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平成23辛卯(2011)年10月の記録(新しい日付けの順)


平成23年10月31日(月)

 久しぶりに、カラッと、ではなかったが、それでも気持ちのいい秋空が広がった。それに気温も随分上がった。昨日の今日、自然は気まぐれで、そうそう人間の都合に合わせてはくれなかったようだ。
   最低気温 14.5℃ (06:49)、最高気温 19.6℃ (14:04)

 ようやく太郎本復、元気に保育園に行った、園でも今日あたりから皆出てくるでしょうとのことであった。なにより、小生が開放されてノビノビである、ああ、長かった。

 今日は、葬儀のお斎(おとき・・・告別式の日に会葬者全員に供される食事、この辺りの風習でどこもほぼ同じメニュー)に出される油揚げと大根のお煮しめを作ってみた。不謹慎かもしれないが、これが美味しくて葬儀の際の何よりの楽しみであるが、何も葬儀の機会を待つまでもなく自分で作れば良いなと、今日見よう見まねで作ってみた、豆腐を買ったついでにタダで頂戴出来る卯の花を使って、これも、お斎の時のメニューのひとつであるが、煎り卯の花を作った。更にオマケに、コンニャクの油炒めも作ってみたが、どれも出来が今一つであった。考えてみたら完全な精進料理だ、圓林寺あたりにでもお聴きしてもっと上手く作りたいところだ。


平成23年10月30日(日)

最低気温 14.4℃ (00:00)、最高気温 16.3℃ (13:05)

 昨日今日と二日間に分けて、「第一回 大阿蘇元気ウォーク2011」(資料1資料2資料3資料4 PDFファイル)が開催された。もともと毎年開かれていた市民のための健康作りのウォーキング(その前は町民のためのだった)に、だれが考えだしたのか、地元住民をそっちのけにして、遠方から沢山の人を呼び込んでこれを「儲け」のタネにしようとするヨコシマな考えを持ち込んだ者がいたようである。

 二日間に分けて、それも幾つものコースを設定、我々家族は毎年参加していたささやかな楽しみを、こういった形に変質しされて奪われてしまった。他に無いので、やむをえず我が家族も、本日開催の宿場コース10キロにエントリーしていたが、悪天候のために参加を中止した。我々家族は顔見知りの地元の人たちと秋の日差しを浴びながらノンビリと阿蘇路を歩くのが目的だったので、代わりに、家の前に出て、通過する人たちに時々応援の声を掛けたが、この雨をものともせずに準備万端で皆さん歩いておいでだった。

 長距離30キロコースは朝7時スタート(以下一時間おきのスタート)なので20分過ぎには降りしきる雨の中、参加者はもう我家の前を通過して行った、こういった長距離コースを歩く人はマニアックな人たちなのだろう、まるで競歩のように、先に先に、他人よりも早くという姿勢であたりの風景を楽しむというような余裕も、又興味も無いのだろう、走るように通り過ぎて行った。

 腰の曲がったおばあさんは杖をついて20キロコースだとのことであったが、雨でもあるし、10キロに途中で変更すると言って我家の前を通過して行った。地元の人たちも沢山参加を予定されていたと思うがこの雨で中止したと思われ、通過する人たちの中に顔見知りはほんの僅かだった。家の前を通過する人たちの何人かに、何処からですか、とお尋ねしたら、ある人は八代から、またある人は埼玉からです、とのことだった。えっ、埼玉ですか、このためにわざわざ来たのか、ついでなのか聞きもらしたが、こういう人たちが雨という悪天候ながら歩かれたのだろう。せっかく遠方から泊りがけで参加した人たちには当然天候のリスクは織り込み済みだろうが、本当に気の毒な限りである、自然相手のイベント開催は慎重に取り組まないとかえって逆効果になりかねないという気がした。せっかく遠方からおいでになったのに生憎の雨で、お気の毒なことをしましたねえ、と旅館などの宿泊業者や旅行会社は儲け第一主義でなく、こういった場合の埋め合わせ的なプラスアルファーは考えているのだろうか。

 娘を図書館に送るついでに坂梨公民館前のチェックポイントを通ってみたが、雨の影響は少なからずあったようで補給用の水やバナナが沢山余っていたようだ。また今日は広場に簡易トイレも用意されていたが、この程度のトイレが一基で良いのだから、坂梨宿を訪れる人たちのために常設しておけばいいのにとも思った、それが市としての「おもてなしの心」だろう、宿場會ではいつもそのことを言っている。阿蘇が昨年、世界ジオパーク認定に落ちた、確か、観光客の受け入れ態勢が十分でないというような理由だったと思う、落ちる方がおかしいほどの素晴らしい財産を持っていながら落ちたのだ、こういったことにも理由があるのでは小生は思っている。

大阿蘇元気ウォーク2011 連続写真(1/2)
大阿蘇元気ウォーク2011 連続写真(2/2)


平成23年10月29日(土)

 曇りのち雨。何とか降りそうで降らずにきた天気も昼ころだったろうか、弱い雨が降り始めてその後ずっと降っていた。
 最低気温 16.0℃ (04:00)、最高気温 17.1℃ (09:35)

 今日明日と市主催のウォーキング(資料1資料2資料3資料4 PDFファイル)がある、我々は明日の宿場コース10キロにエントリーしているが、今日の参加者は雨に祟られたようだが、明日は今日よりもっと悪そうである。その時は参加をやめるが、あると想定して、定時そば打ちを本日繰り上げ実施。

 今ロットの蕎麦粉はのしていて割れるので、今日は外1.5にして丁寧に打ってみた。小生のスキル、回を追うごとに練れてきた感がある。太郎も病癒えて、食うこと食うこと。(写真1写真2


平成23年10月28日(金)

 曇り、午後になって時々弱い雨が降る。昨日のうちに今日は昨日までのように低温にならないと聞いていたので最初からストーブは焚かなかったが、却って中途半端な気温で室内は寒々していた。
  最低気温 8.3℃ (01:17)、最高気温 17.5℃ (10:57)

 太郎、無理をしたら行けるかなと言うところまで回復、用心のために今日も休ませる。明日はカミさんが休みなので保育園も休む、月曜日から復帰という段取りである。仄聞するところによると、太郎のクラスは二三人を残して全滅だとか。

 今日もただひたすら、太郎の相手をして過ごす。


平成23年10月27日(木)

 昨夜はストーブに太い薪を投げ込んで寝たので朝まで部屋が暖かく、屋外の気温が判らなかったが今朝も昨日と同じくらいの気温の低さだったようだ。そして今日も美しく晴れあがった。いつの間にか欅などが色濃く紅葉している。
    最低気温 4.6℃ (04:37)、最高気温 18.4℃ (13:12)

 今日はカミさんの仕事が無い日なので三分の一くらい太郎の看護から解放された。太郎、大分食べられるようになってきた、それでも時々傷口に食べ物が当たるのだろう、イタイ、イタイと涙を浮かべている。痛いことを相手に知らせるのは意思表示の優先度が高いのだろう、かたことだがイタイと言う言葉はもう発する。

 久しぶりにプールにも行った。しばらく泳いでいないので今日は2000m泳いで少し体をいじめてみた、1000mだと全く疲労感は無いが、2000m泳ぐと体に少し倦怠感が残る。プールからあがって、温泉に入る前にいつも体重を量っているが、66.6という目盛りに、体重計が狂っているのかと思って二度三度体重計に乗り直して確認したが、それでも66.6、先週68.5あったので一週間で二キロ落ちている。確かに続けて重い欅を積み下ろしなどやったし、惰性で食べる部分をやめたりしたことはしたが、それだけでそんなに減るものだろうか。帰ってから再度我家の体重計で量ってみたが間違いは無かった。


 以下のようなフィッシングメールが届いた、小生の場合は取引が無いのですぐにオカシイと気が付いたが、だまされる奴なんて居るのだろうか、居るのだろうな。
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 今の時期、NHKで高校野球の地方大会のラジオ放送をやっている、問答無用で定時番組が無くなる。小生は野球に興味無いからかもしれないが、今の時代、誰がどういう基準で判断しているのか知らないが、それほど野球放送は優先されるものか、と常々疑問に思い、腹立たしくすら思っていた。が、である。今はインターネットでラジオを聞くことが出来るようになったので、勝手にやってろという気でいるが、インターネットが使えない年代層で通常のラジオ番組を楽しみにしている人たちが大勢いるはずだ、逆に野球の中継のようなマニアックなものなんてインターネットでやれよ、という気もする。


平成23年10月26日(水)

 放射冷却の影響で、明け方、ぐっと冷え込む。その分、美しい夜明けと日中は秋空が広がる。畑の霜はちょっと分からなかったが屋根が白くなっていた

 周辺軒並み今季最低気温だった、阿蘇山上も2.8℃、ここでも4.1℃を記録したのに、阿蘇乙姫は5.1℃だった、ここは山付き、乙姫は阿蘇谷平野部、ちょっとした地形でこれだけ違ったのだろうか、いつもは乙姫の方が低くなるのだが、アメダスの計測違いではなかろうか。
  最低気温 4.1℃ (05:14)、最高気温 17.3℃ (14:41)

 流石に今日はストーブを焚いた。

 今日も昨夜からずっと太郎の看護の一日。手足の湿疹が顕著になってきたが、気分は昨日より良さそうである。昼にパンを牛乳とバターとチーズでトロトロにしたオートミールのようなものを作って食べさせたが、喉の通りが良かったとみえて美味そうに食べていた。今日は薪取りの誘いがあったが全く動けなかった。


平成23年10月25日(火)

 今日は午後から晴れるという予報だったともうが、ずっと低い雲が垂れこめていた印象が強い。
 最高気温 17.8℃ (11:54)、
 最低気温 09.6℃ (20:02)、朝より日が暮れてからの方が低くて、更にどんどん下がっている、明日は霜注意報が出されていて、現に家に居ても気温が下がっていることが体感で分かるほどだ。

 手足口病のせいで太郎、昨夜から眠り浅くて何度も泣いたので、カミさんは仕事があるので、夜中じゅうずっと小生が付き添ってあまり寝る事が出来なかった。そして、明けても、ほとんど付きっきりで、なだめたりすかしたり、結局十数時間付きっきりで過ごした、ただただ忍耐の一語に尽きる。

 昼前に、バナナを食べさせたところ、急に涙をボロボロこぼして大声で泣き出した。口中の湿疹が破れたのだろう。こうなると食べ物が食べられなくなるそうだから、いよいよ点滴かと思って、色々試したところ、アクエリアスやヨーグルトは大丈夫そうなので、とりあえずは脱水症状は起こさないで済みそうで、ヨーグルトを食べられるのであれば栄養点滴もとりあえずは必要ないだろうと言うことで、対症療法であるが痛み止めのシロップを古閑医院から貰ってきて飲ませている。いつもミカンが好きで一個まるまる食べているが、今日もミカンを指差して、ウーウーと催促したので、まあ、結果は分かっていたが、試しに与えたところ、二袋くらいまでは普通に食べていたので、オッ、ミカンは刺激しないのだろうかと思っていると、三袋目で急に大泣きをし始めた、はやりミカンの酸が痛かったのだろう、あたりまえのことだがちょっと可哀想なことをした。夕方になって気分が良いのか、笑い声をあげて遊んでいる。夜にはアイスクリームも買ってきてもらって美味しそうに食べていた、まあ、回復もそんなに遠くないだろう、と思う。


平成23年10月24日(月)

 晴れ。朝もやの立ちこめるなか、こどもたちは登校して行った。(写真1写真2
最低気温 11.0℃ (05:44)、最高気温 21.5℃ (13:31)

 久しぶりにカミさんに代わってみどりの爺様出場。

 午前中、先日の大欅の積み残し分を、一人では抱えられないので、人の手を借りて積み込んだ。その途中に、保育園から電話があり、太郎クンは口の中などにポツポツが出来ているのでどうも手足口病のようですよとのこと。

 手早く薪材の積み込みを終えて家に取って返して薪材を下ろしてから、カミさんの職場で車を取り替えて11時過ぎに保育園に迎えに行って古閑医院に連れてゆく。診察の結果、口の中にポツポツは出来ているが、手足には是と言った症状は見られないので、少し様子を見ましょうとのことで帰ってくる。この手足口病は薬が無いそうで、仮に発症しても、基本的には自然治癒を待つほか無いようである。最近保育園や小学校でも流行っていて、大人にも感染するとのことで、昨夜、家族で確認し合ったばかりだった。あまり怖い病気ではないようであるが、場合によって重篤化することもあるそうである、経過を見守るしかないが、今夜、38℃くらいの熱が出ている。

 まあ、いずれにしても、数日間は小生が家で太郎に付きっきりになり、完全に小生が動けなくなったと言うことである。

 娘、今日、母親に連れられて、インフルエンザワクチンを打ちに行く、小生も、太郎を連れて行った時についでに打ってもらえば良かった。



平成23年10月23日(日)

 午後に入ってようやく青空が見え始めたが、日射しがめっきり弱くなった気がする。
   最低気温 14.1℃ (06:59)、最高気温 20.2℃ (13:55)

 今日も一日家にこもっていた。昼にはルーチンワークになった蕎麦打ちをした。今回は今までの品種と違う蕎麦粉を取り寄せて外一で打ってみたが、ひきぐるみではないが今までの蕎麦粉に比べて色が少し黒っぽい気がした。そして、つなぎを入れたのに、ノシの段階で周辺に少し割れが入った。小生の腕が悪いのだろうが、来週は外二で打ってみようと思う。今日は蕎麦に加えてカミさんが精進揚げを作ったので贅沢は昼食になった。

平成23年10月22日(土)

 時々雨が降り、終日低い雲に覆われた一日だった。

 本日は読書とDVD映画を見て過ごす。

 久しぶりに家族の昼食の惣菜を作る。

 カミさんは今日は休みだった。カミさんだけインフルエンザの注射に行った。

平成23年10月21日(金)

 終日、ほとんど雨が降っていた。ただ、今回の雨は南から湿った空気が吹き込んで降らせる雨なので、九州の東半分、鹿児島、宮崎や大分で大雨が降って、その残りが九州山塊を越えてこちら側(西側)に降っているので、量的にはそれほどでもないと思う。 
   最低気温 17.7℃ (00:00)、最高気温 18.7℃ (12:52)

 注文してあった蕎麦粉が届いた。今回は3キロ取り寄せた、「ほろみのり」という新しい品種、どんな蕎麦になるだろう。

 今年もまたプールの年会員の更新をした、去年は全く元をとらなかったが、今年は果たして・・・。本日、プール、1000m、68.5。

 娘の定期通院、こども教室を休ませて温泉病院に連れて行った。今日は珍しくトントン拍子で診察が終わったが、迂闊にも財布・免許証一切合財忘れてしまった。カミさんに電話して、保育園で太郎を迎えた足で、財布を届けてもらった。

 九州ではもう大分前に絶滅しているという熊を登山者が祖母山で目撃したと言うことでちょっとした騒ぎになっている。小生は熊じゃあないだろうと思う。一頭だけでは種の保存はできないだろうし、複数頭いるのならもっと目撃や痕跡が見られると思うからだが、居て欲しいと言う気持ちと、居ない方が安心だと言う気持ちと。


平成23年10月20日(木)

 今日も穏やかな晴れ。
  最低気温 11.2℃ (02:32) 、最高気温 21.8℃ (12:31)

 朝一番で上村さんから欅を切るという連絡を受けて出動する(山口定俊さんも薪集めに参加した)。今日の現場は坂梨交差点近くのT屋の大欅である。今回は枝払いだそうだが、とにかく大きな欅で胴回りは三人がかりで手を回して届くくらいの太さである。だから枝と言っても普通の欅の幹ほどの太さである。ついでに欅の隣りの大きな朴(ほお)の木も伐採された。今回の作業、とても今日一日では終わらず早くても二日は掛かるそうである。今日は午前中に一回、午後は三回軽トラで運搬したが、30キロも40キロもある太い幹を持ちあげたり下ろしたりしたので今日の作業が終わった時には体が悲鳴を上げていた。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 そうでありながら、昼にはちゃんとプールに行ってきた。これも、昨日の健康指導の目標があるからである。1000m、68.5。

 娘、捻挫負傷ほぼ治癒、本日下校時より徒歩にて帰宅。

 太郎、歯の検診と歯磨き指導が市の保健センターで開催され、午後から保育園を半休して母親が連れて行った。もう歯の前の方はかなり生え揃ってきている

 

平成23年10月19日(水)

 晴れ。穏やかに秋の日が過ぎてゆく
   最低気温 7.6℃ (05:01) 、最高気温 21.2℃ (14:07)

 8月に受診した市の健康診断の結果発表があり、午前中、うまい具合に休みだったカミさんと一緒に坂梨公民館の説明会に行ってきた。カミさんはほとんど問題なかったが、小生は斯くの如き結果であった、中性脂肪が異常に高かった。それに悪玉コレステロールといわれるLDLも。それ以外はほぼ正常で、胃や肺のガン検診も問題なかった。全く医者のお世話になっていなくて、この歳で、この程度ならオンの字だろうと思ったが、おっとどっこい、そのまま素直に帰してくれなかった。食事の摂り方などの指導のあとに半年後の目標体重と腹周りの目標設定をさせられて、定期的にチェックを入れてくれるそうである。市としても、医療費抑制のために、病気になられないうちに手を打っておこうという深謀遠慮からだろうが、最近は水泳もちょっとサボり傾向にあったので、こういった外圧も有効だろうと、この勧告を謙虚にそして積極的に受け入れて、日々精進するつもりである。

 昼から薪作りをした。ようやく太い幹をいくつかに切り分けた。ここまでやっておけば、後は楽である。今年は太い幹が他にもまだ沢山ある。


平成23年10月18日(火)

今季最低の気温を記録したが、この気温、下界ならもう冬の気温だろうが、まだ家屋の壁や天井などが冷え切っていなからだろうか、思ったほど寒さは感じなかった。だから暖房が欲しいとは思わなかったが、なんとなくもう焚かなければならないという気がして、今日が今季のストーブの焚き始めになった。朝冷え込んだ分、日中は気持ちのいい秋空になった。
   最低気温 5.6℃ (05:32)、最高気温 19.4℃ (14:52)
   アメダスの公式記録、阿蘇乙姫 4.5℃(06:41)

 朝一番で、上村さんから、成川(阿蘇町)で欅を切るぞ、と電話をもらって軽トラックで駆けつけて手伝いながら午前中かかって一杯積んで帰ってきた。(写真1写真2

 午後からは、薪作りをする、大分長い間置きっぱなしになっていた太い幹(エノキだったと思う)に四苦八苦していると、征司さんが通りかかってトラクターにバケットをつけたやつで幹をひっくり返してくれた

 例によって、敷地内に咲いていた、花と葉がどうもアンバランスな気がするが何という花だろう
 (早速回答を得た)
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■ツワブキ■ 投稿者:asobowzz 投稿日:2011年10月18日(火)20時58分
 ツワブキ 石蕗の花が咲く季節になりましたナ。
屋久島の一湊地区では オコバナ と呼んでいました。
浄土真宗の「報恩講」に因んだ呼び名です。
http://orange.ap.teacup.com/enrinji/
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平成23年10月17日(月)

 今日も穏やかに晴れる。
  最低気温 11.6℃ (04:22)、最高気温 18.1℃ (11:56)
  但し、最低気温は夜になって更新されそうだ。

 娘は捻挫でドクターストップがかかり、登下校は当分、車での送迎になった。医師からは二週間ほど静かにしているように、とのことだったが、若いのでそんなに長くは掛からないと思う。

 結局、娘と息とで、朝は送りに二往復、夕方は二人まとめて迎えに行く。

 今日もじっくり溶接を楽しんだ。すみ肉溶接やその他、色々と溶接をしてみた。単にビードを乗せただけだが、ガスで切ってグラインダーで磨いて断面を見てみたが、半田等のようにくっ付けているのではなくて母材と溶接棒が混然と溶け合っているのが良く分かる。

 ガス切断用の酸素が無くなった、予備に一本持っていたので、付け替えたが、アセチレンのボンベ一本に対して酸素ボンベは二本半くらいの割合だそうで、アセチレンの方はまだ心配が要らないようである。



平成23年10月16日(日)

 穏やかな一日だった。
   最低気温 12.6℃ (06:59)、最高気温 18.8℃ (14:15)

 昼に蕎麦を打つ。本日も500グラムを外一で打つ。先週よりも満足のいく出来だった。が、まだまだ。カミさんがまた御不例とかで昼間寝込んでいたので、三人でほとんど全部食べてしまった。

 襷用のヒモ、婆様存命中には箪笥に腰ひもが沢山あったはずだが全部始末してしまったかもしれない、ちょっと探しても見つからなかった。刀の下げ緒がちょうどいいらしい、剣道の道具屋でも覗いてみるか。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7


平成23年10月15日(土)

 昨夕の風、台風ならサッと通り過ぎるが、前線は速度が遅くて長時間強い風が吹いていた。朝には風に吹き千切られた木々の葉っぱな道に散乱していた。今日も天気がはっきりせずに、終日、雨に煙るような天気だった。
最低気温 17.8℃ (06:43)、最高気温 20.1℃ (11:53)

 今日も娘の病院に付き合う。二週間ほど前から首筋に湿疹様のものができて痒みがあるというので、病院で診てもらおうかねと思っているうちに、昨日捻挫をして昨日よりも腫れて痛いというので、ついでに、ということで、温泉病院に連れて行った。

 皮膚科の方は、光沢苔癬というやつでしょう、放っておいても治ると思いますが、塗る薬を出しておきましょう。整形外科はレントゲンを撮って、骨には異常が無いので湿布を貼ってしばらく静かにしておいてくださいというとで湿布薬を貰って来た。

 昼からは娘の級友姉妹が新聞作りをしにやってきて夕方まで一緒に遊んでいた。

 今日も土曜保育の送迎をする。


平成23年10月14日(金)

 低気圧の通過で、雨域が西から九州を通過して東に移動している。朝のうちは曇りだったが、昼前から降りだして、雨量は大したことなく夕方には雨のピークは過ぎた感があるが、そのかわり風が強まってきて、午後8時ころには13mの風が吹いている。
  最低気温 18.4℃ (03:36)、最高気温 22.3℃ (10:52)

 今日は太郎は保育園の遠足、夏子は学校開放日。カミさんは今日は仕事が休みの日だったので、太郎を遠足に連れて行った。遠足は雨天でも良いように考えてあったようで、予定通り実施された。産山牧場<http://www.ubuyama-v.jp/2005/10/26-114507.html>である。(カミさんは写真を撮ろうとしないので記録は無い、どなたか提供していただくと有難いのだが)

 小生は娘の学校開放日の参観に出掛けた。一般的には授業参観日は自分の子どもの学級を参観するが、開放日にはどの学年の授業を見てもいいことになっている。授業中にも係わらず、先生に断りも無く各学年(一学年一学級である)の教室の写真を撮らせていただいた。一年生の教室二年生三年生四年生五年生六年生

 坂梨小学校には明治時代の教科書が大量に保管されていて玄関ロビーに展示してあるが、このように昔の教科書が残っているのは全国的にも珍しいらしい。当時の住所がまたスゴイ
 
 娘、昼休みにドッジボールをしていて足首をねん挫して歩いて帰るのはちょっとムリそうだという学校からの連絡で、迎えに行った。学校で湿布をしてもらったようだが、まあ、放っておいても大丈夫だろう、一晩様子見である。


平成23年10月13日(木)

 概ね晴れ。
  最低気温 15.8℃ (06:01)、最高気温 23.5℃ (14:08)

  昨夜、娘に、宿題が少し残っているから、明日5時に起こし欲しいと頼まれていながら、寝過してしまって起こしたのが5時半過ぎ、一度、三時頃目が覚めて、起きようかと思っているうちに珍しいことにまた寝てしまったらしい。

 こどもたちが登校のために集合したころから弱い雨が降り始め、傘を持った子は持たない子を傘に入れて一つの傘に二人ずつ組んで登校して行った。その後雨はすぐに止んだ。

 昨日、娘の水泳教室の迎えで、ロビーで待っている時にテレビである料理屋の「賄い飯」をやっていて、サンマのすき焼きなるものを紹介していた。えっ?そんなのあるの?と、カミさんが作っていった弁当は横に置いておいて、早速今日の昼飯に作ってみた。ものの20分程度で出来る。肉のすき焼きとは比ぶべくもないが、まあ、まあの味だったが、やはりサンマは塩焼きに限る・・・・さんま、さんま、さんま苦いか 塩つぱいか。小生はどうも料理を作るのが基本的に好きなようである、料理に限らず、「作る」のが好きなのかもしれない。

 昼から、久しぶりにタップリ溶接の練習をする。夏の間は前掛けやら手袋やら腕カバーやら防塵マスクやらを身に付けて、面を被って重装備で、しかも鉄板からの発熱で暑くてたまらなかったが、もうそんなに気にする必要が無くなって快調に溶接棒を焚くことができる。

 我家の貴重な柿、今年はもうそろそろこれで終わりだ。

 夜八時から坂梨宿場會例会に出席する。


平成23年10月12日(水)

 晴れ。今日は娘たち、屋外授業で牧野に出掛けたそうだが、とても暑かったと言っていた。朝と昼との温度差が大きい。
   最低気温 10.8℃ (06:50)、最高気温 24.7℃ (13:58)

 太郎、保育園に送って行ったが、いつもの保育士さんだったが珍しく手渡す時に泣いていたなあ。

 「Nみの」(ワザとらしい伏字)の主からインターネットがつながらないとSOSが入ったので出掛けて復旧したが、かなり重篤(*)な症状だった。

                (*)モデムの電源が抜けていた・・・・・・・・


平成23年10月11日(火)

 朝、少し、しっとりと濡れる程度に雨が降っていたが、間もなく止んだ。
   最低気温 14.3℃ (05:37)、最高気温 23.6℃ (13:15)

 ずっとポットに入ったままの白菜の苗、毎日水は遣っていたが、それでも少し黄色くなってきた、狭いところでは無理なんだろう、あわてて、今日ざっと畝を立てて、下の方に堆肥を入れて土を被せてから定植しておいた。やっつけ仕事だが白菜にとってはポットに入れっぱなしにされるよりは居心地は良いだろう。

 息を保育園に迎えに行って、娘が放課後子供教室・・今日は竹馬だったようだ(写真1写真2)が終わる午後4時半ころに小学校前で仕事が終わったカミさんと落ち合って、息を車ごと引き渡して、小生はカミさんが乗ってきた軽トラに今度は娘を乗せて温泉病院にアレルギー性鼻炎の定期通院に連れて行った。

 本日、上納米二袋届く、これで、我家のストック、今年の米が七袋、去年の米がまだ二袋(内一袋本日精米)ある、都合、30キロ×9袋、我家では年間どのくらい食べているのだろうか、息が食べるようになったとしても、ちょっと食べきれないだろう。



平成23年10月10日(月)  体育の日

 晴れ。今日も起きると霧に包まれていた、外輪のライブカメラを見ると、今日は雲海になっていたようだ
    最低気温 10.1℃ (06:38)、最高気温 23.8℃ (15:52)

 昼、先日来蕎麦を打て、蕎麦を打て、という家族の声で、先日入手した新蕎麦粉で蕎麦を打った、久しぶりなので生粉打ちは自信が無かったので、 外一(蕎麦粉10に対してつなぎ1の割合)で打った。随分ブランクがあったわりには、総じてそつ無く打つことができたと思う。ただ、あまりに久しぶりだったので、打ちながらあれが足りない、これが無いと慌てて道具を探し回る始末だった。それから「切り」で、気をつけたつもりだったが太くなり過ぎた嫌いがある。

 太郎は生まれて初めてなので、蕎麦アレルギーのチェックで一本二本食べさせてみたが、大丈夫なようなので、ちゃんと座らせて食べさせたところ、少しあれば良いだろうと思っていたが結局一人前ペロリと食べて、更には蕎麦湯まで蕎麦つゆ入れないまま、ごくごく飲みほしていた。今日は500グラムの蕎麦粉を使ったが結局カミさんの分が少し足りなかったようだ。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 これから毎週日曜日には打ってくれと家族が言うので、まあ毎週とはいかないだろうが、なるべくリクエストに応えるように努力しようと言っておいた。娘も息も幼いにも係わらず蕎麦が好きだということが判って嬉しい限りである。何かで読んだが、蕎麦粉が3割以上入っていると、うどん粉が7割入っていても蕎麦と称してい良いことになっているそうで、巷にはそういった蕎麦もどきが多くあるが、我家のこどもたちは本物の蕎麦を蕎麦と思って食べているのだ。

 昼前、DI局が何か籠を抱えて見える。何だろうと思って見ると、色とりどりのビーズで造ったたくさんのアクセサリというのかストラップが入っていた。どうしたのですか、とお尋ねしたところ、DI局の高一のお孫君が造ったのだとのこと。造ったはいいがこれをどうするかはまだあまり具体的には考えていないが、とりあえず、小生のホームページで紹介してもらえればと思って、とのことであった(小生のホームページはそれほど沢山の人が見ているわけではないのだが)。見てみるとひとつひとつキャラクターの特徴を上手く捉えてビーズだけで非常によく造られている。娘たちも頂戴して喜んでいた。坂梨のどこかお店にでも置いてもらったらどうだろうかとふと思った。(写真1写真2写真3



平成23年10月 9日(日)

 晴れ。朝のうち久しぶりに阿蘇谷は霧に包まれた、雲海が出ているかなと思って外輪にあるライブカメラを覗いてみたが、霧は山よりも高く立っていたようで雲海にはなっていたかったようだ。日中は相変わらず視界があまりよくなかったが素晴らしい秋晴れだった。
   最低気温 10.1℃ (04:59)、最高気温 24.5℃ (14:15)

 好天の三連休で行楽客で道路も混雑していたようで、カミさんたちは大津まで買い物に出かけたが、帰り路に渋滞に巻き込まれていると電話が入って、二重峠経由で帰って来た。

 小生は午前中、例の欅の切り出しに行ったが、幹が太すぎてあまり捗(はか)がいかず、次回はチェンブロックを持って行ってそっくり軽トラックに積んでこようかとも思っている。


平成23年10月 8日(土)

 久しぶりに朝の気温が下がった、しかし今回は体も心も準備ができていたので先日ほどの寒さは感じなかった。そして日中は汗ばむほどの気温になった。ただ、今日は終日周囲の景色が霞んでいて、山もハッキリ見えないほどだった、何だったのだろうか、煙霧というやつだろうか。周囲の田は早世のコシヒカリの収穫も終わり、晩生のひのひかり(だったかな)の稲刈りまでちょっと間があるので、コンバインも動かず静かな田が広がっていた。
 最低気温 8.4℃ (06:59)、最高気温 23.1℃ (14:20)

 息はカミさんは平日が休みだが土曜日も仕事があるので、土曜保育に出掛けた。娘の時は土曜日は休みだったが、今回初めて土曜保育をお願いすることになった。普通は金曜日までか、土曜午前中が標準だが、土曜の夕方までの保育はオプションになる。おかげで心置きなく小生も屋外作業をすることができる。

 そう言いながら今日は屋外作業は特になかった、ただ、娘のリクエストで久しぶりに蕎麦を打つことにしたので、打ち粉を神楽苑まで買いに行ってきた。

 娘は学級新聞を作るのだそうで、級友の家まで出掛けて行った。


平成23年10月 7日(金)

 今日も清々しい秋の一日だった。
 最低気温 11.3℃ (05:46)、最高気温 22.2℃ (15:15)

 今日は特に屋外作業はやらなかった。その代わりと言ってはなんだが、小生とカミさん、育った食文化が違う、小生が食いたいものをわざわざ手ほどきをして教えるのも面倒なので、カミさんが仕事で居ないのを幸いに、自分で作った方が手っ取り早いとばかりに午後から料理をした。料理と言っても惣菜であるが。


平成23年10月 6日(木)

 抜けるようなとはいかなかったが秋空が広がり暑からず寒からず、実に清々しい一日だった。
     最低気温 14.3℃ (06:25)、最高気温 20.4℃ (13:51)

 昨夜、日付が変わる前、ドンと突き上げるような地震で目が覚めた、それでもこのくらいは大したこと無いなと思って起きずにそのまま寝てしまった。今朝になって、ここから30キロくらいしか離れていない菊池市で「震度5強」だったそうで、東日本では震度5強くらいはもう慣れっこだろうが、熊本では観測史上初めての5強だったらしい、ここでは震度3くらいだった。

 昼から、思い立って随分久しぶりに畑を耕した。数日前から白菜の苗を買ってきてポットのままで置いてあり、カミさんが定植してくれと言うので、じゃあやるか、ということになったのだ。又、そろそろたかなの種を蒔く準備もしなくてはならない。かなり草が生えていて、一旦刈払機で刈り取ってから鋤いた方が良いかとも思ったが、まあこのままでいこうとトラクターで鋤きこんだ。またジャガイモのマルチがそのままになっていて、二列は確か不活性のマルチだったなあと思いだして、手で掘り起こして取り除いた。そんなわけで今日は鋤くところまでで終わった。

 敷地内にまた知らない花を見つけたので、日記に載せていつものようにSOSを出そうかと思っていたら、カミさんがこれはミズヒキというのだ、とのたまう。なんでお前が知っているのかと聞くと、昔、生け花で使った記憶があると言う、ふ〜ん。

 太郎の月誕生日の定点観測。今月から自力で体重計に乗ることができるようになった、10.6キロ。浴槽内でももう体を支える必要が無くなった



平成23年10月 5日(水)

 終日、細かな雨が降っていたような気がする。
   最低気温 14.8℃(00:00)、最高気温 18.8℃ (12:59)

 屋外作業ができないので、一日中、本を読んで過ごした。

 今朝散歩の途中で村の長老Kさんから、隣りの犬、Kenが死んだということを聞いた。先日、靖昭さんのところのGontaが死んだばかりだった。二匹とも我々がここに来た時にはもう成犬になっていたと思うので、あれからもう10年、犬の寿命から考えるとあるいはそんな歳になっていたのかもしれない・・・


平成23年10月 4日(火)

 曇り、午後に入って少し弱い雨が降る。今日もまたワンステップ気温が下がった。体がまだ慣れていないのでそれほどの気温でもないのに妙に寒さがこたえる、子どもたちも、いつの間にかもう冬支度で登校していった。(写真1写真2
     最低気温 11.3℃ (01:27)、最高気温 16.0℃ (12:36)

 我家の柿はここ数年、カキノヘタムシがついて、梅雨前に薬剤を撒かないと実が付いても熟す前に全部落ちてしまう。今年もハチを飼っているので殺虫剤を撒かなかったが、それでも今回は少しは残っているほうで、今ちょうど熟れ始めていて、数が少ないと思うと急に貴重に思えて、大事に採っては食べている。

 今日は娘たちは4年生と合同(総勢32名)で、熊本まで社会科見学旅行に出かけた。プラネタリウムと消防署の見学だそうで前から楽しみにしていた。保育園に行くために太郎を乗せて通りかかると、すでに校門前に観光バスが到着していて、まさにこれから出発という時で、校長の訓示の最中だった。(写真

 太郎は裏地に姉の名前の縫いとりが付いたままのお下がりの冬用の園児服を着て保育園に行った。

 朝一番で宇治歯科に定期メンテナンスに行く、初めて歯にフッ素を塗ってもらった。


平成23年10月 3日(月)

 うす曇り。北海道で初雪が降ったそうだ、これは記録的な早さらしい。ここでも少しずつ最低・最高気温が下がってきている。
   最低気温 11.5℃ (05:37)、最高気温 18.0℃ (14:27)

 夏子も太郎も普通に小学校・保育園出掛けた。そして、カミさんが今日からパートに出だした。そのうちに市内の何処かで見かけられるだろう。その分、小生の仕事が増えることになる。

 早速、昼食時、太郎の保育園に薬を飲ませに行った。保育園でも飲ませてくれるが、まだ手がかかる子が多くてとても保育士さんたちの手が回らないだろうと、自主的に薬を持って出張った。太郎、突然小生が行ったので、顔がこわばっていた。居るはずのないところに突然父親が顔をだしたので驚いたのだろう。風邪のシロップ薬と目薬を腕力で押さえつけて与えてきた。小生が帰る時には平常心を取り戻して手を振っていた。太郎、頭の毛が少ないなあ、娘の時もそうだった、だから、そのうちに生えるのは分かっていてもなんとなく気になる。

 その後、今度は、娘の温泉病院の定期通院に付き合った。娘、今日は学校の都合で全学年午後1時半終業だった。夕方には太郎を迎えに行った。

 K5さんから国交省の珍しい航空写真に関する情報を貰って、小生も坂梨の航空写真を探してみたところ、1948年、昭和23年、小生が5歳のころの写真が見つかった。小生はこの時は(この後もずっとだが)ここには住んではいなかったが、終戦直後の頃の坂梨の写真だ。 現在のように大規模な圃場整備がされるずっと以前の写真で、道路も田んぼの形状も今とは随分と違う、子どもたちが毎日通学に使う道もくねくねと曲がっていて、福原に通じている道も途中から大きく東方向に逸れている、馬場村では随分と山の上まで田畑が拓かれていて、鬼塚も同様で、北坂梨と坂梨との往来がこの道の方が、現在の豆札を通る道より遥かに近かったと言うことが良く分かる。国策の杉の植林事業が始まったのはいつのころだろうか、この写真に写る木々は杉だろうか雑木だろうか、まだ牧野が広く美しく整備されている、馬場村の上部あたりから卯の鼻に向けてハッキリ見えている道は栗の木坂だろうか、浄福方面も斜面の上の方まで耕してある、57号線のバイパスは当然無い、265号線も見えない、我家の前の道も今とはかなり違う気がする、我家の敷地に家が写っているが、これは昔祖母が住んでいた江戸時代から唯一残っていた数寄屋造りの離れだ、網代の天井や丸窓の記憶がある、その後無人になり朽ち果てて無くなってしまった・・・・今にして思えば貴重なものを失ってしまった。


平成23年10月 2日(日)

 今日も雲が少しあったが、穏やかな一日だった。運動会や祭、村の行事など大きな行事が全部終わって、秋の日が静かに過ぎていく。

 太郎は座薬が効いたのか(小生は二階で寝ていて判らないが)夜には落ち着いたみたいで、朝にはほぼ平熱になって、ケロッとして食欲旺盛、相変わらず洟ズルだが、元気いっぱいである、娘も一晩だけの高熱だったが、一体何なのかさっぱり分からない。

 午後から、例の欅の切り出しに出掛ける。二本の幹が断面が「巴」のように抱き合ってねじれているので、なかなかそれを引き離すことが出来ず、今日も少しずつ切っていたら突然二つに分かれたので、これでこれからの作業が少しやりやすくなる。(写真1写真2写真3


平成23年10月 1日(土)

 うす曇り。今日あたりからグンと冷え込むという予報に肩透かしを食らったような穏やかな日だった。朝の冷え込みも大したことなかった。

 娘は一晩寝たらほぼ平熱に下がって夕方にはもうほぼ普通に動いている、今回は全く喘息出なかった、咳も無かった、一体何なのだろう、一方で、今度は太郎が、熱を出して、いつもはうるさいくらいに元気なのにぐったりしている、午後7時前に39度近くまで上がっている、太郎の場合は数日前から咳が少しあり、鼻水が垂れていたので風邪だろうか、娘と同じだろうか、座薬を入れたが、まだ幼いので大丈夫だとは思うがちょっと心配ではある。

 先日今朝春さんから頂戴した新米10キロを精米して、今晩早速食べた。なるべくコメの味そのものを味わうために、シンプルなオカズにして、しみじみ炊きたてゴハンを味わった、う〜ん、美味かった。

 最近スズメバチをちらほら目にするようになった。今日、たまたまカメラに映っていたので、早速捕獲して、ホイホイの上に囮として置いておいた。(写真1写真2))



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