固定局の開局申請、朝一番で申請前のチェックをしてもらうべく送信たところ、ほとんど瞬時で折り返して来て、問題無しということだったので、続けて、正式に申請のための送信をした。これもまた、夕方には正式に受付が済んだので、申請料を振り込むようにという連絡が届き、ネットバンキングで納付を済ませた、あっという間に全ての手続きが終わった、これが郵送申請だとこうはいかない、まさにインターネットの威力である、お上の所管する申請業務なのでマイナンバーが要るかと思ったが必要なかった。あとは免許状の交付を待つだけである。あえて郵送でなく、窓口交付を選択した、このような時でもないとなかなか山を降りる機会が無いからである。ついでに昨日した電子申請のパスワード再発行の依頼のキャンセルも九州総合通信局あてに電話をして済ませておいた。

 昼飯、焼きそば
 
 晩飯。煮込みハンバーグ、豆腐とニラの味噌汁。



平成28年 3月28日(月)

 今朝も真っ白になるほど霜が降りていた。日中は少し雲があった、風もあって数字ほどには暖かく感じなかった。宿場通りの桜が開花したということだったので、我が家の桜はどうかなと思って見たところ、ここは宿場通りより僅かながら気温が低いとみえて、午前の段階ではあともう一息というところだったので午後には開花するかなと思っていたら、気温があまり上がらずに豆札のソメイヨシノ標準木(と小生が勝手に言っているだけだが)の開花は無かった、明日だろう。
       最低気温 -2.4℃ (06:42)、最高気温 13.2℃ (15:15)

 トマトハウスの解体をした(写真1写真2写真3)。連作障害を避けるために少し場所を移してまた建てなおさなければならない。解体後、トラクターで鋤いて、全くトマトハウスの痕跡は無くなった。

 ようやくジャガイモの種芋が二種類揃った、どれどれ明日から畝立てでもしようかなあ。
 
 昨夜は暗くてよくわからなかったコーモリ。本当に見るから不思議な動物である。(昨夜、明るくなってから見ようと思って紙の箱に入れておいたところ、朝になって箱が転がってコーモリも外に投げ出されていて、かなり傷んでいた、猫のやつだろうか)

 無線局の新規開局手続きを「電子申請Lite」でしようと思って始めたが、随分長い間アクセスしていないためにパスワードが失効していて、再設定しろと出たので、新しいパスワードを設定しようとしたが不親切な画面でどうもよくわからない、そのうちに、なんだか、新規登録のような画面になって、必要事項を打ち込んだところ、新しいパスワードは一週間ほどしてから郵送する、と。ちっとも「Lite」じゃ無えじゃねーか。
 
 夜になって、再度パスワードの変更にトライしたところスムースに行ったので申請書の作成は終わって、送信準備はできた、明日にでも送信しようと思っている、それから、パスワードの再発行の申請をしたあとなので、明日にでも取り消しの電話をする必要がある。

 春休みなので娘の昼飯の心配までしなければならない、今日はチャンポンを作った。チャンポンなら失敗がないので、娘に「おい、教えてやるから今度はお前が作れ」と言ったら、そうね、と言っていた。

 晩飯。メンチカツ、コーンポタージュスープ、ポテトサラダ、いちごミルク


平成28年 3月27日(日)

 朝のうちは晴れていたが、その後、曇り。風があり、気温も若干低め、時々細かな雨もあった。
  最低気温 0.3℃ (06:09)、最高気温 9.4℃ (15:17)

 昨夜は、寝る段になっても焚き火が消えず、ずっとライブカメラに赤く映っていたので、もし突風が吹くとマズイなと思いながらも、ここでは飛び火して火がつくものも無いから、このまま寝てしまおうと思って放っておいたが、結果的にヒョウや雷などは無かったようで静かな夜だったようだ。

 朝起きて山を見ると雲がかかっている。と思ってよく見ると空は晴れていて雲がかかる状況にはない。噴煙だ、まるで雲がかかったように横方向に大量の噴煙が流れている、風がなければ相当量の噴煙が上がっているはずだ。(写真

 娘は本日も部活で(休日はほとんど部活である)、尚且つ、午後から県劇で行われるある演奏会のご招待で一中の吹奏楽部が出演するとかで、カミさんと太郎も一緒に出かけていったので、小生は今日も、残材の焼却を一日中やっていた。昨日までと違って少し降ったのか木材が湿っていて、その上、時々細かな雨が降ってきたので燃えが悪くて、離れたところに伐採して積んであった孟宗を運んできてそれと一緒に燃やした。そして、今日は火が恋しくなるような気温だったので火のそばに座ってコーヒーなど飲みながらハーモニカなんぞ吹いて一人のんびりと過ごした。そうか、こんど、ここにHFの無線機を持って来ようか。
 
 先日、堆肥運搬のために降ろしたクレーンを今日また取り付けた

 午前中、太郎をつれて県知事選の投票に行ってきた。そう言えば三候補とも、とうとうここには一度もやって来なかったなあ、候補者の一人は過疎対策を目玉公約にしていたと思ったが・・・・まあ、結果は分かっているので、どうでもいいや。

任期満了に伴う熊本県知事選挙は、無所属で現職の蒲島郁夫氏(69)が3度目の当選を確実とした。【熊日速報メール】 (2016/03/27 20:00:05)・・・確か20時開票だろう?5秒で「確実」か?それだけ最初から勝負は決まっていたということだろう、前熊本市長の幸山さんは、国政にでるつもりで名前を売るための出馬だったのだろうと小生は思っている。
 
 娘が玄関の上にコーモリが止まっとる、と言う。よく見ると、確かに玄関のドアの真上にぶら下がっている。写真を撮ろうとしたが、カメラはあいにく家の中、逃げてもしかたがないかなと思いながら、そっとドアを開けてカメラをとりに入ったが飛び立たない。コーモリは警戒心が強から至近距離に近づいて逃げないのはどうしてだろうと思いながらカメラを取って今度は用心してベランダ側から外に出て、写真を撮った。音も光も波だがストロボの光にはコーモリのレーダーは反応するのだろうかと思ったが、それでも動かない。写真を撮り終わって、娘に、家に入るぞというとコワイから入れないという、それじゃあ、追っ払ってやろうと近づいても逃げない、おかしいなあ、とおもって棒で突いたところ、直線的に落ちて動かない。死んでいたのだ、ぶら下がったまま死んでいたのだ。枯れ葉のようにカサカサになって死んでいた、恐らく寒さにやられたのだろう、いつからぶら下がっていたのだろう。それにしても、小生はここに来て以来、コーモリを見るのは初めてである、夕暮れ時の空を見ても飛んでいるのを見たことがなかった。阿蘇にはコーモリはいないのかとさえ思っていた。なんだか嬉しくなってしまった。それにしても娘はちょっとした異変にもすぐ気がつく、家の壁をムカデや蜘蛛がはっていてもすぐに気がつく、要は「怖がり」で、しょっちゅう注意の目を張り巡らせているからだろう、小生なんかムカデや蜘蛛なんか全く気がつかないのに。

 夜は一人で飯を食う。鯨の刺身、ホタテのネギ塩炒め、ワカメの酢の物、豆腐とワカメの味噌汁。小生は一人の時でも、外食は性にに合わないのに加えて、ここにはあまり食べるところがないので自分で作るようにしている。
 
 オイ!グリーンピース、シーシェパードそれから、欧米、それにオーストラリア、日本の食文化にケチをつけるな、それは文化侵略だぞ。日本は昔からクジラを大切に骨まで余すところ無く大事に使って最後は供養したり祀ったりしてきたのだ、アメリカが燃料用の油を取るためにただ大虐殺して捨てた歴史とは違った文化でクジラとは付き合ってきたのだ。それを言うなら牛を殺すな、カンガルーを殺すな。

 今日は外で食べてくると言っていたのに連中、食べないで帰ってきた、でも、それは小生は知ったことではない、連中、なにか作って食べていたようだ。


平成28年 3月26日(土)

 今日も穏やかで暖かい一日だった、これで、今晩、ヒョウや落雷、突風の注意が出ているのが信じられない程だ、強いてみれば夕方近く北の空に厚い雲がそれもなんとなく積乱雲っぽい雲が出ていたが、日が落ちてからも雨の気配も無い。
   最低気温 -1.4℃ (06:04)、最高気温 13.3℃ (14:03)

 今日は太郎の保育園の進級の面談があり母親が太郎を連れて出掛けて行った、見ていたら母親は歩きで、太郎は自転車に乗って行った。そして年長組の新年度の先生は、昨年度担任だったちゆき先生だそうである。
 
 今日も残材燃やしでずっと焚き火の前で過ごした、もう焚き火の季節ではないが、のんびり過ごした。
 
 ところが、焚き火中に、一瞬真っ青!・・・・計算尺が無い!携帯電話などと一緒に胸のポケットに挿していたが、焚き火に投げ込む木などを抱き抱える(それだけ太くて長い木)ためにしゃがんだ時に携帯と一緒に下に落ちたので、これは危ない、危ない、と計算尺だけは別のポケットに入れておいたのが、ふと気が付くと失くなっている。焚き火の周りを何度も探したが見つからない、でも状況的に火の中には落ちていないはずだ(熱くて近寄れないから)、もしかして勘違いかと家の中も探したけど無い、最後にもう一度と、古い木くずや木の皮などが散らばっている焚き火の周辺を念入りに探してようやく木くずに埋もれている計算尺が見つかった、少し汚れていたが無傷だった。これほどホッとしたことも近来無い。この計算尺はHEMMIの149Aというポケットタイプの最高機能品で、コレクターなら大事に飾っておくものを小生はあくまで道具として持っているので、未開封品として入手した袋を惜しげも無く破っていつも無造作に胸のポケットに入れていたやつだ、さすがにシマッタと思ったが、見つかって本当に良かった。

 北海道新幹線が今日開業したそうだ、小生にとっては今や北海道はもう行くこともないだろう所であり、また鉄道ファンでもないので、漠然と青函トンネルを潜って北海道まで新幹線が開通して良かったなと感じていただけだが、今回の開業は北海道もまだ函館までで(正確には北斗市か)、それも田圃の中の何もないところが終点だという。てっきり札幌まで新幹線が通ったと思っていたが、これではただ青函トンネルを新幹線が潜ったというだけのことになる、改めて地図を見ると札幌はまだずっと先だなあ、札幌までの延伸も決まっているようだが、こういった基幹の鉄道は、全部民間に負わせるだけでなく、国鉄のように国が大きな負担を負うべきだと思うがなあ。それは九州についても言えることで、九州の東側には全くその気配が無い、九州も東西の幹線が整備されてその間をθ的に東西に結ぶ鉄道と道路が整備されると良いのにといつも思う、故郷創生だろう、日本の国土は狭いのだから、日本国中縦横に便利に移動できるようにするなんて簡単なことだろうに。

 毎週土曜日はピアノレッスン日だが今日はレッスンが無い代わりに、何かの演奏会があるそうで、夕方、母娘は出かけていったので晩飯は太郎と二人だけ。
 
 ステーキ、即席でポテトサラダを作る、コーンポタージュ、イチゴ、桜餅。子どもは正直で気を使うことをしないので、美味いか?と聞いたところ、美味しくないと言う。いつもは塩とコショーにワインを少し使って食べるのだが、たまたまポーションタイプのステーキソースが売っていたのでそれをかけたのが良くなかったか、確かに小生も美味いとは思わなかった。


平成28年 3月25日(金)

 素晴らしい朝を迎えた山襞のひとつひとつがハッキリとみえるほど空気が澄んでいた、高岳頂上、また少し雪を戴いたようだ、少し冷え込んで畑も霜で白くなっていた
  最低気温 -0.7℃ (03:20)、最高気温 11.9℃ (15:11)

 今朝そろそろ太郎を保育園に送っていこうとしている時に、ミモザさんから電話が入り、「今、阿蘇に居ます」とのこと、いやあ驚いたなあ、すぐにおいでくださいと電話を切って太郎を急いで保育園に送って行って、取って返し散らかり放題の部屋をとりあえず座るスペースだけ片付けて迎えた。
 
 懐かしいミモザさんと夫君のどんぐりさん(うーん、婦唱夫随的順序になったか?見たところこれで合っているかもしれない)、山梨県の白州にお住まいのご夫妻とはインターネットが縁で知り合った仲である、数年前に一度お訪ねいただいたことがある、いつも掲示板でのやり取りだが実際にお会いするのは何年ぶりだろうか。いやあ、懐かしい。(前回は2013年12月だった、目次の「その他」にその時の旅行記がある)(写真1写真2
 
 今回は長崎に行ってから、こちらに寄っていただいたとのこと、気の向くままのキャンピングカーでの旅、本当に羨ましい限りである、小生にはもうそれほど残っていないこの先、絶対に実現出来ないことだろう。

 昼から、薪を少し作って、少し腐った残材などを燃やして整理をした

 たまたま、本当にたまたまであるが、総務省の無線局情報検索で自分のコールサインを検索してみたところ、50W局の免許事項しか表示されない。総務省のやつ、ったく、しょうがねえなあ、表示漏れをしていやがる、と思って、念の為に免許状を取り出してみてみると、なんと先月2月で失効している・・・・確かJARLに届けておくと有効期限間近になるとハガキで教えてくれたはずだと思っていたが、そのハガキは来ていない。問い合わせてみたところ、以前は通知をしていたが現在は総合通信局から連絡が行くことになったのでJARLからは連絡しないとのことであった、総合通信局から連絡のハガキが来たか?そんなもの届いていないように思うが、今更それを言っても仕方がない、50W局は生きているからとりあえずは運用には支障がないが、また新規で100W局の開局申請をしなければならなくなった、再免許と新規開局申請とでは手続きの面倒さに雲泥の差がある。と思ったら、開局申請もネットで出来るようだ、それでもまた余分な仕事が増えてしまった。
 
 今朝の新聞に、カドリードミニオンの経営がおかしくなったという記事が載っていた。それほど経営が悪かったとは知らなかったが、言わせてもらえば、あそこはもともと料金設定が高すぎる、以前からディズニーランドじゃあるまいし、と思っていた、だから絶対に行こうとは思っていなかった。阿蘇には他にも料金設定がオカシイところがある、たかが・・・・なのに、というものが驚くほど高かったりする、小生は腹が立ってそんなんものには決して金を払わないことにしている。全部原価方式でなくて直接原価計算を習ったほうがいいぞ。

 晩飯。炊き込みご飯、カツオのたたき、出汁巻玉子、アサリの味噌汁、スイカ。なんだか日本の季節感あふれる献立になったが季節を少し先取りした感もある。

 こうやって日記を書いている時に、LINEの着信音が鳴ったので見ると寺さんから「今マレーシア」と打ってきた。何をしに行ったのだろう。

 防災無線で明日の夜、ヒョウや落雷突風の注意報が出されているが、今からそんなことが分かるのだろうか。


平成28年 3月24日(木)

 曇り。今日は日中の気温があまり上がらなかった。
    最低気温 2.3℃ (06:47)、最高気温 10.7℃ (14:32)

 阿蘇ではソメイヨシノの開花はまだだが、今日行った旧役犬原小学校の桜はかなり咲いていた、なんという品種だろう。
 
 午前中、阿蘇文化調査研究会の例会に出席した。
 
 昼から、昨日堆肥を振った畑を鋤きこんだ。年に数えるほどしか乗らないがトラクターという機械力はやりすごものである、あっという間に終わってしまう。
 
 ジャガイモの種芋でヒヤヒヤしたので、里芋の種芋を忘れないように買っておいた、これとて決して早い方ではない。里芋の場合は種芋を買い忘れても食用で売っているやつで間に合うのでそれほど慌てることもないのだが。
 
 先日、突然大騒ぎになった波野地区の大規模養豚場計画、中止が決まったそうである、回覧が回ってきた。新聞記事によると、反対運動もさることながら、養豚場で使う地下水の確保に不安があるからのようだが、そんなこと最初に調査してから計画を立てるものだろうに、杜撰といえば杜撰な計画である。あっけないといえばあっけない、今回の騒ぎ、まあ、いずれにしても良かった。

 娘の中学校、本日が修了式だった。小生なんか全部「終業式」という言葉で覚えていたが、学期の終わりが終業式で学年の終わりが修了式と言っているようである、一年なんてあっという間だ。

 晩飯。豚の味噌漬け、出汁巻玉子、ワカメの酢の物、豆腐とニラの味噌汁、スイカ。今頃もうスイカ?であるが、ハシリにしては安かったので甘さは期待せずに買ってみた。ところが予想に反して甘かった、さすが、スイカの産地熊本である。でもスイカはやはりもう少し暑くなってから食べたほうがスイカらしい。


平成28年 3月23日(水)

 曇り。予報では南の方では雨になるがここは降らないと言っていたが、なんとなく雲行きが怪しくなって、今日は肥料を振らなければならないので困ったなあと思っていたところ、レーダーでは少し南では雨雲があったが、幸いにここでは降らずに済んだ。今日は噴煙が中岳斜面を仙酔峡方面に下っていた、麓では臭っただろう。
    最低気温 4.7℃ (06:12)、最高気温 14.2℃ (11:14)

 ということで、今日は荷台からクレーンを下ろしてからに堆肥を買いに行って、畑に振った。ここでは肥料を振ると言う。シャベルカーのバケット一杯が500円で、堰板で囲まなくてもバケット二杯分は軽トラックに積むことが出来る。ここに来た当初は事情がわからずにホームセンターで袋詰の肥料を買っていたが、値段は雲泥の差である、もっとも普通の家庭ではこんなに使うこともないだろうが。
 
 畜協の係員、いつもやっているからだろう、実に上手いもので、全く狂わずにイッパツで二杯分を載せてくれた、まるで測ったように積んでくれる、流石である。肥料というとなんとなくフワフワしたイメージで軽そうだが、タイヤの空気圧を高めにして行ったがタイヤが凹むくらい重いものである。

 帰ってから畑に乗り入れて、ぐるりと回りながらスコップで振って今日の作業はここまで。いやあ疲れた、老骨にはこたえる。

 それから、先日買った沈丁花の鉢植えを我家の入り口付近、猿田彦大神の隣の地面に移植した

 晩飯。メンチカツ、それからこれ、ビスクというそうだが、まあ、ポタージュだ、初めてだ。こどもたち、もう買わなくていいと言った、同感である。それから出汁巻玉子、イチゴ。


平成28年 3月22日(火)

 見晴。この三日ほど同じような気温変化が続いている。
   最低気温 -1.9℃ (06:33)、最高気温 15.9℃ (16:04)

 熊本地方気象台は、今日、熊本市で桜が開花したと発表した。昨年より1日遅く、平年より1日早い。とのこと。

 太郎を保育園に送ってから、昨日の走行距離が知りたくて、昨日のコースをそっくり走ってみた。トリップメーターは走行距離が18.2キロを示していた。自転車だと蛇行して走るので20キロくらいは走ったのではないだろうか。昨日の日記にデータを追加しておいた。

 そろそろジャガイモを植える準備をする頃である、小生は世間よりもいつも遅く植える、それで十分に間に合うが、今年はそれでもいつもよりは少し早いと思っている。とりあえず、堆肥を鋤きこむ準備をしなければならないので先ず畜協に堆肥を買いに行かなければならない。そのためには軽トラックのクレーンを外す必要がある。だが、クレーンを外して堆肥を買いに行く前に、クレーン操作をしなければならない箇所が残っていた。トマトハウスの四隅の単管パイプを抜く必要がある。例年、ハンドウインチを使って抜いているが、今年はクレーンがあるので、それを使って抜こうと思っていた。そのクレーン、少し前にコントロール用のケーブルを延長した結果パワー不足になっていた、そのまま、単管パイプが抜けるかどうか分からないが、どうせやらなければならないので、今日は先ず、長いケーブルと短いケーブルの両面で使えるようにケーブルをソケット式に作り替えた。
 
 これで、前回、持ち上がらなかった太い薪材が持ち上がるようになった。そして、トマトハウスの単管パイプも無事に抜くことが出来た。明日にでも、堆肥を買いに行くことにする。
 
 今年はなかなか順調だと思っていたところ、夕方になって、風呂でなごみ野の親父に会って、この辺りではもうジャガイモの種芋は何処にも売っていないという話が出たから、それは承知で、小生はだから、毎年ネット通販で買っていると余裕の答えをしていたが、夜になって、ちょっと気になって、ネットで探したら、なんと、どこもかしこも全部売り切れ、SOLD OUTになっている。ちょっと慌てて一生懸命に探してようやく男爵とメイクインを5キロづつ注文することが出来た、ただ、店は別々である。今年は例年に比べてちょっと売り切れが早いようだ。危ないところだった。なごみ野の親父とこのような話をしなければ買いそびれるところだった。

 JLZどのからトランジスターがようやく届いた、植木から阿蘇まで数十キロの道のりをどこかで停滞していたようで一週間以上かかってようやく届いた、説明書と静電気防止対策を施したトランジスターと。mny tnx om。

 晩飯。ハヤシライス、大根サラダ。太郎のやつ、おやつの残りのタコ焼きに青のりを自分でかけると言ってこの有様



平成28年 3月21日(月)振替休日

 見晴。
   最低気温 -0.1℃ (05:53)、最高気温 15.5℃ (15:27)

 今日も山のそこここで野焼きが行われていた。(写真1写真2

 今日もまた太郎とロングツーリングに出掛けた、三回目の路上運転である、回を重ねるごとにどんどん距離が伸びていく。
 先ず、犬の散歩中のブリーダーの井上さんに挨拶をして、馬場を通って、園長先生のお宅の前を経由して坂梨交差点を57号線沿いに滝室坂方向、ここは流石に急坂なので押して歩いて、後藤万十店に寄った。ちょうど大分からドライブに来ていたお嬢さんたちと同席をして二人でオハギを食べた(写真1写真2)。お嬢さんたちは今日は阿蘇をあちらこちら回るということだった、ドライブ日和でよかった、楽しい一日だったろうか。
 
 店を出る時に、お店番のりおちゃんのお母さんから高菜漬けを頂戴した。ここから道路を渡って参勤交代道に入ってすぐのところにある太郎のクラスメートの泰増の家に寄ったが生憎と留守でジイちゃん棟梁が留守番をしていたので一緒に写真を撮って先を急いだ、棟梁からは大根を頂戴した。
 
 ここから山道を先年の豪雨土砂災害で大きく崩れて沢山の犠牲を出した坂梨の斜面(写真1写真2)を通って古閑の滝方向に進んで、先を右に下って、神石、古閑集落を経て265号に出て、途中を右に折れてアゼリア21方向に進む。
 
 アゼリアへの道、もう菜の花が満開で、黄色い絨毯のようであった。そのJRの線路を跨ぐ大きな陸橋の真上でタヌキ(アナグマだろうな)が死んでいた、どうして陸橋の一番上までやってきたのだろう、横断するつもりなら陸橋に掛かる場所を避ければいいものを、トラックにでも跳ねられたのかなと思ったが見たところ外傷もなく今にも動きそうに見を開けて見ている。満開の菜の花とタヌキ(アナグマ)・・・諸行無常。

 アゼリでちょっと休憩して乾いた喉を潤してから(写真1写真2)、次なる目的地に。「護王さんの大杉」、市の天然記念物に指定されている大杉で奇っ怪な形をした大杉である、パワースポットになっていてなかなか見応えがある。(写真1写真2写真3写真4

 こういったところを回った時にいつも感じるがせっかくの観光ポイントなのに整備がとにかく悪い。以前は表の自動車道路から入るところに標識があったと記憶しているが、その標識がもう長い間無くなっており、またここへの市や観光協会の案内も何処を見ても実に杜撰である、観光立市が聞いて呆れる、どうしてちゃんとやらないのだ。

 「護王さんの大杉」に通じる一本道の途中で眺めた山、普段、眺める角度や日影の関係で分からないが、これはどうみても昔の火口だろうという風景に出くわした、すり鉢状の火口跡が見て取れる。

 この「護王さんの大杉」の近くに小動物などがたくさんいるモーモーファーム竹原牧場がある http://www.aso.ne.jp/~momo/ ここまで来られるかなとちょっと心配だったので太郎には言っていなかったが、ここが今日の一応の目的地だった。小さな子供連れのファミリーなどで結構賑わっていたが、ここもかっての勢いがちょっと無くなっている。このようなところをみても、観光行政は本当にやる気があるのかと疑問に感じてしまう。仙酔峡に通じる道筋もそうだが、もっとやりようがありそうなものなのに。

 ここでアイスクリームを食べて帰路につく。途中、久しぶりにここからすぐのところにある蕎麦処「阿蘇の風」に寄って遅めの昼食を摂った(写真1写真2写真3)。それから裏道裏道と車を避けて、一の宮中学校の脇を通って無事に帰り着いた。

 今日は急坂が多く、登りが急なら同じだけ下りも急で、二度ほど下り坂で曲がりきれずに、また砂利にタイヤを滑らせて転倒、涙目で必死にこらえていたが、坂道が急に怖くなったとみえて、それまで割りと平気だったちょっとした下り坂がコワイと言って降りて押して歩いていたので、「乗れ!」と叱咤して無理やり乗車させたが、それを二三度繰り返すうちにまた下り坂の楽しさが戻ってきたようで軽快に走りだした。11:30出発16:00帰着、ちょっと強行軍だったかなと思ったが、ケロッとして、こんどはもっと遠くまで行きたいと言っていた。今日はどのくらい走ったろうか、小さな変速ギアも無い自転車でよく走ったと感心する、小生の方がギア付きの自転車ながらよっぽど疲れた。万一途中で立ち往生することにでもなったら家に電話をして軽トラックで救援を頼まなければならないかなと心配したがそれも杞憂に終わった。

(追記)翌日、改めて車で走り、距離を確認したところ、18.2Kmあった、車と違って自転車の場合はフラフラする分もっと走っているだろう。


平成28年 3月20日(日) 春分の日(春季皇霊祭)

 見晴。 
   最低気温 2.8℃ (03:56)、最高気温 16.0℃ (13:50)

 朝、太郎を連れてボンの散歩の途中、今年初めてウグイスの鳴き声が聞こえた。

 MQY局が突然御入来、突然の訪問で当方の受け入れ態勢が整っていなかった(要は部屋が散らかり放題ということだが)ことや氏ご自身の予定が詰まっているということもあって立ち話で帰って行った。途中、ピコ6でQSOをして、古いリグが立派に生きていることを確認した。
 
 先日のツーリングに味をしめて太郎が「お父さん、ドライブしよう」というので、じゃあ、行くかということで自転車2台連ねてツーリングに出掛けた。今日は二回目の路上運転だ。前回よりもうんと距離を伸ばして坂梨を一周して保育園まで行って帰ってきた。途中、桐原商店の由子さんに「太郎ちゃん上手だねえ」と誉めてもらったり、保育園の前のI原さんにお菓子をもらったり、休憩で自販機でオロナミンCを買って飲んでいるとお母さんと散歩中のサッちゃんに会ったり(写真1写真2)と、坂梨は坂が多くて自転車はなかなか大変だが、ちょっとした上り坂は一生懸命漕いで、急な坂は押して上がって、下り坂はペダルを踏まずにスピードをだして、となかなか変化に富んだ楽しいツーリングだった。前回よりもふらつきが少なくなって太郎の自転車術もなかなかなものである、ちょっと聞いたところでは一年生でまだ自転車がダメな子もいるらしい。

 ボンをつないでいるワイヤーがまた切れた、割りと最近買い換えたと思ったのにもう切れた、今度は大型犬用の一回り太いワイヤーを買ってきた、普通に引っ張る分にはそうそう簡単に切れるものではないが、このワイヤーというやつ、キンクには弱くて、滅茶苦茶に不規則に走り回るボンに対してはどうも不向きかもしれない。ワイヤーを買いに行ったついでに沈丁花の鉢が目についたので買ってきた。何の花が一番好きかと問われれば、迷うこと無く「沈丁花」と答えるくらい好きな花だ。具体的な思い出や経験があるような無いような、幼い頃の思い出がこの匂いにはこもっていて、胸いっぱいにこの匂いを嗅ぐとなんとなく切なく懐かしくなる。それに石川さゆりの「沈丁花」という唄も好きだったなあ。さて何処に植え替えようか。

 娘は、今日は友人のS石さんのお母さんの引率で学校の仲間たちと一日ファームランドに遊びに行って、夕方、楽しかったあ、と満足気に帰ってきた。帰ってきたところを、つかまえてパシャリと記念撮影
 
 今日は昼と夜の長さが同じ日だ、毎年、こういった節目の日に晴れることが少ないが、今年は少し雲があったがそれでも日没を綺麗に見ることが出来た。冬至の時は米塚付近に沈む太陽が、お彼岸の日にはかなり北に寄る、夏至に向けて太陽が沈む位置が更に北に移っていく。


平成28年 3月19日(土)

 今日は晴れることになっていなかったろうか、なんだかずっと弱いながら雨模様の空だった気がする。
   最低気温 11.3℃ (但し19:12現在、夜になって少しさがっている)、最高気温 15.4℃(13:14)

 福岡市で全国に先駆けてソメイヨシノが開花したそうである。これから各地で開花ラッシュとなることだろう、熊本は、そして阿蘇はいつになるだろうか。

 今日は保育園の卒園式。太郎の年中組と年少組のこどもたちが送る側として参列して、帰りにお祝いのお赤飯をもらって帰ってきた。
写真1写真2写真3写真4
 (3/12(土)の日記)
「太郎が一人で屋外で遊ぶときに何をやらかすか分からないし、今まではそういった心配をすること無く機材や木材を置いてあって、材木の山に登るなどして不測の事態が起きかねないので、時々ライブカメラで様子を見ながら小生は自席で自分の道楽をやっているが、カメラに映る範囲を外れると様子がわからないので、時々、窓を開けては、オイ異常無いか?・・・異常なし!のやり取りをしているが、わざわざ席を立って窓を開けて声をかけるのも面倒なので、何か方法はないかと考えている。まあ、小生が考えることと言ったら「商売柄」方法は決っているが・・・・」
の続きである。
 特定小電力の無線機を買った。余っている無線機機はあるが、曲がりなりにも小生はアマチュア無線技士だから、それをアンカバー(不法無線局)で使わせる訳にはいかない。この総務省技術基準適合の特定小電力無線機は免許が不要である。昔、工事現場や催し物会場などで「トランシーバー」などと言って使っていた種類の無線機の延長のようなものである。値段はピンキリで、一台で20Kくらいするものもあるが今回購入したやつは2台セットで4K強の値段だ。それでも全く不足はない、なかなかのものである(ただ、電池の消耗が早いらしいが)。早速、太郎に使い方を教えて、内と外とで交信実験をしてみたが、敷地内であれば、窓を閉めきっていても十分である。「オマエ、好きなコールサインを考えろ(別に無くてもいいのだが)、ジュウオウジャーなんとかかんとか、なんてのはどうだ?」と持ちかけたが、照れて、「なんでも良いよ」と言っていた、そのうちに何か考えるだろう。これで無線に興味を持つようになって、もう少し字が読めるようになったら、小学校に上がってからだな、4級のHAMの資格でも取らせるか。もっともそれまで興味が持続するかどうかだが。(取扱説明書PDF

 MQY局が50メガのハンディで移動運用をするというので、降ろしてあったHB9CVを急いで上げた、そろそろシーズンである。アンテナを上げて測定したところどんぴしゃりである
 
 今日は娘のピアノレッスン日、太郎は今日は置いていかれたので、二人で晩餐会をやった(ファミレスよりはいい)。それぞれの希望で、太郎はシュウマイ、小生はステーキ、コーンスープ、サラダ、いちごミルク、それから桜餅。満腹、満腹。


平成28年 3月18日(金)

 ほぼ一日雨、春の雨、暖かい雨、桜の開花を促す雨だそうだ。
    最低気温 10.8℃ (05:45)、最高気温 14.5℃ (18:52)

 今日は・・・・・ええと・・・何もしなかったなあ。

 晩飯。クリームシチュ−、イチゴ。あっちー!


平成28年 3月17日(木)

 毎日おもしろように気温が右肩上がリで上がっている。下界ではそろそろソメイヨシノの開花のニュースも流れてくるころだが、高冷地のここでも桜の花が開花した、と言ってもサクランボの花だが。太郎が家の庭先でつくしんぼを見つけた。
     最低気温 0.3℃ (07:35)、最高気温 18.7℃ (14:37)

 先日の野焼きの続きだろうか、今日も外輪に煙が上がっていた

 もうまとまった薪の心配は要らないと思うが、それでも例年5月の頭ころまでは時々必要になる。厳冬期は24時間焚きっぱなしで火を落とすことがないからその心配は無いが、これから先、時々火を焚くようなことがあると、「タキギ」が必要になってくる、つまり、細くて火が点きやすい枝である。今日はそのタキギを作っておいた。もう10年以上経つだろうか、電動式のチェンソーを買って、非力なので、一二度しか使わずにお蔵入りしていたやつを今日試しに目立てして使ってみたが、細い薪をつくるのには非常に使い勝手がいいことが改めて分かった。

 晩飯。炊き込みご飯がいい、というので、また炊いた。炊き込みご飯の時はオカズは要らないというが、確かにそうではあるがそうはいかないので、支障のない程度のオカズを付けた。出汁巻玉子、イカの刺身、アサリの味噌汁、洋梨のコンポート。明晩の献立も、リクエストが有ったので早々と決まって、気が楽である。


平成28年 3月16日(水)

 晴れ。気温がどんどん上がっていく、ようやく冬が終わった感じだ、もう「寒の戻り」も無いだろう。
  最低気温 1.2C℃ (06:33)、最高気温 15.7℃ (14:39)

 今日は坂梨小学校の修了式。卒業式は昨日終わったので今日は現役児童の最後の日ということになる。娘が小学校に上がるころからずっと我家の前で新入児童の初登校や子どもたちの学期の始まりや終わりの節目の登校風景を定点観測のように撮ってきたが明治六年の坂梨小学校創立以来、小生の父も通ったこの道を通るこどもたちの登校風景も、今日が本当に最後の最後になった。
 
 娘が卒業してからは朝の集合場所が変わったこともあって登校風景の写真を撮ることも殆どなくなっていたが、今日は我が家の前で待ち構えていて、豆札・鬼塚地区の登校班の最後の登校風景の写真を撮った。ぶんた君が昨日卒業したので、最後の登校班は四名編成となった。ふうちゃん、みなみちゃん、かおるくん、りゅうまくん。(写真1写真2写真3)
 
 そして・・・・
 
 午後二時四〇分、最後の下校時間になった。いつもだと修了式の日はお昼までで終わるが、後始末の作業があったのだろう、給食を摂って例年よりは遅い下校になった。離れたところから見ていると、先生が、今日でこの小学校ともお別れだから最後に校舎に向かってさようならの挨拶をしましょうと子どもたちに呼びかけて、それぞれの登校版ごとに学校を去っていった。

  坂梨小学校最後の日の下校風景連続写真
 
 もっと感傷的なシーンでも見られるかなあと思っていたが、あっけらかん、としたものであった。古い学び舎との別れを惜しむより、新しい世界、一の宮小学校への期待の方が大きいのだろう、まあ、そんなもんなんだろうな。小生の描く最後のシーンは、卒業式だと、在校生が並んで拍手の中を卒業証書を入れた筒を持って卒業生たちが校門から去っていく、今日の場合は、こどもたちが校門に手を振って学校に別れを告げて去っていく・・・ドラマじゃぁあるまいし、昨日も今日もそんなシーンんなど全く無かった。

 そして保育園では今日もこどもたちが山を登っていく列車を一列に並んで見ていた(写真1写真2)。また、前後して今は他の保育園に異動された「しょうこ先生」が何かの用でもあって寄られたのだろう、目ざとくこどもたちが見つけて大騒ぎになっていた。
 
 今日は天気がいいので薪でも作るつもりだったが、もういいだろう、でも念の為にあと数日分、作っておこうかと思ったが、今日の天気ではその気になれず、明日もまた天気がいいそうなので、明日少し作ることにして今日の外作業はなし。
 
 その代わり、太郎のズボンの膝の穴かがりをした。母親に言わずに小生がミシンをするのを見ているので、お父さん、ズボンに穴が開いた・・・と小生のところに持ってきたのだ。
 
 コイン精米機で30キロ、精米する。
  
 どうもこの地域の消防無線もとうとうデジタル化がされたようである、今朝AJYも言っていたが、言われてみて気がついた、そう言えば最近朝の定期試験も聞こえてこないし、外でサイレンの音が聞こえてもウンともスンとも言っていないなあ。消防団との間の通信はどうするんだろう。
 
 晩飯。カキフライ、コーンポタージュスープ


平成28年 3月15日(火)

 見晴。朝から陽光がサンサンと降りそそいで、見渡す世界がキラキラと輝いていた。(写真1写真2)
    最低気温 0.5℃ (05:50)、最高気温 13.7℃ (16:14)

 今日は坂梨小学校最後の卒業式だったので、最後の風景を撮ろうかなと昼前に小学校に出掛けたところ、ちょうど体育館から皆で歌う校歌が流れてきた。しばらくすると式が終わって、来賓の皆さんが帰ったあと、前庭に子どもたちと保護者が集まって記念写真を撮ったり先生や学校との別れを惜しむシーンが見られるかなと思っていたが、来賓が去って、在校生もいつものように一斉に集団下校していったが肝心の卒業生が全然姿を現さない。例年と違ってそのうちにまた体育館で内容は分からないが何かしらセレモニーが始まったような音声が漏れてきた。それが午後一時を過ぎても一向に終わる気配がないので、とうとうしびれをきらせて帰ってきてしまった、そういうわけで、最後の卒業式の様子を撮ることが出来ず、なんとも締まらない幕切れになってしまった。

 太郎を保育園に迎えに行くと、あまり天気がいいので帰りの支度も忘れてこどもたちは外で遊びを続けていた。(写真1写真2
 
 晩飯。炊き込みご飯、刺し身、出汁巻玉子、豆腐と油揚げの味噌汁など



平成28年 3月14日(月)

 雨のち曇。
  最低気温 2.2℃ (07:18)、最高気温 9.2℃ (13:36)

 昨日の予報ではもしかしたら雪になるかもしれないとのことであったが、朝起きてみると、阿蘇山麓のかなり下の方まで雪が降ったようで、外輪も頭頂部は白くなっていたが、ここ「平野部」は雨だったようだ。外輪の頭頂部はここ平野部から200m標高が高く、ミモザさんの話だと白州が標高700mくらいだそうだから、波野と白州は同じくらいの標高ということになるが、波野から坂梨保育園い通っておいでの先生の車には雪が積もっていた。(写真1写真2)
 
 今日は娘が通う一の宮中学校の卒業式だったので、娘は昼過ぎには部活もなく帰ってきた。

 勘違いをしていて、昨日が14日でホワイトデーだと思って、そのつもりで日記を書いていた。「モトイ」で、今日の日記に付け直す。というわけで、今日、3月14日はホワイトデーだ、それより最近数学に目覚めた小生にとっては「円周率の日」だ、πの日だ、πは実数であり無理数なのだ。ついでに「円周率の日」に因んで小生の秘蔵のお宝について書くことにする。
 
 これだ!Curta calculatorである。日本ではタイガー計算器は比較的知られているが、このクルタ計算機を知っている人はあまり多くないようだが世界中に熱狂的なファンが居るようである。タイガー計算機と同じ機械式の計算機でタイガーと違って、手のひらに収まるくらいの大きさで、これで加減乗除が出来る。形状からPepper Grinderという愛称で呼ばれている。クルタにはドラマチックな誕生秘話がある。ネットで調べたら出ていると思うが、ナチの収容所で囚われていたユダヤ系オーストリア人が収容所内でアイデアを練って作り上げたもので、解放後、リヒテンシュタイン公国の国策会社で作られて、後に電卓に取って代わられるまで世界中で愛用された手動計算機だ、リヒテンシュタイン公国という国はスイスあたりにあって昔、オリンピックのアルペンスキーで活躍した選手が居た国というくらいしか知識がない。スイス同様に時計のような精密機器を得意とする職人たちが作り上げたクルタ、ずしりと(約370グラム)手のひらに重さを感じる、ひんやりとした本体を握ってハンドルを回すと小さなカチカチという澄んだメカニカルな音がして惚れ惚れとする一品である、もちろん動態保存である。<http://nikomat.org/priv/unplugged/index.html>< http://www.vcalc.net/cu.htm>
 
 毎日夕食を作るのは苦ではないが、メニューを考えるのが面倒で、いつも悩むが、今日は娘が早く帰ってきたので、何が食いたい?と訊いたところ、チキン南蛮!というので、喜んでそうした。チキン南蛮、アサリの味噌汁、生しらすのおろし和え。


平成28年 3月13日(日)

 今日はしみじみと気温を感じるヒマがなかったが、寒くはなかった印象である。
   最低気温 -0.4℃ (06:00)、最高気温 9.3℃ (14:03)

 明日はホワイトデーだ、太郎、一日早いが男としてホワイトデーの仁義をしっかりと切ってきたそうだ(ついていった娘撮影・・・まるでポーズを取ったみたいに写っているが別にライティングを加減したり、立ち位置を決めたりの演出はしていないそうだ、太郎、照れまくって一発勝負のシャッターチャンスだったそうだ)。

 夜になって雨が降るという予報だったので、今日予定されていた北外輪山一帯の一斉野焼きは予定通り実施された。と言っても小生はもう参加しないので家から外輪の頂上付近を見ると、9時の開始早々に火が燃えるのが見えた。(写真1写真2)
 
 母子三人は今日も娘の部活関係で、どこだったろう、熊本方面だったかに出かけていった。
 
 小生は薪でも作ろうかと、チェンソーを動かしたりしているうちに昼になって、もう少しやってから飯を食うかと思っているところに、胸の携帯にセットしてあったスケジュールのベルが鳴り始めたので、何だったろうとディスプレーを見ると、今日は一時から予定が入っているのをすっかり忘れていて、慌てて、飯も食わずに、ざっと片付けて飛び出した。
 
 今日は午後一時から旧役犬原小学校で考古学の研究発表会があった。阿蘇谷は縄文時代から高度に文化が栄えていた跡が随所に残っていてどの発表も興味深かった。本邦初出の研究発表もあって非常に面白かった。最前列に座って次々と熱のこもった質問をしている人たちを見て、こういった考古学が本当に好きなんだなあ、と見ていて決して悪い印象はなかった。考古学の好きな人、昆虫の好きな人、そして小生のようになんにでも食らいつくダボハゼ・・・・・(写真1写真2写真3写真4
 
 肝心の今日の野焼きは、予想より早く雨が降り始めたとのことで早めに切り上げられて残ったところは改めてもう一度やるとのことである。今日は村の「鞍岳祭」も併せて行われて、当初の予定では野焼きが終わる午後五時頃から始まることになっていたが、野焼きが早めに切り上げられた関係で三時過ぎから始まり、研究発表を聴講していた小生にもその旨携帯が入って、終わってから急いで駆けつけたがもう始まっていた。
 
 我家の三人も、かなり遅れて到着した。今日はいつもの世帯主だけでなくて子どもたちも参加する集まりだが、子どもたちも皆大きくなって一同に集まることも無くなってきた。H17.3.18の日記に残る当時保育園児jだった村の健太郎君、志望校に無事合格したそうで、この春からいよいよ高校生だ、合格おめでとう。(写真1写真2写真3写真4

 昼間、作った薪、帰ってから取り込もうと思ってそのままに飛び出したが、降りだした雨ですっかり濡れてしまっていた。


平成28年 3月12日(土)

 今朝は少し気温が下がったが、日中は穏やかに晴れて、屋内にいるよりも外にいたほうがかえって暖かかったくらいだ。
     最低気温 -2.7℃ (07:16)、最高気温 9.8℃ (15:37)

 娘の部活の吹奏楽部関連の行事で今日は一日母娘は学校に出掛けたので、太郎と二人で留守番。天気がいいので太郎は一人で屋外で遊んでいたが、そのうちに、退屈してきて、お父さん一緒に遊ぼうよと言うので、じゃあサイクリングをするかと、二人で自転車で出た。太郎にとっては初めての路上運転、ふらふらと少々危なっかしかったが、そこは田舎の道路、めったに車が通らないので、家の周囲、と言ってもボンの散歩道は舗装がしてないので、さらにその倍のコースを2台で前後してゆっくり一周してきた。普段、玄関先の狭いところで乗っていて、面白く無いから飽きたと言っていた太郎、生まれて初めての大冒険、お父さん、ドライブって楽しいねえと本当に嬉しそうで満足気であった。(自転車で走った記録を後から手作業で地図上にプロットしようと思ったが、それより、ひとっ走り車で走ってしまえと、APRSで記録を取った。)

それから、太郎が一人で屋外で遊ぶときに何をやらかすか分からないし、今まではそういった心配をすること無く機材や木材を置いていて不測の事態が起きかねないので、ライブカメラで様子を見ながら小生は自分の道楽をやっているが、カメラに映る範囲を外れると様子がわからないので、時々、窓を開けて、オイ異常無いか?・・・異常なし!のやり取りをしているが、わざわざ席を立って窓を開けて声をかけるのも面倒なので、何か方法はないかと考えている。まあ、小生が考えることと言ったら「商売柄」方法は決っているが・・・・

 昼飯にオムライスを作ってやる。

 夕方になって、三人はピアノレッスンで泗水方面に出かけて行ってようやく一人になった、ヤレヤレ。


平成28年 3月11日(金)

 まあ、昨日に引き続いて寒い一日だったが、そのつもりでいたので寒さは感じなかった。久しぶりに青空が見えた感じ。一旦消えていた山の雪がまた積もって冬山に戻っていた。明日は最後の低温の朝になりそうだ(「最後の」は何度も書いているが)。
    午前の最低気温 2.4℃ (06:57)夜になって更に下がりつつある、最高気温 8.1℃ (16:30)
    
 阿蘇山の表情色々 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今日も中岳の噴煙が活発だった
 
 3.11。もう5年、まだ5年、人によって受取り方は様々だろうが、大震災から5年が経った。今も猶災害継続中にある沢山の人たち、あの時大津波や原発事故の渦中にあった人たちは今この5年をどう感じているのだろう。

 当時首都圏でも直接、間接に被害が出て大騒動になったはず、その時に「一極集中」の危険性、脆さが問題になったが、5年経ってそのことはどうなったのだろう、「喉元すぎれば」になってはいまいか、必ずその日は「直下」でやってくるぞ、「後悔は先に立たず」だぞ。

 ボンの散歩をしながら、朝のルーチンワークのあと、さて、今日は何をしようかと考えているところに上村さんか木を切ったから取りに来いと電話が入った。うわはる(上原と書くのだろうか)にある昭久さんの田圃の桑の木を一本伐ったとのこと。早速積みに出掛けた。ちょっと一人の手に余る太い幹があったので、クレーンで揚げようとしたが、どっこい、軽いものは揚がるものの肝心の太い幹が持ち上がらない???????以前はもっと大きな木を楽々持ち上げたのに。ブームに角度をつけるジャッキ操作だけでどうにか積むことが出来たからよかったものの、ちょっと焦った。考えてみたら、先日、アンテナの支柱を立てるときに、クレーンを離れたところから操作するためにコントローラーのケーブルを10m伸ばした、これが原因で電圧がドロップしたのだろうか、よくわからない、そのうちにまた元通りに短くして試してみよう。

 と、あるものをオークションで落としてそれが今日届いた。この商品は札幌発の商品である。番号追跡をしていたが北海道の中継局を出てから一向に動きがない、多分そうだろうなと思って電話をしてみたところ、折り返し電話があって、案の定、精密器機などは陸上輸送になるので、時間がかかりますとのこと。札幌発は空陸関係なく一旦全部丘珠分室に集まるのだろうか、丘珠だから航空貨物が前提になるものが丘珠に集めるのではないのだろうか、どうも扱い局から丘珠分室、そして次の中継局の大阪までがいくら陸上でももたついている印象がある。以前にも同じようなことがあったが、今回は精密機器には違いないが電池などは一切入っていないが伝票に精密機器と書いてあるのだから最初から陸上輸送で処理すればいいものをわざわざ空港まで持って行ってそこでX線にかけてなんとなく怪しい物だから改めて行き先変更をしているように思えて仕方がない。それにしても北海道から九州の山の中、遠いなあ。小包を届けてくれた郵便配達の人に聞いたら、最近はテロ防止のために特に厳しいそうである。まあ、安全のためにしかたがないことか、小生がオークションで落とすものはそういった点では怪しげなものばかりだからなあ。

 晩飯。カレー。このカレーは昨日のポトフのスープだけを使って、肉を追加して作ったもので、ジャガイモだとかニンジンだとかは一切入れなかった、高級レストラン風のカレーだ。家庭のカレーライスとは一風変わってきて評判は非常に良かった。パイナップルの缶詰をデザートに。


平成28年 3月10日(木)

 えーと、今日はどうだったろう、曇だったかなあ、それに、昨日から冬モードで動いるので、寒さは感じなかったが記録を見ると、ずっと下がっているなあ。
   最低気温 2.4℃ (03:23)、最高気温 10.1℃ (13:06)


 今日、熊本県知事選挙の告示があった、三人が立候補した。まあ、実質、二人の戦いだろう。選挙では告示と公示という言葉が使われるが、市町村議会議員、県議会議員、それから県知事の選挙の場合は告示で、国会議員の通常選挙の場合は公示だそうだ、そして、同じ国会議員の選挙でも補欠選挙の場合は告示と言うそうである。「公示」は、[天皇の国事行為](憲法第7条)を伴う選挙の時だけに使われるということである。

 今日は一日「お勉強」をしていたが一日なんてあっという間だ。

 晩飯。ポトフ、サラダ、イチゴ(ちょと鮮度が悪かったのでイチゴミルクにした)。ポトフを作っているといつも寸胴鍋が欲しくなる。


平成28年 3月 9日(水)

 予報通り朝から弱いながら雨が降っていた、それに、昨日までと比べて10℃近く気温が下がって、また冬の下着を着込んで、オマケにストーブを焚いたりしてしまった、厳冬期から比べたら大したことは無いのに人間の感じ方というものは面白いものである。午後3時ころになってようやく雨も上がってきた
   最低気温 5.8℃ (20:04)、最高気温 10.6℃ (00:00)

 今日は日本では部分日蝕が見られることになっていたが、こんな天気では端から見えるはずもなく、中途半端にヤキモキすることもなく諦めがついた。

 ちょっとした暇つぶしに、FR-101の記事を検索いていて、この記事が目について、アンテナからの入力が無いことの原因はどうもこの辺りかなあと推測している(ブロック図)、Sメーターが全く振れないのもそうなんだろうな、ととりあえず思ったりしている。
(無断拝借先 http://blog.livedoor.jp/kerokeronyororo/archives/49937869.html)

 夜、豆札の集会場で、県による、「土砂災害防止法」について説明会があった。(写真1写真2写真3写真4
 
 その説明会が終わった後で、改めて区長から、古閑の滝の上部にあたる波野地区の原野に10ヘクタールの大規模養豚事業計画がまさにスタートしようとしていて、そこで使う水を地下から汲み上げることになっているそうだ、そうなると、坂梨地区の飲水などの水源に甚大な影響があるのは明白で、加えて、廃水が地下に浸透したり悪臭が流れたりする環境破壊を引き起す恐れが多分にあるので地域全体で反対の声が大きく上がっているという話を聞いて驚いた。高森トンネル工事の大出水の二の舞いは御免である、科学的裏付けもなく地域の自然の恵みを奪う計画は絶対に反対だな。そもそも国立公園法というのはどんな法律なんだろうと不思議に思う。

 晩飯。ハヤシライス、ポテトサラダ(今日はしっかり作った)


平成28年 3月 8日(火)

 晴れ。今日も20℃を越えた。こう急に気温が上がるとウグイスもまだ準備ができていないのか今年はまだ鳴き声を聞かない。
    最低気温 8.1℃ (03:05)、最高気温 20.2℃ (14:43)

 この冬はカメムシが全く出なかった、本当は秋口に数回捕らまえた記憶があったような無かったようなだが、感想としては全く出なかったという印象である。我家では冬になると毎日毎日10匹くらい出てきて飛び回ったり警光灯の傘に取り付いたりしてそのたびに(ティッシュだと水に溶けないので)トイレットペーパーを数枚重ねて被せるようにそっと捕らえてはトイレに流していた、うっかり触ったり潰したりしようものなら大変でいつまで経ってもあのクセのある嫌な臭いが取れないので閉口する。このことは確か前の年にも書いたような記憶があるが、これは我家を建てた時に建築中に入り込んだカメムシが毎年建物内で繁殖を繰り返していたのが、見つけ次第駆除を続けた結果、宅内のカメムシが絶滅状態になったのではないかと考えられる。相変わらず菜園のナスやピーマンには毎年たくさんのカメムシが発生しているので、外から宅内に入り込むことはないのではと思っている。

 FR-101(受信機)について電源を入れてアンテナをつないでみたところ、アンテナからは全く入感がない、が小生の無線機から発信する電波は直近なので7MHz帯のLSBで周波数のズレもなく正確に受信している。また、同様に電信でも受信出来る、ただし、ともに音量が小さい。それからSメーターがその場合でも全く反応していない、メーターランプも点灯しない(これは単なる球切れかも知れないが)。なんとかなりそうではないか。ケースの蓋を開けてみたが、ユニットごとに基板が挿してあってメンテナンスがし易い用になっている。と、ここでやめておこうかと思ったがもうちょっといじってみた。

 この受信機はHF帯の他に2mと6mも持っていて、それぞれアンテナコネクターが独立している、今回試してみたのはHF帯だったので、各コネクターがあるあたりに同じような基板が三枚挿してあるので、とりあえず、一番端のHFのコネクターがあるあたりの基板を外してみた。PB-126B(写真1写真2)とあったので調べたらAFユニットだそうである。それから端から思った通りコネクター順に 2mコンバータユニット(PB−1306)真ん中の6mコンバータユニット(PB−1305)となっている。
 
 ここまで!後は謹んでまたはめなおしておいた。各部品は見たところ全体的にかなり劣化が進んでいる風にみうけられる、ゆったりと作ってあるので部品さえあれば、レストアは比較的に楽そうであるが、なかにはもう手に入らない部品もあって、その場合、代替品を使わなければならないのだろうが、まあ自分一人では無理であろう、しばらくは眺めておくことにしようか。
 
 3月10日告示の熊本県知事選の投票入場券がもう送られてきた、告示も無いのに良いのか?とも思ったが、期日前投票があるから告示があってから送ったのでは間に合わなくなるから早めに送るのだろう。そういえば、少し前になるが、阿蘇の有力者になるのだろうな、ある人のお宅の前に乗用車が停まって降りてきた人をみたら、新聞テレビでよく見た人でこんどの知事選に立つことになっているひとだった、そうかここも熊本県知事選挙の選挙区だったのだなあと改めて思った次第である。

 大学以来の友人、武藤肇から無地のキャンバスが送られてきた。彼の亡母どのが生前趣味で絵を描いておられたが、(もう亡くなられて16年になると思ったが)今回整理をしていてキャンバツが出てきたのでオマエ使えと言って送ってくれたものだ。キャンバスが10枚近く、おまけにキャンバスを張る工具まで入っていた。武藤も時間があるのだからまた描けばいいじゃないかと言ったのだが、もう描かないというので、有り難く小生が頂戴することにした。小生も時々描きたいなあと思って数年前にまた画材一式を取り揃えたが、結局そのままになってしまっている、小生が生きているうちに一枚でもこのキャンバスに絵の具が乗ることが果たしてあるだろうか。
 晩飯。娘が先日のブリの塩焼き、照り焼きより好きというので、今日もブリが売っていたので買ってきた。ブリの塩焼き、出汁巻玉子、ワカメの酢の物、アサリの味噌汁。最近は従来のコレステロールに対する考え方が大きく変わって、コレステロールを多く含む食べ物を食べたからといってその人間のコレステロールが増えることなど無く、コレステロールは人によってそれぞれ総量が決まっていて、大体が体内で作られて、足りない分を食べ物のコレステロールが補う形になっているそうで、食べた分だけ増えることは全くないということが分かったそうである。ウガイがインフルの予防に役に立たないから、手洗い・マスクの三点セットの予防方法から消えたということなど、今の時代になっても医学はいい加減なものである。ということで、最近は玉子などコレステロールを多く含む食品も遠慮すること無くどんどん使うことにしている。


平成28年 3月 7日(月)

 晴れ。いやあ、今日は暑かった、一気に「暖かい」を通り越した。午前中は薄手のセーターを脱いだが、それでも我慢ができずに、とうとう午後にはヒートテック(防寒用の長袖のシャツや股引)まで脱ぎ捨ててスポーツシャツだけになってようやく落ち着いた。
     最低気温 10.3℃ (02:58)、最高気温 21.7℃ (14:08)

 今日は外作業はやめて、休養に充てた。正午過ぎに立て続けに三度停電して、システムダウンした、ネットで停電の原因を見たところ、鳥獣の接触だそうだが、鳥獣?鳥獣がどう接触たというのだ。

 晩飯の材料を仕入れに「みやはら」に居たところKVFから無線機を取りにおいで、という電話が入ったので、すぐに、KVFのお宅(写真1写真2)に受取に行ってきた。FL-101とFR-101、それから500Wのリニアアンプ FL-2100Bなどである。真空管も使ってあってかってのセパレート方式のベストセラー機であるが残念ながら動かない。が、現在の無線機とちがって、かなり人の手が入れられやすくいろいろレストア記事も目につく、受信機のスイッチを入れてみたが、アンテナはつないでいないが、スピーカーから何かしらの音は出ていて全く死んではいない。小生だけのスキルでは100%無理だとは思うが、周囲のOM諸氏の力も借りてなんとか息を吹替えさせてやりたい、「動態保存」したい。

 晩飯。鶏すき、ジャガイモと大根の味噌汁、小松菜のお浸し、大根とニンジンのサラダ、きんぴらゴボウ。


平成28年 3月 6日(日)

 曇り(だったそうである)。
   最低気温 12.9℃ (00:07)、最高気温 20.0℃ (13:44)

 第15回 西日本ハムフェアーの、こういう場合はなんというのだろう、参加?見物?のために会場となる福岡県京都郡苅田町の日産自動車九州株式会社体育館へまだ真っ暗な朝6時、阿蘇を出発して行ってきた。今年もJA6DI局、JA6MQY局と小生JA6LGVの三人旅である。DI局とMQY局はDI局の車で、小生はAPRSの記録のために軽トラックで2台連ねて行ってきた。熊本の会場からこの会場に変更になって今年で三年目で3回とも同じメンバーで出掛けたが、今年は車の都合で、DIさんの車にMQY局が同乗する関係で、一旦乙姫のMQY局の家に寄って、そこから目的地に向けて出発した。時間が午前5時55分。なぜこのように細かく時間を書くかというと、MQY局の家の前が内牧駅で踏切があるのだが、MQY局が言うには、毎週末、この時刻に踏切が閉まって「ななつ星」が入ってくるということで、今朝もピシャリ、遅れること無く静かに駅に入って行くのを踏切停止の車中から眺めたからである。ななつ星が走り始めてもうどのくらいになるのだろう、小生は今朝見た「ななつ星」が初めてになるが、真っ暗だったので黒い塊が踏切を通過していって、最後尾の展望室の弱い明かりだけが見えただけだった。
 
 毎年同じルートを通るわけだが今朝だけは大観峰から登って、R212線を小国郷、杖立温泉、日田、そして山国川沿いを耶馬溪、青の洞門を走って10号線に出て目的地に、そして帰りは同じ道を通って、今日は非常に順調で、帰る途中、ちょっと日田の物産館や青の洞門に寄っても午後5時前には家に帰り着いた。去年のハムフェア行きの朝は霜で外輪の道は真っ白だったが、今朝は昨年と違って非常に暖かい朝だった。阿蘇を出て山を下った下界はそうとう春が進んでいた。走行距離は往復で約300キロ、APRSの軌跡は斯くの如し。
 
 ハムフェア自体(写真1写真2写真3写真4)は、まあ、こんなものか、と言う程度で今回も特に欲しいものもなく、太郎に電気じかけのお土産を買った程度だった。会場でJE6HRQ局とも会うことが出来た。
 


 実は今日は北外輪山一帯の野焼きの日だったが、朝の様子ではどうかな、やるかな、と気になって出掛けたが、途中、村の人に電話をして様子を訊いたところ、風が強かったから雨の心配もあるし一週間延期になったということであった。帰って阿蘇に入ったら穏やかな天気だったので、?と思った、風呂に行った際も、これだったらやったほうが良かったねえという声があちらこちらから聞こえていた。でもなあ、結果論だからなあ。


平成28年 3月 5日(土)

 晴れ。最高気温が昨日と同じだった。
  最低気温 8.4℃ (06:00)、最高気温 17.4℃ (11:58)

 今朝は起きた時には外気温は既に10℃を超えていた。その後でちょっと下がったようだが、今日は啓蟄だ。

 今日も枯れ枝などを燃やす一方でトラクターで前の畑を鋤いたりした。眠りを貪っていたカエルが慌てて飛び出してきた、強制啓蟄だあ。
 
 太郎がトラクターに乗りたいというのでしばらく運転をさせた(写真1写真2)。低速ギアにつないでおくとアクセルを吹かさなくても止まることもなくゆっくり耕すので太郎でも運転できる。停めるのはどうすると?と訊くので、足が届くかなあと思ったが、これ(クラッチ)をうんと深く踏み込んで、これ(レバー)をここに(ニュートラル)に持ってきたら停まるとよと教えたところ、どうにか停めることが出来た。急坂でもないかぎりブレーキなど踏まなくてもそれで停まる、そういえばブレーキあったかなあ、ああ、あった、あった、フットブレーキは車のように右側の足元についていて、二つの部分に分かれていて右輪と左輪とが別々に機能するようになっていて、通常は同時に踏んで普通のブレーキとして働くが、左右別々に踏み分けることで、片側だけのブレーキが効いて反対側のブレーキが効かないようにすることで急旋回が出来るようになっている、普段は使うことがないので今、書くまでブレーキがあることをちょっと忘れていた。これでとりあえず前面の畑の荒起しは済んだ。

 週末で三人は娘のピアノのレッスンで夕方出かけていった。となるはずだったが、カミさん、仕事関係でお通夜が入ってピアノは中止、太郎を連れて出掛けたので、娘と二人の夕食になった。
 
 小生の晩飯。時々、ステーキを食べる。この大きさでたったの565円である。上を見たらきりがないしこれで十分なので小生が一人の時はだいたいこのクラスだ。TPPがまだ発効していないというのに輸入肉は既にこの値段だ。この先、TPPが発効するようになったら更に輸入肉は安くなるのだろう。美味いけど高い和牛を買える人は和牛を買えばいいし、そうでない人間は安い輸入肉を買えばいいのだ、選択肢が広がるのだ、小生のように安い輸入肉が買えないからと言って和牛を買うということは無いし、和牛を買う人が輸入肉に流れることも無いだろう。美味い和牛は広く世界に出て行けばいい、需要はたくさんあるだろう。国産と輸入肉の棲み分けはちゃんとできるだろう。そして国や地方公共団体等が市場価格に介入せずに、生産者には直接払いで補助をすればいいのだ。今までの高関税を掛けるという長年の保護農政が良くなかったことは皆が分かっていることだ。
 
 話が逸れた。この肉、一度で食べるのは、食べられるがちょっとカロリーオーバーになると思うのでいつも半分だけにしている。今晩は娘と「はんぶんこ」だ。ジャガイモを茹でて潰して簡単なポテトサラダ、コーン添え、それから、豆腐とワカメの味噌汁。


平成28年 3月 4日(金)

 うん、暖かい一日だった、もう春だ、春だ。畑にいると懐かしいニホンミツバチの羽音がまとわりついてくる、ハチはどうしてまとわりついてくるのだろうか、いいぞ、刺してもいいぞと思っていたがそのうちにどこかに飛んでいった、そうか、このまま一気に暖かくなるのなら蜂ウトの整備も急がないといけないな。
   最低気温 4.7℃ (00:21)、最高気温 17.4℃ (15:00)

 今日は太郎の保育園の遠足日。遠足には全園児が保護者と一緒にいく親子遠足があるが、今日の遠足はそれとは別の卒園児のお別れ遠足で、年長組と年中組が複式クラスなので、太郎たち年中組も一緒に参加して、熊本市の動植物園と熊本空港に貸し切りバスで出掛けていった。親子遠足と違って、こどもたちだけの遠足で、遊園地の乗り物の切符を各自買うために一人ひとり別々に首からお財布をぶら下げてちょっと大人扱いの遠足だったので、太郎も前夜から楽しみにしていて、今朝なんか普段なら絶対に目を覚まさないうんと早い時間に自ら起きてきた程だった。太郎の体調が戻っていて良かった(写真1写真2

 今日も畑仕事。枯れ枝の残っている奴を燃やしたり、表の畑の残っていたマルチ二列を剥いで、ついでに、この地区の野焼きに先駆けて、野焼き(畑焼き)をした。ずっと枯れて乾燥していたので気持ちよく燃えていった(写真1写真2写真3写真4写真5)。何も一生懸命草刈りをしなくても、ずっと生やしたまま枯れさせて燃やせば一気に燃えて綺麗になる、これでいいのだ。あとはトラクターで鋤いて堆肥を入れてだな、やる気になれば早いのだ。
 
 ついでに裏の畑のマルチ剥ぎも一気にやってしまおうと思ったが、一列やっただけでグロッキー気味、カスを残さずに綺麗に剥ぐのは結構な重労働なのである。全部で12列あるので、とてもではないが簡単には行きそうにない、今日のところは一列剥いだだけで終わりにした。

 Kさんご夫妻。お風呂仲間である。と言っても、つい最近までお二人がご夫婦だとは全く知らなかった。ご主人の方はいつも同じ時間帯で風呂が一緒になり、また健康推進員としても存じ上げていた。一方、奥様の方は、太郎が最近は女風呂に行くことが少なくなったが、以前は女風呂で姉と一緒に皆さんにかわいがっていただいていて、その中のお一人として小生も存じ上げていた。娘なんか、今は、部活で風呂に行く時間が無くなったが、小学生の頃は色々な人から可愛がって頂いていたので、名前を存じ上げないので、その方の特徴で、なんとかのおばさん、なになにのおばさん、などという言い方をして識別していた。そういう言い方で言うと、K夫人は「オレンジのおばさん」と娘達は呼んでいた女性だ。どうしてオレンジなのかと言うと、何だったかもう忘れたが、お風呂の持ち物の何かがオレンジ色だったか何かだったと思う、あるいは服装だったろうか、小生も女風呂に入るわけには行かないので娘のそういった言い方でああなるほどと覚えていた、なんだったかなあ。

 話を戻すと、たまたまそのお二人から別々に滋賀県にお住まいのお知り合いが小生のホームページを見ていただいているという話を伺って、それが同じ人の話題だったので、ああ、もしかしてご夫婦なんだ、ということで、分かった次第である。
 
 今日、風呂の時間が一緒だったので帰りにそのKさんご夫妻のお宅にお寄りして、小松菜を頂戴してきた。お店に出したりするほど沢山作っておいでだそうなので、営農ですか?とお尋ねしたら、いやそれほどのことでもないとのことだったので、小生なりに解釈すると、半農半道楽的な畑仕事だろうと思っている。

 晩飯。ブリの塩焼き、ワカメの酢の物、生しらすのおろし和え。それから味噌汁だが、今日は油揚げと豆腐のつもりでいたが、急きょ頂戴した小松菜と油揚げの味噌汁に変更した


平成28年 3月 3日(木)

 晴れ。もう寒さは終わりだろう。
   最低気温 -3.2℃ (06:59)、最高気温 13.6℃ (15:13)

 もう薪が無くなるかもという恐怖感は去ったので今日は薪から離れて、畑の準備をした。いや、正確に言うと準備でなくて昨年の後始末である。去年のトマトなどの残骸がそのままになっていたので、ハウスの中や外の野菜類の残骸や支柱を綺麗に片付けて、マルチを剥いで、綺麗にしたところで、今更草刈りでもないので、野焼きならぬ、焼き畑でもしようかと思っているが、まだあと2列マルチ剥ぎが残って今日の作業を終えた。急ぐ旅ではないのでゆっくりすることにした。トマトの連作障害を避けるために、ハウスの移転をして、裏の畑は水はけが悪いので今年はこちらの畑にジャガイモを植えようと思っている。

 最近夕方太郎を迎えに行く頃に、時々、門のところに太郎よりも小さなクラスの子供達が並んで山の方を見ていることがある。なんだろうと思って先日先生にお聞きしたところ、山を列車が走っているのが見えるので皆で見ているのですよ、ということであった。たまたたま今日もそういう場面にぶつかった。保育園の南側を姿が見えないが列車が走る音が聞こえてそれから数分後に山道に姿を表し、トンネルを潜って見えなくなり、またすぐに姿を現してまたすぐに見えなくなるホンの短い時間だが、遠くに赤い列車の姿が見えると、こどもたちは一斉に歓声を上げる。太郎たち、年中、年長の子たちはあまり興味が無いと見えて、遊具の方で遊んでいた。(太郎は一晩で復調したようである)

 JR豊肥線は熊本県側の「熊本〜宮地」と大分県側の「大分〜竹田」がまあまあ走っているが、その間の「宮地〜竹田」はこの時刻表のようにある種空白地帯で一日にわずか普通列車は五本走っているだけである(この時刻表からもわかるように熊本から大分までの直行の普通列車は無く、一旦竹田で乗り換えなければならない)。その中の一本がちょうどこの時間、保育園が終わる頃に宮地駅を出て、外輪を登って竹田方面に走っているのである(JR豊肥線は地形の関係で外輪を登るほうが下り線になる)、めったに見ることが出来ないこの画像はそういう意味では、貴重なのである。撮り鉄たちには羨ましい光景だろう。列車がトンネルの間を見え隠れして走るこの辺り(古閑の滝は写真右端の赤い矢印よりもう少し右にある)、先年の豪雨災害でトンネルの中のレールが流れこむ土砂によって飴のように曲がったところである。この急坂の線路、時々車輪が空回りすることもある。昔はここを蒸気機関車が走っていたのだから隔世の感がある。

 晩飯。今日はひな祭りだが、それぞれ姉弟の昼食はそれに因んだ給食が出るのだろうと思って、定番のちらし寿司はやめて、炊き込みご飯にした。その代わりに、ケーキとイチゴをデザートに付けた、どうだ、こどもたち、至れり尽くせりだろう。豚の味噌漬け、豆腐とナメコの味噌汁。今晩も飯時にカミさんが帰ってきた。


平成28年 3月 2日(水)

 晴れ。ただ、今日の天気は変な表現だが、可もなく不可もなくと言ったようなあまり印象が残らないような天気だった。
   最低気温 -3.8℃ (03:34)、最高気温 10.3℃ (15:15)

 市役所から「高額医療費の申請について」という手紙が届いた。読んでみると、小生が昨年の10月に副鼻腔炎の手術で熊本市民病院に入院した際に支払った入院費などの自己負担額が法定限度を超えているから高額医療費として支給するという内容であった。当時の日記を読み返してみると想像していたよりも入院費が安くてホッとしたことを書いているが、それで終わったと思っていたらそれでも払い過ぎだということで、金額は僅かだが律儀にも返してくれるとわざわざ連絡をくれる、金額が金額だから辞退しようと思ったが、オイ待て待て、オマエ、それは「宋襄の仁」みたいなものだろう、という声が何処かから聞こえたような気がしたので有り難く頂戴することにして市役所の窓口に手続きをしに行ってきた。その際、身分を証明する免許証をお持ちですかと訊かれたので、運転免許証のかわりに出来立てホヤホヤの個人番号カードを提示したところ、担当の人???と不思議そうな顔をするので、これ、マイナンバーの個人番号カードですよ、と言うと、ああ、これがそうなんですか、初めて見ました。係の人も、個人番号カードに対面するのは今回が初めてだそうで、これがそうなんですか、と感じ入っている様子であった。

 日本の医療保険制度は本当に素晴らしいと思う。小生が支払った入院費は小生のような年金暮らしの者にとっては決して安い金額ではないが、それでも一週間ほどの手術入院で個人が負担する金額としては客観的に見て安いと思う。

 晩飯。煮込みハンバーグ、インゲン、ニンジンのグラッセ、、ジャガイモ添え、コーンポタージュ。カミさんが飯時に帰ってきた。太郎は今朝からちょっと調子が悪くて、保育園には行ったが、ずっと吐き気がしていて、戻しはしないし、下痢もしておらず、熱もない、夕食も皆と同じメニューを食べ始めたら、本人申告で戻すといけないから食べるのやめるといって写真を撮った後に食事を中止した。今、保育園ではインフルエンザは全く入っておらず、感染性腸炎も他のクラスで若干いるようだが、そんなに長時間症状が顕在化しないで続くのもオカシイので、違うような気がする、まあ、一晩様子見だ。


平成28年 3月 1日(火)

    最低気温 -6.1℃ (06:28)、最高気温 3.7℃ (14:49)
 昨夜は少し雪が降って、明けて晴れ。これが最後、これが最後と思っていた冷え込み、今朝が本当のこれが最後の冷え込みだったのだろう。・・・・・・と思っていたところ、明朝もまた同じような低温注意報が出されている。でもその後は急に気温が上昇するようで、これで最後の「低温」になるのだろう。そして今朝の冷え込みの中にも確実に春の気配は感じた。(写真1写真2

 昼飯前にちょっと屋外で伐採した木や蔓などの整理をしていたが背中がぽかぽか暖かくて今日は気温が上がっているなあと思って部屋に戻ってから寒暖計を見てみるとたったの2.6℃しかなかった、これで暖かいと感じるのだからいつも書いているが人間の気温の感じ方というものは不思議なものである。そして夕方、今日の最高気温はどのくらいだったのだろうと見ると、なんと3℃台にしかならなかったようだ。気象庁にしろ、ちゃんとした観測装置は百葉箱に入っていて、太陽光線は直接当たらないようになっているなかで大気の温度を測るので実際の生活をしている上での気温の感じ方とは違っていて現実的では無いと思う。実際に外で活動していると、太陽を浴びるのが普通なので、太陽の輻射熱が体感的には大きく物を言う。太陽の威力は本当に大きくて今日はまさにそんな天気で、風が当たらない場所では本当に温かった。
 
 そして、もう寒くはならないと思っていながらも今日も薪を作った
 
 阿蘇中岳、今日も白煙だが、活発に噴煙を上げていた
 
 シマのやつ、最近キャットフードを食べなくなった。と言うのはもう大分前から口の中に口内炎が出来ていて、食べた瞬間にその傷に食べ物があたって痛くて飛び上がることが時々あって、それでもキャットフードを食べていたが、もう我慢できなくなったのだろうか、食べなくなったので、試しに缶詰のキャットフードをやったところ、これは食べる。一番安いやつで三個で200円くらいだが、匂いを嗅いだところ、人間様が食べるマグロなどのフレークの臭がして美味そうである、ちょっと食べてみようかという気もする(が食べない)。この口内炎、特効薬のようなものが無いようで、最初の頃は軟膏をもらってきて無理に口を開けて、割り箸の先に脱脂綿を巻いてそれに軟膏を付けて薬を塗ってやっていたが面倒で、何となくやらなくなっていた。短期間ならこの程度の金額、どうということないが、我家の猫は「お猫様」では無いのだし、この先、延々と続くのだろうか

 晩飯。刺し身、出汁巻玉子、茶碗蒸し、ほうれん草の味噌汁



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